2022年4月9日、秋篠宮家の長男である悠仁さまが、筑波大学付属高校の入学式に出席されました。報道陣の取材に応じられた、悠仁さま。高校生になり、初めての1人での取材対応でした。「ご入学おめでとうございます」という記者に対し、悠仁さまは高校生活への抱負を次のように語られています。ありがとうございます。きょう入学式を迎えることが出来て、とても嬉しく思っています。学業に励みながら、興味を持っていることや関心を持っていることをさらに深めていきたいと思います。また、諸行事などの学校生活も楽しみにしたいと思います。FNNプライムオンラインーより引用また、同校は私服通学であるため、悠仁さまはスーツ姿で入学式にご出席。報道陣から「新しい制服はいかがですか?」という質問に対し、悠仁さまは「これ、スーツなんです」と朗らかにお答えになりました。悠仁さまの高校ご入学のニュースに、ネットからは祝福の声が上がっています。・ご入学、おめでとうございます。高校生活、楽しんでください。・制服がない自由な校風の学校なのですね。有意義な時間になるよう、応援しています!・悠仁さま、こんなに大きくなられたのか。つい先日、中学校へご入学されたような気がしています。立派な姿に感動しました。悠仁さまはこれから、新たな環境で、多くのことを学ばれるのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年04月09日筑附の説明会に参加された悠仁さまと紀子さま「3月18日、悠仁さまは中学校を無事に卒業した報告のため、制服姿で各所を訪問されました。まず、午前中には皇室の先祖などを祀る宮中三殿を参拝。その後、天皇・皇后両陛下や愛子さまとご面会。約20分後に皇居を後にされた際は、沿道に集まった人の影が見えなくなるまで手を振られていました」(皇室担当記者、以下同)午後には、東京都八王子市にある武蔵陵墓地を参拝。夕方には上皇ご夫妻のお住まいである仙洞仮御所をご訪問。当日の気温は4度と低く、雨が降りしきる中、仙洞仮御所の前には近隣住民や報道陣が15人ほど集まっていた。英語の発表で「緊張した」「悠仁さまは過密なスケジュールをこなされたからか、少々お疲れのご様子。約50分間の滞在を終えてお帰りになる際は、終始うつむかれたまま。“上皇ご夫妻とのご面会中で何かあったのではないか”と、思わず心配してしまいました」その理由は、ご本人にしかわからない。ただ、この前日も悠仁さまは、沈痛なご表情をお見せになっていた――。◆◆◆都心では最高気温が20度を上回り、初夏を先取りしたような陽気となった3月17日。悠仁さまは『お茶の水女子大附属中学校』を卒業された。「卒業式には、秋篠宮ご夫妻もそろって出席されました。式に臨むにあたり、悠仁さまが“充実した3年間になった”と、報道陣に向けてコメントされる一幕も。変声期を経てワントーン低くなったお声、紀子さまをゆうに越すほど伸びた身長……。大きく成長された姿に感無量でした」(宮内庁OB)附属幼稚園に入園以来、12年間にわたって“お茶大生活”を送られた悠仁さま。卒業式の後、お茶の水女子大の佐々木泰子学長や附属中の池田全之校長らによる記者会見が開かれた。附属幼稚園から中学校まで、12年間にわたった“お茶大生活”を振り返りつつ、次のようなエピソードが披露された。「数学の学習において満点を取れずに悔しがり、英語の授業で初めて級友の前で英語による発表をされたときは、飾ることなく“緊張した”と漏らされたお姿が印象的でございました」(佐々木学長)「3年間、卓球部に所属されていました。一般の中学生にまざって、区の大会に出場されておりました」(池田校長、以下同)「歓送迎会の委員などをされて、“ひとりはみんなのために”というところもあり、下の子の面倒もみていました」皇室ジャーナリストは、こう話す。「同級生にとって悠仁さまは、“ごくふつうのクラスメイトの1人だった”との説明がありました。これは“ほかのお子さまと変わらないように”という秋篠宮ご夫妻の教育方針が大きく影響しています。一方で紀子さまは、校長からじきじきに学校行事の説明を受けられる機会も多かったとか。未来の天皇にとってふさわしい教育環境かどうか、紀子さまは水面下で気を巡らせておられたのだと思います」まるで何かから逃げるようにご両親の配慮もあり、つつがなく卒業された悠仁さま。お茶大と筑波大の間で結ばれた『提携校進学制度』を利用し、4月からは“筑附”こと筑波大学附属高校へ進学される。「中学の卒業式を終えた悠仁さまと紀子さまは、午後1時40分ごろにお茶大を後にされました。中学のご学友とその母親とおぼしき女性とともに、徒歩で向かった先は、1本の道路を挟んだ向かい側に位置する“筑附”でした」(前出・記者)同校ではこの日、午後2時から新入生と保護者を対象とした『入学準備会』が行われた。「お茶大から筑附の距離は約100メートル。悠仁さまは、紀子さまの数歩前を歩く格好でしたが、終始うつむいていました。沿道に集まった人たちから“おめでとうございます”と声をかけられても、見向きもされず。晴れの日とは思えない、沈んだご表情でした」(同・前)悠仁さまの姿をひと目見ようと駆けつけた、近所の男性は残念そうに語る。「ご学友が“盾”になるように歩かれていて、悠仁さまのお姿は見えませんでした……」筑附の正門に着き、悠仁さまが紀子さまに何かを話しかけると、紀子さまはハンドバッグから入校証を取り出して受付の列へ並ばれた。「入学準備会では、学校生活にまつわる説明や、教科書や柔道着などの販売がありました。会場の体育館には椅子が等間隔に並べられ、紀子さまと悠仁さまも、大勢の人々に混ざって着席されていました。保護者の中には、紀子さまのご様子が気になってチラチラ見ている人もいましたよ」(保護者のひとり)スポーツ用品店の袋を手にした悠仁さまが、紀子さまと再び正門に姿を見せられたのは、午後4時ごろ。「正門前には、悠仁さまの出待ちをする筑附中の男子生徒たちが集まっていました。その視線に気づかれた紀子さまは、マスク越しにも伝わるほどの笑顔で会釈。一方の悠仁さまは“見て見ぬふり”という感じで、終始うつむきながら歩いておられました。行きと同じご学友母子に続く形で、徒歩で高校を後にされましたが、悠仁さまは、何度も後ろを振り返られて……。まるで何かから逃げようとされているようにも感じられました」(前出・記者)“未来の天皇”という重責を背負う15歳の青年が逃れたいものとは、いったい――。
2022年03月23日2022年3月15日、俳優の片桐仁さんが、自身のTwitterを更新。この日、誕生日であるという次男との写真を投稿しました。今日3/15は、次男春太の11歳の誕生日でした〜。ふなっしーケーキ!! #ふなっしー #誕生日 #桃味 pic.twitter.com/YGkIKtdxfL — 片桐仁なう (@JinKatagiri_now) March 15, 2022 1枚目のに写っているのが、この日の主役である次男。2枚目には、長男と片桐さん、3人で楽しそうに肩を寄せ合っています。家族の仲のよさがうかがえて、ほのぼのとしますね。【ネットの声】・片桐さん含め、3兄弟のように見えます!すごく似てる!・美男子ですね!もうこんなに大きくなったのか。・美形な息子さんたちですね!片桐さんの役柄的にあまり意識してなかったけど、パパもかっこいい!・あと1年で、小学校卒業ですか。すくすくと育ってください!次男のために用意されたケーキをよく見ると、マスコットキャラクターの『ふなっしー』が描かれています。投稿には、『ふなっしー』本人から「おめでとうなっしー」とお祝いの言葉が寄せられていました。次男にとって、忘れられない誕生日となったことでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年03月16日’19年8月、ブータンへ私的旅行に出発される際の悠仁さまと紀子さま2月16日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが4月から東京都文京区にある『筑波大学附属高等学校』に進学されることが『週刊女性PRIME』の取材でわかった。「現在通われている『お茶の水女子大学附属中学校』と通称“筑附”との間に設けられている『提携校制度』を利用して合格し、春から筑附に進学されることになったと宮内庁から発表されました。悠仁さまは13日、試験会場である筑附の本校で一般入試するほかの受験生に混じって同校を訪れ、提携校制度を利用するにあたって必要とされる学力検査を受けられたとのこと。進学先を決めるにあたって受験案内の冊子を読まれたり、説明会のオンライン動画を視聴され、ご家族とも話し合われた結果“筑附”を第一志望にされたそうです。筑附からは毎年、東京大学に多くの生徒が進学されているだけに、歴史上初となる“東大出身の天皇陛下”への期待が高まっています。筑附は、現在通われている『お茶の水女子』と目と鼻の先にある距離で、警備体制もほとんど変わらないという安心感もあることから、秋篠宮ご夫妻も進学にGOサインを出されたのでしょう」(宮内庁関係者)紀子さまとご一緒に広島への私的旅行偏差値が70を超える都内屈指の名門校に合格されたのは、悠仁さまの努力の賜物だろう。その背景には当然、ご両親のこだわった教育方針が影響している。「秋篠宮さまは悠仁さまへの教育方針として、日本全国を訪れて直接地元の文化や自然の素晴らしさや、上皇さまから受け継がれてきた戦争の記憶の継承をご本人にも伝えていきたいとのお考えです。その方針を折りに触れて、しっかりと具現化されてきたのは何を隠そう、母親である紀子さまでいらっしゃるのです」(秋篠宮家関係者)悠仁さまは’13年に沖縄県、’16年に長崎県をご両親とそれぞれ訪問し、戦没者が眠る地に供花されているが、‘18年には当時小学6年生だった悠仁さまが夏休みを利用して、紀子さまとおふたりで私的に広島県へ。「広島市内にある『平和記念公園』の『原爆死没者慰霊碑』をご拝礼。『広島平和記念資料館』で遺品などを見て回り、近くのホテルで7歳の時に被爆した女性の体験談をお聞きになりました。この年には都内の戦傷病者資料館の『しょうけい館』も訪れるなど、悠仁さまは戦争の悲惨さを肌で感じられたそうです」(皇室担当記者)学生の悠仁さまは普段は学業優先のため、遠出をすることができるのは夏休みのみ。その期間を最大限に利用するため、奔走されているのが紀子さまだという。「悠仁さまの夏休みの計画は、紀子さまがすべて主導されているそうです。公務などの合間で殿下もお供されることもありますが、基本的に妃殿下が付き添われているのはそういった理由もあるのです。戦争関連の訪問が目立つのも、上皇ご夫妻のご意思を汲みとった紀子さまが、戦争への見識を深めるべきだというご意向が働いています。’17年の夏休みにも、紀子さまは悠仁さまを連れて小笠原諸島の父島や母島を訪れ、塹壕(ざんごう)や軍道など戦争の痕跡を巡られました。’