声優の浅倉杏美が8日に自身のアメブロを更新。新型コロナウイルスや溶連菌感染症などに見舞われ“一家全滅”したことを明かした。この日、浅倉は「パンデミックが起こった」というタイトルでブログを更新し「溶連菌とコロナと胃腸炎が一気に起こりまして家族全滅」とコメント。「わたしは溶連菌で40度の熱を出し……でも動ける大人がわたししかおらず意識朦朧としながらも片手バケツ(嘔吐対策)で子供の世話をし家事」をしたことを明かし「文字通り、記憶にない日々でした…笑」とつづった。続けて「今週から通常営業になりましてホッとしています。笑」とコメント。「皆様も気をつけてお過ごしください」と呼びかけ「気をつけたって、かかる時はかかりますが。。」と述べ、ハッシュタグで「#溶連菌」「#胃腸炎」「#コロナ」「#家族全滅」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月10日冬の果物というとミカンを思い出す人も多いはず。ミカン好きの人や家族が多い人などは、箱買いすることも少なくないでしょう。ただ、せっかく買ったミカンの中に腐っているミカンがあり、大半をダメにしてしまったことはありませんか。本記事では、購入したミカンを少しでも長持ちさせる方法を紹介します。ミカンを長持ちさせる方法箱でミカンを買った際に、できるだけ長持ちさせるためには、まずミカンの中に腐っているものや傷んでいるものがないかチェックします。筆者も入念にチェックをしていると…。早速、緑がかった怪しいミカンを発見!これを見逃していたら、あっという間にほかのミカンも道連れです。傷んでいるものは別にしておき、腐っているものは処分、部分的なものは早めに食べるなど、工夫して消費しましょう。次に、一度箱からすべてのミカンを取り出し、底に新聞紙を敷きましょう。新聞紙がない場合は、キッチンペーパーで代用できます。ここまでできたら準備完了。ミカンを箱に戻していきますが、ここで大切なポイントが1つ。それは、下記の画像のように、ヘタを下向きにしてミカンを置いていくことです。ヘタを下にして保管することで、水分の蒸散を遅らせることができ、さらに菌が入りにくくなるのだそう。すべて下向きに並べたら、その上にもう1枚新聞紙を敷き、2段目にミカンを乗せていきます。2段目も同じようにヘタを下に向けながら箱に入れます。入れ終えたら、最後に新聞紙をかぶせるように敷いて準備OK。通気性のいい場所に置いておきましょう。この方法で保管すれば、3週間程度は保存できるようです。また、ミカンの消費がゆっくりであれば、週1回程度上下を逆にしながら、ブヨブヨのものや腐っているものがないか確認してください。ちなみに、袋で購入したミカンなどを保管する場合は、風通しのいいカゴにキッチンペーパーを敷いてから入れるといいのだとか。少しでもミカンを長持ちさせたい人は、試してみてはいかがでしょうか。[文/キジカク・構成/grape編集部]
2023年12月27日芸歴60年超、老いを感じながらも、新作舞台に挑む「最後の喜劇人」、伊東四朗(83)。演劇の世界に入ったのは、就活で全滅したことがきっかけの一つだったという。伊東四朗は昭和12(1937)年6月15日、東京市下谷区(現・東京都台東区)で生まれた。本名、伊藤輝男。5人きょうだい、下から2番目の三男坊だ。明治29年生まれの父・金三郎は昔気質の職人で“遊び人”。とはいえ、この“遊び人”の父が、伊東のエンタティナーとしての素地を作ってくれた。「歌舞伎は親父の影響かな。着流しで三味線を弾いて小唄を唸るし、小さいときから歌舞伎座にはよく連れていってもらいました」やがて戦火が激しくなり、戦争末期には母の実家のある静岡県掛川へ一家で疎開した。その掛川に、13歳年の離れた長兄が復員し、素人劇団を結成する。「兄に『子役がほしいから、おまえ出ろ』と言われて出たのが、あたしの初舞台。