エッセイスト。1982年福岡県生。13歳と11歳の子を持つシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』(朝日出版社)『りこんのこども』(マガジンハウス)、Webでは『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)をはじめとしDress Project、AM、HRナビ、ポリタス等に連載、寄稿多数。Twitter ID:@akitect
19歳で子どもを産み、“新米ママ歴14年”の紫原明子さんの家族日記。ママも14年経てばベテラン? いいえ、子育は予測不可能。思いもよらない出来事が日々起こります。
約10年前、私が結婚生活に区切りをつけて、ひとり親として子どもたちと新しい生活を始めようとしたとき、真っ先に立ちはだかったのは家の問題でした。それまでの私は長らく専業主婦で、当時はなんとか非正規の仕事に就いたばかりのころ。家を借りるにあたって、大家さんの信頼を得られるだけの材料がまるでなかったのです。 けれどラッキーなことに、保証人さえ立てれば収入証明などの書類も不要で貸してもらえる古いアパートと巡り合い、当時の私は生まれて初めて私の名義で、自分の家を借りることができたのでした。 シングルマザーの家探しはラッキー頼み? それにしても離婚がこれだけ当たり前になった世の中で、ひとり親は家を借りるのだってラッキー頼み、なんて状況はどうにかならないものかと切実に思う次第です。 離婚や別居の理由に配偶者からの暴力があるような場合、安全な住まいの確保は親と子の死活問題です。にも関わらず、のちに知ったことによると大家さんの中には、たとえ収入証明や課税証明などで十分な収入を証明できたとしても、ひとり親であることを理由に契約を拒否する場合もあるそう。 どうしてこうも世知辛いのか、うっかり絶望しそうになってしまいますが、そんな私は少し前、 愛知県の認定NPO法人LivEQuality HUBという団体と出会いました。 ここではまさに、ひとり親家庭や、これからひとり親になろうとしている親子に向けて、住まい探しを中心とした支援活動を行っています。ひとり親家庭をこんなふうにサポートしてくれる人たちがたしかにいるということを、ぜひたくさんの人に知ってもらいたくて、ずいぶん昔に眠りについたこの連載を、このたび臨時で再び目覚めさせることとなりました。 シングルマザーAさんを取材 生活の基盤を整えるまでの道のり 今回私は、実際にLivEQuality HUBの支援を受けている居住者のAさんを紹介してもらい、お話を伺いました。30代、二人の子どもの母親であるAさんは、シングルマザーであると同時に外国籍です。日本人の元夫と2017年に結婚。配偶者ビザがおりた2019年に夫、長男とともに日本に移り住み、その後日本で次男を出産しました。長く夢見ていた結婚生活でしたが、日本での生活が続くうちに、次第に夫の態度が変化していきました。 「夫が何日も無断で家に帰って来なくなったんです。それをとがめると、仕事で疲れてるから仕方がないだろうと怒られました。最初はそんな彼を理解してあげなければと思っていましたが、どんどん強い言葉で罵られるようになっていきました」 日本語がまったく話せず、日本での生活は右も左もわからないAさんには、相談できる友達もいませんでした。母国の家族とは頻繁に連絡をとっていたものの、心配をかけてしまうと、悩みは一切打ち明けませんでした。 悪化していく家庭の状況… 「暴れる夫を見ても離婚は想像していなかった」 そんな状況で1年以上耐え続けましたが、ある夜、口論のすえに激昂した夫が家中のものを手当たり次第投げては壊し始めました。怯える子どもたちを前にいよいよ危険を感じたAさんは、家から1時間ほどの場所に住む従姉妹の家に、親子で避難しました。 「夫は警察に、私が子どもを誘拐したと通報しました。母国に子どもを連れて帰るかもしれないと思ったんでしょう。だけど私は そのときでさえ、離婚を考えていなかったんです。離婚して生きていけるなんて思っていなかったし、つらくても私が我慢するしかないと思っていました。 だけど、初めてすべてを打ち明けた従姉妹に、あなたは一人でもちゃんと生きていけるよ、私も助けるからと言われて、勇気づけられたんです」 Aさんはこの日を境に離婚に向けて、また子どもたちとの新しい生活に向けて、準備を始めました。幸いにも英語が堪能な日本人の弁護士と出会い、夫との交渉の窓口に立ってもらいました。夫側から提示された離婚の条件は、子どもたちを日本で育てること。本音ではつらい記憶の多い日本を離れ、家族のいる母国に帰りたいという思いもありました。けれど、日本で暮らさなければ親権を渡さないと言われ、Aさんが夫の条件をのむ形で離婚が成立しました。 無事に離婚成立 しかしその後も問題は山積み… 問題は離婚後の住まいと仕事でした。それまで専業主婦だったAさんには、家を借りるための頭金がまったくなく、また家が決まらなければ、仕事に就くこともできません。そこに輪をかけて、あらゆる契約に不可欠な日本語の読み書きもできません。困り果てたAさんは従姉妹に付き添われて市役所に相談に行き、そこでLivEQuality HUBを紹介されました。 LivEQuality HUBの居住支援コーディネーターとの数回の面談を経て、ほどなくしてAさんは、団体が提携しているマンションの一室に、子どもたちとともに入居できることになりました。LivEQuality HUBでは、提携している賃貸物件を各ひとり親家庭の事情に見合った柔軟な条件で提供したり、困っているひとり親家庭の力になりたいと願う大家さんとをつないだりする形で、住まい探しのお手伝いをしています。 さらに無事転居が完了してからも、居住支援コーディネーターとの定期的な面談を通して、生活の中の細々とした困りごとの解決を継続的に手助けしてくれるといいます。 「新しい家に移ってからは、全てが変わりました」 新居に引っ越してからのことを尋ねると、Aさんはそれまでの暗い表情から一転して、大きな笑顔を浮かべました。履歴書に書ける住所を持てたことで、Aさんはホテル管理の仕事に就くことができました。給料は親子3人が暮らしていくのに決して十分とはいえないものの、相場より安い家賃や、LivEQuality HUBを通じた食べ物や学習用品などの物資支援によって、安定した暮らしを営むことができているといいます。 日本語が話せるようになれば、担える仕事の幅も広がるからと、最近では同団体を通じて紹介された日本語レッスンも意欲的に受けているAさん。実はこのAさんの日本語の先生というのも、Aさん同様、かつて離婚を機に子どもと家を出たシングルマザーでした。当時住む家に困った先生は、藁をもすがる思いで子どもとともに、ひとり親家庭向けシェアハウスに身を寄せました。あのときたくさんの人に助けられたから、落ち着いた今は少しでもその恩返しをしたいと、Aさんへの日本語レッスンを、無償で引き受けています。 これまでの道のりを振り返ってAさんが今思うこと かつて、慣れない日本で唯一の頼みの綱だった夫との不仲に直面し、孤立していたAさん。けれども彼女は市役所に相談に行き、その先でLivEQuality HUBに出会ったことで、安心できる住まいと新しい暮らし、そして自分達を暖かくサポートしてくれる人たちとのつながりを持つことができました。 これまでの道のりを振り返って、Aさんはこんなふうに語ります。 「ひとり親になるということは、苦労の多い人生ではなく、強くなるための旅(Journey)です。」 「強くなろう」と思うとき、私たちはつい、何でも一人でこなせる強靭さを身につけようとします。けれども、子どもにとって換えのきかないたったひとりの親となった私たちに、本当に必要な強さとは、実は少し別のものなのかもしれません。まわりに信頼できる味方を増やして、自分だけで全部をこなさなくてもいい環境を作ること。持続可能な自分と、家族のあり方を再構築していくこと。ひとり親を経験した者として、それが実は、本当に必要な強さなのかもしれない、と思うのです。 誰かを頼るというのは、誰かを信じて期待をかけることだから、応えてもらえなければ当然がっかりします。Aさんもきっと、慣れない日本でたくさんがっかりすることがあったでしょう。それでも、信じて、頼ることを諦めなかったAさん。だから今、彼女の周りにはたくさんの味方がいます。 とはいえ本来は、公的な制度がより整備、拡充され、ひとり親が特別な「強さ」を強いられずとも安定した暮らしを望めるようになるべきです。ただ、それが必ずしも十分でない現在、ともすれば冷たくも思える世の中で、困っている親子の力になりたい、問題解決に寄与したいと願っている人たちがたしかにいるということを、ぜひ今、不安を抱えているひとり親のみなさんに知ってほしい、諦めずに探して、頼ってほしいと思います。 仮にももし、人を頼ることが誰かに「借り」を作ることだとすれば、その「借り」は自分が次に誰かを助けることでようやく手渡されるバトンです。「借り」た方は助かる、「貸し」た方も、自分もこうしていつか誰かに助けてもらえる、と信じることができる。個人間にある見えない無数の「貸し」「借り」の糸が、さながら網の目のように私たちの社会に張り巡らされ、希望がこぼれ落ちるのを防いでいる、そんなふうに考えてみると、「借り」もまんざら悪いものではないような気がしてきます。 ■取材協力先 LivEQuality HUB(リブクオリティ ハブ) 困りごとを相談できる窓口はこちら 夏休みはひとり親の負担が大きい時期 「おたがいサマー」キャンペーン 給食がなくなり食費の負担が増す、日中の子どもたちの居場所がないなど、夏休みは特にひとり親の負担が大きくなる時期だといいます。そんな中、LivEQuality HUBが「おたがいサマー」夏の寄付キャンペーンを開催中。さらに8月25日には愛知県にて紫原も登壇するトークイベントが開催されます。ぜひ会場でお会いしましょう! ■8/25「あやうく一人で頑張るところだった」イベント ◎開催日時 2024年8月25日(日) 17:30~20:00 (受付開始17:00〜、開始17:30〜、終了20:00予定) ◎会場 パルル(parlwr) 愛知県名古屋市中区新栄2-2-19新栄グリーンハイツ105 名古屋市営地下鉄東山線「新栄町」駅より徒歩6分 Googleマップ ◎参加申込み ◎開催方式 対面・ライブ配信(アーカイブ視聴可能) ◎参加費 会場参加:1,000円 ライブ配信参加:無料 ◎バリアフリー 会場の一番狭い通路が80cmです。通路を通れるサイズの車椅子であればご参加いただけます。大変申し訳ございませんがトイレはバリアフリー対応しておりませんので、新栄町駅構内のバリアフリートイレをご利用ください。 取材・文/紫原明子
2024年08月17日こんにちは、紫原明子です。実は2023年の夏ごろ、私たちの取り組み「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」がブラジル最大のテレビ局、TV Globoから取材を受けました。 来日した取材クルーより、実際に「泣いてもいいよ」というキャッチフレーズが街に掲示されている様子を撮影したいという要望があり、これに快く応えてくださったのが、世田谷区内にあるおでかけひろばです。今日はこの世田谷区の子育て支援の取り組みと、放送された番組を見た世界からの反応についてご紹介します。 世田谷区内に40カ所以上開設された「おでかけひろば」 世田谷区では2019年からWEラブ赤ちゃんプロジェクトに賛同し、「泣いてもいいよ!」ステッカーの配布やポスターの掲示など、継続的に幅広く展開してくださっています。 23区内で最も人口の多い区であり、ファミリー世帯も多い世田谷区では近年、待機児童問題の解消をはじめとした、さまざまな子育て支援に力を入れています。中でも区内に40カ所以上開設されているという「おでかけひろば」は、主に0〜3歳の赤ちゃんと親御さんとが気軽に立ち寄ることのできる、嬉しい施設なんです。 2019年から賛同している世田谷区。オリジナルのステッカーは区内の「おでかけひろば」でも配布中 安全に配慮されたおもちゃや赤ちゃん向けの遊具が、やわらかなマットの上にたくさん用意されていて、赤ちゃんがのびのびと遊ぶことができます。私たちが訪れた日も、たくさんの親子連れの姿が見られました。雨の日や猛暑日、寒い冬など、屋外で遊ばせるのが難しい日には、特に助かりますね。 また単に遊び場が開放されているだけでなく、定期的に心理相談や栄養相談も実施されているんです。常連の赤ちゃんには「あら〜◯◯ちゃん、こんにちは!」と声をかけてくれる優しいスタッフさんも常住。何かと不安の多い乳幼児の子育て中に、なんとも頼もしい存在です。 「おでかけひろば」の中には、 一時預かりを実施している施設や、親御さんのワークスペースが併設された施設まである そう。どこまでも子育て中の親御さんの目線に立った世田谷区の子育て支援、またこれらが無料で利用できることに、ブラジルからの撮影クルーも驚いた様子でした。 日本の少子化の背景を探る ブラジルのテレビ局で番組が放送されると… さて、今回のブラジルのテレビ局TV Globoの取材は、日本の少子化の背景を探るという特集の一環で行われました。私からはこのステッカーができた背景や、子育てをめぐる日本の環境についてお話しました。 後にわかったことですが、TV Globoの番組はブラジルに限らず世界中から試聴されているそうで、インタビューが放送された直後から、私のInstagramにはさまざまな国の方から、好意的な反響が寄せられました。そのうちの一人、ブラジルで生まれ、現在はドイツのベルリンで子育て中というミラさんからは、こんなメッセージをいただきました。 “「泣いてもいいよ」ステッカーがドイツにもあったらいいと思います! 赤ちゃんを育てる親御さんたちを安心させてくれる、素晴らしいキャンペーンですね! ドイツでもきっと暖かく受け入れられると思います。” なんとも嬉しいメッセージです。ちなみにこのミラさんに、ドイツで子育てする中で、周囲からの不寛容な視線を感じたことがありますか? と尋ねたところ 「一度もないです。地下鉄や電車、バスをよく利用しますが、赤ん坊が泣き出しても、街の人の多くが暖かく見守ってくれていると信じていられます」 とのこと。ドイツでは、公共の交通機関でベビーカーを畳むか畳まないか、といった議論が巻き起こることも、まずないんだそうです。日本とはずいぶん違いますね! そんなドイツ、実は90年代の深刻な少子化から回復し、近年、出世率が上昇傾向にある稀有な国なんです。必要な公的サポートが整備されると同時に、社会全体が赤ちゃんを暖かく受け入れてくれると信じられる空気の醸成は、少子化対策という観点からも、やはり大切なことなのだと改めて感じました。 街の暖かい空気を可視化する「泣いてもいいよ」ステッカー、外国語版が登場したら素敵ですね! 世田谷区×WEラブ赤ちゃんプロジェクト 取材協力:世田谷区 撮影場所:かもちゃんひろば(2024年3月に閉室) ※現在は おでかけひろば ぶれす (運営事業者:NPO法人せたがや子育てネット)が開設。
2024年06月19日「子どもが起きない!」(著/渡辺正樹・漫画/むぴー)より 娘が朝起きれなくなった原因は? 前の晩は調子よく過ごしていたはずの娘が翌朝、学校に行く時間になると一向にベッドから起きてこない。なだめてもすかしても、ちょっと声にドスを効かせて迫っても、てこでも起きあがろうとしない。 はたまた別の日には、なんとか起き上がることはできても、見事にスローモーションのようにしか動けない。やっとのことで身支度をして、家を出たかと思っても、途中でひどくお腹が痛くなったと青い顔をして戻ってくる。 最初のうちは、学校で嫌なことでもあったのだろうかとあれこれ話を聞いた。すると、そりゃあ多少は面倒なこと、嫌なことがあったとしても、断固として登校を拒みたいほど決定的な出来事が起こったわけでもなさそうだった。 ましてや、なんとか登校できた日には、その日の学校で起きたあれこれを楽しそうに話すのである。 「学校に行きたくないわけじゃない。でも、どうしても体がいうことを聞かないんだよ」 という娘の言葉は、どうも本心のようだった。 そんなことがしばらく続いたある日、ネットで探した専門の病院にかかると、 娘には起立性調節障害(OD)という診断が下りた。 「子どもが起きない!」(著/渡辺正樹・漫画/むぴー)は、神経内科医の渡辺氏がODがなぜ起きるのか、そして症状を改善していくためにどんな対策が有効かを、悩める子と親に優しく寄り添いながら、細やかに提示してくれる。 「子どもが起きない!」(著/渡辺正樹・漫画/むぴー)より 子どもが朝起きない原因だった「起立性調節障害」(OD)とは 本書によると、OD(オーディー)とは、青少年の自律神経失調症を指す言葉として用いられ、軽症を含めると小学生の約5%、中学生・高校生の約10%に見られるほどよくある病気だという。 また、 ODは、“精神の病気ではなく肉体(内臓)の病気” なのだそうだ。内臓をコントロールする自律神経が乱れると倦怠感やふらつきなどの体調不良を引き起こす。 成長過程の自律神経の歪みが原因なので、成長するに従って自律神経が整い、自然と治っていくケースが多いというが、特に症状が重い場合や、ODがきっかけで始まった悪い生活習慣が定着してしまった場合には、回復に時間がかかる場合もあるという。 だからこそ意識して、親としてはときに厳しさをもって、生活習慣を改善していくことが、ODの早期回復には欠かせないのだそう。 学校に行けない原因は精神面の問題だけとは限らない 本書に描かれている漫画では、ODが起こる原因や症状がわかりやすく説明されている。 「子どもが起きない!」(著/渡辺正樹・漫画/むぴー)より 生活習慣の改善。ODの子を持つ親としては、「わかっちゃいるが……」というのが正直なところであろう。起きなさいと言っても起きない子どもは、寝なさいと言っても寝付けないこともまたよくある。さらに私のような働くひとり親としては、栄養ある食事が大事、とわかっちゃいても、申し訳ないですが今夜はマックでお願いします、なんてこともままある(ましてや子どもにも喜ばれる)。 何より、生活“習慣”というのは習慣化し、日常の中に無意識にサイクルとして組み込まれてしまっているからこそ、改善しようにも一体どこから手をつければいいのかわからないのだ。 ODはどうやって改善していくの? タームごとに分けられた方法 本書の優れた点は、そんな悩める私たちに「HOP期」「STEP期」「JUMP期」と、3つのタームに分けて、段階的に、理想的な生活改善を進めていける、6カ月間のロードマップを提示してくれている点だ。 「子どもが起きない!」(著/渡辺正樹・漫画/むぴー)より 症状を自覚し生活リズムを整えることからスタートする「HOP期」、運動に慣れ、たくさん食べる「STEP期」、さらに筋肉と自律神経を鍛える「JUMP期」。書かれている通りに進めるのは決して簡単なことではないが、一つ一つのアクションについて、それぞれが必要な理由や、期待できる効果が説明してあるので、やみくもにやるより取り組みやすい。 ましてやODという病気を抱え、出口の見えない真っ暗なトンネルの中にいる親子にとって、症状改善に向けた明確な行動の指標があることは、一つのたしかな希望となってくれるのではないだろうか。 「子どもが起きない!」(著/渡辺正樹・漫画/むぴー)より ODの診断を受けて…その後の生活はどうなった? 現在高校3年性の娘は去年、どうしても行きたい大学を見つけ、そのためには欠課することなく進級し、卒業しなければならないというので、娘自身が症状改善の必要性をそれまでより強く自覚するようになった。その結果ここしばらくは、学校の先生方の理解も得ながらなんとか(ギリギリ欠課を免れる程度に)、学校に通えるようになってきた。 ただ、それでもやっぱり新学期が始まることを考えると、ちょっとだけ気が重い。本書の中のマンガでも描かれていた通り、正直言うともう「欠席します」の学校への電話連絡も、叱られを覚悟した三者面談も、どうにか勘弁してほしい!……何より本人がしんどいのは重々承知しているんだけどさ。 私は数年前からODの子を持つ親の、匿名のチャットグループに参加している。そこには日々、自分の子育てのどこに問題があるのかと悩み、画期的な治療法を探し続けるお母さんたちの書き込みで溢れている。勝手に同士のように感じている、顔も名前も知らない彼女たち、そしてそのお子さんたちが、なんとか1日も早くこの苦しい病気を克服し、気持ちの良い朝を迎えられることを願っている。本書を支えに、ともに励まし合いながら、生活習慣の改善を頑張っていきましょう。(文/紫原明子) 「子どもが起きない!」 渡辺正樹 (著), むぴー (イラスト) 中学生を中心に10代の約10人に1人が症状をうったえている起立性調節障害(OD)。朝起きれなくなる症状が大半で、患者の3〜4割の子どもたちが学校に行けず、不登校になってしまうほど。本書では、自律神経失調症でもあるODの症例を多数担当してきた自律神経の名医が、3ステップで治すOD治療のノウハウを初めて体系化。ODの実情をマンガ化し、OD患者やその家族が抱える問題や、治療のポイントを解説。
