私は結婚出産を機に退職し、専業主婦になりました。母に子育てのサポートをしてもらうため毎日過ごすようになったのですが、私の心境が少しずつ変化していって……。実家近くに引っ越しして母と毎日一緒に産後は、母に子どものお世話のサポートをお願いしたくて、実家近くの賃貸マンションに引っ越し。最初の1カ月は実家でお世話になりました。母は、私と子どものお世話を喜んでしてくれました。私は母を何でも相談できる存在としてとても頼りにしていたのです。家が近いこともあり、土日以外、日中は毎日母と一緒に過ごしていました。母と一緒ではなく子どもとだけ一緒にいたいけれど母と毎日会うことによって次第に話す内容もなくなり、することもなくなってました。そして、子どもに関する母の何げないひと言にもイラっと感じるように。そのため、私は母と一緒ではなく、子どもとだけ一緒にいたいと思い始めてしまったのです。ただ私は専業主婦で家にずっといるため、母に「今日はちょっと会いたくない」とも言えません。そんなことを言ったら、母を傷つけたり険悪な空気になったりするのも嫌だとも思いました。働き始めたことを理由にしてそこで、家でも少しずつできるような在宅ワークをしようと思い立ちました。今はパソコンの勉強をしながら、生活費の足しのために少しずつですが働いています。働き始めたことを理由にして、母と毎日会うのはやめました。私が「仕事をしたいから」と言うと、母は納得してくれました。まとめ今回のことで、実家は近すぎても良くなく程良い距離で、実母とも程良い距離感を保ったほうが良いと思いました。そのほうが久しぶりに会ったときの会話が弾みます。今までたくさん甘えさせてくれた母には、とても感謝しています。母と毎日会わないようにするため働き始めましたが、いつまでも母に甘えてばかりではいけないと思ったのもあります。働く決心がついたのはよかったと思っています。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/さくら著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月17日2月某日、都内で行われたイベントで、mamagirlアンバサダーの石川由佳梨さん親子と、インフルエンサーの佐藤せりなさん親子スナップをパシャリ! 母娘でおしゃれに見えるコーデのポイントを聞きました。石川由佳梨さん母娘はガーリー&カジュアルをモノトーンでリンク・お名前&年齢ママ:石川由佳梨さん(37歳)お子さん:すみれちゃん(9歳)・今日のファッションのポイント「娘は、パール付きカチューシャとポンポン付きニットと旬のツイードミニスカートでモノトーンガーリースタイルに。ママは、暖かさ重視で裏起毛のスウェットに、流行りのウエストのデザインがポイントのパンツを合わせて楽ちんスタイルに。スウェットに合わせたくて買ったパール風ネックレスはSHIEN」・コーデ詳細ママトップス…しまむらボトム…Bobバッグ…しまむらシューズ…NIKEアクセ…SHEINお子さんトップス…GUボトム…GUバッグ…?シューズ…NIKEヘアアクセ…SHEIN佐藤せりなさん母娘はトレンドをたっぷり盛りこんだ2カラーコーデ・お名前&年齢ママ:佐藤せりなさん(40歳)お子さん:かえでちゃん(7歳)・今日のファッションのポイント「娘は、大人顔負けのデザインなのにプチプラなcocaのキルティングワンピースがポイント! インナーには、薄手でごわつかないのに暖かいニットソーを合わせています。バッグやヘアアクセは、ママと兼用で使っているもの。ママは、骨格ストレートを華奢見えさせてくれる(歓喜♡)タイトシルエットのボトムと、他のアイテムとセットだったフリルをトップスにコーディネートしました」・コーデ詳細ママトップス…SHEIN、付けフリル(トップスとセット)/GRLボトム…cocaバッグ…Accommodeシューズ…パシオス×anna&serinaコラボアクセ…リング/CENE、ネックレス/サンキューマートソックス…しまむらお子さんトップス…BRANSHESワンピース…cocaバッグ…しまむらシューズ…ABC MARTヘアアクセ…seriaソックス…サンキューマート石川さん母娘は、ツイード素材やパール、ウエストデザインの太めパンツ。佐藤さん母娘は、キルティングやフリルなど、トレンドアイテムがたっぷり盛り込まれたコーディネート! しかも、手にしやすいプチプラブランドのものだから、参考にしやすいですね。さらに、母娘で2色に抑えたカラーコーデにしていることで、おしゃれ度アップ! 今度のお出かけに、ぜひトライしてみてはいかが?
2024年03月01日電車で移動する際に親子で乗っている光景はよく目にします。そのなかで“電車ならでは”な思わずクスっとしてしまう親子の会話が繰り広げられることも。今回MOREDOORでは、電車での親子の会話に思わず笑ってしまったエピソードをご紹介します。※当事者の声はさまざまです。あくまで一例として、ご参考にして頂ければ幸いです。40歳、Rさんの場合電車で私の向かいに高校生くらいの男の子とお母さんらしき人が座りました。2人とも話さずに一心不乱にスマホをいじっています。その時お母さんが「カレーでええやん……」とボソッと言いました。すると「天ぷらうどんの気分やねん」と男の子。しかし目はずっとスマホを見ています。どうやらスマホのメッセージ機能で会話をしているようなのです。「てか、喋った方が早くない?」と男との子。「それもそうやな」とお母さんが言って笑っていました。その状況にどう思いましたか?私も思わずクスッと笑ってしまい……。この状況に、ほっこりした気持ちになりました。(40歳/主婦)かわいい親子とある親子のやりとりを見て心がホカホカになったというエピソードをご紹介しました。今回ご紹介した親子の会話は、日常の中で起こる小さな出来事の一部かもしれません。ですが、周囲の人々の心を温かくしたり、笑顔を与えてくれたりするようですね。皆さんは、電車での親子の会話に笑ってしまった経験はありますか?※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。(MOREDOOR編集部)
2024年02月23日今回は、物語をクイズ形式で紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。父がDNA鑑定を依頼した話主人公は良好な親子関係を築いています。いつも仲がいい両親を主人公は大好きで尊敬していました。両親が大好きで尊敬している出典:エトラちゃんは見た!ある日父が突然「DNA鑑定した」と言うため、主人公は「え?」と驚いてしまいました。ここでクイズ父が突然DNA鑑定を依頼した理由は?ヒント!理由を聞いた主人公は呆れてしまいました。好奇心が抑えられなくて出典:エトラちゃんは見た!正解は…正解は「以前見たテレビの内容が忘れられず、好奇心で試してみたかったから」でした。父の行動に言葉を失う主人公でしたが、せっかく依頼したのならと検査の結果を見ることに。しかし、鑑定結果を見て一同は絶句してしまうのでした。イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2024年02月23日仕事が趣味で、ひとりで過ごすことが苦手な父。自営業でまだ現役ですが、80代になり、若いころのように仕事をするわけではなく、時間を持て余すようになりました。母が施設に入り、私が結婚して実家を離れると、ひとりになった父の「かまって!」が始まったのです。離れた途端、電話攻撃結婚してから私は、実家から車で4時間ほど離れた場所に住むことになりました。すると、父から電話が頻繁にかかってくるように。少なくても週に2、3回かけてくるのに、私に「電話してこい!」と怒ります。毎日喧嘩になり、イライラする日々が続きました。そんなころ、母に認知症の症状が出始め、施設に入ることになりました。父は人生で初めてひとり暮らしをすることに。ひとりで過ごすことの寂しさは一人っ子である娘の私に向かいます。「ほかには誰もいないんだから、話くらい聞け!」と。父は病気の母を残して家を出た私に嫌みをいうことも多く、話を聞き続けることは苦痛でした。その中でも忘れられないほど苦痛を感じたことが2回あります。妊娠中、おなかが張って安静の指示が出たときと、出産2カ月目に電話を受けたときのこと。初めての妊娠と出産で不安だった私の気持ちを無視して愚痴を言われました。「自分の子どもばかりで、お父さんのことは全然かまわないじゃないか!」と怒りをぶつけられたのです。私は怒りを通り越してあきれたのを覚えています。近所に住めば突撃訪問それから私は40歳目前で、実家から車で40分程度の場所へ引っ越すことになりました。私にいつでも会えると思うことで、父は少し落ち着いたのか、電話の回数は少し減りました。しかし、暇が耐えられないのは相変わらずで、口実を作って毎日でもわが家に来たいようです。10日前に会い、4日前に電話で話していても、「生きているかと思って電話した」とまた電話をかけてくるのです。家が近くなって困ることは、連絡なしでやって来ること。忙しいときに来ても、私が相手をしないと父は不機嫌になります。そして、来たら歓迎しないと愚痴をこぼすのです。夫からのアドバイスストレスをため続ける私の様子を見かねた夫が、アドバイスをくれました。思ったことはため込まずに言いたいことは全部伝えるようにと。これまで父に対して、気持ちをぶつけたことはありませんでした。それは、自慢の父親であり、病気の母を支える同志だったからです。反抗期もまったくない穏かな父子関係でした。夫から「親子だから強く言っても関係は壊れない。思い切って言いなさい」と励まされました。