今回のテーマは「親の期待のかわし方」である。誠に残念かつ遺憾、慙愧の念に堪えないのだが、当方、親にこれといって期待をされた記憶がない。この連載では、今まさにゴミ箱に頭を突っ込んでいる最中の人に対し「成功の秘訣は?」と聞くようなテーマがたまに寄せられるのである。○かんぴょうと酢飯からフレンチは生まれるか子どもに大した期待をかけない親のことは後ほど触れるとして、その対極にある「子どもへ過度な期待を寄せる親」というのも、何を考えているのかわからない。もちろん、自分たちが博士や大臣、松坂牛であるというのなら、子どもに同じような将来を望むのもまあわかる。だが、父がかんぴょうで母が酢飯なら、子はかんぴょう巻になることは大体予想できることであり、「シェフの気まぐれフォアグラテリーヌ~季節の野菜を添えて~」になれ、というのは酷なことである。原材料が自分たちであるということを忘れているんじゃないかと思う。もちろん、材料はともかく調理(教育)次第でどうとでもなるという意見もあるだろう。確かに、平凡な両親から偉人が生まれる例もあるが、残念ながらかんぴょうをフォアグラにするより、フォアグラを残飯にする方が簡単なのである。むしろ過度な期待と教育でかんぴょう巻にすらなれなれず、もはや「料理」というより「一般には理解されない系アート」みたいになってしまうこともままある。しかし親バカと言う言葉があるように、可愛さ故に、自分の子どもが実際より優れて見えてしまうのは、ある程度仕方のない事なのかもしれない。その点、私の両親が私に望んだことは一貫して「安定した職につき、豊かでなくていいから食べるに困らない生活をしてほしい」という、実に最低限かつ堅実なものであった。この決して高くないハードルを「売れない漫画家になる」という形で華麗にくぐって見せたものだから、もはやうちの親は私に何も期待していないだろう。おそらく、元々低かったハードルの高さが「逮捕はされるな」もしくは「実刑だけは食らうな」くらいにまで下がっていると思う。親の期待通りに育つことも親孝行かもしれないが、親に期待させすぎないことも立派な孝行であると思う。とはいえ、突然親の期待を裏切ってはいけない。どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子がいきなりパンツ泥棒で捕まってニュースに登場するのは、これ以上ない親不孝だ。徐々に、親自身もいつ諦めたかわからないぐらい、自然に諦めさせなければいけない。つまり、何かやってしまった時、親に「まさかうちの子に限って!」などと言わせるようでは親不孝なのだ。無表情で「やはり…」と言わせるのが真の親孝行である。○親孝行はコツコツと、が鉄則正直に言うと、私は中学生の段階では勉強ができた。この「中学生まで」できた、モテた、という実績がいかにその後の人生の足を引っ張る要素であるかはまたの機会に言いたいと思う。とにかく、中学生時点ではまだ親に期待されてもいいぐらいだった。しかし、もうその時点で、親は私に期待というより不安を抱いていたのだ。何故なら、中学に入ってすぐ、担任が抜き打ち家庭訪問に来るという珍事が起こったからだ。それも、「いつも一人でいる」という理由で。一切仕込みナシの訪問だったためもちろん私も家におり、担任が親に「私には友達がいない」と話すのを、隣室からライブで聞いていたのだ。その時、手近なところに金属バッドがなくて本当に良かったと思う。本件、私も痛かったが、親にとっても激痛だっただろう。例え成績が学年1位でも、「こいつはヤバい」と思わせるのに十分な惨事であった。親にとって、自分の子が「勉強ができない」あるいは「運動ができない」と言われるよりも、「友達が作れない」と言われたほうがダメージは大きいのだ。本当に親を期待させたくなかったら、いかに人間的にヤバいか、社会性がないかをアピールすることが肝要なのである。その点、私は齢7歳で、親に「お前は被害妄想が強い」と断じられたエリートである。もちろん7歳であるが故に意味はわからなかったが「おっ! 今何かすごいこと言われた!」という記憶だけはある。他にも、友達がいないことはもちろん、片づけができない、もらった小遣いをすぐ使うなどまともな大人になれない要素満載であり、実際まともにならなかった。成人するころには、「頼むから他人に迷惑をかけないでくれ」くらいにまで親の期待値は下がっていたと思われる。時は流れて現在。私は前科もなく、屋根のあるところに住み、リボ払いやキャッシングはまだしていない(数十年の住宅ローンはある)状態である。つまり今、親は「思ってたよりは良く育った」と思っているはずなのだ。幼少のころからコツコツ親をがっかりさせたおかげで、今では立派な孝行娘というわけである。しかし、世の中には、意識しなくても成績優秀、運動神経抜群、人望も厚く異性にもモテてしまい、親にどうしても期待させてしまうという人もいるだろう。そういう方は、一点だけで良いので、親に不安を抱かせる要素をチラ見せしておけば良いと思う。男性ならお母さんより年上の熟女が登場するDVDを大量に隠し持つとか、女性なら男児用白ブリーフ(未使用)をコレクションしてみるとか、「法には触れてないが、そのうち何かしでかしそう」な雰囲気を出すのだ。つまり、親を安心させきってはいけないということである。いつか悪い意味で新聞に載ってしまう日に備え、平素は孝行者でも「いつ爆発するかわからないニトロを積んでいる」ということだけは、ちょくちょくアピールしておくべきなのだ。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年3月29日(火)掲載予定です。
