天皇陛下は2月23日に、61歳の誕生日を迎えられる。新型コロナウィルスの感染状況を鑑み、当日の一般参賀が見送られるなど祝賀行事は縮小されることとなった。菅義偉首相(72)ら三権の長から祝賀を受ける「祝賀の儀」は行われるが、飲食を伴う「宴会の儀」や「茶会の儀」は中止とされた。新型コロナによって皇室の行事や生活も一変してしまったが、陛下が変わらず続けられている行事もある。陛下は即位されたことで、昭和天皇が始められた稲作を上皇陛下から引き継がれた。陛下は皇居内の水田で春から初夏にかけて種籾まきと田植えをされ、昨年9月に稲刈りをされたことで一連の作業を初めて終えられたのだ。陛下は稲作作業を終えられた感想を文書で発表され、昨年の九州豪雨による被害や新型コロナの影響で苦境に立たされた農業従事者に向けて「御苦労もいかばかりかと思います」と労われた。そして「各地で収穫が無事に行われることを願っております」と綴られた。我が国の農耕文化である稲作を引き継がれた陛下だが、若いころから日本酒好きでも知られている。’03年に山形県米沢市の酒造資料館「東光の酒蔵」を見学され、’18年には石川県珠洲市にある宗玄酒造を視察されたこともある。そんな陛下の日本酒にまつわる“誕生日エピソード”がある。陛下は学習院大学卒業後、’83年に英国オックスフォード大学マートンカレッジに留学された。‘84年2月にロンドン・日本大使公邸で24歳の誕生日を目前に開かれた会見では、充実した留学生活ぶりをこのように語られた。「寮の自分の部屋に日本酒をおいていますが、昨年に比べるとずっと減りが激しいんです。今学期は前学期以上に学友が集まって楽しく過ごしています」留学先で誕生日を迎えられた陛下は、寮の2部屋を使ってご自身の誕生パーティーを開き、20人ほどのご学友を招いたという。「陛下は日本食や日本酒といった“日本文化”でご学友をもてなされました。英国では日本酒を温める機械がなかったので、陛下は機転を利かせてコーヒーメーカーで燗をつけたといいます。陛下が振る舞われた日本酒は彼らに大変喜ばれたようで、陛下も『翌日二日酔いになりました』と笑いながら回想されていました」(前出・皇室担当記者)当時、「ヨーロッパから日本を見つめてみたい」という志を抱かれて留学された陛下。’85年11月の帰国直後に行われた会見では、英国の学生たちとの交流について、「日本について色々聞かれまして、日本文化について深い質問もありましたし、その素晴らしさを学生を通じて再認識できたことは非常に良かった」と語られた。英国でご学友と日本酒を酌み交わした経験は、陛下にとってかけがえのない思い出のひとつだろう。
2021年02月22日2月23日、61歳の誕生日を迎えられる天皇陛下は、登山好きとしても知られている。実は、同日は「富士山の日」でもある。静岡県と山梨県では条例で定められている記念日だが、陛下が即位されたことで2月23日は’20年から祝日となっている。陛下が初めて登山を経験されたのは、5歳の時。軽井沢の離山に登ったのをきっかけに、山に関心を持つようになられた。小学校高学年の頃は、『日本の山々』(山と溪谷社)や『世界文化地理大系』(平凡社)といった本を愛読されていたという。そんな陛下にとって、富士山は特別な思い入れのある山だった。小学校1年生だった’66年の秋には、学習院初等科の屋上から富士山をご覧になっている。その時の感想を《ぼく、あんまりうれしかったので、おくじょうから、おっこちそうになりました》と文集に綴られた。’87年7月には皇族として初めて日本山岳会の会員になられ、これまで登山をされた回数は国内外を含めて170回を超える。そんな陛下が富士山に初登頂されたのは、皇太子だった’08年8月のこと。実は’88年8月にも挑戦されたが、天候悪化のため8合目で引き返されたのだった。陛下は20年越しの悲願達成に、「感慨深いものがあります。富士山の高さ、大きさを感じました」と喜ばれたという。’10年の年始に行われた歌会始では、富士山頂で見たご来光を回想され《雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり》とお詠みになられている。これほどまでに山好きな陛下は、南アルプスを登山された’86年8月に同行の記者団から登山をする理由を問われ「山に登っている時は雑念がありません。登ることと景色を見ることに没頭しています」とお答えになられた。「“無心になれる”ことは、陛下にとって登山の魅力のひとつでもあります。陛下はどのルートが良いか入念にお調べになることはもちろん、ジョギングやトレーニングといった準備もされます。そのいっぽうで登山中にすれ違った人々には、『どちらからですか』などと立ちどまって話しかけられるといった気配りも欠かさないのです」(皇室担当記者)’93年6月に雅子さまと結婚されてからは、翌年6月に初めてご夫妻で東京・奥多摩の高水三山に登られた。陛下は『山と渓谷』(1996年1月号)の「山と私」というエッセイのなかで、《私は、これからも妻とこのような登山の楽しみを見出せたらと思う》と綴られている。’09年8月には小学生になった愛子さまもご一緒に、斜面が緩やかな那須岳を中心に一家でハイキングを楽しまれるようになった。現在は新型コロナウイルスの影響もあり、また天皇というお立場から陛下が登山をすることは容易ではない。だが、再びご一家で自然と触れ合える日を心待ちにされていることだろう。
2021年02月22日「私たちは水問題の解決に向け、連携し、結束していく必要があります」天皇皇后両陛下は2月12日、世界の水をめぐる衛生問題について話し合う国際会合に、オンラインで出席された。陛下は特別来賓として英語であいさつされ、「水問題は世界の紛争、貧困、環境、農業、エネルギー、教育、ジェンダーなど様々な分野に関わってきます」と、研究の意義を語られた。会合には国際機関の幹部ら30人余りが参加し、オランダのウィレム=アレクサンダー国王の姿もあった。「’20年にはイギリスご訪問や東京五輪の開催も予定されていました。両陛下が国際親善に活躍される1年になるはずでしたが、コロナ禍でストップしてしまったのです。今回のオンライン会合出席は“皇室外交”のリスタートになったといえます」(皇室担当記者)水問題に取り組むウィレム=アレクサンダー国王は、天皇陛下とは無二の親友。また、雅子さまは適応障害で療養に入られていた’06年夏、陛下や愛子さまとご一緒に約2週間、オランダで静養されている。オランダ王室からの招待だった。「その後、’13年にウィレム=アレクサンダー国王の戴冠式に出席するため、雅子さまは再びオランダを訪問されます。実に11年ぶりの海外ご公務でした。このときはマキシマ王妃から雅子さまに直接電話があり、招待されたそうです」(前出・皇室担当記者)■コロナ禍でこそ皇室の役割に期待’19年の即位の礼では各国の王族が日本に招かれたが、雅子さまと各国の王妃・皇太子妃との交流が話題となった。マキシマ王妃はもちろん、スペインのレティシア王妃やベルギーのマティルド王妃、デンマークのメアリー皇太子妃との親密なやりとりは、各国の王室との信頼関係を印象づけた。欧州の王室に詳しい関東学院大学教授の君塚直隆さんはこう語る。「ヨーロッパの王室は、環境問題や人権問題などの社会問題に積極的に取り組んできました。こういった国同士で利害が生じるテーマにおいては、とくに王室の働きが重要になります。公式訪問は難しい状況でも、水問題などの社会問題への取り組みを通じて海外の王室と交流を深めることができるはずです」新型コロナウイルスの感染拡大で各国が入国規制の措置をとり、交流は途絶え、ワクチンの供給をめぐって対立も生じている。「雅子さまは今後、世界の王妃との連携を深めていくおつもりではないでしょうか。コロナ禍で軋轢が生じている今こそ、王室や皇室が育んできた絆が世界の分断を止めるはずです」(前出・皇室担当記者)オンラインで始まった新たな国際交流。雅子さまは世界の王妃と手を携え、分断を乗り越える――。「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月17日「誕生日を前に、天皇陛下は記者会見に臨まれます。記者からの質問は事前に宮内庁側に伝えられるのですが、その中に眞子さまの結婚についての質問があるのです。陛下ははたして、眞子さまと小室圭さんについてどう言及されるのか……。日に日に注目度が高まっています」(皇室担当記者)2月23日、天皇陛下は61歳の誕生日を迎えられる。祝賀行事は縮小となるが、静かにお祝いする雰囲気にはなりそうにない。昨年11月、秋篠宮さまが誕生日会見で結婚を「認める」と述べられた。この“容認発言”によって、眞子さまと小室さんの結婚は確実になったとみられているが――。秋篠宮家に近い人物はこの見方に異を唱える。「たしかに秋篠宮殿下は会見で『結婚を認めるということです』とお話しになりました。ですが、それはあくまで憲法にのっとって結婚を認めざるをえず、親だからといって止めることはできないという意味でしょう。殿下のお気持ちはこの3年間、変わっていません。現状では納采の儀、そして結婚に賛成されているわけでは決してありません」会見で秋篠宮殿下は「長女の結婚について反対する人もいます」とも述べられている。「殿下にしてはとても踏み込んだ発言でした。なぜ小室さんとの結婚に多くの人が反対しているのか、殿下は、眞子さまの未来を心配する声にご本人が気づかれることを、願っていらっしゃると思います」(前出・秋篠宮家の知人)■もはや結婚を阻止する術はない?いまでも小室さんとの結婚に反対だという秋篠宮さま。しかし、宮内庁関係者によれば、もはや秋篠宮さまに眞子さまの結婚を阻止する術はないという。「秋篠宮さまの『結婚することを認める』との発言は、会見という公の場でなされたものです。いわば国民に対して“娘の結婚を認める”と宣言したことを意味します。秋篠宮さま自身が結婚阻止に動けば、国民との約束違反になってしまうのです。それでも、眞子さまと小室さんの結婚が破談になるとすれば、考えられるプロセスは2つだけです。ひとつは、眞子さまのお気持ちが小室さんから離れて、結婚はしないと自ら決断を下すこと。もうひとつは、小室さん側の致命的なスキャンダルが報道などで明らかになった場合です。いずれも可能性はきわめて低いといえますが……」万策尽きた秋篠宮さま――。もし結婚阻止に一縷の望みをかけるならば、できるだけ結婚を先延ばしにするしかないといえる。だが、天皇陛下の会見での発言が、眞子さまと小室さんの結婚を決定づけてしまう可能性もある。眞子さまは11月に発表された文書で《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》と綴られていた。「もし会見で陛下が『お二人の気持ちを尊重します』といったお言葉を述べられれば、眞子さまと小室さんの結婚は完全に“お墨付き”を得たことになってしまいます。秋篠宮さまとしては、そういった事態は避けたいはず。また天皇陛下としても、“秋篠宮家の問題”ですから、事情を聞くために事前に秋篠宮さまと話し合われたそうです。会見では、小室圭さんの名前すら出さずに“黙殺”してもらいたい――。秋篠宮さまは陛下に、そう懇願されたと聞いています」(前出・宮内庁関係者)天皇陛下は’86年の誕生日会見で「結婚相手を自分で決めたいか」との質問に次のようにお答えになっている。「自分で決めていきたいと思います。オックスフォードで学んだことは、自分で決めて自分で行動に移すということです。こういう問題は人にお願いするのではなくて、自分で決めれば両親も信じてくれると思います。自分がこの人と思って紹介すれば喜んでくれると思います」眞子さまが“自分で決めた”小室圭さんというお相手について、天皇陛下はどのように言及されるのか――。「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月10日《天皇陛下は、アメリカ合衆国大統領ジョセフ・ロビネット・バイデン閣下の大統領就任につき、1月20日御祝電を発せられた》(1月22日の官報)バイデン大統領が就任した当日、天皇陛下はさっそく祝電を打たれたという。