本日、記念すべき59歳の誕生日を迎えた松田聖子。昨年はデビュー40周年を迎え、かつてない大規模ツアーを予定するもコロナ禍で軒並み中止に。それでも12月に行われたディナーショーのチケットは即完売。年末の『第71回NHK紅白歌合戦』にも8年連続で出場するなど、その人気はいまだ健在。まもなく4月に41周年を迎える聖子だが、これまで数々の伝説を残してきた。デビュー当時から聖子を追いかけ続けた本誌だけが見てきた、“聖子伝説”を今こそ、写真とともに振り返りたい――。80年4月に「裸足の季節」でデビューすると、ヒット曲を連発し、一躍トップアイドルの仲間入りを果たした聖子。そんな聖子の初ロマンスの相手はデビュー前からあこがれていた郷ひろみ(65)。しかし、交際を続けるも85年1月に突如、涙の破局会見を敢行する事態に。フリーになった聖子だったが、なんとその翌月に神田正輝(70)との交際が発覚!4月には婚約発表、6月にはサレジオ教会で結婚式を行うというとんとん拍子でゴールインする。そして86年10月には娘・神田沙也加(34)を出産し、幸せの絶頂に。本誌も結婚式、沙也加の出産会見と数々の現場を目撃。結婚式には多くのマスコミが詰めかけ、聖子が教会に到着するとひとめシャッターにおさめようと押し合いになり、怒号が飛び交う瞬間もあった。出産会見にも東京逓信病院にマスコミが殺到し、病院前で会見を開くという異例の事態となった。その後は、89年に事務所から独立、90年に全米デビューと順調にキャリアを重ねるも、終わりは突然やってくる。97年1月に神田との離婚が発表されたのだ。しかし、ただで転ばないのが聖子。98年5月には6歳年下の歯科医と結婚。「会った瞬間日ビビビッときた」というコメントはたちまち話題になる、流行語になるまでに。まさに一挙手一投足が常に日本中を動かす聖子なのであった。
2021年03月10日2020年12月27日に放送された、バラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)では、大阪府大阪市にあるテーマパーク『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(略称:USJ)』の新テーマエリアについて紹介。その際、MCを務める歌手の和田アキ子さんが語った思い出話が話題となっています。和田アキ子と任天堂の意外な接点2021年に開業20周年を迎えるUSJ。同年2月4日には、任天堂のキャラクターやゲームの世界を現実世界に再現した新テーマエリア『スーパー・ニンテンドー・ワールド』が開業します。エリア内には『マリオカート』をテーマにしたライド・アトラクションや、マリオの敵キャラクターである大魔王クッパの本拠地『クッパ城』が!番組内では、YouTuberのHikakinさんがオープン前の『スーパー・ニンテンドー・ワールド』を取材した時の映像を放送。「楽しそうだね~!」と感想を述べた和田さんは、続けて…。『スーパーマリオブラザース』ってもう私、懐かしい!いや声をね、やってくださいって(いわれたことがあって)。「えっ!?スーパーマリオ!?嬉しい!やったー!!」って。「なんですか」っていったら、『クッパ大王』。アッコにおまかせ!ーより引用実は、和田さんは1986年公開のアニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』で、クッパの声を演じていたのです。和田さんと『スーパーマリオブラザーズ』のつながりに、ネット上ではさまざまな声が上がりました。・待って、笑いすぎてお腹痛いんだけど。・大王とか、アッコさんにふさわしい役柄じゃないですか!・声だけでマリオを倒せそうなんですが…。・懐かしい。私は今でも、クッパは和田さんの声で脳内再生しています。今後はクッパを見るたびに、和田さんの顔を思い出しそうなエピソードですね![文・構成/grape編集部]
2020年12月28日「ホテルの宿泊料と往復飛行機代あわせて夫婦で20万円以上かかったけど、どうしても聖子ちゃんが見たくて来ちゃいました。でも本当に楽しくて、来たかいがありました!」興奮冷めやらぬ様子でこう語るのは、北海道からやってきたという熟年女性。12月16日、この日は東京・グランドプリンスホテル新高輪で松田聖子(58)のディナーショーが開催されていた。公演は計4回で、チケット代は5万円を超える。にもかかわらず宿泊付きプランは販売から3分で完売するほどの盛況ぶりだ。人気の衰えぬ聖子だが、開催までには紆余曲折があった。「’20年はデビュー40周年を祝う全国規模ツアーを予定していましたが、コロナ禍によってすべて’21年に延期。会場キャンセル費などの損失額は5億円ほどになるとみられています。1年を締めくくるディナーショーも、一時期は開催が危ぶまれましたが、“どうしてもやりたい!”という聖子さんの意向もあって、1カ所だけで実施する形で落ち着きました」(音楽関係者)聖子が熱望し勝負をかけたディナーショー。しかし。実は一つの疑念がーー。冒頭とは別の長年応援する女性ファンは声をひそめながらいう。「聖子ちゃんはキレイだったんですが、一部の曲では歌声が生だったか怪しいところがあるんです……。正直、今までのディナーショーでもそうじゃないかと思うことは何度かありましたが、今年はいつも以上に楽しみにしていたので、少し残念ですね」聖子に浮上したまさかの“口パク”疑惑。取材を続けると、参加した一部のファンから“40周年唯一のディナーショーなのに口パク”と批判が噴出していることが判明。いっぽうTwitterでは、そうした“疑惑”を含めて全面的に聖子を支持する声もあるなど、ファンでも賛否がわかれている。《最近の聖子ちゃんはキー下げててしかも口パク……》《あたしは何回もディナーショー行って五万近くのチケットで1時間口パク聞かされてるしラストのPearl-White Eve だけ生だけどだけどみんな文句言わないの聖子だから》ベテラン芸能リポーターの川内天子さんはこう分析する。「聖子さんには昔からコンサートでの“口パク疑惑”がありました。ただ聖子さんも、もうすぐ還暦ですし、歌いづらくなった高音などがある一部の曲だけでそうしたのではないでしょうか。またディナーショーは観客との距離が近いですから、聖子さんなりの感染対策もあったのだと思います」生歌以上に「聖子40周年に立ち会える」ことがLIVEなのかもしれない。「女性自身」2021年1月5日・12日合併号 掲載
2020年12月23日タレントの勝俣州和が、自身の公式YouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」で17日に公開された動画に出演し、和田アキ子に対して強気に出られるようになったきっかけを語った。「【勝俣はなぜ和田アキ子に強気なのか?】」と題して公開された動画で、勝俣はTBS系番組『アッコにおまかせ!』である時、バンジージャンプに挑戦することになったが、本番中に飛ぶことができず、再びバンジーの機会を与えられた一件を紹介。しかし、何度「3、2、1、バンジー!」とコールを振られても、やはり一歩踏み出すことができず、当時の心境を「(和田から、飛ばなかったら)『つぶす』と言われていたので、『ここで終わりだ』と思ったんです。『もういいや、最後に全部吐き出そう』と思った」と述懐した。勝俣は「アッコさんに『なんで飛ばへんのや!』と言われたから、『うるせぇな! てめえ、このやろう! 何でお前の誕生日のために俺が飛ばなきゃいけねぇんだよ! お前が来て飛んでみろ! かかって来い!』って」と振り返り、「『なんや勝俣! その言い方!』って言われても、『お前が先に仕掛けた口喧嘩だろ! TBSで待ってろ! ぶっ飛ばして芸能界去ってやるわ!』って叫んでいるうちに、酸欠になって、僕は倒れちゃったんです」と告白した。幸いすぐに回復した勝俣は、TBSへ戻ることに。「芸能界終わりは決定」と確信しながら、和田に対して、バンジーを飛べなかったことと暴言を吐いたことを詫び、「長い間お疲れ様でした」と頭を下げた。すると、和田は大笑いしながら「お前めっちゃおもろいな! 今年いち笑ったわ! そのキャラええな!」と絶賛したとのこと。勝俣は「それからなんですよ。アッコさんに『てめぇ!』『しっかりやれよ!』『何やってんだよ!』と言えるようになったのは」と述べ、「誰かが考えたわけじゃなくて、本当に『死んでもいい』と思った弱い犬の遠吠えですよね。それをアッコさんが面白がってくれて、OKになって。その次の週から何でも言えるようになりましたね」と説明していた。
2020年11月20日「もう1年たっちゃうんですね。いまでも毎日寂しくて。散歩していても和田さんがそばにいるような気がして、ついつい『今日も気持ちいい天気ね』って言っちゃいます。和田さんにはお仏壇は似合わないの。だからリビングのよく日の当たるところに、篠山紀信さんが撮ってくれた写真と、谷川俊太郎さんが夫のことを書いてくださった直筆の詩を飾っているの。毎朝、おいしいお茶を入れて、写真の和田さんの口元に『お父さんどうぞ』と、持っていくのが日課です。今朝も『今日は女性自身の撮影に行ってくるわね』って報告してきたわ」料理愛好家・平野レミさんの夫でイラストレーターの和田誠さん(享年83)が逝去してから10月7日で1年となる。寡黙な人柄で知られた和田さんと、天真爛漫なキャラクターでおなじみのレミさん。性格もまるで違ったふたりの出会いは48年前。和田さんの“一目ぼれ”だった。「彼は、当時私がラジオで共演していた久米宏さんともお友達だったから『あの子を紹介してくれないか』って頼んだらしいのよ。でも久米さんは『あれは紹介できません。一生を棒に振りますよ』ですって(笑)。それでも和田さんは諦めずに別の人に頼んでくれて、テレビ局の近くでいっしょに食事をしたのが始まり。品があって懐が深そうで、1週間で結婚を決めちゃった」家庭に入り、そのまま主婦として穏やかな日々を送るつもりだった。しかし和田さんの友人たちの間でレミさんの料理が評判になる。そこからレミさんは雑誌やテレビで活躍し始めた。「みんなに『おいしい』って言ってもらえると、歌を歌ったときに拍手をもらったような嬉しい気持ちになるの。でも私を育ててくれたのは和田さんです。たとえば、ある日『餃子パーティをしよう』って言って、赤塚不二夫さんをはじめとした、和田さんのお友達がたくさん家にいらしたの。でも何百個も作るのは面倒くさいじゃない?