2016年03月22日今回のテーマは「地方でオタクをやることのメリット・デメリット」である。カレー沢は地方のオタクである。ソシャゲに課金し、ピクシブを一日中巡回して暮らした、と、まさかの二回連続メロス引用による開幕である。しかしこれは私の表現力が低いのではなく、太宰がすごすぎるのだ。○地方はオタクにとって「マッドマックス」私は地方の生まれであり、生まれてこの方地元を出たことがない。おそらくこれからも、離婚や家の全焼、あるいはそれに類するようなよほどのことがない限りは出ないだろう。私の地元は住むには良い所だが、オタクとして活動するにはデメリットしかないようなところである。特にネットが普及する以前はひどく、当時坊主頭に麦わら帽子をかぶった中学生だった私はセーラー服の袖口を鼻水でカピカピにしながら、「コミケってどんなところだっぺなー」と、るろうに剣心あたりのキャラを模写しながら夢想したものである。同年代の女子が渋谷や原宿に憧れていたころ、私は一人ビッグサイトを思い描いていたのだ。人生というものは、割と早い段階から勝負がついているという好例である。都会住みでも、中学生から同人活動をしている人間は少ないだろうと思われるかもしれないが、おらが村に関して言えば本屋すらなかった。同人活動をする以前に、漫画等、萌えの燃料の補給場所すらなく、オタクにしてみればマッドマックス級に荒廃した世界観だったのだ。辛うじて、菓子や文房具を併売しているような個人書店で「週刊少年ジャンプ」ぐらいは読めたが、そこには10年前に刊行されていた漫画の単行本がさも最新のタイトルであるかのように並べてあり、それすらも何故か5巻だけ置いてあるという地獄の様相であった。よって最新の単行本を手にいれようとしたら、田舎の小中学生の大半が着用を義務付けられているヘルメットという名の兜に、蛍光色のチョッキという鎧をまとった上、ジープ(自転車)に跨り、「ヒャッハー!」と狸や鹿、果ては老人などが跋扈する荒野を30分ほど走って、緑の都(隣町のやや大きめの本屋)を目指さなければいけないのである。そして「チャリで来た」と宣言しながら店内に入り目当ての漫画を探すも、田舎の本屋には変わりないので、目当ての物はないことの方が多い。その場合は当然また30分かけて撤収だ。そしてその漫画を手に入れるには、静まりかえった店内で欲しい漫画の名を店員に告げて、待つこと数週間。荒野を1時間かけてもう一往復し、目的のブツを強奪しに行かなければならないのだ。○「キンプリはいい」かどうか確かめられない理由このように、ただ漫画を買うのにもエクストリームな行いが必要だった時代に比べると、通販で大体の物が手に入るようになった今、オタクにとっての地方格差はずいぶん解消されたと言える。しかし、イベント事、またはその場でしか手に入らないグッズなどの入手に関しては未だに歴然とした差がある。中学生の頃憧れたコミケは未だに憧れのままであり、21世紀になった今でもビッグサイトの方がこちらに来たということは一度もない。それに、やれ好きな漫画が舞台化するだの、声優がコンサートを開くだの言われても、我が村の公民館でやることはまずなく、大体都心での開催である。また、アニメ映画などもちょっとコアなものになるとこちらでは上映されない。今話題のアニメ映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(キンプリ)も当然こちらでは未上映だ。しかも「キンプリってどんなの?」と鑑賞済みの他人に聞くと決まって「見ればわかるから、見ろ」と新興宗教に目覚めたブルース・リーみたいな顔で言われるのだ。だがこちとら見たくても見られない。世の中にはスターウォーズとワンピースしか上映せず、ミニシアターでやってるようなマニアックな映画を見て周りに差をつけたいサブカル野郎が憤死するしかない不毛の地があるのだ。悔しいので「キンプリってキングプリムゾンの略か」と100億人ぐらいが考えつきそうなことを言ったら、「キンプリを馬鹿にするな、不思議なプリズムで消すぞ」と怒られた。本当に地方のオタクに良いことはない。そして、オタクはどこ住みでも怖い。○1キロ先のにぎりめしと、ガンジス川のまんじゅうそれでも無理やり、地方でオタクをやることの利点を挙げるとすれば「諦めがつきやすい」という点だと思う。いくら都心住みでも、行きたいイベントに全て行き、買いたいものを根こそぎ買えるわけではないだろう。やはり時間的、経済的理由で断念せざる得ない場合もあると思う。その場合、行ける距離であればあるほど諦めがつかないものである。例えば、1キロ先の路上に握り飯が落ちていると聞けば、ほとんどの人が拾いに行って食うと思う。しかしインドのガンジス川にまんじゅうが浮いていると聞いたら、ちょっとは考えるが「さすがに無理だ」と思うだろう。地方のオタクにとって、都会のイベント事は「ガンジス川のまんじゅう」のようなものであり、最初から食うことを諦める姿勢をとる。たまに一念発起して拾いに行くぐらいのものだ。逆に、都会のオタクにとって、あらゆる都会のイベント事は「拾える距離にある握り飯」といえるだろうが、落ちている量があまりにも多すぎて、全部拾いには行けず、どの握り飯を諦めるかを考えなければいけない。だったら、最初から絶対拾いにいけない場所にあった方が良かったと思うだろう。かといって、「地方のオタクは誘惑が少なく経済的」かと言うとそうでもない。たまに「ガンジス川のまんじゅう」を拾いに行くためにおびただしい額の金を使うからだ。私にとって未だコミケはグランドラインぐらい遠い存在だが、同人デビューは去年果たした。巷では「同人は儲かる」などと言われているらしいが、活動にあたって必要な支出に「同人誌の印刷費」だけでなく、「飛行機代」、「宿泊代」が加算される時点で「お察しください」と言うしかない状態である。結局、都会だろうが地方だろうが「オタクは金がかかる」という点だけは共通している。やはりニコ動で無料アニメを見て、完全無課金プレイヤーなのにソシャゲのメンテ遅延に激怒し、邪智暴虐の運営を除こうとしているぐらいがちょうどいいのかもしれない。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年3月22日(火)掲載予定です。
