現在放送中のドラマ「BG~身辺警護人~」で主演を務める木村拓哉が、先日長時間に及ぶアクションシーンを終え、無事クランクアップを迎えたことが分かった。なお、本作は3月15日(木)今夜が最終回。本放送を前に、木村さんのクランクアップ時のコメントが到着した。木村さんをはじめ、斎藤工、菜々緒、間宮祥太朗ら身辺警護課のボディーガードたちが、様々な警護対象者を護っていく様子を描いた本作。ほかにも、江口洋介、石田ゆり子、山口智子ら豪華俳優陣も参加し話題を集めた。木村拓哉クランクアップ!「なんだか信じられない気持ちで…」先日の木村さんのオールアップ時には、深夜にも関わらず、サプライズで斎藤さんと間宮さんも駆けつけ、ふたりから木村さんへ花束が手渡されると、「ありがたいですね」と、とても嬉しそうな表情を見せた木村さん。3か月の撮影を終え、木村さんは「正直現実味がないです。この3か月間、毎日このメンバーで撮影して、移動して、お弁当食べて…ってずっと一緒にいたので、急にこれで終わりです、って言われてもなんだか信じられない気持ちで…」といまは実感が湧かない様子。また「本当にキツいスケジュールの中での撮影でしたが、それによって強い絆も生まれました。このチームの一員として撮影に参加できたことは、とてもありがたいことでした」とふり返り、「物事には必ず始まりがあって終りがある、というのは当たり前なんですけど、『BG~身辺警護人~』は、これが終わりじゃなくて、句読点の“読点(、)”だといいなぁと、どうしても思ってしまうんですよね」と名残惜しそうに語っていた。さらに、今夜放送の最終回を楽しみにしている視聴者へ向けて、「『BG~身辺警護人~』チームは、視聴者のみなさんが見てくださる、楽しんでくださる、ということを励みに撮影踏ん張ってきました。みんなで一緒にゴールテープを切ったチームだったので、みなさんも是非、最終回を端から端まで余すことなく楽しんでいただいて、一緒にテープを切っていただけたらなと思います」とメッセージを寄せている。最終回あらすじ発砲事件に巻き込まれ命を落とした身辺警護課課長・村田五郎(上川隆也)。唯一現場の状況を知ることができるはずだった村田の遺品であるICレコーダーも警察の手によってデータを消され、いよいよ真相は闇の中に葬られようとしていた。週刊誌などにも下世話に書き立てられ、悔しい思いを抱く島崎章(木村拓哉)ら。しかし決して諦めることなく、村田の汚名をそそごうと誓った矢先、厚生労働大臣の職を辞した立原愛子(石田ゆり子)が「私が真実を話します」と名乗り出てくる。証拠も隠滅されたいま、残された方法は現場にいた人間が証言をしてくれることだけ――愛子の申し出を受けた章たちは、真相を語ろうとする彼女の警護をすることに…。しかし、そのことによって章たちの身にも危険が迫り…?その頃、SPの落合義明(江口洋介)は上司の氷川(宇梶剛士)に「みずから事件の処理をする」と宣言。驚きの行動に出る!「BG~身辺警護人~」最終回は3月15日(木)21時~テレビ朝日系にて放送(15分拡大スペシャル)。(cinemacafe.net)
2018年03月15日神崎恵×VOCEウェブサイト編集長のトークイベント2018年3月7日(水)、伊勢丹新宿店本館6階 催物場 EVENT STAGEにおいて、美容家・神崎恵と、VOCEウェブサイト編集長・三好さやかによるトークイベントが開催される。開催時間は18:00から19:00まで(予定)。雰囲気別のメイクアップ方法や、コスメデコルテの魅力や効果的な使い方などをチェックすることができそうだ。招待人数は50名。トークショーの申し込みは、2月21日(水)10:00に公開される「VOCEウェブサイト」の記事から応募することができる。3月7日(水)から3月12日(月)まで、イセタン メイクアップ パーティ開場内で、コスメデコルテの新ポイントメイクアップアイテムを8,000円(税抜き)以上購入した人を対象に、神崎恵のサイン入りコンパクトミラーが、数量限定でプレゼントされる。神崎恵のプロフィール美容家の神崎恵は、1975年12月13日生まれ。神奈川県出身。パールダッシュ所属。自ら試し、本当に良いものだけを勧めるスタイルが幅広年代から支持を集め、Instagramのフォロワー数は19万人を超える。3児の母でもある。著書には、「読むだけで思わず二度見される美人になれる」、「大人のための美容本」などがある。(画像は神崎恵 オフィシャルブログより)【参考】※神崎恵 オフィシャルブログ※VOCEウェブサイト※パールダッシュ※神崎恵 Instagram
2018年02月17日●編集長としての意気込みとモデルへの思い多数のファッション雑誌に出演し、ファッションコーディネートサイト「WEAR」での私服コーデ公開も注目されているアイドルグループ・NMB48の村瀬紗英(20)がこのたび、WEBマガジン「Light uP.」を立ち上げた。同サイトは「照明を当てて光り輝くように、明るくステキな女性を演出すること」を目的とし、10~20代のおしゃれが大好きな女性たちに向けて、最新のトレンドファッション、メイクに加え、ライフスタイルまで紹介。編集長として企画からキャスティングまで担当する村瀬に、意気込みや目標を聞いた。○WEBマガジン「Light uP.」の魅力と編集長としての意気込みNMB48の村瀬紗英撮影:蔦野裕――どういった経緯で「Light uP.」を立ち上げることになったのでしょうか。もともと私はファッションの世界で活躍したいと思っていて、最近雑誌にもちょこちょこ出していただく機会が増えたのですが、何かきっかけがあればもっとファッション方面にいけるんじゃないかと。NMBにはその方面で活躍している人がまだいないので、先陣を切りたいと思っています!――どんなサイトか、見どころを教えてください。一緒に輝いて、「うれしい」「かわいい」という気持ちを共有できるようなサイトにしていきます。私も雑誌の撮影などでいろんなファッションやメイクをして、「こんな風になれるんだ」とか「こんな一面があったんや」とか知ることができたので、もっとかわいくなる方法や自分の良さに気付けるようなアドバイスができたら。――イチオシ企画は?私の私服コーデ企画です。編集長という立ち位置を考えながら自分も出ていく予定で、こういうときにはこういうコーデがいいとか、私なりのセンスを取り入れた企画が多いです。――立ち上げに向けての準備はどのようなことを?企画を考えたり、記事に私だけが出るのではなくモデルさんに声をかけたり、自らキャスティングもします。街中のおしゃれな人のスナップを撮ったり、季節感のあるメイクやファッション、ライフスタイルなど、いろんな部門で発信していけるように準備しています。――キャスティングまでされるんですね。モデルはAKBグループの方をメインに?全然問わず、私が気になった方にお声かけできればいいなと。インスタが流行語にも入っているくらい見られていると思うので、インスタで活躍している人も発掘してみたいです。――サイトとしての目標は?さまざまなモデルさんにも出てもらう中で、定期的に出てくれる方も出てくると思うので、そういう方たちと一緒にイベントをやりたいです。また、ブランドとコラボして商品を発売するというのもできたらいいなと思っています。そして、私の夢は雑誌の専属モデルになることなので、「Light uP.」で活躍してその夢にもつながるとうれしいです。○夢はファッション雑誌の専属モデル――もともとアイドルよりモデルに興味があったそうですね?そうなんです。アイドルになる前に雑誌のモデルのオーディションを受けたり、ファッション雑誌のモデルになるのが昔からの夢でした。――NMB48のオーディションを受けたきっかけは?雑誌を見たり友達が芸能の仕事をしているのに刺激を受けて、私もそういう活動ができたらいいなと思っていたときにお母さんとお父さんから「大阪でアイドルあるらしいから2期生受けてみたら」と言われて。その頃はアイドルに全然興味がなかったんですけど、きっかけになるかなと思って受けてみました(笑)。でも、人前で踊ったり歌ったりするのがめっちゃ苦手だったので、受かるとは思ってなかったです。――実際、アイドルとしての活動はいかがですか?歌ったり踊ったりするのがめっちゃ好きっていうことに気付きました! 舞台で表現したり、ファンの方との関わりも楽しいなと。AKBグループは握手会があったりファンの方との距離が近いので、そういうところで人とのコミュニケーションも学んでいます。――最近は、雑誌やファッションイベントなどでモデルとして活躍されていますが、モデルの難しさなど、やってみて気付いたことはありますか?NMBの活動の写真と、モデルの写真と撮り方が全然違うことに気づきました。NMBの写真は顔、表情がメインなんですが、モデルの写真は見せたいものがメイクやファッションなんです。メイクのここを見せたいからこういう角度にするとか、このスカートにはこのポージングがいいとか、意識するポイントが違うんだなと知りました。――アイドル活動がモデルに生きてるなとか、逆にモデルの活動がアイドルにプラスになってるなとか感じることはありますか?NMBの曲はセクシーな曲やかわいい曲などいろいろあるのですが、曲に合わせたステージでの見せ方はモデルの写真での表現にもつながっているのかなと思います。また、モデルとしての活動では、どういうポーズをしたらきれいに見える、脚が長く見えるといったことが学べ、それはアイドルとしてもプラスになっています。――芸能活動における将来的な目標は?今は専属モデルになりたいと言うのが一番の目標なので、そこに向けて頑張りたいです。あと、自分のフォトブックも目標です。アイドルとしてグラビアの水着を着させていただくこともあるのですが、私のファッションを楽しみにしてくれるファンの方も増えてきたので、フォトブックでいろいろなファッションを披露したいです。○目指すモデル像と黒木メイサへの憧れ――目指すモデル像は?なんやろう…? かっこいいとか、かわいいとか、そういうのを全部兼ね備えている新しいジャンルとして"村瀬紗英"が出ていけるようになりたい。型にはまらず、すべてを含めて私みたいな、そういう自分のポジションを確立していけるようになりたいです。今はまだいろいろ経験して吸収していく段階なので、その中で自分のスタイルを築きあげていけたらと思っています。――憧れているモデルさんはいますか?小学生のときから黒木メイサさんがめっちゃ好きなんです。健康的な美しさというか、ありのままという感じが好きです。かっこいい女性だなと憧れています。――黒木さんのファッションなどを参考にしたりしているんですか?参考というよりは、ただただ美しくて憧れる。そんな存在です。――アイドルグループだと最近、乃木坂46が雑誌や写真集、ファッションイベントなど、モデルとしての活動が目立っていますが、刺激されるということはありますか?そうですね。私が出たいと思っている雑誌で専属モデルをされていたりするので、私もその方面に出て活躍したいなと思います。●モデルとしての日々の努力と美の秘訣○毎日更新「WEAR」で成長を実感――家でポージングの練習などされるんですか?昔はめっちゃしていましたね(笑)。NMBに入る前から、雑誌を見て「あ! 可愛い。私もやってみよう」って。今は「WEAR」を毎日更新している中で、服の見せ方やきれいなポージングがわかるようになりました。そのおかげで、雑誌の撮影とかで「ポージングいっぱい持ってるね」って褒めてもらうことが多くて「うれしいな」「やっててよかったな」と思っています。――「WEAR」の服は全部私服ですか?私服です。なので、「WEAR」始めてから服がめっちゃ増えました!――服はどうやって買っていますか?実際にお店に行くことが多いです。大阪でよく買い物してます。以前は気に入った服をすぐ買ってたんですけど、最近は「WEAR」を意識して、自分の好みも入ってる着回ししやすい服を選ぶようになりました。コーディネートを考えて自分が着ているのを想像しながら買っています。――美しいスタイルをキープする秘訣は?5年くらい前から毎晩、お風呂上がりはコロコロするやつで足をマッサージして寝るようになりました。全然違います。あと、運動は昔からずっとしていて、小5からバドミントンをやっていました。今はコンサートやライブでのダンスが運動になっているかなと。あと、休みの日や空き時間にジムにも行くようにしています。――肌のケアは?パックと美顔器はするようにしています。パックはけっこうずっと前から。美顔器は2年くらい前からするようになりました。――そういった美容方法は、NMBのメンバー同士で交換したりするんですか?同じ部屋でメイクするので、メイク道具とかお互いのを見たりしてけっこう話します。「何使ってんの?」とか「リップかわいい」とか。――NMBの方は元気、おもしろいというイメージが強いのですが、女子力も高いのでしょうか?意外と高いと思います(笑)。ファッションもみんな好きですし。○女子力選抜ユニット・Queentetとしても活動――今年の元日には女子力選抜ユニット「Queentet(クインテット)」も結成され、個人のモデル活動以外にも女子力を発揮できる場面が増えそうですね。そうなんです。NMB自体が女性のファンの方がすごく多くて、(吉田)朱里さんがYouTubeで女子力動画をアップしていたり、NMBのライブでは48グループ初の女性専用エリアができたり、女性ファンの方に向けた取り組みにも力を入れているので、私も一員として頑張りたいです。――2月2日にはQueentetのフォトブックが発売されます。メンバーそれぞれのコンセプトに分けて撮影して、すごくいい感じになってます。私は、朱里さんが選んでくれたんですが、落ち着いたクール担当で、自分としても好きな感じだったのでしっくりきています。――Queentetは今後どういった活動をされるんですか?まずは、フォトブック発売にあわせてお渡し会がありますが、今後、女子だけのイベントとか、ユニットでいろんな方面に出ていきたいです。目標はファッションショーにみんなで出ることで、TGC(東京ガールズコレクション)に出たいねと話しています。――今年、一番やりたかったモデル、ファッションのお仕事という点で、転機の年になりそうですね!NMBの先陣切ってファッションの世界で活躍できるように頑張ります!■プロフィール村瀬紗英1997年3月30日、大阪府出身。2011年5月にNMB48第2期生オーディションに合格し、同年6月に2期生としてお披露目される。2017年の「第9回AKB48総選挙」で、第39位に初ランクイン。2018年1月1日の新春公演では、吉田朱里、太田夢莉、渋谷凪咲、植村梓との女子力選抜ユニット「Queentet(クインテット)」をお披露目。ファッションコーディネートサイト「WEAR」のフォロワーは約43万人で、私服コーデの更新が注目を集めている。撮影:蔦野裕
2018年02月01日元SMAPの稲垣吾郎がパーソナリティを務める文化放送のラジオ番組『編集長 稲垣吾郎』(毎週水曜21:30~22:00)のスピンオフ特別番組『編集長 稲垣吾郎 スペシャル』が、12月17日(15:00~16:00)に生放送されることがこのほど、明らかになった。稲垣がラジオの生放送特番のパーソナリティを務めるのは初めて。稲垣吾郎『編集長 稲垣吾郎』は収録番組として今年1月にスタートした、稲垣の一人しゃべりの30分のトーク番組。映画・読書・ワイン・ゴルフ・音楽と多様な趣味を持ち、料理や美容への造詣も深く、自らも“女子力が高い”と公言する稲垣が、ラジオで「女性誌の編集長」となり、さまざまなトレンドを取り上げながら、自身の近況を交えつつトークを繰り広げている。番組のリスナーは、全国に散らばる"雑誌記者"として、周囲で話題になっていることや、興味があることを吾郎編集長に伝えて(投稿して)いる。今回のスピンオフ特番は1時間の生放送となり、番組には、“編集者”という立場で、初めて西川文野アナウンサーも出演。メール、ツイッターをフル活用して、本物の編集会議さながらに、記者役のリスナーと生でつながる。通常番組のメインコーナーで、リスナーや吾郎編集長が気になるテーマをじっくりと取り上げる「GORO’s Search」や、吾郎編集長が語る「GORO’s Column」など、人気コーナーもスペシャルバージョンで届ける。