小学4年生でした」高校卒業後は就職希望だったが、強面が災いしたのか、就職試験は全滅だった。「筆記は通るんです。でも、面接で落とされる。完全コネのはずの会社まで落っこちた。よっぽど面接向きの顔じゃないのかなぁ」就職を諦めた伊東は、早稲田の学生だった次兄のコネで、大学生協でアルバイトを始めた。牛乳瓶の蓋を開ける仕事をしながら観劇ざんまいの日々を過ごす。浅草や新宿のストリップ劇場や歌舞伎にも通いつめた。戦後、軽演劇の小屋がなくなって、コメディアンは、ストリップ劇場のショーの合間で、芝居やコントを見せていた。由利徹、谷幹一、長門勇、渥美清など、錚々たるメンバーが出ていたという。「そりゃあ、面白かったですよ。通いつめているうちに、役者や劇場関係者に顔を覚えられてね」あるとき、劇場の窓ガラスがガラリと開いて、声をかけられた。「よう、寄っていけ!」喜劇役者・石井均(97年没)だ。58年、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げした石井は、伊東を一座に誘った。時を同じくして、生協からも「正社員にならないか」といううれしい打診があったが、ついついフラッと芝居の世界へ。両親は賛成も反対も何もしなかった。「親父はこっちも見ずに『ふうん』って、それで終わり。でも、この『ふうん』は重かった。いろんなものが詰まっていて」こうして長い役者人生がスタートする。伊東、21歳のときだった。「『笑う仲間』は、間に合わなくて台本のない芝居がときおりあって。ほとんど即興劇ですよ。だから、舞台に出るタイミングや、理由をつけて引っ込む技術を無我夢中で学びました」24歳のとき、ともにキャバレー営業の仕事をしていた三波伸介(’82年没)と戸塚睦夫(’73年没)で、トリオを組むことになった。当初の名称は「ぐうたらトリオ」。結成の翌年、初代・林家三平(’80年没)のテレビ番組に出演し、そのつてで日劇の北原謙二ショーに誘われたことから、トリオでコントをすることになった。そのとき日劇側が考えた名前が「てんぷくトリオ」だ。てんぷくトリオは、そこで実力を認められ、その後も立て続けに、歌謡ショーに呼ばれるようになる。65年は飛躍の年だった。坂本九(’85年没)の番組で、初のレギュラーを獲得。伊東は28歳。名プロデューサー・井原高忠と出会ったのも、その番組だ。同年、伝説の音楽バラエティ『シャボン玉ホリデー』にも出演した。無口で頑固な父が、このとき初めて息子の仕事を認めてくれた。「『植木等と一緒に出るようになりゃ、てぇしたもんだ』ってね……」息子の成長を見届けて、父はその年、69歳で世を去った。「1日に二言、三言しか喋らない人でしたけど。あれが父の最大のほめ言葉だったんじゃないですか」てんぷくトリオは瞬く間に人気者になった。同時に、井原プロデューサーが、伊東個人を起用し始め、ソロでの活動もスタートする。69年にはNHK大河ドラマ『天と地と』に出演。伊東はシリアスな芝居の役者としても開花した。76年、小松政夫(’20年没)と組んだ『電線音頭』がブレーク。鞭をふるって登場する“ベンジャミン伊東”は、逆立てた頭髪にナマズひげ、キンキラキン衣装のアナーキーなキャラクターだ。「もう丸投げされたんでね。収録2週間前に、『電線軍団を作らせていただきます』ですよ。『なんなの、それ?』と聞かれても、言った本人が答えられない。苦し紛れにオンエアになったら、『ダリだ』『シュールだ』なんて言われたけど、とんでもない。『伊東の目はイッちゃってる』って心配されてね。恥ずかしくて、自分を隠したい一心でしたよ」やけくその企画など続かないと思ったが、7%だった平均視聴率は、あれよあれよと20%の大台に。ベンジャミン伊東が注目されればされるほど、ドラマは難しくなるという危惧もあったが……。「そのころ、『望郷日本最初の第九交響曲~板東俘虜収容所物語』という大真面目なドラマに呼ばれましてね。