「夫婦2人家族なのに、自宅の6人掛けテーブルも、なぜか隣同士に座る私たちでした。トッちゃんは、いつも横にいたんです……」夫・赤木俊夫さん(享年54)との幸せな歳月を昨日のことのように振り返るのは、妻の雅子さん(50)。目尻を下げ、思い出したようにこんなエピソードも明かす。「夫は使い古した下着で靴を磨くんです。それをリビングに2週間も置きっぱなしにしたことがあって。私はそれが、どうしてもイヤで“プチどっきり”のつもりで鞄にこっそり忍ばせたんです」俊夫さんは、職場からメールで一言「もう!」。それがちっともケンカにならず、笑いに変わる、仲むつまじい夫婦だった。そんな、ささやかな幸せにあふれた23年間にわたる結婚生活は、突然終わりを迎える。財務省近畿財務局職員だった俊夫さん。’18年3月7日、学校法人森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを強制させられたことを苦に、自ら命を絶った。雅子さんは、昨年3月に、国と佐川宣寿元財務省理財局長(63)を相手に損害賠償を求め提訴。誰のどんな指示があったために、俊夫さんが死に至ったのか、その真実を明らかにしたいとの思いからだ。そこで真相解明の糸口となっていたのが、赤木ファイルである。雅子さんは、これまで国にファイルの開示を求めていたが、国はその存否さえ明らかにしてこなかった。しかし今回、6月23日に大阪地裁で行われた第4回口頭弁論にあたり、ついにその赤木ファイルが裁判資料として提出され、ついに内容が公開されたのだ。全518ページの膨大な赤木ファイルは、まさに俊夫さんが命を懸けて残した「国の改ざんの記録」。そして、決してやりたくない改ざんをやってしまった俊夫さんの悲痛な心の叫びでもある。■的中した雅子さんの懸念この日の弁論の最後に、雅子さんは背筋を伸ばし思いを述べた。「赤木ファイルを見て、手書きの文字が夫の字だとすぐにわかりました。夫が苦しい立場に追い込まれながら、赤木ファイルを作ってメモを残してくれたのだと思うと、涙が出そうになりました」雅子さんの知らなかった事実もたくさん記載されていたという。「夫が、具体的な説明もなしに、改ざんに反対をしても、一方的に改ざんを指示されて苦しんでいたことが、わかりました」当時の俊夫さんの様子を、雅子さんはこう語っていた。「’17年に問題が発覚してからは、次第に夫から笑顔が消え、心療内科に通うようになりました。テレビで森友問題のニュースが流れても、何も聞けませんでした」いつも隣にいて、どんな話題も笑いに変わる夫婦だったのに、会話が極端に減ってしまったという。ファイルの開示により、ようやく当時の夫の心の内を知ることができたが、まだ納得できないところがあると雅子さんは語る。この日に公開されたファイルは、所々が黒く塗りつぶされている。その部分はほとんどが、財務省理財局や近畿財務局の職員名と思われる箇所。約400カ所もの“黒塗り”は、改ざんが「誰からの指示」だったのかを隠し続けているのだ。雅子さんはこの裁判の前に、「黒塗りだけはやめてほしい」と本誌に不安を漏らしていたが、その懸念が的中する形となった。さらに、麻生太郎財務大臣(80)はファイルが証拠として提出された際「再調査は考えていない」と即座に発言。国は幕引きを図ろうとしているようにみえる。なぜ国は、この事件を一刻も早く「なかったこと」にしようとしているのか。裁判後の夕刻、疲れた表情ながらも、雅子さんは本誌に決意を語ってくれた。「トッちゃんの、つらかった思いは、私が受け取りました。すべての黒塗りがなくなり、真相が明らかになるまで、最後までやり抜きます」
2021年06月29日学校法人森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題。改ざんの経緯を明らかにするカギとなっていたのが、当時改ざんを強制されたことを苦に自死した赤木俊夫さん(享年54)が残した「赤木ファイル」だった。妻の雅子さん(50)は昨年3月に、国と佐川宣寿元財務省理財局長(63)を相手に損害賠償を求め提訴。事件の真相解明をもとめ、ファイルの公開を要求してきたが、国はその存否さえ明らかにしてこなかった。しかし今回、6月23日に大阪地裁で行われた第4回口頭弁論にあたり、ついにその赤木ファイルが裁判資料として提出され、内容が公開となった。雅子さんが裁判後の夕刻、疲れた表情ながらも、本誌に心境を語ってくれた。「やっぱり、赤木ファイルには、“その名前”の記載があったんだなと思いました。それを隠したかったから、1年3カ月も国は出さなかったのかもしれない……」雅子さんが開口一番に言った「その名前」とは、安倍晋三前首相の妻・昭恵氏のことだ。そもそも、俊夫さんが財務本省からの指示で改ざんを強いられるきっかけとなったのは、’17年2月17日の国会における、安倍前首相の次の発言だと考えられている。「私や妻が(森友学園の問題に)関係しているということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」■「安倍さんは国会議員をまだされていますね」しかし、実際は「安倍昭恵総理夫人」の文字が森友学園に関する公文書に存在。そのため、その文言を消すために、この発言の直後から改ざんが始まったとみられていたのだ。今回の赤木ファイルの公開で、確かに総理の発言の直後から、改ざんが始まったことが明らかになった。《当該文書を確認していたところ……現時点で削除した方が良いと思われる箇所があります。