2023年09月08日「公共の場で泣き出してしまった赤ちゃんを、なんとか泣き止ませようと必死な親御さんに“大丈夫ですよ”、“温かく見守っていますよ”という気持ちを伝えるステッカーを、一緒に作りませんか?」。 WEラブ赤ちゃんプロジェクトは、私、エッセイスト・紫原明子からウーマンエキサイト編集部への、こんな突然の呼びかけを機に、2016年5月5日の子どもの日にスタートしました。プロジェクトの中で制作した「泣いてもいいよ!」ステッカープレゼント企画には、直後から私たちの予想をはるかに超える大きな反響をいただき、今日では300以上の企業・団体や28つもの自治体が賛同を表明し、オリジナルの方言版ステッカーを配布を実施してくださっています。 今回から始まる本企画「賛同自治体キャラバン」では、WEラブ赤ちゃんプロジェクトに賛同してくださった各自治体の思いや、特色豊かな取り組みの事例を詳しくご紹介していきます。 初回となる今回は、「泣いてもかましまへん!」ステッカーを街中で配布してくださっている、京都府での取り組みの模様をお届けします。 「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」史上一番大きい赤ちゃんマークが登場 「紫原さん、京都に行きましょう!」と石上さんに声をかけられ、急遽京都に赴いたのは昨年12月のことでした。石上さんはウーマンエキサイト編集部で、WEラブ赤ちゃんプロジェクトを立ち上げからずっと担当してくれている人です。そんな石上さんが、なにやら京都がすごいことになっている、と言うのです。 そんなわけで降り立った京都駅、クリスマス直前の大階段は鮮やかにライトアップされ、寒い中にも関わらず行き交う人の足を止めていました。そこへ突然出現したのは、見覚えのある可愛い赤ちゃんのイラストと、大きな「泣いてもかましまへん!」の文字。圧巻の光景に思わず息を飲みました。 2022年12月25日まで、京都駅の大階段が「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」の仕様に点灯 子育て環境日本一を目指す京都府の取り組み 2021年11月、「京都府子育て環境日本一推進会議」を設置した京都府では、子どもや子育て世代を社会全体であたたかく見守り、支え合う取り組みの一環として、WEラブ赤ちゃんプロジェクトへの賛同を表明しました。 これまでの各地自治体との取り組みでは、地元の方により親しみを持っていただけるよう、「泣いてもええんやに!」(三重県)や「泣いてもええんでぇ!」(岡山県)など、ご当地の方言版ステッカーを制作、配布してきましたが、 京都版では「泣いてもかましまへん!」 と、なんとも京都らしい、温かみのある言葉が選ばれました。 実はそんな京都府では、この「泣いてもかましまへん!」を、過去に例のないほど大々的に展開してくださっているのです。京都駅構内でのステッカーの配布やポスターの掲示、地下鉄やバス車体のポスター掲示、車内中吊り広告。府内全域の郵便ポストでの掲示や、ラッピングバスの走行。さらに今回の京都駅大階段イルミネーションの点灯。 京都府では一体どうしてここまで大きな取り組みができたのでしょうか。今回の訪問では、なんと西脇隆俊京都府知事から、直接その背景を伺うことができました。 賛同後の2022年は、京都府内では電車の中や駅構内でプロジェクトをPR 西脇隆俊京都府知事に取材 みんなに優しい街づくりの条件 「京都でプロジェクトを展開して以来、至るところで“あれいいね!”と声をかけてもらいます。京都府での認知度は非常に高い。ごくたまに、“子どもにだけ優しくして”と言われることもありますが、 子どもに優しい街はみんなに優しい街。街に子どもの姿は絶対に必要なんです 」。 そう語る西脇隆俊知事は、知事就任以前、国土交通省と復興庁で、東日本大震災の震災復興に携わってこられました。被災した町を再び人が住めるよう整備し、仮設住宅を建てるも、以前のような子育て世帯が戻ってくるまでには随分長い時間がかかったと言います。 その間、何度も東北を訪れては、子どものいない町を目にしたという西脇知事。知事就任直後から子育て支援政策を重要視し、その一環としてWEラブ赤ちゃんプロジェクトへの賛同に至った背景には、 発展していく街には絶対に子どもが必要、京都を子どもの声が溢れる町にしたい 、という強い思いがあったそうです。 「もともと、WEラブ赤ちゃんプロジェクトの賛同後は、ステッカーを配るだけの予定だったんです。ところが京都府子育て環境日本一推進会議キックオフイベントで紫原さんのスピーチを聞いてね。これはもっと本腰を入れてやらなきゃいかん、と。それでその日のうちに、大々的にやってくれ、と副知事室に行って指示を出したんです」。 2021年11月に京都府で開催された京都府子育て環境日本一推進会議キックオフイベントにて放映されたビデオスピーチ 知事が自ら副知事室に赴き指示を出すと言うのは、府政においても極めて異例の事態だといいます。そんな西脇知事の強い思いを受け、現在プロジェクトの実行を担う、京都府こども青少年総合対策室長、東江赳欣さんは、プロジェクトに賛同したことの意義について、次のように語ります。 「京都府での子育て環境支援では、風土づくり・まちづくり・職場づくりという三つの視点から取り組みを進めています。この中でも風土づくりに関しては、重要でありながらも行政主導で進めるのが特に難しいところでもあります。この点で、 WEラブ赤ちゃんプロジェクトは、ステッカーを貼るという気軽さから府民が参加しやすく、まさに街の風土づくりを後押ししてくれると感じています 」(東江さん)。 京都府での「泣いてもかましまへん!」ステッカーは、現在に至るまでなんと100万枚以上印刷し、配布されているほか、府内のサッカー場の特定の試合において「WEラブ赤ちゃん特別席」を設け、子連れ歓迎観戦を実施するなど、京都府独自の取り組みも積極的に展開しています。 京都サンガFCの試合前に知事が自ら「泣いてもかましまへん!」ステッカーをPR (C)KYOTO.P.S. WEラブ赤ちゃん特別シートは、赤ちゃん連れでも気軽にサッカー観戦ができるよう、プレイルームと観戦シートを行き来できる工夫も 「泣いてもかましまへん!」をきっかけに広がる優しい街 京都では「泣いてもかましまへん!」ステッカーを貼っている人同士が街中でたまたま出会い、「貼ってるんですね」と言葉を交わすなど、人と人との繋がりを生み出すきっかけになっているという話も聞きました。 ポジティブなメッセージが京都の街全体に溢れることで、子育て中の親御さんの心強いエールになるだけでなく、京都に住む人、京都を訪れる人にとっても、温かい街、京都を感じることができる。子どもに優しい風土作りはまさに、みんなに優しい街なのだと感じました。 ■取材後に京都府のみなさん、石上さんと記念撮影 文・紫原明子 電車、バスなどの一部の写真・(C)photo picnic(藤田二郎)
2023年03月08日今年3月、にわかに信じがたいことに、息子がなんと20歳になった。成人の仲間入りを果たしてしまった。 「新成人を祝う会のご案内」 住んでいる区から息子宛にハガキが届いたのは、昨年末のことだった。 私が20歳のころは、絶賛生まれたばかりの息子を育てていた真っ最中だったし、地元に友達も少なかったので、成人式には迷うまでもなく欠席した。 けれどもそんな私と違って息子はいまだに地元の友人たちといい距離で連絡を取り合っているらしく、輪をかけてまだ親になってもいないので、成人式のお知らせを前に「俺もついに成人かぁ」と、親そっちのけで感慨に耽る。 息子もついに成人かぁ。私も同じことを思う。わが子がついに大人として社会に認められるのだ。ことの重大さを噛み締めるべく、息子と過ごした20年間を思い返してみる。 幼稚園の運動会、かけっこで一人だけスキップしちゃったな。園児さえなかなか落ちない園庭の池に、小学生になってから落ちたな。同級生のスマホのペアレンタルロックを闇で次々と解除していたな……。 今後もし息子に恋人や家族ができたら語り継ぎたい一件ばかりが脳裏をよぎり、つい笑いながらも、ふと重大なことに気づく。とても大事なことを、思い出せない。 薄れていく、息を呑むほど美しいと感じた一瞬の記憶 毎日の何気ない生活の中で、寝たり、食べたり、喋ったり、ぼーっとしたりする息子。他の人にとってみればきっとなんともない日常の風景の中に、息を呑むほど美しいと感じる一瞬が確かにあった。これから先もずっと覚えているだろうと思っていた。なのに、いざ思い出そうとしてみると、そういうことが全然思い出せないのだ。思い出せないことを思うと、少しだけ後悔しそうになる。 二度と取り返せない時間を私は十分に大切にできなかったんじゃないか。すべすべで柔らかな幼い息子の肌の感触を絶対に忘れることがないくらい、十分に抱きしめられていなかったんじゃないか。見るべきものを、見落としてばかりいたんじゃないか。 けれども冷静に考えれば、きっと私は私なりによくやってきた。今の息子と同じ19歳で、大人が何たるかを何ひとつ知らないままに親になり、精一杯やった。完璧ではなかったけれど、そもそも完璧な育児なんてない。一つ屋根の下で暮らす息子の記憶は日々新しい記憶に上書きされていく。 忘れてしまうのはいつも側にいるからで、いつも息子を見てきたからだ。子どもとの生活の中で根拠のない罪悪感に飲み込まれてしまいそうなことはこれまでに何度もあったけれど、子育てを20年続けた今、親である自分を許すこともようやく少し上手くなった。 そして迎えた、成人式前日 「袴まではいいかな」と言っていた息子は、例によって成人式の前日夕方になって、スーツを買う、ついでに髪も切ると言う。計画性がない性分は間違いなく親譲りなので偉そうなことも言えず、わが家では最後の最後になんとか帳尻を合わせられればそれで良いということになっている。 この日のための軍資金を渡し、行ってこい!と送り出した数時間後、息子は両サイドの髪の毛をさっぱりと刈り上げ、新宿で買ったスリーピースの入った大きな袋を手に満足気に帰ってきた。大人らしい装いがよほど嬉しかったのか、早速着替えて披露してくれる。うん、なかなか似合ってるな、頼もしくなったなと思うし、同時にどこかちょっと、自分のことのように照れくさくなる。 明日は成人式。 当日の朝、わが家のインターホンが鳴りドアを開けると、私はつい「ええっ、ほんと?!」と突拍子もない声をあげてしまった。玄関先に立っていたのは私よりはるかに背の高いスーツ姿の二人の青年。これから成人式に向かう息子の、幼稚園のころからの友人たちだった。 二人は「あきちゃん、久しぶり!」と言いながら、きらきらした目でこちらを見つめてくる。会うのは何年ぶりだろう。当時から彼らの母親が私のことを「あきちゃん」と呼んでいて、だから彼らもまた自然と私のことを「あきちゃん」と呼んでくれるようになった。20歳になった今、二人の声は以前よりずっと低く、太くなったけれど、それでも以前と同じように「あきちゃん」と呼ぶ。 すっかり大人へと変貌した二人に歓喜する私を見て、青年達は満足そうな笑みを浮かべる。記憶の中の二人と、今、目の前にいる二人と。混乱しながら現実を認識しようとする私に、あたかもサービスタイムを提供してくれるかのように、二人は堂々と立っている。そのときふと、ああこの子たちは……そしてきっと昨日の息子は、私が見違えるような自分達を見て驚き、歓喜することをまったく疑っていなかったんだなと思った。 こんなに幸せなことってない。無性に泣きそうになった。 あの頃と何一つ変わらない子どもたちの存在 彼らが幼い頃と何一つ変わらず、自分が大人に愛される存在であることを疑わないまま育つことができて、本当によかった。本当に、本当によかった。彼らの姿形はまるっきり大人そのもので、道ですれ違う人はみんな彼らを見て大人だと思うだろうけれど、私の目に映る彼らを一番的確に表す形容詞は、どう考えたって「可愛い」以外には思いつかない。 わが家の伝統を忠実に守り土壇場で帳尻を合わせるタイプの息子は、友人たちが迎えにきてくれたときにもやっぱり用意が済んでいなかったので、とりいそぎ二人を我が家の居間に迎え入れ、息子を待ってもらうことになった。二人はこたつに座り込むやいなや、彼女ができたこと、近くのパン屋でアルバイトをしていること、趣味の合う新しい友達ができたこと、それから彼らと私の友情のためにもちょっとここには書けないようなことなんかを、たくさん話して聞かせてくれた。 思えば小学校の頃も、二人は毎日のようにうちに遊びに来ていた。当時私は会社に勤めていて、仕事から早く帰った日なんかには、子どもたちとここで今みたいにたくさんお喋りをした。先生がこんなことを言った、誰々がこんなことをした。今でこそ170センチ以上ある彼らが、130センチ台のときも、140センチ台だったときにも、同じように話した。 記憶の中のいろんな時代の二人の姿と、今目の前にある姿が重なったり、重ならなかったりを繰り返す中で、引きずられるようにして自然と、かつてここにいた、すっかり忘れてしまったと思っていた幼い息子の日常の姿もまた、少しずつ浮かび上がってくる。 息子の支度が整い三人が揃うと、私はつい嬉しくなって、成人式の前に三人の母校で写真を撮ろうと提案した。うちを出てすぐ近くにある小学校に向かう。かつて三人が校帽にランドセルを背負って歩いていた通学路を、数年後の今、スーツを着込んで歩いている。私はそのちょっと後ろから3人を追いかける。もうランドセルを背負ってはいないけれど、それぞれの歩き方の癖は何一つ変わっていない。 6年間通った小学校の校門前で、まんざらでもない顔でポーズを決める新成人達を、何枚も写真に撮った。数年前、小学校の卒業式の日にもやっぱり同じ場所で、同じように、何枚も写真を撮った。今の姿とかつての姿が、ここでもしきりにオーバーラップする。 うっかり夢中になっていると「あきちゃんやばい、もう時間ない!」と子どもたちに言われはっとした。成人式に遅刻させてしまう! 帳尻を合わせるべく、慌てて通りかかったタクシーに3人を乗せ、1000円を握らせて会場へと送り出した。 見送った後には自分がいつの、どこにいるのかよくわからない、不思議な感覚に襲われた。そんな中でふと今この瞬間、きっと私と同じような状態でいるに違いない人のことを思い出し、その人に伝えなければいけないことがあると思った。子どもたちが成長する中で、気づけばすっかり疎遠になっていたママ友に、LINEでさっき撮ったばかりの写真とメッセージを送る。 久しぶりに会ったよ!大きくなって、かっこよくなってた!でも、可愛いまんまだった! 幼稚園、小学校、中学校と本当にいろんなことが起きて、そのたびに何時間も話して、食べて、飲んで、支え合ってきた家族のような、戦友のようなママ友。すぐに既読がついて、返事が届く。 ほんとだ!みんな大きくなってるねえ!赤ちゃんみたいだったのに 本当に赤ちゃんだった頃。赤ちゃんみたいだった頃。すっかり大きくなって、でもやっぱり可愛いままの今。彼女もきっと今、すっかり通り過ぎてしまったはずの過去と今との間を、私と同じようにふわふわと旅している。 そんな中で、私はどうしても彼女に伝えたかった。 おめでとう。あなたは本当に立派なお母さんだよ。あのときはあんなに不安だったけど、本当によく頑張ったね。私たち、よく頑張ったよね。 撮ったばかりの子どもたちの後ろ姿の写真と、数年前に同じ場所で撮った、ランドセルを背負う後ろ姿の写真を2枚Facebookに投稿した。 程なくしてたくさんの人がお祝いのコメントを寄せてくれた。中にはコロナ禍もあいまって長らく会えていない人たちも多くいたけれど、一人一人が今日まで息子と私の人生に折に触れて関わってきてくれた人たちだ。息子はこの人にこんな風に遊んでもらったな。こんなことを教えてもらったな。コメント欄に懐かしい名前を見るたびに、懐かしい顔と、その人と同じ時間を過ごしたかつての息子の姿が記憶の中に鮮明に蘇る。これまで息子が出会ってきた全ての大人達が、彼の目に映る世界を、信頼に足るものにし続けてくれたのだと思った。 20年経って子育てを振り返ってみる 正直なところ子育てはもう、本当にずっと大変だった。幼児期には幼児期の大変さがあり、思春期になったらなったで、幼児期には考えられなかった爆弾が次々と目の前に落とされる。赤ちゃん期に終えたとばかり思っていた「なんで?」が難易度をエクストラハードにまでぶち上げて戻ってきて、ついには親の覚悟を、人生哲学を試し始める。 息子は「ここにはやりたいことがない」と高校を中退し、一年ほど国内を放浪したのちクラブDJになった。なにしろ夜の世界である。当初は悪いことに手を染めてしまうんじゃないか、怖い目に遭うんじゃないかとひやひやしながら見ていたけれど、2年経った今では、チームのマネジメントをやったり、大きな箱のそれなりにいい時間を任されるようになったりもしているらしい。DJなんてちゃらちゃらしていると思われるかもしれないが、彼の働きぶりは側から見ていてもなかなか勤勉だ。 とはいえ、なんとかかんとか一山越えて、もう大丈夫だろうと思ってもやっぱり大丈夫じゃなかったと急に手のひらを返され、いまだにやきもきすることも少なくない。子どもが年齢を重ねるにつれて、親にできることはどんどん少なくなっていく。 子どもの目の前に立ちはだかる扉を代わりに開けてやることもできず、ただ機が熟し、彼らが自分でドアを開けられるようになる日まで、子どもの側で辛抱強く待つことしかできなくなる。あるときは子どもを先導して、あるときは並んで、あるときは後方から、ずっと一緒に走ってきた。 今の息子の年齢と同じ19歳、大人の世界のルールを何一つ知らないまま親になって、子育てにようやく少し慣れたかと思ったころにひとり親になって、「これだから」と何かにつけて言われないために、全部ちゃんとやろうとした。 でも当然ながら全部ちゃんとやれるなんてはずもなく、不安を抱え、何度も途方に暮れ、いよいよもうだめだというときに、幸運にも必ず誰かが助けてくれた。私たち親子は今日までそんな風に、たくさんの人に支えられてきた。 家の中で幼い子どもたちと過ごしていると、自分たちは社会から隔絶され、すっかり忘れられてしまったのではないかと思うことがあった。公共の場所で泣き出した子どもを必死に泣き止ませようとしているとき、私と子どもは社会に迷惑をかけるだけのお荷物なのかと思うこともあった。20年の間、私も息子もちょっとずつ手痛い試練に遭遇しながら、ついにそんな社会から大人として「おめでとう」と歓迎される日を迎えた。 おめでとう、息子。そしてこれまでの私、お疲れ様。本当に、よく頑張ったね。 人生にはたくさんの困難がつきもので、歯を食いしばって耐え抜かなくてはならないときもあれば、それでもどうしようもないこともある。けれどせめて子どものうちは、自分が大切にされるべき存在であることを、世界が信じられるものであることを、疑わずに過ごせたらいい。私自身の体験をもとにウーマンエキサイト編集部の皆さんと始めた WEラブ赤ちゃんプロジェクト 「泣いてもいいよ!」ステッカーの活動も、そんな思いがベースにある。 ありがたいことにこのプロジェクトは全国各地に広がっていて、現在は京都の市営バスや地下鉄の中に“泣いてもかましまへん!”と書かれたポスターが掲示されている。 撮影:藤田二朗(photopicnic) 撮影場所:京都府 烏丸御池駅・京都駅 赤ちゃんを温かく見守る眼差しが社会の中にあること、それを親子が実感できることは、不安ばかりの育児の中で、ともすれば親子の命をも救う大きな希望になる。また本来このメッセージは赤ちゃんとその親御さんへ向けたものであったけれど、特にこの2年、不安やストレスを抱えながら毎日を生きる大人達にも、同じように伝えたいと思うことが増えた。 “泣いてもいいよ!” 子どもも大人も、ときには泣いたって今日も生き続けていること、ただそれだけを祝福されていい。 撮影:藤田二朗(photopicnic) 私が子育てをする中で、これまでに受け取ったたくさんの温かい眼差しをできるだけ多く、次の子育て世代に向けていくこと。これをもって、お世話になった多くの皆さんへのお返しとさせていただければと思う。 文:紫原明子
