「貯木のまち」から車で東へ10分足らず。吉野川の風景を眺めながら辿りついたのが吉野の酒蔵である「美吉野醸造」。吉野林業のそもそもが、酒の運搬・醸造用の樽や桶であったことは前回の原木市&製材所めぐりでお伝えしたとおり。近年はホーロータンクなどに押されて姿を消した木桶仕込みの酒づくりが、最近また新たに評価されているそうだ。美吉野酒造も2010年に60年ぶりの木桶仕込みを復活させて以来、毎年「百年杉 木桶仕込み」として発売している。しかし、美吉野酒造のすごさはそれだけではない。ディープな酒蔵見学がはじまった。同じ蔵元でこれだけ風味が違うのかと驚きだった日本酒たち■これまでの酒づくりとは正反対案内してくれたのが専務の橋本晃明さん。7年前より杜氏でもある。まずはお米の話から…というところで、奈良は酒向けの米の産地ではないことを知らされた。「米どころ=酒どころ」であるように、常識では米は酒づくりにおける最大のこだわりどころ。しかし橋本さんは、奈良県産の米を取り入れつつも、そこにこだわりはない。「山の米、平野の米。それぞれ水や土壌は違うけれどどちらも正解なんです。農家さんの思いを汲みながら、『この蔵にとっていい米』を使っていくことが大切だと思う」と橋本さん。現在は奈良県産の『吟のさと』を使用。玄米の白っぽい部分が酒米の特徴■ワイルドな麹づくり麹室(こうじむろ)と呼ばれる麹づくりの部屋。ここで蒸し米に麹菌をふりかける。ここは50年前に吉野杉をつかって作ったそうだ。電熱器と加湿器で温度と湿度を調整。杉は調湿にも優れる美吉野醸造では、「総破精麹(そうはぜこうじ)」という、米全体に菌糸をまわす手法をとっており、室温は30度、湿度は70%~80%とかなりのムシムシ状態(通常は50%程度)。細菌に胞子を均一に振りかけて菌種を斑点状に入り込ませる「突き破精(つきはぜ)」と違い、こちらは大胆にも噴霧器で蒸し米に菌を振りかけるそう。なんだか、とてもワイルド。麹は、全体に菌糸がまわって真っ白な麹ができるという。「麹は酒造りのDNAなんです」と語る橋本さんは「酸味」にこだわる。上質な酸味、旨みの強い酸味。麹づくりはこの後の「酒母(しゅぼ)」の工程にも関わり、絶妙な酸味を生み出す大切な作業なのである。■酵母無添加の酒母(しゅぼ)づくり「酒母」とは仕込み前に後工程で合わせるもろみの発酵を促す酵母菌を培養する作業で、「麹室でつくった麹米+蒸し米+水+酵母」が基本セット。ただ、橋本さんはここで酵母を無添加にすることに踏み切った。3年間お世話になった剣菱酒造での「酵母は探すものではなくつくるもの」という、これまでの常識と180度違う発想に感銘を受けたからだという。木桶の中でぶくぶくと発酵する酵母無添加の酒母酒母をあえて四季折々で条件が変わる厳しい環境に置き、それでも発酵してくるのが「この蔵の酵母菌」となる。吉野杉の木桶は山守の中井章太さんたちとのプロジェクトその後、三段仕込みを行い、もろみ発酵などの工程を経て清酒となる。ちなみに、美吉野醸造では、一般的な酵母添加の製法で醸すお酒もあるが、いまは出荷の7割がこの酵母無添加のお酒だという。■さらにワイルドな水もとまた、美吉野酒造では、めずらしい水もとという醸造方法を取り入れている。室町時代に奈良市菩提山町の正暦寺でつくられたこの酒が清酒のルーツとされ、まさしく日本酒発祥の地・奈良にふさわしい酒づくりの原点とも言えよう。この酒母のつくり方はさらにワイルドで、生米を水もとにひたして腐らせることで発酵に導くという、腐敗と発酵ギリギリのライン。