匿名掲示板・2ちゃんねるの創設者で実業家の“ひろゆき”こと西村博之氏と、AKB48の柏木由紀がMCを務める、『ひろゆき&柏木由紀と考える総選挙2021#アベプラ』が、31日(19:50~)に「ABEMA NEWSチャンネル」で生配信される。同番組は、31日に行われる衆議院選挙投開票の速報を配信するとともに、番組独自に「日本は変わる? 変わらない?」をテーマに掲げ、若者と高齢者、デジタルとアナログ、コロナ対策をめぐる命と経済などの話題をとことん話し合い、課題を浮き彫りにする。さらに、各党の幹部や注目の候補者と中継を結び、若い有権者の関心が高い選択的夫婦別姓、同性婚、ジェンダー平等、気候変動問題など、政治制度や停滞するニッポンの課題を20代の若手論客とともに考えていく。選挙番組のMC初挑戦となる柏木が、報道キャスターとして何を語るのか、切れ味鋭い発言で支持を集めるひろゆき氏は今回の総選挙の結果をどう見るのか、どちらも注目が集まる。コメントは以下の通り。■ひろゆき氏ありきたりな選挙特番を見たい人は、テレビで別のチャンネルの特番をみてくださいー。政治家という名前のタレントさんとの面白トーク番組を目指します〜。■柏木由紀コロナ禍で給付金やワクチンの問題など、政治が自分の身にふりかかることが多くなって、ちょっと気になるようになりました。テレビも見ますけど、やっぱりネットの記事を読んだり、SNSでのいろんな人の意見を検索したりして、情報収集をするようにしています。ひろゆきさんとは1回だけご一緒させていただいたことがあります。優しくて、話をちゃんと聞いて、色んなことを教えてくださるというイメージがあります。ひろゆきさんとMCという組み合わせはあまりないので、一緒に学びながら、MCができたらいいなと思います。
2021年10月27日岸井ゆきの主演、共演に浜辺美波を迎え、強い絆で結ばれる親友を演じる映画『やがて海へと届く』が、来春公開されることが決定した。本作は、彩瀬まるによる同名小説の映像化。突然、消息を絶った親友の死を受け入れられない主人公が、深い悲しみを抱えながらも、前に踏み出そうとする姿を見つめる、喪失から再生へと向かう物語。『愛がなんだ』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、「浦安鉄筋家族」「#家族募集します」に出演した岸井さんが演じるのは、自分にないものを持つ親友への密かな憧れ、そんな彼女の死を受け入れられずにいる主人公・真奈。岸井さんは「自分を満たしていた存在が力づくで奪われたとき、自分は何を感じてどう喪失と向き合うのだろうと考えました。愛しい記憶をつなぎ合わせてもここには何も無いこと、忘れないと決めても『今』が抗いようもなく押し寄せてしまうこと。胸が詰まるような思いの先で、息が出来る場所をさがす物語です」とコメントしている。岸井ゆきのそして、「賭ケグルイ」シリーズや、「私たちはどうかしている」『君の膵臓をたべたい』『約束のネバーランド』に出演、先日『シン・仮面ライダー』のヒロインにも抜擢された浜辺さんが、自由奔放で不思議な魅力を持つ、真奈の親友・すみれを存在感たっぷりに演じる。浜辺さんは「エンドロールが流れた瞬間にもう1度はじめから観返したくなりました。どんな物語なのか言葉にするのが難しいお話ではあるのですが、『やがて海へと届く』喪失を悲しみとしてだけ残さない作品です」と本作について語った。浜辺美波そんな2人は、映画での共演は今回が初めて。かつては深く繋がるも離れ離れになってしまう、12年にわたる切なくも愛おしい物語を描く本作。ほかでは観ることのできない、強い絆を感じさせる親密な表情が全編に散りばめられている。監督・脚本は、モスクワ映画祭で国際映画批評家連盟賞、ロシア映画批評家連盟特別表彰をW受賞し、国内外で注目される中川龍太郎。壮大なスケールや描写から実写化困難とも囁かれていた本作を、『四月の永い夢』『わたしは光をにぎっている』などを手掛け、詩人としても活躍する中川監督の世界観と圧倒的映像美が見事に融合し、祈りのような心に寄り添う感動作が誕生。原作者の彩瀬さんは「原作を丁寧に型どりして空白の領域を埋め、飛躍が必要な箇所では血が通った真摯な創造を行い、まったく新しい物語を産み出してくれた」と話し、中川監督は「僕は、この物語が岸井ゆきのさん演じる真奈と、浜辺美波さん演じるすみれの時間や空間を超えた『ラブストーリー』だと思っています。ぜひ、映画館の暗闇でこの喪失と憧れの物語を体験してみてください」と呼びかけた。また今回、写真家・木村和平によるフィルムカメラで撮影された撮り下ろし写真も到着した。『やがて海へと届く』は2022年春、公開予定。(cinemacafe.net)
2021年10月22日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。生きていると、後悔をするような出来事が起こることも。子供と接する上で、きしもとさんが悔やんだ出来事とは…。第16回『まっくろイヤや、まっしろがいいの。』「明日早起きをして、おいしい朝ご飯を食べに行こう」と言われて「きっと朝寝坊するよ」と、僕は答えた。夜更かしをしているからきっと早起きはできないだろうし、早起きできないままダラダラとしてしまう、いつもそうでしょうと。案の定、次の日は朝寝坊して朝食兼ねた昼食、あえておしゃれに言うならばブランチを食べることになった。食べながら「ほらやっぱり言った通りでしょう」と僕が言う前に「早起きできなかったなあ」と残念そうにしている姿を見て、昨晩のことを少し後悔した。それが叶わないと思っても、その時はただ楽しみだねって返せばよかったな。先回りなんかせずに、今の楽しみとして“明日を一緒に楽しみにすること”はできたんじゃないかなって。そして、一緒に「早起きできなかったなあ」と悔やめばよかった。学童の施設で、お泊まり会をしてみたいと言い出した子がいた。何年か前に企画した子がいたことを知って興味を持ったらしい。子どもの「今やりたい」という気持ちを尊重して、前向きに実現していくのが僕の役目だ。なんでもかんでもできるわけではないけれど、やりたいなって思った気持ちを逃さずに、大事に育ててあげたいと思っている。けれど、その時は別のことで手がいっぱいになっていて「いいね、どうやったらできるか考えてみようか」と促したまま、そのあとなにも言ってこなかったのでそのまま放ったらかしにしていた。数日後、「そういえばあの話」と切り出すと、「もういいねん」と素っ気なく返事をされた。ただ興味が薄らいだというだけでなく、友達関係も思うようにいかない時期でそんな気分じゃなくなったらしい。本当にやる気があるのなら諦めずにやり遂げるし、それができないのは本当にやりたかったわけではない…なんてことはなくて、やりたいと思ったことをやり始めて自分で走り出すためには助走が必要で、その助走をつけるための環境や支援がさらに必要だ。できるかできないかの主導権をその子が持っていないならなおさら、その子のやる気のせいにしてはいけない。その子がやめてしまったのは、単に興味が薄らいだのではなく、僕がうまく拾えなかったからかもしれない。タイミングを逸してしまったことを悔やみながら、けれど無理に引き戻すのも違う気がして、「また思いついたら言ってね」とだけ声をかけた。数ヶ月経って、友人関係も良好になっていき、学童での活動も充実してきた頃にまた、その子から「冬休みを使ってお泊まり会がしたい」と提案があった。一度失くなったチャンスがまた来たことはありがたかった。このタイミングは逃さないぞ、と張り切って企画を進めることにした。その子が友達たちと色々な案を出し合い練っている間に、僕は組織上層部に掛け合って施設利用などについての手回しをする。しかしながら、なかなか組織からはゴーサインが出なかった。過去に何度も開催しているのに、その時は色んな事情が重なり一筋縄ではいかなかった。冬休みには間に合わず、僕はその子に春休みに向けて交渉していくことを伝えた。もちろん嘘をつくわけにはいかないので、できるか分からないけれど相談しているということを伝えて、その子は「それでもいい」と楽しみにしてくれていた。そしてその春、結局お泊まり会は開催されなかった。大規模な感染症流行が原因だとその子には伝えたけれど、それは表向きの理由で、本当は“大人の事情”がクリアできないままパンデミックが起きて、そのまま有耶無耶になったのだった。多くの子どもたちが通う場所だから、すべての子どもたちの思いに応えたりやりたいことを叶えたりすることは難しいし、安全が第一なのでどちらにしてもできなかったと言えばそうだ。そうやってじぶんで自分に言い聞かせるけれど、後悔は消えない。その時にしか咲かないのに、水をやるのを怠って、目を離したすきに姿を消している。そんな風に育たなかった芽が数え切れないほどある。また新たな芽が出てきたのを見て安心してしまいそうになるけれど、気づかれずにそのまま閉じてしまった芽は間違いなくあった。すぐに気づいていたらグングンと育っていたかもしれないものさえも後回しにして枯らしてしまっていたんじゃないかと、いつも過ぎてから後悔する。その全てを拾えるわけないし、悔やんだってしょうがないのは分かっている。けれど、あの時拾えていたら、その子はワクワクできたしその楽しそうな顔を僕は見ることができたのにと思うことが数え切れないくらいある。7歳の友人が、先日「アスレチックに行ってみたい!」と言い出した。YouTubeで見て興味を持ったらしい。楽しそうだね、と話をしてネットで調べたりしたけれど、その日は時間がないからアスレチックはまた今度にして近くの公園で遊ぶことにした。たっぷり遊んで満足げに帰っていったのに、夜になってひとりビールを飲みながら、「アスレチック行きたい!」と言ったその子の姿を思い出して、「ああ、なんでちょっと無理してでも行かなかったんだろう」って後悔している自分がいる。何年か前にはアンパンマンミュージアムに行きたい!と言っていたのを思い出す。何度か行ってはこれで最後かなあ、まだ楽しめるんやなあ、と思っていたらいつの間にか言わなくなった。いつまで行きたい気持ちがあったのかな。最後に行きたいなって思った時に連れていってあげれたかなと考えてしまう。数週間後に会った時に「さあ、アスレチック行こっか!」と決定事項のように言ってくれた姿を見て、「なんで決まってるねん」と笑ってツッコミながらホッとする。まだ失くなっていなかった、間に合ったと安心する。おもちゃコーナーで大好きなアンパンマンのおもちゃをねだられたときに「また今度ね」って言って、次に行った時には「もういらない」って言われてしまう。「これ好きって言ってたよね」と、変身して戦うプリティな癒しキャラの人形を手に取ると、「もうお姉ちゃんやから好きちゃうし!」と怒られる。そんな時に、ああ過ぎてしまったのか、と大事なものを取り逃してしまった気持ちになる。その子にはその時しかないのに、「また今度ね」って言うたびに色んなものを取りこぼしてそのまま気づかずに過ぎていくのかもしれない。なんでもかんでも拾えるわけないし、その興味の移り変わりがすべて僕のせいなんて、おこがましいことを言うつもりもない。成長の中で変わっていくことも逃したことで偶然生まれる新たな関心もあるだろう。ただ何度も同じような後悔をしてしまうのは、半分はそのワクワクを拾えなかったことを申し訳なく思う気持ちと、もう半分は僕が寂しいからなんだろう。その時にしかない、その子の姿を、もしかしたら見られたかもしれないその子の姿を、もう二度と見られないんだろうなと思うと、後悔のような残念なような寂しいような切ないような、うまく言い表せられないけれど、そんな気持ちになる。ついこないだも、後悔するのを分かっているはずなのに、キックボードが欲しいと言い出したその子に「危ないからな、気をつけなあかんからな」と買う前から言ってしまった。次会った時に一緒に買いに行こう。一緒に練習して、一緒に楽しみながら、一緒に危ないから気をつけることを確認しよう。そうやって大事なものを逃さないように心の準備をしておくことにする。余談ですが何年か前、当時3歳のその友人が泊まりに来た時のことを思い出す。朝から一日中遊んでいたのに、日が落ち始めて窓の外が暗くなってくると「まっくろイヤやの!まっしろがいいの!」と、泣きながら天に向かって怒っていた。この楽しい時間が終わってほしくない!もっと遊びたい!と、つたない言葉で表す姿が、「いまを生きているんだ」と全身で語っているようで、とても愛おしかった。遊びたくて遊びたくて仕方がないのだろう、夜中になっても全然寝ずに、電気を消しても布団の中で延々としゃべり続けていた。「はよ寝えな」と半ばうんざりしながら、終わって欲しくないほど楽しい時間だと思ってくれていることを嬉しく感じた。大きくなったいまはもう、“まっくろ”になっても、寝て起きればまた“まっしろ”が来ることを知っているんだろう。夜になることを「まっくろ」なんて表現しないんだろうなって寂しくなりながら、「まっしろがいいの!」と泣いていたその姿を何度も思い出す。ずっとずっと「まっしろがいいの!」と、言えるような人生でありますように。「楽しい今日が終わってほしくない!」って、そんな毎日を送っていてほしいな。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年10月21日実業家の堀江貴文氏(48)が10月12日、宮迫博之(51)のYouTubeチャンネルに出演。動画内で、同じく実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏(44)について“絶縁宣言”する一幕があった。宮迫が動画後半で「聞きたいことがあってん」と切り出し、単刀直入に「ひろゆきくんと仲悪いってホンマなん?」と堀江氏に質問。すると堀江氏は「仲悪いっていうか、僕が縁を切っただけです」とキッパリ。その理由について、「去年、餃子事件でめちゃくちゃ叩かれて。あいつが最後炎上させたようなもの」と語ったのだ。また絶縁する前の様子について「(ひろゆき氏と)言い合いになりましたよ。Twitter上で」と振り返り、「これはもうちょっと無理だな」と感じたという。堀江氏は昨年、広島の餃子店を訪れた際に同行者がノーマスクだったことで入店拒否された。そのことを堀江氏がFacebookに投稿したことで、SNS上で論争に発展。堀江氏の投稿をきっかけに、餃子店にいたずら電話が殺到。結局、お店は休業に追い込まれたのだ。そんな状況を見たひろゆき氏は、Twitter上で餃子店に《クラウドファンディングとかでお金集めて、通販とかデリバリーで再開するとかどうですかね?》《サイト作る人居ないとかだったら、手伝いますよ》と呼び掛けていた。その後、餃子店がクラウドファンディングを立ち上げると、ひろゆき氏も支援したことを表明していた。■ひろゆき氏「言い争いをしたことはない」「堀江さんは当初から“自分は悪くない”のスタンスです。たしかに堀江さん自身はマスクを着用していたようですし、いたずら電話もかけていません。ですが一般人以上に影響力があるため、『少なからず非があるのでは』との声が上がっていました。餃子店が立ち上げたクラファンは、最終的に1,500万円以上もの支援金が集まりました。店側にそういった同情が広がる風潮に、堀江さんは不満げでした。Twitter上で自らの正当性を主張したり、《金儲けのネタにされてさらに居た堪れない》などと綴ったりしていました。ひろゆきさんは経営が立ち行かなくなった餃子店にアドバイスをしたにすぎず、堀江さんとは直接的な“バトル”はなかったはずです」(ITジャーナリスト)ひろゆき氏は13日にTwitterを更新し、堀江氏の“絶縁宣言”にこう疑問を呈している。《ホリエモンこと堀江さんの餃子事件はおいらが居ない所で起きたのに「あいつが炎上させたようなもんなんで」と言ってる。twitter上で堀江さんとおいらが餃子事件で言い争いをしたことはない。 堀江さんの事実認識がおかしくなってる気がするのですが、どうしちゃったのかな?》堀江氏の主張にネット上では「この件に関してはホリエモンが悪い」と批判する声が多く、共感はさほど得られなかったようだ。《餃子事件は、ひろゆきさんがいない所で 発生したのに堀江氏はひろゆきさんを恨んでいる。これは「逆恨み」ですね》《餃子の件に関してはひろゆきは悪いことしてないけどな。ホリエモンからしたら味方してほしかったんだろうけどホリエモンのせいで営業できない状態までいってた餃子屋をクラウドファンディングで救ったわけだし》《ひろゆきが炎上させたとおもってたのか自分が勝手に炎上したのを人のせいにすんのはなぁ。。。》
