赤ちゃんが欲しい……! そう願い、不妊治療の末、念願の赤ちゃんを授かったママたちの妊活成功体験談を4つご紹介します。 タイミング療法ですぐに妊娠!結婚して3年目から基礎体温をつけ出しましたが、なかなか子宝に恵まれず、産婦人科を受診しました。夫婦共に特に問題はないとのことで、タイミング療法の指導のもと、すぐに妊娠できたのには驚きました。自分でココ! と決めてた日はどうも違っていたみたいです……。悩まれている方は専門家に話を聞くのも手かと思います。(ゆうこさん) 1回目の人工授精で成功しました5年前、結婚して3年ほどタイミングで頑張りましたがなかなか恵まれず、産婦人科を受診。検査の結果、夫の精子の運動率、数にやや問題があることが判明。なのですぐに人工授精に踏み切ると、1回目でみごと妊娠に至りました。 治療自体より自分たちで頑張っていた何年間のほうが言い合いになったり大変でした。やはり専門の機関で診てもらうのが一番いいなと感じます。現在、息子は4歳。毎日元気に幼稚園に通っています。苦しんだ何年間かがあったから命の大切さ、子どもを授かることの奇跡をありがたく思っています。(はっちんさん) 体外受精に移行しようと休職したら…27歳で結婚、半年後から子どもが欲しいと思いながら、数カ月できなかったところで病院に行き始めました。最初は産婦人科の個人病院に数カ月通い、タイミングをやりながら卵管造影等をしました。問題はないのに妊娠に至らず、数カ月で不妊専門の大学病院へ転院。その後、すぐに人工受精を開始。2回目の後、私が数カ月海外に出ており中断、帰国後また開始して計4回までおこないました。 それでもうまくいかなかったため、体外受精に移行しようと会社を休職することを決め、その間の気休めに行った5回目の人工受精でまさかの妊娠。わたしも夫もなんで!? という感じでした。 いま思うと、やはり仕事を一旦休み、ストレスから解放されたことと、体外受精で頑張ればいいから今週期はつなぎで……と思っていたのがよかったのか、と思っています。何をすれば結果が出る、という保証のない不妊治療。それでもやはり心のゆとりをもつことが、とても大事だったんだと今は思います。まだ安定期にも入れていない私ですが、今はこの命を大事に信じていきたいです。(kosukeさん) 夫の無精子症判明から7カ月で授かりました結婚後1年、2人とも20代で普通に夫婦生活を持っていたのになかなか妊娠せず、念のためということで夫婦2人で検査を受けることに。私には特に問題なく、そこで夫の不妊、無精子症が判明しました。自然妊娠は無理なので、妊娠を希望するなら、精巣を切り開いてわずかにいるかもしれない精子を探して採取するという「MD-TESSE」という手術を受けるしか方法がない、と言われました。 予期せぬ突然の申告で頭の中は真っ白でした。それから「MD-TESSE」の手術日が4カ月後に決まりました。しかし、その間は高額な医療費の捻出の事やもし精子が採取できなかった場合、今後どうしていくかなど、何度となく話し合いを重ねたり、責任を感じた夫は離婚の話も切り出してきたり、本当にどんよりした日々を送りました。 そしてとうとう迎えた手術日。待合室で待っていると、看護師さんが「元気な精子が見つかりましたよ!」と声をかけて下さり、涙が一気に溢れました。それと同時に、絶対に私が彼をパパにしてあげなきゃ、と強く思いました。 それからは今度は体外受精のため着々と私の採卵手術の準備が始まり、つらい注射&薬漬けの末無事採卵手術を終え、良好胚も4つできました。ホルモン補充周期後、そのうちの一つを移植し、見事に一度目で妊娠しました。 夫の無精子症判明から妊娠までわずか7カ月、先生も看護師さんも、本当に奇跡ですね、と一緒に喜んでくださいました。良い病院や家族・周りの人たちの理解やサポートなしではここまで順調に来れなかったと思います。そして何より、苦難を乗り越え私たちのところに来てくれた赤ちゃんにも感謝でした。今、妊娠9カ月、早ければ来月にはこのミラクルベイビーに会える予定です。(れれさん) 不妊治療の末、待望の赤ちゃんを授かったママたちの声をまとめてご紹介しました。先輩ママたちの体験談が、少しでもベビ待ちママさんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2020年01月06日妊娠中がこんなに大変だなんて知らなかった! と驚いたのは私だけではないと思います。こんなに体調が悪くて本当に大丈夫なの? 赤ちゃんは……? そんな不安な妊婦生活中に私が発症した「目まい症」の体験についてお話しします。 私とつわりのファーストコンタクト「うっ」と言ってトイレへ駆け込む主人公。次に登場するときにはうれしそうに微笑みながらおなかの上に手を置く。「できちゃったみたい……」なぁんてシーンを、みなさんも一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。 私がつわりというものを初めて知ったのはドラマの中でした。妊娠すると吐き気を催すらしい、そう漠然と思っていたのです。その体調不良は一時的なもので、まさか数カ月も続くことがあるなんて想像さえしませんでした。 初めての妊娠。私の体どうしちゃったの?気分がすぐれない、これってもしかして……? と妊娠検査薬を使用してみたら、結果は陽性。うれしい気持ちもありつつ、不安のほうが大きかったように思います。そんな私をもっとも苦しめたのが、妊娠17週ごろからの目まい。寝ている間まで目が回ってしまい眠れない……。 ついには洗濯機におなかをぶつけてしまい、これは危ない! と産院に電話したところ、耳鼻科の受診をすすめられました。目まいが耳鼻科で診察してもらえると知らなかった私は、半信半疑で受診してみたところ「目まい症」と診断されました。このとき、妊娠21週でした。 「目まい症」の診察と治療法診察ではベッドで横になり、目の動きを診ていました。キョトキョトと目が動いてしまうのが特徴ということで、その様子を私も見せてもらうと、素人から見ても黒目が細かく動いているのがわかりました。これでは目が回るはずです。妊娠中ということもあり治療方法が気になるところですが、私の場合、薬はなし。教えていただいた簡単なストレッチをするだけで、症状がとても軽くなったのには驚きました。 ストレッチは、布団の上で座った状態から体を横に倒し、起き上がり、また反対側に体を倒すという「おきあがりこぼし」のような動きをするだけ。妊娠中でも可能な簡単なものでした。 目まいは妊娠中のマイナートラブルの1つだそうです。私もつわりの吐き気で目まいがするんだと思い込んでしまい、受診するのが遅くなってしまいました。どうしても目が回る……という症状がある場合は、耳鼻科に相談すると解決するかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年01月06日ある日、次男の上前歯の間に歯茎のようなものが挟まっているのを発見しました。3人目の子どもにして初めての経験だったので、どうしたのかと大慌て。正体がわかり安心したのもつかの間、まさかの解決劇に唖然としました。 上前歯のすき間に歯茎が食い込んでいる!?第3子である次男は、生後8カ月から歯が生え始め、生後10カ月のころにはしっかりとした上前歯が生えそろいました。 異変に気がついたのは、次男の歯磨きをしているときです。上前歯を磨こうと上唇を持ち上げると、上前歯のすき間に歯茎のようなものが挟まっていることに気がつきました。決して取れるような状態ではなく、上唇から歯の裏側まで繋がっているようでした。 正体は“上唇小帯”の異常と判明慌ててインターネットで検索すると、すぐに正体が判明。“上唇小帯(じょうしんしょうたい)”という、上唇から歯茎につながっている筋の異常でした。 通常、上唇小帯は歯が生えそろうころには、歯茎の上部に移動するらしいです。しかしそれが移動しないことや、肥大化して扇状に歯茎に付着してしまうことがあるそうで、次男はまさにそれでした。 特段珍しい病気ではなく、歯医者さんで切除できることを知り、ひと安心。日をみて歯医者さんへ相談に行こうと、とりあえず様子を見ることにしました。 上前歯の歯みがきを嫌がるように…次男は歯みがきが大好きで、赤ちゃん用の歯ブラシを持たせると、張り切って歯みがきをしていました。仕上げみがきも嫌がらず、「あ~ん」と言いながら自分から口を開けてくれるのですが、上前歯を磨くときだけは嫌がりました。 歯ブラシが上唇小帯にあたると痛いらしく、気をつけて磨いているものの、次男は毎回大泣きしていました。これは早めに相談へ行ったほうが良さそうだなと思っていた矢先、思わぬ出来事が……。 いつの間にか切れている!?まだ歩き始めだった次男は、家でも保育園でもよく転んでいました。それも顔面から豪快に……。ある日の保育園のお迎え時に、先生から「今日転んで、口をケガしちゃいました」と言われました。次男の顔を見ると、上唇が切れていました。 かわいそうだなぁと思いつつ、その日の夜に歯の仕上げ磨きをしようと上唇を持ちあげると、上前歯の間にあったものがありません。よーく見てみると、なんと上唇小帯が切れていたのです! 驚いたのと同時にどうしたらいいのか不安になり、翌日にかかる予定だった小児科で聞いてみることに。切れてしまったのなら、そのまま様子を見ていいとのことでした。まさかの解決法でしたが、ひと安心でした。 3人目の子どもにして初めての経験でしたが、そんなに珍しい症状ではないそうです。今回は転んだ拍子に切れてしまったようでしたが、人工的に切除もでき、生活に支障がないようにすることも可能とのこと。