当該箇所をマーキングしておきました》この改ざん指示の文章は、同年2月26日に財務省理財局係長から俊夫さんを含む近畿財務局職員7人に宛てられたメールの一部。そして《当該文書》には、次の部分がマーキングされていた。《打合せの際「……安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで映っている写真を提示)》その安倍前首相に、雅子さんはいま、こんな言葉を投げかける。「実際、安倍さんの名前と昭恵さんの名前が、赤木ファイルに出てきました。でもいま、安倍さんは国会議員をまだされていますね。あの国会での発言後、夫は改ざんを指示されたんです。『関係している』ことは明らかですよね。いま、何と答えるのか、安倍さんに直接、聞いてみたいです」そして、裁判は今後も続く。「理不尽なパワハラはどんな職業でも起こりうるし、いまもどこかで苦しんでいる人がいる。裁判を通して『やってはいけないことはやってはいけない』と伝えたい」最後に、雅子さんは言い切った。「トッちゃん(編集部注・俊夫さん)の、つらかった思いは、私が受け取りました。すべての黒塗りがなくなり、真相が明らかになるまで、最後までやり抜きます」
2021年06月29日安倍晋三前首相(66)が辞任してから約9カ月。6月22日に、財務省の公文書改ざん問題の経緯を記録した”赤木ファイル”が、自殺した赤木俊夫さんの妻・雅子さんに開示された。首相の職も離れてもなお、森友学園問題や桜を見る会問題などで、いまだに疑惑を指摘され続ける安倍氏。だが、あるベテラン政治部記者によれば、「永田町には、いまだに“安倍再々登板説”が流れています」と話し、こう続ける。「自民党内の当選3回以下の議員、いわゆる“安倍チルドレン”たちなどが、再び首相に担ごうと、安倍氏に働きかけているんです。強硬な保守派や自民党が優勢な地方を中心に、安倍氏や妻・昭恵さんの人気は、現在でも根強いものがあります。昭恵さんにも、『ご主人に再々登板をぜひすすめてください』というメッセージが届いているそうなんです」そうした“安倍チルドレン”たちの動きを知ってか知らずか、安倍夫妻への警護は、菅義偉首相(72)と同じレベルの体制が続いている。6月24日、東京・渋谷区にある安倍夫妻の自宅マンション周辺は、首相だったころと同じ物々しい警備がいまだに敷かれていた。大通りには機動隊車両が待機し、自宅に続く道路はバリケードで封鎖され、数メートルおきに警官が立っている。政治評論家の有馬晴海氏は、こう解説する。■「俺ならもっと厳しめにやるのにな」「安倍氏は、菅政権の“生みの親”と言っていいほど、現政権への影響力が強い。警護レベルの高さは、警視庁が重要人物と判断しているということにほかなりません。永田町に“安倍再々登板説”が流れている以上、警視庁も配慮しているのでしょう」持病の潰瘍性大腸炎が悪化して辞任した安倍氏だが、「新薬の免疫抑制剤が効き、かなり回復したそうです」(政治部記者)という。再び、政治家としての血が騒ぎはじめているのか――。「ゴルフに出かけられるほど体調を戻し、講演や会合にも積極的に出るようになった安倍さんを、菅総理も警戒しています。5月に緊急事態宣言が延長されることが決まったとき、安倍さんは、『俺ならもっと厳しめにやるのにな』と漏らしていました」(自民党幹部)安倍首相は、『月刊Hanada』7月号のインタビューで、“ポスト菅”に言及したことも波紋を呼んでいる。インタビューでは、《自民党は人材の宝庫ですから》と、茂木敏充外相(65)、加藤勝信官房長官(65)、下村博文政調会長(67)、岸田文雄元外相(63)の名前を挙げていたが、「安倍さんの底意地の悪さを感じます」と、前出・自民党幹部は苦笑する。「メディア各社の世論調査で、“次の総理”の1位に挙がる河野太郎行革担当相(58)の名前を挙げなかったんです。安倍氏が挙げた4人は、どの社の調査でも河野氏と順位に開きがある。永田町には、『安倍さんはまだやる気だ』と皮肉る人もいますよ」総選挙がある今年。永田町では“在職歴代最長首相”の存在感が再び増している――。
2021年06月29日「やっと、一歩、進んだ感じがします」どんよりとした雲のあいだから、ときおり陽光がのぞく日曜日の午後、本誌編集部を訪れた赤木雅子さんは、やや明るい声で言った。’18年3月7日、森友学園事件にまつわる公文書の改ざんを強制させられたことを苦に、財務省近畿財務局の職員だった赤木俊夫さん(享年54)が、自ら命を絶った。23年間連れ添った妻・雅子さんは、財務省による改ざん事件の真相を解明するため、昨年3月に国などを相手に提訴。俊夫さんが改ざんの経緯を記したとされる“赤木ファイル”の公開を求めていた。国は、これまでファイルの有無について解答を拒んできた。しかし一転、5月6日にファイルがあることを認め、次回6月23日の弁論で、裁判資料として提出するというのだ。「それまでずっと、存在について尋ねても『探索作業中』と言われていました。あることは間違いないのに、あるともないとも明言せずに、逃げてきたんです。今回、公開が決まったことについて、弁護士の先生も『珍しいことですよ』とおっしゃっていました。おそらく世論の後押しのおかげだろうと」しかし、この公開を「まだ手放しでは喜ぶことはできない」と雅子さん。国や自治体、公的機関などが資料を開示する場合、都合の悪い部分や人物名を“事件と無関係”“公人ではない”などとして黒く塗りつぶすことが多いためだ。いわゆる“黒塗り”である。■国は黒塗りで何を隠したいのか?今回も国は「メールに記載されたパスワードや、裁判に関連しない第三者の個人情報などが含まれている」ことを理由に、資料の一部をマスキングするという。