愛情の強要はダメ! 子どもに愛される親になるための条件とは
こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。
みなさんは、愛する旦那さまや奥さまのことを「愛せ」と誰かから強制されたらどんな気持ちになりますか?
あるいはお子さんが学校で「親を愛しなさい」「郷土を愛しなさい」と執拗に教育されることを希望されますか?
中には「別にいいじゃないか」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、ほとんどの人は「余計なお世話だ」と感じることでしょう。
実は、そう感じるのはきわめて正常かつまっとうなことで、ノーベル文学賞を受賞した英国の哲学者バートランド・ラッセルは、愛情というものが義務化・強制化に馴染まないことを20世紀初頭の段階で明言しています。
今回は愛情が義務化できない理由について考えると同時に、子どもから愛される親というのは実際の生活で何を実践している人なのかということについて見て行きたいと思います。
●愛情は自然と育まれてくるもの
さきほど紹介したように哲学者のバートランド・ラッセルは1926年の著書『教育論』の中で、『愛情は義務として存在できるものではない』(“Love cannot exist as a duty”)と明言しています。
その理由についての詳述をラッセルはあえて避けているように見えますが、筆者が読み解くところでは、「愛情はお互いの関係が良い場合に自然と育まれてくるものだから強制したり義務として押しつけたりすることに意味がない 」と言っているように思えます。
その根拠は同著の中でラッセルが述べている次のくだりです。
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『親が子供に対して「両親や兄弟姉妹のことを愛すべきだ」と言うことは、有害なことだとまでは言わないが、まったくもって無益なことだ。親が「子供から愛されたい」と望むのであれば子供がもっている内なる愛を誘い出すような不断の行動が必要なのであって、また子供が豊かな愛情を生み出せるようになるための「何か」を心身両面から子供に与えることができるように努力しなければならないのだ』
(“to tell a child that it ought to love its parents and its brothers and sisters is utterly useless,if not worse.Parents who wish to be loved must behave so as to elicit love,and must try to give to their children those physical and mental characteristics which produce expansive affections.”)