天皇陛下の御即位をはじめとする皇室の御慶事を記念し、正倉院宝物の精巧な再現模造の数々を一堂に公開する展覧会『御大典記念特別展「よみがえる正倉院宝物―再現模造にみる天平の技―」』が、1月26日(水)よりサントリー美術館にて開催される。奈良時代、東大寺の倉庫・正倉院には、約9,000件におよぶ宝物が保管されていた。その頃より1,300年近くの年月を経ている正倉院宝物は、きわめてもろく、毎年秋に奈良で開催される『正倉院展』以外はほとんど公開されてこなかった。そんななか、明治時代に開催された奈良博覧会を機に正倉院宝物の修理事業として行われるようになった模造製作は、昭和47年より宝物の材料や技法、構造の忠実な再現に重点が置かれるようになる。以来、人間国宝ら伝統技術保持者の熟練の技と、CTスキャンなど最新の調査・研究成果との融合により、優れた作品が数多く生み出されてきた。同展では、正倉院宝物の再現模造事業で製作された数百点におよぶ作品の中から、平成最後の年に8年がかりで完成した「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶」を筆頭に、調度品、楽器、染織品、仏具など多彩な分野から選りすぐりの約70件と関連資料を紹介。現代の名工たちが、伝統工芸と最新の科学技術を融合させて再現した品々とは、いったいどんなものなのか。天平美の芸術的深みや品格を通して、日本の伝統技術を継承することの意義を確かめたい。模造酔胡王面 正倉院事務所蔵模造黄銅合子 正倉院事務所蔵模造螺鈿箱 正倉院事務所蔵模造金銀鈿荘唐大刀 正倉院事務所蔵【開催概要】『御大典記念特別展 よみがえる正倉院宝物―再現模造にみる天平の技―』会期: 2022年1月26日(水)~3月27日(日)会場:サントリー美術館時間: 10:00~18:00、金土、2月10日、3月20日、3月21日は10:00~20:00 (入館は閉館の30分前まで)休館日:火曜(3月22日は開館)料金:一般1,500円、大高1,000円公式サイト: ※会期中展示替えあり
2022年01月17日「新年にあたり、わが国、そして世界の人々の幸せと平和を祈ります」コロナ禍のため2年連続で新年一般参賀は中止となった。天皇陛下は昨年に続き、雅子さまとご一緒に国民に向けたビデオメッセージを公開された。雅子さまも陛下のお言葉に続いて「ことしが、皆様にとって少しでも穏やかで、実り豊かな年となりますよう、心からお祈りしております」と述べられた。「天皇陛下がお一人ではなく、雅子さまと並んでビデオを撮られたのは、ご公務にもお二人で取り組んでいきたいという思いをこめてのことでしょう」(宮内庁関係者)コロナ禍でも支え合って進んでこられた両陛下。今年からは、長女の愛子さまも加わられることに。1月1日の新年祝賀の儀に愛子さまは初めて出席され、これが成年皇族として初めての公務となった。そんな中で高まっているのが「愛子さまを天皇に」という期待の声だ。昨年春に共同通信が行った世論調査では女性天皇への賛成が85%に達していたが、愛子さまの成年を期に、ツイッター上では《次の天皇になってほしい》《敬宮愛子さまを皇太子に》といった声が上がっている。さらには、自民党からも“女性天皇容認発言”が飛び出し、話題を呼んでいる。高市早苗政調会長が『文藝春秋』の1月号で「私は女性天皇に反対しているわけではありません」と明言したのだ。「高市氏は『女系天皇に反対』と語っているとおり、父方に天皇の祖先を持たない女系天皇は前例がないとして強く反対しています。しかし、天皇の娘である愛子さまは“男系女子”。同様に男系の女性天皇は歴史上に8人もいます。女性が即位できなくなったのは、明治時代以降のことなのです。女性天皇を否定することは我が国の歴史を否定することになりかねません。歴史を重んじる保守派こそ“愛子天皇”に反対する明確な理由がないことが、高市氏のインタビューから明らかになったといえます」(皇室担当記者)高市氏と総裁選を争った野田聖子氏は女性・女系天皇に賛成の立場であり、河野太郎氏も過去に「愛子さまから順番に、女性の皇室のお子さまを天皇にしていくというのが一つ」と、女性天皇容認論を語ったことがある。また岸田文雄首相も皇位継承問題に「女系天皇以外の方法を検討すべき」とし、女性天皇には反対していない。また、共同通信が’19年7月の参院選を前に立候補予定者に行ったアンケートによれば、自民党候補34.3%が女性天皇に賛成。反対は22.9%だった。他党よりは低い割合だが、自民党内でさえ、女性天皇への反対よりも賛成のほうが優勢となっていることがわかる。「皇位継承に関する有識者会議の報告書が政府に提出されたことで、今後は議論の場が国会に移ります。これまで以上に国民の注目を集めることは必至で、議員たちは“8割以上が女性天皇に賛成”という世論を無視できなくなるでしょう。“愛子さまが天皇に”という可能性は決して小さくはないといえます」(前出・皇室担当記者)
2022年01月09日新年を迎え、皇居・宮殿では元日に「新年祝賀の儀」が行われた。天皇陛下は衆参両院議長から祝意を受けられ、「新しい年を共に祝うことを誠にうれしく思います。年頭にあたり、国民の幸せと国の発展を祈ります」と挨拶された。コロナ禍によって2年連続で新年の一般参賀が見送りとなったが、今年は嬉しい“変化”が。昨年12月1日に20歳になられた愛子さまも成年皇族の一員として儀式に臨まれ、“ご公務デビュー”されたのだ。「新型コロナの影響で多くの国民が苦労をしている状況に配慮し、昨年に引き続き女性皇族方はティアラの着用を控えられました。正装の白いローブ・デコルテに勲章を着用された愛子さまは、背筋を伸ばし凛とした佇まいで臨まれていました」(皇室ジャーナリスト)「新年祝賀の儀」の様子は各メディアで報じられ、愛子さまのお姿に歓喜の声が広がっている。《新年にふさわしいお姿です。心が癒されます》《天皇皇后両陛下、愛子さまの穏やかなお姿を拝見し、良い一年の始まりを感じました。愛子さまの成長されたお姿を見て、国民の一人として、本当に嬉しい》《愛子さま初の祝賀の儀で、心なしか厳かな中に晴れやかさ爽やかさが感じられます。良い年になりますように》愛子さまは誕生日に、《これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》と成年皇族としての決意を述べられた。昨年12月9日に58歳の誕生日を迎えられた雅子さまも、《愛子には、これからも様々な経験を積み重ねながら一歩一歩成長し、成年皇族としての務めを無事に果たすことができますよう願っております》とエールを送られていた。「愛子さまは昨年12月5日に行われた成年行事で、はじめてローブ・デコルテ姿を披露されました。雅子さまは数カ月前から、愛子さまのお気持ちを伺いながら準備をされてきたといいます。陛下と雅子さまは、愛子さまと揃って新年の儀式に臨めたことを大変喜ばしく思われていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)愛子さまは春休みになる3月に、記者会見を行われることとなっている。多くの国民がその日を待ち望んでいるだろう。
2022年01月02日天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは12月1日、20歳の誕生日を迎えられ、5日には初めての正装で成年行事に臨まれた。愛子さまは誕生日に《成年という一つの節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思います》と感想を記された。さらに《日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います》と、成年皇族としての決意を述べられた。愛子さまの記者会見は来年3月に行われることとなっているが、天皇陛下も41年前の’80年2月、成年式の3日前に初めて公式記者会見を開き、お考えを述べられている。皇室の行事に参加する機会が増えることに「責任の重大さっていうものを感じています。でも一歩一歩努力していきたいと考えています」と、決意を語られた一方で、大学生活のエピソードもお話しになった。「学生食堂で食事する時にも、今まで全然知らない人と隣に座ったりして知り合いになれること。そういったこと、とても楽しいです」また、中学高校と男子校だったことから「また共学になって一種の新鮮さっていうものをちょっと感じている段階」だったといい、「入った当初は、何となく自分でも女子学生とつき合う時に何かぎこちなさってものを感じたんですけれど、最近は、ま、少しずつ慣れてきたかなという感じも受けるんです」と、共学への戸惑いも語られていた。史学科での研究や、音楽部でのクラブ活動など、充実した大学生活を送られていた陛下。記者から「青春というのは宮様にとってどんな時代か」との質問され、次のようにお答えになっている。「青春ってものはやはり、あらゆるものに挑戦し、それから自分の力を試す、自分の中のもの、外のものに限らずそういった力を試す時期であり、また、模索する時期じゃないかなって考えるんです」「青春ていうのは何年もたって、そしてあぁあの時が自分の青春だったのかなと思う、そういった感じも受けるんです。ですから、自分自身あとから考えてみて、ああ、あの時代、今の時代ですね――を精一杯生きたんだなと思えるような、そういった時期にしたいと思ってるんです」愛子さまは昨年4月に入学されて以降、コロナ禍のため学習院大学のキャンパスにほとんど足を運ぶことができていない。残りの大学生活で“青春”が謳歌できることを、両陛下も願っていることだろう。