上唇小帯の異常を見つけたときには驚きましたが、転んで切れてしまったことにも驚きました。よかったのかはわかりませんが、今のところ次男は何の支障もなさそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年01月06日パパの単身赴任などで、赤ちゃんとママの2人でお出かけする機会が多い方もいらっしゃるのではないでしょうか。筆者もその1人です。そんなお出かけの際、「抱っこひも」にするか「ベビーカー」にするかは大きな悩みかと思います。 私の思う抱っこひものメリット・デメリット 抱っこひもの大きな悩みが、肩こりや腰痛などのママの体の負担になるということ。ただ、抱っこひもだと両手があくので、いろいろな作業できたり、赤ちゃんが泣いてもすぐに落ち着かせたりできる点は、大きなメリットですよね。 私の場合、わが子が抱っこ星人なので、外に出るときは必ず抱っこひもを持参しています。 私の思うベビーカーのメリット・デメリット ベビーカーのメリットは、赤ちゃんと付属の荷物入れに荷物を入れて運ぶことができるラクさにあります。ごはんを食べるときやお買い物のとき、赤ちゃんを抱えていなくていいので、重宝する存在です。 ただ、まだ月齢の低い赤ちゃんは長く座っていることが難しかったり、お店の中や電車などで場所を取るので邪魔だったりということも。とくに公共交通機関では、ベビーカーに対してあまりよくない印象を持つ方も。 大人がひとりのときは、どっちがいい? それぞれのメリット・デメリットを考慮し、私のお出かけスタイルは「赤ちゃんの機嫌」「行く場所」「買い物の有無」によって、その都度変えています。 お昼寝がしっかりできたときや機嫌がいいときは「ベビーカー」、赤ちゃん向けの施設へ行くときや混んでいる時間帯の電車に乗る必要があるときには「抱っこひも」です。うちの子はベビーカーを嫌がることが多いですが、話しかけながら押すと満足してくれることもありますよ。 大人ひとりでお出かけするときには、抱っこひもにするかベビーカーにするかということが大きな問題だというママもいると思います。月齢が低いうちは赤ちゃんの様子や機嫌に合わせてどうするか決められるといいですね。著者:今井さくら一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月05日わが家では、離乳食後期に入った生後9カ月から、手づかみ食べの練習を始めました。しかし、すぐに食べてくれるようになると高をくくっていたら、思っていたよりも大変! 子どもがなぜ食べてくれないのか、食べてくれるようにどのような工夫をしたのかをご紹介します。 初日は成功わが子は、離乳食を始めてからずっとほとんど食べ物を残したことがないくらいよく食べる子でした。離乳食後期に入り、試しに半分に切ったいちごをあげてみると、手でつかんでパクっと食べました。 まだじょうずに食べられなくて、ほとんど落としてしまいました。しかし、初日から食べてくれたことに安心し、「これは楽勝なのでは!?」と余裕の気持ちでいました。そして、次の日から毎日、手づかみできるものをあげてみることにしました。 全然食べてくれない!ところが、それからが大変でした。野菜スティックやおやきを作っても、最初のうちは口へ運ぶのに、それ以降は食べず、わざと落としてしまいます。仕方がないので、小さく切ってスプーンで食べさせていました。しかし、はじめは食べていたいちごもまったく食べなくなってしまいました。 どうやら、手でつかみやすい大きめの食材はうまく噛めず、飲み込みにくいようでした。反対に小さいものだと指でうまくつかめず、手づかみ食べに行き詰まってしまいました。 やっと食べられたもの1カ月近くいろいろなものを試しているうちに、やっとたどり着いたのが食パンを小さく切ったもの。ふわふわしているので、ある程度大きくても食べてくれました。 しばらくパンで練習しているうちに、小さいものを指でつかむことも、食べ物を噛んでから飲み込むこともじょうずになり、いろいろなものを手づかみで食べられるようになりました。1歳を過ぎた今では、毎回の食事のほとんどを喜んで手づかみで食べています。 手づかみ食べができるようになると、親が全部を食べさせてあげなくてもよくなり、一緒に食事を楽しめるようになりました。そして一番よかったのは、子どもが自分で食べる喜びを感じながら食べるようになったことです。途中で諦めずに、続けてよかったです。著者:谷口菜穂一男の母。保育士資格、幼稚園教員免許、小学校教員免許を取得。出産後、仕事を退職。日に日にできることが増えていく子どもの成長におどろく毎日。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月05日私は20歳の誕生日と同時くらいに、第1子を妊娠しました。初めてのわが子にうれしい反面、不安や苦労もありました。特に、周りから「若いママだから―」という目で見られることに苦痛を感じました。 妊娠判明は成人式の直前!妊娠が判ったのは、成人式の1カ月前でした。妊娠に対してうれしい反面、まだ成人して間もない自分に、子どもを育てられるのかという不安もありました。 それでも産みたいという気持ちは固く、「私、産むから」と現在の夫に宣言。同い年の夫は「う、うん……」と、押される形で出産・結婚を決意してくれました。そのままお互いの両親に妊娠と結婚を報告し、妊娠4カ月の状態で成人式に出席しました。 若いママだからと言われたくない!第1子である長女は、私が20歳のうちに生まれました。幼いころから子ども好きだったので、自分の子どもがうれしくて、かわいくて、毎日が幸せでした。初めての育児に緊張しながらも、保健師さんの言うことを堅実に守り、育児書と毎日にらめっこをし、懸命に育児をしました。 子どもが口にするものはすべて手作りし、衛生面、健康面にすごく気をつかいました。子どもに対する愛情からが半分、残りの半分は、周りから「若いからちゃんとしていない」と思われるのが嫌だったのです。 それでもやっぱり偏見の目…わが子を連れて外に出かけると、「赤ちゃんかわいいわね~」と声をかけられるのですが、決まって最後に「ちゃんと育てなきゃダメよ」と言われるのです。子どもが細かったためか、時には「ごはんちゃんと食べさせているの?」とか「ごはん作ってないんでしょ?」と言われたこともありました。 夫の親戚からは、はっきり「虐待していない?」と、心配されていました。若いママというだけで、周りから育児放棄や虐待などの心配をよくされました。自分なりに懸命に育児をしていたので、周りからの偏見の目は悔しかったです。 それでも私は子どもを愛している付き合いのある人たちは理解してくれるものの、結局のところ、見ず知らずの人からの偏見の目はなくなりませんでした。いつしか私も抵抗することをやめ、「この子のママは私。この子がいいと思ってくれているのなら、それでいい」と思えるようになりました。偏見の目で見られようとも、私は子どもを愛しているんです。長女を産んでから数年間、偏見の目に悩まされましたが、自分なりの答えにたどり着くことができました。 30代になった現在ならば、当時の偏見の目を理解できます。昨今の子ども虐待のニュースもありますし、何より子どもが子どもを産むようなものですから、心配にもなりますよね。でも当時の私にはその気持ちが理解できず、偏見の目が苦痛で仕方ありませんでした。もし今の私が、当時の私に声をかけてあげられるのなら、「子育て頑張っているね! ちゃんとわかっているよ。大変なことがあれば人に頼ってもいいから、あまり無理し過ぎないでね」と伝えてあげたいです。 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年01月05日長男を妊娠したときは、出産の時をとても楽しみにしていました。妊娠や出産に予想外の展開はつきものだと先輩ママの体験談から学んでいたので、私は心の準備ができたつもりでいました。しかし実際はバタバタ・あたふたで心身ともにぐったりだった、私の陣痛体験談をご紹介します。 あれ? 痛いかも? 気のせいだと思った痛み妊娠33週のときに、プチ旅行がてら住んでいる街から2時間ほどの場所に夫と車で出かけた日のこと。出発前の朝、少しおなかがくだるような痛みがありました。しかし、実際におなかがくだっていたわけでもなく「おかしいな」と思っただけでそのまま出発。道中も便意を感じて何度もコンビニに寄ってみるものの、何も変わらず。でも、目的地の少し手前でおなかの張りを感じて、車を停めて寝る体勢をとっていました。寝てみるとおなかの張り具合に緩急があるような……。そうは思ったものの痛みが強いわけでもなく、だんだん張りも治まってきたので再出発することにしました。今になって考えると、このときに自宅に引き返していればよかったと思います。 すぐに治まると思いきや…目的地に到着後は、おいしいごはんを食べたりしながらゆったり過ごしました。そのとき、おなかの痛みに加えて腰も痛くなってきて、いろいろな体勢で寝てみるものの改善せず。そしておなかの張りもどんどん強くなっていったのです。念のために痛みと張りの間隔を計ると15分ほどの等間隔でした。出産予定の産婦人科に電話すると、今すぐ来るようにとのことで、急いで帰り産婦人科へ。NST(ノンストレステスト)やエコーなどの検査をしてみると、切迫早産の状態とのこと。このとき妊娠33週だったこともあり、張り止めの点滴でおなかの張りを抑えるとともに、出産予定だった個人病院では対応できないとのことで、総合病院へ緊急搬送されることになってしまったのです。 入院したのに…!?