演歌歌手の小林幸子が9日に自身のアメブロを更新。ものまねタレントのコロッケからの差し入れを公開した。7日のブログで、同日に開催されたコロッケ主催の能登半島地震復興チャリティーイベント『コロッケ遊園地 in 熊本!! 笑顔ある未来へ』に出演したことを報告していた小林はこの日、コロッケから差し入れがあったことを明かし「ちくわサラダ?だったかな ちくわの中に、ポテトサラダが入っていて揚げられています」と紹介した。続けて「熊本の皆さんには、当たり前の食べ物で、おべんとうのヒライさんの定番商品だとか」と述べ「ポテサラが入ってることで、子どもが食べやすそう」とコメント。「本当ならビールを頂きたいところだけど、我慢しました」とつづり、差し入れされた品を食べる自身の写真を公開した。また「熊本空港が凄い!!」と述べ、出発するまでの時間を満喫したことを説明。「地震の被害に遭い、昨年新しくなった空港!充実しすぎ」とコメントし「フードコートもお土産屋さんもおしゃれ お寿司屋さん、ラーメン屋さん、クラフトビールの店、馬肉の店などなど、沢山あります」と空港内の様子を明かした。また「今回発見して、美味しかったのが」と述べ、五木屋本舗『手づくり油揚げかりふわ』と「からし蓮根味のポップコーン」を紹介。「両方お土産にも最適」だといい「おいしかった~!!!!熊本空港、ぜひ行ってみてー」と呼びかけ、ブログを締めくくった。
2024年04月10日シンガーソングライターの小林私が主催する全5公演の主催イベントシリーズ「小林私の五日間」の第3弾・第4弾イベントの情報が発表された。「小林私の五日間」は、小林が一風変わったコンセプトをもって開催する実験的なイベント。先日行われた第1弾『小林私がマターリ歌う日』は公演中の飲食自由、スマホ操作もOK。みんなで“マターリ”ライブを観ようというゆるい空気感で開催。本日開催された第2弾『診る』では、小林私の配信に度々登場している“東雲涼雅”(しののめりょうが)という謎の歌い手に密着した映像をみんなで見守るイベントとなっている。第3弾『絶対中止になるライブ』は、小林が2022年から構想していた企画。「当日何かしらの理由で絶対に中止になるライブを開催したい」という小林の熱い思いに賛同してくれたアーティストたちの出演が決定しており、出演アーティスト第1弾としてGanbare Masashige、小林右京、才能、三四少女、セルフィッシュガール、たべおてんちょう、ねもと。(from ちんばす)、まっこい、もののけ、鎧坂,、Roy’s clubの参加が発表された。出演者は今後、4月15日(月) に第2弾、4月18日(木) に第3弾をSNS上で発表する。vol.3『絶対中止になるライブ』ビジュアル第4弾『小林私とおまいら』は、出演者を一般公募する対バン企画。小林が初めてきちんとしたライブに出演したきっかけが公募ライブだったことから、小林のルーツといえる公募イベントの主催が決定。本日より応募受付がスタート。vol.4公募ライブ『小林私とおまいら』ビジュアル<小林私からコメント>■vol.3『絶対中止になるライブ』について俺が通っていた高校は山のなかに生えるように立っていて、電車やバスを使い、往復2時間かけて通っていた。ある大雪の日にいつもは直行するはずのスクールバスが停車した。違和感に車内は少しざわざわとした。「学校から連絡です。今日は休校になったそうで、今から駅に引き返します。……あまりはしゃがないように」運転手のアナウンス、一瞬の静寂を切り裂くように歓喜の渦が巻き起こった。俺はコロナ禍発のアーティストだ。様々な理由で中止になったライブを見てきた。開催するだけがライブではない。当日へ向かう力が宙に放られたときのカタルシスを、どんなに楽しみな予定でさえ少しだけ憂鬱に思ってしまうお前達と共有したく思う。俺はこのライブを開催させる。そして、必ず中止にする。■vol.4『小林私とおまいら』について小林私を始めるよりも前のこと、初めてきちんとステージに立ったきっかけが『中原くん×「あなた」×井上緑 』という公募企画でした。今もなお敬愛する大先輩・中原くんと相まみえるべく、その座を勝ち取りました。そんで色々あってプロになりました。それから、いつか俺も公募ライブを主催出来ればという思いを今回実現してみようという次第です。小林私とステージ立ったから何があるってこたないんで、まあ、あんま気張らずに。おまいらの応募、待ってるぜ!<イベント情報>小林私主催イベントシリーズ「小林私の五日間」Vol.3『絶対に中止になるライブ 』4月24日(水) 東京・池袋Club Mixa開場 17:30 / 開演 18:00※チケット販売なし出演者:Ganbare Masashige、小林右京(歴史は踊る / Sad Happy Birthdays)、才能、三四少女、セルフィッシュガール、たべおてんちょう、ねもと。(from ちんばす)、まっこい、もののけ、鎧坂,、Roy’s club and more…Vol.4 公募ライブ『小林私とおまいら』5月18日(土)※小林私と一般公募者による対バンイベント【チケット料金】会場:3,800円配信:1,500円公式サイト:
2024年04月06日魚が泳ぐ水槽の上で野菜を育てる、斬新な農業システムを活用し、俳優業の傍ら農業に挑戦する小林涼子さん。さらに農業と福祉の連携を生み出す「農福連携」にも取り組む小林さんの活動のベースにある思いに迫る。循環型農業新潟で農業に携わり、社会課題が自分ごと化。幼少期から子役として芸能活動をスタートし、これまでに多数の映画やドラマに出演してきた小林涼子さん。俳優として多忙な生活を送りながら、生まれ育った世田谷で大好きな農業に従事したいと、桜新町のビル屋上にファームを開園し、循環型農業に取り組んでいる。「小さい頃からずっと俳優の仕事をしてきて、ちょっと疲れてしまった時期があるんです。そんな時に両親と一緒に、新潟でお米を作っている父の友人の稲作のお手伝いをすることになったんです。最初は『仕事のリフレッシュになりそう!』ぐらいの軽い気持ちだったのですが、土に触れながらお米を作る楽しさや、収穫後に食べた新米があまりにも美味しくて感動して、農業に興味を持ち、農繁期に頻繁に田んぼへ向かうようになりました。そこは高齢者の多い地域で後継者不足が問題になっていて、通うたびに農業を維持していく難しさを知るように。また私の家族が体調を崩し、田んぼの手伝いが一時難しくなったこともあり、体を壊すと離農せざるを得なくなってしまう厳しさを痛感し、初めて社会課題が自分ごと化されたんです」農業に触れることでたくさんのものを与えてもらったと感じた小林さんは、何か恩返しがしたいとの思いで、持続可能な農業のカタチを目指して起業。「まずは慣れ親しんだ世田谷の地に『AGRIKO FARMPW 桜新町』を開園し、都市農業に挑戦することに決めました。そこでビルの屋上や狭い敷地など本来農地ではなく、土のない場所でも農業を行える『アクアポニックス』を採用しました。これは、魚の養殖を行い、水中に含まれる魚の食べたエサの残りや排泄物をバクテリアが分解し、それを植物が栄養として吸収することで水槽の水もきれいになり、野菜も魚もすくすく育つという、まるで“小さな地球”のような循環型の農業システム。農薬や化学肥料は使用せず、循環に必要な栽培設備には、放置竹林に悩む地域から竹を譲り受けたり、建築現場で使用できなかった廃材などを活用しています」どんな人も関われるバリアフリー農業を!また小林さんは、新潟で実際に農業と触れ合い、近年日本では後継者不足で辞めざるを得ない農家が多い事情を知り、「“バリアフリー”な農業を」との思いを抱き、「農福連携」にも積極的に取り組んでいる。「大変な農作業もみんなで分担できれば、もう少しラクに続けることができるはずなので、誰でも簡単に管理できるバリアフリーな農業を目指したいと考え、農林水産省認定の農福連携技術支援者を取得したんです。農福連携とは、障がい者が農業分野での活躍を通じ、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく取り組みのこと。FARMでは主に障がい者の方が働いており、子育て世代の女性がサポートを行っています。障がい者の方々と働く中で感じたことは、できないことや苦手なことはもちろんあるけれど、豊かな才能を持っている人が多いということ。農園には絵を描くのが上手な方がいて、それをどうにか世に出したいと思い、『パラアート』として様々なプロダクトに活用しています。農業の領域を超えた活動が生まれていて、今後ももっと可能性を広げていきたいと考えています」昨年夏には2拠点目となる農園「AGRIKO FARM 白金」をオープン。俳優業も忙しい中、どちらも両立できているのは、いろんな人が協力してくれてるおかげ。楽しさや嬉しさ、大変さもみんなで共有できているのが、心の大きな支えになっているからと話す。「社会や地球のことを考えるって大きすぎて難しく思えるかもしれませんが、自分ができることをしながらこの先も幸せに生きるために楽しいこと、嬉しいことを積み重ねていくことが結果、地球の未来のためになっていると考えると、無理なく続けていける気がするんです。それが、私が思うそもそものSDGsの考え方だと思っています」循環型農業とは?本来ならば廃棄するものを肥料として活用し、資源を循環させ環境負荷の軽減を目指す農業システムのこと。そのひとつのカタチとして、アメリカで発祥したのが始まりといわれている水産養殖と水耕栽培のシステムを組み合わせた「アクアポニックス」という農法が、環境にやさしい次世代の循環型農業として注目されている。廃棄バナナを加工したエサを与えて魚を養殖。農園で養殖しているのは「ホンモロコ」という淡水魚。廃棄されるバナナを加工したエサを与えているため栄養満点で、臭みもなく、身もふっくら。“ビル産ビル消”で収穫した作物を即出荷。収穫されたばかりのエディブルフラワー。出荷後、同ビル1階のカフェ『OGAWA COFFEE LABORATORY 桜新町』に届けられる。新鮮な美味しさを味わう。まさに“FARM to TABLE”。農園で栽培されたエディブルフラワーや野菜、魚は、カフェのスイーツやランチコースの一部に使用される。Sustaina DepartmentAGRIKOが運営するオンラインショップが今月オープン。商品が生まれる背景や生産環境がサステナブルであることにこだわって厳選。購入することで売り上げが全国の生産者や職人の支援となる!こばやし・りょうこ1989年11月8日生まれ、東京都出身。株式会社AGRIKO代表。農福連携技術支援者。循環型屋上ファーム「AGRIKO FARM PW 桜新町」「AGRIKO FARM白金」を運営。俳優としては、4月スタートの連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)へ出演。※『anan』2024年3月13日号より。写真・中村香奈子取材、文・鈴木恵美(by anan編集部)
2024年03月07日指揮者の小林研⼀郎が海外デビュー50年を記念して、6月から7月にかけてハンガリー・ブダペスト交響楽団と日本ツアーを開催する。今年は、小林が1974年に第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝してから50周年。この鮮烈なデビューで共演した楽団が、今回ツアーを共にする「ハンガリー・ブダペスト交響楽団」だ。プログラムは、1974年のコンクール優勝時に演奏したロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」序曲から始まる。リストの「ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調」ではソリストに、2022年にロン=ティボー国際コンクールで優勝した亀井聖矢(かめいまさや)を迎える。後半は、チャイコフスキーの交響曲第4番を披露。“炎のマエストロ”の愛称で親しまれる小林研⼀郎の情熱を感じられる一夜になりそうだ。三井住友海上プライマリー生命 Presents小林研一郎 指揮 ハンガリー・ブダペスト 交響楽団■チケット情報()7月2日(火) 19:00開演サントリーホールロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」序曲リスト:ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124/R455 ピアノ:亀井聖矢チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
