ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 「ねぞうアート」それは赤ちゃんの寝相を生かした演出をして撮った面白い写真や可愛い写真のこと。らしいです。ネットを検索すると「おひるねアート」とかいう呼び名もあるそうですが本が出版されるほどにメジャーなアートのようです。 長女N子を産んだ後に、私が好きそうだからという理由で友だちが勧めてくれたのですが、残念ながら、高齢出産&育児をした平均より大きく体力のない私に赤ちゃんが寝ている間に活動するという選択はないぜ!マイフレンドよ!! 初老はアートせず、ただ眠るのみ……。というわけで「ねぞうアートするお母さん」プロに認定しま〜す。 体力に自信のある若さ溢れるお母さんは記念になると思うので是非チャレンジしてみてください。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年05月13日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 前回351話で子どもが吐き出したものをパクリと食べるお母さんのことをプロだと思うお話を描かせて頂きました。 そして、そういうお母さんは、お母さんとしてだけでなく人間としても大きい人なのではないか?と個人的な感想を描かせて頂きました。 そんなある日、長女N子が食事中の出来事です。N子がベローと吐き出した食べ物をパピーちゃんがパクリと食べてるのを目撃したのです。 ここにもプロおった! ちなみにですが、5年ほど前、次女KTが保育園に通うようになった頃に、私が近所の皮膚科でシミ取りのレーザーをしたのですが、その時に顔面にガーゼを貼って保育園の送り迎えをしていました。そんな私を見てパピーちゃんは「大丈夫かな?保育園の先生に俺が暴力ふるったとか思われへんかな?」とミジンコレベルの発言をして人間としての器の小ささを全面にさらけ出していました。なので、351話で私が勝手に思った「子どもが吐き出した食べ物を食べる人=人間として器の大きい人」という説の真偽は「そうとも限らない」ということに訂正させて頂きたいと思います。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年05月06日志村けんさん(享年70)が5月1日に放送された連続テレビ小説「エール」(NHK総合)に登場した。在りし日の演技に、視聴者は見入ったようだ。志村さんが演じたのは、童謡「赤とんぼ」の作曲者である山田耕筰をモデルにした小山田耕三。窪田正孝(31)演じる主人公・古山裕一の才能を認めながらも、その活躍を恐れているという役どころだ。各メディアによると志村さんは今回の役柄について「俺、譜面も読めないのに、役柄はみんなが憧れる作曲家で、ちょっと意地悪っぽいところもある」「いつもの志村けんらしくない、こんなこともやりますよってところを見てもらえれば、うれしいね」とコメントしていたという。作中で髭を生やし、威厳のある演技を披露した志村さん。ネットでは、その演技を讃える声が上がっている。《一癖ある演技がステキ、カッコいい 最後まで演じられるのを観たかった》《少しだけのシーンで威厳のある演技に見入ってしまった》《一瞬誰かわからなかった。声のトーンや演技で別人になれるんだね、すごいよ変なおじさんだし志村どうぶつ園園長もやってるのに。ほんと、惜しい方を失くしてしまったんだなぁ》志村さんはこれまで、テレビドラマに出演したことがなかった。そのため「エール」は初ドラマにして、最後のドラマ出演となった。「志村さんはドラマのオファーを全て断ってきたそうです。ですが今回はヒロインの二階堂ふみさん(25)にも惹かれ、出演を決断したと聞きました。生前の志村さんは気合い十分で、常に台本を持ち歩いているほどでした」(芸能関係者)今後も「エール」では、収録の済んだ志村さんの出演シーンを放送するという。その貴重な演技を堪能できそうだ。
2020年05月01日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 以前、私が個人的にプロだと思うお母さんのお話を描かせて頂き、その後も何話か強引に引っ張ったロンパースのお話がありましたが、今日は、その2を描かせて頂きたいと思います。 子どもが食事のときにベローっと吐き出した食べ物を素手で受け止め、更に、そのまま自分の口へポイっと放り込みパクリと食べるお母さんです。 目の中に入れても痛くないほどに超かわいくて大好きなわが子ですが、私には到底マネできない技でした……。口の中に入れて1〜2回噛んだくらいで、原型をとどめているものなら、どう〜〜〜〜しても!まじでお願い!て言われるシチュエーションに出合ったら、もしかしたらいけるかもしれんけど、まぁまぁ噛み砕いたやつもペロリといけてしまうお母さんいますよね。 プロだ!プロだぜ!! ちなみに、そういうタイプの人は、お母さんとしてプロなだけでなく、人間としても器が大きい気がしませんか?私だけ?? イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年04月29日「突然の志村さんの逝去後、放送された特別番組は軒並み高視聴率でした。1日の『志村けんさん追悼特別番組』(フジテレビ系)は21.9%、『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)は27.3%、『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)は20.1%。各局とも故人の国民的人気に改めて畏敬の念を抱いています」(制作関係者)“バカ殿”は志村けんさん(享年70)にとって自身のお笑い哲学の象徴だった。ザ・ドリフターズで学んだ「動き7割、言葉3割」というコント哲学。その代表的なキャラクターが“バカ殿”だったのだ。《バカ殿も変なおじさんも純粋なんだよね。純粋すぎて周囲からは変に見えるだけ。そういう意味では俺も変わらないなぁ。頭の中、お笑いだけだから》(『週刊ポスト』’16年8月5日号)バカ殿に、自分自身を重ねていた志村さん。コント一筋、笑いに懸ける自身の生き方を象徴するキャラクターがバカ殿だった。生涯、独身だった志村さん。心の底では、家庭を持ち、子供を育てることを常に夢みていた。「志村さんは生前、『自分に子供が生まれたら、一緒にバカ殿ごっこをするのが夢』と、話していたんですよ。子供のような年代の後輩芸人たちをかわがっていたのも、そんな志村さんの思いの表れだったのかもしれません」(演芸関係者)「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日志村けんさん(享年70)の通夜、告別式は4月11、12日の両日で、近親者によって営まれた。「お別れの会」は、「新型コロナウイルスに関連する一連の状況が収束したのち」に開くという。