2021年10月15日どんな仕事においても、働いていく中で専門的なスキルが身に付き、また、みがかれていくもの。漫画家の中村ゆきひろ(@Nmurayukihiro)さんがTwitterに投稿した漫画は、保育士という仕事のすごさ、そしていかに専門的なスキルをもっているかが、よく分かるものでした。保育園で、衝撃的だったこと我が子が保育園に通っていた際、保育士体験を受けたという中村さん。子供たちは元気いっぱいで、静かにしなければいけないシーンでも、中村さんの言葉に聞く耳をもたなかったといいます。しかし、プロの保育士の手にかかると…。ムスメが保育園に行ってた時に衝撃的だったことの漫画です pic.twitter.com/b4FoRHxvwk — 中村ゆきひろ (@Nmurayukihiro) September 29, 2021 各々好きなことに夢中な子供たちを相手に保育士がしたことは、手遊び歌。するとどうでしょう、子供たちは保育士と一緒になって、手遊び歌をはじめ、最後には全員が前を向いて着席していたのです。ま…魔法か~!?そう心の中で叫ばずにいられなかった、中村さん。日々、子供たちと向き合い、行動や習性を知り尽くしているからこその保育士のスキルに衝撃を受けたといいます。中村さん同様、漫画を読んで「すごい」と感動を覚えた読者は多く、絶賛の声が多数寄せられました。・幼稚園の頃に、自分もこの手遊び歌に釣られていたことを思い出した。・小さい子もこれなら楽しく静かにできますね。考えた人すごい!・保育園の先生って天才だよなぁ…。おとなしい子、元気な子、イヤイヤ期の子もいれば、そうでない子など、保育園や幼稚園にはさまざまな子供がいます。子供一人ひとりにあわせた対応はもちろん、時には一度に全員を相手しなければならないこともあるでしょう。子供の視点に立ち、うまく誘導する保育士さんは、『専門職』といえますね…![文・構成/grape編集部]
2021年09月30日この度、モデル・タレントの西内ひろとフォトグラファーの大島央照(オオシマチアキ)で「#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE」2nd 写真展を開催。新たに、フラワーアーティストのMASSAをお迎えし、展覧会を開催いたします。また、西内ひろが初プロデュースするアパレルブランド“KIGINU”の初公開、オンラインイベントも開催いたします。URL: #PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展【オンラインイベント】9/18(土)17:00~18:00/出演:西内ひろ、大島央照ギリシャで大島が撮影したドキュメンタリー映像を見ながら、旅、写真、写真集の裏話などをいたします。お申し込みURL: ※取材いただける方はURLを発行いたします。オンラインイベント終了後15分間、質問を受け付けます。E-MAIL passportbook2021@gmail.com にオンラインイベント参加と書いて17日(金)21時までに、媒体名、掲載予定日、担当者名を明記し、お申し込みください。#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展■女性ふたり旅。ギリシャで見た美しい景色と植物の生命力・色彩を見せる空間、旅で得たインスピレーションで作る洋服、ここにしかない初のコラボレーション!!「#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE」2nd 写真展「2014年ミス・ユニバースジャパン」準グランプリの西内と、「2002年ミス・ユニバースジャパン」ファイナリストの大島がキューバの旅をスタートとして動き出した#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE。今作は、西内が“一番天国”だと思ったギリシャのサントリーニ島とミコノス島の旅、第2弾。広大なエーゲ海、青い空、宝石のように輝く街、大きな太陽に照らされたピンクに染まる夕景の街etc。ギリシャで見た、ただただ美しい景色と、どんどん開放的になっていく西内のドキュメンタリーを写真と映像に収めました。今回は、ギリシャの写真を見てインスパイアされたMASSAの生命力溢れる花、そして、旅で得たインスピレーションを受けて作った西内の初ブランドとのコラボレーション展示!【#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展×MASSA/at UNDER THE PALMO】Hiro Nishiuchi×MASSA×Chiaki Oshimaギリシャをより近くに感じることができるような葉山の海が目の前に見えるUNDER THE PALMOにて、モデル 西内ひろと写真家 大島央照が旅したギリシャの開放的な景色とリアルなドキュメンタリー写真・映像と、唯一無二の空間づくりを演出するフラワーアーティストMASSAが「天地人・力強さ」をコンセプトとし植物の生命力/色彩を表現。ここにしかない新たな空間を作るコラボレーションを展開。そして西内ひろが初めて監修するブランド1st Collection“KIGINU”。ヨーロッパを旅しながら得たインスピレーションで、美しい自然と共存するものづくりをテーマに、サスティナブルでエコな素材から作り出される生地を使用し洗練された大人の女性の魅力を引き立てるリラックス感あふれるブランドも展示いたします。是非ご覧ください。<西内ひろ/Hiro Nishiuchi>モデル・女優・タレント・フィリピン観光親善大使・宗像国際環境会議アンバサダー/福岡県出身1989年、福岡県生まれ。16歳でデビューしタレント、モデルとして活躍。2014年にミス・ユニバースジャパンで準グランプリを獲得。2018年にフィリピン観光大使に任命され、同国の映画『KINTSUGI(金継ぎ)』にヒロインとして出演(2021年、日本公開)。2020年フィリピンマニラで行われた第四回Pista ng pelikulang Pilipinoにおいて140本の映画ラインナップの中からBest Actressにノミネートされる。最近はSDGsに根差した環境問題への取り組みを国内外で積極的に行っている。趣味で始めた海外旅行では、これまでに40ヶ国を訪れ、そのセンスが好まれアパレル、宿泊施設など幅広くプロデュース・ディレクション業にも力を入れている。Web: 西内ひろ<Massa Nakagawa>フラワーアーティスト/ダイナミックさと繊細さを合わせ持つ独創的なスタイルと、日本的な感性を融合させたフラワーデザインが信条。世界のハイブランドのレセプション、オープニングパーティーの装花演出、雑誌、広告、ウェディングなどのデザインワークを数多く手掛ける。またコンサートのステージデザインなどのアートワークやディスプレイは既成の概念に囚われない空間デザインとして国内外で高く評価されている。2010年「Flowerアート&デザイン協会」会長就任。2012年パレスホテル東京でのWEDDING装花ブランド「MUKU」を立ち上げ、デザイン監修、同エグゼクティブアートディレクターとして就任。Web: MASSA<大島央照/Chiaki Oshima>写真家/京都府京都市出身雑誌IN ROCK, MOVIE STARにて来日ハリウッドスター、各界のセレブリティのポートレートを中心に、広告、雑誌、オフィシャル撮影、映像撮影、ディレクターなど手がける。ライフワークで人の人生の一部を追いかけたフォトドキュメンタリーを国内外で撮影、展覧会に多数参加。2016年 #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBAを企画・撮影・制作・出版。2002年ミス・ユニバースジャパンファイナリスト、モデル、女優として舞台、イタリア映画(TARDA ESTATE/ベネチア国際映画祭招待作品)出演など。最近は、各々のライフステージに寄り添ったChiaki Oshimaフォトプランの展開や、料理撮影のディレクション、ドレスやジュエリー撮影など幅広く行っている。Web: 大島央照【#PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA】60年代から止まったままのキューバの景色を残したい。アメリカとの国交が回復して変わってしまう前に今のキューバの街と、西内ひろが旅するキューバを写真集として残したいという想いのもと、キューバの旅を初めとして#PASSPORT BOOK制作を開始した。#PASSPORT BOOKとは、旅先でスタンプをおしていく様に、旅の思い出を写真と文章で綴るブック。ここにしかない自分だけの#PASSPORT BOOK。一緒に旅をした気になる、旅をしたくなるブックを写真と文章で構成。Web: #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月16日富山県では、2024年(予定)の黒部ルートの一般開放・旅行商品化に向け、日本一深いV字峡・黒部峡谷の欅平から上流の黒部ダムまでの約18kmにわたる「通称:黒部ルート」の名称を募集します。採用された名称をご応募いただいた方から抽選でペア3組6名様に一般開放される新ルートへの無料ご招待券(副賞:旅行券10万円分)を、また全応募者から抽選で富山県産品を選べる「トヤマカード」や「黒部宇奈月カレーセット」をプレゼントいたします。皆さまに長く親しまれる素晴らしい名前になりますよう、たくさんのご応募お待ちしています。(写真は新観光ルートを走る蓄電池機関車/加工あり)■新ルート(通称:黒部ルート)の特徴1:黒部川第四発電所の建設などに伴い整備された約18kmの工事用ルート。現在も発電所の保守や工事に使われており、本来、工事関係者以外は立ち入ることができません。2:蓄電池機関車やインクラインなどの乗り物で進みながら、地底に作られた多様な電源施設や設備、掘削時岩盤温度が160℃に達した高熱隧道など、電源開発の軌跡を体験できます。3:荒々しい稜線が織りなす裏剱や仙人谷など、長く険しい道を辿った登山者など限られた人しか目にすることのできない黒部奥山の絶景を満喫できます。4:2018年に富山県と関西電力株式会社が締結した協定により、安全対策工事完了後、2024年度からいよいよ一般開放されます。これにより、日本一深いV字峡である「黒部峡谷」と世界的な山岳景観を誇る「立山黒部アルペンルート」を結ぶ新たな観光ルートが形成されます。新ルートの詳細は公式WEBサイトやPR映像をご覧ください。 公式WEBサイト新ルート(通称:黒部ルート)-MAP1新ルート(通称:黒部ルート)-MAP2■募集要項募集期間 : 2021年9月2日(木)~10月31日(日)※郵便はがき:当日消印有効応募資格 : どなたでも応募できます。※応募は一人一点とし、重複が判明した場合、無効応募方法 :WEBサイト または 郵便はがき・FAXのいずれかにて、名称案を次の(1)、(2)、(3)から一つ選んで、ご応募ください。(1)は、新観光ルートにふさわしいとお考えの名称を自由にご記入ください。(2)、(3)は、旅行者にわかりやすいよう起点と終点を入れ、「宇奈月⇔黒部ダム」間であることを前面に表現した案です。既にある、「立山⇔黒部ダム」を通る立山黒部アルペンルートと対比させたものとしています。(1):新観光ルートの名称((2)、(3)以外で自由記入)名称の説明(由来・コンセプト等)も記載してください。(2):宇奈月黒部キャニオンルートキャニオンは英語で、意味は「峡谷」。黒部峡谷の地底を通ることをイメージ。宇奈月を拠点として黒部ダムに至る電源開発のルートであることから「宇奈月→黒部」の順に表記しています。(3):黒部宇奈月ヒストリアルートヒストリアはラテン語で、意味は「史書」。電源開発の歴史をイメージ。新ルートの認知度向上を図る観点から、全国的に高い知名度を誇る「黒部」を先とし、「黒部→宇奈月」の順に表記しています。・WEBサイト(パソコン・スマートフォンなど)の場合公式WEBサイトのルート名募集ページから ルート名募集ページ・郵便はがき・FAXの場合次の1から6までの必要事項をすべて記入のうえ、ご応募ください。1. (1)、(2)、(3)のいずれかの番号((1)の場合は、名称案とふりがなも記載)2. 名称案を選んだ理由(1.で(1)を選んだ方は、名称の由来・コンセプト等も)3. 氏名4. 年齢5. 郵便番号・住所6. 連絡先(日中連絡のつきやすい電話番号、メールアドレス(お持ちの場合))〈送付先〉〒930-8501 富山市新総曲輪1-7 富山県観光振興室立山黒部観光戦略班 行〈FAX番号〉076-444-4404※必要事項に不備があると、応募が無効になる場合があります。※応募者の個人情報は、今回のルート名募集に関係する事項のほか、富山県内の観光情報等の送付にのみ使用します。賞品 :・採用された名称の応募者から抽選(1)新ルートの無料招待券 ペア3組6名様(副賞:旅行券10万円分)・全応募者から抽選(2)富山県産品を選べる「トヤマカード」(5,000円相当) 10名様(3)「黒部宇奈月カレーセット」 10名様(提供:黒部市)発表時期 : 2022年1月頃 ※発表時期は前後することがあります。お問い合わせ : 公式WEBサイトのルート名募集ページ( )内にある、お問い合わせフォームからお問い合わせください。注意事項 :・採用された名称の著作権、商標権、その他の知的財産権は富山県に帰属します。・応募数ではなく、ご応募いただいた名称案や理由等を参考として、新しい観光ルートにふさわしい名前を選考します。・同じ読み方で文字の表記(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットなど)が異なるものは別名とします。例:「とやま」「トヤマ」「富山」「TOYAMA」は全て別名扱い・応募いただく名称案は未発表のものであり、第三者の権利を侵害しないものに限ります。・名称案は、応募者の承諾なくアレンジする場合があります。・受賞者の氏名、住所(県内在住の方は市町村名、県外在住の方は都道府県名)、年齢、受賞作品は、県のホームページや会議等での公表を予定しています。・選考方法に関するお問い合わせにはお答えできません。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月02日富山県と長野県とを結ぶ世界有数の山岳観光ルート「立山黒部アルペンルート」(運営:立山黒部貫光株式会社、本社:富山県富山市)では、2021年9月1日(水)~11月上旬、最新紅葉情報をオフィシャルサイトにて毎日配信します。立山ロープウェイと紅葉(10月上旬)●最新紅葉情報 : ●秋の絶景スポット: 【10カ所の最新紅葉情報を毎日配信】アルペンルートの10カ所のエリアの最新紅葉情報を9月1日(水)から11月上旬までオフィシャルサイトで毎日配信します。