プロデューサーは、伊東本人とベンジャミンを別人格として見てくれていた。これはうれしかったですね。振り返ると、大真面目なドラマとはちゃめちゃとを同時進行でやるってことが、けっこうあった。あたしは出会いに恵まれました。プロデューサーの方々が、自分でも気づかない引出しを、いつも開けてくれました」その後のキャリアは輝かしいばかりだ。ドラマ、バラエティ、司会、CM……。映画でも、伊丹十三監督など、名匠に重宝がられ、高い評価を得ている。「あの市川崑監督も、てんぷくトリオのあたしを評価してくれた。誰が、何を見てるかわからない。これまで常に『どんな仕事も手抜きだけはすまい』と思ってきました。やるからには全力です」「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年03月01日みなさんこんにちは、もりりんパパです。今年もお盆を迎えますが、いかがお過ごしでしょうか。今回はおよそ1ヶ月前、わが家で起こったハプニングについて描いていきたいと思います。時は令和2年7月某日。中学校の期末考査に向けてしっかりと(?)勉強を頑張った長女さん。まだ梅雨の真っ最中。小雨の中いつものように自転車とバスで学校へと向かいました。そう、これはいつもと何一つ変わらない流れだったのです。しかし…この日はここから…怒涛の展開を迎えてしまうことになるのです。午前9時 職場にていつものように子どもたちを送り出し。いつものように通勤して。いつものように仕事を始めようとしていました。しかし、ここで突然着信が…!過去の経験上、こういった仕事の時間帯での電話は高い確率で悪いお知らせ。昨年のお話でも描きましたが、次女が休み時間に鼻を骨折して緊急で入院&手術をした時もこのようなパターンでした。今回は一体…おそるおそる電話に出てみましたが…こ…今回も悪いお知らせでした。電話相手は学年主任の先生。で、どうやら長女さん。通学中に自転車で転倒してしまい右腕を負傷してしまったみたいなんですよね。しかしこの日は期末考査。休むわけにはいかない…という一心のもと、手を隠しながらバスに乗ってなんとか中学校へ。でもとても文字が書ける状態ではないということで、到着後ただちに保健室へと連れていかれたそうです。先生は『お仕事中に本当にすみませんが、即座に病院へ連れて行ってください』と、とても申し訳なさそうに言われていましたが。とんでもない!こちらこそご迷惑をかけてもうしわけない!!と言いつつ、職場に事情を話して今回も学校に向かったのでした。…う~ん、しかし。昨年の次女。そして3月の僕。今回は長女。どうにも色々と事件の発生する我が家です( ̄▽ ̄;)午前9時半 中学校到着学校に着くと、保健室から長女がもうしわけなさそうに出てきまして。その右手は…非常に痛々しく包帯で巻かれていました。どうやら痛くて曲げることが出来ず、固定して応急処置をしてもらったようです。先生によると、強めの捻挫か、もしかすると骨折のおそれも…。痛みが酷いので数日間は右手が使えない可能性も指摘されました。万が一ということもあるのですぐに受診をしてくださいとのことでした、が…数日間は右手が使えない。そして今は期末考査で右手の使用は必須。………。このままでは期末が全滅なのでは!?ただ、これに関しては先生より別途説明があるとのことでした。それよりも時刻はもう10時に近づいています。今は新型コロナウイルスの影響で受診には非常に時間がかかってしまいます。そのため、なるべく早く病院へ向かってとのことでした。大急ぎで車へと向かう僕。しかし…このあと更なる難関が待ち受けていたのです。つづく。すみませんが内容の関係で今回はここまでです。次回は9月に更新の予定となっていますので、また読んでいただけると幸いです。では、ここまで読んでいただきありがとうございました!