2024年02月20日《2年の月日が経ちました。貴方の歌声は、この世で感動を与え続けています》《沙也加さんが亡くなられて、2年目のクリスマスがやってきます。いまだにクリスマスの日が近くなると、沙也加さんを思い出し、冬の夜空で涙をひたすら流し続けています…》Instagramのコメント欄に綴られた、切実な思いの丈を綴った言葉たち。これは神田沙也加さんのInstagramの最新投稿に寄せられたものの一部で、連日このように言葉を贈るファンが後を絶たない。12月18日、神田沙也加さんがこの世を去ってから2年が経った。あまりにも突然の訃報には日本中が言葉を失い、悲しみに包まれたが、誰よりも悲痛な思いを抱えたのは、両親である松田聖子(61)と神田正輝(72)だろう。2人はアイドルと俳優としてトップの人気を誇っていた1985年に電撃結婚し、翌年には沙也加さんが誕生。’97年に離婚するも、聖子は“芸能界の先輩歌手”として、神田は“良き相談相手”として、それぞれ別の場所からその活躍を見守り、支え続けてきた。そうした甲斐もあって、18年に演劇界の栄誉である菊田一夫演劇賞を受賞するなど、着実にキャリアを重ねてきた沙也加さんだったが、わずか35歳で人生の幕を閉じることとなった。沙也加さんが亡くなった3日後の’21年12月21日に、北海道で葬儀が行われた後、斎場で囲み取材に応じた聖子と神田。神田は別れを報告した上で、「2人ともあまり話せる状態ではないので、そっとしておいていただければと思います」と涙ながらに語り、聖子は位牌を抱えながら、「本当にみなさんお寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と語るに留めていた。それから2年、聖子と神田はそれぞれの場所で、愛しの娘を失った悲しみとの苦闘を続けてきた――。沙也加さんの訃報後、聖子は当時予定していたディナーショーや『第72回NHK紅白歌合戦』への出場など、一切の芸能活動を休止。自宅から外出できない日々が続いたが、’22年1月末に神田とともに夫の菩提寺で四十九日法要を営むと、3月には中止したディナーショーの振替公演と6月からの全国ツアー開催を発表した。徐々に活動を再開させていく聖子だったが、その裏では引き裂かれる思いを抱えていたようだ。「活動再開に際して配布されたファンクラブの会報誌のなかで、聖子さんは“今でも信じられない思いが”“もう前に進めないと思った”と告白。また、時間がある時には沙也加さんとの思い出が詰まった場所を訪れたり、生前愛用していたハンドミラーを受け継いで使うなど、深い悲しみの中でもがきながら再び表舞台に戻っていったのです(音楽関係者)そんな思いがこぼれ出てしまうことも。昨年11月に都内で開催された自身が初監督を務めた映画の特別上映回に登壇した聖子。上映終了後にはトークショーも行われたのだが、その中で、『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙をつまらせ、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったことを本誌は報じている。その後も、ディナーショーやツアーは毎年開催し、ファンのためにステージにあがり続ける聖子。今年9月上旬、本誌は都内のコーヒーショップで仕事の打ち合わせを終えた聖子の姿を目撃したが、これまでより少し痩せた印象だった。いっぽうの神田も聖子と同じく気丈に活動を続けてきた。長年『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)のMCを務めているが、沙也加さんが亡くなった翌週の’21年12月25日放送回にいつも通り出演。悲しむ素振りをおくびにも出さず、MCとしての務めを完璧に果たしたのだ。その後も、『旅サラダ』を休むことはなく、昨年3月に開催された番組イベントにも出席した。しかし、そんな神田も寄る年波には勝てないようで……。「『下町ロケット』(18年・TBS系)への出演以来、神田さんは俳優活動をしていませんが、周囲には“セリフが覚えられない”と吐露。オファーも断っていたといいます」(テレビ局関係者)“異変”も囁かれはじめる。『旅サラダ』には休むことなく出演していた神田だが、今年4月ごろから、頬がこけ、白髪が急激に増えた姿で出演しはじめ、SNS上では“大丈夫?”“病気なのでは”と心配する声が相次ぐことに。そして、11月18日放送回では「体のメンテナンス」を理由に欠席し、12月2日放送回ではしばらく休むことがアナウンスされた。長期の休業が予想され、一部では、深刻な体調不安も報じられている。憔悴しながらも、自身の務めを全うしてきた聖子と神田。2人の歩みを沙也加さんも見守っていることだろう。
2023年12月18日声優の小林親弘が、9月3日(日)東京証券会館ホールにて、自身初となるバースデーイベント『小林親弘バースデーファンミーティング2023』を開催する。今年40歳の節目の年を迎える小林が「日頃から応援してくださるファンの皆さまに直接感謝を伝える機会を」と自ら企画。小林の年表振り返りコーナーや、ファンからの質問に答えるコーナー、プレゼント抽選会などを実施予定。ゲストには、プライベートでも小林と仲の良い榎木淳弥と畠中祐を迎え、ゲストを交えた特別な企画も準備しているとのこと。最後には小林本人によるお見送りもあり、ファンにはたまらない一日となるだろう。チケットの先行抽選は、6月17日(土)10:00より申込受付を開始。当日会場で受け取れる非売品ブロマイドの特典付き。『小林親弘バースデーファンミーティング2023』開催日時:2023年9月3日(日)【第1部】開場12:45/開演13:30【第2部】開場16:45/開演17:30会場:東京証券会館ホール出演:小林親弘ゲスト:榎木淳弥、畠中祐公式Twitter:@chikahiro_fmt
2023年06月16日大人気コミック『小林さんちのメイドラゴン』が、ウイスキーになりました。発売日は2023年3月10日。「酒屋BARレモン・ハート」が運営するECサイトにて、予約可能となっています。作品の世界観を表現した1本なので、メイドラファンは作品を楽しみながらの晩酌におすすめです。『小林さんちのメイドラゴン』は、小林さんというOLの自宅に、住み着いてしまったドラゴンとの日常生活を描いたコミックです。個性豊かなキャラクターと過ごす日々が、いつの間にか「日常」となってしまったという様子を表現したウイスキーとなっています。どんなウイスキーなのか今回販売されるウイスキーの名前は『小林さんちのメイドラゴンワールドブレンド』。ブレンドを監修するのは古谷陸氏です。古谷氏とは、漫画『BARレモン・ハート』でもお酒監修を担当しており、練馬区のバーでバーテンダーを務める人物です。気になるのは、お酒のテイスティングノートでしょう。まずカラーは美しい琥珀色。そしてトップノートは白桃コンポートやオレンジを感じさせる、爽やかな甘みが特徴です。余韻にはややスモーキーな麦の香りが残ります。ポカポカとしたお日様を感じられる「甘いモルティーテイスト」が広がる逸品です。『小林さんちのメイドラゴン』とは…コミックではなく、ウイスキーファンだという方のために、最後に『小林さんちのメイドラゴン』とはどんな作品なのか解説します。『小林さんちのメイドラゴン』はアパートにひとり暮らししている「小林さん」と、ドラゴン娘「トール」の共同生活を描いた作品です。大好きな小林さんのために、トールは日々せっせと奉仕します。しかしドラゴンであるためなのかトールの性格なのか、いつも少しズレた奉仕をしてしまう姿が面白く、ときにほっこりと描かれています。ウイスキーファンはこれを機に『小林さんちのメイドラゴン』という作品にも触れてみてください。[文・構成/grape編集部]
2023年03月13日グラビアアイドルの似鳥沙也加が6日、ニコニコチャンネルプラス『似鳥沙也加ファンクラブ』を開設した。『似鳥沙也加ファンクラブ』は、会員限定の超プレミアムな画像・映像・生配信・グッズなどが詰まったコミュニケーションファンクラブチャンネル。これまであまり出してこなかったグラビア撮影現場のメイキングムービーや撮りおろし・未公開カット満載のフォトギャラリーなどが楽しめる。そして今回、ファンクラブチャンネルの開設を記念して、5刷りの大快挙を達成した1st写真集『Ribbon』のグラビア撮影メイキングムービーも会員限定で公開(※視聴には 1,100円以上のプランへの加入が必要)。また、5月31日までに入会するとオリジナルブロマイド(3枚)が全員にプレゼントされるほか、ファンクラブでしか購入できない「似鳥沙也加カレンダー2023.4-2024.3 会員限定特典付き」と「似鳥沙也加デジタル写真集 Luna 会員限定書籍版」の発売も決定した。さらに、4月1日(19:00〜)には、初回生配信が実施される。
2023年03月07日「聖子さんは、沙也加さんの一周忌をお母さんの一子さんと過ごしたそうです。発売されたばかりの追悼アルバムを2人で聴きながら、沙也加さんが好きだった食事を作って食べたとか」(聖子の知人)’21年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。1年たった現在も心の傷は癒えていない。本誌はこれまでに、聖子が沙也加さんのハンドミラーなど、愛用品を使用し続けていることを報じてきた。実は、聖子の自宅の近くには沙也加さんの“生家”もある。デビュー当時から聖子を知るカメラマンのYAHIMONときはるさんは語る。「聖子さんが神田正輝さんとの新婚生活を始めた家で、’86年に新築されました。同じ年に沙也加さんが生まれ、親子3人の幸せが詰まった場所なんです」聖子の両親もともに暮らしたこの一戸建てが、今の聖子の心のよりどころとなっている。“サヤはここで生きている……”そんな思いも去来するのか、近くを通った際には立ち止まって眺めることもあるという。地下室付きの邸宅では、現在は「成城松村クリニック」が開業している。聖子たちが転居した後も25年にわたって建物は保存されているのだ。今回本誌は、クリニックの院長である松村圭子さんに話を聞くことができた。メディアに室内が公開されるのは初めてのことだ。「ここには沙也加さんゆかりの品々もありますし、クリニックを続ける覚悟が改めてできました」(松村さん・以下同)熱烈な聖子ファンでもある松村さん。一時は聖子の事務所として使用されていたこの建物が取り壊されることになったと聞くと、聖子の母・一子さんに直談判。ここでクリニックを開くことを認めてもらったという。「一子さんは’10年の開院の内覧会の際に来てくださいました。いただいたお花のお札は、今でも大切に取ってあります」内装にはほとんど手を加えず、家具なども一部は使い続けている。「今の診察室はもともと応接室だったそうです。当時の椅子や戸棚もそのままです」クリニック以外では、生活感が色濃く残されたスペースもある。「和室では、沙也加ちゃんが一子さんとテレビで『水戸黄門』をよく見ていたそうですよ」キッチンには、沙也加さんのために聖子が貼ったというかわいい犬のキャラクターがあった。「小さいころの沙也加ちゃんは、このキャラクターのように、おもちゃのマイクを持ちながら(聖子のヒット曲の)『ロックン・ルージュ』なんかを歌っていたとか」小学生のころにはすでに芸能界を目指していたという沙也加さん。家族の思いがキャラクターにも託されていたのかもしれない。沙也加さんがクリニックを訪れたこともあったという。「’11年かな。治療でいらっしゃいました。お若いのにすごく気を使われていた印象があります」聖子の一家と交流を持ち続ける松村さんだが、最近も近所のスーパーで聖子と顔を合わせたという。「’22年11月上旬のことでした。聖子さんはマスクと眼鏡に帽子姿で、ご主人といらっしゃいました。周囲は誰も気がつかなかったのですが、お声をかけたら『ああ、先生!』なんて気さくにしていただいて。そんな自然体なところが、ものすごく魅力的なんです」沙也加さんの思い出が詰まった“幸せの家”はファンの熱意で守られ、聖子に前へと進む力を与え続けている。