北海道の大雪山と並んで日本で最も早く、例年9月中旬から立山室堂平付近よりスタート!山頂から麓にかけて標高差が1,975mもあるため、様々な場所で時期をずらしながら紅葉観賞ができます。立山黒部アルペンルート 紅葉の色づき状況【立山黒部アルペンルートとは?】中部山岳国立公園・立山にある山岳観光ルート。富山県の立山駅から長野県の扇沢駅間は、大自然の中を駆け抜ける「立山高原バス」や現在日本で唯一運行しているトロリーバス「立山トンネルトロリーバス」などの様々な乗りものを乗り継いで移動することができ、雲上の絶景を気軽に楽しむことができます。2021年度 営業期間:2021年4月15日(木)~11月30日(火)立山黒部アルペンルート 路線図公式サイト: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年08月31日インターネット掲示板「2ちゃんねる」創設者の“ひろゆき”こと西村博之氏(44)と実業家・前澤友作氏(45)の“バトル”が勃発。しかし、ネットでは2人に冷ややかな視線が送られている。ことの発端は、25日にTwitter上で前澤氏が発表したマイホームを建てる人を対象にした10万円配布キャンペーン。前澤氏がそれまで行ってきた “お金贈り”は困っている人や挑戦している人を対象としたものだった。しかし、今回の企画の対象者は”マイホームを建てようとする人“。コロナ禍の今、家を建てられる人は”困っている人”ではないのでは?と、過去の企画と大きく異なる方向性に対し、疑問の声が集まっていた。それらの声に対し、前澤氏は《最近こういうの多いからはっきり言っておく。誰に配ろうが俺の好き。国の社会保障と一緒にしないでもらいたい。あくまでも個人からの寄付や、企業のキャンペーンなので悪しからず。こういうこと言ってくる人はブロックします》(現在はツイートを削除)と反論。この主張に疑義を唱えたのがひろゆき氏。同日、彼はTwitterにこう呟いた。《「困ってる人や挑戦してる人を助けたい」と言ってたので、「フォロワー増えないから児童養護施設への寄付しません」とか「寄付の抽選に謎のアプリのインストール必須」とかの矛盾が指摘されてた前澤さん。お金配りは営利企業のキャンペーンです!って、最初から認めておけばよかったのにね。》その後、この投稿によって前澤氏にブロックされたことを報告したひろゆき氏。《企業のキャンペーンとして、「寄付の抽選に謎のアプリのインストール必須」ってのは、前澤さんが書いたことや事実だと思うのですが、、何がお気に召さなかったんですかねぇ。。。?》と、皮肉交じりに呟いていた。すると前澤氏もひろゆき氏からの攻撃に“応戦”する素振りを見せる。翌26日夕方、前澤氏はインスタグラムのストーリーズを更新し、黒い背景に、白い文字で、《人の良いところを褒めて讃えるより人の悪いところをイチャモン付けて馬鹿にしたり揚げ足取ったりする方がお手軽で簡単だとは思うけどそんなことして気持ちいいのかな?健康的ではないなー平和的でもないなー》と、ひろゆき氏に対する”愚痴”と思われるメッセージを投稿したのだ。5月にも、寄付への考え方の相違からもめていた二人。ネット上で何度も繰り返される彼等のやりとりに対し、SNSでは呆れの声が相次いでいる。《高校生みたい》《いい歳した大人達が何を子供の様な喧嘩をしているの》《勝手にやってください》《どっちもどっちかなぁ》《裏でやり取りすればいいのに…》《何でいちいち晒すかな?》
2021年08月27日「宮迫さんっていう人がなんでこんなことになったかっていうと、多分優秀だったのが問題なんですよ」こう話したのは、実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏(44)だ。8月20日、自身のYouTubeチャンネルでライブ配信を行ったひろゆき氏は、お笑いコンビ『雨上がり決死隊』の解散に言及した。宮迫博之(51)について冒頭のように話した彼は、さらにこう続けた。「多分、宮迫さんがYouTube超失敗してたら大丈夫だったんですよ。登録者数が数千人とかで再生数も全然回らなくて。TKO木下さんみたいにマジでもう勘弁みたいな感じであれば、『ほらねYouTubeダメだったでしょ?』で、吉本興行に土下座して謝って、なんとか食わせてくださいっていう形にして」そして「なまじ宮迫さんがYouTube成功しちゃったんですよね。成功しちゃったせいで、『別にテレビとか戻んなくてもこいつ食えてんじゃん』っていうのがみんな見えちゃったんですよ」と語った。そのいっぽう17日に放送された「アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会」(テレビ朝日系)を観たというひろゆき氏は、宮迫の元相方である蛍原徹(53)についてこう話した。「『しゃべれるゲストの人が面白いこと言ってます』っていうので。蛍原さんの回しで面白かった部分ってあんまりないんですよ」また「ぶっちゃけ蛍原さんいなくても、アメトーク成立するなという風に僕は見えたんですよ」とも明かしたひろゆき氏。「『宮迫さん、そこまで悪いことをしたの?』っていうのと、あと『蛍原さん、ぶっちゃけ冠番組作る実力ないよね』っていうのがあるので、あの騒動はいかがなものかと僕は思いました」と話す一幕もあった。■「そりゃ、ホトちゃんをディスって宮迫アゲするわな」「捨て垢の中傷レベル」宮迫を擁護し、蛍原への痛烈なディスを展開したひろゆき氏。しかし、ひろゆき氏は宮迫のYouTubeチャンネルの管理に携わる『株式会社Guild』のメンバーだ。同社の公式サイトによると、“ほぼ黒幕”との役職に就いているという。そのためネットでは蛍原を“下げ”、宮迫を“上げた”彼の言動を疑問視する声が上がっている。《ひろゆきポジション・トーク?》《換言すれば利害関係者じゃん。本当に分かりやすい奴だな》《そりゃ、ホトちゃんをディスって宮迫アゲするわな》また動画でひろゆき氏は「あの状態の蛍原さんを見て、蛍原さんの名前で冠番組をオファーするテレビ局がありますかっていうと多分ないんですよ」といい、こうも述べている。「『アメトーク』という場所ぐらいしか多分続かないと思うんですよね。なので若手芸人さんの場所ではあるし、蛍原さんの収入の源でもあるので、『アメトークは続けるべきだよ』っていうのを他の芸人さんが言ってるのは、すごく正しいと思うんですよ。ただ他の芸人さんが『お前の実力だと冠番組なんかもう持てねえから、マジでやめんな』とか、『間違ってるよ』ってのは多分言えないんですよ。でも本心、多分そういう感じに見えると思うんですよね」そして、蛍原にこう提案した。「そこらへんの冷静な判断ができていない時点で、蛍原さんはちょっとカウンセリングとか受けたほうがいいんじゃないかなと思ったんですよ」しかしひろゆき氏が蛍原にカウンセリングを勧めたことに、不快感を覚えるひとたちもいる様子。ネットでは、こんな声が上がっている。《ひろゆきなんで蛍原のことめっちゃ悪く言うんと思ったら宮迫と繋がってるのかーそれだけで蛍原アメに要らないって言うんか カウンセリング受けろって言うんか》《「蛍原さんはカウンセリング行った方が良い」は無いよな》《メンタル病んでるからカウンセリング行けとかいう捨て垢の中傷レベルのもの》《ひろゆきの蛍原さんはつまらない、カウンセリング受けたほうがいいと発言した件について、是非とも宮迫さんに言及して欲しいよね》
2021年08月26日大人気マンガシリーズ、今回は古川 昌(@furukawa_shou)さんの投稿をご紹介! 「かわいい!と理解ってる女に利用され」第2話です。 苦手な知り合い・かのさんにばったりでくわした古川さん。かのさんは浴衣を着ているみたいですが…?花火とかあったっけ…?出典:instagramやっぱりないよね?出典:instagramえっお話!?出典:instagramかのちゃん曰く…出典:instagram花火大会を断わると…出典:instagram嫌な気分にさせちゃったかな?出典:instagram急に話題が変わって…出典:instagram…………???出典:instagram思わず変な声が…出典:instagramなぜかおしゃべりする流れになってしまった古川さん。聞いてもいないことを話すかのさんに困惑しているようです…。毎日1日1話更新中♪次回の配信もお楽しみに!(lamire編集部)(イラスト/@furukawa_shou)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2021年08月17日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第15回は、『素直な子供』について。また、誰もが持っている劣等感について、きしもとさんが持論を展開します。第15回『気休めだけど、持ってってや。』レジャーシートを広げてごっこ遊びをしているところに、フリスビーが飛んできた。遊んでいた女の子たちは突然飛んできたフリスビーに驚きはしたものの、特に迷惑そうにすることはなく、不安定に転がるフリスビーの行く先を見つめていた。レジャーシートから少し離れた、手を伸ばしても絶妙に届かない辺りでフリスビーが止まる。拾ってあげようかそのままにしていようか迷っている。一人の子が立ち上がりフリスビーの方へ歩いて行ったが、案の定というか、拾おうとした女の子と取りに来た見知らぬ男の子とほぼ同時にフリスビーの元に辿り着いた。お互いに気まずそうにしながらも「せっかくだから」という雰囲気で、女の子が拾って渡してあげた。男の子が「ありがとう!」と思いのほか大きな声でお礼を言ったので、素直な子だなと感心する。女の子は返事をせずに戻っていった。素っ気ないなと思う。普段はおちゃらけて僕たちを笑わせてくれるような、天真爛漫を絵に描いたような子なので不思議に思う。それでも、知らない子に親切にしてあげているのを見て嬉しかったので、僕はその子の側に行き「ありがとうって言ってもらえたなあ」と声をかけた。褒められるためにやったわけではないだろうから、偉いとかすごいとかではなく、喜んでもらえて嬉しかったねという気持ちをただ共有するつもりで、話しかけた。少し照れながら、まんざらでもない顔をする。返事をしなかったのは照れ臭かっただけなのだと思い「答えてあげたらよかったのに~」と、助言をするいうよりはどちらかというと調子付かせる感じで言った。するとその子は笑いながら「わたしの声へんやから」と答えた。思いもしない言葉だったので「ん?なんで?変じゃないで?」と間の抜けた返答をしてしまう。「こないだ友達に、笑い声が変やって言われたから声聞かれたくないねん」言う。そんな一言で声を出すことを躊躇するようになるなんて悲しすぎる。けれど、その場で「誰やそんなこと言ったん!許せへん!」と息まくことができないのは、僕自身もその一端を担っていたかもしれないと思ってしまったからだ。いつも変な顔をしながらみんなを笑わせていたその子が、笑われることに本当は傷ついていたのかもしれない。なにも知らずになにも考えずに笑っていた僕は、大きな間違いを犯していたんじゃないか。「まったく変なんかじゃないし、君の楽しく話す声も元気に笑う声も好きやで」と伝えたけれど、その言葉は不安を打ち消す魔法の言葉ではなく、ただの気休めにしかなっていないような気がした。気の弱い、控えめな女の子がいた。その子には仲のいい友達が2人いて、その日も、その2人に付いて遊んでいた。自分の意見をあまり言わずに2人の言いなりになっているように見えて、その子がひとりになったときに「嫌なら嫌って正直に言っていいんだよ」と、声をかけた。「僕はあなたの気持ちに気づいているからね」という風に、救いの言葉として伝えた。するとその子はしばらく黙ってから涙を流した。残念ながらその涙は、理解者が現れた感動からではない。「怒られた」と思って泣いていた。「嫌って言っていいんだよ」という言葉が、嫌だと言えない自分が悪いのだと思わせてしまっていた。そんなつもりじゃないんだよ、と言っても遅い。自分の思いに正直になっていいよっていう言葉で僕は、嫌と言えないその子自身を否定しまっていたのだ。その子は、仲良しの2人に付いて遊ぶことを嫌とは思わず、もしくは自分で嫌だという気持ちに気づいていない中で、外側から「嫌って言えない自分はダメなのだ」と、元々は持っていなかった不安を持たされたことになる。素直な子と聞いてどんな子を思い浮かべるだろう。気持ちよく「ありがとう!」と言えたり、悪いことをして「ごめんなさい」と言える子を見て素直だなと感じる。なにかお願いをして「うん!」とか気持ちよく返事してくれると素直ないい子だなあと思う。けれどそれは、子どもに素直になることを求めているんじゃなくて、聞き分けが良くて可愛げがあることを求めているのかもしれない。僕が求めている姿や正しいような姿だから素直だと感じているのかもしれない。以前、ある保育士さんが「子どもに注意した時、すぐにケロっとしていると馬鹿にされている気になったり、もっとしょんぼりしろよ…と思ってしまう自分がいる」と言っていたのを思い出す。言い返してきたり、嫌がったりしても、それがその子の率直な思いなら「素直」ということのはずなのに、「素直じゃない」と思ってしまう。そんな風に思ってしまう自分に気づいて、自分はダメだなあって落ち込む。じゃあ、「嫌だ」とはっきり言えることが素直なんだろうか、と考えてみる。いや、自分の気持ちを表せられたらいいけれど、表さないのもその子の表現であるなら否定しちゃいけない。自分の気持ちを真っ直ぐ表すことが素直であることならば、恥ずかしくて黙ってしまうことも、嫌って言えないのも、その子のそのままの気持ちでそのままの姿だ。その子の「素直な姿」を僕が勝手に、「自分の思いが言える子に」と理由をつけてひねくれさせているだけだ。もちろんうまく自分を表せられなくてしんどい思いをしている場合もあるだろうから、ほっとけばいいわけじゃない。素直であることを大切にしたいなら、その子の素直な気持ちを「自分の気持ちを素直に表そうよ」なんて矛盾した言葉で否定してしまわないようにしたいということ。その保育士さんは「自分が言っていた素直な子って、自分が保育しやすい子どもなんじゃないか、そこからズレた素直さが受け入れられないんだろうな」と葛藤を見せながら言った。そして「その子の素直さって「価値」ではなくて、ただ守られるべきもののはずなのに」と続けた。本当だな。素直であるかどうかを測っている時点で、その子の本当の気持ちなんて見ることができていないのかもしれない。それでも、僕は子どもに本当の意味で素直な気持ちでいてほしいから、間違えて傷つけてしまわないように向き合っていたいんだ。そのためにできることはなんだろうって考えたら、その子がどう感じているんだろうって思いを巡らせることしかないのかもしれないけれど。小学生のときに「笑い方気持ち悪いな」と言われたことがある。たったその一言だけで、それから20年以上経った今でも、自分が笑っている顔を写真で見たり、ビデオ通話をしていて視線の端に入ったりするのも嫌だ。きっと言った子は覚えてないだろうから、同じようなことを僕も誰かに言っていて、同じように僕も覚えていないんだろう。あからさまに意地悪で言っていることもあれば、全く悪気がなく言っていることもある。自分にそんなつもりがないのに相手を傷つけてしまうことも、相手にそんなつもりがないって分かっているのに自分が傷ついてしまうこともある。自分の笑顔をまじまじと観察して嫌いになったわけじゃないのに、なんとも思っていないそいつに言われたその一言で、なんで自分で自分を嫌いにならなきゃいけないんだろう。「お前に言われたないわ」と一言返せばよかったのに、と思いながら、一言返したとしてもきっと傷ついていただろうし、ずっと心に残っている。