2017年12月01日発達ナビ編集長・鈴木悠平のオススメ本発達ナビでは秋の読書週間に合わせて様々な方におすすめの本を紹介いただきました。しめくくりに、発達ナビ編集長の鈴木悠平が、発達ナビのユーザーの皆さんにご紹介したい本をピックアップしました。『イラスト図解 発達障害の子どもの心と行動がわかる本』北海道の「こころとそだちのクリニックむすびめ」院長である、児童精神科医の田中康雄先生の著書。表紙にある”「困らせる子ども」は、「困っている子ども」です。”のメッセージの通り、発達障害のある子どもたちの側に寄り添い、さまざまな特性を持つ子どもたちが、身の回りの出来事をどのように感じて、どうして困ってしまうのかを、イラスト付きでやさしく解説しています。学術的な難しい専門用語はほとんど使われておらず、発達障害についての前提知識がなくても簡単に読み進めることができます。発達障害について知りたい、子どもの行動の理由を知りたいといったときの「はじめの一冊」としてピッタリな本です!『ぼく、アスペルガーかもしれない。』著者の中田大地さんは、2001年北海道生まれ、本書執筆時はなんと8歳!小さいころから音や光に対しての過敏性が強く、集団行動にも難しさがあったことから、小学校進学時は特別支援学級で学ぶことを選択。自分の目や耳はどんな風に感じているのか、自分はどんなことが得意で、どんなことが辛いのか…日常の一つひとつの体験を、中田さんが自分自身の言葉で語っています。”しっかり働ける大人になるために僕はもっと、自分のことを知らなくてはいけない。”ーー主治医の先生やお母さんたちとの対話を通しながら、自分自身のことを知り、学校の中でみんなと一緒に学び過ごしていくためには何が必要か学んでいく中田さん。子ども自身の目線から発達凸凹の大きいお子さんの感じる世界が描かれた貴重な本です。続編の『僕たちは発達しているよ』(2010年, 花風社)、『僕は、社会(みんな)の中で生きる。―お家で、学校で、アスペルガーの僕が毎日お勉強していること』(2011年, 花風社)もぜひあわせてどうぞ。『わが子の発達障害告知を受けた、父親への「引継書」。』首都圏在住、資源・エネルギー関連の会社に勤める著者の白山宮市さん。次女が自閉症スペクトラムの診断を受けてからのご自身の経験をもとにした、父親による、父親のための父親業務「引継書」です。企業で長く働いてきたビジネスパーソンならではの喩えとして、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合に、損害を最小限に食い止め、いちはやく事業の継続・復旧を図るために策定されるBCP(事業継続計画)になぞらえた、FCP(家庭生活継続計画)の策定を白山さんは提唱します。わが子の発達障害診断・告知を受けた瞬間の心の動揺や落ち込み、そこからの立ち直り、夫婦間の対話や家庭内での役割分担の決定、職場への説明や立場・働き方のギアチェンジ、療育等の社会資源の利用や学級・学校選択などなど…発達障害のある子どもを育てる上でどうしても避けられない保護者への負担・困難を受け止めつつも、家族とともにいかに歩んでいくかを、冷静な筆致で叙述しています。体験談をベースにしつつも、発達障害のある子どものいる家庭がたどる道筋や利用できる社会資源などが俯瞰してまとめられており、どちらかというと構造的で体系的な理解を好む人が多いと言われる父親(男性保護者)読者にとって非常に参考になる書籍だと思います。鈴木悠平プロフィールUpload By 発達ナビ編集部1987年生まれ。東日本大震災後の宮城県石巻市におけるコミュニティ事業の立ち上げ、コロンビア大学大学院での地域保健政策の研究を経験した後、株式会社LITALICO入社。発達支援教室「LITALICOジュニア」での指導員、「LITALICO研究所」の立ち上げ・運営業務等を経験したのち、発達障害に関するポータルサイト「LITALICO発達ナビ」( ) の編集長に就任。NPO法人「soar」( )理事も務める。
2017年11月10日木村ナオヒロさんに聞いた、発達ナビユーザーにおすすめしたい本!木村ナオヒロさんは、ひきこもり当事者・関係者にとっての情報発信の場、『ひきこもり新聞』の編集長として活動しています。『ひきこもり新聞』は、「ひきこもり当事者による、当事者のためのメディア」として、社会に届きにくいひきこもり当事者の声を発信し、「全てのひきこもり系」が安心していられる世界の実現を目指しています。ひきこもり新聞web版木村さん自身、ひきこもりだった経験があり、ひきこもりに対する理解と適切な支援情報を提供するために、現在さまざまな活動をされています。10月に行われた、木村さんの当時の主治医である、精神科医・斎藤環先生との対談イベントも大盛況のうちに終わりました。そんな木村さんに、「読んでよかった!」とおすすめできる本を教えていただきました。『「社会的うつ病」の治し方―人間関係をどう見直すか 』「ひきこもり対策がうつ病にも効果的だったという内容です。孤独でうつ傾向な人に読んでいただければと思います。」(木村ナオヒロさん)木村さんの主治医であり、ひきこもり支援を専門とされる斎藤環先生が、新しいうつ病治療・対策に関して書かれた本書。「軽症なのに、動けない…」「怠けるつもりはないのに、動けない…」そんなうつ病当事者に向けて、今まで治療方法として多く導入されてきた休養や服薬ではなく、「人間関係」に注目した新しい支援を紹介しています。『星の王子さま』「いつまでも心に残る物語です。子供の時に読みたかった本です。」(木村ナオヒロさん)木村さんが、子どもに読んでほしい本としておすすめする本が、不朽の名作『星の王子さま』。「大切なものは、目に見えないんだよ」など心にしんみりと届く言葉、優しくて可愛らしい挿絵に癒され、魅了された方も多いと思います。『星の王子さま』は、様々な出版社から刊行されています。手に入りやすい文庫本のほか、子ども向けの児童書や絵本などもあります。まだ幼くて長い活字を読むのが難しい、たくさんの文を読むことが苦手なお子さんには、そのお子さんの年齢や特性に合わせて、『星の王子さま』に触れてみるのもよいですね。『NHK「100分de名著」ブックス サン=テグジュペリ 星の王子さま』「星の王子様を読んだことがある人でも、もう一度この解説本と一緒に読むと新しい感動があると思います。」(木村ナオヒロさん)続いて、子育てに疲れた時・悩んだ時に読んでほしい本として木村さんが挙げてくれたのは、先ほどご紹介した『星の王子さま』の解説本。NHKで放送されている、「100分de名著」という番組から生まれた解説本です。「『星の王子さま』読んでみたいけど1冊読む時間がなかなかとれない…」「子どものころ読んでそれっきりだったけど、大人になった今、改めて星の王子さまの世界を理解しながら読み直したい!」そんな方にはぴったりの1冊です。この機会に、星の王子さまの新たな発見や奥深さを感じてみてはいかがでしょうか。『ライフ・レッスン』「死を受け入れた人々のメッセージが心を揺さぶります。名も無き人々の言葉に真実が宿っていました。一番好きな本です。」(木村ナオヒロさん)最後に、木村さんの座右の書として教えてもらった本書。精神科医で、終末期医療の先駆者であるエリザベス・キューブラー・ロスさんによって、「人生の最後で捉えた生と死の事実」「生と死から見た、人生における15のレッスン」が紹介されています。木村ナオヒロさんプロフィールUpload By 発達ナビ編集部木村ナオヒロ(きむらなおひろ)『ひきこもり新聞』編集長。元ひきこもり。暴力的支援団体を好意的に取り上げたマスコミに疑問を持ち『ひきこもり新聞』を創刊。ひきこもりに対する理解と適切な支援情報を提供するために活動している。主治医は斎藤環教授。ひきこもり新聞web版
2017年11月02日女優・酒井若菜さんが編集長を務めるWEBマガジン『marble』が、本と映画の総合情報サイト『BOOKSTAND』にて、創刊されました。ドラマ「木更津キャッツアイ」や「シングルマザーズ」、映画「恋の門」「白磁の人」など数多くの作品に出演する傍ら、2008年には初の著書『こぼれる』を、2016年には対談+エッセイ集『酒井若菜と8人の男たち』を刊行した酒井さんが次に挑戦するのは“編集長”。参加連載陣は、編集長・酒井さんが信頼する“女性たちのみ”で構成。その顔ぶれは、酒井さんに加え、坂本美雨さん(ミュージシャン)、佐津川愛美さん(女優)、土岐麻子さん(ミュージシャン)、西田尚美さん(女優)、西原亜希さん(女優)という多彩ぶりです。それぞれのフィールドで第一線を走り続ける女性たちが、所属事務所の枠を超え、一つのWEBメディアに名を連ねる、芸能界でも初の試みとなっています。配信は、毎月第2・第4金曜日。またコンテンツは、テキスト、画像の他、今後は音声や映像の配信も順次予定しています。詳細はサイトでチェックしてみてください!WEBマガジン『marble』価格:500円/月(税込)発行:月2回(毎月第2・第4金曜日)発行購読方法:メールテキスト版・epub版・HTML版・無料アプリ版(BOOKSTANDアプリ)の3パタン
2017年10月17日9/27追記:このイベントは定員に達したため募集を締め切らせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。精神科医と元当事者、それぞれの立場から語る、ひきこもり支援のあり方元ひきこもり当事者で、現在は「ひきこもり新聞」の編集長として活動する木村ナオヒロさん、そして、木村さんの主治医であり、引きこもり支援を長年続けられている精神科医の斎藤環先生による対談イベントを開催します。北欧発祥の「オープンダイアローグ」の実践を通したひきこもり支援の事例を紹介しながら、支援者・元当事者それぞれの視点から、ひきこもり支援のあり方を考えます。10月11日(水) 19:00から、中目黒の株式会社LITALICO本社にて開催(参加費1000円)。・お子さんやご家族、身近な人が引きこもり状態にあり、どのように向き合えば良いか悩んでおられる方・その他、引きこもり支援の現状や方法について関心があり、学んでいきたい方ぜひご参加ください。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)斎藤環1961年、岩手県生まれ。1990年、筑波大学医学専門学群環境生態学卒業。医学博士。爽風会佐々木病院精神科診療部長(1987年より勤務)を経て、2013年より筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。また,青少年健康センターで「実践的ひきこもり講座」ならびに「ひきこもり家族会」を主宰。専門は思春期・青年期の精神病理、および病跡学。著書に 『文脈病(青土社)』『社会的ひきこもり(PHP研究所)』『ひきこもり救出マニュアル(PHP研究所)』『ひきこもり文化論(紀伊國屋書店)」『生き延びるためのラカン(バジリコ)」『ひきこもりはなぜ『治る』のか?(中央法規出版)』, 『ひきこもりのライフプラン』(共著: 畠中雅子, 岩波書店), 『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)木村ナオヒロひきこもり新聞編集長。元ひきこもり。暴力的支援団体を好意的に取り上げたマスコミに疑問を持ちひきこもり新聞を創刊。ひきこもりに対する理解と適切な支援情報を提供するために活動している。主治医は斎藤環教授。10/11(水)対談イベント詳細Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)開催日時: 10月11日(水) 19:00~20:30(18:30~受付)定員:50名参加費:1000円(※参加確定後、Peatixというイベント管理システムにて事前にお支払していただきます。)対象:お子さんやご家族、身近な人が引きこもり状態にあり、どのように向き合えば良いか悩んでおられる方その他、引きこもり支援の現状や方法について関心があり、学んでいきたい方会場:株式会社LITALICOセミナールーム〒153-0051東京都目黒区上目黒2-1-1中目黒GTタワー16階アクセス:東急東横線「中目黒駅」より徒歩1分お申し込み締め切り:10月10日(火)17:00まで主催:株式会社LITALICOLITALICO発達ナビ編集部18:30 受付開始19:00 開会のご挨拶19:10 斎藤環先生プレゼンテーション19:20 木村ナオヒロ編集長プレゼンテーション19:30 斎藤環さん・木村ナオヒロさん対談(モデレーター: 発達ナビ編集長・鈴木悠平)20:10 参加者同士でのグループによるリフレクション、講師への質疑応答20:30 閉会のご挨拶イベントご参加希望の方は、以下のフォームの必要事項を埋めて送信してください。9/27追記:このイベントは定員に達したため募集を締め切らせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。イベントの様子は、LITALICO発達ナビ会員限定で、youtubeでのライブ中継・録画配信をいたします。遠方にお住まいの方、ご都合がつかず参加できない方で観覧をご希望の方は、イベント当日までに発達ナビ会員へのご登録をお願いします。
2017年09月25日小学生でモデルデビューし、その後、現役女子高生にしてWEBマガジンの編集長に抜擢された久間田琳加さん。その仕事ぶりに迫りました。雑誌『ニコラ』の人気モデルとして4年半活躍し、今年『セブンティーン』の専属モデルに抜擢。WEBマガジン「EMMARY」の編集長としても奮闘中。「“JKが発信する、JKのためのWEBマガジン”がテーマのメディアなんです。編集長も編集部員も女子高生!企画を出したり、気になるカフェに取材に行ったり、楽しく作っています。『ニコラ』時代から企画を考えるのが好きで、30ページほどの別冊付録を監修したことも。大変だったけど、自分で考えて手を動かして誌面を作る楽しさを知りました。その付録ができあがった時、編集の方に『プロデュース力があるね』と褒められたのが、嬉しかったなあ」ふわりとした雰囲気が魅力の久間田さんだけど、実は結構な仕事人気質。「リサーチ魔なんです(笑)。たとえば自分の私服を紹介する企画があったら、雑誌を読み漁ってどういう見せ方をするか徹底的に考えるし、新鮮な情報を届けたいから、新しいお店のチェックは日々欠かせません。読者の方に喜んでもらいたいし、自分でも納得したいから、とひとつひとつの仕事を丁寧にやらないと気が済まなくて。常に全力で駆け抜けたいんです」「EMMARY」の会議中。女子高生ライターさんとの打ち合わせ風景です。自分もそうですが、リアルな読者世代の声を聞ける貴重な機会。勉強になります!発信者としての心がけ。SNS は絵文字まで気が抜けません。どれがいいか考えているとどんどん真剣になって、もはや「つぶやき」ではないかも(笑)。情報感度はいつも高く!「EMMARY」のネタになりそうなショップやカフェは常にチェック。これはNY発のカフェ、『セレンディピティスリー』で。くまだ・りんか2001年生まれ。小学6年生でモデルデビューし、『ニコラ』では度々表紙に。今年9月号より『セブンティーン』の専属モデルに加入。バラエティ番組やCMなど、テレビでも活躍。トップス¥52,920(シー ニューヨーク/ブランドニュースTEL:03・3797・3673)パンツ 参考商品(トゥエンティミリオン・フラグメンツ/ガスアズインターフェイスTEL:03・5775・0825)イヤリング¥15,120(ドレスアップエブリデイ/イー・エム ピクチャレスTEL:03・6264・5185)リング、人さし指¥17,280中指¥14,040(共にイー・エム/e.m.表参道店TEL:03・5785・0760)※『anan』2017年9月6日号より。写真・土佐麻理子スタイリスト・GOTO KANAEヘア&メイク・宮本由梨取材、文・間宮寧子(by anan編集部)
2017年09月01日出版社や新聞社の編集者100人の投票で決められる「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」。23回目を迎える今年の大賞は「ベッキー31歳禁断愛お相手は紅白初出場歌手!」(週刊文春1月14日号)だった。雑誌ジャーナリズムの未来のために作られた同賞だが、他の賞も「一夫一婦制では不満足『乙武クン』5人との不倫」(週刊新潮3月31日号)のような不倫をスクープしたゴシップ記事ばかりが受賞している。(参照元:編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞, 朝日新聞デジタル, 産経ニュース)こんな日本の状況に、あなたは危機感を感じるだろうか?