国民的コメディアンの突然の死は、お笑い界の大きな痛手だ。2日、ナインティナインの岡村隆史(49)が、パーソナリティを務めるラジオ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、志村さんへの感謝を述べた。「僕がバラエティ番組でやる動きや表情は、ほぼほぼ志村さんのコピー。パクリに近いと思います」「岡村隆史という人間の7割が志村さんで構成されている」志村さんと岡村は公私にわたって親しかった。「実は、あの志村さんにも低迷期がありました。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)終了後の’90年代後半は、ゴールデンタイムのレギュラー番組がなくなり、『志村けん死亡説』が流れたこともあったほど。その低迷期を脱する契機となったのが、岡村さんがバラエティ番組で連発した志村さんの『アイーン』だったんです」(演芸関係者)自身の冠番組で「お笑いの教科書」だった志村さんをまねて、「アイーン」を繰り返した岡村の活躍で、本家・志村さんの人気は再燃。再びお笑いの第一線に復帰した。「岡村さんにも芸能活動を休止した時期があります。10年前、体調不良で、半年間の活動休止でした。本人自ら『地獄を見た』という入院療養中、心配した志村さんから彼に電話が入ったそうです。志村さんは彼の心の叫びを、ずっと聞いてくれたそうです。それが心の支えになったと岡村本人が言っていました」(岡村の知人)“相思相愛”だった2人。何度も食事をともにし、笑いについて語り合ってきた岡村は、ことあるごとに、バカ殿の後継者として立候補していたようだ。「6年前、芸人6人で慰安旅行に行く番組の企画でのこと。温泉に入り、酒が入った席で、岡村が志村さんに『どうすんですか?死んだら。バカ殿とかやっぱり誰かが残していかないといけないじゃないですか』『バカ殿、終わらすんですか?』と、矢継ぎ早に詰め寄っていました。ふだんから、岡村は志村さんと会うと必ず、このことを聞いていたみたいです」(テレビ局関係者)同年11月の『ウチくる!?』(フジテレビ系)でも、VTR出演した岡村は、ゲストの志村さんに、「“バカ殿”は誰が継ぐのか。変なおじさんは誰が継ぐのかということを遺書に残しておいていただきたい」と、懇願している。しかし、志村さんは岡村の度重なる懇願にもかかわらず、首を縦に振ることはなかったという。インタビューでこう語っている。「(岡村には)『そうはいかねえよ』と返している。俺のマネをしてもしょうがない。超えなきゃ意味ないから。岡村には、『おまえはコントをやらないからキャラができないんだ』って言ったけど、コントって結局、それが大変だから、若いやつはやらないんだよね」(『報知新聞』’14年6月17日付より)岡村のさらなる飛躍を期待して、志村さんは愛のむちを振るったのだ。そんな志村さんが晩年、気に入っていたのが千鳥の大悟(40)だった。’16年の『志村けんのバカ殿様最新作笑いの金メダルSP』で初共演し、翌年3月の『志村けんのだいじょうぶだぁドリフみんな大集合SP』(ともにフジテレビ系)に出演した大悟。「千鳥のトークコーナーを見て、志村さんは、昔の芸人のような荒っぽい雰囲気に加え、自分を作っていない大悟を気に入り、収録後、飲みに誘ったんです。そこで意気投合して、それからは週3回、一緒に飲む仲になっていました。以来、もう“愛弟子”ともいえる関係になりましたね。ある日、志村さんは笑いながら『俺が死んだら、おまえがバカ殿をやったらいい』と言っていたほどなんです」(テレビ局関係者)志村さんは大悟に、自分と同じにおいを嗅ぎ取っていたのだろう。「大悟さんは『バカ殿は志村さんのものですから』と断っていましたが、亡くなって『志村さんが天国で笑ってくれるなら……』という気持ちも出てきているようです。フジテレビも志村さんが遺した国民的キャラクター『バカ殿』をこのまま終わらせたくないようです。二代目を継ぐ可能性があるのは、志村さんが心からかわいがっていた岡村さんか大悟さんの2人しかいないと断言できます」(前出・テレビ局関係者)バカ殿が愛すべき後輩に受け継がれることを、天国の志村さんもきっと、喜んでいるはずだ――。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 347話で描かせて頂いた、かぶるタイプのロンパース。首の座ってない赤ちゃんにでも着せることができる方法があるというお話を書かせて頂きましたが、その具体的な方法について何も触れてなかったので、私みたいにあのタイプのロンパースを敬遠しているお母さまのために描かせて頂きたいと思います。 方法は超簡単!赤ちゃんを寝かせたまま「下から着せる」だけでした。 脱がせ方も簡単。肩を外して〜下にずらして〜「下から脱がす」だけでした。 上から被せたり、上から引っ張って脱がすことしか頭になかった私のバカバカバカ。超可愛かったけど、涙ながらに諦めたかわいいロンパース達……今からでも娘に着せたい!と諦めきれん思いぜよ。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年04月22日4月16日発表の「オリコン週間DVDランキング」で、3月29日に亡くなった志村けんさんの『志村けんのだいじょうぶだぁ BOXII ウンジャラゲ編』、『志村けんのだいじょうぶだぁ BOXⅠ だっふんだ編』が、ジャンル別「バラエティ・お笑い」でそれぞれ3位と4位にランクインした。また、志村さんが所属していたザ・ドリフターズの『ザ・ドリフターズ結成50周年記念 ドリフ大爆笑 DVD-BOX』をはじめとする作品も5作品同時ランクイン。ジャンル別「バラエティ・お笑い」で、志村さん関連の7作品が同時TOP10入りを記録した。また、DVD総合でも7作品はTOP100入りした。4月1日に生放送された『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)を皮切りに、各局が志村けんさんの追悼番組を続々と放送。20日付の同ランキングで前週圏外から一気に急浮上した。『~BOXⅠ だっふんだ編』『~BOXIIウンジャラゲ編』は、1987年から1993年まで放送されたお笑い番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』から、「変なおじさん」や「ひとみばあさん」などの名物コントをはじめ、石野陽子、松本典子、桑野信義などおなじみレギュラー陣とのショートコントも収録。どちらも2枚組、本編収録時間が約4時間におよぶベストコント集となっている。
