2018年7月3日 11:00
ちぐはぐな自分を、受け止めてくれたからーー映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』公開記念トーク
いちばん苦しかったのは、吃音なんて言葉も知らなかった中学時代ですね。
鈴木いつも1人で過ごしていた志乃は加代と出会って、加代と友達になりたい、気持ちを伝えたいと思う。そこから物語が動き出すわけですが、中学生の押見さんにもそんな相手がいたんですか?
押見友達は…少なかったですね(笑)。数少ない友達が、それなりに受け入れてくれたのかな、という感じです。よく覚えているのは、大学のときの友達ですね。入学して、最初の自己紹介タイムでいきなりつまずいて(笑)。それでサークルの勧誘なども受けずに1人でいたんですけど、それでも自分に話しかけてくれたヤツがいたんです。
そいつは僕の吃音を、それはそれでかわいい、おもしろいものとして笑ってくれた。
人からバカにされたくないから1人でいるくせに、人のことはバカにするような、そんな自意識過剰な人間を受け止めてくれたヤツがいて、それで救われたんだと思います。
鈴木吃音に苦しむ押見さんを友達が受け入れてくれたように、違いをそのまま受け入れてくれる人がいると、自分自身の考え方が変わるし、おおげさにいえば世界が少し変わりますよね。でも学校という場所には、みんなと同じように振る舞い、喋らなきゃいけないというプレッシャーが少なからずある気がします。
押見ありますね。
鈴木撮影時の南さんは中3、今は高1で、登場人物たちとほぼ同じ年代ですが、南さんにとって学校はどんな世界ですか?
南今のお仕事を始めるまでは、学校が世界のすべてという感じでした。普通じゃないとハブられるんじゃないか、同級生からも先生からも認めてもらえないんじゃないか、という気持ちが強かったです。でもお仕事をするようになって、普通じゃなくてもいいんだって気づきました。でも、学校に通いながら仕事をしていることに対して、何か言われることもあったり…
押見ありがちですよね。
鈴木「自分と違う」ということに対して、押さえつけようとしてくる人も、中にはいると思います。でも志乃にとっての加代や、押見さんの大学時代の友達みたいに、分かってくれる人が1人いるだけで、ぐっと視野は広がりますよね。学校がすべてじゃないんだって思える、それだけでラクになるんじゃないでしょうか。
押見普通じゃない世界がある。そう認識するだけでだいぶ違いますよね。
「普通の会話」は難しい
Upload By 柳瀬徹
鈴木僕は小中学校の頃から人とうまく話せないほうだったんですが、大学卒業後にますますその自覚が強くなって、むしろ学校を出てからのほうが苦しかったんです。