怪獣たち家族との穏やか(!?)な日々の生活を3DSやタブレットを活用して描いています。
1982年生まれで2005年生まれの長女と2012年生まれの次女の父。介護施設で生活相談員をしながらFC2ブログで公式ブロガーとして活動しています。わんぱくな次女の話を中心に長女のお受験物語や父目線での女の子との関わり方を描いていけたらと思います。
子育てを頑張ろうとしていたはずなのに、家族とも会社でも歯車がかみあわなくなっていく…。そして心が折れてしかも病気になってしまった。でもそんな状態にサヨナラするために、復活するためにもがいた10年間。その時のお話です。
こんにちは、もりりんパパです。 うちの長女さんはこの春からついに高校生になったのですが、実はその直前にちょっと事件が発生してしまいました。 今回はその模様を漫画で描いていきたいと思います。 発端は今年の1月に… 3月某日… どうしてこうなった!! とまぁ、そんなこんなでどうにか高校部の説明会は切り抜けることができましたが、この時はさすがにヒヤヒヤしましたね。 多分親が出席しなかったのは我が家だけだったんじゃないでしょうか…。 本人が悪いと言ったらそれまでなのですが、ちょっと僕が一気にハードルを上げ過ぎてしまった感はぬぐえません( ̄▽ ̄;) もう少し補佐をしながら…というか、当分は毎日学校からのお知らせプリントがあるかをしっかりと確認しながら、日々様子を見守っていきたいと思います(笑) それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!!
2021年08月05日■前回のあらすじ 1人での育児に疲労困憊していていたパパ。でも、意外と子連れでも趣味の時間を確保できることに気付いたのです。 >>1話目を見る ■つらかった あの頃… いま思うと、これまでにさまざまな出来事がありました…。 困難にぶつかりながら、自分なりに見つけていった解決策がありました。そして今は…。 父親ならではの苦労や葛藤。 そんなこれまでのお話を描かせていただきましたがいかがだったでしょうか。 それでは、今回のお話で最終回となります。 ここまで読んでいただきありがとうございました! またお会いできたらと思います!! ▼もりりんパパ連載 【もりりんパパと怪獣姉妹】
2021年07月12日■前回のあらすじ 次女がまだ1歳になった頃、妻が入院。僕一人で子どもたちの面倒をみる日々に、疲労が溜まりどんどん余裕がなくなっていく。そんなある日、長女から声をかけられて…。 >>1話目を見る ■親はすべて我慢するものだと思っていた… 正直かなりきつい期間ではありましたが、長女の一言で大切なことに気づくことができました。 「親なんだから」「子どものためには…」といった言葉に僕自身が縛られていたことに気づきました。親だってストレスは溜まるし、息抜きはしたくなる。そんな当たり前のことをすっかり忘れていたのです。 もし妻も僕もこうして好きなことをする時間をもっと取り入れていたら、何かが変わっていたのかもしれません。でも、僕たちはまだ子育ての途中で…。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月11日■前回のあらすじ 僕の病気によって陥った最悪な夫婦関係も改善。さらに僕の病気が「ストレスや不安」で起こるものとわかったことで、病気も回復方向に…。そして妻のおなかには2人目が…。 >>1話目を見る ■妻の入院 父だけの育児が開始したのですが…。 次女誕生といううれしい出来事が起こったのに、まさかの妻の入院。 これによって、僕ひとりで育児をしなければならなくなってしまいました。 これまでも妻と一緒になって子育てはしているつもりだった僕。妻から愚痴を聞かされる度に、大変さを理解しているつもりでしたが、それはまったくの間違いだったことがわかったのです。 大変でテンパっている中、子どもにある言葉をかけられて…。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月10日■前回のあらすじ 突然僕を襲った原因不明の病気。仕事も、子育ても何もできず、僕の精神状態は病気の期間の長さに比例して悪化していってしまい…。 >>1話目を見る ■家庭で吹き荒れる不協和音 次第に僕の体調が悪くなっていた。これまで妻にほとんど愚痴をこぼしてこなかった僕だが、激痛と仕事も育児もできない状態に、つい弱音を吐くことが増えていきました。しかし、妻は僕や娘のこと以外にも問題を抱えていて…。 この頃妻は、僕の看病や家事育児に加えて、妻の母の介護も担っていました。義母の体調が芳しくないことも、さらに妻を追い詰めていたのだと思うのですが、お互いに自分のツラさを相手に訴えることで、泥仕合になっていきて…。 僕は病気で寝たきり、妻は実母の介護で疲労が溜まる…家庭のなかは、本当に最悪な状況でした。 これまで自分のツラさを言ったことがありませんでしたが、この頃は気持ちを吐露せずにはいられなかったのです。 こんな夫婦喧嘩を何度か繰り返しながら、それでも気持ちが吐き出せるようになったことがよかったのか少しずつ病気は回復し、そして妻との関係も改善に向かって行きました。 僕の病気はすぐに完治するとまではいきませんでしたが、それでも「病気の原因がわかった」ということはとても気持ちを軽くしました。 次女の誕生とともに家族の形も変わっていくはずだったのですが…まだ試練が残っていたのです…! 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月09日■前回のあらすじ 保育園転園についての話し合いで、園長先生の口から飛び出したのは「うちの教育方針は間違っていない」という言葉。その言葉を聞いたパパは、悔しさと娘への申し訳なさで涙がこぼれてきて…。 >>1話目を見る ■身体が鉛のようだ… 娘の保育園トラブルが去っても、仕事では忙しい日々。そして家に帰ると待っている妻の愚痴。 あまり愚痴を外に吐き出すタイプではない僕としては、聞き役になるのが当たり前だと思っていました。 しかし、次第に僕の身体に異変が起こるように…。 突然、僕を襲った激痛。 検査しても病名がわからず、どんどん僕はふさぎ込み、そして社会からも家族からも必要とされない人間だと思い込むようになっていき…。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月08日■前回のあらすじ 保育園から発達の指摘を受けて、支援センターに通うことになった娘。しかし支援センターからは保育園の関わり方次第で良い方向に行くと言われたのですが…。 >>1話目を見る ■園長の驚くべき発言… 保育園からの指摘で娘が通うことになった支援センター。その支援センターから現在の保育園について話があり…。 園長の突然の発言で、話し合いが凍り付く…。 保育園を選ぶときに、「娘に合ったところ」といった一番重要なところをあまり深く考えていなかった僕たち。結果的に、娘は合わない保育園でずっと苦労させてしまったことに。 そして園長と話し合って知ってしまった保育園が大切にしていたこと。それはもしかしたら子どもの保育や成長を見守るよりも「保育園の教育方針のプライド」が優先だったのではないだろうか…。 そんなことを考えながら車中では涙が止まらなくなっていました。 悔しい。 悲しい。 申し訳ない。 息が詰まっていく…。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月07日■前回のあらすじ 職場は独身者が多く、家に帰ってから育児しなくてはならないパパの気持ちはわかってもらえませんでした…。 >>1話目を見る ■妻からかかってきた1本の電話… でも、言われてみれば思い当たる節があって…。 長女の発達について気になりはしつつも、「この年齢ならこんなものだろう…」といった想いもあったので、保育園からの指摘には、さすがにショックを受けました。 しかし僕以上にショックを受けてしまった妻の前で、僕がオロオロするわけにはいかない! という気持ちだけでなんとか前に進もうとしました。 ところが支援センターで思いもかけないことを言われてしまい…。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月06日■前回のあらすじ 昇進し、年上に指示を出さなくてはならなくなったパパ。家では育児もある身。相当なプレッシャーがかかり…。 ■職場でわかってもらえない家庭での役割 家での人間関係、職場での人間関係。あちらを立てればこちらが立たず。 難しいところなのです。 じつは、その頃の僕は、家庭である大きな問題が起こっていて…。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月05日子育てを頑張ろうとしていたはずなのに、家族とも会社でも歯車がかみあわなくなっていく…。 そして心が折れてしかも病気になってしまった。これは、そんな状態にサヨナラしようと、復活するためにもがいた10年間のお話です。 ■すべてのはじまり さらに大変だったのが…。 僕は過去に、さまざまなことが重なって、身体まで壊してしまったことがあります。 そこからいろいろともがきながら、家族で乗り越えていきました。 どうぞ最後までお付き合いいただけたら幸いです。 次回に続く(全9話) 毎日7時更新!