2017年07月25日週刊誌『週刊文春』の新谷学編集長が18日、同誌の公式サイトを通じ、週刊誌『週刊新潮』の告発記事についてコメントを発表した。『週刊新潮』は18日発売号で「『文春砲』汚れた銃弾!!」と題し、13ページにわたって大特集。「スクープの破壊力には同業者として脱帽する他なかった」と称えながら、「同じ発売日である『週刊新潮』の広告を不正に入手し、毎週、カンニングしていた」と告発し、入念な取材のもと「センセーショナルな特ダネを求め続けた結果、品位を見失ってしまったさもしき文春砲」と痛烈な批判を展開した。このこと受け、新谷編集長は「週刊文春 編集長から読者の皆様へ」と題したコメントを発表。「情報を不正に、あるいは不法に入手したり、それをもって記事を書き換えたり、盗用したりしたなどの事実は一切ありません」と疑惑を完全否定し、「私たちにとって、スクープとは、極めて重い言葉です。それはまさしく他の追随を許さない決定的な独自情報を意味します」「これからも読者の皆様に堂々と胸を張れる独自スクープをお届けすることをお約束します」と呼びかけている。○新谷学編集長のコメント全文「週刊新潮」等のメディアによる「週刊文春」の情報収集に関する報道についてご説明させていただきます。まず、「週刊文春」が情報を不正に、あるいは不法に入手したり、それをもって記事を書き換えたり、盗用したりしたなどの事実は一切ありません。私たちは毎週、締め切りギリギリまで全力で取材にあたっています。その情報収集の過程で、他メディアの動向をつかむことはしばしばあります。そうした「情報戦」は、さまざまな形で新聞やテレビなどのメディアも行っています。「週刊新潮」の記事では、あたかも「週刊文春」が自らのスクープ記事を盗んでいるかのように書かれていますが、例として挙げられた記事においても、そうした事実は断じてありません。社会を騒がせている事件、人物等については、多くのメディアが当事者やその周辺を継続的に取材しており、その過程で他メディアの動向を把握するのは日常的なことです。ただし当然ながら、すべての記事は自らの手で十分に取材を行い、必要な裏付けが得られた段階で掲載されています。前述したように、取材はギリギリまで行っているため、締め切りにタイムラグがある中吊り広告と新聞広告でその内容が異なることは決して珍しいことではありません。私たちにとって、スクープとは、極めて重い言葉です。それはまさしく他の追随を許さない決定的な独自情報を意味します。「週刊文春」は、これからも読者の皆様に堂々と胸を張れる独自スクープをお届けすることをお約束します。2017年5月18日「週刊文春」編集長新谷 学
2017年05月18日俳優・木村拓哉が、2006年公開の『武士の一分』以来となる時代劇主演に挑んだ。初タッグとなる三池崇史監督が「キャスティングは運命」と語る通り、木村は吸い寄せられるように『無限の住人』(4月29日公開)に身を投じ、百人斬りの異名を持つ不老不死侍・万次を憑依させた。剣客集団・逸刀流に両親を殺され、敵討ちを渇欲する少女・浅野凛の用心棒を請け負いながら、「正義とは何か」「命とは何か」を投げかける。1993年から2012年まで漫画家・沙村広明氏が命を削るように描き続けた万次を、木村はどのように体現したのか。「無限」を「時間や時空ということではなく、想い」と捉えていた木村。今回のインタビューでは全6回・約7000字にわたり、本作に対する木村の「無限の想い」に迫る。第2回は「万次との向き合い方」と「役作り」。○原作画集を胸に――万次は右目に傷を負った独眼の侍です。そのことにもこだわりがあったと聞きました。あの沙村さんの世界観を三池監督のもとで具現化していく上で、「万次をやらせていただく」ということがすべてでした。役を作っていくというよりは、独眼は「条件」。「右目を特殊メイクしよう」ではなくて、1つの条件として当たり前にやったことでした。――撮影の合間も含め、不都合なところもあったのでは?不都合どころじゃなかったです(笑)。撮影がはじまって3~4日は、階段の昇り降りすらやっと。現場にはプレハブの支度小屋があったんですが、そこで衣装を着させていただいて、京都の太秦のスタッフが帯をグッと締めてパンパンとお尻をたたいて送り出してくださる。そこから階段で下りていく時に、クランクインして3日ぐらいは危険を感じました(笑)。アクションの撮影をする頃にその感覚は自分の中に染み込んできていたので問題ありませんでした。――今回の撮影で追い込まれたことは?肉体的にハードだったり、そういう大変なところは本編の中に必要ないものです。作品にいらないものは、現場にもいらない。自分が寒いとか、痛いとか、作品には関係ない。本編に必要なものしか、現場にはないんです。○不器用な男・万次に抱く「哀れみ」――万次をどんな男と捉えていますか?不器用ですよね。なんか、包み込むことができないやつというか。長い間、生きてはいるけども、人を包む優しさというものを持てていない。きっと不器用だから、「必要ない」と思っているんでしょうが、不器用な分、正面から当たって向き合っていく。愛おしさを超え、哀れみを感じます。台本は設計図。だからといって台本とは別に原作を現場に持ち込むとか、(市原)隼人みたいにハイエナの捕食動画を見るとかもなかったんですけど(笑)、温度というか、どこか基準として感じていたかったので、沙村先生の画集は近くに置いておきました。――そんな万次をどのように表現しようと思ったのでしょうか?万次は、決して剣に長けた人間ではありません。実はめっちゃ弱いんですよ。八百比丘尼から無理やり血仙蟲を入れられて無限の命を手にし、あとは彼が判断していく。とんでもない時間を生きながら、剣を手にする身としてはずっと決められずに、答えを探し続けてきたんじゃないかと、台本を読んだ後に思いました。そんな彼の前に、杉咲(花)さんが演じてくださった町・凜が現れたことによって、最終的に理由というか答えが出せたんじゃないかと。そういう自分なりのアプローチの中で、撮影させていただいていました。杉咲さんの凜を感じると、自ずと答えが出てきました。■プロフィール木村拓哉1972年11月13日生まれ。東京都出身。O型。これまで数々の出演ドラマをヒットさせ、映画では『君を忘れない』(95)、『HERO』(07・15)、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(10)などに出演。スタジオジブリ作『ハウルの動く城』(04)ではハウルの声優を好演した。山田洋次監督がメガホンを取った時代劇主演映画『武士の一分』(06)は、興行収入40億円を超えるヒットを記録した。
2017年04月30日俳優・木村拓哉が、2006年公開の『武士の一分』以来となる時代劇主演に挑んだ。初タッグとなる三池崇史監督が「キャスティングは運命」と語る通り、木村は吸い寄せられるように『無限の住人』(4月29日公開)に身を投じ、百人斬りの異名を持つ不死身の侍・万次を憑依させた。剣客集団・逸刀流に両親を殺され、敵討ちを渇欲する少女・浅野凜の用心棒を請け負いながら、「正義とは何か」「命とは何か」を投げかける。1993年から2012年まで漫画家・沙村広明氏が命を削るように描き続けた万次を、木村はどのように体現したのか。「無限」を「時間や時空ということではなく、想い」と捉えていた木村。今回のインタビューでは全6回・約7000字にわたり、本作に対する木村の「無限の想い」に迫る。第1回は「三池崇史監督との出会い」と「三池組」について。○「とんでもない返事をしちゃった」――本作の制作が発表された時、「今回参加するにあたって三池崇史さんという存在が大きかったですし、映画監督が映画を撮りたいという前提で自分を欲してくれたということが一番大きかったです」とコメントを出されていました。あらためてお気持ちをお聞かせください。そこに尽きます。目の前に三池崇史さんがいて、「やろうよ」と言われたこと、それがすべてです。出演を決めた「経緯」とかはなく、時間の流れは全然ありません。その「瞬間」というか。一映画監督が「やろうよ」と言ってくださったことに尽きます。監督の初対面、正直僕も相当構えていたと思います。後日、監督から「趣味、威嚇でしょ?」と言われるほどで、その時はすぐに「そんなことないです」と否定しました(笑)。お会いした場所が特殊な環境で。収録場所まで来てくださったんです。そんな状況で「三池崇史」が現れた。監督はどこか「Let’s」な感じではなくて、「Excuse」な感じ。後日、「それは威嚇されたからだよ」と説明されて笑い話になったからよかったんですが、正直、すごく間合いを取り合っていたような気がします。威嚇ではなく、構えていた。若干色が入ったメガネを掛けられているんですが、その奥には監督としての責任を果たしてきた方の眼差しがありました。「信じたい」という思いになり、「よろしくお願いします」という言葉を掛けさせていただきました。その後に、便利な通販のアプリで原作を大人買いして読んでみると……とんでもない返事をしちゃったなと(笑)。○ヘアメイクの反応にハラハラ――三池監督は、万次と木村さんは相通ずるものがあるとおっしゃっていましたが、それについてはどのように思いますか?三池監督はそうおっしゃるんですけど、そうやって荷物を背負わされる感じはあります(笑)。監督の中でのイメージなんでしょうね。でも……そこまで孤独じゃないですよ? 万次ほどは(笑)。――三池組は何度も衣装合わせをすることでも知られていますが、実際に体験していかがでしたか?最初は「なぜ?」と思いました。でも、回を重ねていくごとに安心していく。監督、衣装部が「よしよしよし」と大事に作り上げていく場ではなく、僕らのためにやってくれているんだと気づきます。「ようこそ三池組に」みたいな雰囲気はありません。自分が手にする鉄の武器を、すごくぶっきらぼうに渡される。でも、そこでの感覚は1つも無駄になっていません。最初の頃、メイクを統括するスタッフの方が沙村先生のイラストとメイクした自分を見比べて、首をかしげたときは、さすがに「いやいやいや!」と焦りました(笑)。■プロフィール木村拓哉1972年11月13日生まれ。東京都出身。O型。これまで数々の出演ドラマをヒットさせ、映画では『君を忘れない』(95)、『HERO』(07・15)、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(10)などに出演。スタジオジブリ作『ハウルの動く城』(04)ではハウルの声優を好演した。山田洋次監督がメガホンを取った時代劇主演映画『武士の一分』(06)は、興行収入40億円を超えるヒットを記録した。
2017年04月28日アイドルグループ・でんぱ組.incの最上もが初めて編集長を務める雑誌『最上もがのもがマガ!』(祥伝社/4月19日発売予定/1,800円税別)の予約が殺到し、発売前重版が決定したことが3日、明らかになった。最上は、インターネットテレビ局「AbemaTV」で放送中のレギュラー番組『最上もがのもがマガ!』(毎週月曜22:00~22:55)で雑誌作りを勉強。"もがのための、もがによる雑誌"を目指して作られたのが19日に発売予定となる雑誌『最上もがのもがマガ!』だ。2,000部限定版は予約開始数時間で即完売。通常版の発売が先月発表されていた。通常版には、7書店限定で『もがマガ!』のアザーカットブロマイドが購入者特典として付いてくるという。先日放送された同番組で、最上は「通常版、売れますかね」と不安を吐露していた。
2017年04月03日子どもの暮らしを彩るモノ・コトづくりに愛をもって携わる達人に、その舞台裏を余すところなく語っていただく本連載。3回目は、いま話題沸騰中の小学生向け雑誌『小学8年生』の編集長に、子どもの好奇心を刺激する紙面づくりのあれこれを教えていただきました。<お話をうかがった達人さん>齋藤 慎さん 株式会社 小学館 児童学習局 学習雑誌編集室『小学8年生』編集長。46才の2児のパパ。<学年別学習誌(『小学〇年生』シリーズ)の歩み>1922年の小学館創設と同時に『小学五年生』『小学六年生』創刊。その後も学年ごとに『小学〇年生』を発刊し、1925年に全学年が出そろう。その後は長い間、多くの子どもたちに支持されるも近年の少子化などの影響により、現在は『小学一年生』以外が休刊に。これを受け、2~6年生を主な対象とした『小学8年生』を創刊。大好評を博している。『小学8年生』 ■小学「8」年生…? インパクトあるタイトルに込められた想いとは?小学館とともに90年以上の歴史を歩んできた学年別学習誌ですが、近年の少子化などの影響を受け、残念ながら『小学一年生』を残すのみとなってしまいました。小学館の原点でもあり社業の柱でもあった学年別学習誌を、ここで絶やしてはいけないという使命感と、今まで読んでくれていた子どもたちに何らかの形で発信し続けたいとの想いが『小学8年生』創刊につながりました。休刊になった2~6年生の子の受け皿になる雑誌であるには、学年の枠をとっぱらう必要がありました。じゃあ、タイトルはどうする? と考えたときに、誰ともなく出てきたのが「∞(無限大)」だったんです。子どもの可能性を示唆する意味でも「∞(無限大)」はしっくりきたんですが、読ませ方が難しい。そこで、「∞」マークを縦にして、デジタル数字にしました。さらに、デジタル数字は白抜きにして、子どもが自分の学年の数字に塗りつぶせるようにしています。デジタル数字の8はどんな数字にもなるから小学生全学年に対応していますよ、という意味で『小学8(はち)年生」と読ませますが、じつはその裏には「∞(無限大)」の意味も含まれているんです。■パラパラ読みが学習につながる? 『小学8年生』の目指す「潜在学習」とは学年別学習誌は、各学年の学習をよりわかりやすく伝え、サポートするコンテンツが主でしたが、学年の枠をとっぱらった『小学8年生』ではいわゆる学年別の勉強の域にとらわれない、授業でいえば総合学習に近い内容を中心にしています。