喧嘩になっても自分の気持ちを押し通し、夫からも何度も「もっと」と背中を押されました。父の言葉を無視して最後まで自分の気持ちを言い切るなど、自分がされて嫌なことを相手にもするなんて……。まるで子どもの喧嘩のようですが、夫が親への反抗の仕方を教えてくれました。最近は、私が怒りをしっかりぶつけることで、父は折り合いをつけるようになりました。父が「そんなことは知らない」と都合の悪いことを聞かなかったことにすると、あえて激しい怒りをぶつけることもあります。すると、本気で怒っていることが父に伝わって、どうして私が怒っているのかを考えてくれるようになるのです。その冷静さを取り戻すことで、これまでより父の怒りが早く収まるようになりました。まとめいつまでたっても子離れできない父親と、今ごろ反抗期!? がやって来た娘の私。ぎくしゃくする親子関係はしっかり解決しないと、家族や親戚を巻き込んでしまうこともあると思います。自営業とはいえ、そろそろリタイアを考え始めた父。仕事をやめたら、また「かまって!」が悪化しそうです。これからも父としっかり向き合って、良好な関係づくりを考えていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/玉沢雅水長野県在住。大学卒業後、住宅メーカーで勤務した後、司法書士の業務に携わる。趣味は、小さな家庭菜園で野菜を育てることと、季節の食材で保存食を作ること。
2024年02月21日私の実両親は「自分たちが絶対正しい」と考え、意思に反する行動や考えは全否定し、親族には見下した態度で接します。不愉快な言動が多く、短時間でも会うだけでもちゅうちょします。子どもたちの祖父母であるため交流は続けていましたが、「もう私の両親は、義両親だけだな」と思わせる出来事がありました。苦しんでいる娘にかける言葉がそれ?私の子どもが小学生と保育園児だったとき、私の入院治療が必要な病気が判明しました。そのことを知らせたとき母に言われたことは、「日ごろの生活が悪いからだね。食事もひどいし。自分が悪い」。父に言われたことは「親族にそんな病気になった人はいない!」でした。ただでさえ、不安で押しつぶされそうだったときに実両親に追い打ちをかけられ、精神的な落ち込みがさらにひどくなりました。私の気持ちに寄り添ってくれた義両親義両親は、結婚当初から私のことも考えてくれています。義実家へ滞在中に私はストレスを感じたことはありません。私の病気のことは夫の口から報告してもらいましたが、「とにかく自分のことを一番に考えてね」と言ってくれ、義両親は仕事もしていましたが、すぐに長期休暇を取って入院中に滞在してくれる準備をしてくれました。そして、「嫌だろうから家にいない間に余計なものは触らないからね」とまで言ってくれたのです。息子の家とはいえ、自宅ではないので滞在するだけでも大変だったと思います。そんな中でも私の気持ちまで考えてくれていました。義両親滞在を知った実両親は義両親が私の自宅に滞在することを知った実両親は、どうしてわざわざ義両親に滞在を頼んだのかと激怒しました。義母が毎食おいしい食事を作ってくれているのを知っているのに、わざわざ大鍋でおかずを持って来たり、自宅に招待してごちそうしてみたり、七五三の年齢だった孫にお祝いだとなぜか花束を持って来たり……。「自分の娘がどういう状況なのかわかっているのかしら」と義母は困惑していたと、後に夫から聞きました。実両親は、自分たちではなく義両親を頼ったということが気に入らなかったのです。そして自分たちも、娘家族のために動いていると義両親に見せつけたかったのです。当時は、一度でも私のことを考えてくれたら……とも思いましたが、もう諦めました。本当に私たちのことを考えていてくれているのは義両親だけです。まとめ実両親、義両親ともに高齢になってきましたが、相変わらず自分中心で、何をしても文句しか言わない実両親に対して手助けしようという気にはなりません。必要最低限のことだけかかわるつもりです。でも、義両親に対してはできる限りのことをしようと考えています。あれから義実家には何度も滞在していますが、毎回満喫して自宅に帰るのが嫌になるほどです。これから義実家滞在の回数を増やして、親孝行していきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/田中レオナルドマンガ/山口がたこ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月07日娘は穏やかな性格で、育てやすいタイプだと思っていました。しかし、中学3年生になって態度が激変。高校1年生までの約2年が反抗期のピークでした。当時は私も更年期が始まり、心身ともに不調を感じていました。娘の思春期と私の更年期が重なり、親子関係は最悪でした。そんな親子関係が変わったのは……。母の更年期と娘の反抗期が重なり喧嘩ばかり…娘はのんびり屋さんで穏やかな性格。幼いころから、子育てで苦労することはあまりありませんでした。家ではよく会話していて、親子関係は良好でした。そんな娘の態度が激変したのは中3のときです。学校から帰ってきてもあいさつもせず、自分の部屋に直行して出てきません。「どうしたの? なんかあったの?」と聞いても、返ってくるのは「うるさい」という返事。ついにきたか思春期、と思いました。部屋にこもりたいからか、娘はこれまで共用スペースに置いていたタオルや洗面用具などをどんどん自室に持ちこみます。そのせいで、娘の部屋がどんどん汚部屋に……。「片づけたら」と言うと、「うるさいっ部屋を見るな!!」とドアがばたーんと乱暴に閉められました。娘が別人になってしまったようでショックでした。大喧嘩で約1週間無視され続け…私自身も10代のころ親をうざいと思い避けていた時期があったので、娘の態度も仕方ないとは理解していました。しかし、母親にも感情があります。特に私が怒ってしまったのは食事のことでした。ある日、娘が「ごはんいらない」というので、「じゃあおなかがすいたら食べてね」と娘の食事を片づけていました。すると、娘がお菓子を出して食べ始めたのです。ひどい! と思いました。「食べられるならちゃんとごはん食べなさいよ!」とキレ気味でお菓子を取り上げると、「だってごはん食べたくないんだもん」と娘。私は料理は得意ではありませんが、栄養バランスなどを考えて食事を用意しています。せっかく用意した食事を拒否され、傷つきました。怒る私に、「もうごはん作らなくていい、食べたいものだけ食べる」という娘。「そうはいかない、栄養をとらないとダメ」と怒る私。大喧嘩になり、その後1週間ほど無視され続けました。食事のことだけではありません。日常のささいなことですぐに喧嘩になりました。女性ホルモンの乱れのせいでしょうか。お互いすぐに不機嫌になってしまいます。大した理由がなくても毎日のようにぶつかり合う日々が続きました。あいさつしただけなのに文句を言われたり、話しかけても無視されることは日常茶飯事。イラついた娘から、私が畳んだ洗濯物を投げつけられたこともありました。ひとりになって考えたこと中3から高1にかけては、思春期というだけでなく、高校受験や環境の変化など、娘もいろいろ大変だったのだと思います。そう頭ではわかっていても、私も当時45歳で更年期の始まりを自覚しており、心身共に不安定な時期で、過剰に怒ったり落ち込んだりしていました。家にいると娘のことでストレスがたまり、「こんな家にいたくない」と思うときもありました。あるとき、ストレスから家にいるのがつらくなり、夜にひとりで近所のファミレスに逃げました。そこでひとり時間を過ごしながら、「私が時々ひとりになりたいように、娘もひとりになりたいのかな」と考えました。子離れのときなのかもしれません。私は私、娘は娘。「私が娘のことを気にし過ぎるからお互いにつらいのかもしれない。少し距離を置いて、娘のことはそっと見守ろう」と思いました。まとめ娘が中3になってからの約2年間は、私の更年期と娘の思春期が重なったこともあり、母娘の喧嘩が絶えずつらい日々でした。私が意識を変え、娘と少し距離を取ることで親子関係に良い変化があったと思います。これからも娘と適度な距離感を保ちつつ、見守る子育てをしていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。マンガ/あさり著者/もめん(46歳)高校生の娘が1人の働く母。世界中のおいしいものが食べたい。特に甘い物が好き。おいしく食べるために常にダイエット中。食べること以外の趣味は、語学学習、読書、ヨガ、散歩。
2024年01月21日子どもとのお出かけするときに、「親子でリンクコーデを楽しみたい」と思っている方必見!今回は、アクセントカラーがポイントの親子リンクコーデを3つご紹介します♡アクセントカラーのアイテムは、コーデのポイントになるだけではなく、親子リンクをより目立たせることができます。地味になりがちな冬コーデにもおすすめですよ♪ぜひ参考にしてみてください。柄違いでもリンク感ばっちり!グリーンニットが主役の親子リンク♡グリーンのニットが目を引くこちらの親子リンクコーデ。その他のアイテムはリンクさせていなくても、しっかり親子リンクコーデとして成り立っているのはこのニットのおかげ♡似たような雰囲気、カラーのアイテムを1つ持っているだけで、簡単にかわいいわが子とリンクコーデを楽しめるのはうれしいですね!全身おソロで親子の絆深まる♡ブルーがコーデのアクセントにお次は全身リンクの親子コーデをご紹介します。ポイントは、周りの視線を集めてくれるブルーのトップス。他アイテムはモノトーンのカラーをチョイスして、全体の色味に統一感をもたらしています。親子の絆が深まる全身おそろいコーデ、ぜひマネしてみてください♡ブルーの帽子だけで完成!お手軽親子リンクコーデ初心者の方でもマネしやすいのが、アクセントカラーの小物を使った親子リンクコーデです。ブルーのニット帽でがっつりリンクさせて、コーディネートはやんわりと色味・アイテムを合わせてリンク☆家にあるアイテムだけでリンクコーデを作りたいと考える方は、ぜひこのテクニックをお試しくださいね!親子リンクの決め手はアクセントカラー!アクセントカラーのアイテムを使うだけで、あっという間に存在感抜群の親子リンクコーデを作り出すことができます。「どうすれば上手にリンクコーデができるんだろう?」と悩んでいる方は、今回のコーデ例を参考にアクセントカラーアイテムを使った着こなしを考えてみてくださいね☆※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいて掲載しております。※本記事では@re___remi0715様、@chiyumi__様、@amam771様のInstagram投稿をご紹介しております。