その後は搬送先の総合病院で24時間点滴をして正期産の時期まで入院することに。しかし点滴でおなかの張りを抑えているにもかかわらず、また強い張りと痛みが出てきてしまい、陣痛が起きてしまったのです。検査の結果「母体の細菌感染により陣痛が起こっている恐れがある。赤ちゃんにも感染してしまう可能性があるのでこのまま産みましょう」と産科の医師から提案されました。陣痛は来るものの、なかなか子宮口が開かず結局は帝王切開になってしまいましたが、なんとか赤ちゃんへの細菌感染はせずに出産することができました。 初めての妊娠で「陣痛は正期産の時期に起こるのが当たり前」だと思い込んでいた私。しかし無知が故に、出かけ先で陣痛が始まりかけて大慌て。とにかく想像していた陣痛とはまったく違うものになって、困惑した陣痛体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年01月04日娘と公園や児童館で遊んでいると、たまに「嫌だな」「あまり関わりたくないな」と思う親子に出会います。今回は私が嫌な思いをし、自分も気をつけようと思った親の対応について3つお話ししたいと思います。 痛い思いをさせたら謝ってほしい娘が1歳半のころ、児童館で同じぐらいの月齢の子とおもちゃの取り合いになりました。この時期にはよくあることなので少しの間見守っていたのですが、娘は髪を引っ張られて泣いてしまったのです。引っ張った子の親もその場面を見ていて「引っ張ったらダメでしょ」と注意していましたが、娘に「ごめんね」とは言いませんでした。私は自分の子を注意するのも大切だけど、相手に謝ることも大事だと思います。きちんと謝ったほうが相手の不快感を和らげられるし、自分の子にも謝ることの大切さを教えられると思いました。 注意の仕方が違うと思ったある日娘と砂場で遊んでいると、近くで1歳過ぎぐらいの男の子がシャベルで勢いよく砂を掘り、その砂が私たちのほうに少し飛んできていました。かかるというほどではなかったのでそこまで気にしてはいなかったのですが、その男の子のお母さんは「コラ、人にかかっているよ。怒られるからやめなさい!」と言うのです。私は別に怒っていませんでしたし、その注意の仕方は違うのではないかなと思いました。人に怒られるからではなく、人に迷惑がかかるから気をつけなければいけないと教えてほしかったです。 よその親に任せきりにしないでほしい友人たちと公園でシャボン玉をしていたときのことです。毛糸や割り箸で大きなシャボン玉を作るための道具を作って遊んでいました。そこへ小学1年生ぐらいの子が来て、一緒にやりたいというので「じゃあ順番にやろうね」と声をかけ一緒に遊ぶことに。でもその子はなかなか順番を守らないし、他の子が大きなシャボン玉を作っている側から割ってしまうのです。知らない子ですし強く注意もできず、私もイライラ。その子のお母さんは遠くから様子を伺っていましたが、最後は私たちにあいさつもなく帰って行きました。せめて「遊んでくれてありがとうございました」と言ってほしかったなと思います。 子どもがわがままを言ったり、いけないことをしてしまうのはある程度は仕方がないですが、そのことについて親がどう行動するかで、迷惑をかけてしまった相手からの印象も変わってきます。私の娘も周りに迷惑をかけてしまうことが多々あるかと思うので、何かしてしまったときはきちんと謝ったり対応したりできるようにしたいです。 著者:小川恵子5歳と1歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2020年01月04日妊娠中は早めに産休を取得し、出産までゆっくりと時間がとれた私。妊娠8カ月ごろ、時間があるうちに何かできることはないかと考えていた私は、赤ちゃんと生活するうえで必要になるだろう情報を収集しておこうと考えました。なかでも出産後に役立ったものを3つ紹介したいと思います。 小児科の口コミをチェック まず調べておいたのは、小児科についてです。生後2カ月からたくさん予防接種を受けなければなりませんし、何かしらの病気にかかる可能性もあります。実際に連れて行かなければならないときに慌てることがないよう、近くて評判がいい小児科を洗い出しておくことにしました。当時、ママ友と呼べる友人はいなかったので、情報はもっぱらインターネットに頼りました。子育て情報サイト、地元の自治体が運営する地域限定サイトなどを活用。なるべく自宅から近くて通いやすいという基準でいくつかピックアップしておきました。事前に小児科の情報収集をしていたことで、赤ちゃんが体調を崩したときでも、落ち着いて対応することができました。 子連れで食事しやすい飲食店をチェック 夫とゆっくり外食ができるのは、0歳のねんねの時期までだろう……と思い、生まれる前に赤ちゃん連れで食事がしやすい飲食店を調べておきました。ベビーカーで入店することが前提なので、ポイントはベビーカーをテーブルに横付けできるくらいのスペースがあること、出入り口に段差がないこと、などです。 子ども用の椅子や食器などが用意してある店舗なら、子連れ歓迎のサイン。席がお座敷、おむつ替え台がある店舗もチェックしておきました。実際に出産したあとは、収集した飲食店情報が大活躍! 子どもが寝た瞬間すぐにお店に向かうことでスムーズに食事を楽しむことができました。 無料で楽しめる遊び場をチェック 育児休暇を1年間申請していたので、赤ちゃんとの時間を有効活用するために遊び場も調べておきました。そのなかでも、公園と百貨店のキッズスペースの口コミが高評価であることを確認。出かける日の天候によって使い分けるといいかもしれないと思い、天候別に行ってみたいリストを作成しておきました。 例えば天気がいいときは広々とした公園に、雨のときは百貨店などです。どちらも子どもがたくさんいる場所なので、他の子どもと触れ合えるのもいい機会に。同じ世代のママさんとも情報交換ができ、夜間授乳や慣れない育児で自宅に引きこもりがちだった生活にメリハリをつけることができました。 他にも屋外での無料大型イベント、自治体がおこなう子育てイベントなど、意外と無料でも参加できるものはたくさんありました。今でも、休日に家族で楽しめるスポットやイベントはないか、情報収集を欠かさないようにしています。 妊娠中はいろいろなことを調べて、出産後に備えておきました。おかげで、産後さまざまな場面で慌てることが少なかったように思います。これからも育児を先読みして、情報収集していくつもりです。著者:中原けいこ2歳男児の母。妊娠を機に金融機関からライターへ転向。現在第2子妊娠中。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2020年01月03日低出生体重児だった娘の母乳育児はうまくいかず、悩みながらも生後5カ月で断乳を決意。実母からの厳しい言葉や、周りのママの何気ない行動にすら悲しく悔しい思いをした体験談をお伝えします。 低出生体重児で難航する母乳育児在胎36週6日、緊急帝王切開で生まれた娘は、2,100g台の低出生体重児でした。娘の口が小さくおっぱいを吸う力も弱いことに加え、低血糖症の治療のために通常よりも頻回の授乳を必要としていました。 私も初産かつ正期産直前の緊急帝王切開による出産だったため、産前の乳頭マッサージなどもできないまま出産を迎えた状態。そのせいもあってか母乳がうまく出ず、母乳育児ははじめからかなり難航していました。 私の気持ちをわかってくれない実母娘の退院後も、「低月齢のうちは血糖値が基準値以下になればすぐに病院へ」と言われたため、血糖値が下がらないよう母乳のあともこまめに育児用ミルクを飲ませました。 そのころ、実母が娘がどのくらい母乳を飲んでいるかを確認するLINEを毎日送ってきたのです。 きっと母は母乳育児は赤ちゃんに良いことだから、当然私もそうするものだと思って悪気は一切なかったと思うのですが、母乳があまり出ない私にとってはプレッシャー以外の何物でもありません。それどころか母乳育児がうまくいかないと相談しても、食事や生活習慣を容赦なく指摘され、気持ちが削がれるばかりでした。 助産師さんのやさしい言葉に涙…産後5カ月ころ、心身ともに限界だった私を心配して「離乳食始まるし断乳したら?」と夫が言ってくれました。断乳のことを実母に話すと、「まだ生後5カ月なのに断乳なんて娘ちゃんがかわいそう!」と猛反対! 理解してほしかった実母に今まで以上に責められ悲しくなった私は、助産師さんに思いを打ち明けることに。 すると助産師さんは「お母さんが笑顔でいられることが娘ちゃんにとっても一番。だからその決断に誇りを持って」とやさしい言葉をかけてくださり、私の中でいろいろな思いが溢れて涙が止まらなくなってしまいました。 他のママの授乳になぜか心が痛む順調に断乳を終え、大好きなお酒も飲めるようになって心に平穏を取り戻せたはずでしたが、実は心の奥深くに爪痕が残されていました。母乳育児が順調な周囲のママたちの授乳の場面に遭遇すると、なぜか心がキリキリと痛むのです。 特に義実家で義妹が授乳し始めたときには、「兄嫁さんと違って私は母乳育児うまくいっていますよ」と見せつけられている感じすらして、悔しすぎて逃げ出したくなるほどでした。 母乳育児に関してはそれぞれ事情があるのだから、あれこれ口を出さずそっとしておいてほしいというのが本音です。いつか娘が母となる日が来て、もし母乳育児がうまくいかなくても、娘の判断を尊重し、そっと見守れる母でありたいなと思います。著者:金岡莉緒1女の母。独身時代から住宅関連企業に勤務し、産休育休を経て時短勤務中。妊娠・出産・子育てに関する自らの経験を中心に執筆している。
