「うっわ……俺のもんにしてぇ」彼に“告白”させる3つの上級テクニック恋する皆さんは、気になる彼から告白されたいと思うことでしょう。ですがいつまで待てばいいのか難しいもの……。今回は、あなたが気になる彼を「告白」へと導く3つのステップを紹介したいと思います。[nextpage title="TJv}0U0[00_00k0o…"]一秒でも早く返信する彼からのLINEメッセージには、なるべくすぐに返信しましょう。「返信に手間をかける」という方法もありますが、それは「あなたが彼と同じ立場」という状況の下でのみ有効な戦略です。彼に好きだという思いを示す重要なポイントは、LINEの返信を早くすること。「この人、俺のことを気に掛けてくれているのかも?」という期待感が彼の告白を誘発する確率を高めることでしょう。彼に対する気持ちは「少しだけ」示す自分の「好き」という感情を直接伝えることに、抵抗を感じるなら「◯◯くんの優しいところがすごく好き」や「◯◯くんの気が利くところが魅力的」といった、彼の内側の一部を強調して、好意を表現してみてください。「◯◯くん、一見外見だけ見るとチャラいけど、本当は真面目で優しいよね」と言いながら、彼のプラス面を見つけ出しましょう。これは、あえて「ネガティブな部分をあげたあとで褒める」というテクニック。このテクニックは驚くほど効果的であり、女性から見ても、ハードルが下がることでしょう。[nextpage title="0S0nel0f0W0f00f0o0i0F0g0W00F0K"]お別れの言葉に「理由」を添えるデートの予定が決まったときや、デートが終わった後には、LINEをすることもあるでしょう。「楽しい時間をありがとう」「また会うのを楽しみにしています」といったフレーズだけでは、意図したメッセージがうまく伝わらないこともあります。さらにここに「理由」を追加すると、これまでの礼儀的な感じが無くなり、さりげなく好意を表現することが可能になります。たとえば「今日はとても楽しかったよ。◯◯くんと一緒にいると元気になれるから、また会うのを楽しみにしているね」と言うと、何となくではありますが、好意が伝わるでしょう。「元気が出るから」という具体的な理由があることで、男性から非常に喜ばれるメッセージになるでしょう。自分の気持ちを少し分かち合って彼に「好きだと言ってもらえる」ためには、自分自身の気持ちを伝え続けることが不可欠です。言葉のやり取りにおける技術を活用することで、恋愛もきっと順調に進むでしょう。今回、紹介したテクニックを活用して、彼自身が告白をするように導いてみてくださいね。(愛カツ編集部)
2024年01月12日皆さんは、家族関係で悩んだ経験はありますか? 今回は「姉ばかり可愛がる母」にまつわる物語とその感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!姉ばかり可愛がる母両親と姉と暮らす主人公。母は優秀な姉ばかりをかわいがり、主人公には無関心でした。姉を疎ましく感じ…出典:エトラちゃんは見た!そのため主人公は「どうしてお姉ちゃんばっかり…」と姉を疎ましく思うようになり…。姉の優しさを素直に受け取れなくなってしまいました。主人公が中学生になると、姉との間にも深い溝ができてしまい、家族の中で孤立してしまいます。しかし姉は主人公を見捨てず、いつも見守ってくれていたのです。姉は、家に帰るのが嫌で夜遅く外を徘徊する主人公を迎えに来てくれたり、主人公を罵倒する母から救ってくれたりしました。そんな姉に再び心を開くことができた主人公。ある日、母がいつものように主人公を罵倒しているところへ姉がやってきて…。姉は母に激怒し「お母さんとはもう一緒にいられない」と言い、主人公と家を出ていくと宣言しました。溺愛していた姉の突然の発言に、母は「うそでしょ」と慌てふためくのでした。読者の感想なぜ母は、姉も主人公も同じように愛情を注がないのでしょうか。姉が主人公のことを大切に思っていることに、温かい気持ちになりました。(30代/女性)姉ばかりかわいがり主人公には無関心だなんて、母の気が知れません。主人公を思い、母から救った姉はかっこいいと思いました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年01月09日私が小学5年生の時のこと。学校生活は充実しているけれど、同じクラスのとある男の子が授業中に騒いだり、嫌がらせをしたりするのです。この男の子は私だけでなく、私の母のこともからかってきました。授業参観のときの母の服装を見て「だっせぇ~」と笑い出したことも。私はその都度「そういうこと言うの、やめて」と注意をしましたが、聞く耳を持ってくれません。 運動会当日、ド派手な保護者が現れて運動会当日、運動場には保護者が集まって、大にぎわいです。そんな中、誰よりも目立つ服装と香水の香りをばらまいて、運動場に高いヒールを履いた母親が現れました。その隣には筋骨隆々の男性が笑顔で立っています。 そう、この2人こそが、私を困らせてくる男の子の両親なのです。運動場でみんなが譲り合ってレジャーシートを敷いている中、この両親は数家族分ほどもあるシートを広げ、うしろの人が見えなくなるなんてお構いなく大きな日傘をさしており、周りも怪訝な顔をしていました。 母親の服装に悪口を「俺のママとパパ、カッコイイだろう♪ 俺のパパは元陸上選手だから、最後の保護者リレーはアンカーなんだぜ!」「お前の母ちゃん、また同じ服? だっせぇ~俺のママを見習えよ!」と大勢の人の前で、自分の両親の自慢や、母の悪口ばかり言ってきます。 そして待ちに待ったお弁当タイム。男の子は母のお弁当を見て、「お前の家の弁当、昭和かよ~」「俺の弁当は料亭に作らせたんだぜ」とお弁当にも嫌味を言ってきます。私は母の愛情がたっぷり詰まったお弁当を食べて元気いっぱい! でも嫌味ばかりの男の子にイライラしていました。 保護者対抗リレーのアンカーに!?何を言われても笑顔で対応している母を見て「どうして怒らないんだろう」と思っていました。母は私に小声で「まぁ、見てなさい」と笑顔でつぶやきました。 運動会も終盤に差し掛かり、保護者対抗リレーの番。あの男の子の父親が陸上選手だったということで、会場は大盛り上がり。しかも、うちの母もアンカーということが判明。さすがに元陸上選手に勝つのは難しいと思っていたのですが…… 母のチームはビリだと思いきやこの父親は「俺もアンカーだから、こりゃ早歩きしてあげないと可哀想かな」と挑発してきました。親子揃って嫌味な似た者同士。そして母は「そんだけ自信満々なら、ちょっと勝負しませんか? 勝った方が負けた方の言うことを一つ聞くということで」と勝負を挑みました。 そしていざリレーが始まると、母のチームは一番ビリ……。勝ち目はないなと私はがっかりしていましたが、アンカーの母にバトンが渡ったとたん、砂埃をまき散らしながら猛スピードで駆けだしました。 みんながあっけにとられている間に、母があれよあれよと前にいた人を追い抜かし、トップでゴール!一躍有名人になりました! 私の母も元陸上選手だったのです。 守らせた約束母は男の子の両親に「約束は守ってもらいますね」と言い、これまでの男の子の失礼な言動をすべて親に伝えました。「自分の子を、人を傷つけない思いやりのある子に育ててください。これが私の要望です」と両親に言ったのです。 「人が嫌がることをして笑うような子に育てたら、恥をかくのはお子さんだけじゃない。あなたたち親もです。そのためには、まず親であるあなたたちが、恥をかかないように態度を改めるのが先だと思います」と。 男の子の両親はハッとしたのか、これまで息子がしてきたことを謝り、気まずそうに帰っていきました。 子どものしつけは親の責任。まずは親自身が子どものお手本になれるような大人でありたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月01日私が中学3年生のときの話です。高校受験を控え、夜遅くまで勉強する毎日。ずっと勉強している私のことが心配なのか、母がずっと「そろそろ寝なさい」「ちゃんと野菜も食べなさい」と小言ばかりで、勉強の邪魔ばかりしてくるので鬱陶しく思っていました。イライラした私は、「何時まで起きてようが私の勝手でしょ? いちいちうるさい!」ときつい言葉で返してしまうこともしばしば。私は、家族の面倒ばかり見ている母のような人生は送りたくないと思っていました。 母に「こんなダサいお弁当箱も恥ずかしい!」私の通う中学校は給食がないので、毎日お弁当を持って行きます。母が毎朝お弁当を作ってくれるのですが、毎日卵焼きとウィンナーやきんぴら、煮物など茶色おかずばかりで、友だちの前で食べるのが恥ずかしく、嫌でした。 ある朝、また茶色いお弁当を手渡してきた母に「お母さんのお弁当、もう飽きちゃった。こんなダサいお弁当箱も恥ずかしい!」と思いをぶつけてしまいました。そして、「今日からコンビニで買うから」と宣言したのです。 コンビニ弁当を食べ続けているうちにしばらくはコンビニのお弁当や菓子パンを選ぶのが楽しかったのですが、少しずつ飽きてきてしまいました。そのうち疲れを感じるようになり、夜もよく眠れません。加えて、ニキビと便秘にも悩まされるようになってきました。 次第に母のお弁当が懐かしく、恋しくなってきたのです。 母が救急搬送!?授業中に母のお弁当のことを考えていると、教頭先生が「お母さんが救急車で病院に運ばれたらしい! すぐに行きなさい!」と教室に駆け込んできました。 母に酷い言葉を言ってしまった後悔で胸が痛む思いをしながら、病院へ向かいました。父の話によれば、駅で足を滑らせて階段から落ちてしまったのだそうです。命に別状はないものの、しばらく入院することになりました。 母が電車で出かけていたのは、私のために新しく、かわいらしいお弁当箱を購入するためだったのです。 ありがたみを知ってその事実を知って、私は「お母さん、もう会えないのかと思っちゃったよ……」と、母の前で大泣き。入院中は家族みんなで家事を協力しながら頑張ると伝えました。 私は料理担当になったのですが、想像以上に大変でした。献立を考えて買い物に行き、料理を作って片づける……さらに母は栄養面も考えてメニューを工夫してくれていたようです。大変さを身をもって思い知り、これを毎日続けてくれていた母へ、感謝と罪悪感の気持ちでいっぱいになりました。 入院中、母がしていたこととはその後、母は無事退院し、ある朝またお弁当を作ってくれました。ピンク色のかわいいお弁当箱。蓋を開けると、まるで雑誌に出てくるようなカラフルでおいしそうなお弁当が!母は入院中、お弁当づくりの本や動画を見ながら勉強をしていたとのこと。 私があんなにひどいことを言ったのに、母は笑って許してくれ、その上私のために努力までしてくれたのです。私は泣きながらようやく謝ることができました。親がいつもそばにいて、お弁当を作ってくれることは当たり前ではありません。日々感謝をして、気持ちを言葉で伝えられるといいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月30日私は16歳、高校1年生です。幼いころに父が病死し、母が女手1人で私を育ててくれました。母はとても大人しい性格なのですが、私を育てるために水商売をしていました。母の売り上げは低かったので貧乏な生活だったのですが、私は母と一緒に暮らせるだけで幸せでした。