2023年1月15日、声優の小松未可子さんが第1子の出産を報告しました。およそ2年前の2020年5月に、同じく声優の前野智昭さんとの結婚を発表した、小松さん。2022年8月には第1子の妊娠を報告しています。小松さんの投稿によると、出産後は幸い母子共に健やかとのこと。出産を振り返り、このように想いをつづりました。お産は本当に未知数なことばかりで、凄まじい経験でした。命が産まれるというエネルギーは自分の想像を遥かに超えた大きさで。目の前の命はまだとってもとっても小さな体で。まだ出会ったことのない感情で、たくさん満たしてくれました。母として、人として、共に成長していけたらと思います。mikako_komatsuーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 小松未可子(@mikako_komatsu)がシェアした投稿 生まれたばかりの小さな我が子の手足に触れる、小松さん。そして赤ちゃんは、小松さんに返事をするかのように指を握っています。公開された写真と動画に表情は写っていませんが、その姿からはあふれんばかりの幸せが伝わってきますね。また、父親になった夫の前野さんも、自身のTwitterアカウントで感謝の言葉を述べています。ご報告です。 pic.twitter.com/QqJidDvmQX — 前野智昭 (@Tomoaki___Maeno) January 15, 2023 結婚発表時、人気声優同士の結婚として多くの人から注目された、小松さんと前野さん夫婦。新たなおめでたい報告に、ネットからは「素敵な動画でこっちまで涙が出た」「今後もお幸せに!」といった祝福の声が相次いでいます。小松さんは声優としてだけでなく、今後は前野さんとともに1人の親としても活躍していくのでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月15日【前編】日本最高齢出産女性・影山百合子さん、愛息の成人式を独占告白!より続く「逆走の人生でした」影山百合子さん(81)が、よく口にするフレーズだ。影山さんは、’01年7月に60歳で出産し、「日本最高齢出産」の記録を作った、元公務員の女性。’41年(昭和16年)、東京都生まれ。戦時中に3歳で両親を亡くし、祖母に育てられた。ちなみに、「影山百合子」はペンネームだ。幼少のころから成績は優秀で、特に外国語が好きだった。「小中学生のころから、自宅の近所にあった雙葉学園の校外学習で、尼僧さんから英語とスペイン語を習いました」大学進学は、祖母と2人暮らしの生活を考え、断念。高校卒業後に公務員となり役所勤めが始まり、25歳で最初の結婚をするが、ほぼ同時に祖母が認知症となる。介護生活は祖母の死去とともに30代前半で終わったが、もともと会話も少なかったという夫との関係は修復不可能になっていた。「最後の願いで、もう一度、夫とやり直せるかもと思って挑んだのが今で言う妊活で、45歳でした」しかし、不妊治療がまだ一般的でない当時、訪ねた大学病院の産婦人科医の誰もが、「50歳になろうかという人が出産なんて、とんでもない」という対応だった。妊娠を諦めた影山さんは、若いころからの夢だった外国暮らしをしようとオーストラリアへ行き、ボランティアで日本語教師となった。そのとき教師と生徒として出会ったのが、影山さんが今も「彼」と呼ぶ、中東出身で、年も24歳下の夫(57)だった。「祖母と2人きりの生活で明るい青春時代のなかった私は、52歳で初めて本当の恋に落ちたんです」やがて、前夫との離婚が成立して、影山さんは彼と再婚する。■影山さんの出産に際しては、『リスクが大きすぎる』と、スタッフ全員が猛反対55歳にして、影山さんは再び妊活をスタートさせた。「孫がいてもおかしくない患者の不妊治療をしたら、私が日本中からバカにされる」診察を希望する影山さんに、不妊治療で有名だったある医師は言い放った。その後も、信頼して任せられる医師とは出会えなかった。途方に暮れる影山さんが最後に駆け込んだのが、東京都千代田区の「卵子提供・代理母出産情報センター」。’91年の設立以来、アメリカのネバダ不妊治療センターと提携して、すでに200件もの出産を手がけていた。「20年たった今だから言えますが、影山さんの出産に際しては、『リスクが大きすぎる』と、スタッフ全員が猛反対でした。万が一のことがあれば、日本の医療界から干されるのは明らかでしたから」そう語るのは、同センター代表の鷲見侑紀さん。影山さんとの交流は現在も続いており、今回の取材にも同席した。「私どものセンターでも、受け入れの年齢に55歳というガイドラインをもうけていましたが、影山さんはすでに57歳でした。それなのに、なぜ私が影山さんのケースを進めたか。理由は2つ。一つには、健康・肉体的に申し分ない条件がそろっていたこと。そしてもう一つは、彼女が自分のためではなく、愛する夫に子供を抱かせたいと心から望んでいた気持ちに感銘を受けたからです。相談に来るときも必ずお2人で、手をつないで。『たとえ母になれても、いつまでも“女”でいたいんです』と彼女は言いました」’99年5月には卵子のドナーが見つかっていながら、子宮筋腫が発見されてしまう。「しかし、彼女は自分で医師を探して手術を敢行したほど。その1年後、4度目の渡米、2度目の体外受精で妊娠に成功します。日本での出産は、高齢出産で実績のある東京慈恵医大病院産婦人科が受け入れてくれました。そして’01年7月21日、影山さんは、帝王切開で2558gの元気な男の子を出産。「レノ」と名付けた。■息子に弟妹を残してあげたいと思い、2人目妊娠の道を模索し続けたが……さらに出産から9カ月が過ぎた’02年春のこと。影山さんは、鷲見さんにある相談をしていた。「2人目を欲しいと思いました。1人目は彼のため、2人目はレノのため。レノに弟妹を残してあげたかったんです」実際に医療機関などに相談もしたが、超高齢出産の壁は以前にも増して高くなっていた。「私の60歳出産は、日本の不妊治療に風穴を開けたのではなく、バッシングも大きかったですから、逆に先生方を追い込んで、旧態依然の状態に戻してしまったのではないかと感じました」その後も3年以上、医療機関に働きかけ、2人目妊娠の道を模索し続けたが、その時点で、卵子提供についてだけでも国と医師会では意見の相違があり、先へ進めなかった。厚生労働省の検討中の見解のなかでも、「加齢により妊娠できない夫婦は対象とならない」という文言があり、これに影山さんは当てはまるのだった。当時の影山さんの深い苦悩を、鷲見さんはこう振り返る。「彼女の気持ちもわかりましたが、もし『自分の命と引き換えにでも』と考えているなら、それは違うと思いました。子供のためというなら、ご自分が1年でも長生きして、レノちゃんの人生を見守ってほしいと、そんな気持ちを伝えたこともありました。超高齢出産に関して、いまだ国内では確固とした法整備ができていませんが、現在、私どもが提携しているアメリカの医療機関では、受入れ年齢が50歳までとなっています」■息子と暮らし始めて、愛情が深くなり、産むことより、育てていくのがいかに大変か実感2人目を諦めた落胆も大きかったが、それ以上に、スクスク育っていくレノ君の存在は希望そのものだった。レノ君は父親の実家で暮らすこととなったが、2歳になる前には、レノ君の世話をしていた夫の姉も一緒に来日して、念願の東京ディズニーランド訪問もできた。「レノは、ディズニーでも街中でも、若いお姉さんを見つけては近づいていき、『かわいい!』と言われるのが得意でした。それを見て喜んでた私も親バカですが(笑)」’07年3月、公務員を定年まで勤め上げて退職。「ずっと福祉関係の仕事でしたが、私自身、祖母を介護した体験があったので、苦悩する家族のために何ができるかと常に考え働いていたという自負はあります」やがて、待望の日が訪れる。幼稚園と小学校を中東の父の国で終えたレノ君が、日本で暮らすようになったのだ。「父親の母国の大使館付属の中高一貫校に入りました。向こうの生活では500人も親族がいるなかの長男ですから、幼稚園もタクシーで送り迎えという猫っかわいがり状態でしたが、私は『自分のことは自分でやる』という教育方針で進めました。最初に教えたのは『こんにちは』『ありがとう』の挨拶をきちんとすること。本人は日本人の友達ができないことと通学の満員電車が悩みのようでしたが、空手を習って日本に溶け込もうと頑張ってましたね」母子2人の生活が、影山さんに大切なことを教えてくれた。「レノと暮らし始めて実感したことは、どんどん愛情が深くなることでした。同時に、産むことより、育てていくのがいかに大変かということも。産んだ後をこそ考えて不妊治療に臨むべきというのは、これから高齢出産を考えている人に、私がぜひ伝えたいこととなりました」昨年の年明けのことだ。「レノは、地元の成人式の式典に参加しました。このときばかりは、中東から父親も駆けつけました」■孫の顔を見ることには執着しない。自分の介護で子供の人生を奪ってはならないと誓う「母親の私とレノのツーショット写真は、ほとんどないんです。これはイスラムの文化が影響していると思います。わが家の中も、両国の文化が混在。夫の母のレシピで中東の料理も作りますし、日本の味の代表は鍋でしょうか。ただし、イカ・タコ類は絶対に使いません。レノが、幼いころから香水をつけるのも父親の影響。今では同じ柑橘系の香りが、わが家の男たちの象徴のようになっています」レノ君は、日本の大学への入学はかなわなかったが、昨春からアメリカのオンライン大学でMBA取得を目指している。国際ビジネスマンに憧れているのだという。影山さん自身は、今後の生活のなかで厳守したいことがある。「レノは、大学を出たら日本の大学院で学ぶのか就職か。場所は日本か親族のいるオランダ、イギリス、ドバイなんてことも(笑)。ただ、そのとき、母親の私がやってはならないことは、自分の介護で子供の人生を奪うこと。私自身、祖母での体験も大きいですが、万一、認知症になっても子供に迷惑をかけないよう、経済面だけでも自立していたいと、今も毎月15万円の保険料を払い続けています。まあ、認知症にならないためのお守り代わりですね」こちらも20年以上にわたり、超がつく遠距離恋愛中の夫との関係を尋ねると、「空気のような存在と言うわりには、今もほぼ毎日スカイプか電話で話してます。互いに名前で呼び合うのも変わりません。実は私たち夫婦は体格も同じなので(笑)、会えば洋服や靴まで着回すのも20年前と同じ。彼とは、好きなカラーもずっと一緒なんです」周囲からはよく尋ねられるそうだが、孫の顔を見ることには、それほどの執着はないという。「これからは、もう子供にしがみつく生活はしません。まずは、コロナ明けと同時に、若いころに中断していたスペイン語の勉強を再開するつもり。大使館のスペイン語講座に電車で通うためにも、早く杖なしで歩けるようにならないと」わが子と積み重ねた20年間の日々の思い出と感謝を胸に、母は80代にして、人生の第2ラウンドへ力強い一歩を踏み出した。
