■前回のあらすじD学園とE中学のどちらにも合格した私。E中学はなんと特待生合格でした。そして、第一志望のD学園への入学を決意。こうして、私の長くつらい受験生活が終わりを迎えました。■親子で「受験」に対するベクトルが大きく違った母はよく「申し訳なかった」と私に言うのですが、問題はそこではない気がするのです。頑張る方向がわからなかった私と、いつも全力ですべての方向に頑張っていた母。親子でまったくベクトルが違い、噛み合わなかったのがそもそもの原因だったのでは、と今の私は思っています。そのため、お互いに「なんで!?」と、ずっと感じていたのかもしれません。 ■母との会話で終わりを迎えた中学受験これには、母はとても共感してくれました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月20日■前回のあらすじ学校の成績が最下位レベルまで落ちた私。三者面談で先生が教えてくれた絵を学べる学校もレベルが高く、このときの私の学力では到底手が届かず、完全に「詰み」の状態になりました。■母が私に聞いてきたのは!?完全に進路が見えなくなってしまった私でしたが、塾には惰性で通っていました。勉強は正直あまりついていけない状態になっていましたが、帰宅後に母と家にいるのもしんどく、塾を辞めなかったのです。そんな生活が普通になってきた頃、塾のない日に母がそっと私に話しかけてきました。母は以前、見学に行ったD学園の印象を遠慮がちに聞いてきました。 ■少し希望が持てた出来事A女子中がイチオシだった母。D学園は受けさせてもらえないだろうと思っていましたが、ここにきて「本当に自分が良いと思った学校に行けるかもしれない」と希望が持てました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月16日■前回のあらすじついに受験生である小学6年生に進級。ハードな受験生活で身も心も消耗。12歳にして白髪だらけになるほど頑張っていたものの、なかなか成績が上がらず…。しびれを切らした母に罵倒されながら勉強を続けていました。今回は受験から話が少しズレますが、母の話を聞いてください…。■お酒を飲むと本音が飛び出す母お酒好きといっても、がぶがぶ飲んで暴れて、というタイプではなかったのですが、このころからお酒に酔うとちくちくと私が怒られるのが、定番の流れに。「お願いだからちゃんと勉強して」「ちゃんとやればできるから」「いい学校(A女子中)に行って」と、毎日のように酔った母に言われました。しかし、この日の母は少し違っていて…。お酒を飲むとすべて遠慮なく言葉や感情を出してしまうタイプの母の言葉に、私は嫌な意味で「嘘ではない」と確信しました。 ■母の私の受験に対する目的に気づいた中学受験において勝負時と言われる小学6年生のころ、私は「この受験は自分のためにしているものではなく、母の夢と理想のためにしている」と、気づきました。そこから、どんどん悪い考えが頭をよぎり、「小学校も幼稚園もお受験したのは私ではなく、母がしたかったことだった…?」「この先も母が歩みたかった人生を代わりに歩まされるのか?」など、自分という人間の存在意義と価値が揺らいでいきました。次回に続く(全16話)毎日10時更新!
2023年07月10日私が海外で結婚し、出産・育児をしていく中で、心と体の支えになってくれていたのは母でした。その母が他界したのは、私が2人目の子を産んで2カ月後のことだったのです。※コロナ禍前の体験談です。 産後のお世話にきてくれた母海外に住んでいることもあり、2人目出産後は母が日本から来て1カ月間滞在し、生まれた子どものお風呂や食事作り、洗濯、上の子のお世話までしてくれました。 中でも1番うれしかったのは、上の子が短期間でもおばあちゃんと一緒に過ごせたことです。また、私自身も母親と久しぶりにゆっくり過ごせて、いろいろな話もでき、とても良い時間でした。 突然の他界母が日本に帰国して1カ月、突然その時は訪れました。母はくも膜下出血で倒れて病院に運ばれ、1日もたずにそのまま他界してしまったのです。 突然の訃報を受け入れられずボロボロと泣いている私を見て、上の子が不思議そうにしていました。母の葬儀のために帰国するにも、まだ生まれたばかりの2人目はパスポート申請も間に合わず、夫の実家に預けることに。落ち込んで泣いている時間もなく飛行機のチケットの手続きをし、慌てて日本に帰国し母と最期の別れをしました。上の子は亡くなった母に触れて「おばあちゃん冷たい……」と寂しそうにつぶやいていました。 母の存在の大きさ2人目の子どもが生後100日になるころ、49日法要のために2人の子どもを連れてまた帰国。夫は仕事で都合がつかず私ひとりでの帰国だったため、2人目をおんぶして上の子と手をつないでの飛行機や電車の乗り換え移動となり、緊張し過ぎて、実家に到着したら体調を崩してしまうほどでした。 近所に兄夫婦が住んでいるものの、実家には父ひとりなので、滞在中は食事作り、掃除洗濯、買い物まで私がひとりでしました。子どもを見ながらだったので、いなくなった母の存在がいかに大きかったかをより実感しました。 母への想いは時が過ぎても…3年過ぎて上の子が6歳になったとき、幼稚園で「おばあちゃん、家にきてほしい」と手紙を書いてきました。おばあちゃんを覚えていることにも驚きましたが、何よりも「家にきてほしい」とおばあちゃんを慕っている子どもの想いに切なくなり、「おばあちゃんはこられないんだよ」と言いながら、成長した子どもを母に見せてあげたかった……と泣きました。 そして母にしてあげられなかったこと、もっとしてあげたかったこと、いろいろな想いが数年経ってもまだあるのだとわかりました。 1人目、2人目が男の子だったため、母は「3人目が女の子だったら良いね」と話していました。不思議とその言葉どおりに3人目に女の子が誕生しました。子どもたちが元気に成長しているのも、母が見守ってくれているからのように感じます。母に感謝をしながら、家族をもっと大切にしていきたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:鈴木そうこ6歳3歳0歳の兄妹を育児中。韓国人の夫と結婚し、韓国の田舎で専業主婦をしている。韓国語と日本語の二重言語教育や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年07月07日■前回のあらすじゆいの発達検査結果について母と妹に報告すると、妹が自分がかつて0点を取ったときの話をする。そのとき母は何も気にしなかったそうで、「あのとき大切に守られてたら、今の私はいないかも」と妹は言うのだった。■守るだけじゃダメ!?■母の言葉に…悩む私に母が掛けてくれたのは、「絶対に大丈夫」という言葉。私はなんだか肩の力が抜けた気がして…、心が軽くなったのでした。次回に続く「療育手帳を取得した話」(全38話)は12時更新!
