福島県会津若松では、「カレー焼きそば」のことを「B級グルメ」とはカテゴライズしない。ではどのように位置づけるのかというと、カレー焼きそばは「ソウルフード」、つまり「故郷の味」なのだという。「カレー」と「焼きそば」の見事なコラボレーション、会津のカレー焼きそばは会津市民にとって青春の味であるとともに、「会津っぽ(会津魂)」を象徴する、ソウルフードとして定着した。カレーと焼きそば。日本人の老若男女のほとんどが好きなB級グルメの両雄をコラボレーションさせることは、どうして会津若松以外の人たちは気づかなかったのだろうかと不思議になるほど、会津のカレー焼きそばとの出合いは、鮮烈な印象を与えるものであった。現在15店舗が加盟する「会津カレー焼きそばの会」の事務局がある、一七市町村物産市場「会津ブランド館」の一階にあるカフェを訪ね、運営責任者でテクニカルスタッフの代表取締役社長・佐藤正彦氏に会津カレー焼きそばを発想するに至った裏話を聞いてみることにした。その前にまず試食。トッピングを組み合わせたメニューは10種類近くになるが、まずは原点でもあるトッピングなしのカレー焼きそば(500円)をオーダーしてみた。太麺に会津産の野菜と、同じく会津特産のエゴマ油で炒め、ソースで味付けした焼きそばに中辛のカレーを上からかけている。もちろん、カレーの中にも会津産の人参が顔をのぞかせている。「いかがですか?カレー味の焼きそばではなく、焼きそばにそのままカレーをかけるというスタイル、おもしろいでしょう?」と佐藤氏。「本当にどうして全国の他の地域では考え付かなかったのか不思議でなりませんね。でも、なんでこの組み合わせを思いついたんですか?」との私の質問に、佐藤氏は軽く笑いを浮かべ、「ひょうたんからコマみたいな話なんですよ」と返してきた。カレー焼きそばの誕生は今から40年も前のこと。部活で腹をすかせ、家まではどうしても持ちそうにないと、発車までの時間、焼きそばを頼んだ高校生の一団が「発車時刻が迫ってるから、焼きそばとカレーと一緒に出して」と店の経営者に注文。出てきた焼きそばの上からカレーをかけたところ、これがなんと初めて食べる味ながらビックリするほどおいしい!!高校生の一団はみんなで皿を回しながら、「おいしい、おいしい」とがっついた。この話を翌日学校中に触れて歩いたところ、あっという間にみんながまねして人気メニューになったという。取材の途中、女子高校生のグループに話を聞いてみた。すると、カレー焼きそばを出す店は15店あるのだが、各店それぞれレシピは違うしトッピングも違うので、ひいきの店はみんな違うということが分かった。そして驚くべき事実も判明した。現在、カレー焼きそばの主なファンは高校生ではなく、40年前にこれをヒットさせ、今はもういい歳のオヤジたちとなった連中なんだとか。酒飲みが〆にカレー焼きそばを食べるというのだ。オヤジたちだけではない。店を閉めた後のママさんやホステスさんたちも、お客と一緒にお酒の〆に食べているという。「寝る前に食べると太るっていうけど、でもカレーは脂肪を燃焼させてくれるっていうし、気にしないで食べてるわ」と話す人も。カレー焼きそばの元祖「トミーフード」が店を構えるのは「野口英世青春広場」。そして、カレー焼きそばは会津の青春の味。読者の皆様、まずは一度、その味をご自分の舌でお試しあれ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月10日夏休み。青春18きっぷでどこに行こうかと鉄道路線図を眺めていたら、只見線の駅名が興味深かった。始発駅の会津若松をはじめとして、会津坂下、会津宮下、会津川口など、17の駅に「会津」が付いている。只見線は全部で38駅だから、半数近くが「会津」の付く駅名だ。そういえば、JRには地方名や旧国名を付けた駅が多い。特急「ワイドビュー南紀」の終点でもある紀伊勝浦駅。