2023年01月15日〈ようやく息子が成人式を迎えました。あれから20年。出産でお世話になった主治医との「子供を成人させるまで元気でいる」という約束を果たし終えて、正直、今、ホッとしています〉影山百合子さん(81)から、本誌記者がこんなメールを受け取ったのは、昨年1月の終わりだった。影山さんは、’01年7月に60歳で出産し、「日本最高齢出産」の記録を作った、元公務員の女性。当時、新聞や雑誌、テレビなどでいっせいに報じられ、アメリカでのドナーによる体外受精だったことや、なによりその出産年齢が注目されるなかで賛否両論も巻き起こり、影山さんは国内外で注目される存在となった。激しいマスコミの取材攻勢から逃れるなか、影山さんが本誌にだけインタビューに応じてくれたのには、こんな理由があった。取材会場のホテルのロビーに現れた彼女は開口一番、こう言った。「私、’58年の創刊時からの『女性自身』の読者です。’58年は私が社会人になったころでもあり、役所への行き帰りや、海外旅行へ行くときもいつも愛読していました」こうして21年前の本誌「シリーズ人間」で最初の記事が掲載され、3年後にも同じく近況報告がなされた。取材終了後、記者と交わした約束が、子供が成人式を迎えたときの再インタビューだった。以降、毎年、その息子・レノ君(21)の写真入り年賀状やメールが記者宛に送られてくるようになった。赤ん坊から少年に、やがてハンサムな青年へと成長する姿を見ながら、影山さんも元気にお母さんとして暮らしている様子が伝わってきた。だからこそ、昨年12月頭に都内でのおよそ20年ぶりの再会を果たしたとき、影山さんが杖をついて現れたので、少し驚いてしまった。「先週、お風呂場で転んで骨折してしまいました。でも、今日もリハビリと思って電車で来ました」その言葉に、以前の取材時に聞いていたエピソードを思い出す。三半規管に持病があり、転びやすい体質という彼女だったが、「妊娠に備えて、ふだんからあえてハイヒールを履いて、常にまっすぐ歩けるよう鍛えてるんです」本人は「すっかりおばあちゃんになってしまって」と苦笑していたが、60歳での超高齢出産を可能にした、逆境をもバネに変える、持ち前の強靱な精神力はいまだ健在のようだ。■骨密度も20歳並み。アスリート並みの健康体に生んでくれた両親に改めて感謝最初の「シリーズ人間」の記事では、夫は「20歳以上年下」の「義男さん(仮名)」と紹介されていたが、実はこれは正確ではない。「彼は中東出身で、年も24歳下です。仮名を使ったのは、当時、それはすさまじい報道ぶりでしたから、少しでも外国人の彼をマスコミから守るための苦肉の策でした」中東の夫の親族たちは、この結婚に猛反対した。「なんで、わざわざそんな年上の女性と結婚するんだ」「もっと若い人と結婚すれば、子供も自然に授かるのに」それら苦言に深く悩み始めた夫の姿を見て、影山さんは決心する。「私は子供のころからカトリックだったので、『子供は神からの授かりもの』という考えを持っていました。でも、もう待っているだけじゃダメだと思ったんです」55歳にして、影山さんは妊活をスタートさせた。事前の検診でわかったのは、自身の肉体がすこぶる健康なこと。50代半ばにして、虫歯は1本もなく、髪も黒々としている。「骨密度も20歳並み、ホルモン値は同年代の2倍以上、生理も順調。このデータを知らされて、あの戦争の食うや食わずの時代に、アスリート並みの健康体に生んでくれた両親に改めて感謝しました」■20代、30代と介護に追われ、50代で彼と出会い、60歳で出産。逆走の人生に終止符を「孫がいてもおかしくない患者の不妊治療をしたら、私が日本中からバカにされる」診察を希望する影山さんに、不妊治療で有名だったある医師は言い放った。その後も、信頼して任せられる医師とは出会えなかった。途方に暮れる影山さんが最後に駆け込んだのが、東京都千代田区の「卵子提供・代理母出産情報センター」。’91年の設立以来、アメリカのネバダ不妊治療センターと提携して、すでに200件もの出産を手がけていた。「20年たった今だから言えますが、影山さんの出産に際しては、『リスクが大きすぎる』と、スタッフ全員が猛反対でした。万が一のことがあれば、日本の医療界から干されるのは明らかでしたから」そう語るのは、同センター代表の鷲見侑紀さん。影山さんとの交流は現在も続いており、今回の取材にも同席した。「私どものセンターでも、受け入れの年齢に55歳というガイドラインをもうけていましたが、影山さんはすでに57歳でした。それなのに、なぜ私が影山さんのケースを進めたか。理由は2つ。一つには、健康・肉体的に申し分ない条件がそろっていたこと。そしてもう一つは、彼女が自分のためではなく、愛する夫に子供を抱かせたいと心から望んでいた気持ちに感銘を受けたからです。相談に来るときも必ずお2人で、手をつないで。『たとえ母になれても、いつまでも“女”でいたいんです』と彼女は言いました」’99年5月には卵子のドナーが見つかっていながら、子宮筋腫が発見されてしまう。「しかし、彼女は自分で医師を探して手術を敢行したほど。その1年後、4度目の渡米、2度目の体外受精で妊娠に成功します。日本での出産は、高齢出産で実績のある東京慈恵医大病院産婦人科が受け入れてくれました。これも今だから話せますが、当時、先生方と、『もし出産までに母子が危険な状態に陥ったときには、母親の生命を優先する』と合意していました」(鷲見さん)当の影山さんは、もしかしたら誰よりも妊娠することに確信を抱いていたかもしれない。「卵子ドナーの28歳のアジア人女性のリストを受け取ったとき、彼女の誕生日が彼と同じだったんです。その運命的な偶然を知ったとき、この出産はきっとうまくいくと信じることができました」そして’01年7月21日、影山さんは、帝王切開で2558gの元気な男の子を出産。「レノ」と名付けた。「大好きだったジャン・レノと、体外受精でお世話になった米国リノ市にちなんでの命名です。別に父親の国での名前もあります。また、レノの誕生日は父親と一緒です。予定日が夫の誕生日に近いとわかったときから同じ日に産もうと決めていて、私から主治医の先生にその日の帝王切開を『どうしても』とお願いしました」前述のとおり、出産の翌日から怒濤の報道の嵐となった。「覚悟はしていましたが、『おばあちゃんが赤ちゃんを産んだ』という見出しには深く傷つきました」鷲見さんには、忘れられない当時の会話があったという。「生まれた赤ちゃんの健康のためにも『初乳は、母乳を与えてください』と主治医の先生に言われ、私は影山さんに伝えましたが、これは意外にも拒否されたのでした。聞けば、『彼のために体のラインを崩したくないんです』と。これには驚きましたが、改めて深い夫婦愛にふれ、今後の子育ても大丈夫と安心したものでした」当の影山さんも、レノ君を初めてわが胸に抱いて、思う。「多くの方とは逆に、私は10代を孤独に過ごし、20代、30代と介護に追われ、50代で彼と出会って本当の愛を知り、60代で子供を産んだ。そんな逆走の人生に、ようやく終止符を打てました」■息子にはいつも周囲に感謝を持ち、社会に出たら、人のためになる仕事をしてほしいレノ君は父親の実家で暮らすこととなったが、その後も、年賀状やメールでレノ君の健やかな成長ぶりを綴っていた影山さんが、初めて自分の体調にふれたのは’18年のこと。彼女は70代後半を迎えていた。〈私のほうは1年ごとに病気も一つずつ増えて、ひどい神経痛にも悩まされ、要支援2、視覚障害2級となりました。かつて打ち続けていたホルモン剤の影響もあるでしょう。普通の人以上に、60歳出産で体に負担をかけ、急に油切れした状態でしょうか〉60歳での出産直後から、骨粗しょう症予防のカルシウム補給や、更年期障害と同様の症状を予防するための低用量ピルを飲み続けてきた影山さんだったが、それらの投薬をやめたのを境に体調が一気に悪化したのだった。「めまいや貧血、自律神経の乱れなど、止めていた分、いまさら更年期障害に苦しんだのでした」そんな影山さんを、「まだ元気でいなければ」と踏ん張らせたのは、主治医と交わした「子供を成人させるまで元気でいる」という約束だった。幼稚園と小学校を中東の父の国で終え、日本で暮らすようになったレノ君だが、昨年の年明け、とうとうその日がやってきた。「レノは、地元の成人式の式典に参加しました。このときばかりは、中東から父親も駆けつけました」影山さんは、成人した息子に、母親として、どうしても伝えたいことがあった。「おまえが生まれるまでに、どれだけ多くの人の世話になり、見守られてきたか。日米のお医者さん、看護師さん、ドナーの方、鷲見さんなどなど。だから、いつも周囲に感謝して生きなさい。いずれ社会に出たら、今度は、おまえも人のためになる仕事をしてほしいと、母さんは願っています」母親の言葉を聞いたレノ君の返事は、「感動的な言葉を期待されてるでしょうが、特にありません。ごく普通の、イマドキの20歳の男のコなんです(笑)。ただ最近、初めて自分から言い出して、近所のコンビニでアルバイトを始めたんです。日本語を上手になるためと、日常の生活マナーを身につけたいと言ってましたから、本人なりに将来について考えているのだと思います」【後編】「60歳の患者に不妊治療したらバカにされる」と医師に言われ…日本最高齢出産女性が明かす秘話へ続く
2023年01月15日第1子である長女を妊娠・出産したのは、私が20歳のときでした。周りの友人たちは、まだ独身ばかり。保育園のママたちは“怖い”というイメージがあり、仲良くなれず……。当時、私にはママ友と呼べる存在がいませんでした。相談できる友人、同僚がいなかった私が20歳で第1子の妊娠・出産をした当時、周りの友人たちは、子どもはおろか結婚もしていませんでした。また、当時働いていた職場にも結婚している人や、子どもがいる人がいなかったのです。 私には実母がおらず、義理の母も遠方に住んでいるため、身近に妊娠や育児の相談をできる相手がいませんでした。育児でわからないことを聞くのは、もっぱら医師や保健師さん。もっと気軽に相談や話を聞いてくれる存在が欲しかったです。 他のママたちが怖く思えて避けるようにまだ若かった私は、他のママたちから良く思われないのではないかと思い、乳幼児健診や子どもが入園した保育園で、他のママたちとあまり接しないようにしていました。 また、“保育園のママたち=怖い”というイメージがあり、「ママ友なんて必要ない」と思っていたのです。そのため、第1子である長女が年長組(6歳)になるまで、保育園のママたちとはほとんど話したこともありませんでした。 先輩ママの助言を受け、ハッとした長女が6歳のとき、医療事務の資格を取るために職業訓練校に通ったのですが、そこで中学生の子どもを持つ女性と親しくなりました。その女性がいろいろと子どもの話をしてくれて、「子どもが小学校に入る前に、ママ友を作っておいたほうがいい」とアドバイスをくれたのです。 ママ友がいると情報共有や相談ができる他に子どもの友だち作りにも役立つと言われ、ハッとしました。自分のことばかりで、子どものことを考えていなかったと気がついたのです。 考えを改めママ友づくりに挑戦!「若いから良く思われない」と思い、他のママたちとの交流をもたないまま、6年が経過していました。今から間に合うのかと不安に思いながらも、まずは長女と仲のいい友だちのママたちに話しかけてみることに。 