それは、人格を揺るがすような大袈裟なものだけでなく、例えば好きなお菓子なんかを「そんな味が好きなの?」と馬鹿にされたりしても、「大きなお世話じゃ」とは言えず、言えたとしても心のどこかでは「自分は変なんだろうか、劣っているんだろうか」って思ってしまうだろう。いま抱いている不安や劣等感はどこからやってきたんだろうって改めて考えてみると、もしかしたら自分で見つけたものではなく、僕じゃない誰かが作ったものを持たされているだけかもしれない。僕は頭髪が薄くおデコが後退している。いわゆるハゲだ。ただ僕がハゲていることを喜べないのは髪型でオシャレができないからではない。なぜか劣っているように感じるからだ。ただ、冷静になってみたら髪の毛が少ないだけでなんで劣ってるってことになるんだ。ならないだろう。悪口で「ハゲ!」とか言われるけど、誰が言い出したんだ。あれ悪口じゃなくてただの事実やからな。事実を言うだけやったらこっちだって言ったるわ!イケメン!ハンサム!いかん、取り乱してしまった。劣等感を刺激して、さも正しい姿があるように見せて、そうでなければ劣っている、と感じさせる物を社会の中では多く目にする。戦略的な商業広告から、普段の生活の会話まで、なにかしら「こうあるべきなんじゃない?」という感情を持たされている。小学生のまだ低学年の子でも「太ってるからおやつ食べない」とか「足の毛が濃いから見せたくない」と言う子がいる。周りと自分との違いに気づいて自分の身なりなどが気になっていくことは発達の過程で見られる育ちのひとつだ。だけどこの場合は違うだろう。その子が自分とほかの子を見て気づいた違いではなく、自分ではない誰かから持たされた劣等感だ。そしてそれはとても悲しくてしんどいことだ。「素直になろう」とか「元気でいよう」という言葉も、もしかしたらそうなっているのかもしれない。子育てでしんどいことや不安に思うことも、自分で考えて生まれた不安ではなく、周りから持たされた劣等感ということも多くあるんじゃないか。「子どもがかわいそう」「親として」「愛情が」そんな言葉なんか「大きなお世話じゃ!」と一蹴すればいいのかもしれないけれど、そう思おうとしても心の奥底では「自分はできていない」と思ってしまう。子どもたちと楽しく過ごしたいと思っていても、行儀良くさせなきゃ、好き嫌いさせない、手抜きしちゃいけない、そんなことを考えてしまうと、なぜだか楽しく過ごしているだけではダメな気がしてしまう。逆に「心の余裕があることが大切です」「楽しんだほうがいいです」なんて言葉を聞いても、楽しめていない自分がよくない気がするし、さらに余裕がなくなっていく。そのしんどさは、もしかしたら誰かに持たされているのもかもしれない。その子の姿を見て不安になっていると思っていても、どこかで聞いた正しい姿ではないから不安なのかもしれない。自分とその子の関係が苦しいように見えて、誰かが言っていた形にならないから苦しいのかもしれない。その子と自分との関係は、ふたりにしか分からないのに。色んなしんどさがあるけれど、その子と自分との関りだけで両手はいっぱいなんだから、誰かに持たされた不安はその辺に置いとけたらいいな。いや、この言葉もまた僕が誰かに不安を持たせているかもしれないから、置いておけなくてもいいなとも思えたらいいなって書き足しておこう。余談ですが「笑い声が変だと言われたから」と言っていたその子が、その後声を出さなくなったり話さなくなったりすることは、少なくとも一緒に過ごした一年程の間には、なかった。相変わらずおちゃらけている姿を見てそんな大げさに考える事ではなかった、と思いたいけれど、それはできない。もしかしたら、あれからずっと気にしているかもしれないし、忘れていたとしても何かのきっかけで思い出すかもしれない。みんな何かしら誰かから持たされた不安を抱えているのだと思う。「そんなことないよ」って言われても、きっと残念ながら、その呪いみたいなものはずっと無くならない。けれど、そのたびに「そんなことないよ」って言ってもらえたことも思い出して、どうにかやっていけるのかもしれない。「大丈夫やで」「そんなことないで」そんな言葉は気休めのように聞こえるかもしれないけれど、僕もその気休めの言葉に救われていたりする。誰かに言われたしんどい言葉を捨てられないなら、ついでに別の誰かが言った気休めもカバンにぶち込んでおくのはどうだろう。なんとなく取り出してしまったしんどい言葉に絡まって「そんなことないで〜」と出てきてくれ。僕がかけた言葉も「でも、あいつはそんなことないでって言ってくれてたよな」って、しんどい言葉に釣られて思い出してくれたらいいな。「なんて言ってたか覚えてないけど、そんなことないでって言ってくれてたような気がするな」って。「どこの誰やったか覚えてないけど」って。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年08月14日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第14回は、つい他人と比べてしまうことについて、きしもとさんが持論を展開します。第14回『みんな頑張ってて、みんな怠けてる。』梅雨なのに何日か気持ちのいい晴れた日が続くことを梅雨の中休みというらしい。カラッといい天気だったので、7歳の友人を誘って少し遠い普段行かない公園に行くことにした。宿題を持ってきたので公園へ行く前に済ませることに。二桁の足し算をする横で応援しながら、学校楽しい?なんの授業が好き?と、邪魔もしていた。邪魔されているのに律儀に「国語と道徳が嫌いかなー」と答えてくれたので理由を聞いてみると、道徳の授業で聞いたらしい物語を話してくれた。サルくんがロボットを作って学校に持ってきました。みんなが「すごーい」と言ってサルくんの周りに集まってるのを見て、クマくんは「僕も作ったことがあるよ」と言いました。そしたら、みんなから「持ってきて見せてよ」と言われました。クマくんは急にお腹が痛いと言ってどっかに行ってしまいました。クマくんの気持ちはどんなだったでしょうか?伝聞調ではあるけれど、しっかり話を聞いて理解しているのが分かる。伝わるように話をしてくれたのを聞いて、むしろ国語得意なんじゃないかと思ったが、得意だからといって好きだとは限らないか、と思い直す。ほんでほんで?って続きを聞くと、「どう思うか聞かれてんけど、うまく答えれへんかってん」と、その時のことを思い出すのかしょんぼりしている。「どう思ったの?」と尋ねると「ズルイと思ったって思ってん」と小さな声で自信なさげに応えてくれた。的外れな答えとは思わない。「みんなにすごいなーって言われてるサルくんをクマくんはズルいって思ったんか」と、言葉を補足しながらその「ズルい」の意味を汲み取ろうとしてみる。自身が友達をみて「ズルい」と思うことがあるのかもしれないな、と学校生活を想像する。その「ズルい」が、羨ましいなのか妬ましいなのかは分からないけれど、自分にとって知っている感情で、それがその言葉なのだろう。「あの子だけズルいなーって思うことあるもんなあ。クマくんもサルくんみたいにみんなからすごいって思ってもらいたかったんかもしれへんなあ」と、何かの答えに誘導するわけではなく、例えば映画を観ながらヒロインの心情を考察するくらいの気軽さで、話してみた。「うんうん、そやろそやろ」と頷いてくれる。「けど、みんなの答えは違っててな」と、また急にトーンが下がる。「自分だけ間違えてると思って泣きそうになってん」と。発表してみんなから非難を浴びたんだろうか。発表する前にみんなの答えを聞いて自分は間違っていると思って自信をなくしたんだろうか。「それは辛いなあ、けど間違ってないと思うで」と伝えると、「あ、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ!」と急にケロっとするので、思わず吹き出してしまった。泣きそうになってないんかい!とツッコミながら、けれど、と思う。具体的な辛さは分からないけれど、その泣きそうになるっていう気持ちは分かるような気がする。僕も同じような思いになったことが、いつかあったかもしれない。自分の感じたことや考えたことは間違っているかもしれない。みんなとは違うかもしれない。みんなは分かっているはずなのに自分は分かってないかもしれない。そんな漠然とした不安で苦しくなることがある。答えのないものを答えられるか試されているような、自分の考えがあるのか試されているような。正解がないというのなら答えさせないでおくれよ、と愚痴りたくなる。夕方18時前に電話がなる。僕が体調を崩してから、ドイツにいる友人がほぼ毎日同じ時間に電話をかけてきてくれる。少しだけ世間話をした後で将棋のネット対戦を3局だけ楽しんで、ではまたと電話を切る。だいたい僕がうっかり飛車を取られてそのまま負ける。心配してくれているのと、息抜きなのと、将棋で僕をぶちのめしたいのと3:3:3くらいの割合だろう。残りの1割はなんだろうな。その日電話に出ると、開口一番「よくない話があったんだけど聞いてくれる?」と、尋ねられた。海外映画では「いい話と悪い話どっちが先に聞きたい?」というような台詞を聞くけれど、日本では先に断ることってあまりないよなあと、どうでもいいことを思いながら「聞こうか」とそれっぽい返事をする。「ドラッグストアに石鹸とスマホ用のプリペイドカードを買いに行ったんだけど、買うもの2つだけだからメモせずに行ったのね」ドイツのドラッグストアはコンビニみたいな感じなのかな、と想像する。「で、プリペイドカードはすぐ見つかって、あと、最近おじさんになってきたからか肌荒れひどいしYouTubeでビタミン入りの美容液がいいって見たのを思い出して、せっかくドラッグストアに来たからと思って買ったんだよね」急におじさんのお肌事情の話に飛ぶ。お肌にはビタミンがいいのか。ビタミンてのは何にでも効くんだな、YouTubeはなんでも教えてくれるんだなと、またどうでもいいことを考える。「買うもの2つだから満足して帰ってきたんだけど、家に着いて手を洗おうとした時にさ」と話したところで、「あ、石鹸」と、思わずオチを言い当ててしまった。これもまた映画っぽいやりとりだなとくだらないことを考えていると「ほんま自分が嫌になるわ〜」と、オチを横取りされたことを気に留めずに自身の失態に落ち込んでいる。「あるよなあ」と共感する。「あるんや」と意外そうだったので、そんなきっちりしてるように見えるのかな?と思いながら「うん、毎日のようにあるで。毎日というか、1日に何度も」と返すと、「俺はたまにでこれだけ落ち込んでるのに、それが毎日なんて、生きてるの嫌になれへん?」と心配された。ものすごい勢いで失礼なことを言うな。「けど安心したわ」と続けたので、失礼には目を瞑ることにした。ダメな自分と同じような姿を他の人にも見えたら安心する、その気持ちはとても分かる。それは、蔑んだり見下したりするという意味ではなくて、この人も完璧じゃないんだと思えて、同じ人間なんだと思えるからだ。自分は人と比べてできていないなあ、と思うことはよくある。僕はとくに、よく忘れ物をするし、優柔不断だし、うっかりミスもする。大人になってもできないことだらけだ。だから、きっちりしてる人と話す時はいつも心なしか緊張する。ズボラだとか雑だとかダメなやつだとか思われてるんじゃないかと不安になる。逆に、きっちりしている人からすれば、ゆるい人と話すときには、「柔軟で臨機応変に対応できる人との会話は緊張する」と思っているかもしれない。いや、それは都合よく考えすぎか。僕はいつもどこかで、自分はダメだなあと思っている気がする。ただ人と比べてダメだなあと思うだけならいいんだけど、しんどいのは自分が頑張りたいのに頑張れない時だ。これじゃダメだと分かっているのにできなくて情けなくて、でもどうしたらいいか分からなくて頑張れない自分を責めてしまう。こんな風にできたらいいなって前向きに思えたらいいけれど、それじゃダメだぞ、としっかり後ろ向きに考えてしまう。几帳面できっちりしているのと、ズボラで優柔不断なのとだったら、どっちがいいだろう。感情的な人と理性的な人とどっちがいいだろう。自分がなれない「それ」になろうとすることはいいことかもしれないけれど、その前に「それになれない自分」を責めてしまって潰れてしまいそうになる。「自分を責めちゃダメだよ、自分はそのままでいいって思おうよ」って言葉で、さらに自分を責めて抜け出せなくなっていく。どちらが善くて、どちらが悪いって思ってしまうけど、きっと本当はどちらも悪くない。その人はたまたまきっちりしていて、僕はたまたま忘れっぽいだけ。ズボラなことで誰かに迷惑をかけることもあれば、きっちりしていることで誰かを傷つけることもあるかもしれない。几帳面なことで助かる人がいるかもしれないし、ゆるいからこそ救われる人もいるかもしれない。都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにしようと思う。できている人とできていない人を分けて「できている人が正しくて、できていない人が間違ってる」ってしてしまうのは、とってもしんどいもの。こんな人間でいたいな、と思うことがある。子どもと関わる時にこんなことに気をつけたいな。と思うことがある。けれどできなくて、自分はできないなあって思ってしまう。もしかしたら、みんなが「自分はダメだなあ」と思っているかもしれない。そんなふうに思ってみると、少し気持ちが楽になる。みんな頑張ってて、みんな怠けてて、みんな自分はこんなんじゃダメだって思ってて、頑張りたいけど頑張れなくて、みんな怠けてて、みんな頑張ってる。やっぱりそれも都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにする。余談ですが無事宿題を終わらせて、少し離れた広い公園へ来た。芝が傾斜になっていて、その芝を上下に挟むように細い歩道がある。子ども連れが数組レジャーシートを広げている。「そういえば小さい頃ここで転けたことあるねんで」と、芝を指差し、スマホに保存されている動画を見せてあげる。当時2歳の友人の手を握って芝の坂道を登っているときに、僕の方が足を滑らせて転んでしまい、その勢いで一緒に転んで大泣きしてしまったのだ。大の大人がひっくり返る動画を見て声を出して笑ってくれたので、どさくさに紛れて「ごめんね泣かして」と7歳になった本人に改めて謝罪した。「悪くないよ!」と返ってきた。「でも、巻き込んじゃったからさ、悪いのは悪いねん」と説明しても、「悪くないってば!」と強めに返してくる。気を遣わせてしまったかなと思いながら、身軽に大型遊具を登るのを離されないように追いかける。なんて言えばいいか分からないから「許してくれてありがとね」と伝えた。すると「好きな人のこと悪いって言いたくないし、自分が悪いんやって思ってほしくないもん」と小さな声で言うのが聞こえた。大事な人のことを悪いって言いたくないし、大事な人には自分が悪いって思ってほしくない。こんなにシンプルなことを、僕は言葉にされてようやくなにより大切なことだと気づく。優しさとか慈しみとか凡庸な言葉しか浮かばない。分かっているのに、僕はあなたに自分が悪いって思わせているかもしれない。分かっているのに、僕は自分で自分のことを悪いって思ってしまっているかもしれない。また自分はダメだなあって思いそうになっている。けれど、君がそう言ってくれるなら、自分で自分のことを悪いって思わないことにするよ。長いローラーすべり台を滑り降りながらそんなことを思って泣きそうになった。いや、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年06月27日阿部寛主演による「ドラゴン桜」の7話が6月6日放送。