2023年01月11日12月18日、神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってから1年を迎えた。あまりにも突然の別れに日本中が言葉を失い、悲しみに暮れた。松田聖子(60)と神田正輝(71)を両親に持ち、2001年に「SAYAKA」として鮮烈なデビューを飾った沙也加さん。06年からは「神田沙也加」として再始動し、近年は声優やミュージカル女優として数々の話題作に出演。18年には舞台『キューティ・ブロンド』の演技で念願だった菊田一夫演劇賞を受賞し、評価を確固たるものにした。一周忌を迎えたが、沙也加さんには今も多くの人々からの愛が届けられている。12月14日に追悼ベストアルバム「MUSICALOID #38 Curtain Call!」がリリース。その4日前に同作に収録されている未発表曲「アスノヨゾラ哨戒班」のミュージックビデオが沙也加さんの公式Twitterアカウントで公開されたが、すでに130万回以上再生されている。また、沙也加さんの公式Instagramアカウントには、生前最後となった昨年11月18日の投稿に今もファンからのコメントが寄せられ続けている。そんな沙也加さんに今も愛を捧げているのは元夫の村田充(45)も同じだった。16年夏の舞台での共演をきっかけに交際をスタートさせ、17年4月26日に結婚を発表した沙也加さんと村田。同年5月に行われた結婚披露パーティーには父の神田正輝や親交のある芸能人が出席し、2人の門出を祝いだ。本誌も18年2月に、共演者とのお茶を楽しんだ沙也加さんを村田が車で迎えにくる姿を目撃。買い物を楽しんだあと、手をつなぎながら歩いていた2人だったが、19年12月に子供を持つことについて価値観の相違があったことを理由に夫婦生活にピリオドを打つことに。しかし、繋がりが消えたわけでは決してなかった。訃報翌日の昨年12月19日、村田はTwitterで《ご逝去の報に接し、共に過ごした時間に感謝し、心から哀悼の意を捧げます。 彼女の歌声は、まるで天使のようでした》と沙也加さんを追悼。その後も8月17日にInstagramで、月命日を前に《もうすぐ45歳というよりはもうすぐ8ヶ月という気持ち》と思いを馳せていた。さらに、村田は沙也加さんの“大切な相棒”も受け継いでいた。生前、ロングコートチワワの愛犬ブルーザーくんと生活していた沙也加さん。村田は昨年12月23日にTwitterで《安心してください。大切に育てます》と引き取ることを表明し、その後はSNSでたびたびブルーザーくんとの日常を定期的に発信し続けている。11月29日にTwitterで公開したブルーザーくんともともと飼っていた愛犬との写真には、《素敵な写真ありがとうございます》《大切に育ててくださって嬉しいです》とファンからのコメントが寄せられていた。沙也加さんが愛した“家族”を引き取り、今も献身を続ける村田。沙也加さんもきっと喜んでいることだろう。
2022年12月18日35歳という若さで亡くなってから1年。偉大なる両親を持ちながらも自らの力で女優の道を切り開いた神田沙也加さん。ゆかりのあった芸能人たちが彼女へ寄せた追悼メッセージとともに、その輝かしい功績を振り返りますーー。■宮本亞門(64)〈まだ無名な彼女は「私は有名人の娘だから受かったのですか?」と大きな目で食いつくように聞いてきた。「嫌、絶対違う!オーディションで多くの人を見て、君が1番素晴らしかったからだ!」。すると少し安心した顔をして「私、本物になりたいんです」。そして彼女は異様な努力を重ね素晴らしい演技を次々と見せてくれた。〉’04年、17歳で宮本亞門演出のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』の主演に抜擢された。当時の芸名は「SAYAKA」だった。■堂本光一(43)〈自分がもう一度出たいと思う作品は観に行くと実現しない気がするとそれを叶える為に観に来ないけどいつも「頑張って」と声をかけてくれておりました〉’12年、堂本光一主演のロングランミュージカル『Endless SHOCK』でヒロインを演じた。制作発表での満面の笑みが印象的だった。■村田充(45)〈彼女の歌声は、まるで天使のようでした〉’18年、当時の夫で舞台俳優の村田充と仲よく手をつないでデートする姿を本誌が目撃。結婚から約1年たってもラブラブな様子だったが、翌年、出産計画の相違を理由に離婚した。■松たか子(45)〈ものがたりにふれれば、アナはいつでもわたしたちにはなしかけてくれ、ほほえみかけてくれます。ありがとう、アナ〉松たか子と日本版吹き替えで姉妹役を演じたディズニー映画『アナと雪の女王』が記録的大ヒット。’19年には続編も公開された。■朝夏まなと(38)〈笑顔で走ってくる姿が目に焼き付いて離れない愛しくて力いっぱいハグしたよ私にとって妹みたいだけどお姉ちゃんのような存在いっぱい助けてもらったり教えてもらったり…尊敬と愛を込めて〉’18年、名作『マイ・フェア・レディ』の主役を射止めた。元宝塚トップスター・朝夏まなととのWキャストだった。■別所哲也(57)〈同じ時代に同じ作品で自らの力で輝いてた。コロナがなければもっと語り合い支え合えたはず。神田沙也加は、素晴らしい舞台役者です!〉『マイ・フェア・レディ』では憧れだった花売り娘・イライザ役を熱演。神田さんが亡くなったのは’21 年の札幌公演中のことだった。■松田聖子(60)〈沙也加は小さいころから歌うのが大好きでした。おもちゃのマイクを持って、私の「ロックンルージュ」をよく歌っていました。それが昨日のことのように思われます。今も彼女の歌声は私の心中に響いています。〉’11年、『NHK紅白歌合戦』で母・松田聖子とデュエットで坂本九の『上を向いて歩こう』を披露し、話題に。「母との初デュエットが紅白なんてぜいたくで光栄」と喜んでいた。
2022年12月17日この度「大腸劣化」対策委員会では、「冬便秘と自律神経」に関する小林 弘幸先生・小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。自律神経の乱れは便秘だけでなく、肌荒れや肥満、不眠、イライラといった様々な全身の不調にもつながります。今回は、冬に乱れがちな自律神経と便秘について、自律神経研究の第一人者である順天堂大学医学部 小林 弘幸教授と、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長のお二人にお話を伺いました。多くの方々に参考にしていただければ幸いです。●冬の便秘は、自律神経の乱れのサインかも。寒さが気になり始める秋から冬にかけて、便秘になる人が増える傾向にあります。特に冬は、寒さで体が“冷える”ことに加えて、外出する機会が減って“運動不足”になりがちです。また、外に出るときや屋内に入るとき、家の廊下やトイレ、洗面所などで“急激な寒暖差”を感じる場面も増えてきます。それに加え、夏に比べて水分摂取が減り、“水分不足”にもなりがちです。これらの冬特有の“冷え”、“運動不足”、“急激な寒暖差”、そして“水分不足”は、自律神経の乱れを引き起こし、便秘につながる要因となります。自律神経の乱れは、便秘だけではなく不眠やイライラ、無気力など精神的不調に加え、頭痛、肩こり、慢性疲労などの肉体的な不調といった全身の不調にもつながります。冬の便秘は自律神経の乱れをあらわすサインの一つだと考えてください。そのため、寒さが厳しくなる前から早めの対策を行うことをおすすめします。また、現代社会は、不規則な生活、睡眠不足、複雑な人間関係など精神的ストレスに満ちており、そこに「コロナ疲れ」も相まって、私たちの自律神経は乱れがちです。普段から自律神経を意識することは心と身体の健康を保つ上で大切な要素です。冬の便秘は、自律神経の乱れのサイン●自律神経の乱れが全身の不調につながるわけ自律神経とは、血管や呼吸、体温調整、内臓の働きなどを司る末梢神経の一つです。自律神経には交感神経と副交感神経の2つがあり、交感神経は車でいうアクセルにあたり、体の働きを活動的な状態にします。一方の副交感神経は車でいうブレーキにあたり、体をリラックスした状態にします。通常はこの交感神経と副交感神経が交互に高まることでバランスを保っていますが、そのバランスが崩れてどちらか一方が過剰になると「自律神経が乱れた」状態になります。この状態は、血流の悪化や心拍数の上昇、老廃物の蓄積、細胞への栄養や酸素の不足を引き起こし、ひいては不眠やイライラ、便秘、頭痛、慢性疲労などの様々な全身の精神的・肉体的不調にもつながります。自律神経の乱れが全身の不調につながるわけ●自律神経と腸は相互に影響。自律神経の乱れには腸からのアプローチが有効。自律神経と腸は互いに影響しあう、切っても切れない関係にあります。自律神経が腸の働きをコントロールしている一方で、腸も自律神経のバランスをコントロールしています。たとえば、緊張やプレッシャーでお腹が痛くなるのは、ストレスによって自律神経のバランスが崩れた結果、腸に悪い影響が現れる典型的な例です。また、自律神経と腸は、血管・血液にも影響を与えます。自律神経は、血管の拡張・収縮を行い、血流や血圧をコントロールします。腸は食事から取り入れた栄養成分を吸収し、「血液の質」をコントロールしています。実は、血液の質は自律神経の安定にまで影響を与えています。腸内環境の悪化によって、栄養の吸収率が低下したり、腸内に溜まった毒素が血液中に取り込まれたりすると、血液の質は下がります。その血液が全身を巡ることで、倦怠感や肌荒れなどの全身の不調につながります。さらに、その不調によってイライラしたり、神経質になることで自律神経の乱れにつながっていきます。ぜひ覚えておいていただきたいのは、自律神経を整える方法はさまざまありますが、腸内環境を整えることは自律神経を整えるための土台づくりだということです。自律神経に直接かつ間接的に影響する腸内環境が整っていてこそ、自律神経のバランスを整えることができるのです。自律神経と腸は相互に影響 自律神経の乱れには腸からのアプローチが有効●冬の自律神経の乱れには、ビフィズス菌による腸内環境改善がお得。腸内環境の改善においては、特に「大腸」を意識しましょう。大腸の腸内環境を整えるとぜん動運動が促進され、ぜん動運動が副交感神経を刺激することで、交感神経優位になっていた自律神経の乱れが整い始めます。また大腸内の毒素が減少することで、血液の質も高めることができます。腸内環境の改善には、発酵食品や食物繊維を摂取して腸内の善玉菌を活発にすることが有効です。特に善玉菌の代表格であるビフィズス菌は、大腸の中で短鎖脂肪酸である酢酸をつくりだします。酢酸は、悪玉菌の働きと増殖を抑え、腸内環境を改善する効果があります。また、冬は、風邪・インフルエンザから体を守るためにも、免疫力を高めることが大切です。ヒトの免疫細胞の7割は腸管内に存在していることから、腸内環境を整えることで免疫力を高めることが期待できます。腸内環境の改善という一つの対策によって、自律神経を整えること・免疫力を向上すること、の二つの効果が期待できるのはお得ですね。●ビフィズス菌を手軽に摂取できるのはヨーグルト。「ビフィズス菌が入っていないヨーグルト」もあるので要注意!ビフィズス菌を手軽に摂取する方法は「ビフィズス菌が入ったヨーグルト」を選ぶことです。注意点としては、市販されているヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものが意外と多いことです。ヨーグルトをスーパーなどで買われる際には「ビフィズス菌が入っているかどうか」をパッケージをみて、確認することをお勧めします。また、ヨーグルトをとる際はビフィズス菌のエサとなる水溶性食物繊維(キウイなどのフルーツ)を一緒にとると、より高い効果を期待できます。ビフィズス菌を手軽に摂取できるのはヨーグルト●小林 弘幸先生|順天堂大学医学部教授1960年埼玉県生まれ。92年、順天堂大学大学院医学研究科(小児外科)博士課程を修了。ロンドン大学付属英国王立小児病院外科、トリニティ大学付属医学研究センター、アイルランド国立病院外科勤務を経て順天堂大学医学部小児外科講師・准教授を歴任、現在に至る。各種研究の中で自律神経バランスの重要性に着目し、日本初の便秘外来を開設した腸のスペシャリスト。多くのトップアスリートのコンディショニング、パフォーマンス向上指導にも研究成果が活用されている。自律神経研究の第一人者として著書多数。そのほとんどがベストセラーを記録し、著書累計出版部数1,200万部を超える。小林 弘幸先生●小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスに負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。