橋本さんも笑いながら「最初はすごい腐敗臭に捨てようかと思った」というほどすっぱい匂いがしたという。■吉野の水、気候、自然のまま酒づくりは低温で、という常識を覆し、水もとは夏でも行えて低温管理もしなくてよいという。それでも活発に活動する酒母はまさしく吉野の地、その気候風土で育ったここだけにしかない日本酒だといえるだろう。「もともと水もとを刺身にあわせる気はない」と断言する橋本さん。海のない奈良、山の恵みに感謝する奈良の人ならではだ。「山のお酒でありたい」、それが地酒づくりとしてのやりがいだという。酒づくりの話になると突然饒舌になる橋本さん■吉野の水、気候、自然のまま美吉野酒造の仕込水は、大峰山系の伏流水の井戸水を使用している。雄大な大峰山からの恵みを与え、そして、橋本さんの酒づくりはどこまでもスパルタ教育。吉野という環境のもとで酵母菌を環境に適応させてきた。さて、これからしたいことは?の問いに、「アルミ製の暖気樽(だきだる)を木製のものにしたい!」と答えた橋本さん。暖気樽とは、湯を入れたり水を入れたりして温度調節する湯たんぽのようなもの。「金属よりゆっくり熱が伝わるから冷めにくいんですよ」とますますマニアックな話は尽きなかったのだが、今日はここまで。いずれ橋本さんが吉野杉の暖気樽を使う日も遠くないのかもしれない。次回は、吉野のヒノキを求めて京都まで足を伸ばします。【酒蔵情報】奈良県吉野郡吉野町六田1238番地1TEL:0746-32-3639
2016年05月18日「循環する木の物語」を求めて奈良は吉野の里へ。今回は、「吉野貯木のまち」を訪ねた。近鉄線「大和上市駅」から吉野川の鉄橋を越えると東西に広がる2kmの間に38軒の製材所が集まる、そこが製材団地となっている。■競りが行われる原木市場へやってきたのは上吉野木材共同組合の原木市。吉野には2ヶ所に原木市があるという。大型クレーンががっしり大木をつかむ様に圧倒されながら、山守の中井章太さん(中神木材)から案内を受ける。原木市が行われるのは月に2回。県内外の製材所から100人以上が参加し、その様子は築地の競りさながらだそう。欲しい木があれば指数字で値段を伝え、振り子と呼ばれる進行係が決定してゆく。この振り子さん、指数字を瞬時に読み取ったり、事前に原木を目利きしてよい物から順番に並べたりと、相当の力量が必要な仕事であるようだ。原木市に並ぶ木々■吉野木材の歴史を聞く500年の歴史を誇る吉野木材。室町時代に人工植林されたのをはじまりに、その後、豊臣秀吉が大阪城や伏見城を建設する際に吉野を領有し、吉野杉を使ったとされる。吉野杉がブランド化したのはなんと江戸時代。もともとは酒を入れる樽や木桶にふさわしい杉にするために、「目が詰まってまっすぐな香りのよい杉」を育てるために試行錯誤が繰り返されてきた。木を樽の側板になるよう、ゆるいカーブをもたせた板を「樽丸」といい、樽丸は組み立てる前に酒処である灘や伏見に送られた。この樽丸はすさまじい人気で、1年で100万樽、約200年間この人気が続いたという。この頃から吉野杉は質の高い素材として支持されてきた。■いざ、製材所へ!今回、訪ねたのは38軒ある製材所のうちの一つ、吉野中央木材株式会社。まず、この「吉野貯木のまち」の歴史を振り返ると、貯木場が出来たのは昭和14年。それまで吉野川を通じて和歌山に吉野材を水運輸送したものの、経済的なうまみはすべて和歌山に落ちるということから、県営の貯木場の建設が始まったという歴史背景を持つ。吉野貯木場の全盛期には貯木に使う池を3つも備え、なんと山側には木材を運ぶための貨物列車まで通っていたとか。