実は、陛下は皇太子時代の’13年、副大統領だったバイデン氏が来日した際に、お住まいの東宮御所に招き、懇談されていたのだ。「’11年の東日本大震災後には、米政府首脳のバイデン氏が自ら被災地を訪れたことが話題になりました。在日米軍による『トモダチ作戦』、米民間団体からの義援金など、物心両面にわたってアメリカからの支援は多大なものがありました。陛下はそれらに対する感謝の気持ちを伝えられたのです。政治的な外交とは違う、皇室との親善はバイデン大統領にも特別な記憶となって残っているのではないでしょうか」(社会部記者)また、’19年5月、陛下の即位後最初の国賓としてトランプ前大統領が来日したときは、トランプ夫妻の接遇で、皇后となられたばかりの雅子さまが大活躍された。「特に宮中晩餐会の雅子さまの存在感は特筆すべきものでした。クリーム色のロングドレスをお召しになった美しさもさることながら、通訳を介さずに、笑顔で大統領夫妻と会話されるお姿には、多くの国民が感銘を受けました」(皇室ジャーナリスト)そのお姿は米メディアにも新鮮だったようで、『ニューヨーク・タイムズ』は「トランプ訪問で、雅子皇后はスター」との見出しで報じた。さらに、その年の6月には、両陛下が「G20大阪サミット」のために来日したフランスのマクロン大統領夫妻を皇居に招かれて昼食会を催されたのだが、そこでも雅子さまの“おもてなし”が脚光を浴びる場面があった。「雅子さまはブリジット夫人と英語とフランス語を交えて話されていました。実は、ブリジット夫人はあまり英語が流暢ではないのです。それをご存じだった雅子さまは、お相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)’20年5月ごろには天皇皇后両陛下として初の海外ご訪問となるイギリス訪問が予定されるなど、両陛下は国際親善の場でさらなる活躍をされることが期待されていた。しかし、昨年当初からの世界的な新型コロナウイルス感染拡大で”皇室外交”はストップしてしまった。ただ、コロナ禍を背景に社会には一気にZoomなどのオンライン会議システムが普及した。そんななか陛下と雅子さまは、今年元旦、国民に向けてお揃いで新年のビデオメッセージを発信されるという、皇室史上初の試みに挑戦された。「今後、皇室外交にもオンラインが利用される可能性はあると思います。オンラインを利用することで、これまで以上に、両陛下と各国要人との会見が盛んに行われることになるかもしれません。例えば通訳なしで外国の首脳と会談される両陛下の姿が、字幕スーパー付きで配信されるようなことがあれば、新しい皇室外交の様式“令和流”として定着するのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)1月28日には、就任後初となるバイデン大統領と菅義偉首相の電話協議が行われた。コロナ禍に加えて、大統領選後の混乱する米国情勢もあり、菅首相の訪米、バイデン大統領の来日とも日程は不透明だ。トランプ前大統領の来日時には、見事な接遇ぶりで鮮烈な印象を残した両陛下。バイデン大統領への政権交代後も、両陛下が日米の架け橋になることだろう。
2021年02月03日「眞子さまの結婚問題はもはや国民的関心事。皇室の頂点に立たれる天皇陛下が、この問題についてどのように考えているのかをお聞きすることも必要だと思います」そう語るのは皇室担当記者。2月23日の天皇誕生日を前に、天皇陛下は記者会見に臨まれる。その会見で、眞子さまと小室圭さんについての質問があるという。眞子さまが昨年11月に発表した「お気持ち」に、次のような文言がある。《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》眞子さまが書かれた文書によれば、天皇陛下も二人のお気持ちを尊重されているというのだ。「陛下ご自身も、ご結婚までには非常に苦労されています。雅子さまとの結婚も一度は諦められたことがあったほど。もしかすると、小室さんとの結婚にこだわる眞子さまのお気持ちに共感する部分もおありかもしれませんが……」(前出・皇室担当記者)もし天皇陛下からも結婚をお認めになる発言があれば、小室さんにとっても大きな追い風になる。だが、皇室ジャーナリストの見方は厳しい。「小室さん側は要求された金銭トラブルや米国留学の経緯説明すらまだ果たせていない状況です。秋篠宮さまが結婚を『認める』と発言されてからも、小室さんに反発する国民感情は収まるどころかむしろ高まっています」■鍵を握るのは母・佳代さんの動向こうした状況で天皇陛下が小室さんの応援とも取れる発言をなされば、陛下ご自身まで国民から非難を浴びかねない。はたして、天皇陛下はどういった発言をされるのか。眞子さまとの結婚に向けて、小室さんにとって大きな“正念場”となるが、鍵を握るのは小室さんの母・佳代さんだという。「結婚延期の原因は、佳代さんの金銭トラブルでした。しかし発覚から3年以上経過した今も佳代さんは沈黙を貫いたまま。しかも、そういったトラブルがあったにもかかわらず、佳代さんの金銭感覚が変わっているようには見えないのです。眞子さまは1億4千万円近い一時金を受け取ることになっています。そのお金の一部が佳代さんに渡ってしまうのではないか、という疑念は払拭できない状況です。国民が小室さんよりもさらに不安視しているのは、眞子さまの”義母”となる佳代さんのことではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇室に詳しい歴史学者の小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、眞子さまの結婚問題が起きた要因は「皇室の歴史上で初めてといっていい、まったく事前調査なしの“自由恋愛”だったからではないか」と語る。「“ミッチー・ブーム”を起こした上皇陛下と美智子上皇后も恋愛結婚でしたが、それは綿密な調査があったうえでした。女性皇族の結婚では調査はあまり行われませんが、黒田清子さんや高円宮家の典子さんや絢子さんの場合は、両家の家族同士で交流がありました。一方、小室さんは完全に、眞子内親王がお一人で選んだお相手です。まったくの自由恋愛による結婚という点で、眞子内親王の結婚は素晴らしい事例となるはずでしたが、小室家が多くの問題を抱えていたことは非常に残念でした」今後の女性皇族の結婚までも左右しかねない、佳代さんの存在。天皇陛下は会見で眞子さまと小室家の縁談について、どう言及されるのだろうか――。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月02日「この1年、多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が、皆様にとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします」天皇陛下と出演されたビデオメッセージで、雅子さまはコロナ禍の国民を気遣うお言葉を述べられた。映像での新年のお言葉は、皇室史上初の試みとなった。「昨年はコロナ禍で、国民とふれあう機会は激減。そこで両陛下はオンラインを積極的に活用され、新たなご公務のスタイルを模索されたのです」(皇室担当記者)11月には日本赤十字医療センター(東京都)と、北海道、福島県、沖縄県の関連病院をオンラインで視察。両陛下はメモを取られながら何度も質問され、院内でも一部のスタッフしか入室できない現場の様子まで映像でご覧になった。雅子さまは「皆様が力を尽くされていることに敬意を表します」と、医療スタッフを励まされた。「驚いたのは、このご訪問を宮内庁が『オンライン行幸啓』と発表したことです。『行幸啓』とは本来、両陛下がご一緒に外出されること。オンラインであっても『行幸啓』と認めるということは、それだけ両陛下がオンラインで国民と交流することを重要視されているということでしょう」(前出・皇室担当記者)大分県豊後大野市の高齢者活動団体「はつらつ清川」にも、両陛下は昨年11月にオンラインでご視察。はつらつ清川の関係者に話を聞いた。「高齢者のみなさんは初めのうち、緊張を隠せない感じでした。ですが、天皇陛下も雅子さまも優しくお声がけくださり、すぐにみんな打ち解けていました。とくに雅子さまは、豊後大野市の歌『ふるさとおおの』に合わせてメンバーが体操する様子をご覧になって『「ふるさとおおの」の歌はとてもいい歌でした。体操もとても体によさそうで、一緒に試してみたらよかったかしらと思いました』とおっしゃり、会場の雰囲気も明るくなりました」こういった和やかな雰囲気は、むしろオンラインの利点ではないかと宮内庁関係者が語る。「通常のご訪問では、宮内庁職員や護衛の警察官、取材のカメラマンなどが同行し、どうしても会場はピリピリした感じになります。しかしオンラインならば、ふだんと変わりなくアットホームな雰囲気で懇談ができます」オンライン訪問により、ふだん会えない地方の人々にも笑顔を届けることができる――。両陛下もそう実感されたのではないだろうか。12月には障害者の雇用促進に取り組む長野県の企業・エプソンミズベの工場を視察された両陛下。5人の社員とオンラインのモニターを通じて交流された。入社5年目の上條美咲さん(25)は、天皇陛下から「どのようなところに気をつけて作業されていますか?」との質問を受け、「怪我をしないところです」と答えた。すると、雅子さまは交流の終わりに、上條さんに「お怪我のないように」とお声をかけた。天皇陛下との会話をお聞きになって、上條さんに思いやりの言葉をかけられたのだった。実は、このご視察でもオンラインならではの利点があったという。「毎年、障害者週間には両陛下が施設を訪問されていましたが、どうしても日帰りできる東京近郊に限られていました。しかし今回は、オンラインの特性を生かして長野県の工場をご視察することができたのです。先日の雅子さまの誕生日、宮内庁の医師団は《ご体調には波がおありです》と、雅子さまがまだ適応障害のご快復途上にあることを強調しました。皇后となられてからの地方ご訪問も、過密日程を避けるなど、ご負担にならないよう慎重に調整されているのです。しかしオンラインならそういった制約もなくなります。赤坂御所から全国各地を“旅”することで、励ましの言葉を届けることができるのです」(前出・宮内庁関係者)天皇皇后両陛下は何年もかけて、全国47都道府県を巡ることを目指されている。しかしオンライン行幸啓により、2カ月で東京、北海道、福島、沖縄、大分、長野と6都道県の人々とおふれあいになることができたのだ。昨年12月の誕生日に際しても《オンラインという方法により、このように国民の皆様との触れ合いの機会を持てることは有り難く、今後ともそのような機会を大切にしていくことができればと感じております》とつづられていた雅子さま。陛下と取り組まれる前例なきオンライン活用は「令和の改新」とも呼ぶべき大改革になるかもしれない。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月09日《お年を召され、上皇后さまにいろいろとお尋ねになることが多くなられたようにお見受けします》上皇陛下は昨年12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。上皇職が発表した文書には、上皇陛下のご体調に触れた一節が。《何度か繰り返されるご質問にもその都度丁寧にお答えになる上皇后さまと、それを聞かれご納得になるといつも明るい笑顔におなりになる陛下。時に、勘違いや戸惑いがあっても、一緒にお笑いになりながら、ご記憶を新たにされ、日々のご生活を確かなものとされています》「何度か繰り返されるご質問」「勘違いや戸惑い」……。上皇陛下の現在のご症状が赤裸々に綴られていたのだ。上皇陛下は5年前、82歳の誕生日会見で「行事の時に間違えることもありました」と、記憶力の低下を明かされたことがあった。「ご退位後にご公務が激減し、コロナ禍の外出自粛も重なって、さらにご症状に拍車がかかってしまった可能性もあります。認知症の症状とみられます。ここまで踏み込んだ表現になったということは、上皇職は美智子さまにも相談のうえ文面を作成したのでしょう」(宮内庁関係者)なぜ、このタイミングでの公表となったのだろうか。