自分のYouTubeチャンネルに届けられた激励メッセージに勇気づけられる天野に「吹っ切れて良かった」などの声が送られるとともに、試験結果に落ち込む藤井との“友情”にも感動の声が多数届けられている。前作で倒産寸前・低偏差値の私立龍山高校を生まれ変わらせ、学校再建のエキスパートとなるが2年前に起きた事件がきっかけで失踪。再建を計りたい龍海学園から招へいされ再び教壇に立つ桜木建二に阿部さん。前作で桜木に学び東大を経て弁護士となり、現在は桜木の法律事務所で働く水野直美に長澤まさみ。多額の借金を抱えていたが桜木に救われた瀬戸輝に高橋海人(King&Prince)。親からアスリートへの道を強要されてきた岩崎楓に平手友梨奈。優秀な弟に対し劣等感を持っていた天野晃一郎に加藤清史郎。今まで本気で何かを頑張ったことがなかった早瀬菜緒に南沙良。他の生徒たちを見下していた藤井遼に鈴鹿央士。父親から進学を否定されてきた小杉麻里に志田彩良。昆虫大好き少年の原健太に細田佳央太。桜木のために何かと動く小橋に西山潤、岩井に西垣匠。龍海学園の教頭、高原浩之に及川光博。校長、奥田義明に山崎銀之丞。理事長・龍野久美子に江口のりこ。岸本香に早霧せいな、米山主大に佐野勇斗、坂本智之に林遣都といったキャストが出演する本作。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。東大専科の7人が東大模試を受けることになったが、“模試で合格の見込みがないと判断された者には専科をやめてもらう”という桜木の言葉に菜緒と天野は焦りを募らせる。そんななか桜木が招へいした英語の特別講師による、リスニング力強化のための驚くべき勉強法が始まる…というのが今回のストーリー。模試当日、トイレで緊張のため腹痛に苦しんでいる天野は、他の生徒が自分のYouTubeチャンネルに「ハマってる」と話しているのを耳にする。さらに投稿した動画が10万再生を突破、コメント欄の激励メッセージを見た天野は「見てくれてる受験生いるんだ」と自信を取り戻す…このシーンに「天野くん!YouTubeが自信に繋がってる!」「天野くんくっそバズっててウケる」「天野くん吹っ切れて良かったー!」など喜びの声が。さらに試験中に思わず「Yo!」と口にしてしまうシーンにも「天野くんのyoが面白すぎてずっとクスクスしてる 何日か思い出しては笑ってそう」などの反応多数。そんな天野を励まそうと、藤井は試験に向かう途中、励ましの言葉を送ろうとするが「僕は君みたいに自信がないんだ!」と激怒されてしまう。その後模試の結果が発表、D判定という屈辱的な結果に涙する藤井に、天野は試験会場で怒鳴ったことを謝罪。今度は天野が藤井を励ます…2人に芽生え始めた不器用な友情にも「最後の藤井くんめちゃくちゃ可愛いかったな」「今回天野くんとのやり取りが絶妙に可愛かった。鈴鹿央士バンザイ」などの感想も続々と送られている。(笠緒)
2021年06月07日舞台『Fight For F』が5月12日、池袋・あうるすぽっとで開幕した。それにあたって、演出・遠山晶司とプロデューサー・天野一輝からコメントが到着している。劇場での主催公演を中心に嵐やAKB48等のアーティストのサポート 、ドラマ『今日から俺は!!』や『NHK紅白歌合戦』等のTVメディア、宝塚歌劇団や2.5次元舞台等での振付・演出でも活躍するダンスエンタテインメント集団「梅棒」。『Fight For F』は2020年12月にサンシャイン劇場で上演された『成井豊と梅棒のマリアージュ』での上演作品『End ofF Story』の本編だ。作品では櫻井竜彦(梅棒)や阿部丈二、高見奈央、伊藤彩夏の4名を中心に無骨で泥臭い世界観が展開される。上演は5月16日(日)まで。この機会をお見逃しなく。『Fight For F』作・演出:遠山晶司(梅棒)・コメントこの作品は今から10年程前に思いついたものです。当時、表現者としての道に迷い、もがき、夢を諦めかけていました。そんな荒んだ心に響いたのは「BUMP OF CHICKEN」の楽曲達でした。とても立派とは言い難いそれまでの生き方の中にも、大切な物が生まれていることに気がつかされ、もう一度自分の旗を立て前に進むことができました。『Fight For F』の楽曲は全て「BUMP OF CHICKEN」のものです。擦り切れる程聞きいた曲からインスピレーションを受けて生まれてきた物語。苦節10年、この間に出会ってきたもの全てのおかげでこうして形に出来ました。仲間達と共にお客様に感動をお届けできれば幸いです。プロデューサー:天野一輝(梅棒)・コメント2019年10月に脱サラしてdynamizeという会社を立ち上げ、これまでも「梅棒」としての公演はやってきましたが、単独主催のプロデュース公演は今回が初めてとなります。今日までの出会いや縁がこの公演を創ってくれました。幕を上げるまで、一筋縄ではいかないことも沢山ありましたが、その過程で自分がいかに周りに恵まれているかを改めて気付かされ、感謝する日々でした。期せずして『Fight For F』は絆を描く物語です。私が出会ってきたこの素晴らしい人たちの絆に、少しでも多くの方と出会ってもらえたらと強く思います。劇場にお越しいただくことが容易ではない世の中ですが、いつか誰しも気軽にエンタメを楽しめるときが戻ってくることを信じて、その時まで歩み続けていく第一歩をよろしければご覧ください。■公演情報dynamizeプロデュース『Fight For F』/『おしゃれ紳士×梅棒』会場:池袋・あうるすぽっと『Fight For F』5月12日(水)~5月16日(日)『おしゃれ紳士×梅棒』5月19日(水)~5月24日(月)
2021年05月13日フレンズが4月30日、昨年末より活動休止をしていたメンバー・ひろせひろせ(MC / Key)の脱退を発表した。配信がスタートした新曲「急上昇あたしの人生」のミュージックビデオも公開されている。この脱退の発表により、今後はえみそん(Vo)、三浦太郎(Cho/Gt)、長島涼平(Ba)、関口塁(Dr)の4人でバンドは継続。そして新体制となったフレンズの初の新曲となる本MVでは、えみそんが初めてMVの監督を務めている。自らが企画立案しアイデアに溢れた演出で、疾走感ある楽曲の世界観を見事に表現。音楽のみならず多彩な才能を発揮し、これからのバンド活動に期待が膨らむ見応えのある内容だ。楽曲自体は、ひかりTVオリジナルドラマ『取り立て屋ハニーズ』の主題歌として好評配信中。新ビジュアルも、これからも様々な形で楽しませてくれる予感のする、爽快なメンバーの姿が印象的なものだ。新たなフェイズを迎えたフレンズの今後の更なる飛躍を期待しよう。■リリース情報『急上昇あたしの人生』4月30日(金)配信リリース■公演情報「フレンズワンマンツアー “UNO!”」5月29日(土)会場:愛知・THE BOTTOM LINE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:305月30日(日)会場:大阪・Banana Hall1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:306月5日(土)会場:東京・duo MUSIC EXCHANGE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:30※各回90分程度の公演を予定。料金(税込):全自由¥5,000※未就学児入場不可※お一人様2枚まで※ドリンク代別途必要※政府指定のガイドラインに沿った形での開催。※オンライン配信の予定なし
2021年04月30日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。子供の成長は、とても喜ばしいもの。ですが結果だけに目がいってしまい、大切なものを見落としてしまっているかもしれません。第13回『すこしずつ、変わっていくだけ。』こないだ、ピーマンを生で食べた。7歳になった友人と食事をしている時に、学校の給食でピーマンが出るとテンションが下がるという話になった。面白半分で「そういえば、こないだピーマンを生で食べてんけど、意外とこれが美味しくて」と話をすると「食べてみたい!」と言い出した。間違いなく好奇心だけで言っている。その好奇心を取りこぼさないように冷蔵庫からピーマンを取り出し、手渡して種をとる方法を教えてあげた。流水で洗って塩をかけると、嫌いだと言っていたのに好奇心の方が勝ったのか勢いよくかぶりついた。パリッと“美味しそうな”音が鳴る。もぐもぐと味わいながら笑顔になったので「おいしい?」と尋ねると、表情を歪ませてお皿に吐き出した。美味しいのは音だけだったらしい。苦い後味を紛らわすために白米を口いっぱいに含む。「出しちゃったけどさ、学校のみんなには食べたって言おう」と笑っていた。「味はどうでしたか?」という質問には「まずかったです!」と元気に答えたのに、しばらくしてから「もう一回食べてみる」と言い出した。クセになるのだろうか。せっかくなので次はマヨネーズをかけてみることにした。すると、さっきより苦味が少ないのか、一口食べて「これはイケる」とばかりに追いマヨネーズ。二口三口と食べ進め、「食べてみて?美味しいわ」と嬉しそうに勧めてきた。それから面白くなって、ケチャップやソースでも試してみた。「ケチャップが美味しいって思ったけど、やっぱりマヨネーズが一番やわ。そのままで食べるのは苦いので0点です!」と、ゲラゲラと笑いながら、結局1人でまるまる一個食べてしまった。僕はピーマンを見るたびにその時のことを思い出しては、パリパリッという心地いい音とゲラゲラと笑う声が耳に蘇ってつい口元が緩む。ピーマンは子どもの嫌いな食べ物の代表格だ。子どもの舌は苦味を感じやすいから無理に食べさせることはないと聞いたことがある。好き嫌いが多くて不安だという子育て中の悩みはよく聞くけれど、ピーマンに限らず嫌いなものを無理に食べることはない。好き嫌いはよくない、という価値観は根強いけれど、無理に食べさせようとすることで、逆に食べること自体が嫌いになっては元も子もない。まず食べることを楽しむことができたら、いつか食べられるようになるかもしれない。もちろん食べられるようにならないかもしれないけれど、ピーマンを食べられなくても生きてはいける。嫌いなものを克服できた。それはきっと本人にとって喜びだろうし、大人にとっても何か成長の瞬間に立ち会ったようで嬉しく感じる。だけどなぜだか、この生ピーマンを食べた話を「苦手を克服した話」にすると、違和感がある。なんでだろうと考えて出た答えは単純明快で、僕が伝えたいと思ったのはその子が苦手を克服したことではなくて、まずそうな顔をしたり美味しそうな顔をしたりして笑い合ったその時間なのだ。ただ楽しく食事をした。いろんな調味料を出してきて、半分遊びみたいだから行儀が悪いかもしれないけれど、とにかく楽しかった。それを伝えたいのに「苦手を克服した」というレンズ越しに見ると、途端にそのおもしろさが見えなくなる。できなかったことができるようになった。それがとてもいいことのように感じる。もちろん、いいことなんだろうけれど、そればかりに目がいってしまって大切なものを見落としてしまっている。そんなことって意外と多くあるかもしれない。同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と考えを巡らせているようだった。何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で、ひとり、でんぐり返りをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏していて、緊迫した雰囲気が漂っていた。その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。その時の僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子の良い姿を見たような気がしたのだと思う。演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で普通になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。成長したように見えるその姿は、追い込まれて苦しみながらギリギリで頑張っていることなのかもしれない。逃げ道を無くして克服することは成長ではない。ましてやその頑張りを求めて喜ぶなんて、なんだかおかしいような気がしたのだった。毎日わがままを言っていた子が、ある日を境に何も要求をしなくなったとして、そんな時に僕は、聞き分けが良くなったとか自制が効くようになったとか、勝手に成長だと思ってしまう。けれど、その実は「言っても無駄だと悟ったから」かもしれない。自分の思いを伝えるエネルギーがなくなったからかもしれない。社会では、言っても無駄だからと諦めて黙ることを、「大人になる」と表現する。けれど、それは成長して大人になったのではなくて、身を守る術を身につけただけだ。僕は子どもの何を見ているんだろう。できているように見えるその姿は、みんなから外れないように、こぼれないように、少しでも普通になるために必死にしがみついているのかもしれない。僕自身がまさにそれで苦しんでいるのに、子どもの姿となると、みんなと同じようにできて、トラブルを起こさないでいられるようになったそれを、成長だと感じてしまう。学校に行けるようになった。ピーマンが食べられるようになった。友達と仲良く過ごせるようになった。落ち着いて話が聞けるようになった。聞き分けが良くなった。じゃあそれで、その子は生きやすくなったんだろうか。それで一つ問題が解決したように感じるけれど、その子のしんどさは「できなかったことができるようになった」という姿に隠れただけで、ずっと深くに残ったままかもしれない。子どもの育ちを見守って、その育ちに喜びを感じる立場だからこそ、その成長した姿に喜びを感じる。それは悪いことではないけれど、それと同時に、無理していないだろうか、しんどさを抱えさせていないだろうかと、見えない部分にも目を向けていられたらと思う。できなかったことができるようになって生きやすくなることもあれば、しんどくなることもきっとある。僕がほんとうに大切にしたいことは、できなかったことができるようになることではない、もっとほかの何かだ。見栄えのするものに覆われてしまってその大切にしたいことが見えなくなる前に、ちゃんとそれに気づけるようにしていたいな。去年と今年を比べて、先月と今月を比べて、昨日と今日を比べて、子どもができるようになったことは、きっとたくさんある。その分、サボるようになったとか片付けをしなくなったとか、やらなくなったこともきっとある。その度に、一喜一憂する。「成長というよりも、変化しているだけなんですよね」とその同僚は言った。昨日と比べてしまうけれど、日々の姿がその子の姿で、それは成長でもなく後退でもない。ただ、移り変わっているだけなのだと。僕はどこかで、子どもの育ちは右肩上がりで、多少の浮き沈みがあったとしても、伸びていくもの。そんな風に思っていたのかもしれない。できるようになることも、できなくなることもある。その変化の中で、その時のその子が生きやすくなる方法を、その都度見つけていけたら。それは、見栄えしなくて不安になるかもしれないけれど、そうやってとどまることなく心配事が見えている方が、いいのかもしれない。子どものしんどさに気づけなくなるよりかは、もしかしたらその方がいいのかもしれない、なんて思う。余談ですが手巻き寿司の正解ってなんだろう。シンプルに刺身だけを巻くのもいいし、胡瓜や大根を添えて巻くのも飽きない。何も考えずに目についたものを乗せて、巻ききれず溢れそうになったのにかぶりつくのも、何味かわからないけれど美味しい。大葉なんか入れると最高だ。