上皇后・美智子さまは10月20日、87歳の誕生日を迎えられた。誕生日に際し発表された側近の上皇職による文書によれば、美智子さまは昨年5月以降、午後に熱が上がる症状が続いているとのこと。乳がん手術後のホルモン療法による手指のこわばりは残っているものの、最近は少しずつピアノが弾けるようになられているといった近況が綴られている。また文書には《今月26日に皇室を離れられる秋篠宮眞子さまのことは、両陛下とも常に大切に愛おしんでおられましたので、お別れはお寂しいことと拝察いたします》とも記されている。しかし、眞子さまに関しての記述はこの1文だけで、結婚を祝福するメッセージはなかった。美智子さまは、初孫である眞子さまを幼いころから可愛がられてきた。「眞子さまが誕生された時には、和歌を詠まれるほどお喜びでした。美智子さまは幼い眞子さまの成長を、“ばあば”として近くで見守ってこられたのです。眞子さまが小学3年生の時に『お年寄りの世代の手仕事』を調べることになった際も、美智子さまは皇居内で行われている養蚕について眞子さまにお手紙を書かれたこともありました」(宮内庁関係者)美智子さまは、眞子さまをご公務へ同行させたこともあった。眞子さまが中学2年生の時、終戦に伴って満州から引き揚げた人たちとの面会にお誘いになった。そのときのことを美智子さまは’05年のお誕生日に際した文書で《眞子がやや緊張して耳を傾けていた様子が、今も目に残っています》と振り返られていた。このように文書などでも、しばしば眞子さまについて触れられてきた美智子さま。しかし眞子さまの結婚については、小室さんの母の金銭トラブル発覚以降、公の場でご意見を口にされることはなかった。「美智子さまは『複雑性PTSD』と診断された眞子さまの健康を、たいへん心配していらっしゃいます。美智子さまは長い間、ご自身が発言する立場ではないと静かに見守られてきました。金銭問題などが世間を騒がせる事態になっても、『見守っているしかないのです』とご意見を口にすることは控えてこられました。儀式も行われず何も言えないまま最愛の孫を送り出すお気持ちは、察するにあまりあるほどだと思います」(皇室担当記者)眞子さまは25日に仙洞仮御所を訪れ、上皇ご夫妻に挨拶をされる予定だ。最愛の孫との別れに、美智子さまはどのようなお言葉をかけられるのだろうか。
2021年10月20日10月20日、87歳の誕生日を迎えられた美智子さま。その上品で洗練された装いは、いつの時代も注目されてきた。特に革新的ファッションが流行した60~70年代は、最先端のトレンドと皇族らしい気品を両立されたコーディネートが多くみられる。美智子さまが取り入れられていた当時の流行を振り返ろう。■ひざ丈ミニスカート65年にクレージュが発表し、世界を席巻したミニスカート。日本では、67年にイギリスのモデル・ツィギーが来日したことでブームが到来。30代の美智子さまがお召しになっていたAラインの “ひざ丈ミニ”は女性たちの憧れの的となった。■サングラス60~70年代はファッション小物として最先端だったサングラス。海外の映画女優たちが発信源で、美智子さまも大きめフレームのサングラスがお気に入りのご様子だった。■ノースリーブワンピ65年にサンローランが発表したモンドリアン・ルックをはじめ、ノースリーブのミニワンピもブームとなった。肌の露出が多めの洋服でも、ネイビーなど抑えた色合いを選ばれることでノーブルな装いに。■パンタロン60年代は、パンツスタイルも女性のシティ・スタイルとして定着。ヒップからひざのあたりまでフィットし、下が広がっていく形のパンツはパンタロンと呼ばれヒットした。ガールスカウト大会など屋外のご公務や、ご静養の際に愛用されていた。■ツィードもともとは男性が着るもの、かつスポーティなものだったツィード。しかし、ピエール・カルダンやジバンシィが取り入れたことで女性の間にも広がった。美智子さまもミニスカートスタイルでお召しに。メンズライクな素材もエレガントに着こなされていた。今見るとなじみ深いアイテムも、目新しいものだった60~70年代。美智子さまの装いが、日本の女性のファッションにも大きな変化をもたらしていた。
2021年10月20日10月3日、引っ越されたばかりの御所の大広間の一角に式典用のお席を作り、リモートで「全国豊かな海づくり大会」に参加された天皇皇后両陛下。雅子さまのブルーのスーツは陛下のネクタイとおそろいの海の色。港町、宮城県石巻市で開催の式典を意識されてと思われたが、テーブルの上に飾られた宮城のゆるキャラ「むすび丸」の色にも合わせる心配りもお見せだった。式典後、両陛下は石巻市の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」をオンラインで視察され、被災者とご懇談。雅子さまは東日本大震災ののち、自ら営む水産加工会社に保育園を併設した同世代の女性に「いい取り組みをなさっていますね」と優しく話しかけられた。本来なら、震災から10年を迎えた被災地にお出かけになりたかったと思われるが、両陛下は画面越しであっても心を込めて被災者の話をお聴きになっていた。
2021年10月18日地域や学校によって、休校やリモート授業が続いている。この影響を強く受けているのが貧困家庭だ。こうした状況の今こそ、改めて知ってほしい両陛下のお気持ち――。「貧困家庭の子どもたちがコロナ禍による休校で学びが停滞し、給食がないため食事に苦しむ現状をお話しいたしました。すると、雅子さまはご心痛の表情で『子どもたちやお母さまのようすはどうですか?』とおっしゃって……」こう語るのは、貧困家庭の子どもたちの学習支援をする「NPO法人キッズドア」理事長の渡辺由美子さんだ。コロナ禍において、もっとも深刻な影響を受けたのが、子どものいる貧困家庭だ。非正規雇用であることが多い保護者が雇い止めにあったり、家庭内で十分な学習場所を確保するのが難しく、リモート授業や在宅学習にうまく対応できない場合も多いという。現在も、地域や学校によっては、休校やリモート授業が続いており、教育格差の拡大が懸念されている。そんな境遇の子どもたちに、心を寄せられているのが雅子さまだと、皇室ジャーナリストの近重幸哉さんが言う。「皇太子妃時代から、福祉施設を訪問され子どもたちと触れ合ったり、クリスマスカードを送られたり、児童福祉施設文化祭に何度もお忍びで出席されています。コロナ禍であっても“子どもたちのために、何かできることはないのか”という、強い思いをお持ちのはずです」だからこそ昨年6月、内閣府の担当者から渡辺さんの元に「両陛下が、コロナ禍で貧困に苦しむ子どもたちを心配されています。現場の人たちに、直接話を伺いたいそうです」と連絡があったのだろう。「両陛下は即位の際、『子供の未来応援基金』に5,000万円もご寄付されました。私どもはこの基金からの助成金のおかげで、コロナ禍のオンライン学習のための機器の購入や、実践マニュアルの作成ができたのです。基金とのこうした関係も、お声がけされるきっかけとなったのかもしれません」昨年7月21日に設けられた拝謁の場には、渡辺さんを含め、3団体の代表が参加した。45分から1時間ほどを予定していたが。「控室で侍従の方から『後ろの予定はないので、気にせず、ゆっくりとお話しください。両陛下は、今日を心待ちにされていました』と伺いました」■お互いに顔を見て、うなずかれながら緊張を隠せなかった渡辺さんだが、いざ部屋に入ると、穏やかな笑顔の両陛下のお迎えがあり、一気に心がほぐれたという。距離を取るために大きめの机を挟み、向かい合った。両陛下の背後は大きなガラス張りの窓で、夏の光を新緑の木々が浴びていた。「両陛下は事前にお渡しした資料をすでに読んでくださっていたようでした。ときに『そうですね』とあいづちを打たれ、お二人でメモを取られていました。こういう言い方は失礼にあたるのかもしれませんが、すごく仲のいいご夫婦だと思いました。お互い顔を見合わせてうなずき合うなど、確認しながら理解を深められているようで、ふだんからいろいろなお話をされているのではないかと見受けられました」一緒に両陛下に拝謁した「公益財団法人あすのば」代表理事の小河光治さんは、「両陛下が、貧困家庭の苦しみをわが事のように感じていらっしゃる」と痛感したという。同団体は貧困家庭への調査や支援などを行っている。「もともと子どもの貧困は非常に深刻ですが、コロナ禍が拍車をかけています。私どもの調査に対し『高校に入ったけど、母親が仕事をなくしたから退学を考えている』『授業料が足りないから、食事を1日1食にしている』などの悲痛な声が殺到していることをご説明しました。すると雅子さまも陛下も、たいへん辛そうな表情をされて……」■「陛下が笑顔でバッジを出されて!」だが一方で、明るい兆しのお話をすると、両陛下は本当にうれしそうになられたという。「オンライン学習のための機器を各家庭に貸したことで、子どもたちがパソコンなどを使いこなせるようになったんですね。『コロナの影響ではありますが、これまで無縁だったITに触れることで子どもたちの将来の選択肢が広がりました』とお話ししたときは、雅子さまも陛下も満面の笑みになられて。陛下は『そうですね。これからITはいいですよね』と大きくうなずかれました」(渡辺さん)さらに、貧困家庭を力づけるこんなお言葉もあったという。「私のほうから『子どももお母さんも苦しんでいるので、両陛下が応援してくださっていると伝えていいですか』とお願いしてみると、雅子さまが『ぜひ、ぜひお伝えください』と力強く即答してくださいました。すると、陛下からも『私たちは本当に応援しています。頑張ってほしい』というお言葉を頂戴したのです」(渡辺さん)予定の時間は大幅に過ぎ、気がつけば外は真っ暗になっていた。一人一人に声をかけてくださった両陛下との別れ際には、こんなうれしいサプライズもあった。「私たちは絵本作家のディック・ブルーナさんが描いた『子供の未来応援国民運動』のバッジをつけていたんですが、陛下がおもむろにポケットから同じバッジを出してほほ笑まれたんです」(渡辺さん)それから1年が経過したが、子どもたちを取り巻く現状は楽観できるものではない。コロナの影響で、子どもたちと対面して支援がしづらい状況に、各団体とも苦しんでいる。だが、この拝謁は大きな力になったと渡辺さんは語る。「最後に両陛下から『みなさん、素晴らしい活動ですね。(スタッフの方々に)よろしくお伝えください』というお言葉を賜りました。天皇陛下も雅子さまも応援くださっているという事実は、スタッフたちの大きな励みになっています。教育格差を少しでも縮められるように、今後も努力を続けていきたいです」(渡辺さん)コロナ禍に苦しむ家庭は、ぜひ支援団体を頼ってみてほしい。そして、天皇陛下と雅子さまが、常にあなたたちのことを思われ、力になろうとしてくださっていることを忘れないでほしい。