それで餃子の具をこねてレンジでチンして、湯通しした皮を上に乗っけてお酢と醤油とラー油をかけて出したら、赤塚さんが『すごいね、こりゃ“怠慢”だ』って言うわけ。すると和田さんが『怠慢は怠慢でも、台湾の台に満州の満で“台満餃子”だ』って言ってくれた。いつも私が即興で作ったお料理に、愉快な名をつけてくれるのよ。ほかにも、ボイルしたキャベツの上に湯通しした豚肉を乗せた料理は『“豚眠菜園(とんみんさいえん)”だね』って。私が仕事で文章を書くときもさっと添削してくれたりしました」レミさんが「料理愛好家」という肩書も、和田さんの命名。「『レミは料理の学校に行っていたわけじゃないから“研究家”じゃなくて“愛好家”だね』って。私は料理愛好家で、夫愛好家。和田さんがいなければ、きっと“ふつうのおばさん”だった」精神的にも大きな支えだった。レミさんが仕事で忙しいことを察すると、職場から戻ってきてスニーカーも脱がないうちに「今日は外に食いに行くか」と、誘ってくれたという。「それで外食して『ああ、楽チンだったし、美味しかった!』って言うと、『レミのご飯がいちばんだよ』って。そんなこと言われたら、また頑張っちゃうわよね!今回のレシピを見てもらってもわかるとおり(※『女性自身』10月6日発売号では、夫婦思い出のレシピを掲載)、私の料理はどれも簡単なの。そのかわりレトルトは使わない。作り方はアレンジしても、祖父や母から受け継いできた味を息子やお嫁さんに伝えていくことは、和田家にとってとても大切なことだと思うんです。スキンシップならぬベロシップって呼んでいるんだけど。和田さんも、私と舌(ベロ)の感覚がいっしょだったみたい。一回も『まずい』だなんて言われなかった」和田家はこれからも「舌」でつながっていく。そして、夫婦の絆も永遠に。「和田さんがいなくなっちゃったことが、まるで昨日のことみたいで。亡くなる前に『私と結婚したこと、(判断は)合ってた?』って聞いたら、ニコリと笑って『合ってたよ』ですって。私も来世の結婚相手は絶対和田さんがいいの。私が死んだら、お骨は和田さんのお骨とミックスしてねって家族みんなにお願いしているぐらい。『愛してる』なんて一回も言われたことなかったけど、結婚生活の47年間、作ったものはなんでもおいしいって食べてくれた。それがすべてです」和田さんの「おいしい」の一言には“愛”が込められていたのだ。「女性自身」2020年10月20日号 掲載
2020年10月07日ものまねタレントの岡田聖子(おかだ・せいこ)さんが、2020年9月17日にブログを更新。公園で出会った母親たちの行動に、苦言を呈しています。岡田聖子の「ママ友にはなれんわ」発言に共感の声子供と一緒に公園に出かけた岡田聖子さんは、食べ散らかされた菓子のゴミを発見。風でどんどん散乱していく様子を見て、もやもやしてしまったようです。最近行く公園お菓子のゴミがすごい、、、。子供たちが食べてる最中なら拾って帰るのだろうと思っていた日もあるが。今日はそこで食べていただろう子供達はいなくて荷物とお菓子のゴミが置き去り。岡田聖子オフィシャルブログーより引用そんな中、岡田聖子さんはさらに残念な光景を目の当たりに…。その時の気持ちを爆発させています。元々散乱していた上に風で広範囲に散乱していくゴミ達。そこには、自分の子供達のゴミじゃないから知りません顔のママが4、5人。ゴミと認識はあるようで避けながら自分の子供を遊ばせている。、、、、この人達とママ友にはなれんわー。岡田聖子オフィシャルブログーより引用岡田聖子さんは「自分の子供がしたことじゃないから関係ない」という考えを持つ母親たちに対して、不満を募らせた様子。「きれいなのは見かけだけかいな!」と心の中でツッコミを入れています。その後、岡田聖子さんは自分の子供に目を配りつつ、散乱したゴミを回収。そんな岡田聖子さんにファンは「素晴らしいです」「見習いたい」と称賛や共感のコメントを送っています。・岡田さんのいう通り、そんなママたちとは関わり合いたくないかも。・同じ母親として見習いたいです。応援します!・私も見て見ぬ振りをするかもって反省しました。これからは人として素敵な姿を目指します!そもそも、ゴミを出した人が持ち帰るのが当然のマナー。それは子供であろうと大人であろうと関係ありません。他人が出したゴミをひろわないことを責められませんが、岡田聖子さんのように「それでも…」と考える姿勢は、とても学ぶところがあるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年09月24日「悔しいなぁ。否定したいなぁ」2020年8月4日、大和田美帆さんが、亡くなった実の母であり俳優の岡江久美子さんに関する根も葉もないウワサに対して、苦しい胸の内を明かしました。同年4月23日に、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなった岡江久美子さん。突然の訃報は日本中を駆け巡り、早すぎる別れを惜しむ声が相次いで寄せられました。しかし、岡江さん亡き後、あるウワサが出回っているといいます。母はヘビースモーカーどころか、喫煙者じゃなかったのになぁ。。近くにいるおばさま二人が、「岡江さんはヘビースモーカーだったから仕方なかったねー」って話してた。そういえば4月もそんな情報が回ってたなぁ。悔しいなぁ。否定したいなぁ。 と思いつつ抑えて移動。UAを聴く。— 大和田美帆 (@miho_ohwada) August 4, 2020 岡江さんが亡くなった直後にも、喫煙歴を疑うウワサが出回っていたといいますが、娘の美帆さんは事実無根であるときっぱり否定。「真実は私が知っていればいい」とつづった美帆さんではあるものの、実の母に関するネガティブなウワサを耳にするのは、やはりつらいものがあるといいます。そんなん言い出したら、なぜか違う情報だらけなので全てを訂正するパワーは私たちにはないのです。笑ってしまうくらいです。知人って誰だ!!ってね。真実は私が知っていればいい。でも今日みたいに直接聞いちゃうと辛いなぁ。ということで思わずつぶやいちゃいました(^◇^;)— 大和田美帆 (@miho_ohwada) August 4, 2020 美帆さんの投稿に対し、「ひどい話」「無責任すぎる」と、残された遺族を気遣うコメントが多数寄せられています。・心中お察し致します。本当に酷い話ですね…。・誤った情報をSNSで流すことは、人の心に、深い傷を残しかねない。・正しいかどうかをチェックするのが難しいくらい、誰でも情報が発信できるから恐ろしい世の中です。故人のことを勝手な憶測で語ることも不快ですよね。周囲が根拠のないウワサを信じ、さらに、いいふらすような行為は故人を冒涜しているようなものであり、本来、あってはならないことです。ましてや、肉親を失って悲しみに暮れる遺族をさらに追い詰めるようなことは控えてほしいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月04日和田彩花が8月1日、Zepp Tokyoにて『2020 延期の延期の延期』を行った。uP!!!でも生配信されたこのライブは、和田がハロー!プロジェクト及びアンジュルムを卒業後、初のソロツアーとして予定されていたが、新型コロナウィルスの影響により初日の名古屋公演を除いて全て延期・中止となった『和田彩花ライブツアー前2021―この気持ちの先にあるものはなに?―』を踏まえたもの。3度の延期の末、コロナ禍の中で生まれた新しい視点を加え、和田彩花の現在進行形の表現として一から見直した内容となった。ポエトリーリーディングも交え全て自身の作詞による16曲を披露視聴チケット(当日):8月5日(水)9:00まで販売事後配信:8月5日(水)12:00まで■セットリストOP SE1.Une idole2.少しの寂しさとともにポエトリーリーディング3.空を遮る首都高速4.ホットラテ5.それでも愛を信じるのは6.スターチス7.121位8.オリーブをくわえた鳩が飛ぶ日には9.マリッジブルー10.無題11.For me and you12.あれは運命的な出来事13.この気持ちの行く先に14.あなたが選んだものあなたが選ぶもの15.#1516.エピローグ
2020年08月03日元アンジュルム・和田彩花のソロライブ「2020 延期の延期の延期」が8月1日、エンタメサイト・uP!!!にて、オンライン独占配信される。「2020 延期の延期の延期」は、和田にとってハロプロ卒業後初となるソロコンサート。当初、今年2月から3月にかけて初のソロツアー「和田彩花ライブツアー前 2021 ―この気持ちの先にあるものはなに?―」の開催が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響により、初日の名古屋公演を除いてすべて延期、中止となっていた。再延期を踏まえて開催される本公演。和田はコロナ禍の中で生まれた視点を加え、新たなステージ表現を目指す。配信は8月1日18時30分オープン、19時スタート。視聴チケット購入者を対象とした期間限定のアーカイブ配信を、8月2日12時から5日12時まで予定している。前売り視聴チケット(auスマートプレミアム会員1,500円/一般2,500円)は7月31日23時59分まで、当日視聴チケット(auスマートプレミアム会員2,500円/一般3,500円)は8月1日0時から5日9時まで購入可能(いずれも税込)。
