空中戦の強さ、裏への抜け出し、シュートレンジの広さ、どん欲にゴールへ向かう姿勢――。どれをとっても「高校No.1ストライカー」にふさわしい力がある。卒業後、ブンデスリーガ1部・ボルシアMGへ加入する福田師王は、いかにしてその才能を磨いてきたのか。決してスター街道を走ってきたわけではない。挫折を繰り返しながら一歩ずつ前進してきたからこそ、いまがある。今大会最も注目を集める男がこれまでの歩みと最後の選手権にかける想いを明かしてくれた。(提供/エル・ゴラッソ特別編集 高校サッカー名鑑聞き手:松尾 祐希)福田師王選手(右)サカイク公式LINEアカウントで子どもを伸ばす親の心得をお届け!■"本気でサッカーをしたい"と思って――サッカーを始めたのはいつごろですか?「記憶があいまいな部分もあるんですけど、4歳か5歳ぐらいからたまにボールを蹴ったり、年に何回か幼児サッカーの試合に出させてもらったりしていました。本格的にサッカーを始めたのは、確か小学校1年生のときですね。3つ上の兄がサッカーを始めた影響もあって、自分も同じチームに入りました。でも、そのチームは辞めたんです。チームがなくなってしまったのも理由の一つなんですが、いろいろなスポーツをやってみたい思いがあって、ほかの(サッカー)チームにも移らなかったんですよ。なので、いろんな遊びをしていましたね。野球とかキックベースとか。もともと球技が好きで、体を動かして遊びたいタイプ。とにかく外で遊ぶのが好きだったので、木登りをしたり、田舎なので猿を捕まえにいったり。いつも夜遅くまで自然と触れ合いながら遊んでいた感じでした」――どのようなきっかけでサッカーに戻ったのでしょうか?「少年団の監督と仲がよくて、誘われたことがきっかけで、小学校2年生のときに近所の少年団に入ってプレーしました。その後、4年生からはまた違うチームに入らせてもらいました」――チームを変えたのはどうしてですか?「1歳上の世代で後に神村学園でチームメートになる3人の先輩がそのチームでプレーしていたんです。その人たちがうまくて、憧れました。(小学校3年次に参加した鹿児島の)鹿屋地区トレセンの際に先輩たちに誘ってもらって、"真剣に本気でサッカーをしたい"と思ってチームを変えました」サッカー少年の親が知っておくべき「サカイク10か条」とは■DFとして評価されていた4種時代――当時はどのポジションでプレーしていたのでしょうか?「3年生のころはトップ下をやっていました。[2-3-2]の真ん中。でも、4年生でCBとSBにコンバートされて、そこからはずっと後ろのほうですね」――後ろのポジションをやることに抵抗はなかったのでしょうか?「特にこだわりはなかったですね。とにかく勝ちたいだけ。勝てるのであれば、どのポジションでもいいと思っていました」――いまのプレースタイルを考えると、"守備の選手"というイメージがつかないですね。「いまみたいに体が強いわけじゃなくて、背もめちゃくちゃ小さかったんです。線も細かったし。小6で140cmぐらいしかなくて、本当にガリガリでした。でも、プレースタイルは粘り強い感じ。1対1の守備が得意で、小学校6年生で九州トレセンまでいきました。ナショナル(トレセン)で落ちましたけど、DFとして評価をしてもらっていましたね」――神村学園中時代から一緒にプレーし、抜群の連係を築いている大迫塁選手と出会ったのもそのころだと思います。「小学校4年生のときの県トレセンで出会ったんですけど、仲よくなったのは中学に入ってからです。当時は喋るぐらいで、会ったら話すぐらいの感じだったんですよね」サッカー少年の親が知っておくべき「サカイク10か条」とは■憧れた神村で見いだされた攻撃の才――次の進路を考え始める時期になります。神村学園にいくきっかけはなんだったのでしょうか?「小学4年生のときに神村学園の試合を初めて見て憧れたのがきっかけです。それはいまでも覚えています。神村学園のサッカーはドリブルやパスが主体で、ヒールパスとかもやっていて。『かっこいいな』って思ったんです。そこから実際にいきたいと思ったのは、小学校6年生の夏ぐらいです。練習会に呼んでもらって、実際に参加してそこで決めました」――入学してみてどうでした?「レベルが全然違いましたね。巧いし、強いし、速いし......とにかくすごかったです(笑)。九州トレセンに選ばれた経験もありましたが、全然違いましたね」――小学校時代はDF。中学校ではどうなったのでしょうか?「中等部の監督にコンバートしてもらって、入学してすぐにFWになりました。ただ、なんでポジションが変わったかはいまも分からないんですよ(笑)」――FWでプレーした心境はどうでした?「すごく楽しくやれていました。最初は1年生チームにいて、2年生でトップチームに上がりました。ただ、その時期に成長期がきて。140cmぐらいで中学に入学して、3 年生の春までに170cmまで伸びました。自分でもめちゃくちゃびっくりしました。でも、オスグッドになってしまって練習ができなかった。身長が伸びたので、体が使いやすくなって、足も速くなったんですけどね」――そこで一気に伸びたんですね。練習だけでも大変だったと思います。「そうですね。ケガが多く、2年生の頭から1年ぐらいは、まともに練習することができませんでした。