2021年09月29日今年もまた日本に慰霊の夏が訪れた――。上皇陛下はかつて“日本人として忘れてはならない4つの日”を示された。すなわち沖縄慰霊の日、広島原爆の日、長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日だ。「天皇ご一家は、この4つの日には黙祷をささげられます。特に8月15日は毎年、日本武道館で『全国戦没者追悼式』が催され、天皇皇后両陛下が出席されています。しかし今年は新型コロナウイルスの感染拡大が進み、医療崩壊の危機に直面しているため、事前に参列者を約200人に絞ることが決められていました。参列者は過去最少となりましたが、天皇陛下も雅子さまとごいっしょに、この日に備えて、“お言葉”の推敲を重ねられていたのです」(皇室担当記者)戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉は400文字ほどであり、決して長いものではない。しかし陛下は昨年、上皇陛下の平和を願うメッセージを踏襲するいっぽうで、お言葉の4分の1を割き、公の場で初めてコロナ禍に言及されたのだ。《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》実はこの決断にいたるまで、天皇陛下は熟考を重ねたうえ、周囲の人々に意見を求められた。宮内庁関係者はこう語る。「全国戦没者追悼式でのお言葉に、災害や社会情勢が盛り込まれた前例はありませんでした。そのため宮内庁上層部のなかでも、『戦没者の追悼に専念すべきではないでしょうか』という反対意見があったのです。また、その半年前の’20年2月には天皇誕生日の一般参賀の中止が発表されました。当時はまだ感染者は多数ではありませんでしたが、天皇陛下のご意向を踏まえ、宮内庁が大規模集会の自粛を世間に先駆けて決定したわけです。この発表は東京五輪・パラリンピック開催を目指していた政府内にも波紋を呼び、官邸から宮内庁への叱責もあったと聞いています。そういった背景もあり、従来のお言葉を変更し、天皇陛下がコロナ禍に言及されることが、禁止されている“政治的行為”として批判されるのではないかという強い懸念があったのです」■「戦没者追悼式でコロナ禍言及」に波紋がその懸念は現実のものとなった。政府関係者や神社関係者の一部から、“戦没者の御霊を追悼する場であるにもかかわらず、慰霊とは直接関係のない新型コロナについて言及されたのはいかがなものか”という声が上がったのだ。ある神社関係者は本誌の取材にこう語った。「天皇陛下があえてコロナ禍についてお話しになったのは、国民のことをお考えになったゆえだということは理解しています。しかしコロナ禍へのお気持ちを《全国戦没者之霊》と記された白木の標柱に向かい、述べられる必要があったとは思えないのです。戦没者の御霊ではなく、あくまでも国民に向かってお話しになるべきテーマだと考えています」もちろん多くの国民と同じように、陛下と雅子さまのご決断を受け入れる意見もある。皇室史に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授はこう語った。「古来、国民の生活の安寧を願い、そして祈るのは、天皇家の伝統です。その活動のなかには、疫病平癒のための神事、さらに施薬院の創設といった医療への協力もあったのです。確かに象徴天皇は政治に関わらない、政治的な発言をしないということが原則になっています。しかし何が“政治的”であるかに関しての判断は難しいでしょう。私は陛下がコロナ禍に言及されたことで、『国民に心を寄せる』天皇としての在り方をしっかりとお示しになったと考えています」昨年以来、天皇陛下は2月のお誕生日会見や6月の日本学士院授賞式などで、コロナ禍に対し、人々が力を合わせることで立ち向かっていくべきと語り続けられてきた。しかし今年の戦没者追悼式でのメッセージについては深く悩まれていたという。「昨年のお言葉に対し、陛下のご想像以上に批判の声が多く、逡巡されたようです。また6月の西村泰彦宮内庁長官の“拝察発言”は海外でも報じられました。政府の感染対策には懸念を抱かれているでしょうが、海外での『東京五輪は天皇の不信任決議を受けた』といった、皇室と政府が対立しているかのような報道は、陛下のご本意ではなかったと思われます」(前出・宮内庁関係者)■昨年よりもメッセージ性を強められただが天皇陛下と雅子さまは再びコロナ禍に言及するという異例の決断を下された。陛下は今年の式典で、以下のように述べられたのだ。《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況による新たな試練に直面していますが、私たち皆がなお一層心を一つにし、力を合わせてこの困難を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》コロナ禍に関する文言は《厳しい感染状況》《なお一層心を一つにし》というように、昨年よりもよりメッセージ性を強められたのだ。前出の宮内庁関係者はこう語る。「“国民をコロナ禍の苦しみから救済したい”“手を携えて危機を乗り越えてほしい”というお気持ちが勝られたのでしょう。批判や波紋も覚悟されてのご決断と思われます。コロナに関するお言葉だけを増やすことはできません。限られた条件のなかで、ご自身たちの思いを国民に伝えるために苦慮されたご様子が見受けられます……」両陛下が魂を込められた400文字が、より多くの人々に届くことを切に祈りたい――。
2021年08月17日日本選手のメダル獲得が続く東京オリンピック。日本中がスポーツの素晴らしさを実感しているが、天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻、皇族方も同様に、選手たちの活躍を応援されている。実は皇族方もスポーツに親しまれているが、残念ながらそのお姿に接することは難しい。貴重な写真とともに、皇族方の“スポーツ愛”が伝わるエピソードを振り返ろう。スポーツ好きと知られているのが、雅子さまだ。今回の東京オリンピックでも、ソフトボールに強い関心を持たれていたという。皇室担当記者はこう語る。「雅子さまは、中学高校時代にはソフトボールに熱中されていました。母校の田園調布雙葉学園中等部にはソフトボール部がなかったのですが、学校と粘り強く交渉して、ソフトボール部を新たに立ち上げられたのです。アメリカの高校に転校されてからもソフトボールチームに所属され、強打者として活躍していました。小学生時代に軽井沢で初めてゴルフをされている写真が残っているのですが、そこからもスイングの力強さが伺われます」■天皇陛下はソフトボールの試合でヒットを連発東京五輪名誉総裁を務められている天皇陛下も、小学校時代には野球やソフトボール、テニスなどを楽しまれていた。「天皇陛下はジャイアンツファンで、特に末次選手がお好きでした。また、小学校5、6年生の夏休みには、ご静養先の奥浜名湖で、地元の小学生とソフトボールをして交流されています。なかなかお上手で、ヒットを連発されたことは当時話題になりました。また、奥浜名湖では、上皇陛下のご指導で水泳の特訓も受けられていました」(前出・皇室担当記者)天皇皇后両陛下の愛娘である愛子さまにも、スポーツ好きは受け継がれている。バスケットボールやソフトボールがお好きで、中学高校時代にはクラス対抗試合で活躍をされていた。さらに、幼いころから乗馬にも雅子さまとご一緒に親しまれている。■上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻はテニスで絆を深められて秋篠宮さまと紀子さまは、テニスをなさる姿が新婚のころからよく報じられていた。軽井沢では上皇ご夫妻や天皇陛下とプレイされ、鎌倉のテニスコートでも地元の方達と楽しまれている。「秋篠宮殿下はテニスをお始めになったころからセンスがよく、とても強かったそうです。それから眞子さまと佳子さまは小学校時代、お二人ともかけっこが速かった。さらに佳子さまは、初等科の運動会の障害物競走で一位になるなど機敏さもお持ちのようです」(前出・皇室担当記者)テニスといえば、印象深いのは上皇陛下と美智子さまだ。お二人の出会いは夏の軽井沢のテニスコートでのトーナメントだった。「出会いとなった試合では、上皇陛下と早大生のペアが、美智子さまとカナダ人の少年ペアに惜敗しています。試合後、上皇陛下は『あんなに粘り強く正確に返されたらかなわない』と、ご友人にお話しになったそうです」(前出・皇室担当記者)また、上皇陛下は乗馬好きとしても知られる。学習院在学中には馬術部に所属され、高校時代には主将として関東リーグ戦で優勝もされているのだ。まだまだ続く東京五輪。両陛下は、お住まいの赤坂御所で、会場で観戦できなかった種目も含め多くの競技をご覧になっているそう。日本選手の活躍には、愛子さまと歓喜の声を上げていらっしゃるという。今後も日本選手の活躍に、大いに期待が高まる。