2020年07月22日2020年6月10日、お笑いコンビ『アンジャッシュ』の渡部建さんが芸能活動の自粛を発表しました。俳優の佐々木希さんと2017年に結婚し、現在は夫婦で第1子を育てている渡部さん。週刊誌の報道によって複数の女性と不倫をしていたことが明らかになり、渡部さんは報道が事実であることを認めています。和田アキ子、『渡部の不倫に世間が驚いた理由』に苦言同月14日に放送されたバラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)でも、渡部さんの不倫騒動を取り上げました。番組では、渡部さんの不倫に世間が驚いた理由の1つとして、アメリカの映画情報サイトが行った『世界で最も美しい顔100人』に佐々木さんが6年連続でランクインした美貌の持ち主であると紹介。渡部さんの不倫が報じられた際、ネットでは実際に「あんなに美しい妻がいるのに」といった声が多数上がっていました。そんな中、真剣な表情で不服を申し立てたのはMCの和田アキ子さん。『渡部さんの不倫に世間が驚いた理由』に対して、このように意見を述べました。あたしさ、これちょっといわせていただきたいんですけど。あの、なんていうか(佐々木さんが)アメリカの映画情報サイトで6年連続世界『最も美しい顔に選ばれた6人』…。旦那は美しい奥様ってよくいうじゃない。で、「なんであんなに美しい奥様なのにそんなことするの」って、顔とか美しさは夫婦には関係ないんだよね。これがもしよ…あたしがいうとすごいやっかんでると思われるけど、そういうことじゃないですよ。和田アキ子を妻に持ってるとね、じゃあうちの旦那がもし何かやった時に「あー、和田アキ子!じゃあしょうがねえかな」っていわれるかなと思ったら、あたし、ものすごいむかつくよ。アッコにおまかせ!ーより引用夫婦の美醜で不倫を批判したり、逆に肯定したりすることはおかしいと、和田さんは苦言を呈しました。和田さんがいうように、この考えが当たり前とされる風潮になった場合、他人の不倫のよしあしを美醜で判定する人が出てくるでしょう。また、パートナーに不倫をされた人が「自分が醜いからいけないんだ」と自責の念に駆られてしまうかもしれません。番組放送後、和田さんの発言に対し多くの人から共感の声が上がりました。・アッコさんがド正論。顔の美醜は関係なく、不倫する人はするし、しない人はしない。・顔のことをいっている人たちは、相手がブスだったら不倫して当たり前なの?違うでしょ。・「かわいいのに」という言葉は、確かに「じゃあ、かわいくなかったらかわいそうではないのか?」と疑問に思う。多くの人が、ネットで散見された「美人のパートナーがいるのに不倫をするなんて」という言葉にわだかまりを持っていたようです。きっと、そういった言葉を発していた人たちに悪意はなかったのでしょう。和田さんの意見を聞いて考えさせられた人もいるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年06月14日タレント・志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなったことを受け、歌手の和田アキ子(69)が30日、所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。和田は、「とにかく残念です。本当に回復を願ってました。回復すると信じていたので、、、」と突然の訃報に悲痛な思いをつづり、「志村(昔からそう呼んでいたので、あえてそのまま呼ばせてください)とは、志村がまだ全員集合の時にボーヤをやっていた頃からの付き合いです」と思い出をさかのぼった。「当時、志村はコーヒーを楽屋で売っていて、毎回それを買ってあげると物凄く喜んでくれました。それからの活躍はそれはそれはすごくて。音楽も詳しくて、お笑いの才能はズバ抜けていて、凄いなぁと尊敬していました。飲み屋で一緒になる事が多くて、何度かばったり会って飲みました。とにかく静か~に寡黙に飲むんですよ。『楽しいの? 私といるからつまらないの?』って聞いたら、『楽しいですよ。いつもこんな感じです』って、これまた小さい声で笑って答えていました」そして、「最後に会ったのは、正月の『格付けチェック』の番組です」と明かす和田。「『お互い歳だから、仕事に感謝して頑張って行こうな』って話していたんですよね、、また1人、才能あふれる人が亡くなってしまいました、、本当に残念でならないです」と悼み、「心からご冥福をお祈り申し上げます」と結んでいる。
2020年03月30日時代を代表するトップスターのヒット曲を次々と手がけ、旋風を巻き起こした希代の作詞家・松本隆(70)。松田聖子(57)も近藤真彦(55)も薬師丸ひろ子(55)も、彼らがデビューするや否や、その姿を見つけ、「詞を書きたい」と願った。そして「縁はないかな」と思っていても、その後、不思議とオファーが舞い込むのだという。今年、作詞家生活50周年を迎える松本がインタビューに応じてくれた。「聖子ちゃんはCMでデビュー曲を聴いて、声だけで『いいなぁ』と感じた。薬師丸ひろ子さんは映画『野生の証明』で、父親役の高倉健さんに『お父さ〜ん』って駆け寄るシーンを見てね。マッチはドラマ『3年B組金八先生』だったな」(松本・以下同)松本は松田聖子をトップアイドルに押し上げた立役者としても知られる。当時、CBS・ソニーレコードのディレクターだった若松宗雄氏から、アルバム収録曲へのオファーが舞い込んだときのことを「テストされたのかな?」と振り返る。最初に手がけた『白い貝のブローチ』が評価されて、6曲目のシングル『白いパラソル』から本格的に松田聖子を担当することに。自身の人脈でもある、松任谷由実(66)、細野晴臣(72)、大瀧詠一(享年65)ら一流アーティストを作曲家陣として迎えた功績も大きい。「聖子ちゃんとはピークのころはほぼ毎日会っていた。いろいろ話をしているからもう改めて取材する必要がなかった。できあがった詞を彼女が見て、『どうして私の思っていることがわかるの?』っていつも驚かれていたんです」“前髪を1ミリ切りすぎたら、恋人に会うのが怖い”“恋人が時計をちらりと見ると、泣きそうな気分になる”といった少女の繊細な気持ちを描いた歌が多く、この歌詞を男性がつづっていることに驚いたファンも多かった。「『こんな感じかな?』って、適当でした(笑)。会っているときに腕時計を露骨に見ると相手が傷つくかも、と思ったのは僕の経験。『おじさんが書いていてすみません』という気持ちでした」聖子の楽曲作りでタッグを組んだ松任谷由実とは、薬師丸ひろ子の傑作『Woman“Wの悲劇”より』も生み出した。「きれいな不倫の歌を書きたいなと思ったんだけど、『死んでしまった人を歌っているのでは?』と質問されることが多かった。表現って極めれば極めるほど霊界に近づいてしまうんだよね。薬師丸さんの作品では、学業で休んでいた後の復帰作となった『探偵物語』も僕はかなりいいと思う」そうして、もうひとり忘れてならないのは「この人は僕の母親にいちばん近い」と松本がいう斉藤由貴(53)。「僕を甘くみていて、強くてへこたれない人」と評する。「僕、へこたれない人が好きで。斉藤さんもそうだよね。才能があるからクドカン(宮藤官九郎・49)や是枝(裕和・57)監督などからも評価されている。そういう人は何があっても、いなくならない」そういえば、幾多のスキャンダルに負けず、芸能界に君臨し続ける松田聖子もそんな存在だ。そして、「僕の歌で大ヒットした人は、一生歌えるの」とさらりとつぶやく松本ーー。確かに、聖子、薬師丸、斉藤はそれぞれ進学、結婚、子育てといった転機を乗り越え、今も歌い続けている。「今の時代、一度休んでも、また歌いたくなったら出てくればいい。そうするとみんな受け入れるから。僕の歌は貯金のようなもので、彼女たちは預けていた財産をいつでも引き出すことができる。そんな感覚でもいいと思う」廃れることのない松本ソングの数々は、さらに50年後、100年たったときにはどうなっているだろうか。「それは時代が決めること。でも、きっと古くはならないと思う。僕はそれを見届けることができないけれど、希望的観測としては、古典になっていくんじゃないかな」「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月18日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー前から知る人物に話を聞いた。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー後は瞬く間に大ブレークした松田聖子。一過性で終わらせてなるものかと、松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは2つのコンセプトを掲げる。そして、デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用していった。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」(若松さん)そんな松田聖子の代表曲のなかから、“大ヒット曲”の秘話を若松さんに教えてもらった。■『裸足の季節』(’80年4月)資生堂の「エクボ洗顔フォーム」とタイアップしたデビュー曲。作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎のコンビが担当。「担当者に一度、聖子は『エクボが出ない』と外されかけたが、博報堂のプロデューサーの『ダメになるのはもったいないコだから』というプッシュがあり、CMソングに起用。女性向けの雑誌をヒントに、当時のタイトルはほぼ私が考えていました」(若松さん・以下同)■『青い珊瑚礁』(’80年7月)2枚目のシングル。オリコン最高2位。『ザ・ベストテン』で1位を獲得し、スタジオから久留米に電話して「お母さ〜ん」と大泣きした場面は有名。「『青い珊瑚礁』は、当時大人気のブルック・シールズの映画から。このころから聖子の売り出しに気乗りしていなかった社内(CBS・ソニー)のムードも一変、『若松さん、売れるコなんだってもっとちゃんと言っといて』なんて言われるくらいでした」■『チェリーブラッサム(’81年1月)4枚目のシングル。「年明けに出すにふさわしい楽曲と思ったが、レコーディング直前に『なんとなく、あまり好きじゃない』と聖子。財津和夫さんの作曲で曲調が変わり、違和感があったようで、その場は一度解散し、再度集合。気合を入れ直してのレコーディングは無事終了し、苦労しましたが、楽曲は大ヒット。大村雅朗くんのアレンジが、さらに曲のよさを際立たせてくれました」■『白いパラソル』(’81年7月)6曲目で作詞を松本隆に依頼。「アルバムに提供してもらった『白い貝のブローチ』が秀逸だったから。5作目までの三浦徳子さんも素晴らしく、『なんで私ではだめなの?』と責められたが、決断。仕上げはエンジニアと一緒に悪戦苦闘しながら完成させました。聖子からは『(当時の所属事務所・サンミュージック/故人)相沢社長からこれは地味だから早く次の曲を作ってもらえと言われました』と(笑)。もちろん大ヒットしました」■『赤いスイートピー』(’82年1月)作詞・松本隆、作曲は呉田軽穂(松任谷由実)の黄金コンビによる代表曲。「ユーミンはすでに大スターでしたが、失礼ながら直してもらいました。彼女は謙虚で、私の『尾瀬に春が来たような感じにしたいので、あまり弾まないように。