「私にはこの子を育てられない」どうして耳の聞こえない私に難病児が…。現実を受け入れられなくて
生まれつき耳が聞こえない難聴のユカコさん。一般採用で入った大企業に人事として入社。その後結婚し、難病をもつ長女・なっちゃんが生まれました。ユカコさんは育児に悩んだりもしましたが、「自分にできることをしたい」と勤めていた会社を退職し、難聴児の言葉の教育をサポートする会社を立ち上げ活躍されています。難聴者であるユカコさんのYouTubeチャンネルでは、生活や子育て、難病の娘さんのことなど、障害のある暮らしについてご家族のリアルな姿を動画でご紹介されています。
今回は、おなかの赤ちゃんに難病があるとわかったときのこと、難病の長女なっちゃんが大きな手術を幼いながら頑張り、ご家族でリハビリを乗り越えて車いすを返却する様子をご紹介します。動画を観た方からは「自然と涙が」「感動しました」「涙が止まりません」などの声が続出。
ユカコさんはいったいどのようにして、ご自身が難聴を抱えながら、難病の子どもを育てているのでしょうか。
その答えは、家族の在り方にありそうです。
生まれつき難聴の私が難病児を出産。「この子を育てられない」と号泣したあの日。
聞き取りやすい言葉と発音ですらすらとお話しをされるユカコさん。じつは、生まれつき耳の聞こえない重度の難聴者です。ユカコさんは話す相手の口の動きを見て、言葉を読んでコミュニケーションを取っています。
幼稚園から中学校まで一般の学校で過ごし、希望の高校・大学へと進学。大学ではお友だちと遊んだり、海外旅行をしたり、とにかくチャレンジを続け満喫した4年間だったそうです。
その後は一般採用にて、大企業に人事として入社。お友だちとのキャンプで出会ったテツさんと結婚し、長女・なっちゃんを出産しました。
なっちゃんを妊娠中、妊娠後期になって、おなかの赤ちゃんの病気が発覚。長女なっちゃんは50万人に1人の骨の病気を持って生まれてきました。
最初は「難聴の私にどうして難病の子どもが生まれたんだろう……」と受け入れることができませんでした。
テツさんに泣きながら相談したところ「そっか、わかった。
ユカコのやりたい方向で考えよう」と言ってくれました。そして、ユカコさんのお母さんは「育てられなくてもいいよ。