2021年08月07日「科学技術の英知を傾け、人々の絆を強め、連帯を深めることで、人類はこの未曽有の困難を乗り越えることができると信じています」天皇陛下は6月25日、オンライン開催された国連の「水と災害に関する特別会合」で、出席者たちにそう語りかけられた。26分にわたる講演で、震災の記憶やコロナ禍の教訓を後世に伝える意義などを訴えられたのだ。最後は「誰ひとり取り残されることなく、健康で幸せな毎日を享受できる社会の構築に向けて、私も皆さんと一緒に努力を続けていきたいと思います」と締めくくれられた陛下。だが、東京五輪開催に突き進む日本では、“人々の絆”が強まるどころか分断が深まるばかり。都内の感染者数は再び増加に転じ、感染爆発が危ぶまれるステージ4の水準に達した。ワクチンの接種は進み始めたが、五輪ボランティアでさえ接種が間に合っていない。世界中がコロナ禍にあえぐ中、犠牲を払って強行開催されようとしている五輪。いま日本は、陛下がおっしゃった“誰ひとり取り残されることなく、健康で幸せな毎日を享受できる社会”という理想とは真逆の方向に進んでいないだろうか。「この講演は、波紋を呼んだ『拝察』発言があった西村宮内庁長官会見の翌日に行われました。五輪開催による感染拡大の懸念を長官を通じて発信されたのは、雅子さまと被災地に足を運ばれたり、水害について研究されたりするなかで培われた“誰ひとり取り残さない”という信念ゆえだったのでしょう」(皇室担当記者)■“陛下の懸念”に憲法違反との指摘もだが、国民を第一に考える陛下のメッセージは、一部から強い批判を浴びている。読売新聞は「宮内庁長官発言が波紋『陛下、五輪懸念』政治利用の恐れ」との見出しで、「宮内庁長官が政治に絡む天皇の思いを公にするのは、問題で越権行為」という憲法学者の見解を報道した。「陛下ご自身も憲法違反との批判を受けることは十分に承知されていたでしょう。それでも、ご懸念を伝えることを決意されたのです。開会式まで3週間を切りましたが、7月3日時点で開会宣言を読まれるかどうかもあいまいなままです。これは異常な事態であり、陛下の強いご意志を感じます。ただ、政府やIOCとの駆け引きはまだ続きます。両陛下の開会式への出席以外にも要人との面会を政府は要請してくるでしょう。とくに語学とコミュニケーションに長けた雅子さまに政権は期待しているはずです」(宮内庁関係者)海外は陛下の“異例の懸念”をどう見ているのか。海外王室に詳しい多賀幹子さんによると、「イギリスのエリザベス女王もこれまでは言い訳や文句を言わない姿勢を貫いてきましたが、メーガン妃による王室批判に直面してからは、間違いは正していくという考え方に移行してきています。そういった背景もあってか、今回の天皇陛下の懸念も海外の報道では否定的な捉え方はされていません」西村長官が「天皇の政治利用」などと批判を受ける一方で、菅総理は皇室利用に躊躇がない人物として知られている。’13年9月、東京五輪の招致を目指していた安倍政権は、高円宮妃久子さまのIOC総会出席を要請。宮内庁は安倍政権からの要請に応じたものの、「皇室の政治利用になる」との懸念も強く、当時の風岡典之長官は「苦渋の決断をした。両陛下(現在の上皇ご夫妻)も案じられていると拝察する」と発言した。風岡長官は西村長官と同じく、「拝察」という言葉で上皇ご夫妻のご懸念を伝えたのだ。■IOCが皇室に“接待パーティ”要求もこれにかみついたのが、当時官房長官だった菅氏だった。菅氏は「両陛下の思いを推測して言及したことについては非常に違和感を覚える」と風岡長官に色をなして反論。「皇室の政治利用、官邸からの圧力であるという批判には当たらない」と言い切った。「このとき久子さまを東京五輪招致の“切り札”としたように、菅総理は今回も五輪を成功させるべく陛下、そして雅子さまの全面協力を要求してくるかもしれません。さらには、IOCが皇室の“おもてなし”を求めてくる懸念もあるのです」(前出・宮内庁関係者)ノルウェーのオスロ市は、’22年冬季五輪の招致レースを途中で撤退している。その原因が、IOCが要求した“豪華接待”だったとされる。地元紙によれば「空港でIOC会長の歓迎レセプションを行う」「各委員のホテルの部屋に季節の果物と菓子を届ける」「会場のラウンジにワインとビールを」といった“VIP待遇”を求める内容ばかりだったというのだ。さらには「IOC委員は開会式前に国王と面会。式後のパーティ費用はノルウェー王室かノルウェーの組織委員会が持つ」との要求も。「菅政権はIOCの言いなり状態。ノルウェーと同様の“接待要求”をされて、突き返すことができるとは思えません。それでも両陛下は、政府からの要請を原則として拒否することはできません。これ以上、陛下が政府の姿勢に反するような発信をすれば“憲法違反”との批判を浴びることは免れません。一方で政府に従えば“国民への裏切り”と受け取る人もいるでしょう。陛下は非常に難しい立場に置かれていますが、雅子さまは最後まで陛下とともに、批判の矢面に立つご覚悟を決めていらっしゃるそうです」(前出・宮内庁関係者)陛下とともに、雅子さまも悲壮な覚悟で臨まれる五輪。前例なき闘いの行方は――。
2021年07月07日「天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を、大変ご心配されておられます。国民の間で不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」6月24日の定例記者会見でそう発言したのは、宮内庁の西村泰彦長官。長官はさらに「私としましては、陛下が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックで、感染が拡大するような事態にならないよう組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい」と、強い口調で要請したのだ。“陛下の懸念”の波紋は国内にとどまらず、海外にまで広がっている。アメリカの有力紙『ワシントン・ポスト』は25日、「東京五輪は天皇の不信任決議を受けた」と報道。「天皇がこのような重要で物議を醸す話題について発言することは珍しく、天皇の見解は重みを持つ」と伝えている。宮内庁長官を通じて伝えられた、陛下の強い懸念――。しかし、菅政権はそれを受け止めようとはしなかった。加藤勝信官房長官、丸川珠代五輪相、そして菅義偉総理大臣は口をそろえて「宮内庁長官ご本人の見解を述べたもの」などと受け流したのだ。だが、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは「天皇陛下が直接おっしゃったわけではありませんが、陛下のお気持ちであることに疑いはないでしょう」と語る。「『拝察』という表現は、天皇や皇族のお気持ちを伝える際に長官などがよく使う手段ではあります。今回も陛下のお言葉として懸念を表明すると問題が大きくなりますので、長官は水面下で政府に懸念を伝えたうえで、あくまで長官自身の考えとして陛下のお気持ちを国民に伝えたかったのでしょう」■陛下は五輪への言及を避けられてきたではなぜ、陛下は“政治への介入”と取られかねないリスクを冒してまで、強いご懸念を表明されたのか――。実は、長官の会見の2日前、陛下は菅総理からの「内奏」を受けている。内奏とは、天皇に対し国内外の諸情勢を報告すること。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、次のように解説する。「有観客でのオリンピック開催が決定され、菅総理の内奏ではその方針を天皇に説明したのでしょう。長官の発言は、政府の姿勢が正式に示されたことを受けての動きではないでしょうか。以前から内々には宮内庁側から政府にさまざまな懸念を伝えていたはずですが、それを政府が聞き入れなかったために、長官が会見ではっきり発言せざるをえなかったのだと思います」天皇陛下は東京オリンピック・パラリンピック両大会の名誉総裁を務められている。前例に倣えば、開会式に出席して開会宣言をされたり、五輪関係者と面会されたりすることになるお立場だ。だが、コロナ禍が深刻化してから、陛下は五輪に関して発言することを控えられてきた。今年2月の誕生日会見でも、医療従事者やコロナ禍の国民生活を案じるお言葉を何度も述べられた一方で、五輪についてはいっさい言及されなかった。もともと陛下は大のスポーツ好きで、障害者スポーツにも関心を寄せてこられた。2月の時点ですでに、五輪を応援されてきた陛下が五輪開催への賛同を示せる状況ではなくなっていたのだ。それから120日あまり――。変異株の国内流入、3度目の緊急事態宣言発出、ワクチン接種の遅れなどで国民の不安は消えなかった。5月の時点で、五輪の「中止」もしくは「再延期」を求める声は合わせて8割超(朝日新聞の世論調査)。コロナ分科会の尾身茂会長ら専門家有志は、有観客では感染拡大のリスクが高いとして「無観客が望ましい」との提言を行った。しかし、国民の不安、専門家の提言を無視し、菅政権は“上限1万人”という観客数での開催を決定したのだ。■コロナに立ち向かう学者たちにもエールを実は西村長官の会見の3日前にも、陛下は五輪を強行する菅政権を諫めるようなお言葉を発信されている。雅子さまと出席された6月21日の日本学士院賞の授賞式で、陛下は次のように述べられたのだ。「このような試練に世界が直面している今こそ、医学をはじめ自然科学、人文社会科学の学問諸分野の叡智を結集し、世界の人々が互いに力を合わせることにより、この困難な状況を乗り越え、希望に満ちた未来を築いていくことを期待します」感染拡大や医療逼迫のリスクを訴える専門家たちの声に耳を貸すことなく突き進む菅政権の“人命軽視”ぶりに、陛下は警鐘を鳴らされたのではないだろうか。「国民に寄り添うことを第一に考えてこられた陛下は、ワクチンも国民と同じスケジュールで接種される予定ですので、すでに開会式前に2回の接種を終えることはほぼ不可能となっています。国民のワクチン接種が間に合わないままに五輪を強行開催し、なし崩しに観客数も増やしていく政府の姿勢を強く危惧されたはずです。国民からの不安の声がまったく聞き入れられない以上、自ら動くしかない――。陛下はそう決意を固められ、長官に思いを託したのではないでしょうか」(宮内庁関係者)長官を通じた異例の懸念表明は、陛下の「国民を守りたい」という一心からだったのだろう。開会式の予定日まで1カ月を切った。菅政権、そして組織委員会やIOCの感染防止策にはすでにほころびが生じているが、陛下の“懸念”が現実のものとならないといえるのだろうか――。
2021年06月30日宮内庁は6月24日、上皇陛下がオキナワハゼ属の新種ハゼを2種類発見し、日本魚類学会の英文誌オンライン版に論文が掲載されたことを発表した。今回の新種は、上皇陛下とともに研究に携わる生物学研究所職員が’01年~’08年にかけて、沖縄県の座間味島や西表島などで採集したもの。上皇陛下が頭部にある感覚器の配列などを調べ、新種と突き止められた。上皇陛下は2種類のハゼを、それぞれ「セボシフタスジハゼ」「アワユキフタスジハゼ」と命名された。皇太子だった1960年代から、ハゼの分類学の研究を始められた上皇陛下。新種のハゼを発見されるのは’03年以来で、その数は合計10種類となった。また上皇陛下が論文を発表するのは、退位後初となる。コロナ禍でもライフワークの魚類研究は継続され、週2回のペースで皇居にある生物学研究所に通われている。しかし、その陰では体調面での不安もあった。上皇陛下は昨年1月29日、お住まいの皇居・吹上仙洞御所内で一時的に意識を失い、お倒れになった。翌日に宮内庁病院で頭部MRI検査と専門医による診察を受けたところ、原因となる所見はみられなかった。「上皇陛下は’18年7月にも脳貧血のため、めまいや吐き気を伴う症状がありました。’19年7月にも同じく脳貧血の症状で、吹上仙洞御所の食堂でしゃがみ込まれたことがありました。いずれも、美智子さまがすぐに侍医を呼ばれ、大事には至りませんでした」(皇室担当記者)昨年12月、上皇陛下の87歳の誕生日に際して、宮内庁は《ご体調については、幸いなことに特段の問題はありません》と上皇陛下が健やかに過ごされている様子を伝えた。体調面での不安があった一方で、上皇陛下の研究熱心な様子は変わらないという。「皇太子時代から公務の合間をぬって、早朝から魚の採取をされるなど研究熱心でした。即位されてからは研究から遠ざかってしまいましたが、それでもハゼに関する論文を7本も発表されています。上皇陛下をよく知る研究者からは、『少しでも疑問があれば、標本に立ち戻って調べられるなど妥協をしない方』と高く評価されています」(前出・皇室担当記者)上皇さまがハゼ類の分類の研究を始めたばかりの1964年。31歳の誕生日を前にした会見では、《何歳という区切りをいうのは私の趣味に合いません。一日一日が大事だと思います》と述べられていた。そのお言葉通り、上皇陛下の研究者としての真摯な姿勢は変わらない。