元NHK記者で森友事件に詳しいジャーナリストの相澤冬樹さんはこう指摘する。「赤木ファイルの資料の中には印刷されたメールが含まれています。おそらく俊夫さんが受け取っていたメールには『誰々がここを消せと言っている』という内容が含まれているはずです。もしそこに『安部昭恵』『首相夫人』などというワードがあったら、実際は当事者なのに、国は『第三者』という理屈で消してしまおうと考えるでしょう。生前、財務省の決裁文書から昭恵夫人にかかわる部分を消したとされる俊夫さんですが、誰の指示もないのに消すはずはありません。もし資料に記載がないというのなら、意図的に抜いている可能性が高いのです」一方で雅子さんは「この裁判資料のマスキングを指示されることによって、また公務員の誰かが苦しめられるのでは」と憂慮する。夫の俊夫さんが自責の念に苛まれた改ざん作業の中には、マスキングの作業も含まれていたのだ――。「夫の手帳には’17年2月26日から始まった改ざん作業についての記録が残されています。その中の3月7日ごろに『PDF、マスキング』というメモが残っているんです。マスキングをする人がいれば、その人も“真実を隠す”行為に手を染めることになってしまう。夫はそれを苦に命を絶ったのです。その再発だけは防いでほしい。それだけはやめてほしい」“赤木ファイル”の公開は今月23日。裁判への関心がより高まることで、マスキングされる部分が少しでも減るようにとの思いから、雅子さんはこの取材を受けたのだ。「夫が残した資料は、改ざんがどのように行われたかの経緯です。そこに登場する名前は、裁判に関係しないなんてことはないでしょう。私が知りたいのは真実です。だれが何を指示したがために、夫が資料を改ざんすることになったのか、それを明らかにしたいのです」
2021年06月14日〈――愛する人が自ら命を絶っている姿を目の当たりにする。そんなことが想像できるだろうか?まさにそういう場面に直面した女性が夫の死の真相を求め、たった一人で巨大組織と闘いを始めた。夫が見守ってくれると信じて―。その名は赤木雅子さん(49)。財務省による公文書の不正な書き換え=改ざん事件を巡り、国などを相手に裁判を起こしたその人だ〉私の夫、トッちゃんは1年以上、心を病んで苦しんでいました。本名は赤木俊夫です。財務省の出先機関、近畿財務局に勤める国家公務員でした。明るく笑顔を絶やさない人だったのに、ある日を境に人柄ががらりと変わって暗く物思いに沈むようになりました。3年前のことです。「内閣が吹っ飛ぶようなことをやらされたんや」と口にしていました。でもまさか、それが公文書を後から書き換えることだったなんて……。これは改ざんという不正行為です。それがトッちゃんを苦しめていたんです。あの日、私が出勤するとき、いつもは部屋でぐったりしているトッちゃんが玄関まで見送りに来て言いました。「ありがとう」……「いってらっしゃい」ではなく「ありがとう」。あれは死ぬ決意の表れだったんだと今、思います。職場からトッちゃんに携帯でメッセージを送りました。「疲れるほど悩んでる?悩んだらだめよ」でも返事が来ません。不安になって急いで自宅に戻ったら……。トッちゃんは首にオーディオセットのコードを巻き付け、リビングの窓の手すりに結び付けていました。部屋に入るなりその姿を見つけた私は駆け寄って体を抱き上げました。するとコードが少しゆるんで、のどに空気が入り「ゴボゴボッ」と音がしたんです。一瞬「まだ生きてる!」と思いました。でもコードがきつく巻き付いていてなかなかはずれない。はさみを取ってくると意外にあっさりパチンと切れました。宙に浮いていた体がドサッと床に落ちました。トッちゃんの体はまだ温かかった。私は何とか助けたいと心臓マッサージをしながら話しかけました。「大丈夫よ、よう頑張ったなあ、つらかったなあ」……そして「やっと楽になれたなあ」と。冷たくなっていく体を抱きしめながら、不思議なほど冷静に考えていました。私の大切なトッちゃんはなぜこんなに苦しんだ末に亡くなったの?〈――雅子さんは今も、夫、トッちゃんが命を絶った部屋で暮らしている〉夜なかなか眠れないときは、ソファに座って夫のことを思い出すんです。すてきな思い出がいっぱいあります。毎朝ご飯を炊いて朝食を作り、お弁当を用意しました。22年間毎日手作り弁当。職場の周りの食堂には、あの人ほとんど行ったことないと思います。朝ごはんも、豆腐や揚げのお味噌汁に目玉焼きとか、本当にシンプルなもの。そんなものをすごく喜んで「まあちん(雅子さん)の作るものは何でもおいしい」って、恥ずかしげもなく言ってくれる人でした。私にとって誰よりも大切な人でした。〈――そんな大切な夫がなぜ死に追い込まれたの?なぜ改ざんをさせられたの?私は真実が知りたい。そんな思いが雅子さんの中で高まっていたとき、偶然の巡り合わせから筆者と出会い、信頼できる弁護士とも巡り合って、人生が大きく転換する。勇気を出して巨大組織との闘いを決意したのだ〉今年3月、私は国と佐川さん(佐川宣寿元財務省理財局長)を相手に裁判を起こしました。佐川さんをはじめ財務省や近畿財務局の人たちに法廷で真実を証言してもらいたいからです。同時に、トッちゃんが遺した手記を相澤さん(筆者)に託して公表し、世の皆さんに訴えかけました。財務省の人たちにとってはきっと不意打ちを受けたような驚きだったことでしょう。まさか女性一人で国に闘いを挑んでくるとは思ってもいなかったはずです。7月に始まった裁判で、私は法廷で意見を述べました。「私は真実が知りたいです。最期の夫の顔は絶望に満ちあふれ、泣いているように見えました」思わず涙で声が詰まりましたが、最後に裁判官の方々に訴えました。「ぜひとも夫が自ら命を絶った原因と経緯が明らかになるように訴訟を進めてください」改ざんで苦しんでいた夫を、あのとき、助けられなかったことを、私は今も悔やんでいます。せめて、できることがあるなら、どんなことでもしてあげたい。安倍さんを倒したいとか、そんな気持ちはまったくないんです。夫が亡くなった真実を知りたい、それだけなんです。「女性自身」2020年9月29日・10月6日合併号 掲載