2020年08月12日子どもが幼稚園や保育園に入園すると病気をもらってきて、いわゆる「洗礼」を受けると噂に聞きます。わが家も例にもれず、長男がこども園に入園した年に、かなり重めの洗礼を受けて一家全滅したことがあります。今回はそのときの体験談をお伝えします。 こども園に入園して初めての大型連休前日わが家の長男は年少でこども園に入園しました。園生活にも慣れてきて迎える大型連休前半は、夫の実家である東北に帰省の予定でした。しかし連休前日に長男が軽い咳をし始めました。風邪をこじらせやすかったこともあり、大事を取って帰省は中止。さらに大型連休に入ると私が38度の熱と咳や喉の痛みでダウンすることに……。私も長男もインフルエンザの検査は陰性でしたが、長男は徐々に咳がひどくなり、熱も39度まで上がるようになってしまいました。 下がらない長男の熱…さらに夫、次男も!元気で食欲もあった長男ですが、夜は熱が上がり、日中は平熱から微熱の状態を繰り返していました。さらには、連休で一緒に看病していた夫も喉の痛みや咳の症状を訴え始めました。 連休の合間で数回小児科にかかり、その都度薬を変えてもらうなどして連休後半に回復の兆しが見えたころ、当時生後11カ月だった次男に咳と発熱の症状が出始めたのです。 次男が入院! そこで知った病名とは…熱が下がらず、咳がひどくなってしまった次男は、連休明けと同時に入院することになってしまいました。そこで血液検査をした結果、わが家を襲ったウイルスは、ヒトメタニューモウイルスだったことが判明しました。そして次男の場合は、さらに細菌感染してしまって肺炎を併発してしまったのです。入院してからは、幸いすぐに回復して5日ほどで退院することができましたが、母乳だったこともあり、24時間付き添いです。元々体調が万全でなかった私の体調不良も長引く結果となりました。次男の退院翌日は長男の遠足予定だったのですが、次男だけではなく長男も私も、さらには夫も家族全員しつこい咳が治まらず、欠席することに……。 入院前にしておけばよかったことは…こうして入園後初めての連休は旅行どころの話ではなく、ただひたすらウイルスとの格闘で終わりました。入院中の医療費は無料でしたが、次男の入院中に長男の世話などで夫が仕事を休むことも多く、その月の家計はもちろん赤字です。 入院前に次男を医療保険に入れておけばよかったと思わずにはいられません。その後3人目を出産しましたが、早めに医療保険に加入しました。 今もきょうだい間でのさまざまな病気のうつし合いを繰り返し、私に降りかかることもあります。ただ、入院となったのは今のところ、この重めの洗礼の一度きりです。年齢と共に強くなる子どもたちを見て、あの強烈な経験は二度としたくないと思う今日このごろです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。また、入院に関する費用の助成についてはお住いの地域によって異なります。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2020年03月03日インフルエンザの予防接種が推奨されるのは、生後6カ月以降ですが、当時1歳11カ月の次女と生後5カ月の長男は接種しないでいました。すると、まず次女がインフルエンザにかかり、その後一家全滅の危機に陥ったのです……。 1歳の次女がインフルエンザを発症2月の大雪が降る日に、高熱を出した次女。雪のなかどうにか小児科へ連れて行くと、インフルエンザB型と診断されました。タミフルドライシロップが処方されましたが、おいしくないようで飲ませるのに苦労しました。 やっぱり予防接種すればよかったな……と思っていたら、次にパパが高熱。夜間診療に行くと、こちらもインフルエンザB型。病院も予防接種も嫌いなパパに「ほら見たことか!」と現実を突きつけた感じでした。 生後5カ月の長男までが……その後、予防接種を受けていた長女(6歳)までが発症。「ほら、予防接種なんて意味ないじゃん」と言うパパにイラッとしていたら、最悪の事態発生。生後5カ月の長男も高熱を出し、インフルエンザに……。 医師からは「生後3カ月でかかってた子もいたよ~」と言われましたが、やっぱり心配です。こちらも体重に合わせたタミフルドライシロップを処方してもらい、育児用ミルクに混ぜてなんとか飲ませました。 タミフルがおいしくない……しかし、タミフルが本当においしくないようで、生後5カ月の長男は育児用ミルクを残すようになってしまいました。これではまずいぞ……と、最終手段。