2024年01月15日持ちつ持たれつのよい関係を築けるととても心強いママ友関係。でも、もし子どものお友だちの誕生日会に、迷惑なママ友親子が乱入してきたら、あなたはどう対応しますか?今回は、実際の体験談をもとに描いたサレ妻ひより(@sareduma.hiyori)さんの漫画『地獄耳自宅突撃ママ友』をご紹介します。原作:美穂子さん(ひよりのInstagramから応募)漫画:篠江ぴず楽しかった誕生日会が……幼稚園に通う娘を持つ美穂子さん。同じ園には仲良しのママ友同士の集まりに無理やり入ろうとする“困ったママ友”がいました……。玲奈ちゃんの誕生日会に押し掛けてきたママ友親子。沈黙を破るため、バースデーソングを歌う美穂子さんたちでしたが、歌の途中でろうそくを勝手に消され……。主役の気持ちを無視し……我慢の限界……ネックレスに目を留め……美穂子さんの娘の奈緒が作ったネックレスに目を付けたママ友親子。玲奈ちゃんは絶対にとられないようにと距離をとります。その後、どうしても欲しいと騒ぐママ友親子は、奈緒に直接作ってくれるよう頼んでくるのでした。主役じゃないのに……友だちの誕生日会に無理矢理参加してきたかと思ったら、プレゼントをねだってきたママ友親子。お祝いする立場なのに、その場の空気を悪くする一方です。友だちの誕生日会で好き勝手するママ友親子……、あなただったらこんなときどう対処しますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/篠江ぴず様)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年01月05日親子とは切っても切れない関係性ですが、積もりに積もった両親への不満が爆発した私はある出来事がきっかけで、数年前から両親との連絡を絶ちました。両親も高齢になってきて、心配していない訳ではないのですが、心が苦しくなってしまう……両親との関係に悩んでいます。「私はどこも悪くない」と言う母年に数回ほど車で2時間半の所にある実家に帰省していました。しかし母のヒステリーで、私も夫も子どもたちも嫌な思いをすることがありました。そのうち行くのを必要最低限にして、年々交流を減らしていきました。久々に会うことになったときに、自分の不機嫌を全面に出し、子どもの前でもお構いなく食器や物をバンバン投げつけるように置く姿を見て、私はやめてほしいと思い、母の手首をつかみました。そんなに強くはつかんでいなかったし、痛いとは言っていなかった母。数日後、母は私の子どもたちに「ママには内緒ね」「手首を強くつかまれたから痛くて物を持てない」「あなたたちのママは、ばあばにこんなひどいことをするんだ」という内容のメールと、あざの写真を送っていました。そんな連絡が来て返信に困り私に報告した長女。定期テスト前にこんなメールが来たら困るので、私、長女、次女と三人で母にスピーカー通話で電話をしました。「内緒ねって言ったのに!」と怒りだした母。「ママはそんなに強くつかんでいない」と反論した当時小学生だった次女にもヒステリックに怒鳴り散らす始末。孫が悲しい思いをしているのに、母のそばにいる父は注意すらしてくれない……。そのすべてが、その姿が本当に情けなくあきれてしまいました。子どもたちを悲しませる両親を許せず、それから一切の連絡を絶ちました。両親と連絡を絶ち数年両親と連絡を絶ち数年。テレビ番組で毒母や毒親、母親との関係についての特集を、家族で見ていたときのことでした。ここまで月日がたってしまうと何かきっかけがない限り、もう両親と連絡を取ることはないなと私は家族に話しました。覚えていたのか、長女が「じいじとばあばに?20歳になったよって報告の連絡してみようかな?」 と言いだしました。大人になったと純粋に報告したい長女に、両親ならどんな言葉をかけるだろうかと私の妹と話し合いました。私と妹が長年両親を見てきて出した結論は「20歳のお祝いが欲しいから連絡してきたの?」と、言いそうだよねと。長女に悲しい思いはさせたくないし、何より私のメンタルがダメになりそうだと思い、両親への連絡を見送ることにしました。まとめ両親は若くはないし、いつ体に不調が起きてもおかしくない年齢なので、もし万が一連絡を取らないまま最後になっても後悔しない? と夫や、事情を知っている友人に聞かれたりします。両親のことをまったく心配していない訳ではありませんが、この状態になってしまったことに後悔はしていません。反面教師としてこの経験を生かし、自分の築いた家庭を大事にしていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/鬼塚ともみパート勤務をしている主婦。手芸が好き。
2024年01月02日私は夫と息子と3人で暮らす専業主婦です。息子は高校生なのですが、少し前から突然不登校になってしまいました。成績もよく友だちとも仲が良かったのに……どうして不登校になってしまったのかと、私は頭を抱えていました。突然不登校になった息子息子は登校拒否になった理由を教えてくれません。何度聞いても「絶対に言いたくない」と言うのです。夫にも相談しても、「俺は知らん! お前の仕事だろう」と一蹴。夫はもともと冷たい性格で、普段から外で働いたことがない私を見下し、息子にも関心がない様子でした。息子が話した不登校の理由ある日、担任の先生から電話がかかってきました。息子の出席日数が足りず、進級が難しいとのこと。ショックを受けた私はすぐに夫に連絡をしましたが、「そんなことで仕事中に電話してくるな」と、勢いよく切られてしまいました。しかし、このままではいけないと思い、「息子がずっと学校に行けなくてもいいの?」と泣きながらメッセージを送り続けました。夫から返信の着信が鳴ると、その様子を見ていた息子が私のスマホを奪って……「また学校行ってないのか」「もうあの根性無し養子に出すか!」「父さん、俺だけど」息子はメッセージを打ち続けました。「俺が学校に行けなくなったのは父さんのせいだよ。クラスメイトがホテルのロビーで父さんを見かけたらしいんだけど、母さんより若い女性と腕を組んで中に入って行ったって。それって不倫だろ? それから俺は学校でクラスメイトから変な目で見られるようになって、学校に行きづらくなったんだよ」と。そのとき私は言葉が出ませんでした。夫が不倫をしていたことにも驚きましたが、何よりそれが原因で息子が不登校になったことが悔しくてたまりませんでした。息子との新生活それからすぐに私と夫は離婚しました。夫から受け取った慰謝料でマンションを購入し、今は息子と2人で暮らしています。息子は高校を転入し、新しい環境で勉強を頑張っています。そして、私も小さな会社で事務員として働き始めました。初めての仕事でわからないこともたくさんありますが、「息子をひとりで育てていくために、しっかりしないと!」と、毎日自分に喝を入れて頑張っています。--------------不登校の原因が、1番無関心だった夫にあったとは驚きました。そんな夫と別れた2人は、以前よりも生き生きしているように見えます。これからの息子の成長が楽しみですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2023年12月17日大人気マンガシリーズ、進撃のミカさんの『終電を逃しボロボロになった親子』を紹介します。親子を心配して、自分の家に泊まるよう言った主人公。そして家にある食材で、親子にオムライスをふるまったのです。親子は主人公の作ったオムライスを涙を流して食べると…。≪HPはこちら≫前回のあらすじ出典:進撃のミカ#4終電を逃しボロボロになった親子出典:進撃のミカ本当の理由は…出典:進撃のミカ夫から逃げてきた出典:進撃のミカ一流企業に勤める商社マン出典:進撃のミカ態度が豹変して…出典:進撃のミカ夫から逃げて公園へ出典:進撃のミカ離婚するのは難しい出典:進撃のミカつらい思いをさせてしまった出典:進撃のミカ家にしばらくいるよう提案出典:進撃のミカ次回予告出典:進撃のミカ女の子が産まれた途端、豹変した夫から逃げてきたという女性。世間体を気にする夫との離婚を難しく感じていました。主人公はそんな女性に、しばらく家にいるよう提案しますが…。イラスト:進撃のミカ※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※この物語はフィクションです。(CoordiSnap編集部)