2016年03月15日今回のテーマは「暴力からの卒業」である。まるでヤンキーの更生話のようだが、「カレー沢暴力」を名乗ってすでに2カ月、そろそろ面白くもなんともなくなってきているから戻しては、という提案であろう。正直言って、全然卒業したくない。暴力に留年しまくりたいと思っている。○実は多い「二つ名」の作家たち「カレー沢暴力」、やはり惚れ惚れするほどカッコいいペンネームだ。さすが他人が考えたものをパクってきただけのことはある。「カレー沢」というペンネームの唯一の利点は、エゴサーチがしやすいというところだ。確かな情報筋によると、ペンネームにカレー沢という苗字を持つ作家は日本に私一人らしい。自分の名前に「カレー」を入れると言うセンスの奴が2人も3人もいたら、いよいよ日本終わった感が漂うので、ひとまず安堵である。下の名が「薫」でも「暴力」でも、カレー沢である以上、エゴサのしやすさは変わらない。ならばカッコいい方を選ぶのが道理と言える。しかし、前も言ったが、ただでさえ無きに等しい知名度を、「薫」と「暴力」で分散させてしまうリスクを考えると、今のうちに「薫」に戻した方が利口ではあるだろう。だが、ペンネームを複数もっている作家というのは、実はそんなに珍しくない。成年向けやボーイズラブ漫画を描く時は別名義にする、という作家も多くいるのだ。よって、私も上記のような仕事が来た際には「暴力」と名乗れば解決である。しかし、ここで新たな問題が浮上する、私に仕事をよこす成年向けやBL誌がこの世に存在しないのだ。仮にいたとしても、私に仕事をふってくるようなところであれば、すぐにこの世から消滅するであろう。どうやら出版社には、皆既月食の如く数年に1度、編集や編集長の判断力が最も鈍る瞬間があるらしく、そういう時に私にお呼びがかかるのだ。とはいえ、どれだけ編集部全体が集団インフルエンザ状態でも、絵の上手さが特に重視されるだろう成年向けやBL方面からのオファーが来るとは思えない。ハレーすい星ぐらいの周期でならそういう瞬間がやってくるかもしれないが、だとしたら次は2061年ということになり、当方約80歳である。多分寝たきりか恍惚の人状態だろうが、耳元で「カレー沢先生!リブレ出版から依頼です」とでかい声で言ってもらえれば、おもむろにパラマウントベッドから立ち上がり、虚空を見つめていた目に光が宿るであろうから、逆に今から2061年に依頼をしてくれる成年向け、BL出版社を募集したいと思う。○「左のワキ出身のワキ毛」の矜恃しかし、私はよく「私はオタクだがBL好きのいわゆる腐女子ではない」という主張をしている。これは例えるなら、ワキ毛が「私は左のワキ生まれのワキ毛で、断じて右のワキから生えたのではない」と言っているような至極どうでもいい内容だが、「腐女子ではない」と明言している以上、BLの仕事がくるはずないだろうと思われるかもしれない。だが、デビュー前から乙女ゲーの二次創作をし、これだけ乙女ゲーが好きだと言っていても、今まで乙女ゲームの仕事が来たことは1回もない。だったら逆に、思ってもみない依頼が舞い込んできても良いはずだ。それにオタク女界も、BLが好きな女と嫌いな女しかいないわけではない。BLは好きではないが嫌悪感もない者、嫌いじゃないが自分の好きなキャラのBLは受け付けない者など、端から見れば全部ワキ毛であるが、かなり細分化される。メタルやデスメタル、ゴシックメタルを「全部同じ鼻毛じゃないか」と言ったら怒り出す人がいるように、ワキ毛にはワキ毛なりの棲み分けがあるものなのだ。私などは積極的にBLを見ることはないが、何か落ち込むことがあった時などに「ここは一発エグイBLでも読んでみるっぺか!」と景気づけBLを飲る(やる)ワキ毛である。話を戻すと、作家がどれだけ「この雑誌でこういう漫画が描きたい」と思っていても、なかなか実現するものではない。それができるならとっくにジャンプで描いている。結局、需要がないから話が来ないだけなのであるが、これではいつまでたっても「カレー沢暴力」が正式に名乗れない。2061年には名乗れるとしても、すでに鬼籍に入っている恐れもある。暴力を名乗れずに死ぬなんて、地縛霊になること必至だ。そこで、別名義を名乗る定義を持って広くしようと思う。今までいろんな雑誌で漫画を描かせてもらったが、ほぼすべて青年誌だ。なので、もういっそのこと、青年誌以外の依頼があったら「暴力」でいくことにする。というわけで少女漫画誌からなどの依頼を待ちたいと思うが、前に「少女漫画誌で描きたい」とつぶやいた後に連絡をくれたのは漫画ゴラクだったので、はっきり言って望み薄である。それに、よく考えてみたら、本名と違う名前を名乗れるのはペンネームやハンドルネームだけではない。例えば、大好きだと言い続けている乙女ゲーがまさにそれだ。灯台下暗しとはこのこと、青い鳥は割と近くにいたのである。よって、これから乙女ゲーをプレイする時は、ヒロインの名前を一律「カレー沢暴力」とする。2次元のイケメンに「好きだカレー沢…」「愛してる、暴力…」と囁かれながら、青年誌以外のオファーを待ちたいと思うので、何卒お願い申し上げる。―カレー沢暴力拝―<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年1月5日(火)掲載予定です。
2015年12月29日今回読者から寄せられたテーマは、「なぜ女は金と時間をかけてまで美人になりたいのか…ブサイクはいやなのか… 哲学的な内容ですが、カレー沢先生に尋ねてみたいです」である。○美しくなりたい=男にモテたいではない深いテーマだ。私も今でこそ体全体で「諦め」という文字を表現してしまっているが、20代の頃は美しくなりたかった。今でも美しくなる努力はしたくないが、神に「美しくしてやろう」と言われれば「まあお前がそう言うなら」と甘んじて受け入れ、美しくなるつもりである。だが、美しくなりたい=男にモテたい、という結論は短絡的だ。男だって、ギターを始めた、などの行為を全部「女とやりたいからだろう」で片づけられたら、手にしたギターを弾くより先に、そいつをぶん殴ることに使うはずである。とはいえ、この手の決めつけには、女のほうがより激しく怒る傾向がある。もしダイエット をしている女に「モテようとして」などと言ったら、「このガール様が男にちやほやされるために痩せようとしていると思っているのかァーーーッ!!」