だが、最後は上がる感じに』などの抽象的な要望に『わかりました』と。私は音楽家ではないので、『なんか違う』と言うと『じゃ、こんな感じ?』とまた直してくれて。でも後日、ユーミンは『私、リテーク依頼は初めてよ』とほほ笑んでくれました」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“大ブレーク期”を知る人物に話を聞いた。「当時の私のチーフマネージャーが、かつて聖子さんを担当した人で、いつも『聖子は事務所のイチオシではなかったけど、才能がすごかった』と言っていました」聖子の3期後輩である桑田靖子さん(52)は、出身も同じ福岡県。芸能事務所も、憧れの先輩と同じサンミュージックに入所した。「私がデビューしたころ、聖子さんは圧倒的なトップアイドル。でもデビュー当時は、聖子さんもカセットデッキを抱えて全国のレコード店周りをして苦労したと聞いています」(桑田さん・以下同)桑田さんは地元の音楽祭で優勝し、13歳で上京。「(故・相澤秀禎)社長宅で下宿を始めたときは、残念ながら聖子さんとは入れ違いでした」というが、同じ事務所ということで楽屋が一緒のときも多かった。「武道館での公開収録のときだったかな。聖子さんが『靖子、おいで〜』って、私を隣に座らせて『チークはもう少しハッキリとね』とか『靖子は私と同じ一重だから、ラインの描き方はこうしたら?』とメークを施してくださった。正直、『濃いかも?』と思いましたが、テレビ画面だと映えるんです。さすが魅せ方がお上手だなって」当時“ぶりっこ”と揶揄された聖子だったが、「男前でサバサバした性格なのに、テレビに出た途端に輝いてかわいくなる」というのが桑田さんの印象。いつの時代も聖子は「セルフプロデュース力にたけている」と評されるが、こんな逸話も教えてくれた。「『聖子は本当に着たい衣装を着ているから、内側から輝いている』と教えてくれたのも(前出の)マネージャーさんでした。聖子さんは自ら衣装さんにアイデア出しもしていた。しかも、どのタイミングで髪を切ると新鮮で話題になるかも考えていたそうなんです」スタッフも「じゃあ聖子、次はどんなアイデアがあるの?」と、その意見を採用していたのだそう。「40年間、ファンの期待を裏切らないってすごいですよね」桑田さんは15歳で歌手デビューし、20歳までサンミュージックに在籍し、円満退所。その後は渡米して音楽修行をするなど人生経験を重ね、’90年に復帰。地元の福岡でレポーターの仕事に就き、歌を離れた時期もあったが、10年前にシンガーとして再始動した。昨年11月には同期の’83年組と「お神セブン」として集合し、ライブを敢行。ソロライブも定期的に開催している。「昨年かな?聖子さんの歌ばかり歌いたいと思った時期があります。けれど『瞳はダイヤモンド』を歌おうとしたら、難しい!聖子さんが歌うとサラッと聖子節になるんですよね」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“デビュー直前”を知る人物に話を聞いた。「『絶対、スターになる!』と決意して上京してきた法子(松田聖子の本名)ちゃんと比べて、私は根性不足だったかも」甘くハスキーな声で語りだしたのは、松田聖子の2カ月前にデビューした中山圭以子さん(55)。父は俳優、母方の祖父も映画監督という芸能一家に生まれ、当時の所属事務所は聖子と同じサンミュージック。2人はデビューに向けてレッスンをし、中山さんは3歳下だったが、お姉さん的存在だった。「法子ちゃんが下宿していた社長(故・相澤秀禎さん)の家も、私の自宅も同じ成城で、帰り道は毎日一緒でした。彼女はレッスン後、事務所から地元の友達に1~2時間、電話をかけていましたが、久留米弁なので何を話しているかはわかりませんでした。電車のなかでは、ファンだった郷ひろみさんの話をよくしていましたね」(中山さん・以下同)このときデビューが決まっていたのは、圧倒的な歌唱力の持ち主である中山さんのほう。相澤社長が直々にスカウトに出向いたほどの期待を背負っていた。「法子ちゃんは『圭以子さんのデビュー曲を聴いて、涙が出ちゃった。いい歌だね』って。彼女のデビューは未定で、私がデビューの準備でレッスンに行かなくなってから、よく泣いていたみたいですね」しかし、中山さんのデビュー直前、タイアップ予定だったシャンプーに、日本では無認可の成分が入っていることが判明。デビューはしたものの、当時、ヒット曲には必須だったタイアップCMは中止に。事務所は急きょ、松田聖子のデビューを決めた。「運命的ですよね。彼女からデビュー曲『裸足の季節』のカセットテープと、タイアップCMの『エクボ洗顔フォーム』を手渡されました。私は彼女に対してライバル意識はなかったので、『法子ちゃんもがんばって』って言えましたね」中山さんは1年半後に事務所を退所。もう一度イチから歌い方を学ぶため、音大へ進学した。「一度再会したとき、大スターになっていた法子ちゃんが『大学に通っているのね、うらやましい』と言ってくれました」その後、中山さんは30代で結婚。’08年に長男を授かるが、’11年に悪性リンパ腫を発症してしまう。さらに’13年に再発するも、奇跡的に寛解。今は子育て真っ最中だが、ライブでも歌い続ける。「聖子さんは私の知っている法子ちゃんとは違う人ではと思うくらいに、遠い存在になりました。私たちの世代にとっては、夜空に輝く一番星です。私もせめてその星を眺めながら、命の大切さを自らの経験をもとに伝え、時代を超えて歌い継がれていく歌を届けていきたいです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“オーディション時代”を知る人物に話を聞いた。「デモテープでワンフレーズ聴いただけで、半端じゃなくいい声だと思い、これは大スターになるぞと確信しました」松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは、初めて彼女の声を聴いた瞬間をこう語る。その後、父親の猛反対に遭いながらも芸能界を夢見続けた聖子が上京するまで、若松さんは1年半にわたり、説得を続けたという。「聖子からは毎週のように『私は歌手になりたい』と切々とつづられた手紙が届きました。最後には『お父さんが許してくれなければ家を出ます』と言い切った。それでようやく親父さんも『若松さんに預ける』と決断してくれたんです。そのあとは所属事務所探しに奔走。サンミュージックの相沢秀禎社長(当時/故人)には『うちはイチオシの中山圭子がいるから』と渋られたが、なんとか食い下がって承諾してもらったんです」(若松さん・以下同)そして若松さんの確信どおり、デビュー後は瞬く間に大ブレーク。一過性で終わらせてなるものかと若松さんは思案したという。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」若松さんはその後、CBS・ソニーを退社して独立。再びタッグを組んだ時期もあったが、結局、また袂を分かつことになった。「聖子と離れた理由には、一時期、(神田)沙也加を担当したこともあります。彼女を『歌手デビューさせよう』と私が提案したあたりから距離ができたかな。方針の行き違いがあり、聖子も譲れなかったのでしょう。でも、それが大スターというもの。松田聖子という存在は、常に嵐のなかで生きているような特別なものですから」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー当時を知る人物に話を聞いた。「松田聖子の成功の秘密は、実は久留米人の気質にあるんです」そう語るのは、松田聖子の出身地、福岡県久留米市の人なら誰もが知るタウン誌(「月刊くるめ」改め)『gekkle』プロデューサー・天野周一さん(67)。35年続く同誌主催の「いちご姫コンテスト」で注目を集めた女子高生・蒲池法子(松田聖子の本名)は、その勢いのままミス・セブンティーンコンテストに出場し、一躍スターダムに。デビュー直後には同誌の編集部を訪問もしている。このとき、まだ初々しい聖子から、「地元にはもう戻らない」という強い決意を感じたという。さらに、聖子ファミリーとも親交の深い天野さんは、40年間スターであり続ける聖子の負けん気と根性についてこう明かす。「成功者に対し、地元を挙げて応援するのが普通ですが、久留米には“あっしゃ文化”と言われる独特の風土があります」(天野さん・以下同)これは、他人と協調しない独立独歩の久留米商人の気質を継承する文化で、成功者に対して「何を格好つけているんだ」と足を引っ張る傾向にあるのだという。「成功したければ“自分で自分をプロデュース”するしかすべがないのです。浮き沈みの激しい芸能界であれだけの大スターになり、40年間君臨できたのは、けたはずれの反骨精神があってこそ。地元で生まれ育った私から見ると、松田聖子は紛れもなく、久留米商人そのものなんです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月25日「聖子さんは、娘の沙也加さんから離婚のことについて『何も聞いていなかった』と周囲に漏らしているそうです」(音楽関係者)12月4日に俳優の村田充(42)と離婚していたことを発表した神田沙也加(33)。2人はブログで、主な離婚理由について子どもを巡る価値観の相違が原因と発表。しかし5日、一部週刊誌によって沙也加が離婚直後からジャニーズJr.の秋山大河(27)と交際していると報道されていた。こうした沙也加の行動に対して、一部からは数々の男性と浮き名を流した母・松田聖子(57)と“同じ道を辿りつつあるのでは?”という声も。母娘関係改善カウンセラーの横山真香さんは、そんな沙也加の行動をこう分析する。「沙也加さんは聖子さんの男性遍歴で嫌な思いをしていたから、『自分だけはそうなるまい』と思っていたことでしょう。しかし、嫌なことをイメージしすぎることで、同じような状況に陥ってしまうという傾向があるといわれています」そんな沙也加に対して聖子は何を思うのか。「口では言いませんが、心の中では『だからママが言ったでしょ』という思いがあるのではないでしょうか。聖子さんは“2人が合わない”と感じていて、こうなることも予測していたのかもしれません。いっぽうで母として心配する気持ちもあるはずです」(横山さん)実際に聖子には、沙也加への“親心”もあるという。