タミフルドライシロップを指示された量のお湯に溶き、スポイトで口に流し込む作戦。むせるわが子を見るとかわいそうになりますが、それしか方法がありませんでした。 結果的には私だけインフルエンザにかからなかったのですが、みんなの看病で疲れてしまい、最終的に自分も体調を崩すこととなりました。 小さな子どもは特に、予防接種を受けさせるかどうか迷うところ。医師の見解をよく理解し、納得いくインフルエンザ対策で、乗り切りたいところです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku著者:岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2020年01月18日今年もやってきました、インフルエンザの季節。みなさん、ちゃんと予防接種は打っていますか?わが家は5人家族のため予防接種も家族全員で2万円超え。でも、子どものためと結婚してからずっと欠かさず受けてきました。ところが…ちゃんと予防接種受けたんですけどワクチンの型が合わなかったのか?毎年誰かがインフルエンザにかかり家庭内がパンデミック。特にこの年は全滅。そして…この年も子どもが全滅……(汗)。あれ? ひょっとして、わが家は打たないほうが良いのか…? なんて疑い始め、翌年からやめてみることに。打たないほうが感染者が減るなんて…。どういうこと? 近所のママ友にも聞いたのですが、打たないほうが調子が良いというご家庭も少なくないようで、わが家もそうなのかもしれませんね。普通、健康な赤ちゃんが決められた回数の予防接種を受けた場合、赤ちゃんはその病気に対する免疫力が付くそうです。ただ、予防接種を受ける子どもの体質や体調などによって、抵抗力が得られない場合も。かかりつけの医師に聞くと、統計的に見ると効果はあるが、ワクチンの型が合わなければインフルエンザにはかかる可能性があると聞きました。そんな事言われると、毎年予防接種に2万以上も使っているわが家は、今年もどうしようかとまた悩んでしまうのです。パパンが子どものころは、学校で無料で打ってもらっていたんですけど、予防接種を打つ打たないは自由として、せめて打ちたい人に医療保険が使えるよう、もう一度国には考え直して欲しいパパンなのでした…。=========================================本記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。=========================================
2018年11月18日長男が年中のころに、感染性胃腸炎で一家全滅したことがあります。最初に長男みつが下痢嘔吐。幼稚園ではやっていたので、間違いなくそこからもらってきたのでしょう。次に、予想通り次男みのが感染。2人とも一日中ぐったりしていて、いつものにぎやかな子どもたちの声が聞こえてこないのは、とても異様な光景でした。しかしそこはパワフルな子どもたち。2日ほどで症状は収まり、あっさり回復しました。私も、汚物処理をたくさんしたけれど、子どもたちが寝込んでいる間は感染せず。ふう。これで一安心…と安堵した3日後油断していました…私は水すら吐く状態。めったに病気をしない夫もダウンしました。夫婦で動けなくなると、育児の代わりをしてくれる人がいなくなるわけで・食事の準備ができない・部屋は子どもたちの無法地帯もうここは諦めるしかないのですが、避けて通れないのは吐き気と戦っている時のオムツ替え…!これは容赦ない。容赦ないですよ。吐き気と熱でフラフラの時の次男おオムツ交換は本当に大変で、一番つらかったです。次男はおとなしいので暴れたりせず、しっかり自己申告もしてくれるのでまだ良い方なのですが、それでもメンタル的にも臭い的にも、正直つらい。(しかも私をご指名)ふつう、病気になったら床に伏せているものなのに、親になったら絶対そうはいかない。と、しみじみ思いました。私もそうやって育ててもらったのだ…病気になるたび、半泣きで実家の母を思い出します。健康、大事…!=========================================本記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。=========================================