第1号は「学校」をテーマに、校長先生のお仕事やかけっこで早く走れるヒント、学校にある備品の値段、黒板アートまで学校にまつわることをメインに構成しました。子どもたちが一日の大半を過ごす学校ですが、身近なだけに案外知らないことも多かったようで好評をいただきました。なかでも「校長先生への道」は子どもたちに人気でしたね。付録も学校にちなんで「手作りチョーク」と「黒板ノート」。私たちは「チャレンジ付録」と呼んでいて、完成品ではなく、必ず子どもたちが手を加えるものであることを念頭に企画しています。子どもが手先を動かす作業、完成したときの達成感、そのなかで生まれる家族との会話。そういう、ちょっとしたことが広い意味での子どもの学習や成長につながってくれたらいいなと思っているんです。あとは、第1号でいえばアメリカのトランプ大統領の漫画や北方領土問題といった時事的なトピックスも組み込んでいますが、それは受験対策を明らかに意識した内容というわけではなく、あくまでパラパラっと読むことで、ニュースを見たときに「あ、これ読んだことある」と子どもに思ってもらえることを狙っています。というのも、私たちの紙面づくりでは「潜在学習」に重きを置いているからです。潜在学習とは、平たくいうと、明確な目的意識のある行動ではなく、なんとなく行動していたことであっても経験値は積んでいて、その人の学習や成長につながる、という考え方です。付録をつくる過程で経験したり感じたりすることも、紙面をパラパラっとめくってなんとなく見知ったことも、無意識下でストックされていきます。そして、どこかのタイミングでそのストックが花開く時がやってくるんです。だから、「勉強になるから読まなきゃ」とか、「よりよい教育のために」読ませたいというモチベーションはまったく必要ないし、むしろ邪魔です(笑)。楽しく読んでもらえれば、それでいいのです。いずれ、子どもたちに「あ、これ『小学8年生』にも書いてあった!」と思い出してもらえるような、無意識下のストックを増やすことが、『小学8年生』が目指すところです。そうすれば「花開く時」の数が増えますからね。そのためには子どもたちに「面白そう!」と思ってもらえることが前提ですから、いろんなコンテンツを、いろんな切り口で提案していきたいと考えています。■子どもが相手だからこそ「うそはつかない」紙面づくりを生まれたときからインターネットやスマホ、SNSが当たり前のようにある現代の子は、ソフト面だけ見ると私たちが子どもの頃とは違う時代を生きているように思えますが、日常生活で意識せずとも経験を積んでストックを増やしていって、興味があることには夢中になれる。 そんな、子どもならではの本質的な部分は、じつは変わっていないんじゃないかなと、20年近く児童向け学習誌に携わってきたなかで感じています。そして、好きなこと、興味があることを広げるヒントを出してあげるのは大人の役割であるのも、昔から変わらないことです。『小学8年生』が、子どもの好きや興味を引き出すきっかけになったり、楽しく読んでいるうちに意識せずともストックが増えたり。そんなツールのひとつになったらつくり手冥利に尽きます。また、子どもが読むものだからこそ、うそや間違いがあってはいけないと思っています。編集の基本ではありますが、事実ベースで、きちんと裏付けのあるコンテンツづくりが大前提で、そのうえで子どもへの伝わりやすさも常に意識しています。それは『小学一年生』をはじめとする学年別学習誌を作る上で、90年以上受け継いできたDNAでもあります。というと、何だか堅苦しく聞こえそうですが、つくり手である私たちも楽しみながら紙面をつくっているんですよ。そりゃ、雑誌をつくる過程では大変なことが山ほどありますが(笑)、どうしたら子どもに楽しんでもらえるかな、とあれこれアイディアを出し合っている時間は、大人である私たちにとっても有意義で、楽しいんです。ちなみに第2号の付録は「消しゴムはんこ入門キット」なんですが、予告ページに載っている消しゴムはんこの見本作品、じつは私がつくっています(笑)。実際に自分でやってみると、面白くって。こういうつくり手の想いは、きっと紙面を通して子どもたちにも伝わると思うんです。だから私たちもめいっぱい楽しみます。子どもにうそはつけないですからね(笑)。<齋藤編集長が教える、次号の見どころ!>4月27日頃発売予定の『小学8年生』第2号は、「はんこ」をテーマに様々な記事を展開します。付録の「消しゴムはんこ入門キット」には、一般のものより掘りやすい消しゴムと、プラスチック製のオリジナルヘラ「楽ちんほりほりツール」をご用意しました。私も実際につくってみましたが、細部まで掘りやすいし、刃物ではないので安心して楽しめました。また、「びっくりかけ算ポスター」も一押しです。ゴールデンウィーク中の、おじいちゃん、おばあちゃんとのコミュニケーションにも、ぜひご活用ください!『小学8年生』第2号の詳細はこちらから。 文:コミヤカホル
2017年03月23日東京・世田谷の世田谷美術館にて2月11日から4月9日まで、「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」が開催される。花森安治は、戦後まもない1948年9月に、自身が編集長を務める生活家庭雑誌『美しい暮しの手帖』(後の『暮しの手帖』)を創刊し、衣・食・住を基本に、“もの”のない時代には工夫とアイデアによる豊かな暮らしを提案。また、高度経済成長期には“日用品の商品テスト”を実施するなど、それぞれの時代に向けてメッセージを発信してきた。取材や執筆、制作から宣伝までを手がけ、30年間にわたり一切広告を入れることなく発行100万部に迫るまでに成長させた。同展では、花森安治の足跡を学生時代から全6章の構成で辿る。『暮しの手帖』の編集長として手がけた約30年分の仕事を敗戦直後から4つの時期に分けて詳しく紹介し、晩年読者に向けて繰り返し発したメッセージ「一銭五厘の旗」(庶民の暮しの旗)に込められた反戦や人々へ日々の想いについても焦点が当てられる。最終章では、ランダムに集められた、多様な“もの”たちに注がれた花森の、鋭くも温かい眼差しに触れられる。また、暮しの手帖社の全面協力のもと、花森が編集長を務めた創刊号から153号までの『暮しの手帖』の全バックナンバーから一部誌面を紹介。誌面作りの素材となった表紙の原画や写真、版下などの画稿、花森の直筆原稿や中吊り広告なども公開される。さらに、関連のドキュメント写真や、外部出版社から依頼された装幀の仕事なども紹介され、生涯を一編集者として生き抜いた花森の仕事の全貌を、全約750点の資料により知ることができる展覧会となっている。【展覧会情報】「花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」会期:2月11日~4月9日会場:世田谷美術館住所:東京都世田谷区東京都世田谷区砧公園1-2時間:10:00~18:00(入場は閉館30分前まで)休館日:月曜日(ただし3月20日は開館)、3月21日観覧料:一般1,000円(800円)、65歳以上800円(600円)、大高生800円(600円)、小中生500円(300円)※()内は20名以上の団体料金、障害者は500円(300円)、ただし小中高大生の障害者は無料、介助者は当該障害者1名につき1名無料※作品画像の転載及び、コピー禁止
2017年02月09日SMAPの木村拓哉が、26日放送のTOKYO FM『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』(毎週金曜23:00~)で、前回の放送でグループの解散を報告したことに対するリスナーの声を紹介し、自身の思いも語った。木村は「先週の放送での僕のコメントを踏まえての感想などもたくさん届いていますので、できる限り紹介させていただきたい」と話し、「あふれ出てくる思いと気持ちをいろいろ伝えてくれてありがとう」「この前の放送でキャプテンの声が聞けてうれしかったです。キャプテンもう謝らないでください。ずっとずっとついていきます」「気を強く持ってください」という応援や感謝のメッセージを紹介。「本当にたくさんのメッセージありがとうございます」と感謝した。そして、「厳しい意見もあります」と続け、「なんで解散という大事なときにすぐに帰国しなかったんでしょうか。無念だと思うならすぐに帰国してどうして解散を止めなかったんですか」と批判的な意見も紹介。さらに、「こんな中途半端な情けない終わり方は認めません。ラストコンサート、『スマスマ』でのライブ、シャッフルビストロ、年末の音楽祭、そして紅白…どれか一つでもいいからやってください。ファンにちゃんとけじめのさよならをしてください」と訴える声も紹介した。木村は、「みんなの今思っていること、今言いたいことを正直にメールで送ってくれるっていうことが、自分がいていい意味なんだなと思いました」と自身の存在意義を感じながら、「みんなの気持ちを感じつつ、自分ができることを、自分の進むべき道を前に進みたいと思います」と決意。「みんなの気持ちがあるんだっていうことを…だから自分がいていいんだと思って進んでいきますんで、これからもよろしくお願いします。そしてありがとう」と呼びかけ、「この曲に集約されるかな」として、SMAPの「ありがとう」を流した。ツイッター上では、「自分がいていいんだ」という木村の発言に対して、「そんな辛すぎる言葉を言わせてしまった。いてくれないと困ります」「胸がギューっとなった」「相当辛かったろうね」「珍しく言葉の端々に心の奥のほんの少しの弱さが出てて泣けた」「当たり前じゃん、いて貰わなきゃ困るんだよって声に出して答えてしまう。…どんだけ傷ついてんだよ~号泣」と木村の心情を察する声が上がった。
2016年08月27日SMAP・木村拓哉(43)にとって10年ぶりの時代劇主演となる映画『無限の住人』が、2017年のゴールデンウィークに公開されることが23日、発表された。木村と三池崇史監督の初タッグによって描かれる本作は、累計発行部数500万部を記録する同名人気漫画が原作。昨年11月から今年1月初旬にかけて京都でオールロケが行われ、現在編集作業が進められている。木村は、興行収入41億円を記録した『武士の一分』(06年)以来の時代劇主演に挑み、「面倒くせぇ」が口ぐせで百人斬りの異名を持つ不老不死侍・万次(まんじ)を演じる。今回の発表に合わせ、原作コミックの新装版(1~3巻)が発売された。原作者・沙村広明氏による新たな描き下ろしビジュアルをカバーに採用。第1巻では万次とヒロイン・浅野凜、二人を狙う剣客集団・逸刀流の黒衣鯖人、閑馬永空、第2巻では逸刀流当主・天津影久率いる、乙橘槇絵、川上新夜、第3巻では無骸流の百琳、尸良、偽一の躍動感あふれる姿が描かれている。これらのキャラクターのうち、劇中には川上新夜以外のキャラクターが登場。今のところ出演者で明らかになっているのは木村のみだが、今後豪華キャスト陣が発表されるという。(C)沙村広明/講談社(C)2017映画「無限の住人」製作委員会
2016年08月23日SMAPの木村拓哉が、19日放送のTOKYO FM『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』(毎週金曜23:00~)で、解散について謝罪した。解散発表後、メンバーが話題に言及するのは稲垣吾郎に次いで2人目。木村は冒頭、「みなさんこんばんは、木村拓哉です。今回はSMAPの件でみなさんにつらい思いをさせてしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と心境を告白。「僕と同じように、今まで生活の一部、人生の一部としてSMAPと関わってきてくれたファンのみんなに、今…本当に言葉が見つかりません」と語った。そして、「すべてのSMAPファンのみんなに、ただただ申し訳ないという気持ちしかありません」と続け、「本当に…ごめん」と謝った。SMAPは14日未明、今年12月31日をもって解散することを電撃発表。『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』のこの日の収録分は解散発表前に収録されていたというが、急きょ冒頭にメッセージが差し込まれる形となった。
2016年08月19日SMAPの木村拓哉が、何も聞かされずに連れ出されるフジテレビ系単発バラエティ番組『SMAP×SAMP Presents 木村拓哉先輩、ついて来てもらっていいですか?』が、25日(22:00~23:09)に放送される。この番組は、桐谷健太と濱田岳の後輩2人が、それぞれ木村を強引に連れ出して遊びに行く様子に密着するもの。桐谷は、どうしてもキャンプに行きたいと誘うが、木村は「虫がなかなか手ごわい」と乗り気ではない。それでも、必死に連れ出して車で東京・奥多摩へ向かい、テントや、カレー作り、キャンプファイヤーをするために必要なものを買い込んでいく。そしてキャンプ場に到着。桐谷は、釣りがうまく行かず必死になるなど楽しみ、カレー作りも終えると「まだやりたいことがある」と切り出す。木村は「カレーで満足だけど」とつれないが、桐谷は「いや、ここからです! 歌いたいんです!」と懇願。歌のしおりまで準備しており、高校の頃に大好きだったという思い出のSMAPの曲を熱唱する。さらに、自身の曲「海の声」を、たき火を囲みながら、2人でハーモニーを奏でる。一方濱田とは、山梨・山中湖へ。普通の人はすぐに乗りこなせないという、水上を何メートルも上まで高く上がる「フライボード」に挑戦し、2人とも運動神経の良いところを見せる。ロケを終えた木村は「岳くんと健太は、これまで2人ともドラマで共演していて、共通の時間を持てている相手ではあるけど、いざスタートしてみると少し照れ臭さかったです」と感想。最初は2人きりで何を話そうかと不安だったそうだが、「やりたいことに連れ回されるうちにそれもなくなり、結果的にすごく楽しいロケになりました」と振り返る。また、桐谷からは「拓哉さん、サインもらっていいですか?」とお願いされて、快く応じたそう。濱田は「基本的に人に心の扉を開かない」そうだが、今回は「開けおてます」と言ってくれたそうで、木村も喜んでいた。