2022年03月31日少し前に出産してママになった友人が、こんなことを言った。 「自分が生んでみるまで、世の中にいる小学生以下の子どもは大体全部同じに見えた。0歳から5歳くらいまで、全部ひとくくりで“赤ちゃん”に見えてた」 「えええ!?」と驚いたものの、よく考えると私だってそうだったかもしれない。 子どもを持つ前……というと、気づけば16年以上も前のことになってしまったので、もはや確かなことは言えないけれど、当時は少なくとも、新生児とそうじゃない赤ちゃんの区別なんて全然ついていなかったし、一般に“ザ・赤ちゃん”と思われているであろうハイハイ期を卒業して、よちよち歩きになった子どもを見かけても、それはそれでやっぱり“よちよち歩きの赤ちゃん”と思っていた気がする。 もっと具体的に言うと、身長100センチくらいまでの子どもは総じて「赤ちゃん」と認識していたような気がする。 実際に自分が子を持つ身になってみると、そんな大きな「赤ちゃん」というくくりの中にも、細々としたステージがあることが分かる。 たとえば生後1ヶ月の赤ちゃんと、生後3ヶ月の赤ちゃん。たった2ヶ月しか違わなくたって全然違う。 できることも違えば、こちらに返してくる反応も違う。また歩くようになってからも、よちよち歩きとしっかりした足取りの歩行とは、やはり全然違うのだ。もう赤ちゃんじゃなくなっちゃったなあ、と最初に感じたのは1歳を過ぎたころだったかもしれない。 まだまだ小さいと思っていた自分の子どもが、ふと産まれたばかりの赤ちゃんと並んだとき、こんなに大きく、しっかりしたのか、と驚いた。 本当なら「幼児」に分類されるような子どもまで「赤ちゃん」に見える、あるいは小学生未満が全部同じ種類の子どもに見えるのって、たとえば、おじいちゃんやおばあちゃんがたまに洋画を観て「登場人物が全部同じ人に見える」と言ったりするのと同じ理屈だろう。 日ごろ接することがない、身近にいない存在だから、ふと接すると自動的に「外国人」や「赤ちゃん」という大きなカテゴリに分類されることになり、そこからもっと小さなグループに分けるためには、もう少し観測する個体の数を増やして、個性の違いがどこに現れるのかを知る必要がある。 少し話はそれるけれど、2年ほど前に考えた「赤ちゃん泣いてもいいよ!」ステッカーが、先日三重県と提携したそうだ。ステッカーはリリース後から、ウーマンエキサイトのみなさんのおかげで着々と広がっている。とてもありがたい。 すでに知ってくださっている方には繰り返しの説明になるけれど、これは、公共の場で人に迷惑をかけてはいけない、と必要以上に肩身の狭い思いを抱えている親子連れに、「恐縮しないで大丈夫だよ、赤ちゃんがちょっとくらい泣いても、お父さんお母さん、慌てなくていいよ」という気持ちを持っている人が、それを目に見える形で相手に伝えるためのステッカーだ。 実は私は当初、これを「優遇」だと誤解されかねないと思っていた。そして、世の中は誰かを特別に優遇することにとても厳しいので、ともすれば大炎上しかねないとも思っていた。 けれど結果として、そんな私こそ社会を信用できていなかった一人なのだったと気付かされるほど、このステッカーは沢山の思慮深い方々に、温かく受け入れられることとなった。 これが必要な世の中なのは悲しいし、このシールの必要がないくらい赤ちゃんに寛容な社会になればいいですよね、という声には私も運営者のみなさんもまったくそのまま賛成だ。 とはいえ、これだけ広まると当然さまざまな声もあり、代表的なものは「泣きっぱなしにさせる親がいる」という不満の声だ。 子どもが号泣しているのに親が何も対処をしていないように見えたら、確かにイラッとするだろうし、そればかりでなく、大丈夫なのかと心配になったりもするかもしれない。また、「誰かが怒って声を荒げるかもしれない」と他人事ながら冷や冷やしてそれがつらい、という人も案外いると思う(私はそのタイプ)。 公共の場では、色々な事情を抱えた人がなるべく居心地良くいられるように、みんなが少しずつ他者に配慮する必要がある。だから当然親も、周りの人に迷惑をかけないために努力をする必要はあると思う。 ただ、一方でこの「泣かせる親」問題について一つ思うのは、最初の方で書いた通り「赤ちゃん」と一括りに見ている存在にも、言葉が理解できる子、我慢ができる子など、実は色々な段階があって、そのことを案外知らない人もいるかもな、ということだ。 ある時期の赤ちゃんというのは、話しかけても、揺れても、歌っても、どうしても泣きやまないことがある。またある時期の子どもというのは、言葉がわかっても大人が諭すままに我慢できない場合もある。 赤ちゃんが身近にいる人には当たり前のことでも、そうでない人の中にはもしかしたら、赤ちゃんはみんな、語りかけたり、叱ったり、何かしら手をかけたらピタッと泣き止むもの、と思っている人もいるかもしれないと思うのだ。 何を隠そう私も、息子が産まれたばかりのころ、産院で“おっぱいも飲ませた、おむつも変えた、なのにどうして泣きやまないの?”と泣き続ける意味がわからず困惑した。赤ちゃんが無駄に泣くというのは、生んでから最初の驚きだった。 少し前に、女性の生理に対して、びっくりするような誤解をしている男性がいるということがネットで話題になった。女性の生理はCMのように青い血が出てくるとか、女性は性行為をすると生理になるとかいった内容だ。女性だって男性特有の体の反応について知らないこともあるわけで、嘘みたいな話だけど、ないこともないのだろう。 こんな風に、自分にとって言うまでもなく当たり前のことも、生活圏が違う人には全く当たり前じゃないということは、私達が想像しているより、実はもっと当たり前に起こっているんじゃないかと思う。で、例えばそういう、相互の無理解からくる不毛な摩擦をさけるため、電車に「赤ちゃん専用車両」などを作って親子連れだけ分ける、というような案もあるそうだけど、私はどちらかというと、そういうのは良くないと思っている。 なぜなら公共の場で、少しずつでもさまざまな人と接触して、自分と違う人達の生活を想像してみることがなければ、お互いの立場への理解は永遠に進まないからだ。そしてなぜお互いの立場への理解を深めたほうが良いかといえば、赤ちゃん期も青年期もシニア期も、生きている限り誰もが必ず通る道であって、決して他人事ではないからである。 自分がどこからきてどこへ行くのか。町を見渡せばその答えがいくらでも転がっている。そういうのがいいと思うし、そうでなければ簡単に迷子になってしまいそうな気がするのだ。 イラスト:片岡泉
2017年11月08日芸能人の真木よう子さんが、元夫に子どもを預けて新しい恋人とデートをしていたそうで。それについて、“けしからん”と言う人がいたと聞いて仰天した。 子どもはちゃんと面倒を見てくれる父親に預けているというのに、一体何がいけないのだろう? 何でも“母親の自覚がない”という声が上がったりするらしい。なんだよそれはと。世の中には子連れ再婚したお母さんなんて星の数ほどいるけれど、子連れ再婚して新しいお父さんを家に迎え入れて家族で幸せに暮らしてるお母さんなんて星の数ほどいるけど、そんな母親みんな“母親の自覚がない”とでも言うんだろうか。 子どもじゃないんだから冷静に考えてもみてほしい。出会って10秒で再婚できますか? できません、AVじゃないんですから(分からない人は分からなくていいです)。 そりゃもちろんケースバイケースだろうけど、子連れ再婚するまでには何かしらデートを重ね、恋愛をしているわけで。まずは人と人として出会い、色々なステップを経て、この人とは家族になれそうだな、子どもと会わせたいな、と思うようになる。 母親だからこそ、そして一度、予期せぬ別れ(失敗、とは言わない)を経験しているからこそ、慎重な確認作業を行うのだ。 大人同士で顔を突き合わせて話してみたり、……もちろん話すだけじゃなくてそれ以外にも色々してみたりしないと分からないことがあるだろうに、そんな当たり前のことがどうして分からないのだろう。 そもそも昨今、日本のひとり親家庭の貧困率は5割を越えるとも言われている中で、シングルマザーが新たに生活のパートナーとなる人を見つけられたというのなら、本来そんなおめでたいことはない。また必ずしも困窮していなくても、結婚して実質的なパートナーになることを視野に入れていなくとも、精神的な支えとなってくれたり、個としての自分を認めてくれる他人の存在には大きな価値があるのであって、子どもを虐待しているわけでもないのに、その関係性を作る努力を他人が外からとやかく言うのはお門違いもいいとこである。 また、これがことシングルファザーの恋愛であれば世間は諸手を挙げて祝福するのだから、輪をかけておかしな話しである。 男一人で育てるのは可哀想、お母さんが来てくれた方が子どもも幸せ、そう思う人が多いというのは、小林麻央さんが亡くなった直後から夫である海老蔵さんの再婚を今か今かと邪推する週刊誌の記事が後を絶たないことからもひしひしと感じられる。 シングルファザーだってシングルマザーだって、一人でお金を稼いで一人で子育てしている点には変わりないのに、どっちが可哀想なんて話があるのだろうか。 恋人を作ったシングルマザーが子育てを放棄し家に帰らなくなり、結果、子どもたちが犠牲になるという痛ましい事件は時折報道で耳にする。だからって母親の恋愛は全部悪、母親が恋愛すると育児を放棄する、と考える人は冷静な思考を放棄している。 そもそも日本では離婚後、母親が子どもを引き取るケースが圧倒的に多いという前提があり、その上ほとんどの場合、父親から継続的な養育費が支払われておらず、多くのシングルマザーは仕事と子育てに追われ疲弊しているのだ。 それにも関わらず、その苦労はいたるところで当たり前のことと受け止められる。なぜなら“母は強し”だし、女には“母性”があるから。どんなに辛くても子どもが可愛いでしょ、自分を犠牲にして子どもを育てられるでしょ、というのが世の中に蔓延する空気なのである。 まるで根拠のない重責に黙って耐えているというのに、誰に迷惑もかけずに男と会ったくらいで“自覚がない”と言われるというのはまったくいかがなものか。憤りのあまりタイプする指先も震えてしまう。 シングルマザーの恋愛と、母親のネグレクトによって子どもが犠牲になることと、その間には本来、無数の分岐点があったはずなのだ。そして、そのどこかで母親が適切に救われていれば、子どもは犠牲にならなかった。恋愛するシングルマザーを自覚がないと責める前に、社会を構成する全員が、自分の老後や福祉を金銭的に負担することとなる子どものケアを、家庭の中の、特に母親にだけ押し付けてそれで良いと思っている、そんな“社会の自覚のなさ”こそ批判され、考え直されるべきである。 恋愛ってチャラチャラしてそうに思われるかもしれないけれど、ただでさえ忙しい最中に子どもをどこに預けて、仕事は何時までに切り上げて、と調整に次ぐ調整を要し、ときには寝る間も惜しんで時間を捻出する。恋愛はマネジメントを必要とする新たなタスクなのである。 その上で、何とか子どもも自分もそして恋人も、三方よしのソリューションを見つけるべく手を尽くしているのである。世間はなかなかやかましい。 イラスト:片岡泉
2017年10月24日「今の若者は~」も「昔は良かった」もついでに「異常気象」も、全部信用しないことにしている。なぜならそこには少なからずエゴの臭いを感じるからだ。 今を生きている人が「自分の生きている時代こそ特別だと思いたい」というエゴ。ボジョレーヌーボーが出る度に毎年冠される「◯◯年に1度の出来」と同じあれ。だいたい長い人類の歴史の中で1日、1分、1秒たりとも同じ時間が繰り返されたことなんてなかろうに。 ここ数年の平均より何日か多く日照りが続くことくらい、氷河期に比べれば全然異常ではない。生きている限り昨日とは違う明日がやってきて、昨日まではなかった悩みや葛藤が生まれる。そんなの当たり前。 だからこそ、至るところで耳にする「現在は過渡期」という表現も、そんな葛藤に理由をつけようとするだけの適当な修飾語くらいに思い、あまり信用していなかった。 けれども最近、もっと小さな世界の、小さな時間の流れの中では、「過渡期」はあるのだと思うようになった。標準的とされる社会の認識が、ガラッと変わる時というのは確かにある。今起きている一つの転換は、生き方や価値観が多様であることを受け入れるまでの過渡期だ。 いやそれだって、人間の価値観が日々アップデートされていくのなんて今に限った話でなく、当たり前のことだと思っていたけれど、インターネットが登場して、ネットで情報を得る人、新聞で情報を得る人、テレビで情報を得る人など、情報収集のチャンネルがこれだけ多様化している社会では、同じ地域で、同じ言語を話す人々の考え方や生き方だって、より細かく、無限に枝分かれしていく。 それはやっぱりどうしたって間違いない。それに伴って起きる良いことと悪いことに、多くの人たちが初めて直面する、という意味では、やっぱり今は過渡期だ。 「置かれた場所で咲きなさい」というめちゃくちゃ売れているらしい本があるが、それは実際には前時代的で、情報強者でさえあれば、置かれた場所で咲けなくても、全く別の場所を探して、そこで花咲けるというのが今の時代だ。「みにくいアヒルの子」みたいに、ちょっとしたミスで置かれる場所が間違ってることだってある。 今いる場所だけが世界じゃない、ということを以前より簡単に知ることができるようになったのは今の時代の良いところ。 一方で、それによって良くないことも起きる。それは、“隣の芝生が見えすぎる問題”だ。人間の暮らしなんて良いことも悪いこともあるのが当たり前なんだけど、他の世界の、他の人の生活が覗き見しやすくなってしまったことによって、自分は果たしてここに置かれるべきなのだろうか、ここで咲いていいのだろうか、ここで咲いていると言えるのだろうか、あっちの芝生の方が青いのではないだろうかというような葛藤が、私達の暮らしには延々と生まれ続けてしまうことになったのだ。 好きなように生きられないことは確かに不幸だけど、持て余すほどに選択肢があることもまた不幸。後者の不幸をどう回避していくか、という答えを、今過渡期を生きる私たちは、見つけていかなくてはならない。 とは言え、残念なことに、すでにいい大人である私達が取り得る施策というのはもしかしたらたかが知れているのではないかとも思う。前時代的な価値観でしっかりと土台を構築されてしまった今となっては、それらをより所に無意識に暮らしている中で直面する混乱一つ一つに、都度「ああ、これが新しい時代」と理性で答えを見出す努力をしていくほかない。過渡期を生きるものの宿命として、混乱をありのままに受け止めていくしかない。 ただ、子どもたちにはまだ可能性があると思う。親のアプローチは子どもたちの育ちに微塵も影響しない、という説もあるそうで、そうなるともうお手上げだけど、思考の土台形勢に何かしら寄与できる可能性があるとしたら、今、われわれ親のやるべきことは、子どもに「今何がしたいか」「今どう考えているか」を延々と問い続けることなんじゃないかと思う。 やりたいことや考え方が今日と明日で変わっても、それはそれで良い、当たり前という前提のもと、今の自分がどちらを向いているかを自覚して、言語化させる。出てきた答えに対して大人は、間違っているとも正しいとも言わない。 世の中の事象はそもそも、正しいとも間違っているともつかないことばかりなのだという不安定さを、そのままに受け止められる器を作る後押しをする。自分の考えに自信を持つ、なんていうのは本来無意味で、自信がない状態に慣れるしかないのだ。そうしなければ、ゆくゆくはTwitterでごまんといる極論マンのフォロワーになり下がって自分の思考を放棄するしかなくなる(というのも極論だけど)。 さまざまな価値観が嵐のように押し寄せ、隙あらば足元を救おうとしてくるこれからの時代の中では、恐らくそんな風に、自分で自分の舵を取りながら船を進める、という意識が必要なのだろうと思う。 隣の芝生が見え続ける世の中からは逃れられなくても、青く見えるかどうかを冷静に判断する知性や理性は育むことができる、と信じたい。 イラスト:片岡泉