「聖子さんは心のどこかで、子育てより仕事や恋愛に夢中になってしまった過去を、後悔している面もあると思います。沙也加さんの離婚についても、『私の育て方が悪かったのかもしれない……』と感じているのではないでしょうか」(聖子の知人)しかし、今回の離婚で2人の溝はより深まることになりそうだ。「比較されることを嫌がる沙也加さんは、今まで声優や舞台といった聖子さんとは違う分野で努力してきました。しかし、今回の離婚で『やっぱり聖子の子どもだね……』という言い方をする人もいるようです。自由に恋愛をしているつもりなのに、母の名前を出されることでさらに反発し、母娘関係の修復はより難しくなることでしょう」(音楽関係者)沈黙を守り続ける聖子。母娘の距離はこのまま広がってしまうのか――。「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月13日タレントの吉木りさが23日、オフィシャルブログを更新し、夫で俳優の和田正人への感謝の思いをつづった。吉木は、2017年11月22日の「いい夫婦の日」に和田と結婚。先月27日には、第1子となる女児を出産した。「いい夫婦の日」と題した記事は、「実はギリギリまですっかり忘れてたのですが、昨日は結婚記念日でした」の書き出しから、「さすがにまだ我が子が小さいので、普通に家で過ごそうね~と話していて」と昨日の出来事を振り返る内容。「じゃあご飯は俺が作る」と買い物に出掛けた和田は、12本のバラを手に帰宅したという。去年は赤で、今年はピンクだった。吉木は、「今年も12本のバラをサプライズでプレゼントしてくれました」「ダズンローズと言って、一本一本相手への様々な想いが込められた12本のバラ」と説明し、「もらった時は授乳中&ボッサボサの髪の毛&へたりきったパジャマだったからロマンチックのかけらもなかったけど」「本当に嬉しかった」と感激。さらに、「わたしがずーっと食べたかった…」「焼肉を盛り沢山用意してくれました」と食事でもサプライズが待っていた。「本当にありがとう」「仕事で忙しくても家事も育児もたくさん頑張ってくれて…本当に自慢の夫です」と感謝の思いを記す吉木。「夜間授乳だけは全く気づかずスヤスヤ眠ってますが笑」「なんとか眠れてるみたいで良かった」「夜中くらいはぐっすり眠ってね~と思いながらひっそり授乳してます」と明かしつつ、「これからも親子3人で頑張ろうね」「私のことは気にせずたまには息抜きしてね」と和田に向けてメッセージを送っている。
2019年11月23日イラストレーターの和田誠さんが7日に肺炎で亡くなったことを受け、女優・上野樹里が11日、インスタグラムを通じて義父である和田さんを追悼した。2016年5月に、和田さんの長男でロックバンド・TRICERATOPSのボーカル・和田唱と結婚した上野。インスタグラムで「誠さん」と優しく語りかけるような書き出しから、「私が間違えて言った映画のタイトルを、さっと直してくれたり、会う度に本をくれたり、その優しいお人柄と寛大さに、いつも感動していました。家族全員でお出かけしたり、ご飯を食べたり、いつも楽しくて、みんな明るくて、和田家に来てからずっと夢をみているようでした」と在りし日の姿を回顧。「誠さんとお別れする時も、みんなの愛が溢れていて、沢山のプレゼントと共に旅立って行かれました。とっても寂しくなりました」と別れを惜しみつつ、「でも誠さんと一緒に過ごした日々は温かく、思い出の一つ一つが宝物です。短い間だったけど、娘のように接してくれて本当に嬉しかったです。これからもみんなで誠さんのお話をしながら、レミさんとお料理して、みんなで元気に生きていきますね。樹里」と前向きな気持ちをつづっている。また、上野の夫・和田唱もツイッターを通じ、「親父が天国へ旅立った。最近は日々具合が悪くなっていったから、どこかで覚悟はしていたけれど、同時に奇跡が起きることも願っていた。でもそれは叶わなかった。今思えば、きっと、親父なりにベストなタイミングでの旅立ちだったんだろう。親父はキャンプとか釣りとかスポーツとは無縁で、その辺のことは一切教えてくれなかった。お陰で俺はインドア派だし、スポーツのルールも大体知らない。でも親父は映画を教えてくれた。ジャズを教えてくれた。ルールに縛られないこと、好きなものは好きでいいこと、自分がこうだと思ったら貫くことを教えてくれた。お陰で俺は幸せな人間だ。だから明るくサヨナラをしたい。それが和田家流だ。でも魂は死なないし、心にその人がいる限り、どのみちサヨナラなんてない。肉体的なしばしの別れに過ぎないから、『おとう、またな!』くらいにしておこう。でもThank YouとI Love Youは添えておくよ。 唱」と思いを記している。
2019年10月12日劇団☆新感線の高田聖子が、“劇団とは違う新しい試みに挑戦する”をテーマに、活動を続ける演劇ユニット「月影番外地」。その6度目の上演が決定、共演者の竹井亮介とともに話を聞いた。【チケット情報はこちら】竹井が月影に参加するのは、その4『つんざき行路、されるがまま』以来2度目。高田は、「俳優さんって、正直面倒くさい人が多いんです(笑)。でも竹井さんにはそれがない。これはとても重要なこと!」と、竹井に独自の観点から信頼を置く。一方の竹井は、それまで“新感線=怖い人”というイメージを抱いていたようで…。「でも実際はものすごく物腰が柔らかい方だったので、それにギャップ萌えというか(笑)。すごく驚いたのと同時に、すごく面白いと思いました」と明かす。小劇場を舞台に、バカバカしくも濃密な人間ドラマを生み出してきた月影。これまで脚本を手がけてきたのは、千葉雅子が3作(前ユニット「月影十番勝負」含む)、福原充則が3作。そして今回、「どんなに好きな作家さんでも、逢瀬は3度までかしら (笑)」という高田のこだわりから、新たに「はえぎわ」のノゾエ征爾に白羽の矢が立った。「ノゾエさんの作品って、肌ざわりが独特で、吸引力がすごいんです。脚本だけ読むのと、舞台を観た感じがまた違うというか。だから今回木野(花)さんが演出することで、今までのノゾエさん作品とはまた違うものになるんじゃないかという期待をしています」ノゾエの脚本を初めて木野が演出する。それこそ月影ならではの取り合わせ。竹井は「木野さんってすごくダイナミックな演出をされるイメージがあるんですけど、逆に緻密な匂いがするのがノゾエさん作品。それを木野さんがどう立体化されるのか、すごく楽しみです」と期待を寄せる。さらに高田は「福原さんには木野さんと近いものを感じていましたが、ノゾエさんはまた違うタイプ。きっと今回は木野さんにとっても新しい挑戦になると思います」と続ける。詳しい内容についてはまだノゾエのみぞ知るところだが、「とりあえず車が出てきます!」と高田。竹井の役どころに関しては、「いろいろ活躍する人ですけど、なぜそうなんだろうということがポイントで…」と言葉を濁す。すると「それは初めて聞いたので、また楽しみが増えました!」と竹井。共演者には入江雅人、大鶴佐助、川上友里、池谷のぶえが名を連ねる。この組み合わせも月影ならではなだけに、何とも幕開けが待ち遠しい。公演は12月3日(火)から12日(木)まで、東京 ザ・スズナリにて。チケット一般発売は10月5日(土)10時より。取材・文:野上瑠美子
2019年09月20日「参議院議員で入閣できる人数は数人程度です。橋本聖子さんと三原じゅん子さんは2人とも参院議員で、しかも女性。選ばれるのは、どちらか1人だけと予測されていました」と語るのは、ジャーナリストの安積明子さん。9月11日に第4次安倍再改造内閣が発足。五輪兼女性活躍担当相として、橋本聖子議員(54)が初入閣を果たした。9月6日には“三原じゅん子議員の初入閣に向け調整中”といった報道もあったのだが、大臣争奪戦の勝者は橋本議員だったのだ。「2人は五輪相を巡ってのライバルという報道もありました。当選5回の橋本議員と当選2回の三原議員はキャリアに大きな差がありますが、2人とも64年生まれの“同級生”です。橋本議員は冬季と夏季で計7回も五輪に出場しているレジェンドアスリート。結婚相手の連れ子も含めて、6人の母でもあります。いっぽうの三原議員は、安倍首相のお気に入りと目されていました。今年6月の参院本会議で安倍首相の問責決議案を提出した野党に対し『愚か者の所業』『恥を知りなさい』と演説して話題を集めたのです」(全国紙・政治部記者)三原議員はドラマ『3年B組金八先生』では不良少女役を演じたこともあり、いまも元スケバンのイメージが残っている。しかし“女番長=スケ番”ぶりでは橋本議員も負けていないという。「“敵を作らない人柄”とも評されていますが、根は体育会。本人もお父さんから、厳しい教育を受けたと語っており、また自分の子供たちへもスパルタ教育で臨んだそうです」(前出・政治部記者)インタビューでは次のように語っている。《子どものお尻や頭、ほっぺたも叩きますし、泣き止むまで怒り続けたり、直立不動にさせて怒ったり。善悪を教えるには、「ヤキを入れるしかない」》(『読売ウイークリー』’07年4月15日)また橋本議員を知るスポーツ関係者は言う。「ソチ五輪閉会式終了後の打ち上げパーティで高橋大輔選手とダンスをし、キスまでしたとして、猛批判を受けました。まずアルコールの持ち込みが禁止されている選手村で酒席を設けたのは、日本選手団団長として問題でした。また自身も取り組んでいたスケート競技の選手たちを招集したことも、個人的に権力をふるったと指摘されても仕方がないことでした」自民党スケ番対決を制した橋本議員の今後について、政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。「橋本さんは東京五輪の組織委員会会長・森喜朗元首相の秘蔵っ子です。5期目で無事に入閣も果たし、順調にいけば6期目ごろには、参議院を代表する要職・参議院議長を務めるのではないでしょうか。ゆくゆくはスポーツ界で絶大な影響力をふるう森元首相と同じような立場になると思われます」女番長から女帝へ……、橋本議員の出世スピードは加速し続けている。