2021年07月04日今回は1つ前に書いたお話の続きとなります。 ■そのお話は コチラ !! ゲーム、漫画、TVなど、いまひとつ長時間OKというわけにはできないものたち。それらに対しての我が家のルールは… 「ゲーム、漫画、テレビ…つい長時間になってしまう娯楽にルールを設けました」 前回のお話をまだ読まれていない方は、ゼヒご覧ください! 長女の不満爆発!? …ちょっと待てい長女よ。 困られてしまいましたがね。 気持ちは分かる!! 伝えたい気持ち これは我が家の例ですが、上の子の子育ての際はとにかくガムシャラに突っ走っていました。 あとで考えるとちょっと厳しかったのでは…と思うこともありました。 これではダメだろうと色々試行錯誤することも多かったです。 で、考え直しながら下の子の時には方法を変えてみたり。 でもそれが時には長女に不満を抱かせてしまっていました。 方法を色々と変えながら、その時々に正しいと思ったことを行うのはある程度仕方ないとは思うのですが、それを長女に対してきちんと説明が出来ていなかったなぁと思います。 やはり家族であってもこのような説明は1つ1つすることが大切… 自分の子ども時代を振り返ってみると、長女の思いに共感しつつ、これから気を付けようと改めて考えさせられましたね。 ただ、これは僕も親から言われたことがあるのですが… 上の子は上の子で得をしている部分もあるんですよね。 これはそのうち次女が大きくなったら思ってしまうことかもしれません(笑) 難しいところです。 おまけ 就寝時間の件… 早速ルール変更です( ̄▽ ̄;) それでは今回のお話はここまでです。 ここまで読んでいただきありがとうございました!
2021年03月04日おはようございます、もりりんパパです。 寒い日が続いていますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。 僕の住んでいる福岡県では先日およそ5年ぶりの大雪となり、3日間ほど積雪が続きました。 子どもたちは大喜びでしたが、僕にはちょっと厳しすぎる寒さでした…。 さて、今回のお話です。 今回は… ゲーム・漫画・テレビ長時間になりすぎ問題 子どもたちはゲームも漫画もテレビも大好き! 僕は最近時間がないのでほとんどテレビは見なくなりましたが、気持ちはすごくわかります。 気持ちはとてもわかるけど… 遊びたいばかりに、その時本当にしないといけないことがおろそかになってしまったら意味がありませんし、親としてそれを見過ごすわけにはいきません。 ただ、娯楽を闇雲に奪ってしまえばいいのかというと、それもちょっと違うと思いまして。 その理由は… このような理由だったのでした(笑) いや、個人的な見解なんですけどね。 子どもの頃あまりにもゲームがしたかったのに出来なかった、その反動かひとり暮らし時代はすごいことになってしまっていたので。 休みの日は朝から晩までゲーム三昧、その横には付きっぱなしのテレビに散乱した大量の漫画。 思い返してもすごいです。 もちろん誰もがこのようになるとは思わないのですが、可能性もあるので僕は”娯楽排除はなし”にしましたね。 その結果、今現在行っているルールはこのような感じになっています。 まぁ、さすがに中間や期末考査が近づく時期は例外ですけどね(笑) ルールが1つでも守れていない時は娯楽がなくなってしまいますが、その分緊張感をもって”自身のするべきこと”を行ってくれているのではないかな…と思っています。 食事中のテレビのお話 実は食事中のテレビのあり方についても色々と試行錯誤していましてね。 思うところはたくさんあったのですが、最終的にニュースであればつけていてもOKという形になりました。 結局ニュースであろうが子どもたちはテレビを見てしまうのですが、そのニュースの内容に関して色々と考えるきっかけにもなっているようなので、それならよいのではないかな…といった感じです。 色々難しいですけどね、今回は我が家のルールのお話でした! ここまで読んでいただき、ありがとうございました! また次回もよろしくお願いいたします。
2021年02月06日明けましておめでとうございます、もりりんパパです。 2021年始まりました! 2日目です!! 世間的にも個人的にも過去に例を見ないような1年だった2020年。今年はきっと良い年になってほしいです。 そして! 今年も楽しくマンガを描かせて頂きますので、これからも読んでいただけると幸いです!! どうぞまたよろしくお願い致します。 さて、新年最初のお話はこちらです! 「理想の子育て」が崩壊した瞬間…!? 僕が子どものころ、家では表現のきついテレビやアニメは禁止となっていました。 しかし、ふいに母親が見ていたアニメをいっしょに見てしまい、それはもう悲しいシーンで脳裏に強烈に焼きついてしまったんです。 あまりに怖くて途中から外に逃げ出したのですが、未だにあのシーンは忘れられません。 そんな影響もあり、僕自身も子どもに見せるテレビには気をつかおうと決めていました。 ましてや次女さんは大の怖がり。 長女はさすがにもう大丈夫ですが、次女はゾンビのゲームを見た瞬間、過去の僕と同じように逃げ出してしまったのでやはり気をつうけなければならないと思いました。 しかし…!? それはまさしく怖いシーン!? …難しいところですね( ̄▽ ̄;) でも、何でも自分の理想通り子どもに押しつけるのも違うのかな、とも思えるようになりました。 逆に、こういうのは良いんだと気づかされたり、考えさせられたり。 子どもたちに教えられることも多いですね。 今回は、そんな2020年に気付かされたことの振り返りのお話でした! それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!!
2021年01月02日こんにちは、もりりんパパです。 気が付けば12月に突入し、今年も残すところあとわずか。 あっという間な1年、そして色々なことがあった1年でしたね…。 世間的にも、そして個人的にも過去に例を見ないような1年だったような気がします。 来年はどうか平和な年になれば良いのですが… さて、いつもは子どもたちメインのお話を書いていますけどね。 今回はちょっと僕の昔の話なんぞを書かせていただきたいと思います。 いつもは子どもたちに厳しい父の、ちょっと情けないお話です(笑) 父の黒歴史が子どもたちに明かされる…!? あんたが話してるんかい!! あれは今から17年前… ちょ、おま…やめろ… やめろぉおおおお…!! とまぁ、父の情けない黒歴史を子どもたちに勝手に話されてしまったお話でした。 あぁ…あの頃は若かった(笑) 今は多少成長したつもりですけどね。 しかし、子どもたちにはやはり注意をしないといけない立場。 難しいところですが、言うからには自分もきちんとしなければ。 そう思った所存でございます。 さて、僕が書く今年のお話はこれでおしまいです! また来年もお会いできたらと思います。 それでは皆さま、良いお年をお迎えください!!
2020年12月03日今回は少し前に書いたお話の続きとなります。 時は2020年6月…。 うちの長女も中学3年生になり、だんだんと勉強の難易度が上がってきました。 そもそも2年生の時点でかなりの難しさとなり、それまで家庭学習で僕が教えながらどうにか乗り越えていたものの、ついには僕がこれ以上教えることが困難と自覚してギブアップしていたんです。 もうこれからは自力で頑張りなさい、と。 しかし、そこからどうにも点数は上がらず、それを見かねた僕はとある提案をしたのでした。 ”仲の良い友達に勉強の方法を聞いてみては?”…と。 長女と仲の良いその友達は、同じ部活、そして同じく塾に行っていない。 でも成績はとても良い。 何か良いヒントを教えてもらえるかもしれないから、聞いてみるのもありなんじゃない? そう思って長女に言ってみたのでした。 まぁ、まさかその返答がユーチューブでの学習で、しかもその方法が割と学校で流行っているのには驚いてしまいましたが(笑) ■そのお話は コチラ !! 中学受験の前からから父と娘で家庭学習を続け、受験を突破できました。しかし、学年が上がり授業の内容が難しくなり、昨年ついにパパ先生は引退をしたのですが… 「長女の勉強がピンチでパパ先生帰還!? まさかのアレに望みを託すことに」 前回のお話をまだ読まれていない方は、ゼヒご覧ください! ユーチューブ授業、開始!! あ、分かったこの人。 形から入ってそれで満足するタイプだ…。 いや、喜ぶのはまだ早い。 成果を出さないと、成果を…。 意外だったけれど。 意外だったのではあるけれど、確かにかなり有効性のあるやり方だなとは思いました。 学校の授業ではどうしてもテンポについていけない時があるかもしれません。 そして、その場で質問できればいいのですが、それもできずに次の問題に進んでしまって分からないままに。 以前の記事にも書きましたが、英語や数学は1度つまづくとそこから追いつくのが大変なんですよね。 でも、動画であれば分からない箇所は巻き戻して理解できるまで繰り返し見ることができますし。 おまけにこの方法だと経済的に優しいので我が家としてはとてもありがたい(笑) これは確かに良いかもしれない、教えてくれた長女のお友達。ありがとう!! さぁ、長女よ。頑張ってみるのだ!! しかし…!? そこから数ヶ月後。 たび重なる不運の連続!! 試験が受けられない!! これは前回までのお話に書きましたけどね。 まさかのあれから大きな試験は何ひとつ受けることができていないのです。 新型コロナウイルスの影響で全ての中間考査がなくなり、期末考査のみになってしまったのは仕方ありません。 でも、さらに右手を負傷してその期末考査すら受けられなかったのは予想外でしたねぇ…。 まぁ、本人曰くユーチューブでの勉強は楽しいし結構はかどっているようです。 おまけに一応小テストでは成果も出始めているのだとか!? 楽しみながら勉強に取り組めているのは親としてちょっと嬉しかったですね。 あとは、2学期の期末考査に期待するとしましょう(笑) というわけで、今回のお話はユーチューブ学習のその後でした! ここまで読んで頂きありがとうございました!!