そういえば、僕は子どもの頃から、シソ(いわゆる大葉)が嫌いだった。独特の香りが苦手で、素麺つゆに間違え入れて勢いよくすすってしまい、勢いよく吐き出したことがある。シソはシソでも、ばあちゃんが作るシソジュースだけ飲めた。原液を水で薄めて飲むんだけれど、きれいな薄い紫色でシソ独特の香りがしない。大人になっても嫌いだったんだけれど、いつからか食べられるようになっていて、気づいたら好物になっていた。今では素麺にも手巻き寿司にも欠かせない。僕はシソのことを好きになってよかったって思うけど、だからと言ってシソが苦手な人に勧めたりはきっとしない。苦手なものは、苦手なままでいい。もし、いつかそれを好きになったなら、それは「克服した」のではなくて、ただ「きらい」が「すき」に変わっただけなんだろうなって思う。苦手なままなら、それは成長していないのではなくて、ただ、そのままなだけ。克服するのではなくて、おもしろそうだから試してみる、そんな感じで楽しめるのなら、嫌いなものも試してみようかなって思えるのかもしれない。例えばやったことない組み合わせで手巻き寿司にしてみて、色んな味を試してみるように、あんまり美味しくなくても食べられるようにならなくても、それでもいいかって思えるような気がする。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年04月09日大阪・梅田のファクトリーカフェが、“行列ができるパン屋”「ルート271(Route271)」とコラボレーション。2021年4月末まで「パンとワインと前菜と」をファクトリーカフェにて開催する。“行列ができる”人気パン屋の「惣菜パン」“行列ができるパン屋”として注目を集める「ルート271」は、「京都ル・プチメック 御池」など有名店で修業を重ねたシェフ船井高志が手掛ける話題店。「ルート271」の中でも、惣菜パンは“他店とは異なる”趣向を凝らしたメニューが多いと人気だ。ワインを楽しむ“パン飲み”そんな「ルート271」とファクトリーカフェがコラボレーションし、“ワインと合う”約10種のパンメニューを展開。パンをおつまみにワインを楽しむ“パン飲み”を提案する。注目は、イタリア料理の技法を採り入れた「惣菜パン」だ。極粗挽き肉で作った厚切りパテを大胆に挟んだ「パテドカンパーニュサンド」や、フォアグラのステーキをのせた「フォアグラタルティーヌ」、北海道産のウニとバター、パンのみで仕上げた「ウニパン」などがラインナップ。「生ソーセージとアリゴ」は、とろ~り伸びるチーズがたまらない一品。チーズフォンデュの上には、肉汁溢れるソーセージをのせてボリューム満点に仕上げた。また、マスカルポーネチーズとゴルゴンゾーラに、甘いハチミツを組み合わせた“チーズ好きにはたまらない”「ゴルゴンゾーラ ドルチェ」も登場。ワインと合うパン、前菜が他にも多数揃うので、ぜひ足を運んでみて。【詳細】「パンとワインと前菜と」期間:~2021年4月末場所:ファクトリーカフェ住所:大阪市北区芝田1-7-2 かっぱ横丁内TEL:06-6374-7677<メニュー例>・パテドカンパーニュサンド 638円・ゴルゴンゾーラ ドルチェ 748円・フォアグラタルティーヌ 638円・ウニパン 858円・生ソーセージとアリゴ 858円
2021年04月05日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。「つらい環境でも耐え忍べば報われる」という意味を持つ『石の上にも三年』という、ことわざ。ですが、長く続けることよりも難しいのは…。第12回『石の上にも、三日坊主。』始めることと続けることって、どちらが難しいんだろう。興味を示したけれど輪に入らずに、あそびに参加しない子がいる。そのあそびに興味がないのかといえばそうではなく、観戦しながら一緒に楽しんでいるので仲が悪いというわけでもない。むしろやりたそうにはしているけれど、誘ってみると「やったことないから」と断られる。「教えるよ」と声をかけても頑(かたく)なで、あまりしつこく誘うと逆に離れてしまうので、一歩を踏み出すきっかけを見逃さないように見守るくらいしかできない。保護者の方にお話しすると、家では興味深げにそのあそびについて話しているらしい。やってみたい気持ちはあるようだ。じゃあ、なんでやらないんだろう。やってみたいのにやらない。どうしてだろうって考えてみる。無理にそのあそびをさせたいわけではない。したいならしたらいいし、したくないならしなくていい。「見ているだけ」も、その人の楽しみ方だ。サッカーをしたことがなくても観戦は楽しめるし、経験者よりも劣っているということもない。実際にプレーしている人と見ている人、そこに優劣はないのだから。ただ、なにかが足枷になっていて一歩を踏み出せないのであれば、その足枷を外してあげたいなと思う。もちろん、その子と自分は違う人間だし場面も違うから、正しい答えが出るとは限らない。けれど、分かるわけないからといって開き直ってしまったら、分からないままだ。想像したり思いを馳せたりしていれば、すこしでもなにかのヒントが見つかるかもしれない。5年くらい前、友人に誘われてボルダリングを始めた。室内の壁に打ち付けられた、岩のでっぱりやくぼみを模した“ホールド”というものを登っていくスポーツクライミングと呼ばれるものだ。初日はペットボトルの蓋も開けられないくらい腕がパンパンになったんだけど、何度か通っていると筋肉痛も心地よく感じるようになり、日ごとに登れるようになっていった。競技自体も楽しいんだけれど、目に見えて自分の成長が感じられるのも嬉しかった。大人になってのびしろを感じる機会って少ないもんね。ある程度技術がついてきたあたりから、初めは見えなかった面白さを感じるようになってきて、一層楽しめるようになった。そのものの本質的な面白さがわかるまでには時間かかる。あそびもスポーツも仕事も同様だろう。時間をかけてこそ見えてくるものは確かにあるよね。三日坊主という言葉がある。物事が続かないことを揶揄(やゆ)する言葉だ。逆に、辛抱強くいればうまくいくかもしれないという意味として、石の上にも三年ということわざがある。初めは冷たい石の上でも、長く座り続ければいずれ温かくなるということだ。継続は力なりというように、三日で辞めるより続けられた方がきっといい。途中で投げ出さずに粘り強くやり抜くことって、何かを成し遂げるためだけではなく、楽しむためにもとても大切なことだろう。子どもたちにも、やり始めたことは途中で投げ出さずにやり抜いてほしいと思う。今は面白さを感じなくても、続けていれば楽しくなってくるよって。根気強く続けた先に見える面白さや追求することの楽しさを知ってほしい。壁にぶち当たっても乗り越えてほしい。そのときに味わう達成感は格別だ。けれど、と少し考えてみる。何気なく腰掛けて、なんとなく座っていただけなら三年座っていられるかもしれない。けれど、あらかじめ石が温かくなるまでは何年もかかりますよ、と言われていたら、そんな石には座らないんじゃないだろうか。どうしても座らなきゃいけない状況はあるかもしれない。そんな人にとっては、「いつか温かくなるかもしれない」という見通しがあれば安心する。だけど、それは座り続けるための理由ではなく、あくまでも我慢を続けるための慰めだ。そうやってやっとのことで温まったお尻に感じるのは、きっと達成感ではなく、辛かったことから解放された安堵だろう。少し走ってみようかなと思ったときに、遠くにあるゴールにたどり着くまで走り続けないといけないとしたら、ましてや、周りのみんなはその道のりを悠々と走っているのを見たら「今回はやめておこうかな」と、スタートを切ることさえしないんじゃないか。そうしたら、そのまま「興味はあるけれどやっていないリスト」に追加されることになる。続けたら花が咲き、実がなるかもしれないけれど、そもそも始めなかったら芽さえも出ない。なんとなく始めてみて、一歩ずつ進んで、気づいたら遠くまで来ていた。座っていたらいつの間にか温くなっていた。それくらいでいいのなら、最初の一歩も気軽に踏み出せそうな気がする。どうして僕はその面白さを知れるくらい続けられたんだろう、と考えた時に思うのは、同じように下手くそな友人がいたからではないだろうか、ということ。もちろん、上手い人に憧れて鍛錬して上達する人もいるだろうけれど、自尊心の低い僕の場合は、周りの人たちが板チョコのような薄さのホールドを掴んで身軽に登っているのを見て、憧れよりも惨めさを感じた。僕だけが、バナナみたいなデカいホールドに不格好にしがみ付いている。身軽さなんて微塵もなく、ナマケモノのように壁にへばりついて腕をプルプルさせたあげく引力に負けてマットの上に落下する。初心者なんだから当たり前だし、恥ずかしがって楽しめないのはもったいない。そんなこと分かっているけれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。だから僕は、慣れるまではひとりで行けなかった。一緒に通う、同じタイミングで始めた同じように下手くそな友人がいたから、その恥ずかしさが紛れていた。自分より下手だから安心できるのではない。「失敗しても大丈夫だ」と思えるから安心できるのだ。持つべきものは偉そうに教えてくれる熟練の友ではなく、共に失敗する未熟な友だった。そんなことを思い出しながら思う。興味を持ったあそびに参加しないその子は、新しいことに挑戦することが嫌というよりは、「みんなができていて自分だけできない」のが嫌なんじゃないだろうか。「失敗するかもしれない」という気持ちが足枷となっているんじゃないだろうか。なんとなく始めて、なんとなく覚えて楽しんでいる間に上達することってある。特に幼少期はそういうことが多いだろう。自分が人よりも劣っているかも、そんなことを思うとはじめの一歩は踏み出せない。大人なら子どもよりも上手にこなして「やってみなよ、教えてあげるよ」って、色んなことを教えてあげたい。けれど、未熟な友として共に失敗しながら成長していくのも良いのかもしれない。簡単に投げ出したり、逃げ出したりしないでほしい。けれど、途中で辞めることを「悪いこと」にしてしまっては、その経験はきっと「あの時も投げ出してしまったし、今回もどうせ続かないからやめておこう」になる。投げ出さないように嫌なことに耐えて育つのは、根気強さではなく我慢強さだ。根気強さや粘り強さはきっと、「もう少し続けたら面白くなるんじゃないかな」という期待のもとにあるんじゃないかな。それはきっと、与えられるものではなく、気軽に始めてたまたま続いた、そんな経験の積み重ねから生まれるんだろう。だから、途中で投げ出さずに続けてほしいなら、途中で辞めても大丈夫って思いたい。いつ立ってもいいからこそ、気負わずに安心して座り続けられるのだ。身になりかけたものを途中でやめそうになったときに「もったいないな」って思ったりもする。こんなに勉強してきたのに生かせないのはもったいないな。この資格取ったのに、別の仕事するなんてもったいないな。ここまで原稿書いたのに、ボツにするのはもったいないな。そんなことを大人になっても、いや、大人になったからこそ思ったりする。きっと、これまでそれに注いできた時間が無駄になるようで嫌なんだと思う。けれど、これまでの時間はこれまでの時間で、これからの時間はこれからの時間だ。ちなみに、これまで注ぎ込んだものを無駄にしたくない!という思いで損をすることが分かっていてもそれを続けてしまうことを、コンコルド効果っていうらしい。博打好きの同僚が教えてくれた。博打と一緒にするなよ、と思うけれど、同時に納得もしてしまう。未来のためにやってきたことを間違いにしないために、これからを犠牲にしているならそれは、未来ではなく過去のために生きているということになる。きっと誰だって、失敗するのは嫌だ。けれど、それが失敗じゃないとしたらどうだろう。「やるなら途中で投げ出しちゃダメだよ」「どうせ続かないんだからやめときなよ」って言葉は減るかもしれない。飽きたなら途中で辞めればいい。しんどければ逃げればいい。簡単に投げ出せばいい。そんなことを言葉にするのは憚られるけれど、それが許されるなら、大人も子どもも、少し肩の荷が降りるような気がする。甘いんじゃないだろうか。その子のためにならないんじゃないだろうか、と思ってしまうかもしれない。途中で辞めてしまう子を見て、歯痒い気持ちになるかもしれない。けれどそれは失敗じゃないし、無駄なんかじゃないとすれば、育んでいるものに目を向けられる。新しいことに挑戦できた。別のことに興味を持てた。できない自分を受け入れられた。全部大成功だ。何にも見つからなくても、自分の気持ちに正直になれた、無理しなかった、だけでも十分だ。それを失敗にしなければ、次の挑戦ができるかもしれない。気軽に、なんとなく興味を持って、なんとなく始められるかもしれない。そんな一歩が積み重なって、気づいた頃にどこか遠くまで来ているかもしれない。もちろん、どこにも辿り着かないかもしれないけれど、それはそれでいいじゃない。活発な子に育ってほしいなら、元気がなくてもいいよって言ってみる。なんでも食べる子に育ってほしいなら、無理して食べなくてもいいよって言ってみる。強い子になって欲しいなら、泣いてもいいよって言ってみる。今と未来は地続きだけれど、今のこの時間を、未来の何かにつなげるために無理しなくていい。「こんなんじゃダメだ」ではなく、「できなくても大丈夫」って安心できたなら、どこかの何かのきっかけでなんとなく「もう一歩踏み込んでみようかな」って思えるのかもしれない。余談ですがこの連載コラムは、月2本くらい書くつもりでスタートした。次第に月1本くらいのペースになっていった。1月から始まり12月にちょうど第12回の原稿を書き始めた。三日坊主の自分が月一を継続したと喜んでいたら、八割方書けたくらいで手が止まってしまい、結局予定より2ヶ月遅れた。初めは、「続けられるか分からないけれどとりあえずこの一本を」と書いていたのに、過去に積み上げたものや達成しそうな何かを見た途端、身動きが取れなくなったのだ。けれど、書いた。今までのものなんて忘れて、次のことも考えないで、目の前のことだけ考えて、ちゃんとできた。えらいな、自分。結局、ボルダリングは2年ほど続けたけれど、引っ越してアクセスが悪くなったことで足が遠のき、そのまま辞めることになった。せっかく鍛えたのだから衰えないようにと通い始めたフィットネスジムは、2、3回通って飽きてしまった。かと言って一度始めたのに途中で辞めるのもなんだかやはりダメな気がして「今月は月謝も払ったし…」と先延ばしにし続けていたら、結局1年間ほとんど通わないのに毎月月謝が引き落とされていた。これがコンコルド効果か、と無表情で納得した。始めたいけれどきっかけがない、ということもあれば、続けたいけれど途切れてしまうこともある。やめたいのにダラダラと続けていることもある。三日坊主が石の上に座っているのを想像してみる。ただの坊主なら修行っぽいけれど、三日坊主が座り続けているのならば、よほど居心地のいい石だろう。そんな石が見つかればいいなって思う。いつか見つかるかもしれないから、そんな石が見つかるまでは、少し冷たいお尻ももう少し我慢してみようかな、なんて誤魔化してみたりする。座っているのがしんどいならば、寝転んででもへばりついてでも居心地いい姿勢を見つけてやろうか。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年02月06日お笑いコンビ・キャイ~ンが2日、YouTube公式チャンネル『キャイ~ンのティアチャンネル』で、明石家さんまとのエピソードを明かした。「Wikipedia検証! キャイ~ン本人がチェックしてたら思い出話が止まらない!!」と題した今回の動画では、Wikipediaに書かれたコンビのプロフィールや歴史が正しいかどうかチェックしながら、当時を振り返っていく。その中の「明石家さんまのことを『師匠』と呼び慕っている。関根勤主催のライブ『カンコンキンシアター』に出演した際には毎年さんまがダメ出しに来ており、そのダメ出しを2人していつも楽しみにしているようだ」という記載について、「もう何十年? 絶対に来てくれてる」と事実であることを認めた。タモリと一緒に来た年は、客席まで緊張していたという。ダメ出しについて天野ひろゆきは「さんまさんの記憶力って異常で、全員のことを覚えてて。だって『カンコンキン』って、4時間とか5時間あるんですよ。その舞台の、あのときああだったっていうのをほぼ覚えてるの、さんまさんは。そんで一番痛いところ突いてくる」と笑いながら、「『あのときお前気抜いてたな』とかさ、いいところ褒めてくれるのかと思いきや『ここちょっとあれだった』とかね。でも褒めてくれることもあって」と説明。ウド鈴木は「アドバイス受けた次の日、その通りにやると非常にウケてね。ありがたいよね」と感謝を述べた。また、誰が舞台を見に来ているかという情報は、客席を細かくチェックする天野が皆に伝えていたようで、共演しているずん・飯尾和樹からある日「言わないでくれ、緊張するから」と言われたことも明かした。