実は、私の両親は駆け落ち同然で結婚したそうで、長い間親戚付き合いはありませんでした。しかし去年、「母方の祖母が亡くなった」と母の兄から連絡があったのです。 遺産目当てと勘違いされ私は母と一緒に、初めて母の実家へと向かいました。そして葬儀場に着いたとき、母の兄嫁が「一体どういうつもり? どうせ遺産目当てでしょ!」と、葬儀場に入れてくれませんでした。母は慌てて「誤解です! 遺産目当てなんかじゃありません! ずっと顔を見せなかったお詫びと、最後の別れがしたくて」と説明しても聞き入れてくれず、私たちは帰るしかありませんでした。そんなこともあり、私と母は親戚と全く付き合いがないまま過ごしていました。 つかの間の幸せな日々2人でひっそりと暮らしていたのですが、最近母が働くお店に入ってきたアオイさんという人がよく家に遊びに来てくれます。母とアオイさんは仲の良い友だちで、私の相談に乗ってくれたり、お古の参考書を譲ってくれたり、私のことを気にかけてくれています。 幸せな日々がずっと続くと思っていたのですが、その幸せはあっけなく終わりを告げました。 私を救ってくれたのはなんと、私が学校に行っている間に母が突然家で亡くなっていたのです。帰宅して母が倒れているのを見つけ、慌てて救急車を呼びましたがすでに手遅れでした。中学生の私は葬儀の手配などわからず、手配を整えてくれたのはアオイさんでした。 葬儀の間、近所の人は母に関する噂話ばかりしていて、私のことを「あの子は施設行きね」と話している声が聞こえてきました。 すると、アオイさんが「ウチに来ればいいじゃん!」と引き取ってくれることになったのです。私自身も施設へ行く覚悟をしていたので、居場所を作ってくれたことが嬉しくて、涙がこぼれました。 私の居場所その後、アオイさんの家へ引っ越した私。自分の部屋に両親の写真を置くと、父の写真を見たアオイさんはとても驚いています。なんと、私の父は近所で少しばかり有名な資産家の息子だったらしく、アオイさんの知人だったのです。 父方の祖父が私のことを必死で探しているのを耳にしたことがあるとのこと。どうやら結婚を認めてあげればよかったと、ずっと後悔していたそう。それからアオイさんは父方の祖父に連絡をしてくれて、私は祖父母と一緒に暮らすこととなりました。 あのときアオイさんが私を引き取ってくれなかったら、こうはなっていないと思います。孤独な私を引き取り、祖父母と繋いでくれたアオイさんには感謝しきれません。 初めて会った祖父母は、私をものすごく可愛がってくれていて、そのやさしさを噛みしめる日々を過ごしています。若くして両親は亡くなってしまいましたが、私が幸せに暮らすことで、天国の両親もきっと喜んでくれると思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月25日前職のブラック企業を退職して無職だった夫が、ようやく次の仕事を見つけました。私も私の母も大喜び。研修に快く送り出すはずだったのですが……。夫のもと職場はいわゆるブラック企業で、そのため体調を崩して退職しました。しばらく休養することを勧めましたが、夫は再就職先を探そうと一生懸命なので応援することにしました。 現在大黒柱として奮闘する私を見て、母はとても心配しています。金銭的な援助は受けていませんが、相談に乗ってもらうなど心の支えとして助けてもらっており……。 日に日に違和感が募っていく夫の言動にはたびたび引っかかることがあり……。ですが考えすぎだと思って気にしないようにしてきました。 最近は、夫が私の帰宅時間を毎日確認してくることが気になっていて……。帰宅時間は毎日ほぼ決まっているのに、無駄なく行動したいからと聞いてくるのです。 先日、夫の再就職先が決まったのですが、その件にも気がかりが……。うれしそうに報告する夫でしたが、なんと社名を忘れて答えられないと言うのです。そんなことあるのでしょうか……。就職前研修が泊まり込みだということも、なんだか引っかかります。 不自然な夫の行動。疑惑から確信へ研修中、私は母にお願いをして夫に連絡してもらいました。母と夫がやりとりするメッセージを見ていると、研修がうまくいっているように思えます。 ですが、社員の雰囲気は前の企業に似ているようで、働くのはちょっと厳しいかも……と言葉を濁すところから消極的な様子が伺えました。 そのうち会話が弾まないと感じた夫は、母のご機嫌取りを始めました。「お義母さんお土産買って帰りますね!」あっ、夫が地雷を踏みました。「私のカードで何買うの?」「え……?」 夫は会社の研修へ行くというのに、こっそり私のクレジットカードを抜いていったのです。いえ、実はそのカード、見た目は似ていますが私のカードではありません。なんだか嫌な予感がして、母のカードを貸してもらい、財布に忍ばせておいたのでした。 夫が無職になってから、私が夫のカードを管理していました。カードを使いすぎることはありませんでしたが、就職先を言えないなど何かおかしいと思っていた私。夫の前の同僚に会って話を聞くことにしたのです。 すると、思いもよらなかった事実がたくさん出てきて絶句するしかありませんでした。そこで夫に一泡吹かせようと、今回母に協力してもらったというわけです。 ウソで固められた夫の生活夫の元同僚いわく、夫が前の会社を退職した理由は社内不倫が原因だったというのです。不倫相手のSNSも教えてもらいましたが、それを見てびっくり!就職前研修の日、夫とその彼女が旅館の前で撮ったと思われる写真が投稿されていたのです。「旅行に来ています♪」という文言が添えられて。 クレジットカードは、旅館の支払いに使いたかったようです。現金なんて、夫はそんなに持っていませんから。結局、夫は実家の両親に連絡して代わりに支払ってもらったそうです。 不倫相手とはもう何年も付き合っているようですが、夫はあくまで浮気だと主張。全部正直に話しているのだから信用してほしいと言ってきました。今回の研修だってウソでしたし、それ以前に再就職が決まったというのもウソでした。 今回バレなかったら、そのままウソをつき続けていたはずですし、これから改心すると言う夫の行動に期待する気持ちもなく……。メンタルが弱いと見せかけて、本当は最強に強かったんだとわかりました。 この後、私は夫と離婚。慰謝料も夫と不倫相手の双方に請求しました。この結婚は忘れて、今度こそ幸せをつかみたいと思います! ◇ ◇ ◇ すべてがウソだと分かったとき、もう相手のことを信じられませんよね。その後、やり直す決断をしたとしても信頼を回復するのは大変なことだと思います。家族に悲しい思いをさせないためにも、誠実に生きたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月22日皆さんは、パートナーの言動にうんざりした経験はありますか? 今回は「身勝手な夫」にまつわる物語とその感想を紹介します。母の葬式への出席をお願いするも…別居中の夫と、離婚手続きを進めていた主人公。そんなある日、母が亡くなります。主人公は夫に「母の葬式に出席して」とお願いをするのですが、夫は…。恩がないと言い出して…出典:Youtube「Lineドラマ」夫は「恩がないから行かない」と言います。主人公は驚き「500万円も借りておいて?」と言うのですが、夫は「金は返さないよ?」とひどい対応をするのでした。夫の浮気で離婚した主人公たちでしたが、もとは社長をしている主人公の秘書をしていた夫。離婚を機に退職して、退職金をあてにしていたようですが…。主人公が退職金として振り込んだのは、たった30円でした。実は夫は経費で遊んでばかりいたため、主人公は退職金からその額を引いたのです。主人公に慌てて連絡してきた夫は退職金の説明を受け「へ?」と絶句したのでした。読者の感想お金を借りていたにもかかわらず葬式にも来ないなんて、非常識な夫ですね。そんな夫が自業自得の結果になり、スカッとしました。(30代/女性)お金を借りていた夫には呆れてしまいます。夫はせめて、もっと感謝の気持ちを持った方がいいと思いました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2023年12月17日普段、倹約家な私ですが母の還暦をお祝いするために、奮発して高級レストランへ行きました。料理がくるまで母と楽しく談笑していると、近くにいたカップルが私たちの会話を耳にしてクスクス笑いはじめ……。 私たち母娘が倹約家になった理由私は在宅で働くイラストレーターで、両親と一緒に暮らしています。つい最近、父が海外出張に行くことになり母とのふたり暮らしがはじまりました。母も私もそれぞれ収入があり、生活に困ってはいませんがお互い倹約思考のためいつも質素な生活を送っていました。 私たちが倹約家になったのは、私が10代のころからです。今は元気に働く父が、当時病を患い入院。多額の入院費や手術費が必要になり、金銭的に困る生活が続いていました。古着をうまく活用したり、安いもやしにお世話になったり……そのころの生活スタイルが今も抜けきれず、つい節約することを第一に考えてしまいます。 信じられない!非常識な女性に…とある夏の終わりころ。台風が接近しているなか、私はクライアントとの打ち合わせへ、母は知り合いの結婚式へ行くために駅まで歩いていました。ところが駅に着くと電車がまさかの運休に! ちょうど母が行く予定の式場が、私がクライアントとの待ち合わせ場所への途中にあったため、私たちは普段めったに利用しないタクシーに乗ることにしました。 タクシー乗り場には長蛇の列ができており、20分後にようやく私たちが乗車する番がやってきたのですが、派手な装いの若い女性が突然横入りしてきました。そして私たちが乗ろうとしたタクシーに乗り込んでしまったのです。 私が「列に並んでください!」と注意しても女性はまったく聞く耳を持ちません。しまいには私と母を上から下まで舐め回すように見た後、「安っぽい服。貧乏人がタクシーなんて使うんじゃねぇよ」と言いきました。 一部始終を見ていた運転手さんも注意してくれましたが、女性は完全に無視して降りようとしません。このままではらちが明かないので、私たちは渋々引き下がり、次のタクシーに乗車しました。 望んでいない再会それから数カ月後。この日母の還暦祝いをするため、私は母を高級レストランへ連れて行きました。母は「いつもはもったいなくてこういうところには来ないけど、たまにはいいもんだね! 今日はありがとう」とうれしそうです。 すると、どこからともなくクスクスと笑い声が……。それは隣に座っていたカップルからでした。「ねぇ、あの親子の会話聞いた!?」「貧乏人が無理してると笑っちゃうな~」とニヤニヤこちらを見ています。 ちらっと見ると、女性の顔に見覚えがありました。記憶をさかのぼり、ハッとした私。そう、彼女は以前タクシーを横取りした女性でした。 二度も嫌な思いをさせられ、我慢できなかった私は思わず「聞こえてますよ! 失礼じゃないですか?」と注意しました。けれどカップルは「貧乏人が吠えてるぞ(笑)」と言ってまったく悪びれません。 それどころか聞いてもいないのに、男性が自分はもうすぐ大企業のA社に就職すると自慢してきて、「悔しかったら、俺たちのように社会的レベルを上げてみろよ」とののしります。 母が突然立ち上がり…私は言い返そうとしますが、母に止められ口をつぐみました。すると彼らはますますヒートアップし、店員に「ねぇ、気分悪いからあの親子をツマミ出してよ」と言い出します。 