2021年06月28日5月30日、天皇陛下と雅子さまは島根県大田市の三瓶山で開催された「全国植樹祭」に初めてリモートでご出席された。三瓶山の会場と東京の赤坂御用地内に大きなモニターを設置し、双方が映像で様子を見ながらのご交流となった。「全国から参加された皆さんとご一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います」大型のモニターを通してお言葉を述べられた天皇陛下。式典では雅子さまも陛下とともに子どもたちの説明をお聞きになり、笑顔で恒例の「お手播き」「お手植え」をされた。コロナ禍が続くなかでも、例年どおりのプログラムを組み入れた、新しい式典スタイル。終了後には、両陛下がモニターに向かい手を振られながら退出するなど、会場と一体になる演出も工夫されていた。
2021年06月20日天皇陛下の長年の思いが実り、お二人が結ばれて28年。ふと会話されるときの笑顔や視線からにじみ出る信頼と愛情は年々強くなっていくようだ。その軌跡を、写真で振り返る――。■ご公務中の弾ける笑顔【’94年】奈良県での「みどりの愛護」のつどいへ。雅子さまは雨の中、陛下に傘を。【’98年】石川県の全国農業青年交換大会。梨園で一緒に梨を収穫。取ろうとされた梨が落下するハプニングでお二人が慌てる場面も。【’03年】兵庫県の淡路島ご訪問。特産品の玩具・じゃんけんピーヒャラを楽しまれて笑顔に。■趣味の時間に語らいを【’94年】登山那須御用邸ご静養中によくお出かけになる那須連山へ。陛下は雅子さまに何度も登られた茶臼岳山頂からの眺望をご説明。【’98年】動物陛下も雅子さまも動物がお好き。葉山御用邸裏の海岸で犬と散歩中の人々とご交流を。【’02年】カメラニュージーランドの世界遺産ミルフォード・サウンドで、近づいてきた野鳥を撮影。■愛子さまのご成長がご夫妻の喜びに――【’18年】那須御用邸敷地内にて。当時16歳の愛子さまは「滞在中の楽しみは?」との問いに「那須の自然に触れるのがいちばん」と。■息ぴったりのリンクコーデ【’16年】山の日の式典にご一家で臨席の後、上高地を色違いのチェックシャツでご散策。【’19年】トルコのエルドアン大統領夫妻と宮殿でご会談。陛下のネクタイの淡い緑と雅子さまの若草色の着物で優しい色合わせを。【’20年】コロナ禍が深刻になる直前のバレンタインデーに、濃淡の青コーデで世界らん展へ。【’21年】グレーのジャケット姿で、昨年の九州豪雨で被災した熊本県の市町村をリモートでお見舞い。■対話こそ、お二人の愛の形(『女性自身』皇室担当記者・近重幸哉)ご即位を1年後に控え、最後のご出席となった’18年5月の全国「みどりの愛護」のつどい。天皇陛下と雅子さまは琵琶湖畔の植樹会場で、自然にほほ笑み合って会話しながら歩いていかれた。昨年2月、コロナ禍が深刻になる直前のバレンタインデーにご覧になった世界らん展では、陛下のネクタイと雅子さまのスーツを青系で合わせたリンクコーデをされてご出席。このときも、楽しそうにお話をされるご様子に、周囲の人たちも明るい雰囲気に包まれた。平成時代、お出かけ先で上皇陛下と美智子さまはよく腕を組まれ、手をつながれた。その仲むつまじいお姿が国民に愛された。そのため’93年6月のご成婚以降、天皇陛下と雅子さまにも手をつないでいただければと、国民の多くやマスコミも期待したが、これまで公の場では一度も手をつながれることはなかった。しかし、お出かけ先で目と目を合わせお話しになるときの和やかな雰囲気から、両陛下の仲のよさは十分伝わってくる。そのご様子は、ご成婚から28年の月日を重ねたことでより自然になられたようだ。そして陛下が長年取り組まれてきた水資源の問題や、雅子さまが興味をお持ちの子どもたちの問題などのテーマもお互いに理解されている。また保護動物を飼われるなど、ご家族で動物愛護にも務められている。両陛下は、広い視野と柔軟なお考えを持ち対話を積み重ねてこられたのだろう。それは今年のお正月のビデオメッセージに初めておそろいでお出ましになったことにも感じられた。令和の両陛下は、お互いがよき相談相手となって支え合いながら、いつも国民の平安を願われているのだ。
2021年06月19日天皇陛下の長年の思いが実り、両陛下が結ばれて28年。お二人の出会いは86年10月だったが、ご婚約内定のニュースが流れたのは、93年1月6日のことだった。その年の6月9日に結婚されるまでの目まぐるしき5か月間を、写真で振り返る――。【1月8日】ご婚約内定報道の2日後、初のお出かけは帝国ホテルでの写真撮影。【1月19日】ご婚約会見出会いから6年。陛下の一途な思いが受け入れられてのご婚約に、日本中が祝福ムード一色に染まった。【2月23日】陛下の33歳の誕生日をお祝いする夕食会。東宮仮御所の玄関で。【4月1日】当時の陛下のお住まい・東宮仮御所でのデート風景。楽しそうにお二人でアルバムをご覧に。【4月12日】納采の儀一般の結納に当たる納采の儀。雅子さまのご実家・小和田家を上皇ご夫妻の使者が訪れ、納采の品として雌雄の鯛、清酒、絹地を納めた。【6月1日】ご成婚直前のデートで、東宮仮御所の庭で見つめ合ってお話を。雅子さまの左手薬指には、美智子さまから贈られたパールの指輪が光る。【6月9日】ご成婚パレード直前、宮殿・車寄せに並ばれた陛下と森英恵デザインのローブデコルテ姿の雅子さま。
2021年06月19日皇族方は、映画の試写会などで芸能人とお会いになることも。とくに美智子さまは、いくつもの試写会にお出ましになるなど、芸能人と対面される機会が多かった。’07年5月、さだまさしの小説を映画化した『眉山』をご覧に。美智子さまは主演の松嶋菜々子に「素晴らしかった」と何度もおっしゃったという。’09年11月にご覧になったのはミュージカルを映画化した『マンマ・ミーア!』。美智子さまはアメリカの大女優メリル・ストリープと仲睦まじく談笑されていた。ストリープは「とても優雅で、本当に本当にお美しい方でした。終わったあと、良かったとおっしゃってくださり、記念すべき夜になりました」と話していた。皇后時代、日本赤十字社の名誉総裁を務められていた美智子さま。’09年5月の全国赤十字大会では、日本赤十字社の「初代広報特使」としてアフリカ・ケニアで活動してきた藤原紀香に声をおかけになった。’11年1月には映画『僕と妻の1778の物語』の試写会に。草なぎ剛はのちに、美智子さまからのお言葉は「人から褒められた中で一番うれしかった」と話している。’13年11月、101歳で他界した詩人・柴田トヨさんを描いた映画『くじけないで』の試写会へ。美智子さまは八千草薫さん、武田鉄矢と鑑賞された。美智子さまは八千草さんに「とても良いものを見させていただいた」と感想をお伝えになったという。’14年9月映画『蜩ノ記』の東日本大震災復興支援チャリティ試写会にご出席の美智子さま。主演の役所広司と並んで映画をご覧になった。役所は「こんなに不動の姿勢で映画を観たのは初めてです」と緊張した様子だった。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日皇室の方々は、試写会やコンサートなどで芸能人とお会いになる機会は少なくない。過去の意外な対面シーンを振り返ってみよう。天皇陛下は青春時代、歌手の柏原芳恵のファンだったことは有名な話。’86年10月にはバラ「プリンセスサーヤ」を一輪持ってリサイタルにお出かけになった。同年11月には、NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』の収録現場を見学された陛下。主演の渡辺謙らの前で伊達政宗の兜のレプリカをかぶられ、ご満悦の表情。陛下はハリウッドスターとの“共演”も。’93年11月には山岳地帯が舞台の映画『クリフハンガー』の試写会へ。登山がお好きな陛下は主演のシルベスター・スタローンと意気投合されたのか、固い握手を交わし歓談されていた。秋篠宮ご夫妻が’92年4月に試写会でご覧になったのは、井上靖原作、ロシアを舞台にした映画『おろしや国酔夢譚』。西田敏行、故・緒形拳さんと歓談された。’92年6月、紀子さまは人気絶頂だったトム・クルーズと笑顔で握手。当時の妻・ニコール・キッドマンと一緒の来日で大きな話題となっていた。上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは、美智子さまとも交流のあるさだまさしの大ファン。’92年7月など、コンサートにも何度かお出かけになっている。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日豪華俳優と、各時代を代表する作家や脚本家が作りあげ、“奇妙な世界”へといざなう人気シリーズの最新版「世にも奇妙な物語‘21夏の特別編」。この度、吉瀬美智子が本シリーズで初主演する「あと15秒で死ぬ」がラインアップに加わることになった。今回は、4つの“奇妙な”エピソードが登場するオムニバスドラマ。すでに、上白石萌歌主演「デジャヴ」などのラインアップが発表されている。吉瀬さんは2008年に「世にも奇妙な物語2008春の特別編」で「透き通った一日」に出演しており、今回が2度目の出演となる。「あと15秒で死ぬ」では、吉瀬さんが演じる主人公の三上恵は薬剤師。夜、診療所の薬剤室で作業をしていると突如、体が動かなくなってしまう。目の前には赤い飛沫と静止した弾丸が見える。何者かに銃で撃たれて死んだようなのだが、時間が止まっているようにも見える。そこに、死神と名乗る人物が現れ、恵に残された寿命が“あと15秒”あると言う――。