小林 暁子先生 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月16日男性シンガーソングライター/トラックメイカーの“生活は忘れて”が、本日11月16日にリリースした新曲「ニュートラル feat. 小林私」のMusic Videoを公開した。同曲は、11月30日に発売される生活は忘れての2ndアルバム『Gradation』の1曲目を飾るリードトラック。生活は忘れてと同い年のアーティスト・小林私を客演に迎え、「かっこつけない自然体な自分」をテーマに、トラックは生活は忘れてが、歌詞はふたりが共作。生活は忘れてとして作詞に人を迎えたのは同曲が初めてで、新たなチャレンジとなった。透明感の溢れる声の生活は忘れてと、エッジの効いた声の小林私という、“同い年で正反対の声質”のふたりによるコラボで生まれた、力強いアップナンバーとなっている。公開されたMVには、生活は忘れてと小林私の両者が出演。水曜日のカンパネラ「招き猫」などのMVも手がける若手監督・髙木美杜を迎え、他人の目のない無機質な世界で歌うふたりを映した作品に仕上がっている。■小林私 コメント生活は忘れてさんからオファーが来たとき、失礼ながらそこで初めてその存在を知りました。同い年で誕生日も近く、ほぼぴったり1年越しに「生活」と題した曲を出しておりまして、これはもう運命的だなと思い快諾したところから始まりました。基本的にLINEで曲と歌詞をラリーしながら作っていたのでまだ打ち合わせとレコーディング、撮影以外ではお会い出来ていませんが、必ず遊びに行きましょう。別に俺んちでゲームするとかでも良いです。最後に、MVの撮影中にこっそりビッグボーイに行っててすみませんでした!■生活は忘れて コメント小林私さんの事は以前から存じ上げており、最初に知ったのは泰葉さんのフライデイ・チャイナタウンのカバーだったと記憶しています。誰かと一緒に曲をやりたいとずっと思っていて、やるならこれという曲は既にある程度完成していました。その曲がサウンド的に激しめで、自分ひとりだと力不足になるから自分とは声の雰囲気の違う人を…と考え、小林さんに思い至り、声をかけさせて頂きました!怖い人だったらどうしようとか若干ソワソワしてましたが、めーちゃくちゃいい人でした!まだ3度しか会えてませんが。。愛読書が辞書の人に初めて会いました。今度は遊びに行けたらなと。お茶しながらお喋りするだけでも。家でゲームならスマブラやりたいです。生活は忘れて「ニュートラル feat. 小林私」MV<配信情報>生活は忘れて「ニュートラル feat. 小林私」Now On Sale配信リンク:<リリース情報>生活は忘れて 2nd Album『Gradation』11月30日(水) リリース生活は忘れて『Gradation』ジャケット関連リンク生活は忘れて YouTube:生活は忘れて Instagram:生活は忘れて Twitter:生活は忘れて TikTok:
2022年11月16日昨年12月に逝去した愛娘、神田沙也加さん(享年35)の一周忌をまもなく迎えようとしている松田聖子(60)。昨年は道半ばで中止となった恒例のディナーショーを12月に控え、辞退した『NHK紅白歌合戦』への出場も有力視されるなど、動きを活発化させている。そんな多忙な聖子だが、11月12日に“シークレットイベント”を都内で開催していた。「聖子さんが昨年に初めて監督を務めた映画『あの風が吹いた日』の特別上映会とトークショーが行われました。直前まで場所も告知されず、参加できたのは抽選に当選して購入したファンクラブ会員のみ。イベントは2部に渡って行われ、貴重な生声を聞くことができました」(参加したファン)『あの風が吹いた日』は、聖子が“ずっと頭の中にあったアイデア”をもとに、1年以上かけて脚本を書き上げた作品。女子高校生が憧れの歌手に偶然出会ったことから始まる、一見ラブストーリーながらホラー仕立て、という異色の作品だ。聖子にとって思い入れの強い初監督作を、本人のトークつきで鑑賞するというファン冥利につきる今回のイベント。しかし、戸惑いもあったと前出のファンは言う。「この主人公のヒロインも“死”というものに遭遇するというもので、どこか沙也加ちゃんとリンクして観てしまうこともあり、私たちも複雑な気持ちでいました」そんななか上映が終了し、トークショーの時間になると、聖子から思わぬ発言があったという。「聖子さんが『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙声になり、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったのです。会場にいたファンも思わずその姿にもらい泣きをしながら、拍手を送りました。そんな姿を見た聖子さんは平静を取り戻し、『ファンがいるから前を向いて頑張れます。また会おうね!』と笑顔で手を振りながら退場していきました。ファンとしては、聖子さんがつらい気持ちを我々に吐き出してくれ、またこちらとしてもずっと応援しているよ、という思いを伝えられた空間になって、とても良かったです」(前出・ファン)ファン、そして沙也加さんとともに聖子は師走を駆け抜ける――。
2022年11月16日グリーンのロゴが印刷された、かわいらしいレターペーパー。昨年12月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)も気に入っていたものだという。沙也加さんの母・松田聖子(60)が、かつての“同期”にあててレターペーパーに感謝の思いをしたためたのはこの秋のことだった。《沙也加が人のためになにか言えるようになったことに驚いています。私のことを思ってくれていたことに涙が出ました》少しクセのある文字で丁寧に書かれた20行ほどの文章の最後には《松田聖子》の署名があった。共通の知人を通じて、感謝の手紙を受け取ったのはカメラマンのYAHIMONときはるさん。聖子は’79年にサンミュージックに所属したが、同時期にカメラマンとして同事務所に入社したのがYAHIMONさんだった。デビューから数年間、聖子の撮影を幾度も担当した人物だ。YAHIMONさんが語る。「聖子さんから直筆の手紙をいただいて驚くとともに、彼女の沙也加さんへの思いの深さをあらためて知り、胸を打たれました。手紙にある“沙也加さんの言葉”とは、私が『女性自身』さんの取材で明かしたものです。聖子さんは知人から、記事のことを聞いて読んでくださったのです」本誌1月18・25日合併号でYAHIMONさんは沙也加さんとの思い出について語っている。’17年12月、沙也加さんも出演していた舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』の楽屋を訪れたYAHIMONさんは、知り合いの女優に自らの母親とは何年も絶縁状態にあること、会いに行くのをためらっていることについて相談していたという。その相談をたまたま耳にした沙也加さんはYAHIMONさんにキッパリこう言ったのだ。「子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!」■本誌の記事で亡き娘の真情にふれたという聖子さらに翌年、同舞台の愛知公演の楽屋で再会した際には沙也加さんはこんな言葉を……。「私、(先日は)生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んだりしていたんですけれど、やっぱり母親がいちばんつらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私をいちばん愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」他人だからこそ素直に話せることもあるのだろう。“母親が私をいちばん愛してくれている”……、長年の不仲報道にも傷ついていた聖子は本誌の記事で、生前の沙也加さんの真情にふれ、思わず涙を流したというのだ。1年前の悲劇の後、聖子は自宅で愛娘の歌声を繰り返し聴いているという。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の曲の1つ『プリュメ街』の生音源だ。YAHIMONさんが続ける。「聖子さんは天才肌、沙也加さんは類いまれな努力家と、タイプは異なる2人でしたが、お互いに認めていたのは間違いありません。特に聖子さんはお嬢さんのミュージカル女優としての姿勢を高く評価していたのです。知り合いには、こんなふうに語っていたと聞いています。『サヤはね、自分の娘でなくても、すごいと思っているの。あの子はずっと勉強を続けているから。「レ・ミゼラブル」の原作さえ、きちんと読み込んでいるのよ』と」YAHIMONさん宛ての手紙には、次のような一節もあった。《もう少しで完成する新しい部屋は、沙也加が切り開いたミュージカルのお衣装や楽譜でいっぱいにしようと思います》昨年6月から、聖子は自宅の隣地に新しい家を建築していた。事務所として使われていた建物を取り壊し、母・蒲池一子さん(90)のためにバリアフリーの家を建てたのだ。沙也加さんの急逝もあり、完成は数カ月遅れたが、実は聖子はこの建物に沙也加さんの部屋も用意していたという。「聖子さんは、そのことを沙也加さんに伝えていたそうです。『サヤのお部屋もあるし、お祖母ちゃんも喜ぶから、好きなときにいつでも顔を見せてね』と。昨年10月ごろのことだと聞いています」(YAHIMONさん)親子関係についてはさまざまな報道があるが、一部週刊誌によれば、年上のミュージシャンとの恋愛を反対された沙也加さんが実家を出て、一人暮らしを始めたのは’05年のことだという。聖子は“17年ぶりの同居”を提案していたようだが、昨年10月といえば沙也加さんはミュージカル『マイ・フェア・レディ』の準備に励んでいたころ。また同舞台でも共演した元俳優・前山剛久氏(31)との交際が始まっていたころでもある。公私ともに充実していたように見える沙也加さんに対し、なぜ聖子は実家に戻ってくるように勧めたのか?「聖子さんはかなり早い段階から、沙也加さんと前山さんの交際を知っていたそうで、彼がどういう人物なのか、人脈を頼って聞いていたようです。聖子さんのカンの鋭さについては昔、私も何度も目撃しているのですが、“この恋でサヤは幸せになることはできない”と感じたのでしょう。“傷つくかもしれないサヤの居場所を作らねば”と決断し、あえて沙也加さんに帰ってくる家があることを伝えたのだと思います」(YAHIMONさん)この10月に完成した“サヤの部屋”には、沙也加さんの笑顔の遺影が飾られ、衣装や愛用していたピアノも置かれているという。
2022年11月15日グラビアアイドルの似鳥沙也加さん(29)は、「インスタグラビア」というハッシュタグを作った第一人者でインスタグラビアの女王という肩書きまでついているようです。インスタグラムにどのような写真を公開しているのかチェックしてみましょう!ソファにもたれかかるバックショットが色気満載 この投稿をInstagramで見る 似鳥沙也加 Sayaka Nitori(@uw.sayaka)がシェアした投稿 「今日も1日お疲れ様でした」と、ソファにもたれかかる沙也加さん。シースルーのトップス1枚にランジェリー姿というセクシーなスタイルで登場。Tバックでのバックショットということもあり、フォロワーはくぎ付けに。コメント欄には「尻フェチにはたまらない」「なんて素敵なお尻」「沙也加さんの綺麗なお尻に魅入ってしまいました♡」とセクシーなお尻に視線集中していて、桃の絵文字も多く飛び交っておりました。他にもセクシーな水着ショットなど投稿していて、沙也加さんから飛び出す新たなセクシーすぎる姿にフォロワーは悶絶しているようです。次はどんなセクシーショットが飛び出すかドキドキしますね!あわせて読みたい🌈倉科カナさんが大胆な肩出しドレスを披露「とてもセクシー」「神々しい」と大反響
