専業主夫が感じる孤独と厳しい世間の目・・・そしてママ友の輪に入るまで
ライフスタイルや職業の幅が広がり、選択肢が増えた現代。妻が外で働き、夫が家に入るという選択をする夫婦もちらほら見かけます。ではどういう流れで主夫に?実際にどういう生活をしているの?気になることを専業主夫のパパに聞きました!
その日は公園で待ち合わせ、1歳の三男とお休みだった妻と3人で趣味の“ベーゴマ”で遊んでいるところでした。主夫暦10年のベテラン主夫の平井孝明さん(41歳)は、大柄でがっちりとしたタイプ。
「そもそもどういった経緯で主夫になったのですか?」(これを聞かなければ話がはじまらない)
「結婚前から夫婦で話して決めていましたね」と平井さん。つまり結婚と同時に家に入ったということ。スタートから驚きを隠せない私です。
若い頃保育士として働いていた平井さん、毎日のある光景に衝撃を受けました。
「父親になってゼロから育児をして、母親に代わる存在になってみたい!」専業主夫になろうと思った一番のきっかけでした。
当時付き合っていた妻の和香さん(38歳)は、看護師として働き続けたいという思いがあり、2人の意思がうまくマッチ、結婚と同時にパパが自然と家に入る流れになったのです。
しかし世間の目は厳しかった…。まず自分の両親の理解を得ることが難しかったそう。夫婦でしっかり話し合い、決めたカタチだと話しても、亭主関白の父親からは「男が外で稼ぎ、女は家を守る。男が女に養ってもらうなんて情けない!」とキツイひと言。
現在、小3、小1、1歳の3人兄弟の父親であり、実の両親とも同居している平井さん。もちろん出産にも立会い、産後のお世話もみっちりやってきました。その姿を見て、両親も少しずつ理解を示してくれるように。「数時間だけでも両親に子どもを預けることで、育児の大変さを体感してもらったこと。その積み重ねが理解につながったのかもしれない」と振り返りました。
主夫は思っていたよりも“孤独”でした…。
それもそのはず、育児サークルや児童館などは100%と言っていいほど女性の社会。それに加え、産後1年くらいは授乳中のママがほとんど。
「第1子の幼稚園の送迎、最初は誰とも話さなかったし、どちらかというと話しかけないでくれオーラを出していたかも…」。しかし毎日顔を合わせるうちに知り合いができ、少しずつママたちの輪に入っていけるようになったのだとか。現在は小学校のPTA会長、赤羽ベーゴマ倶楽部の会長と、家庭以外でも精力的に活動しています。
3人の子どもを育てて9年、果たして平井さんは“ママに代わる絶対的な存在”になれたのでしょうか?
「いや、やっぱり母という存在にはかなわないですよ!」あっさりと敗北を認めてしまいました(笑)。母親と同じ世話をしていても、やはり子どもにとって母親は唯一無二の存在のようです。
では男性の育児参加は意味がないのか?
「そうではない」と平井さん。家に入って家事育児を担うことで、子どもへの理解と同時にパートナーへの理解も深まったといいます。
女性が主婦として家に入った場合、家事・育児のほとんどがママの負担になりがちで、パパは“家の仕事は担当外”とわれ関せずが多いのですが、平井家の場合は違います。基本的な家事・育児はもちろん平井さんの担当。夜の寝かしつけもパパの仕事ですが、夕食後の片付けや洗濯物をたたむなど、残っている家事はできるほうがやるのが平井家流。妻が外で働いているからといって、彼女の家での仕事は0ではないのです。それは夫婦が“当事者意識”を持っているからできること。手伝っているのでも、やらされているのでもなく家族のために“協力”しているから、2人にとっては当然のことなのです。
休日はもちろん産休・育休中も家事と育児の分担ができることが、パパが主夫でよかった点。そして特に産後は話し相手としてもパパがいてくれたことで、和香さんのストレスがかなり軽減されたのだとか。
「私が仕事に集中できるのも、夫が家を守ってくれるおかげ。仕事は忙しいけれど、終わって帰宅するといつもに増して子どもがかわいいと思えます」と穏やかな笑顔で話してくれました。「パートナーへの不満がひとつもないという家族のカタチそのものが私の自慢です!」と平井さん。「これからも“協力”して家族みんなで元気に過ごしたいです」と和香さん。2人の絶妙なバランスと連帯感が自然と伝わってくるご夫婦でした。
夫婦のカタチも十組十色。それぞれが幸せなカタチを築くには“相互理解”と“協力”、この2つが欠かせないキーワードになるのかもしれませんね。
<文・写真:フリーランス記者林未香>
どういった経緯で専業主夫に?