2020年04月16日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 前回、347話で私は「かぶるタイプのロンパース」を着せているお母さんに「プロ」を感じるというお話をさせて頂きました。 そんな訳で、私はかぶるタイプのロンパースを着ている赤ちゃんを発見するたびに、YOUはプロのお母さんかがいてラッキーだねと心の中でひっそりと思っていました。 そんなある日、自らを私と同じ「カリスマだめママ」と称する地元の友だちがくれたお下がりの中に、な、な、なんと〜! かぶるタイプのロンパースが混ざっているのを発見したんです。 昨日までは、私と同じタイプのだめな方向のカリスマだったと思っていたその友だちが、まさかのかぶるタイプのロンパースを着こなしている赤ちゃんのお母さんだったなんて……一緒にマラソンを走っていたのに、実は、何百メートルも先をぶっちぎっていたプロのお母さんだったことに、初老の私は息切れが止まりませんでした。 やりおるな……。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。HP:「やましたともこのホームペー痔」
2020年04月15日ビートたけし(73)が4月11日放送の「新・情報7daysニュースキャスター」(TBS系)に出演。新型コロナウイルスによる肺炎で先月29日に死去した志村けんさん(享年70)について、初めて心境を語った。たけしは志村さんの芸風を「お笑いについてはコント芸人そのもの。俺はいろいろなものに手を出すけど、この人はコント一筋。なかなかね、できないですよ」と表現。そのうえで訃報について「ちょっと鬱になっちゃって、ノイローゼになっちゃって。俺はいったい、どうやって人生歩むんだっていうくらい考えたね……。どうしようって思った」と、あまりの悲しみに深く落ち込んだことを告白した。「たけしさんは、テレビであまり本音を打ち明けないタイプ。あれほど感情を赤裸々に告白したのは、初めてではないでしょうか。それは志村さんについて、自分の中で悔いが残っていたからなのかもしれません……」(民放スタッフ)もともとたけしは「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)、志村さんは「8時だョ!全員集合」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)で土曜午後8時からの“視聴率戦争”を繰り広げた。しかしそんな2人がタッグを結成し、99年4月に冠バラエティ番組「神出鬼没!タケシムケン」の放送をスタート。だが期待されたものの、わずか1年で番組が終了してしまった。「後に、たけしさんは自著で『この番組は自分たちがやりたかったことと、スタッフがやろうとしたことの意思疎通がうまくとれなかった』と振り返っていました。だからこそ、『志村さんともう一度いっしょに番組をしたい』と考えていたそうです。志村さんが逝ってしまったことで、その願いは叶わなくなりました。それだけに、無念の思いが強いのでしょう」(前出・民放スタッフ)
2020年04月13日新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなった志村けんさんの所属事務所が13日、公式サイトを更新。志村さんの通夜および葬儀が、4月11日、12日に近親者のみで執り行われたことを報告した。サイトでは、「志村けん 通夜及び葬儀についてのご報告」と題し、「令和2年3月29日に逝去いたしました志村けんにつきまして、通夜及び葬儀が、令和2年4月11日、4月12日に、近親者のみにて執り行われましたので、ご報告申し上げます」と報告。また、「既報の通り、ファンならびに関係者の皆様におかれましては、新型コロナウイルスに関連する一連の状況が収束したのち、『お別れ会』にて、故人を偲んでいただきたく存じます」とし、「『お別れの会』の開催時期や、詳細な内容については、決定次第、弊社よりご報告をさせていただきます」と伝えた。
2020年04月13日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私はカリスマ的にだめママです。 なので、よそのお母さんを見てよく「プロだ!」と思うことがあります。341話に登場した保育園のお母さんをはじめ、いろんな人にそう感じるのですが、せっかくなので、私が個人的にどういうお母さんにプロを感じるのか紹介させていただきたいと思います。 まずは〜「かぶるタイプのロンパースを着せているお母さん」。 私レベルでは着せ方が分からず、ふん尿で汚れた部分が顔面を通過するのが怖すぎて着せることができませんでした。 かぶるタイプのロンパースにはおしゃれなものも多くて、欲しいな〜と思っても買うこともできず時が流れて行きましたが、なんと、次女KTが小学校に入ろうかというこのタイミングで、首の座ってない赤ちゃんにでも、このかぶるタイプのロンパースを着せることができる本当の方法を知り、かなりの衝撃を受けました。遅っ! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。HP:「やましたともこのホームペー痔」
2020年04月08日産後の育児には本当に不安がいっぱいでした。私たち夫婦はお互い芸人をしていて仕事もあり、2人で協力して育児をしていくことが必須だと感じていました。だから友人がよく言っている「旦那が育児をしてくれない」「独身時代と何も変わってない」というような状況にだけはするまいと、スタートからいっしょに育児をしていこうと思っていました。きちんと役割を決めておいた方が良いのではとも思っていたのですが、仕事やら何やらでバタバタしているうちに出産し、そのままジェットコースターのように怒涛の育児が始まってしまいました。結果的に、役割を決めることはありませんでした。それもあって、「夜泣きも私しか起きないんだろうな…男の人は赤ちゃんの泣き声聞こえないって言うし…」と想像していたのですが、旦那は夜も息子の泣き声に敏感に反応してくれていました。母乳がメインの育児だったため、結果的に私は常に授乳し、それ以外のことは旦那にお任せという感じになりました。今では私以上にオムツを替えるのが手際よく、本当によく育児をしている旦那。役割を決めなかったことが意外に私たちにはうまくハマりました。もし役割をきっちり決めていたら、相手がその役割をやっていなかったときにイライラしてしまっていたかもしれません。もちろん、それなりにモメることはありましたが、今相手がこういう状況だから、自分はこうしておこうなど、自分の頭で何をしたら良いのかその都度考えることができたため、お互い能動的な育児になったことがとてもよかったです。