2019年09月20日自民党・橋本聖子議員(54)が9月11日から始動した第4次安倍再改造内閣で、東京オリンピック・パラリンピックの担当相として初入閣を果たした。女性活躍担当相も兼務する橋本大臣は12日、その引き継ぎ式で「オリンピック・パラリンピックは、女性が活躍して発信できる場としてしっかり光を当てていきたい」と誓った。橋本大臣はスピードスケートや自転車競技で、96年のアトランタ五輪など7つの五輪に出場。92年のアルベールビル五輪では銅メダルを獲得し、日本人女子選手で初めて冬季五輪の表彰台に立った。95年に参議院議員として初当選した橋本大臣は06年に日本スケート連盟会長に、13年には日本自転車競技連盟会長にも就任。12日に開かれた五輪相の引き継ぎ式で前任の鈴木俊一議員(66)は、橋本大臣について「真打ちが登場した」と表現している。64年に開催された東京五輪の開幕5日前に生まれ、その聖火に感動した父に「聖子」と名付けられた橋本大臣。自身の子供たちにも五輪やその開催地にちなんで「せいか」「亘利翔(ギリシャ)」「朱李埜(トリノ)」と命名している。五輪大臣への登用は喜びもひとしおだろう。そのいっぽうで橋本大臣は14年8月、高橋大輔選手(33)にキスを強制したと週刊文春によって報じられた。当時の橋本大臣は日本スケート連盟会長やJOC常務理事にして選手強化本部長でもあり、「パワハラやセクハラに当たるのではないか」と大きな波紋を呼んだ。のちに橋本大臣は「キスを強制した事実はない」と弁明しながらも、「気を付けなければならないと反省しています」とコメントしていた。また橋本大臣は今年2月、競泳・池江璃花子選手(19)の白血病公表について言及。自身の腎臓病を患った過去に触れ「私は五輪の神様が池江璃花子の体を使って、オリンピック、パラリンピックというものをもっと大きな視点で考えなさい、と言ってきたのかなというふうに思いました」とコメント。さらに「(五輪の神様が)池江選手が素晴らしい発信をしてくれたことによって、ガバナンスやコンプライアンスで悩んでいる場合じゃない、もっと前向きにしっかりやりなさい、ということの発信を池江選手を使って、私たちに叱咤激励をしてくれているとさえ思いました」と発言していた。そのためネットでは《国会議員という特権階級を利用して、選手にセクハラ、パワハラを行う人間が大臣とはね》《池江選手へのコメントも酷かったし、この人が大臣になって喜ぶ選手なんているのか?》といった声が。また大臣としての資質を疑う声も上がっている。《過去の実績と政治家としての資質は全く別物。どんなに凄い選手であったとしても、名コーチになる事が出来ない人がいるのと同じで、この人が居なければ今の状況は無かったとしても、それが政治家としての資質とは違う》《30歳から25年も参議院しているのに 目立った実績がないので、少し不安です》20年に開催される東京五輪の大会経費は、招致段階では約7300億円だった。また12年7月、当時の東京都副知事・猪瀬直樹氏(72)はTwitterで《2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです》とコメントしていたが、昨年10月の産経新聞によると経費の総額は3兆円を超える可能性があるという。さらに招致の際、東京招致委員会がIOCの委員であったラミン・ディアク氏の息子に約2億3000万円相当のシンガポールドルを送金したとされる疑惑が浮上している。そのことでフランス司法当局は今年1月、当時の五輪招致委員会・理事長だった竹田恒和氏(71)への捜査を開始したと発表。竹田氏は3月にJOC会長を“任期満了”で退任すると発表し、「不正なことはしていない」と話していた。またJOCはこれまで原則的に公開してきた理事会を、これからは“非公開”にすると決定したばかりだ。理事会後に内容を説明するといい、11日の朝日新聞によると山下泰裕会長(62)は「開かれたものを閉じたわけだから、透明性はできるだけ確保しないといけない」とコメントしたという。しかしネットでは《非公開にしちゃったら透明性も何もないだろ?》《理事会は意思決定の場であり、その過程を非公開にする事は、意思決定に対し誰も責任をとらない事に繋がります》と非難する声が後を絶たない。不透明さの渦巻く東京五輪。11日に首相官邸で「世界に発信していけるような五輪にし、素晴らしいレガシーを残せるような取り組みをしっかりとやっていきたい」と話した橋本大臣だが、はたして成功へと導くことができるだろうか。
2019年09月13日松田聖子が、本日7月5日から7日までの3日間、東京・日本武道館にてワンマンライブ「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」を開催する。歌手としては、1980年にデビューして以来、40以上の音楽賞を受賞、シングルチャート24曲連続1位という記録を持つ松田聖子。 海外でも早くから活動し、全米ビルボードのダンスチャートの上位にランクインしたことも。 アジアの国々でも名を知られており、2005年には、台湾で発売された北京語のアルバム『愛的禮物』で台湾のアルバムチャート初登場1位を獲得。 2007年には、中国で開催された『アジア芸術祭』に参加するなど、国内外問わず活躍中だ。 日本では、2007年発売のアルバム『Baby’s breath』、2008年発売のアルバム『my pure melody』から、作詞作曲、プロデュースを手がけ、歌手としてだけでなく作家、プロデューサーとしての才能も発揮している。日本では“聖子ちゃんカット”が大流行するなど、一大ムーブメントも巻き起こした松田聖子が、本日5日から3日間行う「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」は、シングル曲だけで構成されるスペシャルコンサートツアー。今年6月8日の埼玉・さいたまスーパーアリーナを皮切りに全国12公演の開催を予定しており、本日5日は追加公演となる。松田聖子にとってもファンにとっても、忘れられない3日間になることだろう。来年ついにデビュー40周年を迎える松田聖子。今後も彼女の歌声と活躍から目が離せない。■公演情報「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」会場:日本武道館7月5日(金)開場 17:30 / 開演 18:30※追加公演7月6日(土)開場 16:00 / 開演 17:007月7日(日)開場 14:00 / 開演 15:00
2019年07月05日「日本映画ではなかなかないキャスティングで、合作ならではの味わいがあります。聖子さんと同じ作品で芝居ができるなんて、そんな未来は描いてなかった(笑)」こう語るのは、3月9日公開の映画『家族のレシピ』で主演を務める斎藤工(37)。監督にアジアの巨匠エリック・クーを迎えた日仏シンガポール合作で松田聖子(56)と共演した。「エリックは尊敬するアジアのクリエーターです。2年ほど前、彼が日本人を探しているという情報を得て、スカイプオーディションを受けたのがこの映画との出合い。聖子さんもエリックとの仕事を望んでいらっしゃったそうです。日本で見られるエリックの作品はまだ限られているのに、彼にアンテナが向いていた聖子さんは先を見る目がある方だと、改めて思いました。ベルリンなどの国際映画祭にご一緒したときも英語を滑らかに話されていたし、すべてにおいてプロフェッショナルな方だと思いました」(斎藤・以下同)斎藤が演じるのは日本人の父とシンガポール人の母の間に生まれた主人公・真人。ラーメン店を営む父のもとで働いていたが、父の死をきっかけに両親の足跡をたどってシンガポールへ。そこでガイド役を担うのが松田扮する美樹だ。「聖子さんは偉大すぎますから、最初は戸惑いました。でも、自分のなかの松田聖子像を持ちながら演じるのは失礼にあたる、と。そう自分に言い聞かせて。本読みで聖子さんの第一声を聞いたとたん、ハッと心を奪われたというか、『この人なら、真人の心のよりどころになってくれる!』という安堵感がありました。撮影中も全方位に輝いていてまぶしかったです(笑)」食がつなぐ人の絆を描いた本作。ラーメン、バクテー、チキンライス……。日本とシンガポールのソウルフードが次々に登場する。「食事のシーンはほぼ素のリアクションです。どれもおいしかったし、現場に来るケータリングも麺が7種類くらいあって。『うまいね』とスタッフとわいわい言いながら食べる時間が楽しかったです」斎藤自身の家族のレシピは?「餃子です。餃子のときだけは家族4人全員で作りました。みんな大食漢なので1人100個くらい作るんです(笑)。僕は欲張っていっぱいあんを詰めるので皮がずれてしまって。一人ずつの癖が出るんです。4人それぞれ違う形を見ながら、うちの家族の縮図だな、と。そんな食卓の景色を思い出します」
2019年03月04日●モノマネ誕生秘話「ひどいなと思いながらも…」2018年に歌手・和田アキ子のモノマネで大ブレイクしたお笑い芸人・Mr.シャチホコ。和田の"歌モノマネ"ではなく、「何をされてる方なの?」などといったフレーズが印象的な"しゃべりモノマネ"で、数多くの番組に出演した。そんなシャチホコの、ブレイクに至るまでの経緯や和田本人との交流、そして2018年に印象的だった仕事などについて明かした。○■YouTube投稿がきっかけだった初テレビ出演――経歴を拝見しましたら、日本体育大学を卒業されているんですね。中高はバレーボールや水泳、テニス、柔道など色々とやっていました。体育教師を目指していたので、日体大に進学し、大学ではボクシング部に入りましたね。――それでは、大学入学までは芸人さんになりたいと思ってなかったのですね。まったく考えてなかったです。大学のボクシング部を途中で辞めて、バレーボールのサークルに入ったんですが、部活と比べると味気ないなと思って、YouTubeへの投稿を始めました(笑)。1本目にアップしたのが、Mr.Childrenと桑田(佳祐)さんの「奇跡の地球」を1人2役でモノマネして歌う動画だったんですが、それがきっかけで日本テレビの特番に呼ばれました。モノマネをやっている素人を集め、『ニコ生』のユーザーが似ているかどうか審査するという内容だったんですが、本気でモノマネ芸人をやりたいと思ったのはその番組がきっかけでしたね。――その番組に出演された後、プロとして活動されるまでどのような経緯があったのですか。大学4年生になった頃に、(ものまねショーパブの)『そっくり館キサラ』のオーディションを受けたんですが、落ちてしまいました。どうやったらプロになれるのかと考えた結果、音響のアルバイトを始めたんです。モノマネ芸人さんが営業でネタをするときに、照明やマイクの手助けしながら、ネタを見て勉強していました。その後、大学卒業してすぐに、『キサラ』のオーディションに合格して、ミスチルの歌モノマネをずっとしていました。