2016年07月21日山口もえが総料理長6月9日(木)から6月22日(水)の期間、港区青山にてタレントの山口もえが名誉総料理長を務める「オイル de ヘルシーカフェ」がオープンする。オイルを「健康に良く積極的に摂りたいもの」とする新しい意識をアピールし、栄養豊富で美味しいメニューを提供するカフェだ。6月9日(木)にはカフェのオープニング記者発表会と内覧試食会が開催され、山口もえも登場。オイルと一緒に摂取することでカルシウムの吸収や沈着を助けるビタミンK2・ビタミンDといった脂溶性栄養素について説明をうけ、「摂れているつもりで摂れていない栄養があったことにビックリしました。今までもったいないことをしていたかもしれない」(プレスリリースより引用)とコメントした。オイルの魅力、もっと知りたい!カフェのメニューには、野菜などの脂溶性栄養素の吸収率をアップさせる「AJINOMOTO 毎日(R)栄養オイル ビタミンK2&ビタミンD」と、食事からしか摂れない必須脂肪酸を配合した「AJINOMOTO 毎日(R)栄養オイル DHA&EPA」を活用。彩りの良い前菜やサラダ、パスタやピザなど全10品のメニューを提供する。■「オイル de ヘルシーカフェ」概要期間: 2016年6月9日(木)~6月22日(水)店舗所在地: Royal Garden Cafe 青山東京都港区北青山 2-1-19電話番号: 03-5414-6170営業時間: 11:00-23:00 (ラストオーダー22:00)定休日: 年中無休(プレスリリースより抜粋)(画像はプレスリリースより)【参考】※株式会社J-オイルミルズプレスリリース※山口もえさんが名誉総料理長に就任! 不足しがちな栄養素をオイルで摂れる 「オイル de ヘルシーカフェ」オープン/@Press
2016年06月15日特別な場所を作りたい!モデルのラブリさんが編集長を務めるwebマガジン「KILIG」の配信が2016年6月2日(木)よりスタートする。本人の「ファンの皆さんとふれ合える特別な場所を作りたい」と希望からスタートしたもので、彼女の美容方法やファッションコーディネートだけでなく、詞や絵なども随時公開される。「KILIG」では、会員限定イベントを7月中に開催予定。日程や場所はメールマガジンにて告知される。コミュニケーション型webマガジン「KILIG」は、配信だけをおこなう一般的なwebマガジンとは異なり、双方向のコミュニケーションが特徴。「ファンとのコミュニケーションを取りたい」との思いから実現したもので、ファンイベントに参加できない人のための、skypeによる「会員限定ファンチャット」などが予定されている。配信コンテンツには、「KILIG読者とのQ&A」などもあり、コミュニケーション型のwebマガジンとなっている。「KILIG」概要「KILIG」の配信頻度は、週2~3回。曜日は不定期だ。入会金は必要なく、会費は月、500円(税込み)。ラブリさんは、「ファンとコミュニケーションを多く取りたいし、身近な存在になりたい。ファンの子と一緒に素敵な場所にしたい」と述べている。(画像はプレスリリースより)【参考】※モデルの「ラブリ」が編集長を務めるwebマガジン「KILIG」を配信スタート!“ラブリ”からあなたへ配信!・・・だけじゃない!!
2016年06月06日女優の黒木華が主演を務めるTBS系ドラマ『重版出来!』(毎週火曜22:00~22:54)の舞台となっている『週刊バイブス』編集部潜入レポート第3弾。今回は、俳優の松重豊演じる編集長・和田靖樹のデスクの阪神グッズをチェックした。本作は、『週刊バイブス』の新人編集者・黒沢心(黒木華)が、個性的な編集部員や漫画家たちを巻き込み、奮闘する姿を描く物語。松重演じる和田靖樹編集長は、阪神の試合結果によって喜怒哀楽が変わる熱狂的な阪神ファンで、阪神の法被とタオルを身にまとった姿はかなりの存在感を放っている。「宿敵エンペラーを倒す編集者になれ!」「はい! ぶっつぶします!」といった、和田編集長と心の体育会系のやりとりもドラマも見どころの一つだ。このたび編集部に潜入し、和田編集長のデスクの阪神グッズをチェック。机にはメガホン、ペン立てとして使っているマグカップや書類を入れるファイルも阪神! イスには法被がかけられ、クッションも阪神、ハンガーラックには別のデザインの法被とタオルが。また、棚にグローブとボール、そして、バットもたてかけられている。デスク横の柱には、勢いのある字で書かれた「打倒エンペラー!! あきらめるな! あきらめたらそこで試合終了だ!!」という目標。その真横に阪神のちょうちん、上には阪神のフラッグが飾られ、その一角からものすごい闘志が伝わってくる。レポ―ト第1弾では心、今回は和田編集長のデスクを取り上げたが、そのほかの編集部員のデスクも紹介しよう。副編集長・五百旗頭敬(いおきべ けい/オダギリジョー)のデスクは、優秀で普段はクールな彼らしくシンプル。家族を最優先にし残業はしない主義の安井昇(安田顕)のデスクには、子供の写真が飾られている。そんな安井の机のパソコンを見て「これでいつもSNSの更新を行っているのか!」とニヤッとしてしまった(笑)。そして、菊地文則(永岡佑)のデスクでは、第2話で感動を呼んだ担当漫画『たんぽぽ鉄道』、一番デスクが乱雑だった壬生平太(荒川良々)のデスクでは、担当する漫画家・成田メロンヌ(要潤)の作品を発見! 筆記用具や編集に関する小道具など細部まで作り込まれたデスクは、それぞれの性格や担当業務などが反映されている。
2016年05月31日スタイリストの伊賀大介氏が、TOKIO・長瀬智也主演映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』(2016年6月25日公開) の劇中ロックバンド・地獄図(ヘルズ)をモチーフにしたTシャツのデザインを監修し、21日から発売されることが16日、明らかになった。本作は宮藤監督の完全オリジナル作品で、舞台に選ばれたのは地獄。地獄専属バンド・地獄図のフロントマンで、地獄農業高校の軽音楽部顧問の赤鬼・キラーK(長瀬)と、17歳の若さで地獄に落ち、大好きなクラスメイト・ひろ美(森川葵)に会いたい一心で生き返りを目指す、関大助(神木隆之介)の地獄めぐりの様子を描く。地獄図は、キラーK(ボーカル&ギター)、大助(ギター)、邪子(清野菜名/ベース)、COZY(桐谷健太/ドラム)らで構成。メンバーが劇中で演奏する楽曲は、サウンドトラック『TOO YOUNG TO DIE! 地獄の歌地獄』(6月22日発売)に収録される。映画主題歌は、THE MAD CAPSULE MARKETS(活動休止中)のKYONO、物語の中で重要な曲「天国」は元NUMBER GIRLでZAZEN BOYSの向井秀徳が、それぞれ作曲を、パンクバンド・グループ魂の一員としても知られる宮藤監督が作詞を担当している。そんな地獄図をモチーフにしたTシャツのフロントには、"HELLポーズ"をキメる鬼を大きくプリント。背面には、「DEMOLITION TOUR (破壊ツアー)」の文字と共に「等活地獄」「黒縄地獄」などさまざまな"地獄"がバンド名のように並んでおり、夏フェスや対バンツアーの物販などで売られていそうな、リアリティあるデザインに仕上がっている。このデザインを監修したのが、『真夜中の弥次さん喜多さん』(05年)から本作まで宮藤監督作品の全ての衣装を手がけてきた伊賀氏。「こりゃ、ヤるならとことん本丸攻めないといかん!」と気合を入れたという伊賀氏は、「ヤバいTシャツ刷りました!」と自信を見せる。続けて、「現世の方々にもライクアおすそ分けでブルーとピンク」と紹介しながら、劇中に登場する、現世で罪を犯した人間が地獄に落ちてきた姿・MOJAになぞらえて「さぁ、これで貴方も真のMOJAじゃ!」と力強くアピールしている。宮藤監督も「過去に作った中でも断トツに情報量の多いTシャツ」と断言。「裏も表もギチギチに描き込まれていますが、意外と誰でも着こなせる感じ」と安堵を誘いつつ、「もともと長瀬くん扮するキラーKと亡者が劇中で着る衣装用だったのですが、欲しがる関係者があまりに多く、スタッフの数だけ作って配り、さらにこの度、晴れて商品化することになりました」と制作の背景を明かした。Tシャツは21日より、ヴィレッジヴァンガードのオンラインストアや主催フェス「30th VILLAGE VANGUARD presents V.V.Rocks ~Sing Your Song! 2016~」(フェスでは5月22日限定)、商品をデザインしたメーカー・ハードコアチョコレートのオンラインショップやAmazonのハードコアチョコレートのページ、そして東京・東中野のヘッドショップで発売。価格は2,778円(税別)で、サイズはXS、S、M、L、XLの5種類がラインナップされている。なお、6月11日からは全国18のヴィレッジヴァンガード店舗でも発売される。(C)2016 Asmik Ace, Inc. / TOHO CO., LTD. / J Storm Inc. / PARCO CO., LTD. / AMUSE INC. / Otonakeikaku Inc. /KDDI CORPORATION / GYAO Corporation
2016年05月18日●「こわいと思われても仕方がない」ベッキー、川谷絵音、ショーンK氏(ショーン・マクアドール川上氏)、甘利明大臣(当時)、宮崎謙介議員(当時)、読売巨人軍の笠原将生・松本竜也・高木京介選手(いずれも当時)……彼らに共通するのは「それまでひた隠しにしてきた"秘密"が『週刊文春』によって白日の下にさらされ、人生が激変した人」である。文春砲、文春無双、センテンススプリング……異名が増え続ける約55人の精鋭部隊を引っ張るのが、2012年から編集長に就任した新谷学(51)という人物。「なぜスクープ連発?」などの取材が殺到したことから、すでにご存知の方も多いはず。しかし、個人的に気になっていたのはその「人柄」である。きっと能面のごとく心理状態を明かさないような、とんでもなく不気味なオーラをまとった人物に違いない。衝撃的なスクープの数々に引っ張られ、記事を読むたびにあらぬ妄想が膨らんだ。実像を確かめるべくアポを取ったところ、その先入観はあっさり覆されてしまう。そして、その「人柄」こそが「スクープ連発」の原動力につながっていたと知ることに。注目を集める人物に会いに行き、その人柄と言葉に触れるインタビュー連載「話題の人」の第1回。以下は当初の予定を超えてまで語った(最後は立ち上がりながら、去り際のギリギリまで話してくれた)、約1時間15分、約9,000字の記録である。※本記事に収まりきらなかった内容は後日、約7,000字の特別編として掲載。――取材が殺到していますね(Yahoo!ニュース特集、ダイヤモンド・オンライン、編集会議、AERA、IT mediaなど)。英国のエコノミストや米国のウォールストリート・ジャーナルからも来ました。同じ話を何回もしているので、今日は新鮮で面白い話をできるといいんですが。――過去にここまで注目されたことは?いえ。取材を受けたことは何回かありますが、1月からこれだけ立て続けなのは初めてです。――「来る者拒まず」ですか?すべて受けているわけではないですが、『週刊文春』のことを今まで知らなかった方にも知っていただけるチャンスではありますからね。「思ったよりも真面目に作っている」ということも含めて、週刊誌に対する偏見を取り除いて、本来の姿を伝えるチャンス。みんなが注目してくれている今は貴重な機会でもあるので、生かすべきだと思っています。――編集長就任が2012年。どのあたりから風向きが変わった印象ですか。今年の1月3日に復帰したんですが、劇的な変化を感じているのはそれ以降です(※休養の経緯は後述)。編集方針は大きくは変わっていないんだけれども、それまでは一進一退というか、スクープで売れることもあれば、思ったより売れないこともある。いずれにしても部数が徐々に下降している状況でした。他誌も同じですが、昨年は落ち幅が大きかったのでかなり危機感を抱いていました。それが1月になってこんなふうに転換できるとは思ってもみなかった。今はもちろんいい。大切なのは、「これをどこまで持続させて行けるか」です。○警戒されることの長所と短所――『週刊文春』の影響力に注目が集まっています。周囲の警戒心も高まっているのでは?確かに警戒されますね。それには良い面と悪い面があって。「文春には正直に話さないとマズイ」という空気が出てきているので、そういった意味で雑誌のクリエイティビティは上がりました。でも、近寄りがたい存在になってしまうとなると話は変わってきます。そうならないように、なるべく皆さんに親しんでいただける媒体でありたい。こういうインタビューを受けるのは、その一環でもあるんです。編集長ってどんな人間なんだろう。みなさん、きっと思われると思います。「人権を無視し、首狩り族のように次々といろんな人の人生をめちゃくちゃにして、金儲けして喜んでいる人間」だと。私自身はそんな人間ではないつもりなんですが。――正直に言います。こうしてお会いする前は、そういう近寄りがたいようなイメージでした。ですよね(笑)? やっていることだけ見ると、こわいと思われても仕方がないのかもしれません。――そんな編集長でも、人付き合いの中から生まれた仕事は?