でも実は、カサンドラのような苦しみがあっても、それを見せないようにしていた時期もあったのかもしれない―そう考え、私は母に聞いてみました。
すると、彼女はそんな私の疑いを
母「あー、ないない。話があまりにも通じないから、イラッとすることは今でもあるけどね」
と、すぐさま笑って否定したのです。
私「へー。ほら、女の人ってさ、『察してよ!』みたいに思う人が多いって聞いたことがあるんだけど、お母さんはそういうのなかったの?」
母「そんなあ、お互い超能力者じゃないんだから!相手の言いたいこととか、察して完全に理解するなんて私だって無理だもん。お父さんや、のん(私の呼び名)はその度合いが違うだけ。
伝わらないなら伝わるように、通じてないなって感じたら、通じるようにすればいいでしょ?」
私「ほう…素晴らしいお心がけでございますなあ…」
母「だってしょうがないよ、あの人はああいう人なんだし」
時折うっかり曖昧さを出してしまい、「それじゃあわからん」と父に苛立たれることもある母。そんなときは「あー、めんどくさいなあこの男」とぼやくなど、感情を出すことも忘れません(笑)
それでも、会話の中では曖昧な表現を避ける、頼みごとをする際には方法や目的などもわかりやすく伝える等の工夫をし、母は自ら父に歩み寄っています。
それもこれも「相手にどうにかしてもらおう」という期待をせず、「自分がどうしたいか」を主軸にしているからできることなのでしょう。
父から聞いた母への感謝の言葉に、夫婦の支え合いを知った
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10367007728
こういう母の言動を父はどう思っているのでしょうか?
20年以上前の話ですが、「ノゾミ、お前の母親はとても素晴らしい女性だぞ」と、父が唐突に言い出したことがあります。
父「俺にとっては、人の気持ちを察することはとても難しいし、曖昧なことを理解できないことがある。そういう俺がわかるようにして、伝えてくれるんだぞ。曖昧なことがわかる人にしたら面倒だろうし、もしかしたら、思いつかないことかもしれないよなあ」
この言葉から察するに、アスペルガーの診断こそないものの、父は自分の特性について何となく理解をしていたようです。
父「それを数10年も続けてるんだぞ?相当なことだよな。