映画『ミッシング』(5月17日公開)の公開直前「母の日」特別試写会が9日に都内で行われ、石原さとみ、三田友梨佳が登壇した。同作は、吉田恵輔監督(※吉はつちよし)によるオリジナル作で、とある街で起きた少女の行方不明事件を描く。娘が行方不明になった時、母・沙織里(石原)はネット上で誹謗中傷の投稿がなされ、苛立ちを募らせていく。さらに日が経つにつれ、夫・豊(青木崇高)との温度差も感じ始め、言動も次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまう。一方、地元テレビ局の記者・砂田(中村倫也)には局上層部の意向で、視聴率獲得の為に世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。○■石原さとみ、『ミッシング』「母の日」特別試写会に登場まもなく母の日ということで女性限定で行われた今回の試写会。主演の石原のほか、昨年、第1子を出産した三田がトークゲストとして登場した。撮影は昨年行われたという今作だが、台本自体は4年前に石原のもとに渡っていたそうで、石原は「娘を失う母親役というものに、正直あまりピンときていなくて、想像でしかなかった」と振り返える。しかし、出産を経て変化があったようで、「子を産んだ後に撮影ということで、子供が生まれてから久しぶりに(台本を)読んだ時の衝撃はもう……苦しくて(台本を)開けなかったぐらい、すごく覚悟がいる作品だったなと思います」と語った。出産後初の母親役についても「(出産前に演じた母親役)とは全然違いました」と話した石原。「撮影ではセリフがない部分も結構撮っていて。その部分は、本当に自分に子供がいなかったら想像できなかったなという感情がたくさんあって。自分の実体験が生きている役だなと感じました。自分の命よりも大切だと思う存在ができたからこそ、失ったつらさがわかる」と違いを明かした。また、三田も「母親って心も体もたくましくなる。スーパーの帰りに子供を抱えながら重い荷物を持つというのも、これまでだったらできていないのに、軽々持ってしまう自分に驚いてしまう」と同じ母として共感。石原も「確かに! 全然できますよね? 不思議ですね」とママトークを展開しつつ、深く頷いていた。石原にとって出産後初の主演映画となった今作。「仕事と子育ての両立」について石原は「ほんっとうに大変! 本当に大変でした!」と繰り返し、「『ミッシング』の撮影は3週間で終わって。役に没頭できたのもありますし、まだ保育園に行かせてなかったので家族とシッターさんの力を借りて乗り越えられた」と振り返る。続けて「正直言うと、連ドラのほうが撮影期間が長かったので大変。子どもの病気といちばん大変なシーンとスケジュールとが重なったときは、もうカオスでした……」と苦労をにじませていた。
2024年05月09日「お友達が嫌な気持ちになるよ?」と……木村祐一さんと西方凌さんは2012年5月に結婚。2016年11月に長女、2020年2月に長男が誕生しています。今年4月には「沖縄へのプチ移住」を発表しました。5月7日、「最近、これまでで一番の反抗期を迎えている娘。制御不能のティーンエイジャーのような態度と口調に頭を抱えています」と打ち明けた西方さん。「これまでの七年半、反省して悩んで解決策を探り取り組み…を繰り返してきた」という7歳半になる長女の子育てについて、反省を綴っています。最大の反省点は「幼少期に怒り過ぎた事」「人の目を気にし、相手(お友達)の気持ちを尊重し過ぎて娘の心を大切にしなかった」。長女が小さかった頃、「娘は感情を怒りで表す事が多く、気も強く口調がキツいので誤解されることもしばしば。幼少期はトラブルも多かった」ことから、必要以上に怒ってしまう時期があり、「理由だってあったはずなのに、気持ちに寄り添う前に叱るのではなく怒ってしまっていました」と振り返りました。印象的なエピソードとして綴ったのは、長女のお友達が「一緒に帰ろう」と誘ってくれたときのこと。『娘はその時、一人で帰りたい気分だったらしく「どうしようかな…」と答えてその場で動かなくなりました。はっきりしない娘に「一緒に帰りたいって言ってくれてるんだから一緒に帰ろうよ。」と言うと「やっぱり一人で帰ろうかな」と。お友達も相手のお母さんも見ていて一緒に帰るのを待ってくれていたので、私は思わず手を引き半ば無理矢理一緒に帰りました。すると娘は、友達より先に歩いたり 話に返事をしなかったり…「なんだか、ごめんね」と、私はお友達とママに謝り別れました。』(西方凌さんInstagramより)その後、西方さんが長女に「どうしてそんな態度なの?お友達が嫌な気持ちになるよ?」と言うと、「だから私は最初から一緒に帰りたくないって言った」という返事。それでも「でも、一緒に帰ろうって言ってくれてるんだから一緒に楽しく帰れば良かったじゃない?」と重ねて諭そうとしたところ……長女は、「じゃぁ私の気持ちはどうなるの?」と言ったのだといいます。この一言に衝撃を受けた西方さんは、「私は周りにどう思われるかばかりを気にして、娘の気持ちを大切にしていなかった。トラブルを無くすことばかり考えていて、娘の気持ちには何一つ寄り添えていなかったのです」と、自らの過ちに気づいたそうです。過去の様々な出来事を振り返り、「あの時も、この間のあの出来事も。私は娘の気持ちではなく、人の目やお友達の気持ちを優先にしてきたな」とあらためて気づいた西方さんは、教育セミナーを受けて教わったことを実践しますが、「分かっちゃいるけど出来ない…の連続」。ただ、長女自身も成長とともに「自分の怒りっぽいところを直したい」と思うようになり、頑張っているといいます。そんな西方さんがひとつはっきり分かっていることだと断言するのは、「私自身が変わらなければ 娘も変われないと言う事」。『「変わりたい」と泣く娘の為にも今は、娘に寄り添い 全てを受け入れ 厳しく咎めず、心に余裕を持ちたい。(理想は高く)』(西方凌さんInstagramより)長い時間がかかるとしても、まず自分を変えることで娘を、そして親子の関係性を変えていくという西方さんの宣誓に、夫・木村さんはコメント欄で「凄く、しかも真摯に向き合う形。今は多少離れているけど、一番近くで見ているつもりです。私こそ変わります。変えていきます。どうぞ宜しくお願いしますねかーちゃん」と記していました。また、同じような経験を持つ人は少なくないようで、「私も同じように周りに我が子を合わせようとしてしまう事があります」「読みながら涙が出ました。なぜなら、本当に同じ経験をしたからです」「泣いてしまった…私も怒りすぎ、人の目気にしすぎで」と、共感の声が多く寄せられています。2つの反抗期の間にある「中間反抗期」我が子への接し方に悩まない親はいないでしょう。イヤイヤ期を経て小学生になり、ちょっとお兄ちゃん・お姉ちゃんになったと思ったら、すさまじい反抗期が訪れて戸惑う人も少なくないようです。年長さん~小学校低学年頃のお子さんは、素直に親の言葉を聞き入れず反発することがよくあります。「中間反抗期」と呼ばれるものですが、この時期は少しずつ世界を広げて自分を確立しようとしたり、何でも自分で考えてやってみようと試行錯誤しています。頭ごなしに叱ったり親の考えを押し付けたりせず、子どもの意思を尊重してあげたいものですが、親としてどんな心構えで接すれば良いのか考えてみましょう。たとえ失敗に繋がったとしても、先回りして口うるさく言うよりも「自分で決めてチャレンジできた」経験・「失敗を踏まえてどうするかを考えられた」経験のほうがこの時期の子どもには大切です。成長するいい機会だと思い、落ち着いたタイミングでゆっくりと話を聞いてみましょう。少しずつ親離れを始めるこの時期、親側は干渉しすぎず、見守りの姿勢を身につけることが大切です。いじめや犯罪などモラルに反すること、危険なこと、家族の約束事として守ってほしいことは毅然と注意する必要がありますが、友達との秘密や自分だけにしておきたいことを無理に聞き出すのはぐっとこらえましょう。生意気な言動をとる子供に対し、カッとなって激しく怒りたくなることもありますよね。ただ感情に任せてきつく言うことは逆効果です。伝えるべきことを簡潔に伝え、こちらの感情をぶつけないように心がけましょう。たとえ反抗的な態度を取っていても、本当はまだまだ甘えたい気持ちもある子ども。大人に突き放すような態度を取られると、受け入れてもらえない不安や孤独感を感じてしまいます。子どもの頃に育まれる自己肯定感は、主体性を持って人生を前向きに生きる原動力です。未熟なところはたくさんあっても、自分なりに色々なことを考えているのです。他のきょうだいやお友達と比較して責めたり否定したりすると、劣等感を強めて自己肯定感の低い子になってしまうこともあります。「誰と比べてどう」ではなくあくまでも1人の人として「こうしてほしい」「こうなってほしい」ということを伝えるようにしましょう。参照:小学入学前後に来た「中間反抗期」の5つの特徴とは?効果ありの対処法とタイプ別関わりのコツ【心理カウンセラー解説】
2024年05月08日長野県辰野町にて、子育て家族向け会員制宿泊サービス「Co-Sato(こさと)」を運営するMoonBase株式会社は、クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」にて、施設改修費用・新規会員の募集を開始しました。募集期間は2024年4月23日(火)から5月26日(日)、目標金額は150万円で、開始2週間で90万円を突破しました。クラウドファンディングページ: 子育て家族向け自然体験宿泊サービス Co-Sato■「Co-Sato」立ち上げの背景と概要子連れ旅行には「子連れ最適な宿、体験を探す手間がかかる」「荷物が多く移動が大変」「子どもに付きっきりで親の気が休まらない」などの課題があります。「Co-Sato」は、そんな子連れ旅行にまつわる悩みを解消する子育て家族向け会員制宿泊サービスです。複数の会員家族と学生スタッフで一緒に田舎暮らしを送る体験を提供します。本クラウドファンディングにて調達した資金は2023年1月に長野県辰野町にプレオープンした第1号拠点の施設改修費用に充てます。Co-Satoの特徴■Co-Satoの特徴(1)長野県辰野町の豊かな自然環境畑作業、山菜採り、森遊び、川遊び、動物との触れ合いなどの自然体験を楽しめます。辰野町地域おこし協力隊を務め、地域の見所を熟知した管理人が、利用者の希望に応じて体験をコーディネートし、行き先探しの手間を解消します。(2)複数家族で一緒に宿泊3家族で一緒に宿泊し、ライフステージや子育て観の近い家族同士の交流を楽しめます。(寝室は家庭ごとの個室有)(3)遊び・生活をサポートする学生スタッフ学生スタッフが遊び相手をすることで、子どもたちを心ゆくまで楽しませるとともに、宿泊中の親御さんの負担を軽減します。(4)子育て家族に特化した宿泊設備おむつ・玩具・ベビーチェアなどをご用意し、最小限の荷物で宿泊に来られる環境を整えることで移動の負担を軽減します。■取材について以下日程でしたら、当社代表の小菅 勇太郎へのインタビュー、東京からお越しの子育て家族がヤギの餌やりや森遊び、田植え(5/26のみ)をしている様子などをご取材いただけます。是非ともご取材賜りますよう、お願い申し上げます。5月17日(金)、18日(土)、19日(日)、24日(金)、25日(土)、26日(日)Co-Sato辰野川島拠点ヤギとの触れ合い森の中でBBQ川遊び■クラウドファンディングプロジェクト名: 子育て家族の「行きつけの田舎」Co-Satoが、長野県辰野町にオープンします!実施期間 : 2024年4月23日(火)~5月26日(日)URL : ■MoonBase株式会社について本社所在地: 長野県上伊那郡辰野町辰野1705-1 STUDIOリバー 3F代表取締役: 小菅 勇太郎設立 : 2021年7月事業内容 : 子育て家族のための会員制宿泊サービス Co-Sato・地域活性化コミュニティ Rural Labo・地域留学サービス Rural留学・まちの関係人口創出事業ほかURL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年05月08日【音楽通信】第157回目に登場するのは、結成15周年というアニバーサリーイヤーを駆け抜けている永遠の週末ヒロイン、ももいろクローバーZ!中学生から活動してきて15周年は感慨深い写真左奥から時計まわりに百田夏菜子、玉井詩織、高城れに、佐々木彩夏。【音楽通信】vol.157百田夏菜子さん、玉井詩織さん、佐々木彩夏さん、高城れにさんの4人からなるガールズユニット通称“ももクロ”こと「ももいろクローバーZ」は2008年に結成され、2010年にメジャーデビュー。2014年に女性グループとしては初めて国立競技場での単独ライブを成功させ、2016年にはドームツアーを開催するなど数々の偉業を成し遂げ、アイドルシーンを牽引してきました。そして2023年、グループ結成15周年を迎え、2024年5月8日には7stアルバム『イドラ』をリリースされるということで、今回、ももいろクローバーZのメンバー全員にお話をうかがいました。――2024年5月まで結成15周年のアニバーサリーイヤーとなりますが、これまでを振り返ってみていかがですか?百田すごく不思議な感じです。周りのかたにも「15周年なんです」と言うと「何歳から活動してたの?」と驚かれることも多くて(笑)。中学生から活動していますが、アイドル活動に限らずさまざまな変化がある10代や20代という時期に、ずっとももクロとしてやってこられたんだなと思うと、感慨深いです。玉井結成10周年からの5年間がとくにあっという間だったなと。もともとはこんなに長く続けていくグループになると思わなかったので、正直私たちが一番驚いているところもあります。でもそれと同時に15年という長い間続けてこられているのは、やっぱり応援してくださるファンのかた、周りのかたの支えがあってこそなので、すごく感謝しています。アイドルで15年というとベテランの域に入ってくるのかもしれませんが、感覚的にはいつまでもまだまだだな、という気持ちを持ちながら続けていられることが幸せです。佐々木こうやって取材していただいていると「本当に15周年なんだな」と、やっと実感するぐらい、あまり自覚はないのですが、思い返してみればすごく濃厚な15年間でした。ここまで続けてこられたのはファンのみなさんが一緒についてきてくれたからです。コロナ禍でライブに行けない時期を経て、昨年からはようやくツアーでみなさんのところに会いに行って楽しい時間を共有できる、お礼の気持ちを伝えられる時間ができているので、良いアニバーサリーイヤーになっています。高城みなさんから祝福の言葉をいただくと、あらためて「15年間やってきてよかったな」と思いますし、あっという間の15年でした。結成当時、私たちはまだ学生だったので、ももクロは本当に青春を駆け抜けている感じがして。15年を過ぎてもなお私たちの青春は続いているという印象がありますね。新作は“アイドルの冒険”と歩いてきた道が凝縮リーダー 百田夏菜子。1994年7月12日、静岡県生まれ。AB型。自分にとってももクロとは?「私を成長させてくれる場所」。――2024年5月8日に7stアルバム『イドラ』をリリースされます。まずアルバムタイトルの意味からお聞かせください。百田「イドラ」はラテン語で「偶像」という意味で、アイドルの語源とされている言葉でもあります。今回のアルバムは、ヒーローをモチーフにしているんですが、私たちとしては“アイドルの冒険”という意味合いもあって。新しい曲も収録されていますが、いままで歌ってきている曲も入っていますし、どれもファンのみなさんと歩いてきた道を思い起こさせるような言葉が歌詞にも詰め込まれています。――新曲を中心に収録曲についてお聞かせください。まずリード曲の2曲目「Heroes」は元気をもらえる新曲ですね。玉井この曲は、アルバム全体の流れでいうと、冒険の始まりがテーマとなっています。これまで活動してきた15年がアイドルとしての旅や冒険のようで、素晴らしい景色を見てきたというベースがあるので、この曲には新たな出発という意味も込めています。旅の始まりということで、サビはキャッチーですし、明るい曲になっています。佐々木これから何かに挑戦されるかたの背中を押せるような曲です。私たちも歌っていて、この曲に勇気づけられますし、前向きな気持ちになれる曲ですね。――5曲目「MEKIMEKI」は、和風テイストも楽しめる明るい楽曲です。百田日本郵政さんの「カラダうごかせ!ニッポン!」プロジェクトのタイアップの新曲です。4人で担当が分かれていて、4パターンの違うテンポやリズムが楽しめる楽曲になっています。私はマッスル担当(笑)なので、勢いのあるパートになっていますが、リラックス担当だとゆったりしたメロディに音楽が切り替わるので、面白い曲。老若男女問わず、みんなでカラダを動かして健康になろうというのがテーマです。高城あーりん(佐々木彩夏)はエアロビクス担当で、しーちゃん(玉井詩織)はストレッチ、(百田)夏菜子ちゃんはマッスルだから筋トレ担当。一方、私が担当させていただいたのは、心のストレッチなんですよ。リラクゼーションがメインなのでそこまでカラダを動かすことなく、ほんわかとやらせていただいたので、全然筋肉痛にならなかったですね。玉井詩織。1995年6月4日、神奈川県生まれ。A型。自分にとってももクロとは?「第二の家族、自分達のやりたいことが出来る」。佐々木私たちは、ミュージックビデオでもしっかり体操して、翌日筋肉痛に(苦笑)。そんなハードな体操ではないんですが、普段使っていない筋肉を動かせるようになっているので、曲と合わせて楽しんでいただけたらなと思います。――8曲目「桃照桃神(ももてらすももみかみ)」は、スパイスのきいたラップを聴かせる楽曲ですね。佐々木私たちのアルバムはラップ曲が1曲入るのが定番なので、今回も収録しました。歌詞には、いまの状況とリンクするワードがたくさん盛り込まれています。百田アルバムの流れで言ったら、覚醒の部分になる曲。かっこいいラップ曲で、ひと味違うスパイスになっています。4人のマイクリレーが心地よく、細かい韻もたくさん踏んでいるので、スピード感のあるイケイケな曲になりました。ももクロらしさもありつつとてもダンサブルなので、ぜひライブで披露するときはみなさんに盛り上がってほしいですね。曲名の「桃照桃神」は、神様の「天照大神」からきているのですが、今回はアルバムのジャケットも衣装も、女神様からインスピレーションを受けた要素を入れ込んだものになっています。――浮遊感のある10曲目「追憶のファンファーレ」はいかがですか。新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」などの作曲をされているyonkeyさんが担当ですね。玉井アルバムのなかで唯一スローなテンポの曲です。