2023年12月08日子どものころから話すことが苦手で、聞き役になることが多かった私。子どもが生まれてからもそれは変わらなかったんですが、幸い(?)子ども達5人ともマシンガントークタイプだったので、毎日ひたすら子ども達の話を聞いて過ごしてきました。更に、家事や仕事なども忙しく、子どもたち同士で楽しくおしゃべりしている間もバタバタし続けていて、私自身がガッツリ喋りまくる! みたいなシチュエーションは皆無でした。そんな私が先日、珍しく長男と2人きりになったんですが… 下の子達がそれぞれ登校・登園した日。振替休日だった長男と、仕事の合間にごはんに行くことにしました。思春期真っただ中な中学生長男。昔のように『聞いて聞いて!!』がなくなり、自分からガッツリ喋ることも減っていたので、「ここは私から!」と、長男に喋りかけました。 元々がどうしようもないくらい口下手な上に友達もおらず(←)そのうえこの十年以上、子ども達の話をただただ【聞く側】だった私が、思春期のわが子との会話を盛り上げるスキルなど持ち合わせているわけがなく…!!特に盛り上がることもないまま普通にごはん食べて普通に帰ってきました。【極度の口下手母ちゃん×思春期男子】の組み合わせ。難易度が高すぎる(笑) 長男同様、長女も思春期にさしかかり、私レベルでは会話を広げることができないのですが、そんな思春期ペアに対し、本人たちから上手に話を引き出しつつ、かつ大盛り上がりすることのできる夫。毎回その様子を見ながら『スゲー…そのスキル分けて!』って思ってます(笑)
2023年10月04日祖父母ともに要介護状態となったとき、3人きょうだいのうち唯一祖父母と同じ町に住んでいた母が、自身も苦しみながらも祖父母を献身的に支えてきました。そんな母が、祖父母ともに他界した今、振り返って感じる介護をしている中でやっていてよかったこととは。★関連記事:父の介護で外出できない日々にひと筋の光が!憂うつな気持ちを軽くしてくれたものとは母が直面した介護のある生活私の母は、3人きょうだいの末っ子。生まれ育った田舎に残り結婚し、私を含む3人の子どもを育ててきました。やがて、祖母が認知症を患い始めたことにより、母に訪れた介護問題。祖母のサポートをしながら慣れない家事を頑張る祖父に、母も全面的に協力していました。そんな中、祖父がある日、外出先で突然倒れ、そのまま寝たきり状態に。そのときには既に介護施設で過ごす時間が多くなっていた祖母と、突然入院した上に祖母とは別の介護施設で過ごすこととなった祖父。母は祖父母の入所後も、祖父母の寝具や衣類の洗濯、各施設との打ち合わせ、祖父母宅の管理など、母自身もフルタイムで働きながら懸命に祖父母のサポートをする日々でした。末っ子の私は当時高校生でしたが、母は私の負担が大きくなるような手伝いはさせず、私が学校や部活に集中できるよう配慮してくれていたのだろうと思います。そんなふうに毎日祖父母のために忙しくしている母を間近で見ていたため、少しでも力になれるよう、祖父母の面会にだけは私も一緒に連れて行ってもらっていました。祖母はどんどん私たちのことを忘れていくし、祖父はほとんど声も出せません。それでも、大好きな祖父母が少し反応してくれるだけで母も私もうれしいものでした。そのころから10年以上たち、祖父母ともに他界した今、母には介護をしているときにやっていてよかったと思うことがあるそうです。介護中にやっていてよかったこと母が教えてくれたのは、次のような内容でした。・介護にかかった費用、収支の記録をつけておく母が祖父母の通帳を管理していたのですが、パジャマや毛布などの生活用品から、施設の利用料金まで細かく収支をつけ、祖父母のお金の動きがわかるようにしていました。それが親戚など周りからの信頼につながったと言います。「何にどのくらい費用がかかったのか」「計算は合っているのか」とわざわざ親戚が見返すことはないのですが、しっかり管理しようとする母の姿勢や、実際にきちんと記録してきた事実に、これなら信用できると親戚にも安心してもらえたのでしょう。・自分のきょうだいと情報共有をする大きな金額が動くときや、入所先が変更になったとき、体調に変化があったときは遠くにいるきょうだいにも母は情報をシェアするようにしていました。叔父や叔母からすると、離れているからこそ、今の祖父母がどんな状態なのか把握できるだけで安心するとのこと。さらに、きょうだいと連絡を取り合うことで、母自身もひとりで悩みを抱え込むのを回避できたそうです。距離があるため、物理的に助けることが頻繁(ひんぱん)にはできない叔父と叔母は、母のこまめな連絡や金銭管理に安心して任せることができ、「あなたに助けられた」と母の頑張りにとても感謝したと言います。一番大事なのは自分自身も大切にすること忙しい介護の中で、疲労やストレス、不安に恐怖などさまざまなものと闘っていた母。祖父が入院してからも、毎日仕事帰りに各施設を訪ねてから帰宅し、夕飯作りやその他の家事をしていました。 そんな生活が続き肉体的にも精神的にも疲れ果てている中、母の友人から、「自分の時間も作っていいんだよ」という助言が。それからは、意識して自分の趣味に費やす時間を増やしていったことで、自身の心の健康を守ることができたと母は言います。その体験があったからこそ母も、知人がかつての自分と同じような境遇だと知ったとき、「自分のことも大切にしてあげてね」ということを伝えたそう。その知人もまた、母のその言葉に救われたのか涙を流したと言います。介護で悩む方はたくさんいて、やるべきことをしていたら1日が終わってしまった……という多忙な毎日を過ごしている方も少なくないのだと思います。そういった境遇の方一人ひとりが、意識して自分をいたわる時間を作っていけたらいいよね、とよく母と話しています。まとめ祖父母の介護を通じて、寂しさや焦り、不安などさまざまな葛藤を抱えながら、とても苦しい思いをした母。自分のきょうだいが近くにいないならなおさら、しっかり金銭管理をし、きょうだいとこまめに連絡を取り合うことが重要だと言います。 身内間のトラブル防止になるのに加え、厳しい状況を理解してくれる人がいるだけで、介護する側の精神的な安定にもつながるのだと教えてくれました。そして何より重要なのは、自分自身をいたわる時間を作ること。精神的にも肉体的にも大きな負担がかかる介護。私も介護問題に直面したときには、自分のできる範囲で、周りにもうまく頼りながら、サポートしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/RIka.航空業界に勤めた後、3人の子どもをのびのび育てるべく田舎にUターン。子どもたちと一緒に、実家の採れたて野菜でピザを作ることに夢中なライターです。
2023年09月06日橋本環奈&重岡大毅(ジャニーズWEST)W主演映画『禁じられた遊び』より、重岡さん演じる直人と息子との親子カットが公開された。ホラー初挑戦となる重岡さんが演じるのは、映像ディレクターである比呂子(橋本さん)の元同僚・伊原直人。優しくよきパパであると同時に、やや頼りなさを感じさせる一面が。今回公開されたカットでは、まだ何も起こっていない庭で、直人が春翔(正垣湊都)に微笑む何気ない日常と、何かが起こり始めてしまった庭を見つめる2人の姿が収められている。その眼差しからは、恐怖や驚きとはかけ離れたどうしようもない哀しみが感じられる。亡くなった母親にもう一度会いたいという、春翔の純粋な願いが招いてしまった悲劇。逃れられない恐怖の始まりの場面となっている。愛する妻・美雪が、“最凶の蘇り怨霊モンスター”へと変貌する、複雑な心境を演じた重岡さん。「監督を筆頭に、スタッフ・キャストみんなが一つ一つのカットを最高のものにしようとするから、そのエネルギーを浴びて自分のリミッターが外れる瞬間がありました」と全力で挑んだ撮影をふり返る。一方で、息子役の正垣さんとコミュニケーションを取り、撮影の合間には、しりとりやルービックキューブ、チャンバラごっこをして遊ぶなど、本物の親子のように打ち解けていたそう。「中田監督が“この映画は春翔とお父さんの純愛物語でもあるからね”と言うのを耳にしたことがあったんです。正垣君はハートがあって、真摯にお芝居に取り組んでいて、でも本番以外で喋るとやっぱり子供だなと思ったり。おかげで自然と父子の関係が築けました」とコメント。また、「最後に手紙もくれて、全部平仮名で書いてあったのが可愛かったなぁ。僕もパワー貰いました!」と思い出も披露。本作では、本当の親子のように打ち解けた、2人の迫真の演技にも注目だ。『禁じられた遊び』は9月8日(金)より全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:禁じられた遊び(2023) 2023年9月8日より全国にて公開©2023映画『禁じられた遊び』製作委員会