2017年10月17日その日、学校から帰ってきた娘は怒っていた。 「せっかくタブレットが配られたのに、子どもに有害だからってニュースサイトが開けないの!」。 娘の学校ではついこの前、生徒全員に学習用のタブレット端末が配られた。当然ながらインターネットに繋がる。最初の授業では、とりあえず慣れてみようということでフリーな検索タイムが設けられ、生徒の多くがいの一番に、親の名前を検索したらしい。 この時代、ネットに実名で黒歴史を刻んでいる大人なんて決して少なくないだろうから、これを知って戦慄が走るお父さん、お母さん、案外少なくないのではないだろうか。と他人事のように語っているが、言うまでもなく、ネットに実名で黒歴史を残してきた親として、娘のクラスで筆頭に立つのは私と娘の父親である。 父親と母親の名前を検索枠に入力してスペースをあけると、どちらも予測変換で自動的に「離婚」がサジェストされる。 「おたくの娘こそ最も不憫じゃないか!」と言われるかもしれないが、そこは心配ご無用。わが家の娘には小1のころから“インターネットで絶対にやってはいけないこと”のひとつとして「親の名前を検索しない」をしつこく教え込んでいるのだ。 だからこそ「私はみんなを止めようとしたんだよ?!」と親の名前で検索する友人達の自殺行為を嘆きとともに私に報告してくれたというわけなのである。(と言いつつ結局本人も検索してるんだけど)。 話は戻って、冒頭の娘の怒りの矛先だ。新しいタブレットを使って、自分で設定したテーマについて調べ、レポートを書くという課題が出たという。娘は色々思うところがあって「区別と差別の違い」について調べることにしたとのこと。で、いざ情報を集めようと検索すると、検索結果に制限がかかり、なんとほとんどのページが閲覧できないというのだ。 非表示のコンテンツにはそれぞれSNS、ブログ、趣味、ニュースなどの、閲覧できない理由が表示されるそうで、学習の場でSNSを使うなというのは百歩譲って理解できるとしても、ニュースだからだめだというのはちょっと謎だ。 さらに制限がかかっている具体的な媒体名を聞くと、どこもメジャーな媒体ばかりで、「じゃあ一体どんな情報なら表示されるのだろう」とむしろ興味すら湧いてくる。NHKなら良いのだろうか? そもそも、子どものネット利用には家庭によってさまざまな意見があって、うちのように無制限に使わせる家庭もあれば、一切触れさせないポリシーの家庭もある。そこに、上から一斉にタブレットを支給するというのだから、“危険な情報に触れさせないようにこれくらい気をつけてますよ”という姿勢を示すことは、まあ必要なことだったんだろう。 ある程度の大人の事情があることは想像に難くないが、ただそうは言ってもあまりに制限をかけ過ぎると、結局タブレットを使わせる意味がなくなってしまうのではないか。 たとえば現実の世界で、いつ交通事故に遭うかも分からないから、子どもを一歩も家の外に出さないというわけにはいけない。ある程度分別がついたなと思ったら、親は少しだけリスクをとって、冷や冷やしながらわが子を「はじめてのおつかい」に送り出す。 可愛い子には旅をさせよ、が必要だ。そしてそれと同じように、インターネットも、大人がある程度腹をくくってリスクをとる、その上で自由に使わせる、ネットの世界を旅させることが必要だろうと思う。子どもの間はガチガチにネット利用を制限し、20才になったからいきなり無制限インターネットの海に放り出すというのは、泳ぎを教わらないまま太平洋横断しろと言われるようなもんじゃないか。 そもそも検索して辿り着く情報なんて、検索しようと思う段階で既に結構知りかけていることが多い。もし過去に意味はよくわからないけれど、何かすごい性的なカタカナ語について検索したことがある人は思い出して欲しい。 検索しようとした時点で、そのカタカナ語が“意味はよくわからないけど何かすごそうな性的な言葉であること”に、きっと気付いていたはずだ。だからこそ好奇心を掻き立てられ、検索するに至ったのではなかったか。 子どもに知って欲しい情報、知ってほしくない情報は確かにあれど、結局のところ検索キーワードに打ち込まれる言葉にはいつだって「知りたい!」という欲求が息づいている。「知りたい!」つまり、不思議に思うことというのは英語ではwonderで、「知りたい!」に満ちた世界はwonderful world、すなわち「知りたい!」が沢山ある世界は、素晴らしき世界なのである。 ……ちょっと全校朝礼の校長先生のようなトンチを効かせてしまったが構わず続けると、一向に叶わぬ夢を延々と持ち続けられるほどタフな人間は少ないから、「知りたい!」という衝動をコンスタントに持ち続けるためには、知りたい欲が満たされる喜びをほどほどに知っておく必要がある。その上で、ひとつ検索すれば無数の答えを提案してくれるインターネットって、基本的なことだけど、やっぱりとても便利な道具で、私達の強い味方なのだ。 だから、子どもたちには便利なインターネットをどんどん使って、この素晴らしき世界の謎を、片っ端から検索して、紐解いていってほしいと思う。 とはいえ、親の名前のGoogle検索はやっぱりお勧めしないけれど…。 イラスト:片岡泉
2017年10月10日9、10、11月といえば、さまざまな中学・高校で文化祭が行われる季節。中学受験を検討中のわが家も、最近は毎週末のようにいろんな学校を回っている。 何しろ地方出身の私には信じられないほど沢山の学校が、都内にはある。ウェーイ系の多い学校。オタク系の子が多い学校。髪の毛がピンクとかオレンジとか、個性的な子の多い学校。校風もいろいろなら当然ながら文化祭もいろいろ。学校の特色が出ていてどこもなかなか面白い。 ある学校の模擬店では、ディズニー・シーのアトラクション、「トイ・ストーリー・マニア」を完コピした装飾が施されていた。段ボールで出来た自動券売機にチケットを入れて1分ほど待つ。すると、段ボールの向こうから、高校生がせっせと作ったタピオカジュースがヌッと差し出される仕組みだ。 これだけでも結構よく出来ているのだけど、この模擬店は他にもかなり工夫をこらしてあって、巧妙に設計された導線にそって流されていくと、タピオカジュースを買った先にはオープンカーを模したフォトスポットが作ってあるのだ。スタンバイすると、さもオープンカーに乗ったようなアングルとなり、そこでカラフルなタピオカジュースを掲げると、何がというわけでもないけどカリフォルニアっぽい(イメージ)写真が撮れる。 こういう模擬店の入口には当然ながら「フォトスポットあります」の看板が掲げてある。 で、沢山文化祭をまわっていると、どうもこの傾向は学校の垣根を越えて蔓延していることに気付いた。つまり、中高生の文化祭は全般的に、はやりの「インスタ映え」に最適化されているのだ。 このところ急によく耳にするようになった「インスタ映え」。スマホのカメラで写真に撮ってインスタグラムにアップすると、ハートがいっぱいつきそうな景色や物のことで、溢れんばかりにフルーツが盛り付けられたパフェやコバルトブルーの海など、食べ物も観光地も猫も杓子も、今若者に人気のあるものは大抵「インスタ映え」している。そして今も昔も流行の発信源と呼ばれる中高生は、さすがのマーケティングセンスでもって、文化祭の模擬店の運営にさえ、この「インスタ映え」をぬかりなく取り入れているのだ。 「インスタ映え」の最も象徴的なモチーフといえばカラフルな羽根の壁画で、その前に立って写真を撮ると背中から羽根がはえてるように見える。視線を落として決めポーズで写真を撮られているとなんかちょっとイラッとするけど若者はそこにキュンとくるようで、聞くところによるとロサンゼルスやハワイなど、世界に何箇所か存在しているこういった壁画は今や大人気観光スポットらしい。で、当然ながら、これまでまわった全ての学校で、見事にこの羽根が黒板に再現されていた。 また、インスタグラムのアプリのデザインを模した顔はめパネルも、1校につき複数回というレベルで非常によく見かけた。 で、面白いのは、この顔ハメパネルは模擬店に常設されているわけではなく、呼び込み係の子どもたちがこれを持って校内をウロウロするという異様な使われ方をされていた点だ。おそらくこれを持って通りすがりの人と写真を撮ろうと誘い込む思惑。 そして、呼び込み役の子たちに見られる傾向として実はもう一つ、こりゃ大ブームだな、と驚かされたのはFREE HUGのプラカードである。男子も女子も、呼び込みの子たちはこのFREE HUGと書かれたメッセージを決まって首から下げているのである。 FREE HUGの運動に取り組んでいる人は、最近でこそ割りと町中でも見かけるようになった。見知らぬあなたと私だけど抱き合ってレッツラブアンドピース!みたいな意味が込められている(多分)。町中でFREE HUGのプラカードを掲げて立っている人は、暖かく抱きしめられることを待っているのである。 で、話は文化祭。インスタグラムの顔ハメパネルを持って、FREE HUG持つっていうと、何だかちょっと深いんじゃないの?と私は思った。SNSでデジタルにつながることに浸りきった子どもたちが、ハグなんていう身体性をともなった繋がりを求めている、これとそれを組み合わせるのって、無意識とは言え、さすが子どもたちのバランス感覚と言うべきなのでは……!? ところがそんな私の思いを知ってか知らずか、同行していた家族が感心したように呟いた。 「へー、最近の高校生はああやってナンパ待ちするんだ」 ……そういうことか! ナンパ待ち、そりゃそうだ。文化祭と言えば他校の生徒との思わぬ交流すら期待できる一大イベント。写真もFREE HUGも、全然その気がない風を装って出会い待ちの体制が取れる最高の口実である。 だけど一つどうしても残念なことに、沢山まわった文化祭で、インスタ枠を持ち運んでいる子を呼び止めて写真を撮る子も、FREE HUGを実施する子も、ほぼ見かけることはなかった。むしろ、午後には虚しく折れ曲がって教室の片隅に追いやられるインスタ枠は、結構そこかしこで見かけた。 子どもたちよ、ブルゾンちえみはああ言うけれど、待つんじゃない。誘おう。 イラスト:片岡泉
2017年10月03日ある日の夕飯に、スーパーで買った安い焼肉用の牛肉を焼こうとトレーからラップを外すと、一瞬ほんの少し、酸っぱい臭いが漂った。 (もしやこの肉……腐っている?!) そんなはずない。だって買ったその日に冷凍して、二日後には冷蔵庫に移して、じっくり時間をかけて解凍したんだから。でも、さっきは確かに微妙な臭いがした。念のため、改めて肉を嗅いでみる。 酸っぱいと思えば酸っぱいが、生肉の臭いなんて大抵みんなこんな感じだと思えばこんな感じ。ま、しっかり焼けば大丈夫だろう。気を取り直して粛々と焼肉の準備を整える。とはいえ、何も知らずに食べさせられるのは娘に悪いから、念のため娘の意志を確認しておこうと、カセットコンロをセットしながら尋ねた。 「もしも今日のこの牛肉が腐っていたら、どうする?」 「どうする?って、腐ってたら食べられないでしょ」 さも当たり前のことのように答える娘。 「だけど考えてみて。牛肉は腐りかけが最も美味しいという説もあるよ」 「ママ、腐った肉と熟成肉は違うよ」 「そうかな」 「腐女子と熟女くらい違う」 ぐうの音も出ない正論に打ち負かされ、まずは私が毒味を担当することになった。試しに肉を1枚焼いてみて、焼肉のタレにつけて食べる。うん、肉はどうやら大丈夫そう。 その代わり、やたらフルーティな焼肉のタレに、疑惑の矛先が移った。甘くて、少し酸っぱくて、少し発酵したような香り……。 焼肉のタレって発酵してたっけ? 考えてみればこのタレはいつ買っていつから冷蔵庫に入っていたのだったか、ちょっと思い出せない。 「タレが腐ってるんじゃない?」 私の様子を伺いながら娘が言う。う~ん、と頭を捻っていると、娘が付け加える。 「ま、一番腐ってるのは私だけどね」 「さっきから誰がうまいこと言えと」 以前娘に、ボーイズラブ漫画のどこが魅力なのかと聞いてみたことがあるのだが、娘いわく、男同士の恋愛漫画には、少女漫画で描かれる男女の関係では成立し得ない、対等な関係があるからいいらしい。 少女漫画では大抵の場合、ヒロインはヒーローに守られ、背中を押され、ときに所有されたりもする。娘は少女漫画を読むたびに、そういった性差を前提とした関係性が気になって仕方がないらしい。 もっと正確に言うと、ヒロインの方から守られるポジションに収まりにいくのが嫌で仕方がないらしいのだ。 私が子どものころといえば、当然のようにどっぷり少女漫画に浸っていた。『天使なんかじゃない』の須藤晃も『セーラームーン』のタキシード仮面も『花より男子』の道明寺司も、好きなヒーローはみんなピンチに颯爽と助けに来てくれる王子様だった。 子どもを産み、二十歳を過ぎてからの一時期は少女漫画から少しベクトルが変化しマイケル・ジャクソンに熱くはまったが、そのときでさえ当時の私の主たる活動場所である幼稚園の園庭に、ある日突然マイケル・ジャクソンが私を迎えにきてくれるようにと祈っていた。 離婚したり、働くようになったりしてようやく、男性に守られる立場に収まることが必ずしも得なわけじゃない、なにか凄く不自由かもしれないと気づき始めたけれど、かといって守られたい願望から完全に解き放たれたとは言えず、なんとも呪縛が強い。その点、娘は私より精神的にはるかに自立しているかもしれない。 そんな娘、最近趣味で小説を書いているという。どんな内容かと尋ねたところ、返ってきた答えにギョッとした。 「どうしたら男女が対等になるかなって考えてね、こういう設定にしたの。ヒロインとヒーローの二人はいつも一緒にいるんだけど、ベタベタしたり、干渉し合ったりしないの。なぜならお互いがお互いの大切な人を殺してるから」 「どう思う?!」とキラキラした目で意見を求めてくる娘に、「す、少し考える時間をちょうだい」と答えたのは、母の事実上の降参宣言なのであった。 イラスト:片岡泉
2017年09月19日腐女子である娘は同時に歴史オタクでもあるので、親も知らないうちにアルマダの海戦に精通していたり、休みの日に嬉しそうに東京裁判のドキュメンタリーを観ていたりする。 そして新しい歴史の知識を仕入れれば、たとえば私が日ごろ、読んだ本や観た映画の良さを友達に饒舌に語りたくなるのと同じように、「……でね、ここでエリザベス一世はどうしたと思う?!」などと、その出来事の一部始終をドラマティックに聞かせてくれる。 ところが、残念ながら歴史アレルギーのある私には、夢見の伝えたい100分の1くらいの楽しさしか受け止めることができない。がんばって興味を持とうと思うのだが、耳を傾けながら頭の中では無意識にご飯のことを考えてしまったりする。 娘はやりたくないことについてはテコでもやらないが、一方で好きなことに関しては驚くほどの情熱を発揮する。家族や友人にこれだけ歴史の醍醐味を語っているのに誰も自分と同じレベルで興味を持ってくれないというのは何かがおかしい、きっと自分の話し方が未熟なせいだろう、という発想から、娘が上手な話し方について研究し始めたのは1年ほど前のことだ。 興奮して早口にならないように。冗長にならないように。期待を持たせるように。歴史普及のための地道な訓練が思わぬところで実を結び、娘は放送委員になった。 それまでの自分には見えなかった世界を見るために新しく知識を得たり、考え方を取り入れたりする。そうして出会った世界からさらに世界を広げていく、そういうことをきっと勉強と言うのだとしたら、娘は誰に教わるでもなく、早くから勉強のやり方も、勉強の楽しみも知っている。しかし、興味関心が先立たなければだめなので、残念ながら必ずしも学校の成績が良いわけではない。 国語や社会はそこそこ良いものの、数学や理科は頭を抱えるほどで、能力に大きな偏りがある。そういうことを考えると、来年から通うことになる中学は公立より私立の方が良さそうだ、と思ってみたものの、現状、中学受験の入試科目は専ら国算の2教科か、国算理社の4教科で、苦手な算数はどこまでいってもついてくる。 大体の場合、高校生の途中から理系と文系に分かれることが許されるけれど、少なくとも中学生までは「こういう特性なんです」「こういう性格なんです」は甘え、とでも言わんばかりに、国語も算数も美術も体育も、全部伸ばせ、全部頑張れと教えられ、それを基準に能力が測られる。 子どもって大変だなあとつくづく思うのはこういうところだ。 子どもは、子どもであるというだけで、大人に比べてはるかに個性が尊重されない。私なんか、愛嬌がよくうまく皿を洗えたというだけで仕事に就いた(詳しくはぜひ拙著『家族無計画』を読んでください)し、その後は、算数はほぼ無関係の、文章を書く仕事をしている。 さすがにそれがレアケースだと言われたって、多くの大人は大なり小なり自分に向いてる仕事や、ポジションを選ぶ自由がある。 だけど子どもはそうじゃないのだ。子どもの可能性を信じる、子どもには伸びしろがある、なんて言えば聞こえはいいけど、特技を伸ばすことより苦手を減らすことの方が圧倒的に重視され、そのためには「逃げるな、立ち向かえ」と頼んでもいないのに執拗に、嫌なことの方にばかり背中を押される。 ここでくれぐれも言っておきたいが(誰に)、学校の体育の授業がなかったら、或いはもう少し違うものだったら、私はきっともっと運動が好きだったはずだ。乱暴に規格にはめ込まれることで、私だけでなくきっと多くの人が、本来なら必要なかった苦手意識を子ども時代に植え付けられ、それを引きずったまま大人になっている。 なんでも出来ないより出来るに越したことはない、と言う人に聞いてみたい。じゃあ、何のために世の中にはこれだけ沢山の人がいるのかと。 餅は餅屋、桶は桶屋というように、餅屋や桶屋、蕎麦屋やラーメン屋など専門店がたくさん集まって成り立ってるのが社会じゃないのか。餅屋になりたくて仕方がない子、蕎麦を打つ才能が突出してある子がどれだけ沢山いても、子どものうちは、子どもだからという理由で全員とりあえずコンビニを目指せと言われているのだ。そしてその中からさらに、イオンになったり伊勢丹になったりできる子どもが重宝される。そりゃあ生きづらい。 世の中に色んな大人がいるように、世の中には色んな子どもがいる。彼らの個性をひとくくりに、成長途中の不確定ないびつさとして無視するのはあまりにも乱暴だ。 何しろ本人はその瞬間にも意識を持って、その環境で生きてるんだから。これは漠然とした理想だけど、全員がコンビニを目指すのでなく、たとえば算数がものすごく得意な子、国語がものすごく得意な子、おしゃべりが物凄くうまい子、といったように、多様な能力をもつ子どもたちが、お互いに足りない部分を補い合いながら生活する、そういう経験を積むことを最優先にした教育環境が、あったらいいなあ……。 イラスト:片岡泉
2017年09月12日娘の通う塾から「娘さん、実はもう2週間ほど塾に来てません」という連絡を受けたのは2ヶ月ほど前のこと。エーーッと、完全に寝耳に水であった。というか私の知るかぎり、娘は過去2週間、行ってきまーすと意気揚々と家を出て、私がお迎えに行けば、ちゃんと塾の入った建物の入口で待っていた。 「テスト難しかった~」なんて疲れた様子を見せてもいたのだ。だからきっと何かの間違いだろう、タイムカードを押していないだけだろうと思ったが、念のため本人に「行ってるよね?」と確認。すると、あろうことか娘は露骨に目を泳がせる。 「え……えええ!? 行ってなかったの!?」 私に問い詰められ、バツが悪そうに下を向いた娘、すぐに真実を白状した。なんでも、塾に行くと言って家を出て、その足で毎度、近所の図書館に足繁く通っていたというのだ。そして私がお迎えに行く時間の少し前に、本人も塾の入ったビルの入口まで出向いていた、と。 不器用だとばかり思っていた娘が、まさかそんな風に私の目を欺いていたとは……お母さん大ショック。行きたくない理由はと尋ねると、教室の環境が生理的に受け付けない、ということらしい。悲しいかな、そう言われても今ひとつピンとこない。 そもそも塾には、娘が入りたいと言うので入ったのだった。そりゃ人間だから、考えが変わることだってある。自分に合う合わないは、実際入ってみなきゃわからないだろうとも思う。だけど一方で、勉強や塾通いなんて楽しいばかりというわけにはいかないだろうし、仮にも受験をしようと考えているのならある程度の忍耐も必要だ。 私は根っからの文化系なので根性論は基本的に受け付けないけど、そうはいっても、目の前のハードルを越える瞬間や、一つ何かを成し遂げようときは、基本的にはしんどさを伴うのも事実。だから、悩んだものの、このときは塾に行かなかったことを結構強く叱って、辞めるのはダメ、ということにした。 それで娘は、露骨に気乗りしない表情で、再び塾に通うようになったのだけれども、しばらくすると、やっぱりまた同じように、行ってきますと家を出て、塾には行っていない、ということが起きた。当然ながらまた私に叱られて、でも、その後もやっぱり塾に行かなかった。これだけ叱られても尚行かない、テコでも行かないを貫くというのは、こりゃもう相当嫌なんだろうということがさすがに分かって、塾を辞めることにしたのだ。 今は塾に行く代わりに、友人の伝手で紹介してもらった大学生の家庭教師の先生に来てもらっている。塾の方も決して悪い塾ではなかったと思うけど、今の環境の方が娘には合うようで、休みたいとも言わず、熱心に勉強に取り組んでいる。結果的には正しい選択をしたと思っている。 例年9月1日、新学期を迎える日に、学校に行くのを苦に自殺する子どもがとても多いそうだ。今年は特にこの件に注目が集まり、ブログやTwitterで著名人を含む大勢の大人が、子どもに自殺を思いとどまるよう呼びかけた。それでも、やっぱり昨日今日で、子どもの相次ぐ自殺の報道を何件か目にした。 何かの記事で識者の方がお話されていたところによると、特に夏休み前、1学期の終わりの方に不登校気味となっていた子どもには、新学期が始まってしばらくの間、注意が必要だそうだ。 対岸の火事としてこういった報道に触れれば、子どもが死ぬほど学校を嫌がっているのに、周りの大人にどうしてそれが伝わらなかったのかと歯がゆく感じたりもする。けれど、娘の塾の一件を経た今、子どもの直面している事態の深刻さを正確に把握するのは、たとえ親であったとしても、とても難しいことだと感じる。 ここまでは頑張りが効く、ここから先はダメ、がわかりやすいゲージなんかで表示されればどんなにいいだろうと思うけど、そういうわけにもいかないので、子どもが学校や塾など、行くべき場所に「行かない」という主張をしたとき、親は「逃げるな」と背中を押すべきか、もしくは子どもの主張をのむべきか、難しい判断を迫られる。子どもの出すサインはそれぞれ違うだろうから決して一括りに語れないのが難しいところだ。 ただ、娘の塾の一件で私が一つ得た学びは、子どもの「行かない」は必ずしも逃げじゃないのかもしれない、ということだ。というのも、考えてみれば子どもは、なにも好き好んで大人に叱られたいと思っているはずはなく、本来なら大人に言われるままに学校や塾に行って、叱られたり、つつかれたりしないでいることが、基本的には最も快適には違いない。 塾をサボって図書館にいた娘も、図書館の快適な空間を心から楽しめていたわけでは決してないはずで、いつか私に真実がばれて、例によってこっぴどく叱られるときのことを考えて、いつだって胃の痛くなる思いを抱えていたのだろうと思う。そして現にバレて何度も怒られている。それでも尚「行かない」を続けた娘は、結果として本人の強い意志を、積極的に体現して見せたと思うのだ。 私たち大人はつい、子どもが行くべき場所に行かないことを「逃げ」と言い、消極的な行動のように見てしまう。だけど、実は子どもたちの「行かない」は彼らの快適な暮らしや、自尊心や、ときに命を守るための、ある種の攻めの一手、戦いかもしれない。 たまたまクラスの子たちと同じ方向に向かっていないだけで、本人は別の方向に、本人なりの全力で走っているかもしれないのだ。 「行かない」子ども達は、周囲の大人からの執拗な「行きなさい」にも負けない、不屈の精神を持っている。根性がある。快適でない環境から、勇敢にも脱出しようとしている。彼らのこういった積極的な選択を、私達大人はもっと正当に評価し、尊重するべきだと思うのだ。 イラスト:片岡泉