するとフレンドリーなママたちばかりで、年長組の1年間であっという間に仲良くなれました。家に呼んでもらったり一緒に出かけたりするようになり、私だけではなく、子どもにも友だちが増えたのです。こんなことなら、最初から変な壁を作らなければよかったと後悔しました。 今では「若いから……」と、自分で周りに壁を作っていたことを後悔しています。6年間ママ友がいませんでしたが、先輩ママの助言と長女の交友関係のおかげで、今ではたくさんのママ友がいます。育児の相談や愚痴、保育園や学校でわからないことなど、気軽に話したり聞いたりすることができます。ママ友がいなかった時期より、今のほうが子育てをより楽しめています。 監修/助産師 松田玲子 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2023年01月14日妊娠・出産・育児に関する情報を発信する「ベビーカレンダー」では、Youtube公式アカウントにて「ルーティン動画」を公開中! さまざまな家族にスポットを当てる今回は、助産師ママと生後1カ月の赤ちゃんの1日に密着しました。助産師ならではの工夫や手抜きポイントも……!? 助産師ママと2児のルーティンをぜひご覧ください! 助産師ママと赤ちゃんの様子に注目! 今回は、助産師ママのEriさんと生後1カ月のHanaちゃん(&3歳のお兄ちゃん)の1日の様子をのぞき見! ママの一日は、起床後に3歳のお兄ちゃんの登園準備から始まります。10分後にはお兄ちゃんも起床! お兄ちゃんのイヤイヤ期に入ると、朝食の準備をしようにもママから離れてくれず、思い切ってパパにお願いすることに。これが大成功! もともとパパは料理が得意ではなかったので、365日毎朝決まった同じメニューにしたところ、今やプロ級! Hanaちゃんのお世話スタート お兄ちゃんの登園後、Hanaちゃんのお世話がスタート。生後1カ月のHanaちゃんは、1日に何度もおむつ替えが必要です。 お世話ボックスには、おむつやおしり拭き、スキンケアや鼻ケアに必要なアイテムをまとめて収納しています。 電動タイプの鼻吸い器に変えてから鼻ケアが一気にラクに♪ 朝のスキンケアは、ぬるま湯で絞ったガーゼで顔を拭いて乳液でしっかり保湿します。 泣いていても音楽やスマホに頼ることも! 家事の間など手が離せないときは、Hanaちゃんが泣いていても家事などを続行することもしばしば。そんなときは音楽ストリーミングサービスの寝かしつけ再生リストをかけていると、気づいたらひとりで寝てくれていることも! 寝かしつけのときに足に何かが触れていると安心して寝てくれやすいので、脚の下にもクッションを敷くと◎! Hanaちゃんが寝ている間に食事の準備スタート! Hanaちゃんの3度目のお昼寝タイムに入ったら、ママの昼食準備。いつもHanaちゃんが寝ている間などの隙間時間に常備菜を作ったり、作り置きを冷凍したりして、それを温めて食べています。ちなみに今日のメニューはビビンバ♪ 夕飯は電気圧力鍋にセットしてポトフに。金額が高くてなかなか購入に踏み切れなかったそうですが、ママ友に勧められて一念発起! 煮込み料理が捗って今では欠かせない調理器具だそう。 夕飯準備の後は、授乳をしたり洗濯物を取り込んだりと家事を進めます。Hanaちゃんが泣いていても、スマホから泣き止ませの音楽を流してササっと家事を片付けちゃいます。 お兄ちゃんのお迎え&夕飯の仕上げ 16時半過ぎにお兄ちゃんのお迎えへ。Hanaちゃんはスリング、お兄ちゃんはベビーカーです。 お兄ちゃんが帰宅後、しっかりと抱きしめてスキンシップタイム。Hanaちゃんのおむつ替えなどをしながら、お兄ちゃんの連絡帳をチェックします。 その後は夕飯の仕上げに。食事も手を抜くところは抜いて、コンビニもよく利用しています。お兄ちゃんは一度好きになると同じものしか食べません。でも、「何かしら食べていればいいし、アイスクリームやジャンクフードなども少しはいいかな?」というスタンスで、無理強いはしないようにしているそう。 夕飯後は子どもたちと一気にお風呂へGO! ご飯の後はお風呂タイム。浴室は暖房で暖めておき、床に敷いたベビーマットの上にパジャマなどをセット。まず自分を洗って、お兄ちゃん、最後にHanaちゃんの順番です。自分が洗っているときはお風呂のドアを少し開けて声をかけながら、子どもたちは洗面所におもちゃを持ち込んで遊んでもらっているそう。 就寝スタイルはこんな感じ。まずお兄ちゃんを寝かしつけて、お兄ちゃんが寝たら、ママは方向を変えてHanaちゃんの隣で寝ます。添い乳をするので、授乳する向きによって左右は入れ替わります! 1日お疲れさまでした。おやすみなさい! 41歳で2児のママになったEriさん。助産師としての経験から、育児に迷い、時には苦しむママの姿を多く見てきたと言います。 「妊娠・出産・育児は、正直に言ってデメリットのほうが大きいと思うんです。でもそれを上回る幸せを得られると私は思っています。もしデメリットしか感じられなかったり、不安を抱えていたりする女性がいるなら、そんなことないよって背中を押してあげたいと思っています」と語ってくれました。 産後は毎日、同じことの繰り返しで、誰かと話をしたいと思っても他人と話すことがなかなかできない環境になりがち。ひとりですべてを抱え込まず、時には肩の力を抜いて、Eriさんのように「手を抜くところは抜く!」ことも大事かもしれませんね。 詳しくは動画で紹介しているので、ぜひチェックしてみてください! ベビーカレンダー公式YouTubeでは、他にもママの出産動画なども公開中。感動する出産動画をぜひご覧ください。
2023年01月13日AKB48の元メンバー板野友美さん(31)は、かねてよりお付き合いしていたプロ野球・ヤクルトスワローズの高橋奎二投手(25)と2021年1月に結婚。その後同年10月には第1子女児を出産しました。このところ家族ショットや夫婦ツーショット写真の投稿が多く、夫婦仲の良さが注目を集めているようです。先日、ハワイ旅行中に撮った海での水着ショットを公開。早速チェックしてみましょう!セクシーな横アングルショットに反響 この投稿をInstagramで見る 板野友美(@tomo.i_0703)がシェアした投稿 「12月でもお昼は海に入れるくらい水が冷たくなかったよ」と海に入り笑顔でこちらを見つめる友美さん。横からのアングルが最高で美ボディを際立たせる1枚に。投稿された写真全て可愛すぎて何往復もスライドさせた方も多かったのでは。コメント欄には「しかし…スタイルが出産前と変わらないってマジ?」「可愛いしこんなスタイルいいママ他にいる?!」「可愛すぎるし細すぎる♡現役と同じ可愛さ」と、出産後とは思えない美ボディに注目が集まっていて、「撮影者は高橋奎二?」と夫が撮影した写真なのかと気にする声も見られました。ママになっても現役時代と変わらない美しさでファンを魅了する友美さん。次はどんな姿を見せてくれるか楽しみですね!あわせて読みたい🌈「見えそうで見えてる」超ミニスカ前かがみバックショット披露の夏本あさみさんに反響
2023年01月13日バツイチの彼との入籍を控えていたバタコさん。臨月のある日、彼がまだ離婚していなかったことが発覚!しかも、前の奥さんから1,500万円もの慰謝料を請求されていたのです…!夫の多額の慰謝料や離婚問題が解決しないままではあるものの、無事出産を終えることができたバタコさん。書類手続きの困難はあったものの、なんとか出生届を出すことができほっとしたのもつかの間。今度は彼が2週間の出張に出ることになりました。彼が出張に出ている間、家の中は自分と幼いわが子だけ……。不安になったバタコさんは実家の母親を家に招きます。「心配かけたくない」母親には何も伝えていなかったバタコさんですが… カバオの出張期間中、母親に自宅へ来てもらったバタコさん。 「心配をかけたくない…」 そんな思いから、バタコさんは彼がまだほかの人と婚姻関係にあることや入籍できていない事実を母親に伝えていませんでした。 そんなとき、新生児訪問指導のため市の保健師さんが来訪します。 「ヤナセ……カバオさんとはこのあと入籍予定ですか?」書類に目を通していた保健師さんは、ふいにバタコさんが明かしていない事実を口にしてしまったのです……! 思わぬ形で入籍していないことが母親に伝わってしまったバタコさん。母親は特に何も言いませんが、一体どんな心境だったのでしょうか……? いずれにしても、事実が伝わってしまった以上、バタコさんも事情を詳しく説明しなければならなくなりました。あまり前向きな報告ではないので気は進まないと思いますが、バタコさんには母親を信頼して正直に話してみてほしいですね。 原案:バタコイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 水島みき
2023年01月12日私には現在7歳と3歳の息子がいます。4歳差ということで、下の子を出産する前は周囲から「ひとりっ子みたいな感じになるよ」と言われていました。しかし、実際に下の子を産んでみると、まったくそんなことはなかったのです。お互いを大好きでしょうがない、わが家の息子たちの兄弟愛をご紹介します。 おなかの中の弟にひたすら話しかける兄下の息子を妊娠したのは、上の息子が2歳8カ月のとき。妊娠しているときから上の息子はずっとおなかに話しかけてくれていました。時には「いないいないばあ」をしたり、歌を歌ったりしてくれることも。上の息子は、弟が生まれてくるのを本当に楽しみにしていました。 兄弟で仲良くしてほしいと私は思っていたので、上の息子には「赤ちゃんはお兄ちゃんが大好きだから、早く会いたいって言ってるよ」と毎日のように伝えていました。そして下の子を出産したのが上の子が3歳5カ月、幼稚園に入園したばかりのころです。 弟が泣いたらすぐに変顔上の息子はもともとお茶目なところがあり、変顔をしたりわざとボケたりして、人を笑わせることが大好き。そんな性格もあり、下の息子が泣いたらすぐに駆け寄って変顔をしてくれました。それで下の息子が泣き止むわけではありませんでしたが、そんな上の子の姿に私はとても温かい気持ちになったのを今でも覚えています。 また、下の息子が生後6カ月になるころには、上の息子が離乳食を食べさせたり、おむつを替えてくれたりすることも。とにかく弟のお世話が大好きな兄へと成長してくれました。 どこへ行くにも手を繋ぐ2人下の息子が1歳になって歩き始めたころ、散歩やおでかけのときには、常に上の息子と手を繋いで歩くように。下の息子はまだ言葉を話せないものの、自ら兄に手を差し伸べることが多くなりました。 それに応えてもらえないときは、兄が手を繋いでくれるまで泣き続けることも。上の息子もそんな弟を見て、「しょうがないなあ」と言いつつうれしそうに手を繋いであげていました。そんな姿を見るたびに、私は息子たちに「2人は大好き同士なんだね」と伝えるようにしてきました。 常にお互いを想うように上の息子は4歳のときから体操教室に通っているのですが、そこでは通うたびにスタンプを押してもらい、30個貯まるとちょっとしたおもちゃがもらえるという決まりがありました。