死が目前に迫り、そして限られた時間しか生きられないと知ったときに、人は何を思い、どんな行動をするのか?今作の主人公は“15秒で真実を解き明かしたい”と願い、意を決してある行動にでる。果たしてその行動とは?吉瀬さんは「面白い内容でした。『世にも』ファンの期待を裏切らない作品だと思います」と自信を込めてコメント。「セリフでも“なんで私が?” って言っていますが、本当に“なんで死ななきゃいけないの?”って。でも、その事実を突き止めるのには時間が短すぎて。『世にも』ならではのなんとも言えない切ない気持ちになります」とふり返っている。また、「死神の特殊メイクもユニークですし、その死神と、“死にたくない”という主人公との掛け合いが見どころだと思います。視聴者の方には今まで見たことのない、新しい自分を見せることができるのかなと思います」と期待を煽った。「世にも奇妙な物語 ’21夏の特別編」は6月26日(土)21時~フジテレビ系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2021年06月18日東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁をお務めの天皇陛下は、昨年のお誕生日会見で世界的なスポーツの祭典が「つつがなく成功裡に終えられることを願っています」と述べられた。雅子さまも同じ思いで、双方の大会に臨まれる予定となっている。そんな、両陛下の五輪への思いを、秘蔵写真とお言葉で振り返る。■’64年・東京五輪当時4歳の天皇陛下は上皇ご夫妻とご観戦。陛下にとって、幼少時「記憶に残っている最初の大きな出来事」だそう。《各国選手団が国ごとではなく、混ざり合って仲良く行進する姿を目の当たりにすることができたことは、変わらず持ち続けている、世界の平和を切に願う気持ちの元となっているのかもしれないと思っております》――天皇陛下(’20年)■’72年・札幌五輪冬季オリンピックを観戦するため、秋篠宮さまと千歳空港にご到着■’96年・アトランタ五輪選手結団式壇上の田村亮子(当時)選手、谷口浩美主将を見守られる両陛下■’98年・長野五輪長野オリンピックでは、雅子さまのお好きなアイスホッケーの対フランス戦を観戦し、笑顔をお見せに。《多くのことを乗り越えてこられた選手一人一人に、心からの拍手を贈りたい気持ちで一杯になりました》――雅子さま(’98年)《オリンピックの場で得られた友情というものは、(中略)国境を越えた人と人との相互理解を深める上で、大きな役割を果たすものだと思います》――天皇陛下(’98年)■’16年・リオ五輪選手結団式結団式で吉田沙保里主将、右代啓佑選手らにエールを送られた。■’18年・園遊会平昌パラリンピック金メダリストの村岡桃佳選手とお話を。《日本の社会に新たな活力をもたらし、個々の人々の可能性を一層開花させるとともに、日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》――雅子さま(’18年)■’18年・パラリンピック選手とご伴走リオパラリンピック銀メダリストで目の不自由な道下美里選手を赤坂御用地に招き、伴走をお務めに。《オリンピック・パラリンピック大会を通して、特に若い人たちに、世界の人々への理解を深め、平和の尊さを感じてほしいと願っています》――天皇陛下(’20年)ご成婚以来、両陛下は長野オリンピック・パラリンピックの競技をご覧になったのをはじめ、オリンピック選手団の結団式・壮行会にも出席され、五輪に深く関わってこられた。しかし、この夏の大会は世界的なコロナ禍もあり、今も開催が危ぶまれている。いずれにせよ両陛下は、東京での大会が無事に終わり、平和の輪が広がることを願われていることだろう。
2021年06月16日6月9日は、天皇陛下と雅子さまのご成婚記念日。28年前、93年の6月9日に行われた祝賀パレードでは、雅子さまの美しいドレス姿と笑顔に、日本中が大いに沸き立った。パレードでは、沿道に手を振られながら時折言葉を交わされていた両陛下。はにかみながら会話をされるお二人の姿にも、国民は大きく心を動かされた。18年にご成婚25周年を迎えられた際には、夫婦円満のために心がけてこられたこととして天皇陛下はこう述べられていた。「相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること、そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」その姿勢は、新婚時代から変わらない。今こそ両陛下がご結婚された93年の、初々しいお姿を振り返りたい。【93年6月9日祝賀パレード】出発直前まで降り続いていた雨がぴたりとやみ、日差しが差し込むなか両陛下は沿道に集まった19万人の歓声にお応えに。途中、雅子さまが目をうるませられ、白い手袋で目頭をそっとおさえられる場面も……。【93年6月15日饗宴の儀】3日間にわたり、計6回行われたご成婚を祝う宮中饗宴の儀。1日目の夜は芦田淳デザインのロイヤルブルーのイブニングドレスをお召しに。【93年7月8日東京サミット宮中晩さん会】ご成婚の翌月、お二人で初の皇室外交の場へ。晩さん会で雅子さまは、クリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領の間の席で、少しも気後れすることなくご歓談になっていた。【93年11月1日】愛知県の特別老人ホームをご訪問。雅子さまは、寝たきりのお年寄りの手にご自分の手を重ね、「お大事になさってくださいね」と優しく声をかけられていた。【93年12月20日鴨場でご接待】埼玉県越谷市の宮内庁埼玉鴨場に各国の駐日大使夫妻らを招き、伝統の鴨猟を紹介する皇室の伝統行事にご参加。じつは、天皇陛下が雅子さまにプロポーズされたのは千葉県の宮内庁鴨場。同じシチュエーションでのご公務で、プロポーズ時のことも思い出されたかもしれない。【93年12月23日一般参賀】上皇陛下の誕生日に、初めて一般参賀に参加された雅子さま。お召し物に選ばれたのは、イエローのロングドレスだった。新たな皇太子妃を一目見ようと多くの人々が集まり、天皇誕生日の一般参賀の参賀者数は、平成最多を更新した。仲睦まじいお二人のご様子は、理想のご夫婦として今もなお国民の手本となっている――。
2021年06月09日2021年6月5日からスタートする、俳優の羽田美智子さんが主演のドラマ『#コールドゲーム』(フジテレビ系)。ドラマのクラインクインの様子をご紹介します。第1話あらすじ(6月5日放送)時は西暦20××年。隕石落下の影響で地軸が大きく変動し、マイナス45℃の氷河期に突入した地球。ここ避難所第七支部では、生存者たちが限りある食糧や資源を分け合いながら共同生活を送っていた。前科二犯の天才詐欺師・祥子(羽田美智子)、息子の大輝(結木滉星)、娘の陽菜(久間田琳加)、夫の隆(やす)たち“木村家”は、支部長の如月(中村俊介)の考えで“家族優先”が徹底されているこの避難所で、ある秘密を抱えて日々を過ごしていた…。極限状況をたくましく生き抜く人々の世紀末サバイバルストーリー、開幕!!同年3月上旬に始まった撮影。ロケ地はポカポカ陽気で気持ちがいい天候でしたが、ドラマの舞台は氷河期の世界です。出演者たちは、ダウンジャケットや厚手の服を着込んで、真冬の格好で現れました。俳優の結木滉星さんと久間田琳加さんはお互いの距離を縮めるべくコミュニケーションを取り、何やら楽しそうに話をするなど、クランクイン初日からいい雰囲気だったのだとか。数日後、避難所第七支部の支部長で元国会議員、如月雄一郎役の俳優の中村俊介さんがクランクインしました。テレビドラマ『隕石家族』(フジテレビ系)で共演している羽田美智子さんは「どうしたの、その格好。ここは寒いんだよ~(笑)」とスーツにコート姿で決めた中村俊介さんにツッコミながらも、笑顔で挨拶を交わしたそうです。ドラマでは、過去に因縁があった木村祥子と如月雄一郎の今後のストーリーにも注目ですよ!諦めずにさまざまな困難を乗り越えていく、木村家のたくましさに元気をもらえること間違いなし。追い詰められた環境の中でこそ現れる人間の本性を、笑って泣けるエピソード満載で描く『#コールドゲーム』の放送が楽しみですね!『#コールドゲーム』放送日時:2021年6月5日(土)24:10~(※第2話から23:40~)出演:羽田美智子結木滉星久間田琳加やす(ずん)篠原篤和田琢磨福田転球椿鬼奴銀粉蝶中村俊介[文・構成/grape編集部]
2021年05月30日俳優の唐沢寿明と女優の吉瀬美智子が、27日から放送されるキリンビール「キリン一番搾り 糖質ゼロ」の新CM「一番搾りだから」編に出演する。白い背景のシンプルなスタジオで、テーブルをはさんで向かい合う2人。「ちょっと飲んでみてよ」と唐沢から自信満々でビールをオススメされた吉瀬が、おいしさに驚くドキュメント調のショートストーリーとなっている。ビールを飲んだ吉瀬の「おいしい!」という微笑みに、「でしょ? 俺これ好きなのよ!」とうれしそうに声を上げる唐沢。2人の“素”を感じられるような自然な演技に注目だ。吉瀬は「やっぱり、仕事柄、体型には気を付けていて……糖質ももちろん気にしています!」と語り、今回の商品について「ジムに行った日も、これなら罪悪感なくいただけそうです!」とコメントを寄せた。
