《天皇陛下は、アメリカ合衆国大統領ジョセフ・ロビネット・バイデン閣下の大統領就任につき、1月20日御祝電を発せられた》(1月22日の官報)バイデン大統領が就任した当日、天皇陛下はさっそく祝電を打たれたという。実は、陛下は皇太子時代の’13年、副大統領だったバイデン氏が来日した際に、お住まいの東宮御所に招き、懇談されていたのだ。「’11年の東日本大震災後には、米政府首脳のバイデン氏が自ら被災地を訪れたことが話題になりました。在日米軍による『トモダチ作戦』、米民間団体からの義援金など、物心両面にわたってアメリカからの支援は多大なものがありました。陛下はそれらに対する感謝の気持ちを伝えられたのです。政治的な外交とは違う、皇室との親善はバイデン大統領にも特別な記憶となって残っているのではないでしょうか」(社会部記者)また、’19年5月、陛下の即位後最初の国賓としてトランプ前大統領が来日したときは、トランプ夫妻の接遇で、皇后となられたばかりの雅子さまが大活躍された。「特に宮中晩餐会の雅子さまの存在感は特筆すべきものでした。クリーム色のロングドレスをお召しになった美しさもさることながら、通訳を介さずに、笑顔で大統領夫妻と会話されるお姿には、多くの国民が感銘を受けました」(皇室ジャーナリスト)そのお姿は米メディアにも新鮮だったようで、『ニューヨーク・タイムズ』は「トランプ訪問で、雅子皇后はスター」との見出しで報じた。さらに、その年の6月には、両陛下が「G20大阪サミット」のために来日したフランスのマクロン大統領夫妻を皇居に招かれて昼食会を催されたのだが、そこでも雅子さまの“おもてなし”が脚光を浴びる場面があった。「雅子さまはブリジット夫人と英語とフランス語を交えて話されていました。実は、ブリジット夫人はあまり英語が流暢ではないのです。それをご存じだった雅子さまは、お相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)’20年5月ごろには天皇皇后両陛下として初の海外ご訪問となるイギリス訪問が予定されるなど、両陛下は国際親善の場でさらなる活躍をされることが期待されていた。しかし、昨年当初からの世界的な新型コロナウイルス感染拡大で”皇室外交”はストップしてしまった。ただ、コロナ禍を背景に社会には一気にZoomなどのオンライン会議システムが普及した。そんななか陛下と雅子さまは、今年元旦、国民に向けてお揃いで新年のビデオメッセージを発信されるという、皇室史上初の試みに挑戦された。「今後、皇室外交にもオンラインが利用される可能性はあると思います。オンラインを利用することで、これまで以上に、両陛下と各国要人との会見が盛んに行われることになるかもしれません。例えば通訳なしで外国の首脳と会談される両陛下の姿が、字幕スーパー付きで配信されるようなことがあれば、新しい皇室外交の様式“令和流”として定着するのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)1月28日には、就任後初となるバイデン大統領と菅義偉首相の電話協議が行われた。コロナ禍に加えて、大統領選後の混乱する米国情勢もあり、菅首相の訪米、バイデン大統領の来日とも日程は不透明だ。トランプ前大統領の来日時には、見事な接遇ぶりで鮮烈な印象を残した両陛下。バイデン大統領への政権交代後も、両陛下が日米の架け橋になることだろう。
2021年02月03日「眞子さまの結婚問題はもはや国民的関心事。皇室の頂点に立たれる天皇陛下が、この問題についてどのように考えているのかをお聞きすることも必要だと思います」そう語るのは皇室担当記者。2月23日の天皇誕生日を前に、天皇陛下は記者会見に臨まれる。その会見で、眞子さまと小室圭さんについての質問があるという。眞子さまが昨年11月に発表した「お気持ち」に、次のような文言がある。《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》眞子さまが書かれた文書によれば、天皇陛下も二人のお気持ちを尊重されているというのだ。「陛下ご自身も、ご結婚までには非常に苦労されています。雅子さまとの結婚も一度は諦められたことがあったほど。もしかすると、小室さんとの結婚にこだわる眞子さまのお気持ちに共感する部分もおありかもしれませんが……」(前出・皇室担当記者)もし天皇陛下からも結婚をお認めになる発言があれば、小室さんにとっても大きな追い風になる。だが、皇室ジャーナリストの見方は厳しい。「小室さん側は要求された金銭トラブルや米国留学の経緯説明すらまだ果たせていない状況です。秋篠宮さまが結婚を『認める』と発言されてからも、小室さんに反発する国民感情は収まるどころかむしろ高まっています」■鍵を握るのは母・佳代さんの動向こうした状況で天皇陛下が小室さんの応援とも取れる発言をなされば、陛下ご自身まで国民から非難を浴びかねない。はたして、天皇陛下はどういった発言をされるのか。眞子さまとの結婚に向けて、小室さんにとって大きな“正念場”となるが、鍵を握るのは小室さんの母・佳代さんだという。「結婚延期の原因は、佳代さんの金銭トラブルでした。しかし発覚から3年以上経過した今も佳代さんは沈黙を貫いたまま。しかも、そういったトラブルがあったにもかかわらず、佳代さんの金銭感覚が変わっているようには見えないのです。眞子さまは1億4千万円近い一時金を受け取ることになっています。そのお金の一部が佳代さんに渡ってしまうのではないか、という疑念は払拭できない状況です。国民が小室さんよりもさらに不安視しているのは、眞子さまの”義母”となる佳代さんのことではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇室に詳しい歴史学者の小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、眞子さまの結婚問題が起きた要因は「皇室の歴史上で初めてといっていい、まったく事前調査なしの“自由恋愛”だったからではないか」と語る。「“ミッチー・ブーム”を起こした上皇陛下と美智子上皇后も恋愛結婚でしたが、それは綿密な調査があったうえでした。女性皇族の結婚では調査はあまり行われませんが、黒田清子さんや高円宮家の典子さんや絢子さんの場合は、両家の家族同士で交流がありました。一方、小室さんは完全に、眞子内親王がお一人で選んだお相手です。まったくの自由恋愛による結婚という点で、眞子内親王の結婚は素晴らしい事例となるはずでしたが、小室家が多くの問題を抱えていたことは非常に残念でした」今後の女性皇族の結婚までも左右しかねない、佳代さんの存在。天皇陛下は会見で眞子さまと小室家の縁談について、どう言及されるのだろうか――。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月02日「上皇后さまと安野さんがお話しになるときは、本当に自然体なんです。安野さんはいたずらっ子みたいに、おかしなことばかり言っていました」そう思い出を振り返ってくれたのは、元編集者の末盛千枝子さん。『ふしぎなえ』『ABCの本』などの絵本でも知られる画家の安野光雅さんが亡くなっていたことが、1月16日にわかった。昨年12月24日に肝硬変のために死去、94歳だった。安野さんは上皇ご夫妻とも親交が深かった。美智子さまが英訳した絵本『どうぶつたち』『ふしぎなポケット』は、末盛さんが編集し、安野さんが挿絵や装画を描いている。さらに、美智子さまが児童文学やご自身の読書体験について語られた講演を収録した『橋をかける』『バーゼルより』の装画も、安野さんの手によるものだ。「忘れられないのは『バーゼルより』の表紙のために白樺の木を描いていただいたときのことです。上皇さまが入院され、上皇后さまは毎日看病に行かれていてたいへんな時期でした。でも、上皇后さまのお印の白樺を安野さんが描いた原画ができあがったとき、それがあまりにも美しい絵だったものですから……。上皇后さまへの励ましになればと、印刷に回す前に御所に伺って原画を見ていただきました。『今度の本の表紙に安野さんが描いてくださいました』と申し上げると、上皇后さまはとてもうれしそうなお顔をなさって『安野さんの友情を感じる』とまでおっしゃったのです」(末盛さん)精力的に活動を続けてきた安野さんだったが、70代のころ、直径4cmの肺がんが見つかる。生存率は5%だったというが、奇跡的に病いを乗り越えた。そして’11年1月からは1年余りにわたり数十回、皇居の吹上御苑に通って四季折々の草花を描き、『御所の花』にまとめて刊行した。俳優の檀ふみさんも、安野さんと長年の交流があった。「昨年の暮れですか、年賀状を書くときに『安野先生はどうしていらっしゃるだろう』と思っていたのですが……。最後にお会いしたのはいつだったかなと考えてみましたら、上皇后さまのお好きな本について『文藝春秋』(’19年3月号)で鼎談したときでした」(檀さん)■「もっと自由になって」美智子さまにメッセージ檀さんも平成のころ、上皇ご夫妻から御所に招かれたことがある。檀さんは’08年にNHKの『日めくり万葉集』の朗読を担当していたが、上皇ご夫妻はこの番組を毎週楽しみにされていたのだ。安野さんから美智子さまとのエピソードを聞くことも何度かあったという。「国際児童図書評議会(IBBY)の世界大会でビデオ上映された上皇后さまの講演を本にした『橋をかける』について、安野さんはこう話していました。『本の装丁に麦畑を描いたのですが、上皇后さまはその講演で、胸に麦のブローチを着けられていたことをあとでお聞きしました。上皇后さまがお母さまから贈られた思い出の品だったそうです』と。まったくの偶然だったといいます」上皇后さまの信頼の厚かった安野さんだからこそ言える言葉もあったのではないか、と檀さんは振り返る。安野さんは檀さんに、こんな話をしたこともあったという。「あの方は何かとご不自由がおありだと思う。ご自分の携帯電話をお持ちになっても、もしかしたら盗聴されてしまうかもしれない。だから、上皇后さまに僕の携帯電話を使ってどこでもお好きなところへかけていただこうと、電話をお貸ししようとしたこともあったんです」安野さんは、誰に対しても分け隔てなく接し、ユーモアにあふれた人だったという。「あくまで私の想像ですが、上皇后さまも、安野さんのそういったところが心地よかったのではないでしょうか」(檀さん)安野さんは3年前、上皇ご夫妻にこんなメッセージを送っていた。《皇居のお庭は、我々の庭に比べればうんと広いけれど、両陛下が自由にいられる場所があそこだけだとしたら、狭いと感じました。来年、退位されますね。とにかく、自由になっていただきたい》(『朝日新聞』’18年8月23日朝刊)長年にわたり、歌や絵本を通じて魂を通わせていた美智子さまと安野さん。美智子さまにとって、安野さんと語り合う時間こそが心の“自由”を感じられるひとときだったのかもしれない――。「女性自身」2021年2月9日号 掲載
2021年01月28日「この1年、多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が、皆様にとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします」天皇陛下と出演されたビデオメッセージで、雅子さまはコロナ禍の国民を気遣うお言葉を述べられた。映像での新年のお言葉は、皇室史上初の試みとなった。「昨年はコロナ禍で、国民とふれあう機会は激減。そこで両陛下はオンラインを積極的に活用され、新たなご公務のスタイルを模索されたのです」(皇室担当記者)11月には日本赤十字医療センター(東京都)と、北海道、福島県、沖縄県の関連病院をオンラインで視察。両陛下はメモを取られながら何度も質問され、院内でも一部のスタッフしか入室できない現場の様子まで映像でご覧になった。雅子さまは「皆様が力を尽くされていることに敬意を表します」と、医療スタッフを励まされた。「驚いたのは、このご訪問を宮内庁が『オンライン行幸啓』と発表したことです。『行幸啓』とは本来、両陛下がご一緒に外出されること。オンラインであっても『行幸啓』と認めるということは、それだけ両陛下がオンラインで国民と交流することを重要視されているということでしょう」(前出・皇室担当記者)大分県豊後大野市の高齢者活動団体「はつらつ清川」にも、両陛下は昨年11月にオンラインでご視察。はつらつ清川の関係者に話を聞いた。「高齢者のみなさんは初めのうち、緊張を隠せない感じでした。ですが、天皇陛下も雅子さまも優しくお声がけくださり、すぐにみんな打ち解けていました。とくに雅子さまは、豊後大野市の歌『ふるさとおおの』に合わせてメンバーが体操する様子をご覧になって『「ふるさとおおの」の歌はとてもいい歌でした。体操もとても体によさそうで、一緒に試してみたらよかったかしらと思いました』とおっしゃり、会場の雰囲気も明るくなりました」こういった和やかな雰囲気は、むしろオンラインの利点ではないかと宮内庁関係者が語る。「通常のご訪問では、宮内庁職員や護衛の警察官、取材のカメラマンなどが同行し、どうしても会場はピリピリした感じになります。しかしオンラインならば、ふだんと変わりなくアットホームな雰囲気で懇談ができます」オンライン訪問により、ふだん会えない地方の人々にも笑顔を届けることができる――。両陛下もそう実感されたのではないだろうか。