2022年9月5日 06:15
ASD小6長女「自分はできない子」と思い込み…漢字が書けず、習字にも通わせたけれど。親子を救ったスクールカウンセラーの言葉とは
たどたどしいひらがなを書いていたゆい
ゆいがひらがなを書き始めたのは確か4歳ごろでした。たどたどしいひらがながとてもかわいくて、当時ゆいが書いたノートは今でも大切に保管しています。
小学1年生になって担任になった先生は、文字をきれいに書くことを大切にされていました。ゆいがたどたどしく書いた国語のノートはいつも真っ赤に書き直されていて、ゆいはいつもしょんぼりしていました。私はまだ1年生だし、そのうちきれいに書けるようになるだろうとのん気に構えていたので、ゆいを励ましはしましたが、文字をもっと練習させようとは考えていませんでした。
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小学2年生になり、去年の担任の先生がそのまま持ち上がりました。そしてあいかわらず国語のノートは真っ赤に添削されていました。
このころはまだ障害があるとは気づいていなかったのですが、今思い返すとゆいの描く文字は力が入っておらずフニャフニャしていて、まっすぐ強い線を引くことができていなかったのです。
私はゆいの書く文字が「やる気を感じられない字」に見えて、まだ低学年だけどやはり文字をきれいに書くということが必要なのではと思うようになりました。ゆいに言わせると「文字なんて読めたらそれでいいじゃない。どうしてきれいに書く必要があるの?」ということなのですが、一般マナーとして美文字または読みやすい文字であるに越したことはありません。
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そして小学2年生のときに、大手書道教室の硬筆のレッスンを受けさせるようにしました。
一人では嫌がるかなと思い、私も一緒に受講しました。隣で見ていると、ゆいは練習にまったく身が入っておらず「これではお金をドブに捨てているのでは?」と思ってしまいました。
なにより本人がやりたくないことを親のエゴでやらせていることに気づき反省したのです。その後、ゆいの書き文字は全く上達せず硬筆レッスンは終了しました。
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漢字が複雑になると対応できなくなってきて…スクールカウンセラーに言われた言葉
それから学年が上がるにつれ習う漢字が増えて複雑になってくると、ゆいは対応することが難しくなってきます。漢字を読むことはできますが、書くことと覚えることにとても苦労していました。私は焦ってお勉強系の習い事を増やしましたが、これは今振り返ると間違っていたように思います。