ケガもあった中で、県トレセンはSBとして選ばれていましたが、"ボーダーラインの選手"でした」――焦りはなかったんですか?「なかったですね。そもそも2年生の時点で『プロになろう』なんて思ってもみなかったので」――大迫選手は2年生の時点で主力として活躍していました。悔しさはなかったですか?「それもなかったですね。そのころから塁はすごかったし、届かない存在で。『追いつこう』なんて考えたことはありませんでした」FWとしての転機、初の年代別代表と選手権で変わった意識、そして最後の選手権にかける思い......続きは『高校サッカー名鑑』で福田 師王(ふくだ・しおう)2004年4月8日生まれ、18歳。鹿児島県出身。178㎝/70kg。神村学園中→神村学園高。ボルシアMG内定U-19日本代表
2022年12月13日ブンデスリーガの育成アカデミーではプレー面を担当する監督・コーチのほか「教育担当」スタッフがいます。前回のコラムではブンデスリーガクラブのマインツで教育担当スタッフチーフとして子どもたちと密接に関わっているヨナス・シュースターさんに、育成アカデミーでプレーする子どもたちに対して学校で学ぶことの大切さをまず大事にすることを伝えているというお話を伺いました。今回は人間性へのアプローチについてお聞きしたいと思います。(取材・文・写真:中野吉之伴)マインツのクラブハウスにて<<前編:ブンデスリーガの育成組織がサッカー指導スタッフだけでなく「教育担当」雇用が義務付けられている理由■「リスペクト、寛容さ、謙虚さ」を身につけなければならないシュースター「子供たちが学校やサッカーだけにならないようにするというのはとても大事なポイントです。人間性の成熟、発展はもちろん欠かせません。その中で正しい価値観を持てるようになるというのはとても大事なポイントになります。そのためには私だけではなくマインツの育成アカデミーに関わる全スタッフが、子どもたちと密でフレンドリーなコミュニケーションを取れる環境を作ることが必要になります。『リスペクト、寛容さ、謙虚さ』これらは世間一般においてももちろんそうですが、マインツというクラブの一員として身につけなければならない大切な基盤です。うぬぼれることなく常に地に足をつけて、自分を見つめて歩いていく。これはクラブ哲学の根幹をなすものです」■「当たり前」ができない子たちがいるブンデスリーガの育成アカデミーというとどこも非常に優れた最先端の施設を抱え、サポート体制もプロ選手並みみたいなイメージを私たちは持ちます。実際にドイツにもヨーロッパにも世界を見ても、モダンなクラブハウスや寮を備えていたり、ジャグジーがあったり、プールがあったり、豪華なサロンバスがあったり、ユニフォームや私物の選択や部屋の掃除もすべてしてくれるところもたくさんあると聞きます。ただそうした「至れり尽くせり」の環境は子どもたちの成長にはふさわしくないとシュースターさんは警鐘を鳴らします。シュースター「私たちはまさにその逆を進みたいと思っています。プロクラブだからと言って子どもたちにそこまで贅沢な思いはさせないという点は大事にしています。クラブとして選手に必要なものはこちらで準備します。ただし身の程をわきまえてという線引きはしっかりと引きます。不必要に手助けはしない。バスで迎えに行ったり、家まで届けたりはしません。マインツを中心とした地域で使える公共交通機関の定期は支給してあるので、選手は自分で学校が終わるのは何時で、練習に間に合うためには何時のバスに乗ってというのをしてもらっています。子どもたちに手伝いをしてもらうこともよくあります。食器洗いとか、台所掃除とか、ゴミ出しとか。これらは当たり前のことなんですけど、この当たり前ができない子どもたちがいるんです」■自主性の欠如した子が増えている例えば15-17歳の選手が「俺はもう半分プロのような選手だ」とうぬぼれて、机をふいたり、片付けたりしないとなったら、クラブとしては受け入れられません。クラブにとって大切なのは「いつでも地に足をつけた人間」だからです。ただ自主性の欠如というか、自分でやるべきことを理解して、見つけて、考えて、取り組めない子が増えてきています。時代的なこともあり、これは世界的な大きな問題になって来ています。例えプロ選手になったとしてもセカンドキャリアは必ずきます。そうした時に自分で何をどのようにするのかを知らないと困るのは選手自身になってしまいます。シュースター「その通りなんです。例えばマインツでもスカウティングに上がってきた外国籍選手をチェックしていると、そんなことを考えてしまうことがあります。13歳、あるいはもっと小さいころから何から何まで全てを他の人にやってもらう生活が始まっている選手がいるんです。自分で何もする必要がない、そうした中で育ってくると暦の上では20歳だとしても全く大人になっていない。小さな子どものままです。信じられないかもしれませんが、『どこどこへ行きたいからタクシーを呼んでくれませんか?』とか、『おなかがすいたからピザを注文してくれませんか?』みたいなことを誰かに頼もうとするんです。自分でそうしたことさえしたこともない。そんな大人になってほしくない。