2022年10月24日「全国ツアーを終えた後の聖子さんは“サヤ(沙也加)の曲を歌ったことで、(娘との)伝説を作れたと思うの”と語っていました」(聖子の知人)松田聖子(60)が愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失ってから初めて行った全国ツアー。そのファイナル公演は、日本武道館で9月3日に行われた。「沙也加さんと幾多の共演をした日本武道館は、聖子さんにとって娘との大切な思い出の場所。そのため追加公演という形にしてまで、武道館を千秋楽の場として選んだと聞いています」(デビュー当時から聖子を知るカメラマン・YAHIMONときはる氏)聖子は沙也加さんのデビュー曲『ever since』を熱唱。大観衆の涙を誘い、ツアーは無事に終演したが、実はその直後に聖子は冒頭の知人にこう漏らしたという。「サヤの曲は正直、歌える自信がなかったの。サヤの曲は彼女のものだから、私が歌って壊してしまったらどうしようという葛藤があったから……。それでも“伝説”を作りたかった。そして、実際にファンの方たちと私で、伝説を作ることができた。そう思っているの。ただし、伝説はここで終止符じゃなくて進行形。ひとつの伝説が、次の伝説を生むのよ」その言葉どおり、聖子は12月に行われる恒例のディナーショーに向けて準備に入っているという。「打ち合わせの際、聖子さんは“ディナーショーのころにはサヤはもう家にいないけど、頑張るから”と笑顔で話しました。11月上旬に沙也加さんの納骨を行うようです」(前出・知人)愛娘の遺骨は、福岡県にある蒲池家(聖子の生家)の菩提寺・良清寺に納骨される予定だという。沙也加さんは、9月22日に死後初めて更新されたSNSが話題となった。「神田さんが手がけていたアパレルブランドが今秋で終了するため、デザイン画などを展示するアーカイブ展を銀座で開催するという告知でした。神田さんの元夫の村田充さん(45)が神田さんから引き取った愛犬の画像をアップしたため、さらに反響を呼んでいました」(スポーツ紙記者)また30日には追悼アルバムの発売も発表された沙也加さん。聖子はこうしたタイミングで、“愛娘逝去後の傷心生活からの卒業”を知人に宣言していたのだ。ディナーショーの後に控えるのは『NHK紅白歌合戦』。昨年は急な辞退となった聖子への期待は大きい。「聖子さんは、今年は出たいと思っているはず」と芸能レポーターの城下尊之さんが語る。「昨年の紅白は世帯視聴率が34.3%と歴代最低だっただけに、NHKも話題性抜群の聖子さんには出てもらいたいでしょう。聖子さんには、ファンに向けた何かしらのメッセージを出してほしい。“これが聖子だ!”という姿を、紅白で見たいですね」母娘にとって区切りとなる年の瀬。完全復活を目指す聖子の新たな伝説は見られるだろうか。
2022年10月05日神田沙也加のボカロカバーシリーズ最終作『MUSICALOID #38 Curtain Call!』と、オリジナル楽曲やミュージカルのカバー曲で構成されたベスト盤『LIBERTY ~memorial~』が、12月14日(水) にリリースされることが決定した。『MUSICALOID #38 Curtain Call!』は、“神田沙也加がボカロキャラになったら”をテーマにセルフプロデュースしたシリーズ企画。今作は「最後のタイトルにはカーテンコールという言葉を入れたい」という生前の意向をもとに、最終作に対する彼女の生前の思いを受け止めた追悼盤となっている。未発表曲の「アスノヨゾラ哨戒班」に、ファンリクエスト投票により決定する13曲を加えた全14曲を収録予定。特典として付属するDVDには、新規に制作されるイラストによるミュージックビデオのほか、未公開のメイキング含め2021年6月に行われた配信ライブ『MUSICALOID #38 Act.3 発売記念オンラインライブ〜彼方と此方と其方〜』のメイキング映像が収められる。併せて、公式サイトとタイトル発売決定をアナウンスする速報動画が公開。ファンによるリクエスト投票は神田沙也加の誕生日である10月1日(土) より開始することも発表された。『LIBERTY ~memorial~』は、2011年にリリースされたデビュー10周年記念アルバム『LIBERTY』の収録楽曲の中から、本人作詞による書き下ろしのJ-POP楽曲、英語詞にも挑戦したミュージカルのカバー楽曲などのソロ歌唱楽曲7曲に加え、2002年のデビュー曲「ever since」を含むSAYAKA名義のシングル4曲の全11曲で構成。さらに、DVDにはリード曲「流星」のMVが収録され、ミュージカルを中心に歌手や声優などあらゆるジャンルで活躍した神田沙也加のすべての魅力をコンパイルした、彼女のキャリアを振り返る思い出の作品となる。『MUSICALOID#38 Curtain Call!』速報動画■アンケートページリンク:※10月1日(土) より開始■『MUSICALOID #38 Curtain Call!』公式サイト:<リリース情報>『MUSICALOID #38 Curtain Call!』2022年12月14日(水) リリース【CD+DVD】3,838円(税込)『MUSICALOID #38 Curtain Call!』ジャケット【DVD収録】「地球最後の告白を(Cover)」ミュージックビデオ『MUSICALOID #38』シリーズ 未公開映像含むメイキング『MUSICALOID #38 Act.3 発売記念オンラインライブ〜彼方と此方と其方〜』2021.6.12 メイキング※順不同、収録内容は変更になる場合がございます。【店舗別オリジナル特典】■amazon.co.jpオリジナル衣装キーチャーム 3種類ランダム■楽天ブックスジャケットミニキャンバス■タワーレコードオリジナル缶バッジ■アニメイト・HMV・その他応援店オリジナルスマホサイズステッカー 3種類ランダム■PONYCANYON SHOPPING CLUB(国内)/ Pony Canyon Shop(海外)共通MUSICALOID #38 キーホルダー購入リンク:『LIBERTY ~memorial~』2022年12月14日(水) リリース【CD+DVD】3,300円(税込)『LIBERTY ~memorial~』ジャケット【CD収録】01. 流星02. 上弦の月03. PART OF YOUR WORLD ~from “THE LITTLE MERMAID”~04. LIBERTY05. Remember rain06. 水色07. 眠れる森08. Someday ~from “THE WEDDING SINGER”~09. Amazing Grace10. garden11. ever since【DVD収録】1. 流星Music Video関連リンク神田沙也加 配信サイト公式HP公式Twitter公式Instagram公式YouTube
2022年09月30日株式会社小林木工(本社:兵庫県三木市、代表取締役社長:小林 朋弘、以下 小林木工)は、このほど、抗ウイルス・抗菌コーティング加工「メディカルナノコート」のためのコーティング設備を本社工場内クリーンルームに新設しました。詳細URL: 新型コロナウイルスの感染拡大以降、全ての面において「安全な衛生環境への配慮がされていること」は、企業やサービス、製品そのものにとっても当たり前のこととして意識される時代になりました。この時代の流れに合わせ、さまざまなものに無色透明な抗ウイルス・抗菌コーティングを施し、感染リスクを軽減する機能を付加できる「メディカルナノコート」事業をスタートします。平面吹付用コーティング装置 720m2/日繊維製品吹付用コーティング装置 1,000着/日コーティング加工例「メディカルナノコート」は、ウイルス感染予防コーティングのパイオニア企業であるナスクナノテクノロジー株式会社(以下 ナスク社)の技術であり、空港や病院、ホテル、学校、美術館等の多くの公共施設で長年にわたり採用されているものです。当社は、高級オリジナル家具CoffreK(コフレカ)シリーズや、造作家具、オーダーメイド家具の製作を中心に、店舗や商業施設の工事などを手掛けています。まず自社製品への抗ウイルス・抗菌コーティング加工を行っていきます。さらに、その設備と技術を、感染予防コーティングを必要とされるお客様に対してご提供します。日本で唯一のナスク社の認定工場として、最新のイタリア製水性塗料吹付ロボットの導入による抗ウイルス・抗菌コーティング「メディカルナノコート」を、ご要望に応じて塗布・施工します。家具や建築材料、インテリア製品だけではなく、ランドセルやおもちゃ、ブランケットやスリッパといった生活用品など、何にでもその意匠を損なわずに塗布・施工ができるのが「メディカルナノコート」の特徴です。図に示したものはごく一部の例であり、お客様のご要望に応じて、さまざまなものを抗ウイルス・抗菌コーティングすることが可能です。■抗ウイルス・抗菌コーティング加工「メディカルナノコート」について「メディカルナノコート」は、さまざまな物に対しコーティングすることで感染リスクを軽減させる、抗ウイルス・抗菌コーティングです。コーティング表面に付着したウイルス・細菌を減少させていく効果が長期間持続するため、除菌等の作業負担を軽減し、化学物質の使用量を最小限にとどめることで環境負荷を抑えながら持続的な感染対策を実行できます。【国際的に認められた確かな技術】STePPロゴ「メディカルナノコート」は、国内だけでなく海外の国際空港の採用実績を持つ確かな製品です。日本発の優れた保健衛生技術として国連工業開発機関UNIDOのサステナブルプラットフォーム(STePP)に登録されています。【ウイルス不活化のメカニズム】ウイルス不活化のメカニズム「メディカルナノコート」の酸化タングステン(可視光応答型光触媒)に可視光があたると活性酸素※1が発生し、ウイルスの外側の構造を構成するたんぱく質を破壊し不活性化※2します。光触媒は光が当たると何度でも同じ化学反応を繰り返すため、表面が削れたり、はがれたりしない限り効果が持続します。従来の酸化チタンによる光触媒ですと、紫外線のみまたは、可視光応答型光触媒であっても紫外線にきわめて近い領域の光でのみ光触媒反応をおこすため、LED照明やUVカットの窓ガラスなどを使用した現代の室内環境では不向きです。「メディカルナノコート」は、500Lux以下の室内環境でもコンスタントに効果を発揮する酸化タングステンを配合しており、さらに全くの暗所でもプラチナ、セレン、モリブデン等の抗菌機能により効果を発揮します。【抗ウイルス・抗菌効果と安全性】抗ウイルス・抗菌効果と安全性1抗ウイルス・抗菌効果と安全性2【安全の証明】加工証明書や製品貼付用のシールはご要望に応じて提供します。製品添付用シール加工証明書※1:活性酸素は有機物を酸化分解する性質があります。ウイルスのタンパク質も有機物ですので酸化分解されます。※2:「不活性化」とは、ウイルスや細菌が活動を停止し感染性をなくすことです。■小林木工 代表取締役社長 小林 朋弘のコメント私ども小林木工は、現状に満足することなく常に進化・革新を追求しています。時代の動きを見据え、「メディカルナノコート」事業を開始したこともその1つです。良い物を作るだけではなく、お客様に安心して使っていただけることが重要だと考え、抗ウイルス・抗菌製品において業界の最高峰である「メディカルナノコート」を取り入れました。これにより安全も同時にお届けすることが可能となります。大阪・関西万博からIR事業まで、日本経済はインバウンド経済効果を求めて大きく展開しています。その視点からも、「メディカルナノコート」の施工はユーザーの安心につながり、さまざまなビジネスの後押しとなるものと確信しています。日本で唯一の認定工場である小林木工のナスクコーティング事業部を是非ご活用いただければと思います。■ナスクナノテクノロジー株式会社について名称 : ナスクナノテクノロジー株式会社本社 : 〒107-0052 東京都港区赤坂4-9-25 新東洋赤坂ビル4階代表者 : 代表取締役 左近 美佐子事業内容: 特殊被膜材の開発及び販売、感染予防・衛生管理に関わる商品の開発及び販売URL : nascロゴ■株式会社小林木工について小林木工は、大正13年の創業以来、兵庫県三木市で木に関わる事業を営んできました。現在は、高級オリジナル家具CoffreK(コフレカ)シリーズや、造作家具、オーダーメイド家具の製作を中心に、ドイツ製高級システムキッチンnobilia(ノビリア)の販売や、店舗や商業施設の工事などを手掛けています。CoffreK(コフレカ)シリーズは三木市のふるさと納税返礼品にも採用されており、職人の技と現代のデザイン性をうまく融合させた製品は各界から高い評価を得ています。