12月には障害者の雇用促進に取り組む長野県の企業・エプソンミズベの工場を視察された両陛下。5人の社員とオンラインのモニターを通じて交流された。入社5年目の上條美咲さん(25)は、天皇陛下から「どのようなところに気をつけて作業されていますか?」との質問を受け、「怪我をしないところです」と答えた。すると、雅子さまは交流の終わりに、上條さんに「お怪我のないように」とお声をかけた。天皇陛下との会話をお聞きになって、上條さんに思いやりの言葉をかけられたのだった。実は、このご視察でもオンラインならではの利点があったという。「毎年、障害者週間には両陛下が施設を訪問されていましたが、どうしても日帰りできる東京近郊に限られていました。しかし今回は、オンラインの特性を生かして長野県の工場をご視察することができたのです。先日の雅子さまの誕生日、宮内庁の医師団は《ご体調には波がおありです》と、雅子さまがまだ適応障害のご快復途上にあることを強調しました。皇后となられてからの地方ご訪問も、過密日程を避けるなど、ご負担にならないよう慎重に調整されているのです。しかしオンラインならそういった制約もなくなります。赤坂御所から全国各地を“旅”することで、励ましの言葉を届けることができるのです」(前出・宮内庁関係者)天皇皇后両陛下は何年もかけて、全国47都道府県を巡ることを目指されている。しかしオンライン行幸啓により、2カ月で東京、北海道、福島、沖縄、大分、長野と6都道県の人々とおふれあいになることができたのだ。昨年12月の誕生日に際しても《オンラインという方法により、このように国民の皆様との触れ合いの機会を持てることは有り難く、今後ともそのような機会を大切にしていくことができればと感じております》とつづられていた雅子さま。陛下と取り組まれる前例なきオンライン活用は「令和の改新」とも呼ぶべき大改革になるかもしれない。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月09日《お年を召され、上皇后さまにいろいろとお尋ねになることが多くなられたようにお見受けします》上皇陛下は昨年12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。上皇職が発表した文書には、上皇陛下のご体調に触れた一節が。《何度か繰り返されるご質問にもその都度丁寧にお答えになる上皇后さまと、それを聞かれご納得になるといつも明るい笑顔におなりになる陛下。時に、勘違いや戸惑いがあっても、一緒にお笑いになりながら、ご記憶を新たにされ、日々のご生活を確かなものとされています》「何度か繰り返されるご質問」「勘違いや戸惑い」……。上皇陛下の現在のご症状が赤裸々に綴られていたのだ。上皇陛下は5年前、82歳の誕生日会見で「行事の時に間違えることもありました」と、記憶力の低下を明かされたことがあった。「ご退位後にご公務が激減し、コロナ禍の外出自粛も重なって、さらにご症状に拍車がかかってしまった可能性もあります。認知症の症状とみられます。ここまで踏み込んだ表現になったということは、上皇職は美智子さまにも相談のうえ文面を作成したのでしょう」(宮内庁関係者)なぜ、このタイミングでの公表となったのだろうか。美智子さまの知人は次のように明かす。「実は上皇后さまは以前、『そのうち国民に(上皇陛下のご症状を)説明してもいいと思っているのです』とお話しになっていました。これまで上皇陛下も上皇后さまも、ご体調、ご病気については隠さず国民に伝えてこられました。今回の上皇陛下のご様子についても、陛下と熟慮のうえで公表の準備をされていたのでしょう」美智子さまのご決意の陰には、ある願いがあるという。「上皇后さまは、上皇陛下との生活について『私はこのときのためだけにいるのよ。ほかの誰にもできないですから』と、ご退位後の上皇陛下のお世話をなさる決意を話されたことがありました。そして、昭和から平成の初めまでを過ごされた今の赤坂御所に上皇陛下と戻ることを願われ、『そのことだけのために私は存在するのよ』と、ご覚悟を口にされていました」(美智子さまの知人)当初の計画では今年の秋ごろに仙洞仮御所から赤坂御用地へ引っ越される予定だったが、コロナ禍で改修工事が滞るなど、大幅に延期になる見込み。上皇陛下と1日も早く懐かしの我が家へ――。美智子さまの“涙の願い”が叶うことを祈りたい。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月08日「美智子さまは新型コロナの感染拡大を懸念し、いまも外出を控えられています。各界の関係者からは、上皇ご夫妻を心配して手紙や電話での連絡が多数あるのですが、お会いになることはないそうです」宮内庁関係者は、美智子さまの近況についてこう語る。上皇陛下は12月23日に87歳の誕生日を迎えられる。「美智子さまはいまだに原因不明の微熱が続いています。それでも、上皇陛下のお世話を唯一の務めとして過ごしていらっしゃるのです。’20年は、3月のお引っ越しの疲れがなかなか抜けず、またコロナ禍のために体力維持のための散策もままならない状況が続きました。美智子さまのご体調が心配される1年でしたが、さらに眞子さまと小室圭さんの結婚問題が日本中を騒がせる事態になっています。美智子さまにとって、これ以上のご心労とならなければいいのですが……」(前出・宮内庁関係者)美智子さまは公の場などで、眞子さまの結婚についてご意見を口にすることはなかった。ただ、美智子さまの親しい知人は次のような言葉を聞いたという。「先日、お話ししましたときに、上皇后さまは『今は、見守るしかないでしょうね……』とおっしゃっていました。これからも眞子さまのことを心配されながら、静かに推移を見守られるということなのでしょう」皇室担当記者は、美智子さまのお気持ちをこう推し量る。「今はまだ、美智子さまが眞子さまの結婚に祝意を示すことができる状況にはないのです。眞子さまの結婚の意思を“尊重”はされても、積極的に応援することはできないという複雑なご心境が“見守るしかない”というお言葉に込められているように思えてなりません」「女性自身」2021年1月5日・12日合併号 掲載
2020年12月24日上皇陛下は12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。いま上皇陛下にとって一番の心配事は、初孫である眞子さまの結婚問題かもしれない。眞子さまは11月13日《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、小室圭さんとの結婚の意思を示した文書をご公表されている。眞子さまはその文書を、《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》という謝辞で締めくくられている。文書公表にあたって、上皇陛下も眞子さまのお気持ちを「尊重」されているというのだ。眞子さまが誕生したのは、’91年10月23日。その翌日、上皇陛下と美智子さまは、産後の紀子さまをお見舞いされ、生まれたばかりの眞子さまにも対面されている。このとき上皇陛下は「とても嬉しい気がしました」とおっしゃっていた。そして’93年、還暦を迎えられた上皇陛下は、誕生日に際して記者から「眞子さまからどのように呼ばれていますか?」との質問にこうお答えになった。「今は確か、『おじじさま』と呼ばれているように思います」それから17年が経ち、眞子さまが国際基督教大学に入学された’10年。上皇陛下は78歳の誕生日に際して、眞子さまへの期待を述べられた。「眞子は、国際基督教大学に入学し、学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加し、アイルランドで、ほぼ40日間、国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後、写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来、大学生活を振り返り、有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています」その国際基督教大学での学生生活で小室さんと出会われ眞子さま。’17年9月3日にお二人の婚約は内定となる。「当時天皇だった上皇陛下が裁可されたことで、眞子さまと小室さんの結婚が内定しました。上皇陛下と美智子さまは、皇居の御所で秋篠宮夫妻と眞子さまからごあいさつを受けました。その時に初めて、小室さんとも対面されたのです。天皇陛下は初孫の慶事に、始終和やかなご様子でした。秋篠宮ご夫妻にも、『おめでとう、良かったね』と声をかけられました」(宮内庁関係者)上皇陛下は同年、84歳の誕生日に際しても「私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています」と、眞子さまを祝福されていた。眞子さまの結婚内定から3年余り――。その間、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブル、小室さんのニューヨーク行きなどさまざまなできごとがあったが、お二人の結婚の意志は揺らがなかった。来年には小室さんがアメリカから帰国し、結婚に向けた準備が本格化するとみられているが、お二人の結婚に批判的な声も根強く、先行きは見えない。高輪の仙洞仮御所で87歳の誕生日を迎えられた“おじじさま”は、初孫・眞子さまの幸せを静かに願われていることだろう――。
2020年12月23日宮内庁は12月10日、天皇陛下が新年にあたり、国民に向けたビデオメッセージを出す予定だと発表した。例年1月2日には、皇居で新年一般参賀が開催されているが、来年は中止になることが決まっていた。今年は6万8,000人以上が集まっており、大勢が密集することから感染拡大の懸念が大きいためだ。そこで、新年一般参賀の取りやめたことに代わって天皇陛下によるビデオメッセージを出すことになったという。宮内庁によると、ビデオメッセージは1月1日か2日に公開されるといい、雅子さまが出演される可能性もあるという。天皇陛下による初めてのビデオメッセージとなるが、その理由について宮内庁関係者はこう語る。「やはり大きな理由はコロナ禍です。新年一般参賀が行えないだけでなく、1年以上両陛下による地方行幸啓さえ行えていない状況です。国民との接点を少しでも増やしたいという、両陛下と宮内庁の考えがあるのでしょう」さらに、ビデオメッセージが行われることになった背景には“小室さん問題”の影響もあるという。「11月13日の眞子さまの『お気持ち』文書発表以来、眞子さまと小室さんの結婚のゆくえばかりが注目される事態になっています。実は11月には、両陛下が初めてリモートで医療現場を視察される“オンライン行幸啓”をなさったのですが、報道の量は決して多くありませんでした。両陛下の画期的な試みが、小室さん問題の影に隠れてしまったといえます。宮内庁としては、小室さん問題ではなく、本来の皇室の役割に注目が集まるようにすることが急務なのです」(宮内庁関係者)
2020年12月11日2020年12月9日、57歳の誕生日を迎えられた皇后陛下。宮内庁が公表した誕生日のご感想文では、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に直面する国民への想いなどを述べられました。国民一人ひとりが、かけがえのない存在文書の中で皇后陛下は、世界中がコロナウイルスの災厄に見舞われた2020年を、「大変に心の痛む年」とご回想。医療従事者に「心からの敬意と感謝の意」を表すとともに、国民が「力を合わせてこの試練を乗り越えていくこと」を願われました。国民の皆様の現在の困難な状況を思うとき,国民のお一人お一人が,幸せであっていただきたいかけがえのない存在であるということを身にしみて感じます。感染症の不安が渦巻く中,様々な面で自由が失われている日々の中で,多くのご苦労と努力を重ねてこられたものとお察しいたします。(中略)現在のこの状況の中で自分たちに何ができるかを考え,行動しようとする,若い人たちも含む多くの方の新しい試みや取組を目にするとき,勇気付けられ,心温まるとともに,人と人との絆の大切さを強く感じます。困難な状況に直面する人々を支え,力を尽くしている全ての方に深い敬意と感謝の意を表したいと思います。宮内庁ーより引用天皇陛下とともに感染症の専門家や障害者団体、貧困問題に取り組む団体などの代表から説明を受けてきた皇后陛下。その中で感じたのは、「異常事態でも助け合う心を忘れない、人と人との絆の大切さ」だったといいます。また、コロナウイルス感染者や重症者が増加している現状にも言及されています。現在,新型コロナウイルス感染症の感染者や重症の方が再び増えてきており,予断を許さない状況が続いています。ワクチンの開発が進み,この感染症の克服に少し光が見えてきているようにも感じますが,一朝一夕に克服できるものかどうか分からないことも多いと思われます。このような中にあって,今後,私たち皆が心を合わせ,お互いへの思いやりを忘れずに,困難に見舞われている人々に手を差し伸べつつ,力を合わせてこの試練を乗り越えていくことができますよう,心から願っております。宮内庁ーより引用困難な状況下でも、「お互いの『思いやり』を忘れずに乗り越えていきたい」という強い意志を示されました。