2020年11月02日■前回のお話は コチラ !! 2020年7月某日。期末考査の真っ最中だった長女が登校中に自転車で転倒。中学校から緊急の電話が入り即座に受診するように勧められました。だがしかし、ここで予期せぬ難題が立ちふさがることに…!? 「保険証探して70キロ! 子どものケガで浮き彫りになった重要書類の置き場所問題」 前回のお話をまだ読まれていない方は、ゼヒご覧ください! 中学校に連絡 トータル70キロも探し回った保険証問題はとりあえず解決しました。 しかし、受けることが出来なくなった期末考査の問題の方はまだまだ解決していません。 この点に関しては病院受診時に中学校の先生から電話連絡がありましてね、どのようにしていくのか話したいとのことだったので折り返し連絡しました。 連絡してみた結果 よっしゃではない。 喜ぶ長女でしたが、あのケガをした瞬間試験のことをとても心配していたのも長女だったんですよね。 どうにかなることが分かって安堵した僕たちでしたが、まだ完全なる安心とまではいきません。 なんと最後の砦は校長先生だったのでした。 校長先生から試験免除の許可を頂くために必要なもの。 それは… ”忌引き・出席停止・考査の欠席届け”というものでした。 もちろん今回受診した病院の診断書も必要です。 …診断書は後日また病院に行って書いてもらうことに。 なんとなく必要な気もしていたのですが、今回の大移動で僕自身も疲れ果てていて、結局受診時に病院の先生に言うのを忘れていたんですよね。 何はともあれ、これにて期末考査の方もどうにかなりそうです。 で、試験は免除になるのですが、気になるのは… 点数!! これはどこの学校も同じかどうかは分からないのですが、たいてい試験時は全生徒に順位がつけられると思います。 試験免除とはいえ順位は全生徒につけられるので、点数がないといけないことになるんですよね。 うちの学校の場合は… このようなことになるということでした。 うーん…これもしや普段より順位が上がる可能性もあるのでは(笑) …とまあ、このような感じで長女中学3年生の1学期末考査は終わっていったのでした。 今年は新型コロナウイルスの関係で1学期の中間考査は消滅してしまいましたし、2学期も期末考査しかないそうです。 そんな中のハプニングでしたが… 本人は次はしっかり受けることができるよう頑張ると意気込んでおります(笑) ぜひ頑張ってください。 というわけで今回のシリーズはこれにて完結です。 ここまで読んで頂きありがとうございました!
2020年10月08日前回のあらすじ 期末考査の真っ最中だった長女が登校中に自転車で転倒、中学校から緊急の電話が入り即座に受診するように言われました。慌てて学校に向かうとそこには右手が包帯グルグルの長女の姿が…! 期末考査の行方が心配でしたが、僕の向かう総合病院は基本的に午前中に行かないといけないため時間があまりありません。 まずは受診、のはずでしたが…!? ■前回のお話は コチラ !! 2020年7月某日。期末考査のためにしっかりと勉強をして(?)挑んだ長女でしたが、まさかの事態が発生。このままではテストが全滅の危機に…!? 「がんばったのにテスト全滅か!? 我が家にまたしてもアクシデント」 前回のお話をまだ読まれていない方は、ゼヒご覧ください! 病院へ!…しかし!? そう、ここでまさかの問題が発覚してしまうんです。 わが家は普段、嫁さんが子どもたちの受診をしてくれることが多いんですよね。その関係もあって子どもたちの保険証は嫁さんが所持。 しかし、今回は緊急の受診。 嫁さんは勤務中に早退をすることが難しいので僕が急きょ学校に来たのですが、ここで保険証が手元にないことに気づきまして。 おまけに、実は嫁さんは今年の4月に転職しまして、地元から離れた都会の町に勤めに行っているのです。 こ…これはまずいことになりました!! 時刻は9時40分。 そこから車を走るに走らせて病院へは何とかセーフでたどり着きました。 …高速道路を駆使しないと多分アウトでしたけどね(^^; 長女の右手は写真のようにギプス固定をして包帯グルグルになってしまいました。 幸い骨に異常はありませんでしたが、自転車から転倒した際に地面に強打したようで2週間は動かさずに様子をみることになりました。 まぁでもこの程度で済んで内心ホッ…やれやれでした。 家族会議!! 保険証に関しては今後のことを考えて置く場所を考えることに。 (1)自宅内で保険証を置く場所を予め決めておく。 (2)当日の勤務の都合で夫婦のどちらが緊急時に動きやすいかを考えて、動ける方が保険証を持ち歩く。 出た案の中から最終的にこの2案におさまりました。 難しいところですけどね。 (1)の家に置きっぱなしにする場合は万がいち泥棒に入られた場合に危険がある。 (2)の場合はそのやり取り自体が手間であるなどなど。 そもそも、緊急事態がそんなに発生するのかというとそれも何とも言えないのですが、この1年間の我が家の受診率を考えるとあり得そうで怖かったり(^^; 入院に手術にと色々とありましたからね。 今は(1)と(2)の案でいきますが、柔軟かつ臨機応変に考え続けていこうと思います。 …で。 問題はまだ終わっていません。 長女の右手の負傷具合から今回の期末考査は受けること自体が不可能! その点に関してどのようにしていくのか話をしたいと中学校の先生から電話にて連絡がありましてね。 これは僕としてもとても気になるのでしっかりと聞いてみたいと思います!! 今回のお話はここまでです。 それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!!
2020年09月03日みなさんこんにちは、もりりんパパです。 今年もお盆を迎えますが、いかがお過ごしでしょうか。 今回はおよそ1ヶ月前、わが家で起こったハプニングについて描いていきたいと思います。 時は令和2年7月某日。 中学校の期末考査に向けてしっかりと(?)勉強を頑張った長女さん。 まだ梅雨の真っ最中。小雨の中いつものように自転車とバスで学校へと向かいました。 そう、これはいつもと何一つ変わらない流れだったのです。 しかし… この日はここから… 怒涛の展開を迎えてしまうことになるのです。 午前9時 職場にて いつものように子どもたちを送り出し。 いつものように通勤して。 いつものように仕事を始めようとしていました。 しかし、ここで突然着信が…! 過去の経験上、こういった仕事の時間帯での電話は高い確率で悪いお知らせ。 昨年のお話でも描きましたが、次女が休み時間に鼻を骨折して緊急で入院&手術をした時もこのようなパターンでした。 今回は一体… おそるおそる電話に出てみましたが… こ…今回も悪いお知らせでした。 電話相手は学年主任の先生。 で、どうやら長女さん。 通学中に自転車で転倒してしまい右腕を負傷してしまったみたいなんですよね。 しかしこの日は期末考査。 休むわけにはいかない…という一心のもと、手を隠しながらバスに乗ってなんとか中学校へ。 でもとても文字が書ける状態ではないということで、到着後ただちに保健室へと連れていかれたそうです。 先生は『お仕事中に本当にすみませんが、即座に病院へ連れて行ってください』と、とても申し訳なさそうに言われていましたが。 とんでもない! こちらこそご迷惑をかけてもうしわけない!! と言いつつ、職場に事情を話して今回も学校に向かったのでした。 …う~ん、しかし。 昨年の次女。そして3月の僕。今回は長女。 どうにも色々と事件の発生する我が家です( ̄▽ ̄;) 午前9時半 中学校到着 学校に着くと、保健室から長女がもうしわけなさそうに出てきまして。 その右手は… 非常に痛々しく包帯で巻かれていました。 どうやら痛くて曲げることが出来ず、固定して応急処置をしてもらったようです。 先生によると、強めの捻挫か、もしかすると骨折のおそれも…。 痛みが酷いので数日間は右手が使えない可能性も指摘されました。 万が一ということもあるのですぐに受診をしてくださいとのことでした、が… 数日間は右手が使えない。 そして今は期末考査で右手の使用は必須。 ………。 このままでは期末が全滅なのでは!? ただ、これに関しては先生より別途説明があるとのことでした。 それよりも時刻はもう10時に近づいています。 今は新型コロナウイルスの影響で受診には非常に時間がかかってしまいます。 そのため、なるべく早く病院へ向かってとのことでした。 大急ぎで車へと向かう僕。 しかし… このあと更なる難関が待ち受けていたのです。 つづく。 すみませんが内容の関係で今回はここまでです。 次回は9月に更新の予定となっていますので、また読んでいただけると幸いです。 では、ここまで読んでいただきありがとうございました!