18年の夏には宮邸に昭和史研究家を招き、戦争の歴史をお聞きになり、悠仁さまは“原子爆弾はなぜ広島に落とされたんですか”などと、強い関心を持ちながら質問されたそうです」(前出・秋篠宮家関係者)過酷過ぎる山に「登りたい」昨年、福岡県北九州市が主催した『第12回子どもノンフィクション文学賞』の中学生の部で、小笠原諸島を訪れた際の思い出を悠仁さまがまとめられた作文が、佳作に選ばれている。「ウミガメの赤ちゃんを見たことや小笠原に伝えられる『南洋踊り』を体験したこと、戦没者慰霊碑に花を供えたことなどが丁寧に描かれていました。5日間の滞在最終日には現地住民たちが海に飛び込んで見送ってくれたことにとても感動されたそうです」(前出・皇室担当記者)紀子さまは、戦争に関する教えや小笠原での体験などを通じて、工夫を重ねながら妃殿下なりの“帝王教育”を体現されてきた。その中でも、皇室関係者を驚かせたのは、’18年夏の槍ヶ岳登頂だった。「北アルプスにある標高3千メートルを超える『槍ヶ岳』の山頂は“槍の穂先”と呼ばれ、岩場をはしごや鎖を使ってよじ登らなければならないほど過酷な山。当時小学生だった悠仁さまにとっては難易度が非常に高く、危険も伴うので“未来の天皇でいらっしゃる悠仁さまに何かあったら……”と、心配の声が上がっていました。ただ、さすがに槍ヶ岳登頂前には『八ヶ岳』や『妙義山』などで練習を重ねており、悠仁さまご自身も“槍ヶ岳を登りたい”との希望がおありだったのです。結果的に登頂された悠仁さまは、達成感に溢れて喜ばれていたと聞きました。登山といえば天皇陛下のご趣味でもありますから、紀子さまとしても悠仁さまに登山を通じて得られるものがあるとお考えになったのだと思います」(前出・秋篠宮家関係者)春から高校生となられる悠仁さまは、着々と“天皇への道”を歩まれている。
2022年02月16日秋篠宮邸で談笑される悠仁さまと秋篠宮さま(’21年8月)「秋篠宮家が抱える直近の課題と言われているのが、悠仁さまの進学先問題です。これまで、いくつかの学校名が取り沙汰されてきましたが、最有力だったのは『学習院高等科』でした。しかし、今夏くらいまでは本命だったはずの学習院でしたが、最近になって“学習院という選択肢はなくなった”そうなのです。秋篠宮さまは最終的に、悠仁さまが希望する高校に進学させるご意向とのようです」(宮内庁関係者)■進学先候補には『早稲田』も秋篠宮家の長男で、皇位継承順位が第2位の悠仁さま。現在は『お茶の水女子大学附属中学校』の3年生だが、同校は高校から女子校となるため、必ず他校を受験されることになる。「中学か高校の進学時期に少人数の生徒を『お茶の水』と入れ替える制度のある『筑波大学附属高校』や、悠仁さまの関心が強い生物や自然環境を深く学べる『東京農業大学第一高校』などが候補として挙がっています。『早稲田大学』の系列高校も候補の1つとして検討されていると聞きました。というのも、実は姉の佳子さまが大学に進学される際、『国際基督教大学(ICU)』以外に『早稲田』も視野に入れていらっしゃったそうなのです。当時は『早稲田』の資料なども取り寄せていたでしょうし、ご両親とも相談されていたはず。その過程で秋篠宮ご夫妻もご興味を持ち、悠仁さまの進学先候補の1つになったのかもしれません」今年11月に行われたお誕生日会見で秋篠宮さまは、《1年前と比べると机に向かっている時間が格段に長くなっているんですね》と、悠仁さまが受験勉強に精を出されている様子を明かされた。■「結婚相手は学生時代に見つけるべき」「悠仁さまは理系分野に関心がお強いそうです。コロナ禍になる前まで、毎年夏になるとご両親と一緒に、皇居の吹上御苑で昆虫採集をよく楽しまれていました。なんでも、皇居の庭に生えている木の名前や飛んでいるトンボは、ほぼすべてご存じなんだとか。山歩きや天気予報もお好きで、単に昆虫好きというよりは取り巻く環境も含めて興味がおありなんですよ。お父さまと一緒で研究者気質なのでしょう」(秋篠宮家関係者)そもそも、なぜ悠仁さまの進学先の本命が『学習院』だと言われていたのだろうか。「やはり、眞子さんの結婚問題が影響しています。秋篠宮家は“皇族は学習院”という固定観念はなく“個人の意思を尊重する”という家風。実際、眞子さんと佳子さまは高校まで『学習院』に通われていましたが、大学はご本人たちの意思で『国際基督教大学(ICU)』に進まれました。秋篠宮さまは、紀子さまと『学習院大学』で出会われたように“結婚相手は学生時代に見つけるべき”とのお考えです。ただ、眞子さんが『ICU』で出会われた小室圭さんのように、婚約が内定した後に問題が起こりうる女性が悠仁さまに近づくことは十分に考えられます。『学習院』であれば、そのリスクが軽減されると言われているんですよ」(同・前)いったい、どういうことなのか。この関係者が続ける。■姉2人のように本人の意思を尊重「『学習院』は元々、華族のために作られた学校です。戦後に廃止されるまでは『皇族就学令』で皇族は『学習院』で学ぶことが義務づけられていたことから、これまでの慣習で皇族は基本的に『学習院』に入学されてきたのです。これまでのそういった経験から、『学習院』側の皇族が通われるにあたっての警備体制は整っており、同級生や保護者からの理解も得られやすい環境です。さらに『学習院』であれば、学校職員にも殿下の知り合いや同級生などが多くいらっしゃるそうで、ある意味、悠仁さまご本人や周囲の学生を“監視”できるという安心感があります。万が一、交際相手に何かしらの問題が起こっても、事前に対処できる環境が整っているのです。現在では一般的な家庭の子どもも通う学校になりましたが、『学習院』を卒業した親の子どももいまだに多いため、家柄という意味でも安心材料のひとつなのかもしれません」いずれ即位される悠仁さまの結婚相手は、のちの皇后になられる方であり、結婚後に何か問題が起こってしまうと皇室全体の危機につながる可能性すらある。そのため、お相手選びには用心深くならざるを得ず、悠仁さまの進学先も慎重になられるべきなのだがーー。「眞子さんと小室圭さんの結婚は秋篠宮家だけではなく、“皇室の危機を招いた”との見方があります。それは、お子さま方の意思を尊重する秋篠宮家の教育方針が影響したということだと言えるでしょう。眞子さんは女性皇族だったため、結婚して皇室を離れるお立場でしたが、結婚相手が皇室入りするお立場の悠仁さまにいたっては、ご両親が高校選びを主導されると思ったのですが……。『学習院』以外で、目の届きづらい学校に進学され、そこで結婚相手を見つけられることも大いにあり得ます。しかし、そのお相手が小室圭さんのように、婚約が内定したり、結婚した後に家族や親戚などが金銭問題や何らかのトラブルを抱えているといった、ネガティブな事実が発覚する危険性もあるのです。できるだけ、そういったリスクを回避できる学校を選んでいただきたいとは思います。ただ、やはり殿下としては、眞子さんと佳子さまと同じように、悠仁さまの意思を尊重した高校に進学させると聞きました。眞子さんと佳子さまがご自分で進学先を選べたのに、悠仁さまだけが選べないというのは理不尽だと思われたのかもしれません。しかし、そもそも女性皇族と男性皇族では、結婚も含めていろいろとお立場が違うのに……」(前出・宮内庁関係者)未来の天皇陛下である悠仁さまの進学先、その行く末に国民は固唾を飲んで注視し続けている。
2021年12月17日錦戸亮と赤西仁の共同プロジェクト「N/A」のYouTubeチャンネル『NO GOOD TV』とライブ配信アプリ「17LIVE」のコラボ配信が19日に実施され、錦戸と赤西がゲーム対戦を行なった。今年6月にスタートし、定期的に行われている同配信。今回は、ゲーム『ボンバーマン』で対戦する企画を実施した。冒頭、錦戸が「ゲームとかやる?」と聞くと、「ゲームは、『ファイナルファンタジー』とか好きですね」と赤西。同シリーズの最新作もプレイしたという。続いて赤西が「亮ちゃん、あれでしょ?」と水を向けると、錦戸は『Ghost of Tsushima』をプレイしていると言い、「しかも、そのメインのキャラクターが境井仁って言うねん」とニヤリ。「“あー、仁か”と思いながらやってる」と伝え、赤西を笑わせた。その後、ゲームのコントローラーにまつわる思い出を話し合ったのち、ふたりが視聴者と一緒に『ボンバーマン』をプレイする様子が配信された。
2021年11月22日芸人・俳優のみならず、彫刻家としても活躍する片桐仁の創作活動20周年を記念し、東京ドームシティの「Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)」にて11月20日(土)〜12月19日(日)の期間、『粘土道20周年記念 片桐仁創作大百科展』が開催されることが決定した。片桐は、1999年「ヤングマガジンアッパーズ」の連載スタートをきっかけに、“文房具や日用品、電化製品など、あらゆるものに粘土を盛る”をコンセプトに、20年以上にわたり粘土作品を作り続けきた。2015年から4年間、全国のイオンモールで開催された不条理アート粘土作品展「ギリ展」では累計約8万人を動員したほか、2019年6月には自身初の海外での個展「技力展台湾(ぎりてんたいわん)」を実現。オリジナリティ溢れる発想力や細部までこだわったクオリティの高さなどが評価された。また、映画・舞台・ドラマで使用する小道具の制作や、企業とのコラボ作品・デザイン提供など、粘土作品に限らず様々な創作活動も行っている。そんな片桐の集大成であり、過去最大規模となる本展覧会は新型コロナウイルス感染症拡大に伴う影響を考慮し、2020年3月下旬からの開催が中止となっていたが、新会期の開催日程が決定。粘土道としてこれまでに発表された粘土作品をはじめ、初公開となる学生時代に描いた絵画や、「TVブロス」の連載で描いてきたイラスト、取材先で制作した作品を展示するなど、片桐の20年以上にわたる創作活動の全てを網羅する。さらに、前会期中止後にWEBメディア「THAT IS GOOD」内で制作した新作粘土作品や、片桐仁のYouTubeチャンネル「ギリちゃんねる」で作った作品、動画内にたびたび登場する片桐家リビング再現コーナーなどが新たに追加展示されるほか、クラウドファンディングによる本展のランドマークとなる「片桐仁的公園(仮)」を制作。なお、チケット発売は2021年10月下旬頃を予定している。<展覧会によせて 片桐仁コメント>2020 年の春に中止となった『粘土道20 周年記念 片桐仁創作大百科展』がついに開催されることになりました!僕がこの22年間で制作した、粘土作品やイラスト、企業や番組とのコラボ作品、また家族とYouTubeで作った作品など、ほぼ全てを網羅する僕の回顧展になっています。さらに会場で作れるワークショップもあるので、モノづくりの楽しさを知るキッカケにもなればいいなと思います。大人から子供まで楽しめる展覧会になっていると思うので、皆様是非いらしてください!【開催概要】『粘土道20周年記念 片桐仁創作大百科展』期間:11月20日(土)〜12月19日(日) ※開催期間中無休時間:11:00~19:00 ※最終入館は閉館の30分前まで場 所:Gallery AaMo(ギャラリー アーモ)チケット発売:2021年10月下旬頃を予定。