2021年02月06日お笑いコンビ・キャイ~ンが2日、YouTube公式チャンネル『キャイ~ンのティアチャンネル』で、さまぁ~ずのコンビ仲について語った。「Wikipedia検証! キャイ~ン本人がチェックしてたら思い出話が止まらない!!」と題した今回の動画では、Wikipediaに書かれたコンビのプロフィールや歴史が正しいかどうかをチェックしながら、当時を振り返っていく。その中の「ウドの天野に対する溺愛ぶりが有名で、『お笑い界一仲の良いコンビ』と称される。さまぁ~ずの三村マサカズからも『デビューからこれだけ変わらないコンビも珍しい』と言われるほど仲が良い」という記載を読み上げた天野ひろゆきは「俺たちから言わせるとさまぁ~ずさんの方が仲いいよね」と反論。ウド鈴木も「仲いいよね、本当に」と同意する。コンビ仲を表すエピソードとしてウドは、「お仕事で、さまぁ~ずさんと一緒に新幹線で名古屋へ移動するときに、2人並んでたもんね」と、さまぁ~ずが隣同士の席に座っていたことを回顧。しかし、その近くでキャイ~ンも隣の席に座っていたようで「俺と天野くんも並んでるから、そこを通った人は『お笑いコンビって仲いいんだな』って思ったよね」と、結果として2組の仲の良さが明らかに。天野はさまぁ~ずの関係性について「本当にどっちも必要としてるっていう。お互いを」と話し、「大竹さんがガンガン行く人じゃないから、三村さんがボケやすい道を切り開いてる」と、コンビという観点から関係性の魅力を語った。
2021年02月05日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが30日、一般女性との結婚を発表した草なぎ剛をツイッターで祝福した。草なぎはこの日、婚姻届を提出。所属事務所を通じ、「これからも、今までと変わらぬスタンスで仕事を続けていきたいと思っておりますので、皆様にも応援していただけるよう、日々精進してまいります」とコメントを発表した。天野は相方・ウド鈴木と共に撮った思い出のスリーショットをアップし、「うぉー、今つよぽん結婚!」と興奮。「こんな嬉しいサプライズは、なんぼあってもいいですからね」と喜び、「本当におめでとう」とメッセージを送った。天野が投稿した写真は、昨年11月に草なぎが行ったライブイベント「草なぎ剛のはっぴょう会」後の一枚。当時のブログでは会場まで足を運んだことを明かし、「歳をとると、失敗を恐れたり、なるべく恥をかきたくないという気持ちが強くなり、次第に自分で挑戦を諦めたり、限界を決めたりしてしまうものだ」「しかし、つよぽんにはそれがない」「その姿を見ていたら人生を楽しんで生きてるかい?とお尻を叩かれたような気持ちになったりした」と感想をつづっていた。
2020年12月30日「令和3年の干支は辛丑(かのとうし)で、九星気学でみると六白金星の年にあたります。この六白金星の年には、天や宮といった高貴さを想像させる文字、ラグジュアリーな文字が幸運を引き寄せてくれます」こう語るのは愛新覚羅ゆうはんさん。『お金の引き寄せ方は魂だけが知っている』をはじめ著書も多く、その累計は15万部を超えている人気風水師だ。これまで2万人以上を鑑定し、開運に導いてきたゆうはんさんが、来年’21年に名前に入っていると幸運を呼ぶ文字ベスト3を占ってくれた。【第1位】宮「神さまを祀る宮。宮本さん、宮田さん、本宮さんなど、宮の入っている名前の方の運勢がとってもいいですね。有名人では、女優として活躍の幅を広げている宮澤エマさん、King & Princeの神宮寺勇太さんが当てはまります」また、開運文字が自分の名前に入ってなくても大丈夫とゆうはんさんは言う。「その文字を暮らしに取り入れることで運が開けてきます。名前にその文字が入っている友達と交流するのもいいですね。また、宮の場合、明治神宮や宮前区など、建物や住所に宮が入っている場所にいくことも、幸運を呼ぶことになりますよ」【第2位】天「まさしく神さまのいる天を意味する文字で、天本さん、天地さん、天谷さんなどが当てはまります。有名人では高視聴率ドラマを連発する女優の天海祐希さん、キャイ~ンの天野ひろゆきさんにも注目です。場所なら天満宮、住所なら天白区、天王寺区などが。また、日常生活で天使グッズを使うのも効果的ですよ」【第3位】風「天を吹き抜ける風も幸運を呼ぶ文字です。西洋占星術でも’20年12月から200年ぶりに『風の時代』に入ったことが話題になりました。風通しがいい場所は、風水で“気のいいところ”を表します。風のつく名前と言えば、俳優としてもバラエティ番組でも活躍されている風間俊介さんが、まずは思い浮かびます。ベテランの俳優さんでは風間トオルさん、風間杜夫さんも。女優では小芝風花さんが活躍しそうな予感がします」ベスト3には入らなかったものの、ラグジュアリー感があり、位の高い人をイメージさせるような文字、「貴」「姫」「彦」「白」が名前につく人にも注目が集まりそうだという。「大関から横綱昇進を目指す貴景勝さん。女優だと斉藤由貴さん、常盤貴子さんも貴の字がついていますね。俳優の志尊淳さんも期待できます。姫はなかなか有名人の苗字にはありませんが、下の名前ではキラキラネームで最近は多く見かけますね」「宮」「天」「風」が名前についている人は来年が待ち遠しいはず。そうでない人も、ゆうはんさんのアドバイスに従って、幸運の文字が入っている場所や友人を探してみるのもいいかも。
2020年12月27日冬は人恋しくなるシーズン。好きな人と一緒に雪景色をながめたり、ゆきだるまをつくったりして、イチャイチャとしたくなりますよね。今回は、そんな「ゆきだるま」にちなんだ心理テストをご紹介いたします。【質問】ゆきだるまを飾るなら、次のうちどれを飾りますか?A:帽子B:マフラーC:シャベルD:花冠あなたはどれを選びましたか?さっそく結果を見てみましょう。【診断できること】「あなたの運命の相手」深層心理において「ゆきだるま」は、あなたが精神的に温まりたい……つまり、「心のよりどころ」としたくなる存在を意味します。そして、ゆきだるまに足したいものは、あなたの趣味嗜好。すなわち、あなたがどんな相手に対して好感を持つかを暗示しています。そのため、ゆきだるまに何を足すかによってあなたの運命の相手が分かるのです。■ A:「帽子」を選んだあなた【センスが冴えた男性】あなたの運命の相手は、直感に優れ、目に見えない感覚でものごとを決めていくタイプのようです。感性が鋭くて、達観したものの考え方を好むでしょう。その反面、周囲に対して関心が薄くなりがちで、自分の世界に没頭してしまうところがありそう。少し理解に苦しむところもあるかもしれませんが、センスが冴えている男性とあなたの感性が一致すれば、驚くような急展開もあり得そう。■ B:「マフラー」を選んだあなた【粘り強く安心感のある男性】あなたの運命の相手は、精神的に安定していて、周囲の人たちに安心感を与えることができるタイプでしょう。穏やかで円満な性格なので、人間関係も良好そう。表には決して見せませんが、内面にはコツコツとものごとに取り組む「粘り」を秘めているようです。ただ、あなたが自分から洞察力を働かせないと、相手の存在には気づかないまま通り過ぎてしまう可能性も……。目立たないけどしっかりした男性なので、見逃さないように注意が必要です。■ C:「シャベル」を選んだあなた【活発で爽やかな男性】あなたの運命の相手は、活発でさわやかな魅力を持っています。パッと見て大人しそうに見えても、意外と行動派かもしれません。自分が自分らしく振舞えることに喜びを感じるようなので、あなたはお相手と束縛のないのびのびした自由な関係を意識すると良いでしょう。あなたがすべきことは、積極的に挨拶できるようになること。気軽に声をかけてみると、意外とスンナリ関係が進むはず。■ D:「花冠」を選んだあなた【クリエイティブな男性】あなたの運命の相手は、何かをつくりたいクリエータータイプ。芸術的な要素を持っているかもしれません。とくに、何もないところから形あるものをつくっていきたいという気概があるようです。ただ、あまり自分がやりたいと思っていることを口にしない性格なので、あなたが励ましてあげるときっかけが生まれるでしょう。少し頼りない部分をカバーしてあげれば、恋心に発展するはず。■ 運命に「気づく」ことが大切運命の人は、努力によってつかみ取るものだと思われがちですが、実は「気づく」ことで運命の人へと昇華する場合の方が多いと言えます。実は意外と身近なところにそんな相手は隠れていたりするもの。もしもまだ運命の人とめぐり合っていないと感じるのなら、じっくり目を凝らして周りを見渡してみましょう。きっと見つかるはずです。実は……意外なところにいたりするものなのです。(脇田尚揮/占い・心理テストクリエーター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2020年12月17日2021年3月4日(木)~3月14日(日)に、東京・大手町三井ホールにて上演される舞台「元号男子」のメインビジュアルが公開された。本作は、志島とひろによる元号を擬人化した作品を舞台化したもの。時代とともに生まれた大正、昭和、平成、令和の4人の元号男子が一つ屋根の下で暮らす模様を描いている。脚本・総合演出を川尻恵太、演出を白鳥雄介が担当。大正役の和合真一、昭和役の校條拳太朗、平成役の平賀勇成、令和役の大薮丘を中心に、若手俳優たちが活躍する。今回公開されたビジュアルのイラストは、原作者の志島が手がけた。背景はイラストレーターの村カルキによるもの。魅力的なキャラクターはもちろん、美しく描かれた背景も注目してほしい。なお、和合、校條、平賀、大薮のキャスト4名のサイトにて、チケット先行受付を実施中。申し込み締め切りは12月7日(月)23:59となっている。【公演概要】舞台「元号男子」公演日:2021年3月4日(木)~3月14日(日) / 全15公演会場:大手町三井ホール(東京都千代田区大手町 1-2-1 Otemachi One 3F)チケット代:全席指定9,800円(特製 A4 タペストリーつき / ランダム)※本公演のチケットは電子チケットとなります。ご注意ください。キャスト先行:2020年11月20日(金)10:00~12月7日(月)23:59大正役・和合真一 FC: 昭和役・校條拳太朗 FC: 平成役・平賀勇成 ニコニコチャンネル: 令和役・大薮丘 FC: ※詳細は各サイトでご確認ください。公演に関するお問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00〜15:00)公式サイト:
2020年11月27日新型コロナウィルス感染拡大の第3波が懸念されるなか、菅義偉首相(71)は11月21日に「Go Toキャンペーン」の運用を見直す考えを示した。「Go Toトラベル」では、感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約を一時停止に。「Go Toイート」では、プレミアム付き食事券の新規発行やポイント利用の一時停止するなど都道府県知事に求めている。しかし具体的な期間やキャンセル料といった事柄については、これから定めていくという。「分科会から強いメッセージを受け、政府が対応に動いたのは11月20日の夜。キャンペーン開始前に、万が一の対策が立てられていなかったことが露呈しました。さらにどの都道府県を対象除外にするかどうかは、各知事の判断任せ。知事会も『丸投げしないで』と困惑しています」(全国紙記者)そんななか、松本人志(57)や“ひろゆき”こと西村博之氏(44)による「おひとり様」の提案が注目を集めている。「Go Toイート」について政府は、「原則4人以下」での飲食を要請。また東京都の小池百合子知事(68)は、会食時の対策として「少人数」「小声」「小一時間」「小皿」「小まめ」の“5つの小”を呼びかけた。どちらも複数人で食事することが前提となっている。ひろゆき氏は21日放送の『NewsBAR橋下』(ABEMA)で、「Go Toイート」について「予約1人で取れればいいと思うんですよね」とコメント。「要は2人とか3人とか、複数になるから飲み会とかで騒ぐわけで」と説明し、「全員1人客にすればすごい静かだと思うんですよね」と述べた。松本も22日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、「ずっと言い続けるんですが、おひとり様をやれ!って言ってるんですよ」と強調。「1人ならしゃべらないから大丈夫だし。家でご飯食べてるのと一緒ですからね」とし、「でもちゃんとレストランなりにお金を落としていくわけやから」と経済面でのメリットも主張した。ネットでは賛同の声が広がっている。《松ちゃんもひろゆき氏も言ってるけどGoTo関連はお一人様を優遇して!》《そうだと思う。経済を止めるわけには行かないし、感染を広げるわけにも行かない。個人で充分に予防して、意識しながら行動するしか無いよね》《大賛成です!コロナ対策と経済両方を考えるなら当然ですよ。もういい加減「お一人様イコール寂しそう」という概念は変えないと》果たして、国民の声は届くのだろうか。
2020年11月23日グラビアアイドルの椎葉ゆきが、最新イメージDVD『初恋ゆきち』(発売中 4,180円税込 発売元:apricot)をリリースした。同DVDがグラビアデビューとなる椎葉ゆき。北海道出身ということで透明感溢れる白い肌が印象的で、スリーサイズも上からB80・W56・H81という極上のスレンダーボディーとCカップのバストが魅力の23歳だ。今年発表された「ミスヤングチャンピオン2020」ではファイナリストまで残って注目を集めた。そんな椎葉の初めてとなる同DVDは、彼女の魅力が詰まった1枚となっている。衣装的には制服や女教師をイメージした白ワイシャツにタイトスカート、情緒溢れる艶やかな和服と華麗な姿が見られる反面、水着はマイクロビキニや眼帯水着などどれも過激なモノばかり。初めてのDVDから露出度も高く、スタイルの良さをまざまざと見せつけている。全体的にソフトな仕上がりと思いきや、男性を誘惑する仕草を連発。最後を飾る夜ベッドでは過激なグラインドを余裕たっぷりで見せるなど、新人離れしたセクシーさも持ち合わせている。