その日は公園で待ち合わせ、1歳の三男とお休みだった妻と3人で趣味の“ベーゴマ”で遊んでいるところでした。主夫暦10年のベテラン主夫の平井孝明さん(41歳)は、大柄でがっちりとしたタイプ。
「そもそもどういった経緯で主夫になったのですか?」(これを聞かなければ話がはじまらない)
「結婚前から夫婦で話して決めていましたね」と平井さん。つまり結婚と同時に家に入ったということ。スタートから驚きを隠せない私です。
若い頃保育士として働いていた平井さん、毎日のある光景に衝撃を受けました。
それはお迎えに来たママに向かって「ママーーー!」と、一目散に走っていく子どもたちの姿。このときに“母親は子どもにとって絶対的な存在”だということを知った平井さん。
「父親になってゼロから育児をして、母親に代わる存在になってみたい!」専業主夫になろうと思った一番のきっかけでした。
当時付き合っていた妻の和香さん(38歳)は、看護師として働き続けたいという思いがあり、2人の意思がうまくマッチ、結婚と同時にパパが自然と家に入る流れになったのです。
厳しい世間の目
しかし世間の目は厳しかった…。まず自分の両親の理解を得ることが難しかったそう。夫婦でしっかり話し合い、決めたカタチだと話しても、亭主関白の父親からは「男が外で稼ぎ、女は家を守る。男が女に養ってもらうなんて情けない!」とキツイひと言。
(10年経った今でも、こういう考えの人にはまったく理解してもらえないらしいですが…)
現在、小3、小1、1歳の3人兄弟の父親であり、実の両親とも同居している平井さん。もちろん出産にも立会い、産後のお世話もみっちりやってきました。その姿を見て、両親も少しずつ理解を示してくれるように。「数時間だけでも両親に子どもを預けることで、育児の大変さを体感してもらったこと。その積み重ねが理解につながったのかもしれない」と振り返りました。
やっぱり“孤独”、大変だったママ友づくり
主夫は思っていたよりも“孤独”でした…。
それもそのはず、育児サークルや児童館などは100%と言っていいほど女性の社会。それに加え、産後1年くらいは授乳中のママがほとんど。
そんなママたちの集団に入るのはとてつもなくハードルが高いはずです。
「第1子の幼稚園の送迎、最初は誰とも話さなかったし、どちらかというと話しかけないでくれオーラを出していたかも…」。しかし毎日顔を合わせるうちに知り合いができ、少しずつママたちの輪に入っていけるようになったのだとか。現在は小学校のPTA会長、赤羽ベーゴマ倶楽部の会長と、家庭以外でも精力的に活動しています。
育児暦9年、父と子の絶対的な関係は築けたのか?
3人の子どもを育てて9年、果たして平井さんは“ママに代わる絶対的な存在”になれたのでしょうか?
「いや、やっぱり母という存在にはかなわないですよ!」あっさりと敗北を認めてしまいました(笑)。母親と同じ世話をしていても、やはり子どもにとって母親は唯一無二の存在のようです。
では男性の育児参加は意味がないのか?
「そうではない」と平井さん。家に入って家事育児を担うことで、子どもへの理解と同時にパートナーへの理解も深まったといいます。
女性が主婦として家に入った場合、家事・育児のほとんどがママの負担になりがちで、パパは“家の仕事は担当外”とわれ関せずが多いのですが、平井家の場合は違います。基本的な家事・育児はもちろん平井さんの担当。夜の寝かしつけもパパの仕事ですが、夕食後の片付けや洗濯物をたたむなど、残っている家事はできるほうがやるのが平井家流。妻が外で働いているからといって、彼女の家での仕事は0ではないのです。それは夫婦が“当事者意識”を持っているからできること。手伝っているのでも、やらされているのでもなく家族のために“協力”しているから、2人にとっては当然のことなのです。
大切なのは“相互理解”と“協力”
休日はもちろん産休・育休中も家事と育児の分担ができることが、パパが主夫でよかった点。そして特に産後は話し相手としてもパパがいてくれたことで、和香さんのストレスがかなり軽減されたのだとか。
「私が仕事に集中できるのも、夫が家を守ってくれるおかげ。仕事は忙しいけれど、終わって帰宅するといつもに増して子どもがかわいいと思えます」と穏やかな笑顔で話してくれました。「パートナーへの不満がひとつもないという家族のカタチそのものが私の自慢です!」と平井さん。「これからも“協力”して家族みんなで元気に過ごしたいです」と和香さん。2人の絶妙なバランスと連帯感が自然と伝わってくるご夫婦でした。
夫婦のカタチも十組十色。それぞれが幸せなカタチを築くには“相互理解”と“協力”、この2つが欠かせないキーワードになるのかもしれませんね。
<文・写真:フリーランス記者林未香>