店員が拒否すると、男性は「A社の社員になる俺とあんな貧乏人が同じ店にいるなんておかしいだろ! さっさと追い出せ!」と暴走が止まりません。女性も一緒になっています。 すると、母が「そろそろ時間だから先に着替えてくるよ」と言い、その場を後にします。実は母は食事会のあとに急きょ仕事に行くことになってしまったのです。 母は穏やかな口調でしたが、鬼のような形相をしていて……この後、彼らは大変なことになるのだろうなと確信しました。 母の正体を知った彼は?10分後、スーツに着替えた母が戻ってきました。その姿を見て男性が「あれ? あいつどこかで見たことがあるような……」とつぶやきます。そこで母がすかさず「そういえば、面接で会ったねえ」と答えました。 そう母、彼が入社する予定のA社の社長なのです。母の正体を知った男性は大慌て! 手のひらを返して必死に謝りますが、時すでに遅し……。しかも、彼は「A社の社員になる」と言っていましたが、まだ正式な内定は出ていなかったのです。彼がその後どうなったかは想像がつくでしょう。当然、A社の社員になることはできませんでした。 はじめはA社のパートとして働いていた母。誠実な人柄とコツコツ努力するところが認められ、社員登用されたのち、これまで数々の結果を残して今は社長として多くの社員を守るまでになりました。それでも母の謙虚な性格は変わらず、私たちは日々に感謝しながら生活しています。そんな尊敬できる母と共に、私も仕事を頑張りながらこれからも楽しく暮らしたいです! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月09日シングルマザーで育ててくれた母が還暦を迎え、母娘水入らずでお祝いをすることにした私。寿司好きの母のため、奮発して高級有名店を予約したところ、それを知った義母が「自分も付いて行く」と言いだしました。うまく断ったと思っていたのですが……。現地集合で良いわよね?母の還暦祝いの朝。夫すら遠慮して「2人で行ってこい」と言ってくれたのに、何と義母から「夜は現地集合で良い?」とメッセージが……。丁重にお断りしたはずが、「私も行くって言った」の一点張りで、なんと服まで新調したと言うのです。おまけに、「義母の私にはごちそうしたくないって言うわけ?」と怒り出し、「仲良くやっていると思っていたのに、ひどい嫁だ」とまで……。そもそもは母の特別なお祝いのため2名で予約していたし、義母の分まで私が支払うことが前提なのも腑に落ちません。もともと、「たかり癖」のきらいがある義母。用心していたのですが、恐れていた通りです。今度また別の日に、夫や義父と一緒に手ごろな寿司屋に行こうと提案しても、「義母には格差を付けるのね」と理不尽なことばかり。「それなら考えがある」と不穏なひと言を最後に、義母はトークを終了したのでした。寿司屋に行くと…その夜、お店に到着した私たち。すると、手違いで予約がキャンセルになっており、私と母とは店内に入れないと言われたのです。しばらくして、「あなたたち、お店に入れなかったでしょ?」と義母から連絡がありました。「なぜそれを?」と問い詰めると、「差別するあなたが悪いのよ」と義母。「お寿司食べれなくて残念でした~」「お寿司おいしいです」「え…?」そう、義母が勝手に私たちの予約をキャンセルしていたのです。しかしまさにそのとき、握りたてのお寿司を前にしていた私は冷静に返信しました。その後のてんまつは実は私たちもその日に知ったのですが、偶然にも寿司屋の店長が母の旧友だったのです。義母のしでかした偽のキャンセルであることを説明して謝ると、還暦祝いのため、急いでスペースを作ってくれたのでした。「私をのけ者にして!」と激怒する義母に、「今回の行動は目に余ったので夫とお義父さんに相談しました。2人とも、お義母さんとよく話すって言っていましたよ」と伝えると、「言いつけたの!?」とさらに逆ギレ。しかし私は、これ以上母のお祝いに水を差したくなかったので、スマホをバッグにしまいました。その後、義母は夫と義父にこってり絞られることに。自分のわがままで母の還暦祝いを台なしにしようとしたこと、いつもあわよくば嫁(私)にたかろうとしていたことが露呈したのです。最初は開き直っていたそうですが、今回はお店の営業妨害にも当たることから、義父が離婚までチラつかせ、ついに号泣して反省したとか。私と母にも謝ってくれました。数週間が過ぎ、義父と夫から改めてお詫びということで、皆でまたこの寿司屋へ。今回は義父がごちそうしてくれました。義母は、きまりが悪いのか欠席。しかし、私におごらせようとする行為もなくなったので、許してあげようと思っています。--------------どこまでも付いてこようとする義母の執念が感じられる出来事でしたね。紆余曲折あったものの、義母が少し改心してくれたようでひと安心。何より、還暦を迎えたお母さんとすてきな時間を過ごせたようでよかったですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2023年11月29日今回は「LINEエピソード」をクイズ形式で紹介します! このやりとりがどんな結末になるか考えてみてくださいね。母の葬式を知らずに私の旦那と旅行中の姉主人公のもとに姉から10年ぶりに連絡がありました。これまで家族がどれだけ連絡をしても姉が連絡を返すことはなく…。そんな姉に「病気の母親に会ってほしい」と伝えた主人公。姉は旅行中出典:Youtube「Lineドラマ」姉は「ダーリンと旅行中だから母親には会えない」と一言。さらには「旅行の相手は誰でしょう!」とクイズを出してきたのです。問題さあ、ここで問題です。急に連絡をしてきた姉は『まさかの人物』と一緒にいます。それは誰でしょうか?ヒント主人公のよく知る人物です。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「Lineドラマ」正解は「主人公の夫」でした。姉は「冷静でいられるのは今だけ」と意味深な発言をし…。主人公の夫と浮気していることを楽しそうに報告してきたのです。急な報告に事態が飲み込めず、驚愕してしまう主人公なのでした。姉の驚愕の行動10年ぶりに連絡がきたかと思えば、浮気の報告をしてきた姉。あまりの出来事に呆然としてしまうのも無理ありませんね…。姉と夫の浮気に理解が追いつかない主人公のエピソードでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2023年11月21日実家に帰省すると、だいたい母の隣に布団を敷く私。そこで気になったのは、母の布団や枕のにおい。後にあることに気付いた私のお話です。気になった母の布団のにおい私は体温が高いほうなので、冬の寒い時期になると母は私に「先にお母さんの布団に入って布団を温めておいて」とお願いされることがあります。母とは仲が良く、母娘で旅行に行くこともあります。特に抵抗もないので、母の寝床を温めるために母の布団に入ったある日、布団や枕のにおいが気になりました。こまめに布団も干しているので、「あれ?」と少し気になる程度でしたが、数日後に洗濯物を取り込んで畳んでいると、今度は母の肌着のにおいが気になったのです。女性にも加齢臭はある私の父や兄は男性特有の加齢臭という認識があったのですが、母も70代となり、やはり女性にも加齢臭があるんだと初めて気付きました。そのあとから、私も自分の体臭が気になり始めました。まとめ男性だけでなく、女性にも加齢臭があるということを知りました。私は汗をかきやすいので、毎日の洗濯でも柔軟剤は香り付きのものを選んでいましたが、加齢臭が気になり始めてからは香りで誤魔化さず、消臭がしっかりできるものを選ぶようになりました。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/まげよ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月21日皆さんは、母の行動にショックを受けた経験はありますか?今回は、勝手すぎる母の行動にショックで落ち込んだエピソードを紹介します。イラスト:夏凪ちょろ小学生の頃から貯金!ある日金庫を見ると…慌てて母に報告すると…母の行動にショック…いくら急にお金が必要だからとはいえ、勝手に娘のお金を取るのはよくないですよね…。ブランド服を買うための小学生の頃からの貯金は、母の元へと消えていくのでした。お互いが嫌な気持ちにならないよう、母にはもう少し娘の意見を尊重してほしかったですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年11月16日私は23歳のOLです。私の母はシングルマザーでありながら、事故で亡くなった叔父夫婦の娘・マイも私と一緒に育ててくれた素晴らしい母です。母は、まだ10歳にも満たないマイを引き取り、実の子のように育て始めたものの、マイは本当にわがままで常識のない子でした。私のことをバカにしたり、母のことを罵ったり、物を勝手に取る盗み癖がありました。 マイの非常識な結婚相手マイが20歳になったころ、急に「SNSで知り合った、大企業に勤める男の人と結婚することにしたの!」と報告してきました。その男は高学歴で、とてもお金持ちな家柄とのこと。 数日後、母と私に挨拶にきたその男は、「ふぅん…まるで犬小屋みたいな家だね」と私たちを見下してきました。そしてマイは、これから彼とタワマンで新婚生活をスタートさせるとのことで、家から出ていきました。 結婚するから縁を切れ…!?それから数カ月後、マイから「彼の実家で親戚を集めた結婚祝いの食事会があるの」と連絡がありました。「あんたらも来るならちゃんとした格好してきてよ? 親戚みんな美形で全員お金持ちなんだから!」と相変わらず失礼な子です。 その後、彼に電話を代わり「マイと結婚したら、あなたたちが義理の家族になるんですよね。でも、生理的に無理なんで、食事会が済んだらマイと縁を切っていただきたいんですけど」と言ってきました。母も私も、呆れて物も言えませんでした。 お金持ちの親族に無視されて食事会当日、母と私は本当は行きたくなかったのですが、マイに盗まれていたものを返してもらわなければいけなかったので、しぶしぶ行くことに。 いざ彼の実家に行ってみると、親戚たちは母と私をじろっと見ただけで、ろくに挨拶もせず談笑しています。そして食事をしようとすると、彼はリビングの隅っこに置かれた段ボール箱を指差し、「お2人は床でいいですよね?」と言ってきたのです! 「ごめぇ~ん! これしかテーブル代わりに使えるものがなくてぇ」とマイもクスクス笑ってきました。あまりにもひどい対応に頭にきた母と私は、すぐに帰りました。 助けを求めてきても、時すでに遅し数日後、私が母と家で食事をしていると、怒り狂ったマイの夫が家にやってきました。どうやら、マイが男のお金をじゃぶじゃぶ使い、家中の高価なものを盗み始めたというのです。家から物がなくなるので親戚からも責められ、離婚したいと思っているものの、マイは離婚に応じないとのこと。 「お前たち、あいつの家族だろ!? 離婚に応じるように説得してくれよ!」と言ってきました。さんざん私たちを見下してきた人に、今さら助けを求められても、対応しようとも思えません。諦めた夫は、しぶしぶ帰って行きました。 マイがいなくなり、母と私は2人で穏やかな日々を楽しんでいます。