冒険していくなかでの挫折を歌った曲になっていて。私たちも15年活動していると、すべてがうまくいくことばかりじゃなかったり、辛かった経験もあったりします。きっとみなさんも人生においてそういう経験があると思うんですが、そんなときにちょっと寄り添ってくれるような曲。その経験を受け入れて、これからの旅に進んでいくというイメージです。――13曲目「Friends Friends Friends」は小気味良い楽曲です。百田清竜人さんの曲ですね。佐々木前回作っていただいたのが、6、7年前とか?高城そうだったかな?佐々木彩夏。1996年6月11日、神奈川県生まれ。AB型。自分にとってももクロとは?「ダイヤモンドみたいに光り輝く夢いっぱいのもの」。佐々木久しぶりに清竜人さんに曲を作っていただいたのですが、竜人さん節が炸裂していて。メロディラインにいろんなメロディが出てきて、覚えるのは大変でした。曲名に「Friends」とありますが、友達はもちろん、私たちとファンのみなさんの関係性だったり、家族だったり、メンバーだったり。そんないろいろな意味を含めた、大切な人という意味の「Friends」です。みなさんの大切な人にあてはめて聴いていただけたら、共感してもらえるところもたくさんあるんじゃないかな。百田清さんは、可愛い歌詞の印象があって。乙女心を歌詞や曲にして作ってくださることが多いので、最初にこの曲を聴いたときに恋の歌なのかなと思ったんですが、友達の歌でもありました。そして何よりもキーが高くて、清さんと一緒にレコーディングをしていても、キーが高すぎて運動部の部活をやっている気分になるくらい(笑)。冬なのにめちゃめちゃ汗をかいて、走った後みたいでした。そのくらいエネルギーを使う曲なので、ライブでも盛り上がるんじゃないかなという1曲です。――アルバムの最後を飾るタイトル曲「idola」は壮大な楽曲で、歌詞は神の啓示のような印象すらありますね。佐々木すっごい難しい曲です。玉井その通り!高城本当に!全員過去一難しい曲。佐々木聴いているぶんには耳心地がいい素敵な曲なんですが、歌入れは本当に難しかったです。いらいらしながらやりました(苦笑)、「歌えないんだけど」って。玉井あーりんは歌入れのときトップバッターだったもんね。佐々木そう。なんで私がトップバッター!?って。私たちは個別にレコーディングするんですが、終わってすぐみんなに「やばいよ」って(苦笑)。高城れに。1993年6月21日、神奈川県生まれ。O型。自分にとってももクロとは?「私の一番の宝物(ファンの方々、メンバー、スタッフ)」。玉井大変だというウワサがどんどんまわってきて(笑)。あの曲はやばいらしいと。高城私が一番最後にレコーディングしたんですが、録り終わったメンバーが口をそろえて「れにちゃん、これ絶対できないよ」って(笑)。玉井すぐ伝えたよね(笑)。高城私はもともと3拍子の曲が苦手なのですが、この曲は3拍子も5拍子もあってリズムの取り方が難しいから、レコーディングも大変だと思うと事前に聞かされていて(笑)。ただ、すごく世界観がありますし、アルバム全体を通してわりとポップな感じやかっこいい感じの曲が多いからこそ、最後にこの曲でギュッとしまるかなと。大事なポジションにいる曲ですね。佐々木アルバムを締めくくる曲なので気合いが入ったところもあるんですが、NARASAKIさんと只野菜摘さんという、私たちも昔からお世話になっているおふたりのタッグ曲なので、みんなの気持ちもたくさん詰まった思い出深い1曲になっています。百田未だに難しいなと思っていて…。玉井ライブで歌えるだろうかと、ちょっと心配になっています。高城大丈夫かな…。佐々木レコーディングは無事終わったものの、恐ろしい曲ですね(笑)。私たちの挑戦の1曲だったかなと思います。――どんなふうにアルバムを聴いてほしいでしょうか。高城ヒーローの冒険がベースにあるアルバムですが、みなさんにもきっと自分にとってのアイドル的存在やヒーローがいたり、自分がヒーローの立場になることもあり得るかと思います。そしてどんなに強い人でも、出会いや挑戦、挫折があると思いますが、そういったいろいろな場面で共感してもらえる楽曲がたくさんありますので、そのときどきの楽しみ方で聴いてほしいですね。楽しみながら、新しいものに出会っていきたい――お話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか。佐々木ゴルフですね。玉井私もゴルフです。1日お休みの日があったら行きますね。佐々木普段、自然の中に行くことがあまりないので、ゴルフはすごく健康的で気持ちいいですよ。朝から動いて1日を有意義に使えた感じもしますし、激しい運動じゃないですが、運動している気持ちにもなりますし、携帯にある歩数計を見るとすごく歩いていることもわかりますし、ハマっています。百田私はもともと健康オタクで、カラダを動かすことも好きなんですが、最近は脚のストレッチにハマっています。美容が好きな友達と遊びながら「よし、ここからここまでの期間であのデニムをかっこよく履きこなすキャンペーンをしよう!」という感じで(笑)、カラダのパーツごとにストレッチをしています。少し前はおしりを重点的にしたので、いまは脚。佐々木美脚?百田そう!美脚になろうキャンペーン中(笑)。あとは保湿をしたり、アザだけは作らないようにしたり。バリバリ運動するのは年々ちょっと疲れやすくなってきていますが、これならもし結果が出なくても誰にも怒られないので、友達と気楽にできていいですよ。高城私は最近というよりも前からになりますが、お料理にハマっています。料理はストレス発散にもなるので、よく作りますね。煮物が得意なので、和食をよく作っています。あとは旅行雑誌を見て、次のお休みの計画を立てるのも好きですね。――ちなみにアルバムのジャケ写でも着ている今日のお衣装ですが、百田さんは「太陽のように輝く女神様」、玉井さんは「勇ましくて賢い女神様」、佐々木さんは「愛と美の女神様」、高城さんは「アジアの天女のような優しい女神様」からインスピレーションを膨らませてデザインされているそうですね。百田いままでいろんな衣装を着させてもらってきたんですが、初めてのテーマでした。ヘッドのアクセサリーが印象的な衣装は過去にもあったんですが、最近なくて。久々に来たかと思って付けました(笑)。玉井私の衣装は肩が重いです(笑)。佐々木全部が手作りなんですよ。玉井ひとりでもインパクトがありますけど、4人並んだときのインパクトもすごいみたいです。――わかります(笑)!ももクロのみなさんがとても神々しいです。佐々木ははは(笑)。みんなそれぞれ衣装の形やテーマは違いますが、素材感は合わせていて、4人そろうと統一感があります。個性があってかわいい。――では、普段のファッションは、どのようなものがお好きなんですか?玉井私はパンツスタイルが好きです。ゆったりとしたシルエットが好きなんですが、大きく見えないようにアクセサリーで変化を出すことも。デニムばかり履くので、トップスだけ変えればいいんじゃないかと思って、最近はトップスを大量に買いました。百田私はあたたかい格好が好きなんです。もう春になりましたが、冬の時期はとくに寒くて、着るものにも困って…。佐々木季節としては春でも、すごく着込んできたことあったよね?百田寒くて(笑)。高城重ね着しちゃうんだね(笑)。玉井5枚ぐらい着てた(笑)?百田そう。いろいろなお洋服を着たいんですが、気温によって左右されます。佐々木私はロングスカートやワンピースを着ることが多いかな。布が気持ちいいことが大事です。玉井わかる!佐々木着心地を重視するので、柔らかい素材とか、シルエットがきれいなものとかがいいですね。高城私は肌が出るデザインやカラダのラインがピタッと出るものが好きです。最近挑戦したいのは、パキッとした鮮やかな色。パステルカラーは挑戦したことがあるので、今度は春らしい色が着てみたいな。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後にメンバーおひとりずつの個人的な抱負と、リーダーの百田さんから「ももいろクローバーZ」としての今後の抱負を教えてください。百田個人的には、20代最後の年齢になるので、この年を楽しみたいです。年齢を重ねるごとにカラダの変化もあるので、いつでもしっかりと動けるような体作りを目標にしたいですね。高城私は今年31歳になるので、もう少し自立したいです。いつか資格を取りたいと思っていて、時間があるときにちょっとずつ本を読んで勉強しています。35歳までに資格が取れたらいいかなって。――何の勉強をしているのですか?高城子どもがすごく好きなので、近所の幼稚園に遊びに行って、先生からも許可をいただいて、園児たちと触れ合うことがあるんです。だから保育系の資格がいつか取れたらいいなと。でも急ぐとプレッシャーで勉強しなくなっちゃうので、長い目で見て、ゆっくりコツコツと続けていけたらと思います。この間も、子どもたちが「御礼に」と、メッセージをくれたり、ももクロのダンスを踊ってくれて感激しました。玉井私は今年20代最後を迎えるので、悔いなく楽しみたいな。30代になってもできることはたくさんあると思いますが、20代を最後までやり尽くして、お仕事もプライベートも充実させて過ごしたいと思います。佐々木私はまだまだ若いので…。百田・玉井・高城おいおい(笑)!玉井この関係性は変わらないので(笑)。百田いつも言うんですよ(笑)。佐々木はいはい(笑)。みんなよりまだ若いので、髪の毛をツヤツヤにするよう、ヘアケアを頑張る年にします!百田グループとしての抱負なのですが、実はあまり先のことを考えたことがなくて、今日どうやって過ごすか、明日どうやって過ごすか?というように過ごしてきました。なので、これからもあえて目標を決めずに、出会ったものに対して楽しみながら飛び込んでいくスタンスで、新しいものに出会っていきたいですね!取材後記国民的アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の百田夏菜子さん、玉井詩織さん、佐々木彩夏さん、高城れにさんの全員がananwebに登場。インタビューでも語ってくださっていますが、今作のテーマのお衣装があまりにも神々しくて、みなさんがそろうと圧巻でした。明るく朗らかな4人のパワーで、取材現場もポジティブに。そんなももいろクローバーZのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみりももいろクローバーZPROFILE百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、高城れにの4人からなるアイドルグループ。2008年に「ももいろクローバー」名義で結成され、2010年にシングル「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー。2011年にグループ名を「ももいろクローバーZ」へ改名。2012年に『NHK紅白歌合戦』に初出場。2014年に女性グループとして初の東京・国立競技場での単独ライブを成功させ、2016年には初のドームツアーを開催。2023年には15周年を迎えた。2024年5月8日に、7stアルバム『イドラ』をリリース。InformationNew Release『イドラ』(収録曲)01. 序章 -revelation-02. Heroes03. Brand New Day04. Re:volution05. MEKIMEKI06. MONONOFU NIPPON feat. 布袋寅泰07. 一味同心08. 桃照桃神09. Majoram Therapie10. 追憶のファンファーレ12. L.O.V.E13. Friends Friends Friends14. 誓い未来15. idola2024年5月8日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)KICS-4140(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)KICS-94140(4CD+2Blu-ray)¥12,000(税込)※(CD)初回限定盤のみ収録。「イドラ」ALBAM off vocal ver./「QUEEN OF STAGE」(2023.10.15 ツアーファイナル公演)LIVE CD Part 1, 2(BD)初回限定盤のみ収録。【DISC1】「イドラ」 ALBUM Documentary/「MONONOFU NIPPON feat.布袋寅泰」「誓い未来」「Heroes」MUSIC VIDEO【DISC2】MOMOIRO CLOVER Z 15th Anniversary Tour「QUEEN OF STAGE」(2023.10.15 ツアーファイナル公演)写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2024年05月07日神経質で負けずぎらいな4歳の息子。そんな息子の言動が理解できずに悩んでいるときにママ友と子育て講話に行くことに。そこで出会った講師からの言葉に、私は衝撃を受けますした。講師が教えてくれた目からウロコの考え方でした。 理解しがたい息子の見方が180°変わった!神経質で負けずぎらいな4歳の息子は、納得いかないことがあると長くて1時間くらい泣き続けます。そこで、育児本を買ってきて私なりに対処法を探すことに。育児本には「子どもの言うことを肯定しよう」とあったので、「これだ!」と期待を膨らませる私がいました。 ある日、友だちの影響を受けて、自宅の前でなわとびの練習をすることに……。しかしうまく跳べず、「できない」と息子は泣いていました。「今だ!」と思い、「頑張っているね。大丈夫だよ! 跳べるようになるから、またにしようか?」と声をかけるも、負けずぎらいの息子には逆効果。息子は「やめない!」と言って泣き続け、やめようとはしないのです。もう何が正解かわからず、息子を理解してあげられない自分がイヤになりました。 ある日、ママ友から子育て講話に誘われて行くことに。その講師の方は「男の子を育てている方、子どもはカブトムシと思って接してくださいね」と言うのです。続けて「カブトムシの思考なんてわからないでしょ? わからないことを考え続けてもしょうがないんです。だって理解できないんだから」とも……。その言葉に私は衝撃が走りました! その日以降「男の子はカブトムシ」は私にとって、魔法の言葉になったのです。息子の行動に困惑しても「息子はカブトムシ!」と思い出すだけで、気持ちがラクになりました。息子の行動が理解できなくても、神経質な息子への対応が面倒だとしても、「全部ひっくるめて子育てを楽しもう。子どもが納得するまでとことん付き合えるママになろう」と思えるようになりました。 作画/CHIHIRO著者:杉山藍神経質な長男とひょうきんな次男の2人の男の子を育てているワーママ。アラフォーへの階段を少しずつのぼり、大好きなお肉の脂が日に日につらくなっているのが悩み。
2024年05月07日もし過去に戻れるとしたら?パパ(男性)の場合ママ(女性)の場合男性で「戻る」と答えた人は約65%、「戻らない」と答えた人は約35%で、「戻る」人が多めです。一方、女性で「戻る」と答えた人は約52%、「戻らない」と答えた人は約48%で、数字は拮抗しています。数字上は、男性のほうが現状に満足していない人が多い状態に見えます。それぞれの選択がポジティブなものなのかネガティブなものなのかは、数字だけではわかりません。みなさんの選択の理由を聞いてみましょう。戻る!【男性】人生をやり直したい……●過去に戻って楽しい事をもう一度体験したい。(男性/36歳/医療・福祉/専門職)●後悔してることがいくつかあるので、もしかしたらそれを変えられるかもしれないから。(男性/40歳/ホテル・旅行・アミューズメント/専門職)●勉強や進路、就職、人生の選択をやり直したいから。(男性/29歳/商社・卸/営業職)●若いときから無駄遣いをせず、資産運用をはじめてお金を貯めたい。(男性/46歳/情報・IT/技術職)「過去に戻りたい」という理由のなかには、ふたつの理由がありました。ひとつは「過去の楽しかったことを再体験したい」という、過去を肯定するもの。もうひとつは「失敗や準備不足をやり直したい」という、後悔の気持ちによるものです。「あのとき○○していれば……」と悔やむことは誰にでもありますね。【女性】正しい選択をしたい●結婚相手をちゃんと選びたいからです。(女性/25歳/アシスタント/秘書・アシスタント職)●やり直したいことがたくさんある。亡くなった人に伝えたかった言葉も。(女性/37歳/情報・IT/クリエイティブ職)●子どもが赤ちゃんのときをもう一度経験したい。(女性/42歳/小売店/営業職)●過去に戻って視力を落ちないようにしたり、食べすぎないようにしたりしたい。(女性/31歳/金属・鉄鋼・化学/検査)過去に戻りたいと思う男性の理由には、職業の選択や学業、資金形成をやり直したいという声があったのですが、女性のほうは、結婚や美容についての理由が複数あがっています。現在の自分を形作っているのは過去の自分の選択ですから、やり直したい気持ちも理解できます。また、我が子のかわいい赤ちゃん時代の子育てを再体験したい、というポジティブな理由もありました。戻らない【男性】現在と過去はつながっている●過去があっての今だと思っているため。(男性/33歳/金属・鉄鋼・化学/技術職)●我が子の存在をリセットすることになるというなら戻らないです。(男性/43歳/医療・福祉/専門職)●今からをよくしていけばいいので、過去に戻ったところでやることはない。(男性/41歳/情報・IT/技術職)●未来がいい方向に変わるかわからない不安がある。(男性/37歳/製造業/作業員)「過去には戻らない」という選択をした人たちは、現在の生活を肯定している人が多いようです。未来をよくしていけばいい! という未来志向のポジティブな理由もありました。たしかに、現在は未来にとっての過去にあたるわけですから、いまの自分は未来から過去に戻った人間だと思えば……。ちょっとややこしいですが、潔い選択理由です。【女性】戻っても面倒?●もう一度同じことをしたくはないし、後悔をしていないから。(女性/28歳/医療・福祉/専門職)●戻ったら、嫌だったことも再度経験することになるから。(女性/39歳/自動車関連/事務系専門職)●過去より今のほうが大変だけど、楽しいから。(女性/39歳/建設・土木/事務系専門職)●過去にはいい思い出が少ないのでこれからに期待したいです。(女性/45歳/小売店/販売職・サービス系)戻らないことを選択した女性のなかには、ちょっとシビアな意見もあります。たしかに「過去に戻ってやり直せば上手くいく」という考え方は楽観的すぎるかもしれません。過去に戻っても同じことの繰り返し、選択によってはさらに状況が悪くなる恐れもあります。大変なこともあるけれど、楽しいこともある現在を大事にするのが現実的な選択ですね。まとめ「過去に戻れるとしたら戻る?」「いつの時代に戻りたい?」あり得ないとわかっていても、一度は考えたことがある問題ではないでしょうか。赤ちゃんからやり直したい人もいれば、楽しかった学生時代に戻りたいという人もいます。でも、実際に戻ることは不可能ですし、戻ったとしてもまた楽しく過ごせるかどうかはわかりませんね。これからの選択は、ぜひ後悔のないように!楽しい未来を期待しましょう。マイナビ子育て調べ調査日時:2023年4月27日~5月3日調査人数:212人[男性/103人、女性/109人](22歳~40代まで)(マイナビ子育て編集部)