2020年01月03日Instagramで大人気のニシカタさん(Instagram@c_nishikata)の育児エピソードをお届けします。 出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張ってしまい、「アナフィラクトイド紫斑病」になってしまったニシカタさん。1カ月健診後、実家で数日過ごしていたときに旦那さんから届いたのは……?! 産後間もない身体に鞭打って保育園の申込みをして、必死に頑張ったのはこの通知をもらうためだったのに。私の心はすごくモヤッとしていました。生後2カ月ちょっとで預けることになるのはわかっていたはずなのに、いざそのときになってみると、すごく怖かったです。……かと言って、奇跡的に受かった認可保育園を諦めるのも不安で。どっちを選択しても不安しかなくて、つらかったです。 ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ 著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2020年01月03日赤ちゃんが欲しい……! そう願い、不妊治療の末、念願の赤ちゃんを授かったママたちの妊活成功体験談を4つご紹介します。 タイミング指導で見事、妊娠!体力がある20代に子どもを産みたかったのですが、基礎体温をつけてみても、排卵検査薬を使ってみても授かることができず婦人科を受診しました。私も夫も何の問題もありませんでしたが、卵管造影検査後のタイミング指導で妊娠に至りました。詰まりが取れて妊娠しやすくなると聞いていたときは嘘かと思いましたが、無事妊娠に至りました。病院で検査すると原因があるのか、実際に排卵しているかどうかがわかるので、行ってよかったと思っています。(コリラックマ♪さん) 不妊治療が苦になり、うつ状態に……結婚する前から生理不順などあり、夫婦で検査したところ異常はなし。でもなかなか妊娠しなかったためタイミングを3年おこないました。当時まだ不妊治療専門病院が少なかったので、注射のため会社帰りに2時間かけて毎日通院していました。帰省しても会社でも妊娠しないことについて言われ、病院でもいろいろあり、軽いうつのような症状が出て、結局何もかも途中で放り投げてしまいました。 それから10年後、近所に高額ですが評判のいい専門病院があることを知り、通院することに。高齢なこともあり顕微授精をすすめられ、治療期間は1年半、一回の治療で数十万のお金が本当に羽が生えたみたいにとんでいき……ウン百万円もかけて、何も残らないのだろうかと思うと正直怖かったです。採卵4回、5回目の移植で39歳で初妊娠、40歳で出産しました。(はなるんさん) 処女でセックスなし! でも授かりました!処女で結婚、未完成婚だった私たち夫婦は人工授精を選択しました。しかし共働きで単身赴任だったため、排卵日に合わせて毎月トライというのが困難に。そんなとき思いついたのがセルフ人工授精(シリンジ法)です。病院の先生に相談してさっそくチャレンジ。すると、2回目で妊娠。奇跡だと思いました。 セックスすらできなかった私が本当に出産できるのか、正直怖かったけれど、出産は案外スルッと終わり、振り返ってみると単身赴任で過ごしたつわりの時期が一番つらかったかもしれません。(bluetreeさん) 1人目は自然妊娠、その後異常が続々と判明……1人目は23歳のときに自然妊娠。離乳して生理が再開し、夫が7つ年上で実家の仕事をゆくゆくは継ぐこともあり、「まだ時間と体力のあるうちに次を」と考えて、基礎体温や排卵検査薬などを使いトライしましたが、なかなか授からず。 そうこうしているうちに2年が過ぎたので自力では難しいと思い、産婦人科を受診。いろいろ検査した結果、高プロラクチン血症、多嚢胞性卵巣が判明。その他、卵管造影検査をしてみると両卵管狭窄、と次々と異常が! 自覚症状がなかったのでここまでだとは……。自力じゃとても妊娠なんて無理な状態でした。 その後、ホルモンを整えるお薬と卵管を通す処置、基礎体温と毎月の卵巣の超音波検査、フーナーテスト、タイミング指示で1年程経過したころ、無事2人目を授かることができました。 高校生のころから母乳のような分泌物が出たり(乳腺科で診てもらいましたが血液検査などなく、体質と言われ、治療もなし)、最初の妊娠で初期流産を経験していたので、もしかしたらホルモン値異常など、もともと要因があったのかもしれません。3人目が欲しくて、今回も生理不順でまた治療に行かないといけないかなぁ~と思っていたところ、自然妊娠し、今は3人目妊娠中です。(cowboyママさん) 不妊治療の末、待望の赤ちゃんを授かったママたちの声をまとめてご紹介しました。少しでもベビ待ちさんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 【関連記事】・妊娠検査薬はいつから使える?どれがいい?妊娠検査薬のすべてを徹底解説!
2020年01月02日私は、初めての出産で無痛分娩を経験しました。当初は「無痛分娩は痛くない」「無痛分娩を取り扱っている産院なら自分も必ずできる」と思い込んでいましたが、実際に経験してみると想像と違う部分も少なからずありました。そのときの体験をお伝えしたいと思います。 無痛分娩の扱いは産院によって違う私は極端に痛みに弱く、そのせいで妊娠にも抵抗を感じていました。そのため、無痛分娩を強く希望。ところが、私が通院していた産婦人科では計画的な無痛分娩ではなく、陣痛の様子に応じて対処するという方針だったのです。また、麻酔を扱う先生が不在のときは無痛分娩ができないとのことでした。 先生や助産師さんからは「自然分娩をすすめる」といったニュアンスの言葉をよくかけられました。私の場合、「無痛分娩の扱いは産院によって違う」ということを、通院してから初めて知ったのでした。 入院から無痛分娩で出産するまで自宅で破水して入院。そこから陣痛が始まって様子を見た結果、子宮口が5cmになった時点で、無痛分娩に向けて硬膜外麻酔の準備が始まりました。陣痛のたびに体が硬直して、会話もできないくらい痛みを感じていましたが、麻酔後はかなりゆるやかな痛みに変わり、強張っていた体から力が抜けていくのを感じました。 そのためか、約1時間後には子宮口が全開になり出産へ。ただ、麻酔の影響でうまくいきむことができず、会陰切開後、吸引分娩になりました。 無痛分娩を経験して感じたこと出産時の出血は多く、産後の傷の痛みやひきつれは1カ月以上続きました。それでも私は無痛分娩を選択してよかったと感じています。 予想以上の陣痛の痛みに、子宮口5cmの段階で強い恐怖心に襲われていた私は、もし麻酔をしなかったら錯乱していたかもしれない、陣痛がトラウマになっていたかもしれないと今でも感じるからです。 2人目は自然分娩で出産をしましたが、無痛分娩の経験があったからこそ踏み切れた、妊娠・出産だと感じています。無痛分娩を希望して最初にぶつかる壁は「普通は自然分娩で産むもの」という批判的な雰囲気。しかし、痛みに対する恐怖は立派な理由だと私は思います。出産の主役は自分。あくまで個人的な意見ですが、実現可能な要望は貫いていいのではないかと思っています。著者:山口美香自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年01月02日妊娠期間は長いようであっという間。おなかにいたときの写真を見返すと、「こんなに大きかったのか!」としみじみしたり、「ぼくはここに入ってたんだね!」と子どもと幸せな時間を過ごせたりしています。お金をかけなくても写真は残せます! 4児の母である私の体験談をお伝えします。 セルフ撮影をした1人目 夫が細身だったので、妊娠後期にもなると体の幅の差が2倍近くになりました。ちょっとショックではあったけれど、これも思い出に残そうと、当時住んでいたアパートでセルフ撮影をすることに。撮影技術のない私たちですが、楽し気な様子が伝わる写真が撮れたと思います。このころ自分の周りには結婚や妊娠をしている友だちがいなかったので、「マタニティフォト」ということは特に意識していなかったのですが、結果的に残しておいてよかったです。 カメラマンによる出張撮影をした2人目 2人目を授かり、長男が2歳半のときに臨月を迎えました。長男はとてもやんちゃで、かんしゃくもあり、写真館に出向くなど到底無理だと思っていました。そんなとき、義母の知り合いに駆け出しのカメラマンがいて、マタニティフォトのモニターを頼まれたのです。写真館に比べると子どもをあやす技術はそれほどなかったかもしれませんが、子どもがふざけている様子など、飾らない日常も撮ってもらえたのもよかったです。 カメラマンによる撮影は通常2万円くらいのようですが、1万円ほどで写真データ70枚ほどもらうことができました。私は自宅でお願いしましたが、公園や思い出の場所など、外での撮影もできるようでした。 友だちに頼んだ3人目、4人目 3・4人目の妊娠期間は本当にあっという間。それでも上の子たちがアルバムでマタニティフォトを見るととてもうれしそうな顔をしていたので、1枚でもいいから撮ろうと思っていました。そこで、普段からインスタグラムに写真をよく載せている友だちに頼んで、写真を撮ってもらいました。「私はプロじゃないから写真館にも行ってね!」と言われましたが、私は満足のいく仕上がりでした。お礼にお菓子などは渡しましたが、基本的には無料でお願いしました。相手にも喜ばれたのでよかったかなと思っています。 撮影してもらうときは、夫と見つめ合ったり体を近づけたりするのは少し恥ずかしかったですが、ときどき見返しては幸せな気分になれます。夫はマタニティフォトにはそれほど興味がなかったようですが、私がやりたいなら、と協力してくれたことに感謝しています。著者:小林まり6歳、4歳、2歳、0歳の母。元小学校教員。夫は土日出勤、出張も多いNPO職員。育児の大変さを実感しながらもコツをつかみ始めてきたところ。自身の経験を中心に執筆している。
