「Sexy Zone」の中島健人と小芝風花が初共演&W主演する「彼女はキレイだった」の4話が7月27日放送。親知らずが腫れたうえプロレス技までかけられてしまう里中に「可愛すぎ」などの声が続々。また中島さん演じる宗介の笑顔にも多くの反応が集まっている。パク・ソジュン主演で話題となった韓国の大ヒットドラマ「彼女はキレイだった」をリメイクした本作。キャストには世界的ファッション誌「ザ・モスト」日本版の副編集長兼クリエイティブディレクターとなって愛の前に現れる長谷部宗介に中島さん。幼少期は優等生美少女だったが今では自分に自信をなくしてしまい、親友の家に居候させてもらいながら「ザ・モスト」編集部で働くことになる佐藤愛に小芝さん。愛に惹かれる「ザ・モスト」編集部員の樋口拓也に赤楚衛二。愛になりすまして宗介と親しくなっていく桐山梨沙には佐久間由衣。編集部の心優しい弟分的存在の里中純一には高橋優斗(HiHi Jets/ジャニーズJr.)。編集部員の須田絵里花には宇垣美里。宮城文太に本多力。岡島唯子には片瀬那奈。編集長・池沢蘭子にLiLiCoといった顔ぶれも共演する。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。雨の中で起きたバイク事故を目撃して、母が亡くなった時の状況がフラッシュバック。動けなくなってしまった宗介を愛は介抱する。宗介はかつて幼い愛が同じように寄り添ってくれたことを思い出し、思わず彼女をみつめ「愛」とつぶやく…。一方、好きな人をあきらめたいという梨沙の頼みで婚約者のフリをすることになった樋口は、待ち合わせ場所で梨沙の隣に宗介がいるのを見かけ、梨沙が愛に成りすましていたことを理解する。そんななか里中の親知らずが腫れ、会社を休むことに。彼に代わって愛が宗介と一泊二日でロケハンに行くことになる…というのが今回のストーリー。顔が腫れ何をしゃべっているかわからない状態の里中に「顔が真四角になってる里中くん愛した」「親知らずで顔が…笑笑里中くんつぼります」「親知らずシーンめちゃ面白かった」などの声が続々。その後歯を治療して出社した里中だが、宗介と愛が2人でロケハンに行ってることにイライラを募らせていた赤楚にプロレス技をかけられてしまう。その様子に「里中くん親知らず治ってルンルンで出勤したのにかわいそすぎワロタ」「親知らず抜いた里中くんもどつかれまくる里中くんもさすがに可愛すぎた」といった声も。そんな里中に代わりロケハン旅行に出た愛だが、旅先で幼い頃と同じように笑う宗介を見て、彼が昔と変わらない自分の大好きだった頃のままだと気づく…大人になった愛の前で初めて心からの笑顔を見せる宗介にも「宗介の優しい笑顔も思いっきり笑う顔も最高すぎる」「ツンデレ宗介の優しい笑顔で切なくなっちゃうな…」「愛ちゃんに徐々に心許し始めた時の少年みたいな笑顔凄い好き」などの反応が次々と投稿されている。(笠緒)
2021年07月28日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、みんなで回し読みした漫画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「幼いころからアニメや漫画が大好き。アニメは主題歌の歌詞を、ノートに書き写したりして歌っていました。漫画雑誌は、付録も魅力でよく買ってもらっていたんですよね。紙を切り抜いて組み立てるカセットテープケースや、全員がもらえるキャラクターが描かれたポシェットに応募したりしました。4〜5年前、『弥生美術館』(東京都文京区)に寄贈したほど、当時の付録は大事に持っていました」こう幼少期を振り返るのは、落語家の林家きく姫さん(51)。漫画好きがさらに高じたのは、’79年、9歳のときに母親を亡くしたことが関係しているという。「膵臓がんでした。