なのでマインツでは自分のことは自分でするという人間として当たり前のことをとても大切にとらえています」サッカー少年少女の親の心得「サカイク10か条」■子どもたちの人間的な成長への取り組みが保護者に評価されているこうしたコンセプトは多くの保護者の方から歓迎されているとシュースターさんは話していました。クラブとしての規模がマインツよりも大きいクラブからオファーをもらっている選手でも、マインツを選ぶ例もたくさんいるそうです。子どもたちの人間的な成長への実直な取り組みが確かに評価されています。シュースター「クラブのコンセプトとして、学校の優先順位を高くしすぎないというのもあります。『学校が一番大事でサッカーはその次』という話をしましたが、それは学校で常に最高レベルの成績を残せ!ということではありません。あくまでも選手がまじめに無理のない範囲で、過不足のない取り組みをしてくれれば大丈夫というニュアンスで考えてもらえれば。リスペクト、寛容さ、謙虚さを大事に育ってほしいですね。ここのスタジアムの前にも駐車場があったと思いますけど、プロ選手になるとお金も入ってきますよね。中にはそれこそフェラーリだとか、ランボルギーニという車を購入する選手だっているわけです。そうした車の間でフォルクスワーゲンやオペルの一般車を購入する育成アカデミー出身の選手を見たら、私はうれしくなりますね。地に足をつけて謙虚に自分に合ったものを購入する。そうした私たちの育成アカデミーで学んだことをちゃんと自分の価値観として身につけて、育って、それを体現してくれると彼らの人間性は確かに成長したんだなと感じることができます」サッカー少年少女の親の心得「サカイク10か条」
2022年06月07日育成で様々な取り組みをしているサッカー先進国の一つドイツ。実際にブンデスリーガの育成アカデミーでは育成をどのように捉え、それぞれの子どもたちとどのように向き合っているのでしょうか?ブンデスリーガの育成アカデミーではプレー面を担当する監督・コーチのほかにいろんなジャンルの専門家を正規雇用することが義務付けられています。フィットネスコーチ、ビデオ分析、栄養士と並んで興味深いのが「教育担当」スタッフです。育成指導者は数が多いので、ブンデスリーガの育成アカデミーでもみんながみんな正規雇用というわけにはいきません。教育担当スタッフは各クラブの規模にもよりますが、チーフスタッフを含め数名の正規雇用スタッフが重鎮しています。なぜ育成アカデミーに教育担当スタッフが必要なのか、どんな役割を担っているのかについて、丁寧な育成で定評があるマインツ育成アカデミーで「教育担当スタッフチーフ」として日々子供たちと向き合っているヨナス・シュースターさんにお話を伺いました。(取材・文・写真:中野吉之伴)歴代所属選手のユニフォーム■学校が一番大事でサッカーはその次。学校の成績表を提出してもらうシュースター「私たち教育担当スタッフの仕事は多岐にわたります。その中でまず大事なポイントとなるのが学校との関係を最適にすること。子どもたちがサッカーのことだけではなく、学校のことを忘れないようにアプローチすることです。FSVマインツにとって学校が持つ意味はとても大きいんです。それこそ選手には『学校が一番大事。サッカーはその次』とはっきり伝えています。私たちはプロサッカークラブであり、もちろんサッカーのことはとても大切なのですが、学校はそれよりも大事です。プロクラブとして目をつぶってはならないのは、どれだけの選手が将来的にプロ選手になれるのか、という事実から考えることだと思っています。数字として見れば一目瞭然ですが、極めて少ない確率ですよね。だからこそ、選手に対してはサッカーだけではなく、2本目の立ち足を考えることの大切さを常に伝えています。選手には成績表を提出してもらいますし、学校にはマインツと連絡を日々取り合っている担当者がいますので、何かあったらすぐに連絡をしてもらえるようになっています。何が順調で、どこに問題があるのかを日々確認します。例えばある選手がある科目で問題を抱えていたりして補修や家庭教師が必要でしたら、そのためのオーガナイズもします」■U-19までアカデミーに残れても、プロになれるのは毎年1人か2人ブンデスリーガ育成アカデミーでU-19まで残れたとしても、そこからプロ契約がもらえる選手は毎年1人か2人。1人も昇格できない年もあります。セカンドチームでステップアップするチャンスをもらえる選手もいますが、そこからクラブを離れざるを得ない選手のほうが圧倒的に多いわけです。だからといって保険をかけるという消極的な理由で勉強をすることを促すのもよろしくありません。学校で学ぶことと真摯に向き合うことの大切さを伝え、学ぶ喜びを知り、そして自分にポジティブなものをもたらしてくれると実感してもらえるようにアプローチすることが大切になります。そのために重要なスタッフがシュースターさんになるわけです。シュースター「私は元々学校の先生だったんですね。ドイツ語、スポーツ、政治の教員資格を持っています。ギムナジウム(中等教育機関)の先生でした。同時にマインツで長年指導者もやっていたんです。現在トップチーム監督であるボー・スベンソンがU16監督をやっていた時のアシスタントコーチでした。先生として、そして指導者としての経験があるので、このポストにおいて必要な要素を兼ね備えていると思います。