スタンプを30個貯めるには約半年間かかるのですが、実際にスタンプが貯まったとき、上の息子が選んだおもちゃは下の子が喜ぶようなおもちゃだったのです。 反対に、下の息子と散歩に行くと、どんぐりや大きな落ち葉を見つけては「にーに(兄)にあげる!」とたくさん持ち帰って、幼稚園から帰宅した上の息子に、うれしそうに渡していました。 息子たちは現在小学生と幼稚園児でお互いの環境は違いますが、相変わらずお互いのことが大好きです。上の息子は、学校の図書室で幼児向けの絵本を借りてきたり、下の息子は幼稚園で兄の好きな虫を捕まえてきたり。「ひとりっ子みたいになる」と言われて私は心配していましたが、実際にはまったくそんなこともなく息子たちは兄弟愛に溢れています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/みいの著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2023年01月12日現在7歳、5歳、3歳の子どもを持つ私。2歳差で3人出産しましたが、2歳差であることは、良い面と大変な面とがありました。育児をしながら感じた、そんな2歳差きょうだいの良い面、大変な面をお話しします。2歳差で1番よかったことは…2歳差で産んで一番よかったなぁと感じたことは、「下の子が幼稚園に入りやすかったこと」です。というのは、私が住む町では最近急激に子どもが増え、希望の幼稚園に通わせることが難しくなっていました。入園のために家族総出でプレ幼稚園の申し込み日に電話したり、キャンセル待ちを続けたりすることも珍しくありません。 卒園児の弟妹でも必ずしも同じ幼稚園に入れるとは言えない状況だったので、2歳差のきょうだいで常に「在園児の弟妹」という1番の優先枠を得られることは大きなメリットでした。 2歳差ならではの悩みも…!良い面もある一方、2歳差であるがゆえに、イヤイヤ期と出産が重なってしまうのは大変でした。下の子が生まれるとき、上の子は2歳前後のイヤイヤ期真っ盛り。新生児のお世話という一番大変な時期に上の子のイヤイヤ期のピークがきたのはかなり大変でした。 ただ、大変な時期が固まっている分「今だけ乗り切るぞ」という気持ちで、イヤイヤしたら気持ちを代弁してあげるようにしたり、多少お金がかかっても家事代行や便利な家電などを購入したり、工夫して乗り切るようにしました。 出産のたびに家族みんなが成長出産のたびに疲弊し、生まれたばかりの子どもをお世話している時期は、夫と大きな喧嘩をしてしまうこともありました。しかし、問題を解決していくことで「子ども2人の生活」「子ども3人の生活」へと、私や夫を含め家族みんなが急激に成長した時期でもあったように思います。 また、新生児と2歳児がいる生活は、私ひとりではどうしてもまわらなかったので、夫や上の子、保育園などに頼ることに抵抗がなくなりました。その結果、家族の家事・育児能力がめきめきと伸び、今では子どもも立派な戦力です。 心配していた行事関係はというと2歳差きょうだいとなるときに心配していた「幼稚園(学校)の行事の重なり」については、わが家の場合は思ったより大丈夫でした。たとえば参観日では、親が参加する時間が学年ごとに重ならないようになっていて、私ひとりでもきょうだいそれぞれのクラスを見て回ることができました。 個人懇談などもきょうだい同じ日に、連続するよう日程を組んでくれていました。そのほかにも、小学校と幼稚園では運動会の時期が春・秋でずれていたりして、子どもの行事のほとんどは、たまたまなのか、配慮なのかわかりませんが、きょうだいで重なることがありませんでした。 2歳差きょうだいの育児はこれからも良い面もあれば大変な面もあると思いますが、家族で助け合っていきながら、家族みんなで成長していけたらいいなと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療的ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院で農学を学んだ経験から食についても執筆。
2023年01月12日5年間の妊活の末にやっと妊娠したミカさん。無事に元気な男の子を出産しました。息子が産まれてから、ミカさん夫婦は息子の可愛さに癒やされる幸せな日々を送ります。しかし、アポなしで訪れる義母の困った行動は、孫が産まれてからも止まりませんでした。息子がお昼寝をしたので自分も少し休もうと思っていたミカさん。しかし、そんな矢先に義母が訪れます。相変わらず、突然訪問してきたかと思うと、育児について好きなだけしゃべって、居座り続ける義母。なかなか帰ってくれる様子はありません……。ミカさんが「休みたい」と告げても、遠慮なしに居座り続け、好きなだけ孫にかまう義母。結局ミカさんは休むことも、買い物に行くことさえもできませんでした……。家事も手伝ってもらえず、今では完全にお客様…… 出産後も相変わらずアポなしでやってくる義母に困っていたミカさん。義母はやってくると、育児についての持論を話したり、夫が赤ちゃんだったころの話を延々としたり、好き放題……。 疲れているミカさんを気遣ってくれるような態度は少しも見られませんでした。 好きなだけ喋ったかと思えば、「そろそろお父さん帰ってくるから夕飯の支度しなきゃ」とさっさと帰っていく義母。ミカさんにも家事や夕飯の準備があるとは思わないのでしょうか…。長く居座るのであれば、少しはミカさんの家事のフォローもしてほしいですね。 ミカさんが夕飯の準備を進めているとことに夫が帰宅し「誰か来てたの?」と、ミカさんに聞きます。そこでミカさんは義母が来ていたことを伝えるのでした。 「前は家事を手伝ってくれていたけど、今は完全にお客様」と、家に来た義母の態度に困っていることを夫に伝えます。 夫はすぐに義母に電話をかけて、頻繁に押しかけないでほしいと伝えます。これに対し義母は「孫に会うのはばぁばの義務じゃない!」と逆上しますが、夫もうまく収めてくれたよう。 「わかったくれた」という夫の言葉にホッとするミカさん。これで少しは義母の訪問の頻度も少なくなるでしょうか……。 それにしても、今回の夫の行動力とスピードには驚かされますね。少し前までは義母の方を持つような発言しかしていなかったかと思うと、本当に頼りになる存在になったように感じます。 これからも、ミカさんの一番の理解者としてしっかり守ってあげてほしいですね。作画:Nhitomi 著者:ライター ミカ初めての妊娠でのつわりや体調不良などで、思うように体を動かせないことに悩んでいたミカさん。そんなミカさんを見かねて、夫は義母に手伝いに来てもらうことを提案します。初めは理解のある義母の態度に安心していましたが、だんだんとミカさんの思わぬ方向に…。
2023年01月11日バツイチの彼との入籍を控えていたバタコさん。臨月のある日、彼がまだ離婚していなかったことが発覚!しかも、前の奥さんから1,500万円もの慰謝料を請求されていたのです……!夫の多額の慰謝料や離婚問題が解決しないままではあるものの、無事出産を終えることができたバタコさん。家族そろって出生届を提出しに市役所へ向かいます。しかし、出生届がスムーズに受理されず、婚姻関係がない現実を思い知らされます。目の当たりにした現実があまりにもショックで頭を抱え込んでしまうバタコさん。公共の場で大声をあげてしまうほどパニックに陥ってしまいます……。「カバオがちゃんとしていればこんなことにならなかった!」彼女の思い 出生届の不備を直しながら、現実に耐え切れずうずくまってしまったバタコさん。 「カバオがちゃんとしていればこんなことにならなかったのに!」ずっと我慢していた思いが一気にあふれ出してしまいます。 入籍問題、多額の慰謝料請求、出産……。さまざまなことが立て続けに起きたバタコさんの感情は、うまくコントロールできない状態にまでなっていたようです。 それでもどうにか出生届を提出したバタコさんは、ようやく3人での幸せな生活をスタートさせます。しかし、頭の片隅にはいつもカバオの前妻であるパンナさんの存在がちらつくように……。 こんな複雑な状況で、気持ちの整理がつけられないのも無理はありませんね。幸せいっぱいなはずの新婚生活。なんとか離婚問題にけりをつけて、バタコさんが心から笑える日が来てほしいと願わずにはいられません。 原案:バタコイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 水島みき
2023年01月11日5年間の妊活の末にやっと妊娠したミカさん。ほとんど毎日訪れる義母に悩まされた妊婦生活でしたが、無事に元気な男の子を出産しました。無事出産を終え、息子とともに自宅に帰ってきたミカさん。息子が産まれてからというもの、ミカさん夫婦は息子の可愛さに癒やされる日々を送っていました。そして息子が産まれたことをきっかけに、夫は育児や家事を積極的に手伝うようになります。息子が産まれてから、仕事から早く帰ってくるようになった夫。ミカさんは今までとは見違えるほどの夫の変化に、夫への不満もいつしか感じなくなっていました。息子が産まれて変わった夫。変わらないのは…… 夫は息子が産まれてから、仕事が終わったら飲みに行かず、早く帰ってくるようになりました。 さらに、夫は早く帰ってくるだけではなく、日々の育児や家事にも協力的になりました。進んで赤ちゃんの着替えをしたり、風呂掃除や買い出しをしたり、ミカさんを気遣って行動することが増えたのです。 そんな夫の姿にミカさんの頭からは出産前によぎっていた「離婚」という文字はキレイさっぱりなくなっていました。 しかし、息子が産まれてからも変わらないのが義母の訪問でした。 事前に連絡もなくやってくる義母に出産前から悩まされていたミカさん。この日も赤ちゃんがお昼寝しているときにやってきて大きな声で話し続けます。 日々の育児疲れで寝れていないミカさんは、思い切って義母に「私も休みたいんです」と伝えます。しかし義母は「ごめんなさいね」と謝っただけで、そのまま居座りしゃべり続けるのでした。 時代は違えど、きっと義母も産後はしんどい時期を過ごしてきたのではないかと思います。同じ母親だからこそ理解してあげられる気持ちもきっとあるのではないでしょうか。 その経験があるのならば、少しはミカさんの体を労わることも考えてほしいですね。作画:Nhitomi 著者:ライター ミカ初めての妊娠でのつわりや体調不良などで、思うように体を動かせないことに悩んでいたミカさん。そんなミカさんを見かねて、夫は義母に手伝いに来てもらうことを提案します。初めは理解のある義母の態度に安心していましたが、だんだんとミカさんの思わぬ方向に…。