これまで母に迷惑をかけてきた分、母には恩返しをしていくつもりです。これまで母に育ててきてもらったのに、恩をあだで返すとは。自分がしてきたことを反省し、人生をやり直してほしいものです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年11月13日空気が読めず話が飛んでしまう、マシンガントークなのにガールズトークは苦手わが家は母である私・ワッシーナを筆頭に、家族全員が個性いろいろな発達凸凹タイプです。それぞれの特性をキャラクター化しており、動物の顔をしています。私はワシのキャラクターで、よく話が飛んでしまう特性を表現しています。私は14年前、子どもたちが専門家から発達凸凹ではと告知されたことがきっかけで、自身の特性に気づき、工夫をしてきました。Upload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ天真爛漫な父親との想像遊びの日々。海外でのびのびと育った幼児期Upload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ私が3歳の時に父親のハワイ大学院への留学が決まり、両親と妹と私の家族4人で現地に移住しました。ハワイでは学生の父が主に子守を担ってくれました。母は外で働いていたのでかかわりが薄かったようです。私の父は子どもをそのまま大人にしたようなタイプで、多動・多弁・多飲・多食でした。父は私たちとよく遊んでくれましたが、遊ぶことにも没頭するタイプだったので、父親というより遊び仲間のような感覚で一緒に過ごしていました。ある日のことです。私は、家や公園でばかり遊ぶ父に「映画を観に行きたい」とおねだりをしました。すると父は「OK!映画館をつくってあげよう」と言いました。私とまだ幼い妹が見ていると、父はおもむろにゴザを取り出しテレビの周りを囲みました。「さぁ、ワッシーナ、来てごらん、映画館だよ」とうれしそうに言います。3歳の私は、これは何だろうと不思議に思いつつ、ゴザの囲みの中に入りました。ゴザの中は暗くて、少しだけ映画館みたいな気分になりました。父はテレビの見慣れた天気予報やニュースに、いちいち感激して喜び、その内容をおもしろおかしくオーバーに説明してくれるので、私と妹はすっかり夢中になってしまいました。オーバーに褒めてチャレンジすることを励ますクラスの雰囲気に個性が輝き出すUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイしばらくしてハワイの生活に慣れると、私は現地の幼稚園に通いました。ある日、幼稚園で先生が子どもたちに「片手で上着のボタンを締められる人はいるかな?」と呼びかけました。すると子どもたちは、ものすごい勢いで「ハイ!ハイ!ハイ!」と手をあげて前に出ていきます。どの子どももみんな堂々としていて、自信満々です。ところが、いざボタン締めをやろうとすると、ほとんどの子どもはボタン締めができません。でも先生は「よくチャレンジしたね!」と、子どもたちの行動をオーバーに褒めました。私はその頃、片手でボタン締めができるかどうか分かりませんでしたが、先生からの2回目の呼びかけの時はすぐさま手をあげてチャレンジし、成功することができました。ハワイの幼稚園では、先生たちが元気にオーバーに励ましてくれるので毎日が楽しくてたまらず、私は自分らしさを全開にして楽しんでいました。私のようなタイプには、オーバーすぎるほどの表現がちょうどいい感じだったのです。私のこの時の充実した幼児体験は、4人の子どもたち全員をインターナショナルスクールに通わせる原動力となりました。帰国後、父親を失い、環境の激変に口が利けなくなり周囲から心配されるUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイハワイでのびのびと過ごしていた私ですが、そんな状況が一変する出来事がありました。父が急に体調を崩し、家族みんなで帰国することになったのです。しかし、帰国しても父の病状は回復せず、しばらくして亡くなりました。父が亡くなったあと、私は地元の小学校に通い始めましたが、あまりに急激な環境の変化に、どうしても馴染めませんでした。授業では元気よく質問する子どもや失敗する子どもなどおらず、みんな同じように行動するように指導され、とても戸惑いました。私は入学してからひと言も口を利くことができず、先生やクラスメイトたちから話しかけられても言葉を発することができませんでした。その頃は、休み時間になると誰もいない静かな校舎の裏で、一人でじっと座って過ごすことで、すり減った心を充電していました。自宅に帰ると会話をすることができるのですが、どうしても学校で口を利くことができませんでした。母や周りの大人は、そんな私を見て、とても心配していたようです。ある学年末の最終日のことです。ホームルームの時間に担任の先生が、結婚のため学校を辞めてハワイに移住することになったということで、クラスのみんなに別れの挨拶をしました。ホームルームが終わると、私は先生のところに走っていって、話しかけました。家族で買い物をしたハワイのカラカウア通り、父と遊んだ太陽がいっぱいのワイキキビーチなどを夢中で話しました。私は、ハワイに移住する先生に対して、まるで仲間を見つけたような親近感を覚えたのです。これまでひと言も口を利かず、障害があるのではないかと私のことを案じていた先生は、いきなり雄弁になった私を見て、ものすごく驚いたようです。後日、先生は「初めてワッシーナさんの声を聞きました」と、私の母にその時の様子を語ってくれたそうです。私はこのことをきっかけに、少しずつ学校でも口が利けるようになりましたが、あまり会話ができない傾向は小学校の高学年まで続きました。感覚の過敏や独特の表現が誤解され、厳しくしつけられるUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ帰国して再び沖縄で暮らすようになって、私の目の前にいきなり母が登場しました。私を産んだ実の母ですから、ずっと一緒だったはずですが、私の視界には父しかおらず、母は存在していませんでした。母は父とまるっきり異なるタイプでした。一緒に公園へ遊びに行っても、すべり台やブランコで遊ぶのは私一人で、母は離れたところでじっと見ているだけでした。父と一緒に想像遊びをすることに慣れていた私は、母の味気ない対応にものすごく失望しました。母はしつけが厳しく教育熱心で、私の感覚過敏などの特性を受け入れてくれなかったので、ことあるごとに母と衝突を繰り返していました。ある日、母がおろしたての化繊の肌着を着せてくれました。ところが私は化繊独特の匂いと肌触りに悪寒が走りました。すぐさま肌着を脱ぐと床に叩きつけました。「宇宙人に侵略される匂いだ!」と、私は叫んだのです。母は私の言うことが理解できず、わがままだと誤解して、厳しく叱りました。その後、私は思春期を迎えましたが、クラスメイトとガールズトークができなくて、よくトイレに逃げこんでいました。高校では担任教師の無理解からいじめを受け、一年間、不登校になりました。ほかの先生方の好意でレポート課題の提出で成績評価してもらい、なんとか卒業することができました。結婚後は、子どもたちの学校でのトラブルをきっかけに、子どもたちが専門家から発達の偏りを指摘されました。その後、発達凸凹当事者の家族として、療育施設でさまざまなトレーニングを受けました。そのトレーニングを通して、私自身も当事者だと気づき、やっと安心して自分らしく生きられるようになりました。今は、家族で日々楽しみつつ、工夫をしています。工夫は重ねるほど発見が増えて楽しくなるので、家族に喜びがあふれるようになりました。執筆/ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ(監修:室伏先生より)ワッシーナさん、ご自身のご経験をお話しくださり、ありがとうございました。ワッシーナさんは、お父様を亡くされるという大きな苦しみや悲しみに加えて、周囲の理解をなかなか得られずにさまざまなご苦労をされ、それらを乗り越えていらっしゃったのですね。特性による困難さというのは、実際に経験していなければ、想像はできても理解したり共感したりということが難しいこともあります。ワッシーナさんは、ご家族の最大の理解者であり、お子様にとって、そのようなお母様がいらっしゃることは最大の強みの一つだと思います。これからも、困難に負けず、喜びと笑顔のあふれるお時間を過ごしてほしいなと、私も応援しております。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2023年11月01日私と妹は絶縁状態。高校時代、妹に私の彼氏を奪われたことをきっかけに、私は家を出ました。私は父とは良好な関係を築いていたのですが、妹に肩入れする母には不信感を抱いていました。ある日、絶縁状態だった妹から「婚約者もらうね♡」というメッセージが届いて―!?私の婚約者が超一流企業の高給取りであることを知った妹は、「お姉ちゃんは今回もおとなしく私に彼をくれれば良いのよw」などと勝手なことを言い出しました。 懲りない妹妹は高校時代、私の彼氏とこそこそ会っては、「お姉ちゃんが小さいころから陰湿ないじわるをしてくる」と嘘の相談を持ちかけ、私の彼氏を略奪していたのです。そのことに気付いた私は、妹とは高校卒業と同時に縁を切って家を出ました。 また同じことを繰り返すつもりでいる妹に、私はきっぱりと「もう関わらないで」と言いました。 10分後――。 自分の情報を漏らしたと思われる母に連絡をとりました。すると母は……。 「実の姉妹なんだから知る権利がある」「高校時代の彼氏を奪われたことを今でも根に持っているなんて心が狭いわよ」と、妹の肩を持ち続けたのです。 さらに、「あの子の方が妻にふさわしいから、あなたの婚約者をあげるのはどうかしら?」「あなたより先にあの子に結婚してほしいのよ」などと、とんでもないことを言い出します。 あまりの横暴さに、「お母さんが妹のためになんだってするのは勝手にして。ただ私を巻き込まないで!」「彼にも何かしたら、たとえ母親だとしても許さないから!」と叫んでしまいました。 妹の隣にいるのは…?4カ月後――。 妹から海の写真とともに「おめでたい報告があるよ~」「私妊娠してね、子どもが生まれることになったの」と、驚きのメッセージが送られてきました。「ママも可愛い孫を心待ちにしてくれてるし」「ベイビーとお姉ちゃんの婚約者と新婚旅行中♡」「夫なら私の隣にいるけど?」「え?」 私の婚約者とともに、ハワイで旅行を楽しんでいるつもりだった妹。しかし、私はすでに入籍しており、夫は私の隣にいるのです。そして夫は、私の妹には一度も会ったことがないと言っているのでした。 パニックになった妹は、一緒にハワイに来た男性とのツーショット写真を私に送ってきました。そこに写っていた人物を見て私は驚愕しました。 それは、私の夫の兄、つまり義兄だったのです……。 義兄は既婚者妻子持ちで、義兄の妻は現在2人目を妊娠中。私は妹に「一番やっちゃいけないことやってるわよ」と苦言を呈しました。 すると妹は「ママが渡してくれた連絡先に連絡しただけだもん!」と責任転嫁。罪悪感のない様子に呆れ、「義兄が妻と離婚するというのなら、慰謝料をちゃんと払いなさいよ」「もともと私のパートナーを奪うつもり満々だったわけだし、私は助けないからね」と告げました。 