リト@葉っぱ切り絵さん、ADHDの診断が転機に。「臨機応変」ができずに退職を繰り返した日々と、過集中を活かして唯一無二のアーティストになるまで
と言われました。作業していると没頭してしまって、目の前の世界がどんどん狭くなってしまうんです。たとえば、時間があるうちにと明日の商品の仕込みをしていたら、急に今すぐ売る商品を先に作らなくちゃならない、ということがあるわけですが、周りがバタバタと忙しくしている様子が僕には見えていなくて、明日の仕込みに集中し続けてしまう。切り替えが苦手なんです。
仕事自体はとても丁寧で、売り子のパートさんには「あなたがつくったお寿司がいちばんきれい」といつもほめられました。一方で、忙しいときに「多少雑でもいいから、パッパとつくって早く出して!」と言われると、今度は雑過ぎて商品にならないものをつくってしまう。0か100かしかできなくて、みんなが自然にやっている「いい塩梅(あんばい)」というところが、僕にはできなかったんです。
その後、回転ずし事業部に異動になったら、もっと臨機応変にマルチタスクで仕事をこなさなくてはならなくなり、それがつらくて最初の会社を辞めました。
転職して2社目は、作業に没頭できそうな工場の仕事に就きました。でも、残業が非常に多くて、体を壊しそうになって3ヶ月で辞めました。
3社目は和菓子の販売でした。最初のうちは、まじめによくがんばっているねと言われ、そのうちに店長候補として発注なども任されるようになりました。でも、ミスがとても多く、スケジュール管理も難しい。上司からも、どう接していいかわからないと言われ、僕自身も困っていました。
――そのころは、発達障害の診断を受けられる前ですよね。
リトさん:はい。
どうしたものかとインターネットで調べるうちに、発達障害という言葉に出合いました。ADHDの特性を見ると、1~10まで自分のことに当てはまると思い、すぐにクリニックにかかり診断を受けたのです。発達障害だと分かって、今のような働き方を続けても未来がないのではと感じ退職しました。次にまた似たようなところに就職しても、同じところでつまずくのは分かっているから、生き方をガラッと変えないといけないと思ったんです。発達障害と診断されたときが、大きなターニングポイントになりました。
発達障害があることを活かした仕事を作ろうとしていた
Upload By 発達ナビ編集部
――サラリーマンを辞めて、最初から葉っぱ切り絵で大成功!というわけではなかったですよね。
リトさん:はい。