子育て情報『「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていること』

2016年9月3日 08:00

「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていること

同じように、私の息子も、発達障害者"だから"困難を抱えているわけではありません。

彼の生まれもっての性格、置かれた環境、色々な要素が絡み合って「今たまたま困難が生じている」に過ぎません。

次男は思ったことをつい口にしてしまうなど衝動的な行動をとりやすく学校で叱られることもあるようです。

静かにしていなければならない場ではハンディとなる彼のその特性ですが、挨拶が上手だと褒められたり、近所のおばあちゃんに気軽に声をかけて喜ばれ可愛がられたりする、彼の長所にもなっています。

そんな彼が目指すべきは「定型発達の人と同じような普通の人として暮らす」ことではなく「安定した『普通の暮らし』が送れるように周囲の助けを得ながら、自分の困難に対応していく」こと。

それは、身体障害を持つ人や難病の方がやっていること、やろうとしていることと同じであり、また健常者として生きている人たちも同じくそうなのではないか、と思うのです。


「障害者だから」という古い枠を超えた、自分の意志を言える社会に。

「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていることの画像

出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10248009873

私の4人の子どもたちが将来「感動ポルノ」と表されるような「本人の意志を無視して虚構を作り上げられる」ことに取り込まれないように、と願います。


「君たちが誰かにそんなことを打診されても、自分が嫌だと思ったら拒否していいのだよ」と伝えたい。

そして、「周りがどんな枠に当てはめようとしてきても、君たちの人生は君たちのものだし、それは周りの人たちも同じなんだよ」ということも。

発達障害のある次男が今度どんな困難に出会い、悩むのかは私には想像もつきません。
ほかの3人の子供たちもそれぞれが色々な障壁に出会うでしょう。そんな時に、「障害者だから」「健常者だから」という、それぞれの枠に縛られることなく、自分たちの困難を主張したり、助けを求めることが出来るように育ってくれればと思います。

同時に、周囲の方が持つかもしれない困難に思いを馳せ、相手を尊重しながらサポートのできる人になってくれたらとも願っています。

そしてそれが、わざわざ「感動の物語」として特集されなくとも、社会の当たり前の営みとして浸透していってくれたなら…

そんな未来が来たら、私の子どもたちも、テレビに出ていたあの人たちも、それぞれに1人の「個」

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