【偉人の凸凹学】弱さは強さになる!泣き虫だった坂本龍馬から学ぶ、いじめられっ子脱出法とは…?
漢学の塾でも、上士の子にいじめられて辞めてしまったとも(諸説あり)。
そんな龍馬を心配してか、家族のすすめで少年龍馬は近所の道場に通い始めます。
龍馬と言えば、北辰一刀流が有名ですが、実は青春時代の、今で言うと、ちょうど中1から高2くらいまでの約5年間は、地元・土佐の小栗流・日根野弁治先生の道場の門下生でした。この小栗流、表の剣術だけでなく、総合武術として武士の素養をひととおり教えるもので、裏を和術(柔術)としていたのだそうです(他にも、槍や水練、手裏剣など、バラエティに富んだ内容でした)。
通称「鞠身之やわら」とも呼ばれ、変幻自在に身体を鞠のように柔らかく保つのが奥義だっだようで、現代にも「鞠身流柔術」として受け継がれているそう。龍馬の柔軟な発想や、立場を超えた大胆で自由な行動にも、通じているのかもしれませんね。
この道場での稽古に、少年龍馬は夢中になり、倒されても何度でも起き上がっていく、実に楽しそうな様子が、以下の談話から伺えます。
道場へ来て龍馬は心機一変、おねしょも泣き虫も一ぺんに飛んでしもうた。
朝はまっ先に夕べは最後まで、飯を食わんでも剣道の稽古一筋。愉快でたまらん、おもしろうてたまらん。そんな気持ちでなんぼでもやる。『坂本もうよかろう』というと『先生もう一本、もう一本』といくらでもうってかかる。祖父[土居楠五郎]は外の弟子もケイコをつけてやらねばならんので、龍馬ばかりは困る。そこで体当たりをやると、体は大きいが若いのでぶっ倒れる。すると、はね起きてまたかかってくる。襟首をつかんで前に引き倒すと腹這いに延びる。
それでもすぐ起きてまたかかってくる。この根性にはすっかり感心した。一度道場内の試合で龍馬が勝ち放し。二つも三つも年上のもの[兄弟子]をこの時は祖父も師匠達もびっくり。弟子達もびっくり、龍馬自身もびっくりということだった(師範代・土居楠五郎の孫の談話)
「龍馬堂」HP小栗流の系譜〜日根野道場〜より
http://ryomado.in.coocan.jp/Sakaryo/SRanec/saryo_anec03-05.html
そして、小栗流は宗家制度(家元の家系が流派を継ぐこと)ではなく、実力主義。日根野道場の弁治先生も郷士出身で、門弟には上級武士から庶民まで、様々な身分の者が入り乱れていました。今で言う、「ダイバーシティ(多様性)」を認める環境だったことも、龍馬がのびのびと好きなことに打ち込み、才能を伸ばせた理由のひとつかもしれませんね。