2016年10月18日 14:00
障害児は、手に届きそうな「普通」にまでも遠慮するべきなのだろうか
そんな気持ちがあったからこそ、順番表を見るときには息苦しくなるほどに緊張をしましたし、名前があったことに感動し、感謝し、涙が溢れたのだと思います。
障害児をもつ私たち親が、気付かずに受け入れている悲しい現実
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28200000379
本来ならば「クラスに在籍しているのだから出場して当たり前」な運動会。
しかし私は、これまで何度も園から断られ、「息子の障害のせいでイベントに参加できない」ことに、すっかり慣れてしまっていたことに気付きました。
例えば、健常のお子さんが「足が遅いので、リレーには出ないでください」と言われたらどうでしょう。きっと学校や地域を巻き込んだ大問題になるのではないでしょうか。
しかし、障害のある子どもやその保護者は、「周りのために遠慮する」ということを当然のように強いられ、私たち親も無意識のうちにそれを受け入れ、生活していることが多いように思います。
これは果たして社会の望ましい姿なのでしょうか?
障害者という理由で、奪われて当然なものなんてあるのだろうか?
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園に断られたイベントは、他にこんなものがありました。
入園式
お誕生日会
かけっこ
園外学習…
これらは全て、子どもの発達障害が理由で参加できなかった数々です。思い返せばもっともっと浮かんでくるでしょう。
そして、きっとこれから就学すれば、もっともっと分け隔てられて、手の届きそうな「普通」さえも、我慢しなくてはならないのかと思うと、とても切ない気持ちでいっぱいです。
子どもがいつか大きくなったとき、「皆が当たり前に過ごしてきたことを、自分は経験してこなかった」と、辛い思いをしないかどうか、私は気がかりなのです。
解決方法は1つだけじゃないはず。全ては参加できなくても、「工夫」できる社会に
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10272003275
発達障害のある子どもたちも、それぞれの速度でそれぞれの形で成長していきます。彼らもいつか大人になるのです。