2021年12月27日12月23日に88歳、米寿の誕生日を迎えられる上皇陛下。天皇陛下と雅子さまが12月9日、仙洞仮御所へ上皇陛下と美智子さまに雅子さまのお誕生日のご挨拶に伺った際には、1年9ヶ月ぶりのご対面に時間を延長されてお会いになった。天皇皇后両陛下がお帰りになるときも、美智子さまとお見送りに出られ、玄関でもお話が続き名残惜しそうになさっていたという。上皇陛下は1933年(昭和8年)に、昭和天皇と香淳皇后の長男として誕生された。上皇陛下には4人のお姉さまがおり、皇位継承者となる上皇陛下のご誕生に当時の日本中が沸き返った。その熱狂は、『皇太子さまお生まれなった』という曲が流行したほど。88年前の12月23日の早朝には、ご誕生を知らせるサイレンが東京の街に2度鳴り渡った。歌の歌詞にある「鳴った 鳴った ポー ポー」というフレーズは、男のお子さまがお生まれになったことを国民に知らせる合図だった。そして23歳の夏に、上皇陛下は軽井沢のテニスコートで美智子さまと出会い、1959年にご成婚。皇太子(当時)としては初めて、親子別々に暮らすのではなくお手元でお子さまを育てられた。上皇陛下が自ら、幼い天皇陛下を抱っこされる写真も残されているが、当時の人々の目には新鮮に映るお姿だった。上皇陛下は、ご家庭でのご様子も時折国民に公開してこられた。その上皇ご夫妻の子育てのスタイルは天皇陛下、秋篠宮さまにも引き継がれている。1970年のお正月写真では、小学4年生の天皇陛下と真剣なご表情で百人一首を楽しまれていた。一方で、お若いころからご退位まで地方ご公務や海外ご訪問が続き、忙しい日々を過ごされてきた。天皇陛下ご誕生から約半年後の1960年9月には、美智子さまとともにアメリカを16日間にわたり公式訪問。皇室で初めてディズニーランドを訪れたときには、ウォルト・ディズニー夫妻のアテンドでアトラクションを体験されている。また、昭和の時代から、国民の理想の夫婦として敬愛を集めてこられた。1968年の長崎ご訪問で船に乗られたときのように、美智子さまの手を取られエスコートされるご様子は、上皇ご夫妻の定番となっていた。そしてその仲睦まじいままのご様子で、国民の元にお出かけになってきた。高齢者施設や児童養護施設などでは、ゲームに飛び入り参加するなどユニークな一面もお見せになっている。そうしたご交流を、退位されるまで積み重ねられた。国民が楽しいときも苦しいときにも、国民とともにあるという平成の皇室のスタイルを確立されたのも、上皇陛下のお考えがあってのものだ。令和になって以降は、一切、ご公務をなさらず美智子さまと静かに暮らされている。皇太子時代から取り組まれていたハゼのご研究をお続けになるとともに、毎日の日課として仙洞仮御所のお散歩も欠かされない。広い皇居では長い距離を歩き、健康を維持されてきたが、仙洞仮御所では同じコースを何度も回られているという。来春には赤坂御用地にお引越しされるご予定の上皇さま。今よりも広いお住まいで、ゆったりと穏やかに過ごされる日が早く来ることを願うばかりだ。
2021年12月23日12月9日に58歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。この日、雅子さまは皇居・宮殿で秋篠宮さまや、三権の長などから祝賀を受けられたあと、天皇陛下と高輪の仙洞仮御所をご訪問。上皇ご夫妻と約1年9カ月ぶりにお会いになり、誕生日のご挨拶をされた。上皇ご夫妻には、成年行事の際、ご長女・清子さんから愛子さまがティアラを借りられたことへのお礼も述べられたと思われる。12月5日、成年行事を終えられ、皇居・宮殿の車寄せにお出ましになった愛子さま。その装いをファッション評論家・石原裕子さんが解説。「純白のローブ・デコルテをお召しになった愛子さまを拝見して、テーラードジャケットに目が留まりました。ティアラとネックレスを美しく見せるため、肌を露出させた最も女性的なドレスに、メンズライクなジャケットを合わせられている。まさに個性的で新しい装いです。そのテーラードジャケットはキャリアウーマンでいらした雅子さまを彷彿とさせます。愛子さまの、お母さまへのお気持ちが表れているのかもしれません。シンプルなVネックに肩をわずかに覆うフレンチスリーブ、そしてボリューム感を抑えたスカートと、控えめなデザインですが、布地には光沢のある白糸で総刺繍が施され、神聖で高貴な雰囲気を醸し出しています」(石原さん)
2021年12月18日12月9日、58歳の誕生日を迎えられた雅子さま。93年、外務省を退職され天皇陛下と結婚された雅子さまには、国際親善を期待する声も多かった。その期待を一身に背負われて臨まれたのが、94年・95年と2回に分けて行われた中東7カ国へのご訪問だった。結婚後初めての海外ご公務での、色鮮やかなドレス姿を振り返るーー。【94年サウジアラビア・ヤマーマ宮殿】裾にフリルを重ねた、エレガントなサファイアブルーのドレス。肩を膨らませたスリーブが特徴的。中東の風習に考慮し、首回りを詰め、袖も長くされ、肌の露出を抑えられている。【94年カタール・ハマド宮殿】ルビーレッドのシルクのドレス。胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が華やか。バッグと靴は金と銀で統一、ゴージャスさを演出されていた。【94年カタール・ラヤーン宮殿】雅子さまの誕生石でもある、ターコイズの色合いのドレス。胸元と袖口に、天から差し込む光のようなビジューが入れられている。【95年クウェート・バヤーン宮殿】和服の裏地に使われる、紅絹(もみ)色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージしたコーディネートに。【95年アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館】女性らしいベビーピンクのドレスでアラブ首長国連邦皇太子とご歓談。裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが美しい。アシンメトリーは雅子さまのドレスの定番デザイン。【95年ヨルダン・ナドワ宮殿】イスラム圏の女性の衣装・アバヤを感じさせるような、上質なシルクの布を右肩から裾にかけて用いられている。左上半身には花をあしらったレース素材でとてもエレガントな一面をお見せに。皇后となられてからも、天皇陛下の即位を祝う「饗宴の儀」では186カ国の賓客をもてなされた雅子さま。令和初の海外ご訪問は、イギリスで予定されているが、新型コロナウイルスの影響で延期となっている。再び、“皇室外交”の場での華やかなお姿を拝見したい。
2021年12月09日2021年12月5日、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さまが、成年行事に臨まれました。東京都千代田区にある皇居の宮殿『鳳凰(ほうおう)の間』で両陛下にあいさつを行い、報道陣に姿を見せた愛子さま。美しい純白の『ローブ・モンタント』を身にまとい、ティアラと勲章を着けた、女性皇族の正装姿で「おはようございます」と述べました。愛子さまが身に着けているのは、この日に天皇陛下から親授された、『宝冠大綬章(ほうかんだいじゅしょう)』。授与が女性のみに限定された日本唯一の勲章であり、古代の女帝の冠を模した宝冠を中心に、周囲には真珠と竹枝、桜の花葉がデザインされています。愛子さまの気品あふれるお姿に、ネットからは「お美しい」「凛としたたたずまいが素敵」といった声が上がりました。産経ニュースによると、両陛下は、愛子さまが成年皇族として健やかに歩まれることを願われているといいます。同月1日に20歳の誕生日を迎えられた、愛子さま。両陛下は1人の親として、我が子の幸せな人生を心から祈っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年12月05日錦戸亮と赤西仁の共同プロジェクト「N/A」のYouTubeチャンネル『NO GOOD TV』とライブ配信アプリ「17LIVE」のコラボ配信が19日に実施され、錦戸と赤西がゲーム対戦を行なった。今年6月にスタートし、定期的に行われている同配信。今回は、ゲーム『ボンバーマン』で対戦する企画を実施した。冒頭、錦戸が「ゲームとかやる?」と聞くと、「ゲームは、『ファイナルファンタジー』とか好きですね」と赤西。同シリーズの最新作もプレイしたという。続いて赤西が「亮ちゃん、あれでしょ?」と水を向けると、錦戸は『Ghost of Tsushima』をプレイしていると言い、「しかも、そのメインのキャラクターが境井仁って言うねん」とニヤリ。「“あー、仁か”と思いながらやってる」と伝え、赤西を笑わせた。その後、ゲームのコントローラーにまつわる思い出を話し合ったのち、ふたりが視聴者と一緒に『ボンバーマン』をプレイする様子が配信された。
2021年11月22日「今回、新型コロナウイルス感染症への対応に心を配りながらこの大会が開催されることは、芸術文化活動への大きな励みになることと思います」天皇陛下は10月30日、雅子さまと共に和歌山県で開かれた国民文化祭および全国障害者芸術・文化祭の開会式に御所からオンラインで出席され、お言葉を述べられた。「両陛下は私的なお出かけはなさらず、粛々と公務に取り組まれ、コロナ禍の国民生活を心配されています。眞子さんと小室さんの結婚で日本中が騒然となっていますが、本来であれば両陛下のご活動にこそもっと注目が集まるべきだと思うのですが……」(皇室担当記者)だが同じ日、皇室にとって明るいニュースもあった。愛子さまの成年式の日程が発表されたのだ。12月1日、愛子さまは20歳の誕生日を迎えられる。ただ、この日は平日で大学の授業があるため、日曜日である12月5日に成年の行事を行うというがーー。誕生日から“4日遅れ”の日程にはもう一つ、重大な事情があるという。「11月30日は秋篠宮さま56歳の誕生日です。誕生日に際しての記者会見では、眞子さんの結婚に関する質問も受けるはずで、翌日の愛子さまの誕生日までその話題でもちきりになってしまう可能性があります。宮内庁としても、秋篠宮さまにしっかり眞子さん騒動に区切りをつけていただき、愛子さまを皇室の“主役”に切り替えたいという考えがあるのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)愛子さまは当日の午前、皇室の先祖などを祭る宮中三殿を参拝されたあと、宮殿で天皇陛下から「宝冠大綬章」という勲章を授けられる。■両陛下が教えた成年皇族の心構え実は、両陛下はすでに“成年皇族としての心構え”を愛子さまに説いていらっしゃったという。宮内庁関係者が語る。「9月に赤坂御所から皇居の御所へ引っ越された天皇ご一家ですが、引越し作業中は宮殿にお泊まりになっていました。その滞在最終日、愛子さまが今後、行事や儀式などで訪れることになる宮殿の松の間や豊明殿などの各部屋を、両陛下が案内されたそうです。儀式の所作なども、時間をかけて説明されたそうです」皇族は基本的に学業優先となっており、ご公務に本格的に携わるのは大学卒業後になるのが通例だ。だが、愛子さまにはできるだけ早くご公務に出席していただきたいーー。宮内庁内部ではそんな声が高まっているという。「眞子さんと小室さんの結婚をめぐり国民感情が二分され、皇室と国民との信頼関係は大きく揺らいでいます。