【ネットの声】・皇后陛下お誕生日おめでとうございます。国民思いのお心遣いに、とても感謝しております。・先の見えない不安の中でも、皇后陛下のお言葉のように『相手への思いやり』を改めて大切にしたいと思いました。・なんて温かいお言葉…。思わず目頭が熱くなりました。どうかお身体を大切に、笑顔でお過ごしください。さまざまな不安が渦巻く中で、皇后陛下のお言葉は多くの人の心を照らしたようです。今後も、体調を気遣いながら過ごしていただき、どうか健康に日々を過ごしていただきたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月09日生田斗真が主演し、吉瀬美智子と夫婦役を務める来年1月より放送予定のドラマ「書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~」がクランクインし、2ショット写真も到着した。新ドラマ枠“オシドラサタデー”にて放送が始まる本作は、生田さんが脚本家兼主夫の吉丸圭佑を、吉瀬さんがベストセラー作家として家計を支える妻・奈美を演じ、突然舞い込んだゴールデンタイムの連続ドラマの脚本執筆という千載一遇のチャンスを前に、クセの強いドラマ関係者に振り回されながらも奔走する圭佑と、それを支える家族の絆を描くマイ・ホームコメディ―。生田さんと吉瀬さんがセットに登場し、スタッフ陣の拍手に包まれ和やかな雰囲気でスタートしたという本作の撮影。無事、クランクインを迎え、生田さんは「すごく優しくて温かい気持ちになれるドラマが作れるんだろうな、という予感がしています。現場の雰囲気も素晴らしいし、なにより子どもたちがすごくカワイイ。そして僕たち夫婦もいい感じの抜け感があるので、観てくださる皆さんに“楽しさ”を届けられるんじゃないかな、と思っています」と話し、吉瀬さんも「クランクインから和気あいあい、チームワークが本当にいいんです。リビングに飾ってある家族写真を見ても『あるある、こんな家族!』というような(笑)、すでに平和ですごくステキな“家族”というものができ上がっている気がしています」と作品へ自信をみせている。撮影開始に先立ち、物語の舞台となる吉丸家の自宅セットを見学した2人。スタッフこだわりの部屋に「すっごくオシャレ!こんな家に住みたい!」(生田さん)、「ほんとだ! 扉の色も全部違うよ。奈美さんよく稼ぎましたねぇ(笑)」(吉瀬さん)とマイホームに大満足の様子。圭佑の狭い執筆スペースに座ると、生田さんは「なんかかわいそう(笑)。でも落ち着く」と感想を述べ、一方で、奈美の超ゴージャスな書斎に足を踏み入れると、「環境が違い過ぎるよ(笑)」とつぶやく一幕も。そして家中の様々な場所を見て回り、イメージを膨らませていたという。また実際に今回の役を演じてみて、生田さんは「福田靖さんの人生を投影させたようなドラマなんです。劇中で圭佑が口述筆記という形で脚本を書くシーンがあるんですが、そういう福田さんがやられている手法や、実際にあったご家族とのエピソードなどが登場します。だからこそ僕もそのエピソードをより身近に感じながら丁寧に演じていきたいと思っています」と話し、吉瀬さんは「私も『こんな風になっちゃうの!?』というような、このドラマ以外では絶対に見られない“変わった見た目”のシーンがあったり、斗真くんもかっこよさを崩したお茶目な部分がたくさん出てきます。普段見ることのない姿をたくさんお見せすることができる作品だと思います」と気になるコメントを。そして、今後の撮影で楽しみにしていることについては「最初は家族のシーンなど、少人数で物語がスタートするんですが、途中から『こいつは一体何なんだ!?』という謎の人物が入ってきて、物語をかき乱します。それが今からとても楽しみですね!」(生田さん)、「まだ撮っていないんですが、圭佑の妄想の部分はどうなるんだろう…と思っていて。それが映像になったらどうなるんだろうと、今からすごく楽しみです。あと、圭佑の心の声と斗真くんの動きのバランスが本当に絶妙で、面白いシーンがたくさんあるので、私も楽しみにしています」(吉瀬さん)とそれぞれ語っている。「書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~」は2021年1月、毎週土曜日23時30分~テレビ朝日にて放送予定。(cinemacafe.net)
2020年11月24日テレビ朝日では、来年1月に生田斗真主演ドラマ「書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~」を放送することが決定。吉瀬美智子と夫婦を演じ、ヒットメーカー・福田靖が、家族みんなで笑って楽しめるほっこりマイ・ホームコメディーを描く。本作は、テレビ朝日の土曜夜新設される30分のドラマ枠「オシドラサタデー」の最初の作品。週末の夜に視聴しやすい“ちょっと短め”の上質なドラマコンテンツを、自由自在に様々なコンテンツを楽しむエンタメボーダレスな視聴者層に向けた新たな連続ドラマ枠だ。今回は、「HERO」「ガリレオ」シリーズの脚本家・福田さんが、脚本家の世界を完全オリジナルで描く。今回がテレビ朝日の連続ドラマ初主演となる生田さんが演じるのは、家事全般を担う“脚本家兼主夫”の吉丸圭佑。ひょんなことから圭佑に連続ドラマの脚本執筆という千載一遇のチャンスが舞い込み、クセの強いドラマの関係者に振り回されながらも、執筆&家事・育児に全力投球していく。そんな圭佑を見守る妻・奈美を吉瀬さんが演じることも決定。香坂りり子というペンネームで活躍する売れっ子小説家で、吉丸家の大黒柱である奈美。一世一代のチャンスに挑む圭佑を応援し続ける妻を、時に優しく、時にたくましく演じる。「福田さんらしさがありつつもほっこりできる」と本作について説明した生田さんは、「家族で観ても一人で観ても楽しい、テレビの前の皆さんも家族の一員になった気分で観られるようなドラマにしたい」と意気込む。また吉瀬さんとの共演については「吉瀬さんとは2008年に共演したんですが、その時は“僕の兄の奥さん”という役だったんです。まさか今回、夫婦の役で共演できるとは想像もしていなかったので、すごく楽しみですね」と期待を寄せ、一方の吉瀬さんは「斗真くんは2008年に共演した時と全然変わっていないですね。あの時は確か23歳くらいですごく若かったんですけど、当時からかっこつける感じでもなくスマートに紳士的な振る舞いができてしまう人、という印象でした。気軽にお話してくださるので楽しいし、周りの人をすっと自然にチームの一員にしてくれるので、すごく居心地がいいんですよね。今回、夫婦の役でご一緒できてうれしいです」とコメント。そして生田さんは「新しい枠ということで、チャレンジングなことができるんじゃないかと僕たちも楽しみにしています。ぜひ皆さんもドキドキしながら楽しんでください!」と呼びかけ、吉瀬さんも「この作品には、面白い要素がたくさん詰まっています。年齢を問わず、いろんな方に観ていただけるドラマなので、ぜひ楽しんでいただきたいなと思います」とメッセージを寄せている。「書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~」は2021年1月、毎週土曜日23時30分~テレビ朝日にて放送予定。(cinemacafe.net)
2020年11月12日明治天皇とその后・昭憲皇太后を祀り、11月1日に創建100年を迎えた明治神宮。10月28日には天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻がコロナ禍になってから初めて皇居以外へ外出しての参拝をなさった。この日の雅子さまは、シルクの生成りのロングドレスにジャケットの装い。ジャケットの襟と、裾のラインが丸くデザインされて優しい皇后さまという印象。お帽子の飾りとジャケットの裾のデザインがリンクした新しい参拝服はとても素敵だった。一方、美智子さまは、白いロングドレスにケープを羽織られた親しみあるスタイル。お帽子に布マスク、そしてサングラスをお召しになっていた。コロナ禍以来、皇居・宮内庁病院での検診以外の外出を控えられている美智子さま。約7カ月ぶりとなる公の場でのお姿に、多くの国民が安堵した。紀子さまは地紋の美しいミントグリーンのロングドレスを。眞子さまのお好きな色をお選びになり、穏やかな笑顔を見せられていた。ご参拝の後、上皇ご夫妻はおそろいで境内にある明治神宮ミュージアムにもお立ち寄り。12月6日まで開催中の明治神宮鎮座百年祭記念展「明治神宮の鎮座」をご覧になった。昨年10月にオープンしたミュージアムには、明治神宮の御祭神である明治天皇と、昭憲皇太后ゆかりの品々や美術工芸品などが展示されている。上皇陛下と美智子さまが公の場でそろって立ち姿をお見せになるのは、1月2日の新年一般参賀以来のこと。ご夫妻はご在位中の平成時代と同じように、案内係の説明を丁寧にお聞きになり、仲むつまじく肩を寄せ合って展示を楽しまれていた。「女性自身」2020年11月17日号 掲載
2020年11月06日ゆっくりとした足取りで、拝殿へと歩かれる美智子さま。階段では女性護衛官の腕に手を添え、慎重に歩を進められていく――。10月28日、明治神宮を参拝された上皇陛下と美智子さま。皇居以外に外出されたのは、3月末の仙洞仮御所への転居以降で初めてだ。「美智子さまは春から、仮御所の外に出られることはほとんどありませんでした。今回は明治神宮創建100年を記念したご参拝で、上皇ご夫妻は参拝後に明治神宮ミュージアムも見学されました」(皇室担当記者)この日は上皇ご夫妻だけでなく、天皇皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻も明治神宮を参拝された。三家が公の場で“そろい踏み”となるのは、今年1月2日の新年一般参賀以来、10カ月ぶりのことだ。皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんはこう語る。「コロナ禍で多くの国民が不安で苦しんでいる最中ですから、三家のみなさまがそろって参拝され、国民のためにお祈りになった意味は大きいのではないでしょうか」美智子さまは昨年から、度重なる体調不良に見舞われている。「今回のご参拝でもサングラスをおかけになっていましたが、白内障の術後、視界が眩しく感じる症状が続いているのだと思われます。左手には昨年9月の乳がんの手術による後遺症と考えられる痺れがあり、ご趣味のピアノも思うように弾けていないそうです。さらに、このところ毎日のように原因不明の発熱がおありとのことです。側近の説明によれば、午後にお熱が37度を超え、翌朝には平熱に戻るそうです。お引っ越しのために早朝から夜遅くまで荷物の整理をなさっていた疲れが、いまも残っているのでしょう。今回のご参拝は、発熱などの体調不良をこらえてのお出ましだったのです」(前出・皇室担当記者)なぜ美智子さまは、そこまでしてお出ましになったのか――。「美智子さまは、現在の皇室をとりまく状況を、深く憂慮されているのです」そう語るのは宮内庁関係者。11月8日には、秋篠宮さまが皇位継承順位第1位であることを内外に示す儀式「立皇嗣の礼」が挙行される。しかし、多くの国民の関心はこの儀式よりも、眞子さまと小室圭さんの結婚の行方に向いてしまっている。コロナ禍により、眞子さまご本人によるお気持ちの発表も先延ばしにされたままだ。眞子さまの結婚問題が長引くことは秋篠宮家にとどまらず、皇室全体にとっても決して好ましい状況ではない。皇室に詳しい歴史学者の小田部雄次さん(静岡福祉大学名誉教授)はこう語る。「皇族の恋愛の自由は尊重されるべきですが、皇族はもっとも公の立場にある存在でもあります。自由な恋愛感情を尊重しつつも、現在おかれている皇室の立場からして、どういう選択肢がふさわしいのか、まずはお二人がしっかり考えて、国民に説明する必要はあろうかと思います。個人の自由を尊重するのみが皇室の在り方となってしまえば、皇室への国民の信頼と敬愛の念も失われていくと懸念されます」さらにコロナ禍により、天皇陛下や皇族方が国民の前にお出ましになる機会は激減してしまった。「オンラインの活用も始まりましたが、皇族方が地方に足を運び直接国民と触れ合うことができなくなったのは、大きな痛手です。未曽有の災厄のなかで存在感を発揮できないのであれば、国民から『皇室などなくてもいい』という声が大きくなり、皇室の存続にもかかわる――。美智子さまは、危機感を感じていらっしゃることでしょう」(前出・宮内庁関係者)上皇ご夫妻が見学された明治神宮ミュージアムの展覧会では、修復が進められている昭憲皇太后の「大礼服」が展示されていた。「昭憲皇太后は明治天皇を支えるとともに、養蚕の奨励、女子教育の育成、福祉や医療の推進などに尽力しました。昭憲皇太后に思いを馳せ、美智子さまは皇室の使命を再確認されたのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)表舞台から一線を退かれた身でありながら、美智子さまがお出ましになられたことについて、前出の渡辺みどりさんはこう語る。「コロナ禍で皇室と国民との接点が少なくなっている今、国民に伝わる形で今回のご参拝が行われたことに大きな意味があります。美智子さまの格別のお考えがあってのことと思えてなりません。また平成の時代、美智子さまは皇室内の融和にも努めていらっしゃいました。当時の天皇陛下と皇太子さま、秋篠宮さまのお三方が毎月1回、定期的に会って話す『三者会談』が行われていましたが、これは美智子さまのご発案であったとされています」令和に入り、皇室内の連携が取れているとは言い難い。「三者会談はもちろん、最近では天皇家と秋篠宮家の交流もほとんどないそうです。眞子さまの結婚延期についても、秋篠宮家から両陛下に経過報告はされていないようですし、天皇皇后両陛下も宮家の結婚問題に口を挟まれることは遠慮されてきたようです。そういった現状を改め、皇室の危機に、両家が協力して立ち向かうべきではないか――。体調不安をおしてお出ましになることで、美智子さまはそうお伝えになりたかったのでしょう。実は、当初の発表では雅子さまは参拝される予定ではありませんでした。それでもお出ましになったのは、雅子さまが美智子さまのお気持ちに応えようとされたからでしょう」(前出・皇室担当記者)「女性自身」2020年11月17日号 掲載