2023年08月26日私の母は、3人兄弟の末っ子。ひとり地元に残り結婚し、3人の子どもを出産して育ててきました。しかし、同じ町に住む祖母が認知症を患い始めたことで、急きょ介護問題が母に訪れて生活は一変。老老介護の祖父を助けるためにも、働きながら祖父母宅に通い夕食を届ける日々。そして、どんどん進行する祖母の症状に翻弄(ほんろう)されながら感じた、前もって知っておきたかったこととは……。★関連記事:育児に仕事、それに介護まで…思うように働けなくなった私を襲った仕事復帰の難しさ変わり始めた母の生活3人兄弟の末っ子である私の母は、地元で父と結婚。兄、姉、私の3人の子どもの母となり、家族5人、マイホームで穏やかに暮らしていました。やがて兄が巣立ち、母が52歳のころ、姉と私と父の4人は仕事や学校、部活でそれぞれ慌ただしくも楽しい生活を送っていました。 そんな中、祖母が認知症を患い始めたことで、母に突然介護問題が訪れました。母の兄弟である叔父と叔母は、高校卒業後に田舎を出てからはずっと都会で暮らしているため、祖父母を近くで支えられるのは母だけ。これまで家事を一切してこなかった祖父を助けるためにも、仕事終わりに実家へ通っては掃除や夕食の準備を手伝う、母の慌ただしい日々が始まりました。認知症になった祖母は…男尊女卑が当たり前だった田舎で結婚した祖母は、結婚を機に、祖父の両親や兄弟と一緒に祖父の実家で生活するようになりました。祖母自身も働きながら、大人数の食事作りや洗濯などの家事をこなし、自分の趣味も楽しみつつ休む暇なくあれこれ活動していました。多忙な生活を送ってきた祖母のてきぱきとした身のこなしは、子育てを終え、祖父と2人暮らしになってからも相変わらず。家事や畑仕事に加えて、日本舞踊や和太鼓、グラウンド・ゴルフなどの趣味にも打ち込み、自宅を訪れる友人や孫、親戚をいつも温かく迎え入れていました。しかし、認知症を患い始めるとこれまでの活力が急減。あれほど動いていた祖母は立ち上がる気力すらなくなり、日中も寝てばかりいるようになりました。怒りっぽくなってささいなことにもいら立っているといった症状にも悩まされ、隣でサポートする祖父は困り果てていました。そして、祖母の認知症の症状はどんどん悪化し、生活が困難と認められて施設へ入所することになりました。介護が始まる前に知っておきたかったこと介護について右も左もわからずひとりで苦労した母は、介護が必要になる前に知っておきたかったと悔やまれることがいくつかあったそうです。まずは、介護が必要になったときの相談先について。誰を頼ったらいいのか、どのような状況であれば介護施設を利用できるのかなど考えることが山積みで、何をどうしたらいいのかもわからず、不安で孤独な思いをしたようです。しかし、市役所の相談窓口を訪れてからは、必要な情報をどんどん得ることができ、つらい気持ちや悩みを少しずつ解決していけたのだそう。そのため、介護について不安なことがある場合の相談窓口について、事前に知っておくべきだったと言っていました。次に、祖母の貴重品やお薬手帳などの保管場所を把握しておくこと。祖母の介護認定や施設入所のための申請には、多くの手続きが必要でした。各種手続きには、通帳や印鑑、身分証明書などが必要になります。そんなときに、祖母の貴重品類がどこにあるのかもわからず苦労したといいます。そのため、貴重品の保管場所だけでも、祖母が元気な内から共有してもらっておくべきだったと悔やんでいました。最後は認知症になる前に、掃除や荷物の整理を一緒に進めておくべきだということです。家の片付けは、母ひとりで苦労した大きな要因でもありました。認知症の症状が進むにつれて、祖母は部屋の片付けや掃除に手が回らなくなっていたのです。母が夕飯を届けたときのわずかな時間の中で片付けや掃除を進めようとするも、症状の影響で怒りっぽくなっている祖母は、部屋の中のものを触られることを嫌がり、ただの片付けなのに作業は難航しました。さらに、祖母宅はお盆やお正月には親戚中が集った場所でした。大量にある食器類や布団、未開封の贈答品など、とにかく品数が多いため、整理するのもひと苦労だったそう。だからこそ母は、「自分の母親が元気な内から実家の荷物の整理を手伝っておいたほうがいいと知っていたら、こんなに苦労しなかったのに」と後悔していました。まとめいざ母親を介護するとなったとき、症状が進む悲しみと恐怖を抱えながら、誰にどう相談したらいいのかもわからず不安に感じ、とても苦しい思いをした母。もっと早く知っていたら、母だけでなく、祖母や祖父、私たち子どもも、必要以上に心細い思いや大変な思いをせずに過ごせたはずだといいます。母が身を持って体感したことをしっかりと聞かせてもらったからこそ、両親が元気な内からできることがあるのだと私自身も気付かされました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/山口がたこ著者/RIka.航空業界に勤めた後、3人の子どもをのびのび育てるべく田舎にUターン。子どもたちと一緒に、実家の採れたて野菜でピザを作ることに夢中なライターです。
2023年08月14日中学2年生で反抗期真っただ中の次男と、更年期に突入した私。お互いにイライラし、ちょっとしたことで口論になり、物が飛び交うこともしばしば。次男は相手の気持ちを考えない発言も多く、「私、次男に嫌われているのでは?」と感じることもありました。ですが、ひょんなことから次男の私に対する気持ちがわかり、とてもうれしかった出来事をお話しします。★関連記事:更年期の私と反抗期の息子。お互いにイライラする中で見つけた心を安定させる1つの方法とは次男から嫌われていると思っていたら…反抗期真っただ中の次男にイライラ反抗期真っただ中の次男は、学校や友人の話をしないのはもちろん、学校からの手紙は出さない、勉強はしない、部活は行かない、ゲームとYouTubeざんまいの日々。つい「手紙出して」「部活は?」なんて声を掛ければ、「うるさいな」「わかってるよ」「黙ってて」と、これぞ反抗期という言葉が返ってきます。これだけでも私はイライラするのに、次男は人の気持ちを考えない言動が多く、自分の主張が受け入れられるまでしつこく言い続けるタイプ。屁理屈をこねる次男に私のイライラは増すばかりです。一方、次男としても、いくら主張しても私に受け入れられないのでイライラが増すようでした。お互いイライラすることが多く、ちょっとしたことで口論になるので、できるだけ口出ししないようにと我慢の日々。幸い?クソババァとは言われないものの、次男に嫌われていると感じることが多く、関わり方に悩むこともありました。「子どもが私を探している」と会社から電話そんなある日、私はギックリ腰になり、仕事帰りに近所の接骨院へ行くことにしました。接骨院で1時間ほど治療をしてもらい、会計を待っている間にスマホを見ると着信が10件もあり、びっくり。とりあえず会計を終わらせ接骨院を出ると、会社から電話があり「お子さんがあなたを探しているよ」と言われ、またびっくり。「なんで?」と思いながら家に電話しようとしたとき、今度はひとり暮らしをしている長女から電話がありました。私が帰ってこないので、次男が心配して探しているということでした。慌てて家に帰ると、目を赤くして涙を浮かべている次男がいました。「接骨院に行ってから帰るから遅くなるって言ったよね?」と言うと「あっ、言っていたかも……」とバツが悪そうにする次男。在宅での仕事を終わらせて2階から下りて来た長男にも「接骨院に……」と繰り返すと、こちらも「そういえば言っていたかも」とバツが悪そうな顔をしていました。前日の夜に「接骨院に寄ってから帰るから遅くなる」と伝えたのに、2人ともすっかり忘れ、私が行方不明になったと思って探してくれたそうです。事故に巻き込まれたかも…と思い捜索2人によると、帰宅が遅くなるときは連絡があるのにその日はなく、なかなか帰ってこないので私に電話をしたそうです。電話をしても出ないし、折り返しもない。スマホのGPSで探すと、自宅の近くにいるはずなのにいつまでも移動しない。これはおかしいと思った次男は、在宅で仕事をしていた長男に相談したそうです。長男はそのうち帰って来ると思ったそうですが、何度電話しても出ないし、次男があまりにも心配していたため、一緒に探すことに。「仕事で遅くなったのかもしれない」と会社に電話をしようとしたものの、会社の名前も電話番号も知らない2人。家中を探して私の給料明細を見つけ、電話番号を調べて連絡したそうです。会社に電話するといつも通りに会社を出たと言われ、「事故に遭ったかも」と不安になり、ひとり暮らしをしている長女にも連絡したらしいのです。実はこの数日前、出勤途中で事故に遭遇し、危うく巻き込まれるところだった私。「いつ事故や事件に巻き込まれるかわからないよね」という話をしていたので、「本当に事故に巻き込まれたかも」と不安になり探してくれたようでした。まとめ次男だけでなく長男までもが私の話を聞き流していたため、行方不明事件になってしまいましたが、いつも反抗的な態度の次男が私のことを心配して探してくれたことはうれしかったです。この件以来、少しですが、次男が私の話に耳を傾けてくれるようになり、「後でやるから」「ちょっと待って」と、以前より少しだけ柔らかい言葉が返ってくることが増えました。時々心ない言葉を言ってくることもありますが、「次男は私が大好き。かわいいところもある」と自分に言い聞かせ、言い争いにならないように気を付けています。まだ続くであろう反抗期。なんとか受け流しつつ、良い距離感を見つけたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/谷 海(47歳)おもしろおかしく生きるのがモットーのシングルマザー。