ジブリの鈴木(敏夫)さん、ドワンゴの川上(量生)さんと食事に行った時のことです。当時の局長が鈴木さんと仲が良くて、私も連れて行ってもらいました。すごく面白い方々だったので、一緒に組むと何か面白いことができるんじゃないかなと何となく感じて。特に川上さんは感覚が編集者っぽいというか、「逆張り」を意識されている。みんなが「右」という時にあえて「左」を見ようとするのは編集者にとってすごく大事なセンスだと思っているんですが、そういう「常識のウソ」に囚われない方と感じたので、こういう人と組むと面白いかもなという印象が漠然とありました。食事の後にすぐに連絡して、2人の時間を作ってもらって、その場で連載を打診しました。「考えてみます」とおっしゃっていたんですが、編集部に戻ったらすでにメールが届いて「1回分書いてみました」と(笑)。それですぐに連載をはじめたことがありました。川上さんとはデジタル展開についても話をして、当時はじまったばかりの「ブロマガ」で「週刊文春デジタル」をスタートしました。『週刊文春』のコア読者とドワンゴ会員は両極というか、年齢層が全然かぶらないところにもすごく可能性を感じたんです。もともとの週刊文春読者の会員も今はかなり増えましたが、ドワンゴの読者が中心だったころは、AKBやジャニーズなどアイドル系のものを取り上げると一気に入会が増える。コア読者とは全然違うリアクションが、すごく面白かったですね。乃木坂の時とか特にすごかった。乃木坂目当てで読んだ人が、他の記事を読んで「意外と面白いな」と思ってくれる。そんな流れを少しずつ積み上げていければ、というかなり先行投資的な試みでした。――どちらも決断が早いですね。その点でいうと川上さんはすごいですよ。佐村河内さんのゴーストライター問題を取り上げた後、新垣(隆)さんがよく編集部に来ていたことがありました。新垣さん、うちに来てよく出前とか食べてたんですよ(笑)。彼はすごく親しみやすい人なんです。その頃、周りに「新垣さんに文春のテーマ曲を作ってもらいたいなぁ」「曲名は『交響曲HARIKOMI』」と冗談っぽく言っていて(笑)。川上さんと会った時も同じようなことを話したら、「それいいですね! うちでやらせてください!」と興味を持ってくれて。ドワンゴの23時間テレビの目玉企画にしたいと言われて、オーケストラの費用も持ってくれると。即決だったので、私も急いで佐村河内さんばりの"指示書"を書きました。「張り込みをしている記者の焦燥感と高揚感を表すような超絶かっこいい曲を」というイメージを伝え、映画『仁義なき戦い』のサントラと一緒に新垣さんに渡しました(笑)。完成したのはそれから2週間後。イメージ以上に素晴らしい曲でした。すごい再生数だったみたいですよ。「交響曲HARIKOMI」(笑)。●部下と飲まない信頼関係――出会いって大切ですね(笑)。毎日誰かに会うようにされているんですか。無理に心掛けなくても、日々いろいろな方から誘っていただいています。やっぱり、人と会うのが面倒くさくなると、編集者としては失格でしょうね。「未知の人と会うこと」を面白がれないと。人と会うことが億劫になったらダメです。――最近はいろいろな方が近づいてくるんじゃないですか? 怪しい方含め。まぁ……いろいろ来てます(笑)。でも、なるべく門戸は閉ざしたくない。幅広い人と付き合うようには心がけています。情報は人から人にもたらされるものなので、人が寄ってくれば情報が集まってくる。そういう求心力は、意識しています。個人としてもそうありたい。花田紀凱さん(元『週刊文春』記者で現在は月刊『WiLL』編集長)も『週刊文春』をよく「磁石のような雑誌」とおっしゃってましたが、かくありたい。「一緒にいると面白いことができそう」と思ってもらえることが大事です。○復帰3号目の完売で涙――編集部内の空気はいかがですか。毎週木曜日に次号のプラン会議が行われていると聞きました。今まで以上に盛り上がっているのでは?やっぱり明るいですね。雑誌って分かりやすくて、売れていると当然活気が出てくる。やっぱり売れ行きは最高の燃料です。現場がいちばん盛り上がるのは、やっぱり自分たちが作った雑誌が世の中に評価してもらうこと。そして、たくさん売れること。これ以上にうれしいことはないです。――こうした反響は、社内でどのように共有されているんですか。例えば、「完売」は編集長自ら発表を?そうですね。デスク陣には数字は共有していますが、現場の記者にはデスクから伝わったりとか。完売すると営業部の担当者が、墨で「完売御礼」と書いた紙を持って来きます。「平成」の発表みたいに、「完売になりました!」と私が声を張り上げると、みんな「おー!」と拍手をして盛り上がります(笑)。――2年ぶりの完売でしたよね(1月28日号 甘利大臣の金銭授受疑惑)。そうです。それは盛り上がりますよ。正直言って涙が出ました。2年4カ月ぶりの完売。復帰してから3号目での完売だったので、思わず涙が出た。本当にうれしかった。今まで苦労をかけた現場の仲間と一緒に、もう一度、世の中に評価してもらえる雑誌を作れた。その喜びは言葉にできませんでした。――つまらない質問で申し訳ないのですが、「完売」打ち上げみたいなものは?特にないですが、編集局長賞はもらっています。局長のポケットマネーです。今年に入って、ベッキー取材班、甘利取材班、野球賭博取材班が表彰されました。それで取材班ごとに、飲みに行ったりご飯を食べに行ったりしています。これだけ立て続けに受賞したことは今までないですね。ASKAさん、佐村河内さんのスクープでももらいましたが。――ほかのインタビューを読むと、とても部員や記者のモチベーションを重視なさっていると感じます。スクープをとった人がそのまま書き手になるそうですね。経験の浅い新人でもですか?そうですね。経験が浅いとスクープをとれないのが現実なんですけど。ただ、そのルールは崩したくないんですよね。やっぱり「自分たちが何で飯を食っているのか」ということを肌身で感じてほしい。とっておきの良いネタをとってくれば、原稿を書くことができる。話題性がありそうな話であれば、優秀な取材班を自分の下につけてもらえる。それで4ページ以上、右トップ、左トップを書くことができる(広告・中吊りなどで左右にある見出しのことで、その号の目玉となる記事)。うちは社員と特派記者と分かれてるんですが、共存関係です。特派記者の場合は、固定給とは別に、スクープを書いたら原稿料を極力多めに出します。それもモチベーションになりますよね。社員は人事異動で3~4年で変わりますが、特派の場合は専属契約。毎年私と契約更改するわけです。そこで一年間の働きについて意見交換した上で、昇給とか現状維持とか、そういう話をします。そこでは1対1で、率直に具体的にその記者に対して、どこを評価しているのか、さらに何を期待しているのかを話します。最近よく聞かれる質問が「文春はなぜスクープをとれるのか」。ほかのインタビューでも答えていますが、それは「狙っているから」です。スクープは狙わないとなかなかとれないものなんです。うちの記者たちはみんな野心をもって、情報のアンテナを高く掲げて日々走り回っています。――総合週刊誌で実売部数11年連続1位を走り続けています。現場のモチベーションがその原動力になっていると思いますが、なぜこれだけトップの座を維持できていると思いますか。たぶん、うちが一番「戦い方」を変えてないんだと思います。私が記者として原稿を書いていた頃、あるいはデスクの頃と基本的には変わっていません。私が編集長になって急にスクープ路線になったわけではないんです。体制をより強固にしたとは言えると思いますが。他誌はヘアヌードブームに乗って一気に上がって、下がっていった。『ポスト』と『現代』は「死ぬまでセックス」という高齢層をターゲットとした企画で盛り返しましたが、それも一時的。企画もの、頭で考えたプランは、どうしてもそういう波ができてしまう。うちの場合はスクープ路線なので、常に目の前の生ネタを追い続け、それをフルスイングしてうまくジャストミートすればホームランになる。そんな戦い方を続けています。○部下を差別せず、現場とネタにフェア――編集長になられたのが2012年。編集部に入ったのはいつですか。1995年、地下鉄サリン事件があった年でした。普通、新入社員は『週刊文春』に配属されることが多いんですが、私はスポーツ雑誌『Number』に4年間在籍しました。大学の時にヨットをやっていたんですが、スポーツ経験者は『Number』に配属されることが多かったんです。その後は『マルコポーロ』という雑誌に2年間。入社7年目、30歳で『週刊文春』に入りました。だから、すごく遅い週刊誌デビューだったんです。『週刊文春』に配属されて思ったのは、「編集者」と「記者」の違い。週刊誌でもデスクや編集長になると「編集者」的な仕事になってきますが、デスクになるのは36~7歳ぐらい。それまでは一記者なので、編集者としての仕事とは全く違いました。とにかく目の前の相手にどうすれば話してもらえるか、の連続です。――『週刊文春』で初めて編集長を経験されたわけですね。編集長として心がけていることは何ですか?1つはとにかく「明るい」こと。編集長が暗くなると、編集部が暗くなる。売れようが売れまいが、仕事がうまくいこうがいくまいが、常に明るくすることが大事。レッツポジティブです。編集長は明るくないとダメなんです。疲れ切って暗い顔した上司なんか嫌だと思いませんか? 編集長は常に明るく、門戸を開いて。だから、できるだけ席にいるようにして、みんなが気軽に話せる雰囲気作りを心がけています。それからもう1つは、現場に対してフェアであること。ネタをとった人間が記事を書くというのは分かりやすい例ですが、人間の好き嫌い、キャリアが長いとか短いとか、性格が良いとか悪いとか、そういうことに目を向けるよりも、ネタに対してフェアであるべき。特定の人間ばかりを重用することもありません。特定の人間とばかりご飯に行ったり、飲みに行ったりとか。そういうことは一切しないと決めています。だから、特別なことがない限り、現場の人間とは食事に行きません。1人と行ったら、ほかとも行かないといけなくなるので。ただ、社員とは、入社年次ごとや異動の時期に1人最低1回は食事に行きます。全部同じ店と決めていますが。特派の記者に関しては「特派会」という懇親会が年に最低でも1回はあるので、そこには必ず顔を出して、なるべく多くの人間と話をします。毎年の契約更改時には、1人最低でも30分は話します。そうやって、信頼関係を築く努力をしています。編集長は大きな力を与えてもらっているわけです。編集長が「行け」と言えば、どこまでも行くのがうちの武器。そういう権限を持っている人間が恣意的な、組織を私物化しているような動きをすることは絶対に許されないと思うし、そういう風な疑いを持たれることだけでもダメだと思う。そこにはすごく気を使います。55人もいますからね。偏ったところがあると、不満分子が生まれる原因にもなります。●"かわいい仲間"のもとに「必ず戻ってやる」――足並みが揃わなくなると雑誌にも影響が出始めると。ええ。やっぱり、疑心暗鬼になるじゃないですか。私の周りを固めてくれているデスク陣にも、差が出ないように気をつけます。うちのデスクはみんな優秀。そして、これは全員に言えることですが、みんな僕にとっては本当に「かわいい」存在。人として大好きです。だからこそ、差があると思われるようなことはしたくない。――それは歴代編集長のカラーなんですかね。どうでしょうか。今の話は、私の考えです。デスクになった時に考えていたのは、どうしたら、いいデスクになれるか。現場から力の入った報告があったら、薄い反応は絶対にせず、「おー!そうか!」と明るく返す。そうしたらきっとみんなうれしいですよね? よく書けている原稿には、「今週はいいぞ!」と褒める。もちろんなんでもかんでも「いいぞ!」ではバカになってしまいますから、ダメな時はきちんと「ここがダメだ」と指摘する。原稿に対して、真剣勝負してくれるデスク。自分が記者だった頃も、本腰を入れて向き合ってくれるデスクは好きでした。自分の中での理想のデスク像、編集長像というのがあって、できるだけそこに近づきたいと思っています。――"明るさ"を心がけているとのことですが、新谷編集長の仕事、やっぱり楽しいものですか(笑)?もちろん楽しいですよ(笑)。仕事は楽しくないとダメですよ。やらされ仕事ほど辛いものはないので。「なんで俺はこんなことをやっているんだ」と思いながらやる仕事はつらくてしょうがないですよ。張り込みでも、そこには大きな意味があってやっているわけですから。現場のモチベーションを重視しているのは、まさにそこ。一人ひとりが当事者意識を持って、雑誌づくりに参加することがすごく大事です。そのもととなるのは、私はきめ細かいコミュニケーションしかないと思っている。デスクにできるだけ具体的に、記事のテーマ、ポイント、報じる意義をしっかり分かりやすく伝えて、デスクは原稿を書く"カキ"に伝える。カキは、サポート役となる"アシ"に。指先まで神経が行き届いているような指揮命令系統が、大事なんです。ついでに言うと、私がデスクを越えて現場の人間に指示するのは絶対にNG。デスクがカキを飛び越えてアシに指示するのもダメです。重要な指示を飛び越えてするのは、絶対にやってはいけないことです。少なくとも、自分はデスクの頃から肝に銘じていました。それが崩れてしまうと、デスクの言うことを現場が聞かなくなって、「編集長に直接言えば話が早い」となってしまいますからね。――例えが正しいのか分かりませんが、新選組もそんな感じでしたよね。そうですそうです。戦闘集団であればあるほど、そこは大切だと思います。昔、新選組を研究したことがありました。戦闘集団はどのように指揮すれば機能するのか。デスク時代、新しい編集長が来た時に「お前を中心にやる」と言われたことがあって、自分が期待されているのが「土方歳三なのか、沖田総司なのか」と聞いたら「両方だ」と言われたことがありました。