2020年08月12日中学受験の前からから父と娘で続けてきた家庭学習。 単純に塾に通うことが家計的に厳しかったからなのですが、それでも対策して受験を突破できました。 しかし、段々と学年が上がり内容が難しくなり、昨年ついにパパ先生は引退をしたのですが… それから半年後、事件発生。 ■パパ先生引退のお話は コチラ !! 薄々と感じていた限界。これまで教えていた長女の勉強が…あれ…? 難しい…わからない…。予感が現実になる日がついにやってきたのです。パパ先生、卒業します!! 「ついに訪れたお別れの日! パパ先生とうとう限界を迎える」 本人も予想外の大ピンチを迎えていた模様。 どうにも授業のペースが早くて、なかなかついていけないようで苦戦していました。 教科にもよりますが、数学や英語なんかはいちどつまづくと取り戻すのに苦労しますもんねぇ。 それは僕自身も経験があるのでとてもよく分かるのですが… まさかこんなに早くピンチを迎えるとは( ̄▽ ̄;) やっぱ今の授業…大変なんだろうなぁ… おまけに、新型コロナウイルスの影響で学校は長期間の臨時休校。 4月に入ってからはまだ習っていない範囲が予習の課題として出されていたんです。 これまでもついていけてなかった勉強を自主学習で身につける… やむを得ない状況ですが無理難題!! そんなこんなで困っていた長女なんですね。 僕も残念ながら教えるのはもうギブアップ。 だけどこの状況を放置するのは親として、心苦しい。 どうしたものか…。 と、考えてみましたが、実はひとつ気になることがあったのです。 気になること。それは長女の同級生。 同じ部活の女の子なのですが、長女と同じ生活リズムで塾にも行っていない。 なのに成績はとんでもなく良いという話は少し前に聞いていたんです。 これってひょっとして何かしら大きなヒントがその友達からもらえるのでは!? 他力本願…とまでもいかないでしょう。たぶん(笑) かなり仲が良いと聞いているので教えてくれるかも…!! 本当は自分でひらめいて欲しいんだけど… まぁ、それは言わずに送り出してみます。 が、その結果… けっこう予想外なことに!! あとで聞いてみると、割と今の中高生では浸透している手法らしいです(長女談) 動画サイト、もちろん僕も見ていますが娯楽系の動画しか見てなかったんですよね。 まさかこんな使い方があったとは。 しかも今の外出がまだ難しいこの時期、これは最高のソーシャルディスタンスなのかもしれません。 この方法で成績が急に上がるかどうかは最終的に本人次第ですけどね。 また影ながら見守りたいと思います。 それでは臨時的なパパ先生のお話はこれでおしまいです。 ここまで読んで頂きありがとうございました!
2020年07月16日いま、したいこと…。 新型コロナウイルスの影響で、これまでは当たり前にできていたことがなかなかできなくなりました。 今はまだつらい我慢の時期が続いていますが、いつか来る希望の日に向けて、我が家ではこのような話をしてみました。 ※僕の住んでいる北九州市やその周辺では、5月末から再度新型コロナウイルスが猛威をふるっています。 長女の場合 ※長女の学校は中高一貫です。 これはちょっと意外だったんですけどね。 長女は僕と同じく生まれながら皮膚の病気をもっていまして、暑い季節にちょっとした運動をするとすぐに悪化してしまいます。 時には車いすを使用しなければならなくなるので、とにかく運動がきらいなんです。 なので毎年運動会の練習や本番の後にはかなり辛そうにしているので、中止になった今年は(不謹慎にも)運動会がなくなって内心喜んでいるかもと思っていたのですが… 毎年見ている先輩たちの背中を見ていて、思うところがあったそうです。 今年は仕方がないとはいえ、長女の学校ではほとんどの行事がなくなってしまいましたからね…。 次女の場合 で、今度は次女に聞いてみたのですが… 何やら神妙な面持ちで語り始めました。 そう、そうでした! 我が家は旅行一家、厳密には車中泊一家なんです。 僕はふだん自分のブログでは育児マンガを描いていますが、それとは別に全国をまわった車中泊の旅記事も書いているんです。 次女に言われて思い出しました(笑) 長女は2才から、次女は1才の頃から一緒に旅をしていた影響か、とにかく遠くへ出かけることが好きなんです。 今は様々な事情で旅は難しいですが…、旅の光景を思い出したり想像するのはいいですもんね。 父の場合 旅の醍醐味。 それは普段と違う風景を楽しめること。 非現実的な空間に身を置くことによって得られる満足感。 時には九州や四国地方を一周。時には関西や北海道までも足を伸ばしました。 どこまでも続く海や砂丘、青々としげった山々に大都会のにぎやかさ。 たまりません…。 母の場合 そして粉ものの聖地大阪やとんこつラーメンの博多・久留米、北海道のジンギスカンに熊本の馬刺し… って、あんたら食べ物ばっかりか。 …あ、ここで風景派の長女も食べ物派に吸収されてしまいました(笑) やはり花より団子でしょうか、美味しいものには勝てませんね。 ただ… 困ったことに我が家の場合は新型コロナウイルスが落ち着いてもまだまだ旅に出ることはできません。 まずは運転手の僕が元気にならないとですね。 でも、ちょっとこの先の楽しいことを想像するだけで元気が出てきました。 色々と厳しい時期ではありますが、楽しいであろう未来に向けて頑張っていきたいと思います。 このお話を読まれた皆様も、どうか今のこの時を乗り越えて元気にお過ごしください。いつの日か、思いっきり楽しめる日を夢見て…。 それでは、今回はここまでです。 読んでくださってありがとうございました。
2020年06月18日今年3月のあたまに厄介な病気になり、入院していました。その頃から世の中は新型コロナウイルス感染症のため、検査も入院までの経緯も 普段とは違う状態 でした。 その経験から、 「いま病院にかかる大変さ」 や「急な入院時の家族の苦労」、「いま家族を守るためにどうすればいいのか」を綴っていきます。 ■ 前回 のあらすじ 10日間高熱にうなされたあと、何とかPCR検査を受ける許可がおりました…。陰性の結果が出て、都会の総合病院に入院することになりました。しかし、ここで分かった病名に唖然としてしまいます。 「入院後も下がらない熱…そして驚きの病名が発覚した」 PCR検査をしてから毎日のように嫁さんにかかる保健所からの電話。 その話を聞いたのは僕が退院してからでしたが、何とも苦労をさせてしまった感じで申しわけなかったです。 …大変だったなんて発言は嫁さんからは一切ありませんでしたけどね。 そして、あまりに急な流れでの入院だったので、手続きもバタバタだったそうです。 書類によっては病院に提出したり分からない部分を質問したりしないといけませんし、かと言って病院は家からかなり遠いですし。 おまけに新型コロナウイルス感染の関係で病院に滞在できる時間も限られていますし。 普段入院するのに比べて、確実に大変さが増していたと思います。 そして当の僕ですが… 中々進展しない状況に落ち続ける気持ち。 そんな中、子どもたちからの温かいメッセージ。 俺も会いたい、子どもたちの顔が見たい!! こらえていた気持ちが爆発して、大粒の涙があふれてしまいました。 早く会いたい、家に帰りたい、いつもの日常に戻りたい…!! そのためには病気の症状が落ち着かなくてはどうしようもありません。 熱が治まり、食べ物がきちんと口から摂取できて点滴が終了しなくては… パパ、頑張らなくては。 子どもたちからのメッセージを胸に頑張ろうという気持ちが芽生えてきました。 そして… そこから数日後、ようやく症状が治まってきたのか検査結果の数値も少しづつ改善されてきました。熱も37度を超えない日がチラホラ。 少しずつですがご飯も食べられるようになり、点滴もしなくて大丈夫だろうとなった時点で退院をお願いし、家に帰れる日がやってきました。 最初に体調が悪化しだしてからおよそ1ヶ月。 こうして僕の入院生活は終わっていきました。 未だに病気は完治しておらず、通院して検査をしたり仕事も体調不良で早退したりする日々が続いています。 でも。 子どもたちが僕にくれた笑顔や優しさ、嫁さんが僕を守ってくれたたくましさは忘れません。 子どもたちと会えなかったのは自主隔離期間も併せておよそ1ヶ月。 本来なら、家の中で遊んだりして自粛期間のストレスを軽減させてあげたかったので、歯がゆくて仕方ありませんでした。 だけど、そんなさなか彼女たちは元気にたくましく過ごしてくれました。 長くなりましたが、これにて今回の入院のお話は完結です。 ここまで読んで頂き本当にありがとうございました!! ※今回の体験は、2020年3月時点のものです。現在とは状況が異なる場合もあります。 ※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 また、筆者は新型コロナウイルスへの感染はありませんでしたが、症状や疑いがある方は、最新の新型コロナウイルス感染症の対応をご確認のうえ、指定機関にご相談下さい。