2020年11月04日「上皇職によれば、原因不明の微熱のご症状、乳がん手術後のホルモン療法によるとみられる左手指のこわばりが続いているそうです。しかし美智子さまはご自身の体調がすぐれないなか、何よりもコロナ禍の国民を心配されています」(皇室担当記者)上皇后美智子さまが、10月20日に86歳の誕生日を迎えられた。宮内庁によると、今年は美智子さまのお気持ちにより、すべてのお誕生日行事が中止された。いまだ世界中を覆うコロナ禍のなか、美智子さまのお言葉に力をもらい、遠いベトナムで日本の絵本を普及させようと尽力し続けている2人の女性がいる。「’17年3月2日のことでした。首都・ハノイで行われた在ベトナム日本大使夫妻主催レセプションの式場で、美智子さまとお話をさせていただく機会に恵まれました」そう振り返るのは、’02年に日本からベトナムに移住して、広告や編集の仕事とカフェの経営をしている勝恵美さん(44)。美智子さまにお会いしたのは、日本の絵本をベトナム語に翻訳して出版する計画が進行しているときだった。美智子さまは勝さんに「ベトナムの子供たちのための絵本の普及に頑張ってください」とお声がけされた。「美智子さまが私たちの活動のことを気にかけてくださっていて、本当にうれしいことだと思いました」(勝さん)日本の絵本をベトナムに広めたいと勝さんに提案したのは、親友であり仕事のパートナーでもあるベトナム人女性、レ・ティ・トゥ・ヒエンさん(42)だ。勝さんとともに大使夫妻主催のレセプションに出席したヒエンさんに、美智子さまは「あなたが日本の絵本をベトナム語に翻訳して、読み聞かせをされている方なのですね?」と話しかけられた。ヒエンさんは「はい。広くベトナムの子供にも絵本の素晴らしさを感じてもらいたいと思い、自分で200冊くらいの日本の絵本を翻訳して、’14年から読み聞かせの活動を始めました」と答えたという。美智子さまはヒエンさんの活動に関心を示され「読み聞かせをしている絵本の中に『ぐりとぐら』もありますか?」と質問された。『ぐりとぐら』は美智子さまが、天皇陛下が小さなころに読み聞かせていらっしゃった作品だ。そして「今後もベトナムの子供たちのために絵本の普及活動を頑張ってください」と、ヒエンさんの手をとって励まされたのだ。ヒエンさんが日本の絵本に出合ったのは’09年のこと。長女の出産祝いとして日本の友人からプレゼントされたのだ。“生き生きとした登場人物たちに親しみを感じ、色も鮮やかで想像力がわく。こんな本はベトナムにはない”と、ひと目で魅了された。「実は、ベトナムでは長い戦争と貧しさのために『絵本』というものがまったくといっていいほど存在しなかったのです。日本ではお母さんが絵本を読み聞かせるのは当たり前の光景ですが、その大切さを理解してもらう啓発活動も必要でした」(勝さん)後日、美智子さまから大使館を通じて、幼少期の読書の思い出を綴られたご著書『橋をかける 子供時代の読書の思い出』が、勝さんとヒエンさんに贈呈された。その中に記された言葉に、2人はたいへん感激したという。《読書とは人間の喜び・悲しみを理解する「根っこ」と想像力を育む「翼」を作るもの》そして勝さんはこう決意した。「ぜひとも、このご著書をベトナム語に翻訳して、広く美智子さまの思いをベトナム人に伝えたい」そして、翌’18年の美智子さまのお誕生日、10月20日に『橋をかける』の日越版の出版記念式典を挙行することができた。二人の活動について、美智子さまと親交のある絵本編集者、末盛千枝子さんはこう語る。「美智子さまとお話ししたときに、ベトナムでの絵本普及活動が話題になったことがあります。美智子さまは、勝さんとヒエンさんのことはよく記憶されていると思います」コロナ禍でのベトナムの絵本普及活動は、どのような状況になっているのだろうか。勝さんに話を聞いた。「コロナ禍でも自分たちにできることはないかと考え、4月にベトナム医療従事者や病院で隔離・治療を受けている人の子供たちに、日本の絵本をプレゼントするプロジェクトを立ち上げました。6月には小児科病棟に、50冊の絵本と美智子さまのご著書をセットとした絵本棚を寄贈する活動を始めました。本棚の名前は美智子さまの著書にちなんで、『橋をかける本棚(Tu Sach Bac Cau)』と命名させていただき、われわれが感激した本の中に出てくるお言葉も添えています」子供たちにとって“美智子さまの本棚”はまさに、先が見えないコロナ禍の不安の中で希望を授けるものになるに違いない。’17年から開催されているベトナムの童話作家を発掘するための「童話の花束コンテスト@ベトナム」は、今年も開催された。「今年はオンラインの開催でしたが、これまで毎年、美智子さまのお誕生日でもある10月20日に授賞式を行ってきました。’18年の応募は251作品だったのですが、今年はなんと1千351作品の応募がありました」勝さんとヒエンさんがベトナム語訳の日本の絵本を初めて出版したのは’17年6月のこと。それから3年あまり、今年8月に出版された『ぐりとぐら』まで、53作もの絵本が翻訳・出版された。「5周年を迎える’22年6月30日までに、100作品を出版することを目標に頑張っているところです。でもその目標はあくまで“一里塚”です。今後500作品、1千作品と数も伸ばし、ベトナムに“絵本市場”を成立させるくらい、多くの絵本を出版したいと思います」美智子さまの励ましを支えに、勝さんとヒエンさんは日本とベトナムのかけ橋になっているのだ。「女性自身」2020年11月3日号 掲載
2020年10月24日2020年10月20日、美智子上皇后陛下は86歳の誕生日をむかえられました。産経ニュースによると、上皇后陛下は新型コロナウイルス感染症拡大を危惧し、外出を控え上皇陛下に寄り添いながら静かに過ごされているといいます。同日に宮内庁が発表した上皇后陛下の『あるお言葉』が、ネット上で「素敵」「心が救われた」と話題です。『できなくなったこと』への考え方上皇后陛下は、2019年8月に早期の乳がんと診断され、翌月に手術を受けられています。それ以降、術後のホルモン療法が影響とみられる左手指のこわばりにより、得意のピアノ演奏に支障がでているとのこと。難しくなってしまったピアノ演奏に対し、上皇后陛下はこう考えられているといいます。今まで出来ていたことを授かっていたこととお思いになるのか,お出来にならないことを「お返しした」と表現され,受け止めていらっしゃるご様子です。宮内庁ーより引用以前のようにピアノが弾けないことを、上皇后陛下は「今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたもの」と受けとめているといいます。ネット上では、このお言葉に感銘を受けた人が続出しています。・美しいお言葉に、思わず心が震えました。生き方が言葉に現れるとはこのことですね。・美智子さまの素晴らしいお人柄がでていますね。今までできていたことに感謝して、ありのままの今を受け止める、素敵な生き方。・私は年を重ねて、段々とできることが少なくなっています。しかし、このお言葉を知って元気をもらえました。ありがとうございます。お言葉の中に、上皇后陛下のこれまで歩まれてきた人生やお人柄が、垣間見えます。上皇后陛下は、決して万全なご体調ではないようですが、上皇陛下に不自由がないように献身的に支えていらっしゃるそうです。30年もの間、上皇陛下とともに日本を支えてこられた上皇后陛下。どうかご無理をなさらず、これからも穏やかな笑顔でいていただきたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月21日上皇后・美智子さまは10月20日、86歳の誕生日を迎えられた。宮内庁によると、今年は美智子さまのお気持ちにより、すべてのお誕生日行事や恒例のお祝い御膳も中止されるという。上皇ご夫妻が皇居から高輪の仙洞仮御所にお引っ越しされたのは3月31日。美智子さまはそれ以来、宮内庁病院での検診を除いていっさいの外出を控えられてきた。誕生日に際して上皇職は、美智子さまの体調について以下のように発表している。《今年5月以降、ほぼ毎日、午後にお熱が37度を超え、翌日に平熱に戻る原因不明の症状がおありで、今も続いています》《昨春からのご体重の減少は、少し落ち着かれたものの未だご回復に至らず、心不全の診断指標であるBNP値も高い状態が続いています》いったいなぜ、美智子さまは体調を崩されてしまったのか。原因不明の発熱について《ご移居前の長期にわたる、時として早朝から夜遅くに及ぶ引き移りのためのお仕事のお疲れが未だおありだと拝察されます》と説明している。昨年、白内障と乳がんの手術をされたばかりの美智子さまにとって、3月の引っ越しはかなり“過酷”なものだったようだ。上皇陛下と美智子さまが、以前お住まいだった吹上仙洞御所に転居されたのは’93年12月。赤坂御所から運び出された荷物は2トントラック100台分。そのうち“私物”は6割で、約120トンに及んだ。今回は赤坂御用地内に新設された倉庫に運び込まれたものも多かったようだが、それでも膨大な品々の“仕分け”が必要だった。「膨大な荷物は国内外から献上された逸品はもちろん、上皇ご夫妻が結婚されてから60年間の思い出が詰まった品々ばかりです。美智子さまはご退院後、早朝4時ごろから起床され、長い日には1日15時間もお荷物の整理をされていました。側近が制止するも、『そうはいかないのよ』と手をお休めにならなかったそうです」(前出・宮内庁関係者)満身創痍ともいえる美智子さまだが、上皇職の説明によれば、それでも上皇陛下をお支えすることを第一にしていらっしゃるという。《上皇后さまがお過ごしになるお時間の大半は、ご高齢となった陛下に寄り添ってお支えになることに費やされています。ご自身も決して万全なご体調ではありませんが、陛下にご不自由がないよう、また、日々を楽しくお過ごしになれるようきめ細かくお心を配っていらっしゃいます》美智子さまがそれほどまでに上皇陛下を献身的にお支えになる理由について、宮内庁関係者はこう語る。「天皇ご一家が皇居の旧吹上仙洞御所に引っ越されたあと、上皇ご夫妻は赤坂御所にお引っ越しされます。しかし、コロナ禍で改修工事が進まず、お引っ越しのスケジュールが大幅に遅れているのです。赤坂御所は、上皇ご夫妻が昭和から平成の初めまでご家族と過ごされた思い出の場所。赤坂御所での暮らしを心待ちにされている上皇陛下のためにも、美智子さまは全力でお支えになるご覚悟なのです」
2020年10月20日《贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に》上皇陛下が’19年1月の歌会始で詠まれた和歌である。上皇ご夫妻は’05年、阪神・淡路大震災から10年の追悼式典に出席した際、震災で姉を亡くした少女からヒマワリの種をもらい、お住まいの御所の庭で毎年育てられてきた。このヒマワリは、復興の象徴となっている「はるかのひまわり」だった。阪神・淡路大震災で亡くなった、はるかさんという小学生の女の子の自宅跡に咲いたヒマワリの花に由来するもので、震災の記憶の継承のため、全国に広められている。上皇ご夫妻は今年3月末に、皇居から高輪の仙洞仮御所にお住まいを移られたが、このヒマワリが実は、お引っ越し先でも育てられているというのだ。9月11日に皇居内の宮内庁病院を訪問された美智子さま。この日が実に5カ月ぶりの外出だった。「新型コロナの感染拡大防止のため、国民が外出自粛を強いられるなかで、美智子さまも外出を控えられてきました。高輪の仙洞仮御所の庭を毎日、朝夕2回、上皇陛下とお二人で散策されるのが日課となっています。庭の花々にまつわる思い出を、お二人で話されているといいます」(皇室担当記者)仙洞仮御所のヒマワリについて宮内庁に問い合わせると、以下のような回答があった。《ご遺族から贈られた「はるかのひまわり」の種子を吹上御所のお庭でお育てになり、そこから採取された種子を毎年お育てになっていました。仙洞仮御所でお育てになっているのも「はるかのひまわり」です。皇居東御苑にある「はるかのひまわり」は、両陛下が御所でお育てになり、それから採れた種子を分けていただいたものです。以降、皇居東御苑で育てたものから種子を採取し、それをまいて育てています》「上皇上皇后陛下が毎年、ひまわりの花を咲かせていらっしゃることで、『はるかのひまわり』に興味を持ってくださる方が増えています。とてもありがたいことです」そう語るのは「はるかのひまわり絆プロジェクト」代表の松島俊哉さん。「私たちのプロジェクトは、例年春先に『はるかのひまわり』を育て、採取した種を無償で配布する過程で、その由来を伝えています。災害の悲惨さ、命の尊さを感じてもらい、『人の尊厳』と『人との関わりの大切さ』を伝えることが、感性豊かな地域社会をつくることにつながると考えています。咲いたヒマワリから収穫した種は再配布していただいたり、一部を返却したりしていただきます。上皇ご夫妻が災害の悲惨さと命の尊さを語り継いでくださっていると感じます」昨年の御代替わり直前には、上皇ご夫妻が『はるかのひまわり』を育てられていることが何度も報道された。「御代替わりに伴って報道の機会が増えたことで、昨年は種のリクエストは例年の10倍、4,000件ほどに増えました。今年も去年以上に多いペースでリクエストが届いています。コロナ禍で学校が休みになっていたため『子どもたちが休んでいる間に育てて、学校に帰ってきた時にひまわりの花で迎えたい』という学校も多かったです。このコロナ禍でも『はるかのひまわり』の輪が広がっています」体調に不安を抱えられている美智子さまだが、「はるかのひまわり」の思い出を上皇陛下と語らうひとときが心の支えになっているのかもしれないーー。