2020年09月25日《世の中の為に神様私を存分にお遣い下さい…》8月31日、安倍昭恵夫人(58)はこんな文言のある記事をFacebookに投稿した。13年に発行された彼女の母校の会報に自らつづったもので、もともとは16年8月にアップされていた。それを今回、再掲したのだ。そこには「辛かった日々があるからこそ、人の温かさを感じ、人として厚みが増していくことになる」とあり、母校での生活のおかげで「すべてに感謝できる」とも。そして、前出の文言で寄稿は結ばれている。その3日前に彼女の夫である安倍晋三首相(65)が辞任を発表しており、彼女なりの総括やファーストレディを終えた今後への意気込みだったのかもしれない。12年12月、第二次安倍内閣が発足したことによってファーストレディへと返り咲いた昭恵夫人。しかし森友問題を筆頭に、その8年間は波乱に満ちたものだった。「森友問題が17年3月頃から取りざたされると、昭恵さんの“怪人脈”ぶりが明らかになっていきました。そこには『母なるスピリットを取り戻す』といった文言がサイトに並ぶスピリチュアル系団体も。そのため、安倍首相の母である洋子さんは『あなたの行動でどれほど首相が苦しんでいると思っていますか』と、昭恵さんに訥々と話し聞かせたそうです」(政府関係者)森友問題では赤木俊夫さん(享年54)が「改ざんを指示された」とする手記を残し亡くなっている。その改ざんは首相が17年2月に「私や妻が関与していたとすれば、総理大臣も国会議員も辞める」と国会で発言したために行われたものではと疑問視されており、昭恵夫人に証人喚問を要求する声が上がっていた。しかし、昭恵夫人はいまだ国会には立っていない。また17月3月には「首相夫人は公人ではなく私人である」との閣議決定もなされている。「昭恵さんは森友問題で責任を感じていないみたいで、『子供たちのためにやったのよ!』という始末。当時の彼女は“自粛生活”を余儀なくされてホテルで暮らしていた時期があるのですが、友達を呼んではお酒を飲んで鬱憤を晴らしていたそうです」(ある団体の関係者)そんな昭恵夫人だが、コロナ禍でその奔放ぶりがさらに加速したようだ。今年2月、Instagramに宮城県気仙沼市でランチを食べたうどん店の前での写真をアップ。「政府が不要不急の外出を控えるよう呼び掛けてるのに」と、首相夫人としての資質を問う声が上がった。「昭恵さんは2月末、山形県でのスキー旅行も計画していました。もともと自身が名誉会長を務める団体のイベントで、毎年恒例のもの。森友問題以降はお忍びで通っていたほど、思い入れのある会だったそうです。とはいえ、さすがの安倍首相も止めに入ったといい、昭恵さんは『“今回ばかりはやめてほしい”と夫に言われたのよ……』と寂しそうに話していたそうです」(政治部記者)そして3月、私的な“桜を見る会”をしていたのではとの疑惑が。4月には、大分県への旅行も行っていたと報道された。すると「首相夫人が外出自粛要請を無視している」との批判が殺到。昭恵夫人も落ち込んでいたようだが、どうやら様子が異なっていたというーー。「傷心の理由は批判が原因ではありません。昭恵さんが毎年楽しみにしている『ミャンマー祭り』が、新型コロナの影響で延期になってしまったからなんです。昭恵さんは『延期を決めるのが早すぎる』と愚痴っていました。また楽しみにしていた行事が次々と延期や中止を余儀なくされていることで、コロナ対策を指揮している首相への不満も募らせているそうです」(昭恵夫人の知人)首相夫人として、苦心も多かったであろう昭恵夫人。ファーストレディを降りることで、存分に“私人”として自由に過ごせるのかもしれない。
2020年09月05日《森友問題で虚偽答弁して官邸を守り、その言い訳に「価格と金額は違う」って言った人が財務省トップに出世だって。日本の行政は腐り果ててるね。》《論功行賞的な?》7月7日、読売新聞などが、財務省の事務方トップである財務次官に太田充主計局長(60)が内定したことを伝えると、ツイッター上は騒然となった。学校法人森友学園への国有地の不正な払い下げ疑惑が発覚した時、太田氏は国有財産を管轄する理財局の局長として、問題の火消しに奮闘。そのためには、強引な答弁や虚偽とみられかねない答弁を国会ですることをいとわなかった人物だ。森友学園との価格交渉を記録したテープの存在が発覚し、「価格について財務省から提示したこともない」という佐川宣寿元国税庁長官(62)の答弁が虚偽だという疑いが濃厚になったとき、太田氏は国会でこう言い放った。「金額についてはやりとりがございました。価格については、先ほど来申し上げている予定価格ということで御答弁を申し上げております」(2017年11月28日衆議院予算委員会)“金額”についてのやりとりはあったが、佐川氏が言っていたのは“価格”なので虚偽答弁にあたらないと強弁し、顰蹙を買った。財務省近畿財務局の職員で、2018年3月に公文書改ざんに手を染めさせられたことを苦に自ら命を絶った赤木俊夫さん(享年54)の手記でも、太田氏は虚偽答弁をしていると3回にわたって名指しで批判されている。