2023年07月01日学生時代に付き合っていた彼氏に「生理は血が出るから無理!」と言われてショックを受けた私。その後出会った夫は生理への理解があり、生理中の私をいつも気づかってくれていました。しかし、ある日夫から驚きの言葉をかけられて……!? 生理中もやさしい夫私は、大学生のころ付き合っていた彼氏に「生理は血が出るから無理」と言われたことがあります。その言葉に自分自身を否定されたような気持ちになり、とてもショックでした。 彼と別れたあと、私は現在の夫と出会いました。彼は、私に対してとてもやさしく、いつもいたわってくれます。それは生理中も同様で、結婚当時、生理の症状が重く体調を崩しがちだった私の代わりに家事を引き受けてくれたり、体を温めるための毛布や飲み物を用意してくれたりしていました。 交際を順調に進め、彼は私の夫になりました。生理のつらさを理解してくれている夫であれば、きっと悲しい思いをさせられることはないだろう、と思っていたのですが……。 夫の言葉にショックを受けて夫と一緒に暮らし始めたある日、私は初めて経血漏れを起こしてしまいました。 すると、私の経血を見た夫が「俺、血は苦手なんだよね」と発言したのです。生理中、私をいたわったり気づかったりしてくれる夫ですが、私は大学時代の彼氏と同じような発言をされたことがとてもショックで……。 私は夫に「どうして血が苦手なの? 毎月起こる生理現象だよ?」と尋ねました。すると夫は、「もし俺の局部から大量に血が出てたら怖いでしょ? 生理現象だとしても、血がいっぱい出ていたら怖いよ」と言ったのです。 「男性だったらそれは病気や怪我かもしれないけど……生理は女性にとって大切なものなんだよ」と説明しますが、いくら話し合っても意見は平行線で……。 結局そのときは学生時代の彼氏と同じようにわかり合えずに終わってしまい、「経血に対する感覚は、男女で隔たりが大きいのかもなぁ」と思いました。 数年後、夫に変化が!それから数年ほど経ったあるとき、予定日ではない日に生理が始まってしまい、寝ている間にシーツやブランケットを経血漏れで汚してしまいました。 もともと、不注意で私は経血漏れを起こすことが度々あります。経血が苦手な夫に経血漏れを見られないよういつも気をつけているのですが、この日汚してしまったのはシーツやブランケットで、隣には夫が寝ていたため、すぐに対処することができず……。 どうしようかと私がバタバタしている間に夫が起きて、経血漏れに気づかれてしまって……。 「嫌な顔をされるかな」と一瞬不安になりましたが、夫は平然とした顔で「あちゃ~、生理? おなか痛くない?」と私の体調を心配しながら、シーツやブランケットを取り替えてくれたのです。 驚いた私が「経血は苦手だったんじゃないの?」と聞くと、「何年も一緒にいたら、なんだか平気になっちゃった」と言われました。私はこれを聞いて、経血に対する受け止め方は男女の違いなどではなく、慣れの部分もあるのかもしれないと思ったのでした。 夫の予想外の反応にびっくりしましたが、すこしうれしくなった出来事です。 私は経血漏れを起こすことが度々あったため、夫としてもその環境に順応するために慣れざるを得なかったのかもしれません。しかし、そう考えると「女性だから経血が平気」というだけではなく、毎月生理がきたときに経血を見ているので自然と慣れてしまうだけなのかも、と感じました。 生理への考え方は人それぞれだと思うので、自分の考え方を相手に押し付けすぎないように気をつけたいと思っています。 ※生理中に出る経血は、血液だけではありません。妊娠準備のために分厚くなった子宮内膜が、妊娠しなかったことで不要となり、子宮から剥がれ落ちます。その剥がれ落ちるときに子宮に傷がついて出血し、剥がれ落ちた子宮内膜と一緒に体外へ排出されたものが経血です。 著者/百田イラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年06月26日皆さんは普段、お弁当を手作りしますか? 学生時代、親にお弁当を作ってもらっていたという方も多いでしょう。 今回は、そんなお弁当にまつわるエピソードを紹介します!母のお弁当をバカにされ…私が小学校の頃、母が毎日丹精込めてお弁当を作ってくれていました。しかしある日、お弁当を食べていたとき、クラスメイトから「それ、マズいよね?」と言われてしまい、私は傷ついて泣いてしまいました。その日以降、私はお弁当を食べることができなくなりました。母は私がお弁当を食べていないことを知り、心配して私に「どうして食べないの?」と聞きました。母の優しさに…私はクラスメイトに言われたことを話し、涙が止まらなくなってしまいました。すると母は、私を抱きしめて「ママの作ったお弁当は、とってもおいしいんだよ。クラスメイトたちがマズいと言うのは、ただの意地悪だよ」と優しく言ってくれたのです。それからは、母の作るお弁当を食べることができるようになりました。母の温かい言葉と優しさに涙が止まり、心が癒されました。(40代/女性)お弁当の時間はみんなで楽しくどのようなお弁当を用意するかはそれぞれの自由ですが、人が作ったものを見下すような態度は良くないですよね。優劣を争うことなく、ごはんはみんなで楽しく食べたいものです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年06月26日もちこさんは5人家族。もちこさんには、3歳上の兄と1歳上の姉がいます。父と母は物心ついたころから不仲で、家庭内別居状態。真面目で昔ながらの考え方をする母はノイローゼになり、子どもたちを虐待するようになったのです……。普段は愛情深くてやさしい母。しかしもちこさんたちが気に入らないことをすると、しつけといって虐待を繰り返していました。そして、直接的な暴力は日常茶飯事だったというのです。部屋を散らかしていたことで母に怒られたもちこさん。しかし怒鳴られただけでは済まず……。怒った母がいつも私たちにする「しつけ」とは… 部屋を散らかしていたもちこさんは、おしりを母に布団たたきで叩かれました。母に振るわれた暴力の中で、これが一番痛いものでした……。 叩かれたときはもちろん、そのあともジンジンと痛みは続きます。子どもたちの中では「布団たたきの刑」と呼ばれ、恐れられており、入浴時に姉に確かめてもらうと、もちこさんのおしりと太ももは真っ赤に腫れあがっていました……。 母による直接的な暴力は日常茶飯事。子どもたちは母親の恐怖支配からは逃れられませんでした。しかし、兄姉がいたことで打ち明けられる環境があったのはよかったのかもしれません。 しかし、何があっても子どもに手を上げるのはやめて欲しいです。恐怖で支配された子どもたちは親からの愛情を感じられないと思うかもしれません。育児に必要なものは恐怖ではなく、愛情です。 もちこさんの母にはまず自身がノイローゼになっていることを認識して、専門的なカウンセリングを受けるなどし、暴力や恐怖ではなにも解決できないことを自覚してほしいですね。 ▼児童相談所全国共通ダイヤル育児や子育てに悩んだときなどの相談窓口です。全国共通ダイヤル「189」に電話をかけると、発信した電話の市内局番等から当該地域を特定し、管轄する児童相談所に電話が転送されます。子どもが虐待されているかもと思ったとき、自分の子育てがつらくて子どもにあたってしまうときなどに、専門家に相談することができます。電話番号:189(いちはやく) ▼24時間子供SOSダイヤル いじめやその他の子どものSOS全てにおいて、子どもや保護者などが夜間・休日を含めて24時間、相談を受け付けている全国共通のダイヤル。都道府県及び指定都市教育委員会などにより運営されています。電話番号:0120-0-78310(なやみいおう)著者:マンガ家・イラストレーター もちこ再構築中のサレ妻。2歳差男児たちの母。ブログやインスタグラムで再構築の日常、育児漫画、実母から虐待されていた話、結婚詐欺にあった話、豊胸&脂肪吸引レポ等、自身の体験漫画を描いている。コミック『結婚生活の半分以上不倫サレてました 夫と不倫相手を地獄に堕とす』(KADOKAWA)発売中。