2020年10月19日上皇后・美智子さまは、10月20日に86歳の誕生日を迎えられる。上皇陛下とご一緒に、3月末に皇居の仙洞御所から高輪の仙洞仮御所に引っ越された美智子さま。上皇陛下が5月下旬から週2日程度、皇居の生物学研究所に通われるようになった一方、美智子さまは外出のない状態が続いていた。9月11日に皇居内の宮内庁病院を訪問されたのが、5カ月ぶりの外出だった。そんな美智子さまの心の支えになっているのが、仙洞仮御所に植えられた花々なのだという。皇室担当記者は語る。「最近では、新型コロナで苦しむ国民への心配もあってか、ご体調が優れない時期が続いたそうです。とくに左手が痛く、ピアノをお弾きになれないことがあり、微熱も続いたといいます。それでも上皇ご夫妻は毎日朝夕にはそろって庭を散策しそして、お花の手入れをされていたのです」上皇ご夫妻が大切にされているお花ーー。それはヒマワリとコハマギクだという。本誌がコハマギクについて宮内庁に聞くと《吹上御所の御車寄付近に植えられていたハマギクから株分けされ、仙洞仮御所の御車寄付近に植えられています》との回答があった。「仙洞御所の車寄せに育っていたコハマギクが、高輪の仙洞仮御所で育っているということは、本当に嬉しい知らせです。このことが大槌町、岩手県の人に伝わると、とても励みになります」感激した様子でそう語るのは、岩手県大槌町「三陸花ホテルはまぎく」の千代川茂社長。実はコハマギクは、東日本大震災の被災地と上皇ご夫妻に深い縁のある花なのだ。震災前の’97年には、天皇皇后両陛下がこのホテルの前身の『浪板観光ホテル』にお泊まりになったことがあった。しかし’11年3月11日、ホテルは津波に飲み込まれ壊滅的な被害を受ける。先代の社長だった千代川さんの兄も行方不明になってしまった。震災から半年後ーー。美智子さまの77歳の誕生日に公開された写真は、上皇陛下とご一緒に皇居に咲くコハマギクの花をご覧になっているもの。上皇ご夫妻は、’97年に、千代川社長の兄が献上したコハマギクの種を、大切に育てていらっしゃったのだ。そのコハマギクが現在、高輪の仙洞仮御所で育てられている。美智子さまは、引っ越しの際に皇居から高輪にお持ちになったそうだ。「あと半年で、東日本大震災から10年。着実に復興は進んできましたが、コロナ禍でたいへんな時代になってしまいました。観光産業もダメージが大きいです。でも、はまぎくの『逆境に立ち向かう』という花言葉のように頑張りたいと改めて思いました」ホテル裏の海岸の岩場に自生するコハマギクは、今年も波に負けず元気に育っているという。「’16年に上皇ご夫妻に再びお越しいただきコハマギクを見ていただいたのですが、次はご公務ではなくご旅行で岩手にいらしていただき、もう一度、コハマギクをご覧になっていただければ嬉しいです。このあたりのコハマギクは、美智子さまのお誕生日の10月20日ごろから約1カ月が見ごろとなります。仙洞仮御所のお庭の花はもう少し早く咲くのでしょうね」コハマギクの花を大切にされるお姿は、昭和から平成の60年以上をともに歩まれた上皇ご夫妻の、つねに国民を思うお気持ちをあらわしているのではないだろうかーー。
2020年10月19日天皇皇后両陛下は10月1日、小中学校の校長会会長や東京都教育委員会教育長ら4人を赤坂御所に招き、コロナ禍の教育現場について説明を受けられた。「両陛下は、教職員の精神的、肉体的疲労を心配して『敬意とねぎらいの気持ち』をお伝えになりました。また、子供たち自身が困難な状況の中で学校生活を充実させようと努力していることを心強く思ったと、感想をおっしゃりました」(宮内庁関係者)懇談は午後5時から1時間ほどの予定だったが、両陛下は予定の倍近い約2時間にわたって話を聞かれた。雅子さまは、子供たちの生活、貧困家庭への対応や児童虐待、心のケアなどについて、熱心に質問をされたという。長引くコロナ禍は、子供たちの生活にどのような影響を及ぼしているのだろうか。両陛下が’18年5月に訪問された滋賀県米原市の福祉施設「ふくしあ」のセンター長、中村泰之さんに話を聞いた。「脳や体に障害のある子供たちがリハビリのために通っていましたが、デイサービスの子供たちには利用を控えてもらいました。自宅に伺うことができず、ご家族に電話して様子を聞いたり、お遊びを動画で配信したりするなど、3月から5月までは大変でした。現在も感染防止に細心の注意を払っています」’02年、’06年と’16年の3度にわたり、雅子さまが訪問された児童養護施設「福音寮」の理事長である飯田政人さんは、「コロナ禍で日常的にできていたことができなくなりました。子供たちが外に出られなくなってしまい、近所の公園に遊びに行くことすら難しくなりました。施設で親御さんとの面会もできずに電話で話をするだけという時期もありましたので、今でも不安を感じている子供が大勢います」前出の「ふくしあ」の中村さんは、両陛下のご訪問は施設の職員や利用者にとって大きな励みになったと語る。「両陛下がこちらにいらしたときには、利用者がたいへんに励まされました。両陛下が直接いらっしゃって、そのご様子が報じられたことで、地域の方々にも施設のことを知ってもらうことができました。そのように周辺の住民の方々の理解が広がったことで、利用者も胸を張って施設に通うことができるようになったと思います。両陛下からとても大きな力をいただいたと感謝しています」コロナ禍のため施設への訪問は難しい状況だが、天皇皇后両陛下は今回の懇談で、教育現場と子供たちへエールを届けられたのだ。「女性自身」2020年10月27日号 掲載
2020年10月16日「家庭での虐待は大丈夫ですか」「コロナに罹った子供たちが、いじめに遭っていませんか」天皇皇后両陛下は心配そうなご表情で、そう問いかけられた。10月1日、小中学校の校長会会長や東京都教育委員会教育長ら4人を赤坂御所に招き、天皇陛下と雅子さまはコロナ禍の教育現場について説明を受けられたのだ。「皇后さまのご質問からは、コロナで生活が一変した子供たちに心から寄り添っていらっしゃることが伝わってきました。午後5時から1時間ほどの予定でしたが、終わったのは午後7時前でした」(東京都教育委員会事務局の担当者)これまで両陛下は、さまざまな分野の専門家から新型コロナに関するご進講を受けられてきたが、約60分間もの“大幅延長”は前例がない。今回のご説明に出席した東京都公立小学校長会会長の喜名朝博さんが、両陛下のご様子を明かす。「学校の行事が中止になり、子供たち同士の関わりやそこで育つ力を得られる機会が減っているとご説明申し上げますと、皇后さまは『運動会などが楽しかったと今でも言っています』と愛子さまのお話をしてくださり、学校行事の大切さについてよくご理解いただいていると感じました。私たちが説明しているときも、質問をされるときも、とても真剣にメモを取られている両陛下のお姿からは、ご関心の高さがうかがえました」雅子さまは今回の懇談の中で「虐待が増えていませんか」と、前出の喜名さんに質問されている。児童虐待は、雅子さまがとくに強い関心を示されてきた問題だ。《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》’18年12月、雅子さまは誕生日に際してのお言葉で児童虐待の増加を憂慮されている。さらに翌’19年にも子供の貧困や虐待の問題に《心が痛みます》と、2年連続で言及されているのだ。厚生労働省によると、子供が親などから虐待を受けたとして児童相談所が対応する件数は年々増加の一途をたどり、今年1月からの半年間では9万8千件余りと過去最多のペース。緊急事態宣言が発令された4~5月は、昨年同期比で2%減っているが、虐待の“潜在化”という事態も危惧されている。つまり学校の休校や外出自粛に伴い、周囲の人が子供の異変に気づく機会が少なくなっているということだ。また、感染の恐れを理由に、児童相談所の職員が家庭訪問を断られるケースもあるという。コロナ禍は、児童虐待の実態把握と対策を困難にしているのだ。雅子さまは愛子さまがお生まれになってから、児童問題にいっそう力を注がれるようになり、児童養護施設を何度も訪れて、保護者がいない子や虐待された子らと交流されている。また聖路加国際病院にもたびたび足を運び、重病の子供たちを励ました。だが、コロナ禍で両陛下の施設訪問は難しい状況となっている。宮内庁関係者が言う。「陛下も雅子さまも、苦境にある子供たちに直接お会いになって激励される形がいちばん望ましいと思われているのは間違いありません。ですが新型コロナの完全な終息が見えない現状では当面、それは不可能です」4月には天皇陛下が“お手元金”から子供の貧困対策に取り組む『子供の未来応援基金』に5千万円を寄付されましたが、法律で寄付の上限が定められているため、1年に何度も行うことはできない。「雅子さまも、5月に日本赤十字社社長からのご進講でのお言葉が宮内庁HPに掲載されて以降、皇后としての公式なメッセージは発信されていません。5カ月に及ぶ“沈黙”には、雅子さま自身のもどかしい思いもおありでしょう。外出を伴う公務が難しい現在、両陛下は“新機軸”となる活動を模索されているのではないでしょうか。そんな中、今回の懇談にも今後の活動への“ヒント”があったように感じます」(前出・宮内庁関係者)今回の教育関係者らとのご面会で、休校期間中に教員が電話やパソコン、タブレット端末などで生徒と関わることで、以前よりむしろ深く話せる機会も生まれたと説明があった。天皇陛下は「コロナを経て見えてきたことをチャンスに変える発想の転換も必要ですね」と述べられたという。実は皇室でも、少しずつではあるがリモートの活用が進み始めている。この8月には両陛下が、新型コロナ流行下での水防災をテーマとした国際オンライン会議をお住まいの赤坂御所で聴講された。9月には、秋篠宮家の次女・佳子さまが、オンラインで開催された「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」の開会式に動画で手話によるメッセージを寄せられた。現場に足を運び、直接対面して思いを伝える――。天皇陛下と雅子さまが上皇ご夫妻から引き継がれた皇室のあり方も、コロナ禍の長期化でより柔軟な対応が必要となっているのだ。「雅子さまは“困難な状況にある子供、虐待を受けている子供に希望を与えたい”という強い思いを持っていらっしゃいます。施設への直接の訪問がかなわない今、リモートで励ましの言葉を届けることはできないか――。雅子さまは前例なき試みの実現に向けて、すでに動きだされているのです」(前出・宮内庁関係者)苦しい状況にある子供たちに希望の光を――。子供たちの笑顔を取り戻すため、雅子さまの“慈愛の決断”が揺らぐことはない。「女性自身」2020年10月27日号 掲載