『平成30年1月28日から始まった通常国会では、太田(現)理財局長が、前任の佐川理財局長の答弁を踏襲することに終始し、国民の誰もが納得できないような“詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられているのです。”』結局、嘘に嘘を重ねた答弁を維持できず、財務省は公文書の改ざんや事実と異なる国会答弁があったことを認めて陳謝することになるのだが、その矢面に立ったのも、太田氏だった。「事実と異なることを答弁をしておりました。誠に申し訳ありません」(2018年5月28日参議院予算委員会)2018年6月、一連の問題を受けて、「文書厳重注意」を受けた太田氏。だが、“森友問題の守護神”として汚れ役を買って、政権を擁護し続けた“功績”を安倍政権は忘れていなかったのかもしれない。黒川弘務前検事長(63)をはじめ、政治主導の名のもとに、政権に貢献した官僚を出世させているという批判を受けてきた安倍政権。ツイッター上では、太田氏の人事にも批判が殺到している。《『森友学園』で証拠を隠したり、嘘を付き通した人物を財務省のトップ官僚である財務次官に就任させる。安倍首相を守った功績で恣意的人事が許されるの?》《佐川宣寿 前国税庁長官同様、安倍政権の味方をした人(虚偽答弁含む)は出世するんだね》「徹底的にうみを出さない限り(財務省は)二度と立ち直れないというふうには思っております」と、過去に国会で語っていた太田氏。その言葉を思い出して、公正な職務に励んでほしい。
2020年07月07日「新聞に載っていたのは間違いなく俊夫の字でした。でも覚悟を決めたときだったのか走り書きで、ようわからんような文字になっていて……」そう語るのは、財務省近畿財務局職員・赤木俊夫さん(享年54)の実父(85)。’18年3月7日に兵庫県神戸市の自宅マンションで赤木さんが自ら命を絶ってから2年がたつ。実父が続ける。「俊夫の三回忌法要は3月上旬にこちら(※実父が住む岡山県)でやりました。私と俊夫の嫁、そして俊夫の弟の3人だけで……。それから2週間ほどたって、嫁から電話があって、『国を訴えようと思っています』と、決意を聞かされたときは驚きましたよ」赤木俊夫さんの妻が、国と当時の財務省理財局長だった佐川宣寿氏に損害賠償を求める訴えを起こしたのは今年3月18日。訴状によれば、国有地売買の担当部署に所属していた赤木さんは’17年2月に上司に呼び出され、大阪府豊中市の国有地を森友学園に売却した取引の経緯を記した公文書から、学園側を優遇した記載を削除するなどの改ざんを指示されたという。赤木さんは抵抗したものの、その後も数回にわたって改ざんを強要されたのだ。「俊夫は成績優秀でしたが、わが家の経済事情で大学に行かせてあげられませんでした。学歴をつけてやれなかったから、上役の命令に従わざるをえない立場にいたのです。父親としても無念です……」(実父)弁護団は提訴に合わせて、赤木さんの遺言や手記を報道陣に公開した。手書きの遺言には震えるような字がつづられている。《森友問題佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNO、を誰れもいわない(中略)最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる恐い》同様に手記でも《(文書の修正などは)すべて、佐川理財局長の指示です》と、告発している。それらの文言からは、不正行為を強要され、公務員としてのプライドを砕かれてしまった無念がヒシヒシと伝わってくる。赤木さんは亡くなる1カ月ほど前に、故郷・岡山県を訪ねていたという。実父が続ける。「(’18年)2月の半ばに実家に帰ってきました。そのときは顔色もそんなに悪いとは思わず、ふつうに親子で話すことができましたが、腹の中では、もう覚悟を決めていたのかもしれません。最後に父親の顔を見にきたんだな……、振り返ってみると、そうとしか思えません。いまも俊夫の月命日の7日には墓参りに行っています。あの子の母親も、もう亡くなってお墓に入っていますからね。いつも墓にこう語りかけているんです。『母親と仲ようせいよ、いずれ俺もそっちにいくからな』って」赤木さんの妻が遺言や手記を公開したことにより、森友問題の再調査を求める声も高まっている。だが安倍首相は「行政府の長として大きな責任を痛感している」と語りながらも、再調査はしない考えを示した。また同様に麻生太郎財務相も「再調査は、いま考えていない」と、述べている。こうした政権トップたちの言葉に対して、妻は直筆コメントを公開した。《安倍首相は2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。麻生大臣は墓参に来てほしいと伝えたのに国会で私の言葉をねじ曲げました。この2人は調査される側で、再調査しないと発言できる立場ではないと思います。》また実父も、本誌のインタビューの最後にこう語った。「世間の皆さんにもわかっていただきたいのは、息子は昔から馬鹿正直な人間だったこと、そして最後まで正義を貫きたいと思っていたことです。正義を貫こうとした揚げ句に最後はあんなふうになってしまったということを皆さんに、特に佐川さんや麻生さんには忘れないでほしい。息子の苦悩を無視しないでほしい。それが私の願いです」「女性自身」2020年4月7日号 掲載