2024年05月06日妊娠、出産、子育ての間で私のおっぱいは大きく変わりました。今回はそれぞれの段階での私のおっぱいの変化と、その中で私が気をつけていたこと、感じたことについてお話しします。 妊娠時期のおっぱいの変化妊娠前までⅭカップだった私のおっぱいは、妊娠5カ月ころから今まで見たことないくらいに大きくなりました。乳輪も大きくなり、色は黒っぽく変化。 どんどん変わるおっぱいにびっくりしましたが、パパが「これも赤ちゃんに母乳をあげるためだな!」と明るく言ってくれたので、気持ちがラクになり、「これもママの証だ!」と受け入れられました。この時期は妊娠線ができないようにお風呂上がりは毎日おっぱいにクリームを塗りました。 断乳後に垂れてしまったおっぱい出産後、おっぱいの出はよかったのですが、そのため赤ちゃんがおっぱいを飲む間隔があくとおっぱいがぱんぱんに張って、衣服が当たるだけでも痛かったのです。おっぱいが詰まらないように和食中心の食事を心がけ、衣服も締めつけが少ない物を着ました。※母乳分泌と食事には関連がないと言われています。 子どもが1歳のころに断乳をしたのですが、断乳したとたんにおっぱいがしぼんでしまって、インドのナンにレーズンがくっついているような状態に……。すっかり垂れてしまったおっぱいの変化にショックを受けました。 落ち込んでいた私に、パパからのひと言おっぱいの変化に落ち込んでいると、パパから「年を取ったら、おっぱい垂れる人いっぱいいるんじゃない? それは“ママ”としての勲章だよ!」と、力強い励ましの言葉が。その「勲章」という言葉で、落ち込んでいた気持ちが一気に吹き飛びました。 それからは、おっぱいをしっかり持ちあげてくれるブラジャーにしたり、猫背にならないよう胸を張って歩くことを心がけていくうちに、見た目のシルエットではおっぱいが垂れていることは気にならなくなってきました。 私の場合は出産や妊娠、子育ての期間でおっぱいが変化しましたが、もしかしたらちょうどおっぱいが垂れる時期と重なっていたのかも?と思ったりします。はじめは変化する自分のおっぱいに戸惑いを受けましたが、今ではこのおっぱいを「勲章」と思い、誇りに感じながら過ごしています。 著者:菅谷里奈1女、2男の母。現在第4子目妊娠中。ベビーマッサージインストラクター、ベビーヨガインストラクター、ベビーシッターの資格所得。子育て経験を活かしながら、妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年05月03日子育てをしているママにとって、1日はあっという間。子どもが寝たらコレをしよう、明日こそアレをしようと思っても、子どもと一緒に寝てしまったり、予定通りに終わらない家事に追われたりして、気づけば瞬く間に時が過ぎています。自分が休む時間もごくわずか。子どもが複数いると尚更です。そんな毎日に疲れてしまう人もいるでしょう。ベビーカレンダー公式インフルエンサー「ベビカレメイト」のママと開催した座談会でも、ママの“時間のなさ”が話題に。そんな時、6歳と4歳の2児を育てる先輩ママからのアドバイスがありました。下の子が3歳までは辛抱!「子育てがしんどいのは下の子が3歳まで」という先輩ママ。自身の経験を振り返ると、下の子が3歳になったころ「子育てが楽になった」と感じたと話します。 なぜそう感じたのかを尋ねると、3歳を境に子どもが自分のことは自分でできるようになったのだそう。たとえば、お風呂で自分の体を洗う、寝室に行って自分で寝るなど、これまでママが一緒にやっていたことをやらなくなるだけで、急に時間に余裕が生まれます。 しかし、疑問に思うのは「誰もがそうなるのか?」ということ。先輩ママは3歳までの期間、子どもとどのように過ごしたのでしょうか。子育てを楽にする秘訣どうやら、子育てを楽にするためには3歳までの道のりも重要なようです。どんなふうに接していたのか詳しく聞いてみると「当たり前のことを当たり前にやるように教えた」のだそう。 たとえば、物を運ぶのが好きになる時期には、食事の準備として割れない食器を運ばせる、ゴミをゴミ箱に捨てさせるなど、その時々に子どもが興味を持ったことに合わせて、生活の“当たり前”を自然に教えたと話します。未来の自分への投資なるほど! と納得の座談会会場でしたが、そううまくいくのか? という疑問の声も挙がります。 先輩ママ曰く、ポイントは「手を出しすぎないこと」。まだ小さい子どもに教えるとなると、一つひとつに時間がかかるので忍耐は必須です。 大人のマネをしたがる時期が来たら、それはいつか来る “自分の時間が持てる日” への第一歩! 未来の自分を助けるために、グッと堪えて子どもに任せることに徹するといいと話していました。 「3歳になったら楽になる」という体験談。今、子育てがキツいと思うママにとってはまだまだ先に思えるかもしれません。でも、個人差はあれど子どもはいつか大きくなります。それが少しでも早くなるように、できることからやってみるのもいいかもしれませんね。
2024年05月02日働きながら子育てに奮闘する、2児のママ・まぼさん。仕事と育児とを両立するなかで「子どもとコミュニケーションが減っているのでは?」「周りに迷惑をかけているのでは?」と後ろめたい気持ちになり、日々葛藤を感じてきたそう。そんなまぼさんが本音で綴る連載「働きながら子どもを育てるということ」。 いろんな壁にぶつかりながらも、仕事と子育ての両立に向き合う、頑張るママたちへの応援エッセイです。子どもの体調不良で欠勤が続いていたまぼさん。チームの仲間に負担が増えていき、申し訳ない気持ちから子どもを看病しながらも仕事のことを考えるように。さらに、仕事やキャリアへの遅れも感じ始め……育児と仕事との間で揺れ動く気持ちを赤裸々に綴ります。わが子が何度も熱を出し欠勤が続いていたとき、仕事への不安やいつ子どもが熱を出すかわからない緊張で私の眠りはとても浅くなっていた。自分が熱を出したとき、お母さんはいつもよりやさしくて、ずっとそばにいてくれた。いまも覚えてる、特別な思い出。……でも自分が親になった今、自分は子どもにできていない。子どもを抱いていてもいつも仕事のことを考え、ときには泣く子よりもメール返信を優先したり。会社員だけど、お母さんだから。お母さんだけど、会社員だから。どちらも放り出せない状況のなかでいつも葛藤していた。社会は働くお母さんにやさしかった。でも、ついていけてない。二度の出産。産休、育休、時短勤務。当時入社から7年ほど経っていたが、仕事に打ち込んでいた期間は意外と短く。「この歳でこんなに知識がないって……ヤバくない!?」と焦る気持ちもあった。100%で走っていても、仕事というトロッコにいつも乗り遅れてしまう。次回は「ワーママとキャリア」について書いていきたいと思います!PROFILEまぼさんイラストレーター/会社員イラストレーターと会社員を兼業する働くママ。パパのびぼちゃん、6歳の男の子・よいたん、2歳の女の子・しおさんと4人家族。イラストで綴る育児日記を、インスタグラムやツイッターで更新中。著書に『よいたん3歳、ときどき先輩。』(KADOKAWA)がある。Instagram:@yoitan_diarytwitter:@yoitan_diary
2024年05月02日お互いの子どもの成長を見守り、ときには悩みや愚痴を共有し合っていく「ママ友」は、私にとって心強い子育て仲間です。しかし、思わぬ人間関係のトラブルに発展しかねないのもこの「ママ友」。これまでに「ん? ちょっと距離感に気をつけたほうが良いな」と自分が感じたケースをご紹介します。園行事に必ず一緒に行きたがるママ参観日などがあると、「一緒に行きませんか?」と必ず連絡してくるママがいました。園に行く途中で待ち合わせをして、一緒に行きましょう、という意味です。 私はどうせ目的地は一緒なのだから、現地で会えればそれで良いと思うタイプ。それに、私自身が時間を決めた待ち合わせが苦手ということもあり、園行事があるたびに必ず連絡が来るのが重荷になってきて、少し距離を置くようにしました。 すぐにグループLINEを作りたがるママ新年度によく出くわすのが目的がはっきりしない、メンバーの顔もわからないような大人数のグループLINEに誘ってくるママ。「情報交換して仲良くしましょう!」と言われますが、大事な情報は信頼する人と直接やりとりするものだと私は考えているので、参加はしません。 そもそも、子どもの通う園ではトラブル回避のため親のグループLINEは禁止。園の規則を軽んじているかのような姿勢に「万事においてルールに緩い人なのかな?」と警戒しています。 学歴マウンティングをしたがるママ「〇ちゃんママは〇〇出身なんだって」と、やたら親の出身校に詳しいママ。私自身は聞かれても、あいまいにぼかして伝えていました。驚いたのが、その子どもがひとりでわが家に遊びにきたとき。「娘ちゃんママは△△出身なんでしょう?」とまったく違う校名を言ったのです。 うっかり「違うよ?」と正しい出身校を伝えたところ、次にそのママと会ったとき「娘ちゃんママの出身校、私のとこより偏差値高いじゃん」とネタにされたのです。なんだか学歴で判断されているような気がして、良い気はせず……。それ以来ちょっと話題を選ぶようにしています。 私はこれまで、何度となくママ友の存在に助けられてきました。落ち込んでいたときにもらったひと言や、さりげなくしてもらった手助けなど、境遇や価値観は違えど同じ「子育て」という役目を背負った「同士」だからこそわかり合える、支え合えるのだと思っています。だからこそ自分なりの距離感を大切にして、近づき過ぎないことを肝に銘じています。 著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2024年05月02日日本に先駆けて公開された台湾をはじめ、アジアの国々でヒットを記録している日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』。5月3日(金・祝)の日本公開を前に、来日した台湾の人気俳優シュー・グァンハンと藤井道人監督に話を聞いた。国際的なプロジェクトへの参加は初めてだったというお二人。新たなチャレンジの裏にあった思いとは…?お互いの作品は観ていた?「すごい才能」「定義付けない」――グァンハンさんにうかがいます。藤井監督と今回一緒にお仕事をされる前に、監督の作品をご覧になったことはありましたか?シュー・グァンハン(以下、シュー):最初に観たのは『ヤクザと家族 The Family』でした。ヤクザの映画も撮れるしアクションも撮れる、おまけに美しいラブストーリーも撮れる、特別な監督だと思いました。『青春18×2 君へと続く道』を撮り終わってから、時間がなくて事前に観られなかった『余命10年』も観ました。何でもできるすごい才能を持った監督だと思います。藤井道人監督(以下、藤井):本当に?(笑)――実際に一緒にお仕事してみて、監督に対するイメージは変わりましたか?シュー:変わりました。よりよい方向に(笑)。プライベートでも監督のほうから声をかけてくださって友達のような、とても付き合いやすい監督だと思います。撮影現場では、演技指導をするとき、とても適切な方法で、僕らと意思疎通を図ってくださいます。俳優が想像を膨らませやすいように導き、自分が撮りたい形にもっていく。その能力に非常に長けた監督だと思います。本人が隣にいなければ、もっと褒めますよ(笑)。――藤井監督にも同じ質問をさせていただきます。一緒にお仕事をされる前に、グァンハンさんの作品をご覧になったことはありましたか?藤井:悩んだのですけど、見なかったです。俳優はたくさん人の目に触れて、勝手に定義される。僕が俳優だったら見て欲しくないなと思いました。俳優の演技を研究していこうとか、そういうことは自分の中ではやりたくなくて、フラットな状態で一緒に物を作りたかったんです。でも、たまたま見ちゃった作品はありました。Netflixでおもしろい台湾のドラマを見ていたら、「グァンハンが出てきた!」みたいな(笑)。撮影が終わってから、台湾で大ヒットした映画『僕と幽霊が家族になった件』を観て、彼はこっち(コメディ)もできるんだなと思いましたね。かわいかったです(笑)――あらかじめイメージを持たず、新鮮な気持ちで撮影に臨まれたのですね。藤井:僕は「決めつけない」「定義付けない」ということを大事にしているんです。ビジュアルのイメージや僕自身が求めているものはありますけど、ジミーの心の部分は、僕が持っているものより、グァンハンが持っているものを見せてほしいと思いました。監督「スタッフは、表現者たちが集まっているという認識」――グァンハンさんが演じるのは、36歳で情熱を傾けてきた仕事と人生の目標を失った主人公ジミー。18年前に日本からやってきたバックパッカーの女性アミとの初恋の記憶をたどり、日本の彼女の故郷を訪ねる旅に出ます。驚いたのは、18歳と36歳のジミーが全く別人に見えること。演出の面で、違いが出るように工夫されたことはありましたか?藤井:ありました。グァンハン自身の年齢は、大人になったジミーの方が近いので、18歳のジミーのシーンは、お互い共通認識を持つことが必要だと思っていました。18歳のシーンでは“恥ずかしいことも愛しい経験なんだよ”というメッセージが必要で、18歳のジミーがかっこよく見えたら、この映画は失敗だと思っていたんです。「いろんな失敗をしてジミーは大人になった」ということをちゃんと表現したかった。そういう思いをグァンハンに伝えました。――グァンハンさんの出演作は、いろいろ拝見しているのですが、今回のように大きな年齢差を行き来する作品(「時をかける愛」)や、ラブストーリーやコメディの主役、『ひとつの太陽』や「罪夢者 NOWHERE MAN」で演じたような個性的な脇役まで、いろんな顔を併せ持った振り幅の大きさに驚かされます。そんな持ち味をご自身ではどう思っていますか?シュー:意識することはないですが、できる限り、自分が思い描いているとおりの人物を演じられるよう努力しています。たとえば、この映画で36歳のジミーを演じたときは、僕の実年齢と近いので歩き方や話し方といった外見より、できる限り心理的な部分を考えて演じようとしました。18歳のジミーは、年齢的にまだ落ち着きがないし、とても活発。そこに可愛らしさみたいなものもあっていいと思って、そういうイメージで演じました。藤井:18歳のジミーの手の落ち着きのなさとか、なんだか背筋が定まっていない感じは、グァンハンがテストでやってくれることを、そのまま取り入れました。見ていてすごく楽しかったです。――撮影に入る前、必ず行う準備はありますか?シュー:特に意識してこれをやらなきゃと決めていることはないですが、だいたい1日から2日の時間を自分に与えて、自分自身を空っぽにするようにしています。――基本的には監督の話を聞いて一緒に作り上げていくようなイメージですか?シュー:今回の作品でも、監督は自分が欲しいものを明確に持っているので、僕はそのとおり一生懸命に演じるだけです。方向性に関して、監督が求めているものと僕がやっていることに違いが生じた時には意見を交換します。どの作品も、現場で話し合うといえば、だいたい同じような状況ですね。そういう時以外は冗談ばかり言っています(笑)。――藤井監督は今回の台湾の現場で学んだことを今後の仕事に取り入れたいとおっしゃっていましたね。その後の現場で実際に応用したり、実践したりしたことがあれば教えてください。藤井:台湾で学んだことをそのまま持って帰ってきたのは、12時間以上の撮影をしないということです。スタッフのことを、労働者ではなく、表現者たちが集まっているという認識のもとにケアしているという感じがすごくしました。日本には日本独特の文化もあるんですよね。日本では演出部がカチンコを打つけど、台湾では撮影部が打つ。台湾のやり方を丸ごと使うわけではなくて、たとえば演出部の手が足りていないときは撮影部に打ってもらうとか、「そういうパターンもあってもいいよね」というフレキシブルな考え方になりました。「みんながやりやすい現場って何なんだろう?」ということを、以前より考えるようにもなりましたね。――台湾のスタッフには、海外帰りの若い方が多いとうかがいました。そういう部分も、日本とは違いますか?藤井:違いますね。日本人は日本の現場で学んで、日本で作品を発表する人が多いですが、台湾のチームは、海外から戻ってきて仕事をしている人がすごく多かったです。映画に対する敬意のレベルが高いという点はすごく参考になりました。スタッフの年齢層も僕と同世代がメイン。それをプロデューサーたちが校長先生と教頭先生みたいな感じで見守っているという感じです。「日本映画」「台湾映画」ではないアジア映画としての作品――グァンハンさんは本作が初の国際プロジェクトへの参加でしたが、その後、韓国ドラマにも出演されましたね。中国語圏のマーケットは非常に大きく、今はNetflixなどで世界各国に台湾の作品が配信されています。仮に台湾の作品だけに出演していても、世界中の人に見てもらえるわけですが、それでもこういう国際プロジェクトに参加する面白さをどう感じていますか?シュー:今回、仕事という形で異なる文化を体験できて、とても嬉しかったです。日本も韓国も、それぞれ文化が全然違う。僕が一番好きな異文化体験はご飯を食べる時間なのですが、現地だからこそ味わえる楽しさがあります。僕は自分に挑戦し続けることが必要なタイプ。韓国での撮影は、詳しくは言いませんがまた別のチャレンジです。新しいことを学ぶことが好きなんですね。例えば、飯山線の電車内での撮影は、実際に走る電車の中で俳優がとった行動を記録するという方法でした。「こういう撮り方もあるのか」と、新しく学んだことがたくさんあります。――監督にうかがいます。日本のシーンやロケ地について「こういう場所を見せると喜んでもらえる」など、台湾の観客のことを意識しましたか?藤井:すごく意識しました。なぜかというと、今回この作品の企画書を見て、監督をお引き受けしようと決めた大きな理由が二つあるんです。その一つが、僕がジミーと同じ36歳だったということ。そして、もう一つが、企画書の1枚目にあった「雪の中を電車が走る」という言葉でした。台湾の人たちは雪が好きだということは知っていましたし、(プロデューサーの)チャン・チェンやロジャー・ファンの「コロナ禍で会いたかった人に会えない、行きたかった場所に行けなかった人たちが、もう一度“旅”というものを考え直す作品にしたい」という思いも知っていたので、「こういう景色を撮ってほしいんだろうな」という景色を取り入れたりはしましたね。――本作には、日本の人がイメージする台湾と、台湾の人がイメージする日本の風景が、うまく両方取り込まれていると感じました。バランスには気を遣ったのでしょうか?藤井:カメラマンと一緒に、それぞれ色味や場所の撮り方は工夫していますが、「この地域だからこう撮ろう」というより、「ジミーという人の生きている世界が同じアジアの中にある」ということを意識しました。多分みんな意識的に「日本映画」「台湾映画」と区別して映画を観てきたけれど、今回は「アジア映画を作る」という思いで作っているんです。僕らがボーダーを取り払って作ったことがこの映画の中で作用していたなら、うれしいですね。(text:Rie Nitta/photo:You Ishii)■関連作品:青春18×2 君へと続く道 2024年5月3日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©️ 2024「青春 18×2」film partners