2023年05月19日私は50歳のころ、75歳になる母と小学生の息子と暮らしていました。昔からしっかり者でやさしい母のことが、私は大好きでした。しかし、母はある日を境に急に物忘れが激しくなり病院へ。生活は一変し、私はストレスを感じ始めるようになってしまいました。認知症だと診断された母と私のことをお話しします。★関連記事:突然始まった介護生活! 義母が腰椎圧迫骨折をして入院後、自宅介護に【体験談】母の介護は私の役目だと思い母の言動に違和感を覚え病院へ昔からしっかり者で、愛情深い私の母。私が離婚して息子を抱えて帰ってきたときも温かく迎えてくれ、母のやさしさに何度も救われてきました。母の異変に気付き始めたのは、父が亡くなってから1年たったくらいからでした。ある日、「今日はいい天気だからみんなで出かけようか」と母からの提案がありました。私と息子と母の3人で出かけようと準備していると、「ピンポーン」とインターホンが鳴りました。私が出ると、母の友人が立っていました。どうやら母は友人と出かける約束をしていたようでした。母は、予定が入るとすぐにカレンダーへ書き込む習慣があったので、私は「お母さんが約束を忘れるなんて珍しい……」と思いましたが、母も人間です。忘れることは誰にでもあると思い、そのときは気にしませんでした。しかし、その日を境に、こういったことが多くなったのです。友人と出かけることが大好きだった母ですが、約束しても忘れてしまうことが増え、友人に何度も謝り、覚えていられない自分を責めてつらそうでした。母は料理が好きだったので、毎日料理を作ってくれていたのですが、料理にも変化が表れ始めます。毎日のように作っていた料理の作り方や材料が、だんだんとわからなくなっていったのです。約1年の間にどんどん記憶力が低下していく母。これは見ていられないと思い、「病院へ行こう」と母に提案。母もすんなり快諾してくれたので、一緒に病院へ向かいました。「認知症」と診断された母病院を受診し、母は「認知症」と診断されました。もしかして……とは思っていましたが、いざ診断されるとショックでした。医師から母と接するときのアドバイスや、デイサービスの利用などの説明を受け、家に帰りました。私は週に2日のみ生け花講師の仕事をしていたこともあり、母のことは自宅で様子を見ることになりました。ある日、母は転んで足をけがしてしまいました。筋を痛めたようで足が悪くなり、あっという間にほとんど寝たきり状態に……。介護施設へ入れることも考えましたが、「今まで母に助けてもらってきた恩を、今度は私が返す番だ」と思い、仕事を辞めて自宅介護に踏み切ります。日中は息子も小学校へ行っていることもあり、母との時間に集中できていました。介護の本を買い、素人ながらに勉強して母の介護に努めました。しかし、寝たきり状態になったことで、母の認知症の症状はさらに進んでしまいます。約束していないのに「今日は友人とランチに行くから、準備させてくれる?」と、笑顔で頼む母に、私は胸が痛くなりました。自宅介護に限界を感じた私時々幻覚も見え始めた母は、パニックになって叫ぶことも。「母に恩返ししたい」という一心で介護していましたが、息子との時間を十分に取ってあげられないようになってしまいました。そのことが、自宅介護を選択した唯一の後悔です。息子と話をしていても母がパニックになり叫びだすと、どうしても母を優先しなければなりませんでした。自分の時間は一切なく、息子にも罪悪感を覚えながら介護する日々。しかし、このときの私は1日を無事に終えることに精一杯で、誰かに頼るという選択肢はありませんでした。母は認知症が進んでも、私と息子のことは覚えていましたが、友人がお見舞いに家へ訪れても「どなたでしたっけ?」と言うようになりました。友人は母に見えないところで涙を流し、「また来るからね。頑張り過ぎないでね」と私に声をかけてくれて、その後何度も母の顔を見に来てくれました。時がたつにつれて、母は夜に徘徊するように。母がどこかへ出て行ってしまわないように、私は睡眠時間も削り、寝ていても休んだ気がしない日々が続きました。そんなとき、家へ訪れた母の友人が私の様子を見て、「自分の母親だからって全部抱え込まなくていいのよ」と言ってくれたのです。母の友人と話をしたことがきっかけで、施設に入れるのではなくデイサービスなどを利用してみることにしました。利用を始めてから、自分が母の介護をできないという罪悪感はありましたが、ヘルパーさんにその日の母の様子を聞いたり声をかけたりしていただいたおかげで、安心してデイサービスに頼れるように。息子との時間もでき、自分の心にも余裕ができたように感じました。まとめ母が認知症と診断されてから約6年。最後は自宅で母を看取りました。母が亡くなってもちろん悲しかったですが、母と向き合える時間を過ごせてよかったと感じました約6年間の自宅介護生活、どんどん物忘れが激しくなっていく母の世話がしんどいと感じるときもありました。しかし、母とゆっくり向き合えるいい時間だったな、と今は感じています。そして、「自分の親だから」とひとりで抱え込まずに、誰かに頼ることも大切だと母に教えてもらった気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。取材・文/もちだひのっしーマンガ/☆まかりな☆著者/もちだひのっしー元保育士のママライター。2歳のイヤイヤ期真っ只中の息子と毎日奮闘中。伝わりやすく執筆できるように頑張ってます!
2023年05月16日皆さんは、結婚式での思い出はありますか?今回は、身勝手な母のエピソードを漫画で紹介します。結婚式はあげないつもり…母の強い要望準備は順調?意見を全否定自分の結婚式なのに意見を通してもらえなかったなんて…。娘の意見を聞かない身勝手な母に幻滅したエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています
2023年05月13日皆さんは、学生時代に食べていたお弁当の思い出はありますか?今回は、母の仰天エピソードを漫画で紹介します。母の手作り弁当私の好きなもの?あの有名なお菓子がお弁当に!?偽ポテトサラダ…?有名なお菓子に似ている偽ポテトサラダ…。母の意味深なお弁当の具に謎が残るエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています
2023年05月13日母の日には日ごろの感謝の気持ちを伝えたいですよね。 今回は、結婚したら義母にも贈り物をと考えていたのに、義母のまさかの行動に驚いてしまったエピソードを紹介します。結婚して初めての母の日私が結婚して1年目、初めての母の日が迫ってきたときのことでした。結婚したらもちろん母の日には義母にも気持ちばかりのものを贈ろうと考えていて、何がよいかと悩んでいたのですが…。義母からLINEがそんなある日、義母からLINEが届きました。その内容が母の日のプレゼントの催促だったのです。「自分からプレゼントを催促するのか?」と、その時点で身構えたのですが…。催促してきた内容がなんと30万程もするマッサージチェアのおねだりだったのです。正直、母の日プレゼントの常識的な金額を越えているような気がしてゾッとしました。(30代/女性)感謝の気持ちはあっても…。さすがに30万円は高いですよね…。いくら感謝しているからと言っても、気軽にプレゼントできる金額ではありません。高価でなくても心のこもった贈り物で感謝の気持ちが伝えられるとよいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年05月10日同世代の夫と、高齢出産で生まれた息子くんと3人で暮らすきりぷちさん。出産前、産後うつという言葉は知っていたものの、「私は大丈夫」となんとなく思っていました。しかし、それが大きな間違いだったと産後に思い知ることになり……。きりぷち(マンガ内では「ちゅん」)さんが体験した「産後に病んだ話」です。産後の生活をぬかりなく進められるよう、出産前に着々と準備を進めていたきりぷちさん。「産後うつ」という言葉はなんとなく知っていたものの、「強い」と言われる自分なら大丈夫だと思っていました。しかし、産後に襲い来る頭痛と不安。明らかにいつもの私と違う――。 無理だ…でもやらなきゃ 1 「産後うつ」は自分には関係ないと思っていたきりぷちさん。長時間の陣痛に耐え、息子のそうちゃんを出産します。しかし、母乳の出の悪さやそうちゃんの黄疸治療で、自責の念にかられるきりぷちさん。激しい頭痛もあり、退院後の生活に不安ばかりを募らせていきます。産後1週間程度で自然軽快する「マタニティーブルーズ」とは違い、きりぷちさんの不安定な状態はしばらく長引くのでした。 産後の準備をしっかり進めていたころとうってかわって、産後のきりぷちさんは憔悴しきっています。みなさんの中にも、心当たりがある人もいるのではないでしょうか。産後は体だけでなく、心もダメージを受けることがあるのだと思い知らされますね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター きりぷち