2023年01月10日バツイチの彼との入籍を控えていたバタコさん。臨月のある日、彼がまだ離婚していなかったことが発覚!しかも、前の奥さんから1,500万円もの慰謝料を請求されていたのです...!離婚問題が解決しないまま、ついに出産を迎えたバタコさん。ひとときの幸せをかみしめながら、夫となるカバオと市役所へ出生届を提出しに向かいました。出産を終えて無事に退院したバタコさん。夫と生まれたばかりの赤ちゃん、3人で出生届を出しますが、窓口の女性からは驚きに発言が……!? 「え!? どうして……! 」2人に新たに立ちはだかる障害 無事に出産を終えて、出生届を提出するために家族3人で市役所へ訪れたバタコさん一家。離婚問題が解決していない中、ひとときの幸せに包まれていたバタコさんたちですが、早速問題が起きてしまいました。 「この出生届、このまま受理することはできません」 窓口の女性の言葉によって、幸せな気持ちから一気に現実へと引き戻されるバタコさん。現時点で婚姻関係にないバタコさんと夫の赤ちゃんは「摘出でない子」という扱いになるとの説明を受けます。 赤ちゃんの戸籍上の父親欄は空欄になり、父子関係がないことを示すことに……。バタコさんは書類を書き直しながら、改めて婚姻関係にないまま出産した事実に苦しめられてしまいます……。 バタコさんは「不倫して出産したバカな女」そんなまわりからの声が聞こえてくるようで、頭を抱えてしまいます。心配する夫にも「カバオのせいだよ……」と苦しさのあまり、思わず本音がこぼれ落ちるバタコさん。 まだ2人に婚姻関係がない以上、書類上ではどうしても家族ではないという事実を正しく記載しなければなりません。頭ではわかってはいても、現実に直面するまでは事の大きさも理解しきれていなかったバタコさん。 バタコさんもこのときになって、初めて自分が置かれている状況がどんなものか現実味を帯びたよう。あまりにも悲しい現実ですね……。しかし、これだけはどうすることもできない事実です。 この苦しい現実を乗り越えて、ひとつずつ2人に立ちはだかる問題を解決していってほしいですね。 原案:バタコイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 水島みき
2023年01月10日初めての出産後、なんとなく子どものためにもママ友を作らなければと思っていた私。しかし内気な性格な私はなかなかママ友ができず、息子を連れいろいろな場所でママ友を探す日々を送っていました。そしてやっとママ友が1人できたのですが……。ママ友を作らなくては!私は人見知りな性格なこともあり、もともと友だちの数も多くありません。しかし、第1子となる息子を出産後、立ちはだかったのが“ママ友”という存在。実際ママ友がなんなのかをよくわかっていなかった私は、周りの友だちの話やネットなどの情報から、子どものためにも「ママ友はいないより、きっといたほうがいいんだろうなぁ」と漠然と思うものの、なかなか行動に移せず……。 そして息子が2歳を過ぎ、来年幼稚園に入園ということもあって勇気を出してママ友を作る決意をしたのです。 さまざまな場所へ行ってみることにまずは近所の児童館のイベントに行ってみたのですが、その場で軽く話をすることがあっても、特に連絡先の交換をすることもなくそのまま帰宅……。ここでめげてはダメだと思い、次は近所の公園をいくつか巡ることに。 するとある日、同い年の女の子を持つママさんに出会い、息子もその子と仲良く遊んでいたので、帰り際に思い切って連絡先を交換してもらえないか尋ねると、快くOKしてもらえました。私は初めてのママ友ができてとてもうれしかったのを覚えています。 何度か遊んだけれど…その後もその女の子とはたまに公園で遊んだりしたのですが、その子と息子の希望する幼稚園が違う場所だということが判明。そして入園後はお互い何かと忙しく、結局ほとんど連絡を取り合うこともなくなってしまいました。「ママ友ってこんなものなのかなぁ……」と落ち込んでいた私。 しかし入園してから数カ月経ったころ、息子は同じクラスで仲の良いお友だちができ、幼稚園の帰りに親子で公園で遊ぶ機会が増えていったのです。そこでママ同士で話すことも多くなり、うれしいことに自然と私にもママ友が増えていきました。 現在、息子は5歳。仲良くしているママ友は、同い年の子どもが同じ幼稚園に在籍していることもあって、園内の情報交換や相談もできる、私にとっても息子にとってもありがたい存在になりました。今考えると、入園前のあのころに無理してママ友を作ろうとしなくてもよかったのかな、と思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2023年01月10日バツイチの彼との入籍を控えていたバタコさん。臨月のある日、彼がまだ離婚していなかったことが発覚! しかも、前の奥さんから1,500万円もの慰謝料を請求されていたのです……!離婚問題が解決しないまま、ついに出産を迎えたバタコさん。小さなわが子を胸に抱き、つかの間の幸福感に浸っていました。そんな彼女を待っていたのは……?夫の離婚問題に頭を抱えながらも、無事に出産を終えたバタコさん。「これから3人で頑張っていこう」と決心しますが……。「お産より俺の骨折のほうが痛いと思う! 」呑気すぎる夫の存在 「いろいろ大変だけど、これから3人で頑張って乗り越えていこう」 そう胸に誓ったバタコさん。 そんなバタコさんをよそに、相変わらず呑気すぎる様子の夫。出産を終えたばかりのバタコさんに対し「お産のとき笑いこらえるの必死だった」「オレだって仕事大変」「お産よりオレの骨折のほうが絶対痛いと思う」などと思いやりのない発言を連発……。 つらい思いをしてわが子を産んでくれた妻に対する発言とは思えませんね。呑気な性格とはいえ、一体どこまで他人事な夫なのでしょうか…? しかし、いろいろと苦しい状況の中、バタコさんはそんな彼の姿に救われることもあったようです。 また、バタコさんは嫌なことがあっても「いいネタがあった!」として捉え、不幸のドツボにはまらないようにしていたのだそう。確かに、この先に待っている離婚問題を解決して彼と幸せに暮らしていくためには、少し呑気なくらいの心構えでいたほうがいいかもしれませんね。 そして、バタコさんが退院したのち、出生届を出すため家族3人で市役所へ。ようやく家族としての待ちに待った瞬間を迎えることができたバタコさん夫婦。 ここまでにいろいろあっただけに感慨もひとしおでしょうね。3人そろってのこの瞬間をしっかりと噛みしめてほしいです。 原案:バタコイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 水島みき
2023年01月09日私は、結婚してから5年以上たっても自然妊娠に恵まれませんでした。そのため、30代になったことをきっかけに不妊治療をスタート。36歳のとき、体外受精でめでたく第1子を授かったのです。元々2人以上子どもが欲しいと思っていたので、第2子も検討したいところでしたが産後の夫婦生活は皆無。仕事と育児の両立の中、夜の生活まで考えられない私はある決断をしました。★関連記事:「拒否し続けると夫の機嫌が悪くなる…」夫婦生活はどこで?どうする?【体験談】子育ても夫婦仲も順調だけど…私は結婚してからもなかなか自然妊娠に恵まれることがありませんでした。気付けば結婚から早くも5年の月日が……。30代にも差し掛かりそろそろ焦りも出てきたころ、思い切って体外授精に挑むことにしました。かなりの覚悟を決めて挑んだ体外受精でしたが、結果、見事の第1子を妊娠。その後も妊娠生活は順調に進み、無事出産を迎えることができました。しかし、初めての育児は思っていた以上に慣れないことが多く、赤ちゃんのお世話だけで疲れ果てる日々。夫は子どもと遊ぶことだけは率先してやってくれたので、少し偏りはありましたが、育児の分担はスムーズにできていました。「出産後は意見の食い違いで夫婦仲が悪くなる」 という話を聞いていましたが、うちには当てはまらなかったようでした。そんな夫と私の関係ですが、一つだけ変化がありました。それは産後にセックスレスになったことです。私は慣れない育児に加え、寝不足の毎日。心身ともに疲労困憊(ひろうこんぱい)状態で、とても夫婦生活をする気分にはなれませんでした。そんな私の姿を見てなのか、夫から誘われることもなく……。その後もお互いにそんな雰囲気になることはなく、育児に励む日々が続きました。第2子は欲しいけど夫婦生活はない第1子の出産から1年弱。子どもが成長し子育てにも少し慣れてきたことで、私も心身ともに少しずつ余裕が出てきました。そこで考え始めたのが、第2子のことでした。このときすでに37歳だった私は「第2子を望むなら早めに動きださなきゃ!」と思いました。しかし、夫婦生活に変化はなくセックスレスの状態も続いたまま。レスの状態が長かったこともあり「できればこのまましなくてもいいかな……」と思うほどでした。また、夫からのアクションも特になかったので「もしかしたら夫も同じ気持ちなのかも?」とも考えていました。ただ、妊娠自体は望んでいたので、そのジレンマに悩まされるようになりました。夫にも相談しようと思ったのですが、改めて夫婦生活について話すのもどこか照れくさくてできず……。また、夫にすぐ相談しなかったのにはもう一つ理由がありました。それは、1人目の不妊治療の際に採取した受精卵が残っていたこと。第2子も体外受精で授かるという選択肢があったのです。もちろん、絶対に妊娠できるという確証がないことは理解しています。ですが、1人目を体外受精で妊娠したので、正直安心感や期待値が高くなっていたのも事実です。そして何よりも「子どもは欲しいけど、無理に夫婦生活はしなくない」という私たち夫婦の気持ちに適した方法だと思ったのです。体外受精のみでの妊活を決意!それからもしばらく悩みましたが、私の中では体外受精で妊活をしようという気持ちが固まりつつありました。年齢的にも、今から自然妊娠に臨む期間を設けるより、妊娠できる可能性が高い体外受精に望みを賭けたいと思ったのです。さらに、ちょうど不妊治療が保険適用になったことも体外受精での妊活を後押しする要因になりました。金銭的負担も以前ほどではないことが予想されたたことも決断に至った大きなポイントです。そして意を決し、夫に相談。「そう考えたのなら、俺もそのほうがいいと思う」と、あっさり了承を得ることができました。セックスレスという状況は「夫婦にとって好ましくないのでは……」と悩む時期もありましたが、夫の反応を見てホッとしたことを今でも覚えています。実際、わが家はレスということ以外は、何も問題がありません。むしろ、したくないことを強要するほうが夫婦仲に亀裂が生じてしまうのではないか、とも思います。第1子のときは「自然妊娠できなかった……」とどこか自分を責めてしまうところもありましたが、今は「体外受精をしていてよかったな」と思えるようになりました。第1子のときの採卵でたくさん卵子が取れたため、受精卵は残り5つあります。この受精卵を使いきるまでに妊娠しなければ、第2子は諦めようかとも思っています。どのような結果になるかわかりませんが、これから私たち夫婦ならではの方法で第2子の妊活を頑張っていきたいです。まとめ第1子を妊活していたときには思いませんでしたが、夫はそもそも夫婦生活に積極的なタイプではなかったのかもしれません。一般的には「レス=夫婦仲が悪い」というイメージが強いと思いますが、今回自分が当事者になってみて、必ずしも夫婦仲とレスは結びつくものではないんだなと実感しました。妊娠するためにはセックスをしなければならないことに間違いはありません。しかし、行為自体を苦痛に感じている人もいるのではないかと思います。私たちのように、初めから体外受精をするという決断は、夫婦仲を保つ方法の一つでもあるんだなと実感した出来事になりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ささきなみ(37歳)体力の衰えを感じ、年齢に抗うなにかを始めようと摸索中のアラフォーです。趣味はキャンプ。自然の中で飲むお酒を楽しみに日々を頑張っています。健康や夫婦生活についてなど、アラフォー世代の気になる体験談を執筆中です。