2021年04月27日雅子さま皇后3年目へ――豪華な装いを総ざらい!「和ごころ光るドレスコレクション」と題して、ロイヤルファッションの中でも特に注目される華やかなドレスの“和の心”が麗しい装いのポイントを解説。解説してくれたのは、皇室をはじめ、セレブの装いにも幅広い知識を持つ石原裕子さん。■ティアラを際立たせる「ローブ・デコルテ」ローブ・デコルテは豪華なティアラやネックレスを際立たせるためのドレス。胸元や腕など肌の露出も多くシンプルに作られている。【’93年】ご成婚布地は金糸、銀糸を織り込んだ明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)。ノースリーブと、ダイヤモンド形にカットされた胸元に新妻の若々しさが感じられる。【’19年】即位後朝見の儀半袖にハート型のVネックと皇后らしい落ち着きのあるドレスに、第一ティアラとネックレスを。■細部に気品が宿る「ローブ・モンタント」フォーマルな海外王室の式典では、ハイネックに長袖、ロングスカートで肌の露出を抑えたスタイルに。細かくあしらわれた刺繍やビーズで気品をプラス。【’13年】オランダ王国即位式シルクジャガードの光沢が印象的な布地。とても軽い素材で、歩くとスカートの揺れが優雅。共布のトーク帽で統一感を。【’15年】トンガ国王戴冠式ペイズリーをイメージさせるレースのドレス。花びらのようなデザインの襟、胸元の金糸、銀糸を使った刺繍でゴージャスに。■宝石のような「海外ご訪問ドレス」【’94年】カタール・ハマド宮殿ルビーのような色合いのシルクに、胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が豪華。【’94年】カタール・ラヤーン宮殿雅子さまの誕生石、ターコイズの色合い。胸元と袖口に天から差し込む光のような飾りを。【’94年】サウジアラビア・ヤマーマ宮殿肩を膨らませた袖、裾にフリルを重ねたスカート、エレガントなブルーサファイアの装い。【’95年】アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが、ベビーピンクと相まって、女性らしさを演出。【’95年】クウェート・バヤーン宮殿和服の裏地に使われる紅絹色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージ。【’95年】ヨルダン・ナドワ宮殿金糸で花模様を刺繍した厚みのあるレース素材の左上半身。右肩から裾にかけてはサリーのようにサテンのシルクを重ねて。■賓客をもてなす「晩餐会ドレス」【’93年】東京サミット各国首脳ご成婚の翌月、初の皇室外交の場でお召しになったアップルグリーンのシルクドレス。レースの花が飾られた繊細な作りで新妻らしく。【’14年】オランダ国王アール・デコ調のティアラ、ネックレスに優しい印象のドレスを。【’15年】フィリピン大統領レースの持つ繊細さを上手に演出。華美になりすぎない装い。【’19年】アメリカ大統領ニューヨークの州花・バラをあしらったジャケットで、令和初の国賓・トランプ大統領をおもてなし。■雅子さま流、着こなしポイント5ご成婚以来、雅子さまはカラフルな色のお召し物でよくお出ましになっていました。それが強く感じられたのが、ご成婚の翌年から天皇陛下(当時は皇太子)と2度訪問された中東諸国でのドレス姿。このときの色鮮やかなドレスを、ご訪問先で見事に着こなしていらした雅子さまはとても素敵でした。それからお年を重ねられ、平成から令和への御代替わりとなる前、そして皇后となられてからの雅子さまは、優しい淡い色合いのドレスが多くなりました。特に賓客のおもてなしなどでは、決して華美な装いはされません。けれどもその装いは一見すると無地に見える布地にも金糸、銀糸が織り込まれていたり、繊細な刺繍で装飾されていたりと、ミセスらしい落ち着きに優雅な風格をたたえているのです。雅子さまのドレスには、よく見られる5つのポイントがあります。1つ目は、ハイネックやタキシードを思わせるウイングカラー。2つ目は、ふっくらとした肩から袖口に向かって細くなるレッグ・オブ・マトン・スリーブ。3つ目は、アシンメトリーに左腰に寄せたドレープ。4つ目は、左腰にボウで結んだリボンや飾り。5つ目は、滝のように流れ落ちるカスケードライン。この5つの特徴がよく表れているのが、ご成婚後の饗宴の儀でお召しになっていた淡いオレンジのドレスでした。さらに、ドレスのスカートを着物のように重ねるデザインや地紋のある絹地からは、和のテイストが感じられます。これは、日本のさまざまな伝統美を上手に取り入れていらした美智子さまの装いから引き継がれたものです。その和のこころを、雅子さまは独自のデザインで継承されています。これからは華美になさらなくても格調の高い、皇后らしい装いが増えてくると思います。コロナ禍で賓客の接遇や外国へのご訪問がなく、新しいドレスを拝見できないのが残念ですが、今後が楽しみです。(石原さん)(写真:本社写真部/雑誌協会代表取材/宮内庁提供/時事通信/朝日新聞社)「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日東日本大震災の発生から10年となる3月11日、天皇陛下は東京・国立劇場で開かれた犠牲者の追悼式に雅子さまとともにご出席。陛下は被災地、被災者へ寄せる思いを述べられた。「復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています」10年という長い歳月が経った今でも、復興は道半ばであり、さまざまな課題を挙げられて“震災は現在も続いている”と強調されたのだ。震災を風化させまいという強いお気持ちが伝わってくる。異例の長さともいえる6分間にわたるお言葉は、雅子さまとご一緒に、10年間の被災地訪問を振り返りながら、追悼式の直前まで推敲を重ねなられたという。その表れとして、お言葉のなかでは、「皇后と共に」と2度も言及されている。「私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています」「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」陛下はこれからも雅子さまと“二人三脚”で、被災地に心を寄せていく意志を示されたのだ。これまで両陛下は皇太子ご夫妻時代に、被災した岩手、宮城、福島の3県を3回ずつ訪問されている。追悼式を前にした3月4日には岩手県、3月17日には宮城県の被災者たちとオンラインで懇談された。今後、福島県へのオンライン訪問も検討されているという。陛下は今年2月のお誕生日会見で、こう述べられた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」10年を節目、区切りと考えるのではなく、さらなる復興のスタートとしてとらえるためにも、陛下と雅子さまが被災地を再訪される日が待たれる――。
2021年03月19日「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」天皇陛下は2月の誕生日会見で、眞子さまに結婚への課題を突きつけられた。秋篠宮さまに続いて陛下も「多くの人が納得し喜んでくれる状況」が必要だと明言されたのだ。「もはや金銭トラブルだけが、小室さんとの結婚を祝福できない理由ではありません。秋篠宮さまや宮内庁長官の要請に応えて、小室さん側がトラブルについて説明したとしても、世論が大きく変わるかどうか……。追い込まれた眞子さまはすでに、“皇籍離脱”という道も考え始めているといいます」(皇室担当記者)実は、皇室典範第十一条に《年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》とあり、皇室会議の議を経るといったハードルはあるが、眞子さまは独身のまま皇室を離れることができるのだ。ちなみに、昭和の時代には故・三笠宮寬仁親王が「皇族の身分を離れ、身障者問題などに打ち込みたい」として、宮内庁に皇籍離脱を申し出る騒動があった。このときは皇族方が総出で説得し、寬仁親王は考えを改められたという。当時、皇太子だった上皇陛下は、この件について、記者会見で次のように話していた。「やはり、皇族は天皇に一番近い立場にある。要するに、象徴に一番近いところにいるわけですから、象徴にふさわしいような生き方をしなければならないと思うわけです。そして、そういうことによって天皇をお助けしていくのが皇族のつとめではないかと思うわけです。また、子供達にも、そういうふうに話している。やはり、象徴にふさわしいということは、国民が望む意向に沿っていく、もちろんそういうことも含まれているわけですけれども」天皇陛下も秋篠宮さまも、上皇陛下の教えを胸に刻んでいたのだろう。“国民が望む意向”とはますます逆行されている眞子さま。小室さんとの結婚のために皇籍を離脱したいと宣言したとしたら、何人の皇族方が引き止めてくださるだろうか……。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月16日「秋篠宮さまは結婚を認める考えを示されましたが、陛下はどのようにお考えですか」天皇陛下の61歳の誕生日を前に開かれた記者会見。眞子さまの結婚に関する質問が投げかけられると、会場にピンと張り詰めた空気が漂った。柔和な陛下のご表情が引き締まる。そして、陛下はこうお答えになった。「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」陛下が、眞子さまの結婚問題について初めて言及された瞬間だった。この回答に、宮内庁関係者は驚いたという。「秋篠宮さまの言葉を引用されながら、現状では“多くの人が納得し喜んでくれる状況”には程遠いとの認識を示されたといえます。陛下は、現時点でこの結婚には心から賛成しているわけではない、ということを示唆されたのだと感じました。事前に雅子さまにも相談されたうえでのご回答のはずですから、雅子さまも陛下と同じお考えではないでしょうか」歴史学者の河西秀哉・名古屋大学大学院准教授は、陛下の「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております」とのお言葉に注目すべきだと語る。「天皇陛下は、国民のなかに反対論や疑念があることを十分に認識されているということです。象徴天皇制は国民の支持なくしては存立しえないものですから、現状では結婚を認めることはできないと考えているのでしょう。“多くの人が納得して喜んでくれる状況”に近づけるためには、やはり本人たちが国民の前にきちんと出てきて、疑念を生んでいるトラブルについて説明し、自分たちの気持ちを伝える必要があるでしょう。そうすることで、強硬的になっている人々の考えも変わってくるのではないかと考えます」■小室さんが帰国しない場合、単独で会見の可能性も’17年9月の婚約内定会見以来、お二人からは文書での説明こそあったものの、会見は開いていない。皇室担当記者は「今回の陛下の発言で、会見を開催する必要性が高まった」と話す。「陛下が求める“多くの人の納得”を得るためには、単に小室家の金銭トラブルについて説明するだけでは不十分といえます。眞子さまは、事態を打開するために小室さんと二人で会見を行う必要性をお感じになっているのではないでしょうか」だが小室さんは現在、ニューヨークに留学中。しかも、5月にロースクールを修了し、7月にはニューヨーク州の司法試験を受験するとみられている。金銭トラブルへの対応も、代理人弁護士に一任している状態だ。「もし、会見のために帰国するとなれば、出入国のための隔離期間も生じます。弁護士資格取得のために猛勉強を続ける小室さんにとっても大きなロス。