「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていること
裏番組のNHK生「バリバラ」に大反響
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239#top
NHK, 「バリバラ」 , 【生放送】 検証!「障害者×感動」の方程式
http://www.ntv.co.jp/24h/
日本テレビ, 「24時間テレビ愛は地球を救う」, 愛~これが私の生きる道~
「見えない障害」は、感動の対象になることすら難しい
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10518000280
「感動ポルノ」という言葉の印象は強烈ですが、そもそも、感動を呼ぶ映像づくりのようなテレビの手法は今に始まったことではありません。
また、ネット上の酷評とは裏腹に、24時間テレビは今年も平均視聴率は15.4%、瞬間最高視聴率は35%を叩き出しており、検索すれば好意的なツイートもたくさん出てきます。
当事者の意志を無視した過剰な演出の手法には改善の必要を感じる声も多いですが、数字が示しているように、まだまだ世の中では「感動」が求められている。この現状は、そうそう簡単には変わらないのではないかと思います。
それよりも、2つの番組を見ていた私が気になったのは、発達障害や精神障害などの、「見えない」障害者の存在。
そうした「見えない」障害は一見しただけでは他の人との違いや困難が分からないので、「感動ポルノ」どうこう以前に、そもそも感動や消費の対象にすら選ばれにくいのが現状です。
発達障害のある私の息子も、見た目には健常児とそう変わりません。ADHDという、注意の散漫さや衝動性の高さを特性として持っていますが、それらは日常生活で具体的なトラブルとして現れない限り、周囲が気にすることはほとんどありません。
抱える困難が具体的には目に見えにくい以上、それを乗り越えるための努力も、周囲には見えにくい。そういう意味では、肢体障害や難病のある子たちと同じようには、この感動ポルノについて考えることはできないと思いました。そこに存在しているだけで障害者であるとわかる人たちと、ただそこにいるだけでは抱えている困難が見えづらい障害がある息子たち。
「見える障害者」と「見えない障害者」、同じ「障害者」という枠のなかにいるけれど、この2つは「違う」。