2020年03月26日「入院はしていましたが、頭はしっかりしていて、亡くなる前日まで家族と会話をしていました」涙声で語るのは、赤木春恵さん(享年94)の孫で俳優の野杁俊希さん(29)。『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)の姑役で親しまれた赤木さんが東京都府中市の病院で逝去したのは11月29日のこと。1カ月ほど前から徐々に体力が低下し、最期は眠るように旅立ったという。生前の赤木さんが“私の宝物”と呼んでいた俊希さんは言う。「祖母は最近、こんな言葉をかけてくれていました。『あせらないで、お芝居も人生も、あせってもいいことはないから。そして、何があってもくじけないでね』。亡くなる直前まで何回も言ってくれたのですが、祖母と同じように役者の道を歩んでいる僕へ、先輩として遺してくれた言葉なのだと思います」赤木さんの長女・野杁泉さんによれば、10月31日に赤木さんが「いま、みっちゃんが“あやちゃん”って来たの」と語ったという。赤木さんの本名は小田章子、そしてソウルメイトとも呼んでいた森光子さん(享年92)は村上美津。2人は本名で呼び合っていた。「母は『みっちゃんと潮を噴き上げる魚の話をしたの』と、言っていました。森光子さんとはハワイでホエールウォッチングをしたこともあるそうで、夢の中のことだと思いますが、その思い出話を2人でしたというのです」(泉さん)赤木さんが森さんと出会ったのは’40年、慰問団(※戦地の兵士たちを慰問するための演芸派遣団)のトラックの上だったという。赤木さんは本誌に2人の友情についても語っていた。《森さんとは、目を見ただけでお互いの心と心が通い合う。私にとって森さんは、この世に二人といない“心の友”です》(本誌’11年10月11日号)夢での語らいは、旅立ちが近づいてきた赤木さんのために、天国からソウルメイトの森さんが訪れたということなのかもしれない。赤木さんの葬儀・告別式は12月4日に営まれた。葬儀委員長を務めたプロデューサーの石井ふく子さん(92)は言う。「生前、赤木さんからは“私の葬儀は取り仕切ってね”と言われていたのです。赤木さんの“夢”ではハワイのお話も出たそうですが、赤木さんも森さんもハワイがお好きで。私も、よくお2人を現地でお見かけしました。共演舞台の休憩時間にはお2人でずっと話し込んでいましたし、舞台終了後にはいつも手をつないで、食事に出かけていましたね。12年に森さんが逝去された後は、赤木さんはベッドサイドに、2人で撮った写真を飾っていました」天国で赤木さんは、迎えに来てくれた森さんと、思い出話に花を咲かせていることだろう。
2018年12月06日赤木春恵さんが11月29日、心不全のために亡くなった。94歳だった。赤木さんといえば、90年から続くドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)シリーズの姑・キミ役が有名。泉ピン子(71)演じる嫁・五月を振り回す役柄で、その強烈なキャラクターをお茶の間に届けた。いっぽう本来の赤木さんは、キミとは真逆のおっとりとした優しい性格。そのため当初キミを演じることに抵抗があったと、01年9月本誌に明かしていた。「あまりに自分の性格とキミが違いすぎるんですよ。イヤだな、こんなセリフは言いたくないな、みたいな連続でした。最近はようやく割り切って“これはお仕事だから”と思うようにしていますが、でも絶えず自分のなかでは葛藤があります」あるとき、キミの孫娘が「大学へ行きたい」というシーンがあった。「女の子は嫁に行くんだから大学になんか行く必要はない」と赤木さんは返すはずだったが、そのセリフだけどうしても覚えることができなかったという。カンペを使うことで、なんとか演じきることができたようだが――。「こんなことは長い女優生活で初めてのことだったので、心配になってお医者さんに診てもらったんです。そしたら、ボケたんじゃなくて“拒絶反応”みたいなものが出たんだろうって。自分でもわからない心の底のところで、どうしても言いたくないと思っているセリフだったらしいんです(笑)」絶えずキミを演じることに葛藤していたという赤木さん。「渡る世間」シリーズを卒業したのち、11年10月本誌にこう語っていた。「これからは、寡黙で優しいお母さん、おばあちゃんの役ができたらいいなと思います。亡くなるときに『赤木春恵という人は、いい人だった』と思われて死にたいですからね(笑)」赤木さんの大らかな優しさに、「渡る世間」シリーズの脚本家・橋田壽賀子(93)も感謝しているようだ。各スポーツ紙によると橋田は、赤木さんの訃報を受け「赤木さんの優しい人柄に接したおかげで、彼女の役を深く掘り下げて書くことができました」とコメント。続けて「優しさと厳しさと同時に表現できるけうな女優さんです。もうこんな女優さんは出てこないと思います」(原文ママ)と、その死を惜しんだという。赤木さんの優しさは、これからもみんなの胸に刻まれ続けることだろう――。
2018年11月29日テクノポップバンド・プラスチックスの中西俊夫さんが25日、亡くなった。61歳。同日、中西さんの公式Facebookページで発表された。プラスチックスは1976年、イラストレーターの中西さん、スタイリストの佐藤チカ、グラフィックデザイナーの立花ハジメを中心として結成。幾度かのメンバー交代を経て、1979年のデビュー時には3人に加え、後にプロデューサーとして名をはせた故・佐久間正英さんと作詞家の島武実が集まった。結成40周年を迎えた昨年には再結成し、アーカイブ本の発刊やオリジナルアルバムのリマスター盤発売、そしてブルーノート東京でのライブも行っていた。しかし昨年、食道がんであることが判明し、入院療養中だったが、25日午後12時6分に死去。通夜は近親者で3月5日、告別式は翌6日に東京・桐ヶ谷斎場で行われる。ファンのためには、あらためてお別れの会を行うことが予定されている。なお、今月28日に東京・渋谷のHot Butterred Clubでのイベントは予定通り開催。制作を進めていたシングル「Children of The Radiation」の送付は延期の上、3月中を予定している。