詳細は決まり次第お知らせします。<主な内容>1. アーティスト片桐仁22年の創作活動年表2. 不条理アート粘土作品3. 初公開・学生時代に描いた絵画4. 撮り下ろし片桐仁シアター5. 「テレビブロス」連載イラスト原画「おしえて何故ならしりたがりだから」6. 舞台、映画、ドラマ、C M などに使うため制作した作品たち7. 「ギリちゃんねる」片桐家みんなで作った作品・片桐家リビング再現コーナー8. クラウドファンディングによるランドマーク作品「片桐仁的公園(仮)」9. 常設ワークショップ主催:東京ドーム / 協力:トゥインクル・コーポレーション、大日本印刷、東京ニュース通信社、we+ inc.企画:zaigoo inc. / 協賛:パジコ写真:大坪尚人(講談社)展覧会公式ホームページ: お問い合わせ先は「東京ドームシティ わくわくダイヤル(03-5800-9999)」まで★クラウドファンディングも実施!タイトル:『粘土道20周年記念 片桐仁創作大百科展』会場内に「片桐仁的公園(仮)」をつくりたい!展覧会のランドマークとなる「片桐仁的公園(仮)」の制作に向けて、クラウドファンディングにて9月17日(金)より支援の募集を開始。前会期では片桐仁と来場者が一緒に公園を作る予定だったが、今会期ではファンから支援を募り、片桐一人で作り上げることを決意。“粘土道20周年という節目に、過去最大の作品「片桐仁的公園(仮)」を作りたいんです!”詳細は下記のウェブサイトをご覧ください。実施期間:2021年9月17日(金)12:00~10月17日(日)23:59詳細・応募先ウェブサイト:
2021年09月17日9月6日、悠仁さまが15歳のお誕生日をお迎えになった。それを祝し、皇室ご一家の15歳のころを写真で振り返る。悠仁さまは誰に似てらっしゃる――?お誕生日に、悠仁さまが秋篠宮さまとご一緒に読まれていたのは『日本文化の起源』と『稲のアジア史』という本。稲作は皇室に深い縁があり、悠仁さまにとってアジアの米作りの歴史を学ばれることは、将来のお立場を考えると大変に重要なことだろう。今年3月には悠仁さまの作文「小笠原諸島を訪ねて」が、「子どもノンフィクション文学賞」で佳作を受賞。オンライン表彰式では悠仁さまも画面を通して「大変うれしく思います」と丁寧に挨拶された。現在、中学3年生。来春の高校進学を控え、2学期は大切な日々となる。
2021年09月11日秋篠宮家の長男・悠仁さまは9月6日、15歳の誕生日を迎えられる。現在、お茶の水女子大学附属中学校3年生の悠仁さま。高校進学を控えているが、エスカレーター式に進学することはできない。お茶の水女子大学附属高校は女子高のため、別の高校に進学せざるをえないのだ。有力候補とされているのは、多くの皇族方が通われた学習院高等科、お茶の水大学の向かいにある筑波大学附属高校、2年前に悠仁さまが秋篠宮さまと一緒に文化祭を見学された東京農業大学第一高校だ。「紀子さまは、筑波大学附属高校への進学を狙って悠仁さまを指導されているようです。実は4年前に、お茶の水女子大学と筑波大学の間で『提携校進学』という制度の新設が発表されました。両校の附属校の生徒が若干名ずつ、もう一方の附属校に進学できるという制度です。悠仁さまは中学進学のタイミングで筑附中に進学されるとみられていましたが、小室さん問題で秋篠宮家への逆風が強まり、断念されたようです。紀子さまは、高校進学では今度こそ筑附への進学を実現させたいはずです」(皇室担当記者)これまで、制度の利用者はいるのか。お茶の水女子大学に問い合わせると《提携校進学制度に係る実績につきましては、公表をしておりません》との回答だった。この制度は入学志願者評価と志願理由書のみの書類審査で、学力テストはない。しかも利用実績まで非公表とは、あまりに不透明すぎないだろうか――。「悠仁さまのご成績は、一般入試で筑附に合格できるほどではないそうです。今年3月には作文コンクールで佳作に入選されましたが、それも書類審査に通るための実績づくりではないかという声もあります」(前出・皇室担当記者)紀子さまは、高校進学までの3年で小室さん問題は解決し、秋篠宮家への逆風も収まるとみていたのかもしれない。しかし実際には、解決どころか泥沼化している。「“脱・学習院”をはじめとする秋篠宮家の独自路線の教育が、眞子さまの結婚問題を招いたという側面は否定できません。秋篠宮ご夫妻はこの事態を、しっかりと直視し、方針転換する必要があるのではないでしょうか。悠仁さまの進学先は学習院か、もし学習院以外を選ばれるとしても、不透明な制度を用いずに一般の入試で合格を目指していただきたいです」(学習院関係者)秋篠宮ご夫妻は、学習院との因縁から始まった負の連鎖を断ち切ることができるのか――。
2021年09月04日悠仁さまが文学賞に入選――。北九州市主催「第12回子どもノンフィクション文学賞」の佳作に、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまの「小笠原諸島を訪ねて」が選ばれたのだ。作文は400字詰め原稿用紙19枚の大作。悠仁さまは、小学5年生だった’17年に紀子さまと2人で訪れた小笠原諸島での体験を綴られている。「フェリーで片道24時間かけて訪れた小笠原4泊5日のご体験は、悠仁さまにとって深く胸に刻まれるものだったようです。イルカと泳がれたり、ウミガメを放流されたりといった体験を通じて、大自然を実感されました。さらに戦時中に築かれた塹壕や軍道などの痕跡を巡って、戦没者鎮魂の碑に献花、黙祷をされました」(皇室担当記者)賞の審査員を務めた那須正幹さんに話を聞いた。那須さんは、『ズッコケ三人組』シリーズなどで知られる、日本を代表する児童文学作家のひとりである。「紀行文のお手本のような作品でした。宮さまの作文だと知ったのは審査後のことで、純粋にいい作品として読ませていただきました。東京から船に乗ったところから、旅での新鮮な感動がとても丁寧に、たいへん素直に書かれていました。そして島の民俗や歴史、自然についても、しっかりと調べてきちんと書かれているのです。島を船が離れるときに島民が海に飛び込んで見送ってくれたという描写があるのですが、とても感動したことが伝わってきて、私もそこがいちばん印象に残りました」那須さんの印象に残ったという別れのシーン。悠仁さまはこのように綴られていた。《船が出航するときに、私たちは互いに手をふり、別れを惜しみました。乗船前に島の人から、「もし、また島に戻りたいと思ったときには、レイを海に投げてください。」と言われていたので、また小笠原に来たいと思った私と母は、いただいたレイを首から外して海に投げました》《次々と船人が飛び込む姿も感動的でした。島の人々のあたたかさが最後まで感じられ、私は父島や見送りの船の姿が見えなくなっても、しばらくの間、小笠原の方を見続けていました》審査員は那須さんのほか、ノンフィクション作家の最相葉月氏と、俳優で作家のリリー・フランキー氏。悠仁さまの文才は錚々たる面々に認められたのだ。実は、悠仁さまの作文が賞に入選するのは2度目のこと。’19年、中学1年のときに、「トンボと私」という作品で「第69回全国小・中学校作文コンクール」都大会の佳作に選ばれている。「皇室で“文才”といえば、思い浮かぶのは美智子さまです。上皇陛下とのご成婚前、20歳のときには、読売新聞が募集した作文コンクールで2位に入選していらっしゃいます。悠仁さまの文才は、美智子さまから受け継がれたものかもしれません」(前出・皇室担当記者)悠仁さまの“次回作”発表が待ち遠しい!「女性自身」2021年4月6日号 掲載
2021年03月26日2010年5月、成田空港からロスへと出国する赤西仁《だから結果ファンと仁とのEternalなんだよ結局は》2021年1月13日、赤西仁のツイートでネット民は興奮の渦に包まれた。一時は「ファンと仁」がトレンド入りするまでのお祭り騒ぎになったわけだが、あの伝説のコピペ“エターナル構文”を本人が認知していたことが10年越しにわかったのだから、それも当然だろう──。まずは「何がなんだか」といった方のためにご説明を差し上げたい。2012年2月10日0時22分。赤西仁と黒木メイサの“デキ婚”が電撃発表されたことを受けて、巨大掲示板『2ちゃんねる』(現在は5ちゃんねる)に匿名でユーザーから書き込まれた文章からすべてがはじまった。それが以下の投稿である。《デビュー前からのファンだけど別に発狂してないよ。もともと「結婚したい」「子供が欲しい」ってよく言ってたし、仁に振り回されるのは馴れてるし。こんな奴だけど好きなんだからしょうがない。型に嵌らないのが仁だしね。プライベートはメイサが支えればいい。私達は仁の音楽=魂を支えるから。その魂は私から子供へ、子供から孫へと受け継がれていくし、そうやっていつか仁のDNAと混ざり合うから。それがファンと仁とのEternalだし》スレッドに強烈なインパクトを残したこの投稿は瞬く間に話題となり、『2ちゃん』内でコピペ化された。以降、著名人が結婚したときなどに名前やフレーズを改変して投稿するというのが流行、どのバージョンも最後は「それがファンと仁とのEternalだし」で締めるのがお決まりであることから“エターナル構文”と呼ばれるようになった。■メイサと“対等な立場”にそんなネット上の閉鎖的空間でのみで通じる“コピペ”に、約10年ものタイムラグを経て赤西が反応をみせたというわけである。なぜ今になってツイートをしたのか。同日にパパになることが発表された嵐・二宮和也への祝福では?との記事もあったが、推測の域を出ず。ただただファンやネットオタクたちは、かの有名なコピペが“本人公認”に昇華した瞬間に立ち会い、感動するのであった。現に赤西の当該ツイートにはそういったリプライが多数届いている。このコピペ、赤西仁の1stシングルの曲名『Eternal』(意味は「永遠の」)を引用した最後の一文が取り上げられがちだが、よくよく読み返してみると全体を通して名文である。誰に煽られたわけでもないのに「デビュー前からのファンだけど、別に発狂してないよ」と妙に落ち着いたトーンの語り出し。どうしても“結婚を素直に祝福できない”ファン心理が溢れ出てしまっているが、決してメイサに誹謗中傷をぶつけたりはしない。「プライベートはメイサ、音楽は私達」と謎の役割分担をふりわけてイーブンな立場をとり、ノーダメージを訴えてみせるのだ。かと思えば、その想いは突然、果てなき航海へと舵をきる。我が子からまたその子へ、音楽=魂を継承しつづけていれば、“いつか仁のDNAと混ざり合うから”──。なんちゅうダイナミズムや。そしてそれは、途方もない二重らせんの未来を信じると同時に、「生きているうちに仁と結ばれることは諦めた」切ない宣言ともとれる。悟りの境地。途中で主語が「私」から「私達(ファン)」に切り替わる点にも注目だ。