2024年05月02日5月3日(金・祝) より公開される映画『マイ・スイート・ハニー』より、キム・ヒソンのインタビューが到着した。本作は、ユ・ヘジン演じる仕事中毒の製菓会社研究員チャ・チホが、何事にもポジティブなシングルマザーのイ・イルヨンと出会ったことで、初めて恋を知る物語。ドラマ『再婚ゲーム』『品位のある彼女』など、数々の作品で大衆に強烈な印象を残し高い評価を得てきたキム・ヒソン。本作でも、物語に明るいエネルギーを吹き込むイルヨンを演じ、コミカルな魅力を見せている。──本作出演のオファーを受けた際のお気持ちと、最初に脚本を読んだ際の感想をお願いいたします。最初に脚本を受け取って読みながら、キャラクターの魅力にはまりました。イルヨンは愛らしくて魅力的なキャラクターです。しかも、憧れのユ・ヘジンさんと共演できるということにワクワクしました。ただ、映画に対する不安もあって、長く悩んだ末にお断りしました。ところが、イ・ハン監督が心のこもった手書きのお手紙をくださって、心の扉が開きました。手紙には私がイルヨンを演じなければならない理由がびっしり書いてありました。特に「食堂の扉を開けて入って来るキム・ヒソンさんの姿がイルヨンそのものだった」という文章が記憶に残っています。イ・ハン監督は自分の手書きの文字が読みにくいかもしれないと、その内容をタイピングしてプリントアウトしたものも送ってくださいました。本当にかわいい方ですよね。心の準備ができていない気はしましたが、ここまで私を必要としてくださる監督がいるのに、私ごときが断るなんてと思って、すぐに電話をかけました。──イルヨンは辛い過去があっても前向きで、明るさをもらえるような人柄だと感じました。役作りはどのように取り組まれましたか。また、イルヨンとご自身との共通点はあると思いますか?基本的に前向きなところが似ています。自分がはまったもの、チホのこともそうですが、はまったら突き進む性格も私と似ています。好奇心を感じる男性がいたら、何としてでも機会を作って会おうとする積極的なところも似ています。イルヨンが500ウォンを握りしめてチホを追いますが、「あの人のことをもっと知りたい」と思えば私もそうすると思います。私自身、イルヨンの娘と同じような歳の子どもを育てている立場で、いろいろ悩みながら演じました。ひとりで子どもを育てている状況であれば、どうするのか。「娘が私が好きな男性を嫌ったらどうするかな?」などイルヨンの立場に立って考えてみると、キャラクターにアプローチできました。──ユ・ヘジンさんとの初共演は、いかがでしたか。ユ・ヘジンさんとの映画出演を断る人はいないですよね。誰もが共演したいと思います。実際にも、まるで何作も共演してきた人のように息がぴったり合いました。性格も似ていてすぐに仲良くなりました。難しいのは嫌いで、明るい性格なのが私とよく合って、撮影も楽でした。撮影後はビールを1杯飲みながら、楽しく撮影しました。本当にいい現場でした。特に私の最初の撮影の時に自転車で現場に来てくれたのがとてもありがたかったです。みんながバタバタしていて「何?」と思ったら、ヘジンさんが撮影もないのに私の最初の撮影だからと来てくれたんです。入れずに「ヒソンさん撮影中?」とスタッフにこっそり聞いたそうです。モニタリングの時も遠くに立っていました。なんで来たのかなと思ったら、本当に私が来たのか気になったんだそうです。自転車で来たので汗びっしょりでした。私の撮影がローン会社の撮影で、3日間だったんですが、次の日もまた来ました。3日目が初対面の撮影なのですが、2日目は終わって一緒にご飯に誘ってくれました。自分の撮影がないのに負担ですよね。2日も来てくれて、撮影後に監督とスタッフと1杯飲みながら、だいぶ親しくなれました。──ユ・ヘジンさんとのシーンでもっとも印象的だったシーンと、その理由を教えてください。すべての場面がおもしろいので、どれを選べばいいのか悩みます。レストランで「おすすめは?」と聞いたら店長が「全部おいしいです」と答えるみたいに、どの場面もヘジンさんと演じたすべての場面がおもしろい。おもしろおかしいところもあるし、胸がジーンとくるような感動もある。でも、ひとつだけ選ぶとすれば、ドライブインシアターの場面?男優がリードする場面はたくさんやってきましたが、私の方が積極的に過激なスキンシップをしないといけなかった。すごく悩みましたが、顔が近づくたびにヘジンさんが噴き出して何度もNGになりました。キスの最中にヘジンさんが「やめてください」というセリフをむにゃむにゃ言わないといけないんですが、おかしくて本当に奥歯をぐっと噛んで笑いをこらえて撮影しました。──本作ならではの魅力は何だと思われますか?『マイ・スイート・ハニー』は“アン・ブロックバスター”(注:大作ではないという意味)です。VIP試写会を終えて、「今の時代に必要な映画」という声をたくさん聞きました。娘の友達のお母さんたちも「刃物や血、爆弾が出てこなくて良かった」と言っていました。映画のおもしろさだけでなく、子どもと一緒に観られる映画を作ってくれてありがとうと言われました。子どもと見られるヒーリング映画にできるだけ出たいと思いました。イ・ハン監督が演出したからか、ロマンティックコメディーが温かく包まれている感じ。これが『マイ・スイート・ハニー』ならではの魅力ポイントです。<作品情報>映画『マイ・スイート・ハニー』5月3日(金・祝) 公開公式サイト: Inc. & MOVIEROCK ALL RIGHT RESERVED
2024年05月01日大正製薬株式会社[本社:東京都豊島区 社長:上原 茂](以下、当社)が運用する健康情報サイト「大正健康ナビ( )」では、「#100年を生きるバトン」インタビューを連載しています。人生100年時代。このコーナーは、100年の生き方を見つめるインタビューで、様々な分野で活躍される方々に、ライフステージを振り返りながら、力強く生きるヒントや人生を素敵に彩る知恵をお聞きしています。第6回目は、元お笑い芸人で、現在は、″子育てインフルエンサー“として活躍する「木下ゆーきさん」です。子育ての大変さを笑いに替えた「おむつ替え動画」がネット上で話題となり、一躍有名人に。孤独で忍耐の連続ともいえる子育てをどうやって、笑いに替えていくのか?子育て世代に元気をくれるエピソードも交えながら、人生の波を乗りこなす秘訣をうかがいました。■新着情報:「#100年を生きるバトン」木下ゆーきさんインタビュー <目次>・「パパインフルエンサー」ではなく「子育てインフルエンサー」・子育ては「笑ってないとやってらんない!」・子育ては人それぞれ、認め合うことが大切・逃げることを恐れなくていい・必要とされている場所で、目の前のことに全力で取り組む【木下ゆーき(きのした・ゆーき)プロフィール】1989年、愛知県生まれ。タレント・子育てインフルエンサー。笑いを交えた子育て情報を発信するSNSは、総フォロワー数100万人超。元シングルファーザー。現在11歳、5歳、2歳の3児を育児中。チャイルドカウンセラー資格保有。NHK『すくすく子育て』出演の他、雑誌、CMなどでも活躍。URL: 取材中、たくさんの笑顔を見せてくれた木下ゆーきさん。きらきら輝いているのがとても印象的でした。大正健康ナビは、これからも「人生100年時代をサポートする健康情報発信基地」として、みなさまの健康の維持・増進にお役立ていただける情報の発信を目指して運営してまいります。■ご参考●大正健康ナビ 大正健康ナビでは、お悩みの原因、症状、対策や予防法などをご紹介しています。いろいろな疑問に専門家が分かりやすくお答えしています。#100年を生きるバトン「木下ゆーきさんインタビュー記事」.pdf : ゆーきさんち | 木下ゆーき公式ホームページ : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年05月01日多くの美容家やトップアスリートに支持される重炭酸入浴剤の開発・販売を手掛ける株式会社ホットタブ(本社:東京都新宿区、代表取締役:小星 重治)は、子育て世帯を対象に、バスロスゼロシャワーを体験していただくキャンペーンを2024年4月26日(金)より実施しています。メイン素材キャンペーンサイト: 子育て世帯300名にプレゼント!「シャワーヘッド&重炭酸入浴剤」お子様を悩ます湿疹、乾燥・痒み、おむつかぶれなどの肌トラブルは、これまで当たり前に使ってきた石鹸やシャンプーによる肌バリアの破壊とケミカル経皮毒*が原因かもしれません。ホットタブのバスロスゼロShower&Spaなら、石鹸もシャンプーも不要で、塩素も中和し、肌バリアを壊すことなく大切なお子様をケミカル経皮毒から守ります。*ケミカル経皮毒とは:石鹸やシャンプーに含まれる化学物質や水道水中の残留塩素のことを指します■キャンペーン概要『子どもをケミカル経皮毒から守りたい!バスロスゼロのShower & Spaを始めませんか?』子どもをケミカル経皮毒から守りたい!バスロスゼロのShower & Spaを始めませんか?子育て世代300名様にプレゼント!【プレゼント内容】・重炭酸シャワーパーフェクトゼロ・HOT TAB SHOWER 9錠×2袋【キャンペーンサイト】 【応募資格】※下記条件を満たす方が対象です・妊娠中~6歳のお子様を持つ方・ホットタブシャワー未体験・SNSアカウントを保有されている方・アンケート回答が可能な方【応募期間】2024年4月26日(金)~5月7日(火)18:00まで【応募方法】ホットタブ公式オンラインショップから、LINE友達登録後、応募フォームへ入力。【Wチャンス】当選者300名の中からSNS投稿をいただいた方、抽選50名様に「HOT TAB SHOWER 90錠」をプレゼント○InstagramまたはXで下記の内容を投稿○ホットタブシャワーセット体験談 #バスロスゼロ @hottab_official■お風呂に自然を取り戻す「バスロスゼロ」お風呂に自然を取り戻す「バスロスゼロ」バスロスとは■バスロスとは?「石鹸やシャンプーで身体や髪を洗いすぎる」「水道水中の残留塩素を気にしない」「色や香りが強いものを選んでしまう」「熱いお湯に短い時間だけ入ってしまう」などの入浴習慣によって、かえって体にストレスがかかり冷えに繋がる可能性がある入浴習慣のことです。■重炭酸入浴剤【HOT TAB】について重炭酸入浴剤【HOT TAB】について■商品概要 ※税込金額《薬用 HOT TAB WELLNESS》9錠990円/45錠3,960円/90錠6,930円《薬用 HOT TAB RECOVERY》9錠990円/30錠2,970円/90錠7,260円《HOT TAB SHOWER浴用化粧料》9錠990円/30錠2,970円/90錠7,260円商品ラインナップ・詳細はこちら 重炭酸の溶けた41℃以下のぬるめのお湯に30分以上ゆっくり長湯する“重炭酸入浴法”を提案いたします。重炭酸入浴剤【HOT TAB】をいつものお風呂のお湯に入れるだけ。重曹とクエン酸で作り出した重炭酸イオンのおかげで、温浴効果がアップ。お湯につかることで血行を促進し、毎日の健康をサポートします。無香料・無着色・塩素中和。追焚きをしても24時間濃度が持続する設計です。※重炭酸イオンがお湯にしっかりと溶け込むためには、お湯が中性であることが重要。HOT TABは開発者小星の特許技術によってお湯を中性に保ち、重炭酸イオンを多く長く溶け込ませることで、高い温浴効果を実現しました。※効能には個人差があります。ホットタブ【会社概要】社名 : 株式会社ホットタブ本社 : 東京都新宿区西新宿6-12-1 パークウエスト7F代表 : 代表取締役 小星 重治(コボシシゲハル)設立 : 2021年1月WEBサイト: 社名 : 株式会社ホットアルバム炭酸泉タブレット本社 : 東京都八王子市東町1-10 グランデハイツ八王子3F代表 : 代表取締役 小星 重治(コボシシゲハル)設立 : 2011年12月ECサイト: 事業内容: 重炭酸入浴剤の販売 健康事業/通販事業/OEM事業/飲料水事業/海外事業関連会社: 株式会社長湯ホットタブ/一般社団法人重炭酸温浴NO療法普及協会 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年04月30日漫画「呪術廻戦」の人気もあり、“呪術”という言葉がすっかり社会に定着した感がある昨今だが、そもそも呪術とは何なのか――?そんな問いに正面から向き合った映画が誕生した。誰もがその名を知る陰陽師・安倍晴明が陰陽師になる以前の学生時代の日々を描いた映画『陰陽師0』。本作の劇中で晴明らが結ぶ印や口にする呪文、さらには劇中の小道具など呪術にまつわる全てを“呪術監修”として司っているのが作家の加門七海である。佐藤嗣麻子監督とは三十年来の仲で、監督たっての願いで呪術監修を務めることになった加門さんに“呪術オタク”の視点から本作の魅力について語ってもらった。加門七海/カメラマン・富永智子――“呪術監修”というポジション自体、なかなか聞かないですが、加門さんが引き受けることになった経緯をお聞かせください。私は記憶にないんですけど、10年以上前に別の作品で、佐藤監督に似たようなことをお願いされて、その時は「とても自信がない」とお断りしたらしいんですね。だから今回も監督は「断られるかな…」と思っていたらしく、最初は婉曲的に「加門さん、若い俳優さんで好きな人はいる?」と聞いてきて、私は「うーん、私は若いのはネコが一番好きかなぁ」みたいな答えを返して「俳優なら、若くはないけど國村隼さんがすごく好き」と言ったんです。そうしたら「國村さんが出る映画があるんだけど、呪術監修やって!」とお願いされて「は?」みたいな…(笑)。ただ、いままでの呪術を扱った映画は、ストーリーありきで、呪術というものは相手を攻撃するための道具というか、そこまで凝ったものを出すことってあまりなかったんですよね。なので、今回もそういう感じかと思っていたんです。記憶にないけど(笑)、前に一度、お断りしたという経緯もあったし、國村さんも出るしということで「じゃあ、やってもいいよ」と言いつつ、規模の大きな作品だったので「できるかな…?」とビビってました(苦笑)。そこからトントン拍子に話が進んだんですけど、最初に脚本を読んだ時は「こんなに本格的にやるの!?」と仰天しました。「私の手に負えるかな…?」というのが正直な気持ちでした。ただ、話が進んでいく中で思ったんですが、もし本物の呪術師の方や学者さんや研究者さんにお願いするとなると、どうしても(呪術の描写に関して)曲げられない部分、融通が利かない部分が出てくるんじゃないかと。私は本業が作家で、呪術に関しては佐藤監督がおっしゃっているように、ただ好きで自分でいろいろ調べたり、集めたりしている“呪術オタク”ですから(笑)、フィクション作品にも理解はありますし、アレンジなどにも柔軟に対応できるので、そういうところでの期待もあったんじゃないかと思います。――“呪術監修”として、どのように仕事を進められていったのでしょうか?とにかく脚本ありきですから、まず先方の「こういう話がやりたい」、「この場面で呪術の効果としてこういうことがしたい」というのがあって、それに沿って、こちらで史料などを提供するというのが第一の仕事でした。ただ、映画ですので当然、尺の問題があるんですね。本来は呪術でこれを表現するとなると大がかりな仕掛けが必要なところでも、言葉ひとつで済まさなくてはいけない部分もありますし、何よりもエンターテインメント映画ですから、“映える画”じゃないとダメなんですね。そこは、あれこれとこねくり回して(笑)、もっともらしくカッコよく見せるかというのを考えていきました。――具体的に担当されたのは、晴明らが結ぶ“印”や口にする“呪”などの創作ですね。そうですね。特に多かったのは呪符(=神への願意、要請先、約束の取り付けなどを書いた紙)についてのやり取りでしたね。とにかく映画のありとあらゆるところに符が貼ってあるので、その種類やバリエーションについて、そこは精神的な意味ではなく、映像としてどうカッコよく見せるかということを注意しました。――監修で関わったシーンの中で、特に印象に残っているシーンや映画的な描き方について提案をされたシーンを教えて下さい。細かい部分――例えば金龍を封印するシーンでは、金龍は決して悪い龍ではないので、悪い存在を封じるような感じではなく、徽子女王(よしこじょおう/奈緒)の想いを封じるものなので、晴明役の山崎(賢人)さんにも怖い感じではなく、丁寧な感じでやってほしいということをお伝えしました。また、晴明が「開!」と言って空間を切り裂く指の動きは「なぞるのではなく、剣で切るような感じでやってほしい」と指導をさせてもらいました。――呪術監修を務めるにあたって、ご自身なりに決めたり、監督と話し合った呪術のルールや世界観といったものはありましたか?特に監督やスタッフの方々と相談したということはないんですけど、やはり一家言ある人たちはみんな、自分なりの“呪術観”というものを持っていますから、この映画における呪術観と私自身の呪術観でズレというのは当然あるわけです。ただ、今回はあくまで映画『陰陽師0』の世界観に沿ってつくっていくという点は了承した上でやらせていただいています。その中で、まず大切にしたことは「“本物”を出さない」ということですね。フェイクを混ぜつつ、でも嘘にはならないで、みなさんに納得していただけるような幅を持たせる――完全な本物ではないけど説得力を持たせるということを意識しました。――それは本物の呪術を行なうことで、本当に呪いが発動したり、厄災が降りかかることがないようにという配慮から?