と、ジョジョの岸部露伴並みにキレること請け合いである。そう、美しくなろうとするガール様の志は「男にモテたい」などという些末なものではなく、もっと高く広いものなのだ。つまり、「美しくなれば全部うまくいく」と思って美しくなろうとしているのである。当然、その中には「男にモテる」も含まれている。こう言うと、「美人だからと言って全てが上手くいくわけではない。むしろ美人ゆえの苦労もある」と言われるかもしれないが、こちとら美人になったことがないからわからないのである。石油王に「いや、石油があるのも大変だよ」と言われてもこちらは「石油がある苦労」というが全く想像できないのと同じだ。それに、努力し美を手に入れ、「美しくはなったけど、何も変わらなかった」とわかるならまだいいが、大体の女が途中で挫折し、「美しくなれさえすれば人生変わったのに」と一生言い続けながら死ななければいけないのである。しかし、当然ながらすべての女が美を求めているわけではない。シケモクのごとく燻っている現状を打破する神の一手として美を選んだにすぎず、キャリアアップのために勉強をはじめたり、インドに行ってみたり、とりあえずインテリアを北欧風にしてみたりと、方向性は様々だ。○「ありのまま」が引き寄せる不幸それでは一体何が欲しいのだと問われると、それは「自信」な気がする。もっと端的に言えば「自分を好きになりたい」のだと思う。一生自分として生きていかなければならないのに、自分が嫌いというのは不幸とも言える。とはいえ、超高校級のブスあるいはバカ、ブスバカ界ぶっちぎりのドラフト一位で、全監督が獲得のために生放送の中でも殴り合いを始めるような逸材としてこの世に生を受けたとしても、不幸になるとは限らない。毎朝鏡にうつった自分に「やあ、今日も神がかってブスだね…」と言い、呼吸を止めてうっとり3分ぐらい自分と見つめ合い、最後にキッスしてから出勤するというならブスでも人生明るいと思う。一方、美人でも自分の顔が嫌いで鏡もまともに見られないというなら不幸だろう。つまり、美しくなる=自分を好きになれる=自信がつく=人生が良くなる、という方程式から、女は美を求めるのではと推察される (先述の通り求めるものは必ずしも美ではなく、インド放浪やキャリアアップなどでもいい)。この反動がいわゆる「ありのままの自分を愛せ」という風潮につながるのだと思うが、「美人になれば幸せになれる」という考えが浅はかなら、「ブスでも馬鹿でも自分が自分を好きならオールオーケーハッピー」という考えも疑ってかかるべきだろう。「美人ゆえの不幸」が存在するというなら、「自分が好き故の不幸」もあるはずだ。まず、自分が好きな人間は他人が自分に寄せる好意も疑わないであろうから、だまされやすいとも言える、その点、自分に自信がない人間は慎重である。うまい話は全部罠だと思っているし、話しかけてくる男は全部、キャッチか宗教だと思っている。もしイケメンに名前を尋ねられることでもあれば、まず「私にお金はありません」と中学生英語の直訳みたいな返答をしてしまうのである。また、突発的な不幸に対し、常人なら「なぜ自分がこんな目に…」と自らの不運を嘆いてしまいがちだが、自己評価の低い人間だと「まあ俺ごときの人生!こういうことも起こりますわいな!」と、突然の不幸を「必然」として処理できてしまう。そういう人生が楽しいかと言われれば「否」かもしれないが、そう生きることが一番楽と感じる人間もいるのだ。「美人になって幸せになった」「インドに行って人生変わった」という人がいるのも確かだろうが、「すべてを諦めることにより、人生楽になりました」という人がいるのも事実であり「〇〇して人生良くなった」の〇〇は自分で見つけ出すしかないのである。しかしこの「完全に諦める」という行為こそが一番難しい。私も見た目的には完全に「終わっている人」だが、実はまだ人生逆転できる一打を求めており、今はどの壺を買うのがベストか、模索しているところである。<作者プロフィール>カレー沢暴力漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は12月15日(火)昼掲載予定です。
2015年12月08日小悪魔agehaで活躍中の華沢友里奈ちゃん♪今回は、いつもと違った上品なお姉さんな雰囲気が出せるメイクを紹介してくれました!甘顔は卒業して、ちょっとキツめな大人なお姉さんフェイス手に入れたい!そんな方必見です。メイクのコツ・ポイント最後にアイホール全体をブラシでぼかしていくことでアイシャドウが綺麗に馴染む。目尻のラインは跳ね上げて大人っぽく。目尻部分が長めで、濃いめのつけまで目元を印象付ける。付け終わった後に、形を整える。赤リップの上からグロスを重ねてツヤ感をプラスする。このメイク動画のノーカット版と使用コスメ詳細を見る
2015年10月11日女優の武田梨奈と吉行和子、俳優の小林豊、大森研一監督らが16日、東京・都道府県会館で行われた宇和島伊達400年記念映画『海すずめ』(2016年初夏公開)の製作・出演者発表会見に出席した。本作の舞台は、大森監督の故郷である愛媛・宇和島市。故郷への愛を込めたオリジナル脚本をもとに、愛媛の自然を存分に映す。図書館に勤務し、宇和島の街を自転車で走りながら市民の自宅に本を届ける主人公・雀(武田)が、勤務先の同僚(小林)たちと共に、人々とふれあい、成長していく姿が描かれる。発表会見に登壇したのは武田、吉行、小林、大森監督、宇和島伊達家13代当主・伊達宗信氏、宇和島市長の石橋寛久氏の6人と愛媛県ご当地ゆるキャラ"みきゃん"。まず、大森監督が「今月末からクランクインとなります。ご当主との出会いから始まり、愛媛県のみなさんや関係者のご協力を得て」と神妙な面持ちであいさつした。武田は「今日初めてキャストのみなさんと会いました」と明かし、「台本を読んだ時に、愛のあふれた作品になると確信しています。宇和島は初めてですが楽しみにしています」と気合十分。小林は「撮影を終えて帰る頃には宇和島っ子になれるよう頑張りたいと思います。