また、最年長の内親王だった眞子さんは国内のみならず、5回の海外公式訪問など、多岐にわたる公務を担ってきました。眞子さんが皇室を離れたことは、皇室にとってかなりの痛手なのです。愛子さまが成年皇族となられ、ご公務の担い手となって存在感を発揮してくだされば、国民からの敬愛も再び高まるはず……。そういった期待が膨らんでいるのです」(前出・宮内庁関係者)両陛下にとっても、コロナ禍で想定外の事態が発生している。’20年5月に予定されていたイギリス訪問が延期になったまま、いまだに実現していないのだ■愛子さまはすでに“皇室外交”の経験を「’19年に即位関連の儀式を終え、’20年には外国訪問と東京五輪開催でいよいよ本格的な国際親善を……という矢先のコロナ禍でした。95歳のエリザベス女王は最近、公務でも杖をつくようになり健康状態が心配されています。まずは国内の地方ご訪問を再開するのが先ですが、両陛下も早いうちにイギリス訪問を実現させたいとお考えではないでしょうか」前出の宮内庁関係者はそう語る。さらに、愛子さまのイギリスご訪問を待望する声も上がっているという。「愛子さまは高校生のころ、海外の要人と両陛下の夕食会に参加され、英語で応対されるなど、早くから国際親善の経験を積まれていたのです。また、高校2年生の夏休みにはイギリスの名門私立・イートン校に短期留学されたこともあります。そうした縁のあるイギリスを愛子さまが両陛下と一緒に訪問されれば、両国民にとってもたいへん大きな意義があります」欧州の王室に詳しい関東学院大学教授の君塚直隆さんは、英王室に学ぶべきところは多いと語る。「大学で専攻される分野だけでなく、社会的な問題にも積極的に取り組まれることになれば素晴らしいと思います。たとえばイギリスのアン王女は、エリザベス女王の第1王女という愛子さまに近い立場ですが、20歳でNGO『セーブ・ザ・チルドレン』の会長職につきました。このNGOは貧困や飢餓に苦しむ世界中の子どもたちを救おうという理念のもとイギリスで始まった活動で、アン王女自身も半世紀以上にわたって世界中を回りました。それ以外にも350以上の団体でパトロンを努めています。愛子さまも、社会福祉や芸術、環境保護やスポーツ振興など、いくつもの団体で総裁職に就かれ、積極的に関わっていかれるのがいいと思います。ヨーロッパの王室のように、日本の皇室もSNSなどを積極的に活用して活動を国民に知らせることも重要です。活動内容が知られることで皇室への支持も広がるでしょうし、愛子さまに皇室に残っていただきたいという声も大きくなるでしょう」愛子さまが英王室との交流を深めることは、皇族としての今後の活動にもプラスになるはずだ。危機に直面する令和皇室の再生は、20歳を迎えようとするプリンセスに託されたーー。
2021年11月10日地域や学校によって、休校やリモート授業が続いている。この影響を強く受けているのが貧困家庭だ。こうした状況の今こそ、改めて知ってほしい両陛下のお気持ち――。「貧困家庭の子どもたちがコロナ禍による休校で学びが停滞し、給食がないため食事に苦しむ現状をお話しいたしました。すると、雅子さまはご心痛の表情で『子どもたちやお母さまのようすはどうですか?』とおっしゃって……」こう語るのは、貧困家庭の子どもたちの学習支援をする「NPO法人キッズドア」理事長の渡辺由美子さんだ。コロナ禍において、もっとも深刻な影響を受けたのが、子どものいる貧困家庭だ。非正規雇用であることが多い保護者が雇い止めにあったり、家庭内で十分な学習場所を確保するのが難しく、リモート授業や在宅学習にうまく対応できない場合も多いという。現在も、地域や学校によっては、休校やリモート授業が続いており、教育格差の拡大が懸念されている。そんな境遇の子どもたちに、心を寄せられているのが雅子さまだと、皇室ジャーナリストの近重幸哉さんが言う。「皇太子妃時代から、福祉施設を訪問され子どもたちと触れ合ったり、クリスマスカードを送られたり、児童福祉施設文化祭に何度もお忍びで出席されています。コロナ禍であっても“子どもたちのために、何かできることはないのか”という、強い思いをお持ちのはずです」だからこそ昨年6月、内閣府の担当者から渡辺さんの元に「両陛下が、コロナ禍で貧困に苦しむ子どもたちを心配されています。現場の人たちに、直接話を伺いたいそうです」と連絡があったのだろう。「両陛下は即位の際、『子供の未来応援基金』に5,000万円もご寄付されました。私どもはこの基金からの助成金のおかげで、コロナ禍のオンライン学習のための機器の購入や、実践マニュアルの作成ができたのです。基金とのこうした関係も、お声がけされるきっかけとなったのかもしれません」昨年7月21日に設けられた拝謁の場には、渡辺さんを含め、3団体の代表が参加した。45分から1時間ほどを予定していたが。「控室で侍従の方から『後ろの予定はないので、気にせず、ゆっくりとお話しください。両陛下は、今日を心待ちにされていました』と伺いました」■お互いに顔を見て、うなずかれながら緊張を隠せなかった渡辺さんだが、いざ部屋に入ると、穏やかな笑顔の両陛下のお迎えがあり、一気に心がほぐれたという。距離を取るために大きめの机を挟み、向かい合った。両陛下の背後は大きなガラス張りの窓で、夏の光を新緑の木々が浴びていた。「両陛下は事前にお渡しした資料をすでに読んでくださっていたようでした。ときに『そうですね』とあいづちを打たれ、お二人でメモを取られていました。こういう言い方は失礼にあたるのかもしれませんが、すごく仲のいいご夫婦だと思いました。お互い顔を見合わせてうなずき合うなど、確認しながら理解を深められているようで、ふだんからいろいろなお話をされているのではないかと見受けられました」一緒に両陛下に拝謁した「公益財団法人あすのば」代表理事の小河光治さんは、「両陛下が、貧困家庭の苦しみをわが事のように感じていらっしゃる」と痛感したという。同団体は貧困家庭への調査や支援などを行っている。「もともと子どもの貧困は非常に深刻ですが、コロナ禍が拍車をかけています。私どもの調査に対し『高校に入ったけど、母親が仕事をなくしたから退学を考えている』『授業料が足りないから、食事を1日1食にしている』などの悲痛な声が殺到していることをご説明しました。すると雅子さまも陛下も、たいへん辛そうな表情をされて……」■「陛下が笑顔でバッジを出されて!」だが一方で、明るい兆しのお話をすると、両陛下は本当にうれしそうになられたという。「オンライン学習のための機器を各家庭に貸したことで、子どもたちがパソコンなどを使いこなせるようになったんですね。『コロナの影響ではありますが、これまで無縁だったITに触れることで子どもたちの将来の選択肢が広がりました』とお話ししたときは、雅子さまも陛下も満面の笑みになられて。陛下は『そうですね。これからITはいいですよね』と大きくうなずかれました」(渡辺さん)さらに、貧困家庭を力づけるこんなお言葉もあったという。「私のほうから『子どももお母さんも苦しんでいるので、両陛下が応援してくださっていると伝えていいですか』とお願いしてみると、雅子さまが『ぜひ、ぜひお伝えください』と力強く即答してくださいました。すると、陛下からも『私たちは本当に応援しています。頑張ってほしい』というお言葉を頂戴したのです」(渡辺さん)予定の時間は大幅に過ぎ、気がつけば外は真っ暗になっていた。一人一人に声をかけてくださった両陛下との別れ際には、こんなうれしいサプライズもあった。「私たちは絵本作家のディック・ブルーナさんが描いた『子供の未来応援国民運動』のバッジをつけていたんですが、陛下がおもむろにポケットから同じバッジを出してほほ笑まれたんです」(渡辺さん)それから1年が経過したが、子どもたちを取り巻く現状は楽観できるものではない。コロナの影響で、子どもたちと対面して支援がしづらい状況に、各団体とも苦しんでいる。だが、この拝謁は大きな力になったと渡辺さんは語る。「最後に両陛下から『みなさん、素晴らしい活動ですね。(スタッフの方々に)よろしくお伝えください』というお言葉を賜りました。天皇陛下も雅子さまも応援くださっているという事実は、スタッフたちの大きな励みになっています。教育格差を少しでも縮められるように、今後も努力を続けていきたいです」(渡辺さん)コロナ禍に苦しむ家庭は、ぜひ支援団体を頼ってみてほしい。そして、天皇陛下と雅子さまが、常にあなたたちのことを思われ、力になろうとしてくださっていることを忘れないでほしい。
2021年09月29日「天皇ご一家が9月20日に御所に入られました。愛子さまも含め、お三方は職員と相談しながら、家具の配置などをすすめていらっしゃるそうです。通常であれば、このお引っ越しのご様子はかなり大きく取り上げられていたと思いますが、ニュースもワイドショーも小室圭さんの帰国一色ですね」ため息まじりにそう語るのはベテランの皇室担当記者。異例ずくめの眞子さまと小室圭さんの“結婚狂騒曲”が続き、皇室や宮内庁が振り回されている。皇室担当記者が続ける。「内親王のご結婚といえば、’05年の黒田清子さんの例が直近となります。しかし今回は儀式もなく、小室さんの帰国している期間中に結婚や渡米の事務手続きが進むあわただしいものになります。そうした状況のなかで注目されているのが、天皇皇后両陛下が小室さんに対面される機会はあるのか、ということです」9月21日に日本テレビは宮内庁関係者の談話として、「天皇陛下や上皇さまへの結婚の挨拶の予定は今のところ入っていない」と、報じている。「あくまで前例ですが、黒田慶樹さんと清子さんは、結婚式の翌日に、皇居で上皇ご夫妻にご挨拶しています。さらに午後は天皇皇后両陛下(※当時は皇太子ご夫妻)や各宮家を回ったのです」(前出・皇室担当記者)すると眞子さまと小室さんの場合も、婚姻届を提出した後、10月下旬に挨拶回りを行うことになるのだろうか。小室圭さん問題に注目してきた皇室ジャーナリストは、この挨拶回りには小室さんにとって“有形無形のメリットがある”と語る。「まずは結婚のお祝い金です。清子さんのときも上皇ご夫妻や各宮家のポケットマネーから相応のご祝儀が贈られました。眞子さまは結婚一時金を辞退する意向を示され、国も支給を見送る方向で検討しています。“ご親戚”からいただくお祝い金は眞子さまや小室さんがニューヨークで新生活を送っていくうえでの貴重な資金にもなるでしょう」もう一つのメリットは天皇皇后両陛下をはじめとして、多くの皇族と面識をもてることだという。「小室さんが現時点で、会ったことがある皇族は秋篠宮ご夫妻と佳子さまだけと思われます。