見つかったときはかなり進行していたようで、診断時に『あと半年くらいの命』と宣言されたそうです。悪化のスピードが本当に速くて、病院にお見舞いに行くたびに、ふくよかだった母は痩せていき、ついにはものが食べられなくなって、管につながれるように。“本当のことを言うとショックを受ける”と父や親戚が配慮したため、私は当時、病状を聞かされていなかったのですが、知っていれば、もっと母のそばにいることもできたって思うと……」母の死後、夜に父親が帰宅するまでの時間を、近所のいとこの家で過ごすようになった。「10歳以上も年上のいとこは漫画好きで、本棚にはたくさんの単行本がありました。それを学校から帰って夜まで、ずっと読むんですね。パラフィン紙に包まれてきれいに保存されていたから、汚さないように、指先に気をつけながら丁寧に読んでいました。母がいない寂しさを忘れるため、孤独を癒してもらうために、漫画を読んでいた部分はあります」夢中になった作品は、数知れない。「美内すずえ先生のホラー作品『妖鬼妃伝』(’81年)は、終電後に走る謎の地下鉄に乗ってたどり着いた異世界にまつわる話。現実に地下鉄に乗ったとき、路線の奥に続く暗闇を見て、“どこかに迷い込んでしまうんじゃないか”と怖くなったりしました。庄司陽子先生、里中満智子先生、池田理代子先生の作品もよく読みました。漫画家の先生のことを、小学生当時から“先生”と呼んで尊敬していました」同時期の漫画の中では、いとこの本棚にあった『パタリロ!』も忘れられない作品だったという。架空の島国であるマリネラの国王・パタリロが繰り広げるギャグ漫画だがーー。「ときにイギリスの敏腕諜報部員のバンコランとともに悪者と戦うスパイアクションも、見応えがありました。とにかく“パタリロ”という名前がユニークでインパクトがあるし、見た目のかわいさ、柔らかさも好き。ギャグのシーンと、シリアスなシーンではパタリロの顔がガラリと変わる。そのギャップも面白さのひとつでした」作中に織り込まれたギャグ「クックロビン音頭」は、アニメ化された際にレコードになっている。「片足立ちで、もう片方の足と両手をピンと一直線に伸ばし、体を前方に倒してTの字を作るため、かなりの体幹がないとできない踊りでしたけど、よく学校ではマネをしていました」
2021年06月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、みんなで回し読みした漫画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「幼いころからアニメや漫画が大好き。アニメは主題歌の歌詞を、ノートに書き写したりして歌っていました。漫画雑誌は、付録も魅力でよく買ってもらっていたんですよね。紙を切り抜いて組み立てるカセットテープケースや、全員がもらえるキャラクターが描かれたポシェットに応募したりしました。4〜5年前、『弥生美術館』(東京都文京区)に寄贈したほど、当時の付録は大事に持っていました」こう幼少期を振り返るのは、落語家の林家きく姫さん(51)。夢中になった作品は、数知れない。「美内すずえ先生のホラー作品『妖鬼妃伝』(’81年)は、終電後に走る謎の地下鉄に乗ってたどり着いた異世界にまつわる話。現実に地下鉄に乗ったとき、路線の奥に続く暗闇を見て、“どこかに迷い込んでしまうんじゃないか”と怖くなったりしました。庄司陽子先生、里中満智子先生、池田理代子先生の作品もよく読みました。漫画家の先生のことを、小学生当時から“先生”と呼んで尊敬していました」同時期の漫画の中では、『パタリロ!』も忘れられない作品だったという。架空の島国であるマリネラの国王・パタリロが繰り広げるギャグ漫画だがーー。「ときにイギリスの敏腕諜報部員のバンコランとともに悪者と戦うスパイアクションも、見応えがありました。