2018年07月18日「やさしいママのひみつ」特別編は、グラフィックデザイナーで、ウーマンエキサイトのママ読者モデル「ママリーダーズ」のメンバーでもある、望月麻子さん。5歳と2歳、二人の女の子のママです。望月麻子さん娘さん:ふうかちゃん(5歳)、ゆいりちゃん(2歳)グラフィックデザイナーとして会社に勤務する傍ら、ママのコミュニティサイト「foundMUM」を運営。親子で楽しめるイベントやワークショップなどを開催している。HP: 仕事柄、ものづくりが得意な望月さん。笑顔のママでいるための方法は? そのヒミツに迫ります。■親子のコミュニケーションに欠かせない、手づくりの時間ご主人共々、グラフィックデザイナーである望月さん。家の中には、仕事やプライベートで作った作品がいっぱい。「仕事では、プロダクトも紙もウェブのデザインや、イラストを描くこともあります。夫婦2人どちらかが、週に1回は子どもと一緒に描いたり作ったりしますね。子どもたちは特に粘土が大好き。つい熱中してしまうから、土日の時間があるときにじっくり遊ぶようにしています」樹脂粘土を使った作品は、きちんと固まり、飾っておけるのが魅力だそう。また、捨てられずに溜まってしまう子どもたちの絵は、コラージュしてファイリングするのが、夫婦の楽しみな時間だといいます。「子どもたちとの遊びのアイデアは、基本的に私がやりたいことです(笑)。小さいときに、父と一緒に新聞紙を粘土代わりにして花瓶を作ったり、絵を描きに行ったりした、楽しい記憶があって、子どもと一緒にやりたいなとずっと思い描いていました。そういうことが今の仕事にもつながっているのかもしれませんね」今や自分のお子さんだけにとどまらず、親子イベントの企画やワークショップを開催するほど、活動的な望月さん。子どもたちはもちろん、自分自身も楽しめるものづくりは、望月さんにとって、子どもたちとコミュニケーションをとる上でも欠かせないこと。それが笑顔でいる秘訣だと言います。「普段は18時頃まで保育園なので、できる限り一緒の時間を作りたいなと思っています。仕事で作っているものが完成すると、子どもたちが「こんなのできたんだ!」と喜んでくれるので、私もうれしい。そういった、ものが形になる楽しさを伝えていきたいですね」画材がたくさんある望月家。絵の具をたっぷり使って、粘土を色付けして、手が汚れてしまった後は、きちんと手洗いするのもいつもの光景です。 ■みんなの健康が、笑顔の秘訣! 家庭内感染をしっかり防止そんな望月さんは、「できる限り、食事は大人数でにぎやかに」という思いから、実両親と二世帯で一緒に暮らしています。だからこそ、手洗いは徹底したいのだとか。「一度、上の子が流行性ウイルスにかかったとき、おじいちゃん以外全員が感染してしまったんです。子どものウイルスは大人がかかると体力的にきついし、私も仕事が休めないので、それ以来、徹底的に手洗いをするようにしています。身近だから、一人一人が身体に気をつけないといけないですね」そんな望月さんが愛用しているのが、「サラヤ」のハンドラボシリーズ。まずは、帰宅後すぐ、家の中にバイ菌やウイルスを持ち込まないため、玄関で「手指消毒スプレーVH」をシュッ。そのあと、「ハンドラボ 薬用泡ハンドソープ」で隅々まで洗い、再度「手指消毒スプレーVH」または「手指消毒ハンドジェルVS」を使って、ダブル除菌を心がけています。最後に、タオルは家族一人一人専用のものを使って家庭内の感染もしっかり防止しているのだそう。 ■家族総倒れを防ぐため、子どもたちも気軽に予防「これからの季節は特に、さまざまなウイルスが心配。保育園で流行って、娘のどちらかがかかると、必ずもう一人に移ってしまいます。きちんと効果があり、信頼できるものを使いたいので、幅広いウイルスや細菌を除去できる、プロ仕様の、サラヤのハンドラボシリーズを選びました。ほかのハンドソープに比べて、泡がきめ細やかで、さっと洗い流せるから、洗い残しがないところもいいなと思います。さらにスプレーやジェルを使えば、子どもたちも気軽に手指の洗浄、消毒ができるので、安心感があります。消毒・除菌スプレーやジェルはピリピリとした刺激を感じるものもありますが、保湿成分が配合されているので小さな子どもの手肌にもやさしいです。家族全員で安心して使えるのがうれしいですね」いつも笑顔のママでいるためには、家族もママ自身も元気でいることが必要。しっかり感染対策ができる「サラヤ」のハンドラボシリーズなら、この冬、忙しく働くママの心強い味方になってくれるはずです。取材/文:赤木真弓 撮影:タドコロミズホ[PR]サラヤ株式会社 【やさしいママのひみつ 一覧】
2016年11月24日