2023年05月09日娘が2歳になる春、私たち夫婦は家の購入を考え始めました。義父母にその報告をすると、信じられない申し出があったのです。義父母との距離感を考え直した体験談です。マイホームの購入を検討家の購入を考え始めたのは、娘が2歳になるころのこと。結婚して5年目、2人暮らしなら問題なく暮らしていた2DKのアパートも、娘が成長するにつれどんどん手狭になってきていました。「そろそろ一戸建ての購入を考えよう!」と夫婦の意見は一致しました。 私の両親は隣の市に住んでいて、将来的には通いで老後をサポートするつもりでした。私たちが家の購入を考えていることを伝えると、「○○(娘)のために、頑張れ!」と喜んでくれました。 そこまではよかったのですが、問題は県外に住む夫の両親です。夫は長男でしたが、私の地元に進学して就職、結婚し、拠点を移したのです。こちらで家を購入するとなると、「家やお墓はどうなる?」、「老後はどうするの?」という話も出ないとは限りません。 義父母のどちらかがひとりになったら、わが家に呼び寄せることもあるかもしれない。そんなことも考えてはいましたが、まだ2人は若いのでそこまで切羽詰まった問題ではないはず。義父母に「こちらで家を建てようと思っている」と伝えると、拍子抜けするほどあっさり賛成してくれました。 新居の計画を進めるなか、義父母が訪ねてきて…それからは、土地探し、住宅メーカー、展示場めぐりなど忙しい日々が続きました。ようやく住宅メーカーが決まり、家の設計相談にかかるころ、アパートに義父母が訪ねてきました。 「楽しみねぇ。素敵な家になるでしょうね。○○ちゃん、いいわねー。大きなおうちに住めるのねぇ」。 娘に猫なで声で語りかける義母。嫌な予感しかしませんでした。「まさか、今さら同居の申し出か!?」と内心、身構えた私。しかし、続く彼らの言葉は私の予想をはるかに超えたものだったのです。 「私たちは、いずれ今の家を二世帯にリフォームするつもりだった。君たちは、そのうちこちらに戻ってくると思っていたからね。しかし、君たちがこの地に家を建てるのなら、その意思を尊重するつもりだ」。 ゴクリと唾をのみ、続きを待ちます。 「実は今、義妹の結婚話が進んでいる。義妹は私たちと一緒に住んでもいいと言っている。だから、義妹夫婦のために二世帯住宅を準備するつもりだ」。 ずいぶん急展開だなと思いましたが、私たちに口を出す権利はありません。とうに家を出て独立しているわけだし……。そう思った直後、ついに信じられないひと言が。 「そこでだが、大おばあちゃんを君たちの家で同居させるわけにはいかないだろうか」。 「……はい?」。理解がなかなか追いつかない私に、話を続ける義父。 「祖母と同居というのは、義妹たちにとって重荷だろう。幸い、大おばあちゃんは君たちのことを気に入っている。そうしてくれれば、君たちの家の資金援助もできる限りのことをするよ」。 ちょっと待ってほしい。この人は何を言っているのだろう? どうして新居に祖母を引き取らないといけないの? すると、大きく頷く義母の顔が見えました。そこで私は悟ったのです。 義父母の思惑義母は大好きな娘と(その夫と)同居できるから、そりの合わない姑をこの機会に追い出したいのです。でもそれはあんまりというもの。決して義祖母が嫌いというわけではありませんが、私たちにお世話を頼むというのは筋違いです。 あまりに唐突な申し出に鼻白んだものの、かえって冷静になり、「無理です」「私には大おばあちゃんのお世話はできません」「別に援助はいりませんから」を繰り返し、お引き取り願いました。夫があまり驚いていないことも私には驚きでした。 夫は「ダメ元で言いだしただけだよ。あんまり気にするな」と言いましたが、「いや、気になるわ!」と内心思っていました。結局、新築したわが家には夫と私と娘で入居。義父母の二世帯住宅には、両親と若夫婦が入りました。義祖母は古いかつての家にそのままいます。 それ以来、私にとって義父母は怖い存在です。夫の嫁になら何を頼んでもいい。義祖母のお世話もしてもらおう。そんなふうに考えていることを知って本当に衝撃でした。夫の両親とはいえ、引き受けられることとそうでないことがあります。今後はその境界線を守りながら接していこうと思ったのでした。 著者:青山 桜中学生女子と小学生男子、2児の母。ひっそりと在宅ワークをしながら、育児、介護、日常エッセイを執筆。
2023年05月01日「私たち日本人になじみ深い抹茶に、『うつ』の症状を軽減させる効果があることが、今回の研究で明らかになりました」こう話すのは、熊本大学大学院生命科学研究部准教授の倉内祐樹先生。今年1月、倉内先生は文部科学省科学研究費助成事業として行った抹茶の効能に関する研究の成果を、オンライン科学誌『Nutrients』で発表した。6年ほど前から抹茶と精神的なストレスとの関係について研究を始めたという倉内先生。今回の発表に際して着目したのは、「飲む人が、どのような精神状態のときに抹茶を飲むと、どのような効果があるのか」ということだった。特に着目したのが「うつ症状」との関係性について。「世界中でもっとも患者数の多い精神疾患が『うつ』です。近年では、コロナ禍によって生じた『孤独』な状況が『うつ症状』を誘発するという危険性も指摘されています。私たちは『抹茶』を飲用することが『うつ症状』にどんな効果をもたらすのかを、マウスによって比較・実験しました」実験では、まず「社会集団から隔離した際に現れる、強いうつ症状がある」マウスをAとした。水だけを飲んだ場合と、抹茶を飲んだ場合とで「無動状態の時間(秒)」(長いほど「うつ症状」が強いことを示す)を計測したところーー。「水だけを飲んだ場合は『約150秒』であるのに対して、抹茶(体重1kgに対し抹茶100mmg)を与えた場合、『約75秒』と、『無動状態の時間』は半減しました。つまり、抹茶を摂取したことで『うつ症状』が『半減する』という傾向が見られたのです」一方、平穏な精神状態のマウスBでも同様の実験を行った。こちらも、抹茶を取ることで、うつ症状が和らいだものの、水の場合の「50秒」から、抹茶を取った場合の「30秒」程度と、改善の度合いは小さかった。「つまり、平常時よりも強いストレスがかかっている状態のほうが、抹茶が『うつ症状』を改善する度合いが大きいという結果が得られました」さらに脳内神経の領域別に、抹茶が与える活性化の度合いについてもマウス実験を行い、そこでも抹茶が脳神経の活性化に効果をもたらしていることがわかったという。「『うつ』の発症予防や、症状軽減には、さまざまなストレスに対処するセルフケアや心身の健康維持が重要。その方法の一つとして『抹茶』が有益に作用する可能性を、今回の研究で示すことができたと思っています」ところで、お茶が「うつ状態」に与える影響に関する研究は、過去にも行われてきた。そのなかの一つでは、緑茶に含まれる「テアニン」や「カテキン」などの成分が「うつ病リスク」を軽減すると推測されている。この「テアニン」や「カテキン」は当然、抹茶にも含まれているのだが、成分ごとの効果については、倉内先生は「今後の研究課題です」と話す。そのうえで、「緑茶」ではなく「抹茶」を選ぶ最大のメリットを次のように説く。「緑茶は茶葉からお湯で抽出したものですが、抹茶は茶葉を細かく砕いた粉末で、茶葉そのもの。よって、テアニンやカテキンのほか、カフェインやアルギニンなどが、茶葉の成分バランスのまま混ざり合い、相乗効果につながると考えられるのです」一方、抹茶にも取りすぎに注意しなければいけない「カフェイン」が含まれている。「カフェインは過剰摂取によってストレスを悪化させる作用もあるとされています。抹茶に含まれるカテキン類がそれを抑制する役割を果たしますが、お子さんや妊婦さんは、お茶と同様、抹茶の飲用も控えるべきでしょう。それ以外の方も、抹茶は『1日2~3杯(計約5g)まで』を目安としてください」「うつ症状の軽減」に大きな効果があることがわかった抹茶だが、「高価そう」とか、「お作法があるのでは?」とどこか敬遠しがちだった読者もいるかもしれない。そこで、自身も抹茶を愛飲するという倉内先生が、新生活や気候の変化からくる「春うつ」を軽減する抹茶の活用アイデアを教えてくれた。「私は豆乳ラテに、ティースプーン半分程度の抹茶をトッピングするのがお気に入りです。ココアやプロテインドリンクに合わせてもおいしく飲めますよ。ブラックコーヒーに慣れている方は、『抹茶コーヒー』もお手軽に飲めるでしょう」なんだか気分がすぐれないときは、抹茶ドリンクでリフレッシュしてみよう!