2020年01月01日わが子が2歳になったばかりのお正月のこと。夕食のときにふざけていて、床から高さ30cmくらいの椅子から落下するという事故がありました。夜中まで泣いて眠らないので、異常を感じて救急病院を受診することにしました。 椅子の上から落下年末年始の帰省から帰ってきて、家で夕飯を食べていたときのこと。ふざけて椅子の上で遊んでいたわが子が、バランスを崩して床の上に落ちました。 ワーッと大声で泣いたのでとりあえず安心し、一度は泣き止んだので朝まで様子を見るつもりでしたが、夜中に泣いて痛がるので救急病院を受診することに。 肘を抑えているので「もしかしたら落ちたときに肘を打ったのかも?」「こんなに痛がるのだから、骨が折れたのかも?」と、不安な気持ちでいっぱいでした。休日で夫が一緒にいてくれたのが唯一の救いでした。 夜中の救急病院へお正月に加えて夜中だったので、救急病院はとても混んでいました。事故があったのか救急車で運ばれて来た人がいたらしく、待っている家族で待合室はいっぱい。さらに、具合が悪くて吐いている人もいて、「ここでノロウイルスやほかのウイルスをもらってしまったらどうしよう……」と、ビクビクしていました。 わが子は泣き疲れたのかぐったりしていて、それでも痛いのを思い出したように急に泣いたり、少し眠ったり、かわいそうで見ているのがつらかったです。 肘の骨にヒビが?やっとわが子の番になりホッとしたのもつかの間、先生が様子を見るために腕を曲げたり引っ張ったりするので、わが子は今までにないくらい大声で泣きわめき、吐いて、私も動揺してしまいました。 レントゲンも撮りましたが、「折れているかどうかよくわからない」とのこと。子どもの骨は小さくて、写らない部分もあるのだそうです。「もしかしたら、この部分が少し欠けているのかもしれませんが、ちょっと何とも言えません」と先生。念のためギプスを3カ月ほどつけ、週に1度通院し、特にひどくなることもなく完治しました。 治療なので仕方のないこととはいえ、小さな体に放射線を当てたりギプスで固定したり、「成長に影響があったらどうしよう」と心配でなりませんでした。医師から「心配ない」と説明があっても不安でした。また、あのとき目を離さなければ……と、とても後悔しました。結果的には大事にはならず、問題なく順調に成長しており、幸運だったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2020年01月01日初めての育児は思った以上にハードで、特に産後はバタバタしていて記憶がほとんどありません。そんななかでも「妊娠中にやっていてよかった!」と感じることがありました。今回は、特におすすめな3つを紹介します。 1.申請や届け出の準備 出生届や児童手当など、産後に申請するものはすべて夫が済ませてくれました。私は事前に提出書類を一式そろえ、産後に記入が必要な箇所には付箋で目印をし、それ以外の記入は済ませて、ひとつのファイルにまとめておきました。 おかげで夫も役所や会社へスムーズに申請をおこなうことができたようで、「本当に助かった!」と、感謝されました。手続き関係は思ったよりも手間がかかるようで、事前に準備をしたことでとてもラクになりました。 2.部屋の整理 リビングから危険なものを取り除いたり、赤ちゃんが過ごしやすくなるように家具のレイアウトを見直していました。最初の数カ月はまだ動き回ることもないので、産後でも間に合いそうですが、大事なことは「空きスペースを確保すること」だと思います。 実際に生まれてからは、服やおもちゃなど、とにかく物が増えました。そして成長に従ってそれらをしまっておく場所が必要になってくるので、余裕をもって不要なものを処分しておいてよかったです。 3.のんびり過ごす夫婦の時間 妊娠後期に入るとおなかも大きくなり、体調面から外出に不安があったので、私は夫と自宅でのんびり映画鑑賞などをして過ごしました。 やはり産後は赤ちゃん優先の毎日になり、育児に慣れて生活リズムが整うまでは自分の時間すら確保することも難しくなりました。そのため、夫婦2人きりの時間を穏やかに過ごしておいてよかったなと思います。 産後は育児でなかなかほかのことが手につかなくなるので、あれもこれもとやっておきたくなりますが、私は自分にとって無理のない範囲で好きなことができてよかったと思っています。著者:しまのさくら一女の母で夫と3人暮らし。出産を機に勤めていた会社を退職。現在は育児のかたわら、データ入力の仕事や妊娠・出産・育児に関する記事を執筆している。
2020年01月01日あれもダメ、これもダメ……。何をやっても夜中、頻繁に起きる息子。ひどいときは1時間おきに目を覚まして泣き、そのたびに抱っこして寝かしつける毎日にヘトヘトになっていました。原因は、まったく予想していなかったところにありました。 何度も起きる息子息子は新生児のころから眠りが浅く、頻繁に泣きながら起きていました。昼間起きて夜寝るリズムができた生後5カ月以降は、夜中に起きても抱っこすればすぐに寝ていたものの、起きる回数は一向に減りませんでした。 当時、クイーンサイズのダブルベッドに息子と私の2人で寝ていたので、ベビーベッドに行く手間がなく、抱っこ自体は苦になりませんでしたが、起きる回数の多さに疲れが取れない毎日でした。 原因は何!? 模索する日々夜泣きは少しずつ増え、生後7カ月のころにはついに1時間おきに。藁にもすがる思いで、ネットで検索し、夜泣きに効くという方法をあれこれ試してみました。しかし、昼寝の時間を調整してもダメ、室温に気を配ってもダメ、おなかをいっぱいにしてもダメ、夜間断乳もダメ。そんな状態が3カ月程続きました。 生後9カ月になってやっと少しずつずりばいを始め、もっと活発に動くようになるのを待つしかないのかも……と諦め始めていました。 偶然のできごとがきっかけで原因が判明ずりばいを始めると寝相が激しくなったので、部屋に布団を敷き詰め、そこで寝かせることにしました。すると、ベッドで寝かせていたときよりもさらに寝相が激しくなりました。部屋の隅から隅まで転がったり、寝返りの拍子に座ってしまったり。 そしてなんと、ひどかった夜泣きがぐっと減ったのです! 特に寝づらそうな様子ではなかったのに、本人なりにベッドで寝ていることを意識して眠りが浅くなっていたのでしょうか。5時間は続けて眠ってくれるようになりました。 夜泣きの原因は子どもによってさまざま。一般的に言われている方法を試してみても、当てはまらないこともあります。ママは大変ですが、原因がわかるまでは気長に付き合い、原因を探っていってあげることが必要なのかなぁ、と思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:谷口菜穂一男の母。保育士資格、幼稚園教員免許、小学校教員免許を取得。出産後、仕事を退職。日に日にできることが増えていく子どもの成長におどろく毎日。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月31日娘2人を経腟分娩した私。出産中は想像以上の痛みに正直驚きましたが、ウォーキングで鍛えた体力と練習したソフロロジー式の呼吸法で何とか乗り切ることができました。 妊娠初期〜中期は動けなかった妊娠が判明して、幸せ最高潮の気分はほんの数週間でした。妊娠6週目ころから徐々に始まったつわりは、妊娠8週目ころにはピークを迎え、酷い船酔いのような気持ち悪さが1日中続き、100円で売られているかき氷とりんごしか食べられるものがなくなってしまったのです。そのため1日中寝たきりで、運動するどころかみるみるやせ細ってしまいました。 妊娠中期〜後期におこなったことようやくつわりが落ち着き、日常生活を送れるようになったころ、体力作りのためにウォーキングを開始! また、育児書に書いてあった「出産は呼吸がキーワード」という言葉を信じ、ソフロロジーの練習もおこなうことにしました。 呼吸法はさまざまありますが、このソフロロジーを選んだ理由は、出産の痛みを肯定的に受け入れることで、痛みを和らげ、よりリラックスした状態で出産に挑めると聞いたからです。まさかこのソフロロジーが出産時こんなにも役に立つとは、このときは思ってもいませんでした。 いざ、出産の瞬間!私の場合は上の子も下の子も、分娩時間約3時間というスピード出産でした。聞こえはいいですが、痛みのピークがジェットコースターのように襲いかかりました。そんなとき、妊娠中に練習を重ねた「ソフロロジー」をとにかく実践しまくったのです。痛みのピーク!→息を吐く「フゥーーー」→痛み「アイタタタ!」→息を吐く「フゥーーー」という感じです。 実際はもちろん痛いのですが、赤ちゃんに酸素を送ってあげなきゃ! と呼吸に意識を合わせることで、人生で初めて経験する壮絶な痛みにもパニックにならず、無事出産することができたのです。 妊娠後期まで続けたウォーキングのおかげもあり、出産中の慣れない姿勢や、痛みによる体力の消耗にもなんとか持ちこたえることができました。産後は会陰切開のダメージで1日目は思うように動くことができませんでしたが、2日目には普通に歩けるまで回復しました。もし自身が次の妊娠・出産を考えるなら、次回も絶対にソフロロジーを取り入れたいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:山野あかね2児の母。結婚を機に仕事を退職。現在、育児・家事・整理整頓のジャンルを中心に執筆活動中。
