[第2回]秀才の100点より「勉強が苦手な子の60点」が評価される?アスペルガーな僕の違和感
「頑張った結果」で評価される環境が大切だった
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28174007150
編集部:前回までは、畠山さんの幼少期のご経験や進学についてお聞きしました。中高一貫校に進学したとのことですが、「親がいれてくれた」というのは…?
畠山:子どもですから、自分で進路の選択肢を「探して持ってくる」までは、しないですよね。親が決めたレールのうち、どれかを選ぶことはあっても基本は親の提示したレールや選択肢の中から決める。
塾に入り、成績が良かった、成績が良い場合はここらへんの学校を受験するんだよ、と教えられ、何の疑問を抱かずにその通りに進みました。
「自己選択したな」という自覚は別になかったですね。頑張った結果で選べるところに進んだだけ。
編集部:「頑張った結果で進める」というのは、曖昧さがなくてわかりやすいですよね。
畠山:そう、公文の算数がわかりやすいですよね。
出来るようになれば次にいける、できないと何度もそこをくり返す。
それに、成績がでるのがいいですよね、地域で何番目かわかる。努力が「事実」で認められる、曖昧な概念ではなく評価される。
編集部:例えば、美術のような良し悪しの評価が難しいものは…
畠山:いや数字で結果が出ればよい、というのではなく「頑張ったことを認めてもらえる」という事が大前提で一番大事だ、ということです。
例えば、自分は100点とったのに、なぜか60点だったあの子が褒められる。100点をとったのに「君は才能があるから」といって努力したことを認めてもらえない、というのはおかしい。そういうことです。
編集部:学校でも社会でもありますね。
そういった場面で、畠山さんはどうしていたのでしょう?
畠山:一つは、その集団に興味がなくなります(笑)会社だったら、そういう会社はやめてしまうかもしれませんね。
例えば、上司に気に入られたらボーナスがあがる、という会社だったら仕事は頑張らなくなってしまい、上司に気に入られることを努力するでしょう。仕事を頑張ろうと思ったら違う会社に行くと思います。
僕の場合は、塾で勉強すれば評価される環境だったから、しっかり勉強して伸びてきた。それだけ。
偶然入った大学では、拘束が多い生活が待っていた。でもそれが自分には合っていた
編集部:大学は中学高校と違い、枠組みが曖昧になってきますよね、通い方や学び方も。