2017年09月05日飲みの席で、「Tさん、その世代では珍しいくらいの子煩悩パパですね!」と称された知人が言う。 「そりゃあさ、離婚してるからだと思うよ。子どもたちと一緒に住んでないからこそ、子どもや別れた妻のためにできることを考えられるようになったの」 50代のTさんの語るこの状況、属性でいえば別れた妻側である私にも身に覚えがある。離婚してからようやく、私と元夫は子育てのパートナーになれたと思う。ラッキーなことに、そうしょっちゅうは出くわさない程度に近くに住んでいるし、お互いの職場も近いので、どうしても夜や休日の外出ごとが続くときには「お願い!」と頼み込めば父親の方が食事などの面倒を見てくれる。 決して暇な人ではないけれど、どうしようもないときには自身の打ち合わせや会食に子どもを同席させたり、職場に呼んだりして、かなり柔軟に対応してくれる。 思えばまだ結婚していた頃、同じように「お願い!」を言っても「無理だよ」「仕事だから」で協力してもらえないことが圧倒的に多かった。もちろん、必ずしも元夫にばかり非があったわけではなく、私の方にだって少なからず甘えがあったのも事実だ。 必ずしも緊急性がない協力要請だって出していた。日ごろから私の方が圧倒的に我慢させられているんだから、少しくらい助けてくれて当然、と思っていたし、そんな風に蓄積された鬱憤が色々な場面で災いして、最後のほうでは、肝心なときの助け合いすらままならなかった。 離婚してからというもの、そういうものが全てリセットされて、途端に親同士の歯車がうまく噛み合うようになった。 彼は金銭的な面から子どもたちの養育を支え、私は一緒に暮らして生活の世話をする。役割が明確になると、元夫の父親としての貢献に、心から感謝できるようにもなった。おそらく元夫の方も同じように、母親である私の貢献を当たり前のものと思わず、感謝してくれていると思う。だからこその今があるのだろう。 誤解を恐れずに言えば、父親と母親という役割を維持しながら、夫婦ではない状態となる、つまり親の離婚は、子どもにとっても必ずしも悪いことばかりじゃないようにも思える。というのも、親が家の中と外にいる、という状況は、子どもにとっては、家の中と外、2箇所に、自分の強力な味方となってくれる大人がいるということなのだ。 先日、元夫の提案で、夏休み中の娘、夢見を沖縄のサマーキャンプに参加させることになった。急に決まって慌てる私をよそに、細やかにサポートしてくれたのは元夫の友人A氏であった。自分の子どもを参加させるついでだからと、申し込みから飛行機の予約、空港までの送迎にいたるまでほとんど全部やってくれた。 A氏と私は面識もあったが、結婚していたころに元夫との関係がこじれ、彼の周りにいる人全員に不信感を持って以来、完全に交流を断っていたので、今回のことでは、“元夫の友人というだけでうさんくさいと思って本当に申し訳ない”という気持ちになった。 「パパの友達って聞いて、正直どんな友達が不安だったけど、Aさんはびっくりするくらいいい人だね」というのは今回のサマーキャンプ申し込みに至るまでの大人たちの一連のやりとりを見ていた娘・夢見談である。娘も同じ気持ちのようであった。 そして、満を持して出発という日の朝。お迎えの車の到着まで残すところ30分あまりという段になって、「パンツが足りない!」と言い出す夢見。なんで今言うの!なんで前もって準備してないの!とお決まりのセリフを口に出したところで(まあ、私の娘だから仕方がない)とつい自分の心の中で突っ込み不可避。 今から買いに走ろうにも、娘にも私にも他にもいろいろとやるべきことがあり、これはいよいよ積んだか……と思った矢先、救世主が登場した。私の友人がたまたま近所のカフェでコーヒーを飲んでいたのだ。そのカフェのお隣にはコンビニが……! 「お願いだから、何も聞かずにコンビニで女性もののパンツを買ってきてくれない?」と頼むと、「了解、急ぐ」と一瞬で全ての事情を察し、疾風の如くパンツを届けてくれる友人。男らしさを絵に描いたようないかつい見た目で、女性もののMサイズのパンツを2枚も買うのはなかなかに恥ずかしかっただろうに……。感謝とともにパンツを受けとると、直後にお迎えが到着。夢見は無事、替えのパンツを欠くこともなく、沖縄に飛び立ったのであった。 私と元夫は、もはや夫婦でなく、全く別の場所で全く別の人々に囲まれて生きている。子育てを除けば連携はほぼ皆無だ。けれども、だからこそ、今も昔も変わらず、私と元夫の間にいる子どもたちは、別々に暮らす大人、二人分の世界の恩恵に授かることができるようになった。 私と元夫との二つの生活圏、それぞれの世界の良さに触れることができるし、そこにいるさまざまな大人たちのサポートを得ることができる。両親の所在が分散することで、ある意味では以前より広範囲で、より盤石な体制で、子どもたちを支えることができるようになったのだ。極端な例だが、今もし私が死んだとしても、それが同時に、子どもたちの父親が最愛の人を失うことを意味“しない”からこそ、元夫がしっかり子どもを支えて、育ててくれるだろうと思う。そんな安心感があるし、逆もまたしかり。 決して離婚を綺麗事にしようというつもりはないが、こうやって身の上話を書く仕事をしている以上、離婚によって得られるメリットが皆無ではないこともまた、きちんと書き記していかなくてはいけないなと思うのだ。 イラスト:片岡泉
2017年08月29日先日、思うところあって映画『嫌われ松子の一生』を数年ぶりに観た。 この映画、鮮やかな色味のミュージカル調に仕立ててあるが、内容は相当重い。重いどころか、不調のときに観るとある種の呪いにかかる。 確か私は離婚前に1度、さらに離婚してからもう1度観ていて、今回が3度目。離婚後に観たときには、これは他人事ではないかもしれない、私も「嫌われ明子」として一生を寂しく終えるのかもしれないと恐々とした。 離婚して、仕事がそれなりにうまくいったり、いくつかの恋愛を経ていく中で、今は少し遠くなったけれど、きっとこれから先も、思ってもみないことでつまづいたとき、「嫌われ松子」の影はきっとすぐにまた寄ってくる。 観たことのない人のために簡単にあらすじを説明すると、この物語はタイトル通り、川尻松子という女性の一生を描いたフィクション。それも、もともとは中学教師だった松子が、坂道を転がり下りるように転落していく様を描いたものだ。 松子の嫌われ人生を決定付ける行動は、要所要所で描かれていて「えー!なんでそうやっちゃうの?」と理解できないものもある一方、本人の選択や行動が及ばないところで迎えてしまう、不可抗力な不幸展開もある。 ちょっとした選択ミスとそして運命。この二本が、運悪く延々と絡まり続けて「嫌われ者」として一生を終えることが自分には絶対にない、なんて言えない。だから怖い。 映画の中の松子は最初から最後まで一貫して、ただ男に愛されるためだけに生きている。ところが、その全てがうまくいかない。ひとつ不幸を迎えるたびに「なんで?」と自問自答する。 「なんで?」の回答としてひとつ、劇中で明確に描かれているのは父親との関係だ(このシーンは序盤で描かれるということで、ここまでのネタバレはどうかひとつご容赦ください)。幼少期の松子は、色々あって自分に注意を向けてくれない父親が、コメディアンのまねをした変顔を作ったときにだけ、笑ってくれることを発見。以降、父親の笑顔が欲しい一身で、変顔を向け続ける。 心理学用語に「モンロー・スマイル」という言葉があるそうだ。 魅力的な笑顔で周囲の人間を魅了したマリリン・モンロー。しかしその笑顔は、不遇な幼少期、多くの家庭を転々とすることを余儀なくされた彼女が、周囲の大人に愛され、関心を向けさせるため、生きていくために身に着けたものだった。彼女のように、親の愛情に恵まれていない子どもが、周囲の大人の気を引くために魅力的な笑顔を振りまくことは少なくないといい、これを「モンロー・スマイル」と言うらしい。 劇中の松子の変顔も、ただ自然体に、当たり前にしていては愛されないと悟った子どもが、大人に愛されるために意識的に取る行動としてこの「モンロー・スマイル」と軌を一にしたものだろう。 愛し愛されるという行為は、できるときには何も考えなくてもできるのに、うまくいかなくなった瞬間、それはもうとんでもなく複雑な、哲学級の難題になる。 「なぜあの人は自分を愛してくれないのか」 「なぜ世の中の多くの人は当たり前に愛されているのに自分だけは愛されないのか」 夫婦関係の破綻で私は一時その迷路に迷い込んだけれど、幼少期にもっとも身近な大人である、養育者からの愛情を安心して受けられない子どもというのは、子どもの体で、そんな無理難題と向き合わざるを得ないのであって、それはきっと、いい大人が好きな人に愛されるために努力するのとはまるでわけが違うことだろう。 子どもはただ生きてくれている、ただ存在してくれているから感謝され、愛される。そうあるべきだし、そもそも大人の都合で勝手にこの世に産み落とされたのだから、そうあるのが筋ってものだと思う。 いい子だから。可愛いから。迷惑をかけないから。面白いから。役に立つから。子どもが愛されるのに、理由はひとつも必要ない。ところが、色々な事情でそんな当たり前のことがうまくいかないということは、物語の中に限らず、現実にたくさんある。 愛されるために必要とされた条件は、本来ならばまっすぐで平坦な道に、大人によって乱暴に置かれた大きな石、もしくは壁のようなもので、子どもの前途を阻む。 そして、ときには子どもに限らず、大人になってからも足枷となり続ける場合だってある。子ども時代に追い込まれた迷路から抜け出せずに、いつまでも苦しみを抱え続ける大人がたくさんいる。 愛し、愛されることがうまくいかない問題は、病院でも学校でもそう簡単に解決してくれない。にも関わらず、大人は庇護される対象ではないから、全て自分でなんとかしなくてはならないのだ。 そういう人達が迷路から抜け出すための出口は一体どこにあるのか、周りの人間には何ができるのか、ということを、最近は延々と考えている。 イラスト:片岡泉
2017年08月22日今思えば、子どもの頃から自分のことが大好きだった。自分だけが大好き過ぎたので、周りは全然見えていなかった。 子どもなら大抵そんなものだろうと言う人もいるかもしれないけど、案外そうでもない。あの子は今誰と仲良しだとか、あの子は誰と喧嘩しているらしいとか、そういうクラスの人間関係を正確に観察している子どもも中にはいるのだ。さらに、その上で戦略的に立ち振る舞える子どももいる。そもそも目的意識が違ったのだろう。 子どもの頃の私は一貫して、自分がこうなりたい、こうしたいという願いを実現することしか考えていなかったけれど、一方で、今しかない学校生活を楽しみたい、という目的の子もいて、そういう子は、自我を最優先させないやり方を知っている。 どちらも間違ってはいないのだろうけど、自分のことを振り返ると、もうちょっと器用なやり方もあったな、とは思う。何せ今も昔も、私のような者はどうしても独立系になりがちで、気楽さもある反面、いざというときにやっぱり数の原理で負ける。 どう考えても非効率なことや不条理なことを、自分の発言力の弱さで飲まざるを得なかったりする。 「えー!みんななんでそれがいいと思うの?」と衝撃とともに受けたダメージは後々長く尾を引いて、家に帰っても悶々と思い悩んだりする。 そういう心理的負担は馬鹿にならないし、そもそも人間は人間の中で生きていかなきゃならないものだってことに早く気付いて、人の輪の中でうまくやっていくスキルを身につけようとしたって良かったなと思う。 学校って本当に特殊な環境だ。クラス全員が同じ年齢、横並びの関係。そこで、ストレスなくパワーバランスの均衡を保ちながら毎日顔を合わせてやっていくって、さまざまな人間関係の中でもかなり高度な技術が必要だ。年齢や経験値の明確な差がないからモヤモヤとした嫉妬が生まれやすいし、個性を発揮しなければ自分が埋もれてしまう。でも、逆に個性が強すぎても疎まれる。 社会って本当はもっと多様性がある。会社には同僚だけでなく、先輩や後輩がいる。特に私が今身を置く環境では、個性の強い人が、比較的個性の強いままで生きていくことができる。大人になると、子どもの頃より自由になれる。 だから今、娘がたまに吐露する学校生活の愚痴には、そのいたるところにかなりの既視感があって、気の毒に思うと同時に、古傷をえぐられるような痛みが走る。 そうだよね、君も親に似て生粋の文化系で、しかも私以上にオタク気質、そして早くもBLに開眼している。憎きスクールカースト。少なくとも、もう数年間の辛抱だ。でも、辛抱を課すだけではかつての私と同じであって、おそらく同じ時期の私よりももっと賢く、もっと精神的に大人な君なら、知恵を使って、望ましくない状況を好転させることができるよ。そんな風に、娘に話した。 だからって、何もみんなと仲良くしたり、好かれようとしなくていい。本当は興味のない話しに延々と興味のある振りをしなくても良い。ただ、相手への敬意を保ちながら、自分の独立した世界と、自分の尊厳とを侵害されないようにしよう。大事なのは、舐められないことだ。 発破をかけるだけではだめなので、私たちは売られた喧嘩を正しくおさめる練習に取り組んだ。 ケース1。「夢見ちゃんってさ、KYだよね?」と言われたらどう応えるか。娘の答えはこうだ。「KYKYって正しく意味を理解してる? ボキャブラリーが貧困なんじゃないの?」大人が面と向かってこれを言われると傷つくが、子どもの喧嘩でこれは残念ながらパンチがない。 小学生から反射的に向けられた容赦ない言葉に、意味のある言葉で打ち勝とうとしてもダメなのだ。相手に伝わる言語で返す、これがコミュニケーションの基本のき。汚い日本語を使うことは不本意だろうが、何もずっと続けなくていい。 舐められなくなるまで、この子には何を言ってもいいんだと思われなくなるまででいいから、こう言い返しなさい。じっと相手の目を見て、絶対にそらさないで、できれば徐々に顔を相手に近づけながら、ゆっくりと「うざい」。 リピート・アフター・ミー……した瞬間にゲラゲラと吹き出す夢見。道のりは長い。 イラスト:片岡泉
2017年08月08日私のバイト先にはやたら東大卒の人がいる。かつて、地元福岡の小さな世界から東京に出てきたばかりの頃は、“東大卒”なんて経歴の持ち主と出会えばそれだけで地面にひざまずいて靴を舐めなければいけないような気持ちになっていたものだが、いつしか東京にも慣れ、東大卒にも慣れた。所詮我々は同じ人間だし、東大差別などはせずフラットに受け入れていけるようになった。 ところが、最近になって、やっぱり奴らは只者ではないのだと思わされる一件があった。 女子の御三家の一つとして知られる有名女子私立中・高から、東大法学部に進んだ才女に、「やっぱり塾の模試では当たり前にいい成績とってたの?」と何気なく訪ねたときのこと。なんと彼女は小学生時代、大手進学塾日能研で全国1位の常連だったというのだ。 私は東大を受けたことはないけれど、小学校時代に塾の模試なら受けたことがあるので、この1位がどれほどの偉業かということはわかる。受験者に配られる成績上位者の順位表、その一番先頭に載っていた人が目の前にいるのだ。 めったにお目にかかれない芸能人にでも出会ったような感動を覚え、気を良くした私はその日、別の東大卒男子(公立中→開成高→東大教養学部卒)に同じ質問をした。するとその彼もやっぱり中学時代、栄光ゼミナールの全国1位だったという。 全国1位ビンゴがあればもう少しで上がれそう、と勢いづいた私はこれまた別の東大卒男子(開成中高→東大教養学部)にも同じ質問を投げたところ、案の定その彼は、小学校時代、四谷大塚の全国1位だったという。 「朝ごはん食べました」と言うのと同じくらいこともなげに「全国1位でした」と言う彼ら。やっぱ東大ってすごいところだな……と思った。 そして、すごいところだな……という凡庸な感想しか出てこない高卒の私はやはり凡庸に「めちゃくちゃ勉強したの?」と聞いたわけだが、意外にも彼らの答えは一様にノーなのである。誰からも“勉強し過ぎて死にかけた”というような苦労話が出てこない。 やはり全国1位ともなると天賦の才がものを言うのか、勉強せずとも勉強ができるのかと思ったものの、よくよく話を聞いてみると、実はここに、彼らが秀才たる秘密が隠されているらしいことがわかった。 というのも彼らは、そんなに勉強していない、と言ったあとで決まって「自分の集中力は◯分しかもたないので」と、自分の集中力の限界値について話し出すのだ。例えばある子はこんなことを教えてくれた。 「自分の集中力は15分しかもたないので、好きな30分アニメも最後まで集中して観られない。だから受験前は、15分勉強したらご褒美として5分間アニメを観る、というサイクルを作りました。これで勉強もできるしアニメも最後まで観ることができる。それでも最大6時間が限界ですけどね」 かなり特殊な勉強法だけど、おそらく全国模試で1位を取るような人達というのは皆、大なり小なりこんな風に、他人には適用できないが、自分にとってベストな勉強法を早いうちから発見して、いたずらに時間をかけたりせず、効率的に勉強するのだろう。 その証拠に、全国模試1位という華々しい過去について、ある子は「完全に時間の無駄だった」と語る。「98点を100点にして1位をとらなくても、きっと受験の合否は変わらなかった。本当に頭のいい人は、模試で1位を取ろうなんて無駄な努力はしませんよ」とのこと。秀才が勉強における効率を突き詰めると、全国模試1位はもはや非効率なのだ! 彼は続けてこんな風にも言った。 「1位を取るためにたった2点を上げる努力をしていた当時は、自分の価値判断を他人任せにしていた。今はそのことを後悔している」 私たち、学業における天才というとつい、理解力や暗記力が突出して秀でている人をイメージするけれど、天才が天才たる真の所以は、自分の特性を正確に把握し、目的に添ってコントロールする能力が突出しているから、なのかもしれない。 まあどっちにしても、すごいよ(凡庸)。 イラスト:片岡泉