2019年12月31日わが家の三姉妹は歳が離れています。次女が妹を欲しがったことがきっかけとなり、三女が誕生しました。三女は早産になったため大変なこともありましたが、上の娘たちは三女をとてもかわいがってくれて、幸せを感じることもたくさん! 「歳の離れた姉妹ってどう?」と聞かれることがあるので、わが家の三姉妹の体験談をご紹介します。 娘がサンタさんに赤ちゃんをお願い?!次女は小さな子が好きで、幼稚園のお友だちの妹をよくかわいがっていました。私の友人が歳の離れた妹を出産したこともあり、「どうしてうちには赤ちゃんがいないの?」と言うように。 次女が年長のとき、クリスマス前にサンタさんへ何をお願いするか悩んでいました。尋ねると、「サンタさんに赤ちゃんを頼むか、おもちゃを頼むか考えている」という答えが……。本当に赤ちゃんが欲しいと思っているのだと気づき、びっくりしました。わが家は経済的にも子どもは2人だと思っていましたが、このことをきっかけに、もう1人いるともっと楽しいだろうなと思うようになりました。 3人目ができた喜びも束の間、早産に何となく「子どもが3人いるといいよね~」と思うようになったころ、第三子を妊娠。娘たちに伝えると、とっても喜んでくれました。しかし、妊娠28週に入ったころ、切迫早産から早産になり、三女はNICUに入院となりました。その病院ではママとパパ以外の面会には制限があり、窓越しで面会することしかできません。「早く上の子たちに抱っこさせてあげたい」と思う日々が続きました。 幸い三女は順調に成長し、生後100日で退院。ようやく三女を抱っこできる日、娘たちは小学校からダッシュで帰ってきました。初めて抱っこしたときの娘たちの笑顔は忘れられません。 歳の離れた姉妹でよかったこと三女は、長女とは10歳、次女とは7歳、年齢が離れています。上の子がお風呂に入れたり、ごはんをあげたりするのをサポートしてくれるので、私はとても助かっています。上の子ができないことと言えば、うんちのおむつ替えと寝かしつけくらい。いろいろ頼んでしまうので、我慢させていることもあるかもしれませんが、何よりかわいがって、一緒に遊んで笑っている姿はとても微笑ましいです。 「育児が終わらなくて大変ね」「お金がかかるわよ」などと言われることもありますが、今の幸せな瞬間はほかの何にもかえられないと思います。 三姉妹で楽しそうに笑い合う姿は本当にかわいくて、幸せを感じる瞬間です。上の子たちは三女のことを「とにかくかわいくてたまらない!」と言っています。歳の離れた兄弟・姉妹もいいものですよ!著者:小林更紗中1・小4・2歳の三姉妹の母。通関士資格保有。長女が小学生になるタイミングで、勤めていた通関業者を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月30日私が不妊治療を始めたのは28歳。周りの人には「まだ若いんだから焦らなくても……」と言われることもありましたが、私が不妊治療に踏み切った理由、そして不妊治療の経過をお伝えします。 自己流でタイミングをとってみるも…私が結婚したのは27歳のときでした。1つ年上の彼と1年間同棲し、結婚式と同時に入籍。結婚式後すぐに新婚旅行も済ませ、もういつ妊娠してもいい! と結婚当初から思っていました。 自己流でタイミングをとってみたものの、妊娠せず半年が過ぎました。このままだとただ時間だけが過ぎていってしまいそうで、焦りの気持ちが出てきました。ですが、焦っていたのは私だけで、夫はいつか妊娠するだろうとのほほんとしていました。 産婦人科医に相談したところ…産婦人科医に相談したところ、まだ結婚して1年も経っていないことや年齢からしても、急がなくていいんじゃない? と言われました。 しかし私は早く赤ちゃんに会いたかったのです。今のままではまだ見ぬ自分の赤ちゃんとの距離がまったく縮まらない感覚があり、焦りの気持ちが強くなっていました。また、年齢が上がるにつれて妊娠率が低下することも知っています。できることをしていきたいと先生に訴えたところ、検査をおこないながら、タイミングをみていこうということになりました。 卵管造影検査、精液検査、フーナーテストをおこない、どの検査も問題なし。あとはタイミングが合えば妊娠できるかな? と言われ、半年が経過しました……。 不妊治療専門病院へ!結婚して1年が過ぎ、もうしばらくタイミング法を続ける選択肢もありました。しかしもっとできることをやっていきたいと考え、不妊治療専門病院へ。 不妊の原因ははっきりしませんでしたが、体外受精に進むことになりました。不妊治療費は跳ね上がりましたが、夫も赤ちゃんを迎えにいこうという気持ちで快く賛成してくれました。 自然周期メインの施設でしたので、1周期で1つ採卵・移植をしていきました。すぐには妊娠できず、数回採卵・移植を繰り返し、妊娠することができました。妊娠経過は順調で、元気な女の子を出産しました。 振り返ってみて、私は自分の焦りに向き合い、治療を進めたことに満足しています。治療中は不安に押しつぶされそうになることもありました。しかし不妊治療を視野に入れたとき、自分の人生の一部と捉え、後悔しないように治療を始めるタイミングや進め方を夫や主治医と相談してよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:金子ゆかこ6カ月の女の子の母。職業は助産師。現在育休中であるため、娘と一緒だから経験できることを求めてアクティブに出かけている。
2019年12月30日母子健康手帳。ママなら誰でもその存在を知っていると思いますが、パパはどうでしょうか? 一度も読んだことがない、という人もいるかと思います。今回は、私が母子健康手帳をパパにも読んでもらいたいと思ったときのことや、その理由などをお話しします。 パパにも見せておけばよかった!「へぇ~。いろいろ書いてあるんだね~」。娘の1歳半健診の前日。私が母子健康手帳を開いていると、のぞき込みながらパパが言いました。 そのときにふと、そういえばパパは母子健康手帳を読んだことがないのでは……? と思ったのです。改めて読み返すと、書いてあるのはパパにも父親として知っておいてほしいことばかり。“母子”健康手帳という名前にとらわれすぎていたのか、これまでパパに見せようとまったく思わなかったことを激しく後悔しました。 理由1:心の準備にも使えたわが家のパパの場合、赤ちゃんと関わること自体が初めてで、最初はすべてのお世話に二の足を踏んでいました。無理もないことなのでしょうが、待ったなしで育児をすることになった私からすると、怖がってないで手伝って! という思いが強く……。 今思えば、パパは心の準備ができていなかったのかもしれません。妊娠中から母子健康手帳を一緒に読んだり書き込んだりしていれば、最初からもう少し前向きに育児に関わってくれたのではないかと思いました。 理由2:夫婦で情報共有ができた娘の体重、寝返りができるようになった時期、予防接種の進捗状況……。考えてみれば、逐一パパに報告はしていませんでした。しかし、これらはパパにも知っておいてほしい、そして知っておくべきことだと思います。 特に予防接種に関しては、私に何らかのアクシデントが発生した場合を考えると、パパにある程度、状況を把握しておいてもらう必要があります。母子健康手帳を一緒に見ながら、娘の発育に関する情報共有をするべきだと強く思いました。 母子健康手帳には、主に母子の健康状態などが記されています。しかし、だからといって母子だけのもの、にしておくにはもったいない! 家族で内容を共有すれば、もっと活用できると感じています。著者:上杉芽生一男一女の母。結婚を機に小売業の会社を退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月30日わが家は、長男がちょうど2歳になるタイミングで次男が誕生しました。当時、専業主婦だった私は、長男の面倒を見ながらの子育てで、次男は家で常におんぶスタイルでした。長男が小さかったころのようにもう少しのびのびさせてあげたかったと思いながら、次男に申し訳なく思った体験談を紹介します。 生後4カ月ころまでベビーベッドが定位置次男を出産後、退院してからは長男が赤ちゃん返りしてしまったこともあり、四六時中「ママ、抱っこして!」という状態でした。次男は夏生まれということもあり、外出ができない日々も続き、どんどん長男の精神状態が悪くなっていきました。 また、長男が次男を触りたがったので、基本的にはベビーベットで寝かしていたのですが、そこから出られるのは、授乳・沐浴・長男お昼寝のときのみ。次男になかなかかまってあげられなくて、いつも「ごめんね」の連続でした。 2歳の長男がやんちゃすぎた!次男の首がすわった生後3カ月ころからは、長男が家遊びだけではストレスが溜まるので、次男も連れて公園へ行く毎日になりました。外へ出ないと長男は泣きわめいて大暴れし、出たら出たでなかなか帰ることができない……。 気がつけば、次男はいつも公園ではベビーカーの中か、抱っこひもの中で眠ってくれていました。手がかからないというか、この生活環境に合わせてくれているように思っていました。長男が赤ちゃんのころは、よく話しかけながらお散歩したりしていましたが、次男には同じことをしてあげられていませんでした。 公園から戻ると次男は常におんぶ家では、次男をベビーベッドやバウンサーで休ませていると、即、長男からの襲撃がありました。「よし家事をするぞ!」と思ったところで、次男の顔にはひっかき傷ができていることも……。そのため、家事をするときは次男をおんぶするようになりました。 次男はおんぶされていると安心なのか、公園でもずっと寝ていたのに、自宅でもよく眠っていたものです。そのころの写真を見返しても、次男は寝ている写真ばかり! 当時から「ゆっくり遊んであげられなくてごめんね」と思っていました。 ある日、そんな話を家族にしたところ、母が休みになると長男を連れ出してくれるようになりました。「次男の宿命よね~」なんて家族は笑っていましたが、私としては次男には申し訳ないと思いながら悩んだことを覚えています。 わが家の場合は、家族の協力もあったことで、この問題は解消されたのだと思います。今では仲良く遊ぶ兄弟へと成長し、育児を楽しめるようになりました。著者:美容師・横田みお3歳と1歳の男の子の母。美容師の資格を取得後、ヘアカラーリスト・アイリストとして活動。結婚と出産を経てライターに転向し、主に美容の専門知識や子育ての記事を中心に執筆。