2023年04月30日エリカさんの母は、女の子はかわいければかわいいほど幸せになれるという考えの持ち主。しかしそれは母の理想の押しつけでしかなく、エリカさんは幼いころから実母によって、何もかも支配されていました。そして大人になった今、エリカさんは苦悩に苛まれます。容姿や学歴など、周囲の評価に異常なほどこだわりを持つエリカさんの母は、恐怖で支配する人。「エリカのためを想って言っているの」と口癖のように言い、エリカさんを抗えないようしてきました。 目を二重にすれば幸せになれると幼いころから母に言われ続け整形。部活も、髪型も、洋服も、すべて母が決めたものしか許されません。 高校三年生のときに、友人と進路の話をしたのがきっかけで、自分の母とほかの家庭の親は考え方が違うのだと気付いたエリカさん。母に、大学へ進学しない同級生をどう思うか聞くと「子どもに裏切られた親が可哀想」と言い放ったのです。 「子どもが夢を追うのは間違ってるってこと?」とエリカさんが聞くと、母は医師や弁護士など、立派な夢なら応援できると言いました。 「お母さんの言う立派ってどんな基準なの?」と問いますが、母からは納得できる返事はなく、「どうしてそんなお母さんを責めるような意地の悪い言い方をするの?」とエリカさんを責めるばかり……。 「私、お母さんと離れなくちゃダメな気がする」 エリカさんは母に違和感を覚え、自分の人生について今一度考え、初めて自分の意思で行動を起こすことに……。早くこの家から出て、お母さんと離れたい…… 「この家を出る理由を作らないと」 母から選択肢を奪われてきたエリカさんは、やりたいことがすぐに思いつくわけではありませんでした。そこで、母から逃れるために家からは通えない学部を探します。 そして見つけた経済学部。エリカさんは母に、思い切って相談すると「そう、いいんじゃない?」と、母はエリカさんが経済学部を志望する理由も聞かず、賛成。 続けて「近所の人からも大学名しか聞かれないもの」と言い、エリカさんは自分が有名な大学にさえ通っていれば、母はそれでいいのだと悟ります。 エリカさんが意を決して進路希望の学部を相談をしても、結局大学名にしか興味がないと知り、改めて母に失望するのでした。まさか娘が自分から逃れたいと思っているとは知る由もないのでしょう。母の顔色をうかがいながら、母の理想の娘として生きる。これがどんなにつらいことか、想像するだけで息苦しいですね。 エリカさんが本当に自分のやりたいことを見つけ、自分の人生をたのしめる日がやってくるのを願いたいですね。著者:マンガ家・イラストレーター グラハム子
2023年04月11日私が中学1年生のころ、家族で外食に行きました。しかし食事が終わり、退店しようというタイミングでも、椅子から立とうとしない母。不思議に思った私が「どうしたの?」とたずねると……!? 緊急事態!家族で外食を楽しんで帰ろうというタイミングで、「あっ」とつぶやき、椅子から動かなくなった母。私が「どうしたの?」とたずねると、「急に生理がきたみたいで……。経血漏れしてスカートが汚れてるの」と母がうつむきながら答えました。 今の私であれば冷静に対応できると思いますが、当時中学1年生で初潮を迎えたばかりだった私は、生理の知識があまりなかったということもあり、大パニックに……! 母を助けるために…「生理は急にくることもある」ということをこのとき初めて知ったのです。私は、驚きつつも「こんなときはどうしたらいいの? 何か買ってこようか?」と母に聞きました。すると「お母さんはここで待っているから、昼用のナプキンと暗い色のスカートを買ってきてほしい」とお願いされました。 最初は父が買いに行こうとしましたが、「ナプキンの種類がわからない」と断念し、父は母に付き添うことに。代わりに、私がひとりでナプキンとスカートを買いに行くことにしました。 幸いにも、ショッピングモールの中で外食していたため、ナプキンとスカートを手軽に入手できる環境でした。当時の私は、自分で生理用品を買ったことがなかったためとても不安でしたが、困っている母を助けるために勇気を出して出発したのです。 ピンチを乗り越えてまずはじめにドラッグストアでナプキンを買うことにしました。生理用品売り場を訪れた私は、ナプキンの種類の多さに圧倒されて混乱……。母には昼用ナプキンを頼まれていたのですが、どれを選んだらいいかわからなくなってしまい、「とりあえず大きいほうがよさそう!」という理由で夜用ナプキンを購入しました。 その後、洋服屋さんでスカートを無事に購入できてひと安心。父と母が待つレストランに急いで戻りました。母は、私が買ってきた夜用のナプキンの大きさにすこし驚いていましたが、レストランのトイレでこそっと着替えて、なんとかピンチを乗り越えることができたのです。 購入するナプキンのサイズを間違えてしまったものの、その日の帰り道は父と母にたくさん褒めてもらいました。そして、椅子は汚れていなかったのでひと安心。両親に肯定されたことで自信がつき「生理のことで困っている人がいたら、助けてあげたいな」と思うきっかけになりました。 著者/ごとうゆきイラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年04月06日■前回のあらすじ結婚後も母の翔太への態度はひどいもので、美織は翔太の良さをわかってもらおうとアピールを続けていた。やがて長女の莉菜を出産すると、美織は母と翔太の関係が良くなるかもと思うが、結局何も変わらなくて…。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】これ以上、夫にひどい態度をとる母を見るのが嫌で、私はもう縁を切った方がいいとまで思ったのですが…そんな私に夫は、「諦めないで話し合いが必要」と言ってくれました。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年03月01日■前回のあらすじ菜々実は自分で問題を解決しようとしない真帆とは会わないことを決意。それを聞いた真帆は逆上し、菜々実の母に言うと脅迫まがいの発言をしてくる。これは真帆が向き合わなければならない問題だと菜々実は訴えるが…。 >>1話目を見る 真帆のことをよく知っている私の母に相談すると、私が地元を離れた後も真帆が私の実家を訪れていたことを知りました。母は、しょっちゅう来る真帆を断ってしまった負い目もあり、私に真帆のことを頼んでいたのです。母に相談してすぐに、真帆からすぐに連絡がきて…。次回に続く(全11話)毎日12時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ ふゆ
2023年03月01日■前回のあらすじ幼い頃から母と絆が強かった美織。しかし母が美織の恋愛に対し否定的なのが悩みの種だった。社会人になり、美織は翔太と結婚することに。母に紹介すると難色を示されたので、美織は「口出さないで!」と言ってしまう。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】そして二人目を妊娠しても、母の態度は変わらないまま。翔太のことは名前で呼ばず「あの人」と呼び、私が翔太のことを褒めても何かしら文句をつけてくるのです…。一方の翔太は、母から冷たい態度を取られ続けているのに、「僕の大事な妻のお母さんだから」と辛抱強く接してくれています。そんなやさしい翔太に私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり…。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年02月28日私は母のワンオペ育児で育ち、お風呂はほとんど母と一緒に入っていました。ある日、母とお風呂に入っていると母から血が流れ出ているのを目撃して……!? 母のワンオペ育児私の父は仕事が忙しく、早朝に出勤し、深夜に帰宅することもよくありました。また、転勤族であったため、父と母の両親や親戚なども近くにおらず、母はワンオペで私を育てていました。そのため、私の面倒は母ひとりで見ているような状況で、父が休みの日ではない限り、お風呂は母と入るのが当たり前でした。 お風呂でびっくり!そんな私が今でも印象に残っている出来事があります。それは、生理中の母と一緒にお風呂に入ったときのこと。その日は父が仕事のため不在で、母は生理中であっても私と一緒にお風呂に入らざるを得なかったのだろうなと思います。まず、お風呂に入る前に母が脱衣所でナプキンを外していたのですが、ナプキンについている血を見てとても驚いた私。