2017年08月01日先日、児童養護施設で育つ子どもたちの為の奨学金プログラム「カナエール」の「夢スピーチコンテスト2017」を拝聴してきた。 この大会の趣旨については、公式サイトで以下のように説明されている。 なんらかの事情で親と生活できず、児童養護施設で生活した子どもたちの大学等の進学率は26.5%。また、進学できても学業とアルバイトの両立は厳しく、経済的理由等により中退してしまう割合は26.5%と、全国平均の3倍近くにもなります ※1。 ※1 NPO法人ブリッジフォースマイル2016年調べ カナエールは夢や進学への思いを語るスピーチコンテストの出場を条件に、返済不要の奨学金を、プロジェクトへの寄附とコンテストのチケット販売を原資に給付します。120日間、スピーチコンテストに向けて3人の社会人ボランティアとのチームで取り組むことで、進学してからの「意欲」と「資金」の両面をサポートすることを目的としています。2017年も東京・横浜・福岡の3会場にてスピーチコンテストが開催されます。 引用元: 大会実行委員長の植村百合香さんは、スピーチの中で「社会的養護を必要とする子どもたちの顔が見えない問題がある」とお話された。社会的養護、というあまり聞き慣れない言葉。どういう意味かというと、保護者による養育が難しい子どもや、それが適切でない子どもを、公的責任の元に保護、養育の支援を行うことだそうだ。 たしかに、家庭の中で起きていることは外からは見えにくい。だからこそ、立場の弱い子どもが、ともすれば命を落としかねない事態が起きてしまうこともある。今回、10人の子ども達のスピーチの中でも、彼らが施設に辿り着くまでに経てきた壮絶な体験が語られた。 エスカレートする実の親からの虐待の中で、ある夜ついに首に手をかけられ、自ら決意して家を飛び出し、警察に飛び込んだ女の子。 ひとり親だった母親が彼氏と暮らすために家を出てしまい、小学生のころから幼い妹の世話を家ですべて担っていた高校生の男の子(警察が家にやってきて保護されることになったのだという)。 自分以外の家族が皆精神的な病を抱えており、家で生活ができないという女の子。 本人の聡明さや、周りの大人たちのさまざまな努力で、彼らは今無事に施設と繋がり、安心できる環境下で生活できているということに、大きな救いを感じた。もちろん、児童養護施設の中のことだって、家庭の中と同じように見えにくい。 「社会的養護を必要とする子どもの顔は見えにくい」という問題は、一方では子ども達のプライバシーを守るために必要なバリアでもあって、必要な「見えにくさ」でもある。けれど、このスピーチコンテストで子ども達から語られた夢の中に、将来は児童養護施設の職員になりたいと語った子が複数いたことからも、少なくとも目の前の彼らはきっと、こうなりたいと自分の未来を重ねることのできる、信頼できる大人に出会えたのだろうと思えた。 施設に移って以来、2年間も会っていないという母親に「産んでくれてありがとう」と壇上から告げる子。自分を虐待していた母親も、そうでないときは優しく、大好きだったと語る子。親を亡くし、後ろ盾もないが、夢があって大学に進学したい、経済的な不安があるが頑張っていくと強い口調で決意を示す子。 彼らが家庭で負った傷を少しずつ癒やしながら将来を見据えている姿は本当に立派で、素晴らしかったけれど、同時に、ここまでの寛容さ、強さを子どもに強いてしまう私たち大人の不甲斐なさを思うととにかく申し訳なく、頑張ってね、とエールを送るのだって無責任なような気がして、後ろめたさが拭えなかった。 こういう複雑な思いはつい、産みの親を単純に悪者にし、同時に自分を善人にすることで消化しようとしてしまいそうになるけれど、じゃあそれで子どもが救われるのかというと当然ながらそんなことはなくて。大人にだって、家庭の外にはさまざまな生きづらさがあって、ふとしたきっかけで、そのしわ寄せが非力で無抵抗な子ども達に降りていく。だから、子ども達が家庭の中で抱える問題の多くは、社会にいる大人達の問題でもある。 子ども達が、産まれてから最初に身を置く、「家庭」という小さな世界の中で、まずは肉体的、精神的に傷つかないこと。そして、残念ながらそういうことが起きてしまったとしても、いち早く外からそれに気づけること。安心して暮らせる別の場所があること。その先に“それでも”産んでくれてよかった、生きていてよかった、と言ってもらえるような、可能性を感じられる社会があること。そういった環境を用意するのはやっぱり私達大人の責任で、同時にそうやって用意された環境というのは大人にとっても生きやすいものになるのだろうと思う。 * * * ところで、過去7年間に渡って続いてきた「カナエール」は、今年をもって奨学生募集を終了するとのこと。理由は、この数年で返済不要の奨学金が自治体を中心に増え、今年度より文部科学省が給付型奨学金を設置するなど、大学進学への道は、子ども達にとって以前よりも選びやすいものになってきているからだそうだ。 とはいえ、運営母体であるNPO法人ブリッジフォースマイルは引き続き活動を継続されているので、もっと良く知りたいと思った方は NPO法人ブリッジフォースマイル にアクセスしてみてください。 困難な状況に最初の一石を投じ、継続的な活動で状況を大きく改善させてこられた「カナエール」運営の皆さん、本当にお疲れ様でした。 イラスト:片岡泉
2017年07月19日ある日の朝、私の前を、これから保育園に行くと思しき親子連れが歩いていた。お父さんと、2、3歳くらいの小さな男の子。二人の押しているベビーカーには、まだ歩けなさそうな赤ちゃんが乗っていて、後ろ側には登園グッズが山のように吊り下げられている。 よくある朝の風景だけど、なんとなく気になったのは、妙にお父さんの足取りが重かったからだ。今にも止まりそうな速度でノロノロと歩く。いくら子連れと言っても、あれでは保育園までたどり着けるのだろうか……と思っていると、突然お父さんが立ち止まり、ベビーカーからだらんと両手を離してしまったのだ。 小さな男の子が何とかベビーカーを抑えようとするものの、ベビーカーはすぐにバランスを崩して、支えていた男の子といっしょに真横に転倒。ところがお父さんはというと、不思議とまったく慌てる様子もなく、男の子を見て「もう、やめてよ」と不機嫌そうに叱る。それからゆっくり、渋々といった様子でベビーカーを起こしたのだった。 当然ベビーカーの赤ちゃんは大泣き。つい、大丈夫ですか?と声をかけると、お父さんは何事もなかったかのように、大丈夫です、と答えて、そのままそそくさと保育園の方に歩いて行ってしまった。 勢いよく倒れたわけじゃないから、赤ちゃんや男の子はまあ大丈夫だろう。それより気になるのはお父さんの方だった。完全に気力を失っているように見えた。疲れてるのかもしれないし、体調が悪いのかもしれない。何かすごく気になることがあって、余裕を持てない状況かもしれない。 でも、だからって「ほんとに? ほんとに大丈夫ですか?」なんて、いきなりしつこく聞くわけにもいかない。私に聞こえなかっただけで、男の子が何か叱られるべきようなことを言ったりやったりしているのかもしれないし……でも、そうはいってもやっぱりもやもやが残った。社会で子どもを育てるべき、と頭では理解していても、こんな風に、たった一度すれ違った人に対してできることというのは、残念ながら限られている。 子どもはお客さんじゃない。毎日顔を突き合わせて子育てしていれば、100点満点の対応ができないことも普通にある。 モーや夢見がまだ赤ちゃんだったころ、「あー泣いてるな」と頭ではわかっても、疲れ切ってどうしてもすぐに腰を上げてあやしに行けないことはまあよくあった。あまりに泣き止まないので、虐待を疑われて近所の人に通報されるのではとビクビクしたり。 誰かに優しい声をかけられたらそれはそれで、一人前の親じゃないって思われたような気がして落ち込んだり。思えば、そんな中で、作業を誰かに担ってもらうのと同じくらい強い救いとなったのは「誰にだってあるよそんなこと」という、ママ友との気のおけないおしゃべりだった。 よその家庭の育児って見えるようで見えないし、見えない分、てっきり自分以外はみんな完璧な育児をやってると根拠なく思ったりしてしまう。でも、ついぽろっと自分のダメ親エピソードを披露して「そんなのうちもあるある」なんて言われると驚いて、それだけで安心する。 きっとみんなそうなのだろう、それを皮切りに、ダメ親っぷりを競うように、よりパンチの効いたエピソードが次々と引き出されたりすることもある。「朝、おにぎりを作りかけたんだけど時間がなくなって、ボウルから米を直接、娘の口に放り込んできた」とか、「うちの朝ごはんはウィダーインゼリーだったよ、ママチャリの後ろの席で」とか。 こういう話しをする中で、いいとき、ダメなとき、あっていいんだな、と自分の育児を寛容に捉えられるようになるし、ともすればママ友同士、戦友のような気持ちが芽生えて、もうどうしても無理ってときに助け合える仲になったりする。 だからふと思ったのだ。朝見かけたあのお父さんには、育児について気軽に話せる友達がいるんだろうか、と。もしかすると、ママ達に比べてパパ達には、まだまだそういう話のできる場所が少ないのかもしれない。またあったとしても、すごくオープンマインドな一部のパパだけが入っていける、間口の狭いコミュニティだったりするのかもしれない。 世の中ではまだまだ、社会に出て経済活動を営む、もともとは男の仕事とされていたようなことがとにかく偉くて、家事や子育ては取るに足らない些事、というような暗黙の認識がある。だからこそ、育児のストレスって、もしかしたら仕事のストレス以上に、パパ達は口に出しづらいことかもしれない。 でも、レジャーやレクリエーションなどで部分的に育児に「協力」するのではなくて、育児を、生活として当たり前に「営む」パパが増えてくれば、やっぱりちょっとしたストレスを感じたり、疲れたり、うまくいかなくて落ち込んだり、なんてことは当然ある。 仕事で1億の損失を出す、とかいうようなことに比べると「子どもが泣き止まない」なんて一見地味に見えるかもしれないけど、1年365日、プライベートな空間で休みなく続くことだからこそ、うまく取り合っていかないと、じわじわ積もり積もって自分を蝕む。 育児がつらい、こんな風にうまくいかなかった、こんなことに困ってる。パパ達も、そういうことを気軽に言い合えるといいなと思う。決して些細な悩みじゃない。何しろその営みには、子どもの命がかかっているのだ。うまくガス抜きをしながら、長距離走の育児をみんなで支え合って完走できるといいなと思う。 イラスト:片岡泉
2017年07月11日いきなりだけど少し前、格安スマホの利用者に関する調査結果が記事になっていた。それによると、所得が高くなればなるほど、格安スマホの利用率も高くなるらしい。「格安」なんだから一見、所得が低い人ほど積極的に使っていそうだが、どうしてこういうことが起きるのか。記事では、高所得者は情報感度が高く技術力もあるので、合理性で格安スマホを選び、使いこなすことができると分析してあった。 なるほど、と妙に納得してしまった。実際私も、近所にたくさんお店があるし、前からずっと使ってるしとろくに考えもせず大手通信会社のスマホを使いつづけている。格安スマホの存在を知ったとしても、面倒という怠けた理由で乗り換えを検討しようともしない。そうやって、高所得者が節約している分をたれ流し続けてしまうから、お金が貯まらないのだろう。 お金を稼いで、お金を使って、お金を節約したり、お金を貯めたりして暮らす。 家庭を持って16年たった今でも苦手意識がある。わからない、できないとうかうかしている間にもお金事情は日々進化していて、単に節約といってもその方法は高度化、複雑化している。 たとえば私より下の世代だと、賢い子ほど、メルカリなどのフリマアプリをうまく使って、限りなく少ない投資でおしゃれをしている。新品の服を買うときには中古でも売れやすいブランドの服を買う。飽きた頃にメルカリで売って、その売上で次の服を買う、そういうことを繰り返す(収益を現金化せず、メルカリの中に記録される数字の増減だけで延々と売買が成立するこういった形は「メルカリ経済圏」と呼ばれているらしい)。 うまくいけばこれまで服に投資してきた額だけで今後の服代がまかなえるということで、え、最高じゃない? と私もすぐに飛びついてみたけれど、これが結構むずかしい。必ずしも出品したものがそうぽんぽん売れるとも限らない。売れるブランドを知るのも、売れるように出品するのも、マーケティング力が問われる。……マーケットを見る力、ない。そんなものがあればお金が苦手なんて言ってない。お金、やっぱり苦手。でもことを悠長に言ってばかりいられないかもしれない、と思わされる一件が先日あったのだ。 CASHというアプリが公開され、初日からいろいろと物議を醸した。 このアプリは、手放せる品が手元にあるという自己申告(写真を撮って送る)を担保に、おどろくほど手軽に現金が得られる、質屋のようなもの。担保とした品は、手放すのであれば2ヶ月以内に発送すればよく、手放さないのであれば売上金に15%の手数料を乗せて返さなければならない。 メルカリでものを売るのすら下手な私にはぴったりでは、と早々に飛びついて、実際その日のうちに約2万円の売上金が私の口座に振り込まれた。 ところが、私と同じように飛びついたさまざまな人の体験談から、このアプリにはいろいろと挑戦的な試みがなされていることがわかってきた。そのうちのひとつは、査定において写真の中身は全然見てないらしいということ。なにしろ、ブランド品を指定して完全に別のもの(たとえば麦茶とか)の写真を撮っても、それに1,000円~20,000円までの査定額がつくのだ。 こういった証拠となる画像がネタ的にネットにいくつも投稿されるのには笑ったけれど、笑ったと同時に、これはまずいと思った。何しろCASHは子どもでも使える。子どもたちが、大喜利のようなノリで品物もないのに査定機能で遊んで、アプリの使い勝手の良さからまたたく間に現金化、そして何かよく分からないまま2ヶ月放置した結果、15%の利子が上乗せされた借金を返済しなければならないなんていう事態が、わりと簡単に起こり得る仕組みになっているのだ。 子どもたちは日々、スマホからいろいろなニュースサイトを見ているので、大人が教えなくても、新しいアプリにたどり着いたりしてしまう。そこでCASHについてはひとまずその日のうちに、ネタで使うアプリではないよ、という話をした。※現在、CASHは新規の査定受付を停止している。 お金に関するテクノロジーは「フィンテック」と呼ばれ、IT業界では数年前から注目されている。技術の進歩というとつい無条件に私たちの生活を豊かにしてくれるものと思うけれど、“知っていれば得をする”おいしい話しは“知らないと損をする”こわい世界とつねに隣り合わせ。若者からお年寄りまで、だれもが簡単に、直感的な操作で目の前にないお金を動かせる今、それがどういう意味を持つのか。その本質が「わからない」では、いよいよ切実にまずそうである。 イラスト:片岡泉
2017年07月04日最近難しさを感じるのは、どうやら娘は私のことを“エロくてキモい”と思ってそうなことだ。なんでそう思うのよ、と言うと「だってママの原稿をたまに見ると、セックスってやたら出てくるし」と言われて意気消沈。 たしかに私は仕事で夫婦関係、男女関係を書くことがあり、そういう話をしたりもする。原稿には当然「セックス」という単語が出てくることもある。ただ、基本的は別に子どもたちが読んでもかまわないものを書くことにしていて、これまで私の書いたものを割と読んでいる夢見も、その辺はわかってくれている風ではあった。ところが最近、なんとなく反応がいつもと違うのだ。 つい先日、こんなこともあった。友達親子と夕飯を食べていたときのことだ。 「もう◯◯は私より胸が大きいんだよー」。 友達親子のお母さんの方がそう自虐的に言って、娘の◯◯ちゃんの方は、ちょっと自慢げな顔をする。 「えっ、そうなの?!」と私が驚いたその様子に、夢見はどうも不快感を抱いたようなのだ。 「ママ、エロい!◯◯ちゃんの胸をじっと見てたでしょ!」 いきなりそんな風に言われ、えーーっ、と動揺。そんなつもりは全くなかったし、ましてやあったとしても、さっきまさにその話をしてたんだから、無意識に視線を送ってしまったとしてもそれは不可抗力では。 母と娘。同性だし、親子だしと思っても、特に自分の心身が大人のものに成長していく過程では、何となく気持ち悪かったり、自分でも自分をもてあますような気がしたりするものだ。デリケートな話題だからと、必要なことを話すときにも極力さらりと、ドライに伝えるように気をつけてきた。ところが、最近の夢見はどうも、私の中に、男性目線を見出していて、そこにキモさを感じているようなのである。 これに気づいたとき真っ先に連想したのは、思春期の女子が典型的に陥りがちなあれ、つまり「パパくさい」である。うちには普段、お父さんがいない(オッサンのような風貌をした息子はいるが)ので、一般に異性の親に向けられる嫌悪の矛先が、私に向かっているんじゃないかと思ったのだ。 だけど、この話以外にも最近夢見はよく私に苦言を呈す。ちょっとしたリアクション一つ取り上げて、は~っと、わざとらしいため息とともに、マジでこいつはどうしようもないなという顔をされたり、「ママうるさい」「ママキモい」なんて言われたりするともう泣きたくなる。 夢見は学校の勉強が特別できるというタイプではないけれど、物事の分析力は並みの大人顔負けに高い。すくなくとも私の目にはそのように映っているし、彼女のそういった能力には絶大な信頼を置いている。 だからこそ、そんな娘に人間性を全否定されると、結構ストレートに凹む。自分では気付いてない大きな欠陥を、とうとう娘に見つけられてしまったかもしれない……。もしくは親の離婚や何やら、彼女に強いてきたこれまでの体験が、やっぱり彼女の心を傷つけていたのかもしれない……。夢見が私にムカつきたくなる、思いつく限りの可能性を次々と拾い上げては、どっぷり落ち込んでしまうのだ。 ところが、そんな悩みをぽろっと打ち明けた、同じく子を持つ友人からの一言で、私はあっと膝を打った。 「それ反抗期じゃないの?」 そうか……これが反抗期!? 考えてみれば長男にはそいう時期があまりなかったので、すっかりその可能性を度外視していた。だけど、考えてみれば私にだってあった。冷静に考えると親には何の落ち度もないのに、親が急に自分より賢くない存在に思え始めた時期。親の言うことをどうしてか薄っぺらく感じる時期。 親の何気ない一言が無性に気に触る時期。世に言う「反抗期」なるものが。友人はさらにこんなことを言った。 「親っていうのは、壁にならないといけないんだと思う。子どもが反抗できる、わかりやすい対象に。子どもだって自信がないんだから、親がぐにゃぐにゃしてどっちつかずだと、結局子どもが迷う」 ……仰るとおりです。 親子とはいえ、一緒に生活を共にする同居人であり、できればいつだってお互い、いい気分でいたい。けれども、子どもというのは日々急速に成長していて、その過程では、ときとして調和より、ヒリヒリとした摩擦を必要とすることだってあるのだろう。そうやって、何かしら打てば響く相手がいることが、後々よく働くことだってあるのだろう。……壁だ。頑丈な壁にならねば。ちょっと打たれてすぐ凹む脆弱な壁だった自分を、悔い改めたのであった。 イラスト:片岡泉