とにかく“パタリロ”という名前がユニークでインパクトがあるし、見た目のかわいさ、柔らかさも好き。ギャグのシーンと、シリアスなシーンではパタリロの顔がガラリと変わる。そのギャップも面白さのひとつでした」漫画、アニメにのめり込んだきく姫さんだが、中学卒業後、それらを楽しむ心の余裕がなくなってしまったという。「ミュージシャンの友人もいた(9歳の時に亡くなった)母の影響もあって、ジャズのアルトサックスプレーヤーになりたいって思って音楽高校に進学したんです。でも、私は基礎ができていなかったし、周囲の競争意識の高さにもついていけず、1年で中退してしまいました」何もやることがない日々を送って精神的にも暗い気持ちになっていたとき、父親が勧めてくれたのが落語の世界。「それまでは落語をちゃんと聴いたことがなかったし、何も知らなかった私ですが、でも『笑点』(’66年〜・日本テレビ系)は大好きで、毎週見ていたんです。とくに師匠(林家木久扇、当時は林家木久蔵)のことは親子そろって好きだったので、父から『木久蔵さんのところに行きなさい』と」突拍子もない言葉に、普通なら聞き流してしまいそうなものだが、木久扇師匠に、大好きなパタリロのような親近感を感じたのかもしれない。「少しジャズを勉強していたことで、師匠の歌う『いやんばか〜ん』(’78年)が、セントルイス・ブルースというジャズのスタンダードが原曲だったことがわかり、“すごい”って思って。師匠はギャグもダジャレも面白いし、カッコつけないところも素敵だけど、決めるときは決める。しかも黄色ーー。あ、パタリロみたいですね(笑)」16歳のとき、オーディション雑誌の編集部に電話をして木久扇師匠の住所を教えてもらい、アポなし訪問をした。「たまたま事務所のスタッフさんは出払っていたのですが、ドアの向こうから『いませんよ〜』と、笑点でいつも聞くあの声がして……。直接『弟子入りさせてください!』ってお願いしたんです」まだ女性落語家の少なかった時代であったが、木久扇師匠は受け入れてくれたのだ。「落語は、お客さんと噺家がともに空気を作り上げて楽しむもの。話の世界を想像してもらえるように、強弱をつけたり、見せ場を作ったりするのですが、幼いころから漫画の場面展開、カット割りなどに親しんできたことは、落語にすごく生きていると思います。なによりパタリロには、人生は真面目に過ごすばかりでなく、ときには笑い飛ばすくらいの余裕も必要なんだって教えられました」
2021年06月07日ここは、みなさんの頭の中にあるタロット美術館。重厚な扉を開け、長い回廊を進むと…、数々のタロットが時空を超えて目の前に現れます。占星術・タロットの日本における第一人者である鏡リュウジ先生と元美大生でご自身でもタロットカードリーディングをされる女優の鈴木砂羽さん。おふたりが、さまざまなタロットカードを挟んで、10回にわたりその絵柄の中に眠る物語を紐解いていきます!-------------------------◎出演者紹介■鈴木砂羽女優として数多くの作品に出演。その傍ら「さわにゃんこ」名義でタロットリーディングを楽しむ日々。■鏡リュウジ幅広いメディアで活躍し、絶大な人気を誇る心理占星術研究の第一人者。タロットカードの監修や関連書籍の翻訳・執筆も数多く手掛ける。-------------------------【第10回】少女マンガの絵柄×タロットついに今回が最終回。前回は、水木しげる先生の妖怪をモチーフにしたタロットを挟んで盛り上がった鏡先生と砂羽さん。今回、おふたりの手元にあるのは、これまた日本の漫画家、魔夜峰央先生の作品『魔夜峰央タロット』。■『パタリロ!』の作者もタロットを!砂羽さん:魔夜峰央先生は、水木しげる先生をものすごく尊敬していて、妖怪の漫画も描いているし、描き方も極細の線で描く画風なんですよね。このタロットは、魔夜先生の全盛期の頃に作られているんだと思います。