2020年10月16日女優の羽田美智子(はだ・みちこ)さんが、2020年10月9日に開催された自身のエッセイ『羽田さんに聞いてみた、小さな幸せの見つけ方』のイベントに出席。自身の子供や、同年9月に亡くなった竹内結子さんについて語る場面がありました。羽田美智子子供を流産した過去を明かす羽田美智子さんは2011年5月に、水中カメラマンである広部俊明さんと結婚しました。当時、報道各社に向けたFAXでは「ずっとよい友人関係でしたが、2年ほど前から私にとって特別な人となり、結婚させていただく運びとなりました」と報告しています。その後も夫婦関係は順調に見えた2人でしたが、羽田美智子さんは2018年3月9日のブログで、2017年に離婚していたことを発表。羽田美智子さんは東京、広部俊明さんは沖縄を拠点に活動しており、遠距離での夫婦生活を送る中で生まれたすれ違いが、離婚の理由の1つであることを明かしています。羽田美智子が離婚した理由をブログで語る開店したネットショップ『羽田甚商店』の評判は?そんな2人には子供がいませんでしたが、今回のイベントで羽田美智子さんは「流産をした経験がある」と告白。同エッセイの中では初めてその出来事について語っているといい、意図についてこのように説明しました。(世の女性に)そういう思いをさせたくなくて、若い人たちに早く読んでいただいて「こういうことが待っているんだな、人生には」って予習してもらいたいというか、そういう思いもあって書かせてもらいました。羽田美智子竹内結子の死に「言葉にならない」イベントの中では、羽田美智子さんに「亡くなった竹内結子さんについてどのように感じているか」という内容の質問が投げられました。羽田美智子さんと竹内結子さんは、2009年の映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』で共演しています。2人は共演をきっかけに連絡をとるようになっていたといい、羽田美智子さんは竹内結子さんが亡くなったことについて「まだ信じていないというか、ふに落ちてなくて言葉にできない」と告白。「言葉が出てこなくて…。自分の中でまだ消化できてないっていう。なんでっていう思いになっちゃうんですよね」と、自身の中で整理がついていないことを明かします。『ジェネラル・ルージュの凱旋』で共演した後、竹内結子さんとはしばらく交流があったものの、徐々に仕事で一緒になることがなくなり、連絡を取らなくなってしまったそう。羽田美智子さんは神妙な顔つきで「友人関係が続いていたら、聞きたかったこともいっぱいあるし。言葉にならない、悲しすぎて」と語り、竹内結子さんとの不意の別れを惜しんでいました。羽田美智子悲しいことがあっても前向きに常に笑顔のイメージがある羽田美智子さん。普段から「小さな幸せを見つけるのが得意」だといい、同エッセイでは日常に隠れている幸せの見つけ方をつづっているといいます。羽田美智子さんは毎日『あした日記』というものをつけているそうで、これは明日、行うことにいい結末が待っていると事前に書き記すのだとか。すると、物事が必ずといっていいほど前向きに進むそうで、「ぜひ、やってみてほしい」と笑顔を見せました。そのポジティブなライフスタイルで支持を集め、さまざまな人にエールを送っている羽田美智子さん。昔も現在も変わらず輝いて見えるのは、その生き方に理由があるのかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年10月09日9月11日、上皇后美智子さまは3月に仙洞仮御所に引っ越されて以来初めての外出をされた。宮内庁病院を訪れ、昨年の白内障手術と乳がん摘出手術の術後検診を受けられたのだ。「美智子さまは18日にも、健康診断のために宮内庁病院へ向かわれました。今後も美智子さまは定期的に宮内庁病院に通われる見通しです」(皇室担当記者)そんななか美智子さまの知人女性は、つい先日、電話でお話をしたという。お声は以前と変わらずお元気だったそうだ。「ただ、上皇后さまは左手に痛みがあるとおっしゃっていました。そのためにお好きなピアノが思うようにお弾きになれていないようなのです。それがとてもお気の毒でした。いまは読書が何よりの楽しみなのだと思います。そして、少しでも早く上皇陛下と赤坂御用地に引っ越しされたいと願われていました」赤坂御用地の赤坂御所は、平成の初めまで30年以上にわたってご家族と過ごされた思い出の場所。コロナ禍で皇居内の御所の改修工事が遅れており、心待ちにされているお引っ越しは当初よりかなり後になりそうだ。ただ、美智子さまの“心配事”はそれだけではないようだ。宮内庁関係者が語る。「上皇后さまは最近、皇位継承問題について、あるお考えを側近に漏らされていたそうです」現在の皇室には、天皇陛下よりお若い男性皇族が秋篠宮さまと悠仁さましかいらっしゃらない。しかも女性皇族は結婚後、皇室を離れることになっている。このままでは皇族数が減少し、次世代の皇室を担うのは悠仁さまお一人だけになる可能性もある。「そこで検討されているのが、女性皇族が結婚後も皇室にとどまり、ご公務を続けられるようにする『女性宮家』の創設です。ただ、そこで争点となるのがお相手の男性をどういう立場にするのかという問題です。美智子さまは、女性宮家が創設されることになっても、公務を担うのは女性皇族のみにし、お相手の男性は一般人として公務には関わらないほうがいいのではとお考えになられたそうです。そのお気持ちを、国民に理解してほしいと願っていらっしゃるのだと思います」雅子さまや紀子さまのように、男性皇族と結婚された女性は皇室に入ることになっている。だが、女性宮家を創設するにあたり、女性皇族の夫にも皇室の一員になってもらうべきなのか、それとも一般人のままでいてもらうべきなのか――。名古屋大学大学院准教授で象徴天皇制を研究する歴史学者・河西秀哉さんに聞いた。「女性皇族と結婚する男性配偶者も皇族とすれば、その方にも公務を担ってもらえるというメリットがあります。ただし前例がないため、女性皇族と結婚して皇族になる男性がどういう人物なのかは注目を集めるでしょう。インターネット上では、女性宮家が創設されれば小室さんが皇族になるのではないか、という意見も見られます。女性皇族の配偶者男性を一般人のままとした場合、そうした反発の声は少し抑えられるかもしれません。ただ、そのお子さんはどうするのかという問題は残ります」女性宮家創設について賛否の声があるなかで、美智子さまのお考えは、できるだけ反発を避けて速やかに実現させることができる案だといえる。政府は、秋篠宮さまが皇位継承順位第1位となられたことを国内外に示す「立皇嗣の礼」を、今秋にも開く方向で調整に入った。立皇嗣の礼を挙行後、政府は安定的な皇位継承策について本格的な検討を始める。もちろん女性宮家についても議題に上るはずだ。「女性・女系天皇の是非も含めた皇位継承問題は喫緊の課題にもかかわらず、7年9カ月もの長期政権となった安倍政権ではまったく進展がありませんでした。菅政権までもがこの問題を先送りすれば、皇室の存続はいよいよ危うくなります」(前出・皇室担当記者)長引く“小室さん問題”が、女性宮家創設のネックになっているのは間違いない。「眞子さまは秋篠宮家の長女として、海外への公式訪問を5回もされるなど、皇族としての責務をしっかりと果たされてきました。美智子さまは、ご公務にも学業にも真剣に取り組まれる眞子さまを頼りにされています。皇室の一員として両陛下を、そして将来の天皇を支えてほしいという思いもおありのようです。ただ、小室さんについては、結婚のお相手としてふさわしい方なのか、疑問に感じていらっしゃるのではないでしょうか。もしこのままご結婚となった場合、眞子さまに皇室に残ってもらうとしても、小室さんを皇室に迎え入れることはできない――。そこで出された結論こそが、女性皇族のみが公的なお務めを果たす、とのお考えなのだと思います」(前出・宮内庁関係者)皇室ジャーナリストは、このお考えに美智子さまのご覚悟が滲んでいると語る。「実は女性宮家の創設だけでは、皇族減少の根本的な解決にはならないのです。悠仁さまに将来、男子のお子さまが生まれなければ、皇位が途絶えてしまう――。その危機的状況を変えるには、女性天皇、さらには女系天皇を容認するしかありません。ただ、まずは皇族の減少に歯止めをかけるため早急に女性宮家を認め、一人でも多くの女性皇族に皇室に残ってもらい公務を担ってほしい……。美智子さまはそうお考えになっていらっしゃるのではないでしょうか」’19年4月に朝日新聞が実施した世論調査では、50%が女性宮家に賛成だったものの、反対も37%にのぼった。皇位継承の危機が迫るなか、菅政権はどのようにこの問題に取り組むことになるのか――。「女性自身」2020年10月13日号 掲載
2020年09月29日女優の吉瀬美智子(きちせ・みちこ)さんが、2020年8月27日にインスタグラムを更新。水着姿の写真に多くの反響が寄せられています。吉瀬美智子の水着ショットが「美しすぎる…」吉瀬美智子さんは、プールを楽しんでいるところを撮影した夏休みの『思い出ショット』を投稿。「写真集、ラスト水着(笑)」とつづり、笑顔のダブルピースを披露しています。 この投稿をInstagramで見る 写真集 ラスト水着 (笑) 娘のゴーグルを借りて本気 Michiko Kichise (@michikokichise)がシェアした投稿 - 2020年 8月月26日午後9時35分PDTちなみに、頭につけているゴーグルは娘のものなのだとか!投稿を見たファンは「セクシーなママ!」「水着姿、レアです!」と大興奮。プライベートでも変わらぬ美しさを絶賛しています。・さすが女優さん!オフでも美しい…。・こんなセクシーなママがいたら、照れちゃう。・水着、最高です!また見たいです!!吉瀬美智子さんは、2010年12月に10歳年上の一般男性と結婚。2013年に第1子となる長女、2016年に第2子となる次女を出産しています。インスタグラムでは育児や家事に励む様子をたびたび投稿しており、そのたびに「よいママ!」「素敵な奥さん」と絶賛されています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る レゴランドで必死に車を作る親子 長女はペンギンを作成 ランチのパンケーキの顔も良い感じに描けました✨ 暑くて外遊びは危険ですね〜 Michiko Kichise (@michikokichise)がシェアした投稿 - 2020年 6月月18日午前12時27分PDT この投稿をInstagramで見る 子供達と一緒に魔女 金髪はのだめのエリーゼ以来 皆んなに誰だか分からないと言われ (笑)大成功です! Michiko Kichise (@michikokichise)がシェアした投稿 - 2019年10月月30日午後10時36分PDT この投稿をInstagramで見る お友達と一緒にお台場へ 水上バスは涼しい季節が おすすめ ミニ扇風機、冷却スプレー、 塩キャンディ、凍らせたOS1。 ランチ後、次女はお昼寝 夕方まで体力も持ちました! Michiko Kichise (@michikokichise)がシェアした投稿 - 2019年 8月月7日午後10時25分PDTよき母、妻、そして女優として輝き続ける吉瀬美智子さんの今後にも注目です!吉瀬美智子が夫に「殺したい」発言?モデルから女優に転向した理由は[文・構成/grape編集部]
2020年08月28日天皇皇后両陛下は8月20日、水の防災についての国際会議をオンライン聴講された。コロナ禍における各国の水害対策などが話し合われた会議は2時間半にわたって英語で行われ、両陛下はメモをとるなど熱心に話を聞かれた。天皇陛下は会議の終了後に「大変意義のある会議でした。世界各国が手を携えてこの困難を乗り越えてほしい」と述べられたという。「水問題」といえば、天皇陛下のライフワーク。6月にも水問題の研究者である廣木謙三政策研究大学院教授を赤坂御所に招き、手洗いの有用性や水害発生時の影響など、新型コロナと世界の水問題について説明を受けられていた。このときは、天皇陛下単独でのご進講だった。しかし今回、天皇陛下と雅子さまはご一緒にオンライン会議を聴講された。「コロナ禍により、避難や救出活動における感染拡大防止といった、新たな課題が生まれています。国民の暮らしに密接に関わる問題として、コロナ禍における水害問題についてお二人で取り組まれたいという強い思いがあったのではないでしょうか」(皇室担当記者)7月上旬に熊本県を中心に発生した集中豪雨について、心を痛めていらっしゃったという両陛下。7月20日には宮内庁の池田次長が「新型コロナウィルス対策のため災害対応も難しさを増している中で、日夜努力している関係者のご労苦に対し、おねぎらいのお気持ちをお持ちでいらっしゃいます」と、両陛下のご心情を伝えている。天皇陛下は国際会議での講演で、地球温暖化による水害の多発に警鐘を鳴らし続けてこられた。今年2月の誕生日会見でも《防災・減災の重要性を考えていく上で、「水」問題への取組で得られる知見も大切にいかしていきたいと思います》と述べられていた。また雅子さまも昨年12月の誕生日に際しての文書で《近年、日本のみならず、世界各地でも水害や山火事などの自然災害が多く発生しており、地球温暖化や気候変動などの問題が現実のこととなりつつあることが案じられます》と綴られていた。天皇陛下は’19年4月に刊行された著書『水運史から世界の水へ』に《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》と記されている。「水問題」について、雅子さまも以前から関心を持ち、陛下をサポートされてきたのだ。コロナ禍によりますます重大な課題となる水害対策。両陛下は「水問題」についての知見を生かした取り組みを続けられることだろう。