みかんを食べまくって、お肌プルプルで帰れれば」と明るく語った。パティシエの特技も持つ小林。「宇和島でオリジナルのレシピを考えたい」と映画とは異なる話題で会場の笑いを誘う。「みかんを食べすぎて手が黄色くならないようにしようと、武田さんと話していました!」と発言すると、すかさず大森監督から「そこはプロとして、よろしくお願いしますよ」とツッコミが。物語のキーパーソンとなる老人・トメを演じる吉行は「本当に良いお話で、記念すべき年にすてきな作品に出れてうれしい。楽しんで役に臨みたいと思います」と意欲的。続けて、「私が演じるのはおばあちゃんなんだけど、トメさんが恋をする頃には私は恋をできる年齢ではなかったことだけはお伝えしておかなければ…」と、ベテラン女優ならではの余裕の言葉で会場を和ませた。そんな吉行と初共演となる武田は「吸収したいことだらけで、すごく緊張しています。今も手汗が…」とタジタジな様子だった。石橋氏は「仙台伊達政宗の長男・秀宗が宇和島に入り、宇和島伊達藩を400年前に作りました。今年が記念すべき400年目となり、市をあげて400年祭を行っております」と宇和島の歴史と現況に触れ、「そんな記念すべき年に映画製作を行えるのは、うれしい限りでございます」と歓喜。製作のきっかけとなった13代当主の伊達氏は「西の伊達ここにありと全国に宇和島の良さを発信できればと思います」と誇らしげに口にした。昨年、セゾンカードのCMで披露した"頭突き瓦割り"で多くの人に知られる存在となった武田。この日は頭ではなく、正拳突きで板を豪快に割って見せ、会見場は大盛り上がり。空手有段者の実力を目の当たりにした共演者も驚いていた。
2015年09月17日今回は、「夫が私の仕事についてどう思っているか」である。○カレー沢氏、夫に仕事のことを聞く…?「旦那が怒ったところを見たことない」とか、「ケンカしたことない」などと円満夫婦をアピールする女の家ほど、旦那の一方的な我慢のみで成り立っていたり、もはや相手が怒る気力すら失っている場合が多いのだが、おそらく夫が私に言いたいことは2万個ぐらいあると思う。その内、どうしても我慢しきれない、1、2個を注意してくることはあるが、残り1万9,998個は我慢していると思われる。主に、「自分の部屋をきれいにしろ」「トイレをキレイに使え」と言われ続けてきたが、最近では「頭をちゃんと洗え」という、とてつもない注意が追加された。しかも「言いにくいんだけど」と前置きがあってからのこの注意であり、まさに「業を煮やした」結果である。おそらく私の肩に季節外れの粉雪が降り積もっているのを見続けた末の事であろうが、30をとっくに過ぎた自分の妻にこんな注意をするのはさぞ情けなかったであろう。しかし、自らの名誉のために言わせてもらえば、風呂には毎日入っているし頭も洗っている、ただ私のフケがそれを凌駕しただけなのである。なので「貴様の妻は頭もろくに洗わないズボラな女というわけではなく、ただ1日1度の洗髪ごときではどうにもならない選ばれしフケ症なだけだ」と反論したくなったが、悲しみの種類が変わるだけなのでやめておいた。このように、私の生活態度については言いたいことが山ほどあるだろう夫であるが、漫画の仕事に関しては、ほぼ何も言ってきたことがない。今回のテーマは当初述べた通り「夫に私の仕事についてどう思っているか聞く」というものであったが、そんなことを聞いた日には、仕事の話は2秒で終わって、あとはここぞとばかり、私の素行に関する小言になるに決まっている。いくらネタのためとは言え、それは虎児を得ようとして虎のケツの穴に頭を突っ込むぐらいの危険行為なので、今回はなしとしたい。○漫画家の妻と暮らすと起こる事柄私が漫画家になったのは、夫と結婚する1年ぐらい前からだ。その時から彼は一貫して「好きなようにやればいい」と言っており、私はそれを真に受け、好きなように漫画を描き、文章を書き、トイレをフリーダムに使い続けてきたが、怒られたのはトイレの使い方だけである。また、「協力できることがあればするが、ないだろう」とも言っていた。確かにない。漫画家というのは「何かネタくださいよー」などと簡単に言う癖に、いざ相手がこんなのどう?とネタを出してくると「そんなの使えないよ、これだから素人は」と言いだす、100万回殺しても殺し足りない生き物なので、そんな会話を夫婦間で繰り返していたら、離婚どころか傷害事件が起きる。それに、私が漫画家だからと言って特殊なことが起こるわけでもない。地方住みなので、家に編集者が来るということもないし、完全一人作業なのでアシスタントが来ることもない。ただ、妻が会社と寝る以外の時間、ずっと自室にこもってパソコンに向かっているだけなのである。つまり、私が漫画家ではなくただのネトゲ廃人でも、彼にとっての生活自体は変わらないのだ。唯一の恩恵は、私の漫画の掲載誌が毎回送られてくるので、漫画には困らない生活が出来るという点ぐらいだ。例え自分の連載が終わったとしても、その元・掲載誌を継続して送ってもらえる場合が多い。私としては、自分不在の雑誌が延々送られてくるという若干切ない状態なのだが、夫としては、他の作品が読めればそれで良いのだろう。このように、お互いのことにあまり干渉しないのと、夫の1万9,998個の我慢により、特に揉めることもなく生活している。○好きなことが仕事になったら、それは仕事であるしかし、これが「好きなようにやれ」だけでなく「好きなことをやらせてやるんだから、その分家事はちゃんとしろ」とかだったら話は180度違う。これは漫画家だけに関する話ではないが、「好きなことを仕事にしている以上、他のことは我慢すべき。苦労は当たり前」という不思議な理論がこの世に存在するのだ。例としては、「好きなことをしているんだから低賃金でもいいだろう」「休みがなくても我慢すべき」などという主張である。夢を叶えた奴は何かハンデを背負うべき、という恐ろしい話なのだが、それで食っている以上は、好きな事をしているわけではなく仕事をしているのだ。それを理由に相手に我慢を強いてはいけないし、それを夫婦間でやりだしたらおしまいである。