名称 : 株式会社小林木工本社 : 〒673-0444 兵庫県三木市別所町東這田570-1代表者 : 代表取締役社長 小林 朋弘事業内容: 家具製作、建具製作、大工工事業、建具工事業、内装仕上工事業等URL : 小林木工ロゴ 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月09日「聖子ちゃんの“変顔”が見られるなんてね。少しずつ沙也加さんの死を乗り越えられているのかなって感じました。還暦を過ぎてもまだまだ楽しませてくれて、感謝しかありません」(聖子のファン)愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失って半年。全国ツアーに邁進する松田聖子(60)は武道館公演を迎える。大阪公演では歌詞を間違えてしまったが、とっさにおどけた顔を見せて、観客を和ませるシーンも見られた。沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌い、「娘は天国に旅立ちましたが、私の心の中にずっと生き続けています」と語った聖子。自宅のリビングには、白いユリが大量に生けられているという。聖子の知人が語る。「こだわりがあるのかと聞いたところ『さやは《Lily(リリィ)》の名で活動していたこともあるでしょ。それに、あの子の結婚式のブーケも白いユリだった。だからさやのことを思い出すように飾っているの』と話していました」《リリィ》とはユリの意。やはり、沙也加への思いを込めていたのだ。また、聖子の長年の仕事関係者は、今回の公演で見せる彼女の“表情の変化”をこう語る。「これまでの聖子さんにはすごみと張り詰めた怖さがあったんですが、今回のツアーではいい意味でそれがなくなって、優しさを感じられることが多くなったんです。身近な人たちをいちばんに思う気持ちを再認識しているのでしょう」そんな思いを同じように抱いているであろう聖子の母、蒲池一子さん(89)の姿も、やはりツアー会場にあった。一子さんは’80年に聖子が芸能界にデビューすると、愛娘を支えるために福岡県から上京。2人で夢を追いかける姿は“一卵性母娘”とも呼ばれた。しかし、その関係も’12年に断絶してしまう。「聖子さんは一般男性と再婚する際に、“愛人”とも報じられた男性マネージャーとの関係を清算せず、そのまま雇用し続けました。そのことを一子さんに咎められてから、母娘の関係は冷えていったといわれています」(芸能関係者)また聖子は、沙也加さんとも交際相手を巡って仲違いするなど、たびたび確執が報じられた。加えて一子さんと沙也加さんもまた、’17年に関係が悪化してしまう。「沙也加さんと俳優の村田充さん(44)の結婚に、聖子さんだけでなく一子さんも反対していたんです。そのため祖母と孫の間にも亀裂が生じてしまいました……」(前出・芸能関係者)一時は3世代が完全に断絶したとも伝えられた家族。しかし、’18年8月に本誌が取材した際、一子さんは報道を一笑に付した。「娘は私のことをいつも心配して『そばにいないと何があるかわからないから、一人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、(母娘の仲は)大丈夫なんですよ」年月を経ることで聖子と一子さんの母娘関係は徐々に修復。4年前から同居も再開した。一方の沙也加さんは突然この世を去ってしまった。しかし、実は彼女が生前、祖母のことを思い、ある行動に出ていたとわかった。芸能プロダクション関係者が語る。■「もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい」「沙也加さんは亡くなる少し前に、大手事務所と業務提携していたんです。その理由は、『舞台だけでなく、もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい』というものでした。一子さんが年齢的に体調不安を抱えていることもあり、自分が活動の場を広げて収入を増やすことで、“おばあちゃんに楽をさせたい”という強い気持ちがあったんだと思います」沙也加さんもまた、祖母との関係修復を望んでいたのだ。その伝えられなかった思いを受け止め、聖子と一子さんは前を向き、日々を過ごす。前出の聖子の知人が、ある日の秘話を明かしてくれた。「先日、聖子さんのスタッフのひとりが、ご自宅に化粧品などを届けに行ったときのことだそうです。アイスコーヒーを持った一子さんが対応してくださったのですが、『この間ね、私が『青い山脈』を歌っていたら、法子(聖子の本名)が来て“お母さんは奈良光枝さんのパートを担当して。私は藤山一郎さんのパート”って言って、一緒に歌ってくれたんですよ』と、うれしそうに話してくれたそうです。その後、聖子さんが『何の話?楽しそうね』と言って現れたとか」ファンにとっては何ともほほ笑ましい奇跡の合唱!デビュー当時の聖子をよく知るカメラマンのYAHIMONときはるさんに聞くと、’49年発表の『青い山脈』は一子さんの青春ソングだという。「聖子さんの幼少期に一子さんがよく歌っていて、聖子さんも記憶していたと聞いています。萩本欽一さん(81)司会の歌番組『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)に聖子さん一家は何度も出演しましたが、そのとき一子さんは、本当は『青い山脈』を歌いたかったそうです。しかし生前のお父さまがその曲をよく知らなかったため、『東京ナイトクラブ』にしたこともありました。聖子さんは当時のことを覚えていて一子さんを気遣って歌ったのでしょう」思い出の“蒲池家の歌”は、いまや沙也加さんへの鎮魂歌ともなったのだった。
2022年07月12日「全国ツアーが6月11日からスタートする聖子さんですが『これからは沙也加と一緒に歌っていきたい』とファンクラブの会報誌でも明かしています」(音楽関係者)昨年12月に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。あれからまもなく半年となる今、本格的な歌手活動を再出発させる。ツアーに先がけて4月に行われたディナーショーでも、聖子は冒頭のMCで「私は沙也加の歌声が大好きでした」「今も沙也加の歌声は私の心の中に響いています」と声を震わせながら語っていた。2カ月半にわたって5都市8公演が催されるツアーだが、急逝した娘とともに歩んでいきたいという思いからか、自宅でも沙也加さんをしのぶ時間は大切にしている。「聖子さんの自宅の沙也加さんが使っていた部屋には、彼女の愛用品がたくさん残っているそうです。そこは現在、聖子さんがメークをするときなどのスペースとしても使っていると聞きます」と話すのは聖子の知人だ。本誌は、沙也加さんが生前に愛用していたシルバーのハンドミラーを“形見”として使っていると報じたが、それだけではないようだ。「沙也加さんといえばミュージカル女優としても活躍しましたが、駆け出しのころに出演した『レ・ミゼラブル』(’09年上演)の舞台は、聖子さんにとって特に娘を誇りに思える作品でした。その劇場の楽屋で沙也加さんが使っていた暖簾を、聖子さんは“沙也加ルーム”の扉にかけているそうです」(前出・知人)沙也加さんにとっても『レ・ミゼラブル』への出演は人生の転機と言えるほど大きな出来事だった。当時のブログには、物語の主人公ジャン・バルジャンの養女コゼット役を射止めた喜びが綴られている。《昔から、レ・ミゼラブルに出演するのは私の夢でした。今回、念願叶ってコゼット役、そしてまたジョン・ケアードさんの演出を受けられるかと思うと、胸がいっぱいになり、喜びで心臓が飛び出しそうです。(笑)》(’08年8月)そんな娘が初めて帝国劇場の舞台を踏んだ’09年10月6日、聖子は元夫の神田正輝(71)とともに来場。カーテンコールの際には聖子が涙を流して拍手を送る姿が報じられている。この“夢の舞台”『レ・ミゼラブル』の劇中で、沙也加さんが歌っていた曲の一つが『プリュメ街』。コゼット役のオーディションの課題曲として使われるほど難しいことで知られているが、この曲を沙也加さんは見事に歌い上げ、観客に感動を与えた。「聖子さんは、『レ・ミゼラブル』上演中に沙也加さんが録音していた『プリュメ街』の“生の音源”を、今も自宅で聴いているそうです」(前出・知人)別の音楽関係者が言う。「このころの2人は、沙也加さんの稽古の合間に一緒に買い物に行き、大好きな『ジルスチュアート』のトップスやコートなどをおそろいで選んだりしていました。聖子さんはそんな思い出が詰まった曲を聴きながら、ツアーへの士気を高めているのでしょう」『プリュメ街』には、“私の人生、もうこれから独りぼっちじゃないの”といった一節がある。その言葉のとおり、母の全国ツアーを天国の沙也加さんも見守っていることだろう。
2022年06月07日4月から5月にかけて、東京と大阪でディナーショーを開いた松田聖子(60)。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を亡くして以来、歌手活動をようやく再開した。年末には、毎年恒例のディナーショーを予定しており、また昨年は辞退することとなった『NHK紅白歌合戦』への出場も目指しているという聖子。本誌が入手した彼女の“涙の肉声”には、歌にとどまらない仕事への決意がにじんでいたーー。「周囲に、『休んでいるほうがつらい。もう立ち止まらないし、映画監督もまたやる』と話しています」(前出・芸能関係者)聖子は昨年10〜11月に開催された第34回東京国際映画祭にて、『フォークロア2:あの風が吹いた日』で映画監督デビューを果たした。作品のジャンルがホラーだったこともあり話題を呼んだ。「公開後の評価も良好で、製作サイドの意向と本人のやる気もあって、もともと“松田聖子監督”の2作目の作品は予定されていました。ただ、そんななかで沙也加さんが亡くなってしまいました。それまでは、前作と同じホラー作品を考えていたそうですが、いまでは家族愛をテーマにした構想もあると聞きました。早ければ全国ツアーが終わったあと、10月ごろから映画製作にも着手するのではないでしょうか」(映画関係者)聖子が再びメガホンを取る決意を固めたのは、やはり沙也加さんの存在が大きいようだ。「あまり知られてはいませんが、沙也加さんはSF映画が好きで、その影響で聖子さんも一時期、『スター・ウォーズ』シリーズのグッズを集めていたことがありました。映画は、母娘の絆のひとつでもあるとも言えます。だからこそ聖子さんは、再び監督として映画と向き合おうとしているのだと思います」(前出・知人)沙也加さんに見守られて、“永遠のアイドル”は一歩ずつ前へと進むーー。
2022年05月18日かねてプライベートでも親交があるという順天堂大学医学部教授の小林弘幸先生(61)とDAIGOさん(44)。小林先生いわく、DAIGOさんは自律神経のバランスが整っているだけでなく、テレビ越しに見ているだけで、見る側の自律神経まで整うのだとか。今回、小林先生にDAIGOさんが持つ自律神経を整えるための秘訣に迫ってもらったーー。小林:『DAIGOも台所~きょうの献立 何にする?~』(ABC・テレビ朝日系)が好調なスタートを切りましたね。DAIGO:ありがとうございます。オファーを受けたときは、娘も生まれて、料理ができたら少しは家の中で戦力になるかな?と思っていたタイミングでした。上沼恵美子さんの後番組ということでプレッシャーはありましたが、娘のお弁当を作ることを目標に、レベルアップしていければと思っています。小林:DAIGOさんは見ているだけで、視聴者の自律神経が整うことがあると思いますよ。コロナ禍でストレスから心身の不調を来している人が多いはず。DAIGOさんのゆっくりとした話し方や間の取り方などを聞くと、自律神経が安定しているのがわかります。見ている人にもそれが伝わって、心が癒されるという人が少なくないのではないでしょうか。DAIGO:先生と初めて会ったときに、僕の話し方が自律神経にいいと言われて驚いたことを思い出しました。もともと速いテンポで話していくタイプではないので、意識はしていないのですが……。小林:自律神経を整えるには「ゆっくり」がキーワード。ゆっくり動く、ゆっくり話すなどが重要です。DAIGOさんの話し方をまねするだけでも、自律神経が整いますよ。DAIGO:そうなんですか(笑)。番組では、もっとたくさん話したほうがいいのかな、と思っていましたが、今のスタンスのままでいいのかもしれませんね。小林:DAIGOさんが自然体だからこそ、視聴者にも伝わるのでしょう。番組内では真剣に料理と向き合っていますが、心境の変化はありますか?DAIGO:これまで母親や妻に料理をまかせっきりにしていた僕としては、毎日料理を作ることの大変さがわかりました。