2020年04月08日新型コロナウイルスによる肺炎で、志村けんさん(享年70)が亡くなったのは3月29日深夜のこと。感染症予防の措置で、遺体は病院から斎場へ直行。そのまま荼毘に付され、遺族は臨終の顔を見ることさえかなわなかった。そして、けんさんは31日に遺骨となって東京・東村山の実家へ悲しみの帰宅を果たした。これまで何人もの女性と浮き名を流した志村さんだが、晩年を知る芸能関係者は「志村さんの周りには常にたくさんの女性がいました。しかし、そのなかでも最後に心を許していた女性がいたのです」と語る。その女性が、グラビアやラウンドガールとしても活躍するモデル・奥村美香さん(32)だという。そこで本誌は彼女を直撃した。だが、彼女は首を横に振るばかり。本誌の取材に対しては消極的だったが、志村さんについての質問を記者が重ねていくうちに思い出が次々とよみがえってきたようだ。初めて会ったのは、2年半前。食事会で意気投合したこともあり、すぐに2人の関係は深いものとなっていった――。亡くなる4日前の25日に放送された『あいつ今何してる?過去爆笑&涙3時間SP』(テレビ朝日系)で、志村さんは“結婚まで考えた女性”がいたことを明かしている。彼の古くからの知人も「真剣に結婚まで考えた女性は、過去に5人はいたと思います」と語るほど、志村さんは常に結婚願望を持っていたようだ。実際、周囲にはいつも多くの女性がいた。だが、その裏側で孤独も抱えていたという。奥村さんが語る。「ふだんから、けんさんのお酒の量はすごかったです。見かねて『ほどほどにしたほうがいいですよ』と言ったことがあります。でも周りの人が、お酒を勧めるんですよね。けんさんは断らない人なので、飲んじゃうんです。最初はノンアルコールビールから始まるのですが、次は食事に合わせて焼酎かワインか日本酒。落ち着いたら、ハイボール。お酒はきっと、寂しさを紛らせるために飲んでいたと思います。というのも、よく深夜に《全然、眠れないんだ》とLINEがきていました。《今日も眠れなかった》《一睡もできなかった》《お酒を飲まないと眠れない》と……。誕生日会は毎年、盛大にやっていました。でも、けんさんは孤独だったのだと思います。飼っている犬のことをよく話していて、写真も見せてくれました。『犬といっしょに寝ているんだ……』とも言っていました」奥村さんには、大御所芸人が人知れず抱えていた“本音”も漏らしていたという。「あれだけの方なのに、『いくつになっても何年やっても、舞台は慣れるものじゃないよ。舞台中は眠れないんだ』と言っていて、びっくりしたことがあります。それに『お笑いのネタが思いつかない』『ネタがかぶってしまう』と言って、悩んでもいたこともありました。『志村魂』といえば、『天才!志村どうぶつ園』で共演している相葉雅紀さんのことも言っていました。『相葉くんは毎回、自腹でチケットを取って見に来てくれるんだよ』と言っていましたね。あとは、いかりや長介さんの名前を出すこともあって『これからは、役者に力を入れていきたい。役者が夢』とも言っていました。最近も『映画で初めて主演するんだよ』と、すごくうれしそうに話していたんです。だから撮影の日も、とても楽しみにしていたんだと思います。その矢先に亡くなってしまうなんて、あまりにも残酷です……」志村さんは、松竹映画100周年記念作品『キネマの神様』(12月公開予定)での初主演が決まっていた。4月から撮影に合流する予定だったが、コロナウイルス感染が判明したことでやむなく出演を辞退している。また現在、放送中のNHK朝の連続テレビ小説『エール』にも日本を代表する作曲家・小山田耕三役で出演。昨年末から、収録にも参加していた。長く芸能生活を送ってきた志村さんだが、意外なことに『エール』が初めてのドラマ出演。志村さんはいつも台本を持ち歩くほど、燃えていたという。70歳を機に、新たな挑戦に乗り出していた志村さん。だがそんななか、新型コロナウイルスの魔の手が行く手を阻んだ……。「私にとって、けんさんはとても大切な人でした。たしかに、ときにはケンカすることもありました。でも寂しそうにしていたら放っておけなかったし、すっかり情が移っていました。今でも、亡くなったことが信じられません。実感がわかないんです。だって、今年も『志村魂』を母と見に行こうと約束していたのに……。けんさんが亡くなったニュースは、今でも見られません。その事実から逃げたい。もっとしてあげたかったこともあったし、話を聞きたかった。辛すぎて毎日、涙が止まりません。けんさんは時々、月についてのLINEを送ってくれました。それも深夜の2時や3時に突然、《今日は満月が綺麗です》と。そのメッセージが、今も心に残っています――」日本中の人々から愛されながらも、人知れず愛を求め続けていた志村さん。彼はいま、天国から大好きだった月を眺めているのだろうか。「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月07日「けんさんが新型コロナウイルスに感染したと報じられたときは、本当に驚きました。私、けんさんが入院する前日までLINEをしていたんです。3月19日のLINEは既読になりましたが、返事がありませんでした。いつもはLINEをするとすぐ返事がきていたので、変だなと思いました。でも、映画のお仕事が忙しいのかもしれないと思っていたんです。そうしたら、25日に陽性で入院しているというニュースが流れてきて。嘘だと思って、すぐにLINEをしました。でもいつまで待っても返事がなく、とうとう既読にすらならなくて……」モデルの奥村美香さん(32)は、そこで言葉を詰まらせた。つぶらな瞳が涙で曇る。新型コロナウイルスによる肺炎で、志村けんさん(享年70)が亡くなったのは3月29日深夜のこと。31日に遺骨となって東京・東村山の実家へ悲しみの帰宅を果たした。奥村さんが志村さんと最後のLINEをしたのは、倦怠感を覚えた志村さんが自宅静養に入っていたときだ。既読表示のみだったのは19日に発熱と呼吸困難の症状が出て、翌20日に緊急入院したからだった。奥村さんに返信したくてもできなかった志村さんの無念が、「既読」の文字ににじんでいるようだった――。入院後は家族とさえ面会できなかった志村さんが、最後の最後に連絡を取り合っていた奥村さん。これまで何人もの女性と浮き名を流した志村さんだが、晩年を知る芸能関係者は「志村さんの周りには常にたくさんの女性がいました。しかし、そのなかでも最後に心を許していた女性がいたのです」と語る。その女性が、グラビアやラウンドガールとしても活躍するモデル・奥村さんだという。そこで本誌は彼女を直撃した。「志村さんにとって特別な女性だったとお聞きしています」と聞いたところ、奥村さんは首を横に振るばかりだった。「知り合ってから1年くらいかな。『もう、会うのはやめよう』と思うほどのケンカになったことがあったんです。でも1カ月ほどしたら、けんさんから《元気ですか?》とLINEがきて。最初は無視したのですが、何度もくるので気になってしまって。また、会う約束をしました。でも1カ月ぶりに会ったとき、けんさんが雑誌で女性とのツーショット写真を撮られていたんです。なので『(その女性とは)何もなかったんですか?』と聞いたら、けんさんは『だって最近、おまえと会ってなかったからなぁ……。(彼女は)2人くらい、いるよ』と言っていました。私は『あれだけ売れている人だし、仕方ない』と思いました。