2019年12月30日生後2カ月を過ぎ、少しずつお出かけを始めた時期に、赤ちゃんを危険な状況にさせてしまいました。そのときのことをお話しします。 生後2カ月、お出かけ開始生後2カ月になり、少しずつお出かけを始めました。その日はうららかな春の日差しが感じられる日でした。友だちの赤ちゃんに会いに行こうと車でお出かけ。友だちと楽しい時間を過ごしてきました。 夕方になり友だちに別れを告げ、車へリュックを乗せた後、赤ちゃんをチャイルドシートに乗せました。そして後部座席のドアを閉めた瞬間、インロックがかかってしまったのです。いつもは鍵をサブバッグに入れ、肩にかけているのですが、その日はリュックにすべてまとめてしまっていたのです。 インロックがかかってしまい、パニック!!いくらロックを解除しようと運転席のドアのスイッチを押しても反応してくれません。夕方になってもまだ車の中は暑く、早く開けなければとパニック状態に!携帯もリュックの中に入れたまま……。自分ではどうすることもできず、友だちを呼んで携帯を貸してもらいました。 幸い友だちの家は自宅から近く、自宅に置いてあったスペアキーをお義母さんが届けてくれて無事15分ほどで赤ちゃんを車から降ろせましたが、赤ちゃんは汗だく。JAFにも電話をかけていましたが、到着するには50分程かかると言われていました。これがもう少し遅ければどうなっていたかと思うと、涙が止まりませんでした。 インロックの予防法は…後日、ディーラーの方に原因を伺ったところ、鏡が鍵の近くにあったり、その場所の環境などでスマートキーの電波を遮断してしまい誤作動が起きた可能性、そして車内にあってもドア付近に鍵があると認識されにくいということでした。 インロックの予防法は、とにかく鍵を肌身離さず持っていること。もっと暑い日だったら、遠くに出かけていたら……?! 今回は奇跡的に助かったものの、どうなっていたかわかりません。「絶対に鍵を手離してはいけない!」と心に誓いました。 著者:堀口ゆう生後2カ月の男の子の新米ママ。
2019年12月29日私の夫は妊娠初期から立ち会い出産を希望していました。しかし妊娠中のある日、分娩時に排便してしまう人もいるということを知り、夫にその状態を見られることが嫌で立ち会い出産をしたくないと強く感じるようになったのです。今回はそんな私がどのようにして立ち会い出産を受け入れるに至ったかをお伝えします。 立ち会い出産のメリット・デメリットとは?うんち問題を知ってからというもの、ひたすら立ち会い出産に対する拒否反応が出てしまいましたが、一度冷静になろうと思い、自分なりに立ち会い出産のメリット・デメリットについて考えてみました。まず夫が側にいてくれることのメリットとして挙げられることは、夫に父親としての自覚が芽生えやすくなる、出産の喜びを分かち合える、つらい陣痛・出産を側で支えてもらえるということです。反対にデメリットとして挙げられることは、陣痛で苦しんでいるときに思い通りに動いてくれずにイライラしそうなこと、出産後女性として見てもらえなくなるかもしれない、もし排便をしてしまったら生理的にその姿を見られたくないという気持ちが強いということです。これらを考えた上で私が出した結論は、やはり出産には立ち会ってほしくないというものでした。 夫との話し合いは平行線自分の考えを整理した上で夫と話し合いをしましたが、夫は変わらず立ち会い出産を希望しました。子どもの誕生の瞬間に立ち会いたいという夫の気持ちは理解できます。しかし、立ち会ってほしくないという私の気持ちに、夫が寄り添ってくれていないように感じて逆にショックでした。このころは、妊娠中でナーバスになっていた時期だったので、特にそう感じたのかもしれません。 助産師さんからの一言で立ち会い出産を決意その後、産婦人科に健診に行った際、助産師さんに立ち会い出産について夫と意見が合わないことを相談しました。すると、「出産は人間1人を産む命がけの作業なんだから、うんちくらい出て当たり前!」と一喝されました。 また、「陣痛のときは、肛門あたりを押さえてくれる人がいたほうが助かりますよ。それに、実際のお産の瞬間は、旦那さんは奥さんの枕元に立つ人が多いし、妊婦さんの下半身にはケープをかけるからもし排便をしてしまっても見えませんよ」と教えてもらい、とても気がラクになりました。うじうじ悩む前に先生や助産師さんに早く相談すればよかったです。おかげで私は夫の立ち会い出産を素直に受け入れることができるようになりました。 実際、夫は出産に立ち会ってくれたのですが、18時間の陣痛の末に帝王切開になったため、出産の瞬間を見ることは叶いませんでした。しかし、うんち問題は夫と出産のことを深く話し合うきっかけになったのでよかったと思います。著者:山中那緒子一児の母。7年間メーカー営業職を経験。現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談の記事執筆をおこなう。ベビー・キッズファッションが大好き。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年12月29日もともと私はよく食べるほうでしたが、妊娠によりその食欲はとどまることを知らず、第1子の妊娠では、食欲に負けて好きなものを好きなだけ食べた結果、22kgも増えてしまいました。そこから産後6カ月で、-25kgのダイエットに成功した体験談を紹介します。 妊娠中の食生活私はつわりもほとんどなかったため、妊娠期間を通して常に食欲がありました。1日3食の食事の他、夜中になれば菓子パンやお菓子をつまむこともよくありました。昼食後、シュークリームもよく食べました。 そんな生活を送っているうちに体重はみるみるうちに増加して、妊娠前は50kgだった体重が、出産直前には72kgにもなっていました。顔はまん丸になり、二の腕はパンパンになっていました。 産後の体重変化出産後、5kgは減っているだろうと思っていましたが、体重を測ってびっくり! 3kgしか減っていませんでした。完全母乳でしたが、産後3カ月経っても4kgしか減らず、焦りを感じ始めました。 そんなある日、赤ちゃんの湿疹が治らなくて病院に行くと、赤ちゃんに卵と乳アレルギーがあることが判明しました。そのため、「母乳をあげているからと言って極端に卵や乳製品を避ける必要はないけれど、バランスの良い食事を心がけるように」と医師から指示を受けました。 和食中心の食事を心がけた結果医師の指示を受けてからは、ケーキや菓子パンなどをやめ、和食中心の食事に変えました。 すると、今までわずかしか減らなかった体重がどんどん減っていき、産後6カ月の時点で、妊娠前の体重より3kg少ない47kgまで減っていました。25kgのダイエットに成功したのです。 今回は子どもの食物アレルギーがわかったことをきっかけに、私自身の食生活の見直しが必要となり、産後ダイエットの成功に繋がりました。成功を喜ぶ反面、妊娠中の体重管理をもっとしっかりするべきだったと反省もしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:松裏幸恵二男(二卵性の双子)一女の母。薬剤師として働きながら子育てをしている。自身の妊娠・出産・育児に関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月29日固ゆでした黄身から食べさせ始めた卵。ところがある日、私の認識の甘さから息子につらい思いをさせることになってしまいました。今回はそのお話をしようと思います。 食パンと卵を使ったパンプティングを食べさせたら息子が生後11カ月(離乳食後期)のときのある祝日。これまで特に食物アレルギーの反応もなく、その日は朝食に食パンと卵を使ったパンプティングを作りました。 しかし、できあがったものをレンジから取り出してみると、白身の塊の部分が少し柔らかいような気が。「大丈夫かな……?」と少し疑ったものの、色も白くなっているから火は通っているだろう、とそのまま与えてしまいました。これが、大きな間違いだったのです。 なぜか息子が不機嫌、そして嘔吐!朝食後、しばらくしてから私はいつも通り午前の昼寝をさせるため、ベッドに添い寝をして息子を寝かしつけようとしました。しかし、この日はなぜか息子が不機嫌で、泣いてばかりで寝る気配がありません。 「どうしたんだろう?」と思った、次の瞬間。息子がベッドの上にゲボッと嘔吐してしまいました。焦りつつも後片付けをしていたのですが、息子はその後も嘔吐を繰り返し、かなりつらそうです。