スイミング、塾、ピアノも挫折…!ASDの私の「できないこと克服系」習いごと失敗記――子ども時代を振り返って思う何より大事なコト
ということに満足してしまったら、私はまったく練習をしなくなりました。毎週まったく練習せずに教室に行って、毎度先生にこってり怒られるのにまったく意に介さない。楽譜を読めるようになろうという気概もなく、いつまでも楽譜にドとかミとかカナをふっていました。
あなたが言い出して始めたことなんだからまじめに続けなさいと言われて、ものすごく面倒臭かったのを覚えています。仕方なく何年か続けたものの、確か中学受験をするために進学塾に通い始めるタイミングでそそくさと辞めてしまいました。
唯一楽しく続いた課外活動はバトン部、部長にまでなる
自ら希望して始め、かつ楽しんで続けられた課外活動は学校のバトントワリング部でした。
私はスポーツ全般が苦手でしたが、いま思えば障害特性に合った指導をしてくれる指導者に出会えなかっただけで、身体を動かすこと自体は嫌いではありません。特にリズムにのって踊ることが好きで、嫌いな運動会の練習でもダンスの練習だけは楽しみでした。
バトントワリングとはもともと器械体操の種目。そのとき私が通っていた学校のバトン部では、運動会で可愛い衣装を着て、鼓笛隊に先導されてクルクルとバトンを回して踊リながら行進することをメインの活動にしていました。よくある大学のチアリーダー部の妹版みたいな感じで、花形だったのです。
当時は目立ちたがり屋でもあった私には、運動会で出しゃばれるのは行進やダンスだけだったので、すっかりのめり込みました。3年生から始めて4年間続け、6年生になったときには部長まで務めました。
本人のモチベーションが何より大事
いま振り返ると、単純な苦手克服系習いごとをはじめ、私の障害特性と合わない習いごとはやはり私に向いていなかったなあと思います。
根本問題は、当時誰も私の発達障害に気づいておらず、学校においても、私の障害特性に合った指導法がなされていなかったところにあります。私が体育全般が苦手だったのにも算数が苦手だったのにも理由があるから、その苦手な理由をクリアしていない習いごとをいくら重ねても苦手を克服できるわけもなく、負担が増えるだけでした。
発達障害のある子どもの体力は多くの場合、定型発達の子よりも限られていると思います。このため、習いごとや課外活動をたくさん掛け持ちすることには限りがあるでしょう。習いごとや課外活動を選ぶ際には、本人の障害特性に対する理解と配慮があり、本人が自らモチベーションを示すようなものを選んでいくのが大事なのではないでしょうか。