2017年5月8日 19:00
苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなって
困った。大いに困った。困って悩んで、何ヶ月も休んでしまった。
困って悩んでいる真っ最中の年末と年度末、「発達ナビ」の編集長の鈴木悠平さんとお目にかかる機会があった。サイトの1周年を迎えるに当たって、成人当事者の思いや、「困ることがあっても深く悩み続けることがほとんどない」という当事者の視点にも焦点を当てたいのだと編集長はおっしゃった。しかし、あまりにも呑気な私の観点に需要などあるのだろうか。
「今悩むことがないとはいえ、これまで、のんさん(私のあだ名)なりにサバイブしてきたわけですし、発達障害の子どもの問題と成人当事者の問題は地続きですし。どうにかしながら生きている人が、どう考えてどう暮らしているかについて、語る価値はあると思います」
なるほど。
確かに、私も息子と接しながらかつて自分が来た道を思うように、立場を逆に置き換えたら、私は発達障害児の将来サンプルのひとつでもあるわけだ。もちろん人それぞれなわけだから、私ではない人が私のようにしたからって、私のようになるわけではない。さっぱり参考にならない可能性もある。
ただ、私のような成人当事者が発言をすることで、「発達障害だからって将来苦しむとは限らないんだ」あるいは「こんなやつでもどうにかできるんなら、自分や我が子もどうにかできるのかも」と思われる方がいらしたら嬉しい。
そんなわけで今後は「なんとかなるし、なんとかするしかない」と言いながらどうにかしてきた呑気な成人当事者としての思いを中心に書いていこうと思っている次第。ときどきは息子のことも書くかも知れない。
私たち親子は、涙を誘うような苦労話も、障害を乗り越えた成功物語も、たぶん提供できない。
だけど、どうにか生きてきた"フツーの"発達障害トークってものも、あったっていいんじゃないかな。
今はそう思う。
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