子育て情報『苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなって』

2017年5月8日 19:00

苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなって

もちろん困ったことが起こらないわけではないし、頭を抱える日もあった。今でもある。とはいえ、基本的には呑気な性分であるから、「なんとかなるし、なんとかするしかない」と、どうにかこうにか、時には周りの方々から大いに助けていただきながら、本日に至っている。

ここ数年の私は、そんな風にして「発達障害当事者としての自分」の存在を確認しながら過ごす時間が多かった。だけど最近は、「発達障害者としての自分」になんだか飽きてしまったように思う。

いや、実際のところ飽きたからといってやめられるものではないし、発達障害に関する情報について無関心になったわけではないので、「飽きた」というのは語弊があるだろうか。

前述のトラウマも同様、自分が内包するもののひとつとして折り合いを付けた、落としどころを見付けて納得した、という表現が近いかも知れない。「トラウマを持つ自分」あるいは「発達障害当事者としての自分」ではなく、「鈴木希望(トラウマ、発達障害"も"ある)」という意識に変わったと言うべきか。


自分の特性はこれから先もそうそう変わりはしないし、これまで意識的に続けてきた自己分析や対応ノウハウも自分の中にだいたい落とし込まれたから、自分をわざわざ「発達障害者」として定義しなくても、まぁまぁサバイブできてしまうようになったのだ。


「どうにかしてきた呑気な成人当事者」としての視点に需要はあるのか。

苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなっての画像

Upload By 鈴木希望

この春から小学2年生になった息子は、私より早い段階で当事者である事実と特性に折り合いを付けていたようだ。

幼児期から発達障害があることを知らされてきた息子にしたら、「発達障害も最初から自分の一部」という感覚なのかもしれない。

無論、トラブルが皆無というわけではない。けれど、事が起き、抱えきれずにフリーズしてしまったり、涙目になったりすることがあっても、最後には彼も言う。
「なんとかなるし、なんとかするしかない」と。


苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなっての画像

Upload By 鈴木希望

そんなわけで、私たち親子は、発達障害の特性で困ることが多少はあっても、深く悩み続けることはほとんどない。

日常生活を送る上では大いに結構なのだが、コラム執筆には困ってしまう。「発達ナビ」は「お子さんの発達が気になる保護者向けのポータルサイト」であるわけだし、ご覧になった方にお役立てていただける、もしくは楽しんでいただける文章を書かなければならない。

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