子育て情報『「私にはこの子を育てられない」どうして耳の聞こえない私に難病児が…。現実を受け入れられなくて』

2023年11月7日 10:20

「私にはこの子を育てられない」どうして耳の聞こえない私に難病児が…。現実を受け入れられなくて

障害児を育てるのは2人目やから、私が頑張って面倒を見てあげる」と力強い言葉をくれました。

ユカコさんには赤ちゃんの泣き声も聞こえないため、難病を抱えるなっちゃんのお世話は精神的にも肉体的にも非常に大変だったそうです。

テツさんやご家族のサポートもあり、徐々に受け入れられることができるようになったユカコさん。改めて難病児・障害児のことを考えてみると、教育の選択肢がとにかく少ないことに気がつきました。

「難聴のことなら自分にできることがある!」と思い、2018年に会社を辞め、難聴児の言葉の教育を中心とした団体・株式会社デフサポを立ち上げました。

難病のわが子が過酷な手術を……

元気いっぱいすくすくと大きく成長していくなっちゃん。しかし、病気の影響で、成長するにつれて両足の長さに差がでてきたため、短い方の足の骨を伸ばす手術をすることに。ユカコさん夫婦は、全国各地の医師を探しまわり、どうにか手術をしてくれる先生を見つけました。


「この子を育てられない」どうして耳の聞こえない私に難病児が…。現実を受け入れられず私は…【新しい家族のカタチ】


手術後は痛がってずっと泣き続けるなっちゃん。「すごくかわいそうだった……。とにかく頑張ったなぁ。」とユカコさんは振り返ります。ユカコさんとテツさんが交代で病院に行くため、次女のかんちゃんも寂しい思いをしながら頑張っていたそうです。

「この子を育てられない」どうして耳の聞こえない私に難病児が…。現実を受け入れられず私は…【新しい家族のカタチ】


術後1カ月半ほどが経ち、器具がついた状態で退院。入院していたときに比べて、なっちゃんの表情は徐々に明るくなっていったそうです。


退院後は、テツさんが常に後ろから支えながら、川や山などの自然の中にも積極的にでかけたそうですよ。

「この子を育てられない」どうして耳の聞こえない私に難病児が…。現実を受け入れられず私は…【新しい家族のカタチ】


とにかく大変だったとご夫婦で口をそろえておっしゃっていたのが、退院後のリハビリです。リハビリには毎日2時間ほどかかり、「仕事もある中で体力も時間も減って忙しすぎて記憶がない」とのこと。

『とても大変な日々だったけれど、将来なっちゃんにとってプラスになるなら』という気持ちで乗り越えたというお2人。

「一番頑張ったのはなっちゃん。そしてかんちゃんも頑張ったね。私たちはあの2人に比べたら全然……」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的でした。


今なっちゃんの元気な様子を見て、「頑張ってよかったな」

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