戦後の住宅建設がピークになった昭和30年代には130軒もの製材所が並んでいたというが、今では、池も埋め立てられ、貨物列車は昭和30年代中盤で自動車の発達により廃線になってしまった。「木取り」の作業。切る前にこの木の特徴を目利きし用途を決めてから切る■熟練の技を間近で見る吉野中央材木の従業員は16人。その全員が木の木目や品質の目利きが出来るという。「どの作業においても、木の魅力を活かすために目利きが必要なんです」と専務取締役の石橋輝一さん。どう木取りをすれば最大限にこの木の魅力が現れるのか、ムダが出ないのかを見極めてストーリーを練る熟練の技を必要とする作業だ。目立てに要する時間はなんと半日。板前さんが包丁を研ぐように、木取りの命である帯ノコの切れ味は、職人さんの確かな目立ての腕によって支えられえている。「半世紀も使っている機械がある目立て工房。製材に使う帯ノコを手作業で手入れ、調整する場所だ木材と共にある時間軸はここでも長い。木取りのあと半年から1年、人工乾燥または自然乾燥される。そこで出た反りや歪みを正すために引きなおし、ようやくまっすぐの美しい形になるのだ。いくつもの季節を経て、吉野の木々は使い手の元に渡る。■若い力、木への誇り、受け継ぐ心、つなげる情熱林業は木の価格下落で縮小し、製材所もかつてより100軒近く減ってしまった吉野貯木のまち。先人からの知恵や恵みを受け継ぎ、林業のまちと栄えた吉野はどうなってしまうのだろうか。よそ者が心配するのと裏腹に、石橋さんの製材所にかける情熱はまっすぐ未来に向けられている。同世代である30代の2代目、3代目も誕生し、「貯木のまちあるき」というイベントの開催や、フリー冊子「ちょぼくブック」の配布など、新しい試みを見つけている。「僕たちの仕事は商品に合わせて木を切るのではなく、その木の持ち味をみながら分解していく。つまり引き算していくのであって、これがなかなか難しいですね(笑)」。吉野の暮らしと共にある木々の営みのように、じっくりと受け継がれていく技と熱意が宿った仕事を学ばせてもらった。次回は吉野杉の木桶をつかった「木桶仕込み」のお酒をこの吉野で復活させた酒蔵を訪ねる。【製材所情報】奈良県吉野郡吉野町橘屋57TEL0746-32-2181
2016年05月17日「貯木のまち」から車で東へ10分足らず。吉野川の風景を眺めながら辿りついたのが吉野の酒蔵である「美吉野醸造」。吉野林業のそもそもが、酒の運搬・醸造用の樽や桶であったことは前回の原木市&製材所めぐりでお伝えしたとおり。近年はホーロータンクなどに押されて姿を消した木桶仕込みの酒づくりが、最近また新たに評価されているそうだ。美吉野酒造も2010年に60年ぶりの木桶仕込みを復活させて以来、毎年「百年杉 木桶仕込み」として発売している。しかし、美吉野酒造のすごさはそれだけではない。ディープな酒蔵見学がはじまった。同じ蔵元でこれだけ風味が違うのかと驚きだった日本酒たち■これまでの酒づくりとは正反対案内してくれたのが専務の橋本晃明さん。7年前より杜氏でもある。まずはお米の話から…というところで、奈良は酒向けの米の産地ではないことを知らされた。「米どころ=酒どころ」であるように、常識では米は酒づくりにおける最大のこだわりどころ。しかし橋本さんは、奈良県産の米を取り入れつつも、そこにこだわりはない。「山の米、平野の米。それぞれ水や土壌は違うけれどどちらも正解なんです。農家さんの思いを汲みながら、『この蔵にとっていい米』を使っていくことが大切だと思う」と橋本さん。現在は奈良県産の『吟のさと』を使用。