子育て情報『「発達障害の人が生きやすい社会を願う」息子の遺言を胸に。当事者カフェを営む母の決意――発達障害を描いたCMプロデューサーが聞く【連載 #見えない障害と生きる】』

2020年12月6日 10:00

「発達障害の人が生きやすい社会を願う」息子の遺言を胸に。当事者カフェを営む母の決意――発達障害を描いたCMプロデューサーが聞く【連載 #見えない障害と生きる】


一人息子は発達障害夢はお寿司屋さん

上口さんが30歳の頃、男の子を出産した。名前は悠樹くん。平成元年生まれで、偶然にも筆者と同い年だ。当時は今から30年以上前、今ほど発達障害への認知や理解は進んでおらず、典型的な症状でなければ見過ごされることが多かったという。

今では発達性協調運動障害(DCD)という存在も知られるようになったが、悠樹くんが通っていた保育園では「手足の協調的な運動が難しい」と言われていた。段差に気付かず転んでしまうことは日常茶飯事で、穴に落ちてしまったり、保育園でのハサミを使った工作もとても苦労していた。しかし検診に連れていくとそれほど問題視はされず、「長い目で見ましょう」とあまり指摘されなかった。

「ずっと親としては気になっていたんです。本を読んでみたり、発達障害者支援センターに相談に行ったりしてました。例えば、小学校に入ると集団登校ってありますよね。うちの子だけがどこかちょっと外れてるんですよ。ちょっと外れた動きをして、一生懸命高学年の人が手をつないでとか」(上口さん)

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Upload By 桑山 知之

違和感を覚えながらも、しばらくやり過ごした。元々、底抜けに明るい子だった悠樹くんだったが、できないことが生活の中で多いことから、少しずつ暗くなっていった。学力こそ低くなかったものの、生きづらさを確かに抱えていたのだった。

「小学5年のときに(診断を)受けました。あのときはもう混み合ってて、1年ぐらい待ってようやくWISCを受けて、ADHDとアスペルガーの混合型っていう、今だとまた違った診断名なんでしょうけど、その頃はそう診断されましたね」(上口さん)

中でも特に辛かったのが発達性協調運動障害だという。近年その認知は徐々に広がっているが、これまでは「不器用」「運動音痴」という言葉で見過ごされてきたことが多い。悠樹くんにとってできないことも多々あったが、一方で悠樹くんは料理が大好きだった。家庭科の成績はいつも良く、時には上口さんに手料理を振舞った。悠樹くんの夢はお寿司屋さん。特に手先の技術を要する職業だった。

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大学入学直後、拒食症に…

上口さんによれば、中学ではいじめにも遭ったという悠樹くん。それでもなんとか高校へ進み、キャンパスライフを夢見て愛知県内の大学へと進学。一人暮らしを始めた。しかし、入学から1カ月後の5月には下宿先から一歩も出られなくなってしまった。

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