3歳で無発語、多動だった自閉症娘。成人した今思う、児童発達支援で育てた「成長の種」【読者体験談】
ただ当時、私が住んでいる地域には療育センターがなかったのです。臨床心理士さんに探していただいたところ、ありがたいことに隣の市の療育センターが受け入れてくれることになりました。さっそく紹介状を書いていただき、娘は隣の市の施設へ月2回通うことになりました。保健センターへの相談からここまでは約1か月半という、かなりスピーディな展開でした。
ただ、隣市の療育センターまでは往復で2時間半!月2回といえども、最初は私も娘も、精神的、体力的にきつく大変でした。
※当時は療育センターという名称でしたが現在は「児童発達支援事業所」「児童発達支援センター」などに変更されています。
https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/a7fbe548-4e9c-46b9-aa56-3534df4fb315/5d69bb89/20240415_policies_jidougyakutai_Revised-Child-Welfare-Act_76.pdf
参考:児童福祉法等の一部を改正する法律(令和4年法律第6 6号)の概要|こども家庭庁
児童発達支援での刺激は、娘の成長の種に
距離は遠かったですが、3歳後半から満6歳になる就学前ギリギリまで、2年6か月ほど療育センターに通って本当に良かったと感じています。
児童発達支援を始めるようになってからも、教室から飛び出す場面はありましたが、娘をみて下さった心理士さんは丁寧に対応してくれ、落ち着いてみんなと同じ行動が取れる場面が少しずつ増えていきました。
ずっと同じ心理士さんに見ていただけたのも、安心材料でした。
それまで娘の世界は家庭と幼稚園のみでしたが、療育センターという居場所ができ、そこで適切な関わり方をしていただけると、ある瞬間ぐっと成長することに気づきました。適切な他者からの刺激はこんなにも子どもを伸ばしてくれるのかと驚きました。さまざまなことを教えてもらい、それを娘は自分のペースで吸収していったようです。
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幼稚園、療育センターの方と相談し、年中時は年少クラス、年長時はからは年中クラスのみに通いましたが、卒園については「大丈夫!」とお墨付きをもらい、娘と同級生の年長さんたちと一緒に卒園できました。