鏡先生:線の細さは、本当にすごいですよね。このタロットのものではないんですけど、魔夜先生の原画を見て、すごく細やかでびっくりしたことがあります。このタロットは原画がないんですよね。魔夜先生ご自身も、原画をお持ちじゃないんですって。砂羽さん:当時は、今のようにパソコンで管理できたわけじゃないから、紛失してしまうこともあったでしょうね。漫画家の先生も全部手作業で描いていらっしゃったのに…。鏡先生:このタロット、復刻版を作るときに、原画がないのですごく大変だったみたいですよ。金のような色がうまく出せなかったりして…。砂羽さん:今の技術だと、限りなく元の絵に近く復刻できるけれど、それでも大変なくらい細かい絵なんでしょうね。でも、魔夜先生の絵は、やっぱりいいな。すごく好きな画風です。▼『魔夜峰央タロット』太陽 のカード▼『魔夜峰央タロット』恋人 のカード確かに、1枚1枚から、深くて切ない物語が浮かび上がってきそうな絵柄です。■思い出に花が咲く!80年代占いブーム『魔夜峰央タロット』の発刊は1980年。鏡先生と砂羽さんのお話は、当時へとタイムスリップ!砂羽さん:里中満智子先生も星占いがモチーフのゲームを描いていらっしゃいましたね。鏡先生:そうでしたね!『里中満智子の星占いゲーム』ですね。砂羽さん、よくご存じですね!砂羽さん:すごく欲しかったんです。でも、当時はまだ幼なすぎて、「砂羽はまだわからないでしょ」っていうことで買ってもらえなかったんですよ。鏡先生:そうだったんですね。砂羽さん:やっぱり、タロットも占い全般も、1980年代になって、商業的なカルチャーと結びついてから、ものすごく娯楽性が高まったんでしょうね。鏡先生:そうですね。80年代は、まだちょっと「怖いもの」っていうイメージが若干ありつつも、楽しくなってきた時期ですね。いろんなアニメとかドラマとかにも、タロットが出てきたりしましたし。砂羽さん:『ハーピット』っていう、手のひらサイズの電子ゲームも出てきましたね。鏡先生:あ!知ってます!ポケコン(※)の原型ですね。あと、腕時計型の星占いとかもありましたよ。砂羽さん:そうです、そうです!懐かしいー。鏡先生:渋谷のセンター街にも、『星占いの館シグマ』っていうコンピュータ占いのお店があったんです。砂羽さん:へぇ!面白い!鏡先生:それが、最初のコンピュータ星占いだったと思います。ホロスコープを、きっちり作ってくれるんです。高校時代に行きました。※ポケコン:「ゲームポケコン」をはじめとする携帯型電子ゲーム機。この連載の第5回()で、鏡先生が、「1980年に、パルコでタロット展が開かれたりして、そこから消費文化と強く結びついていった」と言っていたように、80年代はタロットや星占いが、“みんなのもの”として広がっていった時代なんですね。■いつの時代も産業や文化の波に乗るタロットそう言えば、もともと貴族のための高級品だったタロットが、カードゲームとして一般的に広がったきっかけとは何だったのでしょう? 実は、当時の産業や文化の変遷と切っても切れない関係があったのです。もう一度時代をさかのぼって、鏡先生のお話しを聞いてみましょう。第2回()でご紹介した「ヴィスコンティ・スフォルツァ」のタロットは、当時(15世紀末)は、1枚1枚、職人の手で描かれていたということでしたが…。鏡先生:ただ、この時代に木版画などの技術が生まれ、印刷されて大量生産されるという流れになるんですよ。それから、17世紀か18世紀になると、ルネサンスの影響でフランスに文化の中心地が移動して、フランスがタロットの一大生産地になったんですね。砂羽さん:うんうん。鏡先生:当時、タロットの多くは港町で作られていました。砂羽さん:なるほど、印刷は水を使いますからね。鏡先生:はい。あとは流通も、港町が産地になった理由に関係しています。