共倒れする母と妹1カ月後――。 義兄の妻から慰謝料を請求された妹。「妹を助けてあげてちょうだい!お姉ちゃんでしょう!」と母から虫の良すぎるメッセージが届き、一笑に付しました。 「お母さんが助けてあげれば?」と私が言うと、「もうお父さんに内緒で使えるお金はないのよ!」と切羽詰まった様子。 父は大学を卒業して就職することを条件に、大学入学と一人暮らしを妹に許していたのでした。しかし、実際のところ、妹は大学を中退し、フリーターに。父が学費として渡していたお金は、生活費になっていたのです。 「これ以上わが家からお金は出せない」と嘆く母に、「今、結婚式のスピーチの打ち合わせのために、お父さんと一緒にいるんだよね」と伝えました。「今までのこと言わないわよね?!」と焦り出した母。私は「お母さんはあの子の味方なんでしょ?私はお父さんの味方だから」と返しました。 1週間後――。 パニック状態の妹から、「義兄と連絡が取れない」と助けを求めるメッセージが届きました。浮気がバレた義兄は妻との関係修復のために奔走中だったのです。実は妹のおなかの子どもは義兄の子ではなく、それを知った義兄は妹との連絡を絶つことに決めたのでした。 妹のおなかの子どものことをバラしたのは母でした。妹をあからさまに贔屓したり、妹のために家のお金を勝手に使ったりしていた母は、夫から離婚を突き付けられ、夫からの質問に正直に答えていました。そのなかで、妹のおなかの子の父親が誰だかわからないことも話していたのです。 父親のわからない子どもを妊娠した妹が、1人で子どもを育てるのは無理だからと、母と妹は、私の夫の略奪を計画していたことがわかりました。もはや母を頼れなくなった妹ですが、「お姉ちゃんがちゃんと自分の旦那を紹介しなかったから!」と、一切自分の非は認めませんでした。 私は妹の連絡先をブロックすることを決意しました。そして妹に、「せめておなかの子どもにだけは迷惑をかけないように、自分の行動の責任は自分でとりなさい」「大人として、親として、子どもに恥じないように生きなさい」と諭しました。「ちょっとお姉ちゃん!」と妹は焦っていましたが、最後に「変わるなら今しかないからね」と伝えてブロックしました。 母親があからさまに贔屓した結果、「姉のものは奪っていい」という考えになってしまった妹。産まれてくる子どものためにも、これからは心を入れ替えてほしいですね。 人気のマンガをまとめて読む▶著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年10月28日母子家庭で育った私。お付き合いしていた彼氏と結婚することになりましたが、彼氏の母、つまり義母は私のことが気に入らないようで、何かと私たちの邪魔をしてくるのです……。母子家庭で育った私に当たりの強い義母。どうやら私と彼氏の破局を目論んでいるようで――?結婚を中止させたい義母義母の反対を押し切り、なんとか結婚式の予定を立てるところまでこぎつけた私たち。しかし、義母は私が母子家庭で育ったことを理由に、見下してきます。 結婚式に関しても、招待状や式場の規模など、何から何までダメ出し。いつも最後は「母子家庭の女なんかと結婚するから」「まともな両親のいる娘に今から乗り換えてくれないかしら」と言ってくるのです。 さらには、「貧乏母子家庭の娘はやっぱり教育もしつけもなっていないのね」「家計も子どもへの愛情も中途半端だったのね」と私の母のことまで侮辱する始末。いくら言い返しても、義母は悪びれる様子もありません。 私はただ唇を噛み締めるしかありませんでした。 義母の誤爆10分後――。 私のスマホに、また義母からメッセージが届きました。「今度、ママと外食なんてどうかしら?」と、どうやら息子に送っているつもりらしい義母。 私が戸惑っていると、「お食事は来月初めの日曜日でいいかしら?」「ちょっとあなたに会ってもらいたい女性もいるのよね」と連投が。 来月初めの日曜日は私たちの結婚式。私は彼氏のフリをして「その日は俺たちの結婚式じゃないか」と返しますが、義母は「結婚式なんて当日ドタキャンで大丈夫よ!」などと言い始めました。 「結婚式が1カ月後に迫っているのに、なんてことを言い出すんだよ……」と思ったことをそのまま伝えると、義母は「ご紹介するご令嬢は母子家庭女の数百倍もいい女♡」「そんな子に会っても、母子家庭女が良いって言うなら真実の愛ね。もうママはあなたたちの結婚について何も言わないし、結婚式の延期費用も全部ママが払うわ」と返してきました。 彼氏のフリを続けながら、そのご令嬢とやらと一度会うことを了承した私。うれしそうな義母は「早速先方に連絡を入れておくわ!」とやり取りを切り上げたのでした。 本当に幸せな家族とは結婚式当日――。 結婚式場に来ていない義母から、私宛にメッセージが来ました。 「今日の結婚式になんて絶対行ってあげないんだからw」「主役の息子も行かないわw」「母さんは呼んでないぞ?」「え?」 私に代わって、義母に返したのは新郎となる彼。義母からの誤爆があった直後、私は彼にすべてを話し、協力を仰いだのです。 彼も「母さんがいない方が、俺も安心して結婚式ができるよ」と言ってくれたので、2人で義母を結婚式場から遠ざける計画を立てました。お見合い予定だったご令嬢の方にも、彼から事情を話し、丁重にお断りしたそうです。 「私はあなたの幸せを思って……」と言う義母に、「吐き気しかしない」と言い切った彼。「母子家庭だから両親の愛も知らないし、しつけだってなっていない!」「そんな女との結婚なんて反対するしかないのよ!」と怒る義母。しかし、彼は「母子家庭は関係ないだろ!」「俺の方こそ両親からの愛なんて知らないぞ?」と淡々と返したのでした。 実は、義母は幼い彼をシッターに丸投げし、遊びまわっていたそうです。彼が小学校に入り、手がかからなくなってきたあたりから、急に母親面をし出したそう。彼は、小さい頃に味わった寂しさをずっと抱えて生きてきたのです。 「両親からの愛情を知らない俺と結婚してくれるんだ!口出しするな!」「孫が生まれても、介護が必要になっても、二度と会わないからな!」と、彼は義母に絶縁宣言。そして、義母のいないまま、私たちは結婚式を挙げたのでした。 翌日――。 事前にすべてを話していた義父から、離婚を切り出されたらしい義母。「家に入れてもらえない」と言って、なぜか私に泣きついてきました。 「家族は支え合うべきよね!?」と言う義母に、「そうですね」と返した私。「だからこそ、支えたくないと思われたらもう終わりです」「自分だけ都合よく支えてもらおうなんて……そんな甘ったれた人は家族じゃありません」と続けると、姑は返す言葉を失ったよう。それから、姑から私への連絡が来ることはありませんでした。 私たち夫婦はあらためて、家族として支え合っていこうと誓うのでした。 人気マンガをまとめて読む>>著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年10月22日2人姉妹の母であるヨツバさんは、毒親の実母に長いこと苦しめられてきました。そんなヨツバさんの、結婚から出産までの実体験です。「育児の面で私に頼るな」と言ってきたヨツバさんの母親ですが、毎日ヨツバさんと娘の面会に来ては、嫌味をつらつらと並べ立てます。「母親としての自覚がなくなる」とまで言われたヨツバさんは、さすがに眉をひそめるのでした。退院後、祖父のもとに身を寄せたヨツバさんと娘のところにも、時折顔を出す母親。恩着せがましく、近所の人から貰ったというボロボロの子ども服を差し出してきたのです。 ヨツバさんが着るにはボロボロすぎることを指摘すると、母親は「赤ん坊は着せ替え人形じゃない」「何着ても文句言うわけじゃないんだから」と怒り出すのでした。 そして、ヨツバさんと娘が自宅に帰ってからも、母親からの干渉は続き――? 約束の日に娘が発熱 祖父の家から自宅に戻ったヨツバさんと娘。ヨツバさんの母親はそれなりに孫をかわいく感じていたのか、「1カ月に1回は顔を見せに来なさい」とヨツバさんに言います。 しかし、ヨツバさんが娘を連れて母親に会いに行く予定の日、ヨツバさんの娘は熱を出してしまいました。娘の発熱により行けないことをヨツバさんが伝えると、母親は「どうせ私に孫を見せたくないから嘘ついてるんでしょ!」と被害妄想で怒り出してしまいます。 それから2カ月間、母親からヨツバさんに連絡はありませんでした。そして、ヨツバさんも「無理して会う必要はない」とふっきれ、母親との連絡を絶つことに。 ヨツバさんの父親によると、母親は孫に会いたそうにしているもののの、態度は相変わらずのよう。ようやく母親の呪縛から解き放たれたヨツバさん。今は幸せな毎日を過ごしています。 自分の思い通りにならないとヒステリックに怒り出す、ヨツバさんの母親。いわゆる毒親に育てられた経験がある人のなかには、毒親を異常に怖がって自分の感情や意見を無理に抑え込んだり、「自分の子どもに対して同じように接してしまうのではないか」と不安になったりする人もいるようです。 ヨツバさんも妊娠中は母親に対して萎縮していましたが、娘が産まれたことをきっかけに考え方が大きく変化。自分の気持ちを無視して、嫌味ばかりの母親に会う必要はないと思えるようになったのです。 もしも毒親に苦しめられているのなら、ヨツバさんのように物理的な距離を取れるといいのかもしれませんね。このままヨツバさんが幸せな日々を送れることを願ってやみません。 また、自分が毒親になっているのではないかと心配だったり、毒親に苦しめられている子どもに気付いたりした場合は、児童相談所に相談しましょう。 ▼児童相談所全国共通ダイヤル育児や子育てに悩んだときなどの相談窓口です。全国共通ダイヤル「189」に電話をかけると、発信した電話の市内局番等から当該地域を特定し、管轄する児童相談所に電話が転送されます。子どもが虐待されているかもと思ったとき、自分の子育てがつらくて子どもにあたってしまうときなどに、専門家に相談することができます。電話番号:189(いちはやく) 著者:マンガ家・イラストレーター モグ