美智子さまの知人は次のように明かす。「実は上皇后さまは以前、『そのうち国民に(上皇陛下のご症状を)説明してもいいと思っているのです』とお話しになっていました。これまで上皇陛下も上皇后さまも、ご体調、ご病気については隠さず国民に伝えてこられました。今回の上皇陛下のご様子についても、陛下と熟慮のうえで公表の準備をされていたのでしょう」美智子さまのご決意の陰には、ある願いがあるという。「上皇后さまは、上皇陛下との生活について『私はこのときのためだけにいるのよ。ほかの誰にもできないですから』と、ご退位後の上皇陛下のお世話をなさる決意を話されたことがありました。そして、昭和から平成の初めまでを過ごされた今の赤坂御所に上皇陛下と戻ることを願われ、『そのことだけのために私は存在するのよ』と、ご覚悟を口にされていました」(美智子さまの知人)当初の計画では今年の秋ごろに仙洞仮御所から赤坂御用地へ引っ越される予定だったが、コロナ禍で改修工事が滞るなど、大幅に延期になる見込み。上皇陛下と1日も早く懐かしの我が家へ――。美智子さまの“涙の願い”が叶うことを祈りたい。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月08日上皇陛下は12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。いま上皇陛下にとって一番の心配事は、初孫である眞子さまの結婚問題かもしれない。眞子さまは11月13日《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、小室圭さんとの結婚の意思を示した文書をご公表されている。眞子さまはその文書を、《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》という謝辞で締めくくられている。文書公表にあたって、上皇陛下も眞子さまのお気持ちを「尊重」されているというのだ。眞子さまが誕生したのは、’91年10月23日。その翌日、上皇陛下と美智子さまは、産後の紀子さまをお見舞いされ、生まれたばかりの眞子さまにも対面されている。このとき上皇陛下は「とても嬉しい気がしました」とおっしゃっていた。そして’93年、還暦を迎えられた上皇陛下は、誕生日に際して記者から「眞子さまからどのように呼ばれていますか?」との質問にこうお答えになった。「今は確か、『おじじさま』と呼ばれているように思います」それから17年が経ち、眞子さまが国際基督教大学に入学された’10年。上皇陛下は78歳の誕生日に際して、眞子さまへの期待を述べられた。「眞子は、国際基督教大学に入学し、学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加し、アイルランドで、ほぼ40日間、国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後、写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来、大学生活を振り返り、有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています」その国際基督教大学での学生生活で小室さんと出会われ眞子さま。’17年9月3日にお二人の婚約は内定となる。「当時天皇だった上皇陛下が裁可されたことで、眞子さまと小室さんの結婚が内定しました。上皇陛下と美智子さまは、皇居の御所で秋篠宮夫妻と眞子さまからごあいさつを受けました。その時に初めて、小室さんとも対面されたのです。天皇陛下は初孫の慶事に、始終和やかなご様子でした。秋篠宮ご夫妻にも、『おめでとう、良かったね』と声をかけられました」(宮内庁関係者)上皇陛下は同年、84歳の誕生日に際しても「私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています」と、眞子さまを祝福されていた。眞子さまの結婚内定から3年余り――。その間、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブル、小室さんのニューヨーク行きなどさまざまなできごとがあったが、お二人の結婚の意志は揺らがなかった。来年には小室さんがアメリカから帰国し、結婚に向けた準備が本格化するとみられているが、お二人の結婚に批判的な声も根強く、先行きは見えない。高輪の仙洞仮御所で87歳の誕生日を迎えられた“おじじさま”は、初孫・眞子さまの幸せを静かに願われていることだろう――。
2020年12月23日宮内庁は12月10日、天皇陛下が新年にあたり、国民に向けたビデオメッセージを出す予定だと発表した。例年1月2日には、皇居で新年一般参賀が開催されているが、来年は中止になることが決まっていた。今年は6万8,000人以上が集まっており、大勢が密集することから感染拡大の懸念が大きいためだ。そこで、新年一般参賀の取りやめたことに代わって天皇陛下によるビデオメッセージを出すことになったという。宮内庁によると、ビデオメッセージは1月1日か2日に公開されるといい、雅子さまが出演される可能性もあるという。天皇陛下による初めてのビデオメッセージとなるが、その理由について宮内庁関係者はこう語る。「やはり大きな理由はコロナ禍です。新年一般参賀が行えないだけでなく、1年以上両陛下による地方行幸啓さえ行えていない状況です。国民との接点を少しでも増やしたいという、両陛下と宮内庁の考えがあるのでしょう」さらに、ビデオメッセージが行われることになった背景には“小室さん問題”の影響もあるという。「11月13日の眞子さまの『お気持ち』文書発表以来、眞子さまと小室さんの結婚のゆくえばかりが注目される事態になっています。実は11月には、両陛下が初めてリモートで医療現場を視察される“オンライン行幸啓”をなさったのですが、報道の量は決して多くありませんでした。両陛下の画期的な試みが、小室さん問題の影に隠れてしまったといえます。宮内庁としては、小室さん問題ではなく、本来の皇室の役割に注目が集まるようにすることが急務なのです」(宮内庁関係者)
2020年12月11日2020年12月9日、57歳の誕生日を迎えられた皇后陛下。宮内庁が公表した誕生日のご感想文では、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に直面する国民への想いなどを述べられました。国民一人ひとりが、かけがえのない存在文書の中で皇后陛下は、世界中がコロナウイルスの災厄に見舞われた2020年を、「大変に心の痛む年」とご回想。医療従事者に「心からの敬意と感謝の意」を表すとともに、国民が「力を合わせてこの試練を乗り越えていくこと」を願われました。国民の皆様の現在の困難な状況を思うとき,国民のお一人お一人が,幸せであっていただきたいかけがえのない存在であるということを身にしみて感じます。感染症の不安が渦巻く中,様々な面で自由が失われている日々の中で,多くのご苦労と努力を重ねてこられたものとお察しいたします。(中略)現在のこの状況の中で自分たちに何ができるかを考え,行動しようとする,若い人たちも含む多くの方の新しい試みや取組を目にするとき,勇気付けられ,心温まるとともに,人と人との絆の大切さを強く感じます。困難な状況に直面する人々を支え,力を尽くしている全ての方に深い敬意と感謝の意を表したいと思います。宮内庁ーより引用天皇陛下とともに感染症の専門家や障害者団体、貧困問題に取り組む団体などの代表から説明を受けてきた皇后陛下。その中で感じたのは、「異常事態でも助け合う心を忘れない、人と人との絆の大切さ」だったといいます。また、コロナウイルス感染者や重症者が増加している現状にも言及されています。現在,新型コロナウイルス感染症の感染者や重症の方が再び増えてきており,予断を許さない状況が続いています。ワクチンの開発が進み,この感染症の克服に少し光が見えてきているようにも感じますが,一朝一夕に克服できるものかどうか分からないことも多いと思われます。このような中にあって,今後,私たち皆が心を合わせ,お互いへの思いやりを忘れずに,困難に見舞われている人々に手を差し伸べつつ,力を合わせてこの試練を乗り越えていくことができますよう,心から願っております。宮内庁ーより引用困難な状況下でも、「お互いの『思いやり』を忘れずに乗り越えていきたい」という強い意志を示されました。【ネットの声】・皇后陛下お誕生日おめでとうございます。国民思いのお心遣いに、とても感謝しております。・先の見えない不安の中でも、皇后陛下のお言葉のように『相手への思いやり』を改めて大切にしたいと思いました。・なんて温かいお言葉…。思わず目頭が熱くなりました。どうかお身体を大切に、笑顔でお過ごしください。さまざまな不安が渦巻く中で、皇后陛下のお言葉は多くの人の心を照らしたようです。今後も、体調を気遣いながら過ごしていただき、どうか健康に日々を過ごしていただきたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月09日2020年10月20日、美智子上皇后陛下は86歳の誕生日をむかえられました。産経ニュースによると、上皇后陛下は新型コロナウイルス感染症拡大を危惧し、外出を控え上皇陛下に寄り添いながら静かに過ごされているといいます。同日に宮内庁が発表した上皇后陛下の『あるお言葉』が、ネット上で「素敵」「心が救われた」と話題です。『できなくなったこと』への考え方上皇后陛下は、2019年8月に早期の乳がんと診断され、翌月に手術を受けられています。それ以降、術後のホルモン療法が影響とみられる左手指のこわばりにより、得意のピアノ演奏に支障がでているとのこと。難しくなってしまったピアノ演奏に対し、上皇后陛下はこう考えられているといいます。今まで出来ていたことを授かっていたこととお思いになるのか,お出来にならないことを「お返しした」と表現され,受け止めていらっしゃるご様子です。宮内庁ーより引用以前のようにピアノが弾けないことを、上皇后陛下は「今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたもの」と受けとめているといいます。ネット上では、このお言葉に感銘を受けた人が続出しています。・美しいお言葉に、思わず心が震えました。生き方が言葉に現れるとはこのことですね。・美智子さまの素晴らしいお人柄がでていますね。今までできていたことに感謝して、ありのままの今を受け止める、素敵な生き方。・私は年を重ねて、段々とできることが少なくなっています。しかし、このお言葉を知って元気をもらえました。ありがとうございます。お言葉の中に、上皇后陛下のこれまで歩まれてきた人生やお人柄が、垣間見えます。上皇后陛下は、決して万全なご体調ではないようですが、上皇陛下に不自由がないように献身的に支えていらっしゃるそうです。30年もの間、上皇陛下とともに日本を支えてこられた上皇后陛下。どうかご無理をなさらず、これからも穏やかな笑顔でいていただきたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月21日上皇后・美智子さまは10月20日、86歳の誕生日を迎えられた。宮内庁によると、今年は美智子さまのお気持ちにより、すべてのお誕生日行事や恒例のお祝い御膳も中止されるという。上皇ご夫妻が皇居から高輪の仙洞仮御所にお引っ越しされたのは3月31日。美智子さまはそれ以来、宮内庁病院での検診を除いていっさいの外出を控えられてきた。誕生日に際して上皇職は、美智子さまの体調について以下のように発表している。《今年5月以降、ほぼ毎日、午後にお熱が37度を超え、翌日に平熱に戻る原因不明の症状がおありで、今も続いています》《昨春からのご体重の減少は、少し落ち着かれたものの未だご回復に至らず、心不全の診断指標であるBNP値も高い状態が続いています》いったいなぜ、美智子さまは体調を崩されてしまったのか。原因不明の発熱について《ご移居前の長期にわたる、時として早朝から夜遅くに及ぶ引き移りのためのお仕事のお疲れが未だおありだと拝察されます》と説明している。