小林:番組の最後にDAIGOさんがお皿洗いをされているのも印象的。お皿洗いは汚れが落ちていく様子が見えること、水を肌で感じること、洗い終えた達成感など、心を整える重要な要素がそろっているんです。DAIGO:なんかいい番組ですね~(笑)。■料理をすることは認知症予防にも効果的小林:自宅でも台所に立つ機会が増えましたか?DAIGO:台所との距離感が、グッと近くなりました。少し前までは、娘のためにミルクを作る程度でしたが、火や包丁を使った作業が増えてきたんです。小林:すごい変化ですね。料理は嫌々だとあまり効果はありませんが、誰かのためにと思って作るとよい効果が出てきます。DAIGO:そういえば、この前、番組で作ったコーンクリームカレーを実際に家で作ってみたところ、妻が「おいしい!」と言ってくれて。それだけで、僕も幸せな気分になりました。小林:相手のことを考えながら料理をして、さらにそれを食べて喜んでくれている姿を見ただけで「オキシトシン」という強力な幸せホルモンが出てきます。オキシトシンにはストレスから脳を守ったり自律神経を整えたりする働きがあるんですよ。DAIGO:料理は、一連の作業から後片付けまで、自律神経にいい影響を及ぼしているんですね。小林:材料を切ったり計量したりと、集中することでも自律神経が整います。それに、料理はいろいろ手先を使いますよね。段取りを考えるのにも、頭を使うから認知症の予防にもいいんです。DAIGO:なるほど~~。【PROFILE】小林弘幸’60年、埼玉県生まれ。順天堂大学医学部教授。自律神経研究の第一人者として、トップアスリートや芸能人のパフォーマンス向上指導にも関わるDAIGO’78年、東京都生まれ。’03年にDAIGO☆STARDUSTとしてメジャーデビュー。現在は、ロックバンドBREAKERZのボーカルとして活動するほか、バラエティ番組への出演や絵本執筆など多岐にわたって活躍(スタイリング:林峻之/衣装協力:ガラアーベント トーキョー 03-6455-2065)
2022年05月16日「チケットは発売と同時に即完売。落ち込んだ様子を見せることなく歌い上げた聖子さんに多くのファンが涙を流していました。聖子さんはMCで沙也加さんのことについて『今でも信じられない』と語りながらも『私は沙也加の歌声が大好きでした』と話す表情はとても穏やかでした」こう語るのは、4月9日に都内で行われたディナーショーの会場にいた長年の聖子ファン。松田聖子(60)が約4カ月ぶりにステージに戻ってきた。愛娘・神田沙也加さん(享年35)が昨年12月18日に急逝して以来、音楽活動から遠ざかっていた聖子だが、3月7日に歌手活動再開を発表。昨年末に中止したディナーショーの振替え公演を4月と5月に行い、6月からは5会場を回る全国ツアーも予定している。歌手復帰に際して、聖子は新たな決意を述べていた。「聖子さんは活動再開発表と同じタイミングに送付したファンクラブの会報誌で、沙也加さんへの思いを綴っています。そこでは、沙也加さんを失った行き場のない悲しみを吐露しつつも、“沙也加は心の中で永遠に生き続ける”と思い直し、再びステージに立つ覚悟を決めたことが書かれていました」(前出のファン)そうして迎えた復帰初舞台のディナーショー。聖子は入念な準備をして、臨んでいたという。「活動再開が決まってから聖子さんは気持ちを切り替え、ボイストレーニングなどを再開し、急ピッチで準備を進めていたといいます。ファンに少しでも楽しんでもらうため、ディナーショー直前には連日、ショーのスタッフを自宅に招き、綿密な打ち合わせを重ねていたそうです」(音楽関係者)本誌もディナーショーを成功させるべく奔走する聖子の姿を目撃している。本番数日前の4月上旬。聖子は自宅からほど近い都内の撮影スタジオAを訪れていた。「60年以上の歴史を持つ老舗スタジオです。スチールから動画まで幅広く対応しており、多くのアーティストから重宝されています。聖子さんもサンミュージックから独立した’89年ごろから現在まで愛用しており、神田正輝さん(71)との離婚発表会見もここで行っていました」(音楽関係者)このスタジオA、聖子にとってただの撮影場所ではない。沙也加さんとの“思い出”が詰まった大切な場所なのだ。長年、聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。「私がスタジオAで聖子さんと沙也加さんを見たのは、沙也加さんがSAYAKA名義で歌手デビューした’02年ごろでした。芸能界に入ったばかりの沙也加さんが、大先輩でもある聖子さんの仕事ぶりを見学しにきていたのだと思います。印象的だったのは、沙也加さんがスタジオで少しはしゃいだときに、聖子さんが“遊びじゃないんだから!”と注意したんです。その後、すぐ聖子さんは衣装を着て歌の撮影に入ったのですが、その様子を見た沙也加さんは小さな声で“カッコいい……”と漏らしていました。母として怒った後に“歌手”になった聖子さんを見て思わず口に出たのでしょう」その後もスタジオAでたびたび聖子と沙也加さんの姿を見たというYAHIMON氏。驚くことに、2人の間にですきま風が報じられていたときも、スタジオAで“秘密の交流”が続いていたという。「沙也加さんが結婚式を控えていた’17年5月初旬の話ですが、聖子さんがスタジオAでコンサートの準備をしていたところに、沙也加さんがフラッとやってきたのです。どうやら沙也加さんはお菓子の差し入れを持ってきていたようで、聖子さんは“うれしい!”と感激した様子でした。不仲がささやかれていた時期なので、2人の周囲から離れるスタッフもいましたが、聖子さんと沙也加さんは気にせず話していました」母娘の“思い出”がつまったスタジオをディナーショーの本番直前に訪れ、歌手として再始動した聖子。沙也加さんとの“約束”を果たすべく、前を向いているようだ。「6月からのツアーでは、沙也加さんとの思い出の楽曲を歌う予定でいるといいます。’11年末のカウントダウンライブで沙也加さんとデュエットした『瑠璃色の地球』や沙也加さんが13歳のときに作詞した『恋はいつでも95点』などが候補に入っているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出を胸に、聖子はふたたびステージに立つ――。
2022年04月12日松田聖子(60)が4月9日、ディナーショーで復活を果たした。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35歳)を亡くした聖子。『日刊スポーツ』によると「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌って参ります」と涙ながらに宣言し、’11年の『NHK紅白歌合戦』で沙也加さんとデュエットした『上を向いて歩こう』を熱唱したという。本誌は“歌手・松田聖子”が復活するまでの姿を目撃してきた。今年1月下旬、沙也加さんの四十九日を目前に控えた聖子は完全予約制の美容院に訪れていた。「沙也加さんが亡くなってから、聖子さんはふさぎがちになっていました。自宅から出ることはほとんどなく、沙也加さんの遺骨を眺めてばかりいたそうです。しばらく自分の身なりを気にする余裕もなかった聖子さんにとって、一つの“節目”を前に髪を切ることは大事な意味があったでしょう」(知人)1月30日には、沙也加さんの四十九日法要が営まれた。実母である一子さんや夫のK氏とともにワゴンから姿を現した聖子。うつむきながらも、落ち着いた足取りで寺へと向かっていった。「実はこのお寺、Kさん一族の菩提寺なんです。聖子さん一族の眠る福岡のお墓で法要を行うこともできたはずですが、新型コロナの感染が拡大するなか、親族一同で遠出するのはリスクが高い。聖子さんは『1人でも多くの親族に来てほしい』と考えていたため、最善の選択肢としてこのお寺を選んだのでしょう」(前出・知人)そして3月上旬、聖子は“思い出の地”を訪れていた。それは、老舗のデパートだ。「このデパートは聖子さんの自宅から近いこともあり、数十年にわたって贔屓にしているところ。コンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほどです。 そして沙也加さんが幼いころから、このデパートに2人でたびたび足を運んでいたと聞いています」(音楽関係者)沙也加さんとの縁も深いデパートで、しっかりとした足取りを見せていた聖子。活動再開を発表したのはその直後、3月7日のことだった。「ファンクラブの会報で聖子さんは『“もう前に進めない”と思ったこともあった。でも、沙也加との思い出を振り返るうちに、“悲しんでいるだけではいけない”と思うようになった』と明かしていました。前向きな決意をしたことで、ようやく今回のディナーショーは開催されたのです」(前出・音楽関係者)再び歌い始めた聖子。その美声を、沙也加さんも喜んでいるはずだ。
2022年04月11日小林聡美が小さな奇跡を体験する主人公・五十嵐芙美を演じた『ツユクサ』。共演の松重豊、平山秀幸監督が小林さんの魅力を語った。『かもめ食堂』『めがね』『プール』など、日常の喧騒を離れた場所でゆったりと自然体で自分らしく生きる主人公を演じ、女性たちから絶大な支持を得てきた小林聡美。そして、それらの作品で人生の豊かさを表現してきた小林さんが、本作『ツユクサ』でも海辺の小さな田舎町を舞台に、丁寧に生きることの大切さを、より大人の視点で優しく導いていく。本作で小林さんと共演した松重豊は、大林宣彦監督の伝説的な作品、『転校生』で熱狂的な支持を集めた小林さんが印象的だったようで、「聞いてみたかったことをお伺いしたり何気ない会話が、僕にとってはワクワクする。小林聡美さんは、どんなことに感動するんだろう、どんなものが好きなんだろう、そういう話をするなかで、(小林さんのデビュー作)『転校生』を観たときの感覚も思い出したりして。ああ、僕は今、あの小林聡美さんと時間を過ごしているんだ、と思ったら、やっぱりワクワクしますよね、トキメキますよね」と、小林さんの魅力を語っている。また、本作でメガホンをとった平山秀幸監督は、構想にかかった10年間のうちに日々を丁寧に生きるイメージを持たれるようになった小林さんについて、「僕の世代だと『転校生』のイメージが強いですが、今の人たちにはスローライフ的なイメージを抱かれるキャラクターなのかな。力まずに撮るというフォームとスローライフが重なったのかもしれない」と、本作のコンセプトと、小林さんの持つイメージがちょうど重なったと語る。加えて「小林さんは歳を重ねても永遠の少女なんですね。(笑)10年前も今も、僕が描いていた芙美像は全く変わりません。今、このタイミングだったことで、小林さんと芙美が重なったと思っています」と、小林さんの変わらぬキュートな魅力と、構想から10年を経たからこそ現在の小林さんと芙美の役柄がぴったり重なったと明かしている。『ツユクサ』は4月29日(金・祝)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ツユクサ 2022年4月29日より全国にて公開©2022「ツユクサ」製作委員会
2022年04月01日俳優の小林且弥が初めて舞台演出を手がけ、主演に安西慎太郎を迎えて4月に上演される『象』。新たな挑戦を前にした小林に加え、彼と長い付き合いで共演経験が豊富な安西に話を聞いた。コロナ禍で廃業を余儀なくされたサーカス団における“最後の一日”を描いた本作は、映画監督でもある齋藤孝が脚本を担当した。養護施設で育ったクラウン見習いの主人公・松山悠太役を安西が務め、アクロバットの才能にあふれるも生意気な後輩・苫坂光役を菅原健が演じる。キャストは他に鎌滝恵利、伊藤裕一、伊藤修子、木ノ本嶺浩、大堀こういちの名も並ぶ。実はこの小林演出・安西主演タッグによるプロジェクト、2020年8月に向けて別の作品で走り出していた企画だった。しかし新型コロナウイルス感染症の流行で公演延期に。満を持しての“リベンジ”に安西は「今度こそ必ず、という想いがあります」と意気込み、小林も「舞台芸術は社会情勢と密接に繋がっていると痛感したからこそ、コロナ前より“意味”がもうひとつ乗っています」と続く。演出はプロデューサーからの提案で「自分からやらせてください、と言ったわけではないんです」と控え目な小林。しかし歳を重ねるうち、内面に変化が生まれたという。「これまで役をいただく・頂戴するばかりだった分、自分の人生そのものと言える芝居の世界に何か“還元”というかお返ししたい気持ちが芽生えて」──。安西はその萌芽に「且弥さんは作品に対して思考する量がすごいので、初演出に立ち会えるのが楽しみでなりません」と期待を寄せる。小林も、2014年からの付き合いである安西を「役として自然にたたずむ“生き物”になれる俳優」と称える。「芝居は“人間とは何か”を見せるアナログな行為だと思う」「デジタル化してそういう感覚が希薄になる世の中でも、慎太郎にはどこまでも生き物として歩んで欲しい」と背中を押す。そのエールに応えるように、安西も「生き物になれる最大のチャンスが『象』だと思って取り組みたい」とコメント。「たぶん今までの僕で演じても意味がない」「ひとつ殻を破って新しい自分を手に入れたいですね」と愛想笑いが癖になっている繊細な人物像になり切る決意を語った。公演は4月6日(水)〜17日(日)に、神奈川・KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオにて。チケットの一般発売は、3月27日(日)10時にスタート。取材・文:岡山朋代