北陸本線と越美北線が分岐するのは越前花堂駅で、越美北線も「越前」の付く駅が多い。JR四国は「阿波」「伊予」「讃岐」が付く駅が多い。ちなみに高松駅の愛称も「さぬき高松うどん駅」になった。高松駅の場合はうどんにひっかけたのだろうが、そもそもJRには旧国名や地方名を被せた名前の駅が多いのだ。これには理由がある。旧国名や地方名が付く駅を俯瞰すると、JRに多いだけではなく、「東京や大阪など大都市はわりと少ない」「幹線より支線に多い」という傾向も見えてくる。これは鉄道路線が建設された順番ともいえる。大都市のほうが鉄道の整備は早かったし、幹線の後に支線がつくられた。つまり、後から開業した駅に旧国名や地方名の付く駅名が多いということになる。「新しい駅のほうに古くさい旧国名(地方名)を付ける」とは不思議かもしれないけれど、これは鉄道の発達にともない、全国で駅名の重複を避けようとした結果でもある。「新しい駅を作ろう」「地域の名前がわかりやすい」「いや、その名前はすでに別の駅が使っているぞ」「それなら目印を被せよう」といったような経緯で被せられたのだろう。只見線の会津川口駅の場合、「川口駅」としたくても、すでに埼玉県に川口駅が存在した。どちらも同じ名前では、川口行きのきっぷを買うとき間違えやすい。だから地方名である「会津」を付けよう、といったところだろう。これならどの地域にあるかもわかりやすい。同じ地域で駅名の重複を避ける場合は、東西南北の方角を付けたり、「新」を付けたりもする。異なる鉄道会社の場合、「近鉄四日市」「京急蒲田」など会社名の略称を付ける場合もある。遠い地域なら同じ駅名でも不便はなさそうだが、JRの前身である国鉄は全国に路線網があり、「離れていたとしても、同じ駅名があると混同されやすい」というわけで、なるべく違う駅名にしようとした。その一環で旧国名・地方名が使われたようだ。だから、「JRの駅には旧国名・地方名付きが多い」というよりは、「旧国鉄の駅には旧国名・地方名付きが多い」ということになる。JRグループに分割民営化された後、JR北海道の函館本線に桂川駅があるにもかかわらず、JR西日本が東海道本線の桂川駅を開業させた例もある。ちなみにJR九州にも、国鉄時代から桂川駅(筑豊本線)があるけれど、こちらは「けいせん」と読む。国鉄当時から問題ないと判断されたようだ。同じ地域で駅名の重複を避けるため、旧国名を付けた例もある。たとえば三河安城駅。JR東海が発足してから誕生した駅だが、安城市にはすでに東海道本線の安城駅があった。しかし他の新幹線駅にありがちな「新安城」では、名古屋鉄道の新安城駅と間違われてしまう。東海道新幹線の駅だし、遠方からの利用者も多いだろうから、地域全体の位置をわかりやすくするためにも旧国名を付けよう、ということなのかもしれない。埼京線と武蔵野線が接続する武蔵浦和駅も、浦和駅から近いのに旧国名が被せられている。浦和の場合、浦和駅のほかにも東浦和駅、西浦和駅、南浦和駅、北浦和駅があり、言うなれば”浦和ネタ”は尽きかけていた。新しい駅だから「新浦和」でもよかったのではないかと思うけれど、新幹線と並んでいるため、新幹線の駅と間違われないようにとの配慮があったのだろう。武蔵浦和駅と同日に開業した埼京線の隣駅も「中浦和」となった。気の毒な事例といえるのが岩手川口駅(現・IGRいわて銀河鉄道)。いま川口駅といえば埼玉県にある京浜東北線の駅のイメージが強いが、岩手川口駅はその川口駅が開業する前から「川口駅」を名乗っていた。伊勢川口駅や越後川口駅は、こちらの川口駅との混同を避けるために旧国名を付けたわけだ。一方、現在の川口駅はかつて「川口町」という駅名だったが、川口市の発足と同時に川口駅を名乗ることに。岩手県にあった川口駅が現駅名に改称させられることになった。当時の地元の人々は悔しかったに違いない。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月21日