昨年、白内障と乳がんの手術をされたばかりの美智子さまにとって、3月の引っ越しはかなり“過酷”なものだったようだ。上皇陛下と美智子さまが、以前お住まいだった吹上仙洞御所に転居されたのは’93年12月。赤坂御所から運び出された荷物は2トントラック100台分。そのうち“私物”は6割で、約120トンに及んだ。今回は赤坂御用地内に新設された倉庫に運び込まれたものも多かったようだが、それでも膨大な品々の“仕分け”が必要だった。「膨大な荷物は国内外から献上された逸品はもちろん、上皇ご夫妻が結婚されてから60年間の思い出が詰まった品々ばかりです。美智子さまはご退院後、早朝4時ごろから起床され、長い日には1日15時間もお荷物の整理をされていました。側近が制止するも、『そうはいかないのよ』と手をお休めにならなかったそうです」(前出・宮内庁関係者)満身創痍ともいえる美智子さまだが、上皇職の説明によれば、それでも上皇陛下をお支えすることを第一にしていらっしゃるという。《上皇后さまがお過ごしになるお時間の大半は、ご高齢となった陛下に寄り添ってお支えになることに費やされています。ご自身も決して万全なご体調ではありませんが、陛下にご不自由がないよう、また、日々を楽しくお過ごしになれるようきめ細かくお心を配っていらっしゃいます》美智子さまがそれほどまでに上皇陛下を献身的にお支えになる理由について、宮内庁関係者はこう語る。「天皇ご一家が皇居の旧吹上仙洞御所に引っ越されたあと、上皇ご夫妻は赤坂御所にお引っ越しされます。しかし、コロナ禍で改修工事が進まず、お引っ越しのスケジュールが大幅に遅れているのです。赤坂御所は、上皇ご夫妻が昭和から平成の初めまでご家族と過ごされた思い出の場所。赤坂御所での暮らしを心待ちにされている上皇陛下のためにも、美智子さまは全力でお支えになるご覚悟なのです」
2020年10月20日天皇皇后両陛下は10月1日、小中学校の校長会会長や東京都教育委員会教育長ら4人を赤坂御所に招き、コロナ禍の教育現場について説明を受けられた。「両陛下は、教職員の精神的、肉体的疲労を心配して『敬意とねぎらいの気持ち』をお伝えになりました。また、子供たち自身が困難な状況の中で学校生活を充実させようと努力していることを心強く思ったと、感想をおっしゃりました」(宮内庁関係者)懇談は午後5時から1時間ほどの予定だったが、両陛下は予定の倍近い約2時間にわたって話を聞かれた。雅子さまは、子供たちの生活、貧困家庭への対応や児童虐待、心のケアなどについて、熱心に質問をされたという。長引くコロナ禍は、子供たちの生活にどのような影響を及ぼしているのだろうか。両陛下が’18年5月に訪問された滋賀県米原市の福祉施設「ふくしあ」のセンター長、中村泰之さんに話を聞いた。「脳や体に障害のある子供たちがリハビリのために通っていましたが、デイサービスの子供たちには利用を控えてもらいました。自宅に伺うことができず、ご家族に電話して様子を聞いたり、お遊びを動画で配信したりするなど、3月から5月までは大変でした。現在も感染防止に細心の注意を払っています」’02年、’06年と’16年の3度にわたり、雅子さまが訪問された児童養護施設「福音寮」の理事長である飯田政人さんは、「コロナ禍で日常的にできていたことができなくなりました。子供たちが外に出られなくなってしまい、近所の公園に遊びに行くことすら難しくなりました。施設で親御さんとの面会もできずに電話で話をするだけという時期もありましたので、今でも不安を感じている子供が大勢います」前出の「ふくしあ」の中村さんは、両陛下のご訪問は施設の職員や利用者にとって大きな励みになったと語る。「両陛下がこちらにいらしたときには、利用者がたいへんに励まされました。両陛下が直接いらっしゃって、そのご様子が報じられたことで、地域の方々にも施設のことを知ってもらうことができました。そのように周辺の住民の方々の理解が広がったことで、利用者も胸を張って施設に通うことができるようになったと思います。両陛下からとても大きな力をいただいたと感謝しています」コロナ禍のため施設への訪問は難しい状況だが、天皇皇后両陛下は今回の懇談で、教育現場と子供たちへエールを届けられたのだ。「女性自身」2020年10月27日号 掲載
2020年10月16日「家庭での虐待は大丈夫ですか」「コロナに罹った子供たちが、いじめに遭っていませんか」天皇皇后両陛下は心配そうなご表情で、そう問いかけられた。10月1日、小中学校の校長会会長や東京都教育委員会教育長ら4人を赤坂御所に招き、天皇陛下と雅子さまはコロナ禍の教育現場について説明を受けられたのだ。「皇后さまのご質問からは、コロナで生活が一変した子供たちに心から寄り添っていらっしゃることが伝わってきました。午後5時から1時間ほどの予定でしたが、終わったのは午後7時前でした」(東京都教育委員会事務局の担当者)これまで両陛下は、さまざまな分野の専門家から新型コロナに関するご進講を受けられてきたが、約60分間もの“大幅延長”は前例がない。今回のご説明に出席した東京都公立小学校長会会長の喜名朝博さんが、両陛下のご様子を明かす。「学校の行事が中止になり、子供たち同士の関わりやそこで育つ力を得られる機会が減っているとご説明申し上げますと、皇后さまは『運動会などが楽しかったと今でも言っています』と愛子さまのお話をしてくださり、学校行事の大切さについてよくご理解いただいていると感じました。私たちが説明しているときも、質問をされるときも、とても真剣にメモを取られている両陛下のお姿からは、ご関心の高さがうかがえました」雅子さまは今回の懇談の中で「虐待が増えていませんか」と、前出の喜名さんに質問されている。児童虐待は、雅子さまがとくに強い関心を示されてきた問題だ。《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》’18年12月、雅子さまは誕生日に際してのお言葉で児童虐待の増加を憂慮されている。さらに翌’19年にも子供の貧困や虐待の問題に《心が痛みます》と、2年連続で言及されているのだ。厚生労働省によると、子供が親などから虐待を受けたとして児童相談所が対応する件数は年々増加の一途をたどり、今年1月からの半年間では9万8千件余りと過去最多のペース。緊急事態宣言が発令された4~5月は、昨年同期比で2%減っているが、虐待の“潜在化”という事態も危惧されている。つまり学校の休校や外出自粛に伴い、周囲の人が子供の異変に気づく機会が少なくなっているということだ。また、感染の恐れを理由に、児童相談所の職員が家庭訪問を断られるケースもあるという。コロナ禍は、児童虐待の実態把握と対策を困難にしているのだ。雅子さまは愛子さまがお生まれになってから、児童問題にいっそう力を注がれるようになり、児童養護施設を何度も訪れて、保護者がいない子や虐待された子らと交流されている。また聖路加国際病院にもたびたび足を運び、重病の子供たちを励ました。だが、コロナ禍で両陛下の施設訪問は難しい状況となっている。宮内庁関係者が言う。「陛下も雅子さまも、苦境にある子供たちに直接お会いになって激励される形がいちばん望ましいと思われているのは間違いありません。ですが新型コロナの完全な終息が見えない現状では当面、それは不可能です」4月には天皇陛下が“お手元金”から子供の貧困対策に取り組む『子供の未来応援基金』に5千万円を寄付されましたが、法律で寄付の上限が定められているため、1年に何度も行うことはできない。「雅子さまも、5月に日本赤十字社社長からのご進講でのお言葉が宮内庁HPに掲載されて以降、皇后としての公式なメッセージは発信されていません。5カ月に及ぶ“沈黙”には、雅子さま自身のもどかしい思いもおありでしょう。外出を伴う公務が難しい現在、両陛下は“新機軸”となる活動を模索されているのではないでしょうか。そんな中、今回の懇談にも今後の活動への“ヒント”があったように感じます」(前出・宮内庁関係者)今回の教育関係者らとのご面会で、休校期間中に教員が電話やパソコン、タブレット端末などで生徒と関わることで、以前よりむしろ深く話せる機会も生まれたと説明があった。天皇陛下は「コロナを経て見えてきたことをチャンスに変える発想の転換も必要ですね」と述べられたという。実は皇室でも、少しずつではあるがリモートの活用が進み始めている。この8月には両陛下が、新型コロナ流行下での水防災をテーマとした国際オンライン会議をお住まいの赤坂御所で聴講された。9月には、秋篠宮家の次女・佳子さまが、オンラインで開催された「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」の開会式に動画で手話によるメッセージを寄せられた。現場に足を運び、直接対面して思いを伝える――。天皇陛下と雅子さまが上皇ご夫妻から引き継がれた皇室のあり方も、コロナ禍の長期化でより柔軟な対応が必要となっているのだ。「雅子さまは“困難な状況にある子供、虐待を受けている子供に希望を与えたい”という強い思いを持っていらっしゃいます。施設への直接の訪問がかなわない今、リモートで励ましの言葉を届けることはできないか――。雅子さまは前例なき試みの実現に向けて、すでに動きだされているのです」(前出・宮内庁関係者)苦しい状況にある子供たちに希望の光を――。子供たちの笑顔を取り戻すため、雅子さまの“慈愛の決断”が揺らぐことはない。「女性自身」2020年10月27日号 掲載
2020年10月16日天皇皇后両陛下は8月20日、水の防災についての国際会議をオンライン聴講された。コロナ禍における各国の水害対策などが話し合われた会議は2時間半にわたって英語で行われ、両陛下はメモをとるなど熱心に話を聞かれた。天皇陛下は会議の終了後に「大変意義のある会議でした。世界各国が手を携えてこの困難を乗り越えてほしい」と述べられたという。「水問題」といえば、天皇陛下のライフワーク。6月にも水問題の研究者である廣木謙三政策研究大学院教授を赤坂御所に招き、手洗いの有用性や水害発生時の影響など、新型コロナと世界の水問題について説明を受けられていた。このときは、天皇陛下単独でのご進講だった。しかし今回、天皇陛下と雅子さまはご一緒にオンライン会議を聴講された。「コロナ禍により、避難や救出活動における感染拡大防止といった、新たな課題が生まれています。国民の暮らしに密接に関わる問題として、コロナ禍における水害問題についてお二人で取り組まれたいという強い思いがあったのではないでしょうか」(皇室担当記者)7月上旬に熊本県を中心に発生した集中豪雨について、心を痛めていらっしゃったという両陛下。7月20日には宮内庁の池田次長が「新型コロナウィルス対策のため災害対応も難しさを増している中で、日夜努力している関係者のご労苦に対し、おねぎらいのお気持ちをお持ちでいらっしゃいます」と、両陛下のご心情を伝えている。天皇陛下は国際会議での講演で、地球温暖化による水害の多発に警鐘を鳴らし続けてこられた。今年2月の誕生日会見でも《防災・減災の重要性を考えていく上で、「水」問題への取組で得られる知見も大切にいかしていきたいと思います》と述べられていた。また雅子さまも昨年12月の誕生日に際しての文書で《近年、日本のみならず、世界各地でも水害や山火事などの自然災害が多く発生しており、地球温暖化や気候変動などの問題が現実のこととなりつつあることが案じられます》と綴られていた。天皇陛下は’19年4月に刊行された著書『水運史から世界の水へ』に《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》と記されている。「水問題」について、雅子さまも以前から関心を持ち、陛下をサポートされてきたのだ。コロナ禍によりますます重大な課題となる水害対策。両陛下は「水問題」についての知見を生かした取り組みを続けられることだろう。
