子育て情報『ブンデス・デュエル王を育てた「答えを言わない」ポリシー。「あれやれ、これやれ」と指図しない理由......遠藤航・父の教育①』

ブンデス・デュエル王を育てた「答えを言わない」ポリシー。「あれやれ、これやれ」と指図しない理由......遠藤航・父の教育①

自分なりの回答を見つけてほしいと思っていました。子どもは1つ1つの判断に時間がかかりますし、何回やってもできなかったりするのですが、それでも焦れずに辛抱強く待ち続けたんです。

親にできるのは、沢山の選択肢を与えてあげることくらい。航にも小学校低学年くらいまでは野球やパターゴルフ、サッカーといろいろやる機会を作り、本人は野球にも熱を入れていました。最終的にはサッカーを選びましたが、別のトライからも多くの学びがあったはず。『好きなことを突き詰める』という今につながるメンタリティも養われたのかなと感じます」

■やらなくて困るのは本人

周作さんのこうしたポリシーはスポーツにとどまりませんでした。勉強に関しても「やらなくて困るのは本人。必要だと思えば自分からアクションを起こすだろう」と考え、一度も「勉強しろ」「宿題をしろ」などと言ったことはないそうです。


航選手本人はもともと真面目に勉強する子どもだったようですが、サッカー強豪校で偏差値も高い桐光学園などへの進学を視野に入れ始めた中学2年の時、自ら「塾に行かせてほしい」と言い出し、積極的に通ったほど。この時点ですでに自立心と自主性に長けた人間に育っていたのでしょう。

■「反抗期終わったから」と本人から報告があった

「ウチは妻(母・香さん)も教育ママではないし、両親2人ともボーっとしたタイプ(笑)。航には『人に迷惑をかけるな』とは言っていましたが、怒ったことは一度もありません。思春期の中学2・3年頃、本人が『オレ、反抗期終わったから』と言ってきたころがありましたけど、反抗した印象がなかったので驚いた記憶がありますね。親から見てもあまり感情を露わにするようなタイプでもないし、つねに『もう1人の自分』がいて、客観的に自身を見ているようなところがあったんでしょう」(周作さん)

こうした冷静さと落ち着きは年齢を追うごとに養われたようです。生粋の負けず嫌いの航選手は低学年の頃は負けるたびに泣いていたものの、高学年になると自分をコントロールできるようになり、周りを励ましたり、指示を送ったりもしていました。

周作さんも指導者として我が子だけを特別扱いするのではなく、全員とフラットに接し、長所を伸ばそうと努めていました。
チームメートに誠心誠意歩み寄る父の姿勢を間近で見て、息子はフォア・ザ・チームを養っていったはずです。

■セレクション不合格でも挫折感を感じなかった理由

一方で、周作さんは「子どもにはもっと広い世界を知ってほしい」

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