でもやっぱりショックを受けたことがありました」本誌の取材に対して消極的だった奥村さん。だが志村さんについての質問を記者が重ねていくうちに、思い出が次々とよみがえってきたようだ。初めて会ったのは、2年半前。食事会で意気投合したこともあり、すぐに2人の関係は深いものとなっていった。「多いときで、週に3回会うこともありました。《来週はこの日とこの日、空いてます》とLINEを送ると、けんさんは《じゃあ全部》と返してきたりして。昼間に会うときも顔を隠さず、普通の人と同じ。けんさんはいつもそう。いっさい、隠さないんです。麻布十番で手をつないで歩いたり、肩を組んで歩いたこともありました。それに、けんさんは『結婚はまだ諦めてはいないんだよ』『子供がほしい』と話していました。『結婚しようと思った人はいないんですか?』と聞いたら『好きな人はいたけど、なかなか両思いにならなくてさ』と言って……。『福井の温泉で年越ししようと思うんだけど、付き合わないか?』とも誘われました。私は実家に帰ることになっていたので行けなかったのですが、『けんさんは、ほかに誘う人がいないのかな……』と思いました」そうして奥村さんとの“堂々デート”を重ねていった志村さん。LINEには奥村さんにあてた《恋しましょう》などのメッセージが残っている。古希になっても、そう願う陰には“家族への夢”があった。志村さんの結婚は、’15年11月に亡くなった母・和子さん(享年96)の悲願でもあったのだ。「けんさんは、お母さんのことをよく話していましたね。『おれのお母さんは優しくて、とてもいい人だった。もっと、そばにいてあげればよかった』と……。お母さんのことを話しながら、涙ぐんでいたこともありました。そんなけんさんだから、私の母のことも気づかってくれたのかな。一昨年の12月に私が母の誕生日サプライズがしたくて、けんさんに『母親を紹介したい……』とダメ元で聞いてみたことがありました。そうしたら『いいよ!』と即答して、麻布十番にある高級なおすし屋さんを予約してくれたんです。当日になって『今日は収録が押していて、もしかしたら行けないかも』とけんさんから連絡があったのですが、結局、収録を早めに切り上げて時間ピッタリにきてくれました。でも、その日のけんさんは本当に体調が悪そうでした。お酒もまったく飲まず、ノンアルコールビールだけ。30分ほどで帰っていきました。実はけんさん、翌日は定期検査の日だったそうです。私たちは高級なおすしを食べられるだけでも大満足だったのに、私の母のためにかなり無理をしてくれたんだと思います。後日、けんさんの舞台『志村魂』を母と一緒に見に行きました。私1人で楽屋にご挨拶に行くと、『あれ、お母さんは?』と聞かれました。舞台で忙しいときでも母のことを気にかけてくれる、そんな優しい人でした」「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月07日新型コロナウイルスによる肺炎のため3月29日に死去した、タレントの志村けんさん(享年70)。その追悼特番として4月1日に放送された「志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう」(フジテレビ系)の世帯視聴率が関東地区で21.9%(ビデオリサーチ調べ)を記録したと、各スポーツ紙が報じた。番組では「ザ・ドリフターズ」によるコントや、「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」から名作コントを放送。ドリフのメンバーやゆかりあるタレントらが生出演した。各紙によると世帯平均視聴率は全国8地区のうち7地区で20%を超え、さらに先月30日からスタートした個人視聴率は関東地区平均で14.8%を記録。番組を1分以上視聴した「到達人数」(推計)は、全国で4,000万人以上に達したという。「若者を中心にテレビ離れが進んでいるなか、4,000万人の視聴は驚異的な数字です。地元・東村山市の駅前に置かれた献花台には老若男女がひっきりなしに訪れ、いかに多くの国民から愛されているかがうかがえます」(ワイドショー関係者)他局でも追悼番組を期待する声があがるなか、NHKは4日から6日に3日連続で放送することを発表した。4日は16年9月放送された「となりのシムラ#5」(NHK総合、午後5時15分)、5日は18年1月放送の志村さんが警視庁を退職し、探偵事務所を立ち上げる男を演じた「スペシャルコント 志村けん in 探偵佐平60歳」(NHK BSプレミアム、午後2時半)を放送。そして6日には10年3、4月に放送された番組を再構成して「鶴瓶の家族に乾杯~志村けんさんありがとう~2010年福島県小野町の旅」(NHK総合、午後7時半)として放送する。「新型コロナウイルスの影響で、特に4日と5日は在宅している人が多いはず。また志村さんの笑いで心が癒やされる人も多いはず。局内でも『どこまで数字が伸びるのか』と注目されているそうです」(テレビ局関係者)
2020年04月03日フジテレビでは4月1日(水)、「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」をオンエアする。新型コロナウイルス肺炎のため3月29日に亡くなった志村さんとゆかりのあるゲストを迎え、これまでの軌跡をふり返る。1950年、東京都東村山市に生まれ、音楽と笑いに魅せられ「ザ・ドリフターズ」に弟子入り。24歳で正式メンバーとなると人気番組「8時だョ!全員集合」で「東村山音頭」を披露し、これが一躍話題に。その後「ヒゲダンス」や「最初はグー」ではじまるじゃんけんなど、数々のネタが子どもたちを中心に人気を博した志村さん。その後「志村けんのバカ殿様」の放送が開始されると、ダチョウ倶楽部や柄本明らと共演、新たな笑いのスタイルを開拓。番組内に登場した“変なおじさん”がまたしても子どもから若い世代を虜にして大人気に。1999年には高倉健主演の映画『鉄道員』に出演。同作以来21年ぶりの映画出演となり、菅田将暉とW主演を務める山田洋次監督作『キネマの神様』が12月公開予定だったが、3月25日に新型肺炎の罹患と、同作の出演辞退が発表。その後闘病が続いていたが、3月29日、満70歳で逝去した。今回は、ドリフターズ時代からバカ殿、「だいじょうぶだぁ」など数々の名作コントを一挙放送。変なおじさん、ひとみ婆さん、いいよなおじさんなど志村さんが生み出した名物キャラも次々登場。加藤茶、仲本工事、高木ブー、研ナオコ、いしのようこら、志村さんとゆかりのあるゲストとともに、46年にわたるコメディアンとしての偉大なる軌跡をふり返っていく。「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」は4月1日(水)19時~フジテレビ系でオンエア。(笠緒)