2020年08月25日「皇后さまからは『介護の現場では、みなさんが頑張っていらっしゃったのですね』と、労いのお言葉をいただきました」そう話すのは、「全国老人保健施設協会」会長の東憲太郎さん。6月23日に天皇陛下と雅子さまに、コロナ禍における老人介護の現状をご説明した。「3,600ほどの施設が当協会に加盟していますが、新型コロナウイルスの感染者が出たのは16カ所、クラスターの発生は5カ所でした。多くの施設では職員たちがたいへんな努力で感染を防いだこと。そしてクラスターとなった施設では、感染を逃れた数少ない職員で泣きながら介護をしていたことなどをお伝えしました。そのときの両陛下はとてもおつらそうなご表情を浮かべられ、現場の職員たちを真剣に心配してくださっていると感じました。『ご苦労されたのですね』と現場の職員たちを労う天皇陛下のお言葉に続いて、皇后さまから『日本の高齢者の方々をみなさんが守られているのですね。お体を大切になさってください』と励ましのお言葉をいただきました」4月10日、政府の専門家会議で副座長を務めた尾身茂氏に始まり、陛下と雅子さまがマスク姿で臨まれたご進講・ご接見は7月までに15回。医療関係団体から児童福祉や老人福祉、生活困窮者支援まで、その分野は多岐にわたる。NPO法人「キッズドア」理事長の渡辺由美子さんも、7月21日に両陛下にご接見をたまわった。コロナ禍における、生活困窮世帯の子供たちへの支援状況などをご説明したという。「実は当初、予定時間は10分だったのですが、事前に侍従の方から『両陛下はとてもご関心をもっていらっしゃるので、(予定より)ゆっくりお話しください』と伝えられていました。熱心にメモを取られる両陛下のお姿から、子供たちを心配されるお気持ちが伝わってきました。皇后さまからは『どういうボランティアの方がいらっしゃるの?』『お母さまたちの様子はどうですか?』とさまざまな質問をいただきました。『本当にたいへんな活動をなさって。ありがとうございます』ともおっしゃってくださいました」コロナ禍の外出自粛を機に「キッズドア」では、それまで行っていなかったオンラインの学習支援への取り組みを開始した。渡辺さんとともに2つの団体の代表が、コロナ禍で生まれた工夫やつながりを、子供たちを地域で支える社会へと変えるきっかけにしたいと説明した。すると陛下は「ピンチはチャンスになりますね」とおっしゃったという。7月下旬から再び全国各地で感染者数が急増。両陛下と国民の直接的なご交流は途絶えたままだ。「前例踏襲にこだわる宮内庁は、ビデオメッセージやSNSの活用といった試みにも及び腰です。お出ましにもなれず、メッセージを発信される手段も極めて限られている……。皇室の存在意義が問われる“危機的状況”といっても過言ではありません。そういった状況下でもなんとか国民を励ましたいという両陛下の思いが、15回にも及んだご進講とご接見に表れているのではないでしょうか」(皇室担当記者)毎週のように行われたご進講・ご接見には、どのような意味があるのだろうか。象徴天皇制を研究する歴史学者で、名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉さんはこう語る。「両陛下には、子供・老人・生活困窮者など、感染拡大によって間接的に影響がある人々の状況まで知りたいという思いがあるのではないでしょうか。認知症や知的障害に関する取り組みをしている方にも話を聞いているのは、そういった社会的に弱い立場の人々への影響をとくに心配しているようにも受け取れます」4月の尾身茂氏のご進講後には、天皇陛下による冒頭のあいさつが公表されている。「あいさつの公表は異例のことで、非常に驚きました。とくに《私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら》という文言は、ビデオメッセージが出せないなかで、かなり強いメッセージ性を込めたものに感じました。また日赤社長のご進講にあたっては、雅子皇后のあいさつも公表されました。これは、天皇皇后が心を合わせて国民のことを心配しているという姿を示そうとしたのではないかと思います」(河西さん)雅子さまはこのとき、医療の最前線で働く医師や看護師、その家族や関係者の苦労や頑張りへの理解を示され《陛下とご一緒に心からのお礼の気持ちをお伝えしたい》と述べられている。天皇皇后というお立場ゆえに極めて制約が多く、できないことだらけであっても、工夫をこらして国民に思いを届けたい――。15回のご進講とご接見には、まさに両陛下の“ピンチを希望に!”という切なる願いが込められているのだろう。今年4月、天皇陛下の即位に当たり、両陛下から「子供の未来応援基金」に5千万円が寄付された。その一部が新型コロナへの緊急支援に使われ、「キッズドア」のオンライン学習支援にも使われている。前出の渡辺理事長が言う。「ご接見の終わりに、両陛下からご寄付とお気持ちを寄せていただいていることを、子供たちや保護者に伝えたいと申し上げました。すると皇后さまから『ぜひ、どんどん伝えてください。子供たちに私たちも応援していることや、頑張ってほしいと願っていることを伝えてください』とのお言葉をいただきました。コロナ禍でなければ、現場に行って励ましたいと思っていらっしゃるように、強く感じました」再び国民と触れ合える日がくるまで、希望に向かって、天皇陛下と雅子さまのご奮闘は続く――。「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載
2020年08月12日「天皇皇后両陛下には、この度の大雨災害で多数の方々が犠牲となり、また、依然として多くの方の安否が不明であること、数多くの方々が被災されていることに大変心を痛めておられます」7月6日、宮内庁の池田憲治次長は会見でこのように述べ、天皇陛下と雅子さまのお見舞いの気持ちを明らかにした。7月に入ってから続いている長雨は九州や島根県、岐阜県、長野県などで豪雨災害を起こし、多くの犠牲者、行方不明者を出している。皇室担当記者は次のように話す。「両陛下は昨年12月26日、昨年10月の台風19号で大きな被害が出た宮城県と福島県の被災地を訪問され、被災地の方々に直接話しかけられてお心を寄せられています。また両陛下は被災の現場をご覧になり、痛ましい状況を理解されているだけに、今回の豪雨被害についてもたいへんに心配されていることと思います」両陛下の被災地でのお姿には、常にお二人で力を合わせ、国民のことを思い、お心をお寄せになっているという姿勢が感じられる。そのスタイルが被災地ご訪問で色濃く出て、印象に残った場面があった。平成も残り少なくなった’18年9月、両陛下は’17年7月の九州北部豪雨で最も被害が大きかった福岡県朝倉市の復興状況を視察されている。この時、約100人の被災者が暮らしていた朝倉市杷木地区の仮設住宅「林田団地」をお訪ねになった。この仮設住宅の入り口で両陛下のご到着を待っていた人々の中にいたのが、当時97歳の古賀チトセさんだった。お車から降りられた雅子さまはすぐに車椅子に座っていた高齢の女性に気づき、チトセさんの前で膝を折られ話しかけられたのだ。雅子さまはチトセさんの手を両手で包み込むようにして「冷たくなっていますね」と温められ、「長生きしてくださいね」と声を掛けられた。長時間外で待っていたチトセさんの体が冷えているのを、雅子さまは気遣われたのだ。雅子さまのご様子を隣でご覧になっていた天皇陛下も、思わず手を伸ばされて、チトセさんの手を握られた。古賀さんは「天に昇るような気持ち。私は本当に幸せ者です」と、喜びを語っていた。「この時のご様子から、これがご即位された後の国民との触れ合いのスタイルとなると感じられました。雅子さまの国民への寄り添い方を陛下が理解され、ともに国民を励ましたいというお気持ちがはっきりと出ていたのです」(前出・皇室担当記者)古賀チトセさんは、今年5月14日に亡くなったという。享年101だった。三女の公子さんが、チトセさんの気持ちを話してくれた。「母は、3年前に雅子さまとお会いしたことを支えにして生きてきたと思います。『雅子さまはお車を降りられて、まっすぐ私の方に歩いてきてくれました。この嬉しい気持ちがわかりますか?』と、なんどもなんども口にしていました。戦前生まれの母にとって、天皇陛下と雅子さまに励ましていただいたことは、きっと天にものぼるような気持ちだったのだと思います。高齢になって、先祖代々300年以上住んできた家が流され、避難生活を送ることになった母にとって、雅子さまの励ましは本当にありがたかったのです」亡くなった当日の5月14日は、チトセさんの80回目の結婚記念日でもあった。結婚式の写真は’17年7月の豪雨で自宅が水害で全壊した時に行方不明になっていたが、偶然にも亡くなる1週間前に見つかったのだ。チトセさんの遺骨は、その結婚式の写真と、両陛下と一緒にチトセさんが写っている写真とともに、納骨堂に置かれている。葬儀の日、チトセさんの孫(公子さんの息子)は、参列者への挨拶にこう述べた。「祖母は両陛下に励まされたことを生きがいとして、今日まで頑張ってきたと思います……」これまで両陛下がお見舞いに訪れた被災地の人たちのなかには、チトセさんのように天皇陛下と雅子さまと触れ合ったことで、全てを失っていてもこれから頑張らないといけないと、生きる力が湧いてきたという人もいる。公子さんはこう気持ちを話す。「今年も災害が続き、雅子さまはお辛い気持ちでいらっしゃることでしょう。このコロナ禍が終わったのちに各地にお出かけになり、母を励ましてくださったように、被災者に寄り添って欲しいと思います」「女性自身」2020年7月28日・8月4日合併号 掲載
2020年07月21日天皇皇后両陛下は7月6日、九州の大雨による被災者にお見舞いの気持ちを表された。宮内庁によると両陛下は大雨により多くの人が犠牲になり、いまだに安否のわからない人がいることにたいへん心を痛めていらっしゃるという。新型コロナの感染拡大が国民的な危機となっている一方で、国民の声を直接聞く機会を作ることは難しく、天皇皇后両陛下にとっても、もどかしい日々が続く。そんな中、両陛下の“側近”が一新される人事が発表された。天皇家の相談役とされる宮内庁参与が、6月18日付で交代となったのだ。上皇ご夫妻の御代から参与を務めてきた4人は退任し、兵庫県立大学理事長の五百旗頭真氏、元宮内庁長官の風岡典之氏、前最高裁判所長官の寺田逸郎氏が就任した。宮内庁参与とはどのような役割を担う存在なのだろうか。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんに聞いた。「参与は天皇の個人的な相談相手という位置づけになります。上皇陛下が退位について参与に相談されたという報道もありましたが、そのように天皇が方針や意向を決める前の段階で、まだ胸の内にあるような事柄を参与に相談されることが多いと思われます」つまり、宮内庁参与は天皇家の意思決定をサポートする、重要な立場にあるのだ。参与の選任について前出の宮内庁関係者に聞くと、「宮内庁長官や侍従長は国家公務員であり、人事権は内閣が持っています。天皇陛下はその人事について希望を言うことはできません。一方で、私的なアドバイザーである宮内庁参与は、内閣の関与を受けることなく、天皇陛下が唯一、最終決定権を持っている人事なのです。候補者は宮内庁がリストアップし、最終的には天皇陛下の了解があって初めて決まります。平成以降は皇后陛下もこの人事に関わるようになったといわれていますので、雅子さまのご意見も人選に反映されているはずです」宮内庁参与の交代は、今後の皇室にどのような変化をもたらすのだろうか。「今回就任した3人の参与の中で、とくに注目すべきなのが五百旗頭氏です」そう語るのは皇室担当記者。日本政治外交史を専門とし、神戸大学教授、防衛大学校長などを歴任してきた五百旗頭氏だが、「実は、五百旗頭氏は過去に、女性天皇を認めるべきという趣旨の発言をしているのです」’06年2月12日の『産経新聞』への寄稿で、戦後日本における昭和天皇の功績に触れた上で、五百旗頭氏は次のように綴っている。《国民の幸せを切に願う天皇制の伝統は今も変わっていないと思う。性別にこだわって廃絶の危険を冒すのではなく、男女いずれであれ、おだやかな敬愛を集め国民とともにある天皇制を望みたい》’06年2月といえば、紀子さまの悠仁さまご懐妊が公表されたことで、小泉純一郎政権下で国会提出直前まで進んでいた、女性天皇を認める皇室典範改正案が見送られたとき。