母に「怪我してるの?」と何度も尋ねた記憶があります。そして、母と湯船につかっていると血が流れ出てきて……。体から血が出ている姿を目撃した幼いころの私は「ママ、血が出てるよ! 痛くない? 大丈夫?」と、とても心配しました。そんな私に「血が出ているけれど、怪我や病気じゃないし、痛くないから大丈夫だよ」「女の人は赤ちゃんを産む準備で血が出るんだよ」と母が何度も説明してくれました。小学生になり「生理」というものを知ってから、ようやく私は母から流れていた血が経血だったのだと理解したのです。 自分が母となり…現在、私は2人の子どもが生まれ、母親になりました。私の夫は基本的に夕方には帰宅できるため、生理のときは夫に子どもの入浴を任せています。しかし、生理中にやむを得ず子どもと一緒にお風呂に入ったことも。そのときには、私から流れる経血を見た子どもに「ママ! 血が出てるよ!」「ママ汚い、こわい……」と言われ、怖がらせてしまいました。私は、怖がる子どもたちをなだめながら「ママから流れる血は怖いものじゃないんだよ。痛くもないから大丈夫だよ」と幼いころ母に言われたことと同じように子どもに教えたのです。 初めて見る経血に対して、びっくりするのは仕方がないことだと思います。もし、自分の生理について子どもたちに教える機会があれば、ごまかさずにしっかりと説明して、誤った認識を与えないよう生理の大切さを伝えたいと思っています。 著者/まさのイラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年02月20日私の母は70代で現在ひとり暮らしです。最近、母と一緒に住んでいた祖母が施設に入所したことをきっかけに、母の介護について考えるようになりました。今、母は元気ですが、いつ何があってもおかしくない年齢。突然介護が必要になる日が来るかもしれません。そのときキーパーソンになるのはこの私。「今しかやりたいことをやれるチャンスはないかもしれない」そう気付き、自分が本当にやりたいことは何かと考えるようになりました。★関連記事:厳格だった父が認知症に。たったひとりで介護をしていた母が電話口で泣いていて…祖母が施設に入居したのがきっかけ母はつい最近まで祖母と2人暮らしでした。しかし祖母の認知症が急に進んでしまったことで家での介護に限界を感じ、祖母を施設に入所させることを決断したようでした。母は祖母のことを大切に思っており、最期まで自宅で面倒を見ようとしていました。しかし認知症の介護は想像以上に大変で、母は身も心もボロボロになっていくのを実感したそうです。本当に急なことだったのですが、空きのある施設が急きょ見つかり、祖母を施設に入れることになってしまいました。そのことがきっかけで、母も自分が突然病気になったり、動けなくなったりする日が来るかもしれないと思ったそうです。それで将来の身の振り方を考えたようでした。ある日私に「お母さんは将来、誰にも迷惑をかけたくないから施設に入るね。いつ何が起こるかわからないから、今のうちにあなたに言っておく。お金もたくさんかかることがわかったから、今から節約してお金を貯める」と胸の内を話してくれました。今まで母はずっと元気だったので、正直なところ母が介護を必要とするイメージを持てませんでした。しかし母からの話を聞いて、いつどこでどうなってもおかしくない年齢に差し掛かったのだと実感しました。自分のために時間を使いたい私には子どもが2人います。上の子は知的障害のある自閉症で、下の子は持病があり長い間入退院を繰り返していました。私は子どもを産んでから、いつでも子どものことが優先で、自分のために時間を使った記憶がほぼありません。しかし最近は上の子が中学生になり手がかかることが少なくなって、下の子も持病がよくなり生活全般が落ち着いてきました。これでやっと手が空いて、自分の好きなことができるかもと思った矢先、親の介護問題が控えているかもしれません。「私が好きなことをできる時間は意外と多くはないのかも? 」とハッと気付かされて、今は自分のために時間を使いたいと強く思うようになりました。私が本当にやりたいことは…今、私は何がしたいのかを考えると、以前から興味があったパン作りを習ってみたいと思いました。10代や20代のころは、お金を出して習い事をする人の気持ちがわからなかったのですが、今ではそれがわかるような気がします。習い事は、これまで頑張ってきた自分へのご褒美なのかもしれません。今は時間があるときに、手ごねパン教室へパン作りを習いに行っています。パンを作っているときは没頭して、日常を忘れ、何も考えなくていいので気分がスッキリ! 40代になってから感じている自律神経の乱れも、趣味のパン作りを楽しんでいるおかげで調子が良いような気がします。まとめ母は70代、私は40代。お互いまだまだ元気でいられるという気がしていましたが、祖母の急な施設入所をきっかけに、母も突然介護が必要になる日が来てもおかしくないのかもしれないと実感しました。40代の私は、自分が好きなことをできる時間というのは意外と限られているのかもしれません。今はやりたいことをやれる貴重なタイミング。自分の心を充電させるために、今を楽しみたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/中川 あかし出産後、訪問ヘルパーとして働いていたが、子どもの病気のため退職。趣味はお菓子作りとパン作り。
2023年02月05日私と妻は、私の両親と同居して7年になります。同居当初は妻も必死に母に食らいつき炊事、洗濯、掃除と家事をこなしていましたが、次第に妻がおこなったことに対して母がやり直すように……。そんな母と妻の家事の出来事を紹介します。 家事の共有同居当初、母は妻に対して家事を一緒におこなう提案をしました。共有する家事は洗濯、掃除、食事の準備といったごく一般的な内容です。 ルールとしてはどちらかが洗濯をしている間はどちらかが掃除をするというような状況に応じた対応をし、食事の準備は一緒にするといった内容でした。妻は了承し、母に遅れをとらないようにと一生懸命でした。 母が突然…そんなある日、妻が部屋の掃除を終えて次の家事に取り掛かろうとしたとき、母が掃除機を持ち始めました。何か床にこぼしたのかと思っていたら、母は妻が掃除機をかけた場所をもう一度掃除しだしたのです。妻は「お母さん、そこの掃除は終わったよ」と言うと、母は「知ってるけどこのへんがちょっと……」と言いながら掃除をやり直しました。 それだけにとどまらず、妻が片付けたバスタオルを引っ張り出してまたたたんで並べ直したり、炊飯器に準備した米の水を入れ直したりと、日に日にやり直しがエスカレートしていきました。 自分でやらなければ気が済まないやり直しの日々で、妻はさすがに精神的に参ってしまいました。何が悪かったのかを聞くに聞けず、ついには家事に手を出すことができなくなってしまった妻。私はさすがにまずいと思い母と話をしました。 すると母は悪気があったわけではなく、これまで家事をこなしてきた手前共有するのが思ったより難しくて、自分でやらなければ気が済まないことに気づいたと言いました。 「共有」ではなく、「分担」に共有している状態だから相手のやっていることが気になるのではと思い、割りきって分担してはどうかと提案しました。もちろん私の担当も含めてです。自分の仕事が明確になり、相手がやる前にやらなければという気苦労もなくなると私は考えました。 母はしぶしぶ承諾し、分担の生活がスタート。妻は自分の担当の家事に積極的に取り組めるようになり、母も最初はもどかしさを感じていましたが次第に慣れ、以前のようなやり直すという行為はなくなりました。 長年家事をこなしてきた母と同じレベルで家事を共有することは、経験値の差などもあり難しいのかもしれません。私は分担という選択をしてよかったと思っています。私の分担は休日の掃除と夕食の準備ですが母に合わせようとも思わないですし、自分のペースで作りたい料理を作れるので楽しくおこなえています。 著者:佐藤 稜5歳と1歳の2児の父。サラリーマンとして働きながら副業としてライターを目指す他にブログ記事も執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2022年12月17日「子どもは苦手」と言っていた自分の母に、不安を感じていたママ。しかしいざ生まれてみると、母はすっかり“おばあちゃん”に! 孫にメロメロになったエピソードを紹介しています。 「孫が生まれると、親が急におじいちゃんおばあちゃんになる」と、誰かから聞いたことを不意に思い出しました。私の母は、小さい子どもが苦手。