2023年10月21日※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ症状」を再現したフィクション漫画です。本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。私が「うつ」になるわけがない。仕事や人間関係において頑張りすぎて疲れてしまったことはありませんか?なかには、頑張りすぎて無意識にストレスをため込んでいることもあるようで……。そこで今回は、MOREDOORの大人気TikTokより、オリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』をご紹介します。漫画のあらすじ学生時代は成績優秀、友人も多くしっかりものの宇都宮さん。第一志望の会社に就職し、社会人になっても活躍する未来がくると思っていた。しかし環境の変化、上司からのパワハラ、深夜までの残業の日々……。『でも、今までも頑張って来たんだから、私なら大丈夫。きっと、大丈夫……。』これは真面目でがんばり屋な主人公が、うつ病にかかってから、それを受け入れ、前を向いて歩いていくまでの物語です。宇都宮さんは毎日の残業に、疲れが取れなくなってきたようで……。結果はついてくる?そしてある日、電車で発作が起きてしまい、たまたま居合わせた人の助けを借りて病院へ。そこで宇都宮さんは、「うつ病」だと診断されるのでした。読者の感想は……『仕事を頑張りたいという思いとついていけない状況がより症状を悪化させてるんじゃないかな。周りが症状に気づいていないためにミスが多い人として認識してしまい、それがよりプレッシャーやストレスを与えてしまっているのかもしれない。これまで頑張った分、評価されてきた経験があるために働いても尚同じように頑張ってしまう姿に胸が痛む。個々にあったレベル把握を上司がもっとすべき。』『自分自身に対して真面目な人ほどうつになりやすいと漫画を読んで思いを強くしました。当たりが強すぎる職場は自身に合わないと考え逃げる事が一番だと思いますが心身に異変を感じるまで頑張ってしまうと思うので難しいと考えてしまいました。』『こういう言い方をする人は許せないです。』など主人公だけでなく、主人公の置かれた環境に言及する声が多く寄せられました。仕事でも努力は報われるはず、と頑張り続けた結果うつ病になってしまった主人公。皆さんはこの漫画、どう感じましたか?※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ(臨床心理士・公認心理士)■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年10月17日私が小学生だったときの話です。わが家は両親と私に加えて弟が2人いる5人家族なのですが、女性は私と母の2人だけなので、なんとなく女性ならではの話をしづらい雰囲気がありました。そのため、当時小学5年生だった私は母にあることをずっと秘密にしていて……。 私は小学5年生のときに初潮を迎えたのですが、思春期だったこともあってなんとなく報告するのが恥ずかしく、生理がきたことを母に半年ほど隠し続けました。母と仲が悪いわけではなく、わが家の家族構成は父・母・私・弟2人と男性が多いので、家で「女性ならではの話」をしづらかったのです。 生理については小学校4年生のときに授業で習っていたので、初潮がきたときには「これが生理か」とすぐにピンときましたし、生理用ナプキンを使えばいいということも理解していました。ただ、「トイレに置いてある生理用ナプキンを使ったら母に生理がきたことがバレてしまう」と思った私は、生理用ナプキンの代わりにトイレットペーパーをぐるぐる巻きにして、下着の上に置いて生理期間をしのぐことに。しかし、経血量が多いときはどうしても下着が汚れてしまうのです。下着が経血で汚れてしまったときは、誰にも見つからないように衣類用洗剤でゴシゴシ洗っていました。 母に生理を隠し続ける生活は半年ほど続きました。が、母は以前から薄々気づいていたらしく、ある日「もう生理きてるんじゃないの? なんで言わないの?」と少し怒りながら問い詰められたのです。私は観念して「うん……ちょっと前に生理きた」と答えるしかありません。母は「もっと早く言ってくれたらよかったのに」と呆れながらも「おめでとう」と言い、生理用ナプキンの使い方を教えてくれました。 大人になった今振り返ってみると、そこまで恥ずかしがる必要はなかったのかなと感じますし、初潮がきてすぐ母に報告していれば、経血が漏れるたびに下着を洗うという面倒な習慣も避けられたのかなと思います。思春期ならではのエピソードでした。 原案/ぴぃさん作画/モリナガアメ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モリナガアメ
2023年09月24日残暑厳しい日が続き、夏風邪や夏バテなど体調不良が起きやすい。加えて、なんだかやる気が出ない、気分が落ち込むといった症状も見られたら、それはもしかして“夏季うつ”かもしれない。「夏季うつとは、季節性感情障害の一種で、不眠、倦怠感、だるさ、食欲不振など、夏バテに似た症状が現れます。しかし、夏バテが食欲不振や睡眠不足による体力低下だけなのに対し、夏季うつは外出がおっくうになる、不安感を伴うなど、メンタルにもその兆候が現れるという特徴があります」こう話すのは、精神科医でゆうメンタルクリニック総院長のゆうきゆう先生だ。■気分の落ち込みや不安感が特徴の「夏季うつ」季節性感情障害とは、病気の発症時期に季節性があり、特に思い当たるストレスの原因がないのに、暑い季節、または寒い季節になると落ち込みやすくなったり、うつ状態を繰り返すというもの。たとえば、日照時間が短く、気温も下がる寒い季節になると、食べすぎ、寝すぎ、体重増加といった身体的な変化が現れ、意欲低下、倦怠感も伴う“冬季うつ”があるが、これは副交感神経が優位になりすぎて、自律神経が乱れることで起こると考えられている。一方、夏の場合は日照時間が長く、気温が上がることで、私たちの体は自然と交感神経が活発になるが、それが過剰になることで自律神経が乱れて、夏季うつにつながる。「“季節性”と呼ばれるだけあって、毎年その季節になると現れたり、体調が気候に影響を受けるといった特徴が見受けられます。夏季うつは女性に多く出る傾向がありますが、それはもともとうつ病患者に女性が多いことから、夏季うつも同様なようです。仕事や家事など、女性は男性より負担が大きいことが多く、暑いときに休んだり手を抜いたりしないでいると、過緊張状態が続き、自律神経のバランスを崩してしまうケースが少なくありません」(ゆうき先生・以下同)女性は30代以降、うつになる人が急増する。それだけに、単なる夏バテと軽く考えずに、精神的な異変を感じたら、夏季うつを疑ってみる必要があるかもしれない。まずは、次のチェックリストで確認してみよう。どれも日々の生活の中で起こりうる。【「夏季うつ」チェックリスト】□ 食欲がなくなった□ 不眠など睡眠障害がある□ 以前は楽しいと感じていたことが楽しくなくなった□ 仕事や勉強のやる気がなくなった□ 特に思い当たるストレスや理由がないのに、毎年、暑い時季になると不調になる□ 急に体重が減った□ だるさ、倦怠感が激しい□ 感情の起伏が激しい□ 洗顔、歯磨き、入浴など生活全般の動作をするのが面倒だ3つ以上該当すると「夏季うつ」の可能性あり。■「夏季うつ」にならないためにできること夏季うつを予防するために注意すべきことをゆうき先生に挙げてもらった。【1】日光の浴びすぎを避ける「ある程度、日差しを浴びることは大切ですが、日中の直射日光を浴びすぎると、疲労が蓄積されるようになります。外出時は帽子をかぶる、サングラスをかける、日傘をさすなどして、直射日光の浴びすぎには注意しましょう。どうしても外での作業が必要な場合は、早朝、あるいは夕方といった時間帯を選ぶことも大切です」日光を浴びすぎて体温が上がりすぎた場合、手首や首、ひざの裏などにぬらしたタオルや保冷剤を当てると体温が下がりやすくなる。【2】室温の設定を適切に「冷房が体によくないという考え方から、冷房を使わないで暑さを我慢したり、逆に冷房の使いすぎで体を冷やしてしまうというのも、自律神経が乱れやすい原因です。室温は睡眠にも影響を及ぼします。暑さで寝苦しい場合は、エアコンをつけて布団で温度を調節するなど、自分の体に合った適切な温度を知り、それに合わせた調節をしましょう。自分で温度調節のできない場合は、重ね着をするなどして調節してください」【3】栄養不足に注意「暑いと、冷たいものを食べたり飲んだりすることが増えます。特に夏場はさっぱりしたものばかり食べているとタンパク質が不足しがちです。タンパク質はセロトニンという、精神の安定を促す神経伝達物質の材料となる栄養素です。肉、魚、卵、乳製品、大豆製品などタンパク質をしっかりととるように心がけることで、改善が見込めます」また、糖分をとりすぎると、感情の不安定さが強くなるので注意が必要だそう。「暑いからと冷たいジュースやアイスクリームなどをたくさん食べていると、食べた直後は気持ちが落ち着きますが、最終的には血糖値の変動の幅が大きくなり、気分を不安定にさせることにつながります」【4】就寝前のスマホはやめる「スマホ画面から出るブルーライトが網膜を通じて脳に刺激を与えて興奮状態にし、睡眠を妨げてしまいます。寝る前1~2時間はスマホやパソコンから離れるようにしましょう」【5】我慢をしすぎない「一般的にうつになる人は真面目で我慢をしてしまう傾向のある人が多いです。女性は責任感から仕事に加えて家事もきちんとこなそうとする人が多くいると思いますが、疲れやしんどさを感じたら、きちんと休息をとって体調を整えることを優先しましょう」■ホルモンバランスが乱れる更年期世代は注意季節の変化による体への影響を完全に防ぐことは難しいが、さらに更年期世代になると、ホルモンバランスの乱れもあり、身体の不調に関連してメンタルの不調を招くといったリスクも増える。「季節性感情障害は、季節が過ぎれば自然と改善する場合もありますが、ほうっておいたために、季節が変わってもうつ状態が続く場合もあります」女性は特に、中高年期からタンパク質が不足する傾向にある。体力づくり、健康なメンタルづくりのためにも、ぜひタンパク質をしっかりとることを心掛けてほしいとゆうき先生は強調する。こうした対処法を実践しつつ、自分の状態を観察しながら、必要があれば、医療機関へ相談しよう。「医療機関での治療は心理療法と、薬物療法(抗うつ薬)が考えられます。心理療法は、うつ病になる方の性格的な特徴であるストレスを受けやすい思考を少しずつ変えていくような治療法です」思いつめず、完璧主義にならず、“適当”を知って、自分の健康を第一に考えよう。
2023年09月15日皆さんは、家族の健康に気を配っていますか? 今回は、母が入院することになってしまったエピソードを紹介します。母の異変ある日、実家の母の体調が悪いと、叔父から電話がかかってきました。母は認知症の疑いもあるとのことで、飛行機で私の住んでいる所に来てもらい、一緒に病院に行くことにしました。久しぶりに会う母は元気がなく、疲れた様子。一晩私の家に泊まってもらったのですが、そこで事件が起きました。夜中にトイレの場所がわからなくなり、お漏らしをしてしまったのです。どんどん悪化する母…次の日病院に行き、母は入院して経過観察することに。1ヶ月ほど入院した後、認知症だと診断されました。退院した日に、母に「入院長かったでしょ?」と聞くと「えっ、私はどのくらい入院してたの?」と言ってきたのです。本人は2、3日程度にしか思っていなかったそう。改めて病気の恐ろしさがわかりました。(40代/女性)家族の入院は家族が入院することになると心配ですよね。突然のことに慌ててしまうかもしれませんが、家族が過ごしやすいようにしてあげられたらいいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(lamire編集部)
2023年09月13日■前回のあらすじ「夫婦でしっかり義母と向き合うべき」と話す実母に反論する菜々子。そこに帰宅した夫が、泣いている妻を見て勘違い。物凄い剣幕で妻のスマホを取り上げ…!?■娘の夫の態度に、母親の反応は?■夫の切実なお願い勘違いとはいえ、しっかり娘を守ろうとしてくれた夫に安堵した様子の菜々子の母。夫は「義母が本当に里帰りしているかどうかを確かめにくる」ことを報告した上で、実家に菜々子と愛菜を泊まらせて欲しいとお願いしてくれて…。唯一の頼みの綱である実家に、泊まらせてもらうことはできるのでしょうか!?次回に続く「私の家に入らないで」(全83話)は21時更新!