夫は「協力できることはない」と言っているが、漫画家という職業に限らず、共働き家庭において、「自分のことは自分でやる」以上の相手に対する協力はないと私は考えている。そういう意味では夫は私の仕事に最大限協力してくれているが、問題は私が自分のことを自分でできていない、という状況である、先日夫はついに「部屋を片付けろ」ではなく「俺が片づける」と言って、私の部屋を片づけてしまった。中華料理屋のようにベタついていた床もキレイにしてもらったのだが、それから1カ月もしない内にまたベタベタするようになった。これに関し小言を言われたら「掃除はしているが、それを越える量の脂が私から出るのだ」と言い逃れようと思う。もちろん、掃除はしていないが。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は7月28日(火)昼掲載予定です。
2015年07月21日「カレーが好きなんですか?」カレー沢、などという4歳児が3秒で考えたかのようなペンネームで仕事をしているため、よくされる質問だ。そう聞いてくる相手に対し、私は常に「そうでもないです」と答え、せっかく振ってくれた話題を一瞬で終了させるという名人芸を見せつけていた。カレーはおいしいと思うが、「無人島に何かひとつもって行けるとしたら何を持っていくか」と聞かれて「カレー」と答えるほどではない(それに、いくら好きでもカレーと答えるやつは少し冷静になった方がいい)。それならなぜ「カレー沢」などと名乗っているかというと、私が「中二病」とは逆の、「中二病と言われるのを恐れるあまり病」だからである。はっきり言って、これは中二病より性質が悪い。中二病は方向が斜め上でも何かに向かって全力で突き進んでいるが、後者は人に笑われるのを恐れるあまり、何もしないか、中二病の人間を笑うのにパワーを使ってしまっているのである。つまり、カッコいい凝った名前をつけたら中二病と言われてしまうから、格好はつけずに行こうと思ったのだ。その結果が「カレー沢」である。どう考えても「格好をつけない=ダサい」と勘違いしているネーミングなのだが、照れ隠しのつもりが余計恥ずかしいことになってしまった。どうせ恥ずかしいなら「キャビア沢」とか、もっとカッコいい名前にすればよかったと後悔しきりである。○「孤独のグルメ」よりも孤独な夕食前置きが長くなったが、今回は漫画家の食生活についてである。漫画家とは、おせじにも健康的とは言えない職業だ。睡眠や食事は乱れがちだし、担当を殴るときと、担当を追いかけて殴るときぐらいしか運動していないよって人一倍、健康に気を使っている作家も多いと思うが、私は典型的な「食べること以外楽しみがない人間」なので、食事に縛りを入れてしまうと、もはや何のために生きているかわからなくなってしまう。つまり、食生活に制限を入れて健康になったとしても、「人生に何の楽しみもないのに長生き」という最悪のパターンに陥るのだ。そのため、食については「健康のことはあまり考えない」という方針で行くことにした。もちろん、風呂上がりにコールタールをしこたま飲むとか、積極的に体に悪いものを食べようとしているわけではなく、とにかく毎日好きなものを食べるように心掛けている。しかし、一日中延々と好物を食い続けているわけではない、むしろ、日中はあまり食べない。朝はコーヒーのみ、昼はアサヒフードのクリーム玄米ブランを一袋。会社がある平日はいつもこれだ。夫の健康は無視できないので、会社から帰宅した後、夕飯は毎日作る(ただし味の方は無視している)。帰宅は夫の方が遅いので、いつも一人で先に食べる。夫と同じものを食べることもあるが、それは食べずに全く別の物を食べたりもする。仮に「自分はレトルトのペペロンチーノだけ山盛り食いたい」と思ったら、それなりにバランスのとれた夕食を作っていても夫だけに食べさせ、誰が何と言おうひとりで山盛り食うのである。○人の不幸で飯を食す何を食べるかも重要だが、一番大事なのはシチュエーションだ。漫画「孤独のグルメ」の中に「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで…」という有名なセリフがある。全く同意見であるが、孤独のグルメは基本外食だ。私はもっと孤独に行きたいと思っている。そのために、私は山盛りペペロンチーノを二畳ぐらいしかない仕事部屋に持ち込んで、ひとり閉じこもって食うのだ。そして、食べながらネットサーフィンをする。見るのは大体において、不幸な人のブログだ。不幸と言っても、おしんのように運命に翻弄されて不幸な人ではなく、ギャンブルで多額の借金を抱えたなどの自業自得で不幸な人のブログだ。「人の不幸でメシが美味い」という表現があるが、私は"リアル人の不幸"をおかずに飯を食っているのである。それが本当に美味いのである。心の底から幸せだと思う。色んな意味でお行儀の悪い姿だが、そのプレシャスタイムは山盛りペペロンチーノを食べ終わった時点で終了だ、時間にしたら30分にも満たない。その後は原稿に取りかかり、寝る時間まで原稿。そして寝て起きたら会社、というハードな生活に戻る。しかし、この30分があるから耐えられるとも言える。他人から見たら完全にどうかしている趣味でも、「独りで静かに豊か」になれる時間が、人間には必要なのだ。そんな楽しい趣味にも、大きな欠点がある。「夜にたくさん食べると太る」という定説通り、いくら日中あまり食べなくても、夜に好きなだけ食べていたら太るのである。最近は加齢も相まって、体重増加が著しい。いくら健康は無視と言っても、やはり体重は気になる。だが前述の通り食べるのを我慢すると、生きている意味がわからなくなってしまうので、痩せようと思ったら運動量を増やすしかない。よってこれからは、もっと積極的に担当を殴っていきたいと思うので、各担当氏は全力で逃げていただきたい。お互い運動不足が解消されて、ウィンウィンの関係である。