そのため、自分の子どもをかわいがってくれるかどうか不安でした。そんな私の母が驚くほど変わったエピソードを紹介します。 子どもは苦手? 孫が生まれる前の私の母ときに厳しく、ときに優しく私を育ててくれた母。妊娠を報告するととても喜んでくれましたが、私の中でひとつ不安がありました。 それは、私が小学生のころ、近所で騒ぐ子どもたちを見て「子どもは苦手だなぁ……」とつぶやいた母のひと言。ぼんやりとした記憶でしたが、「母は子どもが苦手」。そんなイメージがずっとありました。 生まれた瞬間に、おばあちゃん子どもが苦手、と言いつつ私のことをかわいがってくれた母。しかし、自分が妊娠してからは「おなかの赤ちゃんもかわいがってくれるかな……」という不安がありました。 そしていよいよ出産! 真夜中だったこともあり、私の母は翌朝一番に病院に駆けつけてくれました。待ちきれないと言わんばかりにコートも脱がずに孫の顔を覗き込み、笑う顔はすっかり「おばあちゃん」。 退院までの1週間はかかさず病院を訪れ、ニコニコしながら孫の顔を眺めたり、寝ている孫を抱き上げたり、話しかけたりしていました。 自分の子や孫はかわいくて当然!生後4カ月を過ぎ、だんだん育児に慣れたころ、「子どもは苦手だなぁ」とつぶやいたことを母に聞いてみました。すると、当たり前のように「苦手だけど、自分の子や孫はかわいいに決まってるじゃない」と言われました。 実家が離れているため、毎日顔を見せに行くことはできませんが、写真を送るたびに「うちの孫が一番かわいい!」と豪語する母。昔の厳しかった姿はなく、すっかり孫にメロメロのおばあちゃんです。 孫が生まれたことで、すっかりおばあちゃんになった私の母。「子どもは苦手だから……」と、妊娠中から不安に思っていましたが、孫パワーのすごさを感じることができました。毎日、孫の様子を電話やメールで聞いてくる母に、私も幸せな気持ちになりました。 作画/きょこ著者:古月そら0歳の女児の母。出産を機にプログラマーを退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月30日私は自分のことを精神的にタフだと思っていました。しかし40代半ばにつらい出来事が重なり、うつっぽくなってとうとう眠れなくなってしまいました。持病で通っている甲状腺内科の病院の主治医に不眠のことを相談し、処方された漢方薬で不眠が解消されて、徐々に元気を取り戻した私の体験談をお話しします。★関連記事:「朝、起き上がれない、不安に襲われる…」更年期のつらい症状を緩和してくれたものは…強いから大丈夫! と思っていたけれど…私には2人の息子がいます。長男は自閉症で、重度の知的障害があります。その長男が思春期に差し掛かり、イライラを私にぶつけてくるようになって、ストレスがたまっていました。また、次男は現在小学5年生ですが、4歳のころから原因不明の体調不良で入退院を繰り返し、私は付き添いの日々を過ごしてきました。最近その原因が判明して、大きな手術をすることになりました。病気や手術に対して心配でたまらなくなり、知らず知らずのうちに心に負担がかかったのだと思います。それでも「大丈夫! 私は精神的に強いはず!」と頑張ってきたつもりでした。が、そんな私に追い打ちをかけるように、フリーランスとして受けていた仕事が突然ゼロに。仕事が急になくなるというつらい現実まで私を襲いました。これまでに積み重なった心のダメージは予想以上に大きく、とうとう眠れなくなってしまいました。主治医に相談しながら涙…このころの私は、今思うと少しうつっぽかったのかなという気がします。大好きな音楽を聞くことさえ心が拒絶し、テレビを見て笑うこともなく誰とも話をしたくなくてふさぎ込むばかりでした。そんな中、持病の診察があり、主治医に眠れなくなったことといろいろなことがあり過ぎてつらいことを話してみると、つい涙がこぼれてしまいました。私の様子を心配した主治医が、一度飲んでみてと紹介してくれたのが「加味逍遙散(かみしょうようさん)」という漢方薬でした。「これで眠れるようになればそれでいいし、ダメなら心療内科を紹介するね」と言ってくれました。ひとまず次の診察まで、私は加味逍遙散を飲み続けることにしました。漢方薬で眠れるように私の場合、加味逍遙散を飲んでみるとすぐに効果が表れました。それまでは眠くなってウトウトしても、サーッと血の気が引くような感覚に襲われて目が覚めてしまいましたが、薬を飲んだらそれがなくなり眠れるようになりました。眠れるようになると徐々に元気を取り戻し、好きな音楽を聞けるようになり、お笑い番組で笑えるようになり、新しい仕事に応募してみようと意欲も湧いてきました。仕事の調子が安定してくると、うつっぽい感じもなくなり元の私に戻ることができました。もしかしたら、加味逍遙散と私の相性がよかったので元気になれたのかもしれません。まとめ子どもの悩みと仕事の悩みが重なって、心労でうつっぽくなり眠れずつらい日々を過ごしてきましたが、主治医に処方してもらった加味逍遥散という漢方薬のおかげで眠れるようになりました。今回のことで、睡眠がいかにメンタルに影響を与えるかというのを痛感しています。加味逍遥散と出合えたおかげで、いつもの自分を取り戻せてよかったです。頑張り過ぎず、自分をいたわることもときには大切にしたいと思った体験でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/おみき著者/中川 あかし出産後、訪問ヘルパーとして働いていたが、子どもの病気のため退職。趣味はお菓子作りとパン作り。
2022年11月04日私が小学校に上がる直前に、両親が離婚をしました。私は母と一緒に、母の実家に住むことになりました。しかし、母はしばらくして私の元からいなくなってしまいました。私は両親がいなくなってしまったのです。私は、母の実家で、おば、おじ、祖父母、そして私の妹と弟と暮らすことになりました。大人になったいま、思うことは……。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 大家族になったキッカケ私が小学校に上がる直前に両親が離婚をしたため、私は母や妹弟たちと、母の実家に住むことになりました。しかし、母は実家に来てしばらくたったころから、突然実家に帰ってこなくなりました。幼かった私には母が帰って来なくなった理由はわかりませんでした。私たちはそのまま、おばとおじ、体の不自由な祖父母、私の妹、体の不自由な弟たちの7人の大家族で賑やかに過ごすようになりました。 おばが子育てで1番気を付けていたことおばが私たちの子育てで1番気を付けていたこと、それは、「私たちが寂しい想いをしないように努めること」だったそうです。たとえば、体の不自由な弟とわがままな妹に手がかかっているからと私に気づかって、おばと2人でランチに行く時間を作ってくれました。忙しい中でも細やかに、しっかりコミュニケーションをとってくれていたように思います。 おばの背中を見て今思うと、おばは、私たち子どもの気持ちを大切にして、信じてすべてを受け入れてくれました。心配だったとは思うけれど過保護にせずに、自由にのびのびとさせてくれていたと思います。子どもながらに、やりたいことをさせてもらえた充実感がありました。 体の不自由な人が多い家族だったからか、自然と他の人にも何かあれば声を掛けたりするようになりました。手を差し出すのは当然と思っているのも、いろいろなことに偏見も持たず過ごせているのも、おばの寛大な背中をずっと見ていたからだと思います。 大人になり、私は結婚しました。私と夫にはまだ子どもはいませんが、子どもが欲しいと強く思っています。私にも子育てができるとしたら、私が育った家族のようにいろいろな人たちに触れさせてあげたいと思っています。そして、おばのような寛大な心で子どもとしっかり向き合って、子どもを大切にしていけたらいいなと考えています。私の家には両親はいませんでしたが、大家族で、おばの元にいられて本当に幸せだったと感じています。それぞれの家庭にそれぞれの事情があると思いますが、「みんな違ってみんないい」のだと思います。これは私の好きな言葉です。私はおばにそういう大切さを教えてもらいました。今後もこの言葉を胸に、自分の子どもにも伝えて、生きていきたいと思います。著者:後藤 ゆり自身の体験をもとに執筆している。