現場を引き締めた上で、ネタをとってくるのかと(笑)。それを全うできたか自分では分かりませんが、新選組という組織は参考になりました。『週刊文春』の55人を指揮するというのは、やっぱり大変なんです。フェアじゃなければならないとか、指揮命令系統を崩してはいけないとか、そういう破ってはいけないルールが自分の中にはあるんです。これは突然思いついたようなことではなくて、この仕事をしていると、「ここは犯すべからず」という部分が自然と分かってきます。○休養を経て気づいたこと――『AERA』(3月7日号)のインタビューに「3カ月の休養で心身ともにリフレッシュできました」と書いてありました。休養の前後で心境の変化は?※『週刊文春』10月8日号で6ページにわたって春画を掲載。文藝春秋は「編集上の配慮を欠いた点があり、読者の信頼を裏切ることになった」として、新谷編集長に3カ月の休養を取らせた。現役編集長への「休養」命令は異例のことで、新聞など多くのメディアが取り上げた。いちばん変わったのは、ものすごく元気になったということ(笑)。もともと元気だったのに、3カ月も休んだらものすごく元気になりますよ。一切仕事はせず、人と会ってばかりいました。旅行は一度一人で行きました。熊野三山。熊野詣は楽しかったなぁ。みんな心配して連絡くれたんですよね。200人近く会ったのかな。新聞に名前が載ったりしたので、仕事関係の人以外にも小学校、中学校、大学、友達、恩師、野球部の監督、バイト先の仲間。懐かしい人も含めて、すごくいっぱい連絡くれたんですよ! 「今は時間があるだろうから会おう」みたいな人がたくさん(笑)。一人でも多くの人に会いました。それはすごく楽しくて、リフレッシュにもなった。今、私は51歳です。働きざかりの年齢でこれだけ休めることはなかなかありません。そんな機会ができたことで、自分の人生を見つめ直すことができた。いろいろな懐かしい人も含めて会うことによって、自分がどんな人間なのか、昔から私のことを知る人たちの話を通して自分がどのような存在なのか客観的に見られるようになります。それにくわえて、彼らの目に『週刊文春』がどのように映っているのか。よく読んでくれている人、そうではない人も含めて話を聞くことで、どんな雑誌と思われていて、何を期待されているのかを知ることができました。マスコミ業界外の目を通して『週刊文春』と「自分」を見つめなおす。そういう意味での"リフレッシュ"でもありました。――そして、復帰早々の完売。ええ。元気になって戻ってきたら『週刊文春』のかわいい仲間たちが迎えてくれた。このメンバーと一緒にバッターボックスに入ってまたフルスイングできる。それはうれしくてしょうがなかった。絶好球が来たら打つぞ! って(笑)。完売になってますます元気になるし、ますます情報提供は増える! それはイケイケどんどんになりますよ(笑)。――報道で休養を知った人もいたとはいえ、わざわざ連絡をくれるのは、そういう人間関係が築けていたということじゃないんですか?いやぁ。ただ、面白がってくれてるだけですよ(笑)。何が起こったんだろうって。僕はすごくポジティブな人間なんです。3カ月暗くなってても、つまらないじゃないですか。せっかくだから今しかできないことをやろうと。あとは「必ず戻ってやる」と。やっぱり現場に対して、すごく申し訳ないという思いがありました。去年は現場が特につらかっただろうから。本当につらい戦いだった。そういう時期に現場を放り出す形で、自分一人だけ戦線から退いてしまう。3カ月後に絶対戻るからそれまでなんとか耐えてくれ。その思いはずっと抱き続けていました。――休養中、『週刊文春』は読んでいたんですか。もちろん読んでいました(笑)。
2016年04月14日マガジンハウス創立70周年を記念し、『GINZA』4月号の特別付録として1号限定で復刊した『Olive(オリーブ)』は、復刊した、かつて少女だった大人たちだけでなく現代の少女たちをも魅了したのは記憶に新しい。2016年2月に復刊を果たす伝説のカルチャー誌『relax(リラックス)』の編集長を務めるのも、『GINZA』編集長の中島敏子氏である。「私にはこれしかできないんです」と話す中島氏の、編集力とは?ーー中島さんならではの編集理念はありますか?最初の話に戻ってしまいますが、私はこれしかできないってことですね。それって、出自のようなものだと思うんです。自分の生きてきた中からしか本音は生まれないし、それなら限りなく本音で、できるだけ自分が本当にいいと思っていることを伝えていきたい。決して読者を絞っているわけではないし、一人で作っているつもりもないんですが、私の価値観に賛同してくれる人々が集まってくると、今くらいの規模感になるんですよね。『GINZA』を好きな人が好きという部分を取り上げたいから、流行をまるっと右から左へ紹介するということはしたくないし、より遠くに広くイメージを飛ばせるように、1に対して10の付加価値を付けられればと思っています。その角度みたいなものが、『GINZA』であるアイデンティティかな。ーー『GINZA』らしさって、何だと思いますか?なんだろうな。私はやっぱり、完璧なものは好きじゃないんですよね。どこかヒューマンであったりへなちょこなものが好きで。洋服もファッションショーで見るときには完璧な世界観で圧倒されるんだけれど、手元に届くときの、実際に着る人がいてナンボという現実もある。だから、人間の影みたいなものが出るような、ファッションの輝き方を見せられたらいいなと思っています。それに、日本に住んでいる読者に読んでもらうことが前提なので、今のこの時代の空気を吸っている女の子たちに響くツボは押さえておきたい。それに、ギャグのセンスも大切。笑いや遊びがない雑誌って、あり得ないですよね。 やっぱりウィットって、人生の中で大事な要素だから。ーー『Olive』が付録として復刊した、2015年の4月号も即完売し、話題になりましたね。復刊のタイミングは大人の事情もありますけど(笑)、あそこまで喜ばれるということがビックリでした。去年の5月に大森イ予佑子さんにスタイリングしてもらった「17歳の私へ」という企画が大反響で、1カ月経ってもリツイートが止まらないくらい盛り上がっていたんです。それがきっかけで復刊することになったのだけれど、嬉しかったのは当時の読者が覚えていてくれて、ファッション誌を最近読んでない人や「『GINZA』って何ですか」みたいな人たちが老若男女問わず、『Olive』という名前に惹かれて買ってくれたことですね。ーー東京カルチャーを牽引した雑誌『relax』が2月に復刊されますが、どんな内容になるんでしょうか。「2016年のリラックス」というテーマだけを決めて、かつてメインでやってくれていたスタッフに声をかけています。ただ、みんな10年以上違う世界でやっているので、どこまで『relax』っぽくなれるんだろうと懸念しつつ、今はふわふわ泳がせている状態。私自身、もう『GINZA』脳になってしまっているので、『relax』脳に戻すのに時間がかかってます(笑)。当時はウェブといえばほぼ「2ちゃんねる」しかないような時代で、珍しいものが街中に溢れていたけれど、今はみんななんでもSNSを通じて知っているし、『relax』の影響を受けて生まれたZINEや媒体もたくさんある。じゃあ、本家本元は何をやろうかと。しかも、『GINZA』を作りながらやらなきゃいけない。「どうしよう!」と思ったんですが、アートディレクターの小野(英作)君からは、「それくらい力を抜いてやるのがいいんじゃない?」と言われました。確かに、がんばりすぎると、『relax』らしくなくなってしまうんですよね。---最終回、中島編集長インタビュー3/3は『GINZA』が考えるデジタル化への道。
2016年01月17日できたばかりのアニメーション制作会社の処女作が、アカデミー賞にノミネートされた――そんな鮮烈な話題で一躍注目を浴びたのが、堤大介氏とロバート・コンドウ氏の共同監督によるオリジナル短編アニメーション映画『ダム・キーパー』。『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』のアートディレクターをつとめたふたりが、ピクサーから独立してはじめて発表した作品だった。まるでこの展開自体がアニメの中の出来事であるかのような、ドラマチックなエピソード。それに惹かれて、同賞の授賞式開催地の米国、堤監督の母国・日本など各国のメディアが注目(もちろんそこにマイナビニュースも含まれる)。はた目には順風満帆に見えるが、同作の監督のひとり・堤大介監督が絵の道を志したのは、何と大学に入ってから。絵を仕事にしている人としては、かなり遅まきのスタートだ。今回は、活動の拠点であるアメリカを離れ来日していた堤大介監督に、ロングインタビューを敢行。堤氏が絵の道に進んだきっかけから、世界に名だたるピクサーに在籍しながら独立した理由、日本のアニメーション制作会社と協業する理由などについて聞いていく。全3回に分けてお届けする本インタビュー。第1回は、堤氏がなぜ、アメリカのアニメーション業界で働くに至り、世界最高峰のスタジオとも言えるピクサーを飛び出し、独立したのか。そのいきさつに迫った。――最初に、これまでの経歴、堤さんが絵を仕事として選んだきっかけについて、お話しいただけますでしょうか。高校生まで日本で暮らし、日本の学校に通っていて、ずっと野球に取り組んでいました。学生のころもらくがきをするのは好きだったんですが、まわりにうまい友人が何人かいて、特に、仲が良かった子はものすごく上手で。だから、自分が絵の道に進むというのはまったく考えていなかったですね。きっかけは、高校卒業後にアメリカ留学したことでした。それまで野球一筋、受験勉強というものに取り組んでこなかったので、そこから受験をして、日本の大学へ進むのは難しく、自然に留学という道を選びました。――例えば一浪して日本の大学に進むという選択もあったと思うのですが、アメリカ留学を選ばれたのはなぜですか?その当時、留学ブームであったという時代背景もありましたが、母親の方針に影響を受けたところが大きいです。彼女は日頃「しなさい」と言う方ではなかったのですが、「高校を卒業したら、とりあえず家を出てください」とは言われていました。皆がみんなそうではないですが、日本では大学受験のために必死に勉強して、入学したらサークルに入って遊ぶというような印象もあり、それを母はあまりよく思っていなかったようです。また、僕の姉も留学していたこと、留学すれば受験勉強をしなくて済むという打算もあって、渡米することを決めました。――英語は勉強してから渡米されたのでしょうか?野球部の引退後に時間があったのでTOEFLの勉強こそしましたが、アメリカに行った当初はまったく話せませんでしたね。いまだに覚えているのは、留学したてのある時、「ピザを食べたい」と思って、テイクアウトのピザ屋に行ったんです。店員さんに「ピザ」と伝えたら、一切れだけ買うつもりが、超巨大な物が丸ごと出てきてしまって…。ですが、「間違っている」と言うこともできず、やむを得ずそのまま受け取って、自転車だったので片手でかついでどうにか持ち帰りました。そのくらい、英語はできませんでしたね。――現地で生活される中で、どんどん身につけていかれたんですね。僕は極端な性格なので、やるときはとことんやる方で、野球にも熱中して取り組んでいました。なので、英語も渡米してからですが、とことん身につけようとしました。しゃべれないとどうにもならないだろう、と。留学当初は同じ日本人の留学生とはまったくしゃべりませんでしたね。仮にしゃべるとしても日本語ではなく英語で話しかけるという、今考えれば嫌な学生だったと思います。正直後悔している部分もあるのですが、そういう極端なことをしていた時期もあるくらい、英語を身につけようと必死でした。――それまでずっと野球一筋だった堤さんが絵を志すきっかけになったのは何だったのでしょうか?語学学校時代、地域に開放されていた絵のクラスで、地元のおばあちゃんに褒められたことが絵を志すきっかけでした。ですが実際に美大へ進んだら、僕はクラスの中で画力が一番下なんです。当然ですよね、絵を始めたのが遅すぎたんです。しかも、僕が取っていたクラスの先生は名物先生で、クラスからよく生徒を追い出したりしていました。僕もまさにそのターゲットにされて、2度彼のクラスから追い出されたことがあります。――そんな仕打ちを受けて、絵をやめたくなったりはしなかったのでしょうか?それまでずっと野球をやっていたこともあって、良薬口に苦しといいますか、ラクだったらダメな気がしてしまうところがあって。例えるなら、あまり興味がなかった女の子にそっけなくされて追いかけてしまうみたいなもので、逆に見返してやろうと思って取り組んでいました。その方はすごく有名な方で、その先生の授業の映像が教材ビデオとして売られることもあるくらいです。そのビデオはクラスの上位から代表3人を選んで指導するというもので、最終的に僕はその代表に選ばれました。でも、彼は僕をクラスから追い出したことは覚えてないと思うんですよ。選出したタイミングで、「最初は無理だと思ったが、よくぞここまで」というような、指導者としてのコメントも特になく(笑)。学習過程の終盤では、僕の絵が良い例として使われたりしていたので、いつの間にか認めてくれていたんでしょうね。ただ、僕はその先生について、指導者としては失格だと思っているんです。でも、ダメな先生だから生徒は学べない…というのはおかしいですよね。「いい先生に恵まれなかった」という言い訳で、自分が損するのは嫌じゃないですか。ダメな先生からだって得られるものは絶対にあります。彼はアーティストとしては本当にすごい人で、盗めるところは盗めるようにがんばりました。