2017年02月26日エディターであり古書店&ギャラリーを営みながら、1歳半の男の子を育てている赤木真弓さん。 <前編>赤木さんの「やさしさのヒミツ」 に続いて<後編>では、息子の温くんのために愛をこめて選んだという、こだわりの「子育てアイテム」をご紹介します。赤木真弓さん / 息子さん:温(おん)くん(1歳半)ライター、編集者。横浜のショップ「greenpoint books & things」店主。旅好きユニット「auk(オーク)」としても、雑誌の記事や本作りを行っている。著書に『ラトビア、リトアニア、エストニアに伝わる温かな手仕事』(誠文堂新光社)、共著に『ブルックリン・ネイバーフッド』、『オランダ・ショート・トリップ』(ともにスペースシャワーネットワーク)ほか。 やさしいママのモノ選び:手づくりや、素朴で安心素材のおもちゃを選ぶ赤木さん夫婦のお部屋にいると、なぜかついついリラックスしてしまいます。足場板を使ったフローリング、ヴィンテージの家具、蚤の市で見つけた置物など、ひとつひとつに二人の“好き”が感じられるからでしょうか。「新品より、味のあるものが好きなんです。アーティストの友人が作った手作りのモノや絵画など、ここにあるのは趣味で選んだものばかり。子どもができてからは、おもちゃも増えましたが、やっぱり手作りのものを与えて、その感覚を伝えたいと思うんです」赤木さんが子どものために作ったというお手玉は、あずきを布で包んだオリジナルのもの。手にした時の感触も、心地よいおもちゃです。「木の積み木は友人からの贈り物。minä perhonenのデザインで、色使いが気に入っています。積み木は子どもの脳の刺激にもよいと言われていますが、ナチュラルな素材ややさしい色彩の感触は、子どもの五感にもよい刺激になるのではと思います。いつか、子どもがもう少し大きくなったら、一緒に美術館にいって、いい刺激をたくさん吸収して欲しいんです」 やさしいママのモノ選び:「せいろとホーローバット」でつくるシンプルなおやつとごはん温くんのご飯は、野菜中心のヘルシーごはん。「せいろを使って、ごはんも野菜も全部蒸して作ります。おかゆもすべて一緒に作れるので、せいろは重宝しています。蒸した野菜は軽く塩をふってオリーブオイルをかけるだけ」 野菜好きの温くんは、お皿一杯の野菜も、ぱくぱく平らげてしまいます。お菓子も、できる限り手作りにしたいと心がけているそう。「最近、よく作るのはホーローバットを使った簡単デザート。バターを使わずに作るホーローバットのショートブレッドなどは、子どもも大好きです。味付けはきび糖と塩だけのシンプルなものですが、全粒粉を使っているので噛みごたえもあります。他にプリン、アイスなど、ホーローバットで簡単に作れるんです」赤木さんが食べ物にこだわるには理由があります。「子どもの健康を考えたら、やっぱりカラダにやさしい食べ物を手作りするのが一番。味覚は子どものうちに育つといいます。工夫次第で簡単に作れますから、仕事しながらでも手作りご飯にはこだわっています」 やさしいママのモノ選び:使うほど好きになる、自然派の「ヤシノミ洗剤」シリーズお子さんの五感を大切にしたり、肌にやさしい自然素材を選んだりと、「やさしさ」にこだわってモノ選びをしている赤木さんに、“人と地球にやさしい” 「ヤシノミ洗剤」シリーズ3点を体験してもらいました。「今まで、自然派洗剤ってあまりきれいに落ちないんじゃないかと心配していましたが、ヤシノミ洗剤は泡立ちがよく、食器もきれいに洗浄できますね。片手でワンプッシュで使えるのも、使いやすいです。キッチンに置いても絵になるボトルデザイン。コレだったら継続して使いたいなと思いますね」子どもたちの集う本屋さんを夢見て「子どもと一緒に過ごすことで、仕事の価値観も変わってきました」という赤木さん。これまでは自分の好みで、本も、雑貨も選んできたけれど、子どもができてからは、「子どもに喜んでもらえるもの」というものの見方をするようになったそう。「子どもがもう少し大きくなったら、私のお店、greenpoint books & thingsも変わっていくと思います。近所の人たちが集う商店街にある本屋ですから、いつか子どもたちが学校帰りに『ただいま』『遊びに来たよ』と立ち寄ってお店にくるようになったら、嬉しいですね。子どものうちにいろんな本を見て、刺激を受けて、視野を広げてくれるようになって欲しいと願っています」取材/文:東ミチヨ 撮影:林ひろし[PR]サラヤ株式会社 【やさしいママのひみつ 一覧】