当時の輸送手段といえば船ですから、港町には各地を移動するのが生業の船乗りなど、国内外から多くの人が集まりました。船乗りが暇なときに安価なカードで遊び始めたことが、タロットがカードゲームとして各地に広がっていくきっかけとなったんです。砂羽さん:なるほど! 確かに、船乗りは、カード遊びに興じていそうです!鏡先生:それから、タロットじゃないですけど、日本でも同じようなことがあったんですよ。江戸時代、ポルトガルから来た船乗りたちが持ち込んだ遊びが、カルタです。砂羽さん:へえー! なるほど。カルタの語源は、ポルトガル語のcartaということなんですね。****ポルトガル語のcartaは、「四角い紙」や「カード」という意味があります。カルタも、カード遊びとして日本に入ってきたとは! カルタとタロットの歴史に、重なる部分があるなんて、なんだか不思議です。■語り尽くせない、アートとタロットの魅力何世紀も前から多くの人に親しまれてきたタロットカード。長い歴史の中で作り上げられてきた神秘的な世界観に惹きつけられずにはいられません。砂羽さん:神秘に触れるきっかけはいろいろあると思いますけど、その中でもタロットって、自分の内側にある神秘の扉を開く入口になりやすいんだろうなと感じます。鏡先生:そうですね。美術とタロットを結びつけるだけでも、ルネッサンスとか70年代アートとか、いろんな入口がありますよね。砂羽さん:本当ですね。シュルレアリスムの代表的なアーティスト、ダリも、タロットカードをデザインしていますしね。鏡先生:そうそう。それから、イタリアには、画家でもあり彫刻家でもあった現代アーティストのニキ・ド・サンファルが作った、タロット・ガーデンがあるんですよ。オブジェというより建物という感じで、タロットの世界観を表現しているんです。砂羽さん:タロット・ガーデン! 素敵ですね! もし続編があるなら、ぜひそこに行きましょう!****タロットと美術の話は尽きず、イタリア行脚の夢まで膨らむ鏡先生と砂羽さん。多くのアーティストの感性や工夫が織り込まれ続けているタロットは、きっと、あなたの心にインスピレーションをもたらしてくれるでしょう。まずは、カードを手に取って、お気に入りの1枚を見つけてみてください!-------------------------<タロットカード提供>株式会社ヴィジョナリー・カンパニー今回、鈴木砂羽さんと鏡リュウジ先生のおふたりにお話を伺ったのは、タロットやオラクルカードの出版・輸入販売を行う会社、ヴィジョナリー・カンパニーの事務所の一室です。様々なカードが壁一面に並ぶステキな空間からおふたりのトークを届けします。この記事を読んで自分だけのタロットを探したくなった方は、こちらから↓プロフィール鈴木砂羽女優。1994年映画『愛の新世界』で主演デビュー。同年、ブルーリボン新人賞やキネマ旬報新人賞など受賞。以後も、ドラマ、映画、舞台以外にもバラエティー、マンガの執筆など意外と幅広いジャンルで活躍中。さらに、プライベートでタロットリーディングをするなど占い好きな一面も。鏡リュウジ雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメディアで活躍し、絶大な人気を誇る心理占星術研究の第一人者。占星術、占いに対しての心理学的アプローチを日本に紹介し、従来の「占い」のイメージを一新した。英国占星術協会会員、日本トランスパーソナル学会理事、平安女学院大学客員教授、京都文教大学客員教授など多方面で活動中。-------------------ライタープロフィールはづきパワースポット大国のニュージーランドを活動の拠点として占い師・占い関連のライターとして活躍中。 「言葉が優しく情緒的で力強い」と定評があり、チャット占いChapli(チャプリ)では恋愛にまつわる相談を中心に全国の相談者から支持されている。