2020年10月28日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。まだ感情のコントロールが苦手で、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまう子どもたち。他人の苦しみや欲求は、どうすれば理解できるのでしょうか。第10回『同情するならお湯をくれ。』「怒りたくて怒ってるんじゃないよ」と言われて「なら怒らなければいいじゃないか」と思ったことがあるのは僕だけではないだろう。学校からの帰り道、歩きながらノートを広げている子がいた。「危ないからノートしまって歩きなよ」と声をかけると「だってー」と返してきた。「危ないことは危ないからやめてね」と口答えを制した。理由があろうと危ないことは危ないのだ。しばらく歩いたところでお茶を飲みながら、またノートを広げていた。「しまっときって言うたやろー!」と少し語調を強めると、注意されて落ち込むというよりも楽しみを邪魔されたというような表情をした。心配していることを伝えるつもりで言い訳のように「怪我したらあかんからな。ほんで、暑いから水分しっかり取ってな」と言うと「だから飲んでてんやん」と言い返してきた。なんだかやけに反抗的だなと思いながら視線を落とすと、広げたノートに地図のようなものが書かれているのが見えた。スタートらしき場所には「がっこう」と記されており、路線図のようにいくつかの四角を線で繋げていて、ところどころに手書きの星マークがつけられていた。双六のようにも見える。「なに見てたの?」と、指摘としてではなく興味本位で尋ねた。「帰り道に暑くてお茶飲まなあかんから、飲むポイントを書いてんねん、いまここ」と言って[学校]と[学童]の間にあるチェックポイントの一つを指した。「真夏の水分補給」も子ども達に指導している交通ルールと同じく大切なことだ。それを自分たちで工夫して実践できるようにしていることに感心しながらも「いいことやけど、危ないからノート広げて歩くのはやめような」と伝えた。しばらくしてから、「おもろいなあ」とそのノートのことを思い出していた。自分たちで相談して書いたんだろうか。決められためんどくさいことも、あそびに昇華してるなんてすごいじゃないか。「いいことやけど」ってなんやねん。ただただめっちゃおもしろいやん。「いいことや」って取ってつけたように言ったけど、あの子たちには「怒られた」ってことだけが残っているんじゃないかと少し後悔した。自分で自分に「怒りたくて怒ったんちゃうねん」と言い訳した。「なら怒らなければいいじゃないか」と子どもの頃のぼくが顔を出す。危ないことは危ないからやめてもらわなきゃいけない。けれど、もっとほかに伝え方があったんじゃないか、間違いを指摘することをそんなに焦らなくてもいったん話を聞くことくらいはできたんじゃないか、と何度も考えていた。思い通りにいかないときに癇癪を起こしてしまう子がいる。諭すように話したり、思いに寄り添うように声をかけたりしてみても全く応じることはなく、言葉をかければかけるほど興奮したり、脱力して床に寝そべり駄々をこねたりする。腫れものを触るように接していき、癇癪玉が爆発したら最後「鎮まりたまえ!」と災難が過ぎ去るのを待つようになだめ、根負けして思い通りにさせるか、そうでなければ開き直って強引に言うことを聞かせるしかない。その子は好きなあそびを中断されるたびに駄々をこねた。みんなで遊んでいるときには機嫌よく過ごしているけれど、終わってしまったり中断されると手をつけられなくなっていた。ある日、その子は好きなあそびをせずに一人で過ごしていた。ひとりでのんびり過ごしているのかといえばそうではなく、かと言って別のあそびに夢中になっている訳でもなさそうで、あえてそのあそびから離れているように見えた。何かあったのか尋ねてみると、その子は少し黙ってから「もう、ああなるの嫌やねん」と小さく言った。「ああなるの」とは「キーーーッ!」ってなること、つまり「癇癪を起こしてしまうこと」だ。「思い通りにいかないことがあったら癇癪を起こす子」ぼくはそんな風にその子のことを見ていた。思い通りにいかないことを押し通そうとする姿は、半ばわがままにも見えた。その子にも制御ができないのだ、とそのときに初めて気が付いた。本人が苦しんでいるなんて思ってもいなかった。癇癪を起こさないようにしたり、それを鎮める方法を話し合いもした。けれど、それは「その子がしんどいから」ではなく、「僕たちがしんどいから」やっていた。その子が癇癪と戦っているのに、僕とも戦わなきゃいけないなんてそりゃあしんどい。僕には見守るか支えるしかできなかったのだ。もしかしたら、わがままな姿や怠慢に見える姿が、ただ気に食わなかったのかもしれない。誰も困りはしないのに何故だか許せない、そんな感情ってあるんだよね。その子が感情をコントロールできなくて、うまく表現できなくて苦しんでいるかもしれない。それを分かっていても、それでもやっぱり「自分の言う通りにしたいだけじゃないか」とか「ただのわがままなのではないか?」と感じてしまう自分がいる。考えてみれば、その子が癇癪を起こさずに言うことを聞いて欲しい、と望んでいる僕の考えも、自分の思い通りにしたいというわがままだよね。僕たちはなんで、人がわがままに振る舞っていたりサボっているように見えたりするのが許せないんだろう。たとえば危険があるとか誰かの迷惑になるとかなら分かるけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、手を抜いていたりサボっていたりズルをしていたりすると許せない。気に食わないな、と思うだけなら勝手だけれど、「その子のためにならない」というもっともらしい理由をつけて厳しくしてしまうこともある。親を甘やかしたらいけないという価値観も、保育や教育の業界から聞こえてきたりする。「気に食わない」だけで批判するのは理不尽だって誰でも分かるけれど、それが「教育」とか「当たり前」という仮面を被ってたら、そういうものなのかもと思ってしまう。しんどい人は救われるどころかさらに追い込まれていく。しんどいのなら、甘えてもいいんじゃないのかな。なんで、甘えたり手を抜いたりすることが許せなくなってしまうんだろう。あ、例えば、狩りで生きてきた時代には、サボってしまったら生死に関わるから本能的に「サボるのは許せない」と感じるのかもしれないな。とか適当なことを考えてみたけれど、「サボりたい」「休みたい」も生きるために必要な心の声じゃないか。「何個しんどかったら帰れるんですか?」中学校に勤めている友人が、保健室で生徒に聞かれたらしい。熱は無いけれどアトピーの調子が悪いし具合もよくないので帰りたい。けれど、サボりだと思われて帰らせてもらえないとのこと。甘やかしてクセになってもいけないし、だからって子どものしんどさに寄り添えないのもつらいものだ。僕は子どもの頃からアトピーなんだけれど、痒いとか痛いとかだけでなく、向けられる視線やかけられる言葉に傷付いたり、自分は頑張りたいのに頑張れないしんどさもある。学童でも身体が痒くて目の前の宿題に集中できない子がいて、それを見て「集中力がないな」と思ってしまいそうになる。けれど、絶対に「集中しなよ」と声をかけることはしない。だって、集中できるならしてるもんね。痒いから集中できなくて、集中できないからまたイライラして掻いちゃって、終わりが見えなくてボーッとしてしまうんだ。荒れた肌は見た目も良くないし、フケが服についたりするから清潔感がないとか言われる。清潔にしていないとすぐに悪化するから、一度来た服を洗わずに着ることはないしシーツだってしょっちゅう洗う。その辺の清潔感のあるイケメンよりも、きっと清潔であることを心がけているけれど、見た目の清潔感は伴わない。食生活が良くないんじゃないかとか生活習慣が悪いんだよって言われることもある。怠慢だから、サボっているからだよと病気をその人のせいにしたがる。しんどくてエネルギーを使いすぎて、いつもなら容易にできることが、ガス欠でできないこともある。当たり前にできるべきことができていないから、またやっぱりサボってるって思われる。その人のしんどさはその人にしか分からない。同じ痛みでも、平気な人もいれば、動けないくらい苦しむ人もいる。その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。病気に限らない。健康でも、その時の環境や状況でしんどい人はきっとたくさんいる。家族がケガをしたり、飼っている猫が病気だったり、失恋したり、推しが引退したり。病気だからとか障害だからとかではなくて、なにもなくてもそのしんどさに目を向けていたい。「そんなことくらいで」なんて他人が言っちゃいけないんだよね。みんなは大丈夫なのに自分がしんどくても、「そんなことくらいで」って自分で思ってしまうことも、もうやめたい。みんなしんどいことは嫌なはずだよ。そのしんどさから逃げたり解放されることを望んだりするのって悪いことじゃないはず。みんながしんどくなくて、みんながサボれる社会の方が断然生きやすいやんか。「なぜしんどいか」なんて関係なくて、そこにしんどさがあるのなら、それをまずは解消したい。甘えてなにがいけないんだろう。弱くてなにがいけないんだろう。教育というモノを言い訳に、育てるという名目のもとに、その子のしんどさを否定してはいないだろうか。まっとうに生きる。勤勉に生きる。それが幸せになるためではなく、ちゃんとした大人として見られるためなのであれば、もうそれにならなくてもいいやって思うの。ちゃんとした大人、を目指すなら、人のしんどさを自分の尺度で測らずに、想像したり寄り添える大人でありたいと思う。「正しいこと」よりも先に「生きやすいこと」を大事にしてみようよって思う。他人が大切にしているものを否定しないのと同じように、他人のしんどさを否定しない。それができたならきっと、自分の大切にしているものもしんどいことも、自分で否定しないでよくなるんだと思う。子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。少なくとも、相手には相手のしんどさがあることを知れるから、強さを求めて追い込んだり傷付けたりすることは減るだろう。みんなが強いことを望んで傷つけ合うよりも、弱さを認め合って支え合えたら。甘いと言われようと、僕はそうありたいと思うのだ。余談ですが別の日の帰り道に、「泥棒って、ご飯食べてるんかなあ」と尋ねてきた。不意に問われたその意図が分からなかったので、なるべく断定するような答えにならないように「どうやろうなあ」と返すと「食べてないんやったら、カップラーメンにお湯入れてあげたいわ」とその子は言った。ただカップラーメンをあげたい、ではなく「お湯入れてあげたい」という具体的な優しさが、哀れみとか同情ではなくその子の本当の思いであることを感じさせた。「泥棒ってお金ないんやろ、だからカップラーメンに」と繰り返す。生まれながらに悪い人、ではなく、お金がないから悪いことをしてしまう。そんなふうに考えられる人がどれだけいるだろう。悪い人の代名詞である泥棒だけれど、その子にとっての泥棒は悪い人ではなく困っている人なのだ。犯罪を犯すのはその人のせいで、貧乏なのは自己責任だと叩かれるこの社会で、この子は泥棒のカップラーメンにお湯を入れてあげたいと言っている。それを聞いてぼくが抱いた感情を、なぜだろう、うまく言い表せられない。考えを巡らせすぎたのだろうか、「あーーー」と叫んで「あかん、ほんまに泥棒にお金配りたくなってきた」と泣きそうな顔で呟いた。もしぼくが泥棒なら、って少し想像したら、泥棒でもないぼくが何故か救われたような気持ちになった理由が分かった気がした。ぼくが泥棒だったなら。きっと、そのもらったお金でカップラーメンを買うだろう。ビールを飲んだり美味しいお肉も食べたいけれど、餃子やお寿司も食べに行きたいけれど、でもきっとカップラーメンを買うだろう。そして、その子がお湯を入れてくれるのを待つのだ。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年10月27日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが13日、YouTube公式チャンネル「キャイ~ンのティアチャンネル」で、さんまとダウンタウンを前にしたときの緊張感の違いについて語った。「芸能界30年キャイ~ン、ダウンタウンさんとの思い出を語ります!!」と題した動画で、天野は、「いつも思うんだけど、ダウンタウンさんの前では、『こいつ面白くない』って思われたくない気持ちがものすごい出てくるの。だから、普段だったらポロッと軽く言えそうなことが言えなかったりするわけ。ここは絶対来るっていうときにしか発言できないし、蛇ににらまれた感じがあるのよね」と、ダウンタウンに対する気持ちを告白。一方で、「さんまさんとかは、『この人に面白いと思われたい』っていう気持ちが出るから、積極性が出るわけ。何とかしてくれるっていう安心感もあるし」と言い、「でもダウンタウンさんのときは、『この人たちに面白くないって思われたら嫌だな』っていう気持ちの方が勝つから、結局、初めて出会ったときと同じくらいの距離感だと思う」「こんなに会っても、いまだに緊張する方々」と、バラエティ番組『リンカーン』(TBS系)で長年共演しているにも関わらず、距離が縮まっていないことを明かした。さらに、ダウンタウンの松本人志に関して、「面白いことしか言えない病気だと思う」とポツリ。あるとき、フォークが曲がる手品を見た出演者たちが「うわーっ!」と驚くなか、松本だけが驚く前に、「スパゲッティ食べにく」とつぶやいたそうで、「驚くことができないんだと思って。笑いの方の脳が勝っちゃうのよ。驚かされたよりも、『面白いことを言わなきゃ』がフル回転なんだよね」と、松本のお笑いへの執念に感嘆した様子だった。
2020年09月17日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきとウド鈴木が13日、YouTube公式チャンネル「キャイ~ンのティアチャンネル」に出演。「芸能界30年キャイ~ン、ダウンタウンさんとの思い出を語ります!!」と題した動画内で、ダウンタウンの浜田雅功と初めて会ったときのエピソードを披露した。「浜田さんと一番初めに会ったのが、すごく印象に残ってて」という天野。テレビ番組のロケで浜田がいるスタジオに行くことになり、気合いを入れてドアを開けたところ、「天野!」「オイッ!」と声をかけられたそうで、「気づいたら俺、正座してたよ。ビックリした。自分でがなんで正座してるのか分からなかったよ」と思い出して苦笑い。ウドから「俺には土下座に見えたね」とツッコまれると、「土下座兼正座だったね。怖かったわ~。何されたわけでもないのよ」と振り返った。また、ファンクラブに入るほどダウンタウンに憧れていたというウドが、「俺はすごく会いたかったね」と言う一方で、天野は、「我々第4世代、ナイナイとかそこらへんは、ダウンダウンさんと一切絡みたくなかったんですよね。絡みたくないというか、いないもんだと思って過ごしてましたよ。とにかくダウンタウンさんに会うのが怖かった」「あんな瞬時に土下座したことないくらい、怖いというか。とんねるずさんとかもそうなんだけど、あまりにも大き過ぎて、いないもんだと思って。『僕たちはのびのび行こう!』って思ってたから」と、当時の心境を吐露。それでも、初めて会えたときは「うれしかった」ようで、「若手の頃に本を書いてるんですよ。三村さんとかやべっちとか、浜田さんのツッコミがいかにすごいかっていうのを書かせてもらって。そうしたら、浜田さんが読んでくれてて。『書いてくれてたな。ありがとな』って」と、優しく声をかけてくれたことを告白。さらに、初対面する前には、テレビ番組で、浜田が「キャイ~ンのポーズを連発してくれてた」ことを明かし、「松本さんが横で『それなんやねん!』って言ってたけど、『今、来てんねやー』みたいな感じで浜田さんがやってくれてて」と、後輩思いの一面に感激した様子だった。
2020年09月16日