2023年08月05日更年期真っただ中の50歳の私と、反抗期を迎えた長男の間で繰り広げられる心のやりとり。イライラと疲労に悩みながらも、私は子どもとの関係を大切にするために一歩を踏み出すことにしました。今回は、子どもとの距離を置くことで心を安定させることができた私が試行錯誤をしたことをお伝えします。★関連記事:「こんな家族をつくるんじゃなかった…」長男の反抗期と重なったPMSによる体調不良で家庭崩壊の危機!更年期のイライラと闘いながら更年期は体調の変化が激しく、気分が浮き沈みしやすくなると聞いていましたが、私も同じ変化を感じています。時にはイライラが募り、家族との関係にも影響を及ぼしてしまうことも。そこで私は長男との絆を守るために、1つの方法を試してみました。まず、頭ごなしに怒ったりせず、いったん距離を置くことにしました。反抗期の長男とは衝突が絶えず、私もイライラがピークに達していました。しかし、子どもとの関係を良好にするためには、冷静な判断と自制心が求められます。長男が怒りをぶつけてくるときも、私は静かに彼の声に耳を傾け、まず話を聞くという態度を取り続けました。時間がたつにつれ、私と長男の距離はゆっくりと縮まっていきました。長男も成長し、少しずつ自分自身を見つけていく過程で、私との関係性も変化していきました。私の冷静な態度に少しずつ反応し、言葉ではなく行動でコミュニケーションを取るようになったのです。壁にぶつかりながら成長する長男中学生になった長男は反抗期の真っただ中にいます。長男も自分自身を見つけるために壁にぶつかり、時には私に対しても反抗的な態度を取ります。しかし、私が冷静に対応することで、長男の態度も少しずつ変化を遂げていったのです。反抗期は子どもの成長の一環であり、私もそれを理解しています。子どもは壁にぶつかることで、成長していきます。私は長男が自分自身を見つけるために必要な時間を与えました。最初は対話が難しく、互いに言葉の壁が立ちはだかりました。「クソババア」などの暴力的な言葉を使うこともありました。それでも私は長男の言葉を否定せず、彼の感情に寄り添うように努めました。一緒にゲームをしたり、彼の話を聞いたりすることで、心のつながりを感じるようになりました。反抗期の長男との関係性を良くするには時間がかかりましたが、私の冷静な態度が少しずつ彼の心を開かせていきました。長男も徐々に私の存在を受け入れ、言葉ではなく行動で感謝や愛情を示すようになりました。家族の心の安定があってこそ自分の心も安定するのだと実感しました。心を安定させるには距離感が大切更年期と反抗期は長期にわたる試練ですが、私は更年期で揺らぎがちな自身の心を安定させるために一歩ずつ前進しています。この体験を通じて、私は重要な教訓を学びました。それは、更年期は心の安定を心がけることが重要であり、それが家族と良好な関係を築くことになるということ。私の場合は長男とあえて距離を置くことでその教訓を痛感することができました。更年期と反抗期は両方とも過ぎ去るのに時間がかかります。しかし、私が距離を置くことで冷静さを保ち、子どもとの関係を良好にしていく過程で、自身の心を安定させることができました。更年期や反抗期はまだ終わらないかもしれませんが、これからも前向きに向き合い続けようと思います。距離を置くことで心の安定を見つけ、家族仲良く過ごしていきたいです。まとめ更年期真っただ中の私と反抗期の長男との心のやりとり。私は冷静な態度を保ちながら距離を置くことで、長男との関係性を修復していきました。更年期や反抗期は落ち着くまでに時間がかかる試練ですが、私は健康と心の安定を見つけるために前向きに過ごしていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/伊達 敦子(50歳)3児の母。会社員の傍ら、化粧品検定2級、1級を取得し、コスメコンシェルジュの認定を受けたエキスパート。人々の美しさと自信を引き出すため、日々活躍中。
2023年08月03日親子の日普及推進委員会は、「親子の日」20周年を記念し公式企画を実施しています。「親子の日」当日となる7月23日(日)には、スタジオに親子を招待して3年ぶりの撮影会「スーパーフォトセッション」を開催いたします。「親子の日」ポスター2003年に産声をあげた「親子の日」。今年が20周年の記念すべき年です。「親子の日」の記念イベントとして、「親子の日」誕生以来毎年実施してきた親子写真撮影会「スーパーフォトセッション」は、2022年までの3年間コロナ禍で中止されていましたが、今回3年ぶりに開催されます。撮影するのは、在住40年になる米国人写真家、「親子の日」オリジネーターのブルース・オズボーン氏。年に1度、親と子がともに向かい合う日があったっていい。その日を通じて、すべての親子の絆が強められたらすばらしい。写真家ブルース・オズボーン氏のそんな願いが実を結ぶために、今年も「親子の日」に共感し応援を続けてきた人たちはそれぞれの場所で各々の「親子の日」を計画。全国の写真館や市町村でも、撮影会やイベントの開催を計画しています。5月第2日曜日は、母の日。6月第3日曜日は、父の日。7月第4日曜日は、親子の日。「親子」は社会の土台です。「親子の日」が多くの人にとって特別な記念日となりますように。皆様からの応援パワーも必要としています。<親子の日普及推進委員会の公式企画>●写真コンテスト instagram を使っての写真コンテスト。募集:2023年5月1日(月)~8月31日(木)●エッセイコンテスト 老若男女を問わない他にも海外からの応募者も増えつつあるエッセイコンテスト。募集:2023年5月1日(月)~8月31日(木)●親子大賞 「一番輝いている親子」を投票で決定。※ヌートバー親子もノミネート投票:2023年5月1日~8月31日●#親子でDO 開催中オンラインフェス。親子動画コンテスト(SNSに投稿)●オンライントークライブ 毎月第4日曜日YouTubeを利用したオンライントークライブ。テーマは「未来への贈り物~Present to the Future~」ライブがリレー式となった初回の2002年9月は岡崎友子 (オーシャンアスリート)、12月は小林弘人(株式会社インフォバーン 代表取締役会長CVO)、2023年1月は森山賢(琉球補聴器 社長)、2月は藤井青銅(放送作家)、3月はマーク・パンサー(globeのメンバー)、4月は久住昌之(漫画原作者・漫画家)、5月はカオハガン島に住み島民の生活の糧をサポートする活動をされている崎山克彦(今年88歳)、6月は杉山サリー、7月はピーター・バラカン(DJ ブロードキャスター)が出演。●写真絵本「たいせつなもの」制作ブルース・オズボーンが 撮影した親子写真にイラストと言葉が加わり、「世界はたいせつなものでできている」というメッセージを込めた、見て読んで考える写真の絵本。<2023年『親子の日」を応援してくださっている皆様>●後援 :文部科学省●特別協賛:DACグループ●特別協力:毎日新聞社 公益社団法人日本写真協会東京写真月間2023●協力 :チョーヤ梅酒株式会社/株式会社円谷プロダクション/株式会社浪漫堂/お母さん業界新聞/千葉県我孫子市/愛知県児童総合センター/BBスタジオ広尾/一般社団法人日本記念日協会/株式会社オゾン 他 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年07月11日親子の日普及推進委員会は、「親子の日」20周年記念イベント「親子写真まつり ~親子の数だけ親子の物語~」を日本外国特派員協会で2023年8月4日(金)まで開催いたします。親子写真まつり<「親子写真まつり」の開催宣言>年に1度、親と子がともに向かい合う日があったっていい。その日を通じて、すべての親子の絆が強められたらすばらしい。写真家ブルース・オズボーンのそんな願いが実を結んで2003年に産声を上げたのが「親子の日」です。親子の日普及推進委員会はこの願いを多くの人に伝え「親子の日」を定着させるべくさまざまな活動を続けています。「親子」という関係が大きな社会問題を生み出し、悲しい事件に繋がる事が頻発する昨今ではありますが、しかしまた、「親子」というテーマは、現代社会が抱える諸問題(少子化、高齢化、貧困、環境破壊、戦争など)を解決する糸口となりうる可能性も秘めています。親から子へと引き継がれていく命。その重さを真摯に受け止めることこそ、私たちが向き合う諸問題を解決するための大きな鍵となるはず。「親子」は、国境も文化も宗教も超えられる世界の共通語!親子の日普及推進委員会は「世界中の命が、生まれたことに感謝できる日」を目標に、第3回「親子写真まつり」の開催をここに宣言いたします。写真展「親子写真まつり ~親子の数だけ親子の物語~」主催 :親子の日普及推進委員会後援 :文部科学省会場 :日本外国特派員協会(千代田区丸の内)開催期間:2023年7月1日(土)~8月4日(金) <以下参加写真家です>Anne-Francoise Tasnier (ベルギー)Constanza Portnoy (アルゼンチン)Fahad_Rai (パキスタン)ハービー・山口 (日本)広川泰士 (日本)マーク・ヒガシノ (日本)Laetitia Vancon (フランス)三井昌志 (日本)Bruce Osborn (アメリカ)一ノ瀬泰造 (日本)Mark Edward Harris (アメリカ)宮嶋茂樹 (日本)Wusa Wuli (カナダ)Ada Trillo (USA)Lenka Klicperova (チェコ共和国)高砂淳二 (日本)Yulia Nevskaya (ロシア)清水匡 (日本)高桑常寿 (日本)平間至 (日本)熊切大輔 (日本)西川隼矢 (日本) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年07月11日斬新! もこみちさんオリジナルの「香ばし親子丼」 この投稿をInstagramで見る 速水もこみち(@mocomichi_hayami)がシェアした投稿 俳優として活躍する傍ら、料理家としてもさまざまなレシピを考案している速水もこみちさん。親子丼が大好きだというファンからのリクエストにこたえ、YouTubeで「速水流の親子丼」のレシピを紹介しています。材料は長ねぎ1本、鶏ムネ肉1/2枚、ごま油大さじ1、塩・胡椒各少々、玉ねぎ1/2個、だし汁180ml、卵3個、ご飯丼1杯、青ねぎ2~3本、しば漬け、七味唐辛子、白ごま、ごま油各適量、酒大さじ1、砂糖大さじ1/2、みりん大さじ1、醤油大さじ2です。はじめに鶏ムネ肉を一口大に、長ねぎを3~4cmの長さに切り、玉ねぎを薄切りにそれぞれカット。小さめのフライパンにごま油を熱して鶏肉と長ねぎをこんがり焼き色がつくまで焼いたら、長ねぎを取り出しておきます。長ねぎを焼くときは動かさずにそのままで、しっかり焼き色をつけるようにしましょう。フライパンに残した鶏むね肉に塩・胡椒を振り、醤油、砂糖、酒、みりん、だし汁1/3を入れて、味をからめるイメージでしっかり煮込み、タレが少なくなってきたら取り出します。残っているタレはとっておいてください。キッチンペーパーなどでフライパンの汚れを拭き取ったら、残りのだし汁と薄切りにした玉ねぎを入れ、玉ねぎが少ししんなりしたら、溶いた卵を流し入れて半熟に。その上に、取り出しておいた鶏むね肉と長ねぎを彩りよくのせて、フタをして火を通しましょう。卵でとじない親子丼、斬新……!鶏むね肉を煮込んだ際に残っていたタレをご飯にかけてから、親子丼の具をのせます。そこにしば漬けを添えて、白ごまと青ねぎの小口切りを振って完成!お好みで七味唐辛子とごま油を入れてもおいしいです。もこみちさんオリジナルの「香ばし親子丼」は、しっかり焼いた鶏むね肉や長ねぎで親子丼の概念が変わるほどのおいしさ!しば漬けや青ネギも味のアクセントになりますし、彩りもキレイなのでおもてなしメニューとしても喜ばれそうですね。