2021年01月10日舞台『KYOTO SAMURAI BOYS』の公開稽古が24日に都内で行われ、【椿】福澤侑・飯塚大夢・NUY・山縣悠己・竹迫祐貴、 【桔梗】里中将道・Lil Noah・RANMA・BISKE・神谷亮太・品川翔、【若葉】泰江和明・Rayshy・R-NE・飯田寅義・下田壮良・河島樹来、構成・演出の植木豪、ネルケプランニング代表取締役会長 松田誠が登場した。同作は、オーディションで選抜された18人の若きサムライが、チームに分かれて公演を行う。日々何気なく過ごしていた現代の若者たちが、ある日ゲームの世界に入りこんでしまい、同じくゲームの世界に取り込まれた人達を元の世界に戻す使命を課せられる。強大な敵とぶつかり、修行を経て、【侍の心】を思い出していく。平安神宮敷地内にある KYOTO SAMURAI THEATER(京都・時代祭館 十二十二内)で上演され、ネルケプランニングが全面プロデュースを行う。3チーム18人の中から、混合で9人ずつが公演に登場。公開稽古では福澤、山縣、里中、Lil Noah、泰江、下田、RANMA、竹迫、R-NEがパフォーマンスを行い、他のメンバーは観客エリアから応援する。なお、【椿】メンバーの山口晃生は怪我のため欠席となった。今回は物語の序盤、ゲームの世界に入り込んだ時のバトルシーンである「SAMURAI BATTLE」と、終盤のライブシーンの1曲「侍 Brotherhood」を披露した。各チームのリーダー3人が仮衣装を身につけ、他のメンバーは「1番いい稽古着で」という指示に従ったという。松田会長は「このプロジェクトは絶対に勝てると思っている。1番最初にパフォーマンスを見た方々が、最終的には『あのとき最初に見た』と自慢してもらえるように頑張る」と意気込んだ。演出の植木は「プロジェクションマッピングやレーザーを操る場面もあるし、まだ日本であまりない"ホロヘルメット"というパフォーマンスがあったり。そういう中にみなさんのフィジカルをどんどん入れていく」と展望を明かす。出演者については「作品に対する姿が真摯で、あと20年遅く産まれたらみんなと出たかったなと思うくらい素敵な作品になっています」と絶賛。「侍になれそうな華」や、「オーディションに対する態度」など、一緒に応援していけるようなメンバーを選んだという。それぞれのチームについての印象を聞かれると、【椿】の福澤は「熱い人たちがたくさんいる。まだ出会ってそんなに日も経ってなくて、稽古に集中しているけど、良い意味で全員が目立ちたいと言う思いがあって。チームで切磋琢磨しながらいい仲間でありライバルで成長していけそう」と語る。【桔梗】の里中は「テンションが高い子が多くて、一見チャラそうだけど、一人ひとりが負けず嫌い。一人で残って端で練習しているような子たちで、芯のあるメンバーです」と紹介。【若葉】の泰江は「名前の爽やかなイメージの通りで、取り組み方も一人ひとりが真面目だと、稽古を通して思いました。みんなを笑顔にさせてくれるようなそれぞれの良さがあると思う」とそれぞれの印象を明かした。メンバーは京都の地に住み込んで、ロングランを予定しているが、里中は「かけがえのない1年になるのは間違いない」と確信。植木は「このパッケージですぐ持っていけるように作って、先のことも色々できたらいいなという展望は持っています」と今後の展開も示唆し、「オーディションで見たときとは全く別人で、侍になりかけている。あとはみなさんの応援とパワーで本当の侍になっていくと思う」と期待を表した。