もしこの投稿が、「私が仁の音楽=魂を支えるから」「それが私と仁とのEternalだし」であったら、ここまで有名なコピぺにはならなかったと思う。一人称が「私たちが〜」「ファンと仁との〜」とすることで、“誰かを心から応援したことのあるすべてのファンたち”の心に刺さったのではないだろうか。もちろんヤバいファンの狂言として、(笑)つきではあるのだが、この文章が今も形を変えて受け継がれているのにはそういった理由もあるだろう……と、自分でもなぜこんなに熱くなっているのかわからないが、とにかく、約10年の時を経て彼女の魂は仁のSNSと混ざり合ったわけである。■「基本オールマイティ」から「基本洋楽」にところで、名作コピペはどのようにして生まれたのだろう。その背景には“仁のファン”だからこその必然もあったのではないかと考える──。1998年にジャニーズ事務所に入所、Jr.時代から絶大な人気誇っていた赤西はジャニタレとしてはかなりの“異端児”であった。2001年に結成したときから「売れる」と言われ続けてきたKAT-TUNがようやくデビューをしたのが2006年3月。やっとスタート地点に立てたにも関わらず、その半年後に赤西は“無期限の活動休止”を発表。語学留学のためにロサンゼルスに渡ったのだが、発表当時は「渡航の時期、留学先、期間も不明」だったというから驚きだ。会見ではこんなコメントを放ったという。《留学したいというのは、前から……。だいたい、年でいうと、17〜18歳のころから思っていまして。そこで何をするかっていうのは具体的には申し上げられませんが。語学にはもともと興味あるんですけど》(『女性自身』2006年10月31日号)KAT-TUNがこれからだというときに、上記のような煮え切らない理由で休むというのだから、ファンからしても「何を言っているんだ」であろう。会見場には100人の女性が集まって大泣き、パトカーが出動したとの報道もある。また、留学を知ったメンバーの亀梨和也は「マジ、ふざけんな! あいつどこまで俺たちの足を引っ張るんだ」と叫んだとの話も……。そんなこんなで日本を発ち、半年の留学をしたわけだが、その間もただで済まないのが赤西仁。ほかのメンバーが日本で不慣れなテレビ業界に揉まれている最中、サンタモニカのイタリアンレストランで“金髪美女と4対4の合コン”をしていた(『週刊女性』2006年12月19日号)などパーリーピーポーなニュースを欠かさず届けてくれた。赤西本人が語っていたところによると、彼が作曲をはじめたのは16~17歳のころだという。2004年にインタビュー取材でどんなCDを聞くのかと質問され、こう答えている。《基本的に聴く曲はオールジャンルですけど、今の季節だとクリスマスソングがいいですね。B`zの『いつかのメリークリスマス』、Kinki Kidsの『愛のかたまり』、ワム!の『ラストクリスマス』とかが好きです》(『オリコンスタイル』2004年12月20日号)しかし、留学から帰ってきたあとは過去を捨てたかのように、《Internationalな感じでいければなぁというのは、いつも思っていること。音楽も、基本、クラブ・ミュージックとか洋楽のほうが好きなんで》(『MORE』2008年7月)要するに、アメリカにかぶれてきたのである。それは人間誰しもに訪れる変化であり、成長だ。しかし、好き勝手に振る舞い、チームの輪を乱す厄介者と捉えたKAT-TUNのファンもいたに違いない。その後も山下智久、錦戸亮らと“赤西軍団”を形成し、夜遊びに繰り出していたという報道は数知れず(スマホバキバキ事件とか)、熱愛もスッパ抜かれまくり。素行不良の面から離れていったファンも多かっただろう。そしてついには2010年、グループを脱退してソロ活動へ。その理由についても「方向性の違い」と超ざっくりだ。無論、またファンは泣いた。このように、赤西は自らが起こしてきた“ジャニタレにあるまじき破天荒な行動”の数々によって、無意識のうちにファンを厳選してきたのではないだろうか。「ファン辞めます」「もうついていけない」そんな淘汰のあとに残った強きハートを持った精鋭たちが赤西を支えてきたのだろう。つまり、“仁に振り回されるのは慣れてるし”な人たちだけが残ったのではないか、ということだ。■《彼は永遠を信じ、かつ揺るぎない愛を信じている》当時、音源化されていなかったにも関わらずライブで披露され、大きな話題を呼んでいた『Eternal』がソロデビューの際にシングルカットされたのが2011年。友人の結婚式で歌うために作っていた(『anan』2010年1月20日号)こともあってか、歌詞は全て日本語で構成されている。当時の赤西は英詞の曲を量産していただけに、ひときわ人気を得ていた(実際、かなりいい曲である)。ファンを顧みない奔放な言動や私生活でファンを適者生存の環境に置いてきた彼の、そのカリスマ性の最たる象徴はやはりステージ上でのパフォーマンスだったのかもしれない。以下は2011年に行われたライブ『Yellow Gold Tour3011』のライブレポートだ。《最後の『Eternal』は、優しかったり激しかったり、彼の多彩な息づかいが感じられる曲である。過去から現在へ、そして未来へ。彼は永遠を信じ、かつ揺るぎない愛を信じている。自分を愛してくれる仲間とファンを信じている。彼の、そんなピュアな想いが、歌声から伝わってくるようだった》(『オリ・スタ』2011年1月31日号)なんと、この書き手も“仁の音楽=魂”の解釈をしているではないか。というか、大約すればあのコピペと言ってることは同じと思えるほど絶頂ぶりある(もちろんライターは女性)。ファンのみならず、彼の活動を伝えるエンタメ誌ライターも魂の継承者だけが残ったかたちか。“エターナル構文”も「どうなってもついていく」と腹をくくった赤西仁のファンだったからこそ生み出せたのだろう──。そのライブから1年後の2012年1月25日、赤西と黒木メイサの交際が発覚した。前年の11月にメイサにF1レーサー・小林可夢偉との“箱根温泉で密会”疑惑が流れたばかりだったこともあり、当時、世間は騒然。さらに追い打ちをかけたのは、直後の2月9日に「2月2日にデキ婚していた」ことが報じられたことだ。ジャニー喜多川氏もそのことを新聞で知ったことや、メイサがCM契約中にスポンサーを無視しての婚姻届を出していたことから、“突破婚”と題されるほどの混乱ぶりであった。聞いたことないよそんな表現。その結婚発表から日付が変わって間もなくの2月10日の0時22分、あの“エターナル”投稿がなされた。まさかの“突破婚”に驚いていないはずはない。状況をうまく消化できないながらも“こんな奴だけど好きなんだからしょうがない”から想いを書き込んだのだ。きっと、そのようにして名文は誕生したのである。ところで“エターナルさん”本人は今、赤西のツイートをみて何を思っているのか。気になっていろいろと検索してみたが「現在はキスマイ玉森担らしい」といった真偽のほどは定かではない書き込みを見つけた程度で、有力な情報は得られなかった。が、そもそも詮索すること自体が野暮だと気づいた。どうでもいいよな、いつか皆のDNAは混ざり合うし。それがファンと仁とのEternalだし。〈皿乃まる美・コラムニスト〉
2021年01月23日赤西仁「ちょっと〇〇くんぽくやっていい?」錦戸亮がネックレスを上に掲げ、下からのぞき込むポーズをした。「あー、似てる。やりそう」それを見た赤西仁が笑顔で答える─。一見、たわいのないやりとりに見えるが、いま彼らの会話がファンの間で話題になっている。この会話は、11月26日に投稿された2人のユーチューブチャンネル『NO GOODTV』で繰り広げられたもの。「赤西さんと錦戸さんが特集されたファッション雑誌『ELLE Japon』1月号の宣伝も兼ねて、撮影中の様子を公開。撮影している錦戸さんに、カメラ越しに赤西さんが話しかけていましたね」(芸能プロ関係者)錦戸がモノマネをした“〇〇くん”には、ピーという音が入り編集されていたが、誰のことだったのだろう?「KAT-TUNの亀梨和也さんですよ。亀梨さんが雑誌の撮影でやりそうなポーズをまねしたんです。実際、錦戸さんがとったポーズは、亀梨さんがアイドル雑誌などでやるものとよく似ていたので、赤西さんも反応したのでしょう」(同・芸能プロ関係者)その後も、“亀梨トーク”は繰り広げられて─。「動画ではカットされていましたが、赤西さんが“こんなポーズもしてなかった?”と聞くなど、2人で楽しそうに亀梨さんのことをネタにしていたそうですよ」(同・芸能プロ関係者)赤西は2010年にKAT-TUNを脱退し、2014年にジャニーズ事務所を退所。亀梨とは別の道を歩んでいるが、かつて2人は絶大な人気を誇っていた。「デビュー前の2005年に2人が出演した日テレ系のドラマ『ごくせん2』は平均視聴率が28%超え。デビュー後も、グループ内で人気を二分していました。ファンの間でも、“仁亀コンビ”と称されていましたね」(テレビ局関係者)■1人の女性をめぐって不仲にそんなツートップには、たびたび不仲説も流れた。「1人の女性をめぐって仲が悪くなってしまったんです。ある雑誌の撮影で、カメラマンから2人で肩を組むよう注文されたところ、赤西さんが“なんでこいつと組まなきゃいけねーんだよ”と拒否。それに対して、亀梨さんが“お前、これも仕事だろ!”と怒って強引に肩を組んだそうです。険悪な2人に、現場は凍りついたといいます」(同・テレビ局関係者)しかし、冒頭の錦戸とのやりとりで笑顔を見せていた様子からは、険悪なムードは感じられない。「KAT-TUNはメンバーの脱退によって、存続の危機を迎えました。それでも、グループを守り、引っ張ってきた亀梨さんを見て心境が変化したのでは。KAT-TUNを脱退して10年近くたち、お互い大人になり、いつまでもいがみ合っているのもばからしくなったのでしょう」(前出・芸能プロ関係者)離れていても、2人の絆は“エターナル”!?
2020年12月10日錦戸亮と赤西仁の共同プロジェクト「N/A」のYouTubeチャンネル「NO GOOD TV」において、新企画「AlterNative English」がスタートした。外出自粛制限という中、自宅で少しでも楽しんでもらえるエンターテインメントは何かを考え、錦戸(日本)と赤西(アメリカ)が共に自身の自宅からTV電話にて収録するというテーマをかかげて4月9日にスタートした「NO GOOD TV」。約2カ月で総再生回数が2000万回を突破、チャンネル登録者数も60万人を超え、さまざまな企画が好評の中、新企画「AlterNative English- Vol.1」が7日、公開された。今回の企画は、“英学歴0年”独自の方法で英語を学びバイリンガルレベルのスキルを持ち、ハリウッド映画出演の実績がある赤西と、ネイティブの仲間による、彼らの経験から考案された英語カリキュラムが、効果的な手法として認められるかという実験。その第一号として、錦戸の英語スキルをどこまで上達させられるか、追っていく。まずは半年間という長い道のりの企画となるが、果たして錦戸の英語レベルは上達するのか!?