2020年04月01日3歳1ヶ月になったころ、ついに先生からトイレトレーニング開始の打診がありました。■トイレトレが急速に進んだ友情物語 トイレにまったく興味を示さなかった息子が、お友だちのおかげで激変!! 2人の絆の強さにも感動してしまいました。しかし! 大変なのはその後だったのです…!■昼間はほぼ完了! しかし夜はオムツが登場寝る前にトイレに行かせた日は成功率が高かったのですが、それを忘れるか、寝る前に水をがぶ飲みしてしまうとだいたい漏らしてしまう息子。防水シートを敷いても寝相が悪いので、「OB(アウト・オブ・防水シート)」してしまったり…。おねしょをされると仕事や精神に響くので、オムツは当分、手放せそうにありません…。
2020年04月01日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 先日、次女KTが保育園を卒園しました。 私人生の最後の娘となるKTを無事に送り出して頂いたことにすこぶる気持ちが高ぶっているので、今日はそんな私の思いの丈をブチまけさせて頂きたいと思います。 長女N子が保育園に入所してから8年間、たくさんの人と出会いました。 保育園の先生たち、お母さんたち、そして、出産前は出会いにカウントすることがなかった保育園の子どもたち。先生たちはもちろんのこと、プロフェッショナルなお母さんたち、そうでもないお母さんたち、更に、意外にも保育園の子どもたち、みんなから教わることが沢山あった8年間でした。こんな私でもみんなのおかげで毎日少しずつ、お母さんとして、そして人間として、成長することができたのではないかと思います。 妊娠中や乳飲み子を育児中のお母さん、これから先、初めての経験で右も左もわからず、私みたいにやってはいけない恥ずかしい失敗をして落ち込む日があるかもしれません。そんなときにはこのダメな私を思い出してみてください。 あなたはノープロブレムよ!少しでも間違えたらすぐに激しく叩かれる時代ではございますが、お気になさらず。できることから頑張りましょう!ときには大いに人に助けを求めて今日も育児頑張ってください。陰ながらではございますが、今日も明日もあなたを応援しています。 フレーフレーお母さん♡頑張れ頑張れお母さん〜♡ イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。HP:「やましたともこのホームペー痔」
2020年04月01日タレントの志村けんさん(享年70)が、3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎で死去した。発症が発表されてからわずか1週間での訃報に日本中が悲しみに暮れた。芸能界からも志村さんの死を悼む声が相次いだ。「ザ・ドリフターズ」のメンバー・加藤茶(77)は「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです」と事務所のHPにコメントを寄せた。また12月公開予定の映画『キネマの神様』で志村さんと共演する予定だった菅田将暉(27)は、30日放送の『菅田将暉のオールナイトニッポン』で「個人的には、これからだったので。テレビで見ていたスーパーヒーローとこれから一緒にモノづくりをするという段階でこういうことになったので」と悔しさを滲ませていた。そんななか、小池百合子東京都知事(67)の哀悼コメントが物議を呼んでいる。30日、都庁で報道陣からのインタビューを受けた小池知事はこう発言した。「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんといえば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています。お悔やみ申し上げます」志村さんを悼みつつも、死に対して“功績”という言葉を使った小池知事に対してSNS上では批判の声が相次いでいる。《志村けんの訃報による小池都知事の最後の功績発言言いたいことはわかるし多数がなんとなく感じてるけど言葉が悪い「最後に警鐘を鳴らしてくれた」とかいうのが普通功績なんて言ったら「死んでくれてありがとう」と解釈されても仕方がない都知事レベルだから大失言だよほんと》《「よくぞ死んでくれました」と言ってるようなものじゃないか。初主演映画も決まり、朝ドラだって重要な役で出るはずだったんだ。死んだことが功績だなんて、言われたくはなかったはずだ。もっと、もっと、生きて仕事がしたかったはずだ》《亡くなった故人の無念や想いを考えれば別な表現がいくらでもあるはず》いっぽうで小池知事をフォローする声もあがっている。《小池都知事の発言がどうこうじゃなく、これから志村けんさんの死というものを残された自分たちが本当に功績にしていかなきゃいけない。あんな偉大な人の最期がコロナに負けたじゃ納得いかない。あの人が日本を救ったって言えるぐらい》《小池都知事の「最後の功績」は不適切だとは思うけど、生前は全国民を比類なく笑顔にして、死後はコロナの恐ろしさを身をもって国民に知らしめて、きっとそのおかげで助かる命が沢山あって、結果論だがこんなに偉大な人がいるだろうか、とは思う。もちろんもっと長生きして欲しかったけど》
2020年03月31日新型コロナウイルスによる肺炎で29日に亡くなった志村けんさんの訃報について、アメリカでも有名雑誌の「People」誌や「Variety」誌、「ワシントン・ポスト」紙、「ロサンゼルス・タイムズ」紙などが取り上げた。「People」誌は、志村さんを日本のコメディ・レジェンドであり、「アメリカのロビン・ウィリアムズ」であるとして紹介。志村さんの人気ネタ及びキャラクターである「ヒゲダンス」を「マスタッシュ・ダンス(Mustache Dance)」、「変なおじさん」を「ストレンジ・アンクル(Strange Uncle)」、「バカ殿様」を「イディオット・フューダル・ロード(Idiot Feudal Lord)」と英語で説明している。また、志村さんがアメリカのコメディアン、ジェリー・ルイスをインスピレーションの源にしていたと報じ、山田洋次監督作『キネマの神様』に初主演予定であったこと、東村山市を代表して東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれていたことを伝えた。日本で新型コロナウイルスによって亡くなった、初めてのセレブリティであるとも。どのメディアも、笑顔の志村さんの写真を掲載。改めて新型コロナウイルスについてアメリカ疾病予防管理センター、WHO、地元の保健局などの最新情報に注意しておくように呼び掛けた。(Hiromi Kaku)