「Mr.シャチホコ」の"Mr."はMr.Childrenからですし、"シャチホコ"は「Tomorrow never knows」の仮タイトルである「金のシャチホコ」からとっています。――そうなんですね。プロになってからの初テレビ出演はいつだったんですか。1年後の2016年春、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』(フジテレビ系)ですね。当時は今より20kgくらい痩せていたので、ミスチルの桜井(和寿)さんに見た目もかなり寄せて出演したんです。今は嫁のみはるの料理が美味しいこともあり、幸せ太りの限度を超えてしまっています(笑)。○■"しゃべりモノマネ"誕生の影にあった想い――Mr.Childrenのモノマネが中心だったわけですが、現在の代名詞ともいえる和田アキ子さんのモノマネをやり始めたのは何がきっかけだったんですか。みはるとは昨年に結婚しましたが、それ以前もずっと婚約状態が続いていました。桜井さんのモノマネでモノマネ番組には呼んでもらっていましたが、歌モノマネだったので、バラエティ番組には呼ばれるわけではなく…。そういった状況で、「俺はこのままだったら収入も少ないし、この先、みはるを支えていけるのかな」と。そこで「売れたい」という気持ちがさらに強くなり、しゃべりのモノマネを極めて、その人でずっとトークができる状況を作りたいと思ったんです。だから、根底には誰かのしゃべりモノマネをやりたいという理想があって、「アッコさんのモノマネをしよう」という決め打ちではなかったんですよ。2017年の年末にSNSで「結婚します」という発表をしたこともあって、2018年は自分の中で新しいMr.シャチホコの年にしたいと思いました。――実際に2018年に大ブレイクされたのですから、その言葉通りになりましたね。2018年は殻を破りたいという思いが強かったです。そんな折に『アッコにおまかせ!』(TBS系)を見ていたら、確かガンバレルーヤさんがゲスト出演したときに「ちょっとごめんなさいね、君らってさ、そもそも何をされてる方なの?」とアッコさんがおっしゃって、ネタをやらせた後に「あーはいはい。それは見たことあるから分かってんねんけど」と(笑)。そのときにひどいなと思いながらも、これを取り上げてモノマネしたら面白いんじゃないかなと思いました。――では和田さんのモノマネはたまたま生まれたんですね。そうですね。そして、まちゃまちゃさんのお店によく飲みに行くんですが、まちゃまちゃさんがアッコさんにすごく詳しくて、昔のCDを貸していただいたり、「番組でこういうことを言ってたよ」と教えていただきました。――そこから本格的に和田さんのモノマネをスタートされたんですね。まずは『キサラ』などで試したんですが、実は最初は反応があまり良くなかったんです。そんなウケないので、「やっぱり違うのかな」と思っていたところ、ステージに一緒になった芸人の皆さんが「普段のアッコさんのモノマネをする面白いヤツがいる」とすごく広めてくれて。そういう口コミのおかげもあり、『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)に出させていただき、そこから『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)に出させていただきました。『ウチガヤ』で披露したところ、共演した芸人さんにめちゃくちゃウケましたね。――芸人さんは一般の方よりも和田さんに関する前提知識があるので、より面白さが伝わったんでしょうね。そうだと思います。あとはスタッフさんも面白がってくれましたね。アッコさんの芸能界における繋がりのすごさが今の自分を作り上げてくれたと言いますか、周りの芸人さんが面白がってくれたのが、自分にとっては1番大きいです。○■和田アキ子との初共演はドッキリ「泣いちゃいました」――その後、多くの番組に出演されることになりますが、印象に残っている番組はありますか。やはり9月に『林先生が驚く初耳学!』(TBS系)でアッコさんと共演したことですね。収録後にはアッコさんが僕との2ショット写真をインスタにあげてくれて、周りも「公認になったんだ」と。それ以降は、ありがたいことに出演オファーがさらに増えました。――『初耳学!』では、シャチホコさんは「和田さんがモノマネを認めずに怒っている」というドッキリを掛けられていましたね(笑)。いや~、怖かったですよ、あれは(笑)。まさか初対面でドッキリだとは思いませんでしたし。アッコさんが振り切って、「お前、テレビ出さへんからな!」と言ってくだされば、おかしいなと気づいたかもしれませんが、僕があまりに怯えすぎてしまって。アッコさんは本当はすごく優しい方なので、そんな僕の表情を見て、怒りながらも「でも優しそうな顔してるよね」などとちょくちょく挟んできたんですよ(笑)。――(笑)。和田さんも心の葛藤があったんでしょうね(笑)。ネタばらしの後、アッコさんからは「せやから私、やりたくないって言うたんや。ホンマごめんな」と言っていただきましたが、怖すぎて泣いちゃいました。●和田アキ子からのプレゼント――そんな和田さんから言われてうれしかった言葉はありますか。22日に放送される『ウチガヤ』の収録の際に、攻めたネタをやったんです。収録後に「わたし、あんなこと言う?」とおっしゃったので、「ヤバい、怒られる」と思って謝ったところ、「いやいや、めっちゃおもろいわ」と褒められて、ホッとしましたし、うれしかったですね。最初の頃はアッコさんに「シャチホコ、ちょっと惜しいのはイントネーションがね、違うんですよ。ずっと聴いてたら、私は大阪にいましたから、分かるんですよね」と言われていましたから(笑)。――モノマネも快く認められていますし、和田さんはやはり器が大きいんですね。「モノマネをやっていいよ」と認めてもらえているのが、自分にとってすごく後押しになっていますし、本当にありがたいです。10月の『WADA fes』(和田フェス)で館内放送を担当させていただいたのですが、そのときに靴をいただきました。「サイズ合わへんかったやろ。無理して履かんでいいからね。ちっちゃいと思うから」とおっしゃっていたんですが、ピッタリでした。ただ、そのオーダーメイドの靴には26.5cmと書かれていたのですが、僕の足のサイズは27cm。アッコさんは女性ですので、もしかしたらサイズを小さく書いていたのではと思ってます(笑)。――とはいえ、足のサイズがピッタリというのも何かのご縁ですよね。アッコさんも照れ隠しで「別に私、あげようと思って用意したとかじゃなくて、見てみたら私が履かへんタイプの靴やったから。あんた、靴ださかったからさ、ちょっとあげるわ」とおっしゃって。本当に大事に履かせていただいています。○■手ごたえがあった『サンジャポ』『脱力タイムズ』――その他に、2018年のお仕事で手ごたえがあったものはありますか。いくつかありますが、まず1つは『サンデー・ジャポン』(TBS系)が大きいですね。アッコさんに自分の存在を知ってもらったきっかけとなった番組です。アッコさんいわく、普段テレビを見られないそうですが、『サンジャポ』は『おまかせ!』前ということもあり、楽屋で絶対にご覧になっていて。『サンジャポ』のスタッフさんは、アッコさんをよく知る方が多かったので、ワードの引き出しもそこで増えました。――ワードの引き出しというと、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)でのよゐこ・濱口(優)さんとの掛け合いも印象的でした。「ずっとしゃべることもできるんだ」と他の芸人さん方からの評価も上がったので、この回も自分の中では印象に残っていますね。濱口さんも途中で「いつまでやってるんだよ」ということもなく、ずっと最後までアッコさんとして接してくださって、ありがたかったです。――シャチホコさんを見ていて感じることですが、その場のアドリブにもかかわらず、和田さんが言いそうなことでずっと会話を続けられるのがすごいですよね。題材がアッコさんじゃなかったら、アドリブであそこまでしゃべれないと思います。毎日研究していく中で、アッコさんの要素が自分の中に潜在的に入っていて、自然と出ているような感じです。○■先輩芸人とのやり取りは「いまだに緊張」――そういったやり取りの中では、シャチホコさんは"和田アキ子"として接するため、先輩にもひどいことを言う場面もありますよね(笑)。その点についてはいかがですか。やはり不安やドキドキはあります。でも僕がものすごく若いということもあってか、先輩方にはすごく可愛がっていただいていますし、面白がってくれていますね。――確かにシャチホコさんはまだ25歳ですので、共演するほとんどの芸人さんは年上ですよね。いまだに緊張はしますが、大前提として「振り切ってやらないと面白くならない」という覚悟があります。初めてお会いする方に対しては、嫌な気持ちになるんじゃないか、「アッコさんになりきって調子に乗ってる」って思われたらどうしようと頭をよぎることもあります。でも自分が折れてしまったら、芸人さん方にも救ってもらえないだろうし、実力ある方だらけなので、せめて振り切ってやっちゃおうと。そこで変な空気になってしまっても、本当に皆さんに救っていただいています。○■妻・みはるとの"掛け合い"で「応用力がついた」――プライベートでは昨年、みはるさんと結婚されました。みはるさんはモノマネ芸人の大先輩でもありますが、やはり助けられている点はありますか。それこそアッコさんのしゃべりモノマネも、最初はどういう風にやっていくかのイメージもわかず、自分1人でしゃべって完結させるという"自己完結型"の枠しかありませんでした。誰かとの掛け合いでの面白さというのは、家で僕とみはるがモノマネの掛け合いをするなかで応用力がつき、身についたものです。――それでは、自宅での掛け合いが練習となり、テレビ等の実践の場で活かされたんですね。そうですね。みはるはこれまでに何度もテレビにも出ていたこともあり、教えてもらって助けられた部分はかなり大きいです。――それでは最後に、2019年の抱負をお聞かせください。まずは、アッコさんのモノマネをさらに掘り下げて追求したいと思います。それに加えて、アッコさん以外で、新しい形でのモノマネの出し方、「これとこれを組み合わせたら、こういう出し方ができるんだ」という実験を重ねていきたいですね。アッコさんのしゃべりモノマネのように、王道のネタの中でも新しい着眼点で出していくことをMr.シャチホコのカラーにしたいです。■『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系 毎週火曜23:59~)22日の放送では、「芸能生活51年! 和田アキ子のTV初体験SP!」と題して、和田アキ子のテレビ初体験をガヤ芸人が奪う。「アッコとシャチホコが入れ替わり!和田アキ子ひな壇初体験でまさかのモノマネ披露!」「ガヤ恒例ビリビリマシンvs和田アキ子人生初体験」など。