2020年06月07日大沢たかおが脳外科医・南方仁を演じるドラマ「JIN-仁-」が、「JIN-仁- レジェンド」として再編集し、特別編として3週連続で放送されることが決定した。2009年10月期、2011年4月期の日曜劇場枠で放送されたドラマ「JIN-仁-」。ある事件をきっかけに、幕末の江戸時代へタイムスリップしてしまった現代の脳外科医・南方仁(大沢さん)が、人々の命を救ったり、医術を通して坂本龍馬(内野聖陽)らとの交流を深めながら、公私にわたり支えとなる橘咲(綾瀬はるか)や吉原の花魁だった野風(中谷美紀)らと共に、自らも幕末の動乱に巻き込まれていく壮大なヒューマンストーリー。2009年放送の最終回は平均視聴率25.3%を、続く完結編の最終回の平均視聴率は26.1%を記録(※視聴率はビデオリサーチ調べ・関東地区)。ギャラクシー賞、橋田賞をはじめ、カンヌMIPCOM・バイヤーズ・アワード、ソウルドラマアワーズなど海外の賞まで獲得と、国内外で高い評価を得た。その全22話を今回再編集し、特別編として6日間にわたり放送。この放送に関して大沢さんからコメントも到着した。大沢たかおコメント南方 仁は、幕末の江戸にタイムスリップしてしまう医師です。彼はその現実を受け入れ、医療従事者として次々に襲う困難に懸命に立ち向かっていきます。同じ時代に生きる仲間達と支え合い、皆で試練を乗り越えていく姿を是非ご覧ください。“神は乗り越えられる試練しか与えない”ドラマ『JIN ー仁ー 』に関わったスタッフ、キャストを代表して。「JIN-仁- レジェンド」は4月18日(土)14時~TBSにて放送。(cinemacafe.net)
2020年04月13日錦戸亮と赤西仁の共同プロジェクト「N/A」が、YouTubeチャンネル「NO GOOD TV」をスタートさせた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため不要不急の外出自粛が続いている中、ファンの人たちに自宅で少しでも楽しんでもらえるエンターテインメントは何かを考え、YouTubeチャンネルの開設を決定。2人とも自宅からテレビ電話にて収録し、番組を完成させた。普段は見ることのできない2人のプライベートが楽しめる内容となっている。今後、不定期に収録し随時アップしていくという。
2020年04月09日ギンザ シックス(GINZA SIX)の中央吹き抜け空間では、日本人アーティストの吉岡徳仁による新作インスタレーション《Prismatic Cloud》を、2020年2月27日(木)から10月下旬まで展示する。ギンザ シックスの中央吹き抜け空間では、これまでに草間彌生、ダニエル・ビュレン、塩田千春をはじめ、世界で活躍するアーティストの作品を展示してきた。今回新たに起用されるのは、アート・デザイン・建築の領域にわたって、自然をテーマとした壮大な作品を手掛けるアーティスト、吉岡徳仁だ。展示されるのは、かたちを持たない“光”を表現した《Prismatic Cloud》。2017年にアメリカ・ヒューストンで発表したものを、ギンザ シックスのためにアレンジした、日本初上陸の“光の彫刻”作品となる。巨大な雲をイメージした全長10メートルの《Prismatic Cloud》は、約10,000本のプリズムロッドを重ねることで制作。光を透過する無数の層構造のために、鑑賞する位置により見え方が変化し、“光の雲”が織りなす多様な表情を楽しむことができる。【詳細】ギンザ シックス 中央吹き抜け新作アート吉岡徳仁《Prismatic Cloud》展示期間:2020年2月27日(木)~10月下旬(予定)展示場所:ギンザ シックス 2F 中央吹き抜け住所:東京都中央区銀座6 丁目10-1※画像はいずれもイメージ
2020年01月31日城咲仁、期間限定でホストに復帰撮影/矢島泰輔神の再降臨が、東洋一の歓楽街に流れる風を変えた――。元カリスマホストでタレントの城咲仁(42)が、古巣である東京・新宿歌舞伎町の老舗ホストクラブ『愛本店』において、2019年12月の1か月間限定でホストに復帰。年の瀬でにぎわう歌舞伎町にさらなる彩りを添えた。■今の僕なんておっさんなのに店の前には、黒木瞳、吉田沙保里、錦野旦、杉本彩、カンニング竹山など、城咲のホスト復帰を祝う錚々たる芸能人の名前が連なり、行きかう人々の足を止めていた。城咲を目当てに訪れる客のおかげで、『愛本店』は連日いつも以上の賑わいを見せたという。また、忍成修吾や山咲トオルといった芸能人も訪れ、ますます華やかになったようだ。『愛本店』の前身である『クラブ愛』では5年連続でナンバーワンを維持し、年収が1億円を超えていたことから「夜の1億円プレイヤー」と呼ばれたことも。だが2005年に突如、引退しその後はタレントとして活動をしてきた。そんななか、城咲の原点ともいえる『愛本店』の現店舗が、建物の老朽化のため、2020年6月をもって取り壊されることが決定。移転先は未定という。今回の期間限定の復帰は、まだ現店舗が現存するうちに最後の花火を打ち上げようと、城咲がひと肌脱いだ、という形だ。1971年創業の『愛本店』といえば、ダンスホールと生演奏のバンドを所有し、その独特な煌びやかさで国内外からも注目を浴びてきた。アメリカのファッションブランド「マークジェイコブス」が貸し切りパーティを開催したり、映画やミュージシャンのPV撮影などの依頼が引きも切らないという。そんな原点の場所で1か月間復帰してみて、城咲は何を思ったのか。昨今、再びホストたちが話題になることが増えたが、そのあたりについてどう感じているのか。また、今後の『愛本店』には何を望み、どう関わっていくのか。城咲の後輩であり、『愛本店』代表の壱さん(37)同席のもと、今の思いを聞いてみた。――1か月間お疲れさまでした。来店したお客さまの反応は?城咲「会いたかった!うれしい~!」という方が大半でしたね。「これぞ本当のホスト。エンターテイナーとしてすごい」とか、「子どものころ、テレビで見ていて、いつか来てみたかった」とか言っていただきました。昔の指名客の方も2人ほど来てくれました。芸能界に入るとき、この世界には二度と戻って来ないと決心して、当時のお客さんたちの連絡先はすべて消去してしまっていたから、僕は待つことしかできなかったので。ネットのニュースを見て、わざわざ会いに来てくれたわけだから、本当にうれしかったですね。あと、同業(ホスト)のお客さんも多くて、地方から団体で来てくれました。「小中学校のときにテレビで見て、憧れてホストになったんです」という子が何人もいました。なかでも、子どものころから僕が好きで、源氏名を「白(しろ)咲(さき)仁(じん)」にしたという人気ホストの子が在籍している『TOPDANDY premiere』の社長さんと一緒に来てくれたんです。復帰のテーマが「ライバルは自分。テーマは『城咲仁 VS 城咲仁』」だったんですが、本当に「しろさきじん」がやって来たという(笑)。その白咲くんは本当に僕のファンだったそうで、手が震えていて思いっきり緊張していたんですよ。ちょっと感激しましたね。ただ、彼らにしてみたら今の僕なんて十分おっさんなのに、そのおっさんを見てカッコいい、憧れると言ってくれる。彼らが今よりもっといいホストになって、かついい男になるためにも、僕と会ったことを今後につなげてくれたらうれしいですね。14年も現場を離れていたから、今のホストクラブは以前とノリが全然違っていたらどうしようと不安もありましたが、僕の接客に誰もが本当に喜んでくれた。人が求めているものって根本的には変わらないんだな、と思いました。でも、調子をつかむのに2、3日はかかりました。■あの場にいられたことは人生の財産初日から最終日までで5回来てくれた方がいるんですが、「最初の方はなんだかかしこまっていて、あのカリスマホストの仁さんでも緊張するんだと思った」と言われました。でも彼女が言うには、その変化も楽しかったとか。おかげさまで、日にちを重ねるごとに勘を取り戻すことができて、これまで培った「『愛本店』のホストとしての城咲仁」らしさが出せていけたのかな、と思います。そうはいっても、あと何日かしたら自分の中で「あのとき、ああすればよかったかな」と反省点が出てきそうな気もします。答えはない仕事ですからね。壱さん仁さんが来てくれた1か月は、店の中はもちろん、店の外までいつもより華やかでしたね。オーラが店の外まで感じられるというか。ホストを引退してから14年もたつのに全くブランクを感じさせず、話術や人を引き付ける力はさすがだと思いました。――14年ぶりにホストをしてみて、当時と決定的に違うなと思ったことは?城咲いろんな意味でカジュアルになったな、と思いました。僕がいたころの『クラブ愛(※愛本店の旧名)』は、午後7時から0時の1部、0時から朝までの2部と、2つに分かれていたんですが、雰囲気が違いましたからね(※風営法改正されたため現在、歌舞伎町では0時以降の営業できない)。現在はその1部の時間帯の営業しかしていないから、ということもあるかもしれません。午後7時くらいからだと、まだお酒が入っていない状態でいらっしゃるお客さまも多いので、堅苦しくなく、すぐに打ち解けられるような雰囲気が好まれる。カジュアルな、いわゆる親しい友達的なホストのほうが喜ばれるのかな、と思いました。それが最近のホストの傾向なのかもしれないですね。僕に会いに来てくれたホストの子たちもそうだったけど、『愛本店』以外の場合、一目で見て「ホスト」とわかる感じの子はまずいないですね。僕が働いていたのは0時から朝までの2部だったので、お店を終えてからやって来る夜の仕事の方や、『愛』が2軒目、3軒目の方なども多かったので、緊張感や盛り上がりがすごかったですね。当時はホストも100人くらい在籍していました。しかし、その独特の緊張感や盛り上がりで磨かれたと思うし、あの場にいられたことは本当に人生の財産です。とにかく「ホストとして存在すること」にこだわることを学びました。服装から所作、姿勢、お酒の出し方まで厳しく言ってくれるお客さんも結構いて、「24時間、最高の男として振る舞わないといいホストになれないよ」と、毎回きついダメ出しをしてくるんですけど、チップをはずんでくれたりして、そのあたりがとてもスマートなんですね。こちらも、次はほめられるようにと頑張ったものでした。また、いつもビシッとしていて、しぐさや会話で女性をメロメロにさせる危険な魅力のある先輩たちが何人もいました。そんな先輩のしぐさや立ち振る舞いを盗み見て、どうしたらあんなに男の色気を出せるんだろう、「悪い男だな~」がほめ言葉になる男になれるんだろうと、時間があれば分析をしていました。とはいえ彼らと僕は違うから、僕ができること、僕ができないこと、こうしたら喜ばれた……ということを書き出して考えたりして、常に売れっ子でいられるようにいろんな努力をしていましたね。■「『愛本店』をなめるな」ヘルプのころから、フリーのお客(指名のホストがいない客)を見つけると、違うテーブルにいながら不快に思われずにアピールする方法を考えていました。ナンバーワンになってからも、自分のまうしろ以外、いつも300度くらいを視野に入れているつもりでしたね。指名のお客さまと一緒にいるときも、すぐ近くを通ろうとするフリーのお客さんにもアピールしたりとか。いろいろ“技”を考えたんですよ。壱さん僕も2部にいて、仁さんとは2年ほど一緒にお仕事させていただいたんですが、仁さんが店内に入るだけで空気が変わるんです。店内でも歌舞伎町でも、仁さんが通ると男性も女性も振り返っていたほど。お客さんたちにとって仁さんは「恋人に会いに来る」というより、仁さんのふるまいや勢いを楽しみに来る感じなんです。その場の空気が一気に華やかになる。ふと手をあげたときの指先までもがかっこいいんですよ。なのに、テーブルのお客さんはもちろん、テーブルにいながら、来店したばかりのお客さんに対しても気配りができた。憧れましたね。城咲そのころから時代は変わったけれども、今回、復帰してみて『愛本店』のブランド力は変わっていないなと思いました。ここにお客として来るのも、ホストとして勤めるのも、かなり敷居が高い。あと、この独特の内装もどこよりも特別感がある。久々に戻ってきて気づいたことがあるんですが、この店って実は普通のホストクラブよりかなり店内が明るいんですね。だから、ホストとしてごまかしがきかないんですよ。所作や表情、身だしなみなどがお客さまにはっきりわかってしまう。僕は『愛』にしか在籍したことがないから、ほかのホストクラブにはお客としてしか行ったことはないんですが、どこのお店に行っても「うわ、暗い」と思いましたね。あと、ホストの子たちがあまりしゃべることができない。お客が僕ということがあるからかもしれないですが(笑)。もうね、「『愛本店』をなめるな」ですよ。お客さんもホストも、『愛本店』を選ぶだけですごいんです。このすごさを維持してほしいし、自覚をしてほしいですよ。その点では、この唯一無二の場所を作った愛田武社長こそがすごかったのかもしれないですね。■AIより『愛本店』ですよ――故・愛田武さんといえば、『クラブ愛』を創業し、のちに歌舞伎町に日本初のホストクラブ・グループ『愛田観光グループ』を作り上げた人物(最後の肩書は会長)。城咲さんを発掘するなど経営者として辣腕をふるっていたものの、脳梗塞に倒れ、長らく闘病生活を送り、’18年10月に逝去されました。城咲愛田社長はおしゃべりな印象がありましたが、実際はそこまでおしゃべりではないというか、スタッフひとりひとりに細かいことを言う人ではなかったんですね。全体ミーティングのときに「売り上げがあげられない人はやめたほうがいい」と、ビシッと言ったりはしましたが、自分の売りは自分で気づけというタイプでした。あと、ホストは夢を見させたり人を癒す商売であり、ホストクラブは非日常の場所、夜のテーマパークだという信念は徹底していましたね。実はこの店の料金設定って、ほかのホストクラブと比べて決して高くはないんです。今回僕は、もっと高くしてもいいと思いました。有名テーマパークの入場料がそれなりにするように、この値段だから愛本店は楽しいんだ、すごいところなんだ、という認識にしてもいいのではないかな、と。ホストが売り上げあげるのって、ある意味簡単なんですよ。いろんな手段で見境なく営業したり、色恋営業をして高いボトルをボンボン入れてもらえばいいんだから。でもそれって、エンターテイナーとして人を楽しませるのとはちょっと違いますよね。そして結果的に長く続かないし、トラブルも起きやすい。ホストの価値は売り上げじゃないと思うんです。人を楽しませたり、悩んでいる人の気持ちを楽にしてあげたり、その楽しい時間を胸に明日から頑張ろうと思わせるのがホストの仕事なんだと思う。ひとりひとりの心に寄り添うって、AIでは決してできない分野です。AIより『愛本店』ですよ(笑)。あと、ホストには年齢は関係ない。でも、人生の経験値というか、深みがモノを言う仕事だと思う。お客さまを楽しませるために、どれだけ人の気持ちに寄り添い、考えることができるか。その点は、今の『愛本店』のスタッフもすごく頑張っていると思います。スタッフをまとめている壱の力もあると思う。これからも愛田社長が作りあげた『愛本店』らしさは貫いてほしい。ただ、壱に言いたいのは、全員に改めて所作の研修をしたほうがいいかもね。お酒の注ぎ方とかグラスの持ち方、アイスペールの運び方、ダンスホールでのお客さまの送りの待ち方とか。結構、気になったよ。壱さんそうですか、すみません。仁さんてあれだけ真剣に接客をしているのに、本当にいろんなところ、隅々までを見ているんですよね。さすがです。この前、全体のミーティングに出ていただいたときも、かなりピリッとして、いい刺激になってありがたかったです。僕は上京してからずっと『愛本店』に勤めているんですが、変化というか、世の中のニーズにあわせてある程度進化はしていったほうがいいと思っています。例えば、ホストにしても、以前はほぼ全員が毎日スーツとネクタイ着用でしたが、最近は金曜から日曜は、ジャケットは着るもののカジュアルな服装でもOKになっています。海外のお客さまも見えるようになりましたし、『愛本店』の店舗に魅力を感じてやってきてくれる方々もいる。6月以降の移転先でも、基本、内装は今のような感じでお願いするんですが、常にプラスアルファの方向性は考えていきたいと思っています。今後もぜひ、仁さんのお力は借りたいですね(笑)。――移転後も、第2弾の復帰は?城咲ないですないです(笑)!でも、壱に言われるなら、いろんな形でサポートをしていきたいとは思っています。“神ホスト”の“神対応”を待ちたいもの!