2020年06月04日今年3月のあたまに厄介な病気になり、入院していました。その頃から世の中は新型コロナウイルス感染症のため、検査も入院までの経緯も 普段とは違う状態 でした。 その経験から、 「いま病院にかかる大変さ」 や「急な入院時の家族の苦労」、「いま家族を守るためにどうすればいいのか」を綴っていきます。 ■ 前回 のあらすじ PCR検査の結果が出るまでは治療が進められなかった状況に変化が。何とか検査を受けられることになったのです。しかし、結果が出た時には既に熱発から10日が結果。その間も体調はどんどん悪化していったのでした…。 「PCR検査「陰性」判定されないと病気の治療ができない…という緊急事態に!」 とうとう都会の総合病院に入院することになりました。 今まで割と健康に過ごしてきたので、入院自体が初めてだった僕。 それだけに色々と不安はあったのですが、それ以上に症状が変わらないことがとにかく不安でした。 相変わらず下がらない熱、ちょっと動くのもダルい。どの時間帯も眠れないのでボーっと天井を見上げるばかり。 ただ、。眠れないことを相談したら医師から許可がおりて睡眠薬を飲むようになりました。 それから入院期間中はどうにか眠れるようになりまして、少し身体が楽になる時間が増えていきました。睡眠の大切さを実感できましたね。 まぁご飯はほとんど食べることが出来ませんでしたが…。 トイレは幸い部屋から近い位置にあったので、物に捕まりながらどうにか歩いてたどり着きました。当初は部屋にポータブルトイレを置いたり車イスを使用したりしてもよいいと言われていましたけどね。何とか自力で行えました。 これも睡眠と点滴のおかげだったのかもしれませんね。 だがしかし。 検査結果は悪化!! 毎朝6時頃に血液を採取されて検査をしていたのですが、白血球や肝臓の数値が入院時より悪化していたみたいでですね。 ある日看護師さんから検査の追加を伝えられてしまいました。 退院が遠のいていく予感… そして、お話はまだ続きます。 この時点で病名がおおよそ確定。 ”伝染性単核球症”というウイルス感染によって悪化する病気だということでした。 病名がついてとりあえず一安心。これで治療の方向性が定まってくる気がしたんです。 で、この病気についてネット上の病気のサイトを調べてみました。が… キス病という異名で呼ばれる病気でした。 この病気、日本人では成人でなることはかなり少ないらしいのですが、”キス病”という呼び方は結構有名らしいんですよね。ヘルペスウイルスなど、唾液などで感染することが多いのでこのような呼ばれ方をしているらしい。 いや、ちょっとイヤなんですけど。 その呼び方( ̄▽ ̄;) で、追加の検査を受けつつ、これまでの行動なども聞かれるのですが… もうね、これに関しては… イラストで察してください。 てか、ないです!! いたって真面目に聞かれますが(この病気ではこのようなことを聞かれるのも一般的だそうです)、その空間は何とも恥ずかしかったりしました。 実際、コップの回し飲みでもうつる可能性はあるらしく、例えば子どもとのチューなどでも感染はするらしいです。 ただ、日本人の成人のおよそ9割以上は子どもの頃にこの病気の耐性がついていて、大人で感染すること自体が稀らしいんですけどね。 僕はこの件で様々なウイルスや肝炎・HIVなどの検査もしましたが、いずれも陰性だったそうで。 珍しい経路(日本で単純に検査できないウイルスから何かしらの経路)で感染したのでしょうとのことでした。 まぁ、何ともめずらしく厄介な病気になったものです。 で、この病気は特別な治療法はなし。基本安静にしていれば数週間から数ヶ月で完治するとのことでしたが… ちょっと期間が長すぎてげんなり。この辺りで少しづつ心がくじけそうになる兆候が見え始めてきました。 が、このまま負けるわけにはいきません。 点滴をしているとはいえ、何も食べなかったらきっともっと悪くなってしまう。病院内にあるコンビニなら僕の好きなプリンなどがあるかもしれない。 でもとてもそこまで歩くことはできないし… ラインアプリで嫁さんに確認すると、まだギリギリ面会可能(原則1人のみで30分制限とマスクの着用義務アリ)とのこと! 嫁さんにはずいぶんと迷惑をかけてしまいましたね。家族のありがたみをひしひしと感じました。 ※因みに、PCR検査をしてからほぼ毎日のように保健所から嫁さんに僕の状態確認の電話がありました。 確認は退院の数日後まで、症状の緩和がはっきりと分かるまで続きました。 どうしても短い時間しか滞在できないので、こまめに足りないものを持ってきてもらったり。 病院内での新型コロナウイルスの感染対策のため洗濯も出来なかったので、着替えの入れ替えをしてもらったり。(病院着は看護師さんに渡すことで出来るのですが、洗濯機が使えないため下着などが洗えなかったのです) でも、うちの嫁さんそもそも運転がすごく苦手なんです。 都会なんて尚更… それなのに日々1時間以上もかけて来てくれていました。 こんなに迷惑をかけて、でも子どもたちも変わらず家で元気にやってくれていて。 僕は早く良くならないとなぁと思いながらも、身体の自由はまだ効かないままで。 そんな葛藤との戦いで入院生活は続いて行きました。 次回で今回のシリーズは最終回! 6月4日掲載予定です。 ※今回の体験は、2020年3月時点のものです。現在とは状況が異なる場合もあります。 ※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 また、筆者は新型コロナウイルスへの感染はありませんでしたが、症状や疑いがある方は、最新の新型コロナウイルス感染症の対応をご確認のうえ、指定機関にご相談下さい。
2020年05月21日今年3月のあたまに厄介な病気になり、入院していました。その頃から世の中は新型コロナウイルス感染症のため、検査も入院までの経緯も 普段とは違う状態 でした。 その経験から、 「いま病院にかかる大変さ」 や「急な入院時の家族の苦労」、「いま家族を守るためにどうすればいいのか」を綴っていきます。 ■ 前回 のあらすじ 3月の初旬、体調がおかしいくなり、その後発熱したため、万が一に備えて会社は休みに。そしてかかりつけ医の検査によって「新型コロナウイルス感染症の疑いがある」と告げられてしまう! しかし保健所からは検査の条件を満たしていないとして自主隔離へ…。 「いま病気になると普段よりツラい…感染疑いで自主隔離へ」 かかりつけの病院から“新型コロナウイルス”感染の疑いを指摘されたのですが… なんと「コロナ感染ではないとしても、 『PCR検査の結果で陰性が認められない』限りは次の検査には進めない」 という事態に陥ってしまったのです。 病院からも保健所に連絡してくれていましたが、僕の症状が条件を満たしていないためやはりPCR検査ができず。 そして迎えた水曜日。 朝から嫁さんに連れられて町内にある一番大きな病院にやってきました。 嫁さんが事前に病院に連絡してくれていたので、到着してすぐに発熱外来へと進みます。 レントゲンとCTで肺の検査を、そしてインフルエンザの検査も行いましたがいずれも結果は陰性でした。 …数日分の解熱剤と漢方薬を貰い、再び自宅待機です。 そこから途中で再度受診をはさみましたが、何も進展することはなくただ時間のみが流れていきました。 処方された解熱剤で熱を下げますが、下がった熱が再度上がるたびに、出る悪寒と震えに苦しむことに。しかも1度下がってから上がる熱はなぜか必ず前よりも高熱になり…、最後は40度近い高熱にうなされてしまいました。 水分だけはかなり気を付けましたが、食べ物は何も喉を通りません。 衰弱しすぎたのか何が原因なのか分かりませんでしたが、次第に寝付くこともできなくなり四六時中布団の中でゴロゴロ。 ただひたすら時が過ぎるのを待っていました。 そして迎えた週明け。 ようやくここで事態は進展を迎えます。 PCR検査を行う許可がついにおりました。 最初に熱が出てから1週間。 仮に新型コロナウイルス感染症ではなくても、 病気を治療するためには、今の時期には新型コロナウイルスの検査、そして「陰性」の判定が必要 。 ここで何とかその検査の許可がおり、次のステップに進める可能性が出てきました。長かった…。 じつはこのPCR検査の許可がおりるに至り、影で嫁さんがかなりがんばってくれていたのです。 病院に保健所とのやり取りを説明し、病院の方から保健所に連絡をとってもらったのが、PCR検査が実施できた要因かと思います。 経緯をまとめると次のとおりです。 保健所に連絡 ⇒条件を満たさないので検査の許可が降りず 受診予定の総合病院で事情を説明 総合病院の発熱外来を受診 ⇒病院の先生も保健所に連絡するが検査許可は降りず 自宅待機 ⇒この時期、 病院は新型コロナウイルス、インフルエンザの「陽性」が出ない場合にはもれなく帰宅 させられた 症状が悪化し続ける ⇒再度保健所と病院へ連絡 保健所から検査の許可は降りない 保健所に再度連絡 ⇒コロナの検査が受けたいのではなく、 「コロナの検査を受けないと他の検査もできない」 現状を説明 保健所からは現状ではどうしようもないとの回答 上記説明を病院にも行い、病院と保健所が連絡をとり合うようになる ようやくPCR検査の許可が降りる 日々嫁さんが努力し保健所や病院と連絡をとってくれていました。 これはあくまでも僕のケースでのお話となりますが、 検査へのハードルは相当高い というように感じます。嫁さんいわく、電話がつながらないときも多々あったそうです。 ようやくたどり着いた検査。 内容は喉の奥に長い棒を当てて採取する検査と痰の検査。 これは僕が思ったことですが、インフルエンザの際に鼻の中に細い棒を突っ込みますよね。あれの喉バージョンのような感じです。 