自ら人生を切り拓く女の子の本、男の子に柔軟な生き方を示す本。ママだけでなく、パパとも一緒に楽しめる絵本。
前回は、子ども向けの物語の中に根強く残る「ジェンダーバランス」の悪さについてお話しました。
そもそも、女性の登場人物が少ないこと。女性キャラクターの登場の仕方には、ある種のくせがあること——つまり、「良い子ちゃん」であったり「お姫様」「助け役」として出てくることはあっても、主人公や主人公と対等な悪役としてはあまり出てこないこと。
書店の本棚をそのまま自宅に持ってきたときに、ジェンダーのバランスが取れているかというと、必ずしもそうではないということ。親の能動的な介入が必要だろうという話もしました。
子どもの本棚のジェンダーバランスは「女の子を持つ親」に限られた問題ではなく、男の子の親にとっても意識しておくべき問題である、と考えています。
なぜ子ども向け物語のジェンダーバランスが崩れてしまうのか?
子ども向けの物語に男の子の主人公が多いことには、いくつかの理由があります。もちろん歴史的な理由もそのひとつです。『白雪姫』や『シンデレラ』など、古くからのおとぎ話では、しばしば女の子たちは受け身で、王子様を待つことで幸せをつかみます。
子ども向けの物語は息が長いことも指摘されています。親が子どものときに楽しんだ本を買い与えるので、古典的な名作が現在でも本棚に並びます。古い本は書かれた時代の事情を反映していますから、人種や性別に関しては、どうしても時代に合わないくらい保守的になりがちです。
もっと現代的な理由としては「男の子が抱く女の子の主人公に対する抵抗感は、女の子が抱く男の子の主人公に対する抵抗感よりも強い」とされていることが挙げられるでしょう。
全く抵抗がないわけではありませんが、女の子は男の子が主人公の物語にも感情移入して読むことができないでもないのに対し、男の子は女の子が主人公であるというだけで、本を読まなくなる傾向にあると言われます。
けれど『長くつ下のピッピ』のように、破天荒な女の子を主人公に据えながら、男女を問わず子どもたちに愛されている物語もあるのですから、これもまた一概にいうことはできないでしょう。
「一体どのような物語が男の子向け、女の子向け、そして、単純に子供向け、として書かれているのか」という視点も交え、考えなくてはならない問題です。
現代は「賢く、行動力のある」お姫様がスタンダード
1960年代に児童文学でのジェンダーの問題が指摘されてから、様々な試みがされてきました。