私が個人的に彼らの勉強につきあうこともあります」■大切なのは成績が悪くなったときにサポートすることではないそんなシュースターさんが気を配っているのは子どもたちとの距離感や空気感だと言います。「教育担当スタッフ」なんて名前が堅苦しく響いてしまって、「あの人は学校の成績が悪い時だけ話に来る」みたいな捉えられ方をされたら、それはどちらにとっても望ましいことではありません。子どもたちにとって大切なのは成績が悪くなったとか、私生活がうまくいっていないときだけサポートすることではなく、いつ、いかなる時でも子どもたちのそばにいて、受け止めてくれる大人がいること。シュースター「普段からちょっとしたたわいのない話を楽しくするようにしています。学校のことを語るとか、趣味について口にするとか、そんな風に私とコミュニケーションを取るのは『心地いい時間』と思ってもらえるような関係性が大切だと思います。そういった意味でも私がサッカー指導者もやっていたという背景は助けになっていますね。ここでサッカーをする子どもたちは、プロサッカー選手になりたいという夢を持っているわけです。だから頭の中はサッカーのことだけでいっぱいというのが彼らにとっては普通なんです。サッカーのある生活の日常を知らない教育専門家が来たら、それこそ理論だけの関わりになってしまうこともなくはないのです。『サッカーのことなにもしらないくせに』という反感を持たれてしまうことだってあるんです」子どもがサッカーを楽しむことを最優先に考えようサッカー少年少女の親の心得「サカイク10か条」>>■大人の価値観を押し付けるのではなく、子どもの価値観を受け止めること子どもたちに大人の価値観を押し付けるのではなく、彼らの価値観を受け止めてあげることはとても重要です。彼らはサッカーのことを話したいし、知りたい。そこをないがしろにするのは賢明ではないのではないでしょうか。それを受け止めた上で、学校の話とか、私生活の話をしないと彼らには響かないというのを大事にしたいですね。子どもがサッカーを楽しむことを最優先に考えようサッカー少年少女の親の心得「サカイク10か条」>>
2022年05月16日日本代表の中心選手として2022年のカタールワールドカップでの活躍が期待される遠藤航選手。今でこそ華々しい活躍を見せていますが、幼少期からエリート街道を歩いてきたわけではありません。小学生時代はセレクションに2年連続で不合格、地元でも名の知れた存在ではなかったといいます。そんな遠藤航選手が初の著書「楽しい」から強くなれるプロサッカー選手になるために僕が実現してきたことの中で明かす、夢を叶えるために実行してきたステップを一部抜粋してお届けします。第二回目は、小学生年代でJクラブの育成組織に入れなかった後、プロという夢に近づくために中学でのサッカーの進路を決める時のエピソードをお届けします。(C)中河原 理英<<関連記事:決してエリートではなかった日本代表遠藤航が明かす、大きな夢や目標をかなえるために必要な「考え方」■クラブチームではなく中学部活を選んだわけ僕は昔から、サッカーでも勉強でも、周りが自分よりどれだけできるかではなく、自分がもっとできるようになるにはどうするかにいつも意識が向いていた。そういう性格だから、マリノスのプライマリーやジュニアユースで下部組織入りに失敗した後も、自分がプロ選手という夢に近づくためには、どうしたらいいのかを考えるようになった。結果的に選んだサッカーの続け方は、中学校の部活だった。普通に考えれば、プロクラブの下部組織に入れなかったのなら、せめてレベルの高いアマチュアクラブのユースチームでサッカーを続ける方が無難な選択だ。僕も、入団テストを受けて2つのサッカークラブから合格をもらってはいた。片方は補欠合格だったけど、いちおう、どちらも地元では強いと言われているアマチュアクラブ(町クラブ)だった。それでも、僕には中学のサッカー部のほうがいいように思えた。というのも、神奈川県のトレセン(日本サッカー協会のトレーニングセンター制度)で指導していた先生が、僕の進学する中学校に赴任して監督になったところだったのだ。「南戸塚中学のサッカー部に来ないか?」と、中学校でもサッカーを教えていた南戸塚FCのコーチに誘われもした。実際、小学6年生のときに練習試合の見学に行ってみると、いきなり背番号18のユニフォームを渡されて中学3年生に交じって試合に出してくれた。特別に目立つような選手ではなかった自分を、そこまで買ってくれていた。それが嬉しかった。■遠藤家は、自分のことは自分で決めさせる方針だった部活なら、学校が終わってすぐに練習ができるし、評価してもらえているから試合にもたくさん出られる。自分がトレセンに選ばれる可能性も高まるかもしれないという期待もあった。だから、地元のクラブチームか中学のサッカー部かという重要な決断も、結局は悩んだと言えるほど悩まず、かなり直感的に決めた。親にも相談しなかった。そもそも、両親は自分のことは自分で考えさせる方針で、いつも僕の気持ちや考えを尊重してくれた。サッカーの朝練にしても、他の習い事にしても、たとえ途中で嫌になったとしても無理強いはされなかった。基本的には、なんでも自分で決めなさいというスタンス。父さんからは、「自分で判断するんだ」とよく言われてもいた。■本当に大切なものだから悔いの内容に自分で決める日常生活では、「どっちがいい?」と訊かれると、「決めてもらっていいよ」と答えたりもするから、身近な人たちには優柔不断だと思われているかもしれない。けれど、自分が持っている夢や、その夢を叶えるためのやり方や目標に関しては、昔からスパッと決断できた。両親も、地元の中学校でサッカーを続けるという選択に賛成してくれた。本当に大切なものだから悔いのないように自分で決める。それしかないと思う。