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年06月16日現在当媒体で連載中の兼業作家・カレー沢薫氏が、日常と創作にまつわるエピソードをつづるコラム「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」。このコラムの挿絵にも使われている漫画制作ソフト「ComicStudio」の販売終了が発表され、デジタル漫画制作に関わるクリエイターたちの間で大きな話題となっている。そこで今回は同コラムの番外編として、カレー沢氏にこの知らせを受けた所感を率直に語っていただいた。○ノストラダムスとコミックスタジオ現在漫画制作に使っているソフト「ComicStudio」(以下、コミスタ)の販売が、ついに2015年6月30日をもって終了することになってしまった。※編集注:カレー沢氏の漫画制作については、コラム「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」第4回を参照のこと。前々からコミスタが終了することはわかっていたのだし、それまでに後継ソフトである「CLIP STUDIO PAINT」(以下、クリスタ)に移行すべきだとは思っていたが、今でも私は完全にコミスタしか使っていない。そういう状況の作家は私だけではないだろう。1999年地球が滅亡する、とあれだけ予言されていたにも関わらず、結局みんな地球に住み続けていたのと同じように、みんなコミスタも何だかんだで終わらないんじゃないかと思っていたのではないだろうか。しかし、地球は木っ端みじんにならなかったが、コミスタは予定通り終わってしまった。もちろん終わったのは販売だけで、6月30日になった途端、コミスタが入っているパソコンが爆発するというわけではない。未だにGペンとインクで漫画を描いている作家が存在するように、コミスタで漫画を描き続けることも可能だが、これ以上コミスタが進化することもないし、サポートだっていつまで続くかはわからない。しかし、セルシスだって、コミスタ終了で悶え苦しみ地面をのたうち回る漫画家を笑いたくて、コミスタを終了させたわけではないはずだ(確かに私が泣き叫ぶ顔は面白いが)。後身であるクリスタで、すでにコミスタと同じか、それ以上の働きができると判断して、コミスタを終了させたのであろう。○クリスタ移行への苦難と障壁実は、私のパソコンにもクリスタ自体は入っている。コミスタが近々終了との報を受けて、一応、クリスタに移行しようとしたことはあるのだ。しかし、コミスタとクリスタ、大体同じようなものだろうと思ったら大分勝手が違う。まず、最初の原稿用紙サイズや枚数の設定の仕方がわからない、同じ「Gペン」という機能でも、コミスタのような線が描けずガタガタしてしまう。トーンはどう貼るのか、集中線は…などわからないことだらけなのだ。しかし上記のことはクリスタの機能が悪いわけではなく、私が使い方を理解していないのが悪いのだろう。ダブルクリックのスピードが遅すぎて、シングルクリックになってしまっているジジイと同じく、「おい、これ壊れてるぞ!」と憤慨しているようなものだ。しかし、コミスタだってイチから使い出したのだし、マニュアルをそんなに読んだ記憶もない。よって、描いていく内にクリスタだって使いこなせるはずなのである。○どんなソフトも●●へと変える魔法だが私がクリスタ移行を諦めて、依然コミスタを使っていた理由は機能の問題ではない。単純にクリスタが「重い」のである。「重い」というのは、クリスタのみならず、どんなに優れたパソコンツールをもクソへと変える魔法である。同じパソコンでも、コミスタは滑らかに描けるが、クリスタだと「おや 線画 遅れて 画面に表示されるよ」と、誰も覚えてなさそうなギャグを言ってしまうほど、動作が緩慢なのだ。これではいくら機能が優れていてもダメだ。普通のエロ動画と、超ドエロだが3秒に1回止まる動画があったら、とりあえず普通のエロ動画で事をすませるだろう。このように、漫画家の作業とは、夜の一人遊びと同じぐらい、迅速に滑らかにテンポよくやりたいものなのである。しかし、上記の問題は私のパソコンが低スペックすぎるせいでもある。何せ電気店で「一番安いのをくれ」と言って買ってきたノートパソコンだ。仮にも絵を生業としている者がふざけているにもほどがある。これを機にクリスタが滑らかに使えるデスクトップパソコンを購入すべきなのかもしれないが、机自体が小さく、さらに液晶ペンタブレットが場所をとるので、ノートパソコン以外は置くことすらできないのだ。ならば、パソコンと同時に机も新調すれば良いと思われるかもしれないが、仕事部屋がせまいので、でかい机は入らない。つまり、自分がクリスタに移行しようと思ったら、家を改築するか、ツルハシで部屋の入り口をぶっ壊して広げるしかないのである。以上の設備投資費と労力を考えると「まだコミスタでいいや」という結論に達してしまうことも致し方なしと言えるだろう。○カレー沢氏からセルシスへの提案それに加えて、動作環境を整えられたとしても、今度はまた「使いこなすことができない」という問題がやってくる。コミスタを使い始めたのは20代半ばだったが、今は30代。年々新しいことを覚えることが出来なくなっている。もはや、最新エロ動画を面倒くさい手順でダウンロードするより、使い古したカピカピのエロ本を使い続けることの方が楽と感じる年である。しかし、私はとにかく楽をしたい作家だ。終了してしまうコミスタを使い続けるより、これから進化するクリスタを使った方が、もっと楽をできるようになるはずである。よってセルシスは、新しいことについていけない中高年作家を対象に、クリスタ講座を開設すれば一儲けできるのではないだろうか。しかし相手はなまじ長年にわたってコミスタを使ってきた人間である。ことあるごとに「コミスタではこうだった」と言い続けるだろうが、それこそ高齢者が戦争体験を繰り返し話すのと同じだと思って聞き流してほしい。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年04月28日はじめまして、漫画家のカレー沢薫と申す者です。