2023年09月09日私の父は冷蔵庫や食品が入っている棚を開けてお菓子を勝手に食べるため、母にいつも怒られています。母がいいかげん何か対策をしなくては……と考えていたところ、またしても父がお菓子を食べてしまいました。しかし、そのお菓子は母にとって特別なお菓子だったようで……。その後、母が父におこなった思いも寄らぬ行動をお話しします。★関連記事:「妻にこうあって欲しい」夫の勝手な思いで夫婦関係が悪化!大喧嘩の末、たどり着いた夫婦のカタチとは勝手にお菓子を食べる父私の父は冷蔵庫や食品が入っている棚を開けて、中においしそうなお菓子を発見すると、誰の許可も取らずに勝手に食べてしまいます。母は自分専用のお菓子を購入して冷蔵庫や食品を入れる棚に保管していますが、事あるごとに父に勝手に食べられていることがあるそうです。その出来事があるたびに母は「なんで勝手に食べたの!?」と父に怒りますが、父は「あったから食べた」と何食わぬ顔でケロッとしているのが日常茶飯事。勝手にお菓子を食べた上に謝ることをしない父に、母はさらに怒る始末……。言っても聞かないのであれば、何か別のいい対策を取らないといけないなと母は思い始めていました。もらい物のお菓子を父に食べられ母大激怒ある日、父がまたしても母が棚に入れていたお菓子を勝手に食べました。しかし、そのお菓子は母が自ら買ってきたお菓子ではなかったのです。そのお菓子は、県外に住む母の姉が母のためにわざわざ送ってくれた老舗のえびせんべいで、母はそれを食べるのをとても楽しみにしていたそう。またしても父に勝手に食べられた上に、自分の姉が送ってくれたえびせんべいを食べられたことで母は大激怒。「私が買ったお菓子ならまだしも、お姉ちゃんが送ってくれたせんべいを食べるなんて許さない!! 絶対に買って返してよ!!」と父に猛抗議したそうです。母の激しい怒りにさすがの父もたじろぎ、今回ばかりは返さなくてはいけないかなと思ったそう。しかし、そのえびせんべいのお店は他県にあるので、県外の人が購入するにはネットショッピングで購入しなければなりません。父は結局ネットショッピングでの購入の仕方がわからず、母にえびせんべいを返すことができませんでした。母の激辛せんべい反撃作戦えびせんべいを勝手に食べられた事件から数日。ネットショッピングでの買い方がわからないからとえびせんべいを弁償してもらえなかった母はとてもイライラしていました。しかもそんな母に追い打ちをかけるように、先日のことをすっかりと忘れた父が、またしても冷蔵庫や棚の中にお菓子がないかと扉を開けるようになったのです。その様子に母は怒りが頂点に達し、とある計画を行動に移します。あくる日、母が用意したものは唐辛子たっぷりの激辛せんべいでした。それも見た目が普通の醤油せんべいとさほど変わらない色をしていているので、初めて見る人は激辛せんべいとは思わずに食べてしまうのではないかと思うようなものです。母はそれを別の袋に移して棚の中にしまうと、何事もなかったかのように洗濯かごを持って洗濯物を取り込み始めました。しばらくして、母の企みに誘われるかのように父が帰宅してきます。父は母が洗濯物を取り込んでいて部屋にいないことをいいことに、冷蔵庫や棚の中をのぞき始めました。そして棚の中に、母が仕掛けた激辛せんべいを見つけ「おっ!なんかおいしそうなのがある~」と言いながら手に取ります。母の企てを見ていた私が「また勝手に棚あさってる。どうなっても知らないよ~」と忠告の意味を含めて言いますが、父は「何が~?」と何食わぬ顔でその激辛せんべいを口にしてしまいました。食べた直後は何ともなさそうに食べていた父ですが、少しして「ん!?うわ~~!! 辛い~~~!!」と叫び始めます。「ほらね」とぼやく私をよそに、父は麦茶を大量に飲み始めましたが激辛せんべいの辛さはそれでも和らぐことはできなかったようです。父はしばらくの間、辛さのあまり「辛い~!!」と言いながら家の中をうろうろしていました。その事のてんまつを母はドア越しから聞いていたようで、外から笑いを必死に抑え込んでいる母の声が聞こえてきます。洗濯物を取り込み部屋に戻ってきた母は、父の情けない様子に大爆笑。その様子を見た父が「何笑ってるんだよ~!!」と辛さに苦しみながら逆ギレしますが、「許可も取らずに人の食べ物を勝手に食べるからこんなことになるんだよ、身から出たさびじゃん。反省したらこういうこと二度としないように!」ときっぱりと言い返しました。まとめその後、自分の行動を反省した父は私の協力を得てえびせんべいを取り寄せ、母に弁償しました。仕返しでスッキリできたのと、一応えびせんべいを弁償してもらったことで、母は怒りを鎮めることができたようです。母は「激辛せんべい騒動」の後、自分のお菓子の袋に「母の名前」と「食べるな」の文字をびっしり書いて対策を取るようにしています。今回痛い仕打ちを受けたこともあって、父はさすがに勝手に袋を開けて食べるようなことはなくなりました。ですが、父はこれまでの習慣で冷蔵庫を開けて食べ物を探す癖が相変わらず残っているため、母は父が冷蔵庫を開けるたびに勝手に人の食べ物を食べないか引き続き監視しているようです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/へそ著者/サクラアニメ、イラスト、ゴルフが好きなのんびり屋。自閉症スペクトラムとADHDを持っており人間関係に苦労しがちだが、克服しようと奮闘中。
2023年09月06日私は、2023年の夏に母の初盆を迎えます。大切な人を亡くした悲しみをかき消すように、今日まで葬儀や忌明けなどの法事をバタバタとおこなってきました。初盆を控え、遺品整理やお墓の問題も浮上。年を重ねて自分が残された家族の立場となったことで、私なりの「終活」を具体的に考え始めました。今後のために、できる限り身の回りの整理をしておかなければならないと感じた、私の終活についてお話しします。★関連記事:遺品やお墓、遺産について…もうすぐ70歳の両親が始めた「終活」のリアル遺品整理と掃除の日々10年ほど前だったかと思います。私が子どものころに習い事で着ていた着物を、母が京都の知人に譲ったことがありました。「着物を必要とし、喜んで引き取ってくれるところに着物を渡せてよかった」と笑顔で私に話していました。家族の本や洋服、そして私が桃の節句で親戚からいただいた博多人形なども、ひとまとめに整理していたのを覚えています。そのときは、「何で思い出の品を整理整頓しているのだろう」と思いました。今思うと、母なりに身の回りの整理をしていたのだと思います。しかし、母は体調がすぐれなくなるにつれて、物を捨てることが難しくなっていきました。私は、今年に入ってから現在に至るまで毎週のように実家に通い、母の遺品整理と掃除をしています。片付けても、片付けても、次から次へと家族の思い出の品が出てきます。思いが詰まった遺品の整理は涙が出てきて手が止まることもあり、心身共に大きな負担となっています。私は今回、遺品整理の大変さを実感したことで、身の回りの物について生前整理をする「終活」を始めました。捨てるかどうかを迷う物は、写真を撮り「ありがとう」と言って‟さよなら”しています。できるうちにしておかないと、体が思うように動かせなくなったときには物を捨てられなくなってしまうかもしれません。生前の母の姿を思い出し、そう思ったのです。お墓の管理と今後の不安も…今後のお墓の管理も、私の悩みの一つです。実家のお墓には先祖代々の親族が埋葬されています。しかし、私以降はお墓を継ぐ者がいないので、先々のことを考えると、永代供養(遺族の方に代わって、霊園や寺院が遺骨を管理・供養してくれる埋葬方法)についても検討しなければなりません。また、実家のお墓は山の中腹にあり、歩いて坂を上り下りします。年齢のことを考えると、「いつまでお墓に足を向けることができるのだろうか」と不安を感じます。ゆくゆくは墓じまい(墓石を撤去し、墓所の使用権を返還すること)をして、永代供養にするかもしれませんが、それに伴う費用の問題も浮上します。また私自身、自分の葬儀にかかる費用だけは、残される家族の負担にならないように、できるだけやりくりしておきたいと思っています。母の葬儀後に親族で集合写真を撮影したのですが、全員、生気のない表情で写っていました。大切な人を亡くして、心身共に疲れ果てています。そんなときに、葬儀やお墓にかかる多額の費用の悩みも出てきてしまうと、想像もできないほどの大きなダメージになると感じたからです。私の代で、できる範囲でお墓の供養を済ませておき、残された家族に心身的・金銭的負担のかからない葬儀をおこなってほしいと思っています。お墓に関する「終活」もしておきたいと思いました。いざというときの「終活ノート」も私の暮らす街には、初盆にお墓へ提灯(ちょうちん)を供え、花火や爆竹を鳴らして精霊船を流す伝統行事(死者の魂を弔う行事)があります。初盆に用意する物などを私が教えてもらう前に、母は病に倒れてしまいました。私は姑や親戚、そしてご近所の方にいろいろと教えてもらいながら、どうにか初盆の準備をしました。初盆に用意する提灯だけでも、お迎え提灯・仏壇の前に置く行灯・送り提灯・お墓の提灯があります。また、精霊船を用意し、お盆に海に流しに行き、翌日、後始末までします。その他にも、初盆に向けてお坊さんと連絡を取ったり食事の手配をしたり、準備しなければならないことがたくさんあります。私は、残された家族が、故人を送るためにどうしたら良いのかわからなくて困らないように、初盆では何を準備すれば良いのか、どういうふうに親族などに連絡をしたら良いのかなど、「終活ノート」のようなものを作って少しでも書き留めて残しておこうと思いました。今回、わが子と一緒に初盆の提灯の組み立てをおこないました。いつか「こうするんだったな」と初盆の風景を思い出してくれると良いなと思いながら。まとめ母の初盆を機に、身の回りを整理する「終活」を始めました。また、お墓や仏事など、手間や準備の大変な行事に関して、どのようにしたら残された家族に負担をかけないで済むか、「終活ノート」にまとめておこうと思っています。私ひとりでは解決できない問題でもあります。もうすぐ迎える初盆で、家族そろって故人を懐かしみながら、今後についていろいろな話ができるといいなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ちびむす(52歳)マスコミで働いていた両親に似て、仕事に真っ黒になるきらいがある。衛生管理者の資格所持者。仕事と健康の両立を図ろうと奮闘する一児の母。