――少し話はそれてしまうのですが、奥さまが宮崎駿さんのご親戚ということを耳にはさんだのですが、アニメ業界を目指されたきっかけは、宮崎駿さんと何か関係はありますか?いいえ、関係はないです。妻は確かに宮崎さんの親戚ですが、彼女とは小学一年生のころの同級生で、僕がまだ「宮崎アニメ」を観た事がない時に出会っているんです。(編集注:当時、スタジオジブリ開設前で、宮崎駿氏はまだ『となりのトトロ』等オリジナルの劇場アニメーション制作を開始する前だった)なのでキャリアの開始には関わりはありません。僕にとって、宮崎さんはただただ憧れている、神様のような存在です。――では、何をきっかけにアニメーション制作に携わることを決めたのでしょうか?僕がアニメ業界に入ったきっかけは、絵を描いてアメリカに残るにはどうしたらいいか?と考えた結果でした。会社で働かないとビザが下りないので。絵が描ければいいやという安易な気持ちで始めたものの、初めてみたらもうとにかく面白くて。個人でやるより、チームで取り組む方が自分に向いているなと感じました。――就職された後、ピクサーへの転職を遂げ、トイ・ストーリー3でアートディレクターを務めるなど、外から見ればこれ以上ない、非常に華々しい職歴であったと感じます。またご家族がいらっしゃる状況で独立を決断するのは相当な勇気が必要であったと想像します。それにも関わらず、ピクサーを去って会社を興した理由はどこにあったのでしょうか?ピクサーから離れないと、これ以上成長できないと感じたからです。とはいえ、ピクサーに残っていたら成長できなかったかというと、そんなことはなかったと思います。ピクサーで取り組んでいたことは、もちろん大変な仕事でしたから。でも、自分の可能性に大きな賭けをするなら今やらないと、トライできなくなると考えたんです。アメリカの場合、一度アニメーション作品の制作に入ると3年程かかります。なので、次の作品に参加していたら、家族の状況で言えば、息子が小学校に入るタイミングになります。もろもろのことを考えて、今しかないと。――著名クリエイターの直筆イラストを1枚のスケッチブックに描きこんでもらう「スケッチトラベル」など、ピクサー在籍時も意欲的なプロジェクトを実行されていましたが、それでもなお、会社を離れた理由をお伺いしたいです。スケッチトラベルやトトロの森保全などのプロジェクトを通じて、自分で人をまとめて物事を動かすことが好きだと気がつきました。これらは仕事の傍ら取り組んできたプロジェクトですが、どこかで「自分の力を本当の意味で試してみたい」、つまりフルタイムで自分のプロジェクトをやりたいという願望が芽生えたんだと思います。「ダム・キーパー」の制作も、本業のかたわらで取り組んだことです。毎日がチャレンジで。本当に大変な思いをしました。何かプロジェクトを動かす時、ふつうは準備万端でやりたいものですが、この作品は準備どころではなく、やってみて初めて問題が発覚するような、その繰り返しだったんです。これまでピクサーではアートディレクターの仕事に専念していたので、短編とはいえ映画にまつわるすべてを作っていくのは初めてで、次々と噴出する問題をひとつずつクリアにしていくうちに、どんな問題がやってきても、その時に考えればいいやという覚悟ができてくるんです。そうして瞬時に問題を解決できる「筋肉」のようなものが備わってくると、日々自分がそこで成長しているということが感じ取れる、ということに気がついたんです。ジムで体を鍛える時も、筋肉を極限までいじめることで、回復したときに筋肉が増えるのと同じで、極限まで無理だということを克服したときに、次のレベルに行けるんです。そうした経験をする中で、ピクサーの仕事では、問題を克服する筋肉を養う機会が無くなってきていることが分かってしまったんです。僕は7年、ロバートは12年ピクサーに在籍していて、ふたりとも社内ではそれなりの評価をもらっていました。もちろん簡単な仕事ではないですが、こうすればできるというような自信も出てきて、会社の方も、このふたりに任せればできるというような雰囲気になっていて、だからこそ、挑戦とは遠いところにいると感じることが多くなりました。――その「気づき」を促した決定的な出来事は何かあったのでしょうか?『ダム・キーパー』を作るため、僕たちは3カ月間会社から休みをもらったんですが、所定の期間だけでは終わらなかったので、制作途中にピクサーの仕事に復帰したんです。戻った初日、ピクサーの景色がそれまでとはまったく変わって見えました。ピクサーは制作スタッフが仕事をしやすいよう、あらゆるものが整っているいわば「理想郷」で、それまでのチャレンジの日々とはあまりに対照的でした。この体験が、独立への決意につながったと感じています。もちろん、それからすぐに辞めたわけではなくて、悩みました。それに、家族である妻のサポートがなければ絶対に決心できなかったと思います。――共同設立者で、ピクサー在籍時も共に『ダム・キーパー』を制作していたロバート・コンドウさんも、同じタイミングで独立を決意されていたのでしょうか。ロバートは本当に優秀なクリエイターですから、僕としては一緒に起業できたらという願いはありました。ですが正直なところ、彼が一緒に来てくれるかどうか、いざ話を持ちかけるまで分かりませんでした。というのも、彼はカリフォルニアで生まれ育ち、卒業後の最初の仕事がピクサーで…という、大きな変化を選んで来なかった人でしたから。あとでロバートに聞いたら、僕が誘わなければ辞めなかったと言っていました。――ピクサーという大企業を辞するにあたって、やはり「引き際」というのはどの会社でも難しいこととは思いますが、スムーズに進行できましたか?ふたりとも責任ある仕事を任されていましたし、特に僕は次の映画の制作に入っていたので、ある程度時間をかけて引き継ぎをしました。社内の雰囲気という意味でも、僕が辞めるといった時に、多くの同僚が納得してくれました。実は、僕は退職の直前、社長から直々にメンターシップを受けていました。なので、彼に直接辞意を伝えたのですが、「分かっていた」というようなことを言っていただけました。メンターシップは将来のピクサーのリーダーを育成するためのプログラムなので、その時間を無駄にしたと叱責されてもおかしくない状況だったのに。僕らは『ダム・キーパー』を作っている時、ピクサーの近所にあるとても小さな、そして到底キレイとは言えない小さな部屋を借りて、そこで制作を行っていました。社長はそこへも足を運んでくださって、「今が一番大切な時間だから、大切にしなくてはいけない」と言ってくださいました。ピクサーのような大きな会社であれば、メンターシップのような特別な機会でもなければ、社長と密にコミュニケーションを取ることは大変難しいですから、とても貴重な経験になりました。そして、メンターシップを通じて、自分が彼のようになるためには、現状のままでは無理だということを痛感しました。社長をはじめ尊敬しているクリエイターたちはどこかでリスクを冒して、自分に対してチャレンジしている。そして、その裏には自らへの「なぜ」創るのかという問いかけがあり、その理由を明確にして動いている。だからこそ僕は独立したんです。取材協力:ほぼ日刊イトイ新聞撮影協力:音と言葉“ヘイデンブックス”(HADEN BOOKS)
2015年11月13日アメリカ・ポートランド発のライフスタイル誌『キンフォーク(KINFOLK)』の編集長ネイサン・ウィリアムが手掛ける期間限定ショップ「Slow Design for Men’s Living by Nathan Williams」が伊勢丹新宿店メンズ館1階に11日オープンする。会期は24日まで。家族や親しい人を意味する『キンフォーク』と名付けられ、11年に創刊した同誌は世界中の多くの人々から支持されるライフスタイルを代表する雑誌のひとつ。昨今、日本でも広がりつつある“スモール ギャザリング~小さな集い~”をサブタイトルに掲げ、家族や友人たちとの時間をゆったりと過ごす為のアイデアが詰まった本誌の世界観をそのままに、本イベントでは、ネイサン自身がクリエイティブディレクターを務めるライフスタイルブランド、アウアー(Ouur)のウェアを始め、同店で取り扱うブランドの中から同じ世界観を共有できるアイテムを独自にセレクトし展開する。また、アウアーでは“オフホワイト”をテーマにした限定コラボレーション企画を実施。サイ(scye)、ティーエスエス(ts(s))、エヌ・ハリウッド(N.Hoolywood)、ファクトタム(FACTOTUM)、スズキタカユキ(suzuki takayuki)、コズミックワンダー(COSMIC WONDER)と製作したアウターを販売。同商品は、ネイサンがセレクトしたタスマニアウール100%のオリジナル生地が使用されており、素材、デザインともに希少性の高いアイテムが集結する。その他、“今の日本の食卓”を意識した滋賀・信楽焼きのテーブルウェアや、陶器などのホームコレクションも展開。まるで雑誌から飛び出したような世界観を体現できる空間になりそうだ。
2015年11月09日おなじみの大根仁監督作。しかも『モテキ』と同じ“編集者”という役柄である。「そうなんです。大根監督はそれ忘れたままオファーしたんじゃないかと…。まあ『ナタリー』と『ジャンプ』じゃ全然違うしね(笑)」。『モテキ』で演じたのはサブカルを中心にしたニュースサイト「ナタリー」のCEO。そして今回の『バクマン。』では、日本一の売り上げを誇る漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の編集長を演じている。この男ほど「編集長」が似合う人間もいないかもしれない。近年、俳優としての一面にスポットライトが当たりがちだが、長年にわたりイラストレーター、エッセイストとしても活躍し、小説家としても「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」がベストセラーになったのは周知のこと。数多くの編集者に当事者として接してきた。リリーさんから見た“編集者”という人種はどういうタイプの人々なのか?「なかなか普通の感覚じゃできない仕事ですよね。体力も知性も必要だし、基本的に約束を守れない人たち(=作家、ライター、イラストレーターほか…)と仕事する人なわけですからね。いわゆる一般の社会通念でもって、編集者を務め上げようとするとうまくいかないでしょう。特に小説とか漫画とか、ある程度時間をかけて作るものを担当する編集者ってのは原稿の待ち方もなかなか堂に入ってます。『こいつをウチから帰すには原稿書くしかなさそうだ…』って思わせる迫力を持ったヤツもいますからね(笑)。あぁ、もちろん実体験ですが…」。一方で『バクマン。』におけるサイコー&シュージンが服部という編集者との出会いで実力を伸ばしていくように、編集者の存在が原稿の質を左右するのも事実!「作る側にとって、一番最初の読者が編集者。だから、編集者に対するリスペクトの気持ちの有無が作品の質に関わってくるんです。この編集者、何もわからず『やれ』と言われたことをやってるだけだなと思うと、原稿の質も落ちるし、自分より映画についてよく知っている編集者だったら、緊張感をもって映画について書くようになる。そこで一緒に仕事して作っているという感覚も出てくるんです」。その意味ではリリーさんが演じた佐々木編集長は冷徹な目で作品を判断する「緊張感を持たせる」タイプの編集者だが…。「うん、加えてひとつ、ジャンプ編集部が他と大きく違うのは、彼らには『経済を支えている』という自負があるとこじゃないかと思います。ひとつの雑誌編集部で動かしている金額で言えば、間違いなく世界最大級ですから。だから、歴代ジャンプ編集長っていろんな戦場でいろんなものを見てきてしまったという人たちなんでしょうね。簡単には感情の起伏が表に出ないし、一方で現場の最前線は熱い編集者が多いけど、そこを経て、ある意味で適度に血が冷たくなっていると言えるのかもしれない(笑)」。編集者ではなく、逆にイラストレーターの目から見て漫画家という存在をリリーさんはどう見たのか?「僕自身、子供の頃は漫画家に憧れてノートに描いてたし、実際に連載したこともありましたが、漫画って1ページずつのものでしょ?でもイラストレーターの感覚で言うと、あの一コマがワンカット(ひとつの仕事)なんですよ。そう考えるとコスパが悪いなと思うし、そう考えると、めんどくさがってはできない仕事なんだなと思いましたね」。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:バクマン。 2015年10月3日より全国東宝系にて公開(C) 2015映画「バクマン。」製作委員会
2015年10月08日サイバーエージェントは10月1日、広告の企画・編集・運用・レポーティング・効果改善を行う専門組織「エディトリアルアドスタジオ」を設立し、スタジオ長として尾田和実が就任したことを発表した。同組織は、Amebaにおいて、情報メディア「Spotlight」「by.S」におけるタイアップ広告「エディトリアルアド」のコンテンツ力強化と広告効果の向上を目的とするもの。同広告に関するノウハウの蓄積や分析、ナレッジ開発等を行っていく。スタジオ長に就任した尾田和実(おだかずみ)氏は、シンコー・ミュージック、インフォバーンの編集者、MTV JAPANのプロデューサーを経て、2009年にメディアジーンに入社。同社で運営する「ライフハッカー」「ルーミー」「コタク・ジャパン」の編集長を歴任後、2012年同社COO(最高執行責任者)に就任し、2014年より「ギズモード・ジャパン」編集長。2015年9月にサイバーエージェントに入社した経歴をもつ。同組織では今後、尾田氏を中心に企画編集力の強化とコンテンツ制作の体系化に取り組むと同時に、市場動向調査の実施や最適な「エディトリアルアド」の在り方の研究・広告開発を行っていく考えだ。
2015年10月02日