2022年09月25日簡単に人間関係を崩してしまうお金。お金があれば不自由はしませんが、トラブルの元になることも。 今回は実際に募集した金銭トラブルエピソードをご紹介します!娘にたかる母私の母は、買い物依存症気味なところがあります。1週間ごとに新しい靴や服を買っては、私が就寝していてもわざわざ起こし、嬉しそうに自慢してきていました。私が高校生になった頃から、私のお年玉やバイト代を「必ず返すから!」と言って要求してくるように…。そのあとはいつも通り、似たようなバッグや洋服などを買ってきては私に自慢していました。お金は、返ってくるときもあれば半額しか返ってこないこともあり…だんだん母親のことを信用できなくなっていました。私が就職すると、はじめてもらったボーナスを全額要求してきて…。「自営業にどうしても必要なお金が足りなくて。1円も残らずきれいに返すから!」と言われ、渋々お金を渡しました。母は「今月はいくら返す」と言って返済してくれていたものの、その金額はバラバラ…。その後、母から逃げたい気持ちもあり強引に1人暮らしをするも、ボーナスの出る月になると無理やり押しかけてきてお金を要求されていました。それでも足りなかったのか、あるとき「あなたの名義で80万、銀行から借り入れてほしい」とすがられ、結局私が借り入れることに…。出典:lamire本当に自営業の資金繰りに困っていたのかは知りませんが、お金を借りていったあとは必ず靴や洋服を見せに来ていました。実家に帰ったある日、弟にポロっと打ち明けると母に大激怒し、その場で家族会議が開かれました。父はまったく知らなかったようで「お母さんに全部金銭管理を任せていたのが悪かった」と落ち込んでいました。母は私と2人になると「弟だけには言わんでほしかった!」と睨みつけてきて…。結局ほぼ全額戻ってきましたが、今も母のことは信用できないままです。(女性/パート)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?「金の切れ目は縁の切れ目」と言うように、お金はトラブルの元になりやすいみたいです。お金の貸し借りをするときには慎重にしないといけませんね。以上、金銭トラブル体験談でした。次回の「金銭トラブル体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年08月23日「あんた、今日は様子がおかしいよ」――母との電話で言われたこの言葉。ひとり暮らしをしていた私は、嫌なことや腹が立つことがあった際、決まって母に電話をしていました。しかし、この言葉を言われた日は、感情のままに思いを吐き出し、最後には怒って泣き出す始末で……。 感情を爆発させる私ひとり暮らしをしていたころ、嫌な出来事があった際などは、いつも母に電話をかけて聞いてもらっていました。母は嫌な様子をせずに聞いてくれ、私の言葉に共感してくれることも多かったです。 その日も電話をしていましたが、私は怒ったり、最終的には涙が溢れてきたりと情緒が不安定で……。そんなとき、母から「あんた、今日は様子がおかしいよ」と言われたのです。 そして「PMS(月経前症候群)で心が不安定になっているのではないか」と、母は続けました。たしかに心が不安定になるのは生理前が多かったですが、私はPMSなど関係なく、これが自分のありのままの感情なのだと思っていました。 彼氏との別れ情緒の不安定さは母の前だけでなく当時、付き合っていた彼氏の前でも表れていました。彼の言葉でいつも私が機嫌を損ね、気まずくなっていたのです。 このようなすれ違いを重ね……ついには彼に別れを告げられてしまいました。私はひどくショックを受け、ごはんが喉を通らなくなるほど。しかし、思い返せば私はいつも、感情のままに彼を傷つけていたと猛省しました。「どうしたらいいんだろう」と思っていた、そのとき……。 PMSへの対策母の言葉をふと思い出しました。思い返せば、感情のままに彼に怒ってしまうときも決まって生理前だったのです。やはりPMSなのかもと思い、対策をたくさん調べ……出合ったのが、生理日管理のアプリでした。 私はアプリで生理を管理したことはなく、生理日を管理し始めてから、自分がPMSに入る期間や情緒が不安定になる時期を把握できるようになりました。 そして、あらかじめ心が不安定になりそうな時期を知っておくことで、怒りが湧いてきても、PMSで怒りっぽくなっていると自覚することができるようになったのです。 PMSの時期を予測できるようになった結果、情緒をコントロールできることが増え、穏やかに過ごせるようになりました。きちんと予測することで、こんなにも心持ちが違うのかと驚いたほどです。 さらに、ストレスをなるべく溜めないよう心がけるようになり、これもPMSの症状を改善するのにプラスに働いています。これらの経験から、きちんと生理日を管理し事前に対策をすることの大切さを学びました。 著者/花里結月作画/ちゃこ監修/助産師 REIKO ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ちゃこ漫画のお仕事をしています。インスタグラムでグルメ備忘録を更新中。
2022年08月21日LINEの普及で人と簡単に繋がることができるようになった現代。 とても便利になった反面、この便利さが時にはトラブルの引き金になったりして…!? 今回は実際に募集したLINEトラブルエピソードをご紹介します。従業員の女の子が…あるお店で店長をしていた私。無断欠勤が続いていた従業員の女の子に、こちらからLINEをしました。すると「うちの店長うっざー。LINEしてくんなし。ってか○○のとこの店いこっかなー、私働ける?」と誤爆LINEが。出典:lamireどうしようか悩みましたが辞めてもらいました。(女性/サービス業店長)課題用グループLINEで…大学に入学してすぐのことです。とある授業で、課題のため初対面の人とLINE上でグループを作成しました。しかしその翌日から体調を崩してしまった私は、しばらく休学することに。それから1か月ほど経った頃、体調も良くなってきていたので、映画を見に行こうと思い、母に「〇〇時からの映画を見てくる」とLINEをしました。しかし、数分後に「体調不良なのに映画?なんか楽しんでるね」というLINEが…。私は間違って課題用グループにLINEを送ってしまっていたのです…あらぬ誤解を与えてしまい、本当に焦りました。(男性/学生)誤爆なんてそんなのあるわけない…誤爆なんてそんなのあるわけない…と思いがちですが皆さん結構な頻度でやってしまっている様子。宛先確認はしっかりしましょうね。以上、LINEトラブルエピソードでした。次回の「LINEトラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年08月20日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!法事で起こった衝撃の事件義祖母の法事があり、親戚一同が義父母の家に集まりました。出産して日も浅かった私は、義母や夫から「法事が始まるギリギリに来ていい」と言われていました。ありがたいと思いつつ、泣く我が子をあやしながら法事へ向かいました。お経が終わり、会食の時間に。我が子をおんぶしながらお茶の用意をするなど、忙しく動き回っていたときのこと。さあ座ろうと思うと、私の席がありません。何かの手違いかと思い義母に尋ねると、「なかなか来ないから、キャンセルした」と…。出典:lamire私が遅刻したなら分かりますが、時間にはちゃんと到着していたのに!結局、親戚一同が楽しく食事をしている端で、私はお酒やお茶をつぐだけ…。夫も義父母も、私を完全に無視…。もう20年以上前の出来事ですが、あの悔しさは一生忘れることができません。(女性/会社員)窓を開けたら工事業者が…義母と同居していたときの話です。二世帯住宅に住んでいて、義母は2階、私たち夫婦と子ども3人は1階に住んでいました。あるとき、1階の窓を開けると大きなトラックが止まっていて、庭のフェンスのあたりが工事されていました。わたしは自分の住んでいる家が工事されることなど聞かされていませんでした。義母に確認すると「今日からリフォームするから」と…。なんでもかんでも自分ひとりで決め、私たちにはいつも相談なしの義母。家にはまだ幼い子ども達もいるのに、工事の音もうるさいし…ショッキングな出来事でした。(女性/主婦)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。子どものためにも適度な距離を保ちながら、いい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブルエピソードでした。次回の「義実家トラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年08月18日