2020年03月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵が31日、自身のブログを更新し、新型コロナウイルスによる肺炎で29日に死去したタレントの志村けんさんを悼んだ。海老蔵は、「朝刊見て改めて」と題してブログを更新。「しみじみと大好きだったなー」と書き出し、「8時だョ! 全員集合。土曜日の夜でしたかねその時間になると妹と二人でテレビの前に正座して見てました!コントたのしかったー」と、『8時だョ!全員集合』(TBS)の思い出をつづった。そして、「私達の世代は私もみーんなドリフで笑いを知ったように思います。特に私は志村けんさんのファンでした。。」と明かし、「1日経ってから悲しさや懐かしさが胸から溢れ出てきました」と胸中を吐露。「心から心から御冥福をお祈り致します」と追悼した。
2020年03月31日女優の伊藤沙莉が30日、インスタグラムを通じ、新型コロナウイルス感染による肺炎で29日に亡くなったタレント・志村けんさん(享年70)との思い出を明かした。伊藤は、志村さんとの共演シーンを撮った動画をアップし、「コント番組でご一緒させていただきました。そのうちの1つはバディを組ませていただきました」と振り返り、「ずーっとテレビで観て育って、だから、本当に嬉しくて、唯一テレビの録画にずっと残してあった番組でした」と告白。「空き時間お話ししてくださったこと、遠慮するなとアドバイスしてくださったことずっと忘れません」と感謝し、「正直まだ信じられません。いつか2ができると信じてました。悔しいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と結んだ。志村さんは、2018年1月放送のスペシャルコント『志村けん in 探偵佐平60歳』(NHK総合)で、60分の長尺コントに挑戦。志村さん演じる木野塚佐平は警視庁を定年退職し、ハードボイルドに憧れていたことから探偵事務所を立ち上げる。伊藤は、その秘書役で出演した。なお、2016年9月放送のコント番組『となりのシムラ』(NHK総合)でも、伊藤は志村さんと共演している。
2020年03月31日新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症していた志村けんさんが3月29日夜、入院先の都内の病院で死去した。70歳だった。志村さんは今月17日にけん怠感があったため、自宅療養。19日には呼吸困難となり、翌20日には医師の判断で都内の病院に搬送。重度の肺炎と診断され、入院していた。25日に所属事務所が新型コロナウイルスへの感染を発表。それに伴い、12月公開予定の映画初主演作「キネマの神様」の降板を発表していた。「志村さんは1999年公開の高倉健さん(享年83)主演映画『鉄道員』で、初めて映画に出演しました。もともと自宅に数千本のビデオを所有するほどの映画ファンだったそうですが、当初は『最初で最後』と決めて撮影に臨んだといいます。しかしクランクアップすると、『いつかまた出てみたい』と声を弾ませていたそうです」(映画ライター)志村さんが「鉄道員」で演じたのは回想シーンに登場する、九州から北海道に働きに来た炭鉱労働者役。リストラで自暴自棄になり酒を飲んで荒れていたところ、その町の駅長である高倉さんと出会う場面を演じた。「自宅の留守電に、健さんから直々に出演依頼のメッセージがきたそうです。志村さんは後々まで、その留守録を家宝にしてあったといいます。撮影前日にも高倉さんから電話をもらったそうで、志村さんは奮起。机に頭を打ち付けるシーンを何度も繰り返し、健さんを心配させるほどだったそうです。いっぽうテスト撮影で額をぶつけた後には、『痛えよ~』と変なおじさん風な声で一言。このアドリブには、思わず健さんも笑ってしまったといいます。さすが、一流のコメディアンだなと思いました」(映画関係者)映画への思いを残したまま亡くなった志村さん。天国で高倉さんと再共演を果たすことになりそうだ。
2020年03月30日志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなったと3月30日に発表された。70歳だった。国内外問わず、各界からその死を悼む声が上がっている。志村さんの訃報は、同日の10時頃に速報で報じられた。すると「スッキリ」(日本テレビ系)に出演していたハリセンボン・近藤春菜(37)は号泣。若手の頃から交流があり、コント番組や「天才!志村どうぶつ園」(同局系)でも共演してきたと述べ「いつも楽しく私たちが何でも言いやすいような環境を作ってくださって」「そばでお笑いを一緒にできたことは私の人生にとって、なんて幸せなことか、宝物かって思います」と感謝の言葉を口にした。春菜同様、後輩芸人たちから多くのコメントが上がった。田村淳(46)はTwitterで《いつも会う度に褒めてもらえる事が認めてもらえる事が嬉しかったし、励みになりました》《本番ではないところで少し控えめに笑う志村さんの笑顔が忘れられません》と回想。また松本人志(56)は志村さんのこととは明言していないが《素晴らしいおじさん。ありがとうございました》と投稿している。志村さんと親しい共演者たちの反応もあった。「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)などで長年タッグを組んできた研ナオコ(66)はTwitterで《けんちゃん、駄目だった(涙)どうしよう、、》と心痛を表明。ダチョウ倶楽部は公式ブログで「志村さんがいらっしゃったので今のダチョウ倶楽部があるのだと思います」とし、「一緒に過ごした日は、今も私たちにとって大切な思い出です」とつづっている。また小島瑠璃子(26)はTwitterで《今日お仕事でご一緒させて頂く予定でした》と明かし《絶対元気になって、『いや〜大変だったよ〜』なんて冗談にして、またみんなを笑わせてくれるのだと信じていました》《志村さん、ご冥福をお祈りします》と語っている。志村さんといえば「東村山音頭」が大ヒットを果たした。そのため渡部尚東村山市長(58)は《東村山15万市民の皆さんと共にご回復を祈っていましたが、願いが叶わず残念でなりません。心より哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈りいたします》とコメント。また同市出身のユージ(32)は《地元を有名にしてくれた大スター。先輩、お疲れ様でした》とツイートしている。志村さんの訃報は国外にも伝わった。CNNは志村さんを「日本のロビン・ウィリアムズと呼ばれている」などと表現しその死を報告。さらに台湾の蔡英文総統(63)はTwitterで《志村けんさん、国境を超えて台湾人にたくさんの笑いと元気を届けくれてありがとうございました。きっと天国でもたくさんの人を笑わせてくれることでしょう》と追悼している。