だがそのさなかに五百旗頭氏はあえて“女性天皇容認発言”をしていたのだ。産経新聞は6月20日「小紙『正論』欄で、女性天皇実現の可能性に言及したこともある」とし、「宮内庁が天皇陛下の相談役に選んだ意図が分からない」と批判的に取り上げていた。男系男子による皇位継承の維持を主張する産経新聞に“女性天皇推進派”とみなされている五百旗頭氏だが、なぜ宮内庁参与に抜擢されたのだろうか。「実は3年前、天皇陛下と雅子さまはそろって五百旗頭氏と面会されているのです」(宮内庁関係者)’16年の熊本地震のあと、’17年1月に皇太子ご夫妻だった陛下と雅子さまは、「くまもと復旧・復興有識者会議」で座長を務めていた五百旗頭氏を東宮御所に招いて、約1時間半にわたって説明を受けられた。「天皇陛下と雅子さまは五百旗頭氏と直接会話を交わされる中で、五百旗頭氏が信頼できる人物だとお感じになったからこそ、参与就任につながったのでしょう。宮内庁は当然、参与の候補者が皇室についてどのような考えを持っているか、過去の発言などを確認しています。両陛下も、女性天皇についての五百旗頭氏の考え方は宮内庁からの説明で把握されているはずです。今後は皇位継承問題、愛子さまの将来についても、五百旗頭氏に助言を求めることになるでしょう」(前出・宮内庁関係者) 精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、皇后になられてからの雅子さまに考え方の変化があるのではないかと語る。「雅子さまは皇室に適応できないストレスが原因で、長い間療養生活を続けてこられました。ご体調が芳しくなかった時期は、愛子さまにはご自身のように皇室の中で重圧を感じることなく、人生を自由に過ごしてほしいと思われていたのではないでしょうか。しかし、昨年、皇后となったことをたくさんの国民に祝福され、その声がご自身の励みとなり、ご回復の力にもなっていると思います。皇室への愛着も、この1年でいっそうお強くなったはずです」この春に大学生となられた愛子さまにも、皇室の一員としての自覚が芽生えつつある。「雅子さまは愛子さまの将来に関しても、愛子さま自身の意思を尊重されつつも、女性天皇という道を選択肢の一つとしてお考えになっているかもしれません。愛子さまご自身も、皇室の歴史についても学ばれ、皇室の一員としての役割を受け入れていらっしゃるように感じます。両陛下とお話しになる中で、将来はご自身が天皇になる可能性があるということを、少しずつお考えになっていることでしょう」(香山さん)雅子さまのご覚悟が、愛子さまの未来を切り拓いていく――。「女性自身」2020年7月21日号 掲載
2020年07月11日「令和という新時代を迎えた日本。第126代の天皇として陛下が即位されました」天皇皇后両陛下が“主役”となった初めてのDVD『天皇皇后両陛下-令和を迎えて-』は、流麗なナレーションで幕を開ける。宮内庁の企画によるこのDVDは6月23日に発売。同じ映像は政府インターネットテレビでも配信されており、全世界で視聴できる。宮内庁総務課報道室に編集意図について質問すると、「国民の幸せを祈っておられる天皇皇后両陛下のご姿勢やお人柄を感じていただけるのではないかと考え製作しました」映像を見た皇室ジャーナリストは、気になることがあったという。「上皇陛下と美智子さまのお姿がほとんど映っていなかったのです。天皇皇后両陛下が”主役”とはいえ、逆に少し不自然というか……」美智子さまは3月31日に東京・高輪の仙洞仮御所にお引っ越しされて以来、約3カ月にわたりいっさい外出されていない。一方で上皇陛下は、緊急事態宣言解除後の5月28日、引っ越し後初めて皇居内にある「生物学研究所」を訪問された。その後も週に1度のペースで同研究所を訪れ、ライフワークのハゼの研究を続けられている。仙洞仮御所に“おこもり”になって3カ月の美智子さまは、現在どのような生活をされているのだろうか。宮内庁関係者が明かす。「上皇侍従次長が、引っ越し前後から美智子さまに微熱のご症状が続いていることを公表したのは、5月14日の記者会見でした。それから1カ月半たった現在も、美智子さまの微熱のご症状は続いているようです。ただ、微熱の頻度は徐々に低下傾向にあるそうです。伏せていらっしゃるわけではなく、上皇陛下とお二人で毎朝欠かさず、ときには夕方も仮御所内の敷地を散策されているそうです」そんななか宮内庁職員たちは、ご高齢の上皇ご夫妻が新型コロナウイルスに感染することのないように、日ごろの生活にも細心の注意を払っているという。折を見て美智子さまと電話で話をするご友人で、美智子さまの著書も編集した元編集者の末盛千枝子さんは、以前から美智子さまの健康状態を心配していたと明かす。「御代替わり以降、いろいろと気にされていた時期がありました。電話では弱々しいお声で、あれこれ考えておられるご様子でした。そうした上皇后さまの言葉を、心配な思いでお聞きしたこともありました。どれほど、つらく思われていたでしょうか」雅子さまに皇后のお役目を引き継がれ、表舞台を退かれたのち、美智子さまはそういった“懊悩”をご友人に明かされていたのだ。そして末盛さんは、2週間ほど前にも、美智子さまと電話でお話ししたという。「昨年の御代替わり前の忙しさでお痩せになり、手術やご体調の不良、さらにお引っ越しのお疲れもあり、上皇后さまはこのところお声も弱々しく元気がないようでした。私もずっと心配していたのですが、前回お話ししたときには、お声に元気が戻ってこられたような気がして、とてもホッといたしました」今年の6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦終結から75年。上皇陛下と美智子さまは仙洞仮御所で静かに黙?を捧げられた。美智子さまは現在、新型コロナウイルスの情報にも強く関心を寄せられているという。「やはり国民の健康と生活をとても心配されているのだと思います。新型コロナに関するニュースは、注意深くご覧になっています。疑問があったり、詳しくお知りになりたいときは、侍従らに質問されているようです」(前出・宮内庁関係者)「女性自身」2020年7月14日号 掲載
2020年07月03日美智子さまから引き継がれたご養蚕の作業のため、お車で皇居へ向かわれる雅子さま。その隣には天皇陛下のお姿が――。6月2日、天皇陛下は雅子さまとご一緒に皇居・紅葉山御養蚕所へ。陛下は「かわいいね」と雅子さまに声をかけながら、成長した蚕の世話をされたという。皇室担当記者は驚いた様子でこう語る。「上皇陛下も何度か、美智子さまと繭を収穫されたことはあります。ただ、繭ができる前から一緒に作業をされることはほとんどなかったと思います。今回の“夫婦共同作業”は、異例のことでした」6月9日には、ご結婚27周年を迎えられた天皇皇后両陛下。緊急事態宣言は解除されたが、まだまだ新型コロナウイルス感染症の拡大は予断を許さない状況だ。「皇后となられた令和元年、雅子さまのご活躍ぶりは目覚ましいものでした。世界約190の国や機関から賓客を招いた『即位の礼』でも堂々たるお振舞いで、世界の王族と親交を深められました。卓越した語学力を生かした国際親善など、皇后としての2年目は、さらに雅子さまらしさが発揮されるはずでしたが……」そう語るのは前出の皇室担当記者。突如やってきたコロナ禍という“逆風”は、雅子さまにもショックを与えているという。「名誉総裁として臨まれるはずだった、5月の日本赤十字社の全国赤十字大会が中止になりました。さらに、5月ごろに予定されていた、天皇皇后となられて初の海外ご公務となるイギリスご訪問も延期に。東京五輪も1年延期となり、海外に行くことも、日本に賓客を招くこともいっさいできなくなりました。気丈に振る舞われている雅子さまですが、皇后として大きな目標とされてきた大切な行事や、国際親善の場が次々となくなり、沈みがちな日もあるという話も聞こえてきます」実際に5月18日には、ご養蚕作業を当日直前になってキャンセルされたことも。ご体調が整わなかったことが原因とみられている。「今回、天皇陛下が蚕の世話を雅子さまとご一緒になさったのは、陛下たってのご希望だったと聞いています。できるかぎり近くにいて、見守りたい――。そういった陛下の深いお気持ちを感じる出来事であったと思います」(宮内庁関係者)天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《できる限り雅子の力になり、支えていきたい》と語られていた。陛下が《雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから》とプロポーズされたのは28年前のこと。にこやかな養蚕作業には、雅子さまを「私が守る!」という陛下の今も変わらぬ強いご意志が滲んでいたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう言う。「イギリスご訪問などは、長い時間をかけて、以前からしっかりと準備されていたと思います。そのぶん、突然のコロナ禍での延期は、雅子さまにとって大きなストレスにもなりえます。そんなときに天皇陛下がご養蚕に同行されたことは、雅子さまにとっては陛下のお気持ちを感じて、とても心強かったはずです」しかし、世界を覆うコロナ禍は、いまだ皇室の活動にも暗い影を落としている。「2月23日の天皇誕生日の儀式および一般参賀がお取りやめになったのを皮切りに、ご公務は次々と中止されて、皇族方のスケジュールは白紙状態が続いています。天皇皇后両陛下のお出ましは、8月15日の『全国戦没者追悼式』までないのではないでしょうか。このまま皇室と国民の触れ合いや交流がない状態が続くと、皇室に対する国民の敬愛が薄れて、存在意義を失ってしまうのではないかと宮内庁内でも危惧されています」(前出・宮内庁関係者)そんななか、すでに両陛下は前例なき「皇室改革」へ向けて一歩踏み出されているとみるのは、皇室ジャーナリスト。「陛下と雅子さまが、5月20日、日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招いてご進講をお受けになりました。翌日、そのときの両陛下のお言葉が、それぞれ宮内庁のホームページで公表されたのです。誕生日のご感想以外で“皇后のお言葉が単独で”公表されるのは異例のことです」両陛下は6月3日にも、全国保健所長会の副会長ら保健所関係者3人と面会し、現場の状況などについて懇談された。「宮内庁は新型コロナウイルスをめぐり、両陛下が専門家から説明を聞くご進講や面会に関して、その場でのご発言内容をこれからも公表していくとしました。そして、公表は天皇陛下のご意向を踏まえたものであると明かしたうえで、『その時々にでき得る、最大限のお気持ちの発信の形』と説明したのです」つまり陛下と雅子さまは、前例を打破し、現場の医療関係者に労いのお言葉、国民へのメッセージを発信したのだ。海外渡航が制限されているコロナ禍の状況では、雅子さまが皇室に入られたときから望まれている国際親善もままならない。しかし、前出の皇室担当記者によれば、その状況だからこその“ステイホーム外交”を両陛下が始められているのだという。「陛下は4月、スペイン国王フェリペ6世と両国の状況について電話会談されています。また、カナダのジュリー・ペイエット総督から見舞いの電報が寄せられたのをきっかけにして、電報でのやり取りをされ、コロナ禍に協力して立ち向かうことを確認されています。両陛下が特に親しくされている海外王室といえばオランダとベルギーの王室が筆頭に挙げられますが、それ以外の王室とも緊密なお付き合いがあります。今後、スカイプやズームを使ってのオンライン交流が行われていく可能性も高いのです」前出の香山さんも、両陛下の挑戦に賛成だという。「陛下と雅子さまが現在学ばれている新型コロナの知識を生かして、オンラインで病院の関係者を励まされるなどの新しい活動は、近い将来実行なさる可能性があるのではないでしょうか。過去の慣例から脱却して、新しいスタイルで国民に寄り添われることも素晴らしいと思います」逆境の中、二人三脚で進められている改革――。皇室と国民の距離は、さらに近づいていくはずだ。「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載