2022年03月23日神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってからまもなく3カ月。四十九日にあたる2月4日の翌日には、沙也加さんへ追悼メッセージを寄せることのできる専用ページが開設され、絶え間なくメッセージが届いているという。そんななか、母の松田聖子も悲しみの淵からふたたび歩き始めていた。休止していた音楽活動を再開するのだ。「聖子さんは3月7日に、4月と5月に中止していたディナーショーの振替公演、6月から全国アリーナツアーを行うことを発表しました。先日ファンクラブ会員向けに配布した会報誌では、『悲しんでいるだけではいけない』という新たな決意が書かれていたそうです。還暦を祝う周年イベントについても計画していると聞いています」(音楽関係者)3月10日に還暦を迎えた聖子。80年に歌手デビューを果たしてから、42年にわたって“生ける伝説”として芸能界に数々の革命を起こしてきた。しかし、意外にも“満場一致”のデビューではなかったようだ。聖子がデビューから約10年間にわたって所属した事務所「サンミュージック」の名誉顧問である福田時雄(91)は、本誌3月22日号でこう述懐している。「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成っした。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね」そんな試練を乗り越え80年4月に「裸足の季節」でデビューすると、またたく間にスターの仲間入りを果たし、3枚目のシングル「風は秋色」(80年10月発売)から26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」(88年9月)まで24曲連続でオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得するという偉業も成し遂げた。デビュー同年に入れ替わるように引退した山口百恵が大人な路線を進んだのとは対象的に、「ぶりっ子」と言われることもあるほど可愛らしさを体現した聖子。“アイドルの原点に立ち返った”とも評されることのある聖子だが、同時にアイドル界に変革を起こしてきた。「聖子さんはデビュー前から憧れていた郷ひろみさん(66)と数年間交際しました、85年1月に突如会見で破局を発表。会見で『生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った』と泣きながら語った聖子さんの姿は、当時、多くの人々に衝撃を与えました。そして、破局報道の熱も冷めやらぬ同年2月に神田正輝さん(71)との交際が発覚。そのまま4月に婚約を発表し、6月に結婚式を行いました。挙式には数え切れないほどのマスコミが殺到するなど、全国民がその一挙手一投足に注目していました」(ベテラン芸能記者)本誌も新婚旅行で訪れたハワイで、ボートの上で神田と抱擁を交わす聖子の姿を目撃している。そして、聖子にとって無上の喜びとなったのが沙也加さんの誕生だ。神田と結婚した翌年の86年10月に沙也加さんが誕生すると、あまりの注目ぶりから病院で出産会見を開くという異例の事態に。当時は異例であったが、聖子は出産後もトップアイドルとしてヒットを飛ばし続け、「ママドル」という言葉を生むなど、日本の女性の生き方にも影響を与えた。89年に契約満了に伴い事務所を退所すると、聖子は活動の場を海外へ移すように。同時にこの頃から楽曲のセルフ・プロデュースも手掛けはじめ、96年の作詞作曲も務めたシングル『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』では久しぶりのオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得し、自身で新たな代表曲を作った。97年1月に神田と離婚し、6歳年下の歯科医師との再婚と離婚を経て、12年6月に医大の准教授と3度目の結婚をするなどプライベートでは数々の変化があった聖子。そんな聖子に大恩人との別れが。13年5月に“育ての親”であったサンミュージックの相澤秀禎さんが亡くなったのだ。89年の退所をめぐって絶縁が報じられるも、00年代にはふたたび親交を深めるなど固い絆で結ばれた2人。それ故、5月28日に行われた相澤さんの通夜に姿を見せた聖子はかつてないほど憔悴していた。そんな、聖子を支えていたのが、愛娘・沙也加さんだった。通夜に参列した沙也加さんは、聖子の手を繋いで隣に寄り添うなど、悲しみにくれる母を終始、気遣っている様子。相澤さんと対面し、涙を流す聖子の背中に沙也加さんがそっと手をそえる一幕もあった。恩人との別れを乗り越え、その後は新機軸となる全編ジャズで構成されたアルバムを発表するなど、精力的な活動を続け、20年にはついにデビュー40周年を迎えた。歩き始めた“最強アイドル”聖子の歌声は、待ち望んでいた人の心を明るく照らすことだろうーー。
2022年03月12日「コロナ禍もあって、松田聖子さん(59)は沙也加さんの所属事務所社長でもある実兄と相談し、お別れの会を行わないことを決めたといいます。その代わりにウェブ上で沙也加さんにメッセージを送ることができる専用ページを開設したのです。すでに相当数のメッセージが届いており、聖子さんも定期的に目を通しているといいます」(音楽関係者)神田沙也加さん(享年35)への思いを届ける専用ページが開設されてから1カ月。実はもう一つ沙也加さんへのメッセージが届いている場所がある。沙也加さんのインスタグラムだ。生前、最後の投稿となった昨年11月18日のものには、次のような言葉が並んでいる。《さやちゃん入試頑張ってくるね!!さやちゃんのお陰で辛いことも頑張れた》《忘れたことなんてないですこれからもずっと思い続けるね》《さやちゃんの笑顔で今を生かされてる気がしています。笑顔をありがとう》「沙也加さんの死後、インスタには思いをつづるファンのコメントが殺到。日に日に増え続け、3月4日時点でコメント数は3千件を超え、いいね!の数は5万2千件にのぼっています」(芸能関係者)訃報から数カ月たった今も途切れぬファンの沙也加さんへの愛。喪失と向き合う聖子のことも救っているようだ。「聖子さんはインスタのコメント欄もよく見ているそうで、5万人もの人がいいね!を押してくれたことに感謝しているそうです。また専用ページとともに、ファンがつづった娘へのコメントを見ることで、聖子さんも励まされているといいます」(聖子の知人)聖子を癒すインスタのコメント。日本グリーフ専門士協会代表理事で公認心理師の井手敏郎氏は、故人が遺したSNSについて「見るのが辛くて閉じてしまう人もいる」としながら、こう解説する。「亡くなった方のSNSを“閉じられない”という感覚の遺族の方がむしろ多くいます。デジタル遺品を扱う難しさもありますが、それ以上に肉体に加えて、子供が遺したSNSまでなくなったら、生きた証まで失われてしまうという気持ちがあるからでしょう。亡くなった方の生前の頑張りに触れられる場所は遺族の支えになると思います。聖子さんも沙也加さんへのメッセージを見て、“こんなに応援されていたんだ”と自分の知らなかったことに触れることで、癒されていくのではないでしょうか」前出の知人は言う。「聖子さんは今後も沙也加さんのインスタを閉鎖する考えはないそうです」5万人以上の沙也加さんへの愛を胸に、聖子はまた前を向く。
2022年03月04日女優の花總まりが、『銀河鉄道999 THE MUSICAL』で故・神田沙也加さんに代わりメーテル役に決定したことが7日、明らかになった。同作は松本零士による同名漫画のミュージカル化作。少年・星野鉄郎が永遠の命を求めて銀河を旅する物語で、キャラクターの葛藤や成長を通して「限りある命だからこそ美しく尊い」というメッセージを伝える。ミュージカルオリジナルのエピソードも加えて、宇宙への旅立ちから別れまでを完全版として描く。主演に中川晃教、鉄郎とともに銀河を旅するヒロイン・メーテルを神田沙也加さんが演じる予定だったが、神田さんが昨年12月18日に急逝したことから、今回花總がメーテルに決定した。花總は宝塚歌劇団出身で、歴代最長記録となる通算12年3カ月間、雪組娘役トップスターとして活躍した。退団後も大作ミュージカルに主演し、2016年には菊田一夫演劇賞大賞を史上最年少で受賞した他、読売演劇大賞優秀女優賞、松尾芸能賞女優賞などを受賞、2022年10月〜2023年1月には主演ミュージカル『エリザベート』の上演を控える。神田とはミュージカル『1789 -バスティーユの恋人たち-』で共演している。今回の発表に際し、花總、中川、そして神田さんの所属事務所であるローブ 代表取締役 蒲池光久氏がコメントを寄せた。公演は日本青年館ホールにて2022年4月8日〜4月18日。○花總まり コメントこの度、『銀河鉄道999 THE MUSICAL』に神田沙也加さんの代役としてメーテル役で出演させていただく事となりました。お話を頂いた時、どうしたら良いのか判断がつかず、とても悩みました。けれども、もしこの公演が中止になってしまったらさーやの舞台への想いも一緒に消えてしまいそうな気がしました。また、このコロナ禍という状況の中で、公演ができなくなるという辛さは私も経験してきました。もし少しでも、誰かのため、何かのために自分が力になれるのであればと思い、とても悩みましたがこのお話をお受けする事にいたしました。沢山の方に愛されたさーや。大好きなさーや、いつも舞台に誠実に向き合っていたさーや。まだ現実として受け止めることが出来ない方も沢山いらっしゃると思います。私も同じです。でも前を向いて進んでいくために。さーやと一緒に、心を込めて精一杯メーテルを生きたいと思います。○中川晃教 コメント再始動という形になった「銀河鉄道999 THE MUSICAL」に向けて花總まりさんがメーテル役の代役を引き受けてくださったことは本作に携わるすべての者を代表して感謝を申し上げます悩みながら決断してくださったその気持ちは何物にも代え難い真実だと感じています銀河鉄道999が動き出す時有限の今を生きる登場人物の一人一人の人生にはさまざまな巡り合わせがあります人や物との出会いもあれば思わぬ現実に遭遇することもありますその時々に心がどのように動くかで未来はきっと大きく違ってきますこの宇宙で〝沙也加〟という名の星が輝いてくれている限り私たちの目的地を照らし見守ってくれているそう思わせてくれた花總まりさんへの心からの敬意と共に感謝の気持ちで再び公演へと向かって参ります○ローブ 代表取締役 蒲池光久氏 コメントこの度の事態ではキャスト・スタッフ、そして関係者の皆様に大変なご迷惑を おかけいたしました。深くお詫び申し上げます。花總まりさんは神田が憧れて目標にしていた大先輩です。共演歴もあり"花ちゃん"と呼ぶほど慕い、また大変可愛がっていただきました。予期せぬ状況の中で、突然のお願いを真摯に捉えていただき、神田に対する想いのみならず、多くの皆様方に対するお心遣いに感動いたしました。そしてメーテル役をお引き受けいただき、心からのご承諾のご返事をいただきましたことに深く感謝申し上げます。メーテル役を花總さんと一緒に演じられることを、きっと神田もこの上なく喜んでいることでしょう。改めまして公演の盛況をご祈願いたしますと共に、謹んでお礼とお詫びを申し上げます。
2022年02月07日