2020年08月25日三越伊勢丹が運営する2019年11月に誕生した化粧品オンラインストアmeeco varietyで、9月2日から、藤原美智子氏がプロデュースするライフスタイルブランドのコスメアイテムの取り扱いを開始します。meeco varietyでの取り扱いに先駆けて、東京ミッドタウンの「イセタンサローネ」で8月26日~9月1日に期間限定ポップアップを開催。meeco varietyとも連動したスターターキットを販売するほか、ブランド人気のメイクアイテム・スキンケアアイテムなど<MICHIKO.LIFE>のコスメアイテムの全ラインアップをご紹介します。meeco varietyに先駆けてイセタンサローネで期間限定ポップアップ開催■< MICHIKO.LIFE>ポップアップ会期:8月26日(水)~9月1日(火)会場:イセタンサローネ/東京ミッドタウン ガレリア「イキイキと輝く日々を。」がコンセプトの<MICHIKO.LIFE>は「豊かに`わたし´らしく」美・衣・食・住と心のStyleのつくり方を発信するライフスタイルブランド。素肌や素顔の美しさを引き出し、藤原美智子氏が本当に欲しいものをひとつずつこだわりを持って開発し、時代や流行を問わずにご提供するブランドです。会期中、藤原美智子氏によるインスタライブを実施いたします。(8月26日(水)、28日(金)、30日(日) 各日午後7時~約1時間/配信アカウント: )9月2日(水) meeco varietyで常設展開開始■取り扱いラインアップブランド人気のエッセンスブロウペンシル、フォルトリスマスカラなどメイクアイテムから、スパークロイドミストをはじめとするスキンケアアイテムの全11点をご紹介します。展開開始を記念して、30点(2色)限定で「スターターセット」(11,000円)をご用意。アイブロウ、ベース、クレンジング、クリアペーストの4点がセットになった大変お得なセットです。■先着限定のプレゼントを会期2回にわたり実施・9月2日(水)~ : <MICHIKO.LIFE>を3,300円以上お買い上げのお客さま先着100名さまに「スパークロイドパック(1包)をプレゼント・9月23日(水)~: <MICHIKO.LIFE>を1万3,200円以上お買い上げのお客さまに先着20名さまに「スパークロイドパック」(5包)をプレゼントmeeco variety <MICHIKO.LIFE>商品ページ URL :藤原美智子氏/<MICHIKO.LIFE>プロデューサー、ラ・ドンナ主宰ヘア・メイクアップアーティスト、ライフスタイルデザイナーとして多くの雑誌や広告撮影のヘアメイク、執筆、化粧品やファッション関連のアドバイザー、講演、TV出演などで幅広く活動している。また、美容だけでなく、栄養コンサルタントの資格を取得し、職や健康、装い、暮らし、生き方などライフスタイルを提案している。近著に「新しい口紅は寝る前に試す」(講談社)、「大人の女は、こうして輝く。」(KKベストセラーズ)、「美しい麻で人生を変える」(幻冬舎)など、著書多数。*すべて税込価格です。企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年08月24日「皇后さまからは『介護の現場では、みなさんが頑張っていらっしゃったのですね』と、労いのお言葉をいただきました」そう話すのは、「全国老人保健施設協会」会長の東憲太郎さん。6月23日に天皇陛下と雅子さまに、コロナ禍における老人介護の現状をご説明した。「3,600ほどの施設が当協会に加盟していますが、新型コロナウイルスの感染者が出たのは16カ所、クラスターの発生は5カ所でした。多くの施設では職員たちがたいへんな努力で感染を防いだこと。そしてクラスターとなった施設では、感染を逃れた数少ない職員で泣きながら介護をしていたことなどをお伝えしました。そのときの両陛下はとてもおつらそうなご表情を浮かべられ、現場の職員たちを真剣に心配してくださっていると感じました。『ご苦労されたのですね』と現場の職員たちを労う天皇陛下のお言葉に続いて、皇后さまから『日本の高齢者の方々をみなさんが守られているのですね。お体を大切になさってください』と励ましのお言葉をいただきました」4月10日、政府の専門家会議で副座長を務めた尾身茂氏に始まり、陛下と雅子さまがマスク姿で臨まれたご進講・ご接見は7月までに15回。医療関係団体から児童福祉や老人福祉、生活困窮者支援まで、その分野は多岐にわたる。NPO法人「キッズドア」理事長の渡辺由美子さんも、7月21日に両陛下にご接見をたまわった。コロナ禍における、生活困窮世帯の子供たちへの支援状況などをご説明したという。「実は当初、予定時間は10分だったのですが、事前に侍従の方から『両陛下はとてもご関心をもっていらっしゃるので、(予定より)ゆっくりお話しください』と伝えられていました。熱心にメモを取られる両陛下のお姿から、子供たちを心配されるお気持ちが伝わってきました。皇后さまからは『どういうボランティアの方がいらっしゃるの?』『お母さまたちの様子はどうですか?』とさまざまな質問をいただきました。『本当にたいへんな活動をなさって。ありがとうございます』ともおっしゃってくださいました」コロナ禍の外出自粛を機に「キッズドア」では、それまで行っていなかったオンラインの学習支援への取り組みを開始した。渡辺さんとともに2つの団体の代表が、コロナ禍で生まれた工夫やつながりを、子供たちを地域で支える社会へと変えるきっかけにしたいと説明した。すると陛下は「ピンチはチャンスになりますね」とおっしゃったという。7月下旬から再び全国各地で感染者数が急増。両陛下と国民の直接的なご交流は途絶えたままだ。「前例踏襲にこだわる宮内庁は、ビデオメッセージやSNSの活用といった試みにも及び腰です。お出ましにもなれず、メッセージを発信される手段も極めて限られている……。皇室の存在意義が問われる“危機的状況”といっても過言ではありません。そういった状況下でもなんとか国民を励ましたいという両陛下の思いが、15回にも及んだご進講とご接見に表れているのではないでしょうか」(皇室担当記者)毎週のように行われたご進講・ご接見には、どのような意味があるのだろうか。象徴天皇制を研究する歴史学者で、名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉さんはこう語る。「両陛下には、子供・老人・生活困窮者など、感染拡大によって間接的に影響がある人々の状況まで知りたいという思いがあるのではないでしょうか。認知症や知的障害に関する取り組みをしている方にも話を聞いているのは、そういった社会的に弱い立場の人々への影響をとくに心配しているようにも受け取れます」4月の尾身茂氏のご進講後には、天皇陛下による冒頭のあいさつが公表されている。「あいさつの公表は異例のことで、非常に驚きました。とくに《私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら》という文言は、ビデオメッセージが出せないなかで、かなり強いメッセージ性を込めたものに感じました。また日赤社長のご進講にあたっては、雅子皇后のあいさつも公表されました。これは、天皇皇后が心を合わせて国民のことを心配しているという姿を示そうとしたのではないかと思います」(河西さん)雅子さまはこのとき、医療の最前線で働く医師や看護師、その家族や関係者の苦労や頑張りへの理解を示され《陛下とご一緒に心からのお礼の気持ちをお伝えしたい》と述べられている。天皇皇后というお立場ゆえに極めて制約が多く、できないことだらけであっても、工夫をこらして国民に思いを届けたい――。15回のご進講とご接見には、まさに両陛下の“ピンチを希望に!”という切なる願いが込められているのだろう。今年4月、天皇陛下の即位に当たり、両陛下から「子供の未来応援基金」に5千万円が寄付された。その一部が新型コロナへの緊急支援に使われ、「キッズドア」のオンライン学習支援にも使われている。前出の渡辺理事長が言う。「ご接見の終わりに、両陛下からご寄付とお気持ちを寄せていただいていることを、子供たちや保護者に伝えたいと申し上げました。すると皇后さまから『ぜひ、どんどん伝えてください。子供たちに私たちも応援していることや、頑張ってほしいと願っていることを伝えてください』とのお言葉をいただきました。コロナ禍でなければ、現場に行って励ましたいと思っていらっしゃるように、強く感じました」再び国民と触れ合える日がくるまで、希望に向かって、天皇陛下と雅子さまのご奮闘は続く――。「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載
2020年08月12日「天皇皇后両陛下には、この度の大雨災害で多数の方々が犠牲となり、また、依然として多くの方の安否が不明であること、数多くの方々が被災されていることに大変心を痛めておられます」7月6日、宮内庁の池田憲治次長は会見でこのように述べ、天皇陛下と雅子さまのお見舞いの気持ちを明らかにした。7月に入ってから続いている長雨は九州や島根県、岐阜県、長野県などで豪雨災害を起こし、多くの犠牲者、行方不明者を出している。皇室担当記者は次のように話す。「両陛下は昨年12月26日、昨年10月の台風19号で大きな被害が出た宮城県と福島県の被災地を訪問され、被災地の方々に直接話しかけられてお心を寄せられています。また両陛下は被災の現場をご覧になり、痛ましい状況を理解されているだけに、今回の豪雨被害についてもたいへんに心配されていることと思います」両陛下の被災地でのお姿には、常にお二人で力を合わせ、国民のことを思い、お心をお寄せになっているという姿勢が感じられる。そのスタイルが被災地ご訪問で色濃く出て、印象に残った場面があった。平成も残り少なくなった’18年9月、両陛下は’17年7月の九州北部豪雨で最も被害が大きかった福岡県朝倉市の復興状況を視察されている。この時、約100人の被災者が暮らしていた朝倉市杷木地区の仮設住宅「林田団地」をお訪ねになった。この仮設住宅の入り口で両陛下のご到着を待っていた人々の中にいたのが、当時97歳の古賀チトセさんだった。お車から降りられた雅子さまはすぐに車椅子に座っていた高齢の女性に気づき、チトセさんの前で膝を折られ話しかけられたのだ。雅子さまはチトセさんの手を両手で包み込むようにして「冷たくなっていますね」と温められ、「長生きしてくださいね」と声を掛けられた。長時間外で待っていたチトセさんの体が冷えているのを、雅子さまは気遣われたのだ。雅子さまのご様子を隣でご覧になっていた天皇陛下も、思わず手を伸ばされて、チトセさんの手を握られた。古賀さんは「天に昇るような気持ち。私は本当に幸せ者です」と、喜びを語っていた。「この時のご様子から、これがご即位された後の国民との触れ合いのスタイルとなると感じられました。雅子さまの国民への寄り添い方を陛下が理解され、ともに国民を励ましたいというお気持ちがはっきりと出ていたのです」(前出・皇室担当記者)古賀チトセさんは、今年5月14日に亡くなったという。享年101だった。三女の公子さんが、チトセさんの気持ちを話してくれた。「母は、3年前に雅子さまとお会いしたことを支えにして生きてきたと思います。『雅子さまはお車を降りられて、まっすぐ私の方に歩いてきてくれました。この嬉しい気持ちがわかりますか?』と、なんどもなんども口にしていました。戦前生まれの母にとって、天皇陛下と雅子さまに励ましていただいたことは、きっと天にものぼるような気持ちだったのだと思います。高齢になって、先祖代々300年以上住んできた家が流され、避難生活を送ることになった母にとって、雅子さまの励ましは本当にありがたかったのです」亡くなった当日の5月14日は、チトセさんの80回目の結婚記念日でもあった。結婚式の写真は’17年7月の豪雨で自宅が水害で全壊した時に行方不明になっていたが、偶然にも亡くなる1週間前に見つかったのだ。チトセさんの遺骨は、その結婚式の写真と、両陛下と一緒にチトセさんが写っている写真とともに、納骨堂に置かれている。葬儀の日、チトセさんの孫(公子さんの息子)は、参列者への挨拶にこう述べた。「祖母は両陛下に励まされたことを生きがいとして、今日まで頑張ってきたと思います……」これまで両陛下がお見舞いに訪れた被災地の人たちのなかには、チトセさんのように天皇陛下と雅子さまと触れ合ったことで、全てを失っていてもこれから頑張らないといけないと、生きる力が湧いてきたという人もいる。公子さんはこう気持ちを話す。「今年も災害が続き、雅子さまはお辛い気持ちでいらっしゃることでしょう。このコロナ禍が終わったのちに各地にお出かけになり、母を励ましてくださったように、被災者に寄り添って欲しいと思います」「女性自身」2020年7月28日・8月4日合併号 掲載