2020年01月04日秋篠宮さま、悠仁さま「秋篠宮家の長男・悠仁さまが通われている学校の机に刃物が置かれていた事件で、長谷川薫容疑者の初公判が東京地裁で’20年1月9日に行われることが決まりました」(全国紙社会部記者)4月26日に東京都文京区にある『お茶の水女子大学附属中学校』に侵入した疑いで、同月の29日に逮捕された長谷川容疑者。「果物ナイフ2本をアルミ製の棒の先にくくりつけて、槍(やり)を模したような刃物を悠仁さまの机に置いて立ち去りました。その刃はピンク色に塗られており、不気味なメッセージをにおわせていたのです」(同・全国紙社会部記者)7月末に東京地検で起訴された容疑者は取り調べに対して「(悠仁さまを)刺そうと思った」と供述したことに加え、「天皇制や、皇位継承のあり方に不満があった」という。■学校側の警備体制はどう変わったのか詳しい動機は初公判で明らかになるだろうが、気になるのは学校側の警備体制だ。「容疑者は黄色いヘルメットに作業着姿で水道工事業者を装って侵入しましたが、誰にも気づかれることなく、悠仁さまの教室まで行き着くことができたのは非常に問題だと思います」(宮内庁関係者)将来的に、天皇に即位される悠仁さまの警備にぬかりがあってはならない。『お茶の水女子大学』の広報担当者に、事件以降の警備対応について問い合わせると、次のような回答が。「警備対応については、警察からの指導を受けて、身分証確認の徹底や、警備員の増員などを行ってきました。具体的な警備内容については、大学の警備上のことですので回答を差し控えさせていただきます」確かに事件直後には警備員の数が増えたというが……。「事件のあった直後は警察の人数や巡回の回数が増えていましたが、最近はもとの体制に戻っているように感じます」(保護者のひとり)■“あくまで宮家”という意識がお強いこの状況について「秋篠宮さまの意向も反映されているのでは」と話すのは、ある皇嗣(こうし)職関係者。「秋篠宮さまは事件当初“このままではまずい”と、今までの警備体制を見直さざるをえないとお考えになりました。その一環としてなのか、悠仁さまが移動する際の警備車両を1台増やすことも検討されたそうなのですが、結局実現しなかったのです。というのも、来年4月に皇嗣となったことを国内外に宣明される『立皇嗣(りっこうし)の礼』までは“あくまで宮家”という意識がお強いのです。その証拠に、皇太子時代の天皇陛下は政府専用機を使われていましたが、殿下は今でも民間機で一般人と同乗して移動されています。とはいえ、皇太子と同格の『皇嗣』というお立場ですし、秋篠宮家は皇位継承者が2人もいらっしゃるので、体制を見直すべきだと思うのですが……」今後、悠仁さまの警備が強化されることはあるのだろうか─。
2019年12月29日姉の佳子さまとご一緒に第41回少年の主張全国大会にご出席された悠仁さま(2019年12月8日)「悠仁さまは緊張されていたようで、会場で出迎えた関係者への挨拶も、小さな声ではにかまれていました。席に着く際にも、位置を間違えられたようで、佳子さまから指摘される場面もありましたね。前半の出場者によるスピーチ中は、口元を細かく動かす場面も見受けられましたが、だんだんと緊張がほぐれたのか、後半はしっかりとした雰囲気で学生の発表に集中されていました」(皇室担当記者)12月8日、都内の文化施設で行われた『少年の主張全国大会』に、お姉さまの佳子さまとともに臨席された秋篠宮家の長男・悠仁さま。ご両親がいらっしゃらない行事に出席されるのは今回が初めて。会場入り直後は緊張されていたが、全国約50万人の中から選ばれた12人の中学生による将来の夢や、学校生活についての発表が始まると、熱心に耳を傾けられていた。「小・中学生で構成される沖縄・函館豆記者とお会いになったこともそうですが、悠仁親王殿下が同世代の人たちの主張をお聞きになることは、その人たちの価値観を感じ取るために非常に大事なことです。時代に合った皇室のあり方をお考えになっていくうえで、何十年と同じ時間を過ごす同世代の人たちの価値観はその中心になるからです」そう話すのは、宮内庁ОBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。『豆記者』との交流は、上皇ご夫妻から天皇・皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻とともに悠仁さまに引き継がれ、今年7月にも接見されている。■ご両親から未来の天皇陛下へ今回の大会終了後、佳子さまと悠仁さまは、スピーチをした出場者と懇談もされた。耳が不自由な弟のために家族で手話サークルに通ったというエピソードを発表した、福島県代表の中学3年生・石山心南さんは、そのときの様子をこう話す。「佳子さまから“手話を使う際に大切にされていることは何ですか?”と聞かれました。悠仁さまからは“家族の中でも手話を使うのですか?”と聞かれて“弟は、まだあまり手話を使えないので、『ダメ』といった簡単な手話だけを使っています”と答えました」昨年の西日本豪雨の被害にあった際、家族の温かみを感じたという、島根県代表で中学3年生の矢萩勝希さんは、悠仁さまの“被災地へのお気遣い”を感じたという。「悠仁さまから(西日本豪雨で)“家の中にはどのくらいまで水位が上がりましたか?”と聞かれ、災害の状況にご関心がおありなのだと感じました。佳子さまとご一緒に私の大工の夢を応援するおことばもいただいて、とてもうれしかったです」被災状況へのご関心は“ご両親からの影響”が大きいと、前出の山下さんは話す。「被災者に限らず、障碍者や高齢者など、困難な状況にある人々に心を寄せ続けるのが皇室の姿勢です。まだ中学1年生の悠仁親王殿下が、被災状況や過去の戦争にもご関心がおありなのは、普段からご両親にそれらに関する話を聞いておられるからでしょう。ご両親は“国民とともに歩む”というのはどういうことかを、ご自分たちの活動を見せることなどで、悠仁親王殿下に伝えておられるのだと思います」“未来の天皇陛下”は、少しずつ歩みを進めている──。
2019年12月18日「どのような思いでスピーチされたのですか」秋篠宮家の長男・悠仁さまは、発表者の中学生たちにそう質問されたという。悠仁さまは12月8日、佳子さまとご一緒に「第41回少年の主張全国大会」に出席された。きょうだいお二人だけでのご公務は初めてだった。これまでは、悠仁さまがご公務に臨まれるときは、必ず秋篠宮さまか紀子さまがご一緒だったのだ。「秋篠宮さまは先日の誕生日会見で《いろいろな所に行って、実際に見て、話を聞くということをしてほしいなと思っています》と語られました。今回のお二人だけのご公務も、悠仁さまにこれまでにない経験を積んでほしいという思いがあったのではないでしょうか」(皇室担当記者)ただ、これまで多数の公務を担ってきた長姉の眞子さまではなく、次姉の佳子さまに同行される形となったのはなぜなのだろうか?象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、2つの理由が考えられると語る。「まず、眞子さまは小室さんと結婚する可能性があります。女性宮家問題についての政府の議論が進まなければ、眞子さまは結婚に伴って皇室を離れます。そうなれば、今後の公務は佳子さまと悠仁さまが担っていくことになります。その二人だけで大会に出席することで、次世代の秋篠宮家を担う二人の存在を示す意味があるように感じます。また、佳子さまに、弟の悠仁さまの“後見役”としての自覚を持たせたいという意図もあるのではないでしょうか。成人の女性皇族として公務を担うだけでなく、悠仁さまのそばで支え続ける姉としての役割も求めているのだと感じられます」また前出の皇室担当記者は、悠仁さまの後見役に佳子さまが選ばれた背景には、紀子さまの眞子さまに対する“諦念”があると語る。「紀子さまはこの半年あまり、結婚の意志を曲げようとしない眞子さまをなんとか説得するべく努力を続けていらっしゃいました。しかし最近になって、もはや眞子さまの気持ちを変えることはできないと、説得を断念されてしまったようなのです」実は紀子さまは、半年ほど前には母娘二人でのお出ましを増やされていた。5月11日から1泊で京都を訪れ「大聖寺文化・護友会」の総会にご出席。6月2日には横浜能楽堂で『大典奉祝の芸能』を鑑賞されている。さらに紀子さまはご一家での展覧会やコンサートに積極的に眞子さまを誘われ、お話しになる機会を作られていたという。「秋篠宮ご夫妻は、小室さんとの結婚には強く反対していましたが、眞子さまの『婚姻の自由』までは侵せないとお考えでした。つまり、眞子さまご本人のお気持ちに反して結婚延期をいつまでも長引かせることはできないと認識されていたのです。眞子さまは2年前にご結婚延期が決定して以来、結婚についてはかたくなに口を閉ざしていましたが、ご公務についての相談であればご両親とも比較的素直に会話をされていました。そのため紀子さまは、眞子さまと2人きりでのご公務を増やして会話の機会を増やされながら、小室さんとの結婚を考え直すよう説得を試みていたのです。ところが眞子さまは、結婚についてはいっさい話さないという線引きを崩されることはありませんでした。つまり紀子さまの“説得作戦”は失敗に終わったのです」(前出・皇室担当記者)宮内庁関係者は、秋篠宮ご夫妻は皇族としての活動について「眞子さまにたいへん期待されていた」と明かす。逆に佳子さまは、紀子さまに大学のダンスサークル入会を止められたこともあり、しばしば対立していたといわれる。「しかし、最近では紀子さまも、佳子さまのダンスには口を出さないようにされているそうです。そのおかげか、紀子さまと佳子さまの母娘関係は以前に比べてかなり良好になっているといいます」(前出・宮内庁関係者)ついに悠仁さまの“帝王教育”に本格着手された紀子さま。頼りにしてきた眞子さまではなく、佳子さまを頼りにされた背景には、やはり小室さん問題があったのか――。
