2016年8月8日 15:40
相模原事件を他人事と思わないで。私たちの中に潜む差別の心を考える
という姿勢を親が子どもの前で見せてしまうと、今回の犯人と同じ考え方の種を植え付けてしまうのではないでしょうか。
「障害者は絶対排除」とまではいかなくとも、障害者に対する差別的な考えを、親も無意識のうちに子どもに植え付けてしまう可能性は十分あります。
たとえば、我が子を褒めようとするときも、出来ていない友達と比較して「あの子は努力しなかったから○○になったのね。その点あなたは頑張っているから○○できたね」などと言えば、“弱者を馬鹿にする考え”がついてしまうのです。
相模原で起きた事件の容疑者も、26年前は人の子として生まれ、可愛い天使のような赤ちゃんだったのでしょう。
容疑者がどのような環境で幼少期を過ごしたのかは定かではありませんが、少なくとも私たち大人の考え方は、純粋な子どものその後の価値観に大きく影響しているのです。
人間は全員が健常者として生まれ育つわけではない
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10132112851
私が特別支援学校の教員免許をとるとき、授業でこんな話を教授から聞いたことがあります。
「鉢植えに100個の種をまいたら全部同じようには成長はしない。
種のまま芽が出ないこともあるし、途中から成長スピードが変わるもの、曲がってしまうものがある。
人間も生物だから同じこと。全員が健常者として生まれ成長するわけではない。」
これは「1人ひとり成長の凸凹はあって当然」というメッセージなのだと解釈しています。私は一人の親として、また教師として、いつもこの言葉を胸に留めています。
学校という教育の現場で、障害のある子どもとない子どもが一緒に過ごすことで、「世の中には色んな人が存在するんだ」ということを子どもたちは身をもって体験することができると私は思っています。そのような環境で、
「背が高い子、低い子、眼鏡をかけている子、かけていない子、色んな人がいるよね。
走るのが早い子、遅い子、給食をおかわりする子、しない子。
人間はみんな一人一人違っていて、得意なこと苦手なことがあります。
○○君はじっと座っていることが苦手で、歩くことが得意なのよ。」
というように、大人が子どもに働きかけていけば、子ども同士が関わりあうなかで、「多様な人が共に生きること」「鉢植えの中には色々な種があること」