2023年07月08日年齢とともに、自分や周りの人のにおいが気になるように。自分では気付きにくいことだからこそ気になるし、気を付けたいと思っています。ですが、におっていてもなかなか指摘するのは難しいことでもあります。それがたとえ身近な人であっても……。家族の悪臭に悩んだ私が、勇気を振り絞って伝えてみた話です。★関連記事:腰椎の骨折で自宅介護していた義母が脳梗塞に! 介護生活はさらに過酷なものに母の加齢臭かと思ったらまさかの原因だった!母のにおいに違和感が!それはまだ祖母が自宅で生活していたころのこと。祖母は若いころの病気が原因で左手が不自由な上、膝を壊しており、あまり動くことができませんでした。それでも住み慣れた自宅を離れるのは断固拒否していたため、祖父の死をきっかけに、隣の市に住んでいた母が、頻繁に祖母宅に通うことになりました。私はそのころ母とは別に暮らしていましたが、週に何回かは実家に顔を出していました。そんな生活が始まったある日、実家にいたとき、いつもと違うにおいを感じたのです。最初は「何のにおいだろう?」と不思議に思う程度で、あまり気にもしていなかったのですが、だんだんと違和感が強まりました。気になって、においのもとを発見しようと意識していたところ、どうやら母とすれ違ったときにより感じることがわかりました。それとなく話を振ってみても、洗濯洗剤を変えた様子もなく、何かにおいが付きそうなこともやっていなそう。私は「いよいよ母も加齢臭が始まってきたんだろうな」と考えていました。それならそれで、加齢臭対策のボディソープをすすめるなど、少しでも対策を促すようにしなければと頭の片隅で思うようになってしばらくして、事態は意外な方向に向かいます。ズボンがしっとりして、変なにおいもある日、母と一緒に祖母宅へ行った日のことです。私はこたつで祖母とみかんを食べながら話をしていました。そして、帰宅しようと車に乗り込んだところ……なんだかいろいろ変なのです。ズボンがなんとなくしっとりしているような気がするし、変なにおいもします。「ねえ、なんかにおわない?」と母に聞いたのですが、母は首をかしげるばかり。そのうち車内では気にならなくなり、「私の気のせいかな?」と疑問に思いながら帰宅。しかし、お風呂上がりにズボンをもう一度嗅いでみたところ、やっぱりいつもと違うにおいがします。洗えば落ちますが、祖母宅に行くとやっぱりにおいがするのです。そんなことが数回あって、私はどうしても我慢できず、日ごろのにおいのことも含めて母に話をしてみることを決意。とはいっても、非常にデリケートな話です。どう切り出したら良いのか、何て言ったら良いのか、本当に迷いました。むしろ伝えないほうが良いのではないかと思う部分もありましたが、もし自分が逆の立場だったらやはり言ってほしい!と思い、勇気を出して伝えることに。伝えた結果、やはり母はかなり戸惑っていました。けれど、結果としてよかったことが判明するのです。においの正体はなんと…!においの話をした翌日、母は祖母宅に行った際、においを意識したそうです。しかし、まったく違和感がなかったため、前日母と私が話したときに話題に出たこたつの中を見てみることに。こたつ布団をめくってみたところ……強烈なにおいが! 余りのにおいに母は目がチカチカしたと言っていました。中にあったのは数枚の服でした。祖母に話を聞いたところ、少し前からトイレを失敗してしまうことがあり、間に合わずに服が濡れてしまったとき、こたつに隠していたのだということが判明しました。しかも、ちょうど確認した前日の夜、新しい1枚を追加したばかりだったとか……。今まで母はこたつには入らず、こたつ布団の上に座っているだけだったので少しにおいが付いただけで済んだようですが、私はしっかり足を入れていたため、短時間であったにもかかわらずズボンに中のにおいが染みついてしまったようです。昔ながらの綿のこたつ布団は厚く、熱と共ににおいも中に閉じ込めていた様子。こたつを取り払ってみると、その下のカーペットにまでにおいが染みついてしまっていました。カーペットも含めてこたつ布団一式と座布団もすべて新調し、失敗した服を入れる用のバケツを用意。その結果、母から不思議なにおいがすることはなくなりました。まとめ今回、このようなことが起きてみて、改めて自分のにおいというのは自分では気付きにくいのだなと思い知りました。悪臭は周囲の人を不快にさせてしまうけれど、悪臭を指摘してくれる人はなかなかいません。今回思い切って母に伝えたことで悪臭の原因が判明し、対処できたわけですが、母は「あんなにおいで外を出歩いていたかと思うと恥ずかしい」としきりに言っていました。それでも「(当時)今は秋でこたつに直接入っていなかったからあの程度で済んだ。これから冬になってあのままこたつに入っていたかと思うと恐ろしい。早く言ってくれて本当によかった」と言ってくれたので、救われました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/おおさわ (40歳)長野県在住。低体温&極度冷え症脱出めざして、温活に夢中。
2023年07月07日多くの母親が経験するであろう息子の反抗期。今では成人してすっかりやさしくなった長男も、思春期は毎日が戦闘モードでした。対する私も、よせばいいのにまさかの臨戦態勢! 更年期VS思春期の親子バトルを繰り広げてしまったのです。仲が良さそうな周りの親子を見るたび、うらやましいやら情けないやら…… 。ホルモンバランスの波にさらされた親子の泥仕合は、約2年間続きました。★関連記事:「学校辞める」次男の高校中退宣言! 学校からも呼び出され #鬼ばば母ちゃんの波乱万丈記 1更年期VS思春期の親子バトルイライラする長男とオロオロする私陽気で愛されキャラだった長男が、ささいなことでイライラするようになったのは、中学2年生のころでした。野球バッグのファスナーを無理やりこじ開けて壊したり、ポロシャツのボタンを外さずに脱いで引きちぎったり。そうかと思えば上機嫌で話しかけてくる日もあります。これがうわさに聞く思春期男子の反抗期なのか!? と、私は実感し始めました。このとき私は46歳。長男が14歳、次男が11歳とまだまだ子育てに忙しく、更年期の不調もそれほど強く感じてはいませんでした。思春期男子の反抗期に漠然とした不安はあったものの、理由もなくイライラするような精神状態ではなかったのです。そんな中で始まった長男の反抗期。最初のころは、何が気に入らないのかまったくわかりませんでした。うっかり地雷を踏んでは怒らせてしまい、オロオロする私。長男のご機嫌を損ねたくなくて、次第に話すのが怖くなっていきました。中学校には休まずに登校するし、野球も頑張っている。そこに悩みがあるのはわかるけれど……。ひたすらイラついている長男に戸惑うばかりでした。更年期のイライラが発動しバトル開戦!ささいなことで怒りを爆発させる長男の様子にショックを受けながらも、引きずられるように私も長男に対してイライラを募らせるようになりました。怒らないで話し合いたいのに、話せば喧嘩になるという悪循環。一度衝突したら、売り言葉に買い言葉の泥仕合が始まります。何がきっかけでこんな大喧嘩になったのだっけ? と、原因すらわからなくなる始末。強い疲労感やめまいなどの更年期症状もイライラに拍車をかけ、コントロール不能な迷走が続きました。その後も長男の荒れっぷりはエスカレート。私と言い争いになった腹いせに、照明のスイッチを力まかせにたたいて壊すわ、部屋にバリケードを築いて立てこもり食事を拒否するわ、まるでドラマのような展開を見せ始めたのです。それでも私に手を上げることは決してありませんでした。物に当たったり、暴言を吐いたりするけれど、必死に自分を抑えてもがいている。部屋の前に置いておいた食事をきれいに平らげ、キッチンに下げてきた長男のばつが悪そうな顔を見て、私はようやく自分の愚かさに気付きました。心配だから、歯がゆいからと、つい口うるさくしてしまったけれど、そんなことは本人が一番よくわかっていたはず。多感なお年ごろの長男にとって、私はさぞかしウザい母親だったことでしょう。夫や次男の協力で事態は好転へ私は深く反省し、ひたすら母としてやるべきことだけをやりました。食事を用意し、弁当を作り、野球のユニフォームを洗濯する。長男の生活に必要なことだけをおこない、必要でないことに口を挟むのをやめたのです。長男の態度はそう簡単には変わりませんでしたが、言い争いは劇的に減っていきました。また高校受験など、これから先に控える長男にまつわるほぼすべてのことを夫に任せ、私はフォローに徹することにしました。