私はある予感を胸に、救急病院へ急ぎました。 息子の卵アレルギーが判明救急病院での先生の診断は、私の予感通り「おそらく卵アレルギーでしょう」とのことでした。後日、改めてかかりつけの小児科を受診して検査をすると、息子は卵の白身にアレルギーを持っていることが判明しました。 今まで気付かなかったのは、白身に含まれるアレルギーの原因(たんぱく質)は、加熱すると変化し、アレルギーを起こしにくくなるそうで、息子は完全に加熱した卵の場合は大丈夫だったからです。加熱が不十分な卵を与えてしまったため、アレルギー反応が出てしまい、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 息子の場合はたまたま卵アレルギー持ちでしたが、加熱が不十分な卵を食べると食中毒になる可能性もあるそうです。私はこの日以降、息子に卵を食べさせるときは、念には念を入れて加熱するようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:上杉芽生一男一女の母。結婚を機に小売業の会社を退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月29日長女が生後10カ月のときに下の子の妊娠が判明しました。うれしい反面、まだ私にべったりの長女にさみしい思いをさせてしまわないか不安でもありました。お姉さんになる準備をしつつ、残り少ないひとりっ子の時間を満喫させながら、下の子を迎えたときのことをご紹介します。 2人目を妊娠。当時、長女は生後10カ月長女出産後、夫と私は年が離れていることもあり、2人目を考えるなら、なるべく早くと思っていました。しかし、いざ2人目の妊娠がわかったときに、うれしい気持ちと同時に長女の気持ちを考えると複雑な気持ちにもなりました。 私にべったりの長女がやきもちをやいたり、さみしい思いをしてしまわないだろうか……。せっかく2人目ができたのに素直に喜べなかったことを、おなかの子にも申し訳なく思いました。 「お姉ちゃん」になる準備はするべきか?長女本人はわかっているのかわかりませんが、周りからは「お姉ちゃんになるんだね」と言われるようになりました。ですが、私と夫は「お姉ちゃんになるんだから、しっかりさせないと」というよりは、残り数カ月のひとりっ子の時間を満喫させてあげようと考えました。 そのころからお人形遊びやおままごとに興味を持ち始めていたので、赤ちゃんの存在を知ってもらおうと一緒にお人形のお世話をしながら遊んでいました。 想像以上に「お姉ちゃん」らしい長女に感激!そして迎えた出産。立ち会いOKの産院だったので、さっそく出産直後の赤ちゃんと長女を会わせることにしました。長女は不思議そうに赤ちゃんを見ていましたが、産後、私と赤ちゃんが突然家に帰るより、生まれたばかりの赤ちゃんを見せるほうがいいと思ったのです。 その後退院し、家に帰った私が赤ちゃんのおむつ替えなどをしていると、長女は「自分もしたい」とおむつを持ってきました。またある日は、赤ちゃんが泣いていると私を呼びにきてくれました。長女は、私の想像以上にしっかり「お姉ちゃん」になっていたのです。 年子だからまだ難しいだろうと思っていましたが、想像以上に赤ちゃんをすんなり受け入れた長女。下の子を自分より小さいものとして大事にしている姿に日々感激しています。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年12月28日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張ってしまい、「アナフィラクトイド紫斑病」になってしまったニシカタさん。体調不良のなか、赤ちゃんの体重が増えない、でも母乳育児を続けたい気持ちと葛藤……そしていよいよ、1カ月健診の日。 この360度ケープは、当時の私には使いこなせず、違うものに買い替えました。ケープを初めて使うのが外出先、しかも超焦っていたので全然うまく使えず、トラウマになってしまいました(笑)。ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ 著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年12月27日わが家の次女は、口唇口蓋裂で生まれました。生後5カ月と1歳ごろの2回、手術を受け、外見ではわからないほどきれいになりました。ただ、歯並びが悪く、毎月歯医者に通ったり、言葉がはっきりせずに教室へ通ったりしています。今回は、言葉の面で起きた悩みについてお伝えいたします。 たくさん話すのに理解できない次女は、1歳過ぎに片言の言葉を話し始めましたが、鼻にかかった話し方をするため、聞き取りにくい状態でした。口唇裂だけの場合は、言葉の問題は出にくいそうですが、口蓋裂があると元々鼻と口がつながっていたため、特殊な息づかい、言葉の出し方となり、鼻がかった発音になる場合が多いそうです。 ただ、昔より早めに口蓋裂を閉じる手術がなされていて、軽減されているようです。わが子も1歳で口蓋裂を閉じましたが、発声の仕方は特殊なままでした。 根気よく話を聞いてあげる最初のころは、言っていることがわからなくても相槌を打ってあげれば娘は満足していたので、困ることはありませんでした。ただ、“魔の2歳児”の時期になってくると意思がしっかりとしてきて、理解してあげないと、かなり怒って手がつけられない状態。 こちらもイライラしてしまうことがありましたが、「わかってあげられなくてごめんね、もう一度ゆっくり話してみて」と落ち着いて聞いてあげると、頑張って伝えようとしてくれました。 3歳からは「ことばの教室」へ主治医の先生にすすめられ、「ことばの教室」へ通うようになりました。言語聴覚士の方が発音のチェックをして、遊びながら発音を修正してくれるので、次女も喜んで通っています。 週一で1時間ほど教室へ通うことにより、本人も発音の仕方を習得して、どんどん上達しているので、本当によかったと思っています。私の地元の「ことばの教室」は、先生が各学校をまわって、口唇口蓋裂でないお子さんでも発音に不安のある方は利用できるそうです。 外見は手術でどんどんきれいになりますが、言葉の問題を解決するには時間と努力が必要になります。けれど確実に上達するので、子どもと協力して、乗り越えていけたらと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年12月26日妊娠・出産は病気ではないといいますが、何が起こるか予測できないというのも事実です。母子ともに健康で、より安心・安全に出産を終えたい! という方も多いことでしょう。今回は、より安心した環境で産みたい! ということで産院を選んだママたちの体験談をご紹介します。 私は、お医者さんが4人常勤でいらっしゃる産婦人科を選びました。緊急帝王切開になったとき、お医者さんがひとりだと大きな病院へ移らないといけないことがあるからです。よかったのは、ひとりの先生ではなく2人の先生に健診をしてもらっていたので、いろいろな見解を聞けたことです。少し2人の意見が違うと悩んでしまうこともありましたが、そのときは院長先生に質問して答えていただいていました。逆子が治らず、予定帝王切開でしたが、2人の先生が執刀してくださり、安心して産むことできました。 1人目のときは、自分が生まれた産婦人科で私も産みたい! と思い、地元の個人病院に迷わず決めました。しかし切迫早産になり1カ月入院……。2人目のときは、何かあったら心配なので夫と話し合い、総合病院を希望しました。 大きい病院は子どもや自身に何かあったときに、すぐに対応してもらえるので安心感があります。2人目の子どもが生まれてすぐに異常が見つかり、緊急手術になりました。術後はNICUに入院になったのですが、自分も同じ病院に入院しているので毎日退院するまでいつでも見に行くことができました。大きい病院で産んでよかったと思いました。 無痛分娩にしようと思い病院を探していましたが、無痛分娩に反対の夫が、産婦人科医と小児科医(NlCU勤務経験者)と助産師が分娩に立ち会う病院を探してきました。出産に医師が2人立ち会うことや、母体は産婦人科医、子どもは小児科医が診てくれ、子どもは生まれたときからその後成長していってもずっとその先生に診てもらえるので、すべて理解してくれているという安心感で選びました。 不妊治療後の妊娠だったこともあり、少しのトラブルにも安心して対応してもらえるように、NICUがある周産期母子医療センターに指定されている病院を選びました。 1人目は何かあったらいけないからと思い、総合病院へ行くことにしました。大きな病院だったので、産婦人科の外来と検査室が離れており、その結果、尿検査とか血液検査とか2階へ行ったり1階へ行ったりと、後期のおなかが大きくなった状態での移動ははきつかったです。 無痛分娩を希望していたため病院の選択肢は狭かったのですが、妊娠確定をもらった婦人科で何件か紹介してもらい、そのなかから決めました。家から一番近い病院は、妊娠2カ月時に連絡しましたが、すでに満員で受けつけてもらえませんでした。結局、家から車で1時間弱かかる病院に決めたのですが、大きな病院で小児科が有名だったので、もしもの時の安心感もあり、ここにしてよかったと思っています。 安心できる環境を重視して産院を選んだママたちの体験談をご紹介しました。医師が多い、小児専門医がいるなどの理由から総合病院を選ぶママも多いようです。みなさんは産院選びの際、何を重視しましたか?イラスト:(c)chicchimama
2019年12月26日