「変な話なんですけど……(笑)、小学6年生のとき、家族で近所のラーメン屋さんに行ったら、インド系の女性のお客さんがいたんですね。お箸を使って上手にラーメンを食べていて。当時、家の近所で外国の方に会うなんて、すごくめずらしかったので、思わずジロジロ見てしまったんです。
彼女が帰り際に近づいてきたときは、(怒られるかな?)と思って緊張したんですが、そうじゃなくて。彼女はニコッと微笑んで、日本語で『世界は広いから、あなたもがんばってね』と声をかけてくれたんです。いい方ですよね。その後、彼女はすぐお店を出て行ってしまったので、お礼も何も言えなかったんですけど。
テレビのニュースやクイズ番組などで、いろいろな外国の映像を見ていても、実際に外国の人と触れ合うとまた違いますよね。
やっぱり世界にはたくさんの国があって、いろんな人がいるんだなぁと実感しました」
中学校の部活動では英語部を選択した山崎さんは、アメリカのオハイオ州に住む同い年の女の子と文通も始めた。
「市の広報誌でペンフレンドを募集している記事をたまたま見つけたので、じゃあ、やってみようかなと。英語の文章が全然書けないのがもどかしく、英語が書けるようになりたいなぁと思いました。学校の先生が手紙を添削してくれたのも、ありがたかったですね。いつか外国に留学したいと思ったのも、この頃でした」
妻であり、母であり、教師であった
チャレンジャー号の女性宇宙飛行士の想い
外国に憧れる、ごくふつうの日本の女の子が “宇宙飛行士” という職業を初めて現実的に意識したのは、中学3年生のとき。1986年1月28日、テレビ中継で見たスペースシャトル・チャレンジャー号の打ち上げ直後の事故に胸を激しく揺さぶられた。
「子どもの頃から『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』、『スター・ウォーズ』など、大好きだったアニメや映画に感化されて、宇宙が好きだなぁと思っていました。でも、当時は宇宙飛行士という言葉すら、よく分かっていなかったんですよね。
それがチャレンジャー号のニュースで、現実に本物の宇宙飛行士がいて、スペースシャトルという宇宙船があることが分かったんです。
チャレンジャー号の7人の乗組員の中にいた、クリスタ・マコーリフさんという高校の先生だった女性は、NASA TVを通じて、宇宙から数百万人の子どもたちに向けて授業をおこなう予定だったそうなんです。