と名乗った所で誰も知らないので、あらためて自己紹介させてもらう。漫画家兼会社員生活6年目、「売れたら会社を辞める」が目標だったが、最近では「会社を辞めなくて本当に良かった」が口癖の、まあ木っ端作家である。そんな華やかじゃない方の漫画家の生活を華のない文章でつづるのが当コラムだ。○漫画家をめざしたきっかけ絵を描くことは幼少のころから好きだったが、小学二年生の時に読んださくらももこ氏の代表作「ちびまるこちゃん」の単行本に収録された「作者が漫画家になるまでのエッセイ漫画」を読んで、初めて漫画家という職業を意識し、目指すようになったと思う。その後一貫して「漫画家になりたい」と言い続けてきたが、恐ろしいことにそれから約20年間、私は1回も漫画を最後まで書き上げたことがなかった。漫画家になりたい、と言いながら、キャラクターの設定だけ凝りに凝った漫画の冒頭2ページだけを描いたり、末期になると自分の作品は一切書かず、ひたすら既存のアニメやゲームのキャラクターのキメ顔ばかり書いていた、親に高い金を出させ、美術系専門学校に通わせてもらったにも関わらずである。ボンクラすぎる、と思われたかもしれないが、こういう「漫画を描かない漫画家志望」というふざけた奴らは結構多いのである。ただこういうボンクラどもを一概に責めてはいけない。何故なら漫画を描くと言うのは超面倒くさい行為なのだ。「描き上げる」というだけでも多大な才能がいる、ボンクラに出来るわけがない、むしろ出来る方がおかしいと言ってもいい。しかしこの超面倒くさかった「漫画を描く」という作業も、パソコンツールの発展によりだいぶ緩和されてきた。正直私はパソコン以外で漫画を描いたことがない。もしいまだに漫画がつけペンにインクでしか描けない代物だったら、私は100%漫画家になれていないし、なった所で、原稿は3歳児100人に囲まれて描いたのかと思われるほどさんさんたる物になっていたであろう。私が現在使っているマンガ製作ソフトは「ComicStudioEX 4.0」。ペンタブはワコムの「Cintiq 12WX」を使用している。パソコンは多くのクリエイターがMacを使う中不動のWindowsで、机が狭すぎるためノートパソコンである。こういったソフトのおかげで、黒く塗りつぶす「ベタ塗り」「トーン貼り」などがワンクリックで可能になった。今でこそ当たり前のことであるが、昔は手でイチイチ黒く塗っていたし、トーンはカッターで切ったり貼ったりしていたのだ。この時点でボンクラどもは原稿を投げ出して、アニメキャラクターの模写を始めるところである。○漫画家デビューは規格外の"フォトショ原稿"こうしたツールのおかげで、描かない漫画家志望だった私は初めて投稿作を描き上げることができた、と言いたい所だが、全くそんなことはなかった。応募した漫画賞が「なんでもあり」をうたっており、完成原稿でなくてもOK、漫画原作でも小説でもOK、もちろん何を使ってどんな規格で描いてあってもOKという、間口ガバガバだったのである。今までの漫画投稿と言えばB4サイズにA4の枠を取り、断ち切りサイズは云々、黒インク使用、ボールペン薄墨不可…等々、それだけでバカ野郎の頭を破裂させるに十分なものだったため、正直冒頭2ページどころか枠線さえ満足に描いたことがなかった。しかし、このなんでもありの漫画賞を見た私(当時26歳無職)は、本当に何でもいいんだろうと思い、ブログに載せていた未完の漫画(B4とか一切無視でPhotoshopを使って描かれたもの)をプリントアウトしそのまま投稿したのである。その4カ月後、その原稿がデビュー作として誌面に載り3年の連載となった。こう書くとサクセスストーリー自慢のようだが、その漫画自体は特にサクセスしてないので許してもらいたい。(今後もサクセスの予定はない)このように、漫画家になる術というのは昔より大幅に広がっているのだ、昔であれば限られた雑誌のページを奪いあう形であったが、今ではWebという無限の容量があるし、何で描かれていても問題なく、逆に趣味でWebに発表していたものが出版社の目に止まり書籍化というケースも珍しくない。さらに何が売れてもおかしくない時代なので、たまたまインフルエンザとノロウイルスに同時に罹っていた編集者が、私のような者を「ワンチャンあるかも」と勢いでデビューさせてしまうこともままあるのだ。また前述の通り、漫画を描くソフトの発展も目覚ましいため、近い将来全く絵の描けない人間でも、ツールを駆使すれば漫画家として活躍できる時代がくるかもしれない。と言いたいが、私の漫画を見てもらえればわかるように、最新のツールを使っても、いまだに使い手の技術によるところが大きいのである。漫画制作ツールの開発者の方はもっと頑張ってほしい、私は限界だ。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年03月03日サンシャインツアーはこのほど、青森県鰺ヶ沢町が2013年春に「マラソン村(仮称)」を開村するにあたり、首都圏の女性100名限定で開村プレイベントモニターツアーを発売した。「マラソン村(仮称)」は、全国各地からランナーを鰺ヶ沢町に誘致し、地域活性化を目指す施設。今回の女性限定モニターツアーは、首都圏などから100人の女性ランナーを招き、施設と鰺ヶ沢町の魅力を知ってもらおうというもので、9月28日~30日の日程で開催される。東京・新宿を28日夜に出発する、現地1泊3日間(車中1泊)の行程で、白神山地ランニング、岩木山観光ランニング、鯵ヶ沢町との交流会、女性ランナー松田千枝の講演会、美しい走り方講座などに参加する。朝食2回、昼食2回、夕食1回付。女性のみが参加できる。キャンペーン料金は、3名1室で6,000円(2名は1,000円増。1人1室は4,000円増)。大人・子ども同額。宿泊はナクア白神ホテル&リゾート。出発は9月28日21:30(東京駅)、22:00(新宿駅)。詳細は「マラソン村特別モニターツアーのページ」へ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月30日