2017年06月27日実家を離れてからというもの、優に10回を越える引っ越しをしてきた。 引っ越したくなるときというのは当然ながら、生活を新しくしたいと思うときで、このままここで、より深く根を生やし続けると腐ってしまいそうだな、と思うとき。 私の場合は、それがわりと短いスパンでやってくるということがわかっているので、先回りして、あまり地域に深く根を生やさないように気をつけようと思っているけれど、意に反して、引っ越した先々では必ずといっていいほど誰かしら、私たち家族を見つけて、親戚のようにかわいがってくれる年長者との出会いが訪れる。 13年前、私がまだ20代前半だったころ。それまで家族で住んでいた福岡から、まるで土地勘のない東京に出てきてすぐに知り合ったのは、新しく借りたマンションの向かいで、ちいさな古い八百屋を営む50代の夫婦だった。何度か店で買い物をすると、夫婦はすぐに私の顔を覚えてくれ、近所の病院や幼稚園、学校のことなどを色々と教えてくれた。 そもそもその辺りには若い母という存在がめずらしく、若いし、あかぬけてもいない母というのはもっとめずらしかったので、夫婦の関心を引いたのだろう。ふたりはすぐに、私たち家族にとてもよくしてくれるようになった。 あるとき、夫婦と私たち家族とで、江ノ島へ小旅行に出かけた。今のような梅雨の季節で、江ノ島の紫陽花はきれいだから、と夫婦が強く誘ってくれたのだ。ふたりは前日に、周到にコースを考えてくれていたものの、当日はあいにくの土砂降り。それでもせっかく来たんだからと、傘とレインコートで強引に予定を敢行することとなった。江ノ島駅で江ノ電を降り、歩いて大きな橋を渡る。 東京に越してきたばかりの初々しい家族に江ノ島の絶景を見せてやりたい、と夫婦は思ってくれたのだろうが、現実にそれは大変な苦行だった。気を抜けばすぐにとんでもない方向に駆け出していく3歳のモーの手を引き、生まれたばかりの夢見を抱っこ紐で抱っこして、バケツをひっくり返したような雨の中を、とぼとぼと八百屋の夫婦について歩く。 私たち夫婦だけなら間違いなく駅のホームを出る前に引き返していたところだが、八百屋の夫婦は良かれと思ってやってくれているだけに、何を言うこともできない。私も、そして恐らく当時の夫も、その橋を渡りきった先にあるというしらす丼の名店に、ただ一心に気持ちを集中させていた。そうまでして食べたしらす丼が美味しかったのか、しらす丼を食べた後に何をしたのかなどは、もはや全く覚えていない。小旅行の記憶は、後にも先にも気の遠くなるような橋の上でのひと時で止まっている。 本来、家族向けマンションの向かいに建っている八百屋なんて便利なことこの上ないはずなのだけど、どうしても近くのスーパーを利用する人が多いせいか、その八百屋にはいつ行っても、私以外にお客さんがいなかった。お客さんがいないから、仕入れた野菜も随分長いこと店先に並び続けて、新鮮さを失っていく。またお客さんがいないから、安く売るということもできない。野菜が特に新鮮でもない、安くもない八百屋にお客は余計に寄りつかず、夫婦の八百屋は傍目に見ても、悪循環が生む悲しい状況に陥っていた。 私くらいは何とか支えなければと、最初のうちは頑張って通った。それでも、生活パターンが変わったりして1週間、2週間と店に行かないと、不義理をしているという後ろめたさがしだいに募って、店の前を通るにしても、夫婦の視線を避けるように、つい足早になる。そういうことが続けば続くほど、どんどん行きづらくなって、いつしか夫婦の方も、私とあまり目を合わせてくれなくなって、目が合ったとしても他人に向ける視線と何も変わらないものになって、そうこうするうち気がつくと完全に、その八百屋には行かなくなってまったのだ。 例によってその引っ越してから数年後。何かのきっかけで再びその場所を訪れると、八百屋はきれいに潰れてコインパーキングになっていた。瞬時に、罪悪感が胸いっぱいにこみ上げて、逃げたしたい気持ちになったけれど、「あのコインパーキングは相当儲かってるらしいよ」という地元ママ友の本当か嘘か分からない言葉に、どこか少し救われたような気持ちになった。 30年以上同じ場所に根を張り、八百屋を続けてきた夫婦。その間にはきっと私のような人間が、何十回、何百回と彼らの前を通り過ぎて行ったんだろうと思う。ある日ふいに現れ、すっかり根を張ったかのように見せて、時間とともに少しずつ消えていく、私のような、根を張らない者。期待しては失望して、夫婦はそういうことを、何度となく繰り返してきたんだろう。 今でも、梅雨の時期にはついあの橋の上の大変な小旅行を思い出す。根を張らないにしても、根を張らない者なりの正しい振る舞いというものが本来はあるのだろう。私はずいぶん薄情なことばかりしてきたなと思う。 イラスト:片岡泉
2017年06月13日祖母には、長女、長男、次女(私の母だ)、三女、四女、という順番の5人の子ども達がいた。みんな基本的には仲が良いものの、ことあるごとに、特に4人の姉妹は口をそろえて、「お母さんが一番好きなのは兄ちゃんよ」と言うのだった。ただ、そこには別にやっかみの感情がなさそうに見えた。 というのも、母の時代、長男というのは家の跡継ぎとして特別に可愛がられるべきものだったし、また早くに夫を亡くしていた祖母にとって、長男の存在というのは、当然ながら、夫にも匹敵する、唯一無二のたのもしい存在だったのだ。ところが深刻な問題は、長男を除く4人姉妹の中で生じる格差だった。 三女のミチコちゃんが、祖母から特別に可愛がられている、というのが、長らくミチコちゃんを除く、3人の姉妹の統一見解だった。 「ミチは小さい頃からほんとに愛嬌がよかったんよ」と母は昔からよく、隠しきれない苦々しい顔で語った。祖父がまだ生きているとき、今日は機嫌が悪いなと思えば、ミチコちゃんは砂糖をたっぷり入れたコーヒーをさっと出して、まあまあこれでも飲んで、と和ませるのだという。 私が生まれる前のことなので実際にその光景を見てきたわけではないものの、男性が恐ろしく頑固な昔ながらの九州の家で、女性が何人も一つ屋根の下に住んでいると、嫌が応にも、そういうことを誰がやるか、誰がそのポジションに収まるか、というところで、ピリピリとした空気が生じることは想像に難くない。 何しろ生活の中では自ずと、あの子はこういう子だからね、と今よりもっと無遠慮に個性が固定化されてしまっただろうし、誰か一人が自然な流れで“愛嬌よく無邪気”という愛されキャラを獲得すれば、確かに周りは面白くなかっただろう。 とはいえ、それは姉妹間のふるまいの問題で、当の祖母には、誰が一番可愛いとか、そんなつもりは全くなかったのだろうと私は思っていた。母が考え過ぎているのだろう、と。 ところが、この問題は思いのほか根深いと知らされたのは10年ほど前、祖母が、庭の畑で毒蛇に噛まれて生死をさまよったときだった。 その日、祖母の家にはミチコちゃん一家が遠方から帰省していて、祖母は、採れたての畑の野菜を食べさせてあげようと、視界の悪い夕どきの畑に出た。そこで蛇に噛まれ、直後にミチコちゃんと、祖母の家の近所に住む母とが病院に連れて行った。数日後、血清を打って幸いにも一命をとりとめた祖母は、母にこう言ったのだという。 「やっぱり、ミチコちゃんがいたから命が助かった」 自分が祖母の家の一番近くに住んでいて、日頃から一番近くで祖母の面倒を見ているという自負もあった母は、何気ない祖母の一言に相当なショックを受けていた。子どもの頃から溜め込んでいた煮え切らない思いが溢れ出し、その後しばらくは、見るからに落ち込んでいた。子どもが大人になって、親と子の、守る人、守られる人の立場がいつしかすっかり入れ替わったように見えても、それでもやっぱり子どもは、親から愛されたい。いつまでもそれは変わらないのだと、思い知らされた。 そんな祖母が先日、突然亡くなった。病気がわかってから、たった2ヶ月のことだった。最後は、4人姉妹、全員で看取ったという。 訃報を受けた直後は、祖母を失った悲しみよりも先に、母のことが気になった。いつもはノーテンキで子どものような母の顔を唯一曇らせる、根深い愛情問題。祖母はわだかまりを、わだかまりのまま残していってしまったのだろうか。 ……それも仕方がない、と思った。生身の人間の人生は、小説や映画のように美しく着地したりしない。母の問題は母の問題として解決していくしかない、そんな風に思った。 ところが、そうではなかったのだ。 お葬式を終えた日の夜。最後を看取った日から、通夜、葬儀と休みなしでこなし、疲れ切っていたであろう母は、それでも眠れないというので、私たちは居間で、祖母の遺影を前にお酒を飲んでいた。そんなとき、おもむろにこんなことを言ったのだ。 「最後はね、おばあちゃんは、私からしか薬を飲まなかったんよ」 祖母の命が長くもたないことを知らされてから、4人の姉妹は介護のために、代わる代わる祖母の家に泊まり込んでいた。日増しに体が弱り、目に見えて最後が近づくにつれ、祖母は、ほかの誰が薬を飲ませようとしてもそれを拒み、頑として母を待ったのだという。 祖母の家から一番近くに住み、30年近く祖母の世話を担ってきた母がそれだけの信頼を得ることは、他の姉妹にも当然のこととして受け止められたようだった。祖母が息を引き取った後は、姉妹全員で、ああでもない、こうでもないと言いながら祖母の服を着替えさせ、綺麗にお化粧を施し、棺に納めたのだという。 まるで毒が抜けたように優しい顔で「本当に楽しい時間だったんよ」と、そのときのことを語る母の目には涙が滲んでいた。絡まった糸がこんなにも見事に解けて、誰の心にもわだかまりを残さず、軽やかに迎えるエピローグ。物語でない現実の人生にも、そんなことがあるのだと震えた。 生まれ持った性格が合う、もしくは合わないということは、親子の間にだって少なからずあるだろうし、そこで生じる摩擦によって、愛の受け渡しがスムーズにいかないことだってあるのだろう。けれども一喜一憂しながら過ごす長い時間の中で、気がつけば子に命を預けるほどの特別な信頼が生まれていたり、そうやって寄せられた親からの特別な信頼に救われたり。私たちは、さまざまな局面を経て、親子としての関係性を、双方から育んでいく。 考えてみれば親子なんて、最初はみんなただの親子、それ以下でもそれ以上でもないのだ。血のつながりを超えた「あなた」と「わたし」の特別な絆は、それぞれの過ごしてきた日々の後ろに、足跡のように残っていくものなのだろう。 イラスト:片岡泉
2017年06月06日子どもが複数いる場合にどちらか片方の子をどうしても可愛く思えないとか、もしくは誰か一人が特別に可愛く感じてしまうとか、お母さん達のそういう話は、結構よく聞く話ではある。 中でも突出して多いのが、一番目の子が女子で、二番目の子が男子の場合。俗に言う一姫・二太郎の関係における「弟可愛い」だ。 知恵をつけてよく喋るようになったお姉ちゃんと、その後に生まれた赤ちゃんの弟。弟の方が可愛くてたまらない、お姉ちゃんは小煩い、弟にはずっとこのまま赤ちゃんでいてほしい、なんていうお母さん達の言葉は、これまで色々なママ友から何度となく聞かされた。 本当にずっと赤ちゃんでいられちゃ大変で仕方ないだろうと思うが、息子に限っては、そんな手がかかることを差し引いても愛おしいと感じる、ということだろう。この裏側には何となく、男性だけに許された赤ちゃん特権の残り香を感じてしまう。 赤ちゃん特権というのは私が今適当に考えたものだが、「男はみんな赤ちゃんよ」みたいなやつである。 女性の生活力の低さは許されないが、男性の生活力が低いことは許される、またそれを女性がサポートするのは当然というような空気が、母親の息子への偏愛を後押しさせ、特別なことじゃないよ、という温度で口に出させ、社会もそれをナチュラルに受け止めているような気がする。 また逆のパターンで、父親が娘を特別に可愛がるというのも当然のこととされている。 普通、「自分の子どものこっちの子が可愛くて、こっちの子が可愛くない」なんて言えば周囲からは当然非難されそうなものだが、女はこう、男はこう、男と女はこう、というような、固定概念が土台にあるからこそ、性差を理由にした兄弟間の偏愛はカジュアルに表出する。性差に起因していることが、ギリギリ免罪符になるのだ。 だから、実際には表に出にくいだけで、姉と妹とか、兄と弟とか、同性の兄弟間にも、親が実感する「可愛い」の差というのは当然あるのだ。 今も残っているのかどうか分からないけれど、第二子・夢見を妊娠した12年ほど前、2ちゃんねるの育児板には「長男が可愛いと思えない」というような、過激なタイトルのスレッドがあった。興味本位で覗いてしまった私は、そこに書かれている親達の告白に震えた。 親になったからといって、自動的に、どの子にも同じように愛情が芽生えるとは限らないのだということを、そのとき初めて知った。 また、共に生活する弱い存在を可愛いと思えないことは、むしろ鬱陶しく思うことと紙一重なのだということも、そのときに知った。もしかして自分も、お腹の子を産んだらその瞬間に、今、こんなに愛しくてたまらない長男・モーを、愛しいと思えなくなったりするのだろうか。モーに愛情を感じなくなってしまう事態を想像して、嗚咽をあげて泣いた。 幸いなことにこの心配は杞憂で、夢見が生まれてからも、モーへの思いの何かが変わるということは特になく今に至っている。 ……と、私は思っているものの、子どもたちが私の愛情をどう受け止めているかというのはまた別の問題なのであって、次回は、自分より妹の方が愛されていると感じながら育った一人の娘と、その母親との話を書こうと思う。 イラスト:片岡泉
2017年05月30日ある日息子が「ジェネギャ」と言った。 それは一体なんだ。バンギャの亜種か何かかと思いきや、ジェネレーションギャップの略らしい。今のティーンの言語センスに、母はうなった。 実際このところ、子ども達との“ジェネギャ”を、ひしひしと感じさせられる。何しろ子ども達は、私が知らない歌を、どこからともなく覚えてきては、当然のように口ずさむのだ。世の中の一部の世代が当たり前のように歌う歌を、自分がまるで知らない。そんなことが自分の身に起こるようになろうとは、10代のころは思ってもみなかった。 高校生のころは、特にファンというわけでなくても、モーニング娘。のメンバーの名前を全員言えた。辻ちゃん加護ちゃんの区別もついたし、次々と誕生する小室哲哉プロデュースのグループ名も全部覚えられた。と同時に、私が生まれる前にピンクレディというアイドルがいたことも、山口百恵が引退コンサートでどのようにマイクを置いたのかも知っていた。私が知ったときにはすでに亡き人になっていた尾崎豊にも、高校生のとき一時ハマった。 自分との世代と、それより上の世代のエンタメの知識は10代のころには当たり前に持っていたし、一般教養だろうと思っていたから、言えない大人は一体どこにどんなアンテナ張って生きてるんだ、怠慢が過ぎるんじゃないか、とさえ思っていた。 ところが30歳を過ぎ、ふと気がつけば私も立派に“知らない大人”になってしまっていたのである。自分がそうなってみてようやく、10代のころの疑問に答えが出た。 大人は決してアンテナを張るのを怠っているわけではない。ただ、長年大事に使い続けてきた持ち前のアンテナそのものが時間とともに自然と型遅れになり、世界には、このアンテナで拾えない電波が飛び始めるのだ。 過去に流行ったものについては古い電波で飛んでいるから受信可能なのだ。だからこそ私は懐メロを知っていたし、娘の夢見は今、ボカロ曲とともに、ジュディマリや広末涼子や川本真琴などを好んで聴いている。けれども、新しく誕生するものをキャッチするには、受信するアンテナそのものを刷新していく必要があって、これがなかなか難しいのだ。 ついでに言えば、カルチャーそのもののあり方も、私たちの世代と子どもたちの世代では、どうやら大きく変わっているらしい。昔は、流行りの歌は全員が知っていて当然だった。浜崎あゆみ好き、宇多田ヒカル好きなど好みが別れても、だいたいみんな、売れてる歌は知っていた。けれど今、子どもたちの様子を見ていると、どうもそんな風にはなっていないようだ。 GReeeeNとかゆずとか、一部の歌手の一部のエモい歌は、運動会や文化祭でクラスの一体感を彩る応援歌として共有されているものの、日常的にはJ-pop好き、韓流アイドル好き、洋楽好き、ボカロ好きといった具合に好みが細分化されていて、うちの子どもたちが当たり前に口ずさむボカロ曲を知らない同世代の子どもも当然のようにいるらしい。 これがメインカルチャーだから抑えていて当然、というような圧力は、今はどうやらなさそう。この違いは何かと言うと、やっぱりテレビ。テレビがすべての情報の発信源になっていないことに起因していると思う。私のまったく知らない歌を覚えてくる子どもに、「どこでその歌を知ったの?」と尋ねると、決まってYouTubeやニコ動のMAD動画だと答える。好きなアニメや好きな音楽、好きな動画配信者などをきっかけに、機械が自動的にサジェストしてくれるオススメ動画のリンクを次々と辿ることで、彼らは自分の世界を深めているようなのだ。 先日、娘が突如「俺ら東京さ行くだ」を口ずさみだしたのでギョッとした。なぜ吉幾三を知っているのかと尋ねると、やはりそれもMAD動画で知ったのだという。 子どもが今どんなことに関心があるのか、何を面白いと感じて、何に心を動かされているのか。親としてはなんとなくでも把握しておきたいと思ったりするものだが、彼らの情報源がパソコンやスマホなど、プライベートな空間の中にあるものとなった今、その足がかりをつかむことがかなり難しくなっている。 大人の監視や助言が必ずしも望めるとは限らない中で、子ども達が情報の取捨選択をそんなに大きく外さないために、何を教えていくべきなのか。悩ましいところである。 イラスト:片岡泉
2017年05月23日私のお腹から生まれてきた瞬間の夢見は「え……もう? もう出なきゃいけないんですか?」という戸惑いの表情を浮かべていた。というのも、大人の事情で彼女には、そもそもの予定日より2週間ほど早く、人工的に陣痛を起こして出てきてもらったのだ。 私の母は、二人目の孫となった夢見の顔を見るなり「なんとまあ、控えめな顔ねえ」と言った。控えめな顔って表現もどうかと思うけど、言いたいことは分かった。この子は私の子どもの頃のように、ホウキをもって男子を追いかけたり、殴り合いの喧嘩をしたり、そういうことはしないんだろうなと感じた。新生児ながらに、遠慮深そうな顔をしていたのだ。 そして、現実にそんな風に育っていった。幼稚園に迎えにいくと「今日は滑り台の上に座ってニコニコしながら空を見てましたよ〜」とか「部屋で絵を描いてましたよ〜」とか、とにかくやたら、単独行動の報告ばかり受けるのだ。何となく心配になって「娘には友達がいないんでしょうか?」と尋ねると「友達がいないわけではなくて、一人が好きみたいです」と言われ、なるほど、と思う。 一人が好きならまあいいか……とはいえやっぱり少し気にかかる。何しろ夢見は、自分が楽しくおもちゃで遊んでいるところに友達がやってきて「それ貸して」と言われれば「いや、見ての通り今これで遊んでるでしょ、だから待ってて」とか言わずに、すぐにホイホイと手渡してしまうのである。いくら一人が好きでも、幼い頃に「貸して」「貸さない!」とかの痛々しいやりとりを経験していかなければ、大人になって、この世知辛い東京砂漠を生き抜く強さは身につかないんじゃないか? 人の輪の中で、必要以上に我慢したり、飲み込んだりせずに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな強さを、この子はちゃんと身につけていけるのだろうか。親として、備えさせてやれるのだろうか……? ところがそれから10年近く経ち、気がつけば夢見は、私が何を指導するまでもなく自分自身の力で、いつの間にやら相当なタフネスを身につけていたのだ。 「私、靖国神社に行ってみたいな〜」 夢見がウキウキでそう言い出したのは、2週間ほど前の土曜日のことだった。最近は歴史好きが高じて東京裁判を題材にした小説を書いている夢見。 「私は決してネトウヨじゃないからね!」と言い添えつつ、取材をかねて、どうしても靖国神社に訪れたいと言う。ところがその日の私には別件があり、連れていけないよと言うと、「オッケー。じゃ、一人で行ってくる」と即断。塾が始まるまでの時間を利用し、地下鉄を乗り継ぎ、一人で意気揚々と靖国神社へ向かったのであった。 なんでも境内を散策したり、たまたま開催されていた第一次世界大戦展を鑑賞したりして、それはそれは充実した時間を過ごしたらしい夢見。帰宅してから「お昼ご飯はどうしたの?」と尋ねると、「境内の売店で焼きそばを食べた。途中から、外で徴兵制復活を訴えていた作業服のおじさんたちがわらわらと入ってきて私の隣でご飯を食べて始めた。完全に異世界ですっごく面白かった」とのこと。かつて中野のまんだらけに初めて行った際に「ディズニーランドみたい!!」と言ったときと同じ目をしていたこと、母は見逃さなかった。 いつかの心配もどこへやら、気づけば思いがけず、強く、たくましく育っていた夢見。幼い頃から随分変わったように感じられるけれど、でもその実、案外何も変わっていないのかもしれない、とも思う。幼い頃の夢見は、やっぱり先生の言う通り一人が好きだったのかも。 あるいは、どうしても滑り台の上に登っていたくて、その意志をただ思うままに貫いていただけなのかも。誰が何を教えなくとも、彼女はやりたいことを、やりたいようにやってきていたのだ。 結局、大人が気にかける子どもの心配事なんて、その大半が、大人の方が幸福のバリエーションをちょっとしか知らないことで生じるのかも、なんて思うのである。 イラスト:片岡泉