そのPCR検査と併せて他にも検査を行い、気づけば5本もの棒を鼻や口に入れられていました。 …少し前までは結果が怖かったこの新型コロナウイルスの検査。 “もしも陽性だったらどうしよう”などとずっと考え込んでいましたが、この時はもうとにかく結果が早く出て欲しいと思うばかりでした。 何でもいいからこの高熱から解放して欲しい…。 そして翌日の夕方。 ようやく検査の結果が…!! (今ではもう少し早く検査結果が出るのかもしれませんが、この時は1日半~2日以上経たないと出ませんでした。) 結果は、陰性…! これでようやく本当の病気を調べてもらえる。 やっとこのきつさ・だるさから解放される可能性が…!! しかし、最初の発熱からすでに10日が経過。 この間に体重は10キロ落ち、睡眠不足と熱からの衰弱で歩行は困難に。 例年なら恐らく数日でここまでたどり着いていたのだと思います。そして、ここまで衰弱することもなかったのかと。 インフルエンザ流行の際もそうですが、いまこの 新型コロナウイルスが世界中に猛威を振るっているこの時に、病気になると本当に大変なことになる 。そう実感させられた出来ごとでした。 それほどまでに新型コロナウイルス感染症は恐ろしいのだと思います。 直接感染しなくても、間接的にでもここまでの影響力がある。ここ数十年では過去に例をみない異常な事態なのではないでしょうか。 そして更に翌日、3月18日(水)。 紹介状を手に早朝から都会にある総合病院を受診。 その結果は… 入院、でした。 血液検査の結果、肝臓の数値が正常値の5倍近くにもなり肝機能障害をおこしているとのこと。 あとは白血球の数値がかなり下がっていて何かしらウイルス感染をおこしている兆候がある、と。 ようやく病気解明のスタートラインに立った僕ですが、戦いはここからが本番だったようです。(もう少しだけ続きます!) 次回は5月21日掲載予定です。 ※今回の体験は、2020年3月時点のものです。現在とは状況が異なる場合もあります。 ※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 また、筆者は新型コロナウイルスへの感染はありませんでしたが、症状や疑いがある方は、最新の新型コロナウイルス感染症の対応をご確認のうえ、指定機関にご相談下さい。
2020年05月04日こんにちは、もりりんパパです。久しぶりの更新となってしまいました。 実は3月のあたまに体調を崩してしまいまして… その時すでに世界中が大変なことになっていたので、受診するのも苦労しまして。 結果を先に書きますと、 新型コロナウイルスには感染していませんでした。 しかし、ちょっと厄介な病気になってしまい入院することに。 家族にも職場にも多大なる迷惑をかけてしまいましたが、およそ1ヶ月の休養の後、何とか仕事に復帰することができました。 何回かに分けて、「いま病院にかかる大変さ」や「急な入院時の家族の苦労」、「いま家族を守るためにどうすればいいのか」など書いていきたいと思います。 正直、自分が入院するなんて思ってもみませんでした。 いま、健康のありがたみを日々ひしひしと感じています…。 あれは3月の初めの週のことでした。 何かだるい気がしました。でも別に熱はないし咳や喉が痛いなどの症状もない。 念のため外出を控えて、家では長めの睡眠をとるようにしました。 しかし、倦怠感は日に日に増していきました。 でもこの時点では少し違和感という程度で、疲れているのかな…くらいに思っていたのです。そしていつもと変わらない生活をしていました。 そして…。 3月の2週目の日曜日。 ついに熱が出てしまいます。 この熱はこれから2週間近く下がることはありませんでした。 しかし、このタイミングでの熱はちょっとマズい。 いろいろと沸きあがってくる不安。 ニュースなどで聞いた症状には当てはまらないけどやはり怖い。 そんな訳で、万が一に備えて職場に連絡を。 僕は介護老人施設に勤めているので、利用者である高齢者の方々に病気を感染させてしまったら大変なことになってしまう…。 上司はきちんと理解してしばらくの休養をくれました。 とりあえず普通の風邪だと信じて、熱が下がったら仕事に戻ろう。きっと何日間か休んだら回復してまた出勤できるはず! そう思っていました。 しかし。 結局3月の間は仕事に戻ることは叶いませんでした。 翌日の月曜日、かかりつけの個人病院に連絡して受診することに…。 インフルエンザや血液検査を行い、隔離された部屋で点滴をうけながら待っていました。 …が。 ここで疑われてしまう新型コロナウイルスの感染。 血液検査の数値がウイルス感染の値を示しており、おまけに他の病気の可能性が見当たらなかったそうです。 自分の身体から血の気が引いていくのがわかりました。 それはもうショックでした。が、仕方がありません。 処方された薬を飲みつつ、それで治ることを祈りながらその日は眠りにつきました。 翌日、病院から指示された通り保健所に連絡。 保健所の方はとても優しく丁寧でしたが、決まりで条件を満たさない限り新型コロナウイルスの検査はできないと言われました。 これは予想どおりでした。 この時点で出ている症状は熱と倦怠感、あとは左首のリンパ辺りの痛みくらいでしたからね。 そういうわけで、答えは出ないまま、僕は家で家族と接するのを控えることにしました。 わが家では長女が嫁さんと、次女は僕と、分かれて就寝しているんです。でもその時から僕は1人部屋に閉じこもり、次女は嫁さんの部屋で寝させることにしました。 次女は1才の頃から僕と一緒に寝ているので、こういう時はいやがったり怒ったりするのですが… この時はふざけることすらなくすごく心配してくれましたね。 僕の様子がそんなにひどかったのでしょうか。次女の優しい言葉に思わず涙してしまいました。 うれしいとともに、とても悔しい。自分の身体の状態がつらくて、そして子どもにこんな風に思わせてしまうのが悔しい。 何とも言えない感情になりながら、早く良くなりたいと願ったのでした。 しかし。 熱は続き悪化し続けました。 結果、自力での歩行がほぼ困難となってしまいました。 つづく。 次回は5月4日掲載予定です。 ※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 また、筆者は新型コロナウイルスへの感染はありませんでしたが、症状や疑いがある方は、最新の新型コロナウイルス感染症の対応をご確認のうえ、指定機関にご相談下さい。
2020年04月16日こんにちは、もりりんパパです。 感染症拡大の対策として政府が小中高校の休校を要請し、世間はバタバタしているかと思いますが…我が家ももちろん例外ではありません。 あまりの期間の長さにびっくりしてしまいましたし(^^; 中学校なんかは途中終業式として出校日があったんですけどね。それも中止になってしまいました。 こういった状況ですからね…仕方ないなぁというのが個人的な考えです。 まぁ長女の中学校は進学校なので宿題がたんまりと出て、あんまり遊ぶ時間もないでしょうしね。 大きいので基本的なことは自分でしてくれるので任せるとします。 次女もなんだかんだで宿題があるみたいですしね。 日々活動的に過ごしているのでこのまま様子をみるでいいかなぁ…といった感じです。 感じ、でした。 だがしかし( ̄▽ ̄;) 休みが始まって数日後にはこのような感じになっておりました。 そう、宿題は確かにたくさん出ているんですけどね。 いつもならば途中で買い物に行ったり友達と遊びに行ったりなど、予定が入ってきてスムーズに終わらない宿題。だけど今は可能な限り家で過ごさなくてはなりません。 なのである意味ジャマも入らずノンストップで宿題が終わってしまう。 つまり夕方には遊ぶのも飽きてグダグダしてしまうことに。 とはいえ、これ以上勉強の量を増やしても意味がない…長時間たくさん量をすれば良いとは限らないないですからね。 そこで、こんなに時間がありあまっている時にしか出来ないようなことを、普段だったらしたくても出来ないことを提案してみました。 思いのほかの展開に目が輝きだす2人。 そしてその日以降、様々なものを作り出していました。 まずは次女。 わざわざ買い物に行くとあまり意味がないので、基本的には家で通常であればゴミになるような物を使っています。 でも何をどのように使うのかは次女しだい。ペットボトルやタマゴのパック、段ボールや折り紙で色々な物を作っていましたね。 てか、タマゴのパックの中にニワトリとヒヨコを住ませるとは。その発想はなかった(笑) そして長女。(食材はさすがに数点購入しています) この子はたまに嫁さんと夕ご飯をいっしょに作りますが、嫁さん似なのか料理がうまい…。 親の僕が言うのもアレですが、ホットケーキもアイスクリームも絶品でした。インターネット上にあるレシピを見ながら作ったそうですけどね、いやぁお見事です。 こんな感じで我が家は楽しく休みを過ごしています。 工作の場合はゴミが活用出来ますし、あるもので作るので発想力が豊かになると思います。 …時間もかなりかかりますが、その間本人が楽しいならそれで良いと思いますし。 料理は…純粋においしくて食べさせてもらうコチラも楽しいです( ̄ー ̄)ニヤリ いつまで休みが続くか分かりませんが、今決まっている環境の中で出来ること・楽しいことを見つけていきたいと思います。 それでは、ここまで読んで頂きありがとうございました!!