私と長男がバトルを繰り広げていたとき、夫は中立の立場を取っていました。私のことを責めないけれど、長男のことも怒らない。そんな態度に不満を感じていましたが、結果的にはそれが正解だったようです。長男は素直に夫の話を聞いて勉強や野球に打ち込むようになり、高校生になるころには反抗期を卒業していきました。わが家のもう一人の男子である次男はどうなったのかというと、彼は大変クールな男性に成長しました。暴れることなく思春期を過ごしたのは、紛れもなく母と兄のバトルを見ていたからでしょう。冷静沈着で母にはとてもやさしいけれど、あっという間に親離れしてしまいそう。なんだか物足りない? いやいや平和で何よりと安心しています。まとめあれから7年。成人した長男とは今、あの嵐のような2年間を笑って振り返ることができます。でも当時の私は、荒れる彼を鎮めるどころか、さらにあおるような言動をしていたのです。更年期のイライラだったのかもしれませんが、親としての器が小さかったと反省しています。親子バトルは長男が高校生になるころには終結。中学時代と同じように悩みはあったはずですが、周囲に当たるようなことはめっきり減りました。私が更年期を自覚し、夫に任せたことで事態は好転していったように思います。次男の反抗期がなかったことも大きな要因。そういえば夫も次男だったな……。私の更年期卒業まであと数年。このまま平和な日々が続きますように!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/しおみなおこ著者/みやび(53歳)大学生と高校生の男子2人の母。夫の自営業を手伝いながらマイペースにライター活動中。息子の野球に全集中した12年間が終わり、燃え尽きたあとにやってきたのは更年期と介護だった……。趣味のヨガで体を整え、すべてを乗り切る所存!
2023年07月02日現在40歳の私は、夫と2人の子どもと4人で暮らしています。私の両親は車で2時間のところに住んでおり、年に4〜5回遊びに行く程度です。両親は現在70歳手前で年金暮らしをしています。どうやら終活を始めたようなので、両親の終活事情をご紹介します。★関連記事:毎日充実しているけれど…老後を考えると不安に。私が始めた「終活」【体験談】両親と共に「終活」を始めて生前整理を始めた両親ある日突然、母から「あんたの荷物、処分していい?」と連絡が来ました。実家を出てから20年ほどたち、生活に必要な荷物は実家には置いてありません。しかし、小学生のときに使っていたランドセル、卒業アルバムなど思い出の品が保管してあります。私は卒業アルバムだけ残してもらうように頼みました。なぜそんなことを聞かれたのかというと、両親は家にある荷物を見直していました。母は「あんたのおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったとき、お母さんが遺品整理をしたのよ。娘の自分からするとどれも思い出深くてね……。捨てるのがつらかったわ」と言いました。たしかにどれも親の形見に思えて捨てられないだろうなと思いました。両親の埋葬へのこだわり私の両親には入るお墓がありません。両家とも両親以外にお墓を引き継ぐ人がいるので、自分たちでお墓を用意する必要があります。父は「俺の遺骨は海にまいてくれ。お墓はいらん」と言い、母も「私も散骨がいいわ」と言いました。私が「え……でもお墓参りができないよ?」と聞くと、母は「あのね、お墓を管理するってとても大変なの。定期的に掃除に行かないとほこりがたまるし、管理するにはお金がかかるもの。死んでからも面倒を見てもらわないといけないなんてごめんだわ!」と言いました。自由だなと思いつつ、私に負担をかけまいとしているのが伝わりました。遺産についての注意事項私はひとりっ子なので両親が亡くなった場合、遺産を分ける人はいません。しかし「お母さんたちの通帳に入っているお金は、全部自分のお金だとは思わないでね!」と念を押されました。詳しく話を聞くと、法事のために親戚から預かっている積立金と、友だち夫婦と旅行するために預かっている積立金が含まれているそうです。私は「聞いておいてよかった。忘れるかもしれないから、詳細は遺言書にも書いておいてね」とお願いしました。まとめ両親は2人とも大きな病気をせず、今は不自由なく2人で生活しています。だから亡くなった後のことを話すなんて、なんだか寂しいなと思いました。ですが、突然最期が訪れたとき「ちゃんと話をしておけばよかった」と後悔することがないように、私も両親の終活に参加していきます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/あんらくりん総合病院に勤務していた元看護師で小学生になる子どもが2人いる。カラーコディネーターなどの資格も持っている。
2023年04月28日■前回のあらすじ美織は母に、なぜ翔太を嫌うのか聞いてみる。すると返ってきた言葉は「わからないから」。夫婦で働き、育児をして幸せそうな美織を見ると「自分の人生が間違ってたと言われているように感じる」と打ち明けられ…。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】2ヶ月後、母の家を訪れると、今までにないぐらい穏やかな母がいました。夫に冷たい態度を取り続けてきたことに対してモヤモヤする気持ちはまだありますが…これまで母の気持ちをわかろうとせず、寂しい思いをさせてしまってきたことを反省しました。これから少しずつでも、母と夫の関係性が良くなっていけばいいなと思います。※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年03月03日■前回のあらすじ第2子を出産して半年。美織は自分の意思で仕事を続けているのに「かわいそう」と言われ心が折れそうになってしまう。そこで母と「縁を切ろうかな」と翔太に相談すると、話し合ってみた方がいいと言われ…。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】母が夫に冷たい態度を取る理由は、私が母のような結婚生活を送っていないから…。娘に対して「母のいうことをよく聞く娘でいてほしい」、「自分と同じような結婚生活を送ってほしい」そんな理由で夫に冷たい態度を取り続けていたなんて…。母の気持ちは全く理解できませんが、初めて明かされた本音を聞いた私は…。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年03月02日■前回のあらすじ結婚後も母の翔太への態度はひどいもので、美織は翔太の良さをわかってもらおうとアピールを続けていた。やがて長女の莉菜を出産すると、美織は母と翔太の関係が良くなるかもと思うが、結局何も変わらなくて…。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】これ以上、夫にひどい態度をとる母を見るのが嫌で、私はもう縁を切った方がいいとまで思ったのですが…そんな私に夫は、「諦めないで話し合いが必要」と言ってくれました。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年03月01日■前回のあらすじ幼い頃から母と絆が強かった美織。しかし母が美織の恋愛に対し否定的なのが悩みの種だった。社会人になり、美織は翔太と結婚することに。母に紹介すると難色を示されたので、美織は「口出さないで!」と言ってしまう。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】そして二人目を妊娠しても、母の態度は変わらないまま。翔太のことは名前で呼ばず「あの人」と呼び、私が翔太のことを褒めても何かしら文句をつけてくるのです…。一方の翔太は、母から冷たい態度を取られ続けているのに、「僕の大事な妻のお母さんだから」と辛抱強く接してくれています。そんなやさしい翔太に私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり…。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年02月28日■前回のあらすじ義父の法事にて、美織の従姉妹で専業主婦の舞から子育ての話を聞き、褒めちぎる義母。美織は「保育園に預けるなんてかわいそう」「夫の稼ぎだけで生活できないなんて…」と言われ、ついに堪忍袋の緒が切れてしまう。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】私と母は本当に仲が良くて、とくに父が他界してからはとても強い絆で結ばれていました。だからこそ、私が選んだ人との結婚は心から祝福してほしかったのに…。母が私の結婚を喜んでくれなかったこと、翔太を良く思っていないことが、私にはとてもショックでした。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年02月27日■前回のあらすじ翔太は義母の忘れたお財布を家まで届けるが、義母から無視されてしまう。それを知った美織は激怒し義母に電話するが、義母は「私は頼んでない」と言う始末。翔太は何か歩み寄れる方法はないかと考えるが…。 >>1話目を見る 【翔太sideSTORY】これまで、なぜお義母さんに嫌われているのか分からなかったけれど、やっとはっきりとした理由を知りました。ついにこれまで穏やかだった美織が、お義母さんに言い返してしまい…。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年02月26日