2022年8月30日 06:15
きょうだい児だから選ばれなかった?精神疾患、自殺未遂、父との離婚。重度自閉症の兄だけ連れていった母への思い
いつも家族の中心にいた母が別人になってしまったときのお話
私は15歳のときに、人生の大きな壁に遭遇することになりました。
当時45歳だった母が、統合失調症という精神疾患になったのです。
優しい笑顔が印象的だった母は、ある日から別人のように変わっていきました。
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母は、感情鈍麻によってだんだんと喜怒哀楽の表情が乏しくなり、他者に共感することが減っていきました。
私が話しかけても反応が遅かったり、内容の理解ができず 、会話のキャッチボールが困難になりました。また、物事を進める意欲がなくなり日常生活を送ることが困難になりました。
そのうちに、妄想、幻覚(幻聴、幻視)に怯えたり、思考障害によって会話に一貫性がなくなるようになりました。
まるで別人のように変わってしまった母…。そのころ15歳だったまだ人生経験の乏しい私は、どのように母と向き合えばいいのか分からず、ただただ困惑しました。
その後、自殺未遂や危険を伴う行動など、いろいろありました。
その際に、母自らの強い意思により父と離婚することになりました。そして母は、重度の自閉スペクトラム症と知的障害がある7歳上の兄(当時22歳)だけを連れていくと決めて出ていくことになりました。
母が動けないので、母方の親戚が代わりに母と兄が暮らせるための手続きなどほとんどおこなってくれました。
残された私たち(父、姉、私)はというと、母が統合失調症の幻覚、妄想によって父と関わることを拒否してしまい、父の落ち込みも相当だったため、黙って見守るしかありませんでした。
思春期だった私が感じたこと。「手のかからない“きょうだい児”だったから、私は母に捨てられた」
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母が重度障害のある兄を連れていったという事実は、当時思春期だった私にとってショックでした。
なぜなら、3人きょうだいのうちの、兄だけを連れていくということは、私たち(私、姉)からすると「きょうだい児である私(たち)を選ばない」という意味にもなるからです。
姉はもう成人していたので、落ち着いてはいましたが…。私はそれまで、親から「我慢して」などと言われた記憶はありません(全くない訳ではないと思いますが、記憶にないので、私にとって悩むほどの内容ではなかったのだろうと思います)。
ですが、自分自身で選んでしていたこととして、「重度障害のある兄への対応が優先されるのは重々承知しているから、自分が我慢すれば良い」