アメリカの大手法律事務所に就職したことも話題になっていますが、『週刊文春』の報道によれば小室さんが就職活動の際にも“皇室利用”が行われていた形跡があるのです。彼が就職を希望する法律事務所に経歴書を送った仲介者は“眞子さまの婚約者”であることを書き添えていたそうです。ヘンリー王子やメーガン妃の扱われ方を見れば明白ですが、アメリカでは“王族”への注目度が高いですからね。たとえば小室さんが仕事関係者と会食に臨むとします。彼が“プリンセスの夫”だと相手が知った場合、間違いなく『では日本のエンペラーとも会ったことがあるのか』と、尋ねられることでしょう。そのときに『そうです。私はエンペラーの義理の甥なのです。結婚の際には、お祝いのお言葉をいただきました』と、答えることができるのと、『まだお会いしたことはないのですが……』としか答えられないのとでは、相手に与える印象にも大きな差が生じます」■面会実現で皇室の求心力が低下するおそれもだが、この“仕事関係者に一目置かれる”という小室さんに生じるメリットこそが、天皇陛下が懸念されていることなのだという。宮内庁関係者はこう語る。「慣例としては、結婚し皇籍を離脱したばかりの女性皇族が、天皇陛下に配偶者を連れての拝謁の機会をお願いするという形式になります。いままでは、そのお願いが叶わなかったことはありませんでした。天皇皇后両陛下がおそろいで、お祝いのお言葉をかけられることも多かったのです。しかし、今回は眞子さまお一人ならともかく、小室さんを同伴しての両陛下とのご面会の実現は難しいとみられています。宮内庁上層部もフォーダム大学入学の際に、小室さんが“眞子さまのフィアンセ”という肩書を利用したふしがあることを把握しています。ご自身の面会が、“エンペラーの義理の甥”という肩書の乱用につながる可能性があることを天皇陛下も憂慮されているのです」また天皇陛下は“国民の声”も重く受け止められているという。「陛下も今年2月の会見で、眞子さまのご結婚について『多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております』と、語られています。しかし金銭トラブルについて納得できていない国民も多く、“説明責任を果たさせることができなかった”と、秋篠宮さまにも批判が集中しており、皇室の存在意義に疑問を呈する声もあるほどです。もし陛下が小室さんと対面されて祝福されたとすれば『天皇陛下までこの結婚を認められたのか』と、批判が起き、さらに皇室の求心力が低下するおそれもあります。陛下と雅子さまの眞子さまへのご心情がどのようなものであれ、面会を毅然と拒否せざるをえないのです」お引っ越しもすみ、ご新居での生活を始められた天皇陛下と雅子さまだが、お立場と肉親への情の板挟みに苦悩されているのだ。
2021年09月28日眞子さまと小室圭さんの“年内結婚”が、徐々に現実味を帯びてきた。小室さんが来週早々にも滞在中の米国・ニューヨークから帰国する見通しだと、9月21日に日本テレビが報じたのだ。小室さんは帰国後、新型コロナウイルス対策による2週間の隔離期間に。その後、眞子さまと揃って記者会見を開き、結婚について報告される見通しだという。小室さんの隔離期間が終わる頃は、眞子さまの誕生日が目前まで差し迫っていることになる。「つい先日、10月には婚姻届を提出する準備が進められていると報じられたばかりです。眞子さまが渡米するには、パスポートやビザを取得する必要があります。一般人になられてからでないと手続きができないので、入籍を急がれていることでしょう。小室さんの予定と照らし合わせると、会見時にはすでに入籍を済まされているという可能性も出てくるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)お二人の婚約や結婚に関する儀式は一切行われない方向で、眞子さまは皇室を離れる際に支給される一時金も辞退される意向だとみられている。さらに日本テレビによると、小室さんの帰国後は《天皇陛下や上皇さまへの結婚の挨拶の予定は今のところ入っていない》と宮内庁関係者が明かしたという。記者会見には臨むものの、天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻への挨拶はなしーー。事実だとすれば前代未聞のことであり、SNS上では小室さんに厳しい声が相次いでいる。《挨拶なしとか天皇陛下にまで無礼を働くの本当に許すまじなんですが》《皇室に挨拶しないとかさすがに無礼じゃないかな》《まず両陛下に挨拶するのが筋で、日本人なら当然の礼儀である。怒りに震える私。》「小室さんが帰国するのは約3年ぶりです。会見前には秋篠宮さまに、金銭トラブルなどの経緯を説明する必要があります。ただ、“多くの人が納得できる状況”ではないため、秋篠宮さまが喜んで受け入れることはないでしょう。そのため、小室さんが両陛下や上皇ご夫妻への挨拶を希望しているとしても、拒否された可能性もあるかと思われます」(前出・皇室ジャーナリスト)帰国後に待ち受ける“茨の道”を小室さんはどう切り抜けるつもりなのだろうかーー。
2021年09月22日芸人・俳優のみならず、彫刻家としても活躍する片桐仁の創作活動20周年を記念し、東京ドームシティの「Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)」にて11月20日(土)〜12月19日(日)の期間、『粘土道20周年記念 片桐仁創作大百科展』が開催されることが決定した。片桐は、1999年「ヤングマガジンアッパーズ」の連載スタートをきっかけに、“文房具や日用品、電化製品など、あらゆるものに粘土を盛る”をコンセプトに、20年以上にわたり粘土作品を作り続けきた。2015年から4年間、全国のイオンモールで開催された不条理アート粘土作品展「ギリ展」では累計約8万人を動員したほか、2019年6月には自身初の海外での個展「技力展台湾(ぎりてんたいわん)」を実現。オリジナリティ溢れる発想力や細部までこだわったクオリティの高さなどが評価された。また、映画・舞台・ドラマで使用する小道具の制作や、企業とのコラボ作品・デザイン提供など、粘土作品に限らず様々な創作活動も行っている。そんな片桐の集大成であり、過去最大規模となる本展覧会は新型コロナウイルス感染症拡大に伴う影響を考慮し、2020年3月下旬からの開催が中止となっていたが、新会期の開催日程が決定。粘土道としてこれまでに発表された粘土作品をはじめ、初公開となる学生時代に描いた絵画や、「TVブロス」の連載で描いてきたイラスト、取材先で制作した作品を展示するなど、片桐の20年以上にわたる創作活動の全てを網羅する。さらに、前会期中止後にWEBメディア「THAT IS GOOD」内で制作した新作粘土作品や、片桐仁のYouTubeチャンネル「ギリちゃんねる」で作った作品、動画内にたびたび登場する片桐家リビング再現コーナーなどが新たに追加展示されるほか、クラウドファンディングによる本展のランドマークとなる「片桐仁的公園(仮)」を制作。なお、チケット発売は2021年10月下旬頃を予定している。<展覧会によせて 片桐仁コメント>2020 年の春に中止となった『粘土道20 周年記念 片桐仁創作大百科展』がついに開催されることになりました!僕がこの22年間で制作した、粘土作品やイラスト、企業や番組とのコラボ作品、また家族とYouTubeで作った作品など、ほぼ全てを網羅する僕の回顧展になっています。さらに会場で作れるワークショップもあるので、モノづくりの楽しさを知るキッカケにもなればいいなと思います。大人から子供まで楽しめる展覧会になっていると思うので、皆様是非いらしてください!【開催概要】『粘土道20周年記念 片桐仁創作大百科展』期間:11月20日(土)〜12月19日(日) ※開催期間中無休時間:11:00~19:00 ※最終入館は閉館の30分前まで場 所:Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)チケット発売:2021年10月下旬頃を予定。詳細は決まり次第お知らせします。<主な内容>1. アーティスト片桐仁22年の創作活動年表2. 不条理アート粘土作品3. 初公開・学生時代に描いた絵画4. 撮り下ろし片桐仁シアター5. 「テレビブロス」連載イラスト原画「おしえて何故ならしりたがりだから」6. 舞台、映画、ドラマ、C M などに使うため制作した作品たち7. 「ギリちゃんねる」片桐家みんなで作った作品・片桐家リビング再現コーナー8. クラウドファンディングによるランドマーク作品「片桐仁的公園(仮)」9. 常設ワークショップ主催:東京ドーム / 協力:トゥインクル・コーポレーション、大日本印刷、東京ニュース通信社、we+ inc.企画:zaigoo inc. / 協賛:パジコ写真:大坪尚人(講談社)展覧会公式ホームページ: お問い合わせ先は「東京ドームシティ わくわくダイヤル(03-5800-9999)」まで★クラウドファンディングも実施!タイトル:『粘土道20周年記念 片桐仁創作大百科展』会場内に「片桐仁的公園(仮)」をつくりたい!展覧会のランドマークとなる「片桐仁的公園(仮)」の制作に向けて、クラウドファンディングにて9月17日(金)より支援の募集を開始。前会期では片桐仁と来場者が一緒に公園を作る予定だったが、今会期ではファンから支援を募り、片桐一人で作り上げることを決意。“粘土道20周年という節目に、過去最大の作品「片桐仁的公園(仮)」を作りたいんです!”詳細は下記のウェブサイトをご覧ください。実施期間:2021年9月17日(金)12:00~10月17日(日)23:59詳細・応募先ウェブサイト:
2021年09月17日9月6日、悠仁さまが15歳のお誕生日をお迎えになった。それを祝し、皇室ご一家の15歳のころを写真で振り返る。悠仁さまは誰に似てらっしゃる――?お誕生日に、悠仁さまが秋篠宮さまとご一緒に読まれていたのは『日本文化の起源』と『稲のアジア史』という本。稲作は皇室に深い縁があり、悠仁さまにとってアジアの米作りの歴史を学ばれることは、将来のお立場を考えると大変に重要なことだろう。今年3月には悠仁さまの作文「小笠原諸島を訪ねて」が、「子どもノンフィクション文学賞」で佳作を受賞。オンライン表彰式では悠仁さまも画面を通して「大変うれしく思います」と丁寧に挨拶された。現在、中学3年生。来春の高校進学を控え、2学期は大切な日々となる。