2020年03月24日姉妹誕生物語:長女編の続きです。 前回のお話はこちらからご覧いただけます。 出産のあまりの苦しみに嫁さんが握る力は相当強く、切れて血がにじむ僕の腕。でも、そんなのはどうでもいいと思ってしまうほどに苦しそうな顔をしている嫁さん。唇の周りは痛々しく毛細血管が浮き出ています。 それでも。 この後元気な赤ちゃんと会えることを希望にひたすら頑張るその姿。 出産において男とはあまりにも無力。 そう痛感させられましたが… とにかくそばにいたい。 そばで見守りたい。 せめて隣で頑張っている嫁さんとこれから産まれてくる赤ちゃんを応援したい。 何もできない僕ではありましたが、ただひたすらそう願い祈っていました。 そんな状況だったのですがね。 ここでふと産婦人科の先生に声をかけられましてね。 赤ちゃんの頭が見えてきたからちょっと覗いてみませんか、と。 …。 ……。 ………。 はい( ゚д゚)!! つい見に行ってしまいました。 …因みに、これは後で嫁さんから聞いたお話なんですけどね。 何を言っているんだこいつらは(# ゚Д゚) と思っていたとのことでした。 す…すまん嫁よ。 嫁はよもや痛さと苦しさでそれどころではなかったのでヤケクソで諦めたそうです。 はい、本当にすみませんでした。 出産の時…夫の立ち合いはどこまでするのか、妻はどういった希望があるのかをきちんと夫婦で話し合っておくべきでしたね。 この辺りも、初めての出産ということで考えや配慮が足りなかったと思います。ちなみに、およそ7年後の次女出産のときは妻と話し合った結果、定位置から動かないことを徹底しました。 でも…この時見たのは半分まで出てきていた赤ちゃんの頭でね、本当に後もう少し! という感じで感動したんです。 そして、いよいよもう1回のいきみで産まれるという時に。 ついに誕生の瞬間。 明らかにその場の緊張感が高まっているのが感じとれました。 頑張れ…頑張れ!! ここで吸引をすることに。 赤ちゃんの頭に機械が取り付けられ引っ張られます。 頑張れ…!! がんば… れ(゚д゚)!? そしてついに赤ちゃんの身体全てが出てきたのですが、目の前には僕の想像を遥かに超えたものが…!! なっげぇ:(;゙゚''ω゚''):!! 吸引されていた赤ちゃんの頭が、めちゃくちゃ伸びている!! 顔のサイズと同じ長さの頭が目の前に。 これも後で聞いたのですが、赤ちゃんって産道を通るために頭の骨がかなり柔らかくなっているんですよね。なので吸引をするとこういうことになりやすいみたいで。 ちょっ、それはいくらなんでも伸びすぎじゃない? という感じで、少し焦ってしまいました。 でも。 こうやって無事に産まれてくれた。 目の前で泣いているのは、まだまだ小さいけれど確かな強さを発している新たな命。 おめでとう長女。 今日が君の誕生日。 これから、大きくなるまで見守っていくからね。 一緒に過ごしていこうね。 そして。 ありがとう嫁さん。 ここから僕が親としての実感をもつまでには少し時間がかかってしまったけど、こうやって出産に立ち会って大変さや自分の無力さ、そしてそれでもそばにいることの大切さや嬉しさ感動などを感じることができてとても良かったと思うよ。 この時のことは15年近く経った今でもとてもよく覚えている。 本当にありがとう。 僕を父にしてくれてありがとう。 こうして、2005年のとある夏の日の早朝に長女は誕生したのでした。 あ、そうそう。 産まれたときにびっくりした長女の頭の形でしたが、しばらくすると(1ヶ月ぐらいだったと思います)自然な丸い形になりました。 人間の身体って不思議だなぁと思いつつ、これにも感動してしまいましたね。 さて、今回で長女の誕生物語は完結なんですけどね。実はこのお話、長女に今一度見てもらいたくて書いたお話でもあるのです。 それは2020年の初め。 長女と嫁さんによる大きなケンカが発端となっていたのでした。 そのお話はまた機会があれば書かせて頂きたいと思っています。 それでは、無力な父の若き頃のお話でしたが… ここまで読んで頂きありがとうございました!!
2020年03月06日姉妹誕生物語:長女編の続きです。 前回のお話はこちらからご覧いただけます。 さて、祭りに行く準備をしているさなかに破水してしまった嫁さん。慌てて産婦人科に連絡をし、車で向かおうとするも渋滞に巻き込まれてしまい… 焦りながらもどうにか病院に到着したのでした。 この時は2005年の8月27日。時刻は21時前。 長女が生まれるおよそ9時間ほど前です。 到着後すぐに病室へと案内されましたが、すでに痛みが強かったらしく苦しんでいる嫁さん。 僕は本当にどうしたら良いのか分からずただひたすら焦っていましたが、その場に嫁さんのお母さんも駆けつけてくれたので少し安心したのを覚えています。 なんせ僕も嫁さんも初めて直面する出産ですが、嫁さんのお母さんは3人も子どもを産んでいますし、嫁さんの性格も言動もよく分かっていますからね。 僕は…正直この時はまだまだでしたし(-"-; で、そのうち嫁さんは病室のベッドにいつまでもいることが不安になり、分娩台に行きたいと言い出すように。 お母さんが分娩台特有の不便さを教えるも、嫁さんは聞く耳を持ちません。 この時は実際まだ子宮口は全開ではなかったらしいですが、とにかく初めての不安と痛みとの恐怖が大きかったとのちに嫁さんは語っていました。 病院側に確認すると、この日はたまたま空いていたらしいんですよね。 で、看護師さんも笑いながらでしたが分娩台へと移動していったのでした。 病室から分娩台までの移動はそれはもう地獄だったそうです。 そしてようやく分娩台へ。 で、お母さんの言った通り分娩台は狭くて固くて動けない。 ゴロゴロと動くことで気を紛らかすことが出来ず、途中台から降りて床にうずくまったり。 これはお母さんに怒られていたような…。 こんな姿を見ると、男ってホント無力だなとつくづく感じましてね。 そんな中で自分に何か出来ることを考えて動こうと思いました。 そしてドラマか何かで見たのを思い出して実践…!! しかしダメでした!! むしろ痛いから身体に触れないでと怒られてしまいました。 そ、そうなのか…ムムム。 で、そんなことよりも暑くてたまらないから扇いで欲しいと言われましたが、手元にうちわや扇子はなし。 仕方ないので病室にあった避難訓練の経路図(A4サイズでプラスチック紙のような物)を借りてきて風をおこすことに。結局早朝までお借りしました。 そんなこんなで時間はどんどんと過ぎて行き。 子宮口も次第に全開となり、陣痛の間隔もかなり短くなってきました。 あまりの苦しみに嫁さんが握る僕の腕は切れて血が滲みます。 でも、そんなのどうでもよくなる程苦しそうな顔をしている嫁さん。 唇付近は力んで浮き出る毛細血管が痛々しい。 それでもこの後元気な赤ちゃんと会えることを希望に頑張るその姿。 僕は何も出来ませんが、ただひたすら隣で願い祈っていました。 頑張れ…頑張れ!! 長女と会えるまで、あと少し…!!