しばらく帰国の予定はないようです。これまで秋篠宮さまから説明を求められても十分に応じず、逃げ続けてきた小室さんに、天皇陛下からの発言の“重み”が伝わっているかどうかも疑問です。天皇陛下の“問題解決指令”に焦燥感を抱いていらっしゃる眞子さまとは、深刻な温度差が生じているのではないでしょうか……」(前出・皇室担当記者)小室さんがあくまで帰国しないという選択に固執するならば、それは眞子さまにとって“釈明会見を開くなら独りで”という非情な宣告に等しいものだ。「眞子さまと小室さんは10月には30歳の誕生日を迎えます。コロナ禍もあって断念されましたが、眞子さまは昨年中に入籍する計画を練っていたほど。どうしても20代のうちに結婚したいという願望をお持ちのようです。眞子さまは、小室さんが帰国しないのならば独りでも会見を行うおつもりもあるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)ただ、すでに結婚延期決定から3年もの月日がたっている。ここから国民の評価を覆すのは並み大抵のことではないだろう――。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月03日いつも優しそうなご表情の天皇陛下には、真面目そうという印象が。でも、幼いころは“シェー”をされたりと、気さくな面もお持ちだ。2月23日に、61歳の誕生日を迎えられた陛下の楽しい写真を集めてみました。【’70年】大阪万博で「シェー」!小学生のとき秋篠宮さまと大阪万博へ。三菱未来館で陛下は、当時大流行していたイヤミのシェーを披露。【’86年】大河ドラマの撮影を見学渡辺謙主演のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』のセットをご見学。伊達政宗仕様の兜をかぶられた。【’86年】柏原芳恵と感動の対面♪歌手・柏原芳恵のファンだった陛下。彼女のデビュー7周年リサイタルには一輪のバラを持っていき、プレゼントされた。【’88年】甲子園で始球式を!第70回全国高校野球選手権の始球式で、甲子園球場のマウンドから投球。【’98年】ご公務中、頭にチョウが!「第10回全国農業青年交換大会」のため石川県に。「ふれあい昆虫館」をご視察の際、雅子さまの頭に続き天皇陛下の頭にもチョウがとまり、お二人は思わず笑顔に。【’98年】突然の記念写真も喜んでご静養中には地元の人たちと積極的にご交流。葉山御用邸近くの天神島臨海自然教育園で、遊びに来ていた家族連れと記念撮影。【’99年】転んだ瞬間をフォロー北海道千歳市の青葉公園で歩くスキーを。初めての体験で転んでしまわれた雅子さまを、優しく後ろから抱き起こされた。【’02年】W杯をユニホームで応援サッカーW杯日韓大会の開催中。愛子さまと応援。実は雅子さま撮影のお写真【’02年】愛娘を自らおんぶされて那須御用邸近くの沼ッ原湿原へ。背負い子で愛子さまをおんぶされてハイキング。【’19年】犬の散歩はお手のもの♪秋田県の動物愛護センターをご視察。陛下は保護犬のリードを引かれる体験を。天皇陛下の珍スクープ写真ベスト10。全部知っていたらあなたは皇室マニア!「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日天皇陛下は2月23日、61歳の誕生日を迎えられた。誕生日に際しての記者会見は2月19日に開かれた。眞子さまの結婚について質問を受けられた陛下は、以下のようにお答えになっている。「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、御両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」ほかの質問に比べて簡潔なお答えではあったが、皇室担当記者は陛下のお考えがにじむご回答だったと語る。「天皇陛下は、たいへん慎重にお言葉を選ばれたのでしょう。眞子さまや小室さんへの批判と受け取られるような文言を使うことは避けられつつも、二人には結婚に向けての”宿題”が残っているとの認識をはっきり示されたご回答だと思います。ただ、ひとつ気になったのは、眞子さまが発表された文書との”温度差”でしょうか……」眞子さまは昨年11月、結婚についての「お気持ち」を表明する文書を発表されている。そのなかには、次のような一節もあった。《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》この文書では、両陛下は眞子さまのお気持ちを「尊重」され、「お見守りくださっている」とされている。一見すると、両陛下が眞子さまと小室さんの結婚を応援されているかのような印象も受ける。しかし陛下は今回の会見で、秋篠宮さまの発言に同意する考えを示された一方で、眞子さまが使われた「尊重」や「見守る」といった表現は避けられた。「陛下も秋篠宮さまと同じく、眞子さまの意志を尊重しつつも、現状ではまだ小室さんとの結婚に“賛成”はできないとの認識なのではないでしょうか。ただ、眞子さまに『御両親とよく話し合い』することを求められたように、この問題は秋篠宮家で解決すべきであり、ご自身の発言によって事態が動くのは好ましくないと、陛下はお考えなのでしょう」(前出・皇室担当記者)会見では記者から、多くの人が納得し喜んでくれる状況になるために何が必要かという関連質問もあったが、陛下は「先ほど申し上げたこと以上のことは、今はお答えは差し控えさせていただきたいと思います」と、回答を避けられている。眞子さまと小室さんは、どのようにして陛下も願われている「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を実現するのだろうか――。
2021年02月23日天皇陛下は2月23日に、61歳の誕生日を迎えられる。新型コロナウィルスの感染状況を鑑み、当日の一般参賀が見送られるなど祝賀行事は縮小されることとなった。菅義偉首相(72)ら三権の長から祝賀を受ける「祝賀の儀」は行われるが、飲食を伴う「宴会の儀」や「茶会の儀」は中止とされた。新型コロナによって皇室の行事や生活も一変してしまったが、陛下が変わらず続けられている行事もある。陛下は即位されたことで、昭和天皇が始められた稲作を上皇陛下から引き継がれた。陛下は皇居内の水田で春から初夏にかけて種籾まきと田植えをされ、昨年9月に稲刈りをされたことで一連の作業を初めて終えられたのだ。陛下は稲作作業を終えられた感想を文書で発表され、昨年の九州豪雨による被害や新型コロナの影響で苦境に立たされた農業従事者に向けて「御苦労もいかばかりかと思います」と労われた。そして「各地で収穫が無事に行われることを願っております」と綴られた。我が国の農耕文化である稲作を引き継がれた陛下だが、若いころから日本酒好きでも知られている。’03年に山形県米沢市の酒造資料館「東光の酒蔵」を見学され、’18年には石川県珠洲市にある宗玄酒造を視察されたこともある。そんな陛下の日本酒にまつわる“誕生日エピソード”がある。陛下は学習院大学卒業後、’83年に英国オックスフォード大学マートンカレッジに留学された。‘84年2月にロンドン・日本大使公邸で24歳の誕生日を目前に開かれた会見では、充実した留学生活ぶりをこのように語られた。「寮の自分の部屋に日本酒をおいていますが、昨年に比べるとずっと減りが激しいんです。今学期は前学期以上に学友が集まって楽しく過ごしています」留学先で誕生日を迎えられた陛下は、寮の2部屋を使ってご自身の誕生パーティーを開き、20人ほどのご学友を招いたという。「陛下は日本食や日本酒といった“日本文化”でご学友をもてなされました。英国では日本酒を温める機械がなかったので、陛下は機転を利かせてコーヒーメーカーで燗をつけたといいます。陛下が振る舞われた日本酒は彼らに大変喜ばれたようで、陛下も『翌日二日酔いになりました』と笑いながら回想されていました」(前出・皇室担当記者)当時、「ヨーロッパから日本を見つめてみたい」という志を抱かれて留学された陛下。’85年11月の帰国直後に行われた会見では、英国の学生たちとの交流について、「日本について色々聞かれまして、日本文化について深い質問もありましたし、その素晴らしさを学生を通じて再認識できたことは非常に良かった」と語られた。英国でご学友と日本酒を酌み交わした経験は、陛下にとってかけがえのない思い出のひとつだろう。
2021年02月22日2月23日、61歳の誕生日を迎えられる天皇陛下は、登山好きとしても知られている。実は、同日は「富士山の日」でもある。静岡県と山梨県では条例で定められている記念日だが、陛下が即位されたことで2月23日は’20年から祝日となっている。陛下が初めて登山を経験されたのは、5歳の時。軽井沢の離山に登ったのをきっかけに、山に関心を持つようになられた。小学校高学年の頃は、『日本の山々』(山と溪谷社)や『世界文化地理大系』(平凡社)といった本を愛読されていたという。そんな陛下にとって、富士山は特別な思い入れのある山だった。小学校1年生だった’66年の秋には、学習院初等科の屋上から富士山をご覧になっている。その時の感想を《ぼく、あんまりうれしかったので、おくじょうから、おっこちそうになりました》と文集に綴られた。’87年7月には皇族として初めて日本山岳会の会員になられ、これまで登山をされた回数は国内外を含めて170回を超える。そんな陛下が富士山に初登頂されたのは、皇太子だった’08年8月のこと。実は’88年8月にも挑戦されたが、天候悪化のため8合目で引き返されたのだった。陛下は20年越しの悲願達成に、「感慨深いものがあります。富士山の高さ、大きさを感じました」と喜ばれたという。’10年の年始に行われた歌会始では、富士山頂で見たご来光を回想され《雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり》とお詠みになられている。これほどまでに山好きな陛下は、南アルプスを登山された’86年8月に同行の記者団から登山をする理由を問われ「山に登っている時は雑念がありません。登ることと景色を見ることに没頭しています」とお答えになられた。「“無心になれる”ことは、陛下にとって登山の魅力のひとつでもあります。陛下はどのルートが良いか入念にお調べになることはもちろん、ジョギングやトレーニングといった準備もされます。そのいっぽうで登山中にすれ違った人々には、『どちらからですか』などと立ちどまって話しかけられるといった気配りも欠かさないのです」(皇室担当記者)’93年6月に雅子さまと結婚されてからは、翌年6月に初めてご夫妻で東京・奥多摩の高水三山に登られた。陛下は『山と渓谷』(1996年1月号)の「山と私」というエッセイのなかで、《私は、これからも妻とこのような登山の楽しみを見出せたらと思う》と綴られている。’09年8月には小学生になった愛子さまもご一緒に、斜面が緩やかな那須岳を中心に一家でハイキングを楽しまれるようになった。現在は新型コロナウイルスの影響もあり、また天皇というお立場から陛下が登山をすることは容易ではない。だが、再びご一家で自然と触れ合える日を心待ちにされていることだろう。