2019年12月10日城咲仁撮影/ホスホス伝説の神ホスト、再降臨――。元カリスマホストでタレントの城咲仁(42)が、12月2日より、14年ぶりにホストに復帰することを発表。1か月限定で、古巣である東京・新宿歌舞伎町の老舗ホストクラブ『愛本店』で手腕をみせる。■「一億円プレイヤー」がカムバック『愛本店』の前身である『クラブ愛』では5年連続でナンバーワンを維持し、年収が1億円を超えていたことから「夜の一億円プレイヤー」と呼ばれたことも。だが2005年に突如引退し、その後はタレントとして活動をしてきた。かつてのホストブームを牽引した城咲は、どんな思いを胸にホストに復帰したのか。真相を直撃した。「やはり愛田武社長にお世話になって、そのままになってしまったということが大きいです。ホストを始めたころなんて、ボトルの名前はもちろん、お酒の種類の区別もろくにつかなかったんですよ。そのうえ、とりたてて見た目がいいわけでもない僕が自分に自信を持てるようになって、あそこまでナンバーワンを維持できたのも、愛田社長のおかげです。なのにきちんとお礼を言えないままで、(愛田社長が)亡くなってしまいましたから……」■愛田社長と『愛』へ恩返しをしたい故・愛田武さんといえば、『クラブ愛』を創業し、のちに歌舞伎町に日本初のホストクラブ・グループ『愛田観光グループ』を作り上げた人物(最後の肩書は会長)。城咲を発掘するなど経営者として辣腕をふるっていたものの、脳梗塞に倒れ、長らく闘病生活を送っていたが18年10月に死去した。「社長はいつも、いい意味で僕を放っておいてくれたんですね。だから自分がやりたいようにやって、頑張れたんだと思います。そんななか、芸能界へのお誘いがあって、ホストはきっぱり引退し、デビューすることにしたんですが、社長は『がんばれよ』と応援してくれたんです。社長といえば、お店ではいつもビールのお湯割りを『これ、身体にいいんだよ〜』って言いながら飲んでいてね。あれだけは訳が分からなかったですけどね(笑)」その類を見ない煌びやかさで国内外のメディアにも多数取り上げられてきた『愛本店』は、建物の老朽化のため、2020年6月をもって取り壊されることが決定している。新たにリニューアルオープンすることは決まっているが、半世紀近く君臨した歌舞伎町の聖地がなくなってしまうということに、名残惜しい気持ちは城咲も同様だ。「愛田社長と、この『愛』に、恩返しをしたい。どうせやるならもう一度、現役のプレイヤーとなってお店を活気づけたいと思ったんです。僕はホストを辞めた最後の日に、その足で携帯ショップに行って、これまで登録していた電話番号をすべて消去したんですね。ホストが嫌になったわけではないし、お客さんたちとは普通に仲がよかったから辛かったけど、けじめをつけなくては、と。そんな覚悟で入った芸能界でしたけど、まあ大変でしたよ。ホストのトークスキルなんて全然役に立ちませんでしたから!(笑)」とはいえ、現在は料理が得意なマルチタレントとして活躍している城咲だが、最近では著書がベストセラーとなったローランドの存在や、脱税で逮捕・起訴された「青汁王子」こと三崎優太がまさに『愛本店』でホストデビューし、なんと約8200万円を売り上げるなど、ホスト業界も城咲がいたころのようににわかに脚光を浴びている。そんな現在の業界についてはどう考えているのだろうか。■テーマは『城咲仁 VS 城咲仁』「今はYouTubeとかSNSといったいろんな表現方法や、独自のスタイルを打ち出したホストが増えたと思います。それはそれで、お客さんに選択肢があっていいんじゃないかと思いますね。あと、僕がいた14年ほど前と今とでは、お酒の値段がかなり違いますよね。僕の時代にはまだ100万円を超えるボトルなんてまずなかったんですが、今は300万円くらい値がついているボトルがあるみたいですし。そう考えると人数を抱えなくてもホスト個人としては売り上げは上げられるんでしょう。ただ僕は、そこは僕のいたころみたいに、ひとりの人に売り上げを上げてもらうんじゃなくて、たくさんのお客さんを楽しませたいと思っています。でもですね、僕は今、さっきいった理由で電話番号を消してしまいましたから、昔のお客さんたちの連絡先がひとつもわからないんですよ。だから営業が一切できないんです。もう、待つしかないんですね。そんなお客さんたちがニュースを見て、来てくれたら嬉しいですね。みんな、どうしているんだろう。子どもがいるかもしれないし、当時とは全然違う仕事をしているのかもしれない。ちょっと楽しみです。もちろん、新規のお客様もウエルカムですよ」ずばり、売上の目標は?「そんな大それたこと考えられません(笑)。とにかくお茶を挽かないようにだけはしないと、って、それだけです。今の自分が現役時代の自分に比べてどこまでできるか。1か月間頑張れるかどうかも含め、ライバルは自分。テーマは『城咲仁 VS 城咲仁』です」ホスト復帰が発表された直後から『愛本店』では、城咲への指名予約と問い合わせの電話が止まらない状態が続いているという。歌舞伎町に、また新たな伝説が生まれそうな予感!
2019年12月02日宮内庁は11月1日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが書かれた作文がコンクールで入賞したことを明らかにした。お茶の水女子大学附属中学校1年生の悠仁さまは、夏休みの宿題で「トンボと私」と題する作文を執筆。読売新聞社が主催する第69回全国小・中学校作文コンクールの中学校の部に応募されたところ、東京都の審査で佳作に選ばれたという。東京都での入選作は、小・中学校あわせて45点。応募総数は1,901点だった。悠仁さまは10月27日に行われた表彰式にも出席されたという。このニュースにTwitter上では《おめでとうございます》《悠仁さま、お健やかにお育ちのようで喜ばしい限りです》などと、祝福の声が相次いでいる。また悠仁さまが書かれた「トンボと私」について《ぜひとも読んでみたいです》《拝読してみたいですね》といったツイートもみられた。上皇陛下はハゼ科の魚類、秋篠宮さまはナマズや家禽類の研究で知られている。トンボの調査や生息環境などについて作文に書かれた悠仁さまにも、生物学へのご関心が引き継がれているようだ。
2019年11月05日《今日俺の学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁様が来てたんだけど!?》そんなつぶやきがツイッター上に投稿されたのは、9月28日のことだった。秋篠宮さまと悠仁さまは、東京都世田谷区の東京農業大学第一高校、通称・農大一高の文化祭を訪れていらっしゃったのだ。息子が農大一高に通うという保護者はこう語る。「悠仁さまは生物部を見学されていたそうです。生徒たちは事前に知らされておらず、たいへん驚いていて、スマートフォンで撮影する生徒もいたようです」本誌が学校側に問い合わせると、次のような回答があった。「担当者がご案内する形で、2時間ほど見学されました。事前に宮内庁側から『文化祭を見学したい』という要請があり、それを受けたものです」農大一高は東京農業大学の付属校。大学とは異なり、農業科は設置されておらず、普通科のみの進学校として知られる。いったいなぜ秋篠宮さまは、現在中学1年生の悠仁さまを農大一高にお連れになったのか――。「紀子さまが、悠仁さまの中学卒業後の進路として、農大一高を有力な候補と考えていらっしゃるのでしょう」そう語るのは皇室担当記者。「悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが‘08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」紀子さまはもともと、悠仁さまの進学先については“高偏差値”を志向されていたという。「悠仁さまは小学5年生のころ、紀子さまとご一緒に渋谷教育学園渋谷中学高等学校の学園祭を見学されています。また、筑波大学附属中学校も有力な進学先候補とみられていました。渋渋は毎年20人前後、筑附は30人以上を東大に送り出す、都内屈指の中高一貫校です。もちろん農大一高も進学校なのですが、東大進学者は1年に1人出るかどうか。学習院高等科と比べても、偏差値は5~6ほど下回ってしまいます」(前出・皇室担当記者)『週刊朝日』(5月31日号)は、「悠仁さまの成績は、学年でもトップクラス」と報じている。進学意欲が高い児童が集まるお茶の水小で最上位の成績だったならば、東大進学も十分射程圏内のはず。それでも、あえて農大一高を選択肢に加えられたのはなぜなのか――。「今年4月、校内に進入した不審者によって悠仁さまの教室の机に刃物が置かれる事件がありました。それ以来、お茶の水女子大学と附属校の警備は一段と強化されました。悠仁さまの安全のためには、厳重な警備が必要です。進学先となる高校にも、さらには生徒や保護者にもそれを理解し受け入れてもらう必要があるのです」(前出・皇室担当記者)そういった面では、天皇陛下や秋篠宮さまも通った学習院高等科がもっとも適した選択肢と思われるが……。「悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入園されたのは‘10年のことですが、それ以前から秋篠宮ご夫妻は学習院の催しにほとんど参加されていません。お二人とも、学習院にはよい印象をお持ちでないようです。悠仁さまの進学先候補から学習院を除外するとなれば、秋篠宮家と関係が深い農大一高が数少ない選択肢の一つなのです」2年半後、はたして悠仁さまは農大一高に進学されるのか、それとも――。
2019年10月10日《学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁さまが来てめっちゃびびった》そんな興奮のつぶやきが投稿された9月28日、秋篠宮さまと悠仁さまは東京都世田谷区の東京農業大学第一高校(農大一高)の文化祭を見学されていた。「紀子さまは、農大一高を悠仁さまの有力な進学先候補と考えていらっしゃるようです。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが’08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」(皇室担当記者)しかし、こうした見解に宮内庁関係者は首をかしげる。「東農大は日本で初めて設立された私立の農学校という伝統があります。ただ、箱根駅伝の応援で披露される“大根踊り”が有名であるように、皇族方が進学されるには庶民的すぎる気もいたします。そもそも秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学の出身で、お二人の出会いも学習院のキャンパスでした。“縁”という意味では学習院に分があると思うのですが……」学習院関係者が、声を潜めて語る。「紀子さまが悠仁さまを学習院に進学させることは、まずないでしょう。学習院に関する“屈辱の記憶”がおありだからです」悠仁さまは’10年、お茶の水女子大学附属幼稚園にご入園。その際は「自主性を重んじる教育方針」「2年間の学習院幼稚園にはない3年間の一貫保育」が選択の理由とされていたが……。「学習院のOBやOGの間では『秋篠宮さまの学年は優秀ではないのに落第生がいない』と平気で吹聴する人もいるのです」(前出・学習院関係者)すなわち、秋篠宮さまより成績の低い生徒がいなかったために誰も落第させられなかった、という噂話が流れていたというのだ。さらに秋篠宮家への“冷遇”を指摘するのは皇室ジャーナリスト。「眞子さまや佳子さまの在学中、初等科や女子中・高等科の改修工事が続きました。これは、愛子さまを受け入れるための準備でした。古くて評判が悪かった女子部のプールまできれいになりました。愛子さまのご入学にあわせたタイミングでの改修でしたので、秋篠宮家としてはないがしろにされていると感じられたでしょう」眞子さまも佳子さまも、大学は国際基督教大学(ICU)を選ばれた。しかも佳子さまは、一度は進学した学習院大学文学部を中退してまで、ICUに入られた。「当時の教授の話によると、大学側にはほとんど相談もなく退学されたそうです。また、佳子さまが女子高等科に在学されていたころ、紀子さまが学校からの“呼び出し”を受けたことがあり、当時は保護者の間でも話題になりました。学校側にも理由があったのだと思いますが、紀子さまは学習院への心証を悪くされたようです」悠仁さまの進学は2年半後。紀子さまはそれまで、学習院以外の進路を探し続けられる――。