2021年12月21日ドイツ・ブンデスリーガで日本人初の「デュエル勝利数1位」に輝き、2022年のカタールワールドカップでは日本代表の要として活躍が期待される遠藤航選手。今でこそ華々しい活躍を見せていますが、幼少期からエリート街道を歩いてきたわけではありません。小学生時代はセレクションに2年連続で不合格、地元でも名の知れた存在ではなかったといいます。そんな遠藤航選手が初の著書「楽しい」から強くなれるプロサッカー選手になるために僕が実現してきたことの中で明かす、夢を叶えるために実行してきたステップを一部抜粋してお届けします。(C)中河原 理英<<関連記事:ブンデス・デュエル王を育てた「過去と他人を気にするな」の名言。先のビジョンを見据えて逆算できる選手に...遠藤航・父の教育②■中学の時に書いた「目標」が現実になった「僕は未来の自分がサッカー選手になり、プロとして活躍している事、日本代表として活躍している事を期待しています」「世界に通用するDFとしてサッカーを楽しんでいることを期待しています」これは、僕が15歳のときに、未来の自分に投げかけた言葉。中学3年生のとき、10年後の自分に向けて手紙を書くという授業があって、みんなでタイムカプセルに埋めた。真剣に書いたから、25歳のころに「10年後の遠藤航」に宛てた手紙が届いたとき、昔の自分が抱いていた期待のことは覚えていた。あの手紙を書いてから12年後の2020年9月、僕はブンデスリーガで2020‐2021シーズンを迎えた。プロになった当初からの目標が現実になった。10代のころ、香川真司さんや、岡崎慎司さん、長谷部誠さん、内田篤人さんが、ドイツのトップリーグで活躍する姿をテレビで観ながら、僕は自然とブンデスリーガを意識するようになった。でも、将来ブンデスでやれるようになるなんて、サッカーを習い始めた小学生のときはだれも予想していなかったと思う。実際、シュトゥットガルトに加入して最初の3か月間は、全然と言っていいくらい出番がなかった。■大きな目標をかなえるために今何をすべきか、を理解するために必要なこと大きな目標を立てて、それを叶えるために今何をするべきか、身近で小さめの目標に落とし込むこと。僕は昔からそれが得意だった。だからそのときも割り切って、監督が何を求めているのか、先発している選手にあって自分に足りないものは何か、逆に他の選手にはない持ち味をどうやって生かすか、じっと観察しながら、どうすれば自分がチームに貢献できるかを考えた。そしてシーズン半ばに、初先発のチャンスが回ってきた。今思えば、人生でいちばん大切な試合になった。■もしだめでも、またゼロからやればいいだけ与えられたチャンスで結果を出す。その意味では、僕にとってすごく重要な試合だ。アンカーとして力を出し切り、チームの零封勝利に貢献できた90分間、特別に緊張したりはしなかった。やるだけのことをやって準備してきたという自信があった。それに、もしだめでも、またゼロからやればいいだけ。考えてみたら、子どものころからその繰り返しだった。小学校のときも、中学校の部活でも、ユースでも。自分より上手い選手が活躍しているのを見れば、「どうすれば俺も?」と考えたし、「なら、今の自分はこれをやるべきだ」と、逆算していた。■好きだから続けたい、だからやるべきことをやるプロのサッカー選手になりたい。そのために、できる範囲でまず何をすべきなのか。そう考え、もう少し頑張れば超えられそうなハードルを自分で用意しては、1つずつクリアしてきた。好きだから続けたい。楽しいから続けられる。続ければ、もっと楽しくなる。楽しみ続けること。これが基本。続けるためにやるべきことを考える。やるべきことをやる。すごくシンプルだ。でも、その繰り返しが、校庭からドイツのメルセデス・ベンツ・アレーナに僕を連れてきてくれた。この本には、僕がプロサッカー選手になるために大切にしてきたことや、実行してきたさまざまなステップがつまっている。どれも特別なことじゃないかもしれないけど、夢や目標を叶えるための何かのヒントになってくれたらいいなと思う。
