頑張らないのに文句ばかりの娘にうんざり。どうしたら子育て楽しめますか問題
と怒っていました。
親が変われば子どもも変わる!?
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■走らないのではなく「走れない」のかもしれない
ところが数年前のことです。高校から部活動のエンジョイサッカーに転換し成人した息子が「俺、小学生のころ、なんであんなに走れなかったのか、わかったよ」と行ってきました。
アメリカ大陸でも発見したかのように目を輝かせています。息子はフォワードでした。私は「きついのが嫌だったんじゃないの?」と冷たく言い放ちましたが、違っていました。
「動き方がわからなかったんだ」
サッカーの成り立ちがわからなかった。コーチは走れ、走れと怒るけれど、どこをどう走ればいいかわからなかった。
高校くらいから少しずつ分かり始めたけれど、成人して海外のサッカーをたくさん見るようになって、よりサッカーの戦術眼が磨かれたそうです。
よって、現在草サッカーを楽しんでいますが「小中学生のころよりも、いま走れるんだよ」と嬉しそうに言うのです。
そこではたと気づきました。息子は少々こだわりの強い子でした。人と同じようにすることをよしとしない。自分が論理的に納得がいかなければ腰が上がらないところがありました。根性論好きの大人が好む「がむしゃら」というやつが苦手でした。
ああ、走らなかったのではなく、走れなかったのだ。
私はそうやって怒ったことをとても後悔しました。子育て自体は、親がガミガミ言ったとて子どもが変わることはあり得ないことを、脳科学や心理学を学んで理解していました。
サッカーで走れないことも、息子自身の問題だとうすうすは悟っていましたがネチネチ言ったと思います。
■自分と他社の「課題の分離」をすること
そこで、アドバイスをひとつ。
オーストリアのアルフレッド・アドラーが提唱し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である「アドラー心理学」をご存知でしょうか。
そのなかに「課題の分離」という概念があります。
アドラー心理学の中心的な考え方のひとつでもあるこの「課題の分離」は、自分の課題と他者の課題を明確に区別したほうがいいよ、という考え方です。自分の課題については真摯に向き合い責任を持ちますが、他者の課題には立ち入らないようにする。
他者の課題に不必要に介入することは、相手への支配や依存につながる危険性があるためです。
ところが、親子や夫婦、はたまた上司と部下のように、関係性が近ければ近いほど分離できません。