2016年08月30日「やさしいママのヒミツ」第一回目は、エディターであり古書店&ギャラリーを営みながら、1歳半の男の子を育てている赤木真弓さんです。赤木真弓さん / 息子さん:温(おん)くん(1歳半)ライター、編集者。横浜のショップ「greenpoint books & things」店主。旅好きユニット「auk(オーク)」としても、雑誌の記事や本作りを行っている。著書に『ラトビア、リトアニア、エストニアに伝わる温かな手仕事』(誠文堂新光社)、共著に『ブルックリン・ネイバーフッド』、『オランダ・ショート・トリップ』(ともにスペースシャワーネットワーク)ほか。 悩みながらもたどり着いた自分らしい子育て、愛を込めて選んだわが子のための厳選アイテムとは? <前編>では、赤木さんの「やさしさのヒミツ」に迫ります。■「絵本」がつなぐ、ママと子どもの大切な時間ひだまりで、ほっこり。子どもと一緒に絵本を読みながら過ごす赤木さん。使い古されたテーブルや、木の温もりがやさしい家具、雑貨など、まるで外国のカフェみたいな和み空間は、書店オーナーの赤木さんならでは。「子どもの頃から本が好きでした。いつか自分の店を持ちたいと思っていましたが、ご縁があり、今は横浜の商店街でギャラリーを併設した書店を営んでいます」昔ながらのお店が今も立ち並ぶ商店街、山元町商店街で、国内外の古書と雑貨を扱うお店「greenpoint books & things」を経営する赤木さん。パリの古本屋さんみたいなお店の感性は、お家のインテリアやキッチンにも生かされています。■おやすみ前の「絵本遊び」で、仕事の疲れも癒される「子どもが生まれる前から、絵本が好きだったんです。絵本ならではの独特の色彩感覚や、シンプルな物語は、眺めているだけでも楽しいですよね。でも子どもが生まれてからは、『どんな本だったら喜んでくれるかな?』と選ぶ基準が変わりました。息子は、気に入った本があると、自分から『ママ、読んで』と言わんばかりにカゴから絵本を持ってきてリクエストするんです。まだ文字は読めない年齢ですが、そのときどきに好きな本があるみたいで」うちの猫、どれ? の問いに大はしゃぎしながら、絵本の猫を指さす1歳半の温(おん)くん。猫の絵本はお気に入りのひとつです。「お風呂上がりの、お休み前のちょっとした時間が絵本タイムなんですが、それは息子とコミュニケーションを楽しむ大切な時間。仕事の疲れも癒されます」そんな温くんとの大切な時間に寄り添うのが、やさしい肌触りのベビー服やタオル。「子どもの洋服やタオルに限らず、家族のお洗濯にはできるだけ肌にやさしい洗剤を使いたいと思っていたんです。だから、植物性で余計なものが入っていないヤシノミの洗濯用洗剤と柔軟剤は、発売された時から気になっていました。洗濯用洗剤は、一般的な洗剤となんら遜色ない洗浄力で不満はありませんし、特に気にいったのは柔軟剤です」「ヤシノミ柔軟剤でふっくら仕上げたベビー服やタオルは、無香料でナチュラルな感触が心地よく感じられます。うちには息子のほかに猫もいますので、香料のない柔軟剤をずっと探していたんです。今までの柔軟剤は、香りが強いものばかりで、子どもの洗濯には使えませんでしたから。これは余計な添加物が入っていないので、子どもの肌に触れても安心ですね。子どもにも動物にもやさしい点が、気に入っています」 ■自分の時間を作ると、子どもにやさしくなれる仕事をしながら子育てする赤木さんにとって、温くんと一緒に過ごす時間は、大切な時間。朝8時半に保育園に送り出したあと、9時から4時まで家事、仕事をこなし、夜の5時から8時半までは子どもの時間。一緒にご飯をたべたり、お風呂に入ったり、遊んだり。「以前は子育てに一生懸命になって、子どもとずっと一緒に過ごしていましたが、保育園に預けるようになってから、私自身、変わりました。いくらかわいい子どもとはいえ、ずっと一緒にいると、イライラしたり、疲れたりってありますよね。でも少し離れることで、愛おしい存在に思えて、少々のわがままも受け入れてあげようという心の余裕が生まれました。だっこしたり、愛情を注げるのも今のうちですしね」自分の時間をつくることで、子どもにもやさしくなれる。それが赤木さん流のやさしいママの秘密。「仕事をしたり、映画を見たり、友人とお茶したり。そういう何気ない自分の時間が、心の余裕となって、子育ても変わるということに気づきました」 ■「本」から学ぶ、 “都合のいい” 子育てそんな心の余裕を学んだのも、本から。「いくつもの育児本を読みましたが、本が言ってることはそれぞれ。だから自分にとって都合の良さそうなものだけを選んで、参考にしました」赤木さんが最近よく読んでいる本は、次の4冊。『子どもはみんな問題児』(新潮社)ぐりとぐらの作者、中川李枝子さんの書いた本。「そうか、子どもってみんなこうなんだ!」とおおらかな気持ちになれる本です。『毎日続くお母さん仕事』(後藤由紀子著/SBクリエイティブ)「静岡県・沼津市で雑貨店『hal』を営む、後藤さん流の家事や子育て術。まだ仕事と子育ての両立が上手くいかない私にとって、無理せず、頑張りすぎないという姿勢がとても参考になります。小学6年生まで抱っこして、愛情を注いでいたというエピソードは、私も真似したいと思います」ほかにも『チョッちゃんはもうじき100歳』(黒柳朝、黒柳徹子 著 / 主婦と生活社)、『子どもと一緒にスローに暮らすおかあさんの本』(藤田ゆみ 著 / アノニマスタジオ)などもおススメだそう。子育てに決まりはなく十人十色、自分らしいやり方を試行錯誤しながら楽しむ心の余裕があれば、働くママもいきいき暮らせそうですね。<後編>では、赤木さんが温くんのために愛をこめて選んだ「子育てアイテム」をご紹介します。 ※今回ご紹介した書籍・ 『ねこ ねこ こねこ』 ・ 『こねこのぴっち』 ・ 『ねこが いっぱい』 ・ 『子どもはみんな問題児』 ・ 『毎日続くお母さん仕事』 ・ 『チョッちゃんはもうじき100歳』 ・ 『子どもと一緒にスローに暮らすおかあさんの本』 取材/文:東ミチヨ 撮影:林ひろし[PR]サラヤ株式会社 【やさしいママのひみつ 一覧】
2016年08月29日