2019年10月10日「すごく似ている感じがします。木とか草とか、そういうところが」悠仁さまは「ブータンと日本の違いは?」と記者から質問され、はきはきとお答えになった。さらに秋篠宮さまから「どう違う?」と質問を受けた悠仁さまは「まだわかんない」と正直におっしゃるおちゃめな面もお見せに。8月17日、ブータン王国に到着された秋篠宮ご夫妻と悠仁さま。20日、首都・ティンプーでハイキングをされながら取材に応じられたのだ。このブータン旅行は、悠仁さまにとって初めての海外ご訪問。「今回はあくまで“私的訪問”となっていますが、秋篠宮家と親交の深いブータン国王一家からの招待に応えてのご訪問です。悠仁さまにとっては“皇室外交デビュー”と言っていいでしょう」(皇室担当記者)19日には、ブータン国王夫妻とご面会。ワンチュク国王は悠仁さまと固く握手を交わし「ベリーハンサム。ベリーベリーハンサム」と大絶賛した。20日には、5~16歳の子供たちが通う公立学校へ。悠仁さまは英語で自己紹介をされたという。「悠仁さまは紀子さまのすすめで、NHKの番組を見る際には英語の副音声を聞かれているそうです。そうした努力の賜物でしょう。ただ、17日に国立博物館を見学されたときには、館長による英語の説明をお聞きになった紀子さまが悠仁さまに逐一補足説明をされていたので、さすがにまだ“通訳なし”というわけにはいかないようですね」(宮内庁関係者)悠仁さまの“帝王教育”はおもに紀子さまが担当されてきたといわれるが、今回のブータン旅行は秋篠宮さまが主導されたという。「秋篠宮さまはブータンに詳しい知人の学者に協力を仰ぎ、10日間にわたる旅をコーディネートされたそうです。ただ、取材陣には出発当日まで旅程が知らされないなど、前代未聞の事態も生じています。秋篠宮さまが張り切っていらっしゃる一方で、周囲からは不満の声も上がっていたのです」(前出・皇室担当記者)しかし25日、紀子さまに付き添われご帰国された悠仁さまは穏やかな笑みを浮かべられていた。そのご表情は、今回の旅がいかに充実していたかを物語っているようであった。
2019年08月28日お笑い芸人、俳優、そして粘土作家としても知られる片桐仁の「不条理アート粘土作品展『ギリ展台湾』」が、6月7日(金)より台湾・華山Laugh & Peace Factoryで開催される。『ギリ展台湾』展示風景同展は、片桐が約20年にわたり「何かに粘土を盛る」という方法で制作してきた作品の中から、選りすぐりの作品約120点を展示したもの。会場となった台湾・華山Laugh & Peace Factoryは、カフェや映画館、ショップなどが集まる人気スポット華山文化創意園区内にあるイベントスペース。開幕前日に行われたレセプションでは、片桐は『ギリ展』用に作ったというド派手な特攻服を着て登場。会場に詰めかけた20社を超える台湾メディアから熱心な質問を浴びせられた。レセプションにて現地メディアの取材に応じる片桐仁片桐は「ようやく『ギリ展』の海外進出が実現して本当にうれしい。台湾展のために新たな作品やグッズを制作したり、撮影可能なインスタスポットを作ったり、日本での『ギリ展』にはなかった新しい試みも行っているので、ぜひ多くの人に観に来てほしいです」とコメント。台湾にちなんで制作した新作《TAIWAN》(魚のタイの形をしたお椀)などを披露し、そのダジャレ的創作センスと精巧な出来栄えで大きな注目を集めていた。同展は6月30日(日)まで開催されている。開催情報「不条理アート粘土作品展『ギリ展台湾』」6月7日(金)〜6月30日(日)台湾・華山Laugh & Peace Factoryにて開催
2019年06月07日秋篠宮家の長男・悠仁さまは3月15日、お茶の水女子大学附属小学校を卒業された。4月には同大附属中に内部進学される。「悠仁さまが5年生のころには、都内の有名私立中の文化祭に紀子さまと参加される姿が目撃されています。他校への進学も模索されたようですが、紀子さまは昨年の夏ごろには、悠仁さまの受験を回避し内部進学するという決断をなさっていたと思われます」(皇室担当記者)実は昨年の夏休み、同級生の男子児童が勉強漬けの日々を送るなか、紀子さまは悠仁さまに「スパルタ帝王教育」を課していたのだ。その1つが、標高3,180mを誇る槍ヶ岳登山だ。山頂は“槍の穂先”と呼ばれ、岩場をはしごや鎖でよじ登らねばならない。昨年8月3日、山頂に居合わせた会社員女性はこう語る。「悠仁さまはチェックのシャツを着た登山スタイルで、ヘルメットもしっかり被られていました。悠仁さまがはしごを降りるあいだ、山頂へのはしごは“一時通行止め”になっていたのですが、紀子さまは登山客に『皆さん、お待ちになってくださっているのですね……』と申し訳なさそうにおっしゃっていました」槍ヶ岳は、山岳ガイドも「地元の子供も、1年がかりでほかの山を登って実力をつけてからでないと登りません」と言うほどの難所。紀子さまはなぜ、悠仁さまにこれほどの試練を課したのか。「同級生と比べても線が細い悠仁さまに、集団の中でも負けない体力と度胸を培ってほしいという願いで、過酷な槍ヶ岳登山を命じられたのだと思います。また登山は、皇太子さまと共通の話題にもなります。次期天皇と距離を縮め、身近でその立ち振舞いを学んでほしいとのお心遣いがあったのでしょう」(皇室担当記者)昨年の夏休み、悠仁さまは紀子さまとお二人で広島市の平和記念公園に足を運ばれるなど、戦争の歴史とも向き合われた。受験勉強よりも貴重な経験を積まれ、悠仁さまは中学校に進学される――。
2019年03月15日ラーメンズの片桐仁(45)が3月7日に会見を開き、台湾・台北で粘土作品の個展「ギリ展 in 台湾」を開催すると発表。それに伴い、クラウドファンディングを実施するとも明かした。「ブラックスキャンダル」(日本テレビ系)や「SUITS」(フジテレビ系)といった話題のドラマに出演し、俳優としても大活躍の片桐。その傍らで、粘土作品を20年間制作していた。もとは雑誌の企画で始めたというが、その集大成となる「ギリ展」を全国18ヵ所で開催すると8万人の動員数を記録。その評判は海を越えて伝わり、台湾での開催へと繋がったという。会期は6月7日から30日までを予定している。会見で片桐は、これまでの「ギリ展」を振り返り「老若男女問わず様々な来場者があった」と語った。なかには親子3代で展示を楽しむ姿もあったという。「台湾の方から声をかけていただいた」と台湾進出の経緯を明かした片桐だが「やはりネックになるのは……」と言い、指でお金のポーズ。これまでの「ギリ展」では入場料をもうけていたが、いきなりお金を支払うことに現地では抵抗があるのではと考えたという。そこで「ギリ展 in 台湾」を入場無料で開催するための資金を募るため、今回はクラウドファンディングを実施。「CAMPFIRE」で行われ、3月7日から4月26日までの間に600万円を募っているのだ。そのリターンの種類は実に様々。例えば松本潤(35)が主演を務めた16年のドラマ「99.9-刑事専門弁護士-」(TBS系)でも使用されたスマホケース「カレイPhone」や、土偶型のペットボトルケース「ペットボ土偶」といった作品群のレプリカを提供。他にも台湾限定のグッズである赤色の手ぬぐいや、片桐自身が直接ペイントした作品も用意するという。日用品をモチーフに作っているため「エンターテイメント性が増している」と、自身の粘土作品について話す片桐。「2020年に向けて世界進出がしたい!」と意気込み、「香取慎吾さん(42)みたいにルーヴル美術館で展示したい。もうイメージはできています!」と笑いながらも豪語した。
2019年03月07日歌手の赤西仁が22日、都内で行われた「WEIBO Account Festival in Japan 2018」に登場した。日本初開催となる同アワードは、中国最大のソーシャルメディアである微博(WEIBO/ウェイボー)で活躍し、中国で大きな影響力を持つ著名人や企業などを表彰するもの。WEIBOでのフォロワー数や投稿、フォロワーからの反応などから評価し、各ジャンルで選定する。赤西は「最も影響力あるアーティスト賞」に選出。レッドカーペットを歩いた後、ステージでトロフィーを受け取り、「こんなに立派な賞を受賞することができて光栄に思っています。これからも変わらない応援をよろしくお願いします」とあいさつした。そのほか、「年間人気アイドル賞」を受賞した乃木坂46(秋元真夏・齋藤飛鳥・松村沙友理)や、「年間人気アーティスト賞」の片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)、「お笑い芸人才能賞」の渡辺直美、「アクティビティアーティスト賞」のGACKT、「ファッションアーティスト賞」の加藤ミリヤ、「ロック歌手賞」のMay’nらが登場した。
2018年12月22日俳優の中川大志とモデル・俳優の鈴木仁が25日、神戸・ワールド記念ホールで開催された「神戸コレクション 2018 AUTUMN/WINTER」に出演した。江崎グリコのステージで、中川と、「#パピコでシェア友」をテーマに中川がパピコをシェアしたいと選んだ“シェア友”の鈴木が登場。鈴木を“シェア友”に指名した理由について、中川は「ドラマの共演がきっかけで知り合い、共演シーンは少なかったんですが、とにかく僕が鈴木君を大好きで! だから彼を指名しました」と説明した。そして、実際に2人でパピコをシェアし、お互いに「あ~ん」とパピコを食べさせ合うと、会場からは悲鳴のような黄色い歓声が沸き起こった。「神戸コレクション」は、阪神・淡路大震災後の神戸の街を元気にしたいという想いのもと、2002年にスタート。33回目となる今回は「FASHION=MY LIFE」をテーマに開催。人気モデルをはじめ、アーティストやスペシャルゲストなど総勢111人がランウェイに登場し、1万2,174人の観客が駆けつけた。
2018年08月26日