そうです。万が一、何かあって「これをやってしまったからだ」とスタッフさんや演者のみなさんに思わせるようなことがあってはいけないというのがひとつ。加えて、そもそも呪文やお札というのは、宗教の核心や秘密に触れる部分も多いので、それを映画であからさまに見せるのは、私自身、とても怖いですし、やりたくないことなので、少しだけ(本物から)ずらしてあります。とはいえ、見る人が見れば、元ネタはちゃんとわかる程度のアレンジですので、お好きな方は探してみてください。映画の中で「蟲毒」が出てきますけど、あれは本当に呪詛の術で、やはり本物は怖いですから、そこまで深入りし過ぎず、ごく普通の本で「蟲毒とは何か?」という説明に書いてある程度の内容で収めるようにしたりしています。やはり描きすぎると怖いですから(笑)。――映画用に印や呪を考えるにあたって、参考文献や史料というのはどのようなものを?晴明の時代の陰陽道に関しては、実は史料は非常に少なくて、とてもそれだけでは今回の映画の呪術をカバーできないので、時代的には近世くらいのものも使っています。日本、およびアジア圏の道教の史料が多いですね。陰陽道の基礎資料としては「陰陽道基礎史料集成」(村山修一)という本がありまして、古いものだと鎌倉時代あたりの頃からの様々な史料が収められています。ここから呪文などを採らせてもらっています。また映画の中で、(晴明らが学ぶ)陰陽寮にいろんな図が描かれた紙が貼られていますが、それらは美術書などから、使用可能なものを使わせてもらっています。印に関しては、中国の書物である「符咒指訣秘鑑」(法玄山人)などを参考にしていますが道教だけではまかなえず、密教の史料なども参考にしています。――完成した映画を観て、呪術の第一人者の視点で驚かれたシーンはありましたか?先ほども少し触れましたが、晴明が「ここは現実ではない」と気づいて「開!」とやることで空間を切り裂き世界が切り替わるシーンがあります。ほんの一瞬で「世界を変える」――自分が立っている空間を術によって変えるという非常に大きな術ですが、それが映像だとああやって一発で見せることができるんですよね。あの爽快感はすごかったですね。実際の呪術というのは、効果の有無ってその場ですぐにはわからないものですし、普通の人の目には映らないものなんですよね。それを見事に映画で可視化していて感動しました。――安倍晴明という人物が、令和のいまの時代に陰陽道の世界のスーパースターとしてこれだけ親しまれ、愛されているのはなぜだと思いますか?まず“陰陽師”という存在が(本作の原作でもある)夢枕獏さんの小説「陰陽師」シリーズおよび、そこから派生した岡野玲子さんの漫画、またそれとは別にCLAMPさんの漫画(「東京BABYLON」)などによってフィーチャーされたことが大きいですが、その中で安倍晴明がスーパースターになったのは、身も蓋もない言い方ですけど、名前がすごくカッコいいということが大きいんじゃないかと思います。“安倍晴明”って完全にヒーローの名前ですよね(笑)。例えば敵方で出てくる蘆屋道満という陰陽師がいますけど、普通の主役にはならないですよね。(晴明の師である)賀茂忠行も残念ながらならないですね。安倍晴明という名前に既に“萌え”があると思います。それはすごく大きいですよ。――名前もある種の言霊ですね。そうなんです。名前って本当に大事で「陰陽師」という言葉も、いまは「陰陽師(おんみょうじ)」と読むのが一般的ですけど、歴史的には「陰陽師(おんようじ)」、「陰陽道(おんようどう)」という言い方もかなり正統性があるんです。古文書にはルビが振っていないので、実際にはどちらが本当なのかわからないんですけど、もしかしたら「陰陽師(おんようじ)」だったら、ここまで流行らなかったんじゃないかと私は思います。「陰陽師(おんみょうじ)」と「安倍晴明(あべのせいめい)」というキラキラ感の影響って実はすごく大きかったんじゃないかと。――先ほど名が挙がった蘆屋道満や賀茂忠行などほかにも陰陽師はいたわけですけど、陰陽師として安倍晴明はやはり特別なんでしょうか?そうですね、例えば賀茂保憲(忠行の息子)のほうが、貴族社会に及ぼす影響という点で、晴明よりも実力的には上であったとも言われるんですが、決定的な差異として安倍晴明が“神”として祀られたということがあると思います。神社にご祭神として祀られているわけです(=晴明神社)。「陰陽道の神=晴明」となっていて、そうなると実力的、歴史的にどうだとか言っても無駄な話ですよね。――改めて加門さんにとって、呪術の魅力とはどういう部分にあると感じていますか?もはや、自分の仕事や生活と一体化しているので(笑)、どこが魅力と答えるのは難しいところですが…。呪術というのは科学の素(もと)でもあるわけです。現代において「科学」と「魔術」というのは別々の存在として分かれていますけど、もともとは魔術の中に科学があり、一般の人にとってはそこに区別はなくて、専門家がよくわからない術を施して効果を得るというものであったのが、それが反復によって立証されていくことで魔術が科学となっていったんです。それこそ数世紀前であれば、パソコンも魔術の領域にある存在ですよね。逆に、個人の力量によって差異が高低するようなものは、魔術として残ったりしているんです。つまり、魔術や呪術というのは、まだわからない未知の部分――でも過去から連綿と受け継がれて、世界や人の心を動かしてきたものなんです。その未分化の存在ってすごく魅力的ですよね。――最後に、加門さんと同じく呪術が好きでたまらないコアな人たちに向けて、本作の呪術の描写に関して「ぜひここを注目して見てほしい!」というポイントを教えてください。では、せっかくですので、凝った呪術の描写に関してクイズ形式で探していただきましょう(笑)。まずひとつは、「金龍封印」のシーンで晴明が指で符を書きますが、あの符はアレンジはしてありますが、実はとても格の高い、めったに表に出てくることのない符が元になっています。さて、それは何でしょうか?もうひとつ、映画の中でほんの一瞬なんですが、晴明が片手で印を結ぶシーンがあります。一秒あるかないかというシーンなので、多くの方は気づかないと思うんですが、そこで使ったのは、陰陽道の印ではなく、実は昔の呪禁師(じゅごんし)が使う印なんですね。さてそこはどのシーンでしょうか?この2つをぜひ探し当てていただければと思います!※山崎賢人の「崎」は、正しくは「たつさき」(黒豆直樹)■関連作品:陰陽師0 2024年4月19日より公開©2024映画「陰陽師0」製作委員会
2024年04月29日男性が“浮気しているサイン”浮気の疑念に悩まされることは、恋愛関係においてある程度避けられない問題かもしれません。先んじて警戒心を働かせ、相手の行動から真実を見極められるとしたら、少しは心の準備もできるかもしれません。ここでは、彼の行動に浮気の疑いがある場合に、その真実を探るためのヒントを紹介します。彼の人間関係に注目浮気をしる際に、人間関係をヒントにすることができます。例えば「同僚から意外な電話がかかってきて、彼の浮気が発覚した」というケースがありえるでしょう。彼の周辺の動きには、隠れた真実がひそんでいるかもしれません。不審な点を察知したら彼の周りの人々との関係性に注意を払うことが、一つの手段になるでしょう。スマートフォンの変化彼が態度を変えてスマートフォンを頻繁に操作するようになった場合、何かを隠している可能性が高いかもしれません。スマホを通じてほかの女性と連絡している可能性があります。しかし、プライバシーへの配慮も忘れず、スマホを直接確認するのは最終手段にするようにしましょう。真実を確かめる手段として、まずは彼との会話を通じて事実を明らかにしようとすることが賢明でしょう。夜間の連絡が取れない「夜中になると連絡がつかなくなる」といった状況も、浮気の疑念を抱かせる要因となりうるでしょう。夜になると連絡がつかないから浮気をしているとすぐに決めつけるのはやめましょう。彼のスケジュールをよく把握し、怪しい行動を見極めることが肝心です。ただ彼が仕事などで忙しいだけかもしれないからです。お互いの信頼を基礎とし、疑念に対する確かな答えを得ようとする姿勢が大切かもしれません。浮気のサインを見逃さないで「私が実家に帰省している間に夫が浮気していることが判明しました。早い段階で浮気が判明しましたが、それでも子育てで忙しい私にとっては許しがたいことでした。こんなことなら帰省しなければよかったなと後悔しました。」(32歳/女性)彼の浮気に気づくのが遅くなればなるほど関係の修繕が困難になります。今回紹介したサインが見られるようになったら彼の浮気を怪しんでみるといいかもしれません。わずかなサインを見逃さないことで浮気の早期判明につながるでしょう。(Grapps編集部)
2024年04月27日小学生のお姉ちゃんと一緒に学校へ行きたがる息子。毎朝の日課は……(※写真はイメージです)私が住んでいるところはかなりの田舎で、近所付き合いも密にある土地柄。ここで小学生の女の子と4歳の男の子の育児中です。毎朝、集団登校するお姉ちゃんが出発する時間になると、弟も「自分も学校へ行くんだ」と言って、登校班の後ろを私と一緒に歩くのが日課。しかし弟は歩くのがまだ遅いので、だんだんと離されてしまいます。その後は途中にある小さな商店で一休みをして、2人で家に帰るというのが毎朝の流れです。お姉ちゃんを見送った後、ご近所さんの集う商店へ(※写真はイメージです)そこの商店は近所のお年寄りの憩いの場になっていて、缶コーヒーを飲んでいるおじいさんに、「おはよう、今日も歩いてきたんか」と声をかけてもらうのがお決まりに。息子はちゃっかり憩いの場に混ざり、たまに顔見知りのおじさんにジュースを買ってもらったり、駄菓子売り場の前で毎日毎日どのお菓子が食べたいか見たり、踊ったりと大忙し。お菓子は毎日買うわけではないし、いつも騒がしくてすみませんと私は申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが、店主のおばあさんは「いいのいいの」と温かく迎えてくれます。「昔はみんなで子育てしてた」を実感(※写真はイメージです)このような様子を見ると、「昔は地域みんなで子育てをしていた」というのはこういうことなのかなと、ほっこりした気持ちに……。田舎の暮らしは不便なことも多いですが、住まいの関係で祖父母の温かさを日常的に感じれない子どもにとっては良い居場所になり、とっても良いことだと思います。そして私もまた、毎朝の散歩道で子どもが日々成長している姿を楽しむことができています。安心して子育てが出来るのは、地域の皆さんの優しさのおかげです。本当にありがとうございます。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。エピソード募集中妊娠中、子育て中に誰かに助けてもらって感謝していることはありませんか。そんな「ありがとう」の気持ちを込めたエピソードを募集しています。あなたのすてきな体験談を教えてください。投稿フォームはこちら
2024年04月27日仕事や子育てをしながら家事をこなすのは本当に大変なこと。だからこそ、家族の助けが必要だと思うのですが、わが家の夫は家事を積極的にやってくれる人ではありませんでした。そんな夫が、あることをきっかけに変わったのです。今回は、頼りなかった夫が変わったエピソードをご紹介します。ほとんど家事をやってくれない夫結婚してから間もなく、夫の転勤で今の住まいに引っ越した私。夫婦ともに実家が遠く、家のことや子どものことを両親には頼れません。夫は会社員、私はパートで働いていたため、何かあれば夫婦で協力する必要がありました。そんな生活を続けているうちに、私は毎日の家事をこなすのに大変さを感じていたのです。夫は、洗濯や料理といった家事を積極的にはしない人でした。畳んでいない洗濯物がそばにあっても、気にせずスマホやテレビを見ているだけ。食べ終わった食器があっても、テーブルに置いたまま放置という状況がしばしばありました。しかし、夫は家事がまったくできないわけではなく、やればできる人。不器用ではありますが少しでもやってくれると助かります。そのため、私が忙しいときは洗濯や掃除を頼むこともありました。ただ、家事を頼むと夫の反応はよくありません。最終的にはやってくれるのですが面倒そうな態度を取り、文句を言うことも。私は、できれば積極的に家事をやってほしいと思ってはいましたが、夫の機嫌が悪くなるのも嫌だったため、本当に手が回らないとき以外は「自分がやればいいや」と諦めモードになっていました。夫が買い物もできないことにガッカリ私は子どもが保育園に入園したタイミングで、パートの仕事を増やすことにしました。夫は仕事の帰りが遅いので、子どもの迎えは主に私が担当することに。そこで問題になったのが、食材の買い物です。食材が足りないとき、保育園のお迎え後に子連れで買い物をすることにしたのですが……。子どもをスーパーに連れて行くと、予定にないものを買ってほしいとせがまれたり、目を離した隙にどこかに行ったりするので、買い物に集中できません。かといって、先に買い物を済ませて子どものお迎えが遅くなってしまうと、申し訳ない気持ちになり気が引けます。そんな悩みを抱えていたとき、ちょうど夫が平日にお休みになったので買い物を頼むことに。夫は家の中で家事をするよりは買い物に出かけたほうがいいらしく、幸いあまり嫌な反応をせず引き受けてくれました。そこで私は買い物リストを作って夫に渡しました。さすがにリストがあれば、そのとおりに買ってきてくれるだろうと安心しきっていたのですが……。子どもたちのお迎えに行って帰宅し、夫が買い物をした購入品を見てビックリ! 買い物リストを作って頼んだにもかかわらず、夫は「牛乳と飲むヨーグルト」「鶏もも肉と鶏胸肉」を間違えて買っていたのです。さらにそれだけではありません。「ひき肉」に関しては、どの商品を選べばよいかわからず買ってもいない始末。私は、夫が買い物すらできないのかと本当にガッカリしました。家族で一緒に行くことで夫の買い物スキルが向上さすがにこのまま家事はやらない、買い物もできない夫では困ると思った私。そこで、買い物はできるだけ家族で一緒に行くことに。一緒に行くことで、私が普段どんなものをどのくらいの価格帯で買っているかがわかります。夫がいることでお米やペットボトル飲料など、重いものを買っても運んでもらえるのでメリットもありました。さらに、子どもを連れて買い物をすることの大変さを実感してもらえる機会にもなったのです。そして家族でスーパーに行くことが習慣になってきたころ、夫にうれしい変化が。元々出かけるのが好きなタイプの夫は、家族でスーパーに行くことは嫌がりませんでした。それもあってか私が仕事で忙しいときは、自ら「買い物行ってこようか?」と言ってくれるようになったのです。さらに、洗濯や食器の片付けも、私が忙しいときは以前より気付いてやってくれるように! そこで私は、夫がやってくれたことに対し「ありがとう」と感謝を伝え、「パパが作ったごはんだよ! やったね!」と、子どもと喜びをアピール。そのかいあってか、夫も家事に対してやる気を維持しています。こちらから頼んでやってもらうのと自ら行動するのには大きな差があるので、本当に助かっています。まとめ夫が買い物もできないことに心底ガッカリしましたが、たしかに普段やっていないことを頼まれたら誰でも間違うかもしれないと、今になって思います。また、家事を「私がやればいいや」としていたことも、よくない考えでした。夫婦で一緒に買い物をすることで情報を共有できたのがメリットとなり、わが家には合っていたのでしょう。やはり家事や子育ては夫婦で協力するべきだと実感したので、これからも助け合っていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/エェコ著者/佐田 みなみ同い年の夫・ひょうきん者の息子・娘と暮らすパート主婦。忙しい中にも家族の時間を大切にしたいと思いながら暮らしている。
2024年04月27日5月3日(金・祝) より公開される映画『マイ・スイート・ハニー』より、ユ・ヘジンのインタビューが到着した。本作は、ユ・ヘジン演じる仕事中毒の製菓会社研究員チャ・チホが、何事にもポジティブなシングルマザーのイ・イルヨンと出会ったことで、初めて恋を知る物語。1997年の映画『ブラック・ジャック』でデビュー以降、『ベテラン』『梟ーフクロウー』『コンフィデンシャル:国際共助捜査』など、様々作品に出演しているユ・ヘジン。本作では初のラブコメに挑戦し、第28回春史国際映画祭の審査委員特別賞(俳優部門)を受賞している。──本作出演のオファーを受けた際のお気持ちと、最初に脚本を読んだ際の感想をお願いいたします。『ワンドゥギ』という作品を観て、イ・ハン監督の作品に関心を持っていましたが、ちょうど『マイ・スイート・ハニー』のシナリオを受け取りました。ファン・スンウォンの小説『ソナギ(にわか雨)』を想起させるような純粋さもありながら、おもしろかった。傷を抱えた男女のロマンスがどう描かれるのか気になり、穏やかな微笑を浮かべるような物語が心に染みたんだと思います。シナリオを興味深く読みました。──本作でラブコメディに初挑戦され、ユ・ヘジンさんの新たな一面を観ることができました。チホという役を演じるにあたって、まずどのように役作りをされたのでしょうか。また、チホさんとご自身との共通点はあると思いますか?物語に入り込むと、キャラクターが自然とできてくる方です。現実感覚というものがまったくないチホが恋に落ちて、ときめきと痛みを感じるのですが、初めて感じるそういう感情にどう反応するのか考えているうちに、自然とキャラクターができてきたんだと思います。相手と手をつなぎたくてしょうがないのに、つなぐまでものすごくドキドキした記憶や、一緒にいて別れた途端また会いたいような感情を思い起こしながら、チホを作り上げました。──演じるにあたって難しかった点、苦労された点がありましたら、教えてください。チホは現実感覚がなく、社会性も不足していますが、イルヨンがチホを“なぜ”好きなのかという疑問を感じさせてはいけないと思いました。ですから、現実感覚はないけども、イルヨンが十分愛するに値するキャラクターにしないといけない。そのバランスを考えました。イルヨンが一目ぼれするような、チホの純粋な魅力をどう表現するか、ずっと考えていました。──チャ・チホを演じる上で、監督から何か注文はありましたか?またアドリブはどの程度入れられましたか?作品の準備をしながら、演出するイ・ハン監督の実際の姿をいろいろ参考にしました。監督は本当に純粋で、まるでチホのような感じなんです。だからこの映画が人間味の感じられる映画になったんだと思います。──キム・ヒソンさんとの初共演は、いかがでしたか。愛の物語なので、相手方の俳優との相性がとっても重要な作品なんです。キム・ヒソンさんの性格の良さはよく聞いていましたが、現場で会ってみると、びっくりするぐらい、相手の俳優を居心地よくしてくれます。スタッフたちも、ミーアキャットみたいにいつもキム・ヒソンさんを待っていました(笑)。キム・ヒソンさんの明るいエネルギーのおかげで、私もいい影響をたくさん受けた気がします。──キム・ヒソンさんとのシーンでもっとも印象的だったシーンと、その理由を教えてください。映画の中で、イルヨンとチホが別れる場面があります。イルヨンが別れようと言って人波の中に入っていくシーンの撮影で、私が大泣きしました。モニターを見ながら、私も監督もヒソンさんも涙を流したのを覚えています。シナリオには「人波の中に消えていくイルヨンを見る」と書かれていたのですが、私がチホになって考えてみると、その感情はただ眺めているのでは収まらず、座り込みました。純粋な愛を感じた場面でした。──その他のキャストの方々や監督との現場でのエピソードで、印象に残っているものを教えてください。ドライブインシアターでの撮影場面は、NGが何度も出たんですが、笑いながら楽しく撮影した記憶があります。露出は避けたい方なのですが、この場面では私がちょっと積極的にアイディアを出しました。チホのような純粋な人が慌てふためく姿を見せるとおもしろいだろうと思ったんです。ズボンが脱げて慌てるチホの姿がうまく撮れたと思います(笑)。──本作ならではの魅力は何だと思われますか?『マイ・スイート・ハニー』は刺激的でない、本当に純粋な愛の物語を描いた映画です。日本の観客の皆さんも見て共感できる、温かく純粋な物語という点が、この作品の最大の魅力だと思います。<作品情報>映画『マイ・スイート・ハニー』5月3日(金・祝) 公開公式サイト: Inc. & MOVIEROCK ALL RIGHT RESERVED