2023年01月08日バツイチの彼との入籍を控えていたバタコさん。臨月のある日、彼がまだ離婚していなかったことが発覚! しかも、前の奥さんから1,500万円もの慰謝料を請求されていたのです……!前の奥さん(パンナさん)に直接電話して話し合いでの解決を試みましたが、彼女はすでに弁護士にも依頼済みで余裕な様子。心が折れかける夫を説得し、ほかの弁護士に依頼するようバタコさんもサポートします。そんな中、刻一刻とバタコさんの出産予定日が近づき……。できる手は尽くしたものの、入籍もできず、未解決の慰謝料問題を抱えながら、バタコさんはついに出産の日を迎えます…。「この時だけは、全部忘れて…」頭を抱える日々の中、迎えた出産 離婚や慰謝料の問題は弁護士に依頼すると決め、日々揺れ動く感情と闘いながら初めての出産に挑んだバタコさん。 そして、ついに無事夫との赤ちゃんを出産しました…! 「はじめまして、ミニバタちゃん」 やっとのことで対面できたうれしさから、涙を浮かべてわが子を抱きしめるバタコさん。籍に入っていない不安や元奥さんであるパンナさんとの問題もありますが、このときだけは幸福感でいっぱいに。 「大変だけど、これから3人で頑張って乗り越えていこう」 バタコさんは、そう心に誓ったのでした…。 つかの間の幸せをかみしめるバタコさん。しかし、残念ながら現実はそう甘くはありません。 まだまだ解決の糸口が見えない慰謝料問題に、離婚問題……。2人の前には大きな問題が山積みのままです。 出産という大きな節目を乗り越えて、今後2人は目の前の問題にどのように立ち向かっていくのでしょうか。守る存在ができた今、バタコさんはもちろん夫にも心を強く持ち、問題解決に取り組んでほしいですね。 原案:バタコイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 水島みき
2023年01月08日出産は人生の中でもとくに大きなライフイベントですよね。その出産に立ち会った夫が、予想外の言葉を返したら……?今回は、編集部に寄せられた“本当にあった体験談”をご紹介します。初産でプチパニック中に……不安でいっぱいの中、立ち会ったご主人の顔を見た瞬間に平常心を取り戻せた奥さま。そして無事に出産を終え……?奥さまを本気で労うご主人!この言動に読者からは……?『普段泣かない旦那さんがこういうときに気持ちを言ってくれるのは嬉しいだろうな~』(イラストレーター)『「神秘的」って言ってくれるのありがたい……。だってほんと必死だから!』(会社員)『こんなに認めてくれる旦那さんいいなぁ。この人だから顔見た瞬間安心したんだろうね。うちは仕事で途中退席したよ……!』(会社員)とさまざまな声をいただきました。ご主人の言葉からは誠実さが伝わりますよね。編集部コメントこのエピソードを読んだ、編集部員の感想は……?編集部員I:こんな素敵な旦那さんホントにいるの……?Yさんはどうでした?編集部員Y:出産が大変すぎてこんな会話した覚えないし、旦那さんがどうだったかなんて見る余裕もなかった(笑)編集部員I:そうですよね!?これは奥さんも人間が出来ている!すごい!素敵な奥さまとご主人お互いの気持ちを言葉にして伝えあえる、そんな素敵なご夫婦でしたね!このエピソード、皆様はどう感じましたか?イラスト:たぬ川にくQ様(MOREDOOR編集部)
2023年01月07日臨月に行ったノンストレステストでひっかかった娘には重度の知的障害や身体障害があります。言葉はほとんど話すことはできません。発達の遅れは感じていたものの、2歳直前で障害があると診断されるまでは、そんなに重い障害があるとは思ってもいませんでした。妊娠中は、後期になるまではとても順調でした。ですが、臨月になり、ノンストレステストを行ったところ、いつまでたっても胎児が起きないのです。通常は、おなかの中の赤ちゃんは20分おきくらいで起きたり寝たりしているそうなのですが、ずっと寝ている状態とのこと。ほかの妊婦さんが30分ほどでテストを終えていくのに、私だけ3時間たっても終わりませんでした。産院の先生はなんども超音波で胎児の様子を見ては「脳もあるし、身体に異常は見当たらない。なんでだろう」と頭をひねらせていました。大学病院に紹介状を書くか迷っていた様子でしたが、予定より2週間ほど早く陣痛が来て、紹介する間もなくかかりつけの産院で出産することになりました。出生後すぐチアノーゼに出産時も、上の子の時とは違いました。生まれてすぐ一声泣いたものの、そのあとはぐったり…胸に抱かせてもらった娘の顔色がだんだん悪くなるのを見て、私は「先生、この子おかしいです!」と叫びました。スタッフが慌てて血中酸素濃度をチェックすると、とても低い数値。あわてて酸素ボックスの中に入れられました。ですが翌日になると落ち着いたので、予定通り3日ほどで退院となりました。Upload By ユーザー体験談泣かない、手がかからない、乳児時代その後は特に問題はないように見えた娘ですが、上の子と比較して違ったのは「泣かない」ということでした。上の子がとにかく泣いてずっと抱っこをしていて大変だったのに、娘は寝かせておいたらずっと寝ているし、泣いてアピールすることもほとんどありませんでした。出産祝いに来てくれたママ友に、「こんなに手がかからないなんて、なんか変じゃない?」と言って「楽なのに心配するなんて、心配しすぎだよ」と言われたのを覚えています。今思えば、自己主張するほど脳も発達してなければ、泣くために必要な身体の力も未熟だったのだろうと思います。Upload By ユーザー体験談4ヶ月を過ぎたころから発達の遅れが目立ち始めた首すわりまでは順調だったのですが、そこから先はつまづきました。寝返りしない、ハイハイしない、座れない、伝い歩きしない…7ヶ月健診で要観察、9ヶ月健診のときにもお座りが安定しない娘をみて、産院の先生に子ども病院を紹介されました。上の子のときを思い返せば、9ヶ月ではしっかり座り、座ったまま体をひねったり、両手でおもちゃで遊んだりしていたし、ずりばいやつかまり立ちもしていました。人見知りも始まっていました。娘は人見知りをすることもありませんでした。原因不明の発達遅延といわれて子ども病院にはかかったものの、原因不明の発達遅延と言われただけ。発達センターを紹介され、1歳になるころから、PT(理学療法)を受けることになりました。センターの先生は、おそらく一目見て娘の障害に気づいていたのでしょう。その後、同じ自治体に娘と同じ障害がある子が複数いると分かりましたし、そうした子どもたちはみんな、就学前はこのセンターに通っていたからです。ですが、立場もあるからでしょう、障害名について口にすることはなく、「ウォーカーをつくって歩行練習をしたほうがいいと思います。障害者手帳をつくれば、公費でつくれるので手帳をつくりませんか?」と提案されました。おそらく、歩行に困難がある障害だから、はやめにウォーカーをつくってリハビリを始めたほうがいいと考えてくださったのだろうと思います。1歳半健診で感じた周りの子どもとの違い1歳半健診にもいったものの、ハイハイもせず、模倣もせず、もちろん積み木もつめず。「おかあさんが髪をとかしていたら、それをまねしますか?」といわれ、1歳半の子どもってそんなことできるんだっけ、と思ったのを覚えています。そうした模倣をするようになったのは、娘の場合は小学校に入ってからでした。健診で、すでに発達センターに通っていることを伝えると、それならと特に要観察の指示もありませんでした。てんかん発作が診断のきっかけに結局、障害が分かったのは、1歳半を過ぎたころにてんかん発作を起こしたことがきっかけでした。地域の中堅病院にしばらく入院し、その後主治医になったのが、ある大学病院から月に何回か来ている脳神経の専門の先生で、その先生は脳波をみて娘の障害に気づき、大学病院への転院手続きをしてくださったのです。大学病院での遺伝子検査の結果、先天性の希少疾患があることが分かりました。Upload By ユーザー体験談3歳児健診はパス、大学病院での配慮がうれしくて3歳児健診には、娘を連れては行きませんでした。障害も分かっていたし、すでに毎月大学病院で見ていただいていたからです。役所に電話したら、「大学病院で毎月見ていただいているなら大丈夫ですよ」と言われました。定期通院のときに、看護師さんに「3歳児健診は行くのやめたんです」と伝えると、いつも計測している身長体重に加えて、詳しく計測をしてくれ、母子手帳に記載してくれたのがとてもうれしかったです。Upload By ユーザー体験談障害告知はつらかったけれど生後1ヶ月くらいから感じていた「何か気になる」というカンは、結局当たっていました。わが家の場合、てんかん発作で入院した病院に、娘の障害に詳しい先生がきていたことから、早めに障害を見つけてもらうことができました。障害が分かったときはその重度さに落ち込みもしましたが、今は早く見つけてくださった先生に感謝しています。あれから10年以上経ちましたが、私たち家族は娘を中心に幸せに暮らしています。イラスト/にれエピソード参考/あき(監修:鈴木先生より)1歳までは運動面での発達が主なので、遅れのあるお子さんはとりあえず「運動発達遅滞」という病名で定期的にフォローしながら病因検索をしていきます。この時点で一般の小児科医から神経専門の小児科医のいる病院へ紹介されるのが普通です。娘さんは運動発達を遅らせることで親にイエローカードを出していたのです。それをいち早く察知するために乳幼児健診(基本コラム「0歳児健診」参照)があります。早めに診断するメリットとしてさまざまな合併症に対する検査・診断・治療が早くできることが挙げられます。1%程度の病気の面は主治医が診るので家族のみなさんは残り99%の健康的な娘さんのできるところを見て伸ばしてあげてください。