2021年09月11日秋篠宮家の長男・悠仁さまは9月6日、15歳の誕生日を迎えられる。現在、お茶の水女子大学附属中学校3年生の悠仁さま。高校進学を控えているが、エスカレーター式に進学することはできない。お茶の水女子大学附属高校は女子高のため、別の高校に進学せざるをえないのだ。有力候補とされているのは、多くの皇族方が通われた学習院高等科、お茶の水大学の向かいにある筑波大学附属高校、2年前に悠仁さまが秋篠宮さまと一緒に文化祭を見学された東京農業大学第一高校だ。「紀子さまは、筑波大学附属高校への進学を狙って悠仁さまを指導されているようです。実は4年前に、お茶の水女子大学と筑波大学の間で『提携校進学』という制度の新設が発表されました。両校の附属校の生徒が若干名ずつ、もう一方の附属校に進学できるという制度です。悠仁さまは中学進学のタイミングで筑附中に進学されるとみられていましたが、小室さん問題で秋篠宮家への逆風が強まり、断念されたようです。紀子さまは、高校進学では今度こそ筑附への進学を実現させたいはずです」(皇室担当記者)これまで、制度の利用者はいるのか。お茶の水女子大学に問い合わせると《提携校進学制度に係る実績につきましては、公表をしておりません》との回答だった。この制度は入学志願者評価と志願理由書のみの書類審査で、学力テストはない。しかも利用実績まで非公表とは、あまりに不透明すぎないだろうか――。「悠仁さまのご成績は、一般入試で筑附に合格できるほどではないそうです。今年3月には作文コンクールで佳作に入選されましたが、それも書類審査に通るための実績づくりではないかという声もあります」(前出・皇室担当記者)紀子さまは、高校進学までの3年で小室さん問題は解決し、秋篠宮家への逆風も収まるとみていたのかもしれない。しかし実際には、解決どころか泥沼化している。「“脱・学習院”をはじめとする秋篠宮家の独自路線の教育が、眞子さまの結婚問題を招いたという側面は否定できません。秋篠宮ご夫妻はこの事態を、しっかりと直視し、方針転換する必要があるのではないでしょうか。悠仁さまの進学先は学習院か、もし学習院以外を選ばれるとしても、不透明な制度を用いずに一般の入試で合格を目指していただきたいです」(学習院関係者)秋篠宮ご夫妻は、学習院との因縁から始まった負の連鎖を断ち切ることができるのか――。
2021年09月04日国立競技場に盛大な花火が打ち上がる中、17日間にわたった五輪が閉幕。閉会式でIOCのバッハ会長の隣に座ったのは、天皇陛下ではなく秋篠宮さまだった。「今回は天皇陛下がオリンピックとパラリンピック、両大会の名誉総裁に就任されたので、陛下が開会式に、秋篠宮さまが閉会式に出席されることになりました。秋篠宮さまが皇室の“ナンバーツー”の皇嗣であることが世界に示されたといえます」(皇室担当記者)一方で、五輪開催中には秋篠宮家を揺るがす報道があった。7月30日、小室圭さんがニューヨークで就職する見通しになったと、NHKが報じたのだ。しかも、小室さんは今後の生活の基盤をアメリカに置くつもりだという。皇族方が外出を控え、観戦や選手との交流を自粛されている中で報じられた、小室さんの新たな将来設計――。秋篠宮家の知人は呆れた様子でこう語った。「秋篠宮さまは一貫して、小室さんが母親の金銭トラブルについて国民に説明して、多くの人が納得し祝福されるようになることが大切だと考えてこられました。しかし、小室さんは帰国することすらなく、この課題はまったくクリアされていません。秋篠宮さまはニューヨークへの留学も当初から反対でしたし、“寝耳に水”という感じでした。勉学のための渡米と言われても、私から見れば小室さんは逃げているような印象です。アメリカで就職の見通しが立ったことも、秋篠宮さまにとってはもはや“どうでもいいこと”でしょう。結婚自体に強く反対されているのですから」在学中に論文を発表するなど実績を積み重ね、就職も確実にした小室さん。しかし、金銭トラブルが解決しないままの渡米は、むしろ国民の印象を悪くしている。ニューヨーク行きの意図について小室さんの代理人弁護士である上芝直史氏に話を聞くと、「そもそもニューヨークへの留学は、トラブルから逃げたというわけではありません」と、小室さんの渡米は“逃亡”ではないとの見解を示した。ただ、それ以上の詳細はまだ明かせないという。ニューヨーク州の司法試験の合格発表は12月。帰国の予定はないという小室さんだが、それまでに金銭トラブルに関する交渉は決着するのだろうか――。
2021年08月18日今年もまた日本に慰霊の夏が訪れた――。上皇陛下はかつて“日本人として忘れてはならない4つの日”を示された。すなわち沖縄慰霊の日、広島原爆の日、長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日だ。「天皇ご一家は、この4つの日には黙祷をささげられます。特に8月15日は毎年、日本武道館で『全国戦没者追悼式』が催され、天皇皇后両陛下が出席されています。しかし今年は新型コロナウイルスの感染拡大が進み、医療崩壊の危機に直面しているため、事前に参列者を約200人に絞ることが決められていました。参列者は過去最少となりましたが、天皇陛下も雅子さまとごいっしょに、この日に備えて、“お言葉”の推敲を重ねられていたのです」(皇室担当記者)戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉は400文字ほどであり、決して長いものではない。しかし陛下は昨年、上皇陛下の平和を願うメッセージを踏襲するいっぽうで、お言葉の4分の1を割き、公の場で初めてコロナ禍に言及されたのだ。《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》実はこの決断にいたるまで、天皇陛下は熟考を重ねたうえ、周囲の人々に意見を求められた。宮内庁関係者はこう語る。「全国戦没者追悼式でのお言葉に、災害や社会情勢が盛り込まれた前例はありませんでした。そのため宮内庁上層部のなかでも、『戦没者の追悼に専念すべきではないでしょうか』という反対意見があったのです。また、その半年前の’20年2月には天皇誕生日の一般参賀の中止が発表されました。当時はまだ感染者は多数ではありませんでしたが、天皇陛下のご意向を踏まえ、宮内庁が大規模集会の自粛を世間に先駆けて決定したわけです。この発表は東京五輪・パラリンピック開催を目指していた政府内にも波紋を呼び、官邸から宮内庁への叱責もあったと聞いています。そういった背景もあり、従来のお言葉を変更し、天皇陛下がコロナ禍に言及されることが、禁止されている“政治的行為”として批判されるのではないかという強い懸念があったのです」■「戦没者追悼式でコロナ禍言及」に波紋がその懸念は現実のものとなった。政府関係者や神社関係者の一部から、“戦没者の御霊を追悼する場であるにもかかわらず、慰霊とは直接関係のない新型コロナについて言及されたのはいかがなものか”という声が上がったのだ。ある神社関係者は本誌の取材にこう語った。「天皇陛下があえてコロナ禍についてお話しになったのは、国民のことをお考えになったゆえだということは理解しています。しかしコロナ禍へのお気持ちを《全国戦没者之霊》と記された白木の標柱に向かい、述べられる必要があったとは思えないのです。戦没者の御霊ではなく、あくまでも国民に向かってお話しになるべきテーマだと考えています」もちろん多くの国民と同じように、陛下と雅子さまのご決断を受け入れる意見もある。皇室史に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授はこう語った。「古来、国民の生活の安寧を願い、そして祈るのは、天皇家の伝統です。その活動のなかには、疫病平癒のための神事、さらに施薬院の創設といった医療への協力もあったのです。確かに象徴天皇は政治に関わらない、政治的な発言をしないということが原則になっています。しかし何が“政治的”であるかに関しての判断は難しいでしょう。私は陛下がコロナ禍に言及されたことで、『国民に心を寄せる』天皇としての在り方をしっかりとお示しになったと考えています」昨年以来、天皇陛下は2月のお誕生日会見や6月の日本学士院授賞式などで、コロナ禍に対し、人々が力を合わせることで立ち向かっていくべきと語り続けられてきた。しかし今年の戦没者追悼式でのメッセージについては深く悩まれていたという。「昨年のお言葉に対し、陛下のご想像以上に批判の声が多く、逡巡されたようです。また6月の西村泰彦宮内庁長官の“拝察発言”は海外でも報じられました。政府の感染対策には懸念を抱かれているでしょうが、海外での『東京五輪は天皇の不信任決議を受けた』といった、皇室と政府が対立しているかのような報道は、陛下のご本意ではなかったと思われます」(前出・宮内庁関係者)■昨年よりもメッセージ性を強められただが天皇陛下と雅子さまは再びコロナ禍に言及するという異例の決断を下された。陛下は今年の式典で、以下のように述べられたのだ。《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況による新たな試練に直面していますが、私たち皆がなお一層心を一つにし、力を合わせてこの困難を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》コロナ禍に関する文言は《厳しい感染状況》《なお一層心を一つにし》というように、昨年よりもよりメッセージ性を強められたのだ。前出の宮内庁関係者はこう語る。「“国民をコロナ禍の苦しみから救済したい”“手を携えて危機を乗り越えてほしい”というお気持ちが勝られたのでしょう。批判や波紋も覚悟されてのご決断と思われます。コロナに関するお言葉だけを増やすことはできません。限られた条件のなかで、ご自身たちの思いを国民に伝えるために苦慮されたご様子が見受けられます……」両陛下が魂を込められた400文字が、より多くの人々に届くことを切に祈りたい――。