2021年12月17日2022年カタールワールドカップ(W杯)アジア最終予選がスタートした9月、日本代表ボランチ・遠藤航(シュツットガルト)が「『楽しい』から強くなれる」という初の著書を出版しました。「僕は未来の自分がサッカー選手になり、プロとして活躍している事、日本代表として活躍している事を期待しています」「世界に通用するDFとしてサッカーを楽しんでいる事を期待しています」これは遠藤選手が中学3年の時、10年後の自分に向けて書いた手紙だと言います。その内容通り、彼は日本代表となり、ドイツ・ブンデスリーガ1部でデュエル(球際)勝率1位に輝くという大輪の花を咲かせています。偉大な遠藤航選手はどのような育てられ方をしたのか......。それは多くの保護者や指導者が関心を抱く部分でしょう。その疑問に答えてくれたのが、父・周作さんです。(取材・文:元川悦子)(C)中河原 理英■「子どもに期待しない」遠藤家の育児方針茨城県で育った学生時代にセンターバックをしていたという周作さんは、航選手が横浜市立南戸塚小学校入学と同時に加入した南戸塚少年サッカークラブ(SC)で指導者として息子を指導。航選手にとって「最初の恩師」ということにもなります。「私は子育てするうえで2つのポリシーがありました。1つは子どもに期待しないこと。親の過度な期待が子どもの負担になるケースは少なくありません。内心期待していてもそれを感じさせないような立ち振る舞いに努めました。もう1つは子どもを1人の人間として扱うこと。幼いなりにも考えはありますから、彼らの頭の中をのぞきにいかないと理解できない。『この子は今、何を考えているんだろう』という疑問を持って接するようにしていたんです」周作さんは淡々とこう話しますが、子どもの側に立って考えるのは大人にとって容易ではありません。思い通りにならなくてストレスを感じたり、忍耐を強いられたりすることも少なくないでしょう。それでも、遠藤家では「あれしろ」「これしろ」とは絶対に言わず、彼らの答えを引き出すように仕向けていたというから、驚嘆に値します。■親にできるのは選択肢を与えること「長男の航を筆頭に子どもは3人いるのですが、我が家ではすぐに答えを言わないようにしていました。サッカーの指導をしていても、社会人として働いていても感じることですが、物事の答えは1つじゃない。自分なりの回答を見つけてほしいと思っていました。子どもは1つ1つの判断に時間がかかりますし、何回やってもできなかったりするのですが、それでも焦れずに辛抱強く待ち続けたんです。親にできるのは、沢山の選択肢を与えてあげることくらい。航にも小学校低学年くらいまでは野球やパターゴルフ、サッカーといろいろやる機会を作り、本人は野球にも熱を入れていました。最終的にはサッカーを選びましたが、別のトライからも多くの学びがあったはず。『好きなことを突き詰める』という今につながるメンタリティも養われたのかなと感じます」■やらなくて困るのは本人周作さんのこうしたポリシーはスポーツにとどまりませんでした。勉強に関しても「やらなくて困るのは本人。必要だと思えば自分からアクションを起こすだろう」と考え、一度も「勉強しろ」「宿題をしろ」などと言ったことはないそうです。航選手本人はもともと真面目に勉強する子どもだったようですが、サッカー強豪校で偏差値も高い桐光学園などへの進学を視野に入れ始めた中学2年の時、自ら「塾に行かせてほしい」と言い出し、積極的に通ったほど。この時点ですでに自立心と自主性に長けた人間に育っていたのでしょう。■「反抗期終わったから」と本人から報告があった「ウチは妻(母・香さん)も教育ママではないし、両親2人ともボーっとしたタイプ(笑)。航には『人に迷惑をかけるな』とは言っていましたが、怒ったことは一度もありません。思春期の中学2・3年頃、本人が『オレ、反抗期終わったから』と言ってきたころがありましたけど、反抗した印象がなかったので驚いた記憶がありますね。親から見てもあまり感情を露わにするようなタイプでもないし、つねに『もう1人の自分』がいて、客観的に自身を見ているようなところがあったんでしょう」(周作さん)こうした冷静さと落ち着きは年齢を追うごとに養われたようです。生粋の負けず嫌いの航選手は低学年の頃は負けるたびに泣いていたものの、高学年になると自分をコントロールできるようになり、周りを励ましたり、指示を送ったりもしていました。周作さんも指導者として我が子だけを特別扱いするのではなく、全員とフラットに接し、長所を伸ばそうと努めていました。チームメートに誠心誠意歩み寄る父の姿勢を間近で見て、息子はフォア・ザ・チームを養っていったはずです。■セレクション不合格でも挫折感を感じなかった理由一方で、周作さんは「子どもにはもっと広い世界を知ってほしい」とも考えていました。そこで小学4年の時、横浜F・マリノスのジュニア・スペシャルクラスのセレクションを受けるように勧めました。「航は南戸塚SCの中ではうまい方だったと思いますけど、もっとうまい子はいくらでもいる。その現実を分かってほしくて、『こんなのがあるよ』とセレクションの情報を伝えました。本人は『じゃあやってみる』と二つ返事でしたが、受かるとは全く思っていませんでした。実際のセレクションも見ましたけど、ドリブルが上手で3~4人をスイスイ抜いていくような子が何人もいて、航は決して目立ちませんでした。案の定、結果は1次テストで落選。小学5・6年の時もジュニアユースのセレクションを受けましたが不合格。本人も自分の実力を分かっていたのか、落ち込んだ様子もなかったですね」(周作さん)著書の中で航選手は「大きな挫折感はなかった。『見返してやりたい』とか『合格者がうらやましい』とも思わなかった。落ちた後もマリノスの試合を普通に観に行っていたくらいだから」と語っていますが、そう思えたのも「サッカーが好きだから続けたい」という感情が強かったからでしょう。「自分で判断して前進することの重要性」を早い段階から知らしめた父のナイスアシストによって、航選手はよりサッカーを突き詰めるようになり、現在に至るトップ選手への道を貪欲に切り開いていきました。「子ども自身が自発的に行動を起こすように親は黙って見守る」というスタンスが奏功したのは、紛れもない事実と言えるでしょう。