2023年01月07日結婚してすぐに知らない土地へと引っ越した私。出産を機に、向かいに住むママ友と仲良くなりました。フランクで地域のことなどわからないことは丁寧に教えてくれるママ友。はじめはすごく親切でいいママだと思っていましたが……。 とても親切で話しやすいご近所ママ私は結婚してすぐに夫の住む家に引っ越しました。私にとっては知らない土地での新生活。故郷と離れていたので、友だちもいない日々を過ごしていましたが、私の出産を機に向かいの家のママが話しかけてくれるようになりました。 お互い子どもの年齢も近いので、すぐに仲良くなりました。そのママは地域のことや子育てについてよく知っていて、いつの間にか私もそのママを信用していました。 少しずつ見えてきたママ友の本性ママ友と仲良くなるにつれ、数年前から住んでいる夫は私に「気をつけたほうが良いよ。あまり深く関わらないほうが良い。良いところもあるけど家庭のことなど詳しく話さないように」と言われました。はじめはどういうことだろうと思っていましたが、少しずつ夫の言うことがわかるようになってきました。 ママ友は私にご近所の夫婦問題やお年寄りのご家庭のことなど、いろいろと話すようになってきたのです。段々と情報は内容が濃くなってきて、私の夫が過去に付き合っていた人の話なども教えてくれました。 夫のことについても……ある日、ママ友から「ご近所の自治会の人たちが私の夫のことを良いように思っていないみたい」と言われました。ちょうど夫は前年度の自治会の役員をしていましたが、仕事が多忙でなかなか会合などに出席できなかったようです。 毎回出席は難しいと事前に話したようですが、役員をする方がおらず、それでも良いからと言われて引き受けたそうです。その話を聞いたとき、ママ友はなんて言ったんだろうと気になってはいましたが、他の方から一緒になって私の夫のことを悪く言っていたというのを聞きました。 現在、そのママ友との関係は……その後もママ友は変わらずお茶やランチに誘ってくれました。ですが、私は段々とママ友に会いたい気持ちが減り、少しずつ誘われても理由をつけて断り、距離を置いていきました。 するとママ友からの誘いは減り、現在では顔を合わせばあいさつをする程度となりました。他のママからの情報では、今は別のママと仲良くしていてご近所のことなどの噂話をしていると聞いています。 いろいろと何でも話をしてくれる人は、私の話も他のママたちに喋っていたのだろうと思います。それと同時に、信用して何でも人に話すのはダメだ……と反省しました。でも、今となっては私自身もそのママ友だけではなく他のご近所の方ともコミュニケーションをとって、いろいろ情報や交流を深めるべきだと学ぶことができた良い経験だったと思っています。 イラストレーター/山口がたこ監修/助産師 松田玲子著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。
2023年01月07日1男を育てるペンコさん。2人目のお子さんを望んでいたところ、ある日、妊娠検査薬で陽性反応が! 夫婦で大喜びし、後日産婦人科を受診すると、異所性妊娠(子宮外妊娠)の疑いがあることを告げられたのです。「一個人の経験談ではありますが、日常的には話しづらい内容だからこそ、マンガにして発信する意味があるのかもしれないと思っています」というペンコさんの体験マンガ。ぜひご覧ください。※マスクをしている場面でもマスクは省略しています。※手術、流産を含むお話です。つらい気持ちになられる方は閲覧にご注意ください。 妊娠検査薬で陽性反応が出たペンコさん。赤ちゃんが確認できるであろう妊娠6週目あたりに産婦人科を受診しましたが、子宮内を映すモニターには何も映らず、その後の受診で「異所性妊娠」の可能性が高いことを告げられました。すぐに大病院へ搬送⇒手術となったのですが、術後の検査で「子宮外妊娠ではなく、卵巣にあったのは腫瘍だった」と判明。その後、「胞状奇胎」という病気であることが確定し、hCGの値を定期的に確認していく日々がスタート。ようやくホルモン値が安定し、妊活も再開。5年間は経過観察が必要で、半年に1回は検査のため通院することになりました。 半年に1回、経過観察のために検査を受けながら妊活に励んでいるペンコさん。インスタグラムのフォロワーさんにアンケートをとったところ、彼女がかかってしまった「胞状奇胎」という病気は、まだまだ認知度が低いことがわかったそう。 あまり知られていない「胞状奇胎」という病気の実態を伝えたくて、ペンコさんは自身の体験をマンガにしました。ペンコさんのメッセージにもありますが、妊娠・出産は本当に奇跡の連続ですよね。 「動いているかな?」「元気かな?」とおなかの赤ちゃんの心配をしながら、自分の体調も管理して過ごす妊娠期間。無事に赤ちゃんと対面するその瞬間まで不安が尽きることはありません。ペンコさん自身も病気になって、改めてこの奇跡を実感するのでした。大変なことも多い妊活ですが、頑張ってほしいですね! ※この漫画は実話に基づいた体験談であり、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 ペンコさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター ペンコアラサーで1児の母。育児絵日記やイラストエッセイを描いています!よく食べよく寝る人。テキトー人間だけど変なところを気にします。
2023年01月07日根拠のない情報に騙された経験はありますか?そこで今回は妻を疑い暴走した夫の話「妻の浮気を誤解した夫の末路」を紹介します。「妻の浮気を誤解した夫の末路」主人公のソラは、夫・エンジとの間に第一子の娘を授かり無事出産…ある日、大学時代の友人たちが出産祝いに家を訪れました。すると、友人のヒサメが突然「この子、ソラの元カレに似てない?」と不用意な発言…。もちろん浮気などしてないソラは即否定し、ヒサメの無神経さに困惑…その後友人たちは帰宅したのですが…?エンジの反応は…?出典:Youtubeエンジはヒサメの言葉を鵜呑みにしソラを責める姿勢…。ソラは強く否定しますが…その日からエンジの態度はひどくなり、子どもにもそっけなくなってしまいます。そしてある日、エンジは暴走しソラに怒鳴り散らし「離婚」を言い渡すのですが…?実はすべてエンジに惚れたヒサメの作戦…「ソラが浮気している」と嘘の情報でエンジを誘い、自分のものにしようとしていたのです。その作戦に騙されたどころか、自分がヒサメと「浮気」したエンジ…もちろんソラが許すはずがありません。ソラに見捨てられ、子どもにも会えなくなり、義両親にも勘当され…エンジはヒサメと共に「自業自得な末路」を迎えるのでした…。勘違いで暴走するエンジに唖然…ヒサメの言葉を鵜呑みにし真っ先に妻を疑うエンジには呆れてしまいます…。自分の身近な人をまずは信じて、その上で疑問や問題を解決する…という手段がいい方法かもしれませんね。読者の感想この旦那さん頭悪いですね。友達が自分の子どもが奥さんの元カレに似てるかもなんて言っても、普通そのまま鵜呑みにしませんよ。そのうえその女性と浮気をするなんて…こんなガキっぽい人とはいずれ別れることになっていたと思うので良かったと思いました。(35歳/主婦)自分の奥さんではなく、奥さんの友人を信じてしまうなんて、とても残念な旦那さんだと思いました。旦那さんはもちろんですが、その友人にも何かしらもっと制裁があっても良いのになと思いました。(38歳/在宅ワーカー)(lamire編集部)(イラスト/モナ・リザの戯言)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2023年01月06日この記事では、2022年12月に妊娠を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。玉巻映美さん、田中理恵さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。 アナウンサー、タレントなど、3名の妊娠のニュースをお届けします。 妊娠発表玉巻映美(30歳)アナウンサー 妊娠発表:2022年12月10日(1人目) 出産予定:春ごろ ブログ・SNS:Instagram(@eimi_tamamaki)田中理恵(35歳)元体操選手・タレント 妊娠発表:2022年12月11日(2人目) 出産予定:春ごろ西川瑞希(30歳)モデル 妊娠発表:2022年12月12日(1人目) ブログ・SNS:Twitter(@mizukitty921116)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2023年01月06日2023年1月5日、アイドルグループ『AKB48』の元メンバーで、現在は俳優として活動している大島優子さんが、第1子を出産したと、ウェブサイトで明かしました。大島さんの夫は、同じく俳優である林遣都(はやし・けんと)さん。2人はウェブサイトを通じ、連名入りの文章で、我が子が誕生したことへの喜びをつづっています。この度、私達の元に第一子が誕生致しました。こうして皆様にご報告することができ、大変嬉しく思います。母子共に健康で、家族揃って新年を迎えることができました。関係者の方々、親身にお世話してくださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。これからより一層日々を大切に、引き続き精進してまいります。一日も早く平和が訪れ、世界中の人々、幼い命が健やかな未来を歩んでいけることを心から願っています。林遣都オフィシャルサイトーより引用2021年7月に結婚し、2022年8月に妊娠が明らかになった大島さん。大島さんと林さんを長年応援してきたファンから、祝福のコメントが相次いでいます。・美男美女夫婦から、ついに子供が誕生か!これから将来が楽しみですね。・大島さんは母親に、林さんは父親に。感慨深い気持ちになる…!・初めての子育てでいろいろと大変なこともあるかと思いますが、引き続き応援しています!大島さん、林さん、おめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2023年01月06日世間では感染症が猛威を振るう中、無事に出産を迎えるため、外食や外出を控えたり、家族以外の人とはなるべく会わないようにしたりとできる限りの対策をしてきた美鈴さん。たくさんの困難を乗り越え、無事に待望の第一子が誕生した美鈴さんでしが、出産後も義母の困った行動に振り回されるのでした。美鈴さん一家に感染症を移したにもかかわらず、謝罪の言葉すら口にしない義母に愛想がつきてしまった美鈴さん夫婦。ついには義母に内緒で引っ越すことを決断します!感染症にかかってから数日後…。いつまで経っても美鈴さん夫婦から連絡がないことに腹を立てた義母は、直接家を訪問してきます。そこで義母が初めて知る衝撃の事実とは…。そして美鈴さん一家の行く先は…?ようやく取り戻した穏やかな日常…! これまでの度重なる非常識な言動に、実の息子からも絶縁されてしまった義母。少しかわいそうかなとも感じますが、美鈴さんたちが受けた仕打ちに比べればかわいいものですね。そうは言っても夫からしたら実の母親です。美鈴さんは再度夫に「本当に黙って出てきてよかったの?」と確認します。すると夫からの口からは「母さんより2人のほうが大事だから」となんとも頼もしい言葉が…!夫の言葉を聞いて、美鈴さんからも思わず笑みがこぼれます。夫の頼もしさが、美鈴さんの心をより安心させてくれたのでしょうね。 結局、義母の自分勝手な言動は終始変わることはありませんでしたが、その分美鈴さんたち夫婦が少しずつ変わっていくことができましたね。