2019年07月24日高知県高知市の高知県立県民文化ホール、ザ・クラウンパレスホテル新阪急高知、得月楼、須崎市の須崎市深浦漁港などで、多くの漫画家たちが集合する「全国漫画家大会議2015 inまんが王国・土佐」が行われる。開催日は2月21日、22日の2日間。○さいとう・たかをや、ちばてつやなど、豪華な顔ぶれ同イベントでは、21人の漫画家と中川翔子さん、水木一郎氏、堀江美都子さん、影山ヒロノブ氏をゲストに迎え、トークショーや講演、ミニライブなどさまざまな催しが行われる。参加する漫画家は、『ゴルゴ13』で知られるさいとう・たかを氏、『あしたのジョー』のちばてつや氏、『釣りバカ日誌』の北見けんいち氏、やささき十三氏、『GTO』の藤沢とおる氏、『包丁人味平』のビッグ錠氏、『アリエスの乙女たち』の里中満智子さん、『毎日かあさん』の西原理恵子さんなど。21日には、オープニングに先立って、北見けんいち氏、やささき十三氏、うえやまとち氏と釣りを楽しめる「釣り好き漫画家との交流イベント」を実施する。高知県立県民文化ホールでは12時~13時まで、オープニングを開催。その後、13時30分~15時まで「世界へ飛び出せ! まんが王国ニッポンの未来を語る!」と題したトークショーと、中川翔子さんのミニライブが行われる。そのほか、15時30分~17時30分まで、ザ・クラウンパレスホテル新阪急高知で「高知家の食卓をマンガで語れ!」、18時~20時には得月楼において「夜さ濃いトークショー」も開催される。22日は、高知県立県民文化ホールにおいて、10時~12時20分まで、ちばてつや氏、里中満智子さんによる事前応募作品への公開アドバイスや、魚戸おさむ氏、安倍夜郎氏がプロの漫画家の技術と発想について講義する「本日開校!まんが大学」を実施。「編集者が明かす売れる漫画家への道」、「日本職業漫画家選手権漫画家甲子園」に続いて、16時からアニソン界のカリスマと言われる「アニソンBIG3」水木一郎氏、堀江美都子さん、影山ヒロノブ氏による「まんが王国・土佐スーパーステージ」が行われ、イベントのフィナーレを飾る。
2015年02月20日海外マンガフェスタ実行委員会は11月23日、東京ビッグサイトで「海外マンガフェスタ2014」を開催する。「海外マンガフェスタ」は、米国のアメリカン・コミックやフランスのバンド・デシネ(ベルギー・フランスを中心とした漫画、以下B.D.)、日本の漫画など、世界各地にあるマンガ文化を紹介するイベントで、2012年に初めて開催した。第3回目となる今年は、アメリカン・コミックのジム・リー氏×村田雄介氏(『アイシールド21』)、戦記B.D.の第一人者であるロマン・ユゴー氏×松本零士氏(『宇宙海賊キャプテンハーロック』)、フランスで注目を集める女流B.D.作家ペネロープ・バジュー氏×ヤマザキマリ氏(『テルマエ・ロマエ』)と著名な漫画家をゲストに迎えてトークライブを実施する。また、世界16カ国39組のアーティストが参加する「アーティストアレイ」も開催。現地で活躍するプロ作家から日本でデビューを目指す若手クリエイターまで、国境の壁を越えて交流するという。ほかにも、現役アメコミ作家による迫力あるライブペイントなども行う。メインステージでは、「マンガによる国際交流シンポジウム」を開催。米国大使館・フランス大使館・イタリア文化会館・セルバンテス文化センターが登壇し、各国のマンガのデジタル化の最新事情などについて意見交換を行うという。スペシャルゲストとして、漫画家のちばてつや氏と里中満智子氏も参加する。関連イベントとして、開催前日の11月22日には、コトブキヤ秋葉原館にて、ジム・リー氏を招いたライブペインティング及びサイン会を行う。さらに11月24日は、大日本印刷が運営する体験型コミュニケーションスペース・ドットDNPにて、仏マンガ出版社等による「マンガのデジタル化・国際化のビジネス・セミナー」なども開催する。開催日時は、11月23日の11:00~16:00。会場は東京ビッグサイト 東京国際展示場 東4ホール。入場料として、コミティア入場用の『ティアズマガジン』(会場で販売、1,000円・税込)の購入が必要となる。
2014年11月17日