2020年03月30日3月29日、志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため逝去した。享年70。各紙によると近親者のみで葬儀を行い、後日にお別れの会の開催を検討しているという。17日に倦怠感を訴えて自宅静養に入ったが、19日に発熱と呼吸困難の症状が出たという志村さん。そのため20日に主治医の診察を受けたところ、重度の肺炎と診断されて緊急入院することに。医師が新型コロナウイルスの検査を実施し、23日に陽性と判明したという。24日には感染症の専門病院に転院し、ICUで治療を受けているとも報じられていた。12月公開予定の松竹100周年記念映画『キネマの神様』で初主演が決定していた志村さん。すでに撮影はスタートしており、4月から合流する予定だった。しかし26日、やむなく事務所が出演辞退を発表。いっぽう松竹側はスケジュール再調整の協議を始めるなど、復帰を待つ声も上がっていた。「志村さんは、入院直前まで撮影に意欲を燃やしていたんです。本当に無念だと思います……」そう語るのは、自宅療養中に連絡を取り合った知人だ。「18日、志村さんにLINEを送りました。すると、『もうすぐ映画の撮影が始まるんです』という返事が返ってきたんです。発熱する前日のことです。2月に会ったときも志村さんは『今年は役者をやるんだ。映画も決まった』と照れくさそうに笑顔で話していたので、すごく映画の撮影を楽しみにしていたのだと思います」だがその後、志村さんとは連絡が取れなくなってしまった。「翌19日にもLINEを送ったのですが、珍しく返事がありませんでした。集中して台本を読んでいるのかなと思っていたのですが、新型コロナウイルスに感染していたなんて……」実際、志村さんは初主演映画に並々ならぬ熱意を持っていたという。「志村さんは今回の映画撮影に強い意欲を見せていました。仲のよいスタッフには『山田洋次監督の撮影だから万全の体調で臨みたいんだよね』と話し、撮影期間中は“断酒”も辞さないほどの覚悟だったそうです」(映画関係者)「女性自身」2020年4月14日号 掲載
2020年03月30日新型コロナウイルス肺炎のため3月29日に亡くなった志村けんさんに関して、主演を務める予定だった映画『キネマの神様』の監督・山田洋次がコメントを発表した。新型コロナウイルス検査の陽性が確認され、入院・闘病中だった志村さん。所属事務所である「株式会社 イザワオフィス」は、本日30日に「弊社所属タレント 志村けん(本名=志村康徳) が、令和2年3月29日 午後11時10分、 新型コロナウイルス肺炎のため、満70歳で逝去いたしました」と公式サイトにて報告した。映画『キネマの神様』は、松竹映画100周年のメモリアルイヤー記念作品で、原田マハの同名小説を基に、志村さんと菅田将暉がW主演で主人公を二人一役で演じることがアナウンスされていた。しかし先日、志村さんが同作への出演を辞退していた。志村さんの逝去に関して、同作の山田監督は「言葉を失うほどの衝撃です」「日本の喜劇の世界の宝」などとコメントしている。以下、山田洋次監督コメント全文『キネマの神様』の出演辞退でがっかりしていたぼくにとって、言葉を失うほどの衝撃です。志村けんさんは日本の喜劇の世界の宝でした。その存在がどれほど貴重だったかを、彼が少しでも自覚して健康に留意してくれていたら、と彼の早死が口惜しく、残念で残念で仕方ありません。山田洋次なお、ゲスト出演したNHK連続テレビ小説「エール」は予定通りに放送されるという。(cinemacafe.net)■関連作品:キネマの神様 2020年12月、全国にて公開予定©︎2020「キネマの神様」製作委員会
2020年03月30日映画監督の山田洋次が、新型コロナウイルスによる肺炎のため29日に死去したタレントの志村けんさん(享年70)へ追悼のコメントを送った。山田監督は、志村の初主演映画『キネマの神様』(12月公開予定)のメガホンを取る予定だったが、26日に志村の所属事務所・イザワオフィスと、配給の松竹が連名で出演の辞退を発表していた。3月のクランクイン、5月のクランクアップを予定していたが、新たな出演者や撮影スケジュールなどは、現時点で協議に至っていないという。この度の訃報に際して、山田監督は「言葉を失うほどの衝撃」と驚きをあらわに。「志村けんさんは日本の喜劇の世界の宝でした。その存在がどれほど貴重だったかを、彼が少しでも自覚して健康に留意してくれていたら、と彼の早死が口惜しく、残念で残念で仕方ありません」と悔しさを込めた。本作は、小説家・原田マハ氏の同名小説を原作に、「松竹映画100周年記念作品」として山田洋次監督がメガホンを握る。志村は、W主演となる菅田将暉と初共演し、世代を超えた二人一役の主人公を演じる予定だった。○山田洋次監督 コメント『キネマの神様』の出演辞退でがっかりしていたぼくにとって、言葉を失うほどの衝撃です。志村けんさんは日本の喜劇の世界の宝でした。その存在がどれほど貴重だったかを、彼が少しでも自覚して健康に留意してくれていたら、と彼の早死が口惜しく、残念で残念で仕方ありません。
2020年03月30日タレント・志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなったことを受け、歌手の和田アキ子(69)が30日、所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。和田は、「とにかく残念です。本当に回復を願ってました。回復すると信じていたので、、、」と突然の訃報に悲痛な思いをつづり、「志村(昔からそう呼んでいたので、あえてそのまま呼ばせてください)とは、志村がまだ全員集合の時にボーヤをやっていた頃からの付き合いです」と思い出をさかのぼった。「当時、志村はコーヒーを楽屋で売っていて、毎回それを買ってあげると物凄く喜んでくれました。それからの活躍はそれはそれはすごくて。音楽も詳しくて、お笑いの才能はズバ抜けていて、凄いなぁと尊敬していました。飲み屋で一緒になる事が多くて、何度かばったり会って飲みました。とにかく静か~に寡黙に飲むんですよ。『楽しいの? 私といるからつまらないの?』って聞いたら、『楽しいですよ。いつもこんな感じです』って、これまた小さい声で笑って答えていました」そして、「最後に会ったのは、正月の『格付けチェック』の番組です」と明かす和田。「『お互い歳だから、仕事に感謝して頑張って行こうな』って話していたんですよね、、また1人、才能あふれる人が亡くなってしまいました、、本当に残念でならないです」と悼み、「心からご冥福をお祈り申し上げます」と結んでいる。
2020年03月30日歌手でタレントの研ナオコが30日、自身のツイッターを更新。新型コロナウイルスに感染し入院していたお笑いタレントの志村けんさんが29日に亡くなったことを受け、胸中を吐露した。『志村けんのバカ殿様』などで共演してきた研は、「けんちゃん、駄目だった(涙)どうしよう、、..」とツイート。その後、「今は何も考えられませんけんちゃんと、もう会えなくなっちゃう悲し過ぎてあり過ぎる想いが整理できません」と心境をつづり、「一緒に仕事が出来て幸せでしたありがとう…」と感謝の思いを記した。志村さんの訃報に、芸能界では悲しみの声が続出。SNSでも「信じられない」「ショック」といった声が相次いでいる。
2020年03月30日