2019年01月21日「最近の聖子さんは、いつも以上に精力的に活動しています。ジャズライブでは“本物を届けたい”とこだわり抜いていましたし、出演予定の映画も話題を集めています。それを支えているのが、母の一子さん(86)なんです」と語るのは、松田聖子(56)の知人だ。たしかに、今年の聖子は多忙をきわめてきた。6月から行われたツアーでは全国8都市をまわり、11月には「PREMIUM SEIKO JAZZ LIVE 2018」を開催。さらに毎年恒例のクリスマスディナーショーも完売。大晦日は22回目となる紅白歌合戦への出場が決定している。そして、来年3月には映画「家族のレシピ」が公開予定。主演はラーメン店で働く青年役を演じる斎藤工(37)。聖子は、現地のフードブロガーを熱演しているという。このプロモーションが3月にシンガポールで行われたが、現地では“意外な光景”が目撃されていた。「聖子さんのそばには、いつも母の一子さんの姿がありました。80歳をすぎている彼女が、ずっと娘の聖子さんに日傘をさしているんです。最初は『あの人は付き人かな?』と思っていたのですが、後で聖子さんのお母さんだと聞いて驚きました」(前出・聖子の知人)聖子と一子さんといえば、長きにわたり断絶が伝えられてきた。発端はある事件だった。「愛人とも報じられたマネージャーをめぐり、関係に亀裂が走ったのは5年前。14年2月、聖子さんは一子さんが取締役を務める事務所『ファンティック』を退所。マネージャーと新事務所を立ち上げたのです。その後、一子さんは家を出ました」(音楽関係者)衝突したままずっとすれ違い続けてきた母と娘。そんな家族の関係に変化が見られたのが、今年3月。一子さんが『ファンティック』取締役を退任したのだ。「一子さんは86歳になり、生前整理の一環として退任を決意したそうです。後任を長男に任せ、自身の“終活”に着手。最後に考えたのは、やはり娘である聖子さんのことでした。一子さんは『最後に、私があの子を守りたい』と申し出たそうです」(前出・音楽関係者)前出のシンガポールでの“付き人献身”ぶりは、一子さんが「ファンティック」の取締役を退任したころと重なる。長時間の海外渡航に加え、常にそばで支えるのは86歳の女性にとって簡単ではなかっただろう。それでも母は、笑顔で聖子に寄り添っていたという。母の優しさに触れていくうちに、聖子さんの心も動いた。8月には、本誌が“母娘の二世帯同居開始”をスクープしている。聖子は一子さんを招き入れるべく、自宅リフォームに乗り出していたのだ。前出のシンガポールでも、聖子は“親孝行”に精を出していたという。「聖子さんはあらかじめ用意された高級ホテルには宿泊せず、旦那さんとお母さんと一軒家を借りて滞在していました。少しでも、家族でいっしょにいる時間が欲しかったようです。現地での聖子さんは、とにかく上機嫌。“変化”の理由はもちろん、お母さんがそばにいてくれるからでしょうね」(前出・芸能関係者)そんな“付き人姿勢”で支えてくれる母の存在が、聖子をさらに変えていた。「ジャズ挑戦もお母さんの影響が大きいそうです。50歳をすぎて違う分野に挑む娘に、一子さんは『好きなことをすればいい』と後押ししたといいます。それもあって、来年2月には全国7カ所でジャズツアーを行うことになりました。また紅白出場が決まったことで、いつも以上に張り切っていると聞いています。母と娘が和解した、特別な1年でしたからね。お母さんも、応援に駆けつけてくれるのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)
2018年12月20日「豪華ディナー付きのいちばん良い席では約9万円という、聖子史上最高値のチケット代。一部報道では“ぼったくり”と批判されていましたが、聖子さんとしては“本物のジャズを届けたい”と、こだわり抜いたゆえの料金だったのでしょう」(芸能リポーターの城下尊之さん)11月4日に開催された、松田聖子(56)のジャズライブ『PREMIUM SEIKO JAZZ LIVE 2018』。料金もさることながら、ファンクラブ会員300人限定×2公演と超プレミアム。だが、そんな“お宝ライブ”のお土産はなんと900円のワイン!「来場者全員にフルボトルワインが付いてきたのですが、その中身はイタリア・セッテカーニ社の赤の微発泡ワイン『ランブルスコ』だったと聞いています。数々の賞を受賞した“通好み”のワインで、900円前後で販売されています。聖子さんのオリジナルラベル付きなので、もちろん製作費はかなりかかっていると思いますが……」(ワインに詳しいライター)実際に来場したファンたちはどう思っているのか――。《(当日の歌声は)CDの数倍良かったです!大枚叩いて良かった》《今日は最上級にエレガントな聖子ちゃんでした》ネット上には、満足したファンたちの声が続々と……。聖子ファンを公言する歌手の高山璃奈さん(26)もこう絶賛する。「『トークの内容はしゃべらないでね』というファンクラブの規約があるので差支えない範囲でしか教えられませんが、客席に向けて『みんなお水飲んでね』『私も緊張してるから大丈夫だよ』と優しく気遣ってくれていましたね。ジャズライブは今回が2回目で、聖子さんは前回も今回も『挑戦できることが楽しい!』と言っていました。もうすぐ40周年を迎える大ベテランなのに、いつまでもチャレンジ精神を忘れない姿勢が素敵だなって」“900円の聖子ワイン”は、オークションサイトに1万4,000円で出品され、すでに落札されていた。元値の15倍以上で取り引きされてしまう“聖子ブランド”。そう思えば、9万円も高くない!?
2018年11月16日記念すべき40回目の出場となるはずだった16年、NHK紅白歌合戦に落選した和田アキ子(68)。落選が決まったとき、和田は書面で「40回目という節目でもありましたので、正直悔しい気持ちもあります」とコメントを発表するなど、無念の気持ちをにじませていた。翌17年も和田の出場はなく、「私は急に切られた」と“恨み節”だったが――。「39回も出場したアキ子さんは紅白の歴史を作ってきた功労者。過去10年で番組前半・後半の平均視聴率を下回る回数の多かった出場歌手は他にもたくさんいます。“世代交代”と言われてしまえば仕方ないのかもしれませんが、ここ数年は紅白から大物歌手たちが次々と消えています。少し悲しい気もしますし、高齢の視聴者が離れていかないのかと心配です」(音楽関係者)しかし、ここにきて和田の“2年ぶり紅白復帰”を望む声が上がっているという。「和田さんは68年に『星空の孤独』でレコードデビュー。今年がデビュー50周年のメモリアルイヤーです。10月に日本武道館で開催された『WADA FES』には鈴木雅之さん(62)や倖田來未さん(35)、AKB48ら豪華ゲストが多数出演して大盛況でした。制作スタッフの内部でも『さすがに50周年なんだからオファーを出すべき』との声があがっています。事務所の後輩である綾瀬はるかさん(33)が紅組司会の候補に挙がっていると報じられましたが、もし決まれば和田さんへの出場オファーの可能性も高まるのではないでしょうか」(NHK関係者)98年の紅白で大トリを務めた「今あなたにうたいたい」を、今年こそ大晦日に聴けるかもしれない――。
2018年11月03日和田アキ子が、本日10月18日、日本武道館にて音楽フェス『WADA fes~断れなかった仲間達~』を開催する。同フェスは、昨日と本日の計2日間開催。和田アキ子はデビュー50周年イヤーに突入し、昨年10月にはベスト盤を発売、全国ツアーも行った。さらに今年1月にはカバーアルバムも発表するなど、精力的な音楽活動が続いている。50周年を締めくくる企画として自ら主催するのが『WADA fes』だ。和田は開催にあわせ「和田アキ子らしいお祭りができないかなと思って、マネージャーと話し合い、このフェスを企画しました。沢山の大好きなアーティストに出演して頂ける事、本当に感謝しています。ジャンルを超えたまるで異種格闘技戦のようなお祭りになるんじゃないかとワクワクしています」と意気込みを語っている。“断れなかった仲間たち”こと共演者もバラエティに富み、長い歌手/芸能活動のキャリアを持つ和田アキ子ならではの“お祭り”を見せてくれそうだ。昨日の1日目はMCを出川哲朗が務め、加山雄三、鈴木雅之、氷川きよし、倖田來未、ピコ太郎らが出演し、会場を盛り上げた。そして本日MCを担当するのは、さまぁ〜ずのふたり。出演者は、ToshI(X JAPAN)、GACKT、DA PUMP、氣志團、AKB48(AKO選抜)武田真治、竹内涼真らが揃う。なかなか音楽フェスには出演しないアーティストから、アイドル、若手俳優と幅広いラインナップが揃い、貴重なステージを見ることができそうだ。なお、和田アキ子は先月にはトリビュートアルバム『アッコがおまかせ ~和田アキ子50周年記念トリビュート・アルバム~』を発売。MISIA、MAN WITH A MISSION、竹原ピストル、Toshl(X JAPAN)、横山健、氣志團など、世代もジャンルも多岐にわたるアーティストが和田アキ子の往年の名曲をカバーし話題になった。誰もが一目置くレジェンドでありながら、『WADA fes』のように他アーティストとの交流も活発な和田アキ子。今後の活動からも目が離せない。公演情報『AKIKO WADA 50th ANNIVERSARY『WADA fes.』~断れなかった仲間達~』日本武道館10月18日(木)出演:和田アキ子 / Toshl(X JAPAN) / DA PUMP / 氣志團 / AKB48 (AKO選抜) / BOYS AND MEN / 祭nine. / BOYS AND MEN 研究生 / MACO / 武田真治 / 岡本知高 / Shiho / 竹内涼真 / and more MC:さまぁ~ず
2018年10月18日