2023年09月05日真面目な人ほど、うつになるまで自分を追い込むことがあるようで……。今回は、MOREDOORのオリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』より漫画の展開を予想していただくクイズをお届けします!※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ症状」を再現したフィクション漫画です。※本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。※うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。※「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。真面目な性格で……主人公の宇都宮さんは、憧れの会社に新卒で入社。理不尽な先輩のもと、宇都宮さんは連日残業し、休日返上してまで働きます。それでも周囲の評価は厳しい様子。宇都宮さんはプレッシャーと戦いつつ、仕事をして……。体が動かない……同僚が来て……ここでクイズです!宇都宮さんを心配して同僚が駆けつけます。そして、宇都宮さんがうつ病だと知った同僚。この後、同僚はどんな行動をとったでしょうか?ヒントは、この同僚は、かなり親切な人で……。同僚のとった行動は……?正解は、病院へ連れて行った薬の袋を見て、病院に連絡した同僚。同僚のおかげで、宇都宮さんはかかりつけの医師に診てもらい……。限界まで追い詰められ……宇都宮さんや部屋の様子を見たら、さすがにまずいと感じますよね。今回の同僚は、薬の袋から病院に連絡。宇都宮さんを病院へ連れていきました。もし、同僚が知らない間にうつになったら……、あなただったら、どうしますか?※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ 臨床心理士■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年09月01日知らずしらずのうちに無理を重ね、体調を崩したことのある人もいるかもしれません……。今回は、MOREDOORのオリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』より漫画の展開を予想していただくクイズをお届けします!※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ症状」を再現したフィクション漫画です。※本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。※うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。※「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。真面目な性格で……主人公の宇都宮さんは、憧れの会社に新卒で入社。理不尽な先輩のもと、宇都宮さんは連日残業し、休日返上してまで働きます。それでも周囲の評価は厳しい様子。宇都宮さんはプレッシャーと戦いつつ、仕事をして……。真面目に頑張るものの……心配する同僚ここでクイズです!理不尽に怒ってくる先輩や上司。しかし、ここまで理不尽に怒るのには、上司が宇都宮さんに過度な期待をしていたからでした。さて、上司が期待した理由は何でしょうか?ヒントは、宇都宮さんが新卒で入社してくる前の話が関係しています。期待した理由とは……?正解は、よい大学出身だから宇都宮さんがよい大学出身というのを理由に、上司は期待をかけていました。それだけに、宇都宮さんがミスをすると、すぐに責めていたようです……。思い込まないで……確かに、有名大学出身と聞いていれば、期待してしまう気持ちも分かります。それでも宇都宮さんは、まだ新卒で入社したばかり。上司の対応は少し厳しい気もしますね。今回の宇都宮さんは上司の嫌味も、真面目に受け取ってしまい我慢を続けた結果、うつ病と診断されてしまいます。もしあなたが宇都宮さんの立場だったら、どうしますか?※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ 臨床心理士■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年08月29日小学6年生のある日、生理で水泳の授業を見学するために母に水泳カードへの記入をお願いした私。しかし、母からは「男性の先生の前で生理だと言わないほうがいいよね」と言われてしまいました。その翌日、学校で目撃したの驚きの物で……!? 担任の先生は男性私は小学6年生のときに初潮を迎えました。何度目か生理がきたある日のこと、その日は水泳の授業があったのですが、生理中だった私は水泳の授業を見学することに。 母に「生理で水泳の授業を見学するって書いてほしい」と伝えました。 母の反応は?すると、母が「担任の先生は男性だから、生理が理由で見学しますとは書けないよね」と言うのです。 母は「腹痛のため見学します」とカードに記入しました。そのときの私は、男の先生だと生理が理由だと書けないものなのか、となんとなく腑に落ちない思いでした。 友だちのカードを見てびっくり!翌日、水泳の授業が終わったあと、先生に頼まれた私は、配布物の手伝いをすることに。 水泳の授業前に集めた水泳カードを1人ひとりに配ることになったのですが、自分と同じく水泳の授業を生理で見学していたクラスメイトのカードには「生理のため見学します」と書かれていたのです! てっきり「生理だと男性に伝えてはいけない」と思っていた私はびっくり。 帰宅後、母に伝えようかと思いましたが、結局伝えることはできませんでした。もともと母は「人前で生理の話はするものではない」という考えだったからです。そして、そんな母に育てられた私も、この出来事があってから、人前で生理の話をすることをはばかられるように……。 それでも、あのとき「生理で見学します」と堂々と公言したクラスメイトがいたことは、私にとって忘れられない出来事となりました。 私自身、大人になった今でも、男性の前で生理の話をしてもよいのか迷うことがあります。しかし、生理は性別関係なく知っておくことが大切だと思うので、「隠さなくていいのかもしれない」と思うときもあります。 著者/nanoka22イラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年08月26日皆さんは、ゾッとする怖い経験をしたことはありますか? 今回は「自宅で起きた恐怖体験」を紹介します! イラスト:kichano8実家での話トイレへの道は真っ暗トイレでぼーっとしているとドアの向こうから母の声が母に返答してトイレから出ると姿は見えない一気に恐怖を感じて…いまだ謎に包まれている深夜に起きた恐怖体験夜中に起きた出来事、しかも廊下は真っ暗…想像するだけでも背筋がゾッとしますね。今後、夜中にトイレへ起きることがトラウマになってしまいそうです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年08月09日私の両親は結婚35年目。父は男尊女卑の考えが強い田舎出身で、男4人兄弟の次男です。わが家では日ごろから母が家事をするのが当たり前。父は母がいつもイライラしながら我慢していることを気にする様子もなく、家事にはノータッチでした。そんなある日、孫から鋭いひと言を浴びせられたことで、生活態度を変えざるを得なくなった父のことをお話しします。★関連記事:義父に娘の誕生日ケーキの変更をお願いしたらいきなり激怒! 自分の思いや価値観を押し付けてきて男は動かないのが当たり前!結婚35年目の私の両親。58歳の父は男尊女卑の考えが強く残る田舎出身で、4人兄弟の次男です。母が嫁いだころから父の実家で集まりがあると、父の兄弟たちはテレビを見て談笑しているだけなのだとか。その様子を見て母は、「妻たちが全員バタバタしているのに、1人くらい手伝ってくれる男はいないのかな」と思っていたそうです。 父の母も、「夫ではなく嫁が動きなさい」という考え。母をはじめとした女性たちは、食事のための買い出し、料理、片付けをするのが当たり前だったのだそう。そんな男尊女卑の考え方が強い家で育った父には「家のことは妻やってもらって当たり前」と思っていて、母を手伝うことはごくまれでした。母はそんな父の姿に「なんで手伝おうという気が起きないんだろう。いつもゴロゴロしているだけ。私は家政婦じゃないし、これが続くならもう離婚したい」と思っていたそうです。何度か手伝ってほしいと父に頼んでみたそうですが、その場だけの対応で継続することはなし。そんな父でも母の体調が良くないときは、さすがにご飯を買ってきたり洗濯をしたりはしたそうです。母は日に日にたまるストレスから何度も離婚を考えたそうですが、仕事はしっかりとしていて収入もそれなりにあった父。私を含めて3人の子どもがいて、母にはシングルマザーになる勇気がなかったため、実際に離婚することはありませんでした。母は「家事をやってくれることを期待しても無駄だし、私が諦めてやればいいだけ」と思っていたそう。孫からの痛い指摘に父は私の息子が3歳になって、お手伝い欲が強い時期に実家へ帰省したときのことです。母が夕食の準備をしているところに、私の息子が台所にお手伝いをしに行きました。サラダを盛りつけたりご飯をよそったり、お箸を並べたり……と息子は忙しそうな様子。母は「お手伝いしてくれるからすごく助かるよ!」と息子を褒めていました。一方で「なんで3歳の子どもでも自主的にお手伝いができるのに、50歳を過ぎたおじさんはできないのだろう。孫がお手伝いしているのに何とも思わないのが、やってもらって当たり前の人の思考なんだろうな」と感じたそう。相変わらず横になってテレビを見ていただけの父は、孫がお手伝いをしている姿を見て、「おー! 頑張っているね。ばあばのお手伝いお願いね!」と言いました。すると私の息子は「えー! 僕は、ばあばのお手伝いを頑張っているのに、なんでいつもじいじは何もしないでゴロンとテレビを見ているの? みんなでお手伝いしたらばぁばもうれしいのにね」とニコニコしながら、鋭い指摘をしたのです!その場しのぎではなくなった父孫を溺愛する父は指摘を受けるなり、バッと起き上がり「そうだよね。じいじもお手伝いしないといけないよね。じいじも一緒にお手伝いしたほうが早くごはんが食べられるね」と言い、台所で配膳の手伝いを始めたのです。母は「言われるまで動けないじいじは変だよね。これからじいじもお手伝い頑張ってくれるかな」と息子に言いました。すると息子は「じいじはお手伝いちゃんとできるよね! ばあばはいつもやることたくさんだから頑張ってね! みんなでやったら早く終わるんだよ」と父に手伝いをするように言ったのでした。母は、私の息子が3歳ながらにして自分が家事をしている姿をしっかり見てくれていたことがとてもうれしかったそう。そして、父にとって孫からの指摘はよっぽど効果があったのか、それからはその場しのぎではなく、少しずつ家事をやるようになったそうです。特に皿洗いは毎回するようになって、父の変わりようにびっくりすると母は笑っていました。母は、「60歳前だけど気付いてくれてよかった。私もいつ動けなくなるかわからないから、今のうちに自分で家事ができるようになってもらわないと困るよ!」と父に言ったそう。すると「今まで30年以上も甘えてごめんね。そしていつも家事をやってくれてありがとう。これから先何があるかわからないし、自分で家事ができなくて困るのは俺だからもう少し頑張ります」と、今までの父からは考えられないような言葉が返ってきて、母はかなり驚いていました。まとめ男尊女卑の思想が強い環境で育った父にとって、家事は女性がすべてやるのが当たり前でした。ただ、育ってきた環境が影響していたとはいえ、もう少し早く母からの要望を聞いてあげて欲しかったと思います。これまで離婚に至らなかったのも、母の我慢があったからこそ。大好きな孫の言葉に反するわけにはいかないので、今後は父も母のことを助けてくれるようになるだろうと期待しています。そして、この先もまだまだ続く夫婦生活、2人で協力して仲良く過ごして欲しいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。取材・文/MISATOイラスト/きびのあやとら著者/MISATO産後の物忘れの悪化に悩む2人兄妹のママライター。趣味は甘い物を食べること、緩く宅トレをすることです。
2023年08月06日■前回のあらすじ20年以上も在宅生活を送っていた父は知人はほとんどおらず、お葬式もとても小さなものでした。火葬が終わり、つぶれた父のメガネを見て、すべてなくなってしまったことを実感するのでした。■「まだ泣いてない」と話す母■母の原動力って…?母のすごさにあらためて気付かされた私。でも母のようにはできないけれど、今度は逃げずに向き合えるかもしれない。そんなことを今は考えています。今回で「若年性認知症の父親と私」は最終回を迎えました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
2023年07月29日