2024年04月26日映画監督の役割とは何か――?そんな極めて抽象的な質問に、濱口竜介監督は「ある種、自分の生理的な判断によって“OK”と“NG”を振り分けること」と答えてくれた。ヴェネチア、カンヌ、ベルリンの世界三大国際映画祭とアカデミー賞の全てで受賞歴を持ち、いまや新作が発表されるたびに常に世界的な注目を集める存在となった濱口監督だが、彼はどのようにして“映画監督”になったのか? そして、彼はどのように新作を企画し映画として形にするのか?まもなく公開となる『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』でもタッグを組んだ音楽家の石橋英子のライブパフォーマンスの映像作品として企画がスタートし、制作の過程で当初の作品とは別に1本の長編映画として誕生したという、まさに異色の作品だ。世界を魅了し、驚かせ続ける“濱口映画”の作り方について、じっくりと話を聞いた。映画監督への道「漠然としていました」――濱口監督は、大学で映画サークルに入る以前は、映画をむさぼり観るようなタイプではなかったとうかがいました。それ以前は、どういったカルチャーに触れられていたのでしょうか? また、映画に深くハマるようになったきっかけは何だったんでしょうか?テレビドラマにゲーム、漫画、J-POP…当時の日本のどこにでもあったサブカルはごく普通に触れて楽しんでいましたが、夢中になっていたとは言えないですね。引っ越しばっかりしていたもので、その土地に根ざした遊びはしてなくて、それしかなかったというのが実際だと思います。ただ、映画館に行くのは昔から好きでした。小学生の頃『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て、中学生で『ターミネーター2』を観て面白いと思って、高校生くらいになるとミニシアター系やアート系の映画も観るようになって、自分のことを「映画好きなんじゃないか」と思って、大学で映画サークルに入るんです。そこで、自分なんて実は全然観てなかったんだって気づいた感じです。映画自体は好きだったけど、全然足りていなかった…と。――「自分で映画作りたい」という思いで映画サークルに入られたんですか?そうですね。僕は一年浪人して大学に入ったので、浪人期間中は、なかなか映画館にも行けず、すごくつらさもありました。なので、大学に入ったらやりたいことをやろうって思いが強まって、そのひとつが映画でした。とはいえ、いま思うと、映画をどう作るのかということについて、何も知らなかったですね。――その後、大学生活を送りつつ、仕事として“映画業界”を志すようになったのは?大学3年くらいになると就職活動が始まるんですけど、何を大学でやってきたかと振り返るわけです。大学で大して勉強したわけでもないんですけど、何かしら、大学でやってきたことを就職で活かしたいなと思うんです。学科も映画で卒論を書けるところを選んだし(※大学では文学部 美学芸術学専修課程を専攻)、考えたら映画のことしかやってこなかったので、就活でも映像関係の会社ばかりを受けていました。でも、時代が就職氷河期だったからなのか? 私のコミュニケーション能力に問題があったのか…(苦笑)? 映像関係の会社も軒並み落ちまして…。「どうしようか?」と思っていた時、助監督の仕事を紹介していただけたんですね。――その後、しばらくして、東京藝術大学大学院の修士課程に入り直されていますが、そこに至る経緯は?商業映画の現場で助監督の仕事を始めたんですけど、何も知らないまま入ったわけです。助監督としてどう動くかなど全くわかってない状態で、しかも、そんなにコミュニケーション能力も高くなくて、ちゃんと人から教えてもらえないまま、目の前で現場が動き始めているという状況で…。商業映画1本と2時間ドラマの助監督をやったんですけど、端的に言って仕事ができなかったんですね(苦笑)。その時の監督の知り合いの映像制作会社を紹介していただいて「修行してきなさい」となって、そこでそれなりに楽しいと思いながら働きつつ、その会社が作っているのはBSテレビの経済番組などでしたので「楽しい」がちょっと違うわけですね。「自分は映画がやりたかったはずなんだけどな…」と。そうしたら、芸大の映像研究科が映画監督になるコースを開講することになって、2005年に第一期生を募集していて、しかも教授は北野武監督と黒沢清監督だと。そりゃすごい! 自分のこれまでの趣味と照らし合わせても「ここしかないかもしれない」と思って受けました。一年目は落ちて、二度目で翌年の2006年に受かりました。流れ流れてという感じでしたね。濱口竜介監督――当時から「将来、映画監督になる」といことは意識されていたんでしょうか?本当に五里霧中というか「なんも見えねぇ…」って感じでしたね。あの当時、いや、いまも若い人にとってそうかもしれませんが「監督にどうやったらなれるのか?」というのが全然わかんなくて、聞いたところでは「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」で入賞するとプロデューサーにピックアップされるらしいとか、助監督を続けて階段を昇っていくと、30代後半から40代手前くらいで監督の口があるんじゃないか?とか…漠然としていました。ただ自分に助監督の能力がないことは明瞭にわかったので、その線は消えたわけです。PFFに出したりもしたんですが、全部落ちたり。とは言え、そんなに悪いものは撮っていないはずだという思いもあったので、自主映画で撮っていこうと。「職業にする」というよりは、まずは自主映画・学生映画という形で作品をつくらないと、次の段階に進めなさそうだなって感覚でした。それで藝大大学院も受験するわけなんですけど、「職業として映画監督になれるか」というのはどこまでもわかんなかったですね。――その後、自主映画で短編、長編を含めて様々な作品を手掛け、『寝ても覚めても』では商業監督映画デビューを果たしましたが、自分が「映画監督である」と実感がわいたのはいつ頃ですか?これもすごく難しくてですね…、ある意味、意識の中では自分はずっと「監督」ではあるんですよね。その意識は学生時代からあるんですけど、ただそれが「職業」になったのは、本当に最近ですね。それで食べていけるようになったのが本当にごく最近なので。“商業映画”の意識「せめぎあいの中で作品ができていく」――『寝ても覚めても』以前に『ハッピーアワー』が国際的にも非常に高い評価を受けました。ただ、あの時点で無名の若手監督が5時間を超える映画を作り、劇場公開されるというのはすごいことだと思います。企画を通すということや、プロデューサー的な視点でどうやったら多くの人に劇場で映画を観てもらえるか?といった部分は、意識されていたんでしょうか?その意識が全くなかったわけではないですが『ハッピーアワー』に関して言えば、コントロールが全く効いてなかったというのが実際のところですね(苦笑)。クレジットとしても自分はプロデューサーではないですし。『ハッピーアワー』やその後の『偶然と想像』、今回の『悪は存在しない』でもプロデューサーに入ってもらっている高田聡さんという方がいて、(高田プロデューサーが所属する)「NEOPA」という会社は、実はIT企業なんですけど、高田さんは映画サークル及び学科の先輩なんです。その会社の取締役である高田さんの裁量の範囲で、NEOPAから出資していただけることになりました。『ハッピーアワー』最終的に「すいません、5時間になっちゃいました」という感じだったんですが、それでもOKをいただけて、これはプロデューサーである高田さんの度量の広さというのがまずありますね。『ハッピーアワー』は製作に2年くらいをかけていて、僕にとってもスタッフにとっても人生の一部のような存在になるわけですよね。“お祭り”というよりは、生活の一部みたいな感じですね。有名な人も出ていないですし、『ハッピーアワー』の時は、お客さんというよりは、一緒に仕事をした人たちのために最良の形で完成させるというモチベーションが強くて、その結果、あの長さになって、それを受け入れていただいたという感じです。その意味で、プロデューサー的な才覚は自分にはあまりないと思いますね。――『ドライブ・マイ・カー』のような作品の製作プロセスでも、商業的な部分を意識することはないのでしょうか?特に、いわゆる商業映画の枠組みでやるときはプロデューサーという立場の人たちがいて、C&Iエンタテインメントにいた山本晃久さん、その上司の久保田修さん、ビターズ・エンドの定井勇二さんが主にクリエイティヴ面でも関わってくださっているんですけど、その方たちの意見はきちんと聞いて参考にしています。まず、多大な経済的リスクを負っているのはその方たちなので、その人たちの「これでよいか悪いか?」というジャッジは受け入れるんですけど、そこで「自分が面白いと思うことかどうか」という部分はきちんと出すようにしています。ただ、山本さん、久保田さん、定井さんは『寝ても覚めても』の頃から、それぞれの立場から、かなり自分のやりたいことを尊重してくださったので、自分も含めたそれぞれの立場の意見の、そのバランスの中でできていくというか。自分もプロデューサーのジャッジへの信頼があるので、そのせめぎあいの中で作品ができていくという感じですね。『ドライブ・マイ・カー』――本作『悪は存在しない』は、石橋さんからライブパフォーマンス用の映像の依頼を受けて企画がスタートし、そこからさらに枝分かれして長編映画になったという異色の作品ですが、この作品に関しても、クリエイターとしての「これは映画になる」という手応えと、プロデューサー的な目線で「これは(商業)映画になる」という感覚が重なるような瞬間は?それはどこまでもなかったですね。今回、また高田さんにプロデューサーをお願いしていますが、製作中の高田さんの名言で「まあ、できてから考えようか」というのがありまして(笑)。完成してどんな作品なのかわかって、それから考えればいいんじゃないかと。まあ経済的なリスクが自分たちの耐えられる範囲内であるならば、明らかにそれが最良の選択肢なので、じゃあそうしようかとなった感じです。実際、それがこうやって劇場公開までされることになって、本当に運がよかったなって思いますし、高田さんのそのスタンスには心から感謝していますね。――濱口監督にとって、映画づくりのプロセスにおける「映画監督」の役割・仕事はどういうものだと思いますか?ある種のビジョンを提示したり、作品の全体の方向性を示すことが求められる部分もありますが、基本的には撮影の1テイク、1テイクであったり、編集の一工程、一工程に対し「OK」か「NG」かを判断する仕事ですね。単純に「OK」か「NG」かを示すだけでは暴力的なので、必要なら言語化も説明もしますけど、究極的には、個人の生理的な判断で「OK」と「NG」を振り分けていくのが仕事のような気がしますその基準をきちんと守り通せたら、映画になるだろう、という思いでやっています。――繰り返しの質問になりますが、企画を「成り立たせる」という部分や「いかにこの企画を通すか?」という部分に関して、意識されたことはないんでしょうか?これは本当に、僕がプロデューサーに恵まれているんだと思いますが、そういう経験がないんですよね。プロデューサーが「こういうことなら商業映画として劇場に掛けられる」と判断して、商業映画の枠に入れてくれたり、高田さんのように、僕のジャッジを信頼してくださって、とりあえず完成させて、その後のことは、できたものを見て考えればいいと考えてくださる――。もちろん「お金にならなくてもいい」と思っているわけではないでしょうが、そこは自分に対する信頼感をもって「この枠組みの中でやるなら、何をしてもいいですよ」とやらせてくださる方がいるので、「この企画をどうしなきゃいけない」ということは考えず、どちらかというと、その時に自分の中にある課題意識――「現場のここをもうちょっと改善したい」「演出のここをもうちょっとうまくなりたいな」みたいなことに取り組める企画を立てることが多いですね。インプット、キャラクター、ラスト…濱口映画ができるまで――ここから、具体的な作品づくりのプロセスについてもお聞きしていきます。今回の物語はオリジナル脚本ですが、石橋さんの知り合いから実際に起きた問題について話を聞き、それらをベースに物語を構築していったそうですね。物語の組み立てやキャラクターの膨らませ方はどのように行なっていくのでしょうか?脚本に関しては本当に難しくて、いまだに「これが正解」というものがないんですよね。「こうしたら面白い本が書ける」という方式は良くも悪くも確立していなくて、その都度、企画に合わせて七転八倒的な感じで、のたうち回るようにしてできていきます。今回は、まずリサーチをしてみようということで、でも、どこから手を付けていいかわからず、とりあえず、石橋さんの音楽ができる場所の近くでリサーチをすれば、石橋さんの音楽に合うものが何かできるんじゃないか? というくらいのところから、藁をもつかむような思いでリサーチを進めていったら、だんだんと「こういうものが撮れるな」とか「こういうことがあるのか」というのが積み重なっていき、ある時、スーッと筋が通ったということしか言えないんですよね。ある瞬間に突然、組み上がっていくというのは、今回もそうだし『ドライブ・マイ・カー』もそうでした。原作を何度も繰り返し読む中で、ある時、組み上がったという感覚でした。そのために必要なのはインプットをするということですね。インプットが十分にされていれば自然とアウトプットされるんだろうと思います。『悪は存在しない』――今回でいうとインプットにあたるのは…?今回の場合はリサーチそのものがインプットでしたね。使われなかった要素もいっぱいあるんですけど、土地を回って教えていただいた「あの木が〇〇で…」「水はこっから湧いていて…」といった話やその土地の歴史や何かの話のひとつひとつがそうですね。『ドライブ・マイ・カー』では原作そのものもそうだし、「ワーニャ伯父さん」の存在もインプットになったと思います。『偶然と想像」では、喫茶店で隣のテーブルで話されていた会話がインプットになったことがありました。あとは普段の日常の暮らしの細かい感情がインプットになる――「いま、自分の中でザワっとしたこの感覚を覚えておこう」ということもありますね。――キャラクターの膨らませ方に関して、例えば今回の物語で巧(大美賀均)や娘の花(西川玲)を中心に進むかと思いきや、中盤以降で思いもよらない人物が重要な存在になっていきますが、これはどのように…?これは面白くしようと思ったらそうなったって感じですね。単純な映画の好みの話なんですけど、僕自身が不意打ちを食らうのが好きなんですね。「まさかそんなことになるなんて!」というのがすごく好きで、そのパターンのひとつとして「お前、そんな重要なキャラだったのか?」というのがありまして(笑)、急にガツンと来るみたいなのが、映画を見る側の体験としても好きで、自分が作るときもそういうことを起こそうとするんですよね。先ほどのインプットで言うと、映画を観ている時の自分の身体に起こる状態の変化も、ひとつの大きなインプットとしてありますね。『悪は存在しない』――ラストシーンの意図や重要性についてもお聞きします。『ドライブ・マイ・カー』では、ラストで描かれているあの状況はどういうことなのか? という“論争”が起きましたが、そうやってラストシーンの描き方で観る者の心をざわつかせようというのはかなり意図的にされているんでしょうか?それはメチャメチャあると思いますね。映画を観た人は、ラストシーンの印象を引きずって映画館を出るということになるので、ラストシーンというのはかなり大事だと思っています。これも個人的な映画の趣味なんですけど「え? これはどう感じたらいいんですか…?」という気持ちで映画館を出るのが好き、というかかけがえのないことだと思うんですよね。数日途方に暮れますが、気がついてみれば、それが最も残る体験になっている。長く映画ファンでいますが、それが結局最高なのでは、と思っているので、観客にもそういうものを提供したいです。とはいえ、あまりにもわからないと「え? これはどう感じたらいいの?」と感じる“土台”そのものがなくなってしまうので、ある程度の土台を構築した上で、どこかでズレというか、ある種の不条理が入ってくることで「いや、こういうふうに思ってたのに、何なんですか、これは?」というものができるのが大事だなと思います。ただそれもあまりやり過ぎると、観客との関係性が切れてしまうので、その塩梅は常に難しいですけど、観客の体験のためにやるのが大事なことだと思いながらやっています。――今回のラストの衝撃に関しては『ドライブ・マイ・カー』以上だと思いますが、監督の中で様々な構築があった上で、あのラストを選ばれたということですか?ああいうのを明確に言語化してやっているかというと、必ずしもそうではないと思います。ただ結局「こうあるべきだ」という基準が言語化されずとも自分の中にあるわけです。ずっと物語を書いてきて「これがこの物語のラストになるんだ」という納得感――自分の中で腑に落ちた感じで書けることがすごく大事で、そういう身体レベルの納得感があると、やはりそれを演じる人にも伝えることができる気がします。そうすると、今度は演じる人も「これはこういうものなのだ」と確信をもって演技をしてくれて、その確信に満ちた演技を見ると「やはりこういうことなのかな」と観客もまた納得ができるのでは……と思っています。(そのラストが)起きたこととして、そこから「じゃあ、なんでそういうことになったのか考えよう」という、書いているときの感覚は、観客の視点とすごく近いと思いますね。――最後に映画業界で働くことを志している人に向けて、メッセージをお願いします。大事なことは二つで、まず「イヤなことは無理にやらない」ということですね。いまの若い人の感覚で「なんかこの映画の現場、おかしいんじゃないか?」、「こういう働かせられ方は変じゃないか?」と感じたら、その感覚は正しいです。そんなところにいる必要はありません。その感覚を大事にして成長してほしいし「何かがおかしい」と思うことに無理に自分を合わせないことはとても大事だと思います。とはいえ、イヤなことから遠ざかるだけでは成長できないのは確かなので、何かしら勉強を続けることが大事だと思います。現場から離れた時期も自分がやっていたことは、「映画を観る」ってことですね。現場の経験があると、「これはこう撮っているのかな」とか「こう撮れるのはすごいことだ」という感覚もより繊細なものになっていきます。映画館に行くのがベストですが、最近では配信サービスも充実して、低コストでたくさんの作品を観ることができる。これはやっぱりすごいことです。現場に行くと、やっぱり映画を観るって大事なことだなというのはスタッフやキャストとのコミュニケーションでもすごく感じます。「勉強する」というと堅苦しいですが、でも勉強して自分の感覚が変わっていくのを感じるって楽しいことなんですよ。そういう楽しみを自分から手離さなければ、イヤなことを拒みながらでも意外と生きていけると思います。保証はできませんが(笑)、自分の人生を振り返るとそういうことなんじゃないかと思います。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:悪は存在しない 2024年4月26日よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国にて公開© 2023 NEOPA / Fictive