玄米の白っぽい部分が酒米の特徴■ワイルドな麹づくり麹室(こうじむろ)と呼ばれる麹づくりの部屋。ここで蒸し米に麹菌をふりかける。ここは50年前に吉野杉をつかって作ったそうだ。電熱器と加湿器で温度と湿度を調整。杉は調湿にも優れる美吉野醸造では、「総破精麹(そうはぜこうじ)」という、米全体に菌糸をまわす手法をとっており、室温は30度、湿度は70%~80%とかなりのムシムシ状態(通常は50%程度)。細菌に胞子を均一に振りかけて菌種を斑点状に入り込ませる「突き破精(つきはぜ)」と違い、こちらは大胆にも噴霧器で蒸し米に菌を振りかけるそう。なんだか、とてもワイルド。麹は、全体に菌糸がまわって真っ白な麹ができるという。「麹は酒造りのDNAなんです」と語る橋本さんは「酸味」にこだわる。上質な酸味、旨みの強い酸味。麹づくりはこの後の「酒母(しゅぼ)」の工程にも関わり、絶妙な酸味を生み出す大切な作業なのである。■酵母無添加の酒母(しゅぼ)づくり「酒母」とは仕込み前に後工程で合わせるもろみの発酵を促す酵母菌を培養する作業で、「麹室でつくった麹米+蒸し米+水+酵母」が基本セット。ただ、橋本さんはここで酵母を無添加にすることに踏み切った。3年間お世話になった剣菱酒造での「酵母は探すものではなくつくるもの」という、これまでの常識と180度違う発想に感銘を受けたからだという。木桶の中でぶくぶくと発酵する酵母無添加の酒母酒母をあえて四季折々で条件が変わる厳しい環境に置き、それでも発酵してくるのが「この蔵の酵母菌」となる。吉野杉の木桶は山守の中井章太さんたちとのプロジェクトその後、三段仕込みを行い、もろみ発酵などの工程を経て清酒となる。ちなみに、美吉野醸造では、一般的な酵母添加の製法で醸すお酒もあるが、いまは出荷の7割がこの酵母無添加のお酒だという。■さらにワイルドな水もとまた、美吉野酒造では、めずらしい水もとという醸造方法を取り入れている。室町時代に奈良市菩提山町の正暦寺でつくられたこの酒が清酒のルーツとされ、まさしく日本酒発祥の地・奈良にふさわしい酒づくりの原点とも言えよう。この酒母のつくり方はさらにワイルドで、生米を水もとにひたして腐らせることで発酵に導くという、腐敗と発酵ギリギリのライン。橋本さんも笑いながら「最初はすごい腐敗臭に捨てようかと思った」というほどすっぱい匂いがしたという。■吉野の水、気候、自然のまま酒づくりは低温で、という常識を覆し、水もとは夏でも行えて低温管理もしなくてよいという。それでも活発に活動する酒母はまさしく吉野の地、その気候風土で育ったここだけにしかない日本酒だといえるだろう。「もともと水もとを刺身にあわせる気はない」と断言する橋本さん。海のない奈良、山の恵みに感謝する奈良の人ならではだ。「山のお酒でありたい」、それが地酒づくりとしてのやりがいだという。酒づくりの話になると突然饒舌になる橋本さん■吉野の水、気候、自然のまま美吉野酒造の仕込水は、大峰山系の伏流水の井戸水を使用している。雄大な大峰山からの恵みを与え、そして、橋本さんの酒づくりはどこまでもスパルタ教育。吉野という環境のもとで酵母菌を環境に適応させてきた。さて、これからしたいことは?の問いに、「アルミ製の暖気樽(だきだる)を木製のものにしたい!」と答えた橋本さん。暖気樽とは、湯を入れたり水を入れたりして温度調節する湯たんぽのようなもの。「金属よりゆっくり熱が伝わるから冷めにくいんですよ」とますますマニアックな話は尽きなかったのだが、今日はここまで。いずれ橋本さんが吉野杉の暖気樽を使う日も遠くないのかもしれない。次回は、吉野のヒノキを求めて京都まで足を伸ばします。【酒蔵情報】奈良県吉野郡吉野町六田1238番地1TEL:0746-32-3639