これまでの数々のトラブルを経験していく中で、きっと2人の絆もより深まったことでしょう。美鈴さん夫婦には、これからもお互いを信頼し、支えあいながらより良い家庭を築いていってほしいですね。著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2023年01月06日ベビーバスは、出産準備リストに記載されている育児アイテムの1つ。最初は購入しようと考えていましたが、ネットで「買わなくてもいいかも」というママの口コミをみて「とりあえず出産してから考えよう」と思い、準備しませんでした。その後、3人の子どもを出産しましたが、結局ベビーバスは買いませんでした。そんなわが家のベビーバス代用法をご紹介します。1人目はタライで代用!1人目・長女の出産後は実家に2カ月ほど里帰りしました。ちょうど実家にベビーバスに使えそうなサイズのタライがあったので、試しに使ってみることに。田舎の一軒家で広さは十分にあったので、和室にレジャーシートとバスタオルを敷き、その上にタライをセットして沐浴の準備をおこないました。 おじいちゃんやおばあちゃんにも見守られながら、いざ初めての沐浴に挑戦! 実際におこなってみて「タライでも問題ないかも」と感じました。タライは深さがないため、赤ちゃんを固定しやすく、新米ママの私でも安心して沐浴をおこなえたように思います。 長期的に使うにはサイズは小さめでしたが、1カ月健診後は長女と一緒にお風呂に入るつもりだったので、そのままタライを使っての沐浴を続けました。 2人目は衣装ケースで代用! 長女のときにベビーバスを買わずに乗り切ることができたので、2人目・長男のときも何かで代用しようと考えた私。ネットでいろいろ検索してみたら、衣装ケースを代用したというママの声がありました。衣装ケースならわが家にもあったので、「今回はこれでいこう!」と使ってみることに。 出産後、実際に試してみると、ある程度大きさのある衣装ケースにお湯を入れるのに時間がかかる、衣装ケースの角が沐浴中腕にあたるなどのデメリットを感じました。しかし、1カ月健診後はお風呂に一緒に入ろうと思っていたので、結局そのまま衣装ケースでの沐浴で乗り切りました。 3人目にして初めてベビーバスを使用! 3人目・次男のときは、友人がベビーバスを貸してくれました。3人目にして初めて使うベビーバス。やはり赤ちゃんの沐浴専用に作られているため、沐浴しやすい形状で安定感ばっちり。水抜き栓の便利さにも感動しました! 今までは沐浴後タライや衣装ケースをひっくり返して水を流す必要があり、なかなかの重労働だったのですが、水抜き栓があると放っておいても水が抜けます。水抜き作業のひと手間がなくなるだけでも、私にとってはかなりの負担軽減になりました。 困ったのは使わなくなってからの保管場所。かさばるので友人に返すまでの間、どこに収納しておこうかと悩みました。 その他のベビーバス代用法! ママ友の中には、おしゃれなタライを買ってベビーバスとして使ったあとはおもちゃの収納に使ったという人も。そのほか、洗面台にお湯を張って沐浴したというママもいました。 わが家では、短期間しか使わない、使い終わったあとの処分に困るなどの理由で購入しませんでしたが、ベビーバスは沐浴しやすいように設計されている便利なアイテムです。生後3~4カ月までは沐浴でいく、保管場所に困らないなどの場合はベビーバスの購入を検討するといいのかなと思いました。 ※本記事に掲載した画像はすべてイメージです。ベビーバスではないもので代用する場合には、その商品の使用方法や注意事項をよく読んで考慮し、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:久保田さや長女(小6)・長男(小1)・次男(2歳)の母。歯科衛生士。育児と仕事を両立しながら衛生士としてキャリアを積む。第3子出産後は、専門知識や子育て経験を中心に記事執筆を行う。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年01月05日この記事では、冷静でクールなパパが、出産を機に考え方が変わったお話を紹介しています。出産前と後で考え方が180度変わってママは驚いたそうです。 出産後、夫の心境に変化が私の夫は物事をクールに捉えて考えるタイプです。妊娠中の私に放った夫の衝撃のひと言からの現在の心境の変化をご覧ください。 私は前置胎盤でもあり、ハイリスク出産を控えていたためにこのような会話をしていました。当時夫は本気でこのような考え方をしていたようです。母子ともに無事で本当によかったです。人って変わるんだなと思いました。 監修/助産師 松田玲子著者:さてよ関西から関東に嫁ぎ、ママ友はおろか友達が1人もいない状況ながらもなんとかやっている2歳の母。 子育てや日常生活に関する漫画を描いています。
2023年01月04日みなさんは、義両親や親戚の皆さんとどのようにお付き合いをされていますか?義実家の方々との関係に、色々と気を遣っている方は多いのではないでしょうか。「本当はうまく付き合いたいけど、どうしても合わない…!」と悩んでいる方も、きっといらっしゃいますよね。今回はみなさんから寄せられた「義実家でのエピソード」をご紹介します。お祝いをくれない義家族旦那は、昔悪さをしていて、家族にも迷惑をたくさんかけてきたようです。そのため、家族内では下っ端の存在のようでした。そのせいか、他の身内は出産のお祝いなどをもらっているのに、うちの家庭には子どもが産まれた際になに1つなかったのです。義母からの手紙そんな中、義母がくれた封筒には、〇〇ちゃんへ(私の名前)自分のことは後回しにして優先せず、子どもを幸せにしてあげてくださいわかりましたか?と書かれていました。私はなに1つ自分のことを優先しているつもりはありません。義母の真意は…自分たちの家族だけ、お祝いをもらえないのは、なんだか寂しいですね。旦那さんが、過去に何をしてしまったのか気になります…。義母からの手紙は、果たして悪気があったのでしょうか?ただ単に子どもを大切にしてほしいという思いにも取れますが…。しかし、普段から仲間外れのような扱いを受けているのなら、お嫁さんの受け取り方にも納得かもしれません。みなさんは、どう思いましたか?適度な距離を保ちたい…!いかがでしたか?義実家とのトラブルで疲れてしまうという方も多いはず。今まで他人だったのにも関わらず、家族として付き合っていくのは大変ですよね。適度な距離感を保ちながら、上手に付き合えるといいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年01月04日結婚2年目で長男・のりまきくんを、リラックスした状態で痛みを和らげてお産に臨むことを目的とするソフロロジー分娩を推奨している産院で出産した、おおやたまこさん。のりまきくんを出産後、おおやたまこさんは家事・育児の仕方を言った通りにしてくれない夫・たま夫さんに苛立つように。そこで、おおやたまこさんは、たま夫さんに対して思ったことをそのまま伝えるようにしたところ、夫婦で話し合う回数が増えました。そのおかげで、お互いに寄り添えることができるようになったのですが……。 2人目出産後。夫にある変化が…次男のために「育休を取る」と言い出した夫だったが、長時間一緒にいることで、長男のときのように夫の嫌なところが、見えてくるのが怖かった。そのため、夫に「産後の自分のメンタルが怖い」と正直に伝えたのだが……。 私が「2人目を産んだ後は何でも許してください!」と言ったら、絶対夫には「嫌」と言われると思ってたのに、「わかった大丈夫」と言ってくれました。 また、夫が長男と初対面したときは、淡々としていたのに、次男のときには「頑張ったねぇ」と泣きながら抱っこ。その様子を見ていた私は、あまりの反応の違いに大爆笑してしまいました。笑ってしまって申し訳ない! 育休を取るといった旦那さんに正直に「産後に自分のメンタルが落ち込むことが怖い」と相談した、おおやたまこさん。すると、旦那さんはおおやたまこさんの不安を「わかった」と受け止めてくれました。おおやたまこさんが諦めずに自分の思いを伝え続けたことで、夫婦間の認識の違いがなくなり、旦那さんの態度も変わっていったのかもしれませんね。 このほか、おおや たまこさんはさまざまなマンガをInstagramで更新しています。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター おおや たまこのりまき(2020年4月生まれ)とおにぎり(2022年5月生まれ)の2歳差兄弟の育児に奮闘中。InstagramとTwitterでずぼら主婦と家族の日常をマンガでつづっている。普段は仕事でデザインやイラストを描いたりもしている。
2023年01月03日1児のママ、yasuco(@yas_uco)さんが2017年に娘さんを出産したときの体験談をつづっています。初産で分娩時間3時間だったことから、周りからは「安産でよかったね!」と言われたyasucoさん。しかし、実際の出産は思っていた以上に大変だったのです。出産予定日を8日後に控えた日の深夜。突然破水したyasucoさんは、旦那さんと一緒に病院へ向かいます。病院に到着し、事情を話すと、陣痛室へ案内されるyasucoさん。破水していることを助産師さんが確認すると、その場で入院が決まったのでした。そして、その後陣痛を何回か経験しながらも、子宮口が開いていなかったため、我慢を余儀なくされていたyasucoさん。「おしっこ出せそう?」の問いかけに対して素直に答えると… 出産後体調が悪くなってしまったyasucoさん。 この後の記憶はあいまいだったものの、唯一はっきりと覚えているのが、助産師さんに導尿されたことでした。 (えっ!! いや待って!?) 心の中で全力で拒否していたyasucoさんですが、そんなのお構いなしに、助産師さんにガウンをめくられ導尿をされたのでした。 ツーンとした痛みに思わず言葉を失ったyasucoさん。 しかし、しばらくすると体が回復! そして、ノートに出産の記録を綴り始めたのです。 出産の記録を書き終え、また出産を振り返って思ったのは、お産は大変だということと、母は強くて凄いということでした。 (娘と出会えたお産の記憶は、私の宝物) 改めて、わが子に出会えた喜びを噛みしめるのでした。 娘さんが生まれる前、そして生まれてからも、痛い思いや苦しい思いをたくさんされていたyasucoさん。しかし、娘さんと出会えた喜びはそれ以上のものだったようで、その幸せを噛みしめることができて、本当によかったです。これからも家族で仲良く幸せな日々を過ごしてくださいね。 ◆「3時間のお産」はこれで連載終了です。短い期間でしたが、ご愛読くださりどうもありがとうございました!監修/助産師松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター yasuco2017年生まれの娘のママで、3人家族! 出産マンガや育児マンガを始め、イラストなども描いています。
2023年01月03日