2020年06月09日「現状、皇族方のご公務の予定はまったくの白紙状態です。国事行為として天皇陛下が臨まれる国務大臣らの『認証官任命式』さえも、今月から実施が見送られています」宮内庁関係者は、皇室にも重くのしかかる新型コロナの影響をそう語った。天皇皇后両陛下は4月28日に公益社団法人日本経済研究センターの岩田一政理事長を赤坂御所に招き、新型コロナが経済に及ぼす影響などについてご進講を受けられた。両陛下はこれまでにも、4月10日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の尾身茂副座長、15日には厚生労働省の鈴木康裕医務技監からご進講を受けられてきた。「ひとつの事象に関して、さまざまな立場にある専門家の人たちから多角的に知見を聴取するのが皇室流の学習の在り方なのです。陛下と雅子さまのご意向を受けて、宮内庁は現在、看護協会関係者や薬剤の研究者、WHOの関係者などからのご進講も調整しているそうです。今後もさまざまな分野の専門家が次々と皇居に招かれることになるでしょう」(皇室担当記者)天皇陛下と雅子さまは、現場の最前線で新型コロナに立ち向かう医療従事者たちを、とくに深く案じていらっしゃるという。専門家会議の尾身副座長によるご進講の際には、陛下が「日夜、現場で医療などに携わってこられている多くの関係者のご努力を深く多としています」と、医療関係者に感謝の言葉を述べられた。尾身副座長が保健所職員や医療関係者が毎日不安の中でオーバーワークしていると話すと、両陛下は「大変ですね」と、現場の医療従事者への共感を表明されたという。雅子さまは、日本赤十字社の名誉総裁に就任されてからまもなく1年になる。「実は、4月23日には日本赤十字社の大塚義治社長からのご進講が予定されていたのです。直接患者の治療をしている現場である病院側の声をお聞きになりたいという天皇陛下と雅子さまのご希望で設定されたものですが、現在のひっ迫した状況を鑑みて、一時延期ということになりました」(前出・皇室担当記者)日本赤十字社に状況を尋ねると、多忙を極めるなかで答えてくれた。「新型コロナウイルスという未知のウイルスへの対応は大変ではありますが、全関係者が患者さんの命を救いたいと願う一心で当たっているという状況です」毎年5月に開催される日本赤十字社の全国赤十字大会だが、今年はすでに中止が発表されている。「雅子さまは日本赤十字社の名誉総裁職を美智子さまから引き継がれました。いまご自分が何をするべきなのか、一生懸命に思案されているはずです。震災や水害のお見舞いのように、現場に足を運んで被災者に寄り添うことはできません。皇室の存在意義が問われていると言っても、過言ではありません」(前出・宮内庁関係者)この状況下で、直接会うことのできない国民にどう寄り添っていけばいいのか――。「美智子さまは『皇室は祈りでありたい』とおっしゃいました」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。平成の御代、災害や苦しみがないときも国民の生活の安寧を願い、上皇陛下は国民のために祈りを続けられてきた。「上皇陛下のそのお気持ちを理解され、ご一緒に祈りを続けられたのが美智子さまです。たしかに、祈りとともに行動を起こされるのも美智子さまらしさでした。被災地にお見舞いされ、被災者に寄り添い、現地を支えているボランティアの方々に感謝や激励をされてきました。コロナ禍の現在、同じように現場に足を運ぶことはできません。しかし、本当に大事なのは『祈り』の心なのではないでしょうか」(渡邉さん)イギリス王室では、ウィリアム王子とキャサリン妃が、医療従事者や救急隊員らに感謝の言葉を伝える電話をしているそうだ。また、医療従事者らの子どもたちにもビデオチャットで励ましの言葉をかけている。「美智子さまと同じ形である必要はありません。イギリス王室のように、インターネットを通じて励ましのメッセージを送るという方法もあります。雅子さまなりのやり方で、医療従事者や子どもたちに寄り添い、命を守る支えになるというお気持ちを示していただければと思います」(渡邉さん)雅子さまのお気持ちが、命をかけてコロナと闘う医療従事者に届く日も近いはずだ――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月01日天皇陛下が、社会福祉に取り組む2団体に計1億円を寄付することになった。宮内庁が4月6日、発表した。即位に伴う寄付で、子供の貧困対策に取り組む「子供の未来応援基金」とNPO法人「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク」に5,000万円ずつ寄付される。「天皇陛下による財産の贈与は、日本国憲法や皇室経済法などにより特定のケースに制限されています。しかし先日、即位から1年間のみ1億円以内の寄付を可能とする国会議決が行われ、2つの団体への寄付が実現することになりました」(皇室担当記者)天皇陛下は子供の貧困問題や、ボランティアの被災者支援に対する国民の理解が深まることを願っており、私費から支出されるという。寄付金はどういった事業に生かされることになるのだろうか――。全国災害ボランティア支援団体ネットワークの広報担当者は次のように語る。「私たちは災害時に、ボランティアと行政や協力企業などとの連携や調整を行っています。災害時はもちろんですが、災害に備えて平時から各都道府県で人材育成するなど事前の準備が必要です。そういった用途に使わせていただくことになると思います」天皇陛下は雅子さまとともに、昨年12月にも台風19号で甚大な被害を受けた宮城県丸森町と福島県本宮市を日帰りで訪れ、被災者を見舞われている。被災地に足を運び、被災者を励まされることは、両陛下がご公務の中でもっとも大切にされていることの一つだ。もうひとつの寄付先である「子供の未来応援基金」に携わる独立行政法人福祉医療機構の担当者は「貧困状態にある子どもを草の根で支援するNPOなどを対象に支援を行っています。子ども食堂や学習支援などは大きな対象になっています」と語る。同じく「子供の未来応援基金」に携わる内閣府子供の貧困対策推進室の担当者にも話を聞くと、「宮内庁から、どういった基金なのかという問い合わせはありました。子ども食堂や、居場所のない子どもたちの居場所づくりを支援しています。18歳になり児童養護施設にはいられなくなり、親元にも帰れない人への支援なども含まれます」天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《近年の子供たちをめぐる虐待の問題の増加や貧困の問題にも心が痛みます。次世代を担う子供たちが健やかに育っていくことを願ってやみません》と話されていた。雅子さまも一昨年12月の誕生日に発表されたご感想で《国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》と綴られていた。天皇陛下と雅子さまが長年にわたり関心を持ち、応援されてきた被災者支援と子供の貧困対策。寄付金も有意義に生かされることだろう――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月01日制服姿で、ご学友と模擬店の食事を召し上がる天皇陛下(写真左から2番目)。’75年、学習院女子中・高等科の文化祭、八重桜祭での1枚だ。このときの様子を、学習院幼稚園からのご学友・速水敏昭さんが教えてくれた。「高等科1年の秋でした。陛下が『僕も女子部の文化祭に行こうかな』とおっしゃったので、それではご一緒しましょう、と友人たちと見学して回りました。展示や催しを見て、模擬店のカフェで食事をして、ジュースを飲みました。カレーライスや焼きそばを食べたように思います」普通の男子高校生らしい、青春の思い出。一方で、陛下は若いころから国民への優しさ・思いやりもしっかりとお持ちだったという。速水さんがその“才覚”を目の当たりにしたのは、1年生の夏休み。2人が所属していた地理研究会で旅した、金沢・能登でのことだった。「地理研究会の旅行では、陛下は一部員としてみんなで囲炉裏を囲み、おやすみになる際も部員たちと一緒に布団を敷いてお休みになっていました。それでも昭和の御代です。その旅では、大勢の歓迎を受け、道路に土下座して迎える人もいました。今でも覚えているのは、陛下がその地べたに座っている方たちの前に膝をつき、丁寧に挨拶されていたことです。天皇陛下は、高校時代には、将来のお立場への自覚をはっきりとお持ちだったのです」即位から1年。今でも、地方ご訪問やご静養の際に駅頭に集まった人たちには、丁寧に、時には気さくに話しかけられている陛下。雅子さまとともに、<国民の中に入っていく皇室>の姿を、これからも国民に示し続けられていくことだろう――。「女性自身」2020年3月3日号 掲載
2020年05月01日「感染症拡大は人類にとって大きな試練。今後、皆がなお一層心を一つにして力を合わせ、難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」天皇陛下は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長の尾身茂氏に、そう述べられた。天皇皇后両陛下は4月10日、お住まいの赤坂御所で、新型コロナウイルスの感染状況などについて尾身氏からご進講を受けられた。マスク姿で距離をとって座った両陛下は熱心に説明を聞かれ、「オーバーシュート回避には何が必要なんですか」「医療現場は本当に大変ですね」などと話された。「両陛下は、かねてから専門家から現場の状況を聞くことを望まれていました。この日は上皇ご夫妻の61回目の結婚記念日で、本来であれば天皇陛下と雅子さまの主催でお祝いの夕食会が開かれるはずでした。しかし、緊急事態宣言を受けて、お祝いのごあいさつも電話で済まされたそうです。いま皇室にできることをしなければ――。両陛下も上皇ご夫妻も、同じ思いを抱かれていたはずです」(宮内庁関係者)同じ日、政府は19日に予定されていた「立皇嗣の礼」を延期する方針を明らかにした。国内の新型コロナ感染者は日々増え続け、皇室のご公務も、延期や中止を余儀なくされている。皇室ジャーナリストが言う。「天皇陛下と雅子さまは昨年の12月26日に、多忙を押して台風19号で甚大な被害を受けた宮城、福島をお見舞いされました。大きな災害が起きれば、苦しむ被災者のもとに足を運び、悲しみに寄り添い、励ます――。これこそが上皇ご夫妻が実践された“平成流”の皇室のあり方です」天皇皇后両陛下もその精神を受け継ぎ『国民と苦楽をともにする』という皇室の役割を重んじてこられた。「しかし今回の敵は新型ウイルスです。罹患した国民をお見舞いするわけにも、最前線で奮闘する医療関係者に面会して励まされるわけにもいきません。陛下と雅子さまは一刻も早いコロナ災禍の終息を願いながらも、国民に寄り添うことのかなわない状況に、忸怩たる思いを抱かれているに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)「女性自身」2020年4月28日号 掲載