2020年02月21日いつも読んで頂きありがとうございます。 もりりんパパです。 わたくしごとですが、実は僕たち夫婦はもう間もなく結婚15周年を迎えます。 早かったような長かったような… まだまだ育児の途中ではありますが、振り返ると様々なことがありました。 で、ふと長女や次女が生まれた時のことを思い出したんですよね。 長女が生まれたのが2005年。 そして次女はその7年後の2012年に生まれました。 僕はどちらも立ち会わせて頂きましたが… 若さもあってか色々な事件が起こってしまいましてね( ̄▽ ̄;) そんな昔話を今回からお送りしたいと思います。 良ければどうぞお付き合いくださいm(__)m ケンカばかりしてた若すぎる僕たち 時は2005年。 この時僕は22才、嫁さんは20才になって数ヶ月でした。 あの頃の僕たちは新婚。 そんなこともあり僕たちはいつでもどこでも”キャッキャウフフ”…(*´艸`*) なんてことはなくケンカばかりでした( ゚д゚) 恥ずかしい話、僕たちは付き合っていた頃からしょっちゅう口喧嘩ばかりしていたんですよね。 頻度にして週に1回のペース…。 多分今が1番平和なのではないのかと思います。 ここ5年位は大きなケンカは発生していない。 …気がします。 で、この日は地元でお祭りが開催される日だったんですよね。 行事の前になると必ずと言ってもいいほどケンカをしていたふたり。 準備とかでワタワタして心がセカセカすると、ついついケンカになっちゃう。 この日もそんな流れだったとは思いますが、それから意見をぶつけ合ってお互いに納得して。 ようやくお祭りの花火を見に行こうということになりました。 19時半頃でした。 んで、さぁそれではお祭りに行きましょうかと嫁さんが室内の小さな段を降りた瞬間… パシャッ… 僕には全く分からなかったのですが、嫁さんからパシャッと何かしらの音がしたそうです。 それは破水の音だった…! 慌てて病院へ そんでそれが何か分からなかった嫁さん… 漏らしたと勘違い!! 当時の僕は知りませんでしたが、妊娠するとちょっとした刺激(くしゃみなど)でも尿漏れしてしまうことはありますもんね。 動揺を隠しつつ嫁さんをなだめる僕。 しかしこれは違った。 破水だった!! 嫁さんもまさかの破水にビックリ。 で、とにかくお互い初めての経験だったので焦る焦る。 ある程度は予習していた2人。でもいざこの日が訪れてしまうとやはり焦ります。 とにかく産婦人科に行かないと!! ということで病院に電話したり荷物の確認をしたり。 予め荷物の用意はしていたはずなのにどこにあるのか分からない。 そもそも持っていくものはこれで足りるのか、忘れ物はないのか!? 慌てて用意をするも、嫁さんは身体に異変を訴えだします。 陣痛が少しづつ始まってしまったのです。 嫁さんを車に乗せて家を出発!! しかし運の悪いことに家から産婦人科までの間にお祭り会場がある…!! いつもとは比べようもないほどの人、そして赤信号。 毎年大好きで楽しみだったお祭りが、この日はとにかく邪魔で仕方がありませんでした。 僕の横でどんどん痛みが増す様子の嫁さん。 早く! 早く!! 信号が早く変わることを祈りつつ、急ぐ僕なのでした。 次回に続きます!!
2020年02月06日こんにちは、もりりんパパです。 年が明けて気が付くともう十数日。 時が過ぎるのは本当に早いですね(^^; 次女さんが鼻骨折で即入院・手術になったお話の続きです。今回でラストとなります。 ここまでのお話はこちらからご覧いただけます。 手術が終わり、僕たちが面会をするも、とてもお話ができる状態ではなかった次女。 なので泣く泣く帰宅をした僕ですが、そこからワタワタとしている間に届いた嫁さんからのメッセージの内容にビックリ。 手術の翌日に社会見学("゚д゚)!? えっ、大丈夫なん!? とっさにそう思ってしまいましたが、もうこれは決定事項のご様子。 わけはあとで聞くとして、とりあえず荷物の用意です。 必要な物はリュックサックやシートに水筒。体操服や赤白帽子も。それに加えて前回のお話で準備した”誓約書”などの書類関係や印鑑も。 で、どうしてこのような急展開になったのかは翌日嫁さんに教えてもらいました。 『…ねぇママ』 次女の涙にママは 実は手術の直前にこのようなお話をしていたみたいなんです。 小学校に入学して、初めての社会見学。行先は次女の大好きな動物園も含まれていて、それはそれは楽しみにしていたんです。 しかし、そんなさなかに手術をすることになってしまい、諦めつつも残念で仕方がなかった次女さん。 手術直前にその気持ちがあふれ出てしまいました。 そこで嫁さんは病院の先生と学校の担任の先生それぞれに聞いたそうです。 病院の先生からは『麻酔がとれてその後元気に回復したのなら問題なし』との言葉をいただきました。 先生からも『病院の先生が問題ないと言うのであれば、学校側も大丈夫ですよ』と返事をいただきまして。 これで晴れて次女さんは社会見学に参加出来ることになったのでした。 (病院から退院後に現地へ直行して合流することになりました) 電話の横では元気に回復して好物の冷やし中華を食べる次女。 もう元気いっぱいです! お弁当の代わりに院内のコンビニで好きなものを購入 そして翌朝… 病院内のコンビニでお弁当を…。 本来は大好きなポケモンのピカチュウのキャラ弁を楽しみにしていた次女さん。 しかしそれはさすがにムリです(^^; なのでその代わりに食べたい弁当もお菓子も何でも買ってあげたと言っていました。 それはもう凄い量だったそうですが(笑) でもとても喜んでいたのでそれで良し。 その後9時過ぎに僕が病院に到着して退院手続きを。そして10時過ぎにいよいよ退院…!! その時の実際の様子がこちらです。 こんなに嬉しいのか…と見ているこちらも微笑んでしまうようなとびきりの笑顔でした。 うんうん、よくがんばったね。 おつかれさま。 昨夜は見れなかったその顔が見ることができてパパも嬉しいよ! では… 行ってらっしゃい!! このような感じでバタバタだった次女の入院・手術のお話はおしまいです。 長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂き本当にありがとうございました!
2020年01月18日明けましておめでとうございます!! いつ読んで頂きありがとうございます、もりりんパパです。 2020年、始まりましたね! 今年はオリンピック、そしてパラリンピックが東京で行われますね。他にも様々なことがあるようですが、どんな年になるのでしょうか。今から想像するだけでワクワクしてきます。 僕も仕事で15年務めた部署(デイサービス)を離れ、隣に併設されている特養(老人ホーム)にて心機一転生活相談員をがんばることになりました! 仕事に子育てにブログに趣味にと今年も楽しく活動をしていこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします!! さて、それでは今回のお話。次女さんが鼻骨折で即入院・手術になったお話のつづきです。 こちらが最初のお話になっています。 よければ併せてご覧ください。 さて、バタバタだったし様々なことがあった手術当日。 僕の中では泣いてしまったりと色々な感情が溢れてしまいましたが、とりあえずは帰宅です。 ずいぶん遅くなってしまいましたし、まずは長女と夕食をとらなですからね。 …いや、そういえば何か肝心なことがあったような。 う~ん。 まぁ、まずは飯です。 腹ごしらえをしながら目を通すとしましょう。 ………。 ……。 …。 思ってたより重要そうな内容だった("゚д゚) どうやらこの病院では入院費に関する誓約書というのが必要で、保証人2人に記載してもらわないと退院することが出来ないのだとか…!! 即座にインターネットで調べてみましたが、病院によって書式・形態は違うものの概ねこのようなものがあるそうで。 んで、これがないと退院することができない。 つまり退院時までに必要。 ………。 退院明日じゃん:(;゙゚''ω゚''): 誓約書を頼まないといけないのは2人。 1人は僕たちが一緒に住まわせてもらっている(わが家は嫁さんの祖父祖母との2世帯住宅です)嫁さんのじいちゃんに書いてもらうとして。 もう1人は…まぁ、僕の親父ですかね。 でもねぇ、僕の親父ってこのような保証人というものに相当敏感で、嫌がる傾向があるんですよね。 しかし時間はもう21時。 時間がない!! そんなわけで意を決して親父の元に向かったのでした。 まぁ、母親が介入してくれたおかげでなんだかんだ書いてくれましたけどね。 こういったことが入院時に必要になってくることを再確認したので、次からは予め相手に話しておこうと思います。 入院や手術なんてしないのが一番ですが、いつ何とき自分や家族に降りかかってくるか分かりませんからね…。 さて、時間も相当遅くなりましたがこれでようやく退院の準備が整ってきました。 と、ここで嫁さんから何かメッセージが。 どういうことだってばよ!? ここにきてまさかの急展開。 そんなわけで、このお話はもう少しだけ続きます。 それでは、ここまで読んで頂きありがとうございました!
2020年01月04日