子育て情報『【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想い』

2020年4月9日 12:00

【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想い

・協応動作に関しても不器用な面があるが、これを本児はきっちりとこなそうとしている。しかしこれに速度を要求されるとかなり負担がかかると考えられる。例えば文字の形のバランスを取ることや、字の画数が多くなると形を整える事が難しくなるので、宿題の量を加減してもらったりプリントの書くところを少し大きくしてもらうなどの配慮は必要になるかもしれない。

これらは15年たった今も全く変わっていない、そしてこれからもずっと変わることはない娘の特性です。大学の先生たちは娘が未就学のときから娘の将来を見越していたのです。

でも当時私はその意味がよく解っておらず、せっかくの報告書を次の環境で上手く引き継ぎ活用することが出来ませんでした。


先生から語られた驚きの事実

私「今になって当時そちらの施設で最先端の療育が行われていたことが分かりました。あの頃は私自身、検査報告書に書いてあったことの意味もよく理解していなくて、いただいていた報告書を学校や次の療育センターで活かすことができず、“様子見”をしている間に、娘は学校でいじめにもあい二次障害も起こしました。」

先生「そうでしたか。
今、こちらの地域では施設の整備も進み、療育センター・幼稚園・学校・各種関係機関の連携も密になっています。実は荒木さんがこちらにいらした時期は一番大変なときだったんです。

阪神淡路大震災直後で震災復興に予算が当てられて、子育て支援に関する計画が先延ばしになった時期でした。各機関連携の計画はもっと早くに実現するはずだったんですよ。」

確かに街中には仮設住宅が残っていました。療育センターの建物も平屋のプレハブでした。

先生の話から、私はなぜ当時の療育センターの廊下に「動かない謎のマッサージチェア」が鎮座していたのか、その理由を察することができました。

でもそんな状況下でも研究室の先生方は幼稚園と連携を取り、娘にどう接したらいいかなどを幼稚園の先生に伝えてくださっていました。また、療育時には大学の実習生やボランテイアの生徒さんもセッションに参加し、障害のある子どもたちに明るく接してくれていました。


私はそれで十分と感じていました。私「そうだったんですね。当時は悩んだり、それなりに辛いこともあったけれど、いま振り返るとそちらで過ごしていた頃が娘の子育ての中で一番幸せな時期だったと感じます。

きっとプロフェッショナルの先生方に見守られ療育を受けることができていたからだと思います。」

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