2017年05月16日夫が成功者となって、夫婦関係が破綻する。 世の中的にはあるあるだし私の個人史的にもあるあるだが、一説によるとこの原因のひとつに、妻の“嫉妬”があるらしい。 (……嫉妬?)初めて聞いたときには全然ピンと来なかった。 何しろ夫婦というのは二人で一組。お互いの成功を自分のことのように喜び合うことができて、そしてときに相手の成功を自分の成功と勘違いして鬱陶しく思われることもあるような二人である。 成功に伴い大金を手にした夫が夜の繁華街に入り浸り家に帰って来なくなる、成功に伴いモテだした夫がヤリチンになる、成功に伴い自信をつけた夫の言動が次第に俺様化していく、というようなステップを経て、妻の側に寂しさや憤りが生まれたとしても、それは決して嫉妬ではないんじゃないだろうか。 もし妻が夫と同じ仕事をしていれば起こり得るだろうが、私の場合は専業主婦だったこともあり、自分の中に嫉妬の感情があると感じたことはなかった。 ところが自分が仕事をするようになって、仕事での成功が、単にお金と名声だけを運んでくれるものではない、ということを知ると考えが一変した。 かつての私には、無自覚な嫉妬があったのかもしれないと思うようになった。知らなかったから、それが嫉妬だと気がつかなかっただけなのかもしれない、と。 というのも、夫の成功に伴い嫉妬の対象となるのは、資産や名声やキャリアではないのだ。そうではなく、それらを持っているものだけに開かれる扉。家庭の外の、心地よい居場所の数なのだ。 成功して社会的評価を上げた者は、社会のいろいろな場所(銀行や証券会社やキャバクラや女性宅など)で歓迎される。ここにずっといていいよ、と無条件に受け入れられる居場所が複数できる。一方で妻の方はというと、成功者の妻という肩書きで暖かく迎えられる機会もなきにしもあらずだが、実際のところ生活はそう変わらない。ましてや専業主婦ならば、どんなに夫が成功しようと、自分が安心して滞在できる居場所は家庭だけ、という場合も決して少なくない。 安心して滞在できる場所というのは、言ってみれば、自分という存在を支える屋台骨だ。複数あればそれだけ安心だが、一本しかなければ当然心細く、その一本が折れてしまえば自分が沈む。 ひとつの家庭の中で、家庭の中にしか居場所がない者と、家庭の外にも複数居場所がある者が暮らせば、その環境への依存度の違いから、自然と温度差が生じる。複数の強固な屋台骨に支えられた方の強さや、余裕が、それがないものには、ただただ羨ましく思え、それを持たない自分が孤独に感じられるのだ。 そしてこれ、必ずしも夫婦関係に限らず、親子間でも起こり得る。子どもは大人に比べて自由が利かず、たいていの場合は住んでいる場所から自動的に定められた、自分が選んだわけでもない学校に毎日通わされている。 彼らを支える屋台骨は、ある時期まではどうしても、家庭だけ、ということが多い。そんな中で、親が家庭の外に、家庭と同じくらい心地良く過ごせる、歓迎される場所を持っているというのは、子ども心にも嫉妬の対象になり得るだろうと思う。 たとえばひとり親の恋愛を子どもがすぐに受け入れられないのだって、理由のひとつは、それが家庭の外で育まれる、親だけの屋台骨に見えるからだろう。仕事仕事で親が家を空けがち、という場合にも、寂しさとともに、心のどこかに、家庭の外に屋台骨があることへの嫉妬が生まれている可能性がある。 私自身、離婚して、働き出してから、個人としての私を心から歓迎してくれる居場所を、以前よりたくさん持つようになった。だから生きやすくなったし、明るい気持ちで過ごす時間が増えた。だけど一方で、子どもに対して、たまに少し罪悪感を持つことがある。 自由のない子どもを、足場の不安定な場所に残して、自分の足元だけを強固にしているようで、後ろめたいと感じることがある。けれども先日、ある友人がこんなことを言ったのだ。 「大切な仲間なら一緒に連れていけばいいんだよ」 家庭に限らず、今自分が心地よいと思える居場所には必ず、その場を一緒になって作り上げてくれている大切な仲間がいる。ふとしたきっかけで、自分がそこから一歩、足を踏み出そうとしたとき、跡に残される仲間の心にはどうしたって影が落ちる。 ずるいな、と思うかもしれないし、羨ましいな、寂しいな、と思うかもしれない。でも、だからって足を引っ込めちゃいけない。大切な人たちを守りるためには、ちょっとやそっとじゃ折れて沈まない強い自分が必要で、そのために屋台骨を強化するのだ。自分を支えを、意図して増やすのだ。それによって大切な誰かが傷つくというのは本末転倒だから、一緒に連れていくしかない。……とはいえ、当然ながら、私が私の仕事や友人関係から得られる屋台骨は私だけのものであって、親子というだけで自動的に子どもたちにとっても居心地の良い場所になるとも限らない。 けれども、少なくとも足場にはなり得るんじゃないだろうか。ここじゃない、何か違う、と思っていていい。そうした違和感を持ち続けながら、子どもたちがいつか、自分の力で、自分だけの屋台骨を見つけられるようになれば。そうなるように、そうなる日まで、子どもたちを一緒に連れて行こうと思うのだ。 イラスト:片岡泉
2017年05月02日先日うちに、友人2人がご飯を食べにやってきた。美男美女かつ、ともに聡明な20代前半の男女。早めの時間からワインを開けて賑やかなおしゃべりを楽しんでいると、外出先から長男モーが帰宅。うちの息子です、ちわっす、という何気ない挨拶を皮切りに、学校の話、受験の話など、一しきり会話に花を咲かせたところで、モーがおもむろに尋ねる。 「……で、二人は付き合ってるんですか?」 えっ、と一瞬固まって、顔を見合わせる二人。こらこら息子よ、トレンディドラマでもあるまいし若い男女というだけで全員が全員付き合っているわけじゃないんだよ……と言いかけて、思わず口をつぐむ。 「……ん? どうかな、えっと、付き合ってる……の、かな……?」とか何とか、さっきまでの軽妙なトークはどこへやら、二人はいきなり口をもごもごさせ始めたのである。 「えっ、ええっ!? ……そ、そうなの!? 付き合ってたの??」 なんと付き合っていたのだ。 それぞれ、最初は別の場所で知り合った二人が、いつの間にやら繋がって、いつの間にやら付き合っていた。確かに仲良しだなと思ってはいたけれど、かといって、付き合っている気配はみじんも感じなかったので私は完全に仰天してしまった。二人が付き合っているという事実にも、会ってものの10分足らずでそこにぶちこんできたモーにも、だ。 どちらかといえば文科系で、オタク系な両親から生まれてきたモーは、そんなバックグラウンドにも関わらず目下順調にパリピとして成長している。念のため解説しておくとパリピというのは、賑やかなパーティーの場を好む人種、“パーティーピープル”の略称である。友達との時間が何より大事だし、ダンスミュージックばかり聴いているし、女の子と二人で出かけることも頻繁にある。いわゆる「ウェーイ」である。一見、思慮深さとは対局にいるかのように見える彼だが、幼い頃からふとしたタイミングで、何かが降りてきたように、神通力めいた力を発揮することがある。 あれはモーがまだ5~6歳のときのことだ。 春の、穏やかな休日。私たち一家は近所の公園に併設されているテラスカフェでお昼ご飯を食べていた。そこへ突然現れた一人の男性に、われわれの視線は自然と集中する。黒く焼けた肌にサングラスをかけ、長めの髪の毛を後ろの方で結んでいる。小柄な体つきながら、隠してもあふれ出るスターのオーラ。あの人絶対有名人だ、しかし誰、誰なんだ?! 謎のスターは奇しくも私たちの隣のテーブルに案内され、そわそわする私たちの耳はより一層ダンボに。そうしてついに男性が口を開いたその瞬間、一気に真実が判明した。 ……く、久保田利伸!!! 艶やかでよく通る声、やや英語っぽい発音に侵食された日本語。思わずwanna make loveしたくなるその色黒の男性はそう、息が止まるくらいの甘い口づけを提案する、歌手の久保田利伸さんだったのだ。 スーパーモデル、ナオミ・キャンベルをもバックコーラスにはべらせる世界的シンガーの登場に、にわかに色めき立つ大人たち。(あれやっぱりそう?)(だよね?)と声にならない声を発しながら動揺を隠せない大人たちとは裏腹に、マイペースを崩さない幼児期の息子。 退屈したのか「ねえ~ママ、クイズしようよ、クイズ」とせっついてくる。しかし、こちらはLalala Love songで全然それどころじゃないので、受け取ったボールを即座に投げ返した。 「よし、わかった、わかった。じゃあモーが問題出して」 「え~? 僕がうん、いいよ……じゃあ……」 ここで事件が起きた。 「ぐるぐる回るものな~んだ」 ……回る? ……回れ、回~れ? ……メリーゴー……いやまさかそんな。 隣のテーブルにいる久保田利伸を視界の隅に認識しながら、どうしたって脳内に鳴り響く音楽を必死で制する。そんなはずない。第一にモーが生まれる前にリリースされた曲なのだし、またもし曲自体を知っていたとしたって、今隣にいる色黒の人がそれを歌っている本人だという事実に、まさか気づいているなんてはずがない。しかし…… 「ママ~! 回るものだよ、回るもの!」 執拗に回る回ると繰り返し続けるモー。 (こらっ、そんな大きな声で言うんじゃないっ!) 慌ててモーを止めにかかる我々。しかし奇跡的な力に操られたモーはもう決して止まらない正解を発表。 「答えは、メリーゴーランドでした~」 やっぱりそうなのか。回る回るものは、やっぱりメリーゴーランドなのか。 脱力する大人たちを前に何食わぬ顔を向ける。 このように彼は、思わぬタイミングで、ふいに神を降臨させるのである。 イラスト:片岡泉
2017年04月11日子どもの何が一番いいって、雪解けが早いところだ。 すごく大人慣れしている子どもを除いて、会ってすぐの小さい子というのは大抵の場合、見知らぬ大人と目を合わせようとしない。何か害を加えられるんじゃないかと、親の側でこちらを警戒している。 それでも、何となく近くにいて、本人が手元でやっていること(おもちゃをいじるとか、絵を描くとか)に「上手だね」と声をかけたり、たまにそっと背中をなでたりしていると、どうやら有害な人間ではないらしい、ということを察してくれ、次第に目も合わせてくれるようになる。 ここで前のめりにならず、そうかと言って引きもせず、変わらず安定した態度を取っていると、今度はこちらからの語りかけに「うん」とか「いいよ」とか、受け入れの返事を返してくれるようになる。そしたら次に、ちょっと的外れなことをあえて聞いてみる。 機関車トーマスのおもちゃを持っている子どもに「それ、パーシーだったっけ?」と聞くのだ。すると「ううん、トーマス」と訂正してくるので「あ、そっか、トーマスだった、よく知ってるね」と返す。ここまで来ると後はスムーズ。最初は片道通行だった会話が、一往復、二往復とどんどん増えていって、最終的には「あっち行こう」とか「一緒に遊ぼう」とか、子どもの方から誘いにきてくれるようになる。 この前、友達の3歳になる子どもをうちで預かった。近所の保育園までお迎えに行って、家に連れて帰って、晩御飯を食べさせて、ママのお迎えを待つ。 うちの末っ子、夢見も気づけば11歳。身長なんか私とそう変わらなくなっている今、あらためて言うのも何だけど、3歳の子ってびっくりするくらい小さい。多分、1メートルもない。そんな小さい生き物が、保育園にやってきた私を見かけるなり、さっと立ち上がって「あこたん!」と嬉しそうな表情を浮かべるのだ(私は彼女にそう呼ばれている)。 一緒に遊んでいた先生に、律儀にもぺこりとお辞儀をしてから、私のもとに走って駆け寄ってくる。何かもう、完全にファンタジーだ。 当然、わが子らにもこういう時代が確かにあったはずなのだ。けれどもこの小ささ、この健気さ、この無邪気さに、当時の私はちゃんと気づけていただろうかと、少し不安になる。ちょっと前までハイハイしていた赤ん坊が一人で歩けるようになった、ただそれだけで、乱暴に一丁前の大人を押し付けていたような気がして、心の奥がチクチクと痛む。 保育園を出ると、公園に立ち寄って、コンビニで買ったシャボン玉を飛ばした。夕暮れの小さな公園には私たち以外に誰もおらず、3歳の子はシャボン玉を吹きながら「誰もいないねえ」と言う。「みんなどこに行ったのかな?」と私が尋ねると「この公園、もう閉まっちゃうからね。みんなもう、おうちに帰ったの。そして明日になったら、またみんな来るの。夜になると、またおうちに帰るの」と答える3歳児。 なんということだ。この子は幼いながらに、立派に人の営みというものを知っている。いよいよ中年にさしかかり、最近では感情が秒速で高まる私の目頭が、またもやぐっと熱くなる。 子どもに「私を信じていいよ」と伝えたところで、警戒心を解いた彼らが正直な気持ちで要求してくるのは、飽きるまでシャボン玉に付き合うとか、ボールを転がしあうとか、そんなものだ。 ところが大人同士だと、なかなかこうはいかない。お金や仕事、心や体。大人たるわれわれは、この殺伐としたコンクリートジャングルで、自分の平穏な日常を、自分の責任で守っていかなきゃならない。警戒心はそうやすやすと溶けないし、また仮に解けたとしても、相手の中から現れた素直で正直な欲求があまりに生々しければ、こちらが受け入れられない場合だってある。だけど、そうやって自分を守るつもりで交わす大人のやりとりに、たまにふと疲れたり、ふと侘しさを感じることがある。 小さい子どもは、大人同士ではそう簡単に受け渡しできないもの、でも本当なら、もっと素直に受け渡したいものを、あっという間にポンと手渡してくれる。自分にも、そんなやりとりが出来るのだと思い出させてくれる。だから、たまらなく愛しいのだ。 イラスト:片岡泉
2017年04月04日普通クイズというと、子どもの遊びみたいな呑気なものをイメージするけれど、例えばテレビ番組「アタック25」に出てくる人たちのように、「何でそんなこと知ってるの!?」とぎょっとするレベルの知識を競い合う「競技クイズ」なる世界があるらしい。先日ひょんなことから、そんな競技クイズを体験できるイベントに誘ってもらい、行ってきた。 会場には、テレビでよく見る早押しボタンや、正解の音、不正解の音などさまざまな効果音が出せる専用マシンまで用意されていて、かなり本格的。そんな中、いざ回答者席に座ってみると、あたかもテレビの中に入った気分で俄然テンションが上がる。「よーし、バンバン答えてやるぞー!」と意気込んでみるものの、いざ問題が読まれ始めると、当然ながらこれがなかなかに難しい。 早押しクイズなので、問題の読み上げが最後まで終わらないうちに、誰よりも早くボタンを押し、正解を答えなくてはいけないが、まずその答えがわからない。EXILEのメンバーの名前、去年ノーベル賞をとった人の名前、全然分からない。そして答えが分かったとしても、(本当に合ってるかな……)と一瞬のためらいが、ボタンを押すまでの間にタイムラグを生じさせ、そうこうしている間に他の人が答えてしまうのだ。 せっかく来たのだからなんとか一問くらいは答えたい。このまま見せ場なく終わるのは悔しい……! じわじわと焦り始めた矢先、私にもようやく念願のチャンスタイムが到来した。 「正式名、流行性耳下腺炎と呼ばれる……」 ピンポーンッ!!!!!! 満を持して私の早押しボタンが火を吹いた。手元のランプが赤々と点滅するのを確認し、自信満々に回答。 「おたふく風邪!」 「……正解っ」 よかった、お飾りじゃなかった、私の早押しボタン。ほっと胸をなでおろすと、正解者の証、うまい棒コーンポタージュ味が私のもとに届けられた(その日はそういうルールだったのだ)。 ここから、急に楽しくなってきた。一度火を噴いたマグナムの勢いは止まらない……というわけにはいかなくても、その後も何度か正解を繰り出した。 「パッケージから切り取ってポイントを集めると……」 「ベルマーク!」 「……正解!」 「不活性と活性の二種類があり……」 「ワクチン!」 「……正解!」 競技クイズ、なかなかダイレクトに自尊心を満たしてくれる。私も結構いけるな、と悦に浸りながら、ふとあることに気がついた。 流行性耳下腺炎がおたふく風邪であることは母子手帳や予防接種の問診票に書いてあるのを見て知った。ベルマークの存在は多くの人が知っているだろうが、私は数年前にPTAのベルマーク委員(児童の集めたベルマークの点数を地道に集計する係り)をやったので特に記憶が鮮明だったのだろう。ワクチンについては、毎年子どもたちと打つインフルエンザの予防接種で、活性と不活性があることを知るに至る。……つまり、私の正解は全部、子育てで身につけた知識によるものだったのだ。 一見何ということもないこの発見に「そうか、そうだったのか……!」と、私は密かに一人、感慨に打ち震えた。 というのも、私は今でこそ仕事をしているものの、つい5年ほど前までは専業主婦だった。それも、一度も就職経験のないまま家庭に入った専業主婦で、当時はそのことをかなり負い目に感じていた。 けれども今回のような場で、あらゆるジャンルの知識を雑学としてフラットに並べられると、私が子育てを通じて知ったことだって、当然ながらその経験のない誰かにとっては未知なことだったり、またもし知っていたとしても、記憶の彼方に押し込まれている、色褪せた話題だったりするわけで、つまりこれって、十分に立派な専門知識じゃないか、と思ったのだ。 もちろん、仕事を始めてから得た知識だってたくさんある。ビジネスメールの書き方、請求書の作り方、打ち合わせの作法。ついでに、エッセイを書いてお金をもらい、曲りなりにも文筆の専門家になったりもした。 けれど、じゃあ家庭の中で、子育てだけをやっていたときの私は何者でもなかったのか、何を学ぶこともなく、成長することもなかったのかといえば、そんなことはなかった。あの当時の私だって、大切な家族の暮らしのために役立つさまざまな知識や知恵を、毎日、少しずつ身につけていたはずなのだ。曲りなりにも、家族の、子育ての専門家として。 先日、ある仕事で取材させていただいた児童精神科医の先生が、こんなことを仰っていた。 「私は確かに心の専門家ですが、その子のことをよく知っているという意味では、親御さんがお子さんの専門家なんですよ」 主婦業だって、親業だって、毎日向き合っていれば、それぞれ立派な専門家。だから私たちは、自信を持っていいのだ。……何に役立つことがないような気がしたって、少なくとも初心者の集まるクイズ大会では、2、3問正解が出せる。 イラスト:片岡泉
2017年03月28日