2016年05月17日桜色に山が染まる頃、奈良・吉野山を訪ねました。今回のFASHION HEADLINEの特集は「サスティナブルな社会科見学」。このところ、ファッションについて考える時にも一方通行の矢印のように物事が通り過ぎていくのではなく、循環していく終わりとはじまりが繋がった形が頭によく浮かんでいました。きっと、消費されていくばかりのファッションでは満たされないという気配が漂うのを感じるからだと思います。そこで、FASHION HEADLINEでは、私たちの暮らしにおける“循環”とは、どんなものがあるのかを知りたくてサスティナブルな社会科見学をおこないました。最初に訪ねたのは吉野杉でも知られる奈良県吉野町。そこで、人生で初めて!林業に従事する山守さんのお話を伺い、一緒に山に入りました。ぐっと空を見上げる程の木々でも樹齢は40年程と山守さん。あと数十年は目をかけ、手をかけていかなくてはいけない木々だそうです。先を考える。未来を考える。心が凛となる時間でした。続いて、吉野の原木市で競られた木々が製材所で加工され、保管される様子を見学しました。そこでは、木一本いっぽんのキャラクターが書かれた手描きの紙が貼られて保管されています。まるで、一人ひとり違う個性をちゃんと認めて、その個性がぴったりとあう出番を待っているようです。実は、この吉野山との出会いは“酵素浴”でした。酵素浴につかわれる“おがくず”が吉野で作られ、酵素浴として人々を癒した後には無農薬で農業を営む農家さんの畑に肥料として使われるという話を聞き、「心地よい循環だな」と思ったことがサスティナブルな社会科見学をしたいという思いに変わりました。吉野で山守さんが手作業で加工したおがくずは一路京都に向かい、ハイヤット リージェンシー 京都で酵素浴となって人々を癒してくれます。その後、酵素浴としての役目を終えたおがくずは、大阪で農業を営む農家さんの畑で使われます。安全な食材を食べて育つ世代が、これから先の社会を支えるメンバーになるという訳です。「せっかく奈良に行くのだから」と調べてみると、奈良には日本古来の手法で日本酒を作る酒蔵や、何十年も前から社会活動と営利活動を両立させるコスメブランドがあることが分かりました。明日16日からスタートする「サスティナブルな社会科見学」では、循環する木々の物語と共に、奈良で出合ったサスティナブルな取組みもご紹介したいと思います。お楽しみに。
2016年05月15日ジュリーク初のサスティナブルな手づくりキャンドルジュリーク(Jurlique)は、複数のスパイスやエッセンシャルオイル、自然由来成分を独自ブレンドした、ジュリーク初のサスティナブルな手づくりキャンドル「サスティナブル キャンドル」を数量限定で新発売。リラクゼーションやゲストのもてなしとして「サスティナブル キャンドル」は、シトラスのフレッシュ感を添えたフルーツジャムを思い起こさせる、甘美な香りのブラウンシュガーとバニラの香りのキャンドル。ナツメグ、クローブ、モミの葉やペパーミントが、甘美なシナモンの香りに絡み合い、ブラウンシュガーとバニラが程よい甘さを添える。リラクゼーションやゲストのもてなしとして、また部屋や空間の演出など、目的に合わせて使用できる。また、地球や次世代へ負担がかからないよう、100%サスティナブルな生分解性の大豆と植物性ワックスをブレンド。従来のキャンドルに比べ、空気をクリーンに保ちながら、長時間香りを楽しめるという。元の記事を読む
2013年01月25日