2021年10月22日プロになった選手はみんな幼少のころから周りより上手でセレクションにも選ばれて、各年代で代表を経験している、というイメージを持つ人は少なくありませんよね。ドイツ・ブンデスリーガで日本人初の「デュエル勝利数1位」に輝き、2022年カタールワールドカップではサッカー日本代表の"要"として活躍が期待される遠藤航選手は、来年のワールドカップでも代表の中心選手として活躍が期待されるなど、今でこそ華々しい活躍をしていますが、決して"エリート"街道を歩いてきたわけではありませんでした。セレクションに落ちた小学校時代、部活でプレーしていた中学校時代。でも「挫折感はなかった」のは、「サッカーが楽しい」「もっとうまくなりたい」という純粋な思いがあったからだと言います。「好きだから楽しい」「楽しいから続けられる」「どうすればもっとうまくなるか考える」「目標をブレイクダウンする」「やるべきことをやる」――この繰り返しが、遠藤選手を一歩ずつ成長させてきたのです。そんな遠藤選手が大切にしてきたことや、実行してきたステップを明かした書籍「楽しい」から強くなれる プロサッカー選手になるために僕が大切にしてきたこと(ハーパーコリンズ・ジャパン)が発売されました。今回特別にサカイク読者宛てに直筆サインを入れていただきましたので、抽選で3名様にプレゼントします。ふるってご応募ください。遠藤航選手直筆サイン入り書籍の応募はこちらから>>
2021年10月07日子どもたちに「将来の夢は?」と聞いたら、多くの子どもたちが「プロサッカー選手!」と答えるでしょう。そしてそのためにサッカーの練習を一生懸命頑張ろうとします。でも残念ながらみんながみんなプロ選手になれるわけではありません。どんなに小さいころは将来を期待された選手であっても、そのまま順調に成長していくかは誰にもわかりません。ドイツではいつ、どのように夢との決別をするのでしょうか。そして健全に夢とともに生きるために育成年代で気をつけておくべきことはなんでしょうか。過去に岡崎慎司選手や武藤嘉紀選手が所属したブンデスリーガのFSVマインツ05(以下マインツ)でU‐23コーチを務めるジモン・ペッシュさんにお話を伺いました。(取材・文:中野吉之伴)「プロになりたい」という子たちにどのタイミングで現実を教えるか、マインツの場合はどうしているか教えていただきました(写真はサッカー少年のイメージ)■アカデミー生でもトップに上がれるのはほんのわずか中野:ペッシュさん。サッカーが大好きな子どもなら誰でも将来はプロ選手になりたいと夢を口にします。そしてそこから将来性があり、才能を認められた選手がブンデスリーガの育成アカデミーに集まってきますよね。でもそこまで来た選手たちでも、みんながプロ選手になれるわけではない。U‐23に残った選手のほとんどは、どこかで次のキャリアを探さなければならない。クラブとしてはどのように取り組んでいるのでしょうか?ペッシュ:選手には個々それぞれにアプローチするのがまず大事になります。我々は選手それぞれにとって最適な進路を探そうとしています。いま僕らのU‐23チームであればU‐19の段階でその年代トップレベルのプレーを見せ、将来性を高く評価されている選手がいます。パウロ・ネーベルとニコラス・タウアーといった選手たちですね。彼らの場合はプロになれる可能性が高いためすでにトップチームで一緒に練習をしながら、試合の時はU‐23でプレーをして、試合経験を積んでもらうようにしています。そのため彼らに対してはU‐23チームの指導者としてそこまで多く影響を及ぼせるわけではない。金曜日の試合前最後の練習に参加して、試合に出て、またトップチームの練習にもどるわけですからね。ではほかの選手はというと、多くは現時点ではトップチームでプレーする目星がついていないという選手たちなんです。そのうち2、3人は数年のうちにひょっとしたら2部か3部ブンデスリーガ、あるいはうまく成長すればブンデスリーガでプレーするチャンスもあるかもしれない。でも、それ以外はどうひいき目に見ても4部~5部が限界というふうになってしまうわけです。■選手に現実を突きつけるのもコーチの役目中野:選手は自分で気づいていくんでしょうか?それとも指導者のほうから言葉がけをするのでしょうか?ペッシュ:マインツのU‐23は成人4部リーグに所属していますが、クレバーな選手はここで実際にプレーしてみて自分で気づきます。「4部でこのレベル。自分はここからさらに上のレベルまで行けるのか?」とね。だから彼らのほうから「コーチ、僕は大学で勉強したいと思います」「○○企業で研修を受けたいと思っています」と自身で判断して次のステップへと進んでいく選手が多いという印象を得ています。ただ中には言い方は悪いかもしれないですが、「夢を見続けようとする選手」もいます。