2021年02月22日「私たちは水問題の解決に向け、連携し、結束していく必要があります」天皇皇后両陛下は2月12日、世界の水をめぐる衛生問題について話し合う国際会合に、オンラインで出席された。陛下は特別来賓として英語であいさつされ、「水問題は世界の紛争、貧困、環境、農業、エネルギー、教育、ジェンダーなど様々な分野に関わってきます」と、研究の意義を語られた。会合には国際機関の幹部ら30人余りが参加し、オランダのウィレム=アレクサンダー国王の姿もあった。「’20年にはイギリスご訪問や東京五輪の開催も予定されていました。両陛下が国際親善に活躍される1年になるはずでしたが、コロナ禍でストップしてしまったのです。今回のオンライン会合出席は“皇室外交”のリスタートになったといえます」(皇室担当記者)水問題に取り組むウィレム=アレクサンダー国王は、天皇陛下とは無二の親友。また、雅子さまは適応障害で療養に入られていた’06年夏、陛下や愛子さまとご一緒に約2週間、オランダで静養されている。オランダ王室からの招待だった。「その後、’13年にウィレム=アレクサンダー国王の戴冠式に出席するため、雅子さまは再びオランダを訪問されます。実に11年ぶりの海外ご公務でした。このときはマキシマ王妃から雅子さまに直接電話があり、招待されたそうです」(前出・皇室担当記者)■コロナ禍でこそ皇室の役割に期待’19年の即位の礼では各国の王族が日本に招かれたが、雅子さまと各国の王妃・皇太子妃との交流が話題となった。マキシマ王妃はもちろん、スペインのレティシア王妃やベルギーのマティルド王妃、デンマークのメアリー皇太子妃との親密なやりとりは、各国の王室との信頼関係を印象づけた。欧州の王室に詳しい関東学院大学教授の君塚直隆さんはこう語る。「ヨーロッパの王室は、環境問題や人権問題などの社会問題に積極的に取り組んできました。こういった国同士で利害が生じるテーマにおいては、とくに王室の働きが重要になります。公式訪問は難しい状況でも、水問題などの社会問題への取り組みを通じて海外の王室と交流を深めることができるはずです」新型コロナウイルスの感染拡大で各国が入国規制の措置をとり、交流は途絶え、ワクチンの供給をめぐって対立も生じている。「雅子さまは今後、世界の王妃との連携を深めていくおつもりではないでしょうか。コロナ禍で軋轢が生じている今こそ、王室や皇室が育んできた絆が世界の分断を止めるはずです」(前出・皇室担当記者)オンラインで始まった新たな国際交流。雅子さまは世界の王妃と手を携え、分断を乗り越える――。「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月17日「誕生日を前に、天皇陛下は記者会見に臨まれます。記者からの質問は事前に宮内庁側に伝えられるのですが、その中に眞子さまの結婚についての質問があるのです。陛下ははたして、眞子さまと小室圭さんについてどう言及されるのか……。日に日に注目度が高まっています」(皇室担当記者)2月23日、天皇陛下は61歳の誕生日を迎えられる。祝賀行事は縮小となるが、静かにお祝いする雰囲気にはなりそうにない。昨年11月、秋篠宮さまが誕生日会見で結婚を「認める」と述べられた。この“容認発言”によって、眞子さまと小室さんの結婚は確実になったとみられているが――。秋篠宮家に近い人物はこの見方に異を唱える。「たしかに秋篠宮殿下は会見で『結婚を認めるということです』とお話しになりました。ですが、それはあくまで憲法にのっとって結婚を認めざるをえず、親だからといって止めることはできないという意味でしょう。殿下のお気持ちはこの3年間、変わっていません。現状では納采の儀、そして結婚に賛成されているわけでは決してありません」会見で秋篠宮殿下は「長女の結婚について反対する人もいます」とも述べられている。「殿下にしてはとても踏み込んだ発言でした。なぜ小室さんとの結婚に多くの人が反対しているのか、殿下は、眞子さまの未来を心配する声にご本人が気づかれることを、願っていらっしゃると思います」(前出・秋篠宮家の知人)■もはや結婚を阻止する術はない?いまでも小室さんとの結婚に反対だという秋篠宮さま。しかし、宮内庁関係者によれば、もはや秋篠宮さまに眞子さまの結婚を阻止する術はないという。「秋篠宮さまの『結婚することを認める』との発言は、会見という公の場でなされたものです。いわば国民に対して“娘の結婚を認める”と宣言したことを意味します。秋篠宮さま自身が結婚阻止に動けば、国民との約束違反になってしまうのです。それでも、眞子さまと小室さんの結婚が破談になるとすれば、考えられるプロセスは2つだけです。ひとつは、眞子さまのお気持ちが小室さんから離れて、結婚はしないと自ら決断を下すこと。もうひとつは、小室さん側の致命的なスキャンダルが報道などで明らかになった場合です。いずれも可能性はきわめて低いといえますが……」万策尽きた秋篠宮さま――。もし結婚阻止に一縷の望みをかけるならば、できるだけ結婚を先延ばしにするしかないといえる。だが、天皇陛下の会見での発言が、眞子さまと小室さんの結婚を決定づけてしまう可能性もある。眞子さまは11月に発表された文書で《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》と綴られていた。「もし会見で陛下が『お二人の気持ちを尊重します』といったお言葉を述べられれば、眞子さまと小室さんの結婚は完全に“お墨付き”を得たことになってしまいます。秋篠宮さまとしては、そういった事態は避けたいはず。また天皇陛下としても、“秋篠宮家の問題”ですから、事情を聞くために事前に秋篠宮さまと話し合われたそうです。会見では、小室圭さんの名前すら出さずに“黙殺”してもらいたい――。秋篠宮さまは陛下に、そう懇願されたと聞いています」(前出・宮内庁関係者)天皇陛下は’86年の誕生日会見で「結婚相手を自分で決めたいか」との質問に次のようにお答えになっている。「自分で決めていきたいと思います。オックスフォードで学んだことは、自分で決めて自分で行動に移すということです。こういう問題は人にお願いするのではなくて、自分で決めれば両親も信じてくれると思います。自分がこの人と思って紹介すれば喜んでくれると思います」眞子さまが“自分で決めた”小室圭さんというお相手について、天皇陛下はどのように言及されるのか――。「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月10日《天皇陛下は、アメリカ合衆国大統領ジョセフ・ロビネット・バイデン閣下の大統領就任につき、1月20日御祝電を発せられた》(1月22日の官報)バイデン大統領が就任した当日、天皇陛下はさっそく祝電を打たれたという。実は、陛下は皇太子時代の’13年、副大統領だったバイデン氏が来日した際に、お住まいの東宮御所に招き、懇談されていたのだ。「’11年の東日本大震災後には、米政府首脳のバイデン氏が自ら被災地を訪れたことが話題になりました。在日米軍による『トモダチ作戦』、米民間団体からの義援金など、物心両面にわたってアメリカからの支援は多大なものがありました。陛下はそれらに対する感謝の気持ちを伝えられたのです。政治的な外交とは違う、皇室との親善はバイデン大統領にも特別な記憶となって残っているのではないでしょうか」(社会部記者)また、’19年5月、陛下の即位後最初の国賓としてトランプ前大統領が来日したときは、トランプ夫妻の接遇で、皇后となられたばかりの雅子さまが大活躍された。「特に宮中晩餐会の雅子さまの存在感は特筆すべきものでした。クリーム色のロングドレスをお召しになった美しさもさることながら、通訳を介さずに、笑顔で大統領夫妻と会話されるお姿には、多くの国民が感銘を受けました」(皇室ジャーナリスト)そのお姿は米メディアにも新鮮だったようで、『ニューヨーク・タイムズ』は「トランプ訪問で、雅子皇后はスター」との見出しで報じた。さらに、その年の6月には、両陛下が「G20大阪サミット」のために来日したフランスのマクロン大統領夫妻を皇居に招かれて昼食会を催されたのだが、そこでも雅子さまの“おもてなし”が脚光を浴びる場面があった。「雅子さまはブリジット夫人と英語とフランス語を交えて話されていました。実は、ブリジット夫人はあまり英語が流暢ではないのです。それをご存じだった雅子さまは、お相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)’20年5月ごろには天皇皇后両陛下として初の海外ご訪問となるイギリス訪問が予定されるなど、両陛下は国際親善の場でさらなる活躍をされることが期待されていた。しかし、昨年当初からの世界的な新型コロナウイルス感染拡大で”皇室外交”はストップしてしまった。ただ、コロナ禍を背景に社会には一気にZoomなどのオンライン会議システムが普及した。そんななか陛下と雅子さまは、今年元旦、国民に向けてお揃いで新年のビデオメッセージを発信されるという、皇室史上初の試みに挑戦された。「今後、皇室外交にもオンラインが利用される可能性はあると思います。オンラインを利用することで、これまで以上に、両陛下と各国要人との会見が盛んに行われることになるかもしれません。例えば通訳なしで外国の首脳と会談される両陛下の姿が、字幕スーパー付きで配信されるようなことがあれば、新しい皇室外交の様式“令和流”として定着するのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)1月28日には、就任後初となるバイデン大統領と菅義偉首相の電話協議が行われた。コロナ禍に加えて、大統領選後の混乱する米国情勢もあり、菅首相の訪米、バイデン大統領の来日とも日程は不透明だ。トランプ前大統領の来日時には、見事な接遇ぶりで鮮烈な印象を残した両陛下。バイデン大統領への政権交代後も、両陛下が日米の架け橋になることだろう。
2021年02月03日