2021年08月17日ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)が展開する「オブジェ・ノマドコレクション」より、吉岡徳仁が手掛ける「ブロッサム・スツール」の新色が登場。4つの花びらのパーツを組み合わせてデザインされた「ブロッサム・スツール」旅やインテリアに関連した独創的なアイテムを展開する「ルイ・ヴィトン オブジェ・ノマド コレクション」。「ブロッサム・スツール」は、日本人デザイナー・吉岡徳仁が本コレクションのためにデザインしたもので、ルイ・ヴィトンの“モノグラム・フラワー”を模ったアイコニックなシルエットのインテリアアイテムだ。そのユニークな形状は、ルイ・ヴィトンの職人技や技術により、4つの花びらのパーツを組み合わせて成形されている。新色はメタリックな2種類そんな「ブロッサム・スツール」の新色は、メタリック・コッパーと、メタリック・ダーク・シルバーの2色。上品に煌めくスツールは、椅子として使用するのはもちろんのこと、オブジェとしても空間を上質なものにしてくれるはずだ。【詳細】ルイ・ヴィトン オブジェ・ノマド コレクション「ブロッサム・スツール」by 吉岡徳仁カラー:メタリック・コッパー、メタリック・ダーク・シルバー価格:2,706,000円 ※各300個限定【問い合わせ先】ルイ・ヴィトン クライアントサービスTEL:0120-00-1854
2021年08月02日「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」最大6万8千人が収容できる国立競技場の客席には、人影はほとんどない。選手と約900人の関係者が見守る中、天皇陛下は東京五輪の開会を宣言された。開会式の前日には、バッハ会長をはじめとするIOC(国際オリンピック委員会)委員19人と皇居・宮殿「春秋の間」で面会。実はこのとき、バッハ会長が“厚顔”ともいえる行動を見せていた。「IOC委員たちは一人ずつ入室し、陛下に挨拶だけをして席に着くことになっていました。しかしバッハ会長は、陛下に一礼するとそのまま一方的にしゃべり始めたのです。面会を取り仕切っていた式部官長が時間を気にして2度時計を見るほどでした。なかなか終わらないので陛下も短く受け答えせざるをえず、たまらず式部官長がバッハ会長に話を終わらせるように促しました」バッハ会長の身勝手な“不規則発言”に、式部官長は憮然としていたという。バッハ会長といえば開会式では13分にも及ぶ長すぎるスピーチが話題となったが、開会式前日にも失態をおかしていたのだ。出席者全員がそろったところで陛下がバッハ会長へ述べられたお言葉には、コロナ禍の五輪開催への強い憂慮が込められていた。「現在、世界各国は、一昨年末より世界中を襲った新型コロナウイルス感染症の感染拡大という大変厳しい試練に直面しています」「新型コロナウイルス感染症に対する万全の対策を講じながらの大会運営は決して容易なことではないと思います」「夏の盛りの熱波にも注意が必要です」■天皇陛下は五輪開催と感染拡大の板挟みに…開会式の前から、五輪関係者や選手の感染が続出。熱中症で意識不明になったアーチェリー選手もいた。そのような状況での強行開催に、強くくぎを刺されたのだ。そして、大会の成功を願うメッセージを述べられた。「この大会が、皆さんをはじめとする関係者の連携による感染防止対策に万全が期されることにより、アスリートの皆さんが健康な状態で安心して競技に打ち込み、その姿を通じて、新しい未来へと希望の灯火がつながれる大会となることを願います」大会の名誉総裁としての責務を果たされながらも、国民の不安を代弁し、IOCに対して毅然とした態度で応じた陛下。22日にIOC委員19人と面会、23日には各国首脳ら12人と面会、そして開会式に出席。すべて、天皇陛下お一人での出席だった。1カ月前、宮内庁長官の“拝察発言”によって、天皇陛下が五輪開催による感染拡大を強く懸念されていることが明らかになった。その後、感染者数は再び増加に転じ、歯止めがかからない中での五輪開催。実は開会宣言の文言も、直前になって変更になっていた。もともと五輪憲章の’20年版では「近代オリンピアードを祝い」という表現だったが、最終的に「記念する」という表現に。英語の「celebrating」の訳を変更して、祝福のニュアンスを消したのだ。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「陛下は『オリンピックの開催』と『開催による新型コロナ拡大の懸念』の板挟みになっている」と語る。「天皇や皇族方、なかでも数少ない皇位継承者たちが万が一感染すれば、皇室の危機、ひいては日本国の象徴としての存在の危機になる可能性もあります。感染を避けるため、陛下はかなり慎重に対応されてきていると思います。現実に新型コロナ感染で入院したり亡くなったりする方も多いです。熱海では土石流の被害もあったばかりです。お祝いムードで行える状況ではないでしょう。それでも、困難な状況で東京五輪の関係者が尽力しているのも確かです。開催の賛否について国論が二分されている中で、双方に丁寧に対応していこうとされる陛下のご姿勢が見えます」
2021年07月28日新型コロナ感染拡大の影響で1年延期され、史上初の無観客開催となった第32回オリンピック競技大会。ついに7月23日の午後8時、多くの国民がテレビ越しで見守るなか東京大会の幕が開かれた。今大会の名誉総裁を務められる天皇陛下は、午後8時すぎにメインスタンドの「プレジデンシャル・ボックス」に着席された。開会式が無観客となり大会関係者も配偶者を伴わないことから、皇后雅子さまの出席は見送られた。そんななか、IOCのトーマス・バッハ会長(67)の“立ち位置”が物議を醸しているのだ。陛下の入場に際して「天皇陛下がご臨席になります」と紹介された後、「バッハ会長の案内によりご入場されます」とのアナウンスが続いた。陛下をエスコートする形で、いち早く観覧席へと足を進めたバッハ会長。陛下と向き合うと一礼し、会場内に向けて意気揚々と手を振った。席の配列は陛下を中心に、各国要人や大会関係者が一列に並んで着席する形となった。陛下の右隣にバッハ会長、左隣には菅義偉首相(72)が着席し、陛下は静かに式典を見守られた。「バッハ会長はにこやかな表情で、陛下よりも先に手を振っていました。式典中、陛下はカメラに視線を送られる一幕もありましたが、抑制的な表情をされていたのが印象的でした。コロナ禍において陛下は、国民の生活や健康を何よりも心配されています。今大会についても、感染拡大することのないよう願われてきました。それに引きかえ、強引に今大会の開催を推し進めたバッハ会長は国民感情を逆なでするような言動ばかり目立ちます。バッハ会長が陛下と横並びで観覧する演出に、複雑な感情を抱いた国民も多いのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)国民に心を寄せる陛下とは相反するようなバッハ会長の振る舞いに、ネット上では冷ややかな声が上がっている。《陛下とバッハが同列にとてつもない違和感。バッハはそんなに偉かったか?》《え?何でバッハが陛下と同列になってんの先に手振ってるし何か凄いな》《バッハと陛下が並んでるの、許せない。陛下は何よりもコロナ拡大を心配されているんだと思う》7月6日に1回目のワクチン接種を受けられた陛下だが、2回目の接種はまだ受けられていない。感染リスクの懸念があるなかで、開会式に単独で臨まれた陛下を慮る声も広がっている。《陛下大丈夫かな…まだワクチン一回しか打ってないのに》《陛下がオリンピックにまつわる様々なことを一身に背負い、それでも開会式に出席し、バッハの隣に座っている。ワクチンを一回しか打たれずに。頭が下がる》《陛下が感染しないかがただただ心配な開会式》
2021年07月24日俳優でモデルの鈴木仁が22日、オンラインで実施された「Jin Suzuki 22nd Birthday Event」に登場。22歳の誕生日を迎えた心境や抱負などを語った。MEN’S NON-NO の専属モデルを務め、7月17日からは、単独初主演を飾るFODオリジナルドラマ『ギヴン』も始まった鈴木。22歳の抱負を問われて「(やりたいことは)ものづくりやクリエイティブ。自分の作りたいもの、自分が表現したいものの幅を広げられるようにしたい」とコメント。服飾や写真へのこだわりを語りつつ、「この1年はそれを練習したり、実用化するまでに自分のレベルを上げたりする年にしたい」と意気込んだ。21歳の1年間を漢字一文字で表すと「戸惑うの『惑』や『迷』が当てはまる。仕事を始めたきっかけは勢いもあった。勢いでごまかしている部分もあった。物事を知る中で、考えが追いつかなかったり、分かってきたからこそ逆に分からなかったりして、自分をごまかせなくなったりした。21歳の年はそれを多く感じた」と率直に振り返った。また、ファンからの質問にも回答。1週間休みがもらえたらどうするかと尋ねられて「最近ドライブが好き。行ったことのない四国で、レンタカーで四県回りたい」と願望を明かした。イベント終盤には、鈴木の誕生日を祝うべく、4月開催のファン感謝祭「SUPER HANDSOME LIVE 2021」で共演した渡邊圭祐、松岡広大、兵頭功海がサプライズ登場。鈴木の人物像を探るクイズを展開し、和やかな一時を過ごした。
2021年07月22日「科学技術の英知を傾け、人々の絆を強め、連帯を深めることで、人類はこの未曽有の困難を乗り越えることができると信じています」天皇陛下は6月25日、オンライン開催された国連の「水と災害に関する特別会合」で、出席者たちにそう語りかけられた。26分にわたる講演で、震災の記憶やコロナ禍の教訓を後世に伝える意義などを訴えられたのだ。最後は「誰ひとり取り残されることなく、健康で幸せな毎日を享受できる社会の構築に向けて、私も皆さんと一緒に努力を続けていきたいと思います」と締めくくれられた陛下。だが、東京五輪開催に突き進む日本では、“人々の絆”が強まるどころか分断が深まるばかり。都内の感染者数は再び増加に転じ、感染爆発が危ぶまれるステージ4の水準に達した。ワクチンの接種は進み始めたが、五輪ボランティアでさえ接種が間に合っていない。世界中がコロナ禍にあえぐ中、犠牲を払って強行開催されようとしている五輪。いま日本は、陛下がおっしゃった“誰ひとり取り残されることなく、健康で幸せな毎日を享受できる社会”という理想とは真逆の方向に進んでいないだろうか。「この講演は、波紋を呼んだ『拝察』発言があった西村宮内庁長官会見の翌日に行われました。五輪開催による感染拡大の懸念を長官を通じて発信されたのは、雅子さまと被災地に足を運ばれたり、水害について研究されたりするなかで培われた“誰ひとり取り残さない”という信念ゆえだったのでしょう」(皇室担当記者)■“陛下の懸念”に憲法違反との指摘もだが、国民を第一に考える陛下のメッセージは、一部から強い批判を浴びている。