2024年04月26日アウトドアは「自分の一番かっこいい姿を見せることができる」(※画像はあばれる君オフィシャルブログより)高校時代からお付き合いをしていた一般女性と2013年10月に結婚したあばれる君。2016年6月に第一子となる長男、2021年4月に第二子となる次男が誕生しました。テレビのみならず、YouTubeチャンネルでもサバイバル動画を公開していますが、息子を連れて野営するなど子育てでも「サバイバル」を大切にしているようです。番組では、月に1回は子どもたちとキャンプへ行くというあばれる君の子育てを紹介。お子さんと一緒にテントの設営から火起こし、料理までやり、ドラム缶風呂に入ったり、竹で弓を作って的を狙ったり、最近ではタープを張って大雨をしのいだことも。あばれる君は「傷を作って強くなれ」をモットーに、「多少の切り傷とか擦り傷とか、そういう痛みがあることで心も体も強くなる」と育児観を披露。キャンプでは、食べ物を現地で捕獲することもあるといいます。サバの内臓を川に沈めるとカニが寄ってくるため、昨夏には川でお子さんとモクズガニを捕獲。モクズガニはその場で鉄の串を使って絶命させ、命の大切さを学び、いただいた命を大切に食べることも実感を伴って学べる良い機会となったそうです。なぜ息子を連れてキャンプに行くのか。それは、アウトドアが自身の得意分野であり、一番かっこいい姿を見せることができるから。そんなあばれる君のサバイバルな子育てについて、奥様が本音を明かす場面もありました。愛妻・ゆかさんは、「都会ではなかなかできない体験ができる。長男は枝が擦れたくらいのけがは『勲章!』と言って誇らしく見せてきます。たくましいなと思います」と語り、夫の方針に賛成している様子。ただ、1つだけ困っていることがあり、「虫を息子に捕らせるのはいいことだと思います。でも、家でゴキブリが出たときも息子たちに挑戦させて、『そこだ!行け!』と大きな声で指導して、結局逃げられてしまいました。その夜は気が気じゃなくて眠れませんでした……」と告白。たしかにその場面では、経験よりも確実に仕留めてほしいですね。
2024年04月26日●親子で登山が趣味に「すごく楽しい」 家族全員で富士登山も2人の男の子の子育てに奮闘しているフリーアナウンサーの青木裕子。4月19日に発売した書籍『3歳からの子育て歳時記』(講談社)では、自身が実践してきた親子で楽しめる12カ月の具体的な体験などを紹介している。さまざまな経験を通して、青木自身も新しい自分に出会えたという。青木にインタビューし、母親になってからの変化や今後について話を聞いた。子供の小学校受験をきっかけに、さまざまな体験を通して学ぶ体験教育に力を入れるようになったという青木だが、最初はその必要性があまりわからなかったという。「小学校受験では『いろんな体験をしましょう』と言われるんです。外に出かけたり、受験関係なくいろんなことをしていたつもりではありましたが、受験期に入って『みんなで高尾山に登ろう』といったツアーなどがあり、深く考えずに山に登ったり、季節の果物を収穫しに行ったりしていました」だが次第に、体験からさまざまな学びがあると感じられるように。「長男の時は正直、何のためにやるのかわからずやっていましたが、先生やいろんな方とお話しする中で、それをやることが目的ではなく、そこから何を学べるかが大事なのだと教わり、次男の時はその学びを考えながらやるようになりました」体験教育をきっかけに、登山という親子の趣味もできたという。「高尾山に登ることは、最初はハードル高いなと思っていましたが、結果的に私も子供たちも山登りが好きになり、家族みんなで登るようになりました。最初は子供だけツアーなどに参加すればよいかなということも考えましたが、一緒に登ってみたら楽しくて。次男の時はコロナ禍で幼稚園が短縮になったこともあり、時間をどう過ごそうかと考えたのがきっかけでした。人が密集するところは行けないという時に、高尾山なら登りに行けるかなと考え、次男と一緒に何度も行ったらすごく楽しいなと思うように。そうしたら自然と富士山に登ろうという目標ができて、最終的に家族みんなで富士登山に行くことができました」山登りが好きになり、富士山に登るまでに。「子育てをしていなかったら富士山に登ることはなかったと思います」と母親になったからこその変化を感じているようで、「達成感はすごくありました。これで一生、『富士山に登ったことがある』と言えるなと。海外の方にも言えますよね」とうれしそうに話した。子供が生まれてから虫好きにもなったそうで、カブトムシやアゲハチョウなどさまざまな虫を子供と一緒に飼育してきたという。「カブトムシを飼っているとどんどん増えて、育てていくと面白味を感じてハマっていくというか。昔は虫を育てているという話を聞いても『嘘でしょ!?』と思っていましたが、今はすごくその気持ちがわかります。確かに楽しいなと(笑)」母親になって新たな自分にも出会い、「楽しみが増えました」と笑顔を見せる青木。「そんなに大袈裟なことではなく、家でできるようなことでも体験と言えるし、そこから学べることも多いのだということにも気づき、今回の本では、身近に家で子供と楽しめる体験をたくさんご紹介しています」と語る。●「母親業が第一優先」 本を通じて子育て情報のシェアも子育てに奮闘しつつ、モデルとしてさまざまな雑誌でも活躍している青木。今後について尋ねると、「子供の受験を経て、プロではないけれど、子育てに関する情報をシェアしてお役に立ちたいというところから連載を始めさせてもらい、この本は集大成です。これを出すことが私の念願という気持ちで目標にしていました。なので、次にやりたいことはまだ決まっていません」と今の率直な心境を説明。「性格的に長期目標を立てられないんです。将来こういう風になりたいからこうしていこうと考えるのが苦手で、短期で次これやりたいという風にやってきたので、まずはこの本をたくさんの人に届けたいという思いがあり、それが一段落したら、何かやりたいことが見つかるのかなと思っています」と語った。そして、「ベースとしては母親業を第一優先で考えている」ときっぱり。「これからきっとまた子供たちが思春期を迎えるなど、子育てで難しい時期に入っていくと思うので、そこともしっかり向き合いながら、自分の人生も考えていけたらなって思います」と話した。最後に同書について、「子育てをしながら、こういう情報があったらいいなという情報を詰め込んだ本が出来上がりました。ママ友からの情報提供みたいな感覚で手に取っていただき、皆さんの楽しい子育てや前向きな子育ての役に立てていただけたらうれしいなと思っています」とメッセージを送った。■青木裕子1983年1月7日生まれ、埼玉県出身。2005年に慶応義塾大学を卒業し、TBSテレビにアナウンサーとして入社。『サンデージャポン』や『News23X』をはじめ、バラエティ・報道・スポーツ等多くの番組を担当。2012年12月末にTBSテレビを退職し、フリーアナウンサーとして活動スタート。2014年3月に第1子、2016年1月に第2子を出産し、2児の母として子育てに奮闘中。また、モデル、ナレーション等、活動の幅を広げている。
2024年04月26日ティッシュとサランラップは「日本から持ってきたほうがいい」(※画像はおばたのお兄さんオフィシャルブログより)おばたのお兄さんは2018年3月にフジテレビアナウンサーの山崎夕貴さんと結婚。昨年8月に第一子となる長男が誕生し、現在は生後8ヶ月です。出演中の舞台『千と千尋の神隠し』ロンドン公演のため、家族でロンドン生活をスタートさせているおばたさん。現地の様子で驚くことがたくさんあり、6月から入れ替わりで渡英するキャストに「ティッシュ持ってきた方がいい!イギリス人あんまティッシュ使わないらしく、ティッシュが二箱で4ポンド(800円)とか!めっちゃ高い!!」「サランラップ絶対持ってきた方がいい!こっちにも売ってるけど、高くて低クオリティ!」「スリはやっぱりめっちゃある!もう2人やられた!」と、メールを送ったといいます。また、道の段差が多く、自動ドアが全然ないため、ベビーカーでのお出かけは「しんどい!」ものの、「人は優しいから手伝ってくれる」とも。現在は1ユーロ190円台という円安で、様々な物が日本より圧倒的に高いイギリス。自炊のためスーパーマーケットで食料品を買ったおばたさんは、悩みに悩んで「150mlで650円くらい」のキッコーマンの醤油を買ったそう。一方で、「救いは、液体ミルクが安いの!」と、息子のための液体ミルクは手ごろなお値段だと明かしています。「200mlで1ポンド!191円ねおでかけ沢山するので液体ミルクは必須で、これが安いのはほんと助かる!ナイスロンドン息子もおいしそうにごくごく飲むよ!ちなみにオムツも結構安い!パンパースのオムツ、98枚で3000円くらい」(おばたのお兄さんオフィシャルブログより)母乳やミルク、いつまで必要?赤ちゃんとのお出かけは、おむつや着替えだけでなく授乳の準備もあって大変ですね。生後5〜6ヶ月から離乳食が始まりますが、母乳やミルクはいつまで必要なのでしょうか?まず、よく話題になる『母乳をいつまであげていいか』については「赤ちゃんが何歳になったら終わらせなければならない」などの決まりはありません。一方、『いつまで続ければいいか』については、事情によって異なりますが、少なくとも1歳までは母乳もしくはミルクの栄養が必要であると言えます。成長して3回の食事と2回ほどの補食(おやつ)でしっかりとおなかいっぱい食べられるようになると、栄養やエネルギーのほとんどを食事から摂れるようになります。それができるようになるのが1歳〜1歳半ごろの離乳完了期なので、それまでは授乳が必要ということです。参照:離乳食と授乳のバランス<回数・量・順番>母乳やミルクはいつまで?【管理栄養士監修】
2024年04月25日わが家には4人の子どもがいます。子育て中で一番苦戦したのが、寝かしつけ。特に、上の子2人のときは、頼れる人もいない孤育て状態。添い寝すると自分も一緒に寝てしまったり、なかなか寝てくれなくてイライラしたりする日々でした。そこで、3人目から思い切って方法を変えてみたところ、自分の時間ができるようになったのです。上の子たちのときもこうすればよかった、と今は後悔しています。ワンオペの寝かしつけわが家には17歳の長男、15歳の長女、6歳の次女、2歳の次男の4人の子どもがいます。夫は仕事だからと育児に参加せず、ワンオペです。私も仕事をしながらの育児は毎日がバタバタで、添い寝すると私も疲れて一緒に寝てしまい、家事を残していることに夜中に気づいて、起きて家事をすることもありました。 抱っこやおんぶをして、やっと寝たと思って布団に置くと起きてしまう子ども。添い寝して寝たと思って離れると起きてしまうことも。家事もはかどらず、イライラするばかりでした。 家事を優先させてみた3人目ともなると、まずは家事を終わらせようと割り切るように。首がすわるまではベビーラックに寝かせておき、長女に見ていてもらっていました。そして、家事を終わらせてから自分が寝るタイミングで布団に連れて行っていました。おんぶができるようになったころからはおんぶをしながら家事をして、終わってから布団へ。 1歳ごろになってくると、おんぶも重くなり、先に寝かせられないかと思うようになりました。そこで寝室へ連れて行き、部屋を暗くして寝る体制を整えてから「ママ、もう少しお仕事してからくるから先に寝ててね」と言って部屋を出ることに。 意外と寝てくれた初めての日はちゃんと寝てくれるか心配でしたが、意外とすんなり寝てくれたので、もっと早くやっていればよかったと思いました。それまでの「絵本を読んで!」や、遊んでなかなか寝てくれない状況から開放され、家事を早く終わらせられるようになったのです。 4人目は夜泣きの時期が終わると、次女(3人目)と一緒に寝る前のトイレと歯みがきを済ませて寝室へ連れて行けば「おやすみ~」と2人で寝てくれるように。 日中はたくさん遊んでいたので、昼間に体を動かして、夜は寝る環境を整えれば、ちゃんと寝てくれることがわかりました。私自身が、寝るまでそばにいないと心配で離れられなかっただけかもしれない……と、今になって感じています。ワンオペで家事と育児に余裕のない私でしたが、寝かしつけがラクになって家事がはかどり、自分ひとりの時間を楽しんでいます。 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日●子育ての情報をシェアしたいとの思いで本を出版10歳の長男と8歳の次男の子育てに奮闘しているフリーアナウンサーの青木裕子にインタビュー。子育てで大切にしていることや夫であるナインティナインの矢部浩之との夫婦生活について話を聞いた。4月19日にFRaUwebの連載『子育て歳時記』を書籍化した『3歳からの子育て歳時記』(講談社)を発売。同書では、自身が実践してきた親子で楽しめる体験を紹介し、子育てに悩むリアルな姿をつづったエッセイや、小学校受験や中学受験などのプロによるアドバイスも掲載しており、「子供の受験を経て、子育てに関する情報をシェアしたいというところから連載を始めさせてもらい、この本は集大成。念願でした」と熱い思いが込められている。「我が家は全く小学校受験を考えてなかった」というところから、長男が受験に興味をもったことで受験を意識するようになったという青木。「自宅から一番近い幼稚園に通っていたのですが、受験する子が多い幼稚園で、周りの子たちが受験をする、こんな塾に通っているという話を聞いて、『僕も塾に通いたい』と言い出したんです。習い事も好きなタイプなので、じゃあやってみようかということになりました」長男に言われるまで小学校受験を考えてなかったため、親として受験のスイッチが入るのは遅かったという。「塾に通っているから大丈夫かなぐらいの感じでしたが、ありがたいことにいろんな方から『どうせ通うならしっかり合う先生を見つけたほうがいいよ』とアドバイスをいただいて、家庭教師の先生を紹介してもらったり。そして、興味が湧いた学校があったので、そこに入るためにやるべきことをやっていくという感じでした」子供の小学校受験を経験し、就職活動と似ていると感じたという。「どこの小学校がいいとか悪いとか、この学校のほうがレベルが上というのは全くなく、教育方針が合致するところを見つけるという作業。この学校の教育方針が素敵だなと思ったら、その学校の求めるものを考えるというのが小学校受験だなと感じています」長男と次男は結果的に同じ小学校に通うことに。「2人の性格が全く違うので、それぞれに合う学校をと考えていましたが、結果的に同じ学校になったので、まさにご縁だなと感じています」2人とも楽しく通っているそうで、青木は「結果的に今の学校と合うところがあり、学校が見抜いてくださったのかなと。だから、あえて言うなら、この学校を受験したことが、私が受験のためにできた一番大きなことだったなと思います」と笑顔を見せる。●矢部は基本「そうやな」 しっかり意見することも子供たちが相性のいい学校に入れたという点では、夫である矢部と教育方針などについてしっかり話し合えたことがよかったと考えている。「受験に臨むにあたって、我が家はどんな子育てをしてきて、これからどうしていきたいのかというのを夫と一緒に考えて、うちはこうですと伝えられたのがよかったのかなと思います。日々家族で楽しんでいろんなことに取り組んだり、子供としっかり向き合っていたり、うちが大事にしているのはそういう教育だよねというところにたどり着きました」矢部のおかげで、無理せず、ありのままの姿でいられていることもよかったと振り返る。「私はかっこよく見られたいとか、いいママって思われたいとか、欲が出てしまうタイプですが、うちの夫はかっこつけず、このままでいいじゃんというタイプなので、うちの家庭はこうで、これ以上ではないよねと。大きく見せすぎず、本質のところを見定められたというのも大きかったと思います」『3歳からの子育て歳時記』で漫画化されているエピソードだが、矢部に相談すると口癖のように「そうやな」と返されることが多いそうで、「ちゃんと聞いているのかな」と思うことはあるそうだが、違うと思ったときにはしっかり「それは違う」と言ってくれるという。「例えば、『こういう学校に入ってバリバリ勉強させたほうがいいんじゃないかな』『こういう塾に通ったほうが優秀になるんじゃないかな』という話をすると、『そういう風にさせたかったわけではないよね。何のために始めたんだっけ?』と言ってくれます」と、矢部の助言で子供がやりたいことを応援するという受験を始めた原点に戻ることができたと感謝。「私はすぐブレるんです。