4部リーグでも出場機会を得られていないのに、「俺はここから一流のプロ選手になる!」と信じて疑わない。そうした選手に現実を伝えるのは簡単ではないけど、それもこちらの仕事だと思っています。「君は将来的にどうやって生きていくのか。どうやって生きていけるのか。別の道の可能性を探した方がいい時期に来たんじゃないだろうか」と。■幸せな人生を歩めるか、を考えるにはそれまでどんな情報を得てきたかが大事中野:現状を受け入れるのは簡単なことではありませんし、「ひょっとしたら」にかけたくなる気持ちだって理解できます。個々の性格や心構えが受け止め方も変わってきます。となるとやはり、「自分の人生にとって大切なことは何なのか」「どうすれば幸せな人生を歩めるのか」を考える習慣付けを育成年代からしておくことは大切ではないかと思います。ペッシュ:その通りだと思います。それまでにどのような教育を受けてきたのか、どのような情報を得てきたのかは大きな影響を及ぼすでしょうね。その点で考えると、育成をどのようにとらえるかも重要になってくると思います。例えばドルトムントを見ると、ムココが16歳、ベリンガムが18歳でトップデビューを飾っていますよね。そうした事実があるから育成選手は必ず18歳、19歳でトップチームでプレーできるだけのクオリティを備えていなければならないというのが基準となり、さらに逆算してU‐14、U‐15でその選手の将来性すべてを決めてしまうような傾向が出てきてしまいます。でも選手の成長には個人差があります。U‐19、あるいはU‐23まで見てみることも大切です。そこですごい成長を遂げる選手だっているし、その間に将来のことと向き合う時間だってできるはずではないですか。■楽しさの中で成長することが大事、早い段階でプレッシャーをかけないで中野:早いうちに結果を求めすぎる傾向は日本でも強いと思います。ではU‐13、U‐15の子どもたちに対してはどうお考えでしょうか?ペッシュ:大事なのは結果や順位表だけを見ないことです。育成アカデミーのチームだと二桁得点差で勝つことも普通にあるのですが、でもだからよかった、悪かったではなく、どんなプレーを目的として取り組み、それがどう実践できたのかをしっかりとらえる大切さを伝えなければいけません。特にまだU‐13より若い年代の子どもたちには、あまりに早い段階でプレッシャーをかけるのはよろしくないです。サッカーの楽しさの中で成長をすることがやっぱりすごく大事ですね。楽しいというのは何してもいいよというのではなく、個々の選手と向き合いながら、アプローチすることは欠かせません。例えば一人の選手が2~3点をとったとして、すべてを右足で決めていたら「得点は素晴らしい。でも君には左足もあることを忘れてはだめだよ」と伝えることも必要でしょう。例えチーム内でベストな選手だったとしても、どこに長所があり、どこに弱点があるかは、しっかりと把握していかなければならないし、それを改善していくためにそうしたフィードバックはとても重要です。育成は長期的な視点で取り組むことが本当に大切なんです。今日行ったことが明日できなきゃだめだなんて追い込まないでください。いかがでしたでしょうか。子どものうちは多くの子が「プロになりたい」と口にします。しかし、望めば誰もがプロになれるわけではありません。いつかは夢から覚め、現実と向き合うことになります。プロサッカー選手と言う夢が叶わなくとも、幸せな人生を歩むためにそれまでに受けてきた教育(学歴の高さのことではありません)や得てきた情報が大事だというペッシュさん。保護者の皆さんは、お子さんが選手以外の道へ踏み出すときに、情報収集や他の選択肢の提示などのサポートができるのではないでしょうか。また、昨今の日本では幼少期からその時点のレベル、周囲の子との差を見て「向いている」「向いていない」を判断しがちな親御さんが増えています。神童と呼ばれ将来を期待された選手が、必ずしも順調に成長するわけではありません。短期的な視点で「できている/できていない」だから「向いている/向いていない」とジャッジするのではなく、子どもの「楽しい」を後押ししてあげる方が成長につながるのは間違いありません。中野吉之伴(なかの・きちのすけ)指導者/ジャーナリスト大学卒業後、育成年代指導のノウハウを学ぶためにドイツへ渡る。現地でSCフライブルクU-15チームでの研修など様々な現場でサッカーを学び、2009年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)。2015年から日本帰国時に全国でサッカー講習会を開催し、よりグラスルーツに寄り添った活動を行う。主な指導歴:フライブルガーFC(元ブンデスリーガクラブ)U-16監督/U-16・18総監督などを経て現在はフライブルガーFCのU13監督を務める。著書・監修本に「サッカードイツ流タテの突破力」(池田書店 ※監修/2016年)/「サッカー年代別トレーニングの教科書」(カンゼン ※著者/2016年)/「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」(ナツメ社 ※著者/2017年)などがある。
2021年03月03日