読売新聞は「宮内庁長官発言が波紋『陛下、五輪懸念』政治利用の恐れ」との見出しで、「宮内庁長官が政治に絡む天皇の思いを公にするのは、問題で越権行為」という憲法学者の見解を報道した。「陛下ご自身も憲法違反との批判を受けることは十分に承知されていたでしょう。それでも、ご懸念を伝えることを決意されたのです。開会式まで3週間を切りましたが、7月3日時点で開会宣言を読まれるかどうかもあいまいなままです。これは異常な事態であり、陛下の強いご意志を感じます。ただ、政府やIOCとの駆け引きはまだ続きます。両陛下の開会式への出席以外にも要人との面会を政府は要請してくるでしょう。とくに語学とコミュニケーションに長けた雅子さまに政権は期待しているはずです」(宮内庁関係者)海外は陛下の“異例の懸念”をどう見ているのか。海外王室に詳しい多賀幹子さんによると、「イギリスのエリザベス女王もこれまでは言い訳や文句を言わない姿勢を貫いてきましたが、メーガン妃による王室批判に直面してからは、間違いは正していくという考え方に移行してきています。そういった背景もあってか、今回の天皇陛下の懸念も海外の報道では否定的な捉え方はされていません」西村長官が「天皇の政治利用」などと批判を受ける一方で、菅総理は皇室利用に躊躇がない人物として知られている。’13年9月、東京五輪の招致を目指していた安倍政権は、高円宮妃久子さまのIOC総会出席を要請。宮内庁は安倍政権からの要請に応じたものの、「皇室の政治利用になる」との懸念も強く、当時の風岡典之長官は「苦渋の決断をした。両陛下(現在の上皇ご夫妻)も案じられていると拝察する」と発言した。風岡長官は西村長官と同じく、「拝察」という言葉で上皇ご夫妻のご懸念を伝えたのだ。■IOCが皇室に“接待パーティ”要求もこれにかみついたのが、当時官房長官だった菅氏だった。菅氏は「両陛下の思いを推測して言及したことについては非常に違和感を覚える」と風岡長官に色をなして反論。「皇室の政治利用、官邸からの圧力であるという批判には当たらない」と言い切った。「このとき久子さまを東京五輪招致の“切り札”としたように、菅総理は今回も五輪を成功させるべく陛下、そして雅子さまの全面協力を要求してくるかもしれません。さらには、IOCが皇室の“おもてなし”を求めてくる懸念もあるのです」(前出・宮内庁関係者)ノルウェーのオスロ市は、’22年冬季五輪の招致レースを途中で撤退している。その原因が、IOCが要求した“豪華接待”だったとされる。地元紙によれば「空港でIOC会長の歓迎レセプションを行う」「各委員のホテルの部屋に季節の果物と菓子を届ける」「会場のラウンジにワインとビールを」といった“VIP待遇”を求める内容ばかりだったというのだ。さらには「IOC委員は開会式前に国王と面会。式後のパーティ費用はノルウェー王室かノルウェーの組織委員会が持つ」との要求も。「菅政権はIOCの言いなり状態。ノルウェーと同様の“接待要求”をされて、突き返すことができるとは思えません。それでも両陛下は、政府からの要請を原則として拒否することはできません。これ以上、陛下が政府の姿勢に反するような発信をすれば“憲法違反”との批判を浴びることは免れません。一方で政府に従えば“国民への裏切り”と受け取る人もいるでしょう。陛下は非常に難しい立場に置かれていますが、雅子さまは最後まで陛下とともに、批判の矢面に立つご覚悟を決めていらっしゃるそうです」(前出・宮内庁関係者)陛下とともに、雅子さまも悲壮な覚悟で臨まれる五輪。前例なき闘いの行方は――。
2021年07月07日「天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変ご心配されておられます。国民の間で不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」6月24日の定例記者会見でそう発言したのは、宮内庁の西村泰彦長官。長官はさらに「私としましては、陛下が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックで、感染が拡大するような事態にならないよう組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい」と、強い口調で要請したのだ。“陛下の懸念”の波紋は国内にとどまらず、海外にまで広がっている。アメリカの有力紙『ワシントン・ポスト』は25日、「東京五輪は天皇の不信任決議を受けた」と報道。「天皇がこのような重要で物議を醸す話題について発言することは珍しく、天皇の見解は重みを持つ」と伝えている。宮内庁長官を通じて伝えられた、陛下の強い懸念――。しかし、菅政権はそれを受け止めようとはしなかった。加藤勝信官房長官、丸川珠代五輪相、そして菅義偉総理大臣は口をそろえて「宮内庁長官ご本人の見解を述べたもの」などと受け流したのだ。だが、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは「天皇陛下が直接おっしゃったわけではありませんが、陛下のお気持ちであることに疑いはないでしょう」と語る。「『拝察』という表現は、天皇や皇族のお気持ちを伝える際に長官などがよく使う手段ではあります。今回も陛下のお言葉として懸念を表明すると問題が大きくなりますので、長官は水面下で政府に懸念を伝えたうえで、あくまで長官自身の考えとして陛下のお気持ちを国民に伝えたかったのでしょう」■陛下は五輪への言及を避けられてきたではなぜ、陛下は“政治への介入”と取られかねないリスクを冒してまで、強いご懸念を表明されたのか――。実は、長官の会見の2日前、陛下は菅総理からの「内奏」を受けている。内奏とは、天皇に対し国内外の諸情勢を報告すること。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、次のように解説する。「有観客でのオリンピック開催が決定され、菅総理の内奏ではその方針を天皇に説明したのでしょう。長官の発言は、政府の姿勢が正式に示されたことを受けての動きではないでしょうか。以前から内々には宮内庁側から政府にさまざまな懸念を伝えていたはずですが、それを政府が聞き入れなかったために、長官が会見ではっきり発言せざるをえなかったのだと思います」天皇陛下は東京オリンピック・パラリンピック両大会の名誉総裁を務められている。前例に倣えば、開会式に出席して開会宣言をされたり、五輪関係者と面会されたりすることになるお立場だ。だが、コロナ禍が深刻化してから、陛下は五輪に関して発言することを控えられてきた。今年2月の誕生日会見でも、医療従事者やコロナ禍の国民生活を案じるお言葉を何度も述べられた一方で、五輪についてはいっさい言及されなかった。もともと陛下は大のスポーツ好きで、障害者スポーツにも関心を寄せてこられた。2月の時点ですでに、五輪を応援されてきた陛下が五輪開催への賛同を示せる状況ではなくなっていたのだ。それから120日あまり――。変異株の国内流入、3度目の緊急事態宣言発出、ワクチン接種の遅れなどで国民の不安は消えなかった。5月の時点で、五輪の「中止」もしくは「再延期」を求める声は合わせて8割超(朝日新聞の世論調査)。コロナ分科会の尾身茂会長ら専門家有志は、有観客では感染拡大のリスクが高いとして「無観客が望ましい」との提言を行った。しかし、国民の不安、専門家の提言を無視し、菅政権は“上限1万人”という観客数での開催を決定したのだ。■コロナに立ち向かう学者たちにもエールを実は西村長官の会見の3日前にも、陛下は五輪を強行する菅政権を諫めるようなお言葉を発信されている。雅子さまと出席された6月21日の日本学士院賞の授賞式で、陛下は次のように述べられたのだ。「このような試練に世界が直面している今こそ、医学をはじめ自然科学、人文社会科学の学問諸分野の叡智を結集し、世界の人々が互いに力を合わせることにより、この困難な状況を乗り越え、希望に満ちた未来を築いていくことを期待します」感染拡大や医療逼迫のリスクを訴える専門家たちの声に耳を貸すことなく突き進む菅政権の“人命軽視”ぶりに、陛下は警鐘を鳴らされたのではないだろうか。「国民に寄り添うことを第一に考えてこられた陛下は、ワクチンも国民と同じスケジュールで接種される予定ですので、すでに開会式前に2回の接種を終えることはほぼ不可能となっています。国民のワクチン接種が間に合わないままに五輪を強行開催し、なし崩しに観客数も増やしていく政府の姿勢を強く危惧されたはずです。国民からの不安の声がまったく聞き入れられない以上、自ら動くしかない――。陛下はそう決意を固められ、長官に思いを託したのではないでしょうか」(宮内庁関係者)長官を通じた異例の懸念表明は、陛下の「国民を守りたい」という一心からだったのだろう。開会式の予定日まで1カ月を切った。菅政権、そして組織委員会やIOCの感染防止策にはすでにほころびが生じているが、陛下の“懸念”が現実のものとならないといえるのだろうか――。
2021年06月30日「国民の間で不安の声があるなかで、ご自身が名誉総裁をおつとめになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は定例記者会見でこう述べた。五輪に関する質疑の中で「天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変ご心配されておられます」と言及。そして冒頭のように、陛下の五輪開催の受け止めについて、長官は見解を示したのだ。異例とも言える発言だが、西村長官は「陛下の懸念」について「直接そういうお言葉を聞いたことはない」としつつも、「日々陛下とお接しする中で、私が肌感覚として受け止めている」と語った。そして「感染が拡大するような事態にならないよう、組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい」と強い懸念を示したのだ。陛下はオリンピック・パラリンピック両大会の名誉総裁に就任している。そのため、開会式のご臨席、そして陛下による開会宣言も検討されている。一方で、開幕まで残すところ1カ月となった現在も、国内の新型コロナウイルスの感染状況は深刻な状態が続いている。’13年に東京五輪の開催が決まって以来、陛下は誕生日会見で毎年のように東京五輪について言及されてきた。しかし今年2月の誕生日会見では、陛下がその話題にふれることはなかった。代わりに何度も言及されたのは、コロナ禍に苦しむ国民への心配だった。今月21日に皇后雅子さまと出席された日本学士院賞の授賞式でも、陛下は次のようにコロナ禍に言及されている。「現在、我が国を含め世界各国は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大という大変に厳しい試練に直面しています。この試練を乗り越えるためには、国内外を問わず、私たちが、なお一層心を一つにして協力していくことが大切です」国民の生命と生活を心配され続けてきた陛下。西村長官が伝えた「陛下の懸念」に、Twitter上では賛同を示す声が相次いでいる。《これが国民の心に寄り添うということだろう》《政府よりも国民のことを真剣に考えてくれてるよね、天皇陛下》天皇陛下は、象徴天皇として政治的な発言をすることはできない。そんな中、「拝察」という微妙な表現で陛下のご懸念を伝えた西村長官には《長官の感想ですよね?》《陛下の政治利用》との批判がある一方で、称賛の声も上がっている。《宮内庁長官は、とても慎重に言葉を選んで発言されている》《政府は、これを発信した意味を、重く受け止めて判断して頂きたいですね》