旅行の時も、宿を決めても、こっちの宿のほうが良かったかなという思いが出てきたりするんですけど、そういう時に『もう決めたやん』と夫に言われます」とも話した。●さまざまな体験を通して親子の時間が作れている小学校受験をきっかけに“体験からの学び”の大切さを知ったという青木。同書では、青木が親子で楽しんだ潮干狩りや登山、昆虫飼育など、さまざまな体験を紹介している。「小学校受験は、『いろんな体験をしましょう』と言われるんです。最初は何のためにやっているかわからないまま、山に登ったり果物を収穫したりしていましたが、そこから何を学べるかが大事なのだと知り、今回の本では、身近に家で楽しめる体験をたくさんご紹介しています」体験教育によって親子で多くの時間を過ごせていることもいい経験になっていると感じているそうだ。「これをしたからこの成果が出ましたと現時点で胸を張って言えることはありませんが、何かに結びついていると信じて取り組んでいます。実際、体験することで親子の時間を作ることはできている気がしていて、会話は多いほうだと思います。こう話していて、うちの子がグレたらごめんなさいという感じですが、こればかりはまだ子育て中なので探り探りです」いろいろな体験を通して視野の広がりも期待しつつ、正解はわからないという子育ての難しさを感じる日々だという。「もしかしたら小さい頃から体験なんてそんなにしていないという子のほうが最終的に視野が広がる可能性だってあるというのが子育ての難しいところだなと。子育ては正解というものはないので、とにかく自分が楽しいなと思うことや、子供たちが楽しんでくれているなと思うことを信じてやっていくしかないなと思っています」また、子育てにおいて「一人ひとりとしっかり向き合うこと」も大切にしているという。「特にうちは、本当にタイプの違う兄弟で、お兄ちゃんの時こうだったからこうでしょというのも成立しないし、もちろん兄弟間だけでなく、他の子がこうだからあなたもこうでしょというのも成立しないので、一人ひとりとよく向き合うことを大切にしていきたいと思っています。全力でぶつかっているよというのが伝わると、安心感にもつながると思うので」そして、2人の子供の今後について「自分の考えを持って、自分の言葉できちんと発信できる人間になってほしい」と願う青木。「あとは、人に迷惑をかけないとか、曲がったことはしないとか、親なら当然抱くような思い以上の思いはありません(こんな職業についてほしいとか)」と話した。●矢部は次男が生まれてから家事や子育てに参加3月27日に結婚11周年を迎えた青木。結婚記念日に矢部から贈られたという、「毎日ありがとう! 感謝しています!」というメッセージを添えた花をインスタグラムで公開し、「素敵です」「おめでとうございます」といったコメントが寄せられた。夫婦円満の秘訣を尋ねると、「期待しすぎないことと、相手の一生懸命を認めること」と回答。「この間、『宇宙兄弟』を読んですごく響いたのが、相手に与える優しさもですが、与えられた優しさに気づく優しさもすごく大切だと。本当にそう思うんですよね。ほかのパパを見て、うちのパパもこうなったらいいのにという思いはたくさんありますけど、きっと矢部さんは矢部さんの100をやっていると信じてお互い歩んでいる感じです」矢部は次男が生まれてから家事や子育てに参加するようになったという。「次男が生まれるまでの2年間ぐらいはぶつかることも多かったです。それまではお皿を下げることもやらないぐらいの人だったので。次男が生まれて物理的に手が足りなくなって、やってほしいと私から言いました。どこまで求めていいかもわからなかったので全部言って、そうするとぶつかることもありましたが、徐々に、ここまで頑張ってくれているからここまででよしとしようとか、お互いのいい妥協点が見つかってきたのかなと」衝突もしながら、しっかりと関係を築いてきた2人。夫婦としての抱負を尋ねると、「どうなるか全くわかりません」と笑い、「私と夫は正反対のタイプで、趣味も共通したものがないので、子供が育った後、2人で旅行に行くかといったらたぶん行かないと思います。それぞれで行動しながらも、互いを尊重しながら存在できればいいなと思っています」と話していた。■青木裕子1983年1月7日生まれ、埼玉県出身。2005年に慶応義塾大学を卒業し、TBSテレビにアナウンサーとして入社。『サンデージャポン』や『News23X』をはじめ、バラエティ・報道・スポーツ等多くの番組を担当。2012年12月末にTBSテレビを退職し、フリーアナウンサーとして活動スタート。2014年3月に第1子、2016年1月に第2子を出産し、2児の母として子育てに奮闘中。また、モデル、ナレーション等、活動の幅を広げている。
2024年04月25日先日、女優の安達祐実(42)と俳優の鈴木勝大(31)が交際中であると『スポーツ報知』が報じた。安達の事務所は報道を否定したが、世間の彼女への評価がまた変わりそうだ。報道によると、鈴木と安達は、昨年5月に上演された安達主演の舞台での共演をきっかけに意気投合。その後交際に発展したと報じられている。安達がカメラマンで元夫の桑島智輝氏と離婚したのは昨年12月。離婚から4カ月での交際報道とあって、そのスピード感には驚く声が上がった。現在バツ2となった安達だが、昨年10月には「週刊女性PRIME」が子育てに関する不穏な状況を報じていた。もともと安達の子供たちは実母・有里さんの元で育てられていたというが、夏ごろに安達が子どもたちと旅行に行くと言って外出したまま、子どもたちとの同居を開始。転校手続きなどをおこない、生活拠点を実母の元から勝手に変えてしまったのだという。こうしたトラブル後の熱愛報道とあって、母親の「女としての人生」に振り回されているのではないかと安達の子供達のメンタルを心配する声も。一方、こうした母親であることよりも一人の女性としてのイメージを支持する声も多い。コラムニストのおおしまりえさんは、「そこはかとなく漂う女感は、ハタから見た時、儚さといった魅力につながることもある。ただし、現実的な安定感には難しさも生じる」と分析する。■滲み出る「女感」がもたらす未来安達祐実さんは近年、「奇跡の40代」などと称さ、美のアイコンとして語られることも増えていました。そこへ来ての不倫報道ですから、やはり「いつまでも女でいたい人」といったイメージを持たれるのは無理もないでしょう。どこか儚さなどを覚える安達さんの「女感」は女優という職業であれば大きなアドバンテージになるでしょう。しかし、現実の生活で女を優先した状況を続けると、様々な問題が生じます。よく起きる問題の1つは、家族関係の不協和です。母になっても「女としての割合」が感覚的に大きいと、子供からしたら親との距離のとり方が分からなくなったり、愛着形成が不十分のまま育ったりして、各種問題につながるといった流れです。安達さんの場合、子育ては母親が担っていたそうですから、過度な愛情不足といった可能性はないかもしれません。ただ、昨夏からは同居しているのであれば、恋愛と子育てをどう両立させているのかは気になるところです。■恋愛を追い求めた人生は、良いときと悪い時が激しいまた問題の2つ目は、女を求めて人生を歩むということは、いわゆる恋愛的な満足度を求めることとなり、その結果アップダウンの激しい人生になる可能性が高まる点です。これについては、女優の斉藤由貴さん(57)の報道を振り返ると、イメージしやすいでしょう。彼女は若い頃から数々の恋愛遍歴があり、それは50代になってからも健在です。定期的に明るみになる不倫報道は、彼女のプライベートを困難なものにしていると思われます。また、近年では過去に不倫を報じられた男性の職場前で泣き叫び、警察が出動するといった騒ぎも報じられました。それでも活動を続けられるのは、それだけ女優としての魅力に長けていることの証拠ですが、冷静に考えたら、このような危うい状況を50代になっても続けたくはないでしょう。安達さんがそうなると言いたいわけではありません。ただ、自分の中の女を常に満たすことを優先的に考える人生は、すなわち恋愛において傷ついたりすることも増えるということです。■年下彼氏に行くのはイメージダウンになるのか?安達さんの熱愛報道では、お相手の男性が9歳年下である点も大きな注目を集めました。人を年齢で区切るなんて…と言いたくなる気持ちもありますが、とはいえ「バツ2で9歳年下の新彼氏」と字面だけ見ると、いい印象には繋がりにくいと感じる人も多いかもしれません。そもそも、男性が極端に年下の恋愛関係は、長い目でみると破局しやすい側面があります。年齢差によって力関係に偏りが出てしまったり、年齢を重ねていくうちに起きる関係性の変化に男性側がついていけない場合があるからです。こうしたイメージを払拭するには、地道に長い年月交際を続け、「年齢を超えた関係」を体現していくしかありません。昨今では、タレントの新山千春さん(43)が、14歳年下の男性と再婚を発表しました。交際期間は4年。当初はお子さんとの関係も含め最初は賛否両論ありましたが、イメージを払拭していきました。いくつかの要素を見ても、安達さんの人生は、職業も含めて波乱万丈に輝き続けるのかもしれません。最近では女優業に加えてコスメのプロデュースなど、多忙に多忙を極める彼女ですが、離婚しさらなる輝きを増すのか、引き続き注目したいところです。
2024年04月25日毎日、野鳥のハヤブサを観察しているという、山瀬美猫(@Yamasemineko)さん。ハヤブサの生態に詳しく、雌雄の体格差や羽の色、顔の特徴などを見分けられるようです。ある日、複数のヒナを育てるハヤブサの家族を観察すると…母鳥と父鳥とでは、子育ての違いがあることに気付いたといいます。まずは、母鳥がヒナを温めている様子がこちらです。大きな体を生かして、ヒナたちを包み込んでいます。子育てに慣れていそうな感じが伝わってくるでしょう。続いて、父鳥がヒナたちと一緒にいると…。山瀬さんがつづったコメントとともに、写真をご覧ください。「パパだと、はみ出し感があります」パパも子育てに必死…!ハヤブサは、一般的にオスのほうが体が小さい鳥。そのため、父鳥の下に4羽のヒナが収まりきらなかったようです。それでも、母鳥と交代して子育てをする姿に、一生懸命な様子が伝わってくるでしょう。ハヤブサの家族の様子を見た人からは「子育てに奮闘するパパみたい」「必死に守ろうとしているのね。かわいいです」といったコメントが集まりました。父鳥の様子に「頑張れ~」と応援したくなった人も多いはず。母鳥と父鳥の愛情をたっぷりと受けて、ヒナたちがすくすく育ってほしいですね![文・構成/grape編集部]
2024年04月24日【広島ホームテレビ】子ども・子育て応援 新プロジェクトをスタートさせます広島ホームテレビ(本社:広島市中区)は、2024年度より、これまで以上に子どもたち・子育てに携わるすべての人を応援するプロジェクト ”ひろしま共育宣言『子ども未来花(みらいか)』” を立ち上げました。ひろしま共育宣言「子ども未来花(みらいか)」子どもたちがありのまま咲き誇り、もっとワクワクする未来を共に育てたいひろしま共育宣言「子ども未来花(みらいか)」は、子どもたち・子育てに携わるすべての人を応援するプロジェクトであり、<つながってるHOME>の企業理念のもと、番組やイベントなどを通じ、広島の企業・団体、自治体や学校と一緒に子どもたちの輝く未来づくりに取り組んでいきます。イベントや子育てお役立ち情報満載の公式サイトも公開中!公式サイト : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年04月24日子どもをベビーカーに乗せ、初めて電車に乗ることに(※写真はイメージです)あれは子どもが生後5~6ヶ月ぐらいのことだったと思います。私は初めての子育てで、慣れないことばかりの状況に日々疲労困ぱい。とくに子ども連れでの外出は非常にハードルが高いと感じて、極力控えていました。しかし、その日はどうしても外出しなければならない用事があり、気が重いながら支度をすることに。うちの子どもは発達が遅めで当時まだ首元がしっかりすわっているか不安定だったので、身体を縦に固定する抱っこ紐は怖くてまだ使えませんでした。そうなるとベビーカーを使うしか選択肢はないのですが、首がまだすわり切ってない我が子を抱きながら、ベビーカーを畳むことはできそうにありません。「他の人に迷惑と思われないだろうか……」と、ものすごく不安でした。ベビーカーをうまく電車に乗せれらない!(※写真はイメージです)そして当日、電車に乗った時のことです。できる限り空いていそうな時間帯を選んだおかげで、車内はスペースに余裕がある状態でした。少しホッとしつつ電車に乗ろうとしたのですが、ベビーカーの取り回しに慣れていない私は、ホームの段差に手間取りスムーズにベビーカーを乗せることができず……。「ここでモタモタしていたら迷惑をかけてしまう」とパニックになってしまいました。今思うと、子どもの安全を確保しながら速やかに電車にベビーカーを乗せるということを、意識し過ぎていたような気がします。もう焦って何が何だか分からなくなってしまった私。すると、車内にいた男性2人と女性1人が近づいてきました。自分が思っているよりも周りの方が優しくて、感謝で胸がいっぱいに(※写真はイメージです)思わず「怒られる!」と思い、体が強ばってしまったのですが、その3人はベビーカーを一緒に持ち上げ、車内の空いているスペースまで誘導してくれたのです。こんなに親切にしていただけるとは思っていなかったので、ただ「ありがとうございます」と繰り返すしかできませんでした。さらにその方々は、電車を降りる時にもサポートしてくれたのです。「子育てをしている中でたびたび起こる困り事は、すべて親がなんとかすべき。できなければ親は失格。そう考える人ばかりなんだろうな……」と思い込んでいたのですが、そうではありませんでした。私もあの時いただいた親切を返せるよう、困っている人がいたら積極的にお声がけするようにしています。本当にありがとうございました。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。エピソード募集中妊娠中、子育て中に誰かに助けてもらって感謝していることはありませんか。そんな「ありがとう」の気持ちを込めたエピソードを募集しています。あなたのすてきな体験談を教えてください。投稿フォームはこちら
2024年04月24日出産・子育てで疲れても走り続けるしかなかった30代。当時の私は疲れたり睡眠不足になったりしても、気合で乗り切ってきました。しかし、40代から疲れがたまるように。特に夜更かしをすると翌日体がだるくて思うように動かなくなり、やっと元気が出てきたと思ったら夕方という残念な事態を何度も経験。自己嫌悪に陥ることが増えました。そこでそんな生活から脱出するために、睡眠の習慣を変えてみた結果……。自分にとって心地良い睡眠時間を探ってみたまず始めたのは、「自分にとって心地良い睡眠時間を探る」ことでした。30代までは5時間ほど睡眠が取れれば十分で、授乳中は「5時間も寝られるなんて幸せ~!」と思っていました。しかし、最近は5時間ではまったく足りません。睡眠時間を6時間確保しても、朝が絶望的につらくなっていました。「それでは、今の私にとってスッキリ起きられる睡眠時間はどれくらいなんだろう?」と思い、試しに2週間ほど睡眠時間を日によって変え、朝の目覚め具合を記録してみることにしました。その結果、眠気がなく一番スッキリと起きられたのは7時間30分眠ったときだと判明! この時間きちんと眠れれば、朝から気持ち良く過ごせるだけでなく、家事や仕事の効率も上がることに気付きました。そこで、この睡眠時間を確保することを優先にして、生活を立て直すことにしたのです。寝かしつけはやめて子どもと一緒に寝る!それまで6時間前後の睡眠時間しか確保していなかった私。睡眠時間を毎日あと90分も延ばすためには、多少強引な手段を選ばないと実現できないなと感じました。そこで、小学校と幼稚園に通う子どもたちの寝かしつけのときに一緒に寝てしまおうと思い付きました。寝かしつけのとき、子どもたちと一緒に寝そべるとウトウトしてしまうことが多くありました。完全に寝落ちして深夜に気付いたときはショックでしたし、寝落ちしなくてもその後1、2時間ほど仕事や家事をすると、今度は頭がさえて眠れなくなるという悪循環に陥っていました。思い切って寝かしつけをやめて一緒に寝てしまえば、悪循環を断ち切れるのではないかと考えたのです。寝かしつけ後におこなっていた仕事や家事は、翌朝早くに回すことに。それでも片付かない分は夫の協力を得ることでやりくりしました。夫が私の睡眠時間の改善に理解を示してくれたことが大きな救いでした。その結果、毎日とは言えないまでも理想に近い睡眠時間を確保することに成功! さらに、どうすればより効率的かを考えながら仕事や家事に取り組めるようになり、思わぬ副産物もゲットできました。寝る前にストレッチで体を緩めるもう1つ、睡眠の習慣を変えるために始めたのがストレッチ。以前からネットや書籍で「寝る前の軽いストレッチは良い眠りにつながる」という記事を見かけていたものの、面倒臭くて実践していませんでした。しかし、とにかく睡眠を改善したい私は「今やらなくていつやるんだ!?」と気持ちを奮い立たせ、ついに実践してみることにしました。好きな音楽を流してアロマオイルをたきながら、自分のペースでじっくりできたらとっても理想的なのですが、現実はバタバタしていてそんな時間もありません。それならば!と子どもを巻き込んで、寝る前のスキンシップとして簡単なヨガやストレッチをすることにしました。特にヨガは不思議なポーズに子どもたちが食い付き、体操感覚で楽しんでいました。そして、実際に体を伸ばしてみると、こわばっていた肩や腰が緩み心身ともにリラックスすることを実感。気持ち良く眠りにつくことができるようになりました。今まで面倒臭がっていたことを激しく後悔しています……。まとめ「睡眠時間を延ばしたら、自分の時間が減ってしまうのではないか?」と思っていました。しかし実際におこなってみると、家事や仕事を効率的にこなせるようになったからなのか、自分の時間が減ったようには感じませんでした。むしろ一つひとつの行動が短時間に凝縮されてきて、充実感を覚えています。私の睡眠については寝具や寝る前の入浴方法の改善などまだまだできることがありそうですが、これからも「翌日に疲れを残さないための質の良い睡眠」を確保すべく、子育て中でもできることにいろいろチャレンジしてみようと思います!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/やまっこ(40歳)元気な男の子2人の子育てを頑張るママライター。自分のケアもそこそこに子どもたちに振り回される生活を送っていたら、あっという間に40代に突入! だんだん体力や肌、髪など不調を感じるように……。それでも心豊かな生活を目指して、できることから実践中。
2024年04月24日