2020年07月21日天皇皇后両陛下は7月6日、九州の大雨による被災者にお見舞いの気持ちを表された。宮内庁によると両陛下は大雨により多くの人が犠牲になり、いまだに安否のわからない人がいることにたいへん心を痛めていらっしゃるという。新型コロナの感染拡大が国民的な危機となっている一方で、国民の声を直接聞く機会を作ることは難しく、天皇皇后両陛下にとっても、もどかしい日々が続く。そんな中、両陛下の“側近”が一新される人事が発表された。天皇家の相談役とされる宮内庁参与が、6月18日付で交代となったのだ。上皇ご夫妻の御代から参与を務めてきた4人は退任し、兵庫県立大学理事長の五百旗頭真氏、元宮内庁長官の風岡典之氏、前最高裁判所長官の寺田逸郎氏が就任した。宮内庁参与とはどのような役割を担う存在なのだろうか。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんに聞いた。「参与は天皇の個人的な相談相手という位置づけになります。上皇陛下が退位について参与に相談されたという報道もありましたが、そのように天皇が方針や意向を決める前の段階で、まだ胸の内にあるような事柄を参与に相談されることが多いと思われます」つまり、宮内庁参与は天皇家の意思決定をサポートする、重要な立場にあるのだ。参与の選任について前出の宮内庁関係者に聞くと、「宮内庁長官や侍従長は国家公務員であり、人事権は内閣が持っています。天皇陛下はその人事について希望を言うことはできません。一方で、私的なアドバイザーである宮内庁参与は、内閣の関与を受けることなく、天皇陛下が唯一、最終決定権を持っている人事なのです。候補者は宮内庁がリストアップし、最終的には天皇陛下の了解があって初めて決まります。平成以降は皇后陛下もこの人事に関わるようになったといわれていますので、雅子さまのご意見も人選に反映されているはずです」宮内庁参与の交代は、今後の皇室にどのような変化をもたらすのだろうか。「今回就任した3人の参与の中で、とくに注目すべきなのが五百旗頭氏です」そう語るのは皇室担当記者。日本政治外交史を専門とし、神戸大学教授、防衛大学校長などを歴任してきた五百旗頭氏だが、「実は、五百旗頭氏は過去に、女性天皇を認めるべきという趣旨の発言をしているのです」’06年2月12日の『産経新聞』への寄稿で、戦後日本における昭和天皇の功績に触れた上で、五百旗頭氏は次のように綴っている。《国民の幸せを切に願う天皇制の伝統は今も変わっていないと思う。性別にこだわって廃絶の危険を冒すのではなく、男女いずれであれ、おだやかな敬愛を集め国民とともにある天皇制を望みたい》’06年2月といえば、紀子さまの悠仁さまご懐妊が公表されたことで、小泉純一郎政権下で国会提出直前まで進んでいた、女性天皇を認める皇室典範改正案が見送られたとき。だがそのさなかに五百旗頭氏はあえて“女性天皇容認発言”をしていたのだ。産経新聞は6月20日「小紙『正論』欄で、女性天皇実現の可能性に言及したこともある」とし、「宮内庁が天皇陛下の相談役に選んだ意図が分からない」と批判的に取り上げていた。男系男子による皇位継承の維持を主張する産経新聞に“女性天皇推進派”とみなされている五百旗頭氏だが、なぜ宮内庁参与に抜擢されたのだろうか。「実は3年前、天皇陛下と雅子さまはそろって五百旗頭氏と面会されているのです」(宮内庁関係者)’16年の熊本地震のあと、’17年1月に皇太子ご夫妻だった陛下と雅子さまは、「くまもと復旧・復興有識者会議」で座長を務めていた五百旗頭氏を東宮御所に招いて、約1時間半にわたって説明を受けられた。「天皇陛下と雅子さまは五百旗頭氏と直接会話を交わされる中で、五百旗頭氏が信頼できる人物だとお感じになったからこそ、参与就任につながったのでしょう。宮内庁は当然、参与の候補者が皇室についてどのような考えを持っているか、過去の発言などを確認しています。両陛下も、女性天皇についての五百旗頭氏の考え方は宮内庁からの説明で把握されているはずです。今後は皇位継承問題、愛子さまの将来についても、五百旗頭氏に助言を求めることになるでしょう」(前出・宮内庁関係者) 精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、皇后になられてからの雅子さまに考え方の変化があるのではないかと語る。「雅子さまは皇室に適応できないストレスが原因で、長い間療養生活を続けてこられました。ご体調が芳しくなかった時期は、愛子さまにはご自身のように皇室の中で重圧を感じることなく、人生を自由に過ごしてほしいと思われていたのではないでしょうか。しかし、昨年、皇后となったことをたくさんの国民に祝福され、その声がご自身の励みとなり、ご回復の力にもなっていると思います。皇室への愛着も、この1年でいっそうお強くなったはずです」この春に大学生となられた愛子さまにも、皇室の一員としての自覚が芽生えつつある。「雅子さまは愛子さまの将来に関しても、愛子さま自身の意思を尊重されつつも、女性天皇という道を選択肢の一つとしてお考えになっているかもしれません。愛子さまご自身も、皇室の歴史についても学ばれ、皇室の一員としての役割を受け入れていらっしゃるように感じます。両陛下とお話しになる中で、将来はご自身が天皇になる可能性があるということを、少しずつお考えになっていることでしょう」(香山さん)雅子さまのご覚悟が、愛子さまの未来を切り拓いていく――。「女性自身」2020年7月21日号 掲載
2020年07月11日「令和という新時代を迎えた日本。第126代の天皇として陛下が即位されました」天皇皇后両陛下が“主役”となった初めてのDVD『天皇皇后両陛下-令和を迎えて-』は、流麗なナレーションで幕を開ける。宮内庁の企画によるこのDVDは6月23日に発売。同じ映像は政府インターネットテレビでも配信されており、全世界で視聴できる。宮内庁総務課報道室に編集意図について質問すると、「国民の幸せを祈っておられる天皇皇后両陛下のご姿勢やお人柄を感じていただけるのではないかと考え製作しました」映像を見た皇室ジャーナリストは、気になることがあったという。「上皇陛下と美智子さまのお姿がほとんど映っていなかったのです。天皇皇后両陛下が”主役”とはいえ、逆に少し不自然というか……」美智子さまは3月31日に東京・高輪の仙洞仮御所にお引っ越しされて以来、約3カ月にわたりいっさい外出されていない。一方で上皇陛下は、緊急事態宣言解除後の5月28日、引っ越し後初めて皇居内にある「生物学研究所」を訪問された。その後も週に1度のペースで同研究所を訪れ、ライフワークのハゼの研究を続けられている。仙洞仮御所に“おこもり”になって3カ月の美智子さまは、現在どのような生活をされているのだろうか。宮内庁関係者が明かす。「上皇侍従次長が、引っ越し前後から美智子さまに微熱のご症状が続いていることを公表したのは、5月14日の記者会見でした。それから1カ月半たった現在も、美智子さまの微熱のご症状は続いているようです。ただ、微熱の頻度は徐々に低下傾向にあるそうです。伏せていらっしゃるわけではなく、上皇陛下とお二人で毎朝欠かさず、ときには夕方も仮御所内の敷地を散策されているそうです」そんななか宮内庁職員たちは、ご高齢の上皇ご夫妻が新型コロナウイルスに感染することのないように、日ごろの生活にも細心の注意を払っているという。折を見て美智子さまと電話で話をするご友人で、美智子さまの著書も編集した元編集者の末盛千枝子さんは、以前から美智子さまの健康状態を心配していたと明かす。「御代替わり以降、いろいろと気にされていた時期がありました。電話では弱々しいお声で、あれこれ考えておられるご様子でした。そうした上皇后さまの言葉を、心配な思いでお聞きしたこともありました。どれほど、つらく思われていたでしょうか」雅子さまに皇后のお役目を引き継がれ、表舞台を退かれたのち、美智子さまはそういった“懊悩”をご友人に明かされていたのだ。そして末盛さんは、2週間ほど前にも、美智子さまと電話でお話ししたという。「昨年の御代替わり前の忙しさでお痩せになり、手術やご体調の不良、さらにお引っ越しのお疲れもあり、上皇后さまはこのところお声も弱々しく元気がないようでした。私もずっと心配していたのですが、前回お話ししたときには、お声に元気が戻ってこられたような気がして、とてもホッといたしました」今年の6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦終結から75年。上皇陛下と美智子さまは仙洞仮御所で静かに黙?を捧げられた。美智子さまは現在、新型コロナウイルスの情報にも強く関心を寄せられているという。「やはり国民の健康と生活をとても心配されているのだと思います。新型コロナに関するニュースは、注意深くご覧になっています。疑問があったり、詳しくお知りになりたいときは、侍従らに質問されているようです」(前出・宮内庁関係者)「女性自身」2020年7月14日号 掲載
2020年07月03日美智子さまから引き継がれたご養蚕の作業のため、お車で皇居へ向かわれる雅子さま。その隣には天皇陛下のお姿が――。6月2日、天皇陛下は雅子さまとご一緒に皇居・紅葉山御養蚕所へ。陛下は「かわいいね」と雅子さまに声をかけながら、成長した蚕の世話をされたという。皇室担当記者は驚いた様子でこう語る。「上皇陛下も何度か、美智子さまと繭を収穫されたことはあります。ただ、繭ができる前から一緒に作業をされることはほとんどなかったと思います。今回の“夫婦共同作業”は、異例のことでした」6月9日には、ご結婚27周年を迎えられた天皇皇后両陛下。緊急事態宣言は解除されたが、まだまだ新型コロナウイルス感染症の拡大は予断を許さない状況だ。「皇后となられた令和元年、雅子さまのご活躍ぶりは目覚ましいものでした。世界約190の国や機関から賓客を招いた『即位の礼』でも堂々たるお振舞いで、世界の王族と親交を深められました。卓越した語学力を生かした国際親善など、皇后としての2年目は、さらに雅子さまらしさが発揮されるはずでしたが……」そう語るのは前出の皇室担当記者。突如やってきたコロナ禍という“逆風”は、雅子さまにもショックを与えているという。「名誉総裁として臨まれるはずだった、5月の日本赤十字社の全国赤十字大会が中止になりました。さらに、5月ごろに予定されていた、天皇皇后となられて初の海外ご公務となるイギリスご訪問も延期に。東京五輪も1年延期となり、海外に行くことも、日本に賓客を招くこともいっさいできなくなりました。気丈に振る舞われている雅子さまですが、皇后として大きな目標とされてきた大切な行事や、国際親善の場が次々となくなり、沈みがちな日もあるという話も聞こえてきます」実際に5月18日には、ご養蚕作業を当日直前になってキャンセルされたことも。ご体調が整わなかったことが原因とみられている。「今回、天皇陛下が蚕の世話を雅子さまとご一緒になさったのは、陛下たってのご希望だったと聞いています。できるかぎり近くにいて、見守りたい――。そういった陛下の深いお気持ちを感じる出来事であったと思います」(宮内庁関係者)天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《できる限り雅子の力になり、支えていきたい》と語られていた。陛下が《雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから》とプロポーズされたのは28年前のこと。にこやかな養蚕作業には、雅子さまを「私が守る!」という陛下の今も変わらぬ強いご意志が滲んでいたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう言う。「イギリスご訪問などは、長い時間をかけて、以前からしっかりと準備されていたと思います。そのぶん、突然のコロナ禍での延期は、雅子さまにとって大きなストレスにもなりえます。そんなときに天皇陛下がご養蚕に同行されたことは、雅子さまにとっては陛下のお気持ちを感じて、とても心強かったはずです」しかし、世界を覆うコロナ禍は、いまだ皇室の活動にも暗い影を落としている。「2月23日の天皇誕生日の儀式および一般参賀がお取りやめになったのを皮切りに、ご公務は次々と中止されて、皇族方のスケジュールは白紙状態が続いています。天皇皇后両陛下のお出ましは、8月15日の『全国戦没者追悼式』までないのではないでしょうか。このまま皇室と国民の触れ合いや交流がない状態が続くと、皇室に対する国民の敬愛が薄れて、存在意義を失ってしまうのではないかと宮内庁内でも危惧されています」(前出・宮内庁関係者)そんななか、すでに両陛下は前例なき「皇室改革」へ向けて一歩踏み出されているとみるのは、皇室ジャーナリスト。「陛下と雅子さまが、5月20日、日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招いてご進講をお受けになりました。翌日、そのときの両陛下のお言葉が、それぞれ宮内庁のホームページで公表されたのです。誕生日のご感想以外で“皇后のお言葉が単独で”公表されるのは異例のことです」両陛下は6月3日にも、全国保健所長会の副会長ら保健所関係者3人と面会し、現場の状況などについて懇談された。「宮内庁は新型コロナウイルスをめぐり、両陛下が専門家から説明を聞くご進講や面会に関して、その場でのご発言内容をこれからも公表していくとしました。そして、公表は天皇陛下のご意向を踏まえたものであると明かしたうえで、『その時々にでき得る、最大限のお気持ちの発信の形』と説明したのです」つまり陛下と雅子さまは、前例を打破し、現場の医療関係者に労いのお言葉、国民へのメッセージを発信したのだ。海外渡航が制限されているコロナ禍の状況では、雅子さまが皇室に入られたときから望まれている国際親善もままならない。しかし、前出の皇室担当記者によれば、その状況だからこその“ステイホーム外交”を両陛下が始められているのだという。「陛下は4月、スペイン国王フェリペ6世と両国の状況について電話会談されています。また、カナダのジュリー・ペイエット総督から見舞いの電報が寄せられたのをきっかけにして、電報でのやり取りをされ、コロナ禍に協力して立ち向かうことを確認されています。両陛下が特に親しくされている海外王室といえばオランダとベルギーの王室が筆頭に挙げられますが、それ以外の王室とも緊密なお付き合いがあります。今後、スカイプやズームを使ってのオンライン交流が行われていく可能性も高いのです」前出の香山さんも、両陛下の挑戦に賛成だという。「陛下と雅子さまが現在学ばれている新型コロナの知識を生かして、オンラインで病院の関係者を励まされるなどの新しい活動は、近い将来実行なさる可能性があるのではないでしょうか。過去の慣例から脱却して、新しいスタイルで国民に寄り添われることも素晴らしいと思います」逆境の中、二人三脚で進められている改革――。皇室と国民の距離は、さらに近づいていくはずだ。「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載
2020年06月09日