2021年06月24日5月30日、天皇陛下と雅子さまは島根県大田市の三瓶山で開催された「全国植樹祭」に初めてリモートでご出席された。三瓶山の会場と東京の赤坂御用地内に大きなモニターを設置し、双方が映像で様子を見ながらのご交流となった。「全国から参加された皆さんとご一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います」大型のモニターを通してお言葉を述べられた天皇陛下。式典では雅子さまも陛下とともに子どもたちの説明をお聞きになり、笑顔で恒例の「お手播き」「お手植え」をされた。コロナ禍が続くなかでも、例年どおりのプログラムを組み入れた、新しい式典スタイル。終了後には、両陛下がモニターに向かい手を振られながら退出するなど、会場と一体になる演出も工夫されていた。
2021年06月20日天皇陛下の長年の思いが実り、お二人が結ばれて28年。ふと会話されるときの笑顔や視線からにじみ出る信頼と愛情は年々強くなっていくようだ。その軌跡を、写真で振り返る――。■ご公務中の弾ける笑顔【’94年】奈良県での「みどりの愛護」のつどいへ。雅子さまは雨の中、陛下に傘を。【’98年】石川県の全国農業青年交換大会。梨園で一緒に梨を収穫。取ろうとされた梨が落下するハプニングでお二人が慌てる場面も。【’03年】兵庫県の淡路島ご訪問。特産品の玩具・じゃんけんピーヒャラを楽しまれて笑顔に。■趣味の時間に語らいを【’94年】登山那須御用邸ご静養中によくお出かけになる那須連山へ。陛下は雅子さまに何度も登られた茶臼岳山頂からの眺望をご説明。【’98年】動物陛下も雅子さまも動物がお好き。葉山御用邸裏の海岸で犬と散歩中の人々とご交流を。【’02年】カメラニュージーランドの世界遺産ミルフォード・サウンドで、近づいてきた野鳥を撮影。■愛子さまのご成長がご夫妻の喜びに――【’18年】那須御用邸敷地内にて。当時16歳の愛子さまは「滞在中の楽しみは?」との問いに「那須の自然に触れるのがいちばん」と。■息ぴったりのリンクコーデ【’16年】山の日の式典にご一家で臨席の後、上高地を色違いのチェックシャツでご散策。【’19年】トルコのエルドアン大統領夫妻と宮殿でご会談。陛下のネクタイの淡い緑と雅子さまの若草色の着物で優しい色合わせを。【’20年】コロナ禍が深刻になる直前のバレンタインデーに、濃淡の青コーデで世界らん展へ。【’21年】グレーのジャケット姿で、昨年の九州豪雨で被災した熊本県の市町村をリモートでお見舞い。■対話こそ、お二人の愛の形(『女性自身』皇室担当記者・近重幸哉)ご即位を1年後に控え、最後のご出席となった’18年5月の全国「みどりの愛護」のつどい。天皇陛下と雅子さまは琵琶湖畔の植樹会場で、自然にほほ笑み合って会話しながら歩いていかれた。昨年2月、コロナ禍が深刻になる直前のバレンタインデーにご覧になった世界らん展では、陛下のネクタイと雅子さまのスーツを青系で合わせたリンクコーデをされてご出席。このときも、楽しそうにお話をされるご様子に、周囲の人たちも明るい雰囲気に包まれた。平成時代、お出かけ先で上皇陛下と美智子さまはよく腕を組まれ、手をつながれた。その仲むつまじいお姿が国民に愛された。そのため’93年6月のご成婚以降、天皇陛下と雅子さまにも手をつないでいただければと、国民の多くやマスコミも期待したが、これまで公の場では一度も手をつながれることはなかった。しかし、お出かけ先で目と目を合わせお話しになるときの和やかな雰囲気から、両陛下の仲のよさは十分伝わってくる。そのご様子は、ご成婚から28年の月日を重ねたことでより自然になられたようだ。そして陛下が長年取り組まれてきた水資源の問題や、雅子さまが興味をお持ちの子どもたちの問題などのテーマもお互いに理解されている。また保護動物を飼われるなど、ご家族で動物愛護にも務められている。両陛下は、広い視野と柔軟なお考えを持ち対話を積み重ねてこられたのだろう。それは今年のお正月のビデオメッセージに初めておそろいでお出ましになったことにも感じられた。令和の両陛下は、お互いがよき相談相手となって支え合いながら、いつも国民の平安を願われているのだ。
2021年06月19日天皇陛下の長年の思いが実り、両陛下が結ばれて28年。お二人の出会いは86年10月だったが、ご婚約内定のニュースが流れたのは、93年1月6日のことだった。その年の6月9日に結婚されるまでの目まぐるしき5か月間を、写真で振り返る――。【1月8日】ご婚約内定報道の2日後、初のお出かけは帝国ホテルでの写真撮影。【1月19日】ご婚約会見出会いから6年。陛下の一途な思いが受け入れられてのご婚約に、日本中が祝福ムード一色に染まった。【2月23日】陛下の33歳の誕生日をお祝いする夕食会。東宮仮御所の玄関で。【4月1日】当時の陛下のお住まい・東宮仮御所でのデート風景。楽しそうにお二人でアルバムをご覧に。【4月12日】納采の儀一般の結納に当たる納采の儀。雅子さまのご実家・小和田家を上皇ご夫妻の使者が訪れ、納采の品として雌雄の鯛、清酒、絹地を納めた。【6月1日】ご成婚直前のデートで、東宮仮御所の庭で見つめ合ってお話を。雅子さまの左手薬指には、美智子さまから贈られたパールの指輪が光る。【6月9日】ご成婚パレード直前、宮殿・車寄せに並ばれた陛下と森英恵デザインのローブデコルテ姿の雅子さま。
2021年06月19日皇室の方々は、試写会やコンサートなどで芸能人とお会いになる機会は少なくない。過去の意外な対面シーンを振り返ってみよう。天皇陛下は青春時代、歌手の柏原芳恵のファンだったことは有名な話。’86年10月にはバラ「プリンセスサーヤ」を一輪持ってリサイタルにお出かけになった。同年11月には、NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』の収録現場を見学された陛下。主演の渡辺謙らの前で伊達政宗の兜のレプリカをかぶられ、ご満悦の表情。陛下はハリウッドスターとの“共演”も。’93年11月には山岳地帯が舞台の映画『クリフハンガー』の試写会へ。登山がお好きな陛下は主演のシルベスター・スタローンと意気投合されたのか、固い握手を交わし歓談されていた。秋篠宮ご夫妻が’92年4月に試写会でご覧になったのは、井上靖原作、ロシアを舞台にした映画『おろしや国酔夢譚』。西田敏行、故・緒形拳さんと歓談された。’92年6月、紀子さまは人気絶頂だったトム・クルーズと笑顔で握手。当時の妻・ニコール・キッドマンと一緒の来日で大きな話題となっていた。上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは、美智子さまとも交流のあるさだまさしの大ファン。’92年7月など、コンサートにも何度かお出かけになっている。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁をお務めの天皇陛下は、昨年のお誕生日会見で世界的なスポーツの祭典が「つつがなく成功裡に終えられることを願っています」と述べられた。雅子さまも同じ思いで、双方の大会に臨まれる予定となっている。そんな、両陛下の五輪への思いを、秘蔵写真とお言葉で振り返る。■’64年・東京五輪当時4歳の天皇陛下は上皇ご夫妻とご観戦。陛下にとって、幼少時「記憶に残っている最初の大きな出来事」だそう。《各国選手団が国ごとではなく、混ざり合って仲良く行進する姿を目の当たりにすることができたことは、変わらず持ち続けている、世界の平和を切に願う気持ちの元となっているのかもしれないと思っております》――天皇陛下(’20年)■’72年・札幌五輪冬季オリンピックを観戦するため、秋篠宮さまと千歳空港にご到着■’96年・アトランタ五輪選手結団式壇上の田村亮子(当時)選手、谷口浩美主将を見守られる両陛下■’98年・長野五輪長野オリンピックでは、雅子さまのお好きなアイスホッケーの対フランス戦を観戦し、笑顔をお見せに。《多くのことを乗り越えてこられた選手一人一人に、心からの拍手を贈りたい気持ちで一杯になりました》――雅子さま(’98年)《オリンピックの場で得られた友情というものは、(中略)国境を越えた人と人との相互理解を深める上で、大きな役割を果たすものだと思います》――天皇陛下(’98年)■’16年・リオ五輪選手結団式結団式で吉田沙保里主将、右代啓佑選手らにエールを送られた。■’18年・園遊会平昌パラリンピック金メダリストの村岡桃佳選手とお話を。《日本の社会に新たな活力をもたらし、個々の人々の可能性を一層開花させるとともに、日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》――雅子さま(’18年)■’18年・パラリンピック選手とご伴走リオパラリンピック銀メダリストで目の不自由な道下美里選手を赤坂御用地に招き、伴走をお務めに。《オリンピック・パラリンピック大会を通して、特に若い人たちに、世界の人々への理解を深め、平和の尊さを感じてほしいと願っています》――天皇陛下(’20年)ご成婚以来、両陛下は長野オリンピック・パラリンピックの競技をご覧になったのをはじめ、オリンピック選手団の結団式・壮行会にも出席され、五輪に深く関わってこられた。しかし、この夏の大会は世界的なコロナ禍もあり、今も開催が危ぶまれている。いずれにせよ両陛下は、東京での大会が無事に終わり、平和の輪が広がることを願われていることだろう。
2021年06月16日