2020年04月17日天皇陛下は4月6日、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長を務める尾身茂氏から進講を受けられる予定だったが、延期となった。宮内庁は尾身副座長の業務に支障がないよう予定を調整していたが、ここ数日の急速な感染拡大を鑑みて、ご進講は見送られることになった。拡大を続けるコロナ禍の影響で、「全国植樹祭」や「園遊会」をはじめ、4~5月に予定されていた皇室行事は相次いで中止や延期が決まっている。5月に開催予定の日本赤十字社の全国大会にも、名誉総裁である雅子さまのご出席は見合わせられる見通しだ。その一方で、天皇陛下は執務を続けていらっしゃる。「毎週火曜日と金曜日には、内閣から送られてくる法令などへの署名・捺印があります。これを実行しないと法律が施行できませんから、このご執務は欠かせません。そのため職員との接近、多くの人間が触れた書類との接触などがどうしても発生してしまいます」(皇室担当記者)さらに陛下は3月だけでもパナマ、スーダン、タイ、キューバ各国の新任駐日大使との「信任状捧呈式」に臨まれている。また、4月にも信任状捧呈式は予定されていたが、4月9日に天皇陛下が臨まれるはずだった新任駐日大使の信任状捧呈式は、緊急事態宣言を受けて延期となった。「式そのものは10分くらいで、以前から3メートル以上離れて話す形式です。しかし信任状を渡すときには大使が前に進み出て陛下に直接手渡します。国と国との約束事なので儀式を省略することはありません」(前出・皇室担当記者)3月30日には、検事長ら8人の認証官任命式も行われた。31日には、宮内庁職員の人事異動者が、赤坂御所を訪問して陛下に拝謁している。時期が時期だけに儀式や面会で、陛下がマスクを着用されることもあるのだろうか?「人に会われるときに、皇族方がマスクを着用されていたという前例は聞いたことがありません。とくに公務の場合、相手に対して失礼というか、現状でしたら相手の感染を疑っているようにも取られかねませんので、現在もご接見のときにマスクはされていないのではないでしょうか」(宮内庁関係者)それを裏付けるように、前出の宮内庁関係者がこんなエピソードを聞かせてくれた。「つい先日、秋篠宮さまに面会した方は、ふだんよりやや離れて座ったものの、お互いにマスクなしでの会話となったそうです。秋篠宮さまも、気にされるご様子はなかったといいます」もし、天皇陛下や雅子さま、そして皇族方が新型コロナウイルスに感染したとしたら、日本の国民に与えるショック、ダメージは計り知れないだろう。職員からの感染を予防するために、具体的にはどのような対策をとっているのか――。本誌は4月3日、宮内庁の報道室に質問状を送った。すると、次のような回答が届いた。《政府の基本的対処方針や専門家会議の見解等を踏まえ、また、皇室医務主管や側近の侍医による対応により、対策を講じてきているところ。引き続き、適切な対策を講じることで、天皇陛下お始め皇室の皆様方のご健康の保持に万全を期してまいりたい》さらに職員に対しては、以下のような注意喚起を随時、行ってきたという。・外出後・食事前に、石けんやアルコール消毒液などによる手洗いの徹底・咳エチケット(マスクやハンカチ、袖を使って、口や鼻をおさえる)の実施・発熱等の風邪の症状が見られるときは休暇を取得し療養に専念する・時差出勤の推奨、休みやすい環境整備・海外渡航の自粛、海外出張計画の自粛・換気の悪い密閉空間、多数が集まる密集場所及び間近で会話や発生をする密接場面の3つの条件が同時に重なる場を避けることしかし、本誌が質問状に記載した天皇陛下のマスクご着用状況、職員との接触頻度といった点には回答が得られなかった。「雅子さまは海外メディアの報道などをご覧になり、新型コロナウイルスに関する世界の現状をいち早く把握されていると思います。日本のために陛下をお守りしなければと、心中穏やかではないはずです」(前出・皇室担当記者)現状では万全とは言い難い「宮内庁の危機管理」を、雅子さまも憂慮されているに違いない――。「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月11日2020年4月6日、天皇陛下が私的なお手元金から1億円を2つの団体に寄付されることを、宮内庁が発表しました。5千万円ずつの寄付を受けるのは、政府が創設した『子供の未来応援基金』と、NPO法人『全国災害ボランティア支援団体ネットワーク』。どちらも社会福祉事業の団体です。宮内庁の発表によると、天皇陛下と皇后陛下は子供の貧困問題とボランティアによる被災者支援に、国民の理解が深まることを願われているそうです。憲法では皇室が寄付をする場合、国会の議決が必要とされています。今回、即位をされた天皇陛下が1億円の寄付を行うための議決案が、同年3月13日に閣議決定されたのです。ちなみに、明仁上皇陛下が天皇陛下に即位された際も、児童福祉や障がい者支援に計1億円の寄付が行われています。この件が報じられると、ネットからは「天皇陛下が寄付をされるなんて知らなかった!」「ありがとうございます」といった声が上がりました。天皇陛下が寄付された1億円は、困っている人たちを助けるために使われることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月07日東日本大震災発生から9年を迎えた。死者・行方不明者が1万8千人を超えた未曾有の大災害。当時、被災者を励ますため、上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)はいち早く動かれた。震災発生から19日後には被災者が避難してきた東京武道館をご訪問。武道館の床に膝をつきながら一人ひとりに声をかけ、激励された。この日から、両陛下は7週間連続で福島・宮城・岩手の東北3県や茨城などの被災地へ。被災地に負担をかけないよう、すべて日帰りという過密スケジュールだった。その年、美智子さまの誕生日の際に公開された写真にも、被災地を励ます思いが込められていた。皇居でたたずむ両陛下のそばには、真っ白なハマギクの花が咲いていたのだ。この花は、1997年に両陛下がお泊りになった、岩手県大槌町にある「浪坂観光ホテル」から贈られたものだった。岩手県大槌町には22mもの津波が襲い、『浪坂観光ホテル』も営業停止に追い込まれた。両陛下へハマギクの苗を献上した社長の山崎龍太郎さんも、行方不明となってしまう。社長の弟・千代川茂さんは悲嘆に暮れていたが、美智子さまの誕生日写真を見て、「兄が贈った花を両陛下が大切に育ててくださっていた」と感激。ハマギクの花言葉でもある、“逆境に立ち向かう”精神で、ホテルの再建を決意した。そうして再建された「三陸花ホテルはまぎく」に、上皇陛下と美智子さまが宿泊されたのは2016年のことだった。平成最後の東日本大震災被災地の訪問は、2018年6月の福島県。震災後、両陛下が福島県を訪れるのはこれが6度目だった。「スパリゾートハワイアンズ」では、避難生活を送る被災者を元気づけるとともに“復興のシンボル”となったフラガールたちのダンスをご鑑賞。美智子さまは、1曲目の『花は咲く』のときに、“花は咲く”の歌詞に合わせるように、胸元に両手で小さな花を作られた。そのお姿を見たフラガールは、踊りながら涙がこぼれそうになったという。震災から時が経っても、被災者へ心を寄せられてきた美智子さま。癒しと労いのメッセージは、これからも被災地に希望の花を咲かせ続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日宮内庁は2月21日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが学習院大学の推薦入試に合格されたことを発表した。愛子さまが進学されるのは、学習院大学の文学部日本語文学科。WEB女性自身ではすでに今年1月10日、「愛子さまの進学先が内定!学習院大学の日本語日本文学科へ」と報じている。学習院大学はホームページで、この学科について次のように紹介している。《本学科では、古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)に関心のある学生を受け入れ、研究と教育を行っています》天皇陛下と同じ学習院大学文学部への進学となったが、その背景には古典文学への関心があったという。本誌は’14年3月、愛子さまが初等科卒業直前に書かれたレポートについて報じている。タイトルは「藤原道長」。執筆理由について愛子さまは次のようにつづられていた。《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」(※道長の日記)に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和様の書」に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた》天皇陛下は大学時代に、文学部史学科で中世の水運の歴史を研究されている。「天皇陛下が旅や交通の歴史に関心を持たれたきっかけは、美智子さまとともに松尾芭蕉の『奥の細道』を読まれたことだったそうです。愛子さまが天皇陛下と同じく文学部を選ばれた背景には、日本の古典文学へのご関心があったのでしょう」(宮内庁関係者)当初、愛子さまの志望学部は国際社会科学部とみられていた。「将来の”皇室外交”を見据えれば、語学や海外留学に力を入れた学部はぴったりのはずでした。ただ、雅子さまもハーバード大学留学中に『日本文化クラブ』を設立し、当時はあまり知られていなかった日本の言葉や伝統、音楽や食文化を伝える活動をされていました。国際社会で活躍するには、まず自国の文化を知らなくてはーー。お若いころの雅子さまと同じように、愛子さまはそうお考えになったのかもしれません」(皇室担当記者)愛子さまは現在、卒業リポートの作成に取り組み、忙しい日々を送られているという。雅子さまは、昨年12月9日の誕生日に際して発表されたご感想で、愛子さまの今後についても綴られていた。《これから高校を卒業しますと、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていく時期になると思いますが、これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら、いろいろな方からたくさんのことを学び、心豊かに過ごしていってほしいと願っています》天皇陛下と雅子さまのご期待を胸に、愛子さまは新たなステージで輝かれるだろうーー。
2020年02月24日天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは現在、学習院女子高等科の3年生。卒業を控え、お出ましの機会も徐々に増えているが、知られざるその素顔とはーー。昨年、雅子さまがトランプ大統領夫妻と通訳を交えずにお話しされて話題になったことも記憶に新しいが、愛子さまも幼いころから英語を学ばれてきた。「女子高等科2年生の夏休みには、イギリスの名門私立イートン校で約3週間のサマースクールに参加されています」(皇室担当記者)愛子さまが磨き続けた英語力は、すでに“皇室外交”にも生かされている。「昨年10月、天皇皇后両陛下がイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされました。その場には愛子さまも同席され、英語で王女夫妻に質問をされていたそうです」(宮内庁関係者)成績優秀でスポーツ万能の愛子さまは、学習院女子中・高等科での人気も高い。昨年11月に開催された文化祭「八重桜祭」では“愛子さま人気”のために、大混乱が生じるというハプニングも!「同級生数人とダンスチーム『BLOOM』を結成され、チアダンスを披露されたのです。メンバーとおそろいの衣装で登場し、洋楽で3曲、Jポップで2曲踊られました。愛子さまが初めてダンスを披露された’18の八重桜祭では、在校生や保護者が会場の体育館に殺到して開演時間が30分も遅れたほどでしたが、昨年はそれ以上の盛況ぶりでした」(学習院関係者)愛子さまは、たぐいまれなる文才もお持ちだ。《私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。》これは学習院女子中等科1年生のときに文集に掲載された短編小説の書き出し。愛子さまの“文才”は、初等科時代から校内では有名だったという。「作文がお上手なだけではなく、研究レポートも実に緻密で、“12歳でここまでお書きになるのか”と、保護者たちも驚いていました」(学習院の保護者)初等科卒業式直前に発表され、大人たちをうならせたレポートのタイトルは『藤原道長』。平安時代中期に摂政などとして権力をふるった貴族をテーマに選ばれていた。「歴史的事実を的確にまとめるだけではなく《藤原氏が政治